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前代未聞のこの意味不明文章(笑)

 投稿者:脳ナシのヘタレ縮ボンちゃん(笑)  投稿日:2016年10月31日(月)23時02分11秒 ZJ051018.ppp.dion.ne.jp
返信・引用
  >まず証明したければ樹齢1000年以上の天然の楠を身延で、なをかつ池に浮かんで光を放ちているのを探しなさい。


あん?あんだって?(嗤う)。

他の方からも指摘されてっけど、チャンとした日本語書けよ(憐憫)。
 

オマエはもう、完全に【説明不能】でマケたんだ♪ そうそ、坊やは負けたのよ(嗤う)

 投稿者:脳ナシのヘタレ縮ボンちゃん(笑)  投稿日:2016年10月31日(月)22時55分39秒 ZJ051018.ppp.dion.ne.jp
返信・引用
  無知に加えて教学ナイのナイナイ尽くしの坊やがオメデタくて羨ましいわっ(爆笑)。

まだ、俺が言ってる意味、リカイできねえの?え?マジ?(嗤う)。



◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「御本尊様」を「御本尊様の詳細」と「御本尊様が御本尊たる所以」について、法義的に説明してごらん。
それが出来たらオマエのアホ要求に応えてやってもいいよん♪


ま、教学あるトコ、開陳してくれよ、ラクガキ坊やよっ(笑う)


できないの!どうなの!坊や!!
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆



御本尊様を法義的に説明できないってソレ、どうなのよっ?(爆笑)

ミットモねえ~~~~っ(憐憫)


それに『真実』も知らんとなっ?

完全に嗤われピエロじゃん、オマエ(嘲笑)。
 

no title

 投稿者:  投稿日:2016年10月31日(月)22時48分49秒 ZJ051018.ppp.dion.ne.jp
返信・引用
  >俺から見れば


あー、そう言ゃぁ~、昔、御戒壇様を「間近で実見」したって発狂してたアホがおったけど、
ソレ、ヘタレ串逃げ惑い劇場の坊やだったなっ(大爆笑)
 

アホさとしの坊やへ、日本語分かるか!

 投稿者:種○なし法主日開に日顕が誕生  投稿日:2016年10月31日(月)22時47分11秒 185.100.87.82
返信・引用
  アホのお前がうらやましい。

>御本尊様が御本尊たる所以


大石寺のボン○クラ法主でさえも、奉安堂の本尊もどきを誰も書写せんぞ……お前冗談きついよな(笑)。

あれはれっきとしたニセ本尊。

まず証明したければ樹齢1000年以上の天然の楠を身延で、なをかつ池に浮かんで光を放ちているのを探しなさい。

このような前代未聞の大石寺犯罪集団、板も偽物、二箇相承もニセ、日興跡条々事もニセ、法主もニセ。

このようなバカ坊主が学会を騙して金儲けをしてきたのだ。

 

読者の皆様。

 投稿者:  投稿日:2016年10月31日(月)22時43分42秒 ZJ051018.ppp.dion.ne.jp
返信・引用
  これで判りましたね♪


ヘタレ串逃げ惑い劇場坊やには、教学は皆無です。

それに無知です(笑)。

『真実』を知りませんから「板も偽物」とサエズるしか能がありまっせ~~~~ん♪


ヘタレ串逃げ惑い劇場の坊や!

嗤われるためにこの板に来たの!(嗤う)。
 

折角さぁ、俺が慈悲でヘタレ串逃げ惑い劇場坊やに敗者復活のチャンス与えてやってるってぇのに、ヤレヤレだ(苦笑)

 投稿者:脳ナシのヘタレ縮ボンちゃん(笑)  投稿日:2016年10月31日(月)22時39分29秒 ZJ051018.ppp.dion.ne.jp
返信・引用
  ↓コレが出来たら、坊やの要望したモノ出してやる、って言ってんのよ!


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「御本尊様」を「御本尊様の詳細」と「御本尊様が御本尊たる所以」について、法義的に説明してごらん。
それが出来たらオマエのアホ要求に応えてやってもいいよん♪


ま、教学あるトコ、開陳してくれよ、ラクガキ坊やよっ(笑う)


できないの!どうなの!坊や!!
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆



坊やはオノレで要望したものを俺に出してもらうのを、「アキラメ」て自ら「辞退した」。


と解釈していいんだな?(嗤う)。


やれや、のぅ、坊や!


ちぃーとは、教学あるトコ、見せつけてくれよ、なっ?

ま、やれるもんならやってみなっ♪


タノシミにしてるよ(ケラケラ)


※坊やの逃げ惑い逃げ散らかし劇場は適用除外とする(笑)。
 

ニホンゴ、リカイ、デキマチュカ?(笑)。

 投稿者:脳ナシのヘタレ縮ボンちゃん(笑)  投稿日:2016年10月31日(月)22時34分13秒 ZJ051018.ppp.dion.ne.jp
返信・引用
  ↓コレが出来たら、坊やの要望したモノ出してやる、って言ってんのよ!


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「御本尊様」を「御本尊様の詳細」と「御本尊様が御本尊たる所以」について、法義的に説明してごらん。
それが出来たらオマエのアホ要求に応えてやってもいいよん♪


ま、教学あるトコ、開陳してくれよ、ラクガキ坊やよっ(笑う)


できないの!どうなの!坊や!!
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆



坊やはオノレで要望したものを俺に出してもらうのを、「アキラメ」て自ら「辞退した」。


と解釈していいんだな?(嗤う)。



嗤わせるのはそんくらいにしとけ(嗤う)。

さっき↓

「御本尊様について「御本尊様の詳細」と「御本尊様が御本尊たる所以」について、
 法義的な説明不能の坊や」

と言っておいたが(笑)、案の定じゃん(嗤う)。


で、この↓


=======================
「御本尊様」を「御本尊様の詳細」と「御本尊様が御本尊たる所以」について、法義的に説明してごらん。
それが出来たらオマエのアホ要求に応えてやってもいいよん♪


ま、教学あるトコ、開陳してくれよ、ラクガキ坊やよっ(笑う)


できないの!どうなの!坊や!!
=======================


↑について「出来ない」のを【ゴマカス】ために要求返しに死に物狂いだのぅ(大笑い)。



再度、死に損ないの恥曝し坊やに敗者復活のチャンスを与えてやんよ♪↓



◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「御本尊様」を「御本尊様の詳細」と「御本尊様が御本尊たる所以」について、法義的に説明してごらん。
それが出来たらオマエのアホ要求に応えてやってもいいよん♪


ま、教学あるトコ、開陳してくれよ、ラクガキ坊やよっ(笑う)


できないの!どうなの!坊や!!
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆



やれや、のぅ、坊や!


ちぃーとは、教学あるトコ、見せつけてくれよ、なっ?

ま、やれるもんならやってみなっ♪


タノシミにしてるよ(ケラケラ)
※坊やの逃げ惑い逃げ散らかし劇場は適用除外とする(笑)。
 

オイオイ、ドチタノ?(笑)。

 投稿者:  投稿日:2016年10月31日(月)22時31分48秒 ZJ051018.ppp.dion.ne.jp
返信・引用
  ↓コレが出来たら、坊やの要望したモノ出してやる、って言ってんのよ!


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「御本尊様」を「御本尊様の詳細」と「御本尊様が御本尊たる所以」について、法義的に説明してごらん。
それが出来たらオマエのアホ要求に応えてやってもいいよん♪


ま、教学あるトコ、開陳してくれよ、ラクガキ坊やよっ(笑う)


できないの!どうなの!坊や!!
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆



坊やはオノレで要望したものを俺に出してもらうのを、「アキラメ」て自ら「辞退した」。


と解釈していいんだな?(嗤う)。
 

ミジメなヘタレ身延カブレの逃げ惑い逃げ散らかし劇場の縮ボンへ、いつまで逃げ惑うのかなっ!!

 投稿者:  投稿日:2016年10月31日(月)22時28分7秒 ZJ051018.ppp.dion.ne.jp
返信・引用
  嗤わせるのはそんくらいにしとけ(嗤う)。

さっき↓

「御本尊様について「御本尊様の詳細」と「御本尊様が御本尊たる所以」について、
 法義的な説明不能の坊や」

と言っておいたが(笑)、案の定じゃん(嗤う)。


で、この↓


=======================
「御本尊様」を「御本尊様の詳細」と「御本尊様が御本尊たる所以」について、法義的に説明してごらん。
それが出来たらオマエのアホ要求に応えてやってもいいよん♪


ま、教学あるトコ、開陳してくれよ、ラクガキ坊やよっ(笑う)


できないの!どうなの!坊や!!
=======================


↑について「出来ない」のを【ゴマカス】ために要求返しに死に物狂いだのぅ(大笑い)。



再度、死に損ないの恥曝し坊やに敗者復活のチャンスを与えてやんよ♪↓



◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「御本尊様」を「御本尊様の詳細」と「御本尊様が御本尊たる所以」について、法義的に説明してごらん。
それが出来たらオマエのアホ要求に応えてやってもいいよん♪


ま、教学あるトコ、開陳してくれよ、ラクガキ坊やよっ(笑う)


できないの!どうなの!坊や!!
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆



やれや、のぅ、坊や!


ちぃーとは、教学あるトコ、見せつけてくれよ、なっ?

ま、やれるもんならやってみなっ♪


タノシミにしてるよ(ケラケラ)
※坊やの逃げ惑い逃げ散らかし劇場は適用除外とする(笑)。
 

しっかし、ナサケナイ!!

 投稿者:  投稿日:2016年10月31日(月)22時21分22秒 ZJ051018.ppp.dion.ne.jp
返信・引用
  この串坊やはナニシニこの板にツラ出しとんの?(嗤う)。


てか、さっき↓


「にしても、真実を知らんで「偽物」だとよっ(笑)
 ふっ。オマエは な~~~~も 知らんのよっ、坊やはな。」


と言ってやったてぇのに、相変わらず、な~~~~~~~んも知らんから
「板も偽物」ってサエズッておる(嗤う)。


坊や、オマエ、マジで知らんのか?(笑う)。

てことは、オマエ「真実」を知らんのやな。


カワイソ~になっ。

アッハッハッハッハ。
 

どした?え?もうか?坊や(笑)、逃げ惑い逃げ散らかし劇場開演かえ?(嗤う)

 投稿者:  投稿日:2016年10月31日(月)22時14分11秒 ZJ051018.ppp.dion.ne.jp
返信・引用
  嗤わせるのはそんくらいにしとけ(嗤う)。

さっき↓

「御本尊様について「御本尊様の詳細」と「御本尊様が御本尊たる所以」について、
 法義的な説明不能の坊や」

と言っておいたが(笑)、案の定じゃん(嗤う)。


で、この↓


=======================
「御本尊様」を「御本尊様の詳細」と「御本尊様が御本尊たる所以」について、法義的に説明してごらん。
それが出来たらオマエのアホ要求に応えてやってもいいよん♪


ま、教学あるトコ、開陳してくれよ、ラクガキ坊やよっ(笑う)


できないの!どうなの!坊や!!
=======================


↑について「出来ない」のを【ゴマカス】ために要求返しに死に物狂いだのぅ(大笑い)。



再度、死に損ないの恥曝し坊やに敗者復活のチャンスを与えてやんよ♪↓



◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「御本尊様」を「御本尊様の詳細」と「御本尊様が御本尊たる所以」について、法義的に説明してごらん。
それが出来たらオマエのアホ要求に応えてやってもいいよん♪


ま、教学あるトコ、開陳してくれよ、ラクガキ坊やよっ(笑う)


できないの!どうなの!坊や!!
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆



やれや、のぅ、坊や!


ちぃーとは、教学あるトコ、見せつけてくれよ、なっ?

ま、やれるもんならやってみなっ♪


タノシミにしてるよ(ケラケラ)
※坊やの逃げ惑い逃げ散らかし劇場は適用除外とする(笑)。
 

no title

 投稿者:  投稿日:2016年10月31日(月)21時23分9秒 ZJ051018.ppp.dion.ne.jp
返信・引用
  ニセ本尊て、
あー、創価が横流しで得たのを量産した類似品と身延や日蓮系が量産した類似品のことなっ(嗤)。
 

no title

 投稿者:  投稿日:2016年10月31日(月)21時11分16秒 ZJ051018.ppp.dion.ne.jp
返信・引用 編集済
  ★も人の事言えないか、こんなカキコしてるんだから。

言うに及ばず、法華講員の末席をけがしてる程度の者で、
★のことは管理人様は過去に★がコチラに投稿してたことは御存知だから、
在籍を申告するまでもないですが。

ちなみに、下のカキコはIP見れば判るとおり、★のカキコです。


管理人様、削除されるされないはお任せします。
 

ヤレヤレ、またカマってくんが串でハシャイでるよ(嗤)。

 投稿者:精神科監禁独房から串する縮ボンを嗤う  投稿日:2016年10月31日(月)21時03分17秒 ZJ051018.ppp.dion.ne.jp
返信・引用
  管理人様が居らんとここぞとばかりにハシャギよる。

管理人様は「ヘタレ串は相手するな(要旨)」って散々念押しされておられたが、
アホ坊やを少し嗤ってオチョクルとしよか。


御本尊様について「御本尊様の詳細」と「御本尊様が御本尊たる所以」について、
法義的な説明不能の坊やに文証出したとて理解出来ねえじゃん(嗤)

上記2点を理解していれば、「アホの1つ覚え」のように
〝モンチョ~ モンチョ~〟って喚いてることが恥ずかしくなるわ普っ通はなっ(ケラケラ)


坊や。

「御本尊様」を「御本尊様の詳細」と「御本尊様が御本尊たる所以」について、法義的に説明してごらん。
それが出来たらオマエのアホ要求に応えてやってもいいよん♪


ま、教学あるトコ、開陳してくれよ、ラクガキ坊やよっ(笑う)


できないの!どうなの!坊や!!



にしても、真実を知らんで「偽物」だとよっ(笑)

ふっ。オマエは な~~~~も 知らんのよっ、坊やはな。
 

ペルリくん

 投稿者:通りすがりの法華講員  投稿日:2016年10月31日(月)15時56分50秒 pw126236001211.12.panda-world.ne.jp
返信・引用
  *板本尊が偽物であるにもかかわらず、日蓮聖人の教義に本尊は【生身の大聖人様】って文証出してみ!
○なんだ、この日本語の使い方は?
マトモな日本語を書け!
何を質問したいのかさっぱりわからん。
創価学会員はマトモに質問もできんのかよ。
たった2行くらい、人が理解できるように書け。

ほんと大丈夫か?
頼むぞ、創価学会員。
 

(⌒-⌒; )

 投稿者:無名★  投稿日:2016年10月30日(日)23時08分18秒 pw126255193246.9.panda-world.ne.jp
返信・引用
  ★青い目をした混血児ペルリ じゃあるまいし。


(⌒-⌒; )
 

(⌒-⌒; )

 投稿者:無名★  投稿日:2016年10月30日(日)20時13分12秒 pw126255193246.9.panda-world.ne.jp
返信・引用
  ★もてない馬鹿の僻み?

(⌒-⌒; )

そういう怪文書ネタで洗脳される馬鹿が
今時いるんスね。

(⌒-⌒; )


 

馬鹿へ

 投稿者:憂国の武士  投稿日:2016年10月30日(日)19時40分59秒 ag220-213-220-206.ccnw.ne.jp
返信・引用
  やっと孤立庵サム師の援護射撃が現れたか ぷ

ところで、目立ちがり屋のセンセーどした。↓

 

馬鹿へ

 投稿者:無名★  投稿日:2016年10月30日(日)17時52分38秒 pw126255193246.9.panda-world.ne.jp
返信・引用
  (⌒-⌒; )


◯大石寺にある板本尊が日蓮直造の本物であるなら、
日蓮を信仰する全ての人が日蓮正宗に入信するだろう。

★どスて?
馬鹿の論理はわからないス。


◯日蓮直筆の本尊は全て鑑定されているが、
惜しいかな大石寺にの板本尊は鑑定されていない。


★残念賞。
鑑定されてまっスよ?
大聖人より唯授一人血脈相承された歴代御法主の鑑定。

これ以上確かな鑑定はないと思いまっスよ?





