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Re: 元祖通りすがりの法華講員殿へ

 投稿者:元祖通りすがりの法華講員  投稿日:2017年 9月19日(火)21時19分33秒 om126211023201.13.openmobile.ne.jp
返信・引用
  こちらこそ、無礼な書き込みをしてしまい、失礼致しました。こちらには相応しくない書き込みにつき、可能ならば一連のやり取りの削除をお願い致します。  

ああ、邪教人 其の七十

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 9月19日(火)12時11分57秒 i114-185-19-59.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  さて、聞く処(ところ)によれば、此の度、創価学会は、新たな会則を設けたという。
其の名も【創価学会会憲】と銘打ち、従来の会則規程より、其の効力が優先するという。

呆笑。しかしなんだ。こーやって、次から次へと会則規則を弄(いじく)り回し、やれ新規則だ、
やれ会憲だと打ち出して、其れこそは会員小幹部、何がどーしてどーなっておるのか、まるで
鳩が豆鉄砲を食らった様に、キョトーンとしているのであろう。小腹笑。

尚、法則規則をコロコロ付け加える組織というものは、元来、其の組織に於ける統制力が低下して
いる証拠であるとは、衆全の常識である。

とまれ、首魁・池田太作の朽ち果てを目の当たりにして、今の内から、会員小幹部の人心を掌握せん
との目論見であろうが、さても、宗教の根本たる本尊教義に於いて、其の信仰結束を集約出来ぬとは、
いやはや何とも、情けない宗教団体ではある。嗤。

して、其の骨頂たるは【教師】【準教師】という役職の設置であろう。

しかも聞けば、其の任命範囲は、支部長クラスまで下るという。

最早、人心掌握の断末魔とは此の事か。

哀笑。ったく、オマエらは、どれだけの役職を作らんとしておるのか。

例えば、主任副会長…。

哀笑。なんなのだ、これは。呆笑。さても副会長に主任が要るとは是れ何(いか)に。呆哀笑。

尚「副会長」という役職が、最も安っぽく見えるは、日本広しと雖(いえど)も創価学会を置いて他には無いだろう。

…主任副会長。小鼻笑。いやはや何とも滑稽な役職ではある。哀笑。

して【教師】ともなれば、其れこそは「先生」という事か。
いや、会内に於いて「先生」と呼ばれるは「3人」しか居らんから、今回の【教師】は「先生ではない教師」と
いう事になる。呆笑。さても、先生ではない教師とは是れ何(いか)に。呆笑。

いや、待てよ。戸田先生が御存命の時、池田太作は其の当時、小平教学部長を「先生」と呼んでいたよな。
であるならば【教師】をして「先生」と呼ぶは、是れ全く抵抗なきと思ふが如何。

因みに、新興宗教に於いて【教師】という役職を設けている教団は数多(あまた)あり、新興創価は其れに追従せんと
するのであろうが、其れら新興宗教に於いて最も【教師】の数が多いのは、天理教の14万、真如苑の9万人、次いで
立正佼成会の8万人などであるが、詳細な数字ランクについては、宗教年鑑を参照されたい。

とまれ、創価学会が其れらの【教師】を拵(こしら)えるとなれば、当然に一番を狙うのではないか。
そーとなれば、やはり、支部長クラスまで落とさないと、其れら数値の達成は無理となろう。

まぁ、何れにしても、そんなもなぁー、新興創価にとっては、単なる数合わせの一環であるから、10万、20万の
教師などは、即席に於いて拵えればよい、という事になる。

さても、本部長と支部長教師。一体どちらが「御書講義」を担当するのであろうか。小鼻笑。

新興宗教の生業(なりわい)とは云え、多少気になる風景ではある。鼻笑。

次。

>日蓮大聖人に対しての、竜の口法難、佐渡流罪など人権侵害も、差別意識の表れでもあろうと想像できます。

呆笑。そーか。日蓮大聖人の御法難は、人権侵害と差別意識の其れであったか。呆哀笑。

何とも面白い奴…。鼻笑。

>(正木理事長は)集団的自衛権行使に反対したので、無理矢理、病気扱いにして閑職に追いやったとは、聞きましたね。
>やはり、集団的自衛権行使に反対した坂口元全国婦人部長も、隅においやられたそうです。

>>えーっ!そうなんですか?

小笑。えーっ! そーなんですか? とは素晴らしい。

昨今に於いては、えーっ! そーなんですネ! となる。

まぁ、其れは其れとして、集団的自衛権の行使に反対したから、学会の役職から外された、となれば、是れこそは
政教一致の所業ではないか。こんなもん、民進党あたりが、与党分断の作戦に於いて追及すれば、マスコミ世論も
反応するというに、民進党の莫迦さ加減には、もうウンザリである。

尚、我が国に於いて集団的自衛権を行使するなどは、初歩の初歩であって、そんなものは当たり前の事である。
兎も角、遅い、遅すぎる。いち早く憲法を改正し、国防軍を設置し、我が国の領空領海を侵さんとする支那や露助に
対して圧力をかけるべきである。ったく、国を守る組織が「隊」でとーするのか! こんなものは常識であろう。

よろしいか。「抜かば斬る!」この強き姿勢こそが、外交に於いて優位となるのである。
ったく、抗議だ、遺憾だと、そんなものは通用しないのである。

とまれ、現在の公明党は、保守に於ける翼賛であるから、当方としては、満更(まんざら)でもない。

おっとっと、信仰から外れてしまったわい。苦笑。

尚、日蓮正宗に於いては、講員信徒が民進党に投票しようが、共産党に投票しようが、ファースト何某に投票しようが、
其れらの行為は謗法でも何でもないから、其の元からして自由投票である。つまり、其の事からして当方の主義主張も
謗法ではない、という事になる。

日蓮大聖人が曰く『我が日本国は一閻浮提の内、月氏漢土にもすぐれ、八万の国にも超えたる国ぞかし』と。

仍って日順雑集に曰く『聖人仰二云ク日本は是レ中国なり』と。
又曰く『然ルに天竺の仏は迹仏なり、今日本国に顕れ玉うべき釈迦は本仏なり、彼の本仏の顕シ玉ふ所なれば
日本を中国と云フなり』と。

応に『大日本国主義』は、日蓮大聖人の御精神に適うものであり、其の持する大法からして、我が国こそが、
閻浮提第一の大国と成るなのである。

恩師に云く『日本の水はきれいな水であり、きれいな水は民族を優秀にし、水の速さの激しい気性を持っています。
日本人くらい立派な民族はありません』と。

実(げ)に其の国在りて、其の民族在り、とは当に此の事を指して云うものであろう。

無論、是れとて増長の念から申すものではないし、感情の生(な)せる業でもない。

当に是れこそは、教理の上から申すものである。

曰く『教に依って人の勝劣を定む。先ず経の勝劣を知らずして何ぞ人の高下を論ぜんや』と。

本より、国家なるものは、其の人民の集合に依って成るものであるから、人民の優劣そのものが、
其の国家の優劣と成るのである。

仍って、其の優秀なる民族を、ならず者の中共支那、朝鮮、露西亜から護るべきは、是れ全く国防力なのであり、
其の国防の上に立って、諸般の交渉に努めるが、国家を預かる者の責務となるのである。

攻めても戦争。攻められても戦争。

とまれ、其の種分を思わず単に戦争反対とは、応に自衛と戦争を色分けする短慮浅識の小思想である、
という事を今こそ識(し)るべきであろう。

>選挙の大勝利が広宣流布だと信ずるバカどもの世界

うむ。そりゃそーだ。

しかし、王仏冥合の「一端」から言えば、宗教組織が支持する政党が大勝利する事は、大いにプラスとなろう。
しかし、現創価は、政教分離の旗を掲げているのであるから、選挙の勝利が広宣流布だ、などという言動は、
応に自己撞着(どうちゃく)の痴言と相成る。

否、そーゆー現状を把握しようとしない民進党の怠惰こそ、大いに責められるべきものとなろう。

>日本共産党撲滅唱題会の打ち出しがありました。来月22日に投開票!負けるわけにはいかない決死の一戦!!!
>北朝鮮撲滅唱題会も併せて開催です~

鼻笑。おいおい、それホントかいな。小腹笑。

>秀逸なる 宮川日護先生の 新説!
>真の悟りを得るには、脳科学から仏教を見る事であるという

哀笑。これも笑えるな。小鼻笑。

応に邪教人とは此の事か。

おっと! 又しても長くなったわい。

昼も昼とて邪教人。

邪教人への呵責は、これからも延々と続く。
 

【面目は恥なり】首魁・池田太作に捧ぐ

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 9月19日(火)07時45分50秒 i114-185-19-59.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  今思うに、当時、鎌倉幕府が実権を握る日本国に於いて、否、其れより以前から日本国の身分制度という
ものは、公家・武家を問わず、其の出目と武力によって獲得し、又は維持されてきたのである。

したがって、中世日本に於ける身分の格差というものは、現代人の我々が想像も出来ぬほど、絶大なのである。
例えば、権大納言と一農民とでは、其の人間の存在価値に於いても差別されるのであり、一商人・一農民が、
守護地頭に暴言を吐けば、其れこそ頸刎ねられるのである。

否、権大納言や守護地頭どころではない。相手の地位が従五位下であろうと御家人であろうと、反攻に及べば、
其の頸刎ねられるのである。つまり、其の逆を申せば、其の当時に於いて、官位を持つ者、城を持つ者などは、
民衆一般からして、雲の上の存在なのである。してもし、それら地位の者が我らの前に現れたら、我らはその場
にて土下座し、頭を下げなければならないのである。

さても、西洋かぶれの平等主義を掲げる創価学会員などは、其の様な世界が我が国にあったとは、其れこそ反吐
(へど)が出るくらい、嫌悪するであろう。しかし、其の当時に於いて、其れが日本の常識だったのである。

して当時、其れら雲の上たる公家衆に招待されて法を説いたと喜悦し、其れら殿上人からの賞賛を以って
己(おのれ)の面目と成した三位房の性根を、日蓮大聖人は厳しく叱られたのであった。

長文ではあるが、委細、其の事を示そう。

曰く『御持仏堂にて法門申したりしが面目なんどかかれて候事、かへすがへす不思議にをぼへ候。
そのゆへは僧となりぬ。其の上、一閻浮提にありがたき法門なるべし。設ひ等覚の菩薩なりとも何とか
をもふべき。まして梵天・帝釈等は我等が親父釈迦如来の御所領をあづかりて、正法の僧をやしなうべき
者につけられて候。毘沙門等は四天王の主、此等が門(かど)守り、又四州の王等は毘沙門天が所従なるべし。
其の上、日本秋津島は四州の輪王の所従にも及ばず、但(ただ)島の長(おさ)なるべし。長なんどにつかへん者
どもに召されたり、上(かみ)なんどかく上(うえ)、面目なんど申すは、かたがた詮(せん)ずるところ日蓮をいやし
みてかけるか。総じて日蓮が弟子は京にのぼりぬれば、始めはわすれぬやうにて後には天魔つきて物くるう、
少輔房がごとし。わ御房も其れ体になりて天のにくまれ蒙(かほ)るな。のぼりて幾何(いくばく)もなき実名を
かうるでう物ぐるわし。定んでことばつき音なんども京(みやこ)なめりになりたるらん。ねずみが蝙蝠(こうもり)
になりたるやうに、鳥にもあらず、ねずみにもあらず、田舎法師にもあらず、京法師にもあらず、せう房がやうに
なりぬとをぼゆ。言をば但(ただ)田舎ことばにてあるべし。なかなかあしきやうにて有るなり』と。(新編 430 )


【訳文】

持仏堂で法門を説いた事が面目、などと(手紙に)書かれているが、どう考えても不審な事である。
其の故は、僧となった身であり、其の上、持する法門は世界第一の法門である。したがって、例え
相手が等覚位の菩薩であっても、何を気にする事があろうか。まして梵天帝釈などは我等の父親で
ある釈尊の領地を預かって、正法の僧を養う者とされているのである。毘沙門等は四天王の主にて
此等(これら)梵天帝釈の門番である。また、四州の王等は毘沙門天王の家来である。其の上、日本
秋津島は四州の転輪聖王の家来にも及ばない、但の島の長(おさ)である。其の長などに仕える者達に
「召された」「上」などと書き、剰(あまつさ)え「面目」などと言うのは、いろいろ突き詰めて考え
てみると、この日蓮を卑しんで書いているのであろうか。総じて日蓮が弟子は京に上ると、初めは
忘れない様ではあるが、後には天魔が憑りついて正気を失ってしまう。其れこそは少輔房の様なもの
である。御房も其の様な姿になって天罰を蒙らない様にしなさい。(御房は)京に上っていくらも日にちが
経っていないのに実名を「尊成」に変えたという事であるが、物狂いそのものである。さぞや、
言葉使いや発音なども京なまりになった事であろう。鼠(ねずみ)が蝙蝠(こうもり)になったように、
鳥でもなく鼠でもなく、田舎法師でもなく京法師でもなく、其れこそ少輔房の様になってしまったと
思われる。言葉は但(ただ)、田舎言葉でいるがよい。どちらも付かずは返って見苦しいものである。



さても、上記の御文は、京に上った三位房が、そこに住する僧侶や公家の雅やかな風情に心浸され、
其れこそは、京の都からして田舎地方(東国)に拠を置く、日蓮大聖人の門下である事を恥じるが如く、
自身の名を「尊成」と改名し、殿上人なる公家衆から招待されて賞賛を浴び、其れこそは名誉な事だと
得意げに「面目躍如」を書き記す三位房の性根を、鎌倉に居る日蓮大聖人が厳しく叱られた御文である。

して、上記の事を現代に転じてみよう。

果たして、日蓮門下と名乗る多数の中に、三位房と同じ性根を持つ者は居らぬか。

いや、居るであろう。其の代表と成る者が。怒。

其の者の名こそは池田太作。応に三位房の生まれ変わりである。

さても、海苔屋の息子が、師匠について仏法を学び、其の弁説巧みを以って、組織の長となり、
初めは、大臣・首相何するものぞ! 日蓮大聖人の弟子こそは、世界の雄である! と曰(のたま)って
はいたが、其の後、国際舞台に憧れて、それこそ己(おのれ)の面目を確かめるが如く、自身の京(みやこ)
とも云うべき支那へ渡り、其の強大な国力と延々なる歴史の造詣に心侵され、遂には無冠では通用せぬと、
束るね組織の長名に満足せずに、博士だ、教授だ、詩人だ、哲学者だ、と名誉号を次々と貪り、其の獲得を
以って「面目躍如」と会員に誇示する姿こそは、応に三位房日行が生まれ変わりたる姿なのである!

俺は偉い人に会った。そして、偉い人に招待もされた。そして俺は、そこで演説をした。
そうしたら、みんなから賞賛された。そして俺は偉い人から勲章を貰い、賞状も貰った。
だから俺は偉い。果たして、こんな素晴らしい事が他にあろうか。

創価外道の諸君!

上記のセリフは当方のものではない。まさしく池田太作が机をバンバン叩きながら叫んだセリフである!

而して、三位房太作、自慢して云く、

『じつは私は「桂冠詩人」であり、「世界桂冠詩人」の賞もいただいております。詩人にとって詩を
贈ることは、最大の栄誉を贈ることなのです』

               【胡錦濤来日時に詩を贈った時の言葉/ 平成20年5月9日付 聖教新聞】

して、三位房太作、其の自慢が高じて云く、

『私の話が高尚で、そして分かりやすくて、そいで哲学的で、そいで文学調で、そいで詩的で、
そいで会話的である。頭が相当聡明でないとおっ付いていけないんです』

               【平成5年1月27日、アメリカSGI&関西合同総会 於ロス】

呆笑。果たして此の者、日蓮大聖人のお叱りからすれば、応に天罰食らう言動ではないか。

尚、言って置くが、其の天罰の証しこそは、池田太作の最後の姿に顕る!

さても病状の事について、一々云うは、其の道徳からして避けるのが一般ではあるが、世界創価学会の
長である者ならば、そうはいかぬ! 実に其れこそは、此の者が悪しざまに侮蔑して来た、日顕上人
現御隠尊猊下との勝負である! 足が立たぬとは言わせまい! モノが言えぬとは言わせまい!
そしてオムツをしているとは言わせまい! 応に此の事は、正邪決定の証しと成るのである!

法華経・安楽行品に云く『若し人悪(にく)み罵(ののし)らば、口則ち閉塞せん』

同じく、陀羅尼品に云く『若し我が呪(しゅ)に順ぜずして、説法者を悩乱せば、頭破(わ)れて七分に
作(な)ること、阿梨樹の枝の如くならん』と。

仍って大聖人に曰く『円智房は清澄の大堂にして三箇年が間一字三礼の法華経を我とかきたてまつりて
十巻をそらにをぼへ、五十年が間、一日一夜に二部づつ読まれしぞかし。かれをば皆人は仏になるべしと
云云。日蓮こそ念仏者よりも道義房と円智房とは無間地獄の底に堕つべしと申したりしが、此の人々の
御臨終はよく候ひけるか如何。日蓮なくば此の人々をば仏になりぬらんとこそをぼすべけれ。
これをもってしろしめせ。弘法・慈覚等はあさましき事どもはあれども、弟子ども隠せしかば、公家も
しらせ給はず』と。 (新編 1070)

【意訳】

安房清澄寺の円智が、其の大堂に於いて、五十年間、法華経を書写し、十巻を諳誦(あんじゅ)した。
したがって彼の事を、世間の人は皆、仏になるだろうと言っていた。しかし、此の日蓮だけが「無間
地獄に堕ちるだろう」と言ったが、果たして、これらの者の臨終は良かったか。そうではないだろう。
もし、この日蓮が居なかったら、これら者は皆、仏になったと世間は思うであろう。これを以って、
知りなさい。弘法・慈覚らは臨終があまりに悪く、それを弟子共が隠した為に、朝廷公家衆に於いて
其の事実を知らないのである。

創価よ。池田太作にもしもの事があろうとも、其の臨終の良し悪しなどは、しっかりと明言致せよ。
さもなくば、日恭上人の御殉教に対して罵詈する事などは、一切出来ないのである! よいか!

今こそ知るべし! 応に真の「面目」とは、其の臨終に在るという事を!
 

元祖通りすがりの法華講員殿へ

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 9月18日(月)23時20分23秒 i114-185-19-59.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  申し出の一件。

明らかに当方の判断ミスであります。

過去の投稿リモホを調べた結果、

貴殿のリモホがありました。

尚、愚人殿からも、自身のモノではない、とのメールを戴きました。

ミスの原因は、以前からの『通りすがりの法華講員』殿と、貴殿の『元祖通りすがりの法華講員』とのHNが
混同し、当方の記憶違いと先入観が重なって、今回の応答となった由。

元祖殿には無礼の段、此に深くお詫び申し上げます。

今後は、尚一層、リモホの管理を徹底し、初稿、再稿の分類をしっかりと行い、今回の様なミスが起きないよう、
細心注意して参りたいと思っております。

此の度は、誠に失礼致しました。

                              大月天 恐謹
 

最近のフェイクに一言二言

 投稿者:元祖通りすがりの法華講員  投稿日:2017年 9月18日(月)15時16分5秒 om126211023201.13.openmobile.ne.jp
返信・引用
  フェイク 第1590号
投稿日:2017年 9月13日(水)12時34分9秒
(発行=17.09.12)

》阿部信彰の常在寺も未達成
各地で意気消沈の大布教区別僧俗指導会日如が少年部員に「友達の両親を寺に誘え」
日蓮正宗の「大布教区別法華講員八十万人体勢構築推進僧俗指導会」という長い名称の会合が八月二十八日の北海道大布教区を皮切りに始まった。九月二十八日までの間、全国十カ所で開くこの指導会は、大聖人御聖誕八百年の平成三十三年に法華講員を八十万人にしたい、との早瀬日如の思い付きで折伏を開始したが、現在まで全然進んでいないため折伏の檄を飛ばすのが目的である。

さすがスパイ経由で仕入れただけのことはある。内容としては間違ってない。ただし、他組織の役職者を呼び捨てにするな。

》 そこで布教部長の阿部信彰や八十万人体勢構築推進委員の坊主らが、講中の全講員が折伏に立ち上がって、励ましあいながら全力で取り組むよう訴え、大
聖人の御聖誕八百年まで三年半後に迫った今年こそ全支部が必ずや目標を達成する必要があると強調している。

内容としては間違ってない。ただ、新興宗教創価学会に何か言われる筋合いは無い。他組織の役職者を呼び捨てにするな無礼者が。

》 宗門では「僧侶主導の広宣流布」と標榜しているが、責任を講頭や法華講の活動家に押し付ける。「信徒主導」と言い換えるべきだ。

『と、思う。』と付け加えよ。事実の確認が不十分である。

》 折伏をはじめ新入信者の育成、御講や登山会などの参加者を増やす活動は全て信徒に強要している。

『と、邪推する。』を加えよ。

》 僧俗指導会で登壇した坊主も「自分が率先して折伏する」と発言した者は一人もいない。だから指導会は意気消沈、参加者は決意を固めるどころか、辟易
した表情とのことである。

『と、邪推する。』を加えよ。脳内伝聞を記事にするな。どあほう。

》 とりわけ阿部信彰は今年三月、大石寺大書院での講頭会の席で今年の誓願目標を八月までに達成せよと命令口調で力説。それが出来なかったら遅くとも十月までには達成するように、と強調していた。

事実か嘘かは関係なく、この箇所は何を訴えたいのか不明。

》 その阿部信彰(写真)が住職をしている常在寺(豊島区)の法華講員の話によると、八月末までに三百三十四の目標は達成できず、九月に入って、やっと八割台になったとのことである。

何がどう問題なのか、わからん。

》 全国的にみても八月末までに達成した支部は三そこそこで全体の一割にも満たないとのことだが、布教部長の常在寺も未達成だから、折伏が出来ていない支部も安心してよい。決して焦る必要はない。

やさしいね。大きなお世話だが。

》少年・中等部員にも折伏を煽る日如

 僧俗指導会に講頭・副講頭、認証役員や活動家を集めて、いくら檄を飛ばしても〝糠に釘〟という有様で、八十万人体勢構築は平成三十三年どころか、何
百年経っても不可能だと断ずる。

お前は、神か!

》 折伏が停滞している現状に業を煮やした日如は今年の夏、中等部員、高等部員、更に少年部員に対しても折伏を煽っていた。
 中等部、高等部の大会で日如は「法華講員八十万人体勢構築の誓願達成へ向けて力強く前進するように」「一人でも多くの人に妙法を下種し、折伏を行じ
ていくことが、最も肝要である」と訴え「折伏は使命である」「自行化他の信心に励め」等と力説していた。
 また、少年部の大会でも「親しいお友達がいたら、お父さん、お母さんに話すなり、お寺に誘うなりして折伏することが今、最も大事である」と洗脳していた。

洗脳とはただごとではないな、創価学会員よ。

》 子ども達にも折伏を煽る邪教団は無謀な勧誘が社会問題になっている顕正会と日蓮正宗

けんしょうかいはともかく、日蓮正宗が新聞に載ったのは見たことは無いな。事実を確認せずに記事にするなヘボライター。いや、発行元がヘボいからしょうがないのか。残念。
 

ああ、邪教人 其の六十九

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 9月14日(木)07時19分23秒 i114-185-19-59.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  >“謗法広告”
>本日9月12日は「竜の口法難の日」であり「教学の日」であった。
>その意義を胸奥深くに刻むべき日に聖教新聞社が行ったのが“謗法広告”の掲載である。
>「厄祓い護符」の文字が刻まれた500万部(公称)の聖教が全国にばら撒かれてしまった。

小腹笑。雑誌広告の特集欄に「厄祓い護符」の文字があっても、そんなもなぁー、謗法でも何でもねーよ!
小腹笑。そんなモンより、聖教新聞を発行する行為自体が謗法なんだよ!
小腹笑。何? その証拠を出せ! だと?
小腹笑。そんなもなぁー、簡単だろぉー。

    竜ノ口法難(発迹顕本)ー曼荼羅御本尊御顕発ー熱原の法難ー大御本尊御建立(出世の本懐)
    傍証ー伊豆御配流12日・竜ノ口法難12日・大御本尊御建立12日・富士大石寺開創12日。
    爾して日蓮大聖人、翌の13日に御入滅さる。

加えて日寛上人に曰く『当に知るべし、智者大師は隋の開皇十四年、御年五十七歳、四月二十六日より止観を始め、
一夏にこれを説いて四年後、同十七年、御年六十歳の十一月に御入滅なり。吾が大聖人は文永十年四月二十五日に
当抄(観心本尊抄)を終り、弘安二年、御年五十八歳の十月十二日に戒壇の本尊を顕して四年後の弘安五年、
御年六十一歳十月の御入滅なり』と云云。

仍って申さく『此の御本尊は正しく文底下種の本仏、本地難思、境智冥合、久遠元初の自受用の一身の相貌なり』と。

しかし、聖教新聞はこう書いた。

『御本尊が一大秘法というのは、御書のどこにも書いていない』
『この本尊論は、日寛上人による要法寺対策の一説に過ぎない』

どーであるか。そーゆー風に書いたであろうが。

だから、聖教新聞を発行している事自体が、抑もが謗法なのだ、と言っているのである。

破門後の池田名誉会長が云く『大聖人の出世の本懐である一閻浮提総与の大御本尊が信心の根本であることは、
これからも少しも変わらない』と。【平成5年9月16日、アメリカSGI最高会議】

よいか。謗法は厄祓いの文字掲載なのではなく、聖教新聞の発行自体が謗法なのである。

よいか。オマエは、そーゆー所まで眼力を広めた上で「教学の日であった」と言わねばならないのである。

>今はどこまでが洒落やユーモアで、どこまでがそうじゃないかさっぱり分からんようになった。

大笑。そりゃーオマエらの事だよ。

いや、洒落も何も、どこがホントの創価教義で、どこまでがホントの本尊であるのか。
何奴(どいつ)も、此奴(こいつ)も、勝手な事をベラベラベラベラ巻き散らかしおって!
頭破七分、頭破八分、頭破百分…。もうさっぱり分からんようになった! 小鼻笑!!

