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脱会者二世殿へ 【再掲】

 投稿者:管理人  投稿日:2016年10月 2日(日)13時47分17秒 i125-202-241-233.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
    『独善主義からの脱却を求めて』

と題された貴殿の言い分、須らく読ませて戴いた。

先ずは、投稿先の規則を守らんとする其の姿勢と、単に罵倒中傷を書き連ねる創価教宣の連中とは異なり、
しっかりと自身の主張を述べられて、其の上で、日蓮正宗、并(ならび)に、創価学会や顕正会などに対し、
堂々、其の批判の矛先を向けられている事について、当室管理人は、心から佳とするものである。

何せ昨今に於いては、貴殿の様な規則を守ろうとする人間が極く稀となり、特に創価教宣、及び除名会員、
加えて、私憤怨念を原動とするアンチなどが、自身の所属宗派を隠匿して多重ハンネを使い、海外の串を
駆使しては、批判中傷を繰り返し、当室の運営を妨害せんとする。

本より、其れらの行為は、信仰者に有るまじき痴行であり、最早、法義云々以前の問題であると、当室管理人は、
何度も繰り返し、注意警告して来たのである。

しかし、貴殿の態度は、昨今珍しく真摯なものであるから、此に於いて各一文を掲載し、此に返答するものである。
無論、これが最後の応答となる。以後のやり取りは不可となるので悪しからず。

では返答を記(しる)そう。

尚、返答が厳しくなっておるが、これも破折の一端であるから、しっかりと受けなさい。

>私は確かに特定の宗教団体に所属していないがゆえ、特定の思想、対象物or人間を唯一絶対の本尊として崇め
>奉らないという立場を表明しているわけですが、しかし思うのは、およそ人間というものは、何かを信じて、
>行動を起こしているわけで、かく言う私も自分なりの信念に基づき、今があるわけです。
>一言でいえば「独善主義からの脱却」であり、物事を是々非々で考えていく立場です。

先ずは「絶対」と「独善」の分別を、己(おのれ)の命から達観する事であろう。
さても「絶対」と「独善」とは個に於ける表裏であるのか、それとも個々に於ける相関であるのか。
して其れらは、自己の概念に依って変化するものなのか。してもしそうであるならば、自己こそが独善となるのでは
ないか。

>こうした私の主張も、主観による個人的意見の表明であり、それがいかなる時代・社会においても唯一絶対に
>正しい思想ということではありません。

つまり、自身の言い分は、あくまでも主観であり、其れこそは絶対ではない、という事であるよな。
はて、そうであるならば、つまりは、絶対ではない自身の主観に於いて、身辺周囲の対象群、つまりは法律、
つまりは哲学、つまりは宗教等に於いて、其れを独善と決定する主観とは、一体如何なる絶対性を以って決定されるのか。

>では、なぜ私がここに来たのか?(別に喧嘩を吹っ掛けたいわけではありません。)
>それは日蓮正宗系教義が、創価学会や顕正会等のカルト教団を生み出し、「人や社会に多大な迷惑を掛けた」と
>考えているからです。

果たして「日蓮正宗の教義が、カルト団体を生み出し、人や社会に多大な迷惑を掛けた」とは、如何なる絶対から結論
されたものであるのか。まさか、社会の評判、という絶対を拵(こしら)えての事か。まさか、其れは本当か。

>私は何度も何度も、日蓮正宗の信徒として生きていくべきか?創価学会員として生きていくべきか?
>悩んで悩んで悩んで悩んで、悩み抜きました。
>そして「いや、そもそも私は、彼らの独善的な教義に縛られていただけではないか?」と考えるに至りました。

さても「独善的な教義」とは如何。
されば「非独善的な教義」とは何ぞ。

果たして、己(おのれ)の信から発したものは、絶対たり得るか。
それとも、絶対たり得るからこそ、己(おのれ)の信を発するか。

>私もかつては日蓮正宗の言うとおりに信じていました。
>そして正本堂建立の際には創価学会もとんでもない額のお金を会員から巻き上げました。
>これでもし大石寺の板曼荼羅が実は偽物だったら、とんでもない詐欺ではないでしょうか。

「もし」とは如何。
「もし」とは仮定の意ではないのか。

はて「もし」という仮定を論拠にして、事の正義を判じるならば、其れこそが全くの独善ではないか。

>しかし、ネットの普及とともに、これまでであれば表に出てこなかった(伏せられていた)であろう様々な
>情報が次々と明るみになり、「どう考えてもこれは怪しいぞ」と思うようになりました。
>創価学会に対してもそうです。

果たして「伏せられていた、であろう情報」とは、一体如何なるモノか。
而して「世間の情報」をネットで閲覧し「こりゃどー考えても怪しいぞ」と結論するは、これ全く「信仰未熟」の
幼姿ではないか。

>私からすると、あなた方の戒壇の本尊観というのは「盲目的に信じる」姿そのものであり、
>それでは学会が正しいと言ってはばからない彼らの池田さんに対する「妄信」とたいして変わらないように
>見えます。

さても、信仰者として本尊を信じる事は、一丁目の一番地ではないか。
して「盲目的に信じる」とは、我が戒壇の大御本尊のみに対して述べられるか。
さに非ず、他宗の本尊についても、其の概念を適用するか。
して、戒壇の大御本尊のみに適用するというのであれば、貴殿こそは、彼の重須日浄と同じである。

而して、盲信的とは、貴殿の懐疑から出で来るものではないのか。
つまりは、其の懐疑に貴殿が固執しているという事ではないのか。

果たして草花は人間にとって観賞の其れと成るが、ヤギにとっては、単なる食い物にしか見えない。
さても『盲信的』とは是れ如何に。哀。

>基本的に、思想、価値観、宗教は人それぞれ千差万別、多種多様であると思いませんか?
>私はそれらは最大限に尊重されるべきできあると考えます。
>たとえ自分とは異なる思想、価値観、宗教に基づく主張であったとしても、それに対して聞く耳を持ち、
>尊重することは大切であると考えています。

ならば、何故、戒壇の大御本尊を信奉する我らに対して「独善盲目」と侮蔑するか。
さても、其の教義に於いて、他義他論を論釈して破し、又は其の正たるを論証するが、まこと高義の其れで
はないか。して逆に其れを為さず、高低浅深の理(ことわり)を無視し、其れこそ「寛容性」の名の下に万教同一の
私義をばら撒かんとするは、此れこそ「独善」ならぬ「独悪」の思行ではないか。

さても、念仏を尊重する日蓮宗とは是れ如何に。
さても、真言を尊重する日蓮宗とは是れ如何に。
加えて、天理教の価値を見出して自己の成長に結するとは是れ如何。

>なぜなら、お互いの意見を自由闊達に述べ合うことによって、
>自分では知り得なかった多様な価値観、考え方や知識、情報を学び、自己を成長させるとともに、
>人生の指針として、よりよい答えを見出していくことに繋がる可能性があると考えるからです。
>したがって、自分の持っている価値観も決して唯一絶対のものと決め付けるのではなく、
>他の視点、立場からの別の考え方がありえることを、まず理解することが大切であると考えるわけです。
>この姿勢を「寛容性」と考えており、それは独善主義からの脱却でもあります。

哀。

申し訳ないが、其れは「世間法」での事である。
本より、世法の価値観を根本にして仏法義を計る事は出来ない。
尚、其れら世間法に於いて、他者の意見を聞き、又は、学習せんとする姿勢は大事である。
しかし、其れとて寛容の問題ではなく、分別の問題とも言えよう。
果たして、持する寛容性は、身に付いた分別から起こるものであるのか。
して、その身に付いた分別によって優劣を決した場合、其れは独善と成るのか。
して、その独善の基準は、一体何であるのか。まさか大衆迎合の其れであるのか。
爾して、真の寛容とは、正邪優劣の判別が出来てこそ成るものではないのか。

>では、世の中のどんな宗教であろうとも、尊重すべきなのか?と問われれば、決してそうではないとも
>考えています。宗教の目的が世界の平和と人類の幸福であるとすれば、言い換えれば、宗教とは世界の平和と
>人類の幸福という崇高な目的の為に、人間が考え出した手段(道具)であるとするならば、この崇高な目的を
>阻むような宗教は尊重には値しないと考えるわけです。

先ず以って「宗教とは人間が考え出した手段」とは、木を見て森を見ない、あまりに矮小な認識である。
抑も、此の宇宙法界は、地球人類の遥か以前から存在しているものであるが、其の存在は、地球人類に対して
不二の存在である。しかも、この相関は、過去・現在・未来に於いて終始一貫である。して、人間は、其の
宇宙法界の原理に基づいて誕生し、そこに於いて誕生した人間は、其の原理に対して探究したのである。
つまり、宗教とは、其の元から存在する宇宙法界の理(ことわり)を、我ら人間生命の理からして一体である事を
究明し、そして会得したのである。して其れは「発見」でもなく「偶然」でもなく、ましてや「手段」でもない。
実に其れこそは「必然」だったのである。

よろしいか。皮相面から、事の本質を見極めるのではなく、事の本質から皮相を認識して、其れをリードする。
実に其れこそが仏法の威力なのである。

>例えば、その宗教が客観的事実(数学、物理、化学、生物等自然科学の諸法則、歴史的事実等)に反した嘘の主張、
>すなわち非科学的な態度を取ったり、あるいは、法律、社会規範、倫理、モラル等に反する主張や反社会的行動を
>取ったりしていれば、その宗教には疑問符が付きます。

はて、数学、物理、化学、生物等自然科学の諸法則、歴史的事実に反するものが嘘とは如何なる事か。
ならば、吉兆はどうか。此の理(ことわり)は科学で証明できるのか。

例えば凶夢。此れはどうか。

ある時、自分の頭に角(つの)が生える夢を見た。して其れこそは凶夢であるという。
然して其の者は、後日に首を刎ねられた。
つまりは云う。『頭に角が生えるとは、「角」の字。つまりは頭に「刀を用いる」意によって凶夢である』と。
果たして、是れこそは『虫の知らせ』と成るのではないか。
尚、此の事は、三国志演義の後半に出ておるから、時間があったら読んでみなさい。

加えて昨今、東北の被災地に於いて『幽霊がタクシーに乗車した』との記事が載っていた。
して、其の現象を卒論にした学生が居たという。
果たして、これらの現象はどうであるのか。

さても非科学は嘘か。否、抑も非科学とは何か。

尚『法律、社会規範、倫理、モラル等に反する主張や反社会的行動を取ったりしていれば、その宗教には疑問符が
付きます』と云うが、其れこそは単なる犯罪の部類ではないか。哀笑。

さても貴殿は、世法と学術の俗性を以って、仏法義を計らんとするか。実に其れこそが「独悪」となろう。

>また、客観的事実の主張とは異なり、例えば、根本的な人の生き方、宗教、哲学、芸術、政治、社会のあり方と
>いった問題についての議論は、人それぞれの主観による個人的意見の交換であり、そもそも絶対的に正しいという
>ものは存在しないと考えます。それらは、時代、社会、そして立場によっても変わりゆくものであると考えるからです。
>それにもかかわらず、自分たちのところの宗教だけが唯一絶対に正しく、他の宗教はすべて邪であるとする独善主義の
>思想・価値観はいかがなものでしょうか?

