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一念三千の法門

 投稿者:法介  投稿日:2016年 9月24日(土)09時17分11秒 p1139105-ipngn200808fukuokachu.fukuoka.ocn.ne.jp
返信・引用 編集済
  私が言ってる事がどういうことか

具体的に解りやすく説明しておきます。


<一念三千の法門>


「一念三千一心三観の法門は法華経の一の巻の十如是より起れり」と御書にある通り、十如是がはじまりとなります。

例えばフルマラソンを走りぬいたランナーがいたとします。
このランナーは、汗びっしょりでクタクタの如是相と如是性をそなえた如是体という当体です。
そんなランナーの前に一杯のコップに注がれた水が差し出されました。のどがカラカラのランナーは差し出された水が如是縁(外縁)となって、如是力(内在する力)が発動しコップを手に取り、如是作(作用)と転じて水を一気に飲み干します。
飲み干したことが如是因(原因)となって如是果(結果)としてランナーはお腹を壊して、如是報(報い)の苦しみを味わいます。

ランナーが飲み干した水は、実は友人がうっかり放置していた腐った水だったのです。

クタクタで喉がカラカラだったランナーは、正常な状態ならば気づいたであろう水の腐りを、全く気づかないまま飲み干してしまったのです。
仏法では苦しみは煩悩から生じるとしますが、具体的には様々な物事への執着から起こります。このランナーは水が飲みたいという欲望に執着するあまり判断を誤ってお腹をこわして大変な目にあいます。
そのことがきっかけとなり腐った水を置いていた友人と喧嘩するにまで至りました。

このランナーが腐った水を飲んでしまい苦しんでいる姿は、空仮中の三諦でいうところの仮諦の姿にあたります。勤行で十如是の所を3回繰り返しますが、そのうちの一つはこの仮諦の「仮」の姿を捉えた十如是(仮の義で読む十如是)です。

友人と喧嘩別れしたランナーは家に帰って勤行をはじめます。最初は腐った水を放置しておいた友人に対する怒りで一杯でしたが、唱題していくなかで御本尊様の仏界の境地に感応し、怒りも静まり空の真理を得る(空の義で読む十如是)ことで、「物事には実体はない、友人の方に問題があるのではない。」と己の心と向き合う姿勢が出来ます。

そして、腐った水に気づかなかった自身のふがいなさを反省し「明日、友人に謝りに行こう!」という一つの悟り(中の義で読む十如是)を得て、友人との仲は修復されました。

この一連の流れの中で、ランナーの心は餓鬼界になったり修羅界になったり人界になったりで、十如是が起点となって十界が変動して現れていくのです。
このような当事者の心の動きを内道として主観的認識で説きあらわされたのが一念三千の法門です。

それを客観的な解説に陥ると、「分別・差別」(違い)という客観的認識(仮諦)で終わってしまい、空諦、そして中諦の悟りまで辿りつけません。だから学会員さんや法華講員さん達は、悪を実体化(差別)し本来は「実体無し」と判断すべき「仮の姿」(仮諦)に執着し、醜い攻撃を繰り返すのでしょう。

そもそも、宗門が客観認識(分別・差別)で展開された誤った一念三千の法門を説いているところに重大な問題があるのではないでしょうか。

以下に示す御書の内容が只今の解説です。


《一念三千法門》

此の一念三千一心三観の法門は法華経の一の巻の十如是より起れり、文の心は百界千如三千世間云云、さて一心三観と申すは余宗は如是とあそばす是れ僻事にて二義かけたり天台南岳の御義を知らざる故なり、されば当宗には天台の所釈の如く三遍読に功徳まさる、第一に是相如と相性体力以下の十を如と云ふ如と云うは空の義なるが故に十法界皆空諦なり是を読み観ずる時は我が身即報身如来なり八万四千又は般若とも申す、第二に如是相是れ我が身の色形顕れたる相なり是れ皆仮なり相性体力以下の十なれば十法界皆仮諦と申して仮の義なり是を読み観ずる時は我が身即応身如来なり又は解脱とも申す、第三に相如是と云うは中道と申して仏の法身の形なり是を読み観ずる時は我が身即法身如来なり又は中道とも法性とも涅槃とも寂滅とも申す、此の三を法報応の三身とも空仮中の三諦とも法身般若解脱の三徳とも申す此の三身如来全く外になし我が身即三徳究竟の体にて三身即一身の本覚の仏なり、是をしるを如来とも聖人とも悟とも云う知らざるを凡夫とも衆生とも迷とも申す。


《 総勘文抄》

十法界は十なれども十如是は一なり譬えば水中の月は無量なりと雖も虚空の月は一なるが如し、九法界の十如是(※ 衆生の仮諦の十如是)は夢中の十如是なるが故に水中の月の如し仏法界の十如是(※ 仏の中諦の十如是)は本覚の寤の十如是なれば虚空の月の如し、是の故に仏界の一つの十如是顕れぬれば九法界の十如是の水中の月の如きも一も闕減無く同時に皆顕れて体と用と一具にして一体の仏と成る、十法界を互に具足し平等なる十界の衆生なれば虚空の本月も水中の末月も一人の身中に具足して闕くること無し故に十如是は本末究竟して等しく差別無し、本とは衆生の十如是(※ 仮諦の十如是)なり末とは諸仏の十如是(※ 中諦の十如是)なり諸仏は衆生の一念の心より顕れ給えば衆生は是れ本なり諸仏は是れ末なり、然るを経に云く「今此の三界は皆是我が有なり其の中の衆生は悉く是吾が子なり」と已上、仏成道の後に化他の為の故に迹の成道を唱えて生死の夢中にして本覚の寤を説き給うなり、智慧を父に譬え愚癡を子に譬えて是くの如く説き給えるなり、衆生は本覚の十如是なりと雖も一念の無明眠りの如く心を覆うて生死の夢に入つて本覚の理を忘れ髪筋を切る程に過去現在未来の三世の虚夢を見るなり(※ 仮諦)、仏は寤の人の如くなれば生死の夢に入つて衆生を驚かし給える智慧は夢の中にて父母の如く(※中諦)夢の中なる我等は子息の如くなり、此の道理を以て悉是吾子と言い給うなり、此の理を思い解けば諸仏と我等とは本の故にも父子なり末の故にも父子なり父子の天性は本末是れ同じ、斯れに由つて己心と仏心とは異ならずと観ずるが故に生死の夢を覚まして本覚の寤に還えるを即身成仏と云うなり(※ 境地妙合のこと)