しかし、これ嗤えるよな。↓

>【地涌】日蓮正宗自由通信同盟
>日蓮正宗が真に“正宗”であったのは学会との60年間だけだ
>邪宗となった“正宗”は“小宗”となり遂に“消宗”となる

腹笑。

日蓮正宗が真に“正宗”であったのは学会との60年間だけだ、ってオマエ…。腹笑。

その60年間の本尊義を蹴っ飛ばしたのは、一体誰なんだよ!

つまりだ。その逆を言うならば、学会との60年間に於いて、本尊教義を今もって変わらず
堅持している宗門こそが、創価已来の真(まこと)の正しき宗(正宗)という事になるではないか。

ったく、貴様らは一体、何を基準にして宗教の根本義を語らんとしておるのか。

何とか言いなさい、北林!


>毎月、改革同盟、憂宗護法、青年僧侶全員を集めて戸田国際会館で行なっていた会議を、三グループに分けて、
>三か月に一度ずつに変更した。

ふむふむ。そーゆー事かいな。なるほど、なるほど…。鼻笑。

しかし、其れとて仕方あるまい。これら禿人集団は、皆、在家に尾を振る連中である。
月に100万だ、200万だと、創価学会から支給されれば、最早、尾を振る他にあるまいて。
無論、当方からすれば、こんな連中こそが僧侶の風上にも置けない腐った坊主たちである。

日因上人・有師物語聴聞抄佳跡に曰く『檀那は必ず三宝を敬う、還而僧衆檀那の心を取り機嫌に入る事は
仏法を売物にする売僧と云うべし』と。

よいか。僧たる者、御供養と支給の分別が出来ない様では、話にならんぞ。
とまれ、在家にゴマすって物品を支給されるは、これ全く売僧の証態である!

少しは恥を知りなさい!

>後年、日亨上人が戸田会長に対して「戸田さん、あなたがいなかったら日蓮正宗はつぶれたよ」と言われた
>理由がうなづける。この「戸田さん」というのは「創価学会」と同義であろう

哀笑。オマエは、社会人として、何の読解力も無い、単なる阿呆であるのか。
哀笑。「これ、つまんない物ですけど」と土産を渡されて、つまんない物なら要らないよ、と断るか。
呆怒。ったく、何も判らぬ初心者め!

「戸田さん、あなたがいなかったら日蓮正宗はつぶれたよ」

でもホントはつぶれないんだよ。

本より、日亨上人がつぶさないし、日昇上人もつぶさない。
因みに、日亨上人御隠尊、日昇上人御当代の御時、宗門は以下の如く、戸田会長の処遇を断下されたのである。

云く『法華講大講頭の職に於ては大御本尊の宝前に於て自ら懺悔して、大講頭として耻ずるならば即座に辞職せよ。
若し耻じないと信ずるならば心を新たにして篤く護惜建立の思をいたし総本山を護持し益々身軽法重死身弘法の行に
精進すべきである』と。

よいか。こーゆー所をしっかりと見極めて、言動の意(こころ)を理解しなければならないのである。

さても、一大秘法とは御本尊の事ではなく、妙法蓮華経の題目の事である、などという創価学会。
当にこの創価学会こそ、オマエの理屈からして名誉会長を務める池田太作と同義になるのではないか。

戸田会長が云く『南無妙法蓮華経と唱題する中に三秘が具わっているというが如きは、無学のジイサン、バアサンなら
いざ知らず、少しでも教学をやった者には気狂いになっているのではないか、という以外には思いようがない』と。

                               【はかなき邪宗の教学・小樽問答誌 131P】


さても、現創価学会は戸田会長が仰せの如くに気狂いになっておるのか。
お主こそが、能く能く吟味すべきである。さすれば『同義』の意がそこに観えてこよう。


さて、今朝はここまでとしようか。

今朝も今朝とて邪教人。

邪教人への呵責はこれからも続く。
 

ああ、邪教人 其の六十八

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 9月12日(火)17時37分9秒 i114-185-19-59.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  >原田学会の会憲問題点。
>①会長を弾劾する制度がありません。
>②会長を絶対的な存在としています。

小笑。会長を弾劾する制度だ? そんなもん、誰が弾劾するんだよ。
鼻笑。安保理決議じゃあるまいし。
哀笑。言って置くが、そんなもんが出来れば、愈々以って学会の会長職などは、底の浅いモノとなる。

>会憲のように教団のトップを絶対とする思想は過去の歴史からも間違いであります。
>また僧宝である日興上人の指導にもありません。

何? 教団のトップを絶対とする思想は間違いだ?

つまり何だ、オマエら創価ネットの対策チームは、池田センセーを絶対的師匠として見ていない、という事か。

何? 僧宝である日興上人?

哀笑。おいおい、其れ、何処(どこ)の教えだよ。何処から持って来たんだよ!
呆哀。其の出処(でどころ)を宣べなさい。

>日興上人の教団トップへの考え方。
>御書
>時の貫首為りと雖も仏法に相違して己義を構えば之を用う可からざる事。
>通解
>たとえ、日興の後に教団を統括する貫主であっても、日蓮大聖人の仏法に背いて、勝手な自説を立てた場合には、
>これを用いてはならない。

何ぃ? 日興上人の教団だぁ?  小腹笑。どこが。

鼻笑。時の貫首って、創価の会長は貫首なのかいな。そんなモン、貫首どころか、能化でもない、小僧でもない、
単なる在家信者の端くれではないか。ったく、興尊の二十六箇条に原田など持って来るものではない! 無礼である!

>創価学会が仏法の正統を名乗るのであれば、教団のトップを「絶対的」にしてはダメなのです。
>このように考えると原田学会が「日興上人、創価三代会長の正統から外れた外道」であることが明確になったのが、
>「原田学会の会憲」なのです

教団のトップを絶対とする事が、日興上人並びに創価三代会長の正統からして外道であるとは、如何なる事か。
つまりは、日興上人も創価三代の会長も、お主らの教団からして絶対ではない、という事か。
さても、絶対とは如何なる意であるのか。まさか「順世外道」に於ける絶対をして言っておるのか。哀笑。

鼻笑。してもし、そうであるならば、オマエこそが、偏教の主(ぬし)である。呆哀。

尚、言って置くが、創価学会が仏法の正統を名乗るなどは、其れこそ豚がライオンの名を騙るに等しいものであって、
其れこそは、本因妙の教主釈尊に対する、謀りの骨頂である。

日興上人に曰く『この法門は師弟子をただして、仏になる法門にて候なり。師弟子をただして仏になり候。
師弟子だにも違い候へば、同じく法華を持ちまいらせ候へども無間地獄に落ち候なり』と云云。

よろしいか。お主こそは、此の日興上人の御教示こそを、能く能く心読しなさい。
さすれば、真(まこと)の絶対が領解出来よう。

>次期指導者、谷川先生期待に期待してます。
>カリスマたっぷり、池田先生より会員を引っ張る人物です。

そーだな。そろそろ会長先生になってもよいのではないか。
何しろ、面相が若き池田センセーに似ておるでな。本より、根性もそっくりの様である。

そんな次期会長・谷川先生が云く『出世の本懐の意味だって変えればいいんだ。独立した教団なんだから、
変えてもいいんだし、変えられるんだ!』

呆哀。果たして、聖滅七百年後の在家信者に易々と変えられてしまう、大聖人出世の御本懐とは是れ何(いか)に。

鼻笑。谷川センセー。まぁ、頑張って下さい。そして、一大秘法とは、御本尊様の事ではない、という教義を、
あなた様の僧宝たる日興上人の教えから御説明して下さい。

本より、それが出来ないとなれば、其れこそが教学的阿呆の証明となりますので、どうか頑張って下さい。

>池田先生が手作りで作られ私達が大切にしたのは「創価学会」です。
>しかし池田先生が公の場で御指導されなくなった後は「原田学会」です。
>原田会長が運営する「原田学会」は池田先生の思想を破壊する団体なのです。

鼻笑。ならば、池田センセーが公の場で御指導された、

『大聖人の出世の本懐である一閻浮提総与の大御本尊が信心の根本であることは、これからも少しも変わらない』

との断言は、応にオマエら宿坊一味からして、大切な創価学会の教え、という事になるが如何。

而して、宿坊が、一閻浮提総与の大御本尊をして『後世の贋作だ』と侮蔑するは、これ全く池田センセーの指導に
唾するものではないか。つまりは、是れこそが池田センセーに対する『破壊思想』ではないのか。

オマエ、こっちに来て其の事を説明しなさい。

ったく、何が「原田学会は池田先生の思想を破壊する団体」か!

よいか。池田センセーの指導思想を破壊しておるのは、オマエらが投稿している掲示板の管理人である!

先ずは、此奴(こやつ)の破壊思想を退治しなさい。

原田創価の云云などは、其れからの事である。
 

余記

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 9月11日(月)13時15分13秒 i114-185-19-59.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  最早、北朝鮮対策は失敗した。

残された道は、北朝鮮の核保有を此に認め、米・英・仏・露・支の批准国に対する非批准国、則ち、
印・巴(パキスタン)・以(イスラエル)と同じく、其の保有既成の事実を以って容認するという事である。

本より、北朝鮮が名実ともに核兵器を保有する国と成れば、其の北朝鮮の存在自体が、支那や露助からして
東アジアの要塞となるのであり、又、其の理があるからこそ、此奴(こやつ)らは、対話対話と叫びながら、
北朝鮮の核政策を黙認して来たのである。

さても、自国の上空にミサイルを放たれて、空を通り過ぎたから、まぁ良いなどと、こんな悠長な事を言って
いる国などは、最早我が国を置いて他にはあるまい。

とまれ、平和ボケもここまで来ると救いようも無いが、それが最も正しい精神であると云うならば、即刻に、
北朝鮮の核保有を認める事である。さすれば、同盟国の中共支那は、そんな我が国をして褒めて来るであろう。
ましてや、中共政府(共産ゲリラ・八路軍)の国家に対して「大中国」などと尾っぽを振る創価学会からすれば、
是れほど嬉しい事はない。

しかし、米国の無策には失望した。無論、其の部下である日本の対北朝鮮政策など、話にもならない。
ったく、遺憾だ、抗議だ、などと、一体何百回言えばよいのか。いい加減、目を覚ました方がよろしい。

トランプ大統領。もう少し、凄みを見せても良かったのではないか。
其れこそ、支那と露助に対し『石油及びガスの全面禁輸』を確約しなければ、米国は軍事力を行使する、との
二者選択を以って恫喝すれば良かったのである。

まぁ、何れにしても時は遅し。近々の安保理に於いて、支那と露助は拒否権を行使するであろう。
してもし、行使しないとなれば、其の採決内容こそが骨抜きだ、という事になる。
本より、其れらの流れは、北朝鮮からして織り込み済みであり、又、そうであるからこそ高を括るのである。

支那と露助による対話外交への引き延ばしと、日米による遺憾抗議のから騒ぎ。
ましてや、国連による非難決議などは屁にも成らず、とうとう北朝鮮は、名実共に核保有国と成ったのである。
後は、出来得る限り、核兵器を生産し、切の良い所で『生産中止』のカードをちらつかせて、より良い条件を
諸外国から引き出せばよい、という事になる。

『平和に目覚めた北朝鮮』

応に『してやったり』とは此の事をして云うのであろう。

兎にも角にも、支那と露助が在る限り、北朝鮮は安泰である。
 

注意

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 9月 9日(土)05時52分30秒 i114-185-19-59.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  リモホが正規であっても、HNが捨てハンでは、当室への投稿資格は得られんぞ。
プラス、己(おのれ)の立ち位置(所属宗派及び尊仰する本尊教義)も示さねばならん。
どうであるか。お主にとってもハードルが高いであろう。
本より、正邪を論ずるに於いては、其れらの親告は必須と成る。

しかし、お主は其の親告をせずに「相変わらずだな」などと文句を垂れる。
よいか。そーゆーのを「駄駄」と云うのである。

残念ではないか。惜しいではないか。折角、ソフトバンクの正規リモホを経していると言うに…。

お主は以前も投稿しているのであろう。爾(しか)らば何故にHNを一々変えるのか。

ったく、何を怯えておるのだ。

別に固定HNでよいではないか。

今一度、やり直しなさい。

Sバンクのリモホは承った。

残るは、以前のHNと、自身の信条である。

呆哀。ったく、うんうん、などと茶化している場合ではないぞ。

しっかりと襟を正して、自身の信条をぶつけて来なさい。
 

相変わらずだな。

 投稿者:アート  投稿日:2017年 9月 8日(金)21時02分25秒 softbank126094249149.bbtec.net
返信・引用
  うんうん  

ああ、邪教人 其の六十七

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 9月 5日(火)18時20分1秒 i114-185-19-59.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  >「日蓮久遠本仏論」という中近世の寺院仏教擁護論
>日蓮久遠本仏論は神話の世界ですし、因習深く、宗教臭いです。
>現代はもっとスマートに、人間主義の自己実現型成仏観がスッキリします。

哀笑。アンタはそーかがっかいいんですかぁ~。哀笑。
哀笑。もし、そーかがっかいいんだったら、ちゃんと池田センセーの「大聖人は末法の御本仏」という指導に
従った方がいいよ~。哀笑。

>従来の学会教学とは、冨士大石寺顕正会なども含めた伝統的正宗・日寛教義と同じです。
>ここで大事な点は、SGには別の思想潮流があったという事実です。

哀笑。その「別の思想潮流」とは、なんですかぁ~? 小鼻笑。
つまりは、腹の底では、ちがう教義思想を持っていた、という事ですかぁ~?

小鼻笑。っちゅー事は、宗門は其れを察知して、事前に破門の処断を下した、という事になりますね。
小鼻笑。ったく、腹の底で離反しておきながら、宗門に切られた、などと、よくも言えますね。哀笑。

そーかがっかい。いいかげんにしなさいよ。哀笑。

>日蓮本仏論では説得に限界があることを、身で実践で知っておられるからでしょう。
>鬼に金棒とはこのことです。

小鼻笑。日蓮本仏論とは説得するもんなんですか~。呆呆哀。
しかも、その説得に限界があるとは、つまり、オマエの教学力が全くのゼロである、という証拠になりませんか~。
呆哀哀。そーかがっかいいんなら、ちゃんと、日蓮大聖人は末法の御本仏です、と言いなさい。
ともあれ、自分が所属する宗派教団の根本教義に違背している者が、他宗の教義に文句するなどは、応に破廉恥の
骨頂という事です。オマエこそは恥を知りなさい。

>SGのほとんどの中堅幹部は、五重の相対を正確に理解できていないことを残念に思っています。
>長年、任用試験の受験担当や教学支部責を務めてきて、教学の無さに危機感を持っています。

小鼻笑。日蓮本仏論には限界がある、と言っている御仁が、五重の相対を正確に理解できていないことを
残念に思う、とは、ホント、オマエは「面白い」奴ではある。哀笑。
小鼻笑。「教学の無さに危機感を持っています」って、オイ! そりゃ、オマエの事だよ!

>現在の教学部も創価教学を確立するための過渡期を歩んでいる。

そーか、そーか、そーか教学まだ過渡期なのか。そーか、そーか。小鼻笑。
ならば、過渡期の分際で、富士門の大成教学に唾するものではない!

して、其の過渡期の先には何が有るのか。言っておくが、オマエら創価はもう既に新興の宗教と成っておる。
哀笑。そんな新興宗教が、今にして過渡期などと…。哀笑。あまり笑わせるものではないよ。鼻笑。

>また、こちらの板(宿坊板)も弘安二年に随順するのか?新しい教学を指向するのか、人によって見解はことなる。
>堅樹院の教学的解釈を都合のよいところだけ拝借して展開しても仕方がないと思う。

堅樹院? 無礼者! オマエの様な阿呆が呼び捨てるものではない!

何? 弘安二年に随順するのか? だと?

そんなもん、先ずは手前(てめー)ん所の池田センセーに訊いてみろや!

その池田センセーに云く『大聖人の出世の本懐である一閻浮提総与の大御本尊が信心の根本であることは、
これからも少しも変わらない』と。【平成5年9月16日、アメリカSGI最高会議】

なんだ。これもオマエからすれば、堅樹院(日寛上人)の教学的解釈を都合よく拝借した指導という事になるのか。

ならば! 先ずは池田センセーを呼び捨てにして、其の拝借精神を呵責せよ!!

ったく、堅樹院などと、それこそ順序が逆であろうが!

邪教人、ホントにオマエらは邪教人であるよな!

ったく、オマエらそーかがっかいいんには、信仰者としてのアイデンティティーは有るのか。
何奴(どいつ)も此奴(こいつ)も、好き勝手な事を言いおって! もう支離滅裂ではないか!
そーであろう! 邪教人たちよ! 呆哀。

何!? そもそもが邪教を信仰しておるから、アイデンティティーなど初手から有りゃしない。だと?

鼻笑。おぉ! たまには、筋の通った事も言うのであるな。小鼻笑。

>池田先生は日顕宗に勝利宣言をされています。

呆哀哀。だからぁ~、その「日顕宗」に勝利した池田センセーがぁ~、
『日蓮大聖人の出世の本懐である弘安二年十月十二日の一閻浮提総与の大御本尊が信心の根本であることは、
これからも少しも変わらない』と断言してるんだよ! どーすんだよ、これ! まさかウソかいな!
つまりは、ウソの勝利宣言という事かいな! なんとか言えよオマエ!

>創価三代の信仰に於いては、
>人法、つまり本尊と師匠を、その支柱とする。
>言うまでもなく、本尊は、南無妙法蓮華経の御本尊であり、
>師匠は、池田先生である。

堪笑。そーか。法は御本尊で、人は池田センセーか。堪堪笑。
ならば、日蓮大聖人はどーするのだ。日蓮大聖人はどこに行ったのだ。
哀笑。オマエ、其の儘だと墓穴を掘るぞ。小鼻笑。

>保田妙本寺の傘下になって
>ダライラマの手先になって
>もう先生の弟子ていえるん
>なんやそれ
>あかん

哀笑。

日寛上人を蹴飛ばして、
谷川・原田の手先となっても、
センセーの弟子といえるんか。
なんだそれ。
オマエこそあかんよ。

嗤、なんだ、まだあるか、まだあるか。

いやいや、是れこそは限(き)りがない。呆哀哀。

今日も今日とて邪教人。

邪教人への拳骨(げんこつ)は、是れからも続く。
 

松岡の邪文を改めて摧破す

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 9月 4日(月)09時06分1秒 i114-185-19-59.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  言うまでも無く、我々に御下付された一機一縁の分身散影の御本尊は、本門戒壇の大御本尊に会入されて、
つまりは直結される事によって、はじめて御本尊としての力用が示されるのである。

果たして、創価学会員は、保田妙本寺に参詣し、そこに安置してある万年救護御本尊を拝めるか。
して、拝むとすれば其れは何故か。又、拝めない、とすれば、其れは何故か。
尚、此の事は、邪宗身延派が保持している御本尊についても同様に聞い質すものである。

云ク、下種仏法ノ相待妙トハ、釈尊脱益化導ノ一切、イワユル一代応仏ノ域ヲ控エタル方ノ文上ノ
教経ニ対シ、マタソノ熟脱ノ教主ニ対シ、結要付嘱ノ妙法、即チ久遠元初ノ仏法トソノ教主ニ於テ、
権実・本迹・種脱ノ筋目ヨリ、根本ノ麁妙ト本迹ヲ判ズルニアルナリ。

次ニ下種仏法ノ絶待妙トハ、コノ脱上ノ仏教、乃至諸宗教ノスベテガ、文底下種名字ノ妙法蓮華経ニ
帰入シテ、一句ノ余法モナク、待対ヲ絶スルコトナリ。右ハ、一期下種化導ノ大綱ニ約シテ弁ズ。
而シテ宗祖一期ノ弘通ニハ、時期ニ於テソレゾレノ段階アリ。鎌倉期ハ権実相対ニシテ題目ノ弘通、
佐渡期ハ更ニ本迹相対・種脱相対ヲ明カシ本尊ノ弘通、身延期ハ種脱相対ニヨル教主ト大法ノ明確ナル
顕現ト、三大秘法ノ整足、即チ本尊ニ伴ウ戒壇ノ明示等、時期ニ於ル弘法ノ展開アリ。ソノ始終ニ方便ノ
教法ハ一切存在セザルモ、ソノ一々ノ弘通ノ段階ニ於ル破邪顕正、及ビ未究竟ト究竟ノ前後ニ於ル妙法ニ、
自ズカラ相待・絶待ノ二妙ヲ具スナリ。

(中略)

次ニ、題ノ「実行」ノ実トハ、権ニ対スル真実ニシテ、方便ナキ法、即チ種脱相対ニヨル下種ノ妙法ヲ
云ウ。マタソノ行トハ、釈尊ノ一代五時、口輪説法ニ対シ、一ニハ一期ノ始終、事行ノ妙法ノ受持弘通、
二ニハ謗法ノ諸宗諸人ニ対シ、折伏ヲ行ジ給ウニアリ。コノ妙法ノ事行ハ絶待妙、謗法折伏ハ相待妙ニシテ、
絶待ノ処ニ相待アリ、相待ノ処ニ絶待アリテ、一往不二ナレドモ、再往、而二ノ上ニ相待ハ迹、絶待ハ本ノ
勝劣アルナリ。

(中略)

マタ前記待絶二妙ニツキ補足セバ、閻浮総与タル本門戒壇ノ本尊ノ当体ハ絶待妙ニシテ、各個別々ノ本尊及ビ
血脈付法ノ本尊ハ相待妙ナルモ、絶待ニ帰一セバ絶待妙ノ意アリ。他宗他門ノ爾前権迹ノ各本尊及ビ所顕所縁ノ
人ハ、末法ニ於テハ謗法ヲ成ズル故ニ、麁ニシテ妙ニアラズ。但シ棄執帰伏ノ上ハ、個々自立ノ形待ナキヲ以テ、
当宗ノ垂迹堂ニ安ンズルハ相待妙ノ義ニ当タルベシ云云。

                                     【拝述記384頁】


さても、区別・選別は相待妙。其れを絶して会入する(開会して収める)が絶待妙。而して待絶の二妙は、
而二にして不二のものである。さすれば『而二』の意が相待妙、『不二』の意が絶待妙である。例えば
一閻浮提総与の大御本尊と、御形木御本尊は、其の大義からして区別されるものであるが、一閻浮提総与の
大御本尊の法脈からすれば、すべての御形木御本尊は、一閻浮提総与の大御本尊に会入されて一体となり、
応に絶待妙の御本尊として其の力用が示されるのである。つまりは(畏れ多い譬えではあるが)電流が通った
電燈と相成るのである。

つまり、其の理(ことわり)を以って、絶待妙の御本尊、相待妙の御本尊と定義したものである。

而して、其の区別・選別による一機一縁の御本尊は相待妙に位置づけられるのであり、それらの区別・
選別を絶して、其れらすべてを会入する御本尊、つまりは、究竟中の究竟たる日蓮大聖人御本懐の
大御本尊こそが絶待妙の根本なりと識るべきなのである。

爾して、本門戒壇の大御本尊こそが、絶待中の絶待であり、恩師が云われる処(ところ)の『御本尊様は一つ
しかありません』とは、実に其の絶待の意を示されたものなのである。果たして『一つしかない』とは、
これこそが絶待妙の意ではないか。

三大秘法随一(本門の本尊の随一)たる大御本尊であれば、此の大御本尊こそが、他から絶する事の出来ない
究極の法体であり、其れこそ閻浮提の一切衆生が救護される絶待法門の極体なのである。
仍って、其の分身散影たる御形木御本尊は、其の極体からして会入されるべき相待妙の御本尊と成るのである。
爾して、会入されるべき相待妙の御本尊も、一たび会入されれば、須らく絶待妙の御本尊と相成るのである。

松岡は何か勘違いしてないか。

本より御隠尊日顕上人猊下は、日寛上人の御指南を根本にして、究竟中の究竟、本懐中の本懐である
「本門戒壇の大御本尊」こそが、応に絶待妙の極体となる上から、本尊に於る待絶の二妙を解釈されたのである。

つまり『拝述記』に、

竜ノ口ノ後ヨリ妙法本尊ノ顕示ヲ始メ給イ、以後、一期ニ於ル本尊顕示ハソノ時々ノ待絶二妙ニシテ、
爾前権迹ノ仏像経巻本尊ニ対スル相待妙ト、下種本尊ニ於ル絶対妙義アルナリ。【同 387頁】

とあるが如く、日蓮大聖人が顕示されし本尊と、其れ以外の爾前権迹の本尊(仏像)等を相対し、応に其の相対を
以って勝劣を判じる相待妙に対して、顕示されし本尊こそは、須らく絶待妙であると判じられているものである。
実に是れこそが、明解なる待絶二妙の極説であろう。

言うまでも無く、邪宗が保持する真筆本尊は、無得の本尊ではあるが、本門戒壇の大御本尊に会入されれば、
つまり、正法正義の感得が相成れば、其れこそは絶待妙の御本尊して、其の力用が示されるのである。

さても、お主が言う「区別を生かす仏教的合理性に背くことは自明であろう」とは何か。
加えて「合理的な日蓮仏法者」とは一体何か。 松岡よ。あまり軽論を弄するものではないぞ。

>〈比較を絶した妙〉は〈比較する妙〉を通じてのみ現れる。

いや、其の一方のみではない。相待妙(比較する妙)は、絶待妙(比較を絶した妙)に通じなければ、つまりは、
其の義が絶待妙にまで至らなければ真の相待とはならない、という事である。

>先にも触れたが、宗祖の御本尊を相待妙とも見るのは、阿部独自の説と考えられる

だから、御本尊を相待妙と観るのではなく、究竟中の究竟の大御本尊からして、其の他の御本尊は皆、
相待妙と成る、との意である。つまり、個々に於いては絶待妙であるが、三大秘法の総在たる一閻浮提総与の
大御本尊からすれば、其れらの御本尊は皆、相待妙の義となるのである。

本より、人法体一をして観れば、人法(而二)は相待、体一(不二)は絶待。
仍って、日応上人と日顕上人の弁は、其の立て分けからして同義となる。

日寛上人に曰く『弘安の御本尊、御本懐を究尽するや。答う、実に所問の如し、乃ち是れ終窮究竟の極説なり』と。

つまり、弘安に於ける本懐中の本懐たる戒壇の大御本尊こそが、絶待妙としての終窮究竟の極体という御意である。
お主は当分に於いて論じ、当方は跨節に於いて論じているのである。つまり、戒壇の大御本尊を絶待妙の唯一と
しないかぎり、お主の持論は須らく相待妙の片論となるのである。

よろしいか。体外の辺は勿論ダメであるが、体内の辺に於いても、実でなければ駄目なのである。

果たして、分身散影(分身散体と同義)の御本尊とは、一体、どこから分身したのであるか。抑も、分身するという事は
其の分身する以前に於いて本体がある、という事であろう。

つまり、御本尊に於ける待絶の二妙を否定するという事は、本門戒壇の大御本尊の大義を否定する事であり、
其れは日寛上人の御教示に違背する事であり、其(そ)はつまり、創価学会に於る日寛上人の御本尊下付の大義を、
自らが否定する事となるのである。つまり、矛盾をきたすは、お主の論という事になるのである。

云く、

『「法体の血脈」という時、その「法体」とは本門戒壇の大御本尊以外には有り得ません。ゆえに、日寛上人が
「法の本尊を証得して、我が身全く本門戒壇の本尊と顕るるなり(中略)題目の力用に由るなり」と示されている
通り、一切衆生の成仏を説かれた大聖人の仏法では、法主に限らず、全ての門下僧俗が「題目の力用」によって、
「法体の血脈」を受けられるのであります』と。 【日蓮正宗改革同盟 決議文より】

哀笑。

果たして、法体の血脈の「法体」こそは、本門戒壇の大御本尊以外には有り得ない、とは如何なる事か。
して、其の唯一の法体に帰命し、応に其の力用によって「法体の血脈」を得るとは、如何なる事か。
一部の表記には間違いがあるが、戒壇の大御本尊をして法体の唯一とし、その法脈を以って題目を唱うれば、
日寛上人の御本尊に於いて功力を得るとは、応に絶待にして相待たる、本尊授与の大義を云うものではないか。

して松岡よ。

お主は今、どーしておるのか。

果たして、今に於ても、上記の論説を死守するのであるか。

本より変節していない、というならば、早急に創価学会の邪義を破折せよ!