(⌒-⌒; )


 

馬鹿へ

 投稿者:無名★  投稿日:2016年10月30日(日)17時43分13秒 pw126255193246.9.panda-world.ne.jp
返信・引用
  (⌒-⌒; )


◯その血脈系譜は日蓮→日興→日頂→日澄→日順という
重須檀所派の血脈を示すものであって、


★この系譜スと、大聖人より日興上人に相承された
弘安二年十月十二日御建立の本門戒壇の大御本尊が
行方不明スね。どこにいったんしょか。

(⌒-⌒; )



日興→日目という系譜の大石寺にあるじゃないスか。ということは、
馬鹿の話は有り得ないちゅう証明。




(⌒-⌒; )

 

創価学会員は空き巣狙いと同じ

 投稿者:憂国の武士  投稿日:2016年10月28日(金)21時01分58秒 ag220-213-220-206.ccnw.ne.jp
返信・引用
  管理人さんが忙しくなりそうだと書いているのを見て早速の悪戯は毎度のことだが
もっと堂々とできないのか。
蚤の心臓の学会員よ、師弟不二とはよくいったものだ

恥も外聞もない創価人間は塵芥だぞ。
言いたいことがあれば堂々と名乗れ


 

で、創価学会員が戒壇様を肯定したとさ(笑)

 投稿者:通りすがりの法華講員  投稿日:2016年10月28日(金)09時34分59秒 softbank126021246231.bbtec.net
返信・引用
  とんだオチですな。
以下、宿坊2より、無名★さんのコメントを転載します。

◎「富士門家中見聞下」

或る時日法御影を造り奉らんと欲す 七面大明神に祈念し給ふ感応の至りか浮木出来せり、此の木を以って戒壇院の本尊を造立し 次に大聖の御影を造ること已上三躰なり、
其の一躰は纏に三寸なり上行所伝抄の意なり、『大聖戒壇院の本尊を書し日法之を彫刻す今の板本尊是れなり』


◎「有師物語聴聞抄佳跡上」

日因私に云く日法の伝精師家中抄下巻にあり(中略)『蓮祖御存生の弘安二年に板本尊を彫し奉る本門戒壇の御本尊是なり、又一体三寸の御影を刻り奉る』


なんだ。
「弘安二年に板本尊を彫し奉る本門戒壇の御本尊是なり」
と記されてた訳だ。

チャンチャン。


【注意事項】
二度と創価学会員は、本門戒壇の大御本尊様を否定しないように
はよ、創価なんぞの宗教詐欺から抜けなさい。
 

憂国の武士殿

 投稿者:管理人  投稿日:2016年10月26日(水)18時30分33秒 i121-116-155-118.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  ♪男度胸は 鋼(はがね)の味よ
 伊達にや下げない 腰の剣
抜けば最後だ 命を賭けて
  指もささせぬ この護り♪


昔、学会がタテ線の頃、支部の大拠点であった当方の実家の二階で、隊長がよく歌っておりました。

懐かしいですね。

因みに、分隊長などがよく歌っていたのは「日本男子の歌」でした。

♪日本男子と生まれきて
 戦の庭立つからは
名をこそ惜しめ 兵(つわもの)よ
 散るべき時に潔く散り
       御国に薫れ桜花♪

いや、流沙の護り、と共に、此の歌も又、佳き歌であります。

さても、日本男子と生まれきて、腰に下げたる正義の剣を、
名こそ惜しんで振り下ろしたは、果たして我らか学会か。

最早、其の答えは明白でありましょう。

つらぬく大義七百年。広宣流布の一筋は、
これ学会の大精神、これ学会の大精神…。

果たして此れはウソであったのか。其れとも、御宗門への諂(へつら)いであったのか。
否、是れこそは、総本山を欺(あざむ)く、奸智の歌であったのか。

貫く大義七百年…。

実(げ)に其れこそは、日蓮大聖人を末法の御本仏と仰ぎ奉り、本門戒壇の大御本尊を一大秘法の
尊極と為し、御開基日興上人をして血脈付法の大導師と定むる処の大義でありましょう。

而して、原田創価学会は、今や其の大義を臆面も無く破毀し、糸の切れた凧の如くに迷走し、
邪義邪宗の態相を露わにしているのであります。

日蓮大聖人に曰く『昔と今はかわるとも、法華経のことわり違(たが)うべからず』と。【新編 1183】

さても、法華経の究極たる御本尊をして一大秘法には非ず、と吐き捨てた創価学会。

さぞや、恩師も、富士の御山で呆れている事でありましょう。

だからこそ、我ら七百年来の富士門徒が、其の振り上げた正剣を以って斬首するのであります。

無論、ここで云う首とは、生首の事ではありません。

本より、ここまで説明しなければ、文上読みの文献莫迦などが、斬首だ、斬首だ、残酷だ、と騒ぎ立てる故。

哀笑。

いやはや何とも、浅薄な連中であります。

尚、彼の有名な『威風堂々の歌』は、軍歌「愛馬とともに」の曲を持って来たものであり、其の事については、
学会員当時、知る由もありませんでした。其れにしても、よく似ております、と云うか、同じでしょう。

して、歌中の「正法かざし」の正法とは、一大秘法たる人法一箇の御本尊の御事でありますから、
今の創価に於いて、威風堂々の歌を口にする資格などはありません。それでも歌うというならば、
其れこそは自虐の珍歌と成りましょう。哀哀笑。

さて、明後日から又、仕事が忙しくなりそうです。

憂国殿には、これからも御投稿の程、宜しくお願い致します。
 

ご無沙汰しております

 投稿者:憂国の武士  投稿日:2016年10月26日(水)03時31分49秒 ag220-213-220-206.ccnw.ne.jp
返信・引用
  管理人様


調べ物をしておりましたらこれが出てきました。

流沙の護り(男度胸)
ttp://kaikei36ki.mu-sashi.com/G-otokodokyou.html
 

向門身延派信者の弁

 投稿者:管理人  投稿日:2016年10月25日(火)16時49分30秒 i121-116-155-118.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  ************************************************************************

本日は、当山に勧請(お祀り)されている守護神様のご報恩の法要が営まれました。
法筵寺には、日蓮宗のお寺では有名な、七面天女様や鬼子母神様、大黒様、八大龍王神様など
お祀りされていますが、その他にも、猿田彦天神様、摩利支天様、恵比寿様がお祀りされてい
ます。それぞれの守護神様は尊きご縁にて先代から受け継がれていますが、恥ずかしながら、
そのいわれは分かりません。

************************************************************************

大呆哀。

だから、七面天女とか鬼子母神とか大黒天とか竜王とか、そーゆー単モノを祀って、本尊よろしく
拝み立てるという教えは、一体何処の何奴(どいつ)の教えであるのか、と訊いておる。

果たして日向なのか。それとも日朝か、それとも日輝なのか。

日蓮大聖人曰く『此等の末法のために、教主釈尊・多宝如来・十方分身の諸仏を集めさせ給ふて
一の仙薬をとどめ給へり。所謂(いわゆる)妙法蓮華経の五の文字(曼荼羅)なり』と。

果たして『釈迦多宝の二仏を集約して一つの仙薬に留める』とは如何なる事か。
果たして其の「一つの仙薬」こそが、日蓮大聖人の御本懐たる大曼荼羅ではないのか。

よいか。

今こそオマエらは、別勧請(其々の仏菩薩・天人・畜生を形像にして一々礼拝する事)を以って本尊とする、
そーゆー文証を提示しなさい! そして、日蓮大聖人が其の御生涯に於いて、一尊四士及び天女・鬼神等を
造立安置して尊拝した、という文証を提示しなさい!

よいか。其れが出せねば十界別勧請は邪義邪流の本尊と相成る!

…其れにしても、猿田彦を祀って拝んでいるとは驚いた。哀笑

ところで、腹巻に曼荼羅の文字を書いて、それを妊婦の腹巻にして、安産を期待させるという教義は、
一体、どこから持って来たのだ。是れこそは水天宮などの別勧請ではダメなのか。

何? 恥かしながら、其の謂われは解からない、とな。哀笑

小鼻笑。そんなもなぁー、執行海秀が書いた駄本から調べてみなさいよ! 糞笑。

ったく、どーしようもない連中である。嗤。
 

富士門の面汚し、北山本門寺の痴態を叱る

 投稿者:管理人  投稿日:2016年10月24日(月)20時50分23秒 i121-116-155-118.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  **************************************************************************

学問所・重須談所の復活を構想

静岡県富士宮市大本山北山本門寺の貫首に旭日重師(御殿場市久成寺住職)の就任が決定し、辞令伝達式が
9月6日、東京・池上の日蓮宗宗務院で行われた。旭師は川名義顕師(富士宮市法華寺住職=北山本門寺執事長)
深澤尊明静岡中部宗務所長とともに登院し、渡邊照敏宗務総長から辞令と激励の言葉を受け取った。

旭貫首は「これから北山本門寺は“重須談所(おもんすだんしょ)”として復活する基本構想が固まりました。
北山をもっと知ってもらえるように、伝統を守りながら開かれた本山を目指していきたい」と抱負を述べた。
式後、旭貫首は「北山は檀家さんが少なく、法縁110ヵ寺があるのみなので経営は難しい。これからは談所
(上杉清文所長)を盛り上げ、学問所として宗門に認められるよう努力したい」と語っていた。
旭貫首の晋山(しんざん)は、昨年11月(平成21年11月28日)の本間日諄前貫首の遷化(せんげ)にともなうもの。
本間上人の本葬儀は10月26日、旭貫首の晋山式は来年3月29日に執り行われる予定となっている。


*******************************************************************************


何だ、北山本門寺は談所ではない、と言い張って来たのは一体誰であるのか。さても「重須談所として復活する」
とは、その当初からして重須が談所であった事を認めている。という事ではないか。
して、その談所は古来から身延の談所であったのか。其れとも富士大石寺の談所であったのか。
面汚しの北山よ。其のこと日興上人に問うてみよ!!

ったく、重須談所として復活し、学問所として身延山から認められるよう努力したい、とは何たる言い草か!
剰(あまつさ)え、そんなセリフを吐きながら、白五条の袈裟を纏った僧侶が、身延山の坊主から辞令を恭しく
受け取るなど、オマエらは皆、富士門の面汚しであり、オマエらこそが法賊である!

だからこそ云う!

オマエらこそが、重須日浄の末裔であると! 嗤。

ったく、不様(ぶざま)な姿を見せおって!

北山本門寺。

邪宗身延の大本山。

最早、オマエらに富士門を語る資格など有ろう筈も無い!
 

ああ、邪教人 其の五十二

 投稿者:管理人  投稿日:2016年10月20日(木)15時40分1秒 i121-116-155-118.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  >今の時代、インターネットで学会の歴史や池田先生の指導・御書の一説を少しでも検索すれば、誰でも宿坊に
>辿り着くことができます

宿坊? 小鼻笑。

末法釈迦本仏と検索した方が、いち早く宿坊掲示板に行けるのではないか。小鼻笑。

其れよりもオマエ。釈迦本仏主義の宿坊を何とか致せ。宣伝している場合じゃねーだろ。

>池田センセー云く、
>もしも将来、原理原則を踏み外すような幹部が現れたならば、断じて許してはいけない。
>【2006年11月22日全国合同協議会】より

哀笑。其(そ)はつまり、お釈迦様こそ末法の本仏としている、伊賀の宿坊、加えて創大の宮田や菅野、
そして、大御本尊を蹴飛ばす、タンコブの原田や、三島の金ピコ、延いては、市中のイタチなどは、
すべて、池田センセーからして『断じて許してはいけない』連中ではないか。

鼻笑。どーすんだよ、こいつら。

呆哀。こいつらみんな、原理原則から脱線した連中じゃねーかよ。哀哀。

何なんだよ、こいつら。哀笑。

池田センセー! 早くこいつらの細首を針金で結わいて、頭のてっぺんをトンカチでぶっ叩いて下さいよ!

池田センセー! そーゆーやり方が好きなんでしょ!? 手段なんかいいんだ! 勝ちさえすればいいんだ!

そーなんでしょ、センセー!

だからみんな、退治して下さいよ。除名なんかじゃ物足りないっスよ!

そんな、新興宗教から除名されたって、なんの後悔もありゃしませんよ!

あるのは唯(ただ)一つ、恨みつらみの私情でしょーが!

小腹笑。そんなモン! 屁にもなりませんよ! 仏法からして。堪笑。


>マタマタ大福運積めた~~!!
>功徳~~~~~~!!!!!

な、なんだ! まだやってんのか!

よいか。仏法ちゅーもんは、パン喰い競争とは違うんよ。

ったく、目の前のぶら下がりに食らい付く、お主の姿こそが浅ましい。

お主、自分の顔を観た事があるか?

さすれば自ずと判ろうて。


>昨日の夜に本部幹部会中継に行って来たでござるぞよ。
>先生に絶賛された本部幹部会は素晴らしかったでござる。
>先生のご指導映像で新聞啓蒙と配達員の事を述べておられたが、あれぞな、ごもっともでござるぞな。
>\(^o^)/ホントピョ~ン

大呆哀。なんなのだ、これは。

>原田会長も素晴らしい指導ぞな。
>学会の中で活動させて頂けることは、何よりの誉れであり功徳と思ったぞよ(^o^)
>今日からまた頑張るぞよ。
>\(^o^)/ホントピョ~ン

呆呆呆。なんなのだ、これは。

なんだ、こんな者が現在の活動家の姿であるというのか。

ホントピョ~ン、ってなんなのだ。

ぞよぞなごさるってなんなのだ。

ふざけてんじゃないよ、爺さん。あいや失礼、おっちゃんか。小鼻笑。

ったく、いい歳こえて、おっちゃん!

なんでタンコブ原田の指導が素晴らしいんだよ!

池田センセーは、そんなタンコブを断じて許してはいけない、って言ってるよ!

どーすんだよ! これ!

これこそ、ホントピョ~ン、だろ、おっちゃん。

兎に角、なんとかしなさい。

毒虫は即刻に退治すべし!
 

阿呆な身延の戯れ言を叩く (五)  【再稿】

 投稿者:管理人  投稿日:2016年10月20日(木)12時09分38秒 i121-116-155-118.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  さて、今回が最終となる。

早速に以下の駄文を呵責致そう。

一致派身延の門人が云く、

************************************************************************************

⑤法華経の方便品、寿量品のみの読誦と本勝迹劣の誤り

確かに「月水御書」等に方便品と寿量品のみの読誦の根拠はあるが、日蓮大聖人自身は方便品と寿量品を中心に、
提婆品、神力品、陀羅尼品などの重要性を説かれており、二十八品の読誦や書写もされていた。更に本迹一致は
身延門流のみだが、本勝迹劣は浅はかな幼稚な解釈で、法華経二十八品そのままで見れば、本門の方に重要性が
あるのは当然であり、日蓮聖人の仏法の真髄があると言える。しかし、それは一応の浅はかな解釈で、本門寿量品の
立場に立脚すれば、二十八品全てが平等に尊くなり、その一致派教学を確立されたのが、行学院日朝上人や心性院
日遠上人などの日蓮宗の高僧方である。この教学と法門の深さは、勝劣義の他宗門(法華宗や仏立宗や日蓮正宗)の
僧俗には到底理解できないものである。この様な理由で、日蓮宗では二十八品読誦をするのである。

以上、おおよそ日蓮正宗の本尊と教義の誤りを述べてきたが、両方の総本山に行ってみるといいだろう。
富士大石寺は建物こそ広大で立派なものであるが、中身は恐ろしく貧弱な総本山である。日蓮聖人ゆかりの
御本尊や御遺文、御遺品などがほとんど無い。それに比べて身延山久遠寺は、日蓮聖人の御廟があり、
御本尊や御遺文、御遺品などもたくさん所蔵している。どちらが正統な教団であるか、一目瞭然である。
日蓮正宗は単なるインチキなカルト教団である。

南無久遠実成本師釈迦牟尼仏 南無平等大慧一乗妙法蓮華経 南無本化上行高祖日蓮大菩薩 南無妙法蓮華経

**************************************************************************************

哀笑。

しかし何だ。文末に身延の呪文を付記するとは、此の門人も肝が入っておるではないか。小笑。
うむ。腐っても信仰者なれば、そーゆー肝こそが大事となろう。例え小義に信を奪われていようとも、
彼の創価学会の様に、無節操に根本義を変え、其の信義さえも平気で投げ捨ててしまうよりはマシである。鼻笑。
さても「枯れ木も山の賑わい 」とは此の事か。小笑。

まぁ、よい。

では、本題と参ろう。

「本迹一致」

久しぶりの呵責である。

何せ、此の十数年、本迹の違目などは、疾うに卒業し、其の殆どは、文上脱益の寿量品に対する
文底秘沈の顕示であったから、其れこそは、大型ダンプから自転車に乗り換える程のギャップと成る。
まぁ、そうであろうとも、肝の入った身延の門人が「本勝迹劣は浅はかな幼稚な解釈」と大言している
のであるから、そこは富士門信徒として、しっかと御灸を据(す)えるべきであろう。

さて、先ずは当流の高説を、此に示そう。

理解出来ずとも、目を通して置きなさい。

其れこそは後々に於いて、領解の参考となる。

よろしいか。

先ずは云おう。

もし、法華経の謂(いわ)れを知らぬとなれば、法華経も爾前の教えと成る。
して、法華経の謂れを知るとなれば、これ爾前も亦(また)法華経と相成る。
して、本門の謂れを知らぬとなれば、本門も亦(また)迹門と成る。
して、本門の謂れを知るならば、迹門即(すなわ)ち本門と成る

尚、以降も続くが、オマエらは本迹一致を標榜しておるから、ここまでとしよう。

さて、法華経の二十八品。其の本迹は十四品に分かれる。

して、オマエら一致派の根旨は「本迹異なりと雖(いえど)も不思議一なり」という玄義の説を
用いての事であろう。つまりは「本迹未分」「実相一体」を主とするものである。
つまりは、オマエらが誇らしげに紹介した行学院日朝(身延11世)の弁、即ち「首題の内証は本迹未分の
法体也という処(ところ)を堅く心得る可き也、されば当流には本迹をば説の浅深と約束し給へり」という
弁をして主張しているのであろう。

しかしである。

迹門と本門とは、単に説の浅深のみならず、そこには勝劣がある。
つまりは、一念三千を例に採れば、迹門に於いて其の名は有るとも、其の義は無い。
つまり、真(まこと)の一念三千は迹門に於いては顕現されていない、という事である。

つまりは日蓮大聖人が曰く『一念三千の出処は略開三の十如実相なれども義分は本門に限る』と。【新編 466】
仍って曰く『迹門は本門の依義判文なり。但し真実の依義判文は本門に限るべし』と。【同】

はて、此の日蓮大聖人の御金言からするならば、行学日朝の言う「首題の内証は本迹未分の法体」とは、
実に「本門に限る」という、日蓮大聖人の再往義に対する反目となるではないか。