 

愚人さんへ

 投稿者:法介  投稿日:2016年 9月24日(土)08時46分4秒 p1139105-ipngn200808fukuokachu.fukuoka.ocn.ne.jp
返信・引用
  愚人さんへもう一つ

「空諦」に拘っているのではなく

「空の義の一念三千」を理解しないと「中の義の一念三千」の説明に進めないからです。
 

愚人さんへ

 投稿者:法介  投稿日:2016年 9月24日(土)08時39分5秒 p1139105-ipngn200808fukuokachu.fukuoka.ocn.ne.jp
返信・引用 編集済
  日蓮正宗宗務院発行の「日蓮正宗入門」の「釈尊一代の教え」五時八教の項で
(ttp://www.geocities.jp/shoshu_newmon/syakuson_2.htm)

    三諦円融・十界互具の原理を基として、一念三千という法門が明かされています。

と説明されていますように三諦は一念三千という法門を構成する大事な要素だからです。

正しく大聖人様の「一念三千の法門」を理解出来ているのであれば

三諦を抜いて一念三千の法門を語ることは出来ないと解るはずです。
 

返答

 投稿者:法介  投稿日:2016年 9月24日(土)08時18分9秒 p1139105-ipngn200808fukuokachu.fukuoka.ocn.ne.jp
返信・引用
  愚人さんへ

>一念三千もまた、無差別にして而も差別であり無分別にして分別

の部分を解り易く、具体的に説明してもらえると助かります。
 

法介氏

 投稿者:愚人  投稿日:2016年 9月24日(土)08時08分1秒 softbank126094195113.bbtec.net
返信・引用 編集済
   何故に、空諦にこだわるのかが解らない。

 如是相は仮諦であるから差別であり分別。
 如是性は空諦であるから無差別であり無分別
 如是体は中諦であるから差別にして而も無差別であり分別にして無分別。(而二不二)

 十界互具は、差別にして而も無差別であり分別にして而も無差別を説く中諦である。(而二不二)

 一念三千もまた、無差別にして而も差別であり無分別にして分別を説く中諦である。(而二不二)

 この中諦の処を観るのが大事なのでは?。


 『総勘文抄』の五百塵点刧云々の文も、中諦(而二不二)を教えた文である。
 

怪奇現象

 投稿者:法介  投稿日:2016年 9月24日(土)07時58分50秒 p1139105-ipngn200808fukuokachu.fukuoka.ocn.ne.jp
返信・引用 編集済
  私にはどこにも書かれていないように見えるのですが、

通りすがりの法華講員さんには、書いてあるように見えているのでしょうか?

確認の為、その部分を貼り付けて頂けますか?
 

法介様

 投稿者:通りすがりの法華講員  投稿日:2016年 9月24日(土)07時38分39秒 p1892093-ipngn16501marunouchi.tokyo.ocn.ne.jp
返信・引用
  貴方の思い込みによる内容に答える必要はありません。
書いたとしても、正しく理解できないでしょ。
思い込みで曲解する者に何を言っても無駄です。
 

再度

 投稿者:法介  投稿日:2016年 9月24日(土)07時33分33秒 p1139105-ipngn200808fukuokachu.fukuoka.ocn.ne.jp
返信・引用
  このどこかに無分別「無我・無自称」(空諦)の説明がありますか?  

法介様

 投稿者:通りすがりの法華講員  投稿日:2016年 9月24日(土)07時29分50秒 p1892093-ipngn16501marunouchi.tokyo.ocn.ne.jp
返信・引用 編集済
  *私が見る限り…から構成されているように思われますが
○きちんと確認してから書きなさい。
貴方の思い込みです。
何度も言っているでしょ。
創価脳の貴方は自分の意見と事実を分けて捉えることができなくなっていると。思い込みで自分の妄想を事実のように書かないこと。

*客観的にここまでの御三方の絡みを拝見しましたが
○貴方、客観的の言葉の意味を理解できていませんね。

*愚人さんが一番冷静にみえるのは私だけでしょうか
○貴方だけです。同じ創価脳同士、感情が先に立っているからです。「自分の立場は正しい」と思い込みが先にくる同士のためですね。あなた方2名と妙介様は「人の質問にきちんと答えられない」「思い込みが酷すぎ、未確認情報を恰も事実のように書いてしまう」点で病的です。
 

愚人くん

 投稿者:通りすがりの法華講員  投稿日:2016年 9月24日(土)07時25分55秒 p1892093-ipngn16501marunouchi.tokyo.ocn.ne.jp
返信・引用
  人の書いていることを曲解し思い込みで回答している貴方にここの板だけでなく、他の板でも皆さんお困りですよ。
マトモなコミュニケーションができるようになりなさいね。
 

空諦

 投稿者:法介  投稿日:2016年 9月24日(土)05時58分14秒 p1139105-ipngn200808fukuokachu.fukuoka.ocn.ne.jp
返信・引用 編集済
  回答しましたので次に進ませて頂きます。

先ほどの日蓮正宗宗務院発行による「一念三千の法門」の解説ですが
(ttp://www.geocities.jp/shoshu_newmon/nichiren_kyogi4.htm)

私が見る限り

1.十界の差別
2.十如是の働き
3.三世間の差別
4.「本門の一念三千」と「迹門の一念三千」と「文底の一念三千」の差別
5.久遠元初の説明

から構成されているように思われますが、

このどこかに無分別「無我・無自称」(空諦)の説明がありますか?
 

