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愚人くん

 投稿者:通りすがりの法華講員  投稿日:2016年 9月24日(土)00時13分39秒 p1892093-ipngn16501marunouchi.tokyo.ocn.ne.jp
返信・引用 編集済
  また、頭おかしくなりましたか?
(いつものことですが)
聞いてることに答えましょうよ(笑)
何故、聞いてることに答えられないのですか?

貴方は理解できていますか?
私の質問も、貴方が用いた福重照平師の著書の内容も。
思い込みは捨てて正しく理解しなさいね。

更に加えますが、貴方が本仏と仰ぐ釈尊が「人師に依るな」と説いてるにもかかわらず、何故堀日亨上人や福重照平師の言を用いるのですか?貴方にとって両者は人師でしょ。きちんと釈尊の教えを守りなさい。
 

通りすがりの法華講員氏

 投稿者:愚人  投稿日:2016年 9月24日(土)00時10分58秒 softbank126094221175.bbtec.net
返信・引用 編集済
   冷静であるならば、始めに、ゆっくりと息を吸って、ゆっくりと吐いてください。

そして、今度は、息を吸うときに、

 皆が、平和

と念じ、息を吐くときに、

 皆が微笑む

と念じてください。

 次に、息を吸うときに、

 私も、平和

と念じ、息を吐くときに、

 私も、微笑む

と念じてください。
 

愚人くん

 投稿者:通りすがりの法華講員  投稿日:2016年 9月23日(金)23時48分54秒 p1892093-ipngn16501marunouchi.tokyo.ocn.ne.jp
返信・引用
  私は貴方と違い冷静です。
ですので、貴方の様に「冷静になってください」など他人に対し言わないのです(笑)
これ、理解できますか?
 

通りすがりの法華講員氏

 投稿者:愚人  投稿日:2016年 9月23日(金)23時41分48秒 softbank126094221175.bbtec.net
返信・引用
   もう一度、この言葉を贈ります。

 冷静になってください。
 

愚人くん

 投稿者:通りすがりの法華講員  投稿日:2016年 9月23日(金)23時40分7秒 p1892093-ipngn16501marunouchi.tokyo.ocn.ne.jp
返信・引用 編集済
  私の言っていることを理解できていますか?

堀日亨上人が推薦しているのは、我々法華講員は本門戒壇の大御本尊様を固く信じ南無妙法蓮華経と唱える者に対してであり、福重照平師の著書を正しく理解できるからです。
貴方は、別に本門戒壇の大御本尊様を信じてもいないので、福重照平師の著書を正しく理解できるわけがないでしょ。
信じていない者が殊更に著書を貪っても理解などできませんよ。

貴方にとっては、福重照平師も堀日亨上人も人師でしょ。
人師に依るなは、貴方が本仏と仰ぐ釈尊の言葉です。

ですので、聞いているのです。
何故、福重照平師の著書を『用いる』のですか?
福重照平師は仏様ですか?

お答えください。
 

書き忘れ

 投稿者:愚人  投稿日:2016年 9月23日(金)23時39分23秒 softbank126094221175.bbtec.net
返信・引用
   日蓮本仏論 堀日亨氏序文

 故荒木清勇居士は近世稀に見る憂宗の士達信のヒトであつた、曾つて吾正宗の振はざるを慨して最愛が長子を僧になして宗風の扇揚を期せられた、此が本論の著者福重照平房である。(日蓮本仏論序文一頁)

 
 

愚人くん

 投稿者:通りすがりの法華講員  投稿日:2016年 9月23日(金)23時31分50秒 p1892093-ipngn16501marunouchi.tokyo.ocn.ne.jp
返信・引用 編集済
  ※堀日亨氏の推薦があるから用いているのです。
○堀日亨上人は「用いなさい」と言っていたのですか?
もうやめなさいね。思い込みで解釈するのは。
私は至極冷静ですよ。
思い込みで物事を曲解してるのは貴方ですから「思い込みが激しいです」と言っているのです。
 

通りすがりの法華講員氏

 投稿者:愚人  投稿日:2016年 9月23日(金)23時22分11秒 softbank126094221175.bbtec.net
返信・引用 編集済
   堀日亨氏の推薦があるから用いているのです。

 堀日亨氏が、読みなさいと書いているから自称法華講員の貴方に、求めて読みなさいと薦めているのです。

 お願いですから、冷静になってください。
 

愚人くん

 投稿者:通りすがりの法華講員  投稿日:2016年 9月23日(金)23時15分25秒 p1892093-ipngn16501marunouchi.tokyo.ocn.ne.jp
返信・引用 編集済
  聞いてることに答えましょう。
私は「用いるの?」と聞いてるのに、「読みましょう」は、コミュニケーションが成立しないでしょ。
「読むこと」と、「(それを自身の主張に)用いること」は全く違います。
改めて聞きます。

何故、福重照平氏の著書から用いるの?福重照平氏は仏様ですか?

ね。貴方、人の書いてる内容を理解できてないでしょ。
貴方が「思い込み」で、物事をきちんと理解できていないことがわかりますね。そのような「思い込みの激しい者」が日蓮正宗教義の解釈を語っても「貴方の解釈は間違いです。貴方の思い込みです」としか言いようがありません。以前も貴方に指摘しましたが、貴方が「日蓮正宗教義」として提示したものは、全て貴方の思い込みが入っていますので、100%間違いです。貴方の仏教講釈に何一つ仏教教義に合致しているものはありません。
理由は、貴方は思い込みがひどいので、正しくモノを読むことも理解することもできないからです。
 

Re:通りすがりの法華講員様

 投稿者:ぽんぽこ貍  投稿日:2016年 9月23日(金)23時13分18秒 FL1-119-242-223-56.hyg.mesh.ad.jp
返信・引用
  >大霊體の一念三千・・個性と大霊と一如したる無作三身の一念三千を事の一念三千とする。