哀笑。

其れこそは、日蓮大聖人にお聞きすべきである。
持っているならば、御書をよ~く読みなさい。さすれば、自ずと答えが出て来よう。

>これらの主張は、私の主観による個人的意見であり、
>数学の公式や物理法則、化学式の話をしているのではありません。

何やら話が滅裂になっておるな。呆呆。
さても、数学、物理、化学、生物等自然科学の諸法則に反するものは嘘の主張で非科学的だと、言い乍(なが)ら、
一方で、人の生き方、宗教、哲学、芸術、政治、社会のあり方という主観的な問題について意見交換し、互いの
成長に役立てるべきだ、などと言う。しかも、自身をして主観的であると言う。呆笑。
つまりは、客観的事実に基づかない主張を、貴殿は為されているという事か。
ならば一体、何の御批判であるのか。つまりは単なる文句という事か。哀哀哀。

>しかし、嘘はダメですよね?
>もし、実は日蓮は楠木の板曼荼羅など作っていなかったら(作らせていたなかったら)、あなた方はどうしますか?
>日蓮本仏論の根拠としている御書が実はすべて偽書だったらどうしますか?
>私を含め、結論が出ていない事柄に対しては誰も真偽を断言することはできません。
>私は断定的な言い方はしません。

哀哀。そーであろう。要は貴殿の言いたい処(ところ)は、そこにあるのであろう。小笑。
鼻笑。其れを早く云えばよいのである。

もし、大曼荼羅が嘘だったら、御書が全て嘘だったら…。

はて、こーゆー質問の場合、貴殿の好きな世間法では何と云うか。

云く『もしも、という仮定の話には答えられません』と。

実に其れこそが答えと成ろう。呆哀。

>「真偽未決の事柄に対して、嘘を付いている可能性がある」と表現しています。

哀哀。おいおい。

真偽未決、つまり、文献学術の限界に於いて、其れを一方側に断定し、嘘を付いている可能性とは是れ如何。
さても、其の逆を云うならば、真実を述べている可能性も、そこには存在する、という事になるではないか。
抑も「未決」とは、其れら両方の論理が成り立つからこそ「未決」と言うのである。
よろしいか。学術に於いて「未決」とは、あくまでも「未決」であって「真」でもなければ「偽」でもない。
つまりは、其れが判らないから「真偽未決」と言っているのである。

しかしである! 我々は信仰者であるから、其の学問学術の未決などは、信奉する伝法教義の上から判釈して、
其れを解決するのである。無論、そこに学問など入る余地はない。受持即観心の妙義。
さても、文献学者には判るまい。

>現代において極めて怪しいとされている事柄に対して、「いや、唯一絶対に正しいのだ!」と主張しても
>いいのでしょうか?

極めて怪しい、という認識は、まさか、記録に残っていない、という幼稚な基準から出でおるのか。
果たして、そうであるならば、対論以前に於いて其の勝敗は決しよう。
其の理由は、上に示したとおりである。

尚、記録の有無ではなく、仏法義の上からして怪しいと言うのではあれば、当方は大いに論じよう。
しかし、悲しいかな、貴殿は無信仰・無宗教、いや、若干押し上げても、初詣なら何処(どこ)へでも行く。
そして、お参りする。つまり、そーゆー行動をして「寛容」と是認する、所謂、無知な一般人であるから、
これ以上の深い対論は出来よう筈も無い。

譬えて言うならば、小学生が大学院の講義に出席しても、何の事やらさっぱり解からない、という事になる。
尚、言って置くが、これは自讃ではない。法義を堅持する者と、無信仰者との差異を述べているものである。

其れよりも先ずは貴殿に勧めよう。

貴殿には、世間の話題を中心とした掲示板とか、又は、処世や哲学を述べ合う掲示板とか、そういう掲示板の方が
よろしいと思う。先ずは、そこから出発し給え。仏法義の対論などは其れからの事である。

>盲目的に信じることなく、怪しいと考える立場に人間に対して「オマエらは謗法だ!堕地獄だ!」と脅迫しても
>いいのでしょうか?

呆笑。

はて、謗法だ、と呵責する事が、何故に脅迫となるのか。其れこそは単に物の言い様ではないのか。
人に依って物の言い方にも色々あろう。其れにしても『脅迫』とは仰々(ぎょうぎょう)しい。
さても其れこそは、一をして十と云う、応に針小棒大の誇張言ではないか。
世は其れをして『イチャモン(難癖)』と云う。

鼻笑。其れにしても『堕地獄』とは、年季の入った言い様ではある。
果たして貴殿は、創価学会で何を学んで来たのか。哀哀。

>しかし、学会を離れ、宗門を離れた今、個人的意見としては、大石寺の板曼荼羅が「いつ?どこで?誰が?」制作した
>のかということは重要ではないと考える部分もあります。
>重要なことは、あくまでも、その「内容」であると考えるからです。
>例えば、法華経と言う径典にしてもそうです。
>日蓮は、それを釈尊が説いたものと信じているかもしれないが、事実は果たしてどうでしょう?
>法華経が釈尊とは何の関係もない数百年後の無名の者たちがまとめ上げたものだとしても、
>そこに説かれている内容が感銘を受けるものであり、生きるうえでの指針となるのであれば、
>少なくともその人にとっては、それは言わば「ありがたい教え」ということになるのではないでしょうか?

おいおい、そういう言い分であるならば、先程、貴殿が述べられた、

「真偽未決の事柄に対して、嘘を付いている可能性がある」との言い様は、全く意味しないモノとなるではないか。
果たして、重要な事はあくまでも内容とは、学術の見地から言っておるのか。それとも、宗教に於ける教判から言って
おるのか。あいや、貴殿は無宗教であるから、学術一般の見地からしか述べられないであろう。ならば、尚更の事である。
さても「重要な事はあくまでも内容」とは、一体何の内容であるのか。
して其れこそは、客観性に基づく内容を以って「重要」と結論しておるのか。

>本尊にしてもそうです。
>日蓮正宗は、それが日蓮出世の本懐の戒壇の大御本尊と信じているかもしれないが、事実はいざ知らず。
>曼荼羅が、「いつ?どこで?誰が?」制作したものであろうが、
>重要なことは、あくまでも、そこに示された「内容」だと考えるわけです。
>そこに示されている内容が、例えば人生の根本指針となるものであるならば、
>少なくとも「その人にとっては」それは言わば「ありがたい本尊」ということになりえると考えるわけです。

哀。誰がいつ、どこで作成しようとも、それが、自身をして人生の根本指針と成り得るなら、それこそが
示された内容という事であり、それこそが、ありがたい本尊、という事か。哀哀。

つまり、みんな其々(それぞれ)、自分に合った思想・哲学・宗教を持てば、其れこそが重要な内容となり、
其れこそが、自らの人生の根本指針となる。だから、こっちが正しいとか、あっちが間違っているとか、
そーゆー事は言わないで、皆が仲良く研鑽し合って、其々の信条を推し進めて往けば、それでよい、という事で
あるのか。

哀哀哀

申し訳ないが、貴殿にはやはり、仏法の話は無理である。先ずは宗教とは何ぞや、という初手の部分から
入った方がよかろう。教義の判釈などは、まだ十年は早い。
其れにしても「示された内容が人生の根本指針となるのであれば、それこそが有り難い本尊と成り得る」とは、
いやはや何とも、アゴの骨が即座に外れて、空いた口が地面までドスーンと落ちてしまう程の珍論である。
先ずは、其の珍論を何とかしさない。呆哀。

>また、本仏論の話ですが、日蓮の思想、主張、行動、生き方等に感銘を受け、
>日蓮は主・師・親の三徳を具備された方であるとして、末法の御本仏と仰ぎ尊敬するのはあなた方のまったくの
>自由です。しかし、それを他者へ押し付けるべきではないと考えます。
>思想・価値観は多種多様なのです。誰を尊敬するのかも、人ぞれぞれの自由です。
>世の中には日蓮のことを必ずしも尊敬しない考え方の人もいるわけです。
>あるいは尊敬はするけれども、本仏とは捉えない人もいるわけです。考え方は実に様々なのです。

呆哀。重ねて言おう。貴殿は抑も、創価学会で何を学んで来たのか。

>日蓮を末法の御本仏と仰ぐ思想こそが絶対の正義であり、それ以外は謗法であり誤りである、地獄行きだと
>主張するのはいかがなものでしょうか?

呆哀。ならば、日蓮大聖人は末法の御本仏との主張が、地獄行きの主張となるのか。
いや、それとも、全日蓮宗の教義すべてが、成仏の道を開く正義である、と云うか。

>ですから、それは他者に対する明白な脅しともなり、他者の思想・価値観、身体を拘束し、人生をも狂わしかねず、
>したがって、寛容性を持たない宗教は、所詮カルト的危険性を持った宗教でしかなく、こういった宗教までも尊重
>できるのかと問われれば、答えは否であると言わざるを得ないと考えるわけです。

呆哀。これについては、再び言おう。

謗法だ、と呵責する事が、何故に脅迫となるのか。其れこそは物の言い様ではないのか。
人に依って物の言い方にも色々あろう。其れにしても『脅迫』とは仰々(ぎょうぎょう)しい。
さても其れこそは、一をして十と云う、応に針小棒大の誇張言である。
世は其れをして「イチャモン」と云う。

尚、言って置くが、我々は中共支那の其れではない。ったく、身体を拘束するとは如何なる事か。
よろしいか。中共支那と同じにするでない。北朝鮮と同じにするでない。
さても読んでいて、貴殿の嫌悪感がしみじみと伝わって来る。哀。

尚云うが、寛容性の持たない宗教は、所詮カルト的危険性を持った宗教、とは、貴殿の未熟から出る発想であり、
抑も、寛容と峻別、つまりは、定義の上に起って其々を取捨し、其の前提を以って正義を採る、という、いわば
最良の基点というものを、貴殿は全く知ろうとしない、いや、理解し得ないから、知る由も無い。

さても貴殿は、自分の親を殺害した政府軍の兵士に対し、其れは政府軍の仕業であるとするか、それとも、
その兵士個人の仕業とするか。して、兵士個人の仕業となれば、貴殿は、其の兵士が所属する政府軍に対しては、
何の憎悪も向けないか。さに非ず、其の個人をして全体と判断し、政府軍の兵士全体に攻撃を仕掛けるか。
してそこに寛容の精神は存在するのか。いや、其れこそは都合の良い寛容性と成るのか。

本より、自身に都合の良い寛容性など、全く以って独善と成り、
然して、自身に都合の悪い寛容などは、全く以って偽善と成る。

果たして貴殿の主観はどっちであるのか。哀笑。

>およそ宗教というものは、それぞれが己の正義を主張します。だから、いつの時代も対立が絶えません。
>悲しくなりませんか?
>「家系こってりラーメンこそが至高」、「いや、あっさり中華そばこそが至高」と言い合いしている姿と
>変わらないですね、そんなの・・・