返答

 投稿者:法介  投稿日:2016年 9月24日(土)05時41分52秒 p1139105-ipngn200808fukuokachu.fukuoka.ocn.ne.jp
返信・引用
  ぽんぽこ貍さんの返答に対する回答です。

黒川 和雄@日蓮正宗さんへの回答と同様に

仏様の事の一念三千の話ではなく、

今ここで語っているのは「法門」としての一念三千のお話をしているのです。




愚人さん具体的な提示ありがとうございます。

確かに日顕御隠尊猊下は、

>「無分別の法とは一乗の妙法なり、善悪を簡ぶこと無く、草木樹林にも山河大地にも一微塵の中にも互ひに各十法界の法を具足す」

との御文を通して、
「無分別」ということなのであります。と語っておられますが、
再度愚人さんが提示してくださいました文面を熟読してみてください。



ここで日顕御隠尊猊下が言われている「無分別」の意味を。



>妙法の教えを信解すれば一人として救われない者はないということにおいて、それに対して法華経では、そういう分別は全くないということを言われるのであり、無分別の諸法実相、十界互具一念三千である故に三乗の差別もないのであります。


要約して言うなら、十界互具なので皆平等に仏界が備わっているという意味での無分別だと言っておられます。


>そこに縁因仏性、了因仏性もことごとく具わっておるということが「無分別」ということなのであります。



私が言っている無分別は、「無我・無自称」であり「色即是空」の意味での「無分別」です。





黒川 和雄@日蓮正宗さんへの回答です。


大聖人様が御書の中で一念三千の法門を説明される時は、必ず天台の一念三千を引用されています。


>「愚人」など論外である。


客観的にここまでの御三方の絡みを拝見しましたが

愚人さんが一番冷静にみえるのは私だけでしょうか^^
 

通り氏と黒氏

 投稿者:愚人  投稿日:2016年 9月24日(土)05時06分19秒 softbank126094234056.bbtec.net
返信・引用 編集済
   お二人には、困りました。

 因みに、お二人も仏教上では、愚人なのですよ。
 

まずもって、貴殿らは自分の宗旨を明確にせよ!

 投稿者:黒川 和雄@日蓮正宗  投稿日:2016年 9月24日(土)01時14分53秒 p1137-ipbfp2603osakakita.osaka.ocn.ne.jp
返信・引用
  何やら、わけの分からん脳タリンが多数ごたくを述べておるが、

貴殿らは「自分の宗旨」をこの掲示板に於いて明確にしておるのか?

ハッキリせよ!!

「愚人」など論外である。自ら「阿呆」と述べておる。笑 笑笑 笑笑 笑

このような脳タリンに逐一反論する必要はない。

以上
 

愚人くん

 投稿者:通りすがりの法華講員  投稿日:2016年 9月24日(土)00時58分41秒 p1892093-ipngn16501marunouchi.tokyo.ocn.ne.jp
返信・引用
  頭いかれましたね。
それは、釈尊の「人師に依るな」を守れない貴方に問題があります。
先ずは、人の質問やコメントを思い込みで判断せず正確に理解しましょう。
 

Re: 黒川 和雄@日蓮正宗さんへ

 投稿者:黒川 和雄@日蓮正宗  投稿日:2016年 9月24日(土)00時39分36秒 p1137-ipbfp2603osakakita.osaka.ocn.ne.jp
返信・引用
  > No.47103[元記事へ]

法介さんへのお返事です。

> 仏様の事の一念三千の話ではなく、
>
> 今ここで語っているのは「法門」としての一念三千のお話をしているのですから、
>
> 当然、天台の理の一念三千の範疇でしょ

であるから、その法門は「理の一念三千」であり、このようなものをいくら修学しようが時間の無駄であるということだ。

日興遺誡置文に曰く、

「一、当門流に於ては御鈔を心肝に染め極理を師伝して若し間有らば台家を聞くべき事。」

これに尽きる。呆

以上

 

通りすがりの法華講員氏

 投稿者:愚人  投稿日:2016年 9月24日(土)00時26分35秒 softbank126094221175.bbtec.net
返信・引用
   今の貴方に必要なのは、心の平和です。

 貴方の心が平和になることを念じています。

 皆が、平和。 皆が微笑む。

 皆つながっている。皆は一つ。

 私は貴方。貴方は私。

 私は、平和。私は、微笑む。

 
 

愚人くん

 投稿者:通りすがりの法華講員  投稿日:2016年 9月24日(土)00時13分39秒 p1892093-ipngn16501marunouchi.tokyo.ocn.ne.jp
返信・引用 編集済
  また、頭おかしくなりましたか?
(いつものことですが)
聞いてることに答えましょうよ(笑)
何故、聞いてることに答えられないのですか?