◇この文言の意味する所が全く理解できません。
 この僧侶は日柱上人退座に関わった中心人物であり、住職した寺は現在正信会
 寺院となって居ります。
 アメリカ留学時にキリスト教の影響をかなり受けた人物で取り上げるに値しないと
 思います。
 キリスト教の三位一体の聖霊、造物主、御子と入れ替えたら良さような表現で
 有ります。
 ちなみに戸田城聖も教員時代にキリスト教に入信し都内の教会に通っていた
 事実が有ります。
 ご参考迄に。
 

通りすがりの法華講員氏

 投稿者:愚人  投稿日:2016年 9月23日(金)23時08分36秒 softbank126094221175.bbtec.net
返信・引用 編集済
   堀日亨氏の推薦があるからです。貴方が本当に法華講員ならば求めて読みなさい。

 堀日亨氏の序文

 茲に吾人は歓んで此「日蓮本仏論」を大方の人々に推薦する□否讃謗は何れども是非一度は讀んでもらいたいのである。孝養報恩に供せる一篇に同情の涙を□がれたいのである。(日蓮本仏論序文ニ頁)

 福重照平氏自序

 茲に特記すべきは、堀日亨上人法務山務の時間を割て親しく原稿の校閲を給り、弊所を指摘して暁諭懇篤、爲めに著者をして更に推敲改訂以て大過なきを得せしめ給ひしを拜謝することであります。(日蓮本仏論自序四頁)

 
 

愚人くん

 投稿者:通りすがりの法華講員  投稿日:2016年 9月23日(金)22時48分58秒 p1892093-ipngn16501marunouchi.tokyo.ocn.ne.jp
返信・引用 編集済
  何故福重照平氏の著書を用いるの?
その方は仏様ですか?
また、貴方はその方(日蓮正宗 福重照平師)の書いた内容を正確に理解できますか?
 

福重照平著『日蓮本仏論』から(一)

 投稿者:愚人  投稿日:2016年 9月23日(金)22時31分3秒 softbank126094221175.bbtec.net
返信・引用 編集済
   第八章 一念三千

 一念三千は法華経の沖微であり、法體である。法華経が迹本文底と三重に分別されるに付て又一念三千が三通り孝へられる。理體として論ずれば唯一個の一念三千であるが、事體行體として論ずる時三個の一念三千となる。觀心本尊鈔の五重三段の後の三種の三段に説かれたる法體が正しくそれである。三大秘法鈔は迹門と文底と相對して二種の一念三千を擧げてある。此時文上本門の法體は、凡夫と佛のそれは天地の懸隔あるなれども等しく個性の一念三千なるを以て之を迹門に攝して理とし、大霊體の一念三千・・個性と大霊と一如したる無作三身の一念三千を事の一念三千とするのである。(大日蓮編集室発行 故 福重照平著 『日蓮本仏論』昭和五十五年八月十五日四版 ニ七五頁)
 

阿倍日顕氏の『総勘文抄』説法から

 投稿者:愚人  投稿日:2016年 9月23日(金)21時38分35秒 softbank126094221175.bbtec.net
返信・引用
   「方便品に云はく『三世の諸仏の説法の儀式の如く、我も今亦是くの如く無分別の法を説く』已上」という文において「無分別」という語があります。(中略)つまり、方便の教えは色々な形で分別をしているのですが、仏の本当の心においては諸法実相、十界互具一念三千のことごとくが妙法の当体であり、妙法の教えを信解すれば一人として救われない者はないということにおいて、そこに分別するものは全くないと示されるのであります。(中略)それに対して法華経では、そういう分別は全くないということを言われるのであり、無分別の諸法実相、十界互具一念三千である故に三乗の差別もないのであります。
 したがって、「無分別の法とは一乗の妙法なり、善悪を簡ぶこと無く、草木樹林にも山河大地にも一微塵の中にも互ひに各十法界の法を具足す」とお示しです。(中略)妙楽が『金ベイ(金に卑)論』に述べる一草、一木、一礫、一塵のことごとくに一仏性、一因果があり、そこに縁因仏性、了因仏性もことごとく具わっておるということが「無分別」ということなのであります。(大日蓮平成13年12月号54頁から55頁)

 
 

Re:黒川 和雄@日蓮正宗様

 投稿者:ぽんぽこ貍  投稿日:2016年 9月23日(金)21時14分16秒 FL1-119-242-223-56.hyg.mesh.ad.jp
返信・引用
  >この「五百塵点劫の当初」こそ久遠元初のことで、このときの「釈迦如来」とは凡夫時に即座開悟された法即人の本仏たる自受用報身如来であり、そのときの法は人即法の本因下種「南無妙法蓮華経」です。

◇誠に単純明快な答えかと思います。人を離れた法は無く、法を離れた人もない。
 「人法一箇」その究極が「本門戒壇の大御本尊」を離れた議論を重ねても意味のない
 事だと思います。
 創価学会の戸田・池田会長の宇宙本仏論、生命論など人法一箇を忘れた故の外道義
 に成って学会員も70年間謀られてきたのだと思われます。
 御本尊様が只の幸福製造機とみなされ大聖人の御当体と拝せない。
 日達上人猊下の憂慮された事態が全国津々浦々に広まってしまいました。
 法華講員としての役目は大きいと言えましょう。
 以下に黒川 和雄@日蓮正宗さんの回答を敷衍する文章が有りましたので、
 掲載させて頂きました。
 これに反する日蓮門下各宗派、創価学会、顕正会、正信会等は偏見もしくは
 邪見であります。



************************************************

(日蓮大聖人の教義;抜粋)  65世 堀米日淳

扨て以上によって仏法に於ては法華経寿量品の文底の南無妙法蓮華経が肝心の要法であって、此.の要法は日蓮大聖人の所有遊ばされるところでありまして尚此の要注は末法に流布さるべきであることを述べましたが、ここに日蓮大聖人の三大秘法建立の縁由があらせられるのであります。初め述べましたように法華経の神力品に此のことを予証し玉ふてあるのであります。大聖人の三大秘法は本門の本尊、本門の戒壇、本門の題目とでありますが、此れをつづめますと本門の本尊の一大秘法になります。戒壇も題目も御本尊によつて起こってくるからであり