呆哀。

宗教だけではないだろう。

政治も然り、哲学も然り、科学も然り、更には、会社の会議も然り、嫁と姑も然り、延いては親子でも然りでは
ないのか。

よいか。皆、其々の考えを主張し、その優れたるを示さんとするのである。

して、其れを対立とするか、優劣の選択とするか、実に其の基本を為す度量こそが、真たる宗教の法義によって
培われるのである。

尚云うが、当流とイスラム外道を同視するでない。

無礼である。

>管理人さんは過激思想の持ち主であることは文面から察しがつきますが、逆にそういう人は、
>ひょんなことからいっきに考え方が変わるんじゃないかなとも思いました。
> (だいたい99%は水掛け論ですが・・・)

はて、当方が過激思想とは是れ如何に。

言って置くが、当方の過激性は、現中共支那(ゲリラ八路軍)の億分の一であり、朝鮮労働党の万分の一である。
つまり、其の過激は過激と成らず、其れこそはしっかと正義を顕示する、興門正統の戦士像と成るものである。

おっと! これは増長が過ぎたか。

ったく、支那や朝鮮ではあるまいし、意見する者を縛り上げて、我々に従えなどとは言わんよ。哀笑。
だから安心しなさい。鼻笑。

>繰り返しますが、私の主張こそが正しいと言っているのではありません。
>「私はこう考える。では、あなたはどう思いますか?」という議論を通じて、何か身になるものを見出したいと
>思った次第です。
>長文失礼しました

さても、その割には、嫌悪感丸出しの文体が、諸所に在ったような気もするが、いずれにせよ、最後のオチが、
『私の主張こそが正しいと言っているのではありません』と成っているのであるから、これ以上の事は申すまい。

尚、今回の様な、規則外の投稿者に対して、其の返答を記すなどは、本より例外であり、其の例外を以って、
本例と為すような事はしない。

尚、脱会者二世殿には、以後、当室に投稿されようとも、其の掲載のみならず、当方からのコメントも一切無いと、
心得られたい。爾して貴殿が、再び信仰者に成られたら、其の時にこそ来室しなさい。

以上である。
 

面授口決・唯受一人

 投稿者:黒川 和雄@日蓮正宗  投稿日:2016年10月 1日(土)18時13分4秒 p1137-ipbfp2603osakakita.osaka.ocn.ne.jp
返信・引用 編集済
  「相伝」に関してはチャンと大聖人が御書にお示しになっておられます。
大聖人の仏法弘教に関しては:

①広く門下が学び修行すべく、御書として公開し、認められたもの。
②浅い信心の者に法門を説くと逆に誹謗・疑難が生じると思われる「甚深の法門」は口伝相伝・血脈相承を以て相伝された。

以上が分かれば「血脈相承・唯受一人の相承」が理解できるであろう。

創価員のお好きな日亨上人は「本門心底抄(三位日順師著)」を挙げ、分かりやすく相承の事を説いておられます。

熟読されよ。そして創価の洗脳呪縛から一日も早く決別し、日蓮正宗に戻られよ。

日蓮正宗を誹謗したタサク会長センセは6年間も創価員の前に姿現さず。w
地獄の最期を迎えようとしておるではないか!それでも、お前さんたち分からんか?呆

以上、

=================================


「問うて曰く、要法の経文如何。答えて曰く、口伝を以て之を伝えん(曾谷入道殿許御書)
785P

「口伝相承の事は此の弁公にくはしく申しふくめて候」(四条金吾女房御書)464P

「此の三大秘法は二千余年の当初、地涌千界の上首として、日蓮慥かに教主大覚世尊より口決せし相承なり」(三大秘法稟承事)1595P

「此の相承は日蓮嫡々一人の口決、唯受一人の秘伝なり、神妙神妙と言給ひて留め畢んぬ」
(産湯相承書)1710P

「法門と申すは心に入れぬ人にはいはぬ事にて候ぞ、御心得候へ」(報恩抄送文)
1037P

「願わくば門徒の法器を撰して密に面授相伝すべし若し外人他見及ばば還って誹謗の邪難を加えん、努め務め偏執の族に対して心底を披露すべからず」日亨上人編集(本門心底抄・三位日順師著)要集2巻32P

 

愚人くん

 投稿者:通りすがりの法華講員  投稿日:2016年10月 1日(土)15時58分42秒 pw126255140110.9.panda-world.ne.jp
返信・引用 編集済
  訂正有難う。
宿坊をきちんと教育してね。
詳しくは宿坊2の掲示板に載ってますよ

あ、失礼。私のコピペミスね。
 

何処の誰べぇさんへお知らせ

 投稿者:ぽんぽこ貍  投稿日:2016年10月 1日(土)14時08分41秒 FL1-119-242-223-56.hyg.mesh.ad.jp
返信・引用
  日蓮正宗のハンネを止めて、赤毛の阿呆のハンネも止めて、今度は聖教の阿呆さん。
当室の管理人さんが迷惑されていますので、私の掲示板へ来なさい。
個人情報の漏洩や個人(法人は除外)に対する誹謗中傷、脅迫言動以外は削除しないフリートーク版だから、言いたい放題言いなさい。
そして日頃の鬱憤ばらしをしなさい。
URLは下記ですから、覗いて見なさい。


ttp://6817.teacup.com/bukyotetugaku/bbs
 

代わりに訂正

 投稿者:愚人  投稿日:2016年10月 1日(土)13時39分31秒 om126212162015.14.openmobile.ne.jp
返信・引用
   間違い→堀日淳上人
 正解→堀米日淳上人

 参考→堀日亨上人
 

創価脳 一大聖教大意くん

 投稿者:通りすがりの法華講員  投稿日:2016年10月 1日(土)12時57分48秒 pw126255140110.9.panda-world.ne.jp
返信・引用
  聞いてる事をマトモに読み取る能力がなくなるあたり、正に創価脳だなー。

堀日淳上人全集を出して、アホな能書き垂らしてるが、聞いてる事は
「日蓮正宗の相伝が何か正確に答えなさい」
だ。

創価脳の君が書いた通りなら
「相伝とは師から弟子に『教法』を伝えること」
だ。つまり『教法が何か』を知らなければ相伝はわからんのだよ。
自語相違かい?

日興跡条々事は相伝ではなく、「日興上人から日目上人に『何を』相伝したかを記した書」だぞ。
『何を』が肝心なんだよ。

創価脳は、人の質問も理解できなければ、自分の書いてることもわかってないのかよ。
少しは読み直してからコメントを書きなさい。
 

憂国の武士殿

 投稿者:管理人  投稿日:2016年10月 1日(土)05時24分52秒 i125-202-241-233.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  お声掛け、痛み入ります。

現在、蛆虫が入り込んでおります。

此の度、串投稿に於いては、数字のみの串を禁止し、以って、対論の資格を得るには、従来通り、
所属する宗派教団と、其の下(もと)に尊信する本尊と教義を宣示する事としております。

して、ご覧の蛆虫は、数字串以外の串で投稿するも、未だ、己(おのれ)の立場を親告せず、
一方的に糞言を撒き散らかしております。

尚、当室に於いては、例え、其の者が他板に於いて明らかであろうとも、当室に於いて親告が無い
場合は、あくまでも所属不明者、無信仰者として取扱いますので、此の蛆虫が宿坊であろうとも、
便所のヒデであろうとも、川崎の青瓢箪であろうとも、三島の金ピコであろうとも、そして其れが
泥中のイタチであろうとも、当室に於いては皆、所属不明者・無信仰者となるのであります。

本より、そーゆー得体の知れない蝙蝠連中のゲロに答える程、当方の城壁は低くありません。
とまれ、当方と高尚な話がしたければ、襟を正して壁を乗り越えて来なさい、と再三申し付けている
のでありますが、何せ、此奴(こやつ)らの脳ミソは蛆の脳ミソでありますから、当方の言っている事が
全く理解出来ないのであります。いやはや、何とも可哀想な連中であります。哀哀笑。

>死刑の判決が出ているのに、新たな罪は付加しない。

御意。

爾して、此奴ら蛆虫などは、来世こそは本当の蛆虫と成って、何度も踏まれ、何度も喰われ、其の度に
又蛆に生まれ、其の殺される断末魔を、意識感得するしないに関わらず、其れら命の内奥に深く刻まれて、
何百、何千、何万、否、何億という時間空に於いて苦悶し、流転するのであります。

おっと、話が長くなりました。汗笑。

これからも、たまには御投稿下さい。

宜しくお願いします。
 

阿呆の一代聖教へ

 投稿者:管理人  投稿日:2016年10月 1日(土)05時17分28秒 i125-202-241-233.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  なんだ、邪宗 日蓮正宗のハンネを止めて、赤毛の阿呆のハンネも止めて、今度は聖教の阿呆かいな。小鼻笑。

ふざけるのもいい加減に致せよ、オマエ。

これで三度目である。

言って置くが、オマエの様なクズが、当方にモノ申すなど百年早い。

控えよ、下郎。

いや、下郎では褒め過ぎか。哀哀笑。

されば、大聖人の御言葉をお借りしよう。

控えよ、虻よ、控えよ、蛆よ。

オマエなどは、池田の残糞に集(たか)っておればよい。

此の臆病者めが。小鼻笑。

尚、今より、オマエの糞文を削除する。

無論、オマエは阿呆であるから、其の意も解からずに投稿して来るであろうが、
要は、オマエの様な蛆虫が、当室に於いて、其の他投稿者と交論しようとも、
其れを即時随時に消毒出来れば、其れで良い、という事である。
まぁ、多少の手間はかかるが、もう慣れてしまったわい。糞笑。

尚、これら蛆虫と対論されている投稿者諸氏には、誠に申し訳ありませんが、
当室の権限(規則違反者に対する処置)に於いて、其れが例え、回答待ちの状況で
あろうとも、蛆虫文を一方的に削除致しますので、予め御承知おき下さい。

尚、以降、蛆虫らが勇気を出して、其の立場を明確にしたならば、即刻、対論の資格を
奴らに与える事と致します。(但し、数字のみの串投稿はNG)

一々面倒と思われましょうが、此れも規則ですので、どうかお許し下さい。
 

横やり失礼

 投稿者:憂国の武士  投稿日:2016年10月 1日(土)03時08分34秒 ag220-213-220-206.ccnw.ne.jp
返信・引用
  きさまは槍ではなく串であるよな(嗤)
郷の決まり事を守れない奴には”茹で蛙の面にしょんべん”かもしれないが、今生では既に決まっている罪障に
新たな罪障は付加しないからどんな謗法を犯しても分からない。

死刑の判決が出ているのに、新たな罪は付加しない。
能々お心得あるべし。



管理人様おかえりなさい
挨拶が遅れましたごめんなさい。
 

Re: 明日は支部登山です。

 投稿者:通りすがりの法華講員  投稿日:2016年 9月30日(金)23時54分46秒 p1892093-ipngn16501marunouchi.tokyo.ocn.ne.jp
返信・引用 編集済
  > No.47228[元記事へ]

一代聖教大意さんへのお返事です。
※猿回しの正宗に相伝おまへんで、 パクッタのがほとんど、自前のニセモノは 日興跡条々事

○同じことを聞くぞ。
 日蓮正宗の相伝が何かを正確に答えなさい。
 知りもしないくせに創価脳で妄想を抱くでない(笑)

ほんとに、どこまでも惨めな奴らだ。
創価脳くん。
君は「日蓮正宗の相伝が何か」を答えることもできず、それが正しいかどうかも知りもしないにもかかわらず、妄想を抱いているのか?