貴方は理解できていますか?
私の質問も、貴方が用いた福重照平師の著書の内容も。
思い込みは捨てて正しく理解しなさいね。

更に加えますが、貴方が本仏と仰ぐ釈尊が「人師に依るな」と説いてるにもかかわらず、何故堀日亨上人や福重照平師の言を用いるのですか?貴方にとって両者は人師でしょ。きちんと釈尊の教えを守りなさい。
 

通りすがりの法華講員氏

 投稿者:愚人  投稿日:2016年 9月24日(土)00時10分58秒 softbank126094221175.bbtec.net
返信・引用 編集済
   冷静であるならば、始めに、ゆっくりと息を吸って、ゆっくりと吐いてください。

そして、今度は、息を吸うときに、

 皆が、平和

と念じ、息を吐くときに、

 皆が微笑む

と念じてください。

 次に、息を吸うときに、

 私も、平和

と念じ、息を吐くときに、

 私も、微笑む

と念じてください。
 

愚人くん

 投稿者:通りすがりの法華講員  投稿日:2016年 9月23日(金)23時48分54秒 p1892093-ipngn16501marunouchi.tokyo.ocn.ne.jp
返信・引用
  私は貴方と違い冷静です。
ですので、貴方の様に「冷静になってください」など他人に対し言わないのです(笑)
これ、理解できますか?
 

通りすがりの法華講員氏

 投稿者:愚人  投稿日:2016年 9月23日(金)23時41分48秒 softbank126094221175.bbtec.net
返信・引用
   もう一度、この言葉を贈ります。

 冷静になってください。
 

愚人くん

 投稿者:通りすがりの法華講員  投稿日:2016年 9月23日(金)23時40分7秒 p1892093-ipngn16501marunouchi.tokyo.ocn.ne.jp
返信・引用 編集済
  私の言っていることを理解できていますか?

堀日亨上人が推薦しているのは、我々法華講員は本門戒壇の大御本尊様を固く信じ南無妙法蓮華経と唱える者に対してであり、福重照平師の著書を正しく理解できるからです。
貴方は、別に本門戒壇の大御本尊様を信じてもいないので、福重照平師の著書を正しく理解できるわけがないでしょ。
信じていない者が殊更に著書を貪っても理解などできませんよ。

貴方にとっては、福重照平師も堀日亨上人も人師でしょ。
人師に依るなは、貴方が本仏と仰ぐ釈尊の言葉です。

ですので、聞いているのです。
何故、福重照平師の著書を『用いる』のですか?
福重照平師は仏様ですか?

お答えください。
 

書き忘れ

 投稿者:愚人  投稿日:2016年 9月23日(金)23時39分23秒 softbank126094221175.bbtec.net
返信・引用
   日蓮本仏論 堀日亨氏序文

 故荒木清勇居士は近世稀に見る憂宗の士達信のヒトであつた、曾つて吾正宗の振はざるを慨して最愛が長子を僧になして宗風の扇揚を期せられた、此が本論の著者福重照平房である。(日蓮本仏論序文一頁)

 
 

愚人くん

 投稿者:通りすがりの法華講員  投稿日:2016年 9月23日(金)23時31分50秒 p1892093-ipngn16501marunouchi.tokyo.ocn.ne.jp
返信・引用 編集済
  ※堀日亨氏の推薦があるから用いているのです。
○堀日亨上人は「用いなさい」と言っていたのですか?
もうやめなさいね。思い込みで解釈するのは。
私は至極冷静ですよ。
思い込みで物事を曲解してるのは貴方ですから「思い込みが激しいです」と言っているのです。
 

通りすがりの法華講員氏

 投稿者:愚人  投稿日:2016年 9月23日(金)23時22分11秒 softbank126094221175.bbtec.net
返信・引用 編集済
   堀日亨氏の推薦があるから用いているのです。

 堀日亨氏が、読みなさいと書いているから自称法華講員の貴方に、求めて読みなさいと薦めているのです。

 お願いですから、冷静になってください。
 

愚人くん

 投稿者:通りすがりの法華講員  投稿日:2016年 9月23日(金)23時15分25秒 p1892093-ipngn16501marunouchi.tokyo.ocn.ne.jp
返信・引用 編集済
  聞いてることに答えましょう。
私は「用いるの?」と聞いてるのに、「読みましょう」は、コミュニケーションが成立しないでしょ。
「読むこと」と、「(それを自身の主張に)用いること」は全く違います。
改めて聞きます。

何故、福重照平氏の著書から用いるの?福重照平氏は仏様ですか?

ね。貴方、人の書いてる内容を理解できてないでしょ。
貴方が「思い込み」で、物事をきちんと理解できていないことがわかりますね。そのような「思い込みの激しい者」が日蓮正宗教義の解釈を語っても「貴方の解釈は間違いです。貴方の思い込みです」としか言いようがありません。以前も貴方に指摘しましたが、貴方が「日蓮正宗教義」として提示したものは、全て貴方の思い込みが入っていますので、100%間違いです。貴方の仏教講釈に何一つ仏教教義に合致しているものはありません。
理由は、貴方は思い込みがひどいので、正しくモノを読むことも理解することもできないからです。
 

Re:通りすがりの法華講員様

 投稿者:ぽんぽこ貍  投稿日:2016年 9月23日(金)23時13分18秒 FL1-119-242-223-56.hyg.mesh.ad.jp
返信・引用
  >大霊體の一念三千・・個性と大霊と一如したる無作三身の一念三千を事の一念三千とする。

◇この文言の意味する所が全く理解できません。
 この僧侶は日柱上人退座に関わった中心人物であり、住職した寺は現在正信会
 寺院となって居ります。
 アメリカ留学時にキリスト教の影響をかなり受けた人物で取り上げるに値しないと
 思います。
 キリスト教の三位一体の聖霊、造物主、御子と入れ替えたら良さような表現で
 有ります。
 ちなみに戸田城聖も教員時代にキリスト教に入信し都内の教会に通っていた
 事実が有ります。
 ご参考迄に。
 

通りすがりの法華講員氏

 投稿者:愚人  投稿日:2016年 9月23日(金)23時08分36秒 softbank126094221175.bbtec.net
返信・引用 編集済
   堀日亨氏の推薦があるからです。貴方が本当に法華講員ならば求めて読みなさい。