して乃ち御本尊に具ってをるところであります。しかしてまた三大秘法を開まきますと六大秘法になりまして本門の御本尊は法と人とになり、戒壇は事と義となり題目は信と行とになるのであります。.三大秘法を聞合致しますとかようになるのでありますが、三秘のところを至極とするのであります。この三秘の関係はまことに重要なことで、此れをを誤ると大聖人の御法門をく拝することはできないのであります。世間では大聖人の教えは題目にあらせられると思って題目を主として御本尊を忽かせにする者が多いのであります。多いどころではなく皆左様に考へてをりますが、此れがために大聖人の教をはき違へるのであります。元来かような考へは(南無妙法蓮華経は法であるとのみ考へるからでありまし宇宙に遍満する妙法の理が題目である)とするからであります。是は大変な誤りで妙法蓮華経は物心であります。即ち法報応三身具足の御当躰であらせられ報身中に具し玉ふのであります。(妙法の理が天地の間にありましてもそれは理性であります)。、実際には(仏の御智慧のうちにのみ厳然として具はり玉ふ)のであります。その仏は十方法界に唯御一人在ますだけであります。そうしてその仏が衆生を正しく御導き下さみのであります。世間で大聖人の宗旨であると自称してをる一般の宗門では御本尊の首題の下に自分の名を記して授与してをりますが、とんでもない大非法であります。恐らく此れは南無妙法蓮華経と唱えるものは法華経の行者であると考へて大聖人と同じ思ひをするからでありませう。凡そ法門に於ては総別の二義があるのでありまして此れを忘れると地獄へ墜ちることなります。(日蓮大聖人は「総別の二義を違へれば成仏思ひもよらず」と仰せられてあります)が、此れは行人の最も心をくべきところであります。法華経の行者は大聖人唯一人だけで末法の仏も大聖人であります。総じて申せば(妙法を信愛する程のものは行者といへますが別して逆縁の衆生でありまして順逆の分別は行功によるところであって畢竟唯一人の仏に対しては凡夫であります)。かへすがへすも此のところが肝要であります。かようでありますから仏の所有なされる妙法即仏身たるところが根本でありまして、その御本尊を儲受し奉る上の修行が題目になるのであります。既に仏身地であらせられる大聖人の建立し玉ふ大曼荼羅を信受し持ち奉ることが肝要でありまして、此れ以外は皆偏見であり邪道であります。
 

黒川 和雄@日蓮正宗さんへ

 投稿者:法介  投稿日:2016年 9月23日(金)20時18分42秒 p1139105-ipngn200808fukuokachu.fukuoka.ocn.ne.jp
返信・引用
  仏様の事の一念三千の話ではなく、

今ここで語っているのは「法門」としての一念三千のお話をしているのですから、

当然、天台の理の一念三千の範疇でしょ
 

法介様

 投稿者:通りすがりの法華講員  投稿日:2016年 9月23日(金)20時05分55秒 p1892093-ipngn16501marunouchi.tokyo.ocn.ne.jp
返信・引用
  ※わざわざ聞かなくても、
↓ここに宗務院が出している書籍の内容が掲載されています。
ttp://www.geocities.jp/shoshu_newmon/nichiren_kyogi4.htm

○貴方は、そこに記されている内容を『正しく』理解することができるのですか?
創価脳で、人の言っていることすらマトモに答えることもできない貴方が。
貴方のコメントを見る限り、宗務院が出している書籍であろうが、ご住職のご指導であろうが、貴方がそれらを正しく理解できる能力があるとは思えませんが。。。

これまで、貴方は我々と何一つまともなコミュニケーションができていないことに気づいてますか?
 

Re: 休憩中~

 投稿者:黒川 和雄@日蓮正宗  投稿日:2016年 9月23日(金)18時38分11秒 p1137-ipbfp2603osakakita.osaka.ocn.ne.jp
返信・引用
  法介さんへのお返事です。

>三千の法門は分別を説かれたものですか?それとも無分別を説かれたものでしょうか?

分別・不分別などと抜かしておる輩は天台の理の一念三千である!

「理」とは【理論】【理屈】である。・・・即ち「学問上はそうであろう」ということだ。実態ではあるまい。

ここに円柱があるとする。真上から見れば円と見える。
真正面から見れば長方形と見える。

いづれも実態ではない。

実態はどこまで行っても「円柱」である。法華経の寿量品文底に秘沈された南無妙法蓮華経が円教、即ち「完全なる実態」ということであり、宇宙法界の実態、草木等非情を始め、動物を始めとする有情等、全宇宙生命の過去、現在、未来を変革し得る法力が存するのである。

それを「悟られた」のが末法の御本仏・日蓮大聖人であります。

大聖人曰く、

「釈迦如来五百塵点劫の当初そのかみ、凡夫にて御坐おわせし時、我が身は地水火風空なりと知ろしめして即座に悟りを開きたまひき」(総勘文抄・新編1419)

と仰せられています。この「五百塵点劫の当初」こそ久遠元初のことで、このときの「釈迦如来」とは凡夫時に即座開悟された法即人の本仏たる自受用報身如来であり、そのときの法は人即法の本因下種「南無妙法蓮華経」です。

従って、大聖人なくして南無妙法蓮華経は無し、南無妙法蓮華経無くして大聖人は無し。

これが「人法一箇」ということであります。

その究極が「本門戒壇の大御本尊」であります。

では



 

休憩中~

 投稿者:法介  投稿日:2016年 9月23日(金)18時09分38秒 p1139105-ipngn200808fukuokachu.fukuoka.ocn.ne.jp
返信・引用 編集済
  通りすがりの法華講員さんへ

>末寺の御住職に御指導いただければ、正しく理解できますよ。

わざわざ聞かなくても、

↓ここに宗務院が出している書籍の内容が掲載されています。
ttp://www.geocities.jp/shoshu_newmon/nichiren_kyogi4.htm



黒川 和雄@日蓮正宗さんへ


端的にお答え頂きありがとうございます。

私もその内容で間違いないと思います。

しかし、あまりにも端的なので

一つ質問させてください。

一念三千の法門は分別を説かれたものですか?それとも無分別を説かれたものでしょうか?
 