>「法体」こそは、本門戒壇の大御本尊以外には有り得ない。

其の事、よもや、ウソではあるまいな。

ならば早く致せ!

最早時間は無い。モタモタしておると、お主も其の内にポイ捨てされてしまうだろう。

諫言するなら今のうちである。

池田センセーが臥していたならば、今すぐ叩き起して言いなさい。

「唯一の法体を不受持にするとは、一体何事ですか!」とな。

よいか、禿人。

白を切っている場合ではないぞ!
 

ああ、邪教人 番外

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 9月 3日(日)13時31分19秒 i114-185-19-59.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用 編集済
  >嫌中嫌韓をはじめ排外主義的な傾向が窺われる……

嫌中嫌韓? 小鼻笑。

オマエの目ん玉は土竜の眼であるのか。

呆哀。好き嫌いの感情で物事の正邪を量るなど、其れこそが稚断の証しとなるではないか。

よいか。嫌支那ではない。其れこそは愚かなる中共政権をして言うのである。
加えて、嫌朝鮮でもない。其れこそは愚かなる南北朝鮮をして言うのである。

呆哀。ったく、其の様な事、現今の両政府を観れば、一目瞭然ではないか。

よいか。オマエの様な、土竜の目ん玉で論する「嫌中嫌韓」こそ、我が国を溶解させる売国の恥言である。

中共の王毅が云く、

「日本はまず自らの心の病を治す必要がある」【3/9  於全人代会見】

ふざけるものではない。

よいか。病んでいるのはオマエら中共政権である!

よいか。人のモノを自分のモノとするは、是れ全く利己貪欲の痴病である、という事を識(し)りなさい。

「日本はまず自らの心の病を治す必要がある」

呆呆哀。大丈夫か? そのアタマ…。


>客観性・公平性を謳う言説の危うさと、その背後に潜むどす黒い意図について、もうしばらく推移を見た上で
>叙述していこうと考えている。

小鼻笑。おいおい、其のセリフ、創価大の宮田とか、元坊主の松岡とかに言ってやりなよ。哀笑。
序(つい)でに、日蓮大聖人を御本仏と仰ぐは、これイワシの頭を信じるに同じ、と侮言した宿坊と、
日蓮大聖人よりもっと凄い人が現れる、と狂言した除名イタチに対して、其の主観に於ける正当性と、
其の主観から発せられた非公平性について、其の正義正論なりを、オマエから問い詰めてみなさい。
さすれば推移などは容易に省(はぶ)かれて、どす黒い客観性と、其のどす黒い公平性が、其れこそ
どす黒い意図と共に炙(あぶ)り出される事であろう。

>松戸氏の凡夫本佛論の考察や西山論文のいかに凡夫が本佛に会通するかの論理構築に苦闘、研究されているかが
>全くわかっていない。そもそも読んで、中身に反論するだけの論理も持ち合わせていない。

呆呆哀。

ヘボ学者による文上読みの理論構築など、我ら富士門の法義からすれば、単なる小手先の稚論に過ぎない。
否、そういう己義我論を以って、日蓮大聖人の御内証を量らんとする談合こそ、驕慢謗法の大愚態である。

>創価学会もとうとう宗門と同じく、上座部仏教制度を取り入れてしまった。御本尊様と会員の間に役職を
>持つものを設け、その者たちに権限を与える。このような制度は池田先生が私たちに教えてくれた、邪宗教の
>定義そのものです。池田先生は、「会長が上、会員が下。そうなったら創価学会も邪教です。」とおっしゃり、
>創価学会のドグマ化を心配していましたが…

哀笑。オマエは何も解っていない。だから何も判らない。

>ついに会憲制定されましたね。
>11月18日には谷川会長誕生ですか?

おお! いよいよか。

しかしな。オマエらは在家教団であるから、カリスマ的リーダーを失ったら、後は弱体化するのみである。
無論、ここでいう弱体とは、数の減少などを云うものではない。果たして其の答え。オマエらに解ろうか。鼻笑。

>池田先生は「お元気」というのが一番のウソですね。
>「一凶」というべきか。ご病状を全学会員に知らせることが最重要かと思います。

其の通り!

本より「お元気」というのが一番のウソであるならば、池田センセーこそが一番の「病人」という事になる。
無論、一番の病人とは「重病人」の事を指して云うものである。

『同志の皆さん! 私は今、病に臥しておりますが、どうか心配しないで下さい』

何て事はない。此の一言が本人からあれば其れで良いのである。しかし、其の生言が本人の口から出て来ない。
果たして其れは何故か。其れこそは口も利けない程の重病だからである。
いや、口は利けても、其の意味が聞き取れない、という状態とも云えよう。
尚、当方の耳に入る噂では、既に池田センセーは萎(しな)びた寝たきり老人のオシメ姿であるという。
まぁ、其れ以上は言うまいて。今更、法義敗軍の御大将のオシメ姿を詰(なじ)った所で、詮無きことである。
とまれ、池田太作の生きながらの謗法現証こそは、応に日蓮大聖人の大魂魄(こんぱく)たる戒壇の大御本尊よりの
法罰である、という事を、オマエらは能く能く識(し)るべきである。

>可能性は低いと思いますが
>聖教新聞・創価新報に騙されてた説もありえますね

可能性低くないよ。鼻笑。

せいきょー、しんぽー、じゆ、ふぇいく、

鼻笑。トランプ大統領ではないが、オマエらみんな出ていけ! の類(たぐい)である。

よいか。悪徳根性の人種であるからこそ、怪文書を発行し、味方を騙し、敵を貶(おとし)めるのである。

保田妙本寺、日護御尊能化に云く、

>2009年5月より給与停止。
>寺院明け渡し。
>各地各所における私への誹謗中傷。
>深夜の嫌がらせ電話。
>自宅玄関へのゴミ投棄、動物の死骸投棄。
>尾行等、

なんだ。今度はお主がやられたのか。哀笑。
どーであるか。凄(すさ)まじいものだろう。
しかし、宗門僧侶は、其れを長年耐えて来たのである。
而して、お主は、そーゆー嫌がらせ、ゴミ投棄、尾行する側に付いたのである。
しかし今度は、される側に回ってしまった。
はて、そーゆー巡り合せを何と言うのか。お主こそは四文字熟語で答えなさい。

しかしなんだ。

大石寺の寂日坊から万年救護御本尊を持ち去り、蓮蔵坊から御影を持ち去り、挙句の果てには質屋に入れて、
其の醜態ぶりを富士門流に轟かせたが、ようやく昭和の代になって改心し、我が興門正統に帰伏したのである。
しかし、郷門の性とも云えようか。其の反骨離反の性根は、否応(いやおう)なしに燃え出して、結句は38年間の
帰順を棒に振って、元の小鞘に納まった、という事である。

まぁ、兎も角、今にも崩れそうな山門をなんとかしなさい。

尚言っておくが、お主ら郷門は富士五山にも入らず、買戻しの万年救護の大本尊は、中興日我からして戒壇の
本尊と為し給はず、以って、富士大石寺を総本山と再仰したるは、これ全く未来戒壇堂の本拠と成らず。
依って、郷門・保田妙本寺は、興門正統の枝流にして本流に非ず。さても其れを見抜けぬとは、日護御尊能化、
未だ池田病に憑りつかれておるのか。

ところで御尊能化。

以下の御信心、今も変わらずに厳守されておられるか。

云く、

『今回、学会が会員の方々に授与するお形木御本尊は、日寛上人が大聖人出世の本懐たる「戒壇の大御本尊」を
お写しされた御本尊である。ゆえに、「大御本尊根本」の信心はいささかも変わらず、当然、これまでの御本尊と
功徳においてなんら違いはない』と。

重ねて云く『「法体の血脈」というとき、その「法体」とは本門戒壇の大御本尊以外には有り得ません』と。

日護御尊能化。

どうですか。

まさか『ウソつき創価』に染められて、其れらはみんなウソでした、とでも言われるか。

御返答によっては、免れ難き大罪となりますぞ。

因みに、保田妙本寺の鎌倉日桜(2009年死去)は、富士大石寺の大御本尊を「他者による後作」と
言っていたようであるが、果たして御尊能化。本門戒壇の大御本尊は偽物と断じた日桜貫首の子息に
仕えるが正しいか。それとも、創価幾百万の会員に宣言した本尊義こそが正しいのか。
今こそ、御尊能化の真っ当な信心こそが試されるのであり、其の振る舞いの正義こそが決定されるのである!

>イスラムはなぜ世界宗教になりえたか
>神の前では、すべての人は平等であるという、イスラムの理念が重んじられたのです。
>それは『コーラン』の精神です。

呆怒。

おいおい! 又言っておるか! 鈴之助よ!

しかし、赤胴武士の名を掲げる者が中東外道を賛美するとは、まさかお主、鵺かキマイラであるのか。

兎も角、お主こそは、イスラム外道の根源を知りなさい。

以下の再掲は後学の為である。よ~く読みなさい。

尚、後半は、お主が投稿している掲示板の管理人(宿坊)の呵責も併せてしておるから、已後、宿坊の掲示板に
投稿する際は、先ず以って管理人に対する破折の材料と致しなさい。

では再掲する。


【外道による破壊行為について】


今回、又しても悍ましいテロ行為がフランスで勃発した。

全く以って痛ましい限りである。

イスラム教過激派…。

以下は、以前、とある法華講員からの投稿に対して、当方が述べたものである。

無論、この再掲は、彼らイスラム外道者等に対する呵責を込めてのものである。

かなり前の内容ではあるが、其の呵責する処(ところ)に於いては、現在も変わる事はない。


>世間では シリアで戦争始まる雰囲気のニュースを流していますが、

そうですね。

どうやらオバマ大統領は、シリアに対しての軍事行動を決断した様でありますね。
あとは、アメリカ議会の動向でありましょうが、もし、議会に於いて反対となれば、国際社会での
アメリカの権威は失墜するでしょう。そして、イスラム社会国家は益々暴走する事でしょう。
本より、アメリカこそが国際警察の役割を持って、北朝鮮や支那などの独裁国家の横暴を抑止し、
イスラム教徒によるテロ行為(無差別殺人)に対しては断固、其の権威(軍事力)を発揮すべきであり、
又、其れこそがアメリカとしての責任なのであります。いや、その責任を誰よりも択んできたのが
アメリカ自身であるとも云えましょう。自発による責任ほど重いものはないのです。

さて、シリアと云えば中東、中東と云えばイスラム教でありますが、御承知の如く、イスラム教には
大別して『スンニ派』と『シーア派』があって、此の二派は、互いに憎しみ合い、時には殺し合って、
其々の正義を主張しております。元々、イスラム教というものは、政治宗教であり、他国に攻め入って
教えを拡大し、そこに住する異教徒を討伐してイスラム国家を樹立するという、所謂『布教戦争』を
聖戦とするものであります。

本より、イスラム教というものは、愛憎を育(はぐく)む宗教であり、預言者ムハマンド(マホメット)が、
国家建設に向けての布教戦争の折、ユダヤ教徒を虐殺し、女子供を奴隷とし、ムハマンドの死後、
其の教え(政治体制)を継承したカリフ(指導者又は代理人)によって維持されましたが、9歳の娘を56歳の
ムハマンドに差し出して、ムハマンドの義父となっていた初代カリフのアブ―は、間もなくして病死し、
同じくムハマンドの義父である二代目のウマルは奴隷の手によって殺され、又、ムハマンドの娘2人と
結婚していた三代目カリフのウスマーンは、次の四代目カリフに就くアリー派によって暗殺され、事実、
次の四代目にはアリー(シーア派初代)が就いたのであります。そして、次の五代目には、血の復讐を叫んで
アリーと対立した、ムアーウィヤ(スンニ派)が就任し、其の息子のヤズィードが、アリーの息子である
フサインを惨殺した事から、スンニ派とシーア派との憎悪による対立が決定的となったのであります。

しかし、スンニ派にしてもシーア派にしても、其の尊崇する神は『アラー』であり、其れに対する信仰の
揺らぎは一切ありません。本より、信仰とはそういうものでありまして、自らが信仰する神を疑い、
又は否定する行為などは、もはや信仰者ではなく、その教団組織からして、応に異端者の其れとなるのであります。

尚、最近では「日蓮大聖人は末法の御本仏ではない」と主張する創価学会員がネット上に増殖しておりますが、
応に是れこそはイスラム教徒が「アラーは神ではない。ムハマンドはイスラームの預言者ではない」と言っている
様なものであり、其れこそ此の様な者らは信仰者でも何でもありません。
小生から言わせれば、単なる異端者であり身中の蝗蟲(いなむし)であります。して、そんな蝗蟲どもが、
我らが尊信する本尊と教義に対して『偽物だ!謗法だ!』と言うのであります。哀笑。応に「漫画」とは
此の事を指して云うのでありましょう。哀。

>キリストの磔十字架を首にぶら下げるキリスト教の教えでは、人は救えません。
>世界中の人があの像を見て、ぞっとする心がないのは、神経マヒしているのでは?
>磔の像見ながら生活して、平和な心がわきますか?

そうですね。我らからすれば教祖や門祖などが磔(はりつけ)された本尊などは拝みたくありませんね。
しかし、十字架はキリスト教徒にとって受難の象徴であり、復活の象徴でもあります。

尚、聖堂内に於いて十字を切る(画く)動作は、主にカトリック教徒であり、プロテスタントなどの分裂諸派などは
十字を切らない、とも言われております。

しかし、三位一体の神を尊信するに変わりはなく、その点、創価学会員による『日蓮大聖人は末法の御本仏ではない』
との主張からすれば、まだまだキリスト教などは「信仰」としての体は為している、という事でありましょう。
果たして、其の事を思えば、短期に於いて本尊や教義を変節する宗教などは、抑もが宗教としての確立が未熟なので
あり、其れこそ、其の『未熟』を以って『謗法』と断下するのが、日蓮大聖人の仏法なのであります。

さても、日蓮大聖人が三大秘法の南無妙法蓮華経を顕示されしより七百有余年、今にして末法の御本仏が、
日蓮大聖人である事を疑い、又は、其の相伝たる法義を恥じて、日向身延派の「釈迦本仏論」に秋波を送る
創価学会員などは、もはや信仰者の風上にも置けない、其れこそ古本を背中に担いだ身中の蝗蟲の姿でありましょう。
まこと反吐(へど)が出るような痴態であります。

>日蓮正宗の信心をすべきです。お寺に来て御受戒を受けるべきです。
>ご本尊様を拝むべきです。大石寺の大御本尊様を拝むべきです。

そうでありますね。

而して大事な事は、其の受けるべき信心、そして拝むべき信心の啓発を、突喊(とっかん)ではなく、
あくまでも「臨機」に応じて行う事であり、例えば火葬場に於いて、別の葬儀者が招いている浄土宗の
僧侶を捕まえて『あんた! 念仏など唱えたら、死んだ人は地獄に行くよ!』などとは言ってはいけないのであり、
又は右翼団体よろしく新宿の駅前に街宣車を繰り出して『創価本尊は偽モノだぁ~!』『池田大作は化け物だぁ~!!』
と叫びながらビラをまき散らかす行為も『臨機に反した突喊』の一部になるのであります。

其れよりも何よりも、昨今では、創価学会員自らが『日蓮大聖人は偽本仏だぁ!!』と叫んでいるのでありますから、
其の相手の『偽信心』に対して、こっちが態々(わざわざ)『偽物だぁ!』と言う必要もない、という事であります。哀。

尚、今回のようなテロ事件が勃発する度に言っているが、世界のイスラム聖職者と名乗る者共は、こういう破壊行為が
勃発した時、何故に黙殺するのであるか! 説教しろよ、説教! たとえ異端者であろうと、アッラー、アクバル!
と叫んでいる以上、オマエらと同じイスラム教徒ではないか! ったく、何を黙っておるのか!
聖戦を叫ぶならば、オマエら聖職者がイスラム国に乗り込んで説教しなさい! 其れこそがオマエらの聖戦である!!

イスラム外道! 全く以って邪教の骨頂である!

【以上、再掲終わり】


>神の前では、すべての人は平等であるという、イスラムの理念が重んじられたのです。
>それは『コーラン』の精神です。

智慧を廻せ、智慧を廻すんだ! なぁ、鈴之助よ。

アッラー、アクバル! それは自爆の宣誓である!

>松戸行雄「凡夫即身成仏論」

哀笑。そんな我見書を読んで何になる。

よいか。そんな愚書を読む閑があるのなら、日寛上人の当体義抄文段こそを心読しなさい。

保田妙本寺・日護御尊能化に云く、

『前人未踏の世界広布を目指す創価学会の信心は、日寛上人の「大聖人直結」「御本尊根本」「広布根本」の信心に
符合しており、私どもは日寛上人の御本尊がまさに時をえて出現されたのだ、とひとしおの感慨を覚えるものであり
ます』と。【御尊能化所属の日蓮正宗改革同盟 決議文】

よいか。オマエらこそは日寛上人の御教示こそを学びなさい。
さすれば、再び、眼の前が開かれる事であろう。

日蓮大聖人に曰く『仏後の外道は仏教をききみて自宗の非を知り、巧みの心出現して仏教を盗み取り、自宗に入れて
邪見もっともふかし。附仏教、学仏法成等これなり』と。爾して曰く『仏法の義を以て偸んで邪典に安(お)き、
高きを押して下(ひく)きに就け、尊きを摧(くだ)いて卑しきに入れ、概して平等ならしむ』と。
仍って曰く『即(すなわ)ち在家の身を以て仏法を破壊す。此の人正教を偸竊(ちゅうせつ)して邪典に助添す』と。

松戸・松岡・宮田・北林…。

加えて、宿坊・イタチ・金ピコの者共…。

此奴(こやつ)らは皆、上記御文に当て嵌まる、邪見巧心の謗法者どもである。

よいか。近づいてはならん。近づいてはならんぞ。

おっと! 気が付けば、番外が長文になってしまったわい。

いや、そうであるからこそ番外とも云うべきか。

まぁ、よいわ。

何れにしても邪教人。

邪教人への呵責はこれからも続く!!
 

ああ、邪教人 其の六十六

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 8月23日(水)18時39分57秒 i114-185-13-13.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  宿坊の掲示板。

相変わらずの混濁掲示板。

何故(なにゆえ)に混濁か。

言うまでもない。

釈迦本仏を唱え、日蓮大聖人が御本仏であると言うのは、イワシの頭と同(おんな)じだ、と侮蔑した
黒カラスの宿坊が運営する掲示板に、正義漢よろしく創価執行部の信心はおかしい、などと文句する
連中が屯(たむろ)する姿。さても此の集態を混濁と言わずして何と言うのか。

とまれ、投稿者からして見て見ぬふりであるならば、他者に文句する資格など初手から無いのであり、
其れが無知から来るのであれば、学会員として今一度、日蓮本仏義を勉強すべきである。

哀笑。しかしなんだ。日蓮大聖人が末法の御仏とは知らぬ学会員など居るのかいな。哀笑。

兎も角も、知っていて管理人の宿坊を呵責しない学会員などは、須らく謗法与同の其れであり、
もし無知にして無頓着なれば、其れこそ、執行部を批判する力量など、初手からして持ち合わせていない
という事になるのである。さても、そんな連中が、仏法の正義を唱えるなどと…。小鼻笑。

よいか。そーゆーのを「漫画」と云うのである。

して、そんな汚濁掲示板の中に在って、宿坊の狂言に無頓着乍(なが)らも、何やら真っ当な事を言っている
御仁が居る。

云く、

>末法の娑婆世界において大法を弘通しているのは創価学会しかない。
>ゆえに戸田先生は、未来の経典に「創価学会仏」と記されるであろうと断言
>されたのである。

>ところが戸田先生はみんな凡夫と指導されてますね。
>そう考えると戸田先生が「創価学会仏」なんて言うわけがないと思います。
>もし戸田先生がおっしゃったとしても、それはお得意の人を笑わせるための
>ユーモアだったと思われます。

>任用試験に”「創価学会仏」とは何か”こんな
>質問があったら、私は何と書いてよいのか
>わかりません。

>日蓮大聖人様の御書に書かれていない「創価学会仏」を信じてしまったら、
>お陀仏にならないようにと祈るばかりです。

うむ。そりゃ、その通りだ。

>誰か”「創価学会仏」とは何か”という質問にこたえてくれる方はいるのでしょうか?
>タイ人の人たちに質問されてもこたえられません???
>やっぱり「創価学会仏」のことは忘れて、今日を
>明るく元気に私は凡夫のままでやっていきます。

そーか、そーかがっかいぶつ、が解らんのか。そーか、そーか…。(うむ、是れこそは完璧な洒落であるぞ…)

猶(なお)言っておくが、釈迦本仏主義の宿坊などに訊いてはならんぞ。
加えて、宿坊と組んでいるイタチに訊いてもならん。
此奴(こやつ)らは、皆、日蓮大聖人を見下している連中である。

従って、当方が答えてしんぜよう。

果たして「創価学会仏」とは何ぞや。

御義口伝に云く『無作の三身当体蓮華仏とは日蓮が弟子檀那等なり。南無妙法蓮華経の宝号を持ち奉る故なり』と。

さても、日蓮大聖人、我ら弟子檀那をして無作三身当体蓮華の仏である、という。
されば、其れらの仏たちが集う創価学会をして「創価学会仏」と名乗るは、これ全く正義に適う。

と、タンコブ原田(今はタンコブ無し)が自慢げに言う。「だから創価学会仏なのだ」と。

呆呆哀。

違うだろー、違うだろー。

間抜けた事を言うものではない。

本より「間抜け」とは片手落ちの事を指していう。

よいか。片手しかないものを両手と申すは、これ虚言となる。
ましてや、其の片手が腐っているとなれば、其れこそは誑言となる。

タンコブ原田よ、しっかりと聞きなさい。

「創価学会仏」というのは、総じての総であり、其の義を仏性からして言うならば、大誓堂も「大誓堂仏」となり、
信濃町も「信濃町仏」となり、其処(そこ)に咲いている草花も「草花仏」となるのである。(これは洒落でないぞ)

して、其れを「南無妙法蓮華経の宝号の奉持」つまり、御本尊の受持を以って「創価学会仏」と名乗るならば、
其れこそは総別の二義に於いて「総体の義」であると此に宣言しなければならない。

よいかタンコブよ。

オマエら現創価学会は、今に於いては法華大乗の一大秘法にさえ迷う無智集団に成り下がっているのである。
そんな無智無学な集団が、声高らかに「創価学会仏だ!」などと申したら、其れこそ皆が皆、彼の雪中筋肉老人の
様になってしまうではないか。

「貴方は仏様ですか?」

「そーです。私が仏様です」

「その仏様が集まっているのが創価学会仏なんです」

呆哀哀。

莫迦言ってんじゃないよ、オマエ。

よいか。其の様に総義を以って主体と為すは、これ全く迷蒙小義の愚態である、という事を此に識るべきである。

日蓮大聖人が曰く『総別の二義少しも相そむけば成仏思ひもよらず。輪廻生死のもとゐたらん』と。

されば、創価宣言の「創価学会仏」とは、応に六道輪廻にして不成仏の合言葉になるは、これ必定と成るではないか!