 堀日亨氏の序文

 茲に吾人は歓んで此「日蓮本仏論」を大方の人々に推薦する□否讃謗は何れども是非一度は讀んでもらいたいのである。孝養報恩に供せる一篇に同情の涙を□がれたいのである。(日蓮本仏論序文ニ頁)

 福重照平氏自序

 茲に特記すべきは、堀日亨上人法務山務の時間を割て親しく原稿の校閲を給り、弊所を指摘して暁諭懇篤、爲めに著者をして更に推敲改訂以て大過なきを得せしめ給ひしを拜謝することであります。(日蓮本仏論自序四頁)

 
 

愚人くん

 投稿者:通りすがりの法華講員  投稿日:2016年 9月23日(金)22時48分58秒 p1892093-ipngn16501marunouchi.tokyo.ocn.ne.jp
返信・引用 編集済
  何故福重照平氏の著書を用いるの?
その方は仏様ですか?
また、貴方はその方(日蓮正宗 福重照平師)の書いた内容を正確に理解できますか?
 

福重照平著『日蓮本仏論』から(一)

 投稿者:愚人  投稿日:2016年 9月23日(金)22時31分3秒 softbank126094221175.bbtec.net
返信・引用 編集済
   第八章 一念三千

 一念三千は法華経の沖微であり、法體である。法華経が迹本文底と三重に分別されるに付て又一念三千が三通り孝へられる。理體として論ずれば唯一個の一念三千であるが、事體行體として論ずる時三個の一念三千となる。觀心本尊鈔の五重三段の後の三種の三段に説かれたる法體が正しくそれである。三大秘法鈔は迹門と文底と相對して二種の一念三千を擧げてある。此時文上本門の法體は、凡夫と佛のそれは天地の懸隔あるなれども等しく個性の一念三千なるを以て之を迹門に攝して理とし、大霊體の一念三千・・個性と大霊と一如したる無作三身の一念三千を事の一念三千とするのである。(大日蓮編集室発行 故 福重照平著 『日蓮本仏論』昭和五十五年八月十五日四版 ニ七五頁)
 

阿倍日顕氏の『総勘文抄』説法から

 投稿者:愚人  投稿日:2016年 9月23日(金)21時38分35秒 softbank126094221175.bbtec.net
返信・引用
   「方便品に云はく『三世の諸仏の説法の儀式の如く、我も今亦是くの如く無分別の法を説く』已上」という文において「無分別」という語があります。(中略)つまり、方便の教えは色々な形で分別をしているのですが、仏の本当の心においては諸法実相、十界互具一念三千のことごとくが妙法の当体であり、妙法の教えを信解すれば一人として救われない者はないということにおいて、そこに分別するものは全くないと示されるのであります。(中略)それに対して法華経では、そういう分別は全くないということを言われるのであり、無分別の諸法実相、十界互具一念三千である故に三乗の差別もないのであります。
 したがって、「無分別の法とは一乗の妙法なり、善悪を簡ぶこと無く、草木樹林にも山河大地にも一微塵の中にも互ひに各十法界の法を具足す」とお示しです。(中略)妙楽が『金ベイ(金に卑)論』に述べる一草、一木、一礫、一塵のことごとくに一仏性、一因果があり、そこに縁因仏性、了因仏性もことごとく具わっておるということが「無分別」ということなのであります。(大日蓮平成13年12月号54頁から55頁)

 
 

Re:黒川 和雄@日蓮正宗様

 投稿者:ぽんぽこ貍  投稿日:2016年 9月23日(金)21時14分16秒 FL1-119-242-223-56.hyg.mesh.ad.jp
返信・引用
  >この「五百塵点劫の当初」こそ久遠元初のことで、このときの「釈迦如来」とは凡夫時に即座開悟された法即人の本仏たる自受用報身如来であり、そのときの法は人即法の本因下種「南無妙法蓮華経」です。

◇誠に単純明快な答えかと思います。人を離れた法は無く、法を離れた人もない。
 「人法一箇」その究極が「本門戒壇の大御本尊」を離れた議論を重ねても意味のない
 事だと思います。
 創価学会の戸田・池田会長の宇宙本仏論、生命論など人法一箇を忘れた故の外道義
 に成って学会員も70年間謀られてきたのだと思われます。
 御本尊様が只の幸福製造機とみなされ大聖人の御当体と拝せない。
 日達上人猊下の憂慮された事態が全国津々浦々に広まってしまいました。
 法華講員としての役目は大きいと言えましょう。
 以下に黒川 和雄@日蓮正宗さんの回答を敷衍する文章が有りましたので、
 掲載させて頂きました。
 これに反する日蓮門下各宗派、創価学会、顕正会、正信会等は偏見もしくは
 邪見であります。



************************************************

(日蓮大聖人の教義;抜粋)  65世 堀米日淳

扨て以上によって仏法に於ては法華経寿量品の文底の南無妙法蓮華経が肝心の要法であって、此.の要法は日蓮大聖人の所有遊ばされるところでありまして尚此の要注は末法に流布さるべきであることを述べましたが、ここに日蓮大聖人の三大秘法建立の縁由があらせられるのであります。初め述べましたように法華経の神力品に此のことを予証し玉ふてあるのであります。大聖人の三大秘法は本門の本尊、本門の戒壇、本門の題目とでありますが、此れをつづめますと本門の本尊の一大秘法になります。戒壇も題目も御本尊によつて起こってくるからであり