愚人くん

 投稿者:通りすがりの法華講員  投稿日:2016年 9月23日(金)17時55分0秒 p1892093-ipngn16501marunouchi.tokyo.ocn.ne.jp
返信・引用
  *阿倍日顕氏が『三世諸仏総勘文廃立』の説法で、無分別の上から解説していたと思ったが。
○「思ったが」
貴方が思ったことは、貴方の思い込みに過ぎないでしょう。
 

下らん!⇒Re: 休憩

 投稿者:黒川 和雄@日蓮正宗  投稿日:2016年 9月23日(金)17時21分24秒 p1137-ipbfp2603osakakita.osaka.ocn.ne.jp
返信・引用
  > No.47096[元記事へ]

法介さんへのお返事です。


> 通りすがりの法華講員さん、一念三千の法門ってなんですか?

権実相対からは実教である法華経である。

本迹相対からは法華経本門である。

種脱相対からは本門下種の末法の御本仏・日蓮大聖人の仏法である。

アホクサ笑 笑








 

法介様

 投稿者:通りすがりの法華講員  投稿日:2016年 9月23日(金)17時19分32秒 pw126245082064.16.panda-world.ne.jp
返信・引用 編集済
  私が何故貴方に一念三千の話をしなければならないのですか?
末寺の御住職に御指導いただければ、正しく理解できますよ。
ただし、貴方が創価脳から抜けれたらの話ですが。

創価脳に汚染されてる状態の貴方に話す必要性を感じません。話したところで理解もできないでしょう。

わかりますか?
貴方は人の言うことをそのまま理解できていないだけでなく、自分の妄想と現実を分けて人に話すこともできない状態です。

我々が何を述べてもそれをそのまま理解できないのに、何を語れというのですか?先ずは、書いてあることや質問にきちんと答えられるようにしましょう。
 

休憩

 投稿者:法介  投稿日:2016年 9月23日(金)15時42分24秒 p1139105-ipngn200808fukuokachu.fukuoka.ocn.ne.jp
返信・引用
  >そもそも貴方の主張が無茶苦茶だから、整理して我々に正しく伝わるように書かないと、何を言ってるのかも、私には推測できません。


では、整理してシンプルに


通りすがりの法華講員さん、一念三千の法門ってなんですか?


 

訂正

 投稿者:法介  投稿日:2016年 9月23日(金)15時36分36秒 p1139105-ipngn200808fukuokachu.fukuoka.ocn.ne.jp
返信・引用
  済みません、また敬称が抜けてました。重ね重ねお詫び申し上げます。
以後、十分気をつけます。
 

法介様

 投稿者:通りすがりの法華講員  投稿日:2016年 9月23日(金)15時36分26秒 pw126245082064.16.panda-world.ne.jp
返信・引用
  できませんよ。
そもそも貴方の主張が無茶苦茶だから、整理して我々に正しく伝わるように書かないと、何を言ってるのかも、私には推測できません。

貴方は「自分はきちんと相手に伝えている」と思って書いているようですが、それは貴方の思い込みであり、貴方が何を言いたいのかは「我々が推測しなければいけない」くらい無茶苦茶なんです。

まずは、自身の主張が相手に正しく伝わるようにしましょう。
 

休憩

 投稿者:法介  投稿日:2016年 9月23日(金)15時30分25秒 p1139105-ipngn200808fukuokachu.fukuoka.ocn.ne.jp
返信・引用
  通りすがりの法華講員へ


私は法華講員さんのHPを提示して(外道義の一念三千の法門)いますよね。


外道義でない「一念三千の法門」の解説が法華講側でなされているものがあったら


ここに提示してください。


っていうか、通りすがりの法華講員がここで外道義でない「一念三千の法門」の解説を


してみて下さい^^


出来るはずですよね!
 

法介様

 投稿者:通りすがりの法華講員  投稿日:2016年 9月23日(金)15時27分23秒 pw126245082064.16.panda-world.ne.jp
返信・引用
  *ひどい言葉で悪口を言う
○だから、私も法華講員も宗門も、創価学会員・池田大作氏を罵っていないことは明らかでしょ。

わかりましたか?
 

妙介こと新手の創価員にもの申す!

 投稿者:黒川 和雄@日蓮正宗  投稿日:2016年 9月23日(金)15時23分46秒 p1137-ipbfp2603osakakita.osaka.ocn.ne.jp
返信・引用
  いまだに創価員が「僧侶が妻帯するのは、仏法の戒律に違背している。日蓮正宗の僧侶も上代の法主は妻帯していなかった・・・云々」とイチャモンを付けているようなので、これを簡単に破折する。

最蓮房御返事(別名祈祷経送状 新編御書642)

一、御状に十七出家の後は妻子を帯せず肉を食せず等云云。権教を信ぜし大謗法の時の事は何なる持戒の行人と申し候とも、法華経に背く謗法罪の故に正法の破戒の大俗よりも百千万倍劣り候なり。彼の謗法の比丘は持戒なりと雖も無間に墜す。正法の大俗は破戒なりと雖も成仏疑い無き故なり。 但今の御身は念仏等の権教を捨てて正法に帰し給う故に誠に持戒の中の清浄の聖人なり。

(通釈)
貴殿の御状に「十七出家の後は妻子を帯せず肉を食せず等云云」と言われている。権教(法華経以外の教え)を信じる大謗法の時、いかなる持戒の修行者といえども、法華経に背く謗法罪の故に正法の破戒の大俗(俗人)よりも百千万倍劣るのである。彼の謗法の比丘(僧侶)は持戒なりと雖も無間地獄に堕ちる。正法を信ずる大俗は破戒なりと雖も成仏することは間違いがない。あなたの身は念仏等の権教を捨て、正法に帰依されたゆえに、まことの持戒のなかの清浄な聖人である。

宜しいか、創価諸君。貴殿らが如何様に日蓮正宗を妻帯を以て貶めんとしようが、無駄である。

末法の今時、小乗・権教の戒律を以て攻めようとも、既にお前らは大聖人の教えに違背・敗北しているのである。少なくとも現在の創価学会は、大聖人の仏法からは大きく乖離した小乗・権教混乱した邪教集団に堕したのである。

さてこういうと貴様らは『「正法の大俗」の「大俗」とは僧侶のことではなく、在家のことである』と反論するであろう。これは大聖人が俗人の立場から破折されているのである。現にこの御書は「最蓮房」と称する僧侶に対しての疑問に回答されていることからも分かるではないか。

では聞くが、「彼の謗法の比丘は持戒なりと雖も無間に墜す。」
比丘とは僧侶のことである。


大聖人曰く、

「法華経に背く謗法罪の故に正法の破戒の大俗よりも百千万倍劣り候なり。」

この文はお前らの信じるタサク大先生及び創価職業幹部は、平学会員よりも百千万倍罪が深く、堕地獄は間違いないということである。現にタサク名誉会長は6年間も平会員の前に姿を現しておらず地獄の日々をお過ごしではないか!