更に、聞いてることにも答えられないとは哀れな奴だ。

相伝の何をパクったのかな?そもそも相伝を知りもしないで何をパクったのかわかるのかな?(笑)
日興跡条々事は相伝じゃないぞ(笑)
ほんと大丈夫かい?創価脳くん。

 
 

Re: 明日は支部登山です。

 投稿者:通りすがりの法華講員  投稿日:2016年 9月30日(金)22時18分25秒 p1892093-ipngn16501marunouchi.tokyo.ocn.ne.jp
返信・引用
  > No.47222[元記事へ]

一代聖教大意さんへのお返事です。

> ボン○クラ正宗に何の相伝があるのか証明してみ(笑)。
○じゃあ、日蓮正宗において、何が相伝されているのか正確に説明してみ(笑)
 創価脳くん
 解りもしないくせに能書き垂れるのはやめなさい。
 

赤毛の阿呆へ

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 9月30日(金)22時05分15秒 i125-202-241-233.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  なんだ、邪宗 日蓮正宗のハンネを止めて、今度は赤毛の阿呆かいな。小鼻笑。

哀笑。答えに成っておらんぞ。

なんだ、また遁逃か。哀哀笑。

やり直せ。

ふざけておると、相手になってやらんぞ。

勇気を出せ、勇気を!  鼻笑
 

黒川殿

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 9月30日(金)21時59分10秒 i125-202-241-233.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  >串投稿ですね。私の掲示板にも張っていましたよ。ww

>宿坊ですね。w

哀笑。

其の宿坊が、当室に於いては宿坊と名乗らず、色々と捨てハンを使っては、駄文を貼り付けるのであります。
しかも、自身の事について、一体何処(どこ)の信者であるのか、そして、何を本尊として祀っておるのか。
まぁ、此奴(こやつ)の言い分として、釈迦牟尼世尊こそが末法の御本仏であるか様に言っておりますが、兎も角、
持する教義を宣べようとせず、尊仰する本尊さえも言わず、矢鱈、怪文書を貼り付けて、其の醜態を晒している
のであります。

したがって、法論対論の形がいつまで経っても成り立たず、当方から再三、自ら親告して法論に応じよ、と、
その細首を針金で縛り、ぐいと引き寄せた禿げ頭のてっぺんをトンカチでぶっ叩いて、果たしてそれが痛いのか、
痒いのか、楽しいのか、その反応なりを確かめたいのでありますが、何せ、こっちの土俵に上がって来ない。

哀笑。

まぁ、廻(まわ)しもない、さがりもない、四股名もないでは、抑も土俵に上がる事も出来ない。

而して、其れを承知でやっているから、遁逃者だ、と言っているのであります。

>相変わらず成長の無い人物です。中華料理店も暇なんでしょうね。

中華料理のオヤジ…。

果たして、其れさえも、本人の口からは言っていないのでしょう。

呆哀。何も言わず、何も示さず、唯、相手を批判し、怪文書を貼り付ける。

実に、信仰者のクズとは、此の者をして云うのでありましょう。

ったく、そんな痴れ者が運営する掲示板に、創価正統を名乗る反執行部の連中が、これが正義だ、あれが正義だと。堪笑。

ったく、馬鹿と阿呆が混ぜくり合って、一体何の正義でありましょうや。恥笑。

応に「漫画」とは此の事をして言うのであります。

>大月天殿がよくご存じの「ロム男」ですが、その後、自分の教団の幹部から査問されており、また現在、持病が再発し、
>入退院を繰り返しております。それでも洗脳された脳みそは正法誹謗の罰の現証であることが分からない様子です。

ロム男。

懐かしいですね。

云く、供養される諸精霊とは、今生きている我々の事だ! と言っておりました。
加えて、死後の世界など、日蓮大聖人の仏法には無い。だから、故人(死人)に題目を唱えて、いくら供養しようとも、
成仏などする訳がない! などと言っておりました。

呆哀。応に断見の小人でありましたが、病気になって入退院を繰り返しているのですか。

まぁ、其れは其れとしてお見舞い申し上げましょう。

罰の現証は多岐に亘り、其の根因は複雑であり、決して一業一果のものではありません。

だからこそ、我ら富士門徒も、日頃から気を引き締めるのであります。

今後とも、随時御投稿の程、宜しくお願い致します。
 

H27法華講員殿

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 9月30日(金)21時52分3秒 i125-202-241-233.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  只今戻りました。

急な出張と相成り、約一ヶ月、不在となりました。

しかし、其の間に於いても、講員諸氏が随時入室されて、創価学会員を首(はじめ)として、私義私曲の溢(あぶ)れ会員
などを鋭意呵責し、当室の秩序が保たれました。管理人として、誠に在り難く思っております。

とまれ、教義対論の条件等が他板より厳しい為、投稿者などは多くありませんが、其の分、明らかな立場に於いて、
互いが持する教義を顕示し、其の正邪優劣の結論が大いに示されるものと確信しております。

>石田次男の論に囚われて、丸で真逆の批判を、ご宗門に寄せる。
>片や、池田創価を強く破折しないから、駄目だと。
>片や、池田創価を、創価学会員を、罵ったから駄目だと…。真逆で、ご宗門への、
>偏頗な批判だけは【一致】できる所が、悩乱者、創価残脳者の、特異な所です。

本より、石田元理事の縁起論や外道義に対する論開などは、これ須らく体内の権の質体であって、我が富士門の
法義からすれば、私曲偏尊の其れであると、此に断言しておきます。

>明日は、2か月ぶりの総本山に行かせていただいて参ります。

どうか、お気を付けて。

又の御報告を楽しみにしております。
 

Re: 明日は支部登山です。

 投稿者:一代聖教大意  投稿日:2016年 9月30日(金)20時44分33秒 kpyq.nzfind.com
返信・引用
  > No.47220[元記事へ]

H27脱会@法華講員さんへのお返事です。



>一大聖教大意『この経は相伝に有らざれば知り難し』


ボン○クラ正宗に何の相伝があるのか証明してみ(笑)。


 

下着泥棒の件は・・・

 投稿者:黒川 和雄@日蓮正宗  投稿日:2016年 9月30日(金)17時32分30秒 p1137-ipbfp2603osakakita.osaka.ocn.ne.jp
返信・引用
  串投稿ですね。私の掲示板にも張っていましたよ。ww

宿坊ですね。w

相変わらず成長の無い人物です。中華料理店も暇なんでしょうね。

このような事件は大聖人の教義には、なんの関係もない、枝の更に枝の話であります。

象の全体を見ず、爪を見て「これが日蓮正宗だ~!」と大騒ぎしているカス野郎です。

このような与太話は創価の方が遥かに多く、ネットの巷で「池田大作の下ネタ話し、創価学会員の犯罪・公明党議員の犯罪」等々、数えればきりがありません。

創価も堕ちたものである。ww

ところで話は変わりますが、最近創価執行部から、「おふれ」がでており「法華講員が訪ねて来ても相手にするな」ということであります。(水島公正御尊師談話)

「教義では勝てる可能性は無い」、ということでしょう。

また大月天殿がよくご存じの「ロム男」ですが、その後、自分の教団の幹部から査問されており、また現在、持病が再発し、入退院を繰り返しております。・・・それでも洗脳された脳みそは正法誹謗の罰の現証であることが分からない様子です。

その他、最近の脱会者は、当方の寺院もそうですが、精神病患者の脱会者が増えております。うつ病、統合失調症等々、ニセ本尊の罰の現証が出て、どん底まで堕ちて、最後の救いの手は日蓮正宗である、ということにやっと気づかれた方が多く、お寺の門を叩いているのが現状です。

哀れなものです。

では今日はこの辺で失礼いたします。





 

明日は支部登山です。

 投稿者:H27脱会@法華講員  投稿日:2016年 9月30日(金)16時01分26秒 E219108019207.ec-userreverse.dion.ne.jp
返信・引用
  こんにちは。
管理人、大月天さま、お帰りなさい。
ちょっと、所属寺院、法華講支部の登山を控えて、仕事に追われ?励んで
おりました。ほぼ、終わり、明日は、本門戒壇の大御本尊さま、お目通り、
心置きなく、総本山に向かえます。

大月天さまには、御無事のお帰り、何よりです。
ご不在中、通りすがりの法華講員さま、黒川さまが、適時に対応して頂い
ておりました。

しかし、まま、多く行き会いますが、どうも、披け散らかす、【我見の教学
の徒】が多いですねえ。それが、大体が、創価学会脱会者です。
これを、通りすがりの法華講員さまは【創価脳】と指摘されています。

創価学会を脱会するに当たっての、創価、乃至は、池田大作、或いは、職業
幹部から、或いは、地域幹部に対する思い、或いは本人の創価学会での、知る
と知らざるとに関わらず積み重ねた、謗法の、自身への悔悟なのか、さまざま、
状況が異なりますからねえ。

いずれにしても、創価学会が【騙しの新興邪宗教】と気付いて、様々な思いを
振り切って、創価脱会を果たしたんですから、日蓮正宗に帰命、帰伏する際の
≪心つもり≫が重要ですね。

肝心な事は、【創価学会、池田創価は全てが、邪宗教】、何一つ、今や、正しい
物は無いと、確信を揺るがせにしない事です。
また、日蓮正宗、ご宗門、御当代御法主上人猊下さまはもちろん、御歴代御法主
上人さま、御尊師、ご僧侶方、すべてが正しいと、拝すことです。

それ無しに、創価に【未練】を残すもの等、何も無いと確信する事です。

どうも、今回、石田信奉者の論説に惑わされて、2人ほど。
それ以外は、宿坊、と、法華講員だと言いながら、信は既に無いと言うのが
…。

石田次男の論に囚われて、丸で真逆の批判を、ご宗門に寄せる。
片や、池田創価を強く破折しないから、駄目だと。
片や、池田創価を、創価学会員を、罵ったから駄目だと…。真逆で、ご宗門への
、偏頗な批判だけは【一致】できる所が、悩乱者、創価残脳者の、特異な所です。

私も、十八円満抄をあえて、途中まで、引用させて頂いて『総じて予が弟子等は
我が如く正理を修行し給え。智者、学匠の身と為りても、地獄に墜ちては何の詮
か有るべき』とこちら、掲示板で諫めました。

ですが、続きはあえて、引用しなかったのです。続きは、今更ながらですが、
『所詮、時々念々に南無妙法蓮華経と唱ふべし』です。
浅薄、凡知が、自身の頭、脳に有る仏法と関係の無い、世情の事柄と、或いは、
近代科学と称する、未だ未完成の論説とを結び付けて、己義を構えるのを、厳に
慎まなければ成らないと思います。

一大聖教大意『この経は相伝に有らざれば知り難し』
まこと、仰せの通り。
明日は、2か月ぶりの総本山に行かせていただいて参ります。






 

邪宗の阿呆へ

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 9月29日(木)22時36分32秒 i125-202-241-233.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  そんな事はどーでもよい。

貴様の所属宗派を宣べよ。

そして、貴様が手を合せている本尊を此に示せ。

さすれば、当方、喜んで貴様の相手になってやろう。

よいか。これは規則である。

呆哀。貴様は其の様な事も領解出来んのか。

ならば論ずる資格なし。早々に遁逃するがよい。

ったく、木蔭から顔を出して悪口する其のさもしさよ。哀笑。

堂々と致せ、堂々と!