して乃ち御本尊に具ってをるところであります。しかしてまた三大秘法を開まきますと六大秘法になりまして本門の御本尊は法と人とになり、戒壇は事と義となり題目は信と行とになるのであります。.三大秘法を聞合致しますとかようになるのでありますが、三秘のところを至極とするのであります。この三秘の関係はまことに重要なことで、此れをを誤ると大聖人の御法門をく拝することはできないのであります。世間では大聖人の教えは題目にあらせられると思って題目を主として御本尊を忽かせにする者が多いのであります。多いどころではなく皆左様に考へてをりますが、此れがために大聖人の教をはき違へるのであります。元来かような考へは(南無妙法蓮華経は法であるとのみ考へるからでありまし宇宙に遍満する妙法の理が題目である)とするからであります。是は大変な誤りで妙法蓮華経は物心であります。即ち法報応三身具足の御当躰であらせられ報身中に具し玉ふのであります。(妙法の理が天地の間にありましてもそれは理性であります)。、実際には(仏の御智慧のうちにのみ厳然として具はり玉ふ)のであります。その仏は十方法界に唯御一人在ますだけであります。そうしてその仏が衆生を正しく御導き下さみのであります。世間で大聖人の宗旨であると自称してをる一般の宗門では御本尊の首題の下に自分の名を記して授与してをりますが、とんでもない大非法であります。恐らく此れは南無妙法蓮華経と唱えるものは法華経の行者であると考へて大聖人と同じ思ひをするからでありませう。凡そ法門に於ては総別の二義があるのでありまして此れを忘れると地獄へ墜ちることなります。(日蓮大聖人は「総別の二義を違へれば成仏思ひもよらず」と仰せられてあります)が、此れは行人の最も心をくべきところであります。法華経の行者は大聖人唯一人だけで末法の仏も大聖人であります。総じて申せば(妙法を信愛する程のものは行者といへますが別して逆縁の衆生でありまして順逆の分別は行功によるところであって畢竟唯一人の仏に対しては凡夫であります)。かへすがへすも此のところが肝要であります。かようでありますから仏の所有なされる妙法即仏身たるところが根本でありまして、その御本尊を儲受し奉る上の修行が題目になるのであります。既に仏身地であらせられる大聖人の建立し玉ふ大曼荼羅を信受し持ち奉ることが肝要でありまして、此れ以外は皆偏見であり邪道であります。
 

黒川 和雄@日蓮正宗さんへ

 投稿者:法介  投稿日:2016年 9月23日(金)20時18分42秒 p1139105-ipngn200808fukuokachu.fukuoka.ocn.ne.jp
返信・引用
  仏様の事の一念三千の話ではなく、

今ここで語っているのは「法門」としての一念三千のお話をしているのですから、

当然、天台の理の一念三千の範疇でしょ
 

法介様

 投稿者:通りすがりの法華講員  投稿日:2016年 9月23日(金)20時05分55秒 p1892093-ipngn16501marunouchi.tokyo.ocn.ne.jp
返信・引用
  ※わざわざ聞かなくても、
↓ここに宗務院が出している書籍の内容が掲載されています。
ttp://www.geocities.jp/shoshu_newmon/nichiren_kyogi4.htm

○貴方は、そこに記されている内容を『正しく』理解することができるのですか?
創価脳で、人の言っていることすらマトモに答えることもできない貴方が。
貴方のコメントを見る限り、宗務院が出している書籍であろうが、ご住職のご指導であろうが、貴方がそれらを正しく理解できる能力があるとは思えませんが。。。

これまで、貴方は我々と何一つまともなコミュニケーションができていないことに気づいてますか?
 

Re: 休憩中~

 投稿者:黒川 和雄@日蓮正宗  投稿日:2016年 9月23日(金)18時38分11秒 p1137-ipbfp2603osakakita.osaka.ocn.ne.jp
返信・引用
  法介さんへのお返事です。

>三千の法門は分別を説かれたものですか?それとも無分別を説かれたものでしょうか?

分別・不分別などと抜かしておる輩は天台の理の一念三千である!

「理」とは【理論】【理屈】である。・・・即ち「学問上はそうであろう」ということだ。実態ではあるまい。

ここに円柱があるとする。真上から見れば円と見える。
真正面から見れば長方形と見える。

いづれも実態ではない。

実態はどこまで行っても「円柱」である。法華経の寿量品文底に秘沈された南無妙法蓮華経が円教、即ち「完全なる実態」ということであり、宇宙法界の実態、草木等非情を始め、動物を始めとする有情等、全宇宙生命の過去、現在、未来を変革し得る法力が存するのである。

それを「悟られた」のが末法の御本仏・日蓮大聖人であります。

大聖人曰く、

「釈迦如来五百塵点劫の当初そのかみ、凡夫にて御坐おわせし時、我が身は地水火風空なりと知ろしめして即座に悟りを開きたまひき」(総勘文抄・新編1419)

と仰せられています。この「五百塵点劫の当初」こそ久遠元初のことで、このときの「釈迦如来」とは凡夫時に即座開悟された法即人の本仏たる自受用報身如来であり、そのときの法は人即法の本因下種「南無妙法蓮華経」です。

従って、大聖人なくして南無妙法蓮華経は無し、南無妙法蓮華経無くして大聖人は無し。

これが「人法一箇」ということであります。

その究極が「本門戒壇の大御本尊」であります。

では



 

休憩中~

 投稿者:法介  投稿日:2016年 9月23日(金)18時09分38秒 p1139105-ipngn200808fukuokachu.fukuoka.ocn.ne.jp
返信・引用 編集済
  通りすがりの法華講員さんへ

>末寺の御住職に御指導いただければ、正しく理解できますよ。

わざわざ聞かなくても、

↓ここに宗務院が出している書籍の内容が掲載されています。
ttp://www.geocities.jp/shoshu_newmon/nichiren_kyogi4.htm



黒川 和雄@日蓮正宗さんへ


端的にお答え頂きありがとうございます。

私もその内容で間違いないと思います。

しかし、あまりにも端的なので

一つ質問させてください。

一念三千の法門は分別を説かれたものですか?それとも無分別を説かれたものでしょうか?
 