よろしいか。再往とは、究竟の義を示するものであり、一往とは、其の義をして究竟に非ずとするものである。

爾して大聖人が曰く『本迹の相違は水火・天地の違目なり。例せば爾前と法華経との違目よりも猶(なお)
相違あり』と。【新編 1236】

さても、此の義こそ、再往義の最たるものではないか。

つまり、本迹に於いては、其の再往義にして天地程の差異、つまりはそこに勝劣が在る、という事であり、
是れこそが真に本門の謂れを知るという事なのである。

して云く『本門の謂れを知らぬとなれば、本門も亦(また)迹門と成る』と。

つまりは本迹の勝劣を知らぬ者が、如何に本門の義を説こうとも、其の義は即ち迹門の義と成ってしまう、
という事である。

よろしいか。再往も開会も会入も、須らく其の上義が在ってこそ成り立つのである。

然るに、其れらをして一致とする、オマエらの其の無知こそを、当方は嘆くのである。

其れにしても何だ、

>法華経二十八品そのままで見れば、本門の方に重要性があるのは当然であり、日蓮聖人の仏法の真髄があると
>言える。

と言いながら、

>しかし、それは一応の浅はかな解釈で、本門寿量品の立場に立脚すれば、二十八品全てが平等に尊くなり、

などと言う。哀笑。

さても、日蓮聖人の仏法の真髄が一往で、其の真髄(本門寿量品)の立場からして、再往、二十八品が平等に尊い、
とは、いやはや何とも、天地逆転の妄言ではある。呆笑。

よいか。一往は名通。再往は義別である。

ったく、天月をして、水月が尊いとは、是れ応に天月を識らぬ者の言い分である。呆笑。

>確かに「月水御書」等に方便品と寿量品のみの読誦の根拠はあるが、日蓮大聖人自身は方便品と寿量品を中心に、
>提婆品、神力品、陀羅尼品などの重要性を説かれており、二十八品の読誦や書写もされていた。

呆笑。だから、方便寿量の読誦が再往義。一部読誦が一往義である。

仍って月水御書に曰く『勝れてめでたきは方便品と寿量品にて侍(はべ)り、余品は皆枝葉にて候なり』と。
爾して曰く『足代(あししろ)と申すは一切経なり。大塔とは法華経なり。(中略) 大塔をくまんがためには
足代大切なれども、大塔くみあげぬれば足代を切り落とすなり』と。【新編 1508】

よろしいか。是れ皆、悉(ことごと)く再往の義である。

さても、足代なる余品を読誦して、一体何の利徳なるや。呆笑。

然るに日蓮大聖人、究極の再往義を示して曰く、

『余経も法華経も詮なし、但南無妙法蓮華経なるべし』と。【新編 1219】

なんだ、又、真蹟なし、で逃げを打つか。小鼻笑。

ったく、さもしい連中である。哀哀哀。

次は何だ。

>この教学と法門の深さは、勝劣義の他宗門(法華宗や仏立宗や日蓮正宗)の僧俗には到底理解できないものである。

哀哀哀。おいおいおい、一往・再往の義さえ了せぬ者が何を言う。糞笑。

さては、此の者、まこと頭蓋が七つに破れておるのか。

さもありなん。嗤。

>以上、おおよそ日蓮正宗の本尊と教義の誤りを述べてきたが、両方の総本山に行ってみるといいだろう。
>富士大石寺は建物こそ広大で立派なものであるが、中身は恐ろしく貧弱な総本山である。

鼻笑。何だ。言うに事欠いて、今度は建物の悪口かいな。呆笑。

言って置くが、中身が恐ろしいのは、お主らの総本山であろう。

何故に恐ろしいか。

さても、仁王様の形相も恐ろしいが、其れよりも増して恐ろしいのは、一致派の総本山でありながら、
勝劣派顕本の本多日生の銅像が三門近くに建っている事である。嗤。

果たして、迹門宗の総本山に、勝劣派管長の銅像が建っているという、実(げ)にも恐ろしい滅裂宗。

よいか。「貧弱な総本山」とは、そーゆーオマエらの痴態を指して言うものである!

されば、顕本派祖の日什が云く『大聖の御門弟六門跡、並びに天目等の門流、皆方軌弘法共に大聖の化儀に
背く処に依って同心せざる処也』と。【日什門徒等可存知事】

さても、背いている、と日什に言われておるに、其の出処の管長を銅像にするとは、一体、オマエらの脳髄は
どーなっておるのか。呆哀。反駁あるならば申してみよ!

>(富士大石寺には)日蓮聖人ゆかりの御本尊や御遺文、御遺品などがほとんど無い。
>それに比べて身延山久遠寺は、日蓮聖人の御廟があり、御本尊や御遺文、御遺品などもたくさん所蔵している。
>どちらが正統な教団であるか、一目瞭然である。
>日蓮正宗は単なるインチキなカルト教団である。

呆哀。先ず以ってインチキなのは、本迹ゴチャゴチャのお主らである!
上記の文句など言う暇があったら、本多日生の銅像を何とかしなさい!

尚、御廟は信仰の基と成らず、真筆御書の所蔵に於いては、大石寺が32書、久遠寺は1書。
写本に於ては、大石寺が47書、久遠寺が4書である。
ったく、事の数を誤魔化すものではないぞ! よろしいか!

>南無久遠実成本師釈迦牟尼仏 南無平等大慧一乗妙法蓮華経 南無本化上行高祖日蓮大菩薩 南無妙法蓮華経

さて、此の呪文が最後の破折となる。

しっかと読みなさい。

日蓮大聖人に曰く『日蓮は日本国の諸人に主師父母なり』と。【新編 577】
重ねて曰く『日蓮は日本国の人々の父母ぞかし、主君ぞかし、明師ぞかし』と。【新編 830】

実に是れこそは、仏の三徳を御自ら顕示されたものである。

仍って曰く『仏法必ず東土の日本より出づべきなり、(中略) 当に知るべし、仏の如き聖人生まれたまわんか』と。
                                         【新編 678】

果たして、仏が御誕生の時は五色の光気四方に遍き、仏御入滅の時には十二の白虹南北に亘ったという。
爾して日蓮大聖人、或は大地震、或は天変、宛(あたか)も仏が生滅の如く、近年に於いて勃発せるという。
爾して日蓮大聖人、其の瑞相を以って曰く『当に知るべし、仏が如き聖人生まれたまわんか、滅したまわんか』と。
                                           【同上】

言うまでも無い。実に是れこそは、元初本因凡夫僧の本仏たるを、御自ら示唆されたものである。

爾して高祖大聖、御生誕の時、砂浜から清水が湧き出で、庭の池に蓮華が咲き、浦に於いて鯛が群れを為し、
御入滅の時に於いては、即座に大地が震動したという。

当に符合とは此の事ではないか。

由って曰く、

【南無本因妙の教主・一身即三身・三身即一身・三世常恒の御利益・主師親三徳大慈大悲宗祖日蓮大聖人】と。

よろしいか。日蓮大聖人の本地は菩薩ではない。

真(まこと)【南無妙法蓮華経日蓮】たる本因の仏である。

尚、此れより先は、本迹の領域を超えるものであるから、先ず以って身延の門人が本迹の違目を領解した後に、
其れらを述べる事にしよう。

以上である。
 

ヘンリーの阿呆へ

 投稿者:管理人  投稿日:2016年10月20日(木)11時56分31秒 i121-116-155-118.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  なんだ。又、木蔭から唾を吐きよるか。小鼻笑。

オマエ、何度言ったら解かるのか。

所属を宣べよ、所属を。

さすれば相手になってやろうと、何度も言っているだろう。

小笑。

其れにしても、粗末な反論であるよな。

つまみ食いもいい加減に致せよ。小腹笑。

しかしなんだ。

『ドケン』とは、まさか大阪機動隊の『ドミン』の其れであるのか。呆哀。

なぁ、オマエ。

それは良くないぞ。

『土建』も立派な職業である。

よいか。『ドケン(土建)』とは、其の職を指すものであって、非難中傷に使うものではない。

中傷しようとするならば、中傷語を用いてやりなさい。

其れこそは、馬鹿か阿呆かゴキブリか。其れで結構。


尚、オマエの投稿については、其の全てが消毒の対象となっておるから、見つけ次第に削除する。
して、どうしても当方と対したいと言うのであれば、当室の規則をしっかりと守って投稿しなさい。

よろしいか。
 

阿呆な身延の戯れ言を叩く (四)  【再稿】

 投稿者:管理人  投稿日:2016年10月18日(火)13時42分58秒 i121-116-155-118.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  さて今回は、以下の疑難である。

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④偽御書が多い

正宗の御書は自分達を正当化する為に意図的に編集してあって、「日蓮一期弘法付属書」「二箇相承」
「本因妙抄」「百六箇抄」など、偽御書である。

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哀笑。しかしなんだ。どれもこれも使い古した文句であるよな。呆笑。

本より、五老門下にとって、どれもこれもが都合の悪いものであるから、日蓮大聖人の直筆が残っていないとの
理由を以って、愚駄愚駄と文句を垂れているのであろう。しかし、何度も云う様に、直筆が残っていないという事と、
そこに示されている内容が偽である、という事は、須らく比例するものではない。つまり、直筆が残っていなくとも、
そこに示されている内容が正義であるならば、其の書は偽(いつわ)りの書ではなく、あくまでも正文として扱われる
という事である。

而して、そこに示されている内容が、事実正義であるのか、其れとも偽義邪義であるのか、実に其の判定にこそが
重要なのであって、当にそこにこそ伝持されている門流の教義が係わってくるのである。又、其れこそが日興門下と
五老門下の対峙とも成るのである。

尚、其れらの判釈に於いて、無信仰・不信心の学者らが色々と理屈を捏ね回しておるが、抑も、そういう連中には
仏法義の理解などは無いのであるから、そこに示されている内容について、正義だ邪義だ、と判定する智量などは
初手からして持ち合せていないという事になる。とまれ、精々頑張ろうとも、直筆か写本か新本か、という分類作業に
止(とど)まるが、これら無信仰学者の限界とも言えよう。哀笑。

さて、身延の門人。

「日蓮一期弘法付属書」「二箇相承」「本因妙抄」「百六箇抄」などは、皆偽りの書であり、其れらの諸文を
御書に載せるは、是れ全く日蓮正宗が、己(おのれ)を正当化する為の意図的編集の其れである、と云う。

哀笑。

なぁ、オマエ。

其の『意図的な編集』との言い様は、日蓮大聖人の直筆でないものを掲載している、との意味であるのか。
其れとも、示されている内容がデタラメである、という意味であるのか。本より、本人の直筆ではないとの
理由で文句を垂れているならば、もう其の時点で却下となる。何度も云うが、直筆の有る無しと、そこに示されて
いる内容の真偽正邪とは別であり、又、其れら直筆の有無を以て、本人による執筆の事実が否定されるものでもない。
要はそこに示されている内容教義が正義であるのか邪義であるのか、実に其の視点こそが重要なのであり、又、
そこにこそ相伝の真価が発揮されるのである。言うまでも無いが、其れらの判釈に無信仰の学者が入る余地などは無い。
つまりは五老門下の教義が正しいのか、其れとも、我ら富士門の教義が正しいのか、其れこそ、其々の門流が堅持して
いる伝法教義によって、其れらの判定が為されるのである。宜しいか。直筆の有無は、法門教義からして絶対ではない
のである。そこの所を、オマエら身延は能く能く理解しなさい。

哀笑。其れにしても何だ。

「日蓮一期弘法付属書」「二箇相承」とはどういう事だ。哀笑。

つまりは「三箇相承」という事か。小笑。

身延の門人よ。もし間違いであるならば、即刻に訂正致せ。観ていて余りにも恥ずかしい。哀。


では参ろう。

先ずは「二箇相承」である。

本より、此の二箇相承の御直筆は残されていない。

尚、房山日我(保田妙本寺14代)によれば、天正9年(1581)西山13代の日春が、重須10代の日殿から二箇相承を
含む重宝を強奪し、其れらの重宝は全て、諏訪四朗勝頼(武田勝頼)が支配する甲府に持ち去られたるも、其の後、
織田信長の来襲によって、二箇相承は紛失したという。まぁ、其の後の成り行きはなどは皆存知の如くであるが、
果たして其の後、家康の手に渡った二箇相承が、其の儘、久能山に持ち去られたとか、或は又、身延傘下の北山が
真筆を隠し持っているとか、色々と耳には入って来るが、どれとても確証はない。本より、西山によって強奪される
以前の二箇相承が、果たして真筆であったのかどうか。して観れば、当宗14世の日主上人が、其の強奪される以前に
於いて、二箇相承を写されたとある。しかも、要法寺19代の日辰が、重須8代の日耀に正本臨写せしめたとする
其の二箇相承の臨写と同じく、日主上人の写しにも「身延山」ではなく「身遠山」と記されている由。
果たして、そうであるならば、真筆自体が「遠」となっておったのか、其れとも日耀の誤写によるものか。まぁ、
其れ以上の空想は、文献学者の仕事と成るから、是れ以上は申すまいが、何れにしても、二箇相承に記(しる)されて
いる内容こそは、須らく正義であり、又、事実、其の様に成っているのである。

爾して、日亨上人は日辰の臨写本をして『もっていささか(御正本の)二箇相承を偲ぶに足る』と仰せになる。
尚、聖教文庫発行の興詳伝下180ページにある『惜しいかな、正本は天文九年に紛失す』の「天文九年」は、
恐らく「天正九年」の誤りであろう。

ついては補足だが、二箇相承の「身延山付属書」には『白蓮阿闍梨日興に相承す。身延山久遠寺の別当たるべきなり』
とあるが『白蓮阿闍梨日興』と明記されているのは、当書の外には宗祖御遷化記録(正本・西山本門寺蔵)のみであり、
其れこそ『身延山久遠寺』などという寺号は、オマエらが大好きな直筆文献のみならず、全ての御書に於いて其れらの
寺号は明記されていないのである。となれば「身延山久遠寺」という寺号こそは、オマエらが忌み嫌う二箇相承に於て
初めて記(しる)された寺号という事になる。

さても、其れらの初見を以って作者の偽造とするか、其れとも、日蓮大聖人の明記とするか、其れこそ、身延山久遠寺の
HPにある『弘安四年(1281)11月24日には旧庵を廃して本格的な堂宇を建築し、日蓮聖人自ら「身延山妙法華院久遠寺」
と命名された』という記事は、一体何処(どこ)の文献から持ち出したものなのか。よいか。其の事を明示しなければ
「身延山久遠寺」という寺号こそは、実に二箇相承の身延山付属書から持って来た、という事になるのである。
そうであろうが、一致派よ。哀。

猶(なお)云うが、二箇相承の信憑性については、日興上人の弟子である、大石寺談所の重須学頭日順師が、
「摧邪立正抄」に於いて『日興上人に授くる遺札には白蓮阿闍梨と云々』と記(しる)されて、是れまったく、
「白蓮阿闍梨日興」と銘記さる二箇相承(日蓮一期弘法付属書・身延山付属書)を拝覧した証拠であると、
当方は此に於いて確信するものである。本より、其の根拠と成るものは「日興上人に授くる」との文言に於いて、
実に其れこそは、御遷化の記録書を指すものではなく、当に日興上人に授けられた血脈相承書を以て「授くる遺札」と
表記されたという事である。さても「日興一筆也」「仍って、御遺言に任せて記す所、件の如し」という日興上人
御自身の文記をして『日興上人に授かる遺札』とは是れ如何に。されば、日順師が述べられている『遺札』とは、
是れ即ち二箇相承の事を指している、という事が、此に於いて歴然と成るのである。

とまれ、二箇相承は日順師の時代には既に在った、という事であり、其の内容の事実は、須らく『日蓮聖人の法門は
日興上人に紹継し』という日順師の記述を以って裏付けられるものである。
尚、余談ではあるが、当文以下の「紹継の法体は日澄和尚類聚す」とは、則ち日興上人に紹継された大聖人の法体を、
先代の学頭である寂仙房日澄(新六・富木常忍子息・六老日頂弟)が、26年前に類聚した、つまり、日興上人が紹継
された相伝書等の重文を日澄が預かり、其れを種々分類して集成した、という意であり、決して寂仙房が日興上人から
唯授一人の付法を享けられた、という意味ではない。其(そ)はあくまでも類聚相承という事である。

して現在、日興上人が離れた身延山久遠寺は、日向已来の本迹一致の邪義を大いに紹継し、其の順世迎合の受体を以て、
案の如く謗法義を撒き散らかし、宗祖大聖の御真意を踏みにじっているのである。

よいか。実に其の実態こそが、二箇相承の正義が示されている反面の証拠と成るのである!!