尚、次回に於いて親告せねば、貴様の投稿は全て削除の対象とする。

其れでは詰まらんだろう。哀笑。

よいか。

嫌がらせは、小心者のやる事である。

しっかりしなさい。
 

濁中の小善

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 9月29日(木)18時11分3秒 i125-202-241-233.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  今や、創価学会員が、我が富士門徒に法論を挑む事などは、其の余りの落差(本尊義の正邪)に於いて有りよう筈もないが、
いや、もし、挑む者があるとすれば、其の者こそ自教団の教義に疎い阿呆ともなろう。とまれ、富士門教義の根本に於いて、
創価学会は自滅し、最早、其の持する教義などは、我が興門正統からして、其れこそ鼠の屁にも成らない程に幼稚な教義に
成り果てて、其れを懸命に繕(つくろ)うとする執行部の姿こそが、真(まこと)に哀れでならないのである。

爾して今後、創価学会員が我らに対するは、教義教学の類(たぐい)などではなく、あの者がどーした、こーした、という、
所謂、人身攻撃の其れしか無いのであろうが、まぁ、連日、これら創価学会員の文句などを垣間見るに、何やら真っ当な
文句を述べている連中が居て、其れこそは、汚濁の中に落ちている小枯の花とも思えるは、果たして当方一人であろうか。

して、そんな小枯の花が云く、

>宮田は釈迦教団の・・の流れを汲む大聖人の仏法という解釈で問題なしと・・。
>つまり、大聖人の法華経は釈迦教えの一つだから、釈迦を信望する教団同士だから仲良くしなさいと・・言った?

>実際のところはわからんが、関連性があるように思える。
>奴には、自受用身如来の御本仏。三身即一の御仏身がわからん。

続けて云く、

>欧州では既に、大聖人の出世の本懐は民衆仏法の確立。
>そして、欧州では大聖人なんて誰もしらんとか・・言ってたな・・
>仏教は釈迦(ゴーダマ・ブッダ)と理解されているとも抜かしてた・・あれを聞いて私も心から、
>こいつはバカ学者だと思った。

小笑。

うむ。創価学会教学部顧問の創大宮田の我義について其の無知を追及し、其の余りの無知を指して『バカ学者』と
評するなどは、応に創価汚濁の中に於いて秀逸の一言といえよう。

言うまでも無い。

久遠元初の自受用報身如来にして本因妙の教主、つまりは、一身即三身、三身即一身にして三世常恒の御本仏こそが
日蓮大聖人であり、其の持する所の法こそが、釈迦牟尼仏が菩薩道を行じていた時の本因の一法であり、実(げ)に
其の本因の一法は人法に於いて即一であるから、今時末法に於いても日蓮大聖人こそが久遠の仏と相成るのである。
爾して「久遠即末法」とは応に此の事をして云うものである。

又、ヨーロッパに於いて、日蓮大聖人の出世の本懐は、熱原農民の信心にこそ在った、などと宣伝している様だが、
熱原農民の殉教の姿と、将来戒壇の大御本尊の御建立とは実に表裏体一のものであり、日蓮大聖人は其の事をして
出世の御本懐とされたのである。仍って日蓮大聖人は、其の大御本尊御顕発の契機と成った熱原法華講衆に対して
『敬白』の一念を以って認(したた)められたのである。

ったく、其の様な道理をも領解せず、私義我義の屁理屈を捏ね回す宮田をして『バカ学者』とは、よくぞ申した。
興門正統の信者として、そこは褒めてしんぜよう。応に濁中の濁ならぬ濁中の小善を褒めるとは、実に此の事をして
言うものである。


【付録】

>婦人部の方が、お盆の法要でどうしても僧侶が必要なため、改革同盟の僧侶を誰か紹介してもらえないかと組織や会館に
>聞いたところ、「改革同盟はもう関係ありませんから。」と言われ、紹介してもらえなかったそうだ。
>「改革同盟って、何かあったんですか?日顕宗に戻ってしまったのでしょうか?」と尋ねられたが、そんな話はこれまで
>聞いたことがない。今までは、改革同盟の僧侶の派遣を依頼したい場合、組織や会館から紹介してもらっていたため、
>この返答に驚いている。

呆笑。

日蓮正宗改革同盟。青年僧侶改革同盟…。

はてさて、どっちの改革同盟かいな。因みに憂宗護法同盟という「へばり糞」も存在しておるが…。

果たして、何で三つもあるのか。哀笑。

元は住職だ、俺たちゃ非教師だ…。そんなら別々に作ろうかい。

呆笑。

在家に媚を売る佞僧達…。日蓮大聖人が最も忌み嫌う禿人の姿そのものである。呆怒。

して、そんな何々同盟らが云く、

『「法体の血脈」というとき、その「法体」とは本門戒壇の大御本尊以外には有り得ません。ゆえに、日寛上人が
「法の本尊を証得して、我が身全く本門戒壇の本尊と顕るるなり(中略)題目の力用に由るなり』と示されている通り、
一切衆生の成仏を説かれた大聖人の仏法では、法主に限らず、全ての門下僧俗が「題目の力用」によって「法体の血脈」を
受けられるのであります』と。【平成5年8月23日 決議文】


加えて云く、

『大聖人直結の信心を貫かれた日寛上人の御本尊は、創価学会が授与するにふさわしい御本尊であるということであります。
今回のお形木御本尊は、日寛上人が大聖人出世の本懐たる「一閻浮提総与」の大御本尊を御書写されたものであり、
「大御本尊根本」の信心は、従来と些かも変わりありません』と。【同上】

受けて池田名誉会長が云く、

『大聖人の出世の本懐である一閻浮提総与の大御本尊が信心の根本であることは、これからも少しも変わらない』と。

                                  【平成5年9月16日、アメリカSGI最高会議】


果たして、これらも濁中の小善と言えようか。

而して、汚濁謗法の組織に身を置きながら、富士門の正義を唱えようとも、其(そ)は仏法からして詮無き事であるという
事を、お主らは能く能く識るべきであろう。

実に『盲眼がごとくなる当世の学者』とは、御本仏日蓮大聖人の御言葉であるが、其れこそ、教法の浅深を識らぬ者が、
事象理の浅深を弁えるなど出来よう筈も無いのである。

仍って申さく『世間の学者仏法を学問して智慧を明らめて我も我もとおもひぬ。一生のうちにむなしくなりて、
ゆめのごとくに申しつれども、唯一大事を知らず。よくよく心得させ給ふべし』と。【新編 1053】

【意訳】

世間の学者などが仏法を勉強して、どいつもこいつも智慧を得たと思い、其れこそ、一生を無駄にして
夢のような事を言っているが、結句は、一大事の秘法を識らない夢中言の其れであり、其れら学者をして
盲眼学者というのである。我々(富士門徒)は其の事を能く能く知るべきである、と。


はてさて、一大事の秘法とは何ぞや。

創価によれば、其れは人法体別のものであるという。

哀笑。

さても、日寛上人の御教示を蹴飛ばし、戸田先生の本尊指導に唾を吐き、池田センセーによる永遠の指導を
踏み躙(にじ)って、一体何処(いずこ)に往こうとするか。哀哀。

当に糸の切れた凧集団…。

今日も今日とて、釈迦本仏主義の宿坊板に小言を寄せて、我こそ法類の一員なりと自負する其の哀れなる姿よ。哀哀哀。

果たして、濁中の小善が汚濁から脱し、清流の下に大善と成るは一体何時の日であるのか。

日蓮大聖人に曰く『或は心を移して身を移さず、或は身を移して心を移さず、或は心身共に移し、或は心身共に移さず』と。
以って曰く『伏して願わくは心有らん君子、愛憎の情を捨て諸宗の憑(よりどころ)を熟察せよ』と。

創価濁悪外道集団。

最早、鳳凰が棲む所に非ず。

速やかに脱会すべし!  
 

黒川殿

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 9月29日(木)17時06分13秒 i125-202-241-233.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  わざわざの御返事、痛み入ります。

正規のリモホを使った新手の荒らし…。

哀笑。いやはや、手を変え品を変えの策謀術…。

実に其れこそが小心臆病の姿でありましょう。哀哀笑。

尚、これからも、忙中に於いて時間が余った時などは、是非とも、当室へ御投稿下さい。

強信にして磊落。

黒川殿の御活躍には一目置いております。
 

如水殿

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 9月29日(木)16時59分21秒 i125-202-241-233.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  慰労の言を給わり、有り難く存じます。

お久しぶりでありますね。

お元気であられましたか?

いつも恭謙な如水殿。

宜しければ、これからも当室への御投稿をお願い致します。

近状の報告でも構いません。

どうか、お気軽に御投稿下さい。
 

大月天殿

 投稿者:黒川 和雄@日蓮正宗  投稿日:2016年 9月29日(木)12時21分49秒 p1137-ipbfp2603osakakita.osaka.ocn.ne.jp
返信・引用
  〇黒川殿、お久しぶりで御座います。

お久しぶりです。

これからも宜しくお願い申し上げます。

最近は串を使用せず、正規のリモホを使った新手の荒らしが来ておりますね。

裏で繋がった創価員であろうと思われます。

小心臆病な野郎は貴殿が登場すると、さすがにピタッとおさまりましたね。

我が寺院、誓願目標まであと数名となりました。お会式までには100%達成を目指し

頑張っております。

では

 

おかえりなさい

 投稿者:如水  投稿日:2016年 9月29日(木)11時23分35秒 sp49-98-61-67.mse.spmode.ne.jp
返信・引用
  大月天樣、長期間のご出張お疲れ様でした。  

通りすがりの法華講員殿、ぽんぽこ貍殿

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 9月28日(水)21時47分56秒 i125-202-241-233.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  お声掛け、痛み入ります。

懸念されている問題は、何もありません。

大丈夫です。

邪宗の僧、又は其の信徒、及び低級なる新興宗教の信者をして、虻だ、蚰蜒だ、阿呆馬鹿だ、と叱言しようとも、
何の問題もありません。其の理由は、当室の巻頭文に示されているとおりであります。

当方も、其れら邪宗人を総じて「オマエら」と呼び下し、馬鹿だ、阿呆だ、と呵弾しております。
まぁ、其の中に於いて、其れこそアンチな者共に対して、其の阿呆ぶりを叱り飛ばすなどは、当然の事と言えましょう。

今後とも、どうか宜しくお願い致します。


追申、ぽんぽこ貍殿。

新規立ち上げのフリートーク板。

多種多様な交論が楽しみであります。

当室の様な掲示板は、其の投稿に於いて色々と条件がある為、投稿を寄せる人数も、そして、閲覧される方々も、
他板からして極少となりますが、リモホの不開示も含めて、諸条件を緩和すれば、大勢の投稿者・閲覧者が
見込まれる事でありましょう。