反論あるなら申してみよ!


>戸田先生はみんな凡夫と指導されてますね。
>そう考えると戸田先生が「創価学会仏」なんて言うわけがないと思います。

先ずは宜しい。

果たして貴殿が創価学会員であるならば、其の正義に於いて首の皮一枚残っている状況である。

恩師に云く『自分自身が本尊であり、お題目を唱えるものは等しく地涌の菩薩であって、日蓮大聖人とも
変わりがないと考えることは、重大な増上慢の極みであり、大謗法である』と。【戸田城聖全集 第3巻65頁】

貴殿こそは、上記の指導を心肝に染めて、現創価の狂義狂学を内から責めて往きなさい。

よろしいか。恩師は、地涌の菩薩の名乗りさえ、総別の二義に於いて誡められているのである。
其れを「我らこそが仏の集団である」などと…。呆呆。

もしや貴殿が、其の事について領解しているのであれば、愈々(いよいよ)結構な事である。

されば其の正義を以って、先ずは貴殿が投稿している掲示板の管理人を叱りなさい!
本より其の管理人とは『宿坊』という痴れ者である。先ずは此の者を叱りなさい!!

さすれば、貴殿の言動こそが一致と相成る。



さて観るに、こんなものが目に入って来た。

>民衆を服従させ、精神的にも政治的にも自信を失わせ、無気力にさせようとする支配勢力にとって、
>日蓮とムハンマドの教えは、これからも"脅威"であり続ける、と私は確信しています。

果たして是れは誰のセリフか。

もし是れが、池田太作のセリフであるならば、全くの莫迦であり、もし会員であるならば究極の阿呆である。

呆哀哀。ムハンマドの教えが、支配勢力にとって脅威になるだと?

オマエら、大丈夫か? その頭。

この投稿者、オマエ! 宿坊(黒カラス)の掲示板に投稿しているオマエ! 赤胴鈴之助、とか云うオマエ。
オマエ、こっちに来なさい! さすれば、当室に於いて大説教してやろう。

ったく、今の創価学会員は、此の者の様に劣化しておるのか。もう滅茶苦茶であるよな。呆哀。
やはり、本尊教義が滅裂になると、信者会員も脳が分裂して莫迦になるのであろうか。

さもありなん。さもありなん。

兎も角、オマエ、こっちに来なさい!

今日も今日とて邪教人。

邪教人への呵責はこれからも続く! 
 

莫迦に付ける薬

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 8月21日(月)15時06分47秒 i114-185-13-13.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  さて、過日のテレビニュースでは、と或る新興宗教の聖地などを紹介していたが、本日は違う。

真面(まとも)なニュースを改めて紹介しよう。

云く、

「重力波」の直接観測が此に成功したという。

おお! 其れは凄い!

其れこそは画期的な事である。

本より、超極少な時空(時間と空間)の歪みを直接に観測出来たという事は、天文学の発展にとっても大なる
成果となるだろう。

其れを思えば、如何にアインシュタインの理論が精密であったか、という事が、此に於いて(改めて)了知できる
のである。

しかし、其れらの理論と証明は、天文学も含めて、須らく仏法義の一端を示すものに他ならない。

例えば『過去・現在・未来を区別するのは幻想に過ぎない』とは、アインシュタインの言葉ではあるが、
仏法義に於いては『過去と未来と現在とは三つなりと雖(いえど)も、一念の心中の理なれば無分別なり』として、
応に時空と人間、時空と一念という、より深い定義を以って、其れを示しているのである。

本より、時間というものは、人其々に於いて同速ではない。つまりは、独自の時間、独自の時間軸というものが
あって、其々に於いて動いているのである。果たして、これもアインシュタインの理論ではなかったか。

無論、仏法義に於いて、其々の境涯により、時間の長短が現れるなどは、アインシュタインが生まれる以前から
示されている。其れに依れば、天界に於いては1時間が0.19秒となる。

又、時間とは瞬間の連続、とも云うが、これとて仏法義からすれば、初学の範疇となる。
本より、瞬間(時間)の連続に於いては、必ずそこには因果が生じ、しかも其れは須らく倶時である。

尚、我が宗門に於いては、此の因果倶時の当體を仏として開く、所謂『本因仏法』を旨としておるから、
此の大義を領解出来ない内は、久遠元初の深意などは、到底理解出来ない、という事になる。

果たして、検証出来得ないものは科学ではない、とはよく言われるが、其れこそが科学の限界であり、
其れこそ、ビックバンより100兆年も前の宇宙など、到底知り得ないものとなる。

尚、仏法義に於いては、仏が百千万億那由陀阿僧祇の国に於いても衆生を教化する、という深義があるが、
是れこそは、天文学の先を行く、応に此の宇宙法界の実体を如実に表したものと領解出来よう。
して、是れこそは仏に於ける分身散体の極理である、という事を見逃してはならない。

爾して、我々の身体を構成する元素は、須らく宇宙そのものの元素であるから、此の広大な宇宙に於いて、
其れこそ、人間と同じ生体が存在するなどは、至極当然とも言えるのである。しかも、其れらの星々には、
其々の国が在り、しかも、そこには知的生命体としての哲学や宗教が存在するともいう。
無論、これとて、天文学等の分野に於いて、仮説として示されているものである。

又、宇宙法界に於いては、1mも100億光年も、仏法義からすれば同時・同距離の範疇となる。
仍って、我らの一念は、此の宇宙法界に遍満し、其の波動は瞬時に亘るのである。

曰く『四方四惟上下合して十方なり、即ち十界なり。十界の衆生共に三毒の光之有り。(中略)
今日蓮等の類(たぐい)南無妙法蓮華経と唱へ奉るは十界同時に光指すなり』と。【新編 1753】

本より、これら一念の波動は、あらゆる障害物をも突き通し、天地をも突き抜けるのである。
つまり、其の一念に於いては、距離や時間などは影響しない、という事になるのである。
つまり、ブラジルに居る娘が、日本に住む母親の健康を祈るに、何分経ったら其の祈りが届くとか、
そういう次元のものではない、という事である。無論、此の定理は、宇宙間に於いても同じである。

しかし、時間というものは、まこと不思議なものである。
果たして、時間とは一体何であるのか。
実に、その答えこそが、仏法義には在るのである。

まぁ、ややこしい話はこれくらいにして、昨今の新興宗教の話に戻そうか。

何と観れば、

>ここだけの話、昨年先生が海外のメンバーを直接激励してたの知ってる。
>先生だいぶ痩せられたけどご健在だ。

などと胸を張っている御仁が居った。

いやはや、それは凄い情報であるよな。

では、此に質問しよう。

その健在なるセンセーが、なんで何も喋(しゃべ)らんのだ。

おかしいではないか。まさか、舌ガンと成って、舌を抜かれてしまったのか。だから喋れないのか。

よいか。首魁の沈黙は有らぬ疑いを招く。又、其の事態に甘んじるは、指導者としての責任放棄とも成る。

ったく、密附相伝ではあるまいに、健康ならば健康、舌ガンならば舌ガン、植物なら植物と、はっきり本人が
其の状態を宣告すればよいのである! そーであろうが! (おっと、植物となれば其れも出来んか…哀)

今一度問おう。

健在なる池田センセーが、なんで何も喋らんのだ。
何故、公けの場に出て来んのだ。
其の事を是非、教えて貰いたい。

何?

>2017 8.14
>池田先生ご夫妻が創価文化センターへ 創価学園創立50周年記念展示を見学
>創価学園創立者の池田大作先生と香峯子夫人は13日午前、東京・新宿区の
>創価文化センターを訪れ、学園創立50周年の記念展示「君よ使命の大空へ」を丹念に見学した。
>ご夫妻は、四季折々の学園生との交流を振り返りつつ、勉学、クラブ活動に鍛えの夏を送る生徒・
>児童の奮闘をたたえ、学園の一層の発展を念願した。

だと?

何だ。池田センセーは元気であったのか。

さても、文武両道に励む生徒児童の健闘を称え、学園の発展を念願したとは、いやはや何とも勇ましい。

よろしい。

ならば太作よ。何故に創価教義の変更に於いて、自らが其の陣頭に立ち、教義混乱による幹部違背の騒動を
未然に抑止しなかったのか。果たして身体健全にして其れらの事態を見過ごすは、これ全く無放任無責任の
恥態ではないか! 太作よ! お主の罪は重大であるぞ!

夫人? 何が夫人かっ! 夫人が何なのだ!!

ったく、宗教団体の行事に於いて、教団教祖の夫人がのこのこ出で来る事自体、そこら辺に転がっている
新興宗教の腐臭と全く同じである! 少しは恥を識(し)りなさい!

>日亨上人の文章をねじ曲げて、ありもしない似非信者だと批判した文章だと主張する人はいったい
>何なのだろう。

何なのだろう??

阿呆! 其りゃ、オマエら事だよ!

曲解、切文、誇張、虚偽。

まさにフェイクの真骨頂。

ほら、そこのオマエ。懲りずにフェイクをベタ貼りしているオマエの事だよ。

鼻笑。しかしなんだ。自分の事を謗法呼ばわりしている文書を、好んで貼り付ける神経とは、
一体いかなる神経であるのか。まさか、其の貼り付けている行為自体がフェイクだと言うのか。哀笑。

よいか。そーゆーのを頭破作七分と云うのである。呆哀哀。

>あんなボンクラ宗門に、『権威の衣』など存在しない!
>それはだらしない、能無しの弟子たちが、臆病風に吹かれた末に見た幻だ!

哀笑。そーじゃねーだろ。『あの衣は権威だー! 権力だぁー!』とは池田センセーの口癖だよ!
はてさて、オマエの言い分からすれば、能無しの池田センセーこそが臆病風に吹かれていた、という事
かいな。呆哀笑。

因みにボンクラはオマエたちの方であるから、今後、言い間違いのない様に。よろしいか。

>私たちの胸に深く刻まれゆく岐阜の天地は、第三代であられ、一閻浮提の座主であられる日目上人の
>〝殉教″の栄光の大地である。(新・人間革命 249)

哀笑。第三代の一閻浮提の座主・日目上人、ってオイ!
第三代とは何だ。一体何処(どこ)ぞの第三代なのだ。
加えて「一閻浮提の座主」とは、一体何処(どこ)から引っ張り出して来たものか。
なんだ。まさか、この新人間革命も、2、3年後に書き換えられる運命であるのか。小鼻笑。

ったく、節操の無い奴らめ!
だからこそ言う。オマエらこそが頭破作七分の持ち主であると!(何度も言わせるな!)

そー言えば、元住職の花道や、創価大のスゲ博や、元創価のイタチらが集合して、日蓮大聖人の仏法を
屁理屈よろしく分析している様であるが、元より「信」無き者らが「学」に偏執するは、是れ全く無知行の
其れである、という事を此に識(し)るべきである。

爾して曰く『教の浅深をしらざれば理の浅深弁(わきま)ふものなし』と。
仍って曰く『仏教を学すと雖(いえど)も還って外見に同ず』と。

哀笑。

さても、盲眼が如くなるお主ら当世の学者等、如何にして正理を感得して浅深を弁ふべしや。
されば、はかなし者とは、オマエらの様な不信心にして仏法を学問する者をして云ふものか。

そんな墓莫い宿坊が云く、

「鰯(イワシ)の頭も信心なので、日蓮聖人が末法の御本仏というのは、所詮、信仰上の話です」
つまりは「(そんなウソでも)その宗派内、会内で納得されていることならばOKなのです』と。

哀哀。

池田センセーは、日蓮大聖人の事を末法の御本仏と言ってるよ。

ったく、オマエは鵺か!

先ずはよい。

オマエらこそは、身延の九識霊断法を説明致せ。

よいか。

宗門教義の屁理屈などは、其れからの事である!
 

紫光殿へ

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 8月15日(火)14時53分17秒 i114-185-13-13.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  もし今、当室をご覧になっておるのなら、しっかりと目を覚ましなさい。

御前で切腹とは何ですか!
冥土の土産とは何ですか!

其の様な事でどうしましょう!

其の様な心持では、初手からして意見も修正も無いではありませんか。

御気をしっかりと持ちなさい!

要らぬ小事に執着して自ら命を絶つなどは大謗法であります!

紫光殿。よろしいですか?

同志の異義謗法を咎める事は、宗義からして当然の事であり、是れを以って同志誹謗と捉えるは、
これ全く筋違いの信心姿勢と云えましょう。

紫光殿。当方は貴方を責めているのではありません。

当方は当方なりの意見をして述べているのであります。

>私は管理人さまとは争うつもりはございませんし、はたまた、当該サイトの筆者に対して、意義を述べる
>立場にはありません。それは越権行為となる可能性があります。

これは論争でもありませんし、越権行為でもありません。

同志の己義私想を咎めて其れを正す。是れの何処(どこ)が論争ですか。
他支部の同志であろうとも、目の前で過ちがあれば、其れを正すが同志としての責務でしょう。
初手から何でも指導教師、何が何でも御住職。其の様な主体性の無い信心では、凡(およ)そ確信ある折伏など
出来よう筈もありません。

同志に謗法あれば、先ずは同志として教訓し、それでも言う事を聞かないのであれば、指導教師に御指南を仰ぐ。
実(げ)に是れこそが、日有上人の御教訓であります。

紫光殿。よろしいでしょうか。

管理人に対する意見を僭越だとか、講員に対する意見を同志誹謗の重罪だとか、其の様な事は無いのであります。

したがって『自らの命をもって己の愚かさを償いたいと覚悟』する事も『冥土の土産として大事』にする事も、
『どうか我が命に免じて、お納めくださいまし』という事も、全く必要無いのであります。

紫光殿。観て居られますか?

まさか、冥界からではありますまい!

どうか、御気をしっかり持って、信心修行に励んで下さい。

全ては現当二世であり、此の根義こそは、本門戒壇の大御本尊のお認(したた)めにして、其の御写したる我らが
御本尊にお示しの聖義であります。

さても『かくなる上は、ご本尊様に懺悔申し上げ』と言うのであれば、今こそ向かって御本尊の御右肩を拝しなさい。
そして、一信徒が一信徒との意見相違を以って自害する、などという、其の様な料簡こそを悔悟し、今こそ御本尊に
示さる現当二世の信心を以って、勇躍、前進して往こうではありませんか!

返信あらば、一言でも構いません。

紫光殿の御一言。

当方はいつでも待っております。
 

Re: 紫光殿へ

 投稿者:紫光  投稿日:2017年 8月14日(月)20時51分38秒 mo49-111-204-135.air.mopera.net
返信・引用
  > No.47551[元記事へ]

管理人さんへのお返事です。

 管理人さま、では、お世話になりました。
 これより、正装にて旅に参ります。どうか我が命に免じて、お納めくださいまし。
 

Re: 紫光殿へ

 投稿者:紫光  投稿日:2017年 8月14日(月)19時13分12秒 mo49-111-204-135.air.mopera.net
返信・引用
  > No.47551[元記事へ]

管理人さんへのお返事です。

こんばんは、管理人さま。
 ご多忙のところ、丁重なるご返信痛み入ります。
さて、私が「某講員さんのページ」と述べましたのは、過日の管理人さまの書き込みかと存じますが、そこの記述における内容から、おそらく当該サイトであろうと私なりに推測したものであります。
 私へのご返信から拝察しますに、直接名指しはしておられないものの、そのホームページの内容についてふれられたものであることは、間違いないものと存じております。
 私は管理人さまとは争うつもりはございませんし、はたまた、当該サイトの筆者に対して、意義を述べる立場にはありません。それは越権行為となる可能性があります。
 所属支部が同一ではないと思われるからであります。手続きの師匠が異なりますゆえ、私が所属寺院のご僧侶を超えて、勝手に他支部の講員さんの信仰に口を挟むことは、控えるのが無難と拝しております。
 ですので、管理人さまからいただきました書き込みに対しましても、具体的にふれていたずらに時間を費やすことは、双方のためにはならないと感じますので、差し控えたいと存じます。
 私の信仰の姿勢に誤りがあった。ということであります。管理人さまの信仰の正しさ、それは不動の者であり、絶対のものである。私ごとき者がそれに意見するはまさに僭越かつ、同士誹謗に値する重罪である。
 それにつきましては心よりお詫び申し上げます。
 本来ならば管理人さまに直接お会いし、御前で切腹いたして、己の誤りを償わなければならぬところ、まことにご容赦ください。
 しかしながら、当該サイトの筆者と論争することも控えたいと存じますので、かくなる上は、ご本尊様に懺悔申し上げ、自らの命をもって己の愚かさを償いたいと覚悟する所存であります。
 今生の引き際に、管理人さまのような、正しき信仰をどこまでも貫かれる、ご立派な先輩と巡り会えましたこと、光栄の極みであり、過分な叱咤のお言葉まで賜りましたこと、冥土の土産として、大事にさせていただきます。
 ここの掲示板、ならびに管理人さま、そしてここにつどうすべての方々、国内外の日蓮正宗僧俗に栄光と幸あれ。
敬礼
 

紫光殿へ

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 8月14日(月)14時28分9秒 i114-185-13-13.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  御投稿ありがとうございます。

又「東北在住の法華講員」との御親告、此(ここ)に承りました。

尚、当室は、管理人による「確認後掲載」となっておりますので、投稿文が即時に掲載されません。
投稿文は、あくまでも、管理人が掲載を確認した後となりますので、予(あらかじ)め御了承下さい。

さて、投稿内容、全て拝読させて頂きました。

紫光殿の御意見。

法界に於ける不思議な実体験について、其れは個々によって受け方が違うのであり、其れが仮令(たとえ)、
理解しがたい事であろうとも、其れらの実体験について批判し否定する事は、我らの様な凡夫からして、
其れは不知の判断ではないか。又、其れら実体験を経験した法華講員同志を、多数面前にて批判するは、
これ全く異體同心の精神に反するものではないか。してもし、法華講員同志に謗法あらば、一人静かに
御本尊に向かい、其れら同志の信心倍増を祈るべきではないか。

云く、

>我々はみな凡夫であり、完璧ではないわけでありますから、いろいろな見解があるのは決しておかしな
>ことでも、異常なことでもないと拝します。
>それがたとえほかの人には理解しがたいこと、信じられないことでも、その講員さんにとっては実際に
>体験したことに違いはないものと考えます。
>80万の講員がいれば、そこには80万の体験があり、生涯があり、みな異体同心すべき同士であると思います。

云く、

>もしその講員さんが、本当に謗法を冒していて、その現証としてそうした体験が現れたり、信心のどこかに
>間違いがあり、その結果としてそうした体験をされたとしても、私たち周りの者が、多くの人の前でその方の
>ことを批判したり、謗法者と指摘したならば、異体同心はどこに向かうのでありましょうか。

と。


紫光殿。

先ずは申しましょう。

当方は過日の投稿に於いて「某講員さんのホームページについて」などと限定した事はなく
ましてや「その法華講員さんが」などと言った事もありません。

それは何故でしょうか。

実に其の答えこそ、紫光殿が述べられている処(ところ)であります。

しかし、紫光殿は、当方の配慮を観ておきながら、御自ら「某講員のホームページについて話題が出ている」
などと申すは、これ全く「みなの前でだめだしされては、その方の立場、メンツも丸つぶれ」という御自身の
物言いに反する事になるのではないでしょうか。

尚、当方に於いて、臨死体験や幽体離脱などの現象について、其れを否定した事などは一切なく、其れこそは
依正色心に於ける宇宙法界の一現像として領解するものであります。

但、当方が申しておるのは、宗団教団に身を置く信仰者として、其の持する所の本尊、持する所の教理について
尊仰し修得すべきが、真っ当な信仰者としての姿ではないか、という事であります。

されば、法華講員が、法界に冥伏する生命をして「霊界の命」といい、其の冥伏せし生命の十界十如是をして
「霊格」といい、延いては十界互具を十界勧請、日蓮大聖人をして御祖師様、などと表現するは、これ全く
異字異義の類となるのであり、それを承知で使用するは、これ全く摧尊入卑の謗りを受けるものではないか、
という事であります。

改めて申しますが、異質なる表現は、在らぬ誤謬を招き、遂には異義と成って、仏法の義理に乖(そむ)いて
往くのであります。

したがって、個人的体験であろうとも、その体験なりを説明するに於いては、しっかりと教義に基づいた
表記表現を行い、決して間違った解釈を与えない、という事が、法華講員に限らず、宗団組織に所属する
信仰者としての責務ではないでしょうか。

本より、教義に於て表現はそうであろうとも、私は其の様に言いません。では、応に違背の義となりましょう。

果たして『それぞれの人』が『それぞれの考え』を基に『それぞれの解釈』を行って教義を論ずれば、
最早それは教義には非ず。実(げ)に其れこそは『己義』と成って、講員のみならず、今から入信しよう
とする者までも惑わす事と相成るのであります。

改めて申しますが【霊界】はダメです。
其れこそは【冥界】【幽界】【冥府】と表記すべきでしょう。
尚、冥界も冥府も、御隠尊猊下が御使用された表現であります。

紫光殿。

どうでありましょうか。

当方の申し様に間違いがありますか。

もしあれば御指摘願いたい。

してもし、問題なしというのであれば、紫光殿が指定された『某法華講員のホームページ』に向けて、
其の表現解釈の誤謬なりを、其れこそ法華講員として論じるべきではないでしょうか。

当方はその様に思うものであります。
 

つづき

 投稿者:紫光  投稿日:2017年 8月13日(日)23時50分23秒 mo49-111-204-135.air.mopera.net
返信・引用
   はたから見て「これは信じがたい」「信心に照らしておかしい」と思ったとしても、私たち凡夫は仏様ではないのですから、知り得ることなど砂丘の砂粒一つか二つあるかないかというレベルのものかと存じます。
 私たちがわからないこと、未知のことのほうが、はるかに多いのではと感じております。
 では、とある講員さんの体験なされたことがもしにわかに信じがたいとして、私たちに「それは絶対あるわけがない。その人がおかしいのだ」と否定したり、批判する確実な証明は、誰にも完璧にはできないのではないかと個人的には感じます。
 もしその講員さんが、本当に謗法を冒していて、その現証としてそうした体験が現れたり、信心のどこかに間違いがあり、その結果としてそうした体験をされたとしても、私たち周りの者が、多くの人の前でその方のことを批判したり、謗法者と指摘したならば、異体同心はどこに向かうのでありましょうか。
 また、私たちは仲間や先達を信じることができなくて、どうして世の中を幸せにし、広布へと歩めるのでしょうか。
 だめだしを出すことは簡単ですが、そこで歓喜やモチベションは上がるでしょうか。そこから生まれるものはあるでしょうか。
 もしそうしたことでその講員さんの信心、妙法を護持されている同士としての尊厳を傷つけたとすれば、互いにとってなにも生まれませんし、それはまことに不幸なことであると拝します。
 もし「あの人は謗法を冒しているのではないか」「この講員さんは信心がおかしいのではないか」と感じることがあれば、静かに御宝前に向かい奉り「あの方の信心が正しい方向に向きますように」と祈る、それでよいのではないかと、私ごときは思うのであります。
 みなの前でだめだしされては、その方の立場、メンツも丸つぶれになり、その師匠たる御尊師様のお立場もなくなるでありましょう。
 あえて何も申さず、ただひたすらその人のために唱題申し上げることが、一番の方法ではないかと、信心まだ至らない私なりに感じている次第であります。
 それぞれ人でありますから、様々な考え、意見もおありかとは存じますが、お互い妙法を護持させていただく身、これからも手を取り合い、信じ合い、尊敬しあって、まさに不軽菩薩の精神で日々を修行できれば、これほどありがたく、幸甚なことはございません。
 修行途中の身の上、ともに励まし合い、認め合い、尊重しあうことこそ、異体同心と私は思うのですが、先輩のみなさま、いかがですか?
 今打つべきは邪宗、身内ではないはずにござります。外折伏、内摂受という言葉もあるようにうかがったこともございますゆえ。
 

こんばんは

 投稿者:紫光  投稿日:2017年 8月13日(日)23時46分10秒 mo49-111-204-135.air.mopera.net
返信・引用
   こちらにははじめておうかがいいたします。
 法華講員です。東北在住です。
 さて、某講員さんのホームページについて、少々話題が出ているようなので、個人的所感だけ書かせていただければ幸甚です。ご無礼ご容赦くださりませ。
 まー、確かに種々ご意見をお持ちの方はおられることと存じます。信じる方、信じない方、まったくなんのことかと不思議に思う方。
 それは、我々はみな凡夫であり、完璧ではないわけでありますから、いろいろな見解があるのは決しておかしなことでも、異常なことでもないと拝します。
 しかしながら、私たちにはそれぞれ、みなその人が持っている体験というものがあるのも事実です。
 それがたとえほかの人には理解しがたいこと、信じられないことでも、その講員さんにとっては実際に体験したことに違いはないものと考えます。
 80万の講員がいれば、そこには80万の体験があり、生涯があり、みな異体同心すべき同士であると思います。
 すでに旅立たれた先達も同じで、先達の方々の数だけ、生涯があり、体験は存在すると私は思う者であります。むろん、ここに集う講員諸先輩、そして私ごとき者にも、それは実際にあるのであります。
 