さても、民部日向の末裔よ。

そして、謗山身延の碌を食(は)む文献亡者の学者共よ。哀哀哀。

よいか。オマエらが先ずやるべき事は、本迹一致の邪義たるを勉学する事である。

よいか。本迹に迷っているオマエらに、種勝脱劣の大義など解かろう筈も無い。

だからこそ、オマエらは本因妙抄の深義に驚き、百六箇抄の奥義に嫉妬するのである。

ったく、途中の人師がどーのこーの、と言いながら、否、一致派の分際でありながら、日春や日我や日辰の文言を
引っ張り出しては、あれやこれやと文句する、そういうオマエらの滅裂な思動こそ、実に節操のない本尊義の体現であり、
当に諸宗本尊に迷えり、を地で行く謗法態の其れなのである。呆哀。

さても、そんなオマエらが、其の示さる深義に驚愕する本因妙抄。

果たして、一致派のオマエらが、どんなにアタマを捻くり回そうとも、法華本門宗血脈抄事の深義など、
到底理解し得ないであろう。哀哀。

本より、本抄に於いても、其の直筆の有無に於いて正邪の判定など出来るものではない。
要は、そこに示される法義が、我ら門徒にとって正義であるか邪義であるか、という判釈の如何こそが
重要となるのである。とまれ、直筆の有無を探究する作業などは、其れこそ学者に任せておけばヨロシイ。哀
而して、教義に関して口を挟むなどは、学者の分際で為すものではない。
よろしいか。此のセリフ、何度も言わせるものではないぞ。

されば、本因妙抄の二十四番勝劣に曰く『彼は応仏昇進の自受用報身の一念三千・一心三観、此は久遠元初の
自受用報身無作本有の妙法を直ちに唱う』と。

享けて、重須日順師が曰く『此れは久遠元初の自受用報身・無作本有の妙法を直ちに唱ふ者・無作本有の妙法は
法の中に最上甚深の秘法なり。(中略) 久遠元初自受用報身とは本行菩薩道の本因妙の日蓮大聖人を久遠元初の
自受用身と取り定め申すべきなり』と。

爾して曰く『我が朝は本仏の所住なるべき故に本朝と申し・月氏震旦に勝れたり』と。
重ねて曰く『然ルに天竺の仏は迹仏なり、今日本国に顕れ玉うべき釈迦は本仏なり』と。

仍って日寛上人が曰く『本因妙の教主釈尊とはこれ蓮祖聖人の御事なり』と。
仍って曰く『前に明かす所の本尊の為体、一毫も動かず、全くこれ久遠元初の自受用身の当体の相貌なり』と。

つまりは、久遠元初の一法、是れ南無妙法蓮華経仏の当体にして、凡夫本因の覚知する所の妙法。
其(そ)は即ち、人法体一の深法にして、其の具現する処、須らく日蓮大聖人の御心體に直伝さる。
本より其の直伝、法界より為る。即ち是れ、法界即日蓮・日蓮即法界の深義にして、本尊の為体、
是れ全く久遠元初の自受用身の当体と成る。仍って其の御相貌【南無妙法蓮華経日蓮】の御首題と
して顕わる。然るに五老門、其の大義を知らず、唯、我が興門正統のみ、其の大義の淵源を知る。

仍って日蓮大聖人が曰く『此の経は相伝に有らざれば知り難し』と云々。

本より「此の経」とは法華経なり。

爾して大聖人が曰く『法華経を以て本尊とするなり』と。

よろしいか。則ち、宗教の根本たる本尊義こそは、相伝によって伝持される、という事である。
則ち、其の伝える相手によって、其の正伝が相成る、という事であり、其れが無くば、到底、
知り得ない本尊義と成るのである。

尚、本因妙抄の存在に於いては、重須日順師の「本因妙抄口決」があり、其の末文には
『抑も此の血脈は高祖聖人・弘安五年十月十一日の御記文。唯授一人の一人は日興上人にて御座候』
とある事からして、本因妙抄は間違いなく、日蓮大聖人よりの御法門であると此に確信するものである。
又、本抄加文に於ては、産湯相承書、御本尊七箇之相承、教化弘経七箇之口決の三書が明記されており、
日順師も亦(また)、其れら三書を以って『別紙の如し』と明記されている由。つまりは、此ら三書に於ても、
富士門の上古から存在していた、という事になるのである。

尚、当山に於いては、第六世の日時上人や、日寛上人による写本なども有るが、其れを以って身延の
似而非(えせ)学者、取分け、執行海秀などは、それこそは日時上人が本因妙抄を偽作したやも知れない、などと、
阿呆な空想を巡らせて、其の邪智ぶりを発揮していた様ではあるが、そんなものは論外であり、語るに足らない
痴論である。

又、本因妙抄の日付「弘安五年十月十一日」を以って、日蓮大聖人が御入滅の二日前に、本因妙抄の長文執筆など
出来よう筈も無い、などと言っている者も居る様だが、是れこそは莫迦阿呆間抜の骨頂であって、抑も長文なる
御述作などは、推敲し日を重ねて記述するものであり、其の記述の完成を以って公けの日付と為すものである。
又、其の道理こそは、戒壇の大御本尊の御建立にも通じるのであり、抑も、十月十二日の一日のみを以って御建立
されたものではない。

呆笑。そんな事も解からずに「本因妙抄の書かれた日が、弘安5年10月11日となっている。しかし、日蓮が死ぬ
2日前頃は、相当体力が弱っていた筈である。筆を持つ力はすでに無かった筈であり偽書である」などと莫迦な事を言う。呆哀。
しかも「日蓮が死ぬ」などと。

オマエ大丈夫か? そのアタマ。大呆哀。

尚云うが、此の当方の記述も、今日の何時何分に全て書き上げたものではない。してもし、其れを紙上に書くとなれば、
本日の投稿の其れまでに、或る所は書き直し、又或る所は棒線をして取り消し、又或る所では横に小文字を付記して、
其れこそは、丸っきりの下書きと成っていよう。して、オマエら文献莫迦の者共は、その様な下書きを見ては、偽書だ
偽作だと騒ぐのであろうが、さに非ず。其れこそは、本因妙抄の日付が如くに、其れまでの推敲清書の作業であった、
という事を、オマエらは識(し)るべきである。さすれば、本因妙抄の日付も、大御本尊の日付も得心出来ようて。

尚、日亨上人は、日順師の著書について、

『本因妙抄ロ決などを要法寺あたりでは、偽書だなんていっている。それに、文體が他の物と違うですからね。
(中略) 文體がほかの三位日順の修正された文章にくらべてみると、ほとんど似つかない拙文です。それで、
これを偽書だというのです。けれど、その、ほかに日安の寫した古いものによってみるというと、同し種類の
日順のものがあったのです。ですから拙文だからといって偽書ではありません』

と断言されている。【堀上人に富士宗門史を聞く】より。

尚、補足であるが、口決文の「日蓮宗」という表記については、文中「天台宗」の対峙語として解釈出来るものであり、
決して、現今日蓮宗の様な団体名をして述べたものではない。其(そ)はあくまでも日蓮大聖人の法義を持する宗(むね)を
以って「日蓮宗」と表記したものであると、当方は領解するものである。

さて次は、百六箇抄である。

先ずは拝するに、此の百六箇抄。まこと奥義にして甚深なる御抄である。
本より、そこに示された正伝は、凡(およ)そ御義口伝に勝るとも劣らない深義である。

曰く『久遠名字の時受くる所の妙法は本、上行等は迹なり。久遠元初の結要付属と日蓮が今日寿量付属とは同意なり』と。
又曰く『本因妙を本とし、今日寿量の脱益を迹とするなり。久遠の釈尊の修行と、今日蓮が修行とは介爾(けに)計りも
違はざる勝劣なり』と。

当に、元初本因凡夫僧に於ける御本仏の妙体を示された、まこと甚深なる法義である。

哀哀。本より、日向門下の末流に解かろう筈も無いわ。哀哀。

何? 日蓮大聖人がそんな事を言われる筈がない、とな。呆呆。

小笑。なんで其れが解かる。さても、オマエらが理解し得ないから、其の様な事を言っているのであろう!

本より、オマエらなどは彼の日向の血を引く連中である。唯、驚いて、そんな事など在るものかと、口角に泡を飛ばして
文句を言い、山積みの古本を読み漁(あさ)っては、重箱の隅を突(つつ)かんとするのであろう。鼻笑。

尚、百六箇抄は日尊に相伝されたものだ、などという輩も居るが、さて、其の日尊は、一体誰から百六箇抄を
受けられたのだ。小笑。まさか、我が富士大石寺の御開山様ではあるまいな。小笑。
して、もし御開山である、と云うならば、百六箇抄こそ、我が正統・富士門流よりの相伝書である。事実、
そうであるからこそ、我が富士大石寺に於いて心読するのである。尚、百六箇抄は要法寺の相伝書だ、という其の
百六箇抄をして、オマエらが其の「要法寺の出身だ!」と小口を尖らす、当の日精上人が、

『正和元年十月十三日に両巻の血脈抄を以て日尊に相伝し給ふ、此の書の相承に判摂名字の相承、形名種脱の相承あり、
日目、日代、日順、日尊の外漫には相伝し給はざる秘法なり』

と記述して、要法寺開基の日尊のみならず、日目上人、そして、重須の日順師、加えて西山開基の日代までも、
本因妙抄や百六箇抄が相伝されている旨、示されているのである。言うまでも無い。日尊は富士大石寺の出身にして
日目上人の弟子であろう。そうとなれば、上記の内容こそは、応に信憑性のある内容と成るではないか。

尚、要法寺日辰と西山日春との問答(辰春問答)に於いて、

『興上本因妙抄百六ケ両巻の血脈を以って日尊に付属すと云うこと西山重須大石諍ひなし』

との記述があるが、抑も是れは両巻血脈抄が大石寺の相伝義ではないから、日尊に対する付属について争い(異論)なし、
という意ではなく、本より、日目上人に於て両巻血脈抄の大義は既に日興上人から相伝されておるから、其の日目上人の
弟子である日尊に両巻血脈抄が改めて相伝されようとも、唯授一人の其れではないから、別段、我らからして異論などは
ない、という事である。而して、其の様には絶対に読めないと言うならば、此の論証が間違いであるという決定的な証拠
を出して貰おうか。さても、両巻血脈を以って日興上人から日尊に付属とは、一体何の付属であるか。
其れよりも何よりも、本因妙抄と百六箇抄、共に日興上人から付属された、とは、つまりは、この両巻血脈抄が
抑も日興上人からの相伝書である、という証左ではないか。つまり、日興上人からの相伝書となれば、其(そ)は則ち、
日蓮大聖人からの相伝であり、其は即ち我が富士大石寺の相伝義とも相成るのである。そうであろう、身延よ。

百六箇抄の本文に曰く『三箇の秘法建立の勝地は富士山本門寺の本堂なり』と。

さても五老僧が云く「此の本門寺に於ては、先師何(いずれの国何れの所とも之を定め置かれず」と。
受けて日興上人が曰く『凡(およ)そ勝地を撰んで伽藍を建立するは仏法の通例なり。然れば駿河富士山は是れ日本第一の
名山なり。最も此の砌(みぎり)に於て本門寺を建立すべき由』と。

爾して上記、五人所破抄に於ける『建立の勝地は富士山』との日興上人の御意こそは、果たして百六箇抄の一文を
享けてのものか。其れとも、日興上人の御意を享けてのものか。本より此の共通文は、我らが富士門の定義である。
然るに日亨上人、次のように断言さる。

曰く『大聖人の意によって日興上人が筆せられたるもの。百六箇抄・本因妙抄』也と。

何? そんな直筆などは何処(どこ)にも無い、だと?

大呆哀。だから、法義の真偽正邪は直筆のみによって左右されない、と何度も言っているだろう。

よいか。大事な事は、上古の法義がどの様に相伝されているのか、どの様に定義されているのか、という事であり、
事実、我が富士大石寺こそが、日興上人の御遺義に則して、其れを全うしているのである。本より、其の実行こそは、
歴代上人による血脈相伝に依って成り立つのであり、だからこそ日蓮大聖人は『相伝に有らざれば知り難い』と宣べ
られたのである。よいか。相伝とは直筆のみを以って成り立つものではない。だからこその口伝口決であり、だから
こその師資相承である。ったく、其の様な道理を弁えずして、否、其の様な道理さえ理解出来ずして、一体何の文句で
あるのか。ったく、オマエら文献莫迦の理屈を採用するとなれば、彼の法華経さえも偽経と成るではないか。
そうであろう身延よ。


大呆哀。其れにしても哀れよのぉ…。

応に無慙とはオマエらの事である!

よいか!

オマエらこそは、甚深なる両抄に文句する前に、木釼(和風カスタネット)修法の正義を仙寿院日閑の言葉で
説明してみせよ! 加えて、中山法華経寺の日久が、身延において積善坊流の相伝を受け,これを基に中山に
遠寿院流の祈祷法を確立した事について、其の正義たるを、オマエらの大好きな真蹟御書で証明致せ!
加えて、七面明神説を唱えた貫首日唱が、除歴された上に投獄され毒殺された、という事を、七面明神の正義から
説明してみせよ! 無論、これとて、オマエらが大好きな真蹟御書からの説明である!
加えて一つ! オマエらが各寺院で行っている「九識霊断法」なる呪(まじな)いについて、其の正法正義たるを
日蓮大聖人の御金言から証明致せ!

よろしいか!

批判だけなら馬鹿でも出来る!

其の事をよ~く覚えて置きなさい!


さて、次回が最終となる。

阿呆な身延の門人が云く、

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⑤法華経の方便品、寿量品のみの読誦と本勝迹劣の誤り

確かに「月水御書」等に方便品と寿量品のみの読誦の根拠はあるが、日蓮大聖人自身は方便品と寿量品を中心に、
提婆品、神力品、陀羅尼品などの重要性を説かれており、二十八品の読誦や書写もされていた。更に本迹一致は
身延門流のみだが、本勝迹劣は浅はかな幼稚な解釈で、法華経二十八品そのままで見れば、本門の方に重要性が
あるのは当然であり、日蓮聖人の仏法の真髄があると言える。しかし、それは一応の浅はかな解釈で、本門寿量品の
立場に立脚すれば、二十八品全てが平等に尊くなり、その一致派教学を確立されたのが、行学院日朝上人や心性院
日遠上人などの日蓮宗の高僧方である。この教学と法門の深さは、勝劣義の他宗門(法華宗や仏立宗や日蓮正宗)の
僧俗には到底理解できないものである。この様な理由で、日蓮宗では二十八品読誦をするのである。

以上、おおよそ日蓮正宗の本尊と教義の誤りを述べてきたが、両方の総本山に行ってみるといいだろう。
富士大石寺は建物こそ広大で立派なものであるが、中身は恐ろしく貧弱な総本山である。日蓮聖人ゆかりの
御本尊や御遺文、御遺品などがほとんど無い。それに比べて身延山久遠寺は、日蓮聖人の御廟があり、
御本尊や御遺文、御遺品などもたくさん所蔵している。どちらが正統な教団であるか、一目瞭然である。
日蓮正宗は単なるインチキなカルト教団である。

南無久遠実成本師釈迦牟尼仏 南無平等大慧一乗妙法蓮華経 南無本化上行高祖日蓮大菩薩 南無妙法蓮華経

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哀笑。

次回も若干の重複と相成るが、須らく上記の駄文を破す事にしよう。
 

阿呆な身延の戯れ言を叩く (三)  【再稿】

 投稿者:管理人  投稿日:2016年10月16日(日)17時22分51秒 i121-116-155-118.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  さて、前回は、日有上人が戒壇の大御本尊を創作したという、其の難癖がましい痴弁に対して呵責致したが、
抑も、日有上人が、いつ戒壇の大御本尊なるものを創作したのか。其の年月日も言えぬ癖して、適当な事を
言うものではない。第一、其の創作したという板本尊が、何故に弘安二年十月十二日の建立となっておるのか。
何故、其の日をして選んだのか。爾して「弘安」。なんだ、まさか、聖人御難事を観ての事か、将又、
大石寺譲状を観ての事か。猶言って置くが、聖人御難事にも大石寺譲状にも【十月十二日】とは記されてはいない。
加えて、三師伝にある【大聖人御感有て日興上人と御本尊遊ばす】の記述に於ても、十二日という日付は入ってはいない。

其れとも何か。御自らが法主を務める富士大石寺の創建日が、十月十二日であったから、其の日付を撰んで書き入れた
とでも云うのか。いや、其れを云うならば、何故、富士大石寺の創建が十月十二日であるのか。
オマエらは其れらの事を須らく論証しなければならない。

よいか身延よ。

日頃から文献を弄(いじく)り、其れこそ、日付がどーの、背景がどーの、と妄想を捻くり出して文句するのもよいが、
上記の論証に加え、我が富士大石寺の創建日が、実に戒壇の大御本尊に刻された日付に則して決定された、という
其の可能性についても、全面的且つ完璧に否定出来得る証拠を持参してこそ、オマエらの妄想癖が此に於いて多少は
救われるというものである。

オマエらには勿体ないが、此に若干述べよう。

よいか聞け。

さても何故に、日蓮大聖人の御入滅日が、十月十三日であったのか。爾して彼の天台智者大師は、其の本懐たる
摩訶止観を説いた後、其の四年後に入滅された。爾して、日蓮大聖人も弘安二年の本懐宣言より四年後に於いて
御入滅されたのである。更に云う。本門戒壇の大御本尊は十月十二日。爾して、伊豆の御配流も十二日、そして
発迹顕本・竜ノ口の法難も十二日、加えて十二日は、大聖人が御入滅された日の前日にも当たる。さても此の不思議。
実に日興上人が譲状にて仰せらる【弘安二年の大御本尊】こそが、其の思惟及ばざる所の不可思議境、つまりは、
日蓮大聖人の大本懐たる大曼荼羅御本尊ではないか。実に、日有上人の御登座から遡(さかのぼ)る事、百四十年。
将来の大戒壇に御安置されるべき大本懐の御本尊は、厳然と富士大石寺に在られたのである。尚、重須の開堂は
二月十五日。是れこそも日蓮大聖人御生誕日の前日に当たらる。さても是れこそは滅不滅義の御深意であるか。
実(げ)に是れらの証事は、オマエら小識学者の測る所に非ず。其の全てが大因縁の妙義である、という事を、
此に於いて識(し)るべきなのである。

よいか。日有上人が戒壇の大御本尊を創作したなど、其れこそが馬鹿の発想である、という事を、オマエらは
能く能く其の肝に銘じなさい。事の道理を見極めてこそ、真(まこと)の証拠(あかし)が視えて来る、というものである。

弘長配流十二日。発迹顕本十二日。戒壇ノ本尊十二日。そして、大石寺ノ開創十二日。皆々之を思うべし。

では本題と参ろう。

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③日興上人への血脈相承と身延離山の嘘

日蓮聖人が日興上人に血脈相承をしたという事はあり得ない。日興上人が優れた方であったのは事実だが、
日蓮聖人は六老僧を全て平等に見ておられ、日興上人は日向上人や波木井実長と対立して身延山を下山した
だけで、決別を意味する離山ではない。これには多くの証拠がある。日蓮宗では六老僧を全て平等に敬っている。
日蓮大聖人は「波木井殿御書」の中で、「日蓮が弟子、檀那等はこの山(身延山)を本として参るべし」
と言われている。正宗の御書には載っていない(都合が悪いから)。