次に補足ではあるが、佐渡に於いて大聖人に帰依された「阿仏房」は妻帯していなかったのかね?

千日尼とは誰の妻かね?

以上
 

ご要望に応えて^^

 投稿者:法介  投稿日:2016年 9月23日(金)15時19分3秒 p1139105-ipngn200808fukuokachu.fukuoka.ocn.ne.jp
返信・引用
  >法華講員は池田氏・創価学会員を罵ったことなどありません。 (投稿者:通りすがりの法華講員   投稿日:2016年 9月23日(金)12時28分47秒)

>投稿者:通りすがりの法華講員   投稿日:2016年 9月23日(金)15時11分30秒
>私は法華講員ですよ。

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ののし・る【罵る】

1 ひどい言葉で悪口を言う。「口汚く―・る」
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                         ( ウィキペディア)




投稿者:通りすがりの法華講員   投稿日:2016年 9月22日(木)00時18分38秒 p1892093-ipngn16501marunouchi.tokyo.ocn.ne.jp   返信・引用

「池田大作氏の死体は何処へいったか」
が難しければ
「池田大作、失踪宣告へのカウントダウン」
でもいいぞ(笑)


投稿者:通りすがりの法華講員   投稿日:2016年 9月21日(水)23時33分11秒 pw126236093101.12.panda-world.ne.jp   返信・引用 編集済

   今夜のネタは
「池田大作の死体はどこにいったか!」
だそうです。



う~ん、間違いない!
 

法介様

 投稿者:通りすがりの法華講員  投稿日:2016年 9月23日(金)15時11分30秒 pw126245082064.16.panda-world.ne.jp
返信・引用
  私は法華講員ですよ。
私が誰だかも知ってる方は知っていますから。
 

法介様

 投稿者:通りすがりの法華講員  投稿日:2016年 9月23日(金)15時07分5秒 pw126245082064.16.panda-world.ne.jp
返信・引用 編集済
  「あれにこう書いてある。同じことが書いてある」
は、全く説得力にかけますよ。
それをいうなら
「創価学会では『日蓮大聖人は末法の御本仏』といってる」これと同じことを言ってる日蓮正宗宗門は外道義が混入している。
とも言えてしまいます。
貴方方が言ってる事は、典型的な詭弁論法です。

貴方が聞いたという御住職の話も、果たして貴方の主張通りかも怪しげです。貴方のコメントの全てが創価脳の思い込みに基づいてることが明らかですので、貴方の言う御住職の御指導の内容も貴方の創価脳での思い込みに過ぎないと判断できます。恐らく同じ末寺の法華講員に聞けば、貴方の主張と全く違うことを言うでしょう。往々にして創価脳の人は自分の思い込みが先にきますので。

貴方が創価脳である事は、貴方方のコメントで明らかですので、貴方が「御住職の御指導と書いてる事が同じ」という主張そのものが、貴方の思い込みによる勘違いだと断定できる訳です

先ずは自分が創価脳におかされ、「妄想と事実の判別がつかなくなり、妄想を現実と思い込んでしまう」状態にあることを理解しましょう。
貴方が創価脳に汚染されている事は間違いないので、貴方がこれまで見聞きした全てを貴方は正しく捉えていません。貴方は貴方がこれまで見聞きした全てを歪んだ捉え方をしていることを認識することから始めましょう。
そうでないというなら、妙介様同様「宗門が外道義におかされた」事実を「悪魔の証明」などと言わずに正しく証明できるはずです。
 

休憩

 投稿者:法介  投稿日:2016年 9月23日(金)13時59分5秒 p1139105-ipngn200808fukuokachu.fukuoka.ocn.ne.jp
返信・引用
  愚人さん、具体的な内容は?

通りすがりの法華講員さんへ一つ確認しておきたいのですが、

通りすがりの法華講員さんは、本当に法華講員さんなんですよね?
 

法介氏

 投稿者:愚人  投稿日:2016年 9月23日(金)13時16分52秒 om126237057113.9.openmobile.ne.jp
返信・引用 編集済
   阿倍日顕氏が『三世諸仏総勘文廃立』の説法で、無分別の上から解説していたと思ったが。

 愚人は、中観が大事だと思うがな。
 
 

Re:通りすがりの法華講員さん

 投稿者:法介  投稿日:2016年 9月23日(金)12時55分41秒 p1139105-ipngn200808fukuokachu.fukuoka.ocn.ne.jp
返信・引用
  <外道義の一念三千の法門>

先に紹介しました法華講員さんと学会員さんのHP中の「一念三千の法門」の解説は、表現は多少異なれども言わんとしている内容に相違はないように思われます。まあ、どちらも宗門から教わった内容ですので当然でしょう。

また、御講でうちのご住職が語る「一念三千の法門」も、残念ならがこれらのサイト掲載の内容と変わりありませんでした。

皆、共通して言えることは、分別としての一念三千が語られているということです。

生命は十に分別され、更に十がそれぞれに互具して百界。そして三世間が加わって三千。
それが縁に寄って常に変化しながら現れてくる。だから一瞬一瞬の生命の実相はこの三千のどれかにあてはまる。
という三千の生命の分別が述べられている訳です。