愚人殿

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 8月12日(土)13時42分48秒 i114-185-13-13.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  早速の御投稿、此に承りましょう

尚、御貴殿に対して「気が向くのであれば御投稿願いたい」と申し述べたのは、別件に対するもの、
つまり、御貴殿が云う『日蓮について思ったこと』が何故に「日蓮正宗」に向かうのか。
そして、其の趣向は、如何なる「不信仰」から来ているのか、という事であります。

又、当室に於いては、巻頭文のとおり、投稿者自身の立ち位置、つまりは、所属する宗派教団を親告し、
其の上に立った教義本尊の正義を顕揚する、という事であります。本より、何処(どこ)の宗派教団にも
属さない、全くの無信仰者からの投稿は受け付けておりません。

御貴殿は自らをして「不信仰」と申された。されど其れは「無信仰」ではない。言うまでもないが、
「不信」と「無信」とでは、其の意からして大違いである。

さても、死後の生命に対する(法華講員としての)表現について、其れが日蓮大聖人の御教示に適っているのか、
いないのか、この私が調べましょう、などと、裁判官よろしく述べられている様ではあるが、其れとて、
自身の大義、自身の信条が在って初めて、其の目的なりが果たせるのではないか。

とまれ、御貴殿の「調査結果」を待つとするが、客観的な理屈のみでは、事の観心には迫れない、という事を
先ずは識るべきであろうと思う。
 

大月天氏

 投稿者:愚人  投稿日:2017年 8月12日(土)10時16分59秒 softbank126094249159.bbtec.net
返信・引用
   気になったことがあったので、お言葉に甘えて投稿させて頂きます。大月天氏は、かつて当板に、


別在の十界  投稿者:管理人
投稿日:2013年 4月28日(日)14時30分51秒 i60-34-120-234.s42.a014.ap.plala.or.jp   通報 返信・引用
御隠尊猊下に曰く『「悪鬼」というのは幽界の命とも言えます。目に見えるものしか信じない人も
多いけれども、世の中の存在には、目に見えない種々の界があるのです。すなわち別在の十界を信ず
べきであり、そこには地獄界も餓鬼界もあり、悪霊も存するのです。例えば、通力のある人は、山の
中の稲荷の後などを歩くと、そこに長い間住んでいた狐の魂などを感ずることがあるのです』

                         (平成15年度 第1回法華講夏期講習会)


と投稿されています。気になりまして今朝方に、編集:大白法編集室 発行:日蓮正宗法華講連合会 『御法主日顕上人猊下御講義集 立正安国論』を調べてみたしたら、59ページに該当する大石寺先代住職のである阿部日顕上人の教示がありました。そこには大月天氏が引用された文の後に、


 この種々の実例はあえて述べませんが、幽界というものはあるのです。幽界の中には、様々な悪鬼・悪魔もいるわけで、そういう悪鬼・外道が来たって災いを起こし、難を起こすのであると仰せであります。


と教示されています。日顕上人は「冥界」ではなく「幽界」との言葉を使用されているのですから、日蓮正宗法華講員の方々は、「冥界」との言葉に囚われずに、世界悉壇の上から「幽界」という言葉を使用しても良いと思います。なお、色々調べましたが日蓮正宗に於いて「霊界」との言葉の使用例は確認できませんでした。


 ちょっと興味を持ったので、日蓮正宗の「死後の生命は宇宙に冥伏するは」、日蓮聖人の教示に敵っているのかを調べ、投稿させて頂きます。

 
 

冥界の深義

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 8月10日(木)20時53分1秒 i114-185-13-13.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  今や夏も後半戦。

連日の猛暑にはうんざりであるが、ここは怪談話でゾクッと小寒くなって貰いましょう、とは
応に納涼の決まり文句ではあるが、これらの怪談話、つまりは幽霊話であるが、果たして
本当にあるのであろうか。

無論、我々は創価などの新興宗教と違って、真っ当正真な仏教徒であるから、本より幽霊ついては、
其の「存在なり」を法義の上からして領解するものである。

凡(およ)そ、此の世は此の世のみであって、あの世などは決して無く、其の様な世界、つまりは死後の
世界などは有り得ない。だから、葬式も塔婆供養も単なる気休めでありセレモニーであり、御冥福
(冥界での幸福)などと云う言葉も、実際には存在しない冥界(死後の世界)を祈らんとする虚語でしかない、
との言い様は、曾(かつ)て当室に出入りしていた創価外道の狂信者のものであったが、勿論、其れこそが
間違いであり、厳然と「冥界」は、此の宇宙法界の中に存在するのである。だからこそ、我々は其れら冥界に
於ける精霊、つまり此の宇宙法界に冥伏している生命に対して、日々追善し供養するのである。
重ねて云うが、創価信者が言う様な、精霊とは今生きている我々の事を指している、などという狂言は、
最早、仏教徒の其れではなく、其れこそは新興外道の創価らしい断見の世迷言であると、此(ここ)に改めて
呵責するものである。

御義口伝に曰く『法界とは広きに非ず狭きに非ず。総じて法とは諸法なり、界とは境界なり。地獄界乃至
仏界共に界(さかい)を法(のっと)る』と云云。
続けて曰く『仍って法界が法界を礼拝するなり。自他不二の礼拝なり』と。
爾して曰く『即身の二字は色法、成仏の二字は心法、死人の色心を変じて無始の妙境妙智と成す。是則ち
即身成仏なり』と。
仍って申さく『今日蓮等の類(たぐい)精霊を訪(とむら)ふ時、法華経を読誦し、南無妙法蓮華経と唱へ奉る時、
題目の光無間に至って即身成仏せしむ。廻向の文此れより事起こるなり』と。

つまり、我々現世の生命と、冥界に伏している死後の生命(精霊)は、此の宇宙法界に於いて不二であり、
其の相関は、あらゆる境涯(十界十如是)に於いて断絶されないのである。

何時ぞや、当室でも紹介したが、彼の東日本大震災で犠牲になられた方の亡霊(幽霊)が、驟(しばしば)
被災地に現われて、其れら幽霊を乗せたタクシーの乗務員の複数体験や、仮設住宅に住む婦人の体験など、
其れらの幽霊体験は、東北三県(岩手・宮城・福島)などで延べ300件以上にもなるという。
尚、此等の事は、或る女子大生の卒論に紹介され、NHKに於いても特集が組まれたのである。
                    ⇒【NHKスペシャル 「亡き人との再会~被災地 三度目の夏に~」】参照

本より、十界十如是は、有情非情に亘るのであるから、其れら非情の生命が、其々の相関に於いて感応し、
実際の現像として現われても、決して不思議な事ではない。つまり、其の事を突き詰めれば、此の法界には
幽霊も居れば悪霊も居る、という事である。尚言っておくが、目に見えないモノは信じない、という御仁は、
当方からして全くの莫迦であるから、そういう知恵足らずの者は、当室から速やかに退室した方がよかろう。

さても仏法の根義というものは、自分自身と森羅万象を分別せず、其れら全体を一として領解する、つまり、
無分別知を以って開悟するものであるから、学者等が喚(わめ)く断常の二見などは須らく其れら範疇内の小義と
心得るべきである。

日蓮大聖人が曰く『理の顕本は死にて有情をつかさどる。事の顕本は生にして非情をつかさどる』と云云。

つまり、理の顕本とは、常住としての仏性を説くものであり、事の顕本とは、仏身としての常住を説くもの
である。なれば、其の理事究極の御尊体こそ、非情の態相に刻印された日蓮大聖人の御仏性。つまりは
「南無妙法蓮華経 日蓮」たる曼荼羅御本尊の事であり、其の人法体一たる曼荼羅御本尊の御顕発こそが、
応に日蓮大聖人の御本懐だったのである。

従って今更言うまでもない。曼荼羅御本尊こそ日蓮大聖人の御尊体であり、日蓮大聖人の御魂魄なのである。
して観るに、曼荼羅御本尊は紙幅であり、又、御板でもある。したがって其の態相は非情である。
しかし、其の非情なる御本尊に帰命すれば、我ら有情の命に其の仏法力が感応するのである。
応に此の原理こそ、自他不二の礼拝の其れであり、実(げ)に曼荼羅御本尊こそが生死不二の御尊体であると開悟
すべきが、我らにして正しい仏法道と成るのである。さてもさても、大聖人御魂魄の曼荼羅御本尊。
果たして、是れ程の不可思議境が他にあろうか。果たして、これら最高なる御尊体を日々眼の当たりにし、其の
無量なる宝珠を有情の身にして獲得するを了するならば、其れこそ現世に於ける財物金銭の獲得や、名誉権力の
獲得など、是れ全く小利益の類(たぐい)と成るのであり、其れら小利益を以て一々歓喜している様では、まだまだ
其の命に於いて大法の妙義を体得していない証拠ともなるのである。

爾して昨今、幽体離脱等の神秘的な体験を以って、妙法の大義を論じようとする志向も見られるが、
是れこそは個人的な感応体験であり、与えて其れが法理の一端であろうとも、其れらの体験を仰々特殊として
取り上げ、信心会得の目標例と為すは、是れ全く浅識の小智と断ずべきであり、又、其の様に洞察する事こそが
我ら富士門信徒に於ける信心会得の基底ともなるのである。

御書に曰く『古(いにしえ)の人々も不可思議の徳ありしかども、仏法の邪正は其れにはよらず』と。

応に此の御文こそ、摧尊入卑を抑止する御誡文であり、小現証の歓喜を以って大法全体の歓喜と為す事を
誡める御文である。さても、一喜一憂は小信の印(しるし)とは…。いやはや、仏道修行とは厳しいものである。

尚、以前にも申し述べたが、此の宇宙法界に於いては、一念の波動に距離間は存在しない。
つまり、目の前1センチという距離も、遥か何千キロという距離に於いても、妙法の一念からすれば
無距離、つまりは基点にして同じ、という事である。したがって、日本で唱えた題目(御祈念)が、ブラジルの
サンパウロに届くのに、何分かかるとか、何時間かかるとか、そういう概念は存在し得ない、という事である。
本より其れは地球外に於いても同じであり、1センチも百億光年も、此の宇宙法界からみれば同基なのである。

仍って曰く『四方四惟上下合して十方なり、則ち十界なり』と
して曰く『今日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱へ奉るは十界同時に光指すなり』と。

尚、此に重ねて云うが『霊界』などと称し、恰(あたか)も宇宙法界に冥伏している生命が「霊界」という別の
世界に存在しているかの様な言動は、全く以って間違いであるから、以後に於ては幽霊も幽体も、須らく法界の
一現象である、という事を此(ここ)にして領解すべきである。

今更云う事でもないが、正統・富士門流に於いては、其の論説に於ける表現などは、特にうるさいのであるから、
霊界だの、霊格だの、十界勧請だの、御祖師様だのと、其の様な言い回しは止めた方がよろしい。

日有上人が曰く『法華宗の大綱の義理を背く人をば謗法と申すなり』と。
又曰く『門徒の僧俗の中に人を教へて仏法の義理を背せらるる事は謗法の義なり』と。

異質なる表現は、在らぬ誤謬を招き、遂には異義と成って、仏法の義理に乖(そむ)く。

さても、夜な夜なお化けが出るのは構わんが、教義がお化けになっては話にも成らん。

其れこそが一番怖い話となる。

さて、明日よりは又『嗚呼、邪教人』と参ろうか。

是れとて立派なお化け退治である。
 

報告

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 8月 3日(木)16時37分47秒 i114-185-13-13.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  久々の投稿である。

実は出張による不在もさる事ながら、当方のパソコンが壊れてしまい、先週末、ようやく修理が終わって、
当方の手元に戻ったという次第である。実(げ)に其の壊れようは、応に創価学会の破壊教学に匹敵するもので
あった。哀笑。本より、パソコンは機械であるから壊れて御仕舞いであるが、創価学会は宗教団体であるから
壊れただけでは済まないのである。鼻笑。其の先は言わずも判るであろう。小鼻笑。

さて観れば、昨今の創価学会員は、日蓮大聖人の御事を「日蓮くん」と呼ぶのか。
いや、さに匪ず、対する法華講員が、其の者を創価学会員と見間違えておるのか。
とまれ、基奴(そやつ)がもし創価学会員であるならば、最早、脳髄が壊れて狂っているのであろう。
いや、基奴こそは、創価学会の狂学では最早太刀打ち出来ないが故に、敢えて「日蓮くん」などと卑称し、
無信仰の小学者を装って論じているのやも知れん。無論、基奴が本当に無信仰者であるならば、最早基奴は、
無智無学の馬鹿者であると、此に断言しよう。

尚、重ねて云うが、当室は、他の掲示板と違い、其の論戦に於ける参加資格が極めて厳しくなっている。
つまりは、所属宗派及び門流の親告。更には、其の所属する宗派門流の本尊及び教義の正義宣揚である。
果たして、其の城壁を乗り越えて、当室に対した者などは、此の十年で数人しか居らん。
ったく、情けない限りよのぉ。呆哀。

とまれ、我が富士門徒以外の者が此(ここ)にやって来ようとも、蓋を開けて見れば、やれ串だ、やれ多重だ、
やれ成り済ましだ、と、そんな連中ばっかりである。呆哀哀。

ったく、何とかならんか其の根性。呆哀。

兎も角も、手元の機械が直ったのであるから、今日よりは亦(また)、馬鹿に付ける薬は馬鹿と云うしかない、
との呵責精神の下に、正統・富士門流の大教義を大いに宣揚して、邪宗馬鹿の撲滅に多少なりとも貢献出来る様、
此(ここ)に勇躍、前進して参りたいと思うものである。
 

創価学会は既に某身延系寺院から大聖人の真筆本尊の版権を買ったそうだ!

 投稿者:黒川 和雄@日蓮正宗  投稿日:2017年 7月18日(火)15時12分33秒 p2149-ipbfp1802osakakita.osaka.ocn.ne.jp
返信・引用
  その理由は学会の現在のニセ本尊には「奉書写之」(之を書写し奉る)の文字が入っているからである。この「奉書写之」がある限り本門戒壇の大御本尊から完全に離れることが出来ない。従って「奉書写之」の無い邪宗身延系から本尊の版権を購入したということである。いずれ、「日蓮大菩薩」となることは想像できる。
 

創価諸君、御書根本で回答してください

 投稿者:黒川 和雄@日蓮正宗  投稿日:2017年 7月18日(火)15時07分41秒 p2149-ipbfp1802osakakita.osaka.ocn.ne.jp
返信・引用
  一代聖教大意
「この経は相伝に有らざれば知り難し」

日興遺誡置文
「御抄を心肝に染め極理を師伝して云々」



質問
①「日蓮は末法の本仏なり」とする直接的な御書の文証を挙げてください。
②「在家教団でも本尊を認定できる」という御書の文証を挙げてください。
③「在家教団でも葬式の導師を務めてよい」とする文証を挙げてください。
④御本仏日蓮大聖人の他に仏法上の「永遠の師」を立てても良いとする御書の文証を挙げてください。
⑤報恩抄に曰く、「本門の教主釈尊を本尊とすべし」どおり、釈尊を拝んだらいかがですか? 御書根本で否定してください。
 

ああ、邪教人 番外

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 6月22日(木)15時59分0秒 i118-19-14-249.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  >質問です。
>戸田先生の言葉の「六種類」の内容をご存知の方がいらっしゃいましたら、
>お報せいただけると、助かります。
>宜しくお願いします。

>法華経本門文底の釈尊

鼻笑。

法華本門の文底の釈尊。

小笑。

果たして、文底の釈尊とは是れ如何。

哀笑。

其の答え。宿坊に訊いてみなさい。

小鼻笑。解らずんばヒントをやろう。

宿坊云く『そんなモノはイワシの頭…』

呆哀哀。

巨大猫よ。

お主は此の答えに対して呵責する勇気は有るか。

無ければ自らをして『巨大』などと言うものではない。

よいか。

上記の問いに対して創価教学を以って返答したという事は、お主は創価学会員であろう。
ならば、今こそ宿坊の謗法を責めなければならない。

よいか。

出来ずんば、台家の理屈など貼り付けるものではない!

其れこそは本末転倒である!

よいか。

法敵は眼の前に在る!

迅(はや)く呵責致せ!!
 

ああ、邪教人 其の六十五

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 6月20日(火)19時24分28秒 i118-19-14-249.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  >佐藤優との対談で世に知られるようになった松岡幹夫氏の最新本。
>北海道の組織が方面長を通じると1512円が1400円で購入できるので取りまとめを専門部
>(経営者、自営業者のグループ)に依頼してきた。
>一個人の本を道トップが組織利用。裏になにかあるな?
>どちらにしても組織利用の販売そのものがこの本の本質を物語っていますね、最悪ですね。

哀笑。

そーよな。最悪であるよな。

して、其の最悪の最悪たるは、聖戦自爆の回教であろうが、バラモン回帰のヒンズー教であろうが、
処女懐胎のキリスト教であろうが、其れら諸外道を褒めちぎり、又は、其れらの教義を容認して、
其れこそ味噌糞一緒の邪教組織に成り下がってしまった、という事である。
だからこそ、今に於いても離脱坊主の屁理屈などを採用し、無知なる一般会員に向けて其れらを販売し、
其の利益などを懐中に入れているのである。ったく、是れ程の醜い在家集団が何処(どこ)に居ろうか。呆哀。

>この出版社と方面長に特別な繋がり(利害関係)があるようです。

そーか。

小笑。されば「方面長のご意向」という事か。鼻笑。

まぁ、其れなどは「方面長のご意向」なのか、其れとも「方面長のご意向(と聞いている)」ものであるのか、
其の表現を比れば、全く別の意味に成るから、当方とて一概には言えまいが、とまれ、未だ松岡の小理屈などを
嬉々として販売している様では、創価の知能指数も知れたもの、という事である。小鼻笑。

其の松岡所属の坊主同盟が云く『およそ血脈相承の根本目的が広宣流布にあることは、宗祖大聖人から第二祖
日興上人への付嘱書に「時を待つべきのみ」(身延相承書・御書一六〇〇ページ)とあり、日興上人から第三祖
日目上人への付属書に「広宣流布を待つべきなり」(日興跡条条の事 ・富士宗学要集 五-一八八ページ)と
あることからも明白である』


又云く『広布の時のため、盤石なる基礎を確立せんと奮闘された真金の「大聖人直結」の弟子が、日寛上人で
あられた。極言するならば、日寛上人が生涯をかけて築かれた信心の遺産の全ては、まさに今、仏意仏勅を受けて
世に出現し、未曾有の世界広布を成し遂げんとする創価学会のためにあったといってよい』


更に云く『学会が会員の方々に授与するお形木御本尊は、日寛上人が大聖人出世の本懐たる「戒壇の大御本尊」を
お写しされた御本尊である。ゆえに「大御本尊根本」の信心はいささかも変わらず、当然、これまでの(破門以前の)
御本尊と功徳においてなんら違いはない』


呆哀笑。

松岡よ、そして創価学会よ。

オマエらは、上記三項の宣言をどうするのか。

まさか虚言であったのか。

よいか。無知とは申せ、末端の会員を馬鹿にするものではない。

よいか。オマエらは、上記三項について総括せよ!

そして、本尊義変節の法義的根拠を、創価学会創立の原点に照らし合わせて、其の正義たるを証明致せ!

よいか!! 屁理屈は其れからの事である!


>法華経如来寿量品第十六には、この娑婆世界に肉身の釈尊が出世して、
>過去の阿羅漢たちでも成し遂げることができなかった降魔成道を、
>歴史上初めて、ネーランジャラー河畔の菩提樹下において完成したとあるが、
>実はこの肉身の私(釈尊)は、正しい悟りを開いて成仏して以来これまでに、
>「無量無辺那由他劫」と呼ばれる非常に長い、永遠の時間を経ているのである、
>と説かれている。

>このように、現実に目のあたりにしている釈尊、すなわち釈迦牟尼仏は、
>久遠実成の仏に他ならない。

小鼻笑。

なんなのだ。

釈尊すなわち釈迦牟尼仏だ?

鼻笑。言っておくが、オマエが投稿している掲示板の管理人、つまりは宿坊の黒カラスなどは、
釈尊と釈迦牟尼仏とは別モノである、と言っておるぞ。

其れを『即(すなわ)ち』と云うならばオマエ、先ずは宿坊管理人を呵責致せ!!

ったく、オマエら宿坊の掲示板に投稿している者どもは、一体、何処(どこ)に目を付けておるのか。

投稿先の管理人に誤りあるならば、先ずは其れを呵責してから、モノを申すべきであろう!

よいか。其れが事の順序というものである。

呆哀哀。

ああ、邪教人。嗚呼、邪狂人

邪教人の呵責は、これからも続く。
 

ああ、邪教人 其の六十四

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 6月18日(日)17時39分21秒 i114-185-21-119.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  今日も今日とて邪教人。

では参ろうか。

先ずは其の一。

>日蓮(上人)はの、日蓮(上人)の法門を理解できない富木常忍に…

日蓮はの、ではない。

日蓮大聖人は、である。

括弧など用いるものではない。

其れにしても、日蓮とは呼び捨てたいが、其の増長に小遠慮して(上人)などと付け加えておる。哀笑。

お主、其の様な浅識無知の分際で「日蓮の法門を理解出来ない富木常忍」などと、よくも言えたものである。

ったく、富士門の正師たる日蓮大聖人を日蓮と言い、邪宗日蓮宗の小坊主をして聖人と言う。

よいか。其れらの脳髄をして「心破作七分」と云うのである。

本より、日蓮大聖人の大法門を理解出来ないからこそ、富木五郎左衛門は釈迦仏の造立に固執したのである。

先ずは其の事、お主が投稿している掲示板の管理人に教えてやりなさい。

其の方が先決である。

次。

>弱者を守ってどうなるんだ!
>お涙ちょうだいではダメだ!
>丹治とは聖教の元編集局長
>前代未聞の金銭問題を引き起こした悪人

そうか。丹治副会長は悪人であるか。

荀子云く『人の性は悪なり』。

鼻笑。オマエたち附仏法外道の集団に於いては、此の荀子の教えこそが似合いではないのか。

人の性は悪なり。其の善なる者は偽なり。

さすれば、丹治の悪事なども得心出来るであろう。

つまりは、其れが創価教の限界という事である。

小鼻笑。此の意味、理解出来ようか。出来ずんば、富木胤継と同じである。


次!

>原田執行部が「多少の退転はやむを得ない。9割は付いてこれる」という趣旨の発言をしていたとも
>聞き及んでおります。
>1000万会員の1割と言えば100万人。100万人の同志を退転させ、地獄に堕とすというのでしょうか。

其の発言こそは八尋顧問弁護士(現副会長)のモノであろう。

本より、此の様な無機質な者を側近として迎えた池田太作の罪は重大である。

因みに、池田太作は、昭和53年9月23日の本幹に於いて、此の様な事を言っておる。

云く『学会員が五万や六万減ったってどうということはない』

果たして、これはどうなのか。

これも、同志を退転させ地獄に堕とさんとする悪魔の発言であるのか。

先ずは其の事を説明しなさい。

ったく、オマエたちの欠点は、過去の矛盾に目を向けず、其れこそ何の総括もせずに、ベラベラと口を動かす
処(ところ)にある。少しは反省しなさい。そして、破門時に駆け込んだ茶坊主たちを護ってやりなさい。
今更、教義を変更して用無しとは、いくら何でも可哀想であろう。哀。
よいか。あの時、これらの茶坊主が居なければ、オマエたち創価の本尊義は体面上、成り得なかったのである。
よいか。其の事を忘れてはならん。

次。

>「十界・十如・権実の法」とは、結論的に言うと、
>「十如是のあり方を取り、権と実にまたがった十種の生命体という存在」
>という意味に解釈できる。

哀笑。だから何なのだ。哀笑。

其の様な事、本末究竟の真なるを見極めれば、領解出来る事ではないか。

何? 本末究竟の真とは何かだと?

哀笑。お主の眼前に在ろうが。

さても、灯台下暗し、とは此の事か。

さもありなん。哀笑。

されば曰く『夫(それ)一心に十法界を具す』と。

はて「一心」とは是れ如何に。

よろしいか。其れを領解せずして台家を論ずるは、是れ全く浅識の罪に成る事を、お主は知るべきである。

曰く『義道の落居無くして天台の学文すべからざる事』と。

果たして「義道」とは何ぞや。

まさか、創価教ではあるまいに。哀哀。

ああ、邪教人。

嗚呼、邪教人。

小義邪教人の破折はこれからも続く…。
 

ああ、邪教人 其の六十三

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 6月14日(水)21時48分13秒 i114-185-21-119.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  言うまでもない。

「ああ、邪教人」の「ああ」とは、嘆きの「嗚呼」であり、其の嘆きの「嗚呼」は、
邪教害毒による莫迦の見本、つまりは浅読みの知恵足らずに対しての「嗚呼」である事は、
最早周知されている処である。

して、そんな「嗚呼」の邪教人が、こんな事を言っていた。

「宗門は、五道冥官等の悪鬼などが書かれたニセ本尊の化儀を、江戸時代になって邪宗日蓮宗から
取り入れた」と。

鼻笑。

嗚呼、邪教人。

応に、莫迦の見本とは此の事か。

哀笑。ならば、御本尊に『五道冥官』と認(したた)めた日寛上人こそは、実にオマエからして
邪宗日蓮宗のニセ本尊を真似て書いた「ニセ法主」という事になるではないか。
して、そんな邪宗日蓮宗から取り入れた本尊を、平気で真似る法主が書いた本尊を、今、オマエたちが
平気で拝んでいるとは、一体どーゆー事であるのか。つまりは一類という事か。

オマエは其れを説明致せ!