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鼻笑。又しても、そういう戯れ言か。鼻笑。

>日蓮聖人が日興上人に血脈相承をしたという事はあり得ない。

鼻笑。いーや、有り得るだろう。

釈迦は迦葉。
天台は章安
伝教は義真。

皆、付法は一人である。

仍って本因妙抄の加文に曰く『彼の天台大師には三千人の弟子有りて章安一人朗然たり。伝教大師は三千人の衆徒を置く、
義真已後は其れ無きが如し。今以て是くの如し』と。

して五人所破抄に曰く『伝え聞く天台大師に三千余の弟子有り、章安朗然として独り之を達す、伝教大師は三千の衆徒を
安(お)く義真以後は其れ無きが如し』と。

さても、両抄の文面が類似するは、此れは是れ、五人所破抄の作者が重須日順師ともなれば、上記本因妙抄の加文こそは、
応に日順師のものと推察も出来ようが、まぁ、其れ以上の空想は、一部の莫迦を含む文献愛好家の仕事作業であるから、
信仰者である当方は、其れ以上の筋書きなどは敢えて書くまい。鼻笑。

して、其の日順師が云う。

『日興上人は・是れ日蓮聖人の付処・本門所伝の導師なり、稟承五人に超へ・紹継章安に並ぶ』と。

つまり、仏法の相伝に於いては、唯授一人に於ける血脈相承、師資相承というものが厳然と在る、という事であり、
其(そ)は、伝持する法義が甚深であれば在るほど必須である、という事である。

又、其の義が在るからこそ日順師は『師資相承未聞の私案自門一人の外・口外すべからず密議なり』
と仰せられたのである。いや、其れよりも何よりも、日興上人の筆受たる御義口伝に於いて、

『唯授一人の相承なり、口外すべからず』との御文が在れば、最早、唯授一人に於ける血脈相承は、正に富士門流に
在って然るべき法義と云うべきであろう。

とまれ、身延が主張する「六人同時相承」など有ろう筈も無く、其の証拠など、日興上人と五老僧との相違を観れば、
火を見るより炳(あきら)かと成るのである。而して本弟子に於ける六老僧の制定は、あくまで其々の教線に於ける主師の
制定であり、法義法門に於ける均等相承ではない、という事である。

尚、御遷化記録に於ける不次第などは、あくまでも入門の順に対して其の列記を不次第とするものであり、全員相承の
証文と成るものではない。其れよりも何よりも『日興一筆也』との、応に其の一筆にこそ注目すべきであって、実(げ)に
其れこそが、入門不次第に於ける筆頭の明証とも成るのである。

然るに五老僧が申さく『本尊に於ては釈迦如来を崇め奉るべし』と。
爾して日興上人が曰く『聖人御立ての法門に於ては全く絵像木像の仏菩薩を以て本尊と為さず』と。

果たして、此の相違は一体何であるのか。さても均等相承であるならば、此の様な雲泥の相違など有ろう筈もない。
言える事は唯(ただ)一つ。日興上人こそが正しく日蓮大聖人の御正意を領解されていた、という事であり、つまりは、
そこに法義の相伝が唯授一人に於いて為されていた、という事である。

つまり『日蓮一期の弘法、白蓮阿闍梨日興に之を付属す』『釈尊五十年の説法、白蓮阿闍梨日興に相承す』という
二箇相承の内容は、まこと、其の信憑性・現実性に於いて信じ切れる証文という事になるのである。
実に『日興一人本師の正義を存じて、本懐を遂げ奉り候べき仁に相当って』という日興上人の御言葉にこそは、
当に二箇の次第、日蓮日興・血脈の次第がそこには在ったという事なのである。

果たして、六老筆頭の弁阿闍梨日昭(権律師・法印)は天台宗に溶解し、六老第二の大国阿闍梨日朗は、後年重須の
日興上人を訪ねて落涙し、六老第四の佐渡公日向は、身延在の日興上人によって学頭に任ぜられ、六老第五の伊予公
日頂は、後年重須に帰郷して日興上人に信伏し、又、其の弟たる日澄も身延日向の下を去って日興上人に帰順し、
そして、六老第六の蓮華阿闍梨日持は、四十九院時代、日興上人の下にあり、後年、大聖人の本弟子と成るも、
其の後、北方に於いて行方不明となる。

さてどうであるか。なんと五老僧の内、一時の帰参も含めて、三師(日朗・日向・日頂)が、日興上人の下に於いて
其の身を振っておるではないか。しかも、残る二師(日昭・日持)は、観ての通りの行状である。

爾して、名は其の体を顕すという。されば「白蓮阿闍梨」其の御名、日随日開たる『日蓮』の二字に即せり。
仍って是れこそ、唯授一人・師弟不二の体現とも成る。実(げ)に名詮自性とは此の事をして云うものである。

宜しいか。事の事実というものは、単なる文献文字の有無によって決せられるのではなく、其の目に映りたる
実際の現証に於いても決定されるのである。オマエらは其の事を能く能く肝に銘じなさい。

さても、日蓮大聖人を大菩薩と下し、しかも、其れら寺院を統括する僧侶をして『聖人』などと浮言し、
やれ仁王様だ、やれ四天王様だと、其れこそ節句のひな壇飾りではあるまいし、其れこそ日興上人が見られたならば、
さもありなん、さもありなんと、其の異流異変の本尊式をして、改めて五一相対の淵源を再知される事であろう。
実に、其の果を知らんと欲せば、其の因を見よ、とは此の事である。

我らが中興・日寛上人が曰く『六老の次第は受戒の前後により、伝法の有無は智徳の浅深による』と。

よいか。オマエらが言う様な、六人均等相承なるものはない。在るのは、伝法第一の選定のみである。
よいか。教線は六人、伝持は一人。其の事を、能く能く覚えて置きなさい。

>日興上人が優れた方であったのは事実だが…

何? 日興上人だと? 哀怒。

おい、オマエらの坊主に中に「聖人」を名乗っている者がおろう!

なんだ、オマエら身延の有髪坊主の方が、日興上人より上であるのか!

ふざけるものではない! 何が「聖人」であるか!

増長もいい加減に致せよ! なぁ、オマエ。

ったく、富士門の御開基を『上人』と言い、燕尾帽子(もうす)の紫袈裟の坊主をして『聖人』と言う。哀怒。
よいか。オマエら五老門下は、そういう出鱈目でいい加減な習慣の淵源こそを説明しなさい。
尚、言って置くが、キツネとかヘビとか天女とか、そんなモノはもうよい。バカらしくて話にも成らん。

次!

>日興上人は日向上人や波木井実長と対立して身延山を下山しただけで、決別を意味する離山ではない。
>これには多くの証拠がある。

哀笑。決別を意味するものではない、それには証拠があるとは、さまか此の事であるか。

曰く『米の紙袋一・串柿五連しろしめして候にいつれもこれにてはめつらしさ申はかりなきものにて候。
めいめいに給候事おそれ申はかりなく候。なをなを御世間こそおもひやりまいらせて候に種種にあつかり候事
聖人の御宝前に申上まいらせて候。恐々謹言』【六郎入道殿御返事 日興筆 富士妙蓮寺所蔵】

小笑。はて、其の「六郎入道殿」は、波木井実長で間違いないか。小笑。

他にも居るぞ。六郎入道が。鼻笑。

してもし、上記の手紙が間違いなく波木井実長宛のモノとすれば、実に其れこそは、実長の子息が違背した父の
名代として御供養されて来たのを、心中其れを察した日興上人が、敢えて実長宛てに手紙を返されたのではないか。
つまりは、日興上人による子息等へのご配慮のお手紙ではないのか。さても、実長も悪いが、其れ以上に日向が悪いと、
日興上人は思われていたのやも知れん。さすれば猶(なお)の事。慈悲教導の意味に於いて、其れらの御返事を書かれた
のやも知れん。よろしいか。手紙のやり取りには、奥が在るのである。果たして、其れらの事を全て否定出来ようか。
ったく、文献莫迦よろしく文章の上っ面(うわっつら)ばかりを舐めるものではない。哀哀。

日興上人に曰く『君達は何れも正義を御存知候へば悦び入り候、殊更御渡り候へば入道殿不宣に落ちはてさせ給ひ
候はじと覚え候』と。

さても、上文こそは、実長一族に対する慈悲教導の御意を示されたるものであろう。就中(なかんずく)、
「君達は何れも正義を御存知候へば」との意は、即ち是れ、日向に対する実長本人の謗法与同、つまりは反正義の行為が
そこには有った、という事である。

よいか。「日興上人は日向上人や波木井実長と対立して身延山を下山しただけで、決別を意味する離山ではない」などの
文句は、全く浅薄な言い様であって、日興上人は、地頭と学頭の結託と其の謗法に於いて、身延を離山されたのである。
其の様な事、数ある傍証に於いて明らかではないか。しかし、離山後に於いて相手が悔悟するならば、当然に許されるで
あろう。つまりは対立でもない、決別でもない。日興上人の御選択は、其れよりも深い処(ところ)にある、という事を
我々は知らなければならない。其れを「下山しただけ」などと。呆哀。ったく、オマエらの脳髄は、狐と蛇に化かされて
いるのではないか。よいか、決別ではなく呵責である! 下山ではなく離山である! 其の事をよ~く覚えて置きなさい。

あとは何だ。まさか「弟子分本尊目録」の事か。

哀笑。其れは止めた方がよい。火傷するぞ、オマエ。鼻笑。

あとは有るか。他に証拠が有るなら、其れを出しなさい。

次。

>日蓮大聖人は「波木井殿御書」の中で、「日蓮が弟子、檀那等はこの山(身延山)を本として参るべし」
>と言われている。正宗の御書には載っていない(都合が悪いから)。

堪笑。おいおい、最後が其れであるか。小笑。

波木井殿御書。

確か其れは、お主ら日蓮宗の中に於ても偽書ではないか、と囁かれている代物(シロモノ)ではないのか。

尚、平成新編に掲載されていないのは、其れこそ「波木井殿御書」は偽書である、との判断に於いて決せられた
ものである。別に都合が悪いから外したものではない。哀笑。いや、それどころか、お主ら一致派日蓮宗にとって、
都合の悪い御書などが沢山あるのではないか。だから言っているだろう。早く釈迦牟尼世尊の仏像を本尊とすべし、
という御書を出しなさい! と。そして、一閻浮提第一の本尊こそは釈迦牟尼世尊の仏像である、という文証を出し
なさい! と。よいか。兎にも角にも、其れを早く出しなさい。

質疑に云く「何ぞ仏を本尊とせず、菩薩を以て諸仏の一の座と為るや」と。果たして此の意味、お主らに解かろうか。哀

尚、前(さき)の波木井殿御書に於ける「日蓮が弟子、檀那等はこの山(身延山)を本として参るべし」などは、
オマエが「優れたお方で日向と平等だ」と賛美した日興上人が抑も『地頭の不法ならん時は我も住まじき由、
御遺言には承り候へども不法の色も見えず候』と宣べられ、其の後、地頭の波木井実長が日向に誑かされ
「俺様の師匠は日向様だ!」との謗言を聞くに至って、日興上人は、日蓮大聖人の御遺言どおり、身延山を
離れたのである。

して、其の御遺言の主たる日蓮大聖人。身延の地に於いて、こう仰せられた。

曰く『霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立すべき者か。時を待つべきのみ』と。

さても、身延の地に在って、最勝の地を尋ねんとするは如何なる事か。

つまりは全て、日蓮大聖人は見透されていた、という事である。

本より、三世を知る仏聖人であるならば、将来に於ける戒壇建立地など、其れこそは了知されていたのである。

仍って日興上人、霊峰冨士のもとに大石寺を建立す。

曰く『凡そ勝地を撰んで伽藍を建立するは仏法の通例なり。然れば駿河富士山は是日本第一の名山なり』と。

よろしいか。御仏智の下に成るべくして成った。実に是れこそが富士大石寺なのである。

言って置くが、甲斐の身延は最勝の地ではない。

つまり、波木井殿御書の内容は、上記の事からして、空しく吹き飛んでしまう、という事である。

ところで、民部日向が造ったという仏像は、一体何処(どこ)に在るのか。

其の事、日進の文献から出して貰おうか。

してもし無いとするならば、其れは何故か。何故、日向は仏像を造らなんだ。
否、其れにも増して、何故に金箔漆の板本尊を、日興上人の去りし後に作成したのか。

呆哀。

ったく、訝(いぶか)しい身延め。

何とか言いなさい。

さて、次回は、以下の疑難を摧破する。

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④偽御書が多い

正宗の御書は自分達を正当化する為に意図的に編集してあって、「日蓮一期弘法付属書」「二箇相承」
「本因妙抄」「百六箇抄」など、偽御書である。

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阿呆な身延の戯れ言を叩く (二)  【再稿】

 投稿者:管理人  投稿日:2016年10月15日(土)22時18分19秒 i121-116-155-118.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  さて、前回は、釈迦牟尼仏が末法の本仏である、という身延の戯れ言を、日蓮大聖人御自らが顕示され諸御書から
其れらの稚言を摧破した。本より、仏の三徳を以って、御自らが其れを有するとの御明記は、須らく御自身をして
末法の仏であるとの御内意である。最早、是れ以上の示唆はあるまいて。又、其の御内意を享けられているからこそ、
日興上人は、日蓮大聖人を末法の御仏として尊崇し、其の御宝前に於いて門下僧俗の供養を披露されたのである。
言うまでも無く「御宝前」とは、仏や神の御前という意味である。

改めて申そう。日興上人が曰く『法華聖人の御宝前に申上まいらせ候』と。
爾して曰く『御状、聖人の御宝前によみ上まいらせ候ぬ』と。

仍って、日順大学頭、其の師匠の御教示を享けて申さく『我が朝は本仏の所住なるべき故に本朝と申す』と。
して曰く『久遠元初自受用報身とは本行菩薩道の本因妙の日蓮大聖人を久遠元初の自受用身と取り定め申すべきなり』と。
然るに曰く『本尊総体の日蓮聖人』と。

尚、  此に重ねて云うが、日興上人が御在の時、重須はあくまでも富士大石寺の談所であり、後の第四世・日道上人も
重須に住坊を開き、しかも、大坊には日興上人が厳然と居られたのであるから、上記の日順師の文言は、上段の表白文を
首(はじめ)として、須らく日興上人からの御教示・御指南によるものである事は、応に理在絶言である。

仍って日亨上人は、中段、日順師の本因妙口決をして偽書ではない、と断言されている。

兎も角、我らの法義に批判中傷を為す者共は『当に痛恨』と思わせる様な、其れこそ、彼の稲田女史が如くに
声詰まらせて、ベソをかいてしまう様な、そーゆー決定的な証拠を持って批判中傷して貰わねば、我ら富士門の牙城は
びくともしない、という事である。

鼻笑。まぁ、頑張りなさい。

さて今回は、以下の疑難に対する呵責である。

其の邪宗身延の門人が云く、


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②戒壇の御本尊は日有による偽作

彼らが信じてやまない戒壇の御本尊(板曼荼羅)は、日蓮大聖人の筆跡ではなく、
日有による偽作。現に日顕達が筆跡鑑定をして、偽物だと判明したらしい。
ちなみに日蓮宗では臨滅度時の御本尊など、日蓮大聖人の真筆の御本尊をたくさん所有している。

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なんだ、又、其れか。哀笑。
つまりは『大石寺誑惑顕本書』を元手にしておるという事か。呆笑。
してもし、そうであるならば、話にも成らんぞ。鼻笑。

ったく、誰が書いたか知らんが、重須日浄の悪文を列記するに、日有上人をして『中興』などと記(しる)し、
重須の寺号をして『北山本門寺』などと記すは、これ全く近代のモノであり、創価広宣か、アンチの莫迦か、
つまりは、そーゆー類(たぐい)の者が書き殴ったものである事は、其の書体と匂いで容易に判るというものである。

尚、重須の日浄については、其の正体が余り知られておらず、日浄記自体、其の信憑性が問われておるが、抑も、
所在不明の重須日浄記の内容が、近代の佞僧・玉野日志によって公開された事自体、本記の正当性には問題がある、
という事である。仍って、上古に於ける戒壇の大御本尊否定の傍証とは成り得ない。

とまれ、戒壇の大御本尊の筆跡が、日蓮大聖人のものではない、などとは、全く幼稚な物言いであって、
其れが単なる書体の変化について述べているとすれば、最早、論ずる足らない痴弁となる事をオマエらは能く能く
知るべきである。哀哀。

而して、日有上人が戒壇の大御本尊を創作した、という決定的な証拠があるならば、此に出して貰おう。
よいか、三流作家の推理よろしく、こーだろう、あーだろう、と、其れこそ痴義妄想を捏ね繰り回して
筋書きを拵(こしら)えている様では、我が針金宗の信義は、全く以って微動だにしない、という事である。

本より、御板御本尊は、日有上人のみならず、前師、日影上人も造立されている由。
否、其れより遡(さかのぼ)る事、約九十年前、彼の身延の日向が板本尊を造立しているのである。
実に是れこそ、御板の御本尊という態様が、上古から在った証左であり、実(げ)に其れこそは、日蓮大聖人が
建立せし、御板御本尊に倣って造立されたものであるという事である。
其(そ)はつまり、仏像主義の民部日向からして、御板に曼荼羅の相貌を態々(わざわざ)堀り写す発想など、
初手から持ち合せていない、という事である

よろしいか。曼荼羅の相貌を御板に初めて御彫刻されたのは、他ならぬ日蓮大聖人なのである。
本より、其の様な事は、御書には書かれていない。当然であろう。書く必要が無いから書かない。
ただ、其れだけの事である。爾して、日蓮大聖人の最終の御決着は、本門戒壇の建立に在らせられる。
又、其の未来の戒壇こそは、御自身の滅後に於いて成さんとす。
曰く『定慧は存生に之を弘め円戒は死後に之を顕す』と。

仍って其の将来の御為に、不朽の御本尊、つまりは硬質な御板に御文字を彫刻し、そこに漆金箔を施された
御板御本尊が、日蓮大聖人の御意によって初めて御建立されたのである。

さても『時を待つべきのみ』とは、日蓮大聖人の御言葉にして、我ら興門正統の刻言ではあるが、時を待つとは、
其(そ)も成就の締切を言うものではない。つまりは、其の無期限に於いて、何時の日か、必ずや達成せんとする願意に
於いて『時を待つべきのみ』と遺言されたのである。

であるならば、当に其の未来の長期に堪うるべく、頑丈な被体を鋭意選択し、そこに御自らの御魂魄を大書彫印し、
しかも、其の刻文に金箔を施すなどは、実に当然になる御用意であり、逆に其れらの対処を為さずともなれば、
其れこそ、未来戒壇に安置されるべき本尊を、日蓮大聖人は全く御用意されずに御入滅されたという事であり、
実(げ)に其れこそは『時を待つべき死後の円戒』が、此れ全く空想の一言となり、末法尽未来際に於ける本門戒壇の建立、
つまりは、そこに安置されるべき本尊を御定する事なく、日蓮大聖人は御入滅された、という事になるのである。

とまれ、オマエら身延の言い分からすれば、日蓮大聖人は、そんな用意周到な御方ではない、という事になるので
あろうが、果たして用意周到であるのか、ないのか、否、未来戒壇に安置されるべき御本尊について、日蓮大聖人は
全くの不用意であられたのか。其の様な事、三大秘法抄の御明文を拝すれば、悉(ことごと)く判る事ではないか!