でもそれは仮の姿なので「仮諦」であって、実は「無分別」で物事を判断しなくてはいけないんですよ
なんて、皆さん聞いたことないでしょ^^

なぜなら、創価学会も宗門も、どちらも分別どまり(仮諦)の一念三千になってしまっているからです。
それは客観認識(分別法)で説く一念三千であり、まさに外道義(分別=実体有り・我有り)に展開された「一念三千の法門」です。

だから互いが相手の事を悪と決め付けて罵りあっているのです。

「体曲れば影ななめなり」

の御金言通りのありさまです。


しかし、「無分別」(空諦)だと判断する基準が無くなる訳で、何をもって判断すれば良いのかと思われた方は正しいです。その為に一念三千(中諦)が説かれているのです。

では、実際に例をあげて解り易く「一念三千の法門」を説明していきます。
 

法介様

 投稿者:通りすがりの法華講員  投稿日:2016年 9月23日(金)12時28分47秒 p1892093-ipngn16501marunouchi.tokyo.ocn.ne.jp
返信・引用 編集済
  *「日顕が池田が」と書いているのは、双方がそのように相手を呼び捨てて罵っているではないですか、という文章で、私は御陰尊猊下を呼び捨てになどしませんのでご安心ください。信じてもらえてないようですが間違いなく法華講員です・・・

○50代にもなって、あまりに稚拙な言い訳ですね。
御隠尊猊下様と池田氏がお互い呼び捨てで呼ばれてることと、貴方が御隠尊猊下様の名前を呼び捨てにすることと何の関連性もありませんよ。
また、池田氏・創価学会員は御隠尊猊下様・法華講員を罵っていたのかもしれませんが、御隠尊猊下様・法華講員は池田氏・創価学会員を罵ったことなどありません。そこには大変深い御慈悲があります。
その証拠に、御隠尊猊下様も御法主上人猊下様も、学会員の勧誡をお認めになられ、救いの道を示されています。

ところで、いつWスケの漫才を始めるの?

また、「宗門が外道義におかされた」事実を提示されてませんので、外道義の議論はこれにて
「宗門が外道義におかされたことはない」と結論・貴方方も納得されたとして、終いにしますね。
結論はでましたので、以後改めなさいね。
 

戸田城聖;人間革命抜粋

 投稿者:ぽんぽこ貍  投稿日:2016年 9月23日(金)10時25分4秒 FL1-119-242-223-56.hyg.mesh.ad.jp
返信・引用
  生命は有に非ず亦無に非ず
因に非ず縁に非ず自他に非ず
方に非ず円に非ず短長に非ず
 (中略)
紅に非ず紫種種の色に非ず

(戸田城聖による無量義経の解釈)

ここの 「其の身」 とは、まさしく 「生命」 のことではないか。知ってみれば、なんの不可解なことがあるものか。仏とは生命のことなんだ!

仏とは生命なんだ! 生命の表現なんだ。外にあるものではなく、自分自身の命にあるものだ。いや、外にもある。それは宇宙生命の一実体なんだ!

****************************************

ここから創価学会の発展が始まったと同時にとんでもない邪義が広まって来たと言えましょう。
池田太作の宇宙生命論、宇宙本仏論、自分本仏論は各種著作で有名で有りますが、戸田城聖にして仏教用語に非ざる生命や宇宙生命という造語を造って正法を捻じ曲げていました。
御書には生命に相当する言葉として命根や識神という言葉しか捜す事はできませんでした。
仏教界で生命なる言葉を最初に使用しましたのは本化妙宗連盟田中智学の息子で弟子でも有る日本國體学会の里見岸男で有ります。
いわゆる借用で有ります。
宇宙生命等と誠に聞こえの良い言葉ですが、真言宗の理法身たる大日如来(毘盧遮那仏)にも通じる原始的アニミズム思想です。
当宗の法義についての事は在家の身で僭越ですから、申し上げませんが御書にはかかる思想を破折する文証こそあれ賞賛する文証はありません。
只御観念文に久遠元初自受用報身如来の御當体と有りますように、報身正意が本意である事は云うまでも有りません。
恐れ多くも御本尊様の相藐を拝見されれば一目瞭然かと存じあげます。
仏典には天地開闢なる思想は無く無始無終と云われて居ります。
世法たる自然科学でも最新の学説では宇宙生命の一実体なるものは否定されて来ています。
詳しい事はここでは雑論になりますのでスティブン・ホーキンス等の著作等でご覧下さい。
以上私見や我見も入って居ることでしょうが、小生としましては御書のご金言や御法主上人猊下のご指導を守って精進して行こうと思う次第であります。
 

主観と客観

 投稿者:法介  投稿日:2016年 9月23日(金)08時27分42秒 p1139105-ipngn200808fukuokachu.fukuoka.ocn.ne.jp
返信・引用
  「一念三千の法門」の解説に入る前に、まず頭の切り替えをしておきましょう。


先ほども言いましたように、仏法はあくまで修行者の心の所作を説かれたものですから、視点を客観から主観に移動させないと正しく理解出来ません。

その為にパンを盗んだ男の話をさせて頂きました。我々が暮らすこの世界は、客観をベースにして今日まで発展してきました。

物理や科学、医学、数学も国語もみんな客観をベースに成り立っています。義務教育でそういった知識を幼いころから叩き込まれてきた現代の人々は、物事を客観的に見る癖がついてしまっています。「創価脳」ならぬ「客観脳」とでもいいましょうか^^

本来主観で解釈しなければならない大事な仏法の法門さえも「客観」で解釈したらどうなるか。今から詳しく解説してまいります。


まず、「一念三千の法門」の「三世間」とは国土、衆生、五陰の差異・差別であることは皆さんご存知かと思います。

その三世間について、とても解りやすく解説している文献をネットで見つけましたので紹介します。以下はそのサイトからの引用です。

<引用>--------------------------------------------------------------------------------------
人間は魚や、動物なり、食べ物がないと生きていられません。「オギャー」と生まれて自分を感じとったそこには、国土があるのです。鳥になって生まれる人もいます。鳥にとっては大空が国土です。魚にとっての国土は海です。水が我が国土です。そこには必ず他の生き物がいて、プランクトンを食べたり、みな生き物を食べて生きています。それを易しい言葉で言うと『国土世間』というのです。