して、次の邪教人。

これも又「嗚呼」である。

云く、

>創価学会は、大聖人の御遺命の世界広宣流布を推進する仏意仏勅の教団であるとの自覚に立ち、
>その責任において広宣流布のための御本尊を認定します。
>したがって、会則の協議事項に言う「御本尊」とは創価学会が受持の対象として認定した御本尊であり、
>大謗法の地にある弘安2年の御本尊は受持の対象にはいたしません。(聖教新聞 ・2014年11月8日)
>「謗法の他教団の寺にあるので受持の対象としない」つまり「根本としない」としているだけです。

呆笑。

謗法の地にある弘安2年の御本尊は受持の対象にしない、つまり根本とはしない、という事だ?

呆哀。

嗚呼、邪教人、嗚呼、邪教創価人。

そんならオマエ、以下の指導は、一体どういう意味であるのか。

池田名誉会長が云く『大聖人の出世の本懐である一閻浮提総与の大御本尊が信心の根本である事は、
これからも少しも変わらない』と。【平成5年9月16日、アメリカSGI最高会議】

おい、オマエ、平成5年とは何だ。つまり、この時、オマエらからして宗門は、既に謗法の他教団に
成っていた、という事ではないのか。

而して池田センセーは「根本にする」という。しかも、其の信心姿勢は「これからも少しも変わらない」という。

して、オマエは「根本にしない」という。しかも、その理由が「謗法地の本尊だから」という。

ならば『(一閻浮提総与の大御本尊が信心の根本である事は)これからも少しも変わらない』と池田センセーが
断言した其の当時、富士大石寺は謗法の地ではなかった、という事か。

オマエは其れを説明致せ!

呆哀哀。

嗚呼、邪教人、嗚呼、邪教人。

まだ居るか、まだ居るか!

居た!! 信州の山奥に。

云く、

>一大秘法って何ですか?
>(タテ線時代の関西創価の草分け幹部の)4人一斉に即答。
>本門の題目です!!

>やはりな~~・・・・・
>私は兵庫県神戸市で入会して、4か月後の任用試験。
>三大秘法の勉強でそう教わりました。

おいおいおい! 呆呆呆。

あんさんら、いったい、なにいうてまんねん。小笑。(これでいいか、これであってるか、方言) 鼻笑。

ったく、

オマエたち関西人は、一体何を学んで来たのか。

タテ線当時、そんな阿呆な事を云ってたら、我ら関東に於いては、隊長から即ビンタであるぞ!

よろしいか。以下の指導をよ~く、読みなさい。

『南無妙法蓮華経と唱題する中に三秘が具わっているというが如きは、無学のジイサン、バアサンならいざ知らず、
少しでも教学をやった者には気狂いになっているのではないか、という以外には思いようがない』

これ、誰の指導か知っておるか。

タテ線の棟梁、戸田先生の指導だよ。

ったく、オマエら関西の創価員はまことの馬鹿であるのか。

『一大秘法って何でっか?』
「そりゃ本門の題目やろ!!」
『そやろな~~』

堪笑。

信州の丁髷老人。

漫才やるのもいい加減にしなさい。腹笑。

嗚呼、邪教人、嗚呼、関西邪教人!

まだ居るか、まだ居るか!

いや、其れこそは限(き)りがない。

されば、本日はこれ迄としよう。

ああ、邪教人。

邪教人への「嗚呼」は、これからも続く。
 

大月天殿

 投稿者:黒川 和雄@日蓮正宗  投稿日:2017年 6月 8日(木)18時54分43秒 p2149-ipbfp1802osakakita.osaka.ocn.ne.jp
返信・引用
  うれしいお言葉、ありがとうございます。

了解いたしました。
 

黒川殿へ

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 6月 7日(水)17時28分49秒 i118-19-15-232.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  あらら、名前が出てしまいました。小笑。

黒川殿。お久しぶりですね。

宮川雄法。その通りです。

此の者、訓導の分際で、あれやこれやと、見て来た様な嘘を並べ、創価破門当時の日顕上人(現御隠尊猊下)に
対する批判中傷を専(もっぱ)らにして、逸(いち)早く宗門から離脱した、云わば反逆僧の其れであります。

しかし、此の反逆僧も、池田の植物化によって、其の庇護を失い、遂には新興宗教・創価学会から疎まれて、
聞く処によれば、何と其の身を房州の妙本寺に転じて『日護』などと称している由。

哀笑。いやはや何とも、トドのつまりが戒壇建立の大義を初手から放棄している荒寺の能化に収まるとは…。哀笑。
さてや此の者、全くの無教学の小僧であったのか。鼻笑。

其れにしても、久々の来室者。

本より、面倒くさい掲示板ではありますが、たまには御投稿下さい。

所属不明の不審者、愉快犯の多重ハンネ、無信仰の文献莫迦、そして、臆病者の串投稿。

此等の類(たぐい)でない、となれば、投稿の確認次第、早速に掲載致します。

尚、当室は、正統・富士門流の法義を宣揚する為、法華講員諸氏の教学論文なども募っております。

本より、邪宗教の破折論文でも構いません。

何卒、宜しくお願い致します。

尚、投稿文が掲載されるまで、当室管理人の不在等により、多少時間が掛かる場合もありますが、
其の点につきましては、予(あらかじ)め御了承の程、お願い致します。
 

大月天殿

 投稿者:黒川 和雄@日蓮正宗  投稿日:2017年 6月 6日(火)17時18分34秒 p2149-ipbfp1802osakakita.osaka.ocn.ne.jp
返信・引用
  >元大栄寺住職の、ほら…。アイツだよ。

宮川雄法ですね。笑 笑
 

ああ、邪教人 其の六十二

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 6月 6日(火)13時58分38秒 i60-34-119-221.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  >宗門との関係を復活させたいと願っているのは秋谷さんご自身。
>その証拠に数年前に池袋の常在寺に御秘符をもらいに言っています。
>今も隙あらば宗門と手打ちしようと思っています。

其れは確か、5年前の事であるよな。

無論、創価本部などは、其れらの情報を黙殺隠蔽し、末端会員に至っては知る由もないが、
秋谷議長(創価学会最高指導会議議長)が常在寺に入って行く姿を、近隣に在住する法華講員が目撃した、
との情報が、当方の耳には入っている。

まぁ、嘘か真(まこと)か。とまれ、秋谷議長が御秘符を戴いたのであれば、当然にして勧戒を受け、
再び富士門の信徒に成った、という事であるが、果たしてどうであるのか。さもすれば、御山から
箝口令が敷かれているやも知れんし、実際、其れ以上の情報は入っていない。

何れにしても、創価学会の最高幹部が、日蓮正宗の御寺に行って御秘符を頂戴する、などという話が
あちらこちらで飛び出す事自体、池田名誉会長の影響力が、何も知らない末端会員は別にして、本部組織に
於いては最早皆無になっている、という事である。

其れにしても池田センセー。

今現在どーなっておるのか。

まさか、ホントーの植物に成ってしまったのか。

されば、陽の光を当ててやらねば枯れてしまうだろう。

勿論、水もやらねばならん。

果たして、其れらの世話は誰がやっておるのか。

教えて下さいよ。学会員様。

何。私たちも知りません?

呆哀。呆呆。呆笑笑。

それならば、以下の情報は知っておるか?

ほら、曾(かつ)て、御隠尊猊下をして「ステテコ穿いて御本尊を書いていた」と悪口罵詈し、
スパイよろしく創価学会の軒下に駆け込んだ、ほらあの、日蓮正宗改革同盟とか何とかいう、
ほら、元大栄寺住職の、ほら…。アイツだよ。

聞けば此の者、創価の待遇に不満を募らせ、とうとう爆発して離反し(又は追放されて)、今では
保田妙本寺の能化に成っているという。しかも、其の尻の穴には、イタチとか宿坊とか兵長とか
田んぼとか、そんな連中が入り込んでいるという。

哀笑。ったく、正宗の元住職でありながら、今にして妙本寺の能化に収まるとは、実(げ)にオマエこそは、
一体何を学んで来たのか。よいか、そーゆー脳足りんであるから、スパイに成り下がり、しかも不満を
募らせて、遂には、郷門に屈したのである。よいか、枝流異流に身を転ずるは、是れ全く屈服の意である、
という事を、オマエは識(し)るべきである。

して、オマエら離反坊主は、曾(かつ)て此の様に胸を張って宣言していたよな。

云く、

『「法体」こそは、本門戒壇の大御本尊以外には有り得ない』と。

是れは今でも変わっておらんのか。

何とか申せ!
 

八品法華宗の邪態を破す

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 6月 4日(日)20時09分58秒 i114-185-16-82.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  八品派に云く、

>法華宗の門祖・日隆聖人は、鶴丸紋を本勝迹劣の宗義のシンボルとして日蓮大聖人の正統なご信心を受け継ぐ
>法華宗の宗紋と示されました。

何? 鶴丸紋を日蓮大聖人の正統なご信心を受け継ぐ法華宗の宗紋と示されました…、だと?

鼻笑。おいおい、日蓮大聖人の正統な御信心を受け継ぐって、オマエ、日隆の棟梁は一体誰であったのか。
其れこそは、日蓮門下に於ける日文字の伝統に違背した、軟弱一致の痴れ者ではないか。

其れにオマエ、大聖人が御入滅されてから、100数年経って生まれ、しかも、其れから33年も経ってから、
ようやく本迹の勝劣に気づき『さぁ、頑張るぞ!』と決意するも、日文字違背の軟弱棟梁に凄(すご)まれて、
『やっぱ、御免なさい。本迹は一致するものでした』などと詫び状を入れて、其れこそ右往左往の恥態では
なかったのか。

ったく、そんな者が日蓮大聖人の正統な御信心を受け継ぐ聖人であるとは、オマエ、あまりふざけた事を
云うものではないぞ。

して、そんな日隆が宗紋とした鶴丸紋は、其れ以前、つまり、日隆が独立する以前の100数十年、
何処(どこ)の門流が用いていたのか。まさか、日隆が初めてか。よいか。オマエらは、そーゆー淵源も
示さねばならん。言っておくが、我ら富士門から失敬したなどとは言わせまいぞ。よいな。

>法華宗再興唱導師と尊称され、宗祖日蓮大聖人の正しいご信仰「本門八品上行所傳本因下種之南無妙法蓮華経」を
>お伝え下さった日隆大聖人の門流……

なんだ。オマエたちには大聖人が二人も居るのか。小笑。

ったく、日隆など、聖人の尊称でさえ身分不相応、否、信心不相応であると云うに、まさか「日隆大聖人」とは、
恐れ入った。 まこと大丈夫か? そのアタマ。呆呆。

>本門八品上行所傳本因下種之南無妙法蓮華経

哀笑。本尊所顕の寿量品を根幹とせずに、どうやって八品の正意を領解出来ようか。呆哀。
よいか。所顕(肝心)在っての付属であり、実に付属の正体こそが重要なのである。

尚、本因下種の南無妙法蓮華経は、人法に於いて体一であるから、今時末法に於ける御尊体は、
須らく日蓮大聖人に帰一する。又其れをして「久末一同」という。

>私達の宗教・信仰に於いて最も大切なものは信仰の対象たる「本尊」です。
>ここで法華宗の本尊の正体は本門八品所顕上行要付の南無妙法蓮華経であります。
>本門八品所顕上行要付の南無妙法蓮華経は三大秘法総在の大法であり、これを本尊とし、戒壇とし、題目とする
>ものです。それは既に南無妙法蓮華経の一大秘法に、萬法、萬行、萬戒の功徳を具しているからです。

鼻笑。八品所顕の南無妙法蓮華経が一大秘法とな。して、本尊こそが萬法とな。
ならば、其の一大秘法義は人法に於いて別体と成るか、加えて萬法の本尊とは、人法に及ばざるか。
オマエらは其れを示せ。

>さればこの十界の依正萬法を総在せる南無妙法蓮華経を我等末法衆生の信仰の対象とするとき本門の本尊となり、
>宗祖日蓮大聖人はこれを十界勧請の大曼荼羅としてご奠定(てんてい)されたのです。端的に申せば、本地の十界
>具足の南無妙法蓮華経といえます。この御本尊を、全身全霊を挙げて絶対帰依するときに、初めて人格の向上も
>功徳の受得も成仏得道も可能となるのです。

だから、其の本尊に『人』は存在しないのか、と訊いておる!
してもし、本尊に人無し、と云うならば、本地十界の具足とは、一体、何処の十界を示したものであるのか。
而して、人無しの本尊義、つまり『人義の無い本尊』に帰依するとき、初めて我ら人格の向上も成り得るとは、
一体如何なる十界から得られるのか。オマエらは、其の事を説明致せ。

>宗祖日蓮大聖人もまた「本尊とは勝れたるを用ゆべし」と仰せられています。宗祖日蓮大聖人の期するところは、
>真の成仏、即ち最終的には人格の完成にあります。真正にして而も最高なる本尊を唱題信心することにおいて、
>その本尊の有する功徳を我々の心田に下種することを得、而して日常生活における祈願成就は当然得られるのです。

呆怒。

オマエ、

『十界勧請の大曼荼羅としてご奠定(てんてい)されたのです。端的に申せば、本地の十界具足の南無妙法蓮華経と
いえます。この御本尊を、全身全霊を挙げて絶対帰依するときに、初めて人格の向上も功徳の受得も成仏得道も可能
となるのです』

などと言いながら、其の本地十界の大曼荼羅の前に、釈迦多宝の二仏を並べ、又、其の前面に大聖人の坐像を置き、
其の坐像の後方に四菩薩を並べ、其の下段に日隆(大聖人)の坐像。そして、下段には不動明王か愛染明王か、何やら
其れらしきものが立ち並んでいるではないか。見れば、鬼子母神像も安置している様である。

さても、本地十界具足の大曼荼羅、つまり、オマエらからして『勝れたる本尊』に、あれやこれやとオマケを付ける
本尊義とは一体何処(どこ)から持って来たのか。

何? 其れこそは日像菩薩様の義であるとな。哀笑。
何? 其れこそは日蓮大聖人の御法義であるとな。ならば、其の陳列本尊義の文証を此に出しなさい。
加えて、大曼荼羅に示さる南無釈迦牟尼仏の本意と、本地十界の大曼荼羅の前に居座っている釈迦牟尼仏像との関係を、
此に須らく示せ。

尚、何処(いずこ)の脳足りんが、富士大石寺の法義は全て八品日隆からの受け売りだ、などとほざいていたが、
こーゆー莫迦こそは、重須日順師の緒文に其の腐った目を通すべきである。

日寛上人、八品の日忠等を破して曰く『諸宗の学者近くは自門に執し遠くは文底を知らず、所以に粗之れを聞くと
雖も敢えて之れを信ぜず、徒らに水影に耽りて天月を蔑ろにす、寧ろ不識天月但観池月の者に非ずや』と。

仍って申さく『不相伝の家には聞き得て應に驚くべし』と。

尚、日興上人の御遷化から約100年後、日隆は妙顕寺(現身延派大本山)から再度飛出して己義を構えたのであるが、
其の後、飛び出した仲間(仏性日慶)が開いた妙蓮寺に叔父2人を歴代住職に押し加え、自身もしっかりと妙蓮寺の
7代住職に収まったのである。因みに妙蓮寺の初代は、彼の蛇文字曼荼羅の日像であり、本門仏立宗の長松日扇は
妙蓮寺の53代住職である。尚、是の長松日扇は、在家の身で法を説き、曼荼羅本尊を書写して授与する不埒者と
して投獄されたが、其の後、門祖の日隆と同じく、其の法義主張を引っ込めて、還俗者から再び坊主と成った人間
である。

因みに本門法華宗(妙蓮寺)の信徒数は、3万人余と聞いておるが、法華宗(本能寺他3寺)の信徒数は50万人を
超えているという。又其れに、40万人近くの水飲み仏立宗が加われば、是れこそは創価学会の活動家数の3分の1
と成り、是れこそは歴(れっき)とした一大勢力となる。

とまれ、此ら雑乱教義・雑乱本尊の稚義にでさえ、100万人近い連中が身を置いているのであるから、如何に
不相伝の邪流門家が根強く世間に蔓延っているかが、爰(ここ)に於いて実感するものである。

歌詞に云く、

我ら住む日本の楽土見ん。
北山南河は邪宗の都…。

当方も曾(かつ)てはよく指揮を執って歌ったものであるが、残念な事に当の集団は今や新興宗教に成り下がり、
今と成っては威風堂々と正法をかざす力量もなく、ただ、正宗の悪口を言っては、其の劣等感を紛らしている
始末である。最早、是れこそは、八品日隆の変身謗法の類(たぐい)に堕ちたものと、此に断言するものである。

さて、次回こそは「ああ、邪教人」シリーズの続行と参ろうか。

是れこそも当方の務めである。
 

一記

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 6月 2日(金)15時08分32秒 i114-185-21-252.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  久々の投稿である。

見れば、前回の投稿から約一ヵ月半経っている。

爾して、仕事の忙用に感けて管理責務を怠るは、これ全く管理人の資格なしと言われても仕方あるまい。

だが、如何(いか)に言われようとも、当室の鍵を閉じるわけにはいかない。

観るに、相互に於いて所属教団を名乗り合い、其の持する処の本尊教義を基にして、互いの正邪浅深を
決せんとする、所謂(いわゆる)正当な法論掲示板などは最早皆無に等しく、況してや、リモホの正規を
公にして、串と多重を戒める掲示板など、是れ全く希少の其れであると、此に於いて自負するものである。

まぁ、投稿者からしてみれば、是れ程敷居の高い、否、是れ程、面倒くさい掲示板は無いかも知れないが、
実に是れこそが真っ当な法論掲示板の姿である、という事を、投稿者各位には了して貰いたい。

とまれ、其れらの箍(たが)を外したならば、其れこそ、多重ハンネの馬の骨(馬鹿の骨頂)などが狂喜して、
臆病な愉快犯よろしく、一方的に批判中傷を書き散らかしてほくそ笑む、応に荒廃したゲロ吐き掲示板に
成り下がってしまう事を、当方は何よりも警するものである。

尚、其の対処に付随して、当室への投稿文は、須らく管理人の確認後に掲載される事と成っている由。
無論、其れらの対処が、投稿者及び投稿数の減少に成ってはいるが、得体の知れない馬鹿の骨頂を相手に、
其れこそ飛び廻るコバエを両手で追い叩きながら、部屋中を走り回る行態よりは、全く以って健全な姿であると、
此(ここ)に於いて断言するものである。

さて、本年も六月と相成り、総本山に於いては、夏期講習会も酣(たけなわ)であるが、又しても不参加と成るは、
真(まこと)に遺憾な事である。さてこそは来年…。其の気概だけは忘れまい。


して、久しぶりに周囲を見渡せば、相も変わらず、馬鹿の骨頂(馬の骨)の宿坊などが、イタチの屁に乗って
フェイクニュースを貼り付けて、言いっ放しの戯れ言を巻き散らかしておる。呆哀。

聞けば、オマエらのグループは、保田妙本寺などに帰依し、其の情けない回帰を以って法脈の切れた本尊を
配っているという。哀哀。果たして嘘が真か、其れこそヤドカリよろしく、其の在所を借り漁(あさ)るなどは、
応に不信謗法の恥態であると、此に呵責するものである。

よいか、イタチ宿坊よ。

オマエらは、何の臆面もなく、怪文書フェイクを貼り付けておるが、其のフェイク自身が、オマエらをして
謗法者と断言しているのである。

再掲して云く、

『身延山といえば、日蓮大聖人を末法の御本仏と仰がずに「日蓮大菩薩」と称しており、また
「板本尊偽作論」を唱えて大御本尊を否定し、更に、御本尊を店先にぶら下げ、御守本尊を
カードにして販売している謗法の山である』と。【フェイク 1406号(13.08.22 発行分)】

呆哀哀。よいか宿坊、そしてイタチよ。

上の記事こそは、オマエらの事を指して言っているのである。哀笑。

其れとも何か。抑もが怪文書の偽記事であるから、そんな事など気にはしない、と言うか。

哀笑。さもありなん。

而して、オマエらが其のフェイクを真として当宗を中傷するなどは、是れ全く鉄面皮の其れであり、
応に自己撞着(どうちゃく)の恥態である、という事を、オマエ達は識るべきである。

哀笑。ったく、情けない限りよのぉ。小鼻笑。

謗法者、宿坊イタチ。先ずは、フェイクを破折しなさい。鼻笑。

さて、他板を観れば、何と、彼のクジラ地区部長の掲示板が閉じられたと云う。

しかも、ご丁寧に当方にまで別れの挨拶が為されておる。

いやいや、金パラやイタチと違って「純」な学会員。つまりは、原田会長を中心にして、一大秘法は御本尊に
非ずという、邪義新興の「純会員」ではあるが、閉板に於いて態々(わざわざ)正宗信徒の当方に挨拶を為すは、
是れ全く礼節を弁えたものであると、此に感服した次第である。

とまれ、其の閉板の要因が、あの信州の筋肉狂人の掻き回しに在ったとは、当方からして御同情申し上げるが、
抑も、あの様な、あちこちの池に行っては石を投げ、その波紋の出来具合を見て喜ぶ者などは、其れこそ、
一つや二つの説教を咬(か)ましてやればヨロシイ。無論、其れ以上の後追いは禁物である。

狂人走れば不狂人も走る。

況してや、本尊迹の筋肉老人と、非一大秘法本尊の地区部長が言い争ったならば、其れこそは、辰春問答以下の
邪論喧噪の恥態と成るであろう。無論、其れらの恥態を喜ぶ連中こそは、不信仰の宿坊であり、イタチであり、
金ビラや兵長などの離反者たちである。

まぁ、何れであろうとも不本意であろう。しかし、其れは賢明な判断でもあった。

クジラ地区部長。

貴殿こそは、非一大秘法本尊義の邪義こそを見抜きなさい。そして、其の根本義の誤りを、原田執行部に訴え
なさい。

池田名誉会長に云く『大聖人の出世の本懐である一閻浮提総与の大御本尊が信心の根本である事は、
これからも少しも変わらない』【平成5年9月16日、アメリカSGI最高会議】

又云く『もしも将来、原理原則を踏み外すような幹部が現れたならば、断じて許してはいけない』
                        【平成18年11月22日 全国合同協議会】


果たして原理原則とは何か。

つまりは、根本尊崇の事ではないか。

つまりは、其れこそが、日蓮大聖人出世の御本懐たる一閻浮提総与の大御本尊に帰命する事ではないか。

だからこそ、池田名誉会長は、其の原理原則、つまりは其の信心の根本義について、

『大聖人の出世の本懐である一閻浮提総与の大御本尊が信心の根本であることは、これからも少しも
変わらない』と予(か)ねてから宣べていたのであろうが。

而して、現在の創価学会は、其の根本尊崇に対し、『其の様なことは御書には載っていない』などと
手のひらを反しておる。

おかしいではないか。

つまり今の創価学会は、池田名誉会長の根本指導に唾を吐いている、という事になるのではないか。

さもなくば、貴殿こそは、其の身を置く現組織の教義的正統性を此に於いて宣揚すべきである。

そうであろう。地区部長。

果たして、其の宣句を等閑(なおざり)にするならば、其れこそ末法の御本仏はお釈迦様だ、という宿坊と、
一閻浮提総与の大御本尊はニセモノだ、という金パラと、日蓮大聖人よりもっとスゴイ人間が現れるという
イタチと、其れこそ貴殿らからして『仏敵』たる此奴ら3人の呵責などは、到底及ぶものではないと此に
断言するが如何。

とまれ、閉板後に於いて、正論を宣べんとするならば、当方が、真っ当な判釈をしてしんぜよう。


…呆哀。はてさて、

何と云うか、かんと云うか…。呆。相も変わらず、中共支那(シナ)の脳髄は腐っておるよな。呆呆。

排他的水域にミサイルを落とされている我が国に対して、

『(北朝鮮との和平に向けて)日本は足を引っ張るな!』

などと言っておる。呆。

ったく! 足を引っ張っておるのは、オマエら中共ゲリラではないか!

ふざけた事を言うものではない。

して、比国の大統領が、支那の南海(南支那海)で石油採掘をする旨、其れを習近平に伝えたら、
『そうなれば戦争するしかない』などと脅されて、比国の大統領が縮み上がった、という事らしい。
呆哀。いやはや、相も変わらず中共支那の野蛮な性質は、今もって八路軍(共産ゲリラ)そのものである。

とまれ、和平対話にかこつけて、北朝鮮を暗に擁護している中共支那(シナ)と露西亜。
前々から言っているが、此奴(こやつ)らは皆、同穴の狢(むじな)であり、北朝鮮の保護勢力である。
して、今や其の貉に南朝鮮も加わって、事態は全く日本国を舐め切った状況になっておる。

本より、我が国と米国が北朝鮮を攻めたならば、支那と露助は黙殺し、又は非難して北を擁護し、
南朝鮮に限っては、戦闘に紛れて自衛隊員を背後から撃ち殺すやも知れん。
最早、其の状況は、過日のサッカーどころの騒ぎではない。

おっとぉ!

話が横道に逸れたわい。

まぁ、久々であるから、仕方あるまいて。鼻笑。

次からは気を付けよう。

さて、本日はこれまでとしようか。

次回の投稿は、近日となろう。

無論『ああ、邪教人』シリーズも続行となる。

奮闘して「其の百」を目指して頑張りたいものである。
 

ああ、邪教人 其の六十一

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 4月14日(金)07時29分49秒 i114-180-126-34.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  >日亨上人の文章をねじ曲げて、ありもしない似非信者だと批判した文章だと主張する人はいったい
>何なのだろう。

何なのだろう? 判らんか。其りゃ、オマエら事だよ。

曲解、切文、誇張、虚偽。

まさにフェイクの真骨頂。

ほら、そこのオマエ。懲りずにフェイクをベタ貼りしているオマエの事だよ。

鼻笑。しかしなんだ。自分の事を謗法呼ばわりしている文書を、未だに好んで貼り付ける神経とは、
一体いかなる神経であるのか。まさか、其の貼り付けている行為自体がフェイクだと言うのか。哀笑。

>あんなボンクラ宗門に、『権威の衣』など存在しない!
>それはだらしない、能無しの弟子たちが、臆病風に吹かれた末に見た幻だ!