愚人くん

 投稿者:通りすがりの法華講員  投稿日:2016年 9月23日(金)17時55分0秒 p1892093-ipngn16501marunouchi.tokyo.ocn.ne.jp
返信・引用
  *阿倍日顕氏が『三世諸仏総勘文廃立』の説法で、無分別の上から解説していたと思ったが。
○「思ったが」
貴方が思ったことは、貴方の思い込みに過ぎないでしょう。
 

下らん!⇒Re: 休憩

 投稿者:黒川 和雄@日蓮正宗  投稿日:2016年 9月23日(金)17時21分24秒 p1137-ipbfp2603osakakita.osaka.ocn.ne.jp
返信・引用
  > No.47096[元記事へ]

法介さんへのお返事です。


> 通りすがりの法華講員さん、一念三千の法門ってなんですか?

権実相対からは実教である法華経である。

本迹相対からは法華経本門である。

種脱相対からは本門下種の末法の御本仏・日蓮大聖人の仏法である。

アホクサ笑 笑








 

法介様

 投稿者:通りすがりの法華講員  投稿日:2016年 9月23日(金)17時19分32秒 pw126245082064.16.panda-world.ne.jp
返信・引用 編集済
  私が何故貴方に一念三千の話をしなければならないのですか?
末寺の御住職に御指導いただければ、正しく理解できますよ。
ただし、貴方が創価脳から抜けれたらの話ですが。

創価脳に汚染されてる状態の貴方に話す必要性を感じません。話したところで理解もできないでしょう。

わかりますか?
貴方は人の言うことをそのまま理解できていないだけでなく、自分の妄想と現実を分けて人に話すこともできない状態です。

我々が何を述べてもそれをそのまま理解できないのに、何を語れというのですか?先ずは、書いてあることや質問にきちんと答えられるようにしましょう。
 

休憩

 投稿者:法介  投稿日:2016年 9月23日(金)15時42分24秒 p1139105-ipngn200808fukuokachu.fukuoka.ocn.ne.jp
返信・引用
  >そもそも貴方の主張が無茶苦茶だから、整理して我々に正しく伝わるように書かないと、何を言ってるのかも、私には推測できません。


では、整理してシンプルに


通りすがりの法華講員さん、一念三千の法門ってなんですか?


 

訂正

 投稿者:法介  投稿日:2016年 9月23日(金)15時36分36秒 p1139105-ipngn200808fukuokachu.fukuoka.ocn.ne.jp
返信・引用
  済みません、また敬称が抜けてました。重ね重ねお詫び申し上げます。
以後、十分気をつけます。
 

法介様

 投稿者:通りすがりの法華講員  投稿日:2016年 9月23日(金)15時36分26秒 pw126245082064.16.panda-world.ne.jp
返信・引用
  できませんよ。
そもそも貴方の主張が無茶苦茶だから、整理して我々に正しく伝わるように書かないと、何を言ってるのかも、私には推測できません。

貴方は「自分はきちんと相手に伝えている」と思って書いているようですが、それは貴方の思い込みであり、貴方が何を言いたいのかは「我々が推測しなければいけない」くらい無茶苦茶なんです。

まずは、自身の主張が相手に正しく伝わるようにしましょう。
 

休憩

 投稿者:法介  投稿日:2016年 9月23日(金)15時30分25秒 p1139105-ipngn200808fukuokachu.fukuoka.ocn.ne.jp
返信・引用
  通りすがりの法華講員へ


私は法華講員さんのHPを提示して(外道義の一念三千の法門)いますよね。


外道義でない「一念三千の法門」の解説が法華講側でなされているものがあったら


ここに提示してください。


っていうか、通りすがりの法華講員がここで外道義でない「一念三千の法門」の解説を


してみて下さい^^


出来るはずですよね!
 

法介様

 投稿者:通りすがりの法華講員  投稿日:2016年 9月23日(金)15時27分23秒 pw126245082064.16.panda-world.ne.jp
返信・引用
  *ひどい言葉で悪口を言う
○だから、私も法華講員も宗門も、創価学会員・池田大作氏を罵っていないことは明らかでしょ。

わかりましたか?
 

妙介こと新手の創価員にもの申す!

 投稿者:黒川 和雄@日蓮正宗  投稿日:2016年 9月23日(金)15時23分46秒 p1137-ipbfp2603osakakita.osaka.ocn.ne.jp
返信・引用
  いまだに創価員が「僧侶が妻帯するのは、仏法の戒律に違背している。日蓮正宗の僧侶も上代の法主は妻帯していなかった・・・云々」とイチャモンを付けているようなので、これを簡単に破折する。

最蓮房御返事(別名祈祷経送状 新編御書642)

一、御状に十七出家の後は妻子を帯せず肉を食せず等云云。権教を信ぜし大謗法の時の事は何なる持戒の行人と申し候とも、法華経に背く謗法罪の故に正法の破戒の大俗よりも百千万倍劣り候なり。彼の謗法の比丘は持戒なりと雖も無間に墜す。正法の大俗は破戒なりと雖も成仏疑い無き故なり。 但今の御身は念仏等の権教を捨てて正法に帰し給う故に誠に持戒の中の清浄の聖人なり。