ぽんぽこ貍殿の御活躍を、心から期待するものであります。
 

管理人様

 投稿者:ぽんぽこ貍  投稿日:2016年 9月28日(水)21時09分7秒 FL1-119-242-223-56.hyg.mesh.ad.jp
返信・引用
  今晩は。
お久しぶりです。
通りすがりの法華講員さんと同様に私のコメントにこの掲示板の趣旨に反します内容のものがありましたら、御削除ください。
この板の本来の趣旨と違う議論等は別のフリートーク板を立ち上げてその版で議論対話して頂く事にしました。
日蓮正宗と他宗・他教団との法論を主としておる趣旨の版としてこれからも監督ご指導下さい。
 

管理人様

 投稿者:通りすがりの法華講員  投稿日:2016年 9月28日(水)17時53分48秒 pw126245013130.16.panda-world.ne.jp
返信・引用
  お帰りなさい。

もし、私のコメントに法を下げる内容のものがありましたら、削除ください。
創価脳の輩相手とはいえ、閲覧者に不快な思いをさせ、御掲示板の品位を下げてましたら、ご迷惑になりますので、よろしくお願いします。
 

投稿者・閲覧者各位

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 9月28日(水)07時22分21秒 i125-202-241-233.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  約一ヶ月強の不在。

本日よりは改めて管理人の務めを果たす所存。

尚、其の不在となる以前の7月29日、当室に於ける投稿形式が、管理人による「確認後掲載」から
「即時掲載」に戻された事を、各位にお知らせしたのであるが、其の時、当方は以下の様に述べた。

云く、

*********************************************************************************

当室からのお知らせとして、本日まで当室は、投稿者各位からの投稿文を、一旦、管理人が受け留め、
当室の投稿規則に違反していない投稿文のみを掲載するという『確認後掲載』という形にしておりましたが、
本日今より、其の形を解除し、各位による投稿文が速やかに掲載される『即時掲載』という従来の形に戻します。

本より、此の形こそが本来のものでありますが、存知の如く、宿坊を首(はじめ)とする、所謂、アンチ日蓮正宗なる
阿呆どもが、己(おのれ)が所属する宗派教団を隠匿し、加えて、自身が尊崇する本尊と教義さえも親告せず、矢鱈、
ハンネを変えては串投稿を繰り返して誹謗する、其の遁逃悪口の醜態を防止する対処として、当室は敢えて確認後に
よる掲載として来たものであります。

無論、今回の解除によって、これらの痴れ者が嬉々として荒らし来るとは思いますが、当室管理人としては、
改めて、当方と対するならば、正々堂々、当室の投稿規則を遵守した上で、法論対論に挑むべしと、さすれば当方、
歓んで受けようと、此に再度宣言するものであります。

************************************************************************************

して、本日。

帰宅して早速に当板を閲覧す。

果たして、当方が不在となる以前に述べた事。

案の定、己(おの)が所属する門派教団をひた隠し、其の下に尊信する本尊と教義さえ言おうとせず、悪戯に私義我論を
専(もっぱ)らにして、我が門流の法義を疑難中傷している孑孑(ぼうふら)が居る。小鼻笑。

よいか聞け。

日蓮大聖人の仏法に於いて、無所属我論を捏ね繰り回すは、此れ全く法論の体と成らず、其れこそは全く遁辞の態相で
あるという事を、オマエらは識るべきである。

重ねて言おう。他門の法義を批判するならば、其の基(もとい)となる教義を、所属宗派の下に於いて宣言しなさい。

ったく、どの宗派にも属さない、しかも、其の論拠となる発想が自義我論の類(たぐい)と相成れば、実に其れこそは、
批判の為の批判、中傷の為の中傷でしかない、という事であり、だからこそ日蓮大聖人は、オマエらの様な疑難者に対して、
「其れは自義なるか」と問い詰められたのである。

ましてや、其れらの者共が、不信心の学者擬きであるならば、其れこそは、識に依って智を量らんとする驕慢謗法の其れ
であり、抑も、そーゆー連中に対しては、心より相手にせぬが当門の流儀である。

日寛上人、止観と大論をして曰く『設い身子の智慧と雖(いえど)も、能く測量する所に非ざるが故に「唯信のみ能く入る」
というなり。爾して曰く『自ら智慧を以て求めば得ること能はず。何を以ての故に。仏法甚深なるが故に』と。

だからこそ云う。「これ相伝の法門なり。君に向かって説かず」と。

したがって当室は、所属不明者及び無信仰の者については、其の私曲に於いては相手にせず。
専ら、日蓮宗各派及び他宗門、并(ならび)に創価学会・立正佼成会・天理教等の新興宗教に所属する者と対峙し、
又、其れら所属組織の下に、尊信する本尊と教義を対論の軸として、互いの宗義を決判せんとするものである。

よろしいか。実に、法論掲示板とは、其の事を以って謂うのである。

さて観れば、得体の知れない馬の骨が、アンチよろしく悪口を書き連ね、在る事、無い事、ベラベラと駄記し、
ならば一体、何処(どこ)の門派教団が正しいのか。果たして、其れさえも言おうとしない、否、其れさえも言えない、
そんな文献莫迦の者共が、彼の小樽問答に登壇した顕本長谷川が如くに、何のアイデンティティーも無い小理屈者の
権化と成って、其の無節操な醜態を晒しているのである。小鼻笑。

尚、此に於いて言おう。

今までは、串投稿の全てに於いて、其れを排除の対象として来たが、今後は番号のみの串投稿「例=185.80.102」を
削除の対象とし、あくまでも優先するは、投稿者に於ける所属宗派及び教団の親告と、其の下に尊仰する本尊と教義の
宣揚であり、其の事を以って新規対論の第一条件とするものである。

尚、串投稿への対処については、本日今より開始し、其れら無礼無法の投稿群を本日より遡って速やかに排除する由。
尚、例え正式なリモホであろうとも、所属不明者及び無信仰者の投稿群については、本日以降の投稿分から順次削除の
対象と致す所存。

各位にはどうか、其の事を承知の上、投稿戴きます様、此にお願いするものであります。


さて、

>ここは、創価の信徒さんと言葉遊びをする掲示板ですか?

とのご指摘を戴いております。本より当室は、新興宗教の信者や、無信仰学者の屁理屈を弄論する場ではなく、
あくまでも、正法正義を顕揚して門理正統を顕示し、以って五老門流を首(はじめ)とする日蓮宗、及び、一向宗、
真言宗、禅宗等の邪宗教、その他、小乗外道の部派を鋭意呵責するを目的とするものであります。
どうか、其の事を踏まえられまして、今後とも当室への御投稿を宜しくお願い致します。

>法論だから、法を述べなさいね。

御意。応にH27法華講員の言われる通りであります。

法論に於いて、法を述べずに自義を構えるは、これ全く法論に非ず。
其れこそは、単なる自慢義であるという事を知るべきでありましょう。

尚、法華講員殿には、長期に亘る不在を言えず。
此に改めてお詫び申し上げます。
以後は、しっかりと不在日数等を明示する様に致します。
因みに本年は、2、3日の留守は有ろうとも、長期に亘る不在はありません。

では、ここで改めて諸氏に御挨拶。

黒川殿、お久しぶりで御座います。

これからも、当室への投稿をヨロシクお願いします。

又、ぽんぽこ貍殿もお久しぶりで御座います。

其の後、如何でありましょうか。

学会二世として50有余年。

よくぞ富士門に帰伏されました。

応に現当二世の信心。

実に是れこそは、大御本尊に魂魄されし大義であります。

加えて、通りすがりの法華講員殿。

これからも、数多くの御投稿をヨロシクお願い致します。
尚、新しい掲示板を立ち上げられたとの事。
心より御健闘をお祈り致しております。

更に、憂国の武士殿、そして無名殿。

どうか、お時間の有る時は、当室への御投稿をヨロシクお願い致します。

さて、其れでは早速、板上のゴミ清掃に取り掛かると致しましょう。
 

ぽんぽこ狸様

 投稿者:通りすがりの法華講員  投稿日:2016年 9月27日(火)22時12分50秒 p1892093-ipngn16501marunouchi.tokyo.ocn.ne.jp
返信・引用
  沖浦氏参戦おめでとうございます。

仏教哲学(つまり我見。爆笑)を謳歌してください。
 

引っ越します。

 投稿者:妙介  投稿日:2016年 9月27日(火)21時51分20秒 pool-200-232.aitai.ne.jp
返信・引用
  ぽんぽこ狸さんのところに引っ越します。

こちらでの最後のご挨拶に、あちらでのデビュー書き込みをおいていきます。

[6] 分別と無分別
 投稿者: 妙介 投稿日:2016年 9月27日(火)21時37分12秒 pool-200-232.aitai.ne.jp  通報   返信・引用
管理人さん、こんばんは。妙介です。
相方がこちらに引っ越してきたようなので、ついてきました。
よろしくお願いします。

という事で、法介さん、こんばんは。
表題の件、分別と無分別についてですが、

分別・・・言葉で表現されたもの

無分別・・・体験

短い言葉で単純に言うと上記のようになります。

具体的な事例として、何か美味しい料理を食べることをイメージしてみてください。
料理を食べて、眼・耳・鼻・舌・身・意の六根で美味しいと感じる事、これが「無分別」です。

美味しいと感じた体験を「言葉」で伝えること、これが「分別」です。

美味しい料理を食べて美味しいと感じた体験と、そのことを表現した「言葉」には、
ものすごく大きな乖離があることは、経験上分かると思います。
これが「分別とは虚妄である」「分別虚妄」ということなのです。

ですので、法介さんが前の掲示板でしていた、赤ちゃんの喩えは、
チョット行きすぎというか、誤解があると思います。

ちょっと、批判めいた書き込みになってしまいましたが、
お互いがお互いを高め合えるような、
ボクシングで例えると、試合をしながらお互いが強くなっていく
「ミックスアップ」のような掲示板になるといいですね。

※同じ世代だから知ってますよね、「はじめの一歩」(少年マガジン)

以上、管理人さん、よろしくお願いします


 

ぽんぽこ狸様

 投稿者:通りすがりの法華講員  投稿日:2016年 9月27日(火)17時59分42秒 pw126152064185.10.panda-world.ne.jp
返信・引用
  *bukyotetugaku
○仏教哲学?
その掲示板終わってますね(笑)
 

ご通知

 投稿者:ぽんぽこ貍  投稿日:2016年 9月27日(火)14時26分7秒 FL1-119-242-223-56.hyg.mesh.ad.jp
返信・引用
  >>近年、当掲示板に於いて掲示板アラシやアラシモドギの投稿が多く見られます。
  本来の目的から外れた論議が多く誹謗中傷とも受け取れ兼ねない投稿も
  御座います。
  つきましてはフリートークの場として仏教哲学研究会なるスレッドを立ち上げました。
  宗派・無宗教を問わず仏教の教義や哲学の宣揚や論議等をして頂きたく
  フリートークとさせて頂きます。
  個人名の投稿や管理人が誹謗中傷の類、個人情報の漏洩と判断したもの以外は
  削除の対象とはしません。
  ご自由にご参加下さい。