そして、そこには自分以外の生き物がいます。それを、『衆生世間』といいます。そして、五陰(感覚)を持つのです。これを『五陰世間(ごうんせけん)』といいます。これらをもって初めて生命が誕生するのです。

そこまでは客観的な話で、そこまでは何だかわからないのです。生命というものは、国土に生まれるのです。それは地上か、アンダーグランドか、海の中か、空なのか、それは問いません。ともかく「オギャー」と生まれて目を開けてみると、そこには国土がるのです。国土があるだけではなくて、そこには他の生命が必ずいます。

例えば、人間の場合はお母さんです。お母さんは、自分以外の生命体です。お母さんがおっぱいをくれるから赤ちゃんは生きていられるのです。お母さんは赤ちゃんにとっての衆生世間です。自分以外の生き物です。そのようなものがいなければ生きられません。

そして、五陰世間という感覚を持ちます。「オギャー」と泣いて感覚があるのです。お母さんが「うるさいわね!」と言うと、「オギャー」と泣きます。感覚があるのです。この世に生を受けた初めは、国土世間・衆生世間・五陰世間(ごうんせけん)が自然に備わっているのです。
<引用終わり>--------------------------------------------------------------------------
<ttp://ashuhokkekoshu.hatenablog.com/entry/20140604/p1>


この説明は、客観的に国土世間・衆生世間・五陰世間を説明していますのでとても解り易いです。しかし御書には、


「又衆生の心けがるれば土もけがれ心清ければ土も清しとて浄土と云ひ穢土と云うも土に二の隔なし只我等が心の善悪によると見えたり」


とあるように客観として存在する国土ではなく、自分から見える国土を、主観的に認識する国土として説かれています。

また前回用いた「パンを盗んだ男」の例え話も、子供から観れば優しい父親、しかし世間の人からみたら、パンを盗んだ泥棒。観る人が変われば対象となる人物の姿も変わって観える、というあくまでも当事者から観える人物を主観でとらえた衆生世間の話です。

対象となる国土にしても衆生にしても実体や本質は無く、無我・無自性であって「縁起の法門」によって仮に存在しているに過ぎません。その仮の姿に執着するから本当のところが解らなくなるのです。


では、五陰世間はどういうことなのか。


例えば、赤青の同じ形をしたふたつのボールがあったとしましょう。健常者であればボールの違いは明らかで赤と青に分別出来ます。しかし目が不自由な人にとっては、どちらも同じボールとしか判別できないので無分別となります。食べ物なんかもそうですね。同じトマトなのにおいしいと言う人もいれば、まずくて食べられないという人もいます。これは個々人の五陰の違いですですが、五陰が変われば対象となるものの本質も変わります。ですから「無我・無自称」ととらえるのです。


最後に国土世間はと言うと、


国土の違いによって生じる差別ですが、チャップリンの「一人殺せば殺人者で百万人殺せば英雄となる」という戦争の本質をついたと思われるこの言葉は、「戦時における大量殺人は合法なのに平和な時に一般人が殺人すれば犯罪として逮捕される」という意味です。常識やモラルなども普遍的に絶対的なものは何一つないという意味にも解釈できます。首長族では美人であっても日本では「う~ん・・・」であるように。

このように世の中の真実は「色即是空」なんですよ、とお釈迦様は言われたのです。

この世の万物は形をもつが、その形は全て仮の姿なんです。(仮諦)


というお話を踏まえて、更に十如是と十界互具のお話に入ります。
 

妙介は創価員ですよ! まだわからんかい、皆の衆!

 投稿者:黒川 和雄@日蓮正宗  投稿日:2016年 9月23日(金)00時31分52秒 p1137-ipbfp2603osakakita.osaka.ocn.ne.jp
返信・引用
  ①外道義とは別に、初転法輪2回説、つまり、大聖人様の宗旨建立が
3月28日と4月28日の2回あったということが書かれていて、
すったもんだのあげく、改訂版が出されたという、いわくつきの本です。

これの対することは日顕上人がちゃんと説明されています。即ち「内に対する立宗宣言と外に対する立宗宣言」であります。

②(日蓮正宗要義 改訂版 82ページ)
でこれのどこがオカシイのか? 外道義なのか?
この阿呆はそれを説明しておらんね。

このような新手の「創価員による掲示板荒らし」に乗る必要はありません。

言っておることは既に破折された創価の「フェイク」と瓜二つであります。







 

Re: 妙介さん:妙法観

 投稿者:妙介  投稿日:2016年 9月22日(木)23時47分14秒 pool-200-232.aitai.ne.jp
返信・引用
  > No.47079[元記事へ]

ぽんぽこ貍さんへのお返事です。

> >>日蓮正宗要義初めて拝見しました。
>   これを書かれた方はどなたですか。

直接執筆されたかどうかはわかりませんが、猊座につかれる前の
日顕上人猊下が監修されたと聞いています。

外道義とは別に、初転法輪2回説、つまり、大聖人様の宗旨建立が
3月28日と4月28日の2回あったということが書かれていて、
すったもんだのあげく、改訂版が出されたという、いわくつきの本です。
 

Re: 妙介さん:妙法観

 投稿者:ぽんぽこ貍  投稿日:2016年 9月22日(木)23時30分35秒 FL1-119-242-223-56.hyg.mesh.ad.jp
返信・引用
  >>日蓮正宗要義初めて拝見しました。
  これを書かれた方はどなたですか。
  ご住職にお尋ねになられたのでしょうか?
  ハッキリ言いまして当宗の妙法観ではないです。
  真言密教の教義による妙法の説明です。
  又大霊等は聖書の創世記を彷彿とさせます。
  まず御法主上人猊下が書かれた書物では有りません。