(通釈)
貴殿の御状に「十七出家の後は妻子を帯せず肉を食せず等云云」と言われている。権教(法華経以外の教え)を信じる大謗法の時、いかなる持戒の修行者といえども、法華経に背く謗法罪の故に正法の破戒の大俗(俗人)よりも百千万倍劣るのである。彼の謗法の比丘(僧侶)は持戒なりと雖も無間地獄に堕ちる。正法を信ずる大俗は破戒なりと雖も成仏することは間違いがない。あなたの身は念仏等の権教を捨て、正法に帰依されたゆえに、まことの持戒のなかの清浄な聖人である。

宜しいか、創価諸君。貴殿らが如何様に日蓮正宗を妻帯を以て貶めんとしようが、無駄である。

末法の今時、小乗・権教の戒律を以て攻めようとも、既にお前らは大聖人の教えに違背・敗北しているのである。少なくとも現在の創価学会は、大聖人の仏法からは大きく乖離した小乗・権教混乱した邪教集団に堕したのである。

さてこういうと貴様らは『「正法の大俗」の「大俗」とは僧侶のことではなく、在家のことである』と反論するであろう。これは大聖人が俗人の立場から破折されているのである。現にこの御書は「最蓮房」と称する僧侶に対しての疑問に回答されていることからも分かるではないか。

では聞くが、「彼の謗法の比丘は持戒なりと雖も無間に墜す。」
比丘とは僧侶のことである。


大聖人曰く、

「法華経に背く謗法罪の故に正法の破戒の大俗よりも百千万倍劣り候なり。」

この文はお前らの信じるタサク大先生及び創価職業幹部は、平学会員よりも百千万倍罪が深く、堕地獄は間違いないということである。現にタサク名誉会長は6年間も平会員の前に姿を現しておらず地獄の日々をお過ごしではないか!

次に補足ではあるが、佐渡に於いて大聖人に帰依された「阿仏房」は妻帯していなかったのかね?

千日尼とは誰の妻かね?

以上
 

ご要望に応えて^^

 投稿者:法介  投稿日:2016年 9月23日(金)15時19分3秒 p1139105-ipngn200808fukuokachu.fukuoka.ocn.ne.jp
返信・引用
  >法華講員は池田氏・創価学会員を罵ったことなどありません。 (投稿者:通りすがりの法華講員   投稿日:2016年 9月23日(金)12時28分47秒)

>投稿者:通りすがりの法華講員   投稿日:2016年 9月23日(金)15時11分30秒
>私は法華講員ですよ。

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ののし・る【罵る】

1 ひどい言葉で悪口を言う。「口汚く―・る」
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                         ( ウィキペディア)




投稿者:通りすがりの法華講員   投稿日:2016年 9月22日(木)00時18分38秒 p1892093-ipngn16501marunouchi.tokyo.ocn.ne.jp   返信・引用

「池田大作氏の死体は何処へいったか」
が難しければ
「池田大作、失踪宣告へのカウントダウン」
でもいいぞ(笑)


投稿者:通りすがりの法華講員   投稿日:2016年 9月21日(水)23時33分11秒 pw126236093101.12.panda-world.ne.jp   返信・引用 編集済

   今夜のネタは
「池田大作の死体はどこにいったか!」
だそうです。



う~ん、間違いない!
 

法介様

 投稿者:通りすがりの法華講員  投稿日:2016年 9月23日(金)15時11分30秒 pw126245082064.16.panda-world.ne.jp
返信・引用
  私は法華講員ですよ。
私が誰だかも知ってる方は知っていますから。
 

法介様

 投稿者:通りすがりの法華講員  投稿日:2016年 9月23日(金)15時07分5秒 pw126245082064.16.panda-world.ne.jp
返信・引用 編集済
  「あれにこう書いてある。同じことが書いてある」
は、全く説得力にかけますよ。
それをいうなら
「創価学会では『日蓮大聖人は末法の御本仏』といってる」これと同じことを言ってる日蓮正宗宗門は外道義が混入している。
とも言えてしまいます。
貴方方が言ってる事は、典型的な詭弁論法です。

貴方が聞いたという御住職の話も、果たして貴方の主張通りかも怪しげです。貴方のコメントの全てが創価脳の思い込みに基づいてることが明らかですので、貴方の言う御住職の御指導の内容も貴方の創価脳での思い込みに過ぎないと判断できます。恐らく同じ末寺の法華講員に聞けば、貴方の主張と全く違うことを言うでしょう。往々にして創価脳の人は自分の思い込みが先にきますので。

貴方が創価脳である事は、貴方方のコメントで明らかですので、貴方が「御住職の御指導と書いてる事が同じ」という主張そのものが、貴方の思い込みによる勘違いだと断定できる訳です

先ずは自分が創価脳におかされ、「妄想と事実の判別がつかなくなり、妄想を現実と思い込んでしまう」状態にあることを理解しましょう。
貴方が創価脳に汚染されている事は間違いないので、貴方がこれまで見聞きした全てを貴方は正しく捉えていません。貴方は貴方がこれまで見聞きした全てを歪んだ捉え方をしていることを認識することから始めましょう。
そうでないというなら、妙介様同様「宗門が外道義におかされた」事実を「悪魔の証明」などと言わずに正しく証明できるはずです。
 

休憩

 投稿者:法介  投稿日:2016年 9月23日(金)13時59分5秒 p1139105-ipngn200808fukuokachu.fukuoka.ocn.ne.jp
返信・引用
  愚人さん、具体的な内容は?

通りすがりの法華講員さんへ一つ確認しておきたいのですが、

通りすがりの法華講員さんは、本当に法華講員さんなんですよね?
 

法介氏

 投稿者:愚人  投稿日:2016年 9月23日(金)13時16分52秒 om126237057113.9.openmobile.ne.jp
返信・引用 編集済
   阿倍日顕氏が『三世諸仏総勘文廃立』の説法で、無分別の上から解説していたと思ったが。

 愚人は、中観が大事だと思うがな。
 
 

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