  URLは下記です。

  ttp://6817.teacup.com/bukyotetugaku/bbs
  仏教哲学研究会
 

愚人くん

 投稿者:通りすがりの法華講員  投稿日:2016年 9月27日(火)11時56分20秒 softbank126021140221.bbtec.net
返信・引用
  *この話は推測するに、日蓮聖人が霊山同聴と大蘇開悟を結びつけて作った話であろう。
○要は君の我見ね。法論だから、法を述べなさいね。
 

観音・薬王の再誕南岳・天台

 投稿者:愚人  投稿日:2016年 9月27日(火)11時30分30秒 om126161053006.8.openmobile.ne.jp
返信・引用 編集済
   天台宗ホームページ

  【高祖天台智者大師】

  18才の時、出家に反対だった両親が亡くなり、兄の許しを得て果願寺で出家し、「智顗(ちぎ)」と名付けられました。そして一心不乱に修行し、23才の時、当時高名な光州大蘇山の慧思(えし)禅師を訪ね入門を許されました。禅師は「お前とわたしは昔インドの霊鷲山(りょうじゅせん)でお釈迦さまの『法華経』を一緒に聞いたことがある」と不思議な因縁を語り、再会を喜んだのです。(霊山同聴(りょうぜんどうちょう))。
 大師は『法華経』の重要な修行である四安楽行を教えられ、修行すること14日、薬王品の焼身供養の文に至って忽然(こつねん)と悟りを得ました。(大蘇開悟)。
 これを慧思禅師に報告すると、「これはお前とわたししか味わえない高い境地である」と絶賛したのです。
 この慧思禅師は、日本の聖徳太子に生まれ替わり『法華経』を弘めたといわれています。





 ■聖徳太子が南岳大師の再誕との記述はあるが、南岳・天台が観音・薬王の再誕との記述はない。ネットで閲覧できる研究者の論文にも聖徳太子が南岳の再誕との記述はあるが、南岳・天台が観音・薬王の再誕との記述はない。

 この話は推測するに、日蓮聖人が霊山同聴と大蘇開悟を結びつけて作った話であろう。
 

諦めの悪いのが創価脳

 投稿者:茄子の花  投稿日:2016年 9月27日(火)10時57分39秒 ag220-213-220-206.ccnw.ne.jp
返信・引用
  宿坊2でも寒い方が身内の擁護(したくてもできないレベル)なく、ここ半日くらい狸寝入りして
おりますが、そのうちに起きてくるでしょう。

執拗さ(自己主張)を、絵に描き、それを写真に撮り、額に入れて保存しているのが創価脳。
信仰=信じて仰ぐ事ができない十四誹謗の輩です。


 

法介様初め創価脳3氏

 投稿者:通りすがりの法華講員  投稿日:2016年 9月27日(火)09時24分1秒 pw126152064185.10.panda-world.ne.jp
返信・引用
  こちらの掲示板は、大月天様が示されている通り「法論」の場であり、計我・浅織で解釈した我見を述べる場でない事は理解しなさいね。

「お前の計我・浅織は聞いてない」

きちんと法論の意味を理解してコメントされた方がよろしいかと思います。法論の意味も理解できずに法を語ること自体が創価脳であり、その計我・浅織こそあなた方が脱会した創価脳なことに気づきなさい。
 

さようなら^^

 投稿者:法介  投稿日:2016年 9月27日(火)07時29分34秒 p1139105-ipngn200808fukuokachu.fukuoka.ocn.ne.jp
返信・引用 編集済
  中途半ぱが嫌いな性格なので一応「つづき」を投稿しておきます^^



ついでに前半部分で表現しきれなかった部分をいくつか補足しておきます。



生まれたての赤ちゃんには「分別」は無いと書きましたが、

ではなぜ「分別」がないのにお腹がすくと泣くのか、おしめが気持ち悪いと泣き出すのか。

それは、五陰世間という肉体が勝手に「分別」をおこなっているからです。



お腹がすいた・お腹いっぱい、気持ち良い・気持ち悪い


肉体の感覚がある限り、苦しみは完全に無くならないのです。

だってそうでしょ。自分で自分の皮膚をつねってみてください。「痛い」でしょ。

「痛い・痛くない」という「分別」です。


小乗仏教で行われた、瞑想は自身の煩悩(分別)を心の中から消し去ることによって

悟りの境地へとたどり着く修行で、火の上を走りぬけていく荒行などは感覚すらも無くしてしまおうという修行なのでしょう。

そういった大変な修行で自身の感覚すら完全に打ち消した時、

修行者はいったい何をもって意識として存在するのか。


自身の意識(分別)を完全に打ち消した時、(寂滅)

最終的に仏様の意識を共有したのではないでしょうか。


補足終わりー





では、お話の後半を続けます。


天台大師の「一心三観」は、「分別」と「無分別」のどちらにも偏らない「中観」という物事の見方、捉え方なので、

とおりすぎてしまった法華講員さんが言うように

目(五陰)があるからどうしても見えちゃうんです、実体が。


まして完全に「分別」を無くしてしまったら、


何をもって物事の「判断」をしたら良いのか、人々は戸惑いました。


だって、「分別」があるからどっちにするかの「判断」が出来る訳ですから。



そこで天台大師は「分別」にたよらない判断方法を法華経の中に見つけたのです。




それが「一念三千」という御法門です。




世の中は「分別」で成り立っています。だから様々な悩みや、苦しみが生まれてくるのです。

「分別」から「無分別」へものの見方を変えてご覧なさい。(一心三観)

そして仏様と感覚の共有(境智冥合)をしてご覧なさい。

仏様が、正しい判断をしてくれますよ。




それが「一念三千」なんです。




だから私たちは、勤行で方便品の「十如是」を三転読誦し、(分別から無分別へ)

自我偈を読んでお題目を唱えるのです(仏様の判断・仏の智恵)


 <自我偈>

 自我得仏来 所経諸劫数 無量百千万 億載阿僧祇
 常説法教化 無数億衆生 令入於仏道 爾来無量劫
 為衆生度故 方便現涅槃 而実不滅度 常住此説法
 我常住於此 以諸神通力 令顛倒衆生 雖近而不見
 衆見我滅度 広供養舎利 咸皆懐恋慕 而生渇仰心
 衆生既信伏 質直意柔軟 一心欲見仏 不自惜身命
 時我及衆僧 倶出霊鷲山 我時語衆生 常在此不滅
 以方便力故 現有滅不滅 余国有衆生 恭敬信楽者
 我復於彼中 為説無上法 汝等不聞此 但謂我滅度
 我見諸衆生 没在於苦海 故不為身現 令其生渇仰
 因其心恋慕 乃出為説法 神通力如是 於阿僧祇劫
 常在霊鷲山 及余諸住処 衆生見劫尽 大火所焼時
 我此土安穏 天人常充満 園林諸堂閣 種種宝荘厳
 宝樹多華果 衆生所遊楽 諸天撃天鼓 常作衆妓楽
 雨曼陀羅華 散仏及大衆 我浄土不毀 而衆見焼尽
 憂怖諸苦悩 如是悉充満 是諸罪衆生 以悪業因縁
 過阿僧祇劫 不聞三宝名 諸有修功徳 柔和質直者
 則皆見我身 在此而説法 或時為此衆 説仏寿無量
 久乃見仏者 為説仏難値 我智力如是 慧光照無量
 寿命無数劫 久修業所得 汝等有智者 勿於此生疑
 当断令永尽 仏語実不虚 如医善方便 為治狂子故
 実在而言死 無能説虚妄 我亦為世父 救諸苦患者
 為凡夫顛倒 実在而言滅 以常見我故 而生 恣心
 放逸著五欲 堕於悪道中 我常知衆生 行道不行道
 随応所可度 為説種種法 毎自作是念 以何令衆生
 得入無上道 速成就仏身


私が仏になってから経過した期間は、百千万億という長い時間です。

その間に教えを説いて数限りない人々を教化し、仏の道に導いてきました。


それから長い時間が経過しました。

人々を救うために、一度は(釈迦として)死んだ姿をとりましたが、 (生と死の分別------仮の姿

実際に死んだのではなく、常にこの世界にいて法を説いているのです。(生死を越えた無分別の世界


私は常にこの世に現れていますが、

神通力によって迷っている人々には、姿を見せないようにしているのです。


人々は私の死を見て、私の遺骨を供養し、私をなつかしく思い、慕い敬う心を起こしました。

人々が信仰心を起こし、心が素直になり、仏に会いたいと願い、そのために命も惜しまないように、

その時私は、弟子たちと霊鷲山に姿を現します。そして人々に語ります。


「私は常にこの世界にあり、不滅ですが、人々を導く手段として死んでみせたのです」と。

他の国土の人々も、私を信じ敬うならば、その人々のためにも、「私は最高の教えを説くでしょう」。


あなたたちはこれを信ぜず、私が死んだと思っています。

私がみるところ、人々は苦しみの中にあえいでいます。

だから姿を現わさず、すがる心を起こさせたのですが、

今私を仰ぐ心が起こったので、こうして姿を現し教えを説くのです。





というこれは私の勝手な解釈です。

私が思う事を意見として勝手に述べさせてもらっただけです。

HPはめんどくさいので立ち上げるの止めときます。

また、いつかどこかでお会いしましょう^^


さようなら







追記
-------------------------------------------------------------------------------------------
<法論の意味>

法論(ほうろん)とは、仏教の用語で、教義の解釈に関する議論のこと。

ただし、古より理路整然と行われることは殆どなく、一方もしくは両方が相手側の主張を全く聞かず、

自陣営の主張を押し付け、相手を誹謗中傷することに終始することが目的となりやすいため、

「法論はいずれが負けても釈迦の恥」という諺(ことわざ)が出来た。
-------------------------------------------------------------------------------------------
                                             (ウィキペディア)


う~ん、間違いない!^^



 

法介様

 投稿者:通りすがりの法華講員  投稿日:2016年 9月26日(月)22時34分40秒 p1892093-ipngn16501marunouchi.tokyo.ocn.ne.jp
返信・引用
  では、さようなら。
我見で能書き垂れるのは、十四誹謗ですので、ご注意を。
能書きの相手をするつもりはありませんので、どうぞ自慰行為をご堪能ください。
 

通りすがりの法華講員さん

 投稿者:法介  投稿日:2016年 9月26日(月)22時06分53秒 p1139105-ipngn200808fukuokachu.fukuoka.ocn.ne.jp
返信・引用 編集済
  では、つづきは自分でHPを立ち上げてそちらで勝手にやってます。

ttp://myouhou.up-jp.com/

板の皆さんお邪魔しちゃいました。失礼します!

妙介さん、私のHPの方で色々と意見を交わしてまいりましょうか。

愚人さんも気が向いたら遊びに来てくださいな。

ぽんぽこ狸様も^^

通りすがりの法華講員さんも・・・・こないだろーな^^

私としては、好きなキャラなんだけどなー

来て欲しいんだがなー

 

通りすがりの法華講員さん

 投稿者:法介  投稿日:2016年 9月26日(月)21時48分55秒 p1139105-ipngn200808fukuokachu.fukuoka.ocn.ne.jp
返信・引用
  確かに漢字間違えてますね^^

おっちょこちょいな性格なもんで失礼しました。m(_ _)m

で、本当に後は、不要なのね?
 