哀笑。そーじゃねーだろ。『あの衣は権威だー! 権力だぁー!』とは池田センセーの口癖だよ!
はてさて、オマエの言い分からすれば、能無しの池田センセーこそが臆病風に吹かれていた、という事
になるのではないか。呆哀笑。

因みにボンクラはオマエたちの方であるから、今後、言い間違いのない様に。よろしいか。

>私たちの胸に深く刻まれゆく岐阜の天地は、第三代であられ、一閻浮提の座主であられる日目上人の
>〝殉教″の栄光の大地である。(新・人間革命 249)

哀笑。第三代の一閻浮提の座主、日目上人、ってオイ!
第三代とは何だ。一体何処(どこ)の第三代なのだ。
加えて「一閻浮提の座主」とは、一体何処(どこ)から引っ張り出して来たのか。
なんだ。まさか、この新人間革命も、2、3年後に書き換えられてしまうのか。小鼻笑。

ったく、節操の無い奴らめ!
だからこそ言う。オマエらこそが頭破作七分の持ち主であると!

そー言えば、元住職の花道や、創価大のスゲ博や、元創価のイタチらが集合して、日蓮大聖人の仏法を
屁理屈よろしく分析している様であるが、元より「信」無き者らが「学」に偏執するは、是れ全く無知行の
其れである、という事を此に識(し)るべきである。

爾して曰く『教の浅深をしらざれば理の浅深弁(わきま)ふものなし』と。
仍って曰く『仏教を学すと雖(いえど)も還って外見に同ず』と。

哀笑。

さても、盲眼が如くなるお主ら当世の学者等、如何にして正理を感得して浅深を弁ふべしや。
されば、はかなし者とは、オマエらの様な不信心にして仏法を学問する者をして云ふものか。

先ずはよい。

オマエらこそは、身延の半被を説明致せ。

教義の屁理屈など、其れからの事である。
 

不思議の一法

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 4月10日(月)21時06分18秒 i114-180-126-34.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  南無妙法蓮華経即日蓮大聖人、日蓮大聖人即南無妙法蓮華経。
爾して、其の究極の御尊体、即ち、御自身に於ける人法体一の御魂魄を曼荼羅御本尊として顕発されるに
仍って、此の曼荼羅御本尊こそが日蓮大聖人の御本懐にして三大秘法の根本と相成る。

其(そ)は則ち、元初本因の凡夫僧たる日蓮大聖人己心の仏果こそが、曼荼羅御本尊の正体であり、
南無妙法蓮華経の当體なのである。

仍って口伝に曰く『本尊とは法華経の行者の一身の当體なり』と。
仍って興尊が曰く『妙法蓮華経の五字を以て本尊と為すべし、即ち自筆の本尊是れなり』と。

南無妙法蓮華経は本因妙。御本尊は本果妙。爾して、其の因果こそは倶時である。実(げ)に其れをして
「因果倶時不思議の一法」と名づく。

久遠即末法。凡夫即極。

是れを思え。是れを思え。
 

儚(はかな)き邪宗の教学 【再掲】

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 4月10日(月)20時23分18秒 i114-180-126-34.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  「出世の本懐の本義は、大聖人の御生涯において、末法万年の一切衆生の救済のために三大秘法を確立
されたこと、(中略) 大聖人が「弘安2年の御本尊」を御図顕されたことも、この三大秘法の確立と民衆
仏法の確立という意義の中に含まれるものと考える」【平成27年 聖教新聞/創価学会教学部】

哀笑。いやはや、宗教の根本たる本尊義を改変する事自体、問題があると云うに、今回の改変は何と考察で
あるという。哀笑。しかしなんだ。根本教義が考察状態であるとは、何とも情けない宗教団体であるよな。

其れにしても何だ。弘安2年の御本尊(一昨年までは一閻浮提総与の大御本尊)も、三大秘法の確立という意義に
含まれる、って、一体どういう事かいな。哀笑。果たして、確立された三大秘法の意義(出世の本懐の本義)に
含まれる弘安2年の御本尊とは、一体どーゆー御本尊なのかいな。哀笑。して、その御本尊を包含する三大秘法
とは、一体、どーゆー三大秘法であるのか。

まさか其れこそが、一大秘法の妙法蓮華経の五字である、というのか。

原田創価に云く『一大秘法が本門の本尊であるという御書は無い。一大秘法とは妙法蓮華経の五字の事だ』と。

つまりは何だ。題目(南無妙法蓮華経)こそが一大秘法という事か。

ならば、此れは如何なる事か。

原田が云く『本門の本尊に唱える南無妙法蓮華経が本門の題目』と。

はて、一大秘法ではない本門の本尊に唱える題目が本門の題目になる、とは如何なる事か。

して、一大秘法ではない本門の本尊によって、本門の題目になるという題目は、一体如何なる題目であるのか。

而して原田が云う。一大秘法とは妙法蓮華経の五字、つまりは題目である。と。

果たして、一大秘法、つまり、三大秘法を包含する一大秘法とは、本尊であるのか題目であるのか。

さても原田は、妙法五字の題目であるという。

ならば原田よ、加えて、谷川、長谷川、佐藤、北林の面々よ。そして、其の後ろで黙認している池田太作よ。

オマエらは、以下の御教示を何とする。

日興上人に曰く『唯御書の意に任せて妙法蓮華経の五字を以て本尊と為すべし、即ち自筆の本尊是れなり』と。

「即ち」とは何か。「即ち」とは一体如何なる意か。

而して、原田創価が云く「一大秘法とは本門の本尊ではなく、題目(妙法蓮華経の五字)の事だ」と。呆哀。

果たしてオマエらは、いつから身延の下僕となったのか。

よいか。一大秘法とは、まさしく本門の本尊の事を指して云うのである。

日寛上人に曰く『一大秘法というは則ちこれ本門の本尊なり。この本尊所住の処を本門の戒壇と名づけ、
この本尊を信じて妙法を唱うるを本門の題目と名づく』と。

つまり、本門の本尊が在ってこその、本門の題目であり、本門の戒壇なのである。

仍って、本門の本尊こそが一大秘法であり、三大秘法は、須らく本門の本尊に包含されるのである。

だからこそ云う。一大秘法の本門の本尊に唱える題目こそが本門の題目になると。
だからこそ云う。其の唱える題目を本門の題目に為さしめる本尊こそが、応に一大秘法の其れであると。

爾して原田が言う。

『末法の衆生のために日蓮大聖人御自身が御図顕された十界の文字曼荼羅と、それを書写した本尊は、全て
根本の法である南無妙法蓮華経を具現されたものであって、等しく「本門の本尊」であり、「本門の本尊」に
唱える南無妙法蓮華経が「本門の題目」、その唱える場がそのまま「本門の戒壇」となる』と。

呆笑。

おいおい、だから言っているだろう。

其の唱える題目(南無妙法蓮華経)を本門の題目に為さしめる本尊こそが、応に一大秘法の其れではないかと。

又、そうであるからこそ、日寛上人は御本尊(本門の本尊)こそが一大秘法である、と申されたのであろうが。

しかし原田は云う。

『一大秘法が本門の本尊であるという御書は無い。一大秘法とは妙法蓮華経の五字の事だ』と。

哀笑。

よいか。オマエらが設定した考察教義の欠点は、本尊義に於ける人法一箇の大義を見落とした事であり、
日蓮大聖人が出世の本懐とされた御本尊の体現(仏の振る舞いとしての究極)の奥義を無視した事にある。
よいか。一大秘法とは人法に亘るのであり、其の一点、つまり一大秘法とは御本仏日蓮大聖人の御当體
をして云うのである。

然るにオマエたちは、今まで其れを領解していたにも拘わらず、謗法の冥罰によって脳髄が七分に割れて、
三大秘法の随一たる人法一箇の本尊義をかなぐり捨てたのである。応に、因果応報とは此の事であろう。

さても、題目こそが三大秘法の要と為すは、此れ全く邪流身延の教義であって、実にオマエらは創価学会は、
日興門流でもない、五老門流でもない、其れこそ、日什の顕本法華宗にも劣る、今世紀最悪の新興邪宗教の
其れである、という事を、此に自認すべきである。

本より、本尊義の破綻こそは、其の宗教にとって死に体と成る。

さもありなん。

ならば最後に、恩師の呵責を、此に手向けてやろう。

何? 執拗(しつこ)いとな。

哀笑。当たり前だろう。

属する宗教組織のトップが、そんなモノは気狂いの教学だ、と断言しておるのに、其の気狂い教学を組織教義
の根本に据えた、そんなオマエらの致命的な狂態を、今呵責せずして何とするのか。哀。

とまれ、此の地球上に於いて、オマエらの様な捻転宗教などは在るまいて。哀哀哀。

よいか。だからこそ、何度も呵責するのである。

有り難く思いなさい。

では再記する。

恩師が云く『南無妙法蓮華経と唱題する中に三秘が具わっているというが如きは、無学のジイサン、バアサン
ならいざ知らず、少しでも教学をやった者には気狂いになっているのではないか、という以外には思いようが
ない』 【はかなき邪宗の教学・小樽問答誌 131P】

哀哀。

果たして、恩師が仰せの如く、オマエら創価学会は気狂いになってしまったのか。哀笑。

よいか。是れこそは昔の誼(よし)みである。

反論あるならば、堂々と申してみよ!
 

ああ、邪教人 其の六十

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 3月14日(火)14時17分32秒 i121-118-81-220.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  >あたかも法主に代々に伝わる相伝があるかのように偽装し、後世の創作の戒壇本尊を真筆と偽り、
>日目が再誕するという神秘的な教義を作りました。
>日蓮正宗のやってきたことの罪深さは、神話の創作であったということです。

哀笑。オマエは阿呆か。

寺の住職が、次の住職に法を付するは当然の事ではないか。しかも、其の相い伝える処の法義が、
宗教の根幹たる本尊義となれば、尚更の事であろう。

よいか。身延迹門宗であろうとも、顕本法華宗であろうとも、八品法華宗であろうとも、いやいや、
其れこそは、千葉妙本寺寺であろうと、京都要法寺であろうと、西山であろと北山であろうと、
皆、二代、三代、四代、と継いで往くのである。しかも、単に寺跡を継ぐものではない。


顕本法華宗「法華本門戒血脈」に云く、

『久遠成道釈迦牟尼仏如来 日蓮大師 日什僧都 日仁』なりと。

加えて、八品法華宗の「宗綱」に云く、

『久遠実成本師釈迦牟尼世尊の自詮により建立、本化上行再誕日蓮聖人これを承けて立教開宗し、
日朗、日春、日法、日辨、日像、大覚、朗源、日霽……と伝承し、門祖日隆聖人、本門八品の
正義を再興唱導し、爾来、法統連綿として今日に至る』と。


更には、西山本門寺の文書に云く、

『内証相承の事  日蓮大聖人 日興 日代 日任 日盛 日林……今我日建師資相承の仏法を
日辰に付属する者なり』と。


よいか。各宗皆々、其々の貫首法主に於いて寺跡のみならず、其の法義さえも伝持されて往くのである。

其れをオマエは、

>あたかも法主に代々に伝わる相伝があるかのように偽装し…

などと戯(たわ)けた事を言っておる。

やはりオマエは阿呆なのか。

よいか。其の腐り切った鼻糞を先ずは掃除してから出直して来なさい。糞笑。

>後世の創作の戒壇本尊を真筆と偽り…

呆哀。真筆と偽り? ならば其の証拠を出しなさい。

言って置くが、御書に載っていない、樟は身延に無い、重すぎて運搬出来ない、身延の草庵には入らない、
願主が農民では当てに成らない、国柱会のカタログに載っていない、弟子の文書に載っていない、
文字の様式が通例に成っていない、干支が無い、継ぎ接ぎだ、模作だ、偽作だ、盗作だ……。

小腹笑。まだあるか。小鼻笑。

しかし何だ。どれもこれもが、使い古したイチャモンばかりであるよな。鼻笑。

因みに、オマエら異流の輩(ともがら)が本懐本尊として推奨する、房総千葉の万年救護御本尊に於いては、
其の図顕年月日については、日にちが記(しる)されていない。→ 【文永11年太才甲戌12月 ○ 日】

鼻笑。これ、どーすんだよ。勿論、問題ないと言うのであれば、其れこそ干支など問題にもならない。
そーであろうが。阿呆よ。

>日目が再誕するという神秘的な教義を作りました…
>日蓮正宗のやってきたことの罪深さは、神話の創作であったということです。

呆哀。大本門寺建立の御時に於いては、日目上人が座主と成る…。

此の事は、我が正統・富士門流の伝統である。

猊座の意義も解からず、御観念文の意味さえも知らず、神秘的な教義などと、浅薄な物言いをしておる。呆哀。

やはりオマエは阿呆であるのか、あいや其れとも莫迦なのか…。哀哀笑。

よいか。罪深きは、オマエのような痴話の妄作を指して云うものである。

控えよ。

>基本の教義は日寛による恵心流の中古天台口伝法門を日蓮と置き換えただけの浅薄なものに過ぎません。
>信徒からすれば、確かに完成された教義の方がわかりやすいし、信用しやすい。

小笑。おいおい、信徒からすれば、完成された教義の方が信用しやすい、ってオマエ…。
ならば、完成されていない教義とは、一体どんな教義なのかいな。して、其れこそは、
解かりにくく、信用できない教義、という事かいな。呆笑。

オマエは何を言っておるのか。やはりオマエは阿呆莫迦なのか。大哀笑。

尚云うが、中古天台の本覚法門などは、我が興門正統からすれば、其れこそは下敷きの其れであって、
其れを教義の根幹と為すものではない。いや、寧(むし)ろ超越していると言った方がよかろう。
無論、其の大根幹たるは、日蓮大聖人の御法義である。

曰く『爾前の経々の心は、心より万法を生ず。譬へば心は大地のごとし草木は万法のごとしと申す。
法華経はしからず。心すなわち大地、大地則ち草木なり。爾前の経々の心は、心のすむは月のごとし、
心のきよきは花のごとし、法華経はしからず。月こそ心よ、花こそ心よと申す法門なり。此をもって
しろしめせ。白米は白米にあらず。すなわち命なり』と。【新編 1544  真蹟 大石寺蔵】

諸法は即ち実相。

つまりは、一心を妙と知りぬれば、亦転じて余心をも妙法と知るを云う。

仍って申さく『我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与えたまふ』と。

して曰く『此の本理に称(かな)ひて一身一念法界に遍し』と。

よろしいか。

滝に打たれ、洞窟に入り、断食をし、其れこそ荒行よろしく百部千巻の経文を読み上げるなどは、
此れ全く日蓮大聖人の御法義に非ず。其れこそは、始覚教相の階段修行であり、そんな行法など、
今時末法に於いては通用しないのである。

無知無学にして成仏す。当に易行中の易行。無上宝聚不求自得。
応に是れこそが本覚一心の妙義であろう。

尚、口伝法門などは、抑もが日蓮大聖人の御教示する処(ところ)であり、オマエが云うような
日寛上人の創作などではない。ったく、オマエは阿呆莫迦のみならず、其れこそは基地外であるのか。嗤。

よろしい。ならば、当方が、其のアタマをトンカチでぶっ叩いて、脳みその捻転を矯正してしんぜよう。
勿論、此の荒治療などは、桂冠詩人にして世界の指導者でもある、池田センセーの考案である。
因みに、針金で首を結わく方法も、池田センセーの発案である。素晴らしいというか、いやはや、何とも
恐ろしい。呆笑。そーは思わぬか、オマエ。鼻笑。

>私たちは自身で信仰を選び取るべきですし、それこそが真の民衆の仏法の本義であると思います。
>何も総本山とか宗教団体とかに信仰の担保をしてもらう必要などないのですから。

哀哀笑。

さても、宗団・教団等の教義に服せず、己(おのれ)の信仰を選択する事が、真の民衆仏法であるとは、
一体どーゆー教義から引っ張り出しているのか。貴様は其れを申せ!

>グリグリが望む事は、日蓮大聖人の偉大な思想と、それを完璧に応用展開した池田先生の思想を
>一人でも多くの人に知ってもらうことです。
>そのためならば、ドンドン盗んで 自分の論としてさらに思索を重ね
>池田先生に代わって、不幸に泣く人たちに伝えていってください。
>それが、グリグリの一番の願いです。

呆哀。そーか。そんならアンタの顳顬(こめかみ)をグリグリしたろーか!?

日蓮大聖人の偉大な思想?

それを完璧に応用展開した池田センセーの思想?

???

呆哀。何じゃらホイとて、ホーホケキョ! だよ! 糞笑。

そんな日蓮大聖人の偉大な思想を完璧に応用展開した池田センセーが云く、

『大聖人の出世の本懐である一閻浮提総与の大御本尊が信心の根本であることは、これからも少しも変わらない』

                         【平成5年9月16日、アメリカSGI最高会議】

これ、どーすんだよ。

まさか、宗教にとって一番重要な本尊義について、池田センセーは完璧に展開していなかった、という事
かいな。其れで間違いないのか。オマエは其れに答えなさい。さもないと、顳顬グリグリであるぞ!

ったく、

今日も今日とて邪教人。

邪教人への呵責はこれからも続く!
 

ああ、邪教人 其の五十九

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 3月11日(土)14時50分29秒 i121-118-81-220.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  創価に云く、

▼「血脈相伝の教えから離れるならば、いかに各家庭の御本尊を拝んでも功徳は生じません」とは、御本尊を
冒涜する大不敬であり、それゆえ宗門を「邪教」と呼ぶのである。

続けて云く、

▼秋谷: そもそも大御本尊も、各家庭に御安置してある御本尊も同じだ。「一体不二」。
▼青木: その通りです。各家庭の御本尊は、大御本尊と一体の「分身散体」の御本尊です。
▼谷川: 「分身散体」。つまり「仏が衆生を救うために、身を分けて種々の国土にあらわした分身」という法理だ。

                                                                            【平成17年8月26日 聖教新聞】

呆哀。

なんだ。是れこそは宗門(大御本尊)への世辞かいな。小鼻笑。

いや、破門されてから14年も経っての発言であるから、阿呆宿坊の連中からして、これら3人の発言は、
すべて無知無学にして無慙極まりない馬鹿発言という事になってしまうが、其れでえーのんか。小腹笑。

呆笑。フェイクよ、オマエも同罪であるぞ!

何とか言いなさい。

さすれば、執行部が邪教人であるのか、其れともオマエらが邪教人であるのか、其の事がハッキリするであろう。

鼻笑。

>宗門から学会を取ったら何も残らない。

呆哀。して、其の学会を宗門から取ってしまったら、日亨上人はどうなってしまうのだ。
まさか「余は何も残っていない宗門の、単なるカラ貫主でしかない」とでも言うのか。

呆怒。ふざけるものではない。

よいか。其の後に於いて、学会を宗門から取って下さい、と言われたは戸田先生である。
果たして此の発言の意は如何なる事か。阿呆でなければ解かるであろう。哀。

ったく、バカをやらかして破門された者共が、今更、日亨上人の発言とやらを持ち出して、
宗門から学会を取ったら何も残らない、だから、今の宗門には何も残っていない、などと
未練たらたら小言を吐くなどは、まこと、無慙な連中である。哀哀哀。

▼一大秘法とは、御本尊の事ではなく、妙法の五字の事だ。

糞笑。

取って取らせて、結局何も残らなかったのは、一体どちらであるのか。

上記の恥義を眺めれば、一目瞭然であろう。

小鼻笑。

ああ、情けなや邪教人。

莫迦で阿呆な邪教人の呵責は、これからも延々と続く。
 

ああ、邪教人 其の五十八

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 3月 4日(土)17時01分13秒 i121-118-81-220.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  真実の教えは、一大秘法の題目であった!

哀笑。秘妙方便ならぬ奇妙方便。呆笑。

つまりは、創価三代の会長は、みな詭弁の弄士であったという事か。
それとも、無知無学の小学士であった、という事か。

何れにしても、オマエらの言い分からすれば、彼の小樽問答は須らく茶番劇であった、という事になる。

其の事、オマエらは恩師の墓前で云えるのか。

『今、やっと、先生の諸行為が茶番劇であった、という事が判りました」と。哀笑。

さても、釈迦こそが末法の本仏だという宿坊。
さても、日蓮は本仏に非ずという創大の宮田。
さても、日蓮より凄い人が現れるというイタチ。
そして、一大秘法とは題目の事だと叫ぶ創価員。

此奴(こやつ)らは皆、戸田先生の大信心に唾する、莫迦者連中である。哀哀哀。


其れにしても、是れには笑える。

      ↓

>法華講は豚のケツ
>投稿者:藁科イ鑑道御尊師

>文段は日寛上人の学寮時代のもの、草稿というのがその位置付け。晩年に到って、再治その上で、
>未治本を残してはならないと遺言されている。

>冒頭をあげれば、

>「草案已に畢りて清書未だ成らず虚しく笈中に蔵めて之を披く遑あらず、…粗略稍多し、故に粗添削を加う、
>敢て未治の本を留むることなかれ」

>(観心本尊抄文段)とか(法華取要抄文段)とか(寿量演説抄) その他
>日蓮正宗の「正依」でない。  こんなの使えるのか!
>これじゃ アホの通りすがりの法華講員と同じレベルではないか!

堪堪笑。

文段は日寛上人が学寮時代のものであるという。鼻笑。

おいおい、全部が全部、そーではないだろう。

寿量品演説抄3巻及び、法華取要抄文段などは、壇林及び学頭時代に著されたものであるが、
観心本尊抄文段、其の他、当体義抄文段、報恩抄文段などは、すべて御隠尊猊下の御立場で
著されたものである。

ったく、文段は草稿であるから、未治本を残してはならないという日寛上人の遺言からして、
そういう文段などは採用すべきはではない。こんなの使えるか! などと馬鹿な事を言っておる。

されば、文段の著作時期を、六巻抄の巻頭文から批判するなどは、応に取って付けての誑言であり、
本より、オマエが引用している六巻抄の巻頭文は、須らく六巻抄の未治本を留むる事なく、すべて
再治本を後学の根本とすべし、との御遺訓である。

仍って後文に曰く『然るに此の抄の中には多く大事を示す、此れは是れ偏に法をして久住せしめんが
為なり』と。

よいか、オマエの様な、そーゆー小賢(こざか)しい切り文の小細工こそ、醜いパッチワークの態様で
ある、という事を知りなさい。もっと簡単に言うならば、恥を知れ! という事である。

>法華講は豚のケツ
>これじゃ アホの通りすがりの法華講員と同じレベルではないか!

鼻笑。其の痴言、其れこそはオマエの事だよ。なぁ、オマエ。哀笑。

創価にも非ず、身延にも非ず、而して、郷門の下人とも云わず…。哀笑。

よいか。オマエらこそ、豚よりも醜いヌエのケツであり、キマイラのケツである!

少しは控えた方がよろしい。
 

ああ、邪教人 其の五十七

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 3月 3日(金)18時35分1秒 i121-118-81-220.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  >結局は、科学的年代鑑定に委ねるしかないのですね。

哀笑。干支の有無をつべこべ言っておき乍(なが)ら、結句は科学鑑定に委ねるしかない、と言う。

つまりは「おサム」い話に終わったという事である。鼻笑。

科学的鑑定に委ねるしかない…。哀笑。

ならば、其れが出るまで黙っていなさい。

あれやこれや、疑ったら限(き)りがない。

無論、我ら富士門徒は、御仏の御当體を科学分析に計る事などはしない。
本より其れは、偽物であるから分析しないのではなく、御仏の御当體であるから分析しないのである。
当たり前の事であろう。我らは邪宗身延と違い、曼荼羅御本尊は日蓮大聖人の御当體であるとの信義で
あるから、其のような不敬はしないのである。

されば、身延などは学者坊主を中心にして、あれこれと鑑定だ科学だ分析だ、と言っているのであるから、
其れこそ、民部日向が造立した正安二年(1300)十二月の小板本尊の科学分析を先ずはやってみなさい。
仏像本意の身延であれば、曼荼羅の鑑定などお手の物であろう。
其れとも何か。其の鑑定結果が戒壇の大御本尊の有力な傍証と成り得るから、其の様なことは出来ない、
とでも云うのか。小鼻笑。

さても得体の知れぬ馬の骨の者共。

よいか。干支の有無に限らず、図顕月日の問題も、樟板の問題も、搬送の問題も、花押経字の問題も、
迦葉帝釈の問題も、日禅模作の問題も、講衆敬白の問題も、そして御書に記録なしの問題も、すべて
オマエたちの臆説であって、其の証拠に、重須の日浄以来、これらの問題について、戒壇の大御本尊の
偽作たるが完全に証明された事など一度も無いのである。其れは何故か。つまりは、其れらの問題が
須らく傍流異流から捻(ひね)り出された憶測の妄証だからである。又、そうであるからこそ、今にして
科学だ、鑑定だ、分析だ、と悲鳴を上げるのである。哀。

今一度言おう。

されば、身延などは学者坊主を中心にして、あれこれと鑑定だ科学だ分析だ、と騒いでいるのであるから、
其れこそ、身延山久遠寺が所蔵している民部日向が造立の正安二年(1300)十二月の小板本尊の科学分析を
先ずはやってみなさい。仏像本意の身延であれば、曼荼羅の鑑定などお手の物であろう。いや、そのついでに
仏像の鑑定もしてみたらどーか。鼻笑。(果たして、出てくるのはホコリばかりではあるまいて…) 糞笑。

果たして、曼荼羅軽視の身延が、手元にある日向板本尊の鑑定を渋るとは、其れこそが、鑑定の結果をして
戒壇の大御本尊の有力な傍証と成るから渋っておるのではないか。いや、そんな事はない、と言うならば、
即刻、日向の小板本尊を鑑定に出しなさい。

最早、科学鑑定を待つしかない、無力な文献莫迦のオマエたちにとって、其の方が余程、手っ取り早い、
作業ではないか。何? 其れをやってしまったら、難癖の一つが減ってしまうとな。

堪笑。

よいではないか、一つくらい。

どうせ、あれやこれや、と妄推を作り出しては補填するのであろう。哀。

ったく、さもしい者共である。哀哀哀。

創価学会・小平教学部長、小樽問答に於いて云く、

『証拠は大石寺にある! 証拠は大石寺にある! (大拍手)  若しそれを知りたいのならば、
信心を奮い起こして拝みに行け! (大拍手)  信心の無い者に、見せる、見せない。見世物じゃあるまいし、
信心の無い者が拝めるわけが無いではないか! (大拍手)』

よいか。これこそが、我ら恩師戸田先生の御遺訓を堅守する正宗門徒の本意である。

だから、曼荼羅を見世物としている身延山こそが、日向板本尊を削り取って、即刻に科学鑑定を行い、
其れこそ見世物よろしく、不信心の者共に披露すればよい、と言っているのである。

これこそが道理であろう。

よいか。同(おんな)じ事を何度も言わすものではない。
 

笑い話

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 3月 1日(水)14時13分5秒 i121-118-81-220.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  >『石山(せきざん)本尊の研究』京都要法寺僧侶 柳澤宏道編著

要法寺が石山本尊の研究?