今一度言おう。御本尊の御図顕に於ては、万年救護御本尊のみならず、その他すべての御本尊について、御書には
書かれていない。本より、書く必要が無いから書かない。ただ、其れだけの事である。つまりは、御本尊の御図顕
自体が其の『御文書』と成るからである。爾して、其れらの御本尊の中に在って、未来戒壇の御為に御用意された
御本尊を、時至らざる当時に於いて、其れを一々文面に顕示するなど、有り様もない事なのである。
当に唯授一人にして密附。実(げ)に是れこそが、文面に示されぬ聖因である、という事を、オマエらは能く能く識る
べきなのである。哀哀。

よいか。書かれていないからと言って、其の事実が無かったとはならないのである。
而して、書いてあるモノにしか反応出来ないのが文献学なのであり、其の狭い範疇こそが文献学の限界とも云えようが、
我々に於いては、書くべくして書く、書く可らずに於いて書かず、爾して、其の書かれざる処(ところ)に於いて、其の
深意を達観せんとするが、我ら富士門徒の概念なのである。。

よいか。

我々の思考は、文献学を超えた処(ところ)に在るのである。つまり、文上を舐める似而非学者には到底解からない、
否、解かろう筈も無い領解開悟の世界が、我ら富士門の大義には在る、という事なのである。

して、此の身延信者。あろう事か、創価広宣の河辺メモ作戦の痴行を参考にして『現に日顕達が筆跡鑑定をして、
偽物だと判明したらしい』などとほざいておるが、さても、身延信者が『日顕達』などと言うのであろうか。鼻笑。
なんだ。オマエも、自身の所属を直(ひた)隠さんとする誤魔化しの痴人であるのか。嗤。しかしなんだな。
創価学会員が身延信者に成り済まして文句しているとなれば、これ程の滑稽はなかろうて。哀笑。

小鼻笑。まぁ、よい。此の儘、身延の門人という事にして呵責を加えて参ろう。

>ちなみに日蓮宗では臨滅度時の御本尊など、日蓮大聖人の真筆の御本尊をたくさん所有している。

哀笑。何? 「ちなみに日蓮宗では」だと?

おいおい、自宗に誇りあるならば、我が日蓮宗と言いなさい!
そーは思わぬか、一致派の門人よ。哀笑。

尚、云うが、大聖人の御真筆御本尊を多く所有しているとか、していないとか、其の様な事が何の基準となるのか。
まさか、日有上人が其の所有の少なさに劣等して板本尊を偽作したとでも云うのか。哀笑。

鼻笑。大丈夫か、オマエ。

其れよりもオマエ、其の様に大聖人の真筆本尊の多数所持を自慢するならば、何故に、其れら自慢の真筆本尊を以って
其れを第一の本尊とせず、首題一塔の省略文字を以って仏像のオマケとしておるのか。オマエは其の法拠を此に述べよ!

尚、オマエらが云う臨滅度本尊も、楊枝本尊も、佐渡始顕本尊も、万年救護御本尊も、そして、我らの戒壇御本尊も、
其々の「臨滅度」「楊枝」「佐渡始顕」「戒壇本尊」という冠名については、皆、そこに示された脇書、又は其の意義
背景のもとに、日蓮大聖人の御入滅後に付けられたものであり、決して大聖人が、これは楊枝本尊で御座います。
これは万年救護御本尊で御座います。そしてこれが本門戒壇の大御本尊で御座います…などとは宣べられていないのである。
しかし、其の名付けなくば、見分けが明々とならず、其れこそは無知の者からして皆、同一の同意義本尊という事になり、
現に自分のアパートに祀ってある形木本尊こそが、戒壇の大御本尊である、などと云う狂人も出現しているのであるから、
其れらをしっかと区別する意味に於いて、諸本尊に冠名を施し尊称するのである。つまり、其々の意義に於いて御本尊は
皆同じではない、という事なのである。よいか。これは本尊義の初歩であるぞ。

因みに「大御本尊」という尊称は、大聖人の御書には一切書かれてはいない。
又、当方の知る限りに於いて、富士門の上古に於ては、日興上人の大石寺譲状(日興跡条々事)と、其の弟子である
重須日順師の本門心底抄に記されているのみである。果たして此れを特別とするか、其れとも例外とするか。
して例外とすれば、オマエらの痴考からして、其れは偽作偽造の直結と相成るのか。鼻笑。

「弘安二年の大御本尊」「未来弘通の大御本尊」 之を思え、之を思え…。小腹笑。


尚、前々からよく疑難される、樟(くすのき)の話などは、全く以って論外であり、其の様な事を未だ以って疑難する
者共こそ、池田センセーからトンカチでアタマをぶっ叩かれる連中である。おっと! 又、言ってしまったわい。糞笑。

よろしいか。弘安期に於いて、樟が甲斐南部、及び駿東地方に全く存在していなかったとは、絶対に言い切れるものでは
ない。本より、大聖人が身延の在に於いて樟を御使用されたとなれば、其の樟は既に樹齢を重ねていたという事になる。
となれば、其の樟の成長は平安期から始まっていた、という事になる。つまり、其れら樟の種子が其の当時、甲斐身延の
山中には全く存在していなかった、という事にはならず、其れこそは樟の種子が風や鳥糞に運ばれて、甲斐国の身延に
根付いた、という可能性などは誰も否定出来ないのである。

否、万歩譲って、其の様な事は絶対に無いとの証拠が今にして出ようとも、もう一つの可能性が残る、というものである。
言うまでも無い。製材された樟など、当時の流通からして容易に入手出来よう、というものである。
本より、当時は鎌倉に幕府があり、其の要所に於いて交通の便などは、至って良好と思わねばならない。
無論、必要とされる樟板の重さは、100㎏~200㎏位であろうが、其の重さであるならば、馬一頭で充分である。
いや、其れよりも何よりも、日蓮大聖人の御信徒には、大工の元締めの筋である、池上両人が居たのであるから、
其れこそ、製材の手配、職人の確保、加工の指示などは、御手の物となろう。つまり、日蓮大聖人には其れらの
人脈が大いに在った、という事である。尚、其の当時、鎌倉から京までは、徒歩で約17日かかったという。
爾して日蓮大聖人は、12日間の道のりだと仰せらる。とまれ、2週間前後で流通が叶う、という事である。
となれば、京に於ける物流も、そして、普及している技術も、須らく関東に及ぶは、これ必然と思わなければならない。

尚、弘安当時に於ける製材技術は、凡(およ)そ、丸太から板を作り出す場合、縦引きの鋸(のこぎり)は使用されず、
全て丸太に楔(くさび)を打ち込み、其れを木槌で叩いて縦割りにし、其れを手斧(ちょうな)や槍鉋(やりかんな)で
削平しているのである。爾して畏れ多い事であるが、戒壇の大御本尊の御背中は、削平されていない半丸太の儘で
在らせられる。仍って、戒壇の大御本尊は、鎌倉期に於いて御造立されたという事が、此に於いて立証されるので
ある。因みに、日有上人の時代には、大工職も組織的となり、其れは各寺院に於いても形成されたのである。
しかも、二人挽きの『大鋸(のこぎり)』が後年に於いて普及されはじめ、事実、日有上人が御健在であった永享8年、
其の大鋸で製材された額板が、近江白山神社に掲げられているのである。

仍って、戒壇の大御本尊が日有上人によって造立された、というならば、其の御板の制作は、当然、其れ以前に
京に上られていた日有上人からして、大鋸による両引きの製材でなければならないと云えよう。
より良い技術を以って新作を造る。至極当然の事であろうが。本より其れらの事は、職人の往来に於いて可能となる。
尚、もし日有上人が、敢えて御本尊を半丸太としたならば、其れには模範が在ったと言わざるを得ない。
つまり、富士大石寺に於いて、日有上人が初めて御板御本尊を造立したとはならない、という事である。

して思うに、身延が所有する日向の板本尊【正安2年(1300年)造立】も、大御本尊と同じく手斧(ちょうな)で制作された
ものであるから、其れがバレると、戒壇の大御本尊も鎌倉期の造立という事になるから、身延は其れを隠匿しているので
あろう。ましてや、其の材質が『樟』ともなれば尚更の事であろうが。鼻笑。

兎も角、我ら針金宗の信徒が、グーもスーも言えない程の、其れこそ閉口して馬上から翻筋斗(もんどり)落ちる程の、
決定的な証拠を持って疑難して貰わねば、我ら富士門の牙城はびくともしない、という事である。

よいか。今に於いて重須日浄の愚記などを採用し、又は、目に映る文面のみを追って論弁し、延いては、
三流小説宛然(さながら)の妄想文を以って批判するなどは、是れこそ文献莫迦の骨頂であり、挙句の果てに
鑑定に出してくれ、などと懇願するなどは、是れ全く邪宗学者の怠慢である、という事を、オマエら一致派の
痴れ者は能く能く知るべきである。

さて、長々と申したが、次回は以下の痴言を破す事にする。


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③日興上人への血脈相承と身延離山の嘘

日蓮聖人が日興上人に血脈相承をしたという事はあり得ない。日興上人が優れた方であったのは事実だが、
日蓮聖人は六老僧を全て平等に見ておられ、日興上人は日向上人や波木井実長と対立して身延山を下山した
だけで、決別を意味する離山ではない。これには多くの証拠がある。日蓮宗では六老僧を全て平等に敬って
いる。日蓮大聖人は「波木井殿御書」の中で、「日蓮が弟子、檀那等はこの山(身延山)を本として参るべし」
と言われている。正宗の御書には載っていない(都合が悪いから)。

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ああ、邪教人 番外

 投稿者:管理人  投稿日:2016年10月12日(水)11時50分53秒 i121-116-155-118.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  ●タンコブ原田派・くじら板創価員に詰問す。

一大秘法とは本門の本尊の事ではなく、妙法蓮華経の五字の事である、というお主らタンコブ創価の教学と、
妙法蓮華経の五字とは、即ち日蓮大聖人自筆の御本尊の事である、との日興上人の御教示と、一体どちらが
正義であるのか。加えて、妙法蓮華経とは則ち御本尊の事であるとの日興上人の御教示を以って、本門の本尊、
則ち、其れこそが一大秘法であるという日寛上人の御正釈が、お主らが言うような京都要法寺への対策教義で
あったのか。当室を閲覧しておるなら、其れらの事を須らく答えよ。よろしいか。

次。

●イタチ金ピコ派・宿坊板創価脱線員に詰問す。

日蓮大聖人よりもっと凄い人が現れる、とは一体如何なる事か。
まさか、其れこそはイタチの屁であるのか。
日蓮大聖人を御本仏と仰ぐは、これイワシの頭を信じるに同じ、と侮言した管理人宿坊の狂言も含めて、
其の正義たる法拠を此に答えてみよ。よろしいか。

ったく、お主ら両派は、みな、恩師戸田先生の大指導に逆らう、獅子身中の大蟲である!

其れ以上の痴態を晒すでない!
 

阿呆な身延の戯れ言を叩く 【再稿】

 投稿者:管理人  投稿日:2016年10月12日(水)11時08分17秒 i121-116-155-118.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  さて観れば、何処(どこ)ぞの日蓮宗の痴れ者が『日蓮正宗の本尊と教義のウソを暴く!!』と題名し、
「日蓮正宗こそが邪教であり、身延山久遠寺を総本山とする日蓮宗こそが、真の正しい日蓮教団である」
などと自慢し「日蓮正宗の邪宗である根拠を述べていく事にしよう」などと大言して、我が正統・富士門流の
法義に対し、色々と認癖をつけておる。して見れば、どれもこれも、邪教人や似而非学者や無信仰者などの
痴言の焼き増しであるが、当方として久々に此等の戯れ言を改めて摧破し、これら邪宗人の未熟さを、此に炙り
出してやろうと思う。

小笑。

しかし何だ。

今や、此の手の疑難中傷は、専(もっぱ)ら我が富士大石寺にのみ集約されて、池田創価学会などは蚊帳の外と
なっておる。哀笑。つまりは、それだけ池田創価が身延などの邪宗日蓮宗に同化した、という事であろう。
本より其の状態を例えるならば、彼の五老僧が、世間からの非難を避ける為、否、政治権力への諂いを込めて、
我こそは天台の僧である、と宣言したに等しいものであり、実に其の迎合態こそ、我が日興門流からして最も
恥ずべき行態である、という事を、オマエら創価外道の諸君は、能く能く其の腐肝に叩き込むべきである。

よいか。身延から非難中傷されなくなったら、最早、その宗団は、日興門流の正統ではない。
はて、此の言っている意味、解かろうか。なぁ、創大の宮田よ、そして、タンコブ原田の会長よ。哀哀哀。

おっと、 前置きが長くなったわい。

では参ろうか。

其の邪宗身延の門人が云く、

***********************************************************************************

①日蓮本仏論の誤り

日蓮聖人がおっしゃっている様に、本仏は久遠実成の本師釈迦牟尼仏であり、
これは御遺文(正宗でいう御書)からも明白である。日興上人も日蓮聖人を本仏とは見ておらず、
大石寺教団の中で徐々に形成されていった特異な思想である。

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哀笑。

此の手の疑難。

最早、邪宗身延に止まらず、創大の宮田をはじめ、その他、不信心の宗教学者、及び、怨念と策謀に生きる
宿坊一味の主張にもなっている。当方は其れらをひっくるめて『文献莫迦』と称しているが、邪宗身延なら
いざ知らず、創価学会員を名乗る連中が、上記の様な疑難を吐き散らかしている事について、心から憐れみ、
そして悲しむのである。もしや恩師がお出でに成られたら、どれ程に驚かれ、悲しまれようかと。呆哀。
まぁ、それを言っても仕方がない。最早、創価学会は、新興宗教の其れであり、今更、富士門の法義を解説
しようとも、此奴らのアタマは理解出来ぬほどに脳髄が七分に破れておるから、其れこそ細首を針金で結わいて
動けないようにして、其の破れた脳髄をトンカチでぶっ叩いて治すしか方法が無いとも思うが、そういう池田
センセーのやり方では、やはり問題があろう。本より結果は推して知るべしである。哀笑。

さて、邪宗身延の門人が云うには、末法の本仏は久成の釈迦牟尼世尊(略して釈尊)である、という。
しかも、其れが日蓮大聖人の正意(御遺文)であり、日興上人も同じである、という。
加えて、日蓮大聖人が末法の御本仏であるというのは、富士大石寺の中で形成された邪想である、という。

哀哀。

よいか身延よ。

ここでオマエらが言う「久遠実成の本師釈迦牟尼仏」とは、つまりは、五百塵点劫第一番成道の釈迦の事である。
しかし、此の久成の釈迦は、其の成道の以前に於いて菩薩道を修行していたのである。
ならば、其の菩薩が修行して仏に成った、という其の修行の法体とは一体何であったのか。
実に其れこそが、事行の一念三千たる南無妙法蓮華経なのである。

よいか身延よ。

事行の一念三千の南無妙法蓮華経は、実に本有常住にして須らく人法体一の根法なのである。
而して其の妙法を証得し、五百塵点劫已来、世々番々に出現したのが釈尊なのであり、其の釈尊を成道せしめた
本法こそが南無妙法蓮華経なのである。爾して、其の南無妙法蓮華経とは則ち、久遠本有常住にして人法体一の
法体であり、其の法体を今時末法に於いて所持されている日蓮大聖人であるからこそ、我々は「末法の御本仏」と
申し上げるのである。

よいか身延よ。

五百塵点劫の当初に於いて即座に開悟した凡夫と、今時末法に誕生された凡夫は、須らく同一なのである。
爾して其の久遠名字即の正体、つまり、其の同一たる久遠元初本因凡夫僧こそが、日蓮大聖人なのであり、
其の同一同行を以って「御本仏」とするのである。

然るにオマエらは、但、文面の上っ面(うわっつら)を読み、其の諸文の奥に示されている元意を理解出来ず、
其れこそ、文上の執人と成って、矮小な解読に終始しているのである。

よいか身延よ。

日蓮大聖人は其の認(したた)めたる諸御書に於いて、応に末法の御本仏たる御底意を示されているのである。

開目抄に曰く『仏世尊は実語の人なり。故に聖人・大人と号す』と。

仍って聖人知三世事に曰く『日蓮は一閻浮提第一の聖人なり』と

仍って撰時抄に曰く『当世には日本第一の大人なりと申すなり』と。

更に仏の三徳をして曰く『日蓮は日本国の諸人に主師父母なり』と。

重ねて曰く『日蓮は日本国の人々の父母ぞかし、主君ぞかし、明師ぞかし』と。

爾して曰く『仏法必ず東土の日本より出づべきなり、(中略) 当に知るべし、仏の如き聖人生まれたまわんか』と。

して、其の仏が如き聖人、今時末法に於いて此の大日本国に誕生す。

さても「聖人」とは、聖法を持得する故に聖人と云い、仏と云うも聖人と云うも、是れ全く一体の異名であるとは、
彼の左京阿闍梨の言ではあるが、実に是れこそは、上記開目抄、並びに撰時抄の一文に合致するものである。
ましてや「大聖人」と謂うは、是れ全く本仏の証号であると、当方は此に確信するものである。