空仮中について

 投稿者:妙介  投稿日:2016年 9月26日(月)21時45分11秒 pool-200-232.aitai.ne.jp
返信・引用
  法介さんへのお返事です。

石田次男氏の「現代諸学と仏法」の中で、四句分別という論法を用いて
「空」「仮」「中」を「形式表現」出来るか、という考察があり、結論として、

「仮」=有(無)
「空」=非有非無
「中」=亦無亦有

という判断が示されています。
しかし、ここで示されている「空仮中」は数学のような形式表現にすぎず、
「仮諦」でも「空諦」でも「中諦」でもありません。

この事は、石田氏自身が著書の冒頭で、

「仏教一般の知識の内に<分別虚妄>という事が有る。「若し衆生・虚妄の説に因って法利を得と知れば(如来は)宜しきに随って方便として則ち為に之を説き給う」(『涅槃経』)・「故に知らんぬ迹の実は本に於いて猶(なお)虚なり」(『法華文句記』)と言う様に、「分別(直接判断・叙述判断・反省判断、一般に判断)というものは、得道に取って、時機相応の無分別法を説く分別以外は全て虚妄だ・と言う。」
と、言われている通りです。

「仮諦」「空諦」「中諦」と、言葉で「分別」している間は「諦」ではないのです。
「得道に取って、時機相応の無分別法を説く分別以外は全て虚妄だ」という事です。

仏様が覚られたのは「無分別」の法であり、言葉で伝えきれるものではありません。

仏様は意地悪で勿体をつけて教えないのではなく、
伝えても伝えても、どうしても伝えきれない部分が残ってしましまうのです。
この部分が「如来秘密」です。

それでも、言葉の限界を充分知りつつ、何とか頑張って伝えようとされる、
この仏様の慈悲が「神通之力」なのです。


結論としては、法介さんが引用されていた「十如是事」の御文の通りです。

「初めに如是相とは我が身の色形に顕れたる相を云うなり是を応身如来とも又は解脱とも又は仮諦とも云うなり、
 次に如是性とは我が心性を云うなり 是を報身如来とも又は般若とも又は空諦とも云うなり、
 三に如是体とは我が此の身体なり 是を法身如来とも又は中道とも法性とも寂滅とも云うなり」

「仮諦」とは大聖人様の「応身」であり、「空諦」とは大聖人様の「報身」であり、「中諦」とは大聖人様の法身なのです。つまり「御本尊様」の事なのです。


仏にあらざる我ら凡夫の己心を相手取って「空仮中」を論じることは、
いわゆる「天台」であり、時期不相応だと思います。
もちろん、その事を十分承知(義道の落居)していれば、構わないと思いますが。
 

法介様

 投稿者:通りすがりの法華講員  投稿日:2016年 9月26日(月)20時27分1秒 pw126152064185.10.panda-world.ne.jp
返信・引用 編集済
  いやいや。
身口意の三業の漢字を「心口意」と間違えてる時点で、仏様は「法介氏は、創価脳で髄液漏らしてる」と仰ってますから。
それが仏様の智慧なんですよ(笑)

後は不要です。時間の無駄ですから。

また、私は貴方を善悪で分別したことはないです。
邪推で妄想するのはやめなさい。
創価脳の快楽に浸りすぎですよ(笑)
言ってもいないことを言ったと思い込む。
それこそ創価脳だと言ったのです。
 

通りすがりの法華講員さん

 投稿者:法介  投稿日:2016年 9月26日(月)20時23分59秒 p1139105-ipngn200808fukuokachu.fukuoka.ocn.ne.jp
返信・引用
  最後に「つづく」って書いてあるでしょ^^

まだ、途中なんです。

落ち着いてください。

最後に色んなもの掲示しますから
 

法介様

 投稿者:通りすがりの法華講員  投稿日:2016年 9月26日(月)20時19分30秒 pw126152064185.10.panda-world.ne.jp
返信・引用 編集済
  貴方が書いた内容が仏様の仰ることと同じだという証明は?
お釈迦様が言ったんですよね?それを貴方が正確に理解できてるという証拠は?
身口意の三業の漢字すら間違えてる貴方が、お釈迦様の仰ることを理解できてるとは思えませんが。
ね。貴方の我見でコメントを書いたんですよね?

更に貴方、自分が書いたコメントの内容自体を正確に理解できてるの?できてるなら、どこがどう理解できているのか証明してくれますか?

言ったはずです。
我々は貴方の脳髄漏らした「学会名物ポンポン踊り」のコメントは無意味だと。

きちんと仏様が仰ることを書きなさい。

逃げずに説明しなさいね。
貴方が「待っとく」ように言ったのだから。

はい。
正確に仏様が仰ることを書きなさい。

漢字を間違えるような頭破れて快楽に浸る境涯の者が、お釈迦様の仰ることを正確に伝えられるとは思えないなー。
はい。証明してね(笑)
 

分別と無分別

 投稿者:法介  投稿日:2016年 9月26日(月)20時14分20秒 p1139105-ipngn200808fukuokachu.fukuoka.ocn.ne.jp
返信・引用 編集済
  「空」が無我・無自称を意味するのか平等を意味するのかの議論は後回しにして、

分別・無分別の話をしたいと思います。(取りあえず「空」を無我・無自称とみなす)




お釈迦様は、人々の苦しみの原因は分別にあると気づかれました。

分別とは、物事の善・悪とか綺麗・汚い、おいしい・まずい、便利・不便、

心地よい・心地悪い等、書き出したらきりがないくらい世の中に存在します。


人々は昔から暮らしを便利にしよう、豊かにしよう、そう思って様々な分別を作り上げてきました。

文字だってそうです。算数も理科・社会、世の中のほとんどのものは分別法でなりたっています。



しかし、人間が作り出したその分別が、原因となって人々は悩んだり、苦しんだりもしているのです。


結婚したけど友達の奥さんの方が綺麗でうらやましいなーとか、

あいつの方がいい車にのってやがるとか、

もっとおいしい物が食べたいとか。


人間の欲は実は分別があるから起きるんだ!

とお釈迦様は、気づかれたのです。



考えてみてください。

生まれたての赤ちゃんには分別はありません。

ただお腹がすいた時とおむつが気持ち悪い時だけ泣き叫ぶだけで、

それ以外の時は穏やかーな顔をしていますよね。

赤ちゃんには比べる物差し(分別)がまだ無いから、幸せでいられるんです。


だけど、成長していくにつれ、他人と比較されたり、進学する学校を比較されたり、

入社する会社を比較したりで、分別が身について行く程、悩みや苦しみが増えて行きます。


なのでお釈迦様は、人々からそういった分別を無くしてあげようと考えに考えてあみ出したのが、

「縁起の法門」と「因果具時」だったんです。そして人々に

「この世の万物は形をもつが、その形は仮のもので、本質は空(くう)だと判断していきなさい」

と説いたのです。決して


「あいつは創価脳だー!」とか、

「学会名物ポンポン踊りに浸っていますので~」(学会名物ポンポン踊りってなに?)

とか相手を善悪で分別しては、いけませんよーって
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お釈迦様が言ったのです!



そんな事したら、自身が心口意の三業っていう宿業を刻んでしまうんです。

だから大聖人様も(人の人格や人間性をどうのこうの言うのではなく)、邪儀を破折していきなさいとご指南されているのです。

要するに、お釈迦様は人々を

物事の見方、捉え方を「分別法」から「無分別法」へと導かれたのです。



紙に裏と表があってどちらも1つの紙であることには変わりがないように

「分別」と「無分別」、どちらにも偏らない物の見方・捉え方「中観」を

後の世において、天台大師が「一心三観」という言葉で諭されました。


しかし、「無分別」で物事を見ていきなさいって言われても

「目があるから見えちゃうんです実態がー」といって

天台大師を困らせる通りすぎてしまった法華講員さんという聞き分けの無い人がいたのです。

                                       つづく
 

通りすがりの法華講員さん

 投稿者:法介  投稿日:2016年 9月26日(月)18時38分49秒 p1139105-ipngn200808fukuokachu.fukuoka.ocn.ne.jp
返信・引用 編集済
  >理解しているならば、正しく説明してみましょう(笑)

説明しなくていいの?

難しい漢語(経典)を貼り付けるだけでいいのね

って、↓文章さっきと変わってるしー
 

法介様

 投稿者:通りすがりの法華講員  投稿日:2016年 9月26日(月)18時21分21秒 pw126152064185.10.panda-world.ne.jp
返信・引用
  貴方の我見は要らないから、仏様の仰る内容で説明してくださいね。また、それが仏様の仰る内容であること、それを貴方が100%理解した上で述べられているという証明も添えてお願いします。

貴方の我見は、我々には邪魔ですので、くれぐれも貴方の我見は挟まないように。

では、お待ちしています。
必ず、必ず説明しなさいね。自分で待っとくように言ったんですから。
逃げないように。
 

通りすがりの法華講員さん

 投稿者:法介  投稿日:2016年 9月26日(月)17時55分39秒 p1139105-ipngn200808fukuokachu.fukuoka.ocn.ne.jp
返信・引用
  じゃあ、解りやすい説明文を書くから待ってて  

法介様

 投稿者:通りすがりの法華講員  投稿日:2016年 9月26日(月)16時37分11秒 pw126152064185.10.panda-world.ne.jp
返信・引用 編集済
  創価脳で脳髄溢れた貴方の我見による浅織・不解は、私には無意味です。

そもそも、貴方は、貴方が提示した内容を正確に理解できて書いているのですか?貴方とのやり取りからは、貴方は貴方自身が提示している事を自身できちんと理解できているとは思えません。
理解しているならば、正しく説明してみましょう(笑)

せっかくの機会です。十四誹謗を謳歌しなさい。
 

通りすがりの法華講員さん

 投稿者:法介  投稿日:2016年 9月26日(月)15時47分54秒 p1139105-ipngn200808fukuokachu.fukuoka.ocn.ne.jp
返信・引用
  通りすがりの法華講員さーん!

後ほど「分別」「無分別」について論議しますので

この2つのサイトの「分別」「無分別」の解説をしっかりと理解しておいてくださいねー!
 

無分別

 投稿者:法介  投稿日:2016年 9月26日(月)13時09分52秒 p1139105-ipngn200808fukuokachu.fukuoka.ocn.ne.jp
返信・引用 編集済
  石田次男氏を師と仰ぐ中杉弘氏のブログの中に「無分別」の解りやすい解説がありました。
ttp://blog.livedoor.jp/nakasugi_h/archives/55601960.html

↑の最後の方で中杉氏が「南無妙法蓮華経」の解説をされていますが、これは完全に邪儀ですね。師匠の石田氏から「君は恐ろしい考えをしている」と言われた程の邪儀です。しかし、「無分別」の説明は解りやすくて参考になります。

(アドレスを張り間違えておりましたので修正しました。すみません)
 

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