笑笑。

ブレにブレ、ブレにブレまくった要法寺。

そんな要法寺が、石山本尊の研究などと…。笑笑

笑わすものではありません。

先ずは、己(おのれ)のケツの臭いを嗅いでみなさい、と言ってやりましょう。笑笑

尚、御本尊に於ける干支の有無が、真偽の其れに直結するなど有ろう筈も有りません。
笑。そんなもの、取って付けた難癖でしかありません。

サムか何だか知りませんが、其れこそは「おサム」い話と成りましょう。笑笑
 

蜜月が故の擁護であったいう詭弁

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 3月 1日(水)13時38分49秒 i121-118-81-220.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  恩師、青年訓に云く『第一は、無智の者に永遠の生命を教え、日蓮正宗の本尊の絶対無二なる尊貴を
知らしめて、功徳の大海に思うがままに遊戯する、自在の境涯を会得せしむる為に、忍辱の鎧を著(き)、
慈悲の利剣をひっさげて戦うのである』と。

仍って御隠尊猊下に曰く『したがって(創価学会の)八百万世帯にいたる大折伏は、戸田氏の清浄な、
正法を護る気持ちの中から行われたところであり、その中から皆様方が現われてきたのであるという事を
はっきりと見定めるところに、創価学会に縁のある方々が、創価学会の存在理由とその経過、すなわち
正しい仏法の流れを正しく知る所以があると思うのであります』と。

                       (平成4年3月29日 法華講連合会壮年部大会)


して現在、創価学会総本部に於いて、昭和26年5月19日御書写の日昇上人の常住御本尊(脇書・
大法弘通慈折広宣流布大願成就 模刻板本尊)が安置されているのは承知のとおりである。

つまり、此の御本尊は、オマエらが昨今言う処の『「宗門との蜜月時代」に下付された御本尊』という
事にもなる。爾して、此の常住御本尊が日蓮正宗から御下付された時、応に創価学会は第二代会長・
戸田先生大号令の下、会員一丸となって大折伏戦を展開していったのである。

しかし、今の小学会員は、其れら恩師の忠魂の戦いをして『宗門と仲が良かったから』などと軽口を
叩くのである。哀。

そうか。其れは真(まこと)の事か。果たして当時、恩師が御本山と仲が良かったから、宗教の根本尊崇
たる本尊に於いて、其の大信心を全うし、其の御本山への忠烈を会員に入魂したとでも言うのか。

其れは真の事であろうな。してもし、其の論拠が崩れたならば、オマエら小学会員は、其れこそ恩師
戸田先生の大信心に唾する、応に忘恩の似非会員である事を、此に於いて証明されるのである。

よろしいか。

本より、其の破折の論点は唯一つ。

つまりは、御本尊を下附する日蓮正宗と、其の御本尊を下附される創価学会、という破門以前の関係、
つまり、其れら正統・富士門流に於ける御本尊授与の大義が、総本山と信徒団体という関係に於いて、
其の真義が受動的に変化してしまうものであるのか、という一点である。

果たして、僧俗による蜜月の関係、つまりは対人、つまりは対組織の関係に於て、其の両者間の良悪が、
興門正統七百年来の根本たる本尊義を左右し、其の正邪さえも司(つかさど)ると言う事になるのか。

小学会員よ。其れは違うであろう。

応に法の正邪、つまり本尊の正邪こそは、其の関係の良悪を超越するものである。

其の様な事、大聖人と大進房、否、日興上人と波木井実長との関係を観れば、容易に判るというものである。

よいか。今一度言おう。

御本仏・日蓮大聖人から相伝された日興門流の御本尊義は、其れ以降の僧俗関係の善し悪しによって変化
させられるものではない、いや、其の元からして変化するものではないという事である。

仍って、曾(かつ)ての創価学会が富士大石寺の信仰に忠実であった事は、決して当時の信者による「良好な関係」
によって為された事ではなく、其れは応に、信者による「確たる信心」によって為されたものなのである。

関係が良好であるから信ずるのではなく、信ずるが故に関係が良好となるのである。

其れをオマエら小学会員は、今に於いて『仲が良かったから、宗門を守っていただけ』などと嘯(うそぶ)くので
ある。

呆哀。ったく、何という言い草であろうか。

云うまでも無い。

『日蓮大聖人の真実の教えは、独一本門といい、文底秘沈というも、みな一閻浮提総与の三大秘法の大御本尊を
根本とした教えでなくてはならない。今日末法に於いては、富士大石寺にこそあれ、他にはないのである』との
恩師の大指導は、決して宗門への世辞でもなく、其の関係を維持する為の美辞でもなく、況してや、恩師の正宗
教学に対する無知から発せられた謬言でもないのである。

したがって、当時の事をして『宗門との蜜月を堅持する為に、富士大石寺の法義を守って来た』などという
言い分は、応に好き嫌いの感情領域に於いて、其れこそ信者の都合によって宗門を擁護してきたという、まこと
恩師の御本山に対する忠烈に唾する詭弁であるという事を、当方は此に於いて断言するものである!

上記の如く、文底秘沈・独一本門たる法義は、本より七百年来、富士大石寺に連綿されて来た法義であって、
決して他門にはないのである。まして、昭和になって設立された在家団体に有ろう筈(はず)も無いのである。
又、だからこそ恩師は、創価学会の会長として御自らの口から『創価学会に君らに信心してもらうものなんか
何もない』、つまり、創価学会としての教義などは、其の創立時点からして無い、と申されたのである。

よいか聞け。創価学会の会長が会員に対し『学会に君らに信心してもらうものなんか何もない』などとは、
其れこそ学会の会長として、御本山に対する絶対的帰依が有ったればこそ言える指導であって、現在のオマエらが
言う様な、世辞でも、妄言でもないのである。まして、会員に嘘を付いていた、会長が無知であったなどとは、
とんでもない事であり、其の様な事は絶対に無いのである。

ったく、何で法華講員の当方が、オマエら創価学会員に、恩師の大信心を今にして教えなければならないのか。
つまり、其れだけ、今の学会員は、外道信者・アホ信者に成り下がってしまったと云う事なのである。

哀笑。何とも情けない限りよのぉ。哀哀哀。

よろしいか。何度でも言おう!

本門戒壇の大御本尊を厳護する意味に於いては、宗創に於ける関係の良し悪しによって、其の正義の価値が
変動するなど絶対に有り得ないのである!

仍って恩師が云く『誰がなんと言おうと、誰がどうあろうと、私は総本山に御奉公の誠を尽くし、
猊下に忠誠を尽くし、広宣流布のため、今こそ死身弘法の実践を、この佳き日に誓うものであります』と。

爾して此の恩師の大誓詞は、応に日蓮正宗第六十四世・日昇上人の御在時になされたものである!

当に今、オマエらの総本部師弟会館に安置されている常住御本尊。其の御本尊を認められた日昇上人に対し、
恩師戸田先生は、其の大信心に於いて忠誠を誓われたのである!

其れを今になって『宗門との関係を維持する為に、学会はその法義を守って来ただけだ』などと!

オマエらは其のセリフを恩師の墓前で言えるのか!!

ったく、宗教の根本尊崇に於いて、曾(かつ)て、とか、今とか、そういう次元で立て分けるなどは、
彼の立正佼成会が本尊を変更する度に用いた、会員を欺く為の詭弁とまったく同じではないか!!

今は険悪の仲であるから、今まで遵守してきた仏法義は蜜月時代の過去の法義なのであって、現今の
険悪な関係に於いては、其の法義は我々には通用しない、などという屁理屈は、抑も、日蓮大聖人の
仏法からして有り得ない話である!

よいか! 良好であろうが、険悪であろうが、元から在る正義は正義なのである!

又、其れだからこそ、法華講総講頭でもあられた恩師・戸田先生の信心指導が、今以って我ら日蓮正宗信徒の
正信に響き渡るのである!

応に是れこそ、僧俗に於ける組織体制の変貌が如何に為ろうとも、大聖人の仏法、就中、富士大石寺の法義は
今昔に於いて些かも変節しておらない証拠なのである!

よいか!

其れら事実をして『破門以前は蜜月だったから、富士大石寺の法義を仕方なく守っていた』などと、
今になって其れを本性にするなどは、応に恩師戸田先生の大信心に対する冒涜である!!

ったく、詭弁を弄するものではない!

果たしてオマエらは、其れら詭弁の罪悪を心の中では判っておるから、未だ創価作成本尊から日蓮正宗御歴代
上人の判形を抹消し切れないのであろう!

違うか!!

反論あるなら申してみよ!!

当に恩師の御遺訓を破ったのは池田である!!
而して、今以って残留する創価学会員も同罪である!!

言うまでもなく、恩師は本よりの日蓮正宗の信徒であった!
そして日蓮正宗法華講総講頭の御立場で其の生涯を全うされたのである!

仍って当方は、其の恩師の赤誠に裏切る事なく、昔も今も変わらずに日蓮正宗の信徒と成っているのである!

果たして現在、恩師の指導どおりに実践しているのは当方か!
其れともオマエら小会員か! 最早、其の様な事は火を見るより明らかであろう!

本より当方は、今もって富士大石寺に忠誠を尽くし、其の不変たる決意を、総本山に眠る恩師の御霊に御報告
申し上げるのみである!

恩師に云く!

『誰がなんと言おうと、誰がどうあろうと、私は総本山に御奉公の誠を尽くし、猊下に忠誠を尽くし、
広宣流布のため、今こそ死身弘法の実践を、この佳き日に誓うものであります』と!

果たして一体、どっちが、恩師の御遺訓に従っておるのか!
今こそオマエら小会員は、己(おのれ)の信心の姿を見つめるべきである!

思うに、柳沢元総講頭が『私が死んでから、50年後に戸田さんが出現するでしょう。
その後、私が生まれ出て御奉公させて頂きます』と、月例登山に参加された同志から聞くにつけ、
まこと、恩師の大信心は、今もって法華講員の鏡であると、改めて此に確認した次第である。


     妙法の広布の旅は遠けれど

      ともに励まし ともどもに征(ゆ)かなむ


今以って、大講堂の正面左手に建つ、恩師戸田先生の歌碑を詠む時、真の学会精神は、我ら旧創価学会
青年部にこそ伝持されているのであり、其の打ち捨てた現今の創価学会などは、其れこそ波木井実長こと、
池田太作と、民部日向こと、離脱僧侶の禿人らが蜷局(とぐろ)する組織であり、其れこそは富士大石寺
御開基、日興上人が打ち捨てた、彼の身延山に同ずるものなのである。

さても、オマエら現創価学会は、いずれ古参会員の消滅を待って、応に其の作成本尊から御歴代上人の
御判形を抹消し、其の場所に池田太作の花押を入れるのであろうが、応に其の時、池田創価学会は、
真の邪教たる新興宗教として、恩師が構築せし創価学会と決別し、見事、其の教義に於いて、魂の独立を
果たすのである! 而して、真の魂の独立こそは、彼の創価大の宮田が提唱する『日蓮本仏排斥論』に
創価学会が同調し、遂には『池田大作書写本尊』を有して『凡夫本仏論』に教変すると聞き及んでおる。

さても恩師をして詭弁の徒と侮言する学会員よ!
さても恩師をして両舌の徒と悪口する学会員よ!
さても恩師をして無知の徒と悪口する学会員よ!

オマエらは、須らく、日蓮大聖人の御教示に違背する、邪宗邪義の徒輩である!!

今こそ、総本山に帰参し、恩師の墓前に於いて土下座せよ!

そして、其の変節の痴態を心から詫びよ!

よいか。オマエらが救われる道は、其れしかないのである!
 

戒壇様干支記載に関する難癖の総括

 投稿者:通りすがりの法華講員  投稿日:2017年 3月 1日(水)00時06分0秒 p5231-ipngn6501marunouchi.tokyo.ocn.ne.jp
返信・引用
  今回は、長年、創価学会仏や身延の阿呆が主張していた「戒壇様には干支記載がないので後世の偽作」という難癖を、創価学会仏サム氏自身で否定したので、その顛末をここにシェアさせていただきたいと思います。

創価学会仏、身延の戒壇様偽作の主張は以下の2点です。
・大聖人様真筆曼荼羅には干支記載があるが、戒壇様には干支記載がない
・戒壇様は日有上人が偽作したもの

この2点の破折を、奇しくも創価学会仏サム氏が自滅の形で示しました。
サム氏が提示した資料は以下の2点です。
・『石山(せきざん)本尊の研究』京都要法寺僧侶 柳澤宏道編著
・堀日亨上人『第三、漫荼羅脇書等』(富要集8巻177頁)

サム氏は
「歴代法主の中には干支を記載された御本尊も現存しているのです。文末の分数は、年月日記載の本尊に対する干支記載本尊数です。」
ttp://9308.teacup.com/shukubou/bbs/12482
と主張した上で列記されています。
つまり、サム氏は「歴代法主の中には干支を記載されていない御本尊が現存している」と言っているわけです。
では、見てみましょう(以下、サム氏のコメントのコピペです)。

・『石山(せきざん)本尊の研究』京都要法寺僧侶 柳澤宏道編著
開山日興上人では、0/19
3世日目上人では、1/1
26世日寛上人では、2/3
33世日元上人では、1/1
48世日量上人では、1/1
51世日英上人では、1/1
52世日霑上人では、1/1
なお、近代の法主は、全て干支を付記していません。

・堀日亨上人『第三、漫荼羅脇書等』(富要集8巻177頁)
開山日興上人では、6/188
3世日目上人では、0/8
4世日道上人では、2/6
5世日行上人では、0/8
6世日時上人では、26/28
7世日影上人では、1/2 (日亨上人は日影上人を7世としている)
9世日有上人では、4/22
12世日鎮上人では、5/9
13世日院上人では、2/5
14世日主上人では、9/11
15世日昌上人では、7/11
16世日就上人では、1/11

「文末の分数は、年月日記載の本尊に対する干支記載本尊数です」
とのことですので
・分母=年月日記載の本尊
・分子=干支記載本尊
とのことです。

なんだ???
上代御法主猊下様が書写されたほとんどの御本尊で、干支記載などされていません。
つまり、奇しくも創価学会仏サム氏は、自身が提示した資料で『干支の記載などどうでもいいこと』だと証明してしまいました。

更に面白いことに、「戒壇様は日有上人が偽作した」との難癖も、サム氏の自滅で破折されてしまいましたね。
何故なら、日有上人書写御本尊様には「干支の記載のある御本尊様」があるからです。
日有上人が戒壇様(創価学会仏主張の「干支の記載がない」御本尊様)を偽作したなら、「干支の記載のある」御本尊様を記されている道理が成立しません。

これにて、創価学会仏・身延の阿呆が長年主張してきた「戒壇様後世偽作論」は木端微塵に消え失せました。

ほんと、創価学会仏とはどこまで愚かなんでしょうか。。。
自分が主張した内容の証拠提示で否定して自滅されては、誰も相手にしなくなりますね。

創価学会仏諸君
もう二度と「戒壇様は後世の偽作」と嘯かない様に。
自分達で否定したのだから、もう嘯く必要はないでしょ。
 

わざわざ、ご返事頂き、ありがとうございます

 投稿者:H27脱会@法華講員  投稿日:2017年 2月28日(火)16時41分47秒 E219108019207.ec-userreverse.dion.ne.jp
返信・引用
  管理人、大月天さま、わざわざ、御多忙にもかかわらず、ご返事頂き、感謝です。
ありがとうございました。



> 創価学会の教義は、最早破綻を来し、我らからして対論する相手ではありません。
> 唯有るは、呵責のみであります。
>
> 小笑。果たしてそんな邪教創価の構成員が、今更、教義だ、本尊だのと、よくも言えたものであります。
> まぁ、其の逆を言うならば、宿坊などの馬の骨などは、そんな創価の教学など、今にしては鼻にもかけず、
> 専ら、身延の坊主などが編纂した書物などをバイブルにして、アホな小学者を気取っているのであります。
> 応に無慙とは此の事をして云うのでありましょう。哀。


はい。正しく、仰る通りです。
縮坊2で、何やら、誘いを受けてますが(笑)あそこ、管理人、縮み坊自体が、多重HNの悩乱、脳みそ
イカレですから(大笑)行って、会話が成立しませんし。
そもそも、所属、何を信仰して、何に所属する信徒なのかも明らかに出来ない、ゴミ掲示板ですから。
創価学会員だと言うのなら、創価の教義に沿って主張しないんでは、話に成りません。
ま、沖爺と同レベル。語るに、落ちるし、腐る(笑)
管理人、縮坊が、次々、HN変えて、揶揄するだけ。あほらし。
何の、信仰に対する、真摯な姿は、カケラも有りませんから。
まあ、今の、未だ、創価学会に、へばりついてる、下駄の雪会員(信者と呼ぶ価値すら無く成りました)
は、似たような物ですが。意見が有るなら、所属、教団、宗派名を、堂々と名乗って、その、教義の
範疇で主張しない事には、狂祖沖爺、愚人と同じ。所属教団、宗派の教義、から、逸脱したんじゃ、
破折対象に成りません。ならば、単なる妄想の戯言。相手にしても意味がない。



> 当方も不規則な時間の中、時には出張等で長期不在と成り、当室の管理に支障を来す事もあり、
> 果たして如何なものであるか、と自問する事もありますが、そこはやはり仏法修行の一義として、
> 随力演説すべきであると、此に改めて奮起するものであります。
>
> 兎にも角にも、お互いに頑張って参りましょう。
>
> お風邪にはくれぐれも気を付けて。

はい。ありがとうございます。基より、私たちは、実践の法華講員。お忙しい、お仕事と、日々の、
仏法修行の、実活動に精励しています。
こちら、『破邪の蘭室』掲示板は、私は、学ばせて頂く、正統義の、貴重な掲示板で有ります。
御多忙とは思いますが、これからも宜しくお願い致します。
先ずは、御礼まで。
 

黒川殿

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 2月27日(月)15時34分35秒 i121-118-81-166.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  お久しぶりです。

又、当室への御投稿、痛み入ります。

>〇市〇区の方ですが、本日無事に御受戒が済み、「これからは創価学会を捨て日蓮正宗の信仰をする」という
>誓いをたてられましたので、皆様にご報告いたします。

其れはおめでとう御座います。

>学会の「ニセ本尊」は私との電話でのやり取りの後「気持ち悪いのでゴミ箱に捨てました」とのことでした。
>また学会の経本、数珠も自分で処分したとのことです。

日有上人の御条目からすれば、他宗の本尊や位牌などは、入信する時点に於いて全て本寺に納めるが正義で
ありますが、創価などは、小乗にも劣る附仏法外道の其れでありますから、ゴミ箱にポイも結構でありましょう。
しかし、破門以前の御本尊(偽造本尊以外の御本尊)は捨ててはなりません。

>私ごとですが1月4日にお一人、そして本日と2名の折伏が成就できました。
>これからも頑張ります!

素晴らしいですね。

いやいや、感心している場合ではありません。当方も頑張らねば。汗。

攻めの黒川とは応に御貴殿の事。

今後とも、当室への御寄稿を宜しくお願い致します。
 

通りすがりの法華講員殿

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 2月27日(月)15時10分5秒 i121-118-81-166.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用 編集済
  お久しぶりで御座います。

墓穴を掘った教宣部…。

哀笑。此の様な連中は、元から墓穴を掘って、今や、其の墓穴に入り込んでいる、当に不憫(ふびん)な
連中であります。嗤。

>日蓮宗が偽書・真偽未決として提示した『昭和定本日蓮聖人遺文』の御抄に真書の存在があることを
>ほのめかし、上記の言い訳(怠慢の自責)をして終了しているのです。

本より、真偽の断定は難儀であり、小智恵と猜疑心を交じり合せて小学者を気取ろうとも、そんなモノは
屁にも成らず、事の大事は、そこに示さる法義・教示を如何にして解釈するか、又、如何にして心読するか、
であり、其の大局の根眼こそは、実に相伝義に依って成る、という事を領解する、という事であります。

邪宗身延の日蓮宗。実(げ)に其の実態こそは、迹門宗にして釈迦宗の権化であり、そんな連中に偽書の選別
など出来よう筈もありません。果たして『真の偽書』とは如何なるものか。そういう初歩的な段義こそを、
先ずは教えてやらねばなりません。否、未だ一尊なのか二尊なのかも判らぬ連中などに、教えるなど勿体ない。
此の様な連中などは叱り飛ばすが上等であると思うものであります。

本覚寺の日奥が云く「宗義の所詮依法不依人の金言に依らば真筆の有無をもって必ずしも詮とせず。
たとえ真筆の御書たりといえどもその義経文に相違せば用い難し。(中略) もし真筆無くんば用い難しと
いわば録内の御書も真筆は多く紛失せり。しかれば録内も正本紛失せるをば用いずといわんや」と。

小笑。さても、一致派の僧にしては、真(まこと)の理屈を述べ給ふ。佳佳。

実(げ)に、識に依らす智に依って文義を測るが仏法義の第一であり、又、其の根幹を為すものが、相伝義の
力量である。つまりは、邪宗異流義に於いて、真(まこと)の真偽などは判ろう筈も無い、という事であります。

>宿坊および創価学会教宣部内で、『昭和定本日蓮聖人遺文』の真偽について証明していただこうと思います。
>彼らは、難癖の根拠に『昭和定本日蓮聖人遺文』も『日蓮聖人遺文の国語学的研究』『日蓮遺文の計量分析』
>も用いてきましたが、双方で述べていることは相反しており、どちらかが偽書もしくは両方が偽書の疑義は
>発生しました。いずれにせよ、これまでの宿坊および創価学会教宣部の難癖の根幹が消えてしまったという
>ことになりますね。

宿坊は単なる馬の骨。

当室に於いて自身の所属宗派を宣べず、又、其の所属宗派の下に尊信する本尊と教義をも宣べず、
但矢鱈に富士大石寺を毀謗する、単なる馬の骨、つまりは「馬鹿の骨頂」という事であります。

教宣部は北朝鮮と同類。

創価教宣部は、謀略と捏造を捏ね回す、応にドブ鼠が如き連中であり、其の痴態こそは、北朝鮮の其れと
同類であります。哀。さても、こんな連中が偽書だ真書だ、などと…。糞笑。

して、そんなドブ鼠が好んで引用する、フェイクニュースに云く、

『身延山といえば、日蓮大聖人を末法の御本仏と仰がずに「日蓮大菩薩」と称しており、
また「板本尊偽作論」を唱えて大御本尊を否定し、更に、御本尊を店先にぶら下げ、
御守本尊をカードにして販売している謗法の山である』と。【フェイク 1406号(13.08.22 発行分)】

哀笑。なんだ。是れこそが偽文という事かいな。鼻笑。

哀笑。さても馬の骨と教宣部。

邪宗身延の法義を尊(たっと)びて、如何なる御書をして偽と断ずるか!

先ずは、そーゆー初歩的な所から叱って参りたいと思う次第であります。

>彼らは、これからどうするんでしょう?
>もう『偽書』とも言えなくなりましたね。

哀笑。抑も「彼ら」自体が偽者なのであり、又、そうであるからこそ、馬の骨と成り、教宣部と成って
いるのであります。果たして、そんな偽物連中が『偽書』などと、ふざけるものではありません。鼻笑。

御義口伝の加文に曰く『或は文を陰(かく)して義を取り、或は義を隠して文を取り、或は文義共に顕はし、
或は文義共に隠して講談するなり』と。【新編 1815】

本より、文上読みの文献莫迦にとっては、是の一文こそ、大いなる叱責と成るのであり、又、其の事実たるを
認めたくないが故に「彼ら」は、加文だ、偽書だ、と騒ぎ立てるのであります。

まこと無慙とは此の事をして云うのでありましょう。

尚、通りすがりの法華講員殿には、これからも御投稿の程、宜しくお願い致します。
 

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