さても「仏が如き聖人、此の日本国に生まれ給わんか」と、高祖大聖、御自ら仰せらる。

よいか身延よ。

オマエらが言う様に、末法の本仏こそは釈迦牟尼世尊である、とするならば、上記に示した諸御書の全文に於いて、
釈迦牟尼仏の色像を以って本尊と為し、其の本尊をして釈迦牟尼仏の末法本仏たる事を此に証明せねばならない。
尚、言って置くが、本仏義を説く本因妙抄も百六箇抄も、其の全てが日興上人の受持する処(ところ)であり、単に
真蹟現存の有無によって、其の真偽正邪を決するは、是れ全く管見の痴行である、という事をオマエらは能く能く
知るべきである。

日亨上人に曰く『興尊の御主持は、宗祖大聖人を末法の御本仏として絶対に他仏を容れざる所にある』と。

よいか身延よ。

百六箇抄を賜った日尊師も、万年救護御本尊を持ち出した日郷師も、皆、富士大石寺から出た僧侶であり、
重須談所の日順師は、存知の如く日興上人から教訓された僧侶である。つまり、両巻血脈抄に於ける内義は、
須らく富士大石寺、就中、御開基日興上人の根義であり、其の正義を堅持しているからこそ、現在に於いても
重用するのである。

爾して曰く『我が朝は本仏の所住なるべき故に本朝と申し・月氏震旦に勝れたり・仍って日本と名く』と。
重ねて曰く『今日本国に顕れ玉うべき釈迦は本仏なり』と。

果たして、我が朝(日本)に所住する本仏とは、一体誰の事か。
加えて、我が国に顕われし釈迦が本仏であるとは、一体誰の事を指して云われるか。

尚、日亨上人は、上記日順師の明文を以って『宗祖本仏論は後世の発展のごとく誤評する釈迦本仏・一大円仏の
空想教団の人々を深く味識せられるべきである』と御教示さる。

よいか身延よ。

末法・日蓮本仏論の誤りとは、さに非ず。
末法・釈迦本仏論こそが、大きな誤りである、という事を、今こそ知るべきである。

日蓮大聖人が曰く『釈尊ほどの仏を三業相応して一中劫が間ねんごろに供養し奉るよりも、末代悪世の世に
法華経の行者を供養せん功徳はすぐれたりと説かれて候』なりと。

仍って日蓮大聖人、御自らをして申さく『教主釈尊より大事なる行者』なりと。

果たして、一中劫が間、つまりは地球の寿命(約百億年)の数千万倍の間、釈尊に対して懇(ねんご)ろに供養するよりも、
末法に於ける法華経の行者、つまりは日蓮大聖人に御供養奉る方が勝れているとは如何なる事であるのか。

更に曰く『仏は法華経謗法の者を治し給はず、在世には無きゆへに。末法には一乗の強敵充満すべし、
不軽菩薩の利益此れなり』と。

つまりは、在世の衆生は本已有善が故に、釈迦牟尼世尊、法華謗法の者を治癒せずと。
爾して、末法の衆生に於いては、本未有善が故に、不軽菩薩の行力を以って治癒せりと。

はてさて、釈尊の利益が三世に亘るというならば、何故に末法に於いては不軽菩薩の利益をして治癒されると云うか。
つまりは、其の時に於いて衆生に差異(本已有善・本未有善)があるとなれば、自ずと其の時に説かれる法門にも差異が
生じる、という事であり、其の時に於いて衆生に与えられし利益(法門)は、当に其の時の仏菩薩に依って為される、
という事であろうが。つまりそこには勝劣(優劣)がある、という事である。

仍って曰く『彼の白法隠没の次には法華経の肝心たる南無妙法蓮華経の大白法』なりと。
爾して曰く『在世の衆生は傍なり。(中略)  末法を以て正と為す。末法の中には日蓮を以て正と為す』と
仍って曰く『彼は脱、此は種なり』と。

よろしいか。上記が如く、其の説かれる法門利益に差異があるという事は、即ち、其れら法門を説く仏に於いても
差異がある、つまりはそこに勝劣がある、という事なのである。

仍って日順師が曰く『天竺の仏は迹仏なり、今日本国に顕われ玉うべき釈迦は本仏なり』と。

加えて妙蓮寺の日眼師が曰く『威音王仏と釈迦牟尼とは迹仏なり、不軽と日蓮とは本仏なり』と。

果たして、迹仏・本仏とは、少しも漢字が読めるならば、其の差異などは容易に理解出来ようて。

さても「今日本国に顕われ玉うべき釈迦は本仏なり」とは如何なる事か。
加えて「不軽と日蓮とは本仏なり」とは如何なる事であるのか。

実に、其の法拠こそ、日蓮大聖人御自らが仰せになられているのである。

御義に曰く『過去の不軽菩薩は今日の釈尊なり。此の釈尊は寿量品の教主なり。寿量品の教主とは
我等法華の行者なり。さては我等が事なり。今日蓮等の類は不軽菩薩なり』と。

つまりは、過去の不軽菩薩は在世の釈尊と成り、其の釈尊こそは本門寿量品の教主と成る。
爾して、其の義を今時末法に充てるならば、実に寿量品の教主とは我ら法華経の行者の事であり、
其の寿量品の教主は過去に於いて不軽菩薩であったが故に、当に法華経の行者たる日蓮大聖人こそ、
今時末法に於ける不軽菩薩、つまりは其の本因本行を以って末法の御本仏と申し上げるのである。

仍って曰く『不軽と日蓮は本仏なり』と。

尚、ここで註して置くが、此ら不軽菩薩等の諸文を以って、日蓮大聖人の御本仏たるを論証するとしても、
其(そ)も日蓮大聖人の本地こそは、久遠元初自受用報身如来なのであり、ここで説く不軽の名こそも須らく
外用の其れであり、絶待開会の義を識らざれば、到底領解出来るものではない。

よいか身延よ。

オマエらの言う「日蓮聖人がおっしゃっている様に、本仏は久遠実成の本師釈迦牟尼仏であり、
これは御遺文(正宗でいう御書)からも明白である」も「日興上人も日蓮聖人を本仏とは見ておらず、
大石寺教団の中で徐々に形成されていった特異な思想である」も、すべて浅識妄見の其れであり、
其の誤謬の根源こそは、須らくオマエらの師である民部日向の謗法態から出発している、という事を
此に知るべきである。

而してオマエら身延は、未だに本迹の優劣さえ理解出来ず、しかも、本尊に於いて一尊なのか二尊なのか、
将又(はたまた)、一塔か十界曼荼羅か、其れこそ日蓮大聖人の御書から、其の本尊形式の態相を見い出せず、
其のいい加減な教義体系に劣等しながら、あれやこれやと無信心な学者どもを集めては屁理屈を捏ね回し、
下手な体裁を繕(つくろ)っているのである。呆哀。

よいか、そんなオマエらに、本尊の正義を語る智識など有ろう筈も無い。
ったく、一致派ごときが何を言うか。哀笑。

先ずは第一、釈迦色像(立像でも坐像でも寝像でもかまわん)を末法の御本尊とする法拠を出しなさい。
そして、日興上人自らが釈迦色像を種々造立して、今時末法の本尊とした事を証明しなさい。
ったく、宗開両祖をして、釈迦牟尼仏こそが末法の御本仏と確定するならば、当に釈迦牟尼仏を造立して
本尊とするが、当然の事であろう。

当家第二祖・日興上人が申さく『仏の御見参に申しまいらせ候ぬ』と。

よいか。ここで云われる『仏』とは、オマエらが言う様な「死んだら皆ホトケ」の「仏」ではない。
其れこそは『仏』であるから『仏』と記(しる)されているのである。
又、そうであるからこそ、日興上人は、其の『仏』に相(あい)対して『御宝前』と申されているのである。
言うまでも無い。『御宝前』とは、神仏の御前との意であり、上文に於いては応に「仏の御前」と読むが
自然の解釈となる。

仍って日亨上人が曰く『興尊の御主持は、宗祖大聖人を末法応時の御本仏として絶対に他仏を容れざる所にあり、
これが五老僧たちおよび全宗徒の大聖人即上行菩薩に留(とど)まり、末法の本僧に甘んじて、その上に
久遠実成の釈迦―大円仏を奉持するのと正反対に対立するが故に、五老門下一同の大曼荼羅軽視、すなわち、
釈迦円仏付属の思行と全然趣を異にすることは、その御筆物に御行動に遺憾なく顕われたるのみならず、
富士全門下僧侶の規範として残された門徒存知事に明らかにせられて、本尊奉安に護持に厳密謹重の御扱いを
なされた』と。

よいか身延よ。

日興上人は、釈迦牟尼仏をして末法の御本仏とはされていない。
仍って、釈迦牟尼仏を今時末法の本尊とはしてはいない。
してもし、していると云うならば、日興上人が釈迦像を造り、其れを根本の本尊として各地の信徒に与えたという、
其れこそ、オマエらの大好きな真蹟文を以って、其の事を証明しなければならない。よろしいか。

では改めて結論を言おう。日蓮本仏義は、我らが富士門古来からの立義である。
其れを、大石寺の中で徐々に形成された特異な思想などと、莫迦な事を言うものではない。
よいか。日蓮本仏義とは、応に日蓮大聖人御自らが説かれた大法義なのである。

曰く『末法の仏とは凡夫なり、凡夫僧なり』と。

して曰く『争(いか)でか仏を供養し奉るよりも凡夫を供養するが勝るべきや』と。

最早、これで決まりではないか。

なぁ、身延よ。哀笑。

さて、次回は、

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②戒壇の御本尊は日有による偽作

彼らが信じてやまない戒壇の御本尊(板曼荼羅)は、日蓮大聖人の筆跡ではなく、
日有による偽作。現に日顕達が筆跡鑑定をして、偽物だと判明したらしい。
ちなみに日蓮宗では臨滅度時の御本尊など、日蓮大聖人の真筆の御本尊をたくさん所有している。

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という、身延門人の痴言について、呵責を加えて往こうと思う。
 

創価脳の特徴とは

 投稿者:通りすがりの法華講員  投稿日:2016年10月10日(月)08時16分56秒 p1892093-ipngn16501marunouchi.tokyo.ocn.ne.jp
返信・引用 編集済
  創価脳の特徴を個人の掲示板で考察してみました。
ttp://6807.teacup.com/soka_orthodoxy/bbs

創価脳諸君は我見や浅識で仏法を測ることから不解・不信・疑惑・誹謗を繰り返し、その上破門された因すら理解できずに憎善・嫉善・恨善を園観に遊ぶ如く楽しむ境涯だと言えます。
その境涯の在所は三悪道を舎宅とし、若悩乱者頭破七分ですので日蓮正宗の功徳と真逆なことが起きると考えられます。

(三悪道)
常に瞋りを感じ、様々な悪い結果をもたらします。
・瞋った勢いにより他人を傷つけたり、周囲に迷惑をかけ、地獄のような生活を強いられます
・他人の物を貪り所有したくなるなど貪欲多くなります
・食物・衣類・家・貴金属などが欲しいという物質的欲望だけでなく、名声欲・権勢欲に支配され続けます
・理性がなく倫理・道徳をわきまえないで、本能的欲求に我が身が支配されている生命状態です。愚癡も自分自身を振り返ることなく、心に感じることをストレートに出してしまいます

(若悩乱者頭破七分:日蓮正宗の功徳の真逆と捉えると)
・すべての事象が歪んで見え、物事の因果を全く理解できません
・あらゆる音声の実・不実を聞き分けることができません
・あらゆる臭いを嗅ぎ分けることができず、誤った分別しかできません
・味覚がなく(劣り)、その声は浅薄で、聞く者を常に不快にさせます
・病気がちな身体となり、外界の刺激に不適合で、自身を処することができません。
・心は卑しく、頭脳は七つに破れ、智慧が全くありません

正に創価脳の方とは、上記の現証に満たされた方々であろうと思います。
一日も早く創価学会を退会すべきです。
 

創価学会も堕ちるまで堕ちたものである。

 投稿者:黒川 和雄@日蓮正宗  投稿日:2016年10月10日(月)08時10分49秒 p1137-ipbfp2603osakakita.osaka.ocn.ne.jp
返信・引用
  八重の相対


①内外相対・・・・同じ宗教でも外道はダメ(釈尊)

②大小相対・・・・同じ内道でも小乗教はダメ(竜樹・天親)

③権実相対・・・・同じ大乗教でも権教はダメ(天台・伝教)

④本ジャク相対・・・同じ実教でもシャク門中心の天台仏法はダメ(日蓮大聖人)

⑤種脱相対・・・・同じ日蓮仏法でも身延・池上・中山等ではダメ(日寛・戸田)

ここからは、学会員のみ、他宗の方は目をふせといてくだされ。
⑥宗創相対・・・・同じ大石寺の流れをくむ中でも宗門はダメ(池田先生)

⑦池創相対・・・・同じ創価学会でも池田先生との師弟がなければダメ(正木指導)

⑧師弟の道・師弟不二の道相対・・・・同じく池田先生を永遠の師と仰ぐ弟子の中でも
単なる師弟の道ではダメで、師弟不二の道でな
ければならない。(平成の五一相対)

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所詮学会員どもが日蓮正宗の血脈を否定しようが、血脈を否定した者どもの現実の姿は上のように教義が混乱し、今や各自が「魂の解放」であり、無茶勝手な教義を堂々と創価執行部の許可も取らずにネットで発言している。

これじゃ日蓮仏法どころか、完全に「池田教」ということである。将来創価は必ず分裂するであろう。

更にこれからはもっと邪教化が進むであろうと考える。

創価諸君、目覚めよ!
 

H27法華講員殿

 投稿者:管理人  投稿日:2016年10月 8日(土)12時47分17秒 i121-116-155-118.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  >管理人、大月天さま、法華講のご先輩方、おかげさまで、今月もあと数日で、
>創価学会を脱会してより、1周年を迎えようとしております。

いや~、早いものでありますね。あれからもう一年ですか。

過ぎてしまえば今は昔…。

気が付けば、あっという間の十数年…。

光陰矢の如し、とは、応に此の事をして云うのでありましょう。

本より、仏法からすれば、人間界の時間軸などは、芥子粒ほどのモノでありましょうが、
実に其の時間軸に於いて、宇宙法界と即時相応せしめるが、仏法の仏法たる所以であると、
当方は思っております。曰く『法界即日蓮、日蓮即法界』也と。

>この1年、日蓮正宗の信徒、法華講の一員として、加えて頂いた感謝を胸に、様々な事が、
>有りましたが、最早、謗法を積み重ねなくて良くなった、≪心の平安≫は
>文字に書き表せない程です。

本当に良う御座いました。応に法華講員殿にとって充実した一年と言えるでしょう。

>先週、土曜日、1日は、所属寺院、支部登山で総本山に、本門戒壇の大御本尊さま、
>創価脱会後、5度目のお目通りが叶いました。
>御当代御法主上人さまの堂々とした、お振る舞い、ご指南も頂き、自然と、頭が垂れ、
>日蓮正宗に戻らせて頂いて、ありがとうございましたと、御報恩感謝の念がこみあげました。

実に名字即の位を表す、白五条の袈裟と薄墨の衣。
当に高祖大聖と同じ法衣を纏った御僧侶が、戒壇の大御本尊の御宝前に於いて伏拝する御姿は、
実に興門正統の証しであると、此に改めて思うものであります。

>親戚、親族、友人に『大御本尊への信仰を捨てた創価学会をただす-矛盾の
>スパイラルに陥った創価学会』は、私が、あの2014年11月8日の聖教新聞紙上で
>突如発表された、大謗法の【教義変更、改変】の破折内容を、更に、徹底的に、
>尚且つ、論理的に破折して頂いてあり、読ませようと複数部求めました。

大謗法の教義変更…。

果たして何度目だったでしょう。呆哀。

尚、創価学会の教学などは、一大秘法義に於いて人法を各別にした時点で破綻しております。
根本義が破綻した宗教に最早勝利などは有りません。但、繕(つくろ)うのみであります。

>その他、弁惑観心抄、また、御陰尊猊下さま御執筆の三大秘法義ほか、私の様な教学、
>浅い者、我見に陥らないように、細心の注意を払いながら、読ませて頂こうと思っています。

御意。

言うまでも無く、弁惑観心抄は、第五十六世日応上人が、京都要法寺の驥尾日守の邪論を興門正統の本義から
破折した書であり、御隠尊猊下の三大秘法義は、応に相伝たる文底独一本門の奥義から講義された輝書であります。
法華講員殿が仰せの通り、私見我釈に陥らぬ様、お互い気をつけて正読して往きたいものであります。

御遺誡に曰く『当門流に於ては御抄を心肝に染め極理を師伝して若し間あらば台家を聞くべき事』と。

本より、正義は相伝に依って相成る。実(げ)に其れをして師伝と云ふ。

法華講員殿には、これからも、信心漲(みなぎ)る御投稿を宜しくお願い致します。
 

如水殿

 投稿者:管理人  投稿日:2016年10月 8日(土)11時53分54秒 i121-116-155-118.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  >それにしても、自分の宗派教団を名乗り、その教団の本尊は何々である、教義はこのようなものである、
>と明らかにして、私たち日蓮正宗の信仰を批判する、なんて男前(女性も)、見たことありません。

小笑。其れだけ自分の宗派教団に自信が無い、という事でありましょう。

身延に於ける応身の釈迦立像、及び一尊二尊の混迷義、そして創価学会による人法各別の本尊義。
更には顕本法華の経巻相承、加えて隆門の種脱一双論…。はてさて、真実の本尊義は一体何であるのか。

さても自信が無いから身(教義)を隠す。信心が無いから識(学問)を出す。

して、そんな者共が、我らに対して唾を吐き、痰を吐き、ゲロまで吐いて大騒ぎする。

哀笑。応に小者の喧騒とは、此の事を指して云うのでありましょう。哀笑。

ゲロはよいから教義を吐きなさい!

当方は、其れを煩(うるさ)く言っているのであります。

>仏教各宗各派なれば、必ず本尊が示されるはずだと思うのですが、示さない。それはその者たちが信仰者ではなく、
>ただただ自他を地獄に導こうとする魔に魅入られた、可哀想な者たちだという証のように思われます。
>この者たちは、怨念の塊で、その姿そのものが地獄の相に見えます。

批判の為の批判、中傷の為の中傷。要は単なるアンチという事であります。
尚、アンチを当て字にするならば、其れこそは『暗智』と成りましょう。
本より、暗智であるからこそ、アンチに成り下がるのであります。
そんな者らに、仏法を語る資格などありません。
まこと、困った連中であります。

尚、如水殿には、今後とも御投稿の程、どうか宜しくお願い申し上げます。
 

最後通告

 投稿者:管理人  投稿日:2016年10月 8日(土)11時49分53秒 i121-116-155-118.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用 編集済
  遁辞の阿呆へ

■自身の所属する信仰組織を此に親告し、其の下に尊信する本尊と教義を声高らかに宣揚すれば、
当室管理人との対論が成立するのである。

>アホらしい、
>嘘八百の片棒を担いで垂れ流してきたことを反省し、アホ華講信者に謝罪することが先決だ!
>嘘八百の片棒を担ぐ大月天に、お前の宗派は、本尊は、と言われる筋合いはない。

                              ※上記『>文』は既削除

呆笑。だから~、オマエが言うように、当方が、所属する大石寺の嘘八百の片棒を担いでいるのか。
其れとも、オマエこそが嘘八百の片棒を担いでいるのか。それをハッキリさせようと、当方は、
オマエが所属する門派教団と、其の下に尊信する本尊と教義を何回も何回も訊いているのである。

其れがなんだ、

アホらしい、とな。哀笑。

そーか、アホらしいか。鼻笑。

何? 嘘八百の片棒を担いで垂れ流してきたことを反省し、アホ華講信者に謝罪することが先決だと?

馬鹿者! 嘘八百の片棒担ぎが、アホに対して謝罪するとは、一体どーゆー構図であるのか。呆笑。

からかってんじゃないよ、オマエ。

よいか、重要な事は、当方とオマエがどーであるのか、という事である!

だからこそ当方は訊いているのである!

それをなんだ。

アホらしい、だと…。

鼻笑。

よいか。それを遁辞と云うのである。鼻笑。

ったく、アホらしくも何でもないよ、オマエ。

アホらしいのは、オマエの遁辞だよ。哀笑。

さても、嘘八百の片方担ぎはどっちであるのか。

其れをハッキリさせようと言っている!

だから! オマエの所属宗派と、其の尊信する本尊と教義を先ずは宣べなさい、と何度も言っているのである!

其れを、アホらしい、などと、、、呆。

よいか。どっちが嘘八百で、どっちが片棒担ぎなのか、その両方の立場に於いて論じなければ、話が進まんだろうが!

だから当方は、訊いているのである。

ったく、此の様な簡単な道理が、何ゆえに解からんか。

ったく、いつまで遁辞を繰り返す気でおるのか。哀哀。

逃げて、隠れて、又逃げて…。小鼻笑。

どーする。

今一度、チャンスをやろうか。

果たして、どっちが嘘八百の片棒担ぎであるのか。

残るは、身の所属と、尊信する本尊と教義。

其の親告のみである。

アホらしくも何ともないよ、そーだろう、オマエ。

よいか。これが最後である。速やかに親告しなさい。

尚、親告無くば、遁逃と決し、以後、オマエなどは相手にせん。
 

おかげさまで、創価学会を脱会し、1周年を迎えます。

 投稿者:H27脱会@法華講員  投稿日:2016年10月 7日(金)16時52分51秒 E219108019207.ec-userreverse.dion.ne.jp
返信・引用
  こんにちは。
管理人、大月天さま、法華講のご先輩方、おかげさまで、今月もあと数日で、
創価学会を脱会してより、1周年を迎えようとしております。

特には、こちら、掲示板の管理人さま、大月天さまには、私が創価学会を脱会
する際には、様々にお骨折り頂き、御手配賜り、平成3年11月、創価学会が
日蓮正宗、ご宗門から【破門】として、破門通告されてより、長年、24年もの
長きに亘り、しがらみ、情実に囚われていた私を、慈愛のこもる叱正、『創価
学会員は、何を拝んでんだ!』の言葉、彼の、悪辣、池田教狂信者の蠢く、
宿〇板で書き込みを、見せて頂いたのでした。

この、1言で、創価学会を脱会しようとは思っていたものの、様々、役職や、
役目を受けてしまっていたので、いつ、辞めるかを決断しかねてた私の、背中を
押し出して頂いたのでした。
その後、亡き父が、入信させて頂いた、都内、日蓮正宗の寺院さまにも、手配を
して頂き、晴れて、昨年、創価学会を脱会する事が出来たのです。

本当に、感謝致しております。
ありがとうございました。

また、法華講のご先輩方からも、多くの励ましを頂きました。
改めまして、こちら掲示板をお借りして、御礼申し上げます。
本当に、ありがとうございました。

この1年、日蓮正宗の信徒、法華講の一員として、加えて頂いた感謝を胸に、様々な
事が、有りましたが、最早、謗法を積み重ねなくて良くなった、≪心の平安≫は
文字に書き表せない程です。

今朝も、朝、仕事に向かう前の、五座の勤行で、御本尊様に、罪障消滅と、親族、
友人を、折伏させてくださいとご祈念致しました。

先週、土曜日、1日は、所属寺院、支部登山で総本山に、本門戒壇の大御本尊さま、
創価脱会後、5度目のお目通りが叶いました。
御当代御法主上人さまの堂々とした、お振る舞い、ご指南も頂き、自然と、頭が垂れ、
日蓮正宗に戻らせて頂いて、ありがとうございましたと、御報恩感謝の念がこみ
あげました。

ご開扉後、いまや、ご宗門も広範に、出版をして頂いており、大日蓮出版の販売店で
書籍、購入させていただきました。
特に親戚、親族、友人に『大御本尊への信仰を捨てた創価学会をただす-矛盾の
スパイラルに陥った創価学会』は、私が、あの2014年11月8日の聖教新聞紙上で
突如発表された、大謗法の【教義変更、改変】の破折内容を、更に、徹底的に、
尚且つ、論理的に破折して頂いてあり、読ませようと複数部求めました。

その他、弁惑観心抄、また、御陰尊猊下さま御執筆の三大秘法義ほか、私の様な
教学、浅い者、我見に陥らないように、細心の注意を払いながら、読ませて頂こう
と思っています。
日蓮大聖人さまの、仏法は、私の様な、凡智では、非常に難しいのですが、この
様に、ご相伝に基づいた、御講義書を読ませて頂ける様に成れた事も、私は嬉しく
て成りません。

今日よりは、また、正しい、信心に励みたいと思います。
ありがとうございました。
 

Re: 如水殿

 投稿者:如水  投稿日:2016年10月 6日(木)20時00分25秒 sp49-98-64-224.mse.spmode.ne.jp
返信・引用
  管理人さんへのお返事です。

それにしても、自分の宗派教団を名乗り、その教団の本尊は何々である、教義はこのようなものである、と明らかにして、私たち日蓮正宗の信仰を批判する、なんて男前(女性も)、見たことありません。

仏教各宗各派なれば、必ず本尊が示されるはずだと思うのですが、示さない。それはその者たちが信仰者ではなく、ただただ自他を地獄に導こうとする魔に魅入られた、可哀想な者たちだという証のように思われます。

この者たちは、怨念の塊で、その姿そのものが地獄の相に見えます。
 

百合子の阿呆へ

 投稿者:管理人  投稿日:2016年10月 6日(木)11時56分7秒 i125-202-241-233.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  >今日もまた大月天の坊やをいたぶってしまいました。

呆哀。オマエはダメだ。話にも成らん。鼻笑。

>無能者の管理人は板本尊・二箇相承・日興跡条々事はなんら証明できず
>いたずらに時が過ぎるだけです。
>主よ、どうして法華講はこのように馬鹿なのでしょう!

鼻笑。証明するも何も、オマエが其の土俵に上がって来なければ、説明しようも
無いではないか。

鼻笑。いたずらに時が過ぎるだと? アホ! それはオマエがそーしているのである!

大丈夫か? そのアタマ。

呆哀。もうよい。

ったく、こちらが間口を広げておるのに、一体何を臆しておるのか。

此の臆病者め!

では今よりオマエの駄文を削除する。

当方と論じたければ、当室の規則を守るべし。
 

百合子の阿呆へ

 投稿者:管理人  投稿日:2016年10月 6日(木)11時16分37秒 i125-202-241-233.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  オマエが同一犯である事は判っている。

もう、何年も繰り返しているよな。

哀笑。ったく、木蔭から半顔を覗かせては唾を飛ばす、其の小心なる姿よ。哀哀。

ルイ14世、0001、北斗偏差値、巾、ズレ巾、原監督、カトマンズ、バカセ、宣伝、hao123、劇作家、
通行人A、切れ味抜群、ポンコツ爺さん、くじら、正系門家、山崎連合総会、Prime Day、危険ドラッグ
厳護朗、脱会希望者、クリオネ、閻魔大王の呵責、東京五輪責任者、新型プリウス、ストー夫人、誰か、
辺野古移設、ミサイル発射、薄利多売、包摂、使徒42、リテラシー、赤毛寅松、青二才大月天、、、

呆哀。これらは皆、オマエが投稿者欄に打ちつけた下らんハンネである。
鼻笑。ったく、よくもまぁ、飽きずにヤルものよ。糞笑。

尚、周囲は皆、オマエの事を『宿坊』と決めつけてはおるが、当室としては全く確認が取れていない。
其れは何故か。其れはオマエが当室に於いて、自らが『宿坊である』という事を全く親告していない
からである。しかも、下らんハンネを作ってはバラ撒き、一投稿者による人格の統一を隠匿しては、
当室の規則に態(わざ)と違反し、下らん非難中傷を無機質に繰り返しているのである。呆哀。

よいか。そーゆー姿をして遁辞遁逃と云うのである。

しかしなんだ。

オマエの様な者が、もし宿坊だとしたら、此の信仰の世界に於いて、オマエほど性根の腐った人間など居るまい。
いや、其れ以前に、此の現実社会の中に在って、オマエほど最低な男などはそう居るまいて。

鼻笑。ったく、そんなオマエが、人様に文句を言う事など、事の道理からして出来る訳がなかろう。鼻笑。

よいか。

此の度当室は、管理人による確認後掲載から、一気に其の投稿条件を緩めて、数字のみの串投稿をNGとした。
したがって、オマエが今投稿している串はOKである。
後は、オマエが自身の所属する信仰組織を此に親告し、其の下に尊信する本尊と教義を声高らかに宣揚すれば、
当室管理人との対論が成立するのである。

よろしいか。当室は馬鹿と阿呆に用は無い。
無論、痴人狂人にも用は無い。

よいか。今のままでは、オマエは馬鹿であり、阿呆であり、痴人であり、狂人である。

汚名の挽回は今に在り。

されば勇気を振り絞って其の信条を明記し、速やかに板上に於いて論を決すべし。

事の成り行きは、全てオマエの性根に懸かっている。

尚、上記の内容が理解出来ない内は、オマエの投稿文は見つけ次第削除される。

つべこべはよい。

オマエこそ、頑張りなさい。
 

黒川様

 投稿者:通りすがりの法華講員  投稿日:2016年10月 6日(木)07時28分54秒 pw126152083096.10.panda-world.ne.jp
返信・引用
  確かに仰る通りですね。
私の思慮が浅かったです。
 

Re: 早瀬百合子様

 投稿者:黒川 和雄@日蓮正宗  投稿日:2016年10月 5日(水)23時49分36秒 p1137-ipbfp2603osakakita.osaka.ocn.ne.jp
返信・引用
  > No.47245[元記事へ]

通りすがりの法華講員さんへのお返事です。

このような脳タリンに「様」を付ける必要はありません。
 

Re: 早瀬百合子様

 投稿者:黒川 和雄@日蓮正宗  投稿日:2016年10月 5日(水)23時47分48秒 p1137-ipbfp2603osakakita.osaka.ocn.ne.jp
返信・引用
  > No.47250[元記事へ]

通りすがりの法華講員さんへのお返事です。


kpyq.nzfind.com

リモホを見ればわかるじゃないですか笑

串投稿ですよ。

こんな輩にイチイチ反応する必要はありません。

このような輩は愉快犯であり、どのように貴殿が反応するのか楽しんでいるだけです。

常にリモホを確認してから投稿した方がいいですね。
 

早瀬百合子様

 投稿者:通りすがりの法華講員  投稿日:2016年10月 5日(水)18時41分11秒 pw126152083096.10.panda-world.ne.jp
返信・引用 編集済
  頭破れましたか?
自身の宗教が何か提示しなくても創価脳は惨めだから、即わかりますな。

はよ答えなさい。
法的失踪宣言が可能な7年、表に顔を出さず生死もわからない池田大作を拝し、功徳を感じますか?
そもそも生きていればこの世の地獄を堪能中、死んでいても発表すらされない大先生を見て、功徳を感じてるんでしょ?
創価の功徳とは、この世の地獄を堪能しのたうち回るか、生死不明な状況に追いやられるかということを、貴方が先生と拝む池田大作が証明しています。
そして、それは法華経で記された通りということ。

味わってますか?謳歌・堪能してますか?
創価学会の功徳であるこの世の生き地獄を(笑)
惨めなもんですな。

存分に味わい・堪能し・謳歌しなさい。
法華経で記されたこの世の全ての地獄を。
謳歌する権利を創価学会員は獲たのです。
 

早瀬百合子様

 投稿者:通りすがりの法華講員  投稿日:2016年10月 5日(水)17時47分23秒 pw126152083096.10.panda-world.ne.jp
返信・引用 編集済
  その板曼荼羅とやらの捏造品を販売している創価学会とはこの世の悪義を全て集めたような団体ですな。
先日の朝日新聞の記事を見る限り会長自ら宗教を放棄し、共産主義体制へひた走ってるのでね。

この世の悪義・悪鬼・非道を謳歌したい方は、是非究極の悪義創価学会へ問い合わせいただきたいものです。

ところで、池田大作は7年もの間悶え苦しんでいるか亡くなったかだろうが、貴方は池田大作が生死すらわからない地獄を7年味わっていることをどう思います?
まさに法華経に書かれいるこの世の地獄を味わう先生が間近にいるようだが。
地獄をのたうち回る池田大作を見て、功徳を感じとても幸せな気分ですか?
 

如水殿

 投稿者:管理人  投稿日:2016年10月 4日(火)12時29分56秒 i125-202-241-233.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  >いつも掲示板は拝見しております。
>ありがとうございます。

いえいえ、こちらこそ閲覧頂き有難うございます。

見ての通り、堅苦しい掲示板ではありますが、各々が名乗る宗派教団の下(もと)、其の持する本尊と教義を顕揚し、
以って其の正義たるを互い論ずる掲示板などは、最早、皆無と言っていいでしょう。

無論、法論対論に拘(かかわ)らず、其々の投稿者が、其々の信仰者の立場に於いて、其の情熱と信念を論文に託すも、
当室は大いに歓迎する処であります。

して、

あの門派は間違っている。彼の教団は偽教である。
ならば、どの門派が正しいのか。そして、どの教団が正義であるのか。
先ずは其の事を大いに示し、其の後に於いて相手の門派教義を批判する。
実に是れこそが法論対論の一丁目一番地ではないかと思うものであります。

果たして、どの宗派が正しく、どの教団が正義であるのか、其れさえも言えない者に、他宗派を批判する資格など
有ろう筈も無く、ましてや、どれが正しい、とも言えぬ者が、其の相手に対して間違っている、などと断言出来る
訳が無いのであります。

尚以って当室は、抑もが信仰者が運営する掲示板でありますから、学術学問の研鑽などは、仏法の足代と捉えます。
本より、足代(足場)は、其の建築の完成を以って取り外されます。無論、建築の完成とは、大仏法への帰伏を示し、
足代こそは学術学問の理論を示すものであります。

日蓮大聖人が曰く『大塔をくまんがためには足代大切なれども、大塔をくみあげぬれば足代を切り落とすなり。
正直捨方便と申す文の心是れなり。足代より塔は出来して候へども、塔を捨てて足代を拝む人なし』と。

果たして、其れら学術学問の足代を以って、独一本門の大塔を貶す痴人の者共。
剰(あまつさ)え、信仰とは所詮イワシの頭と、学術学問から見下す狂人の者共。

つまりは、其れら痴人狂人の排斥を以って、純粋なる法論対決を望まんとするが、当室の主意である、という事で
あります。

あいや失礼。種々承知されている如水殿に対して長々と…。

とまれ、如水殿には、今後とも破邪顕正の大剣を振り下ろして頂きます様、これからも宜しくの程、
お願い申し上げます。
 

Re: 如水殿

 投稿者:如水  投稿日:2016年10月 3日(月)07時51分35秒 dw49-106-192-208.m-zone.jp
返信・引用
  管理人さんへのお返事です。

本当にお久しぶりです。
いつも掲示板は拝見しております。
ありがとうございます。

お言葉に甘えて、また、投稿申し上げます。
 

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