  65世日淳上人猊下の弟子で在家居士に松本佐一郎と云うお方が居られました。
  そのお方の妙法の簡略な説明が下記です。
  ご参考にされて下さい。

***********************************************



八葉九尊は密宗の文で、中台大日、四方の八葉に宝憧、開敷華王、無量寿、天鼓笛音の四仏、普賢、文珠、観音、弥勒の四士を合せて九尊とする胎曼第一院の仏である。これは「胎蔵曼茶羅の総体にして因位の九識を表す」薩は妙で法性だといふのだから仏界の果位を示し、後の達摩芬陀梨伽蘇多覧の九字を以て因位の九尊にあてられた意であらう。これは密教家の文を借りて当家の義を詮した御文と見るのが日蓮宗の定石だから、南無妙法蓮華経とは本仏の仏界なる本果即ち本果妙と、九界なる本因即ち本因妙が、七字の中に円妙具足してゐることをお説きにたったと拝すべきであらう。その本因本果円妙具足の本仏は又同時に法界そのものである。一切衆生の法性無明一体が妙法であり、一切衆生の本因本果が蓮華であり、語言音声が経である。即ち法界の依正そのものを体とし、特に正報に約して言へば法界能住の一切衆生の因果を性とし、言語音声を用とする根本本仏の相が南無妙法蓮華経である。

***********************************************

簡略では有りますが、上記が御法主上人の薫陶を受けられた方の妙法観です。
 

Re: (無題)

 投稿者:妙介  投稿日:2016年 9月22日(木)22時39分46秒 pool-200-232.aitai.ne.jp
返信・引用
  > No.47077[元記事へ]

法介さんへのお返事です。

> 妙介さん、提示ありがとうございます。これはいつ頃かかれたものでしょうか?

私が持っている本は、
昭和53年4月28日 発行
平成11年12月19日 改訂発行
となっております。日蓮正宗宗務院からの発行です。
 

(無題)

 投稿者:法介  投稿日:2016年 9月22日(木)22時14分58秒 p1139105-ipngn200808fukuokachu.fukuoka.ocn.ne.jp
返信・引用 編集済
  妙介さん、提示ありがとうございます。これはいつ頃かかれたものでしょうか?


実は、うちの長男が法華講青年部で頑張っておりますが、(今日も秋季彼岸会のお手伝いに颯爽と出かけていきました)今年の青年部夏季講習登山に参加した際、お山の売店で日顕御陰尊猊下が平成27年4月28日に初版発行なされました「三大秘法義」なる書籍を買ってきました。

この中では、今から私がここでお話しようしている「一念三千の法門」の解釈とほぼ同じ内容が書かれておりまして、これを読んだ長男が「お父さんが言いよるような内容がかかれとったけん、お父さんも読んでみ」といって私に持ってきたものです。

妙介さんが貼り付けてくれたそれとは、内容が全く異なっております。

ここに居られる皆さんには、この「三大秘法義」は、絶対に読まれたほうが良いと私はお奨めします。
 

日蓮正宗要義 改訂版 82ページ

 投稿者:妙介  投稿日:2016年 9月22日(木)21時33分39秒 pool-200-232.aitai.ne.jp
返信・引用
  法介さんへのお返事です。

下記に紹介するのが、猊下または宗門に外道義混入の間違いがあるという動かぬ証拠です。
「日蓮正宗要義」という教義解説書なのですが、その中の一説です。

先日、ぽんぽこ狸さんから解説を依頼された当体義抄の「至理は名無し…」という御文を
外道義で解釈したらこうなる…、という見本のような文章です。



第二項 本門本尊

第一目 一念三千・大曼荼羅


当宗の本尊とは法即人、一念三千自受用身の人本尊、人即法、自受用身即一念三千の法本尊、

いわゆる人法一箇の本尊であるが、初めに法本尊の一念三千について述べる。

 まず本門に約して言えば、一念三千とは本仏の悟りと活動に名づけるのである。久遠元初、

いまだ仏法や一切万物の名目も存在しない古の時点において、一人の聖人が顕われた。宇宙

法界間の一切の現象と実在を直観によって通暁され、混沌より万象に至る事理を了解し、一

切の分立と統合の原点となる不思議な法を覚知されたのである。それは存在の本質であり、

しかも一切に通じ遍満する普遍的な法であり、大霊であった。つまり宇宙法界が混沌の時代

においても、また天地開闢以来森羅万象の差別相にあっても一貫して存在する法理、すなわ

ちまたその間のあらゆる事象、あるいは星雲の凝縮と発熱の相により、十界・十如・三世間

の歴々たるまでの、すべてを具える不思議の大生命体である。これを聖人は妙法蓮華経と名

づけられた。この妙法はまた聖人の生命の当体であり一念であって、これが宇宙法界に遍満

するところを一念三千と表現するのである。したがって一念は即三千であり、三千は即一念

である。この如実の法に即する人格を本仏と呼び、人格に即する法を本法という。すなわち

一念三千とは本仏の悟られた宇宙法界の事理、すなわち現象と実在のすべてを含む法理、及

びそれによって行われる衆生救済の活動であるといえる。

(日蓮正宗要義 改訂版 82ページ)


 

空仮中の三諦

 投稿者:法介  投稿日:2016年 9月22日(木)20時35分35秒 p1139105-ipngn200808fukuokachu.fukuoka.ocn.ne.jp
返信・引用
  「空仮中の三諦」は、大百法、平成27年12月16日 第923号(だから法華講員だって^^)に「三諦について」というタイトルで基礎講座13として掲載されていますが、ここに居られる皆さんなら既に熟知もされておられるでしょう。しかし「空仮中の三諦」と「一念三千の法門」の関係を

あなたは語れますか?
 

訂正

 投稿者:法介  投稿日:2016年 9月22日(木)20時20分24秒 p1139105-ipngn200808fukuokachu.fukuoka.ocn.ne.jp
返信・引用
  文中、被害者と加害者が逆になっています^^
頭の中で転換して読んでください。おっちょこちょいで申し訳ありません。
 

空仮中の三諦

 投稿者:法介  投稿日:2016年 9月22日(木)20時15分42秒 p1139105-ipngn200808fukuokachu.fukuoka.ocn.ne.jp
返信・引用
  >世間の人で善も悪もない凶悪犯さえも咎めるべきではないと馬鹿なことを云う人はそう多くはいないでしょう。

世法的に言えば、ぽんぽこ狸さんの言われる通りでしょう。しかし、私は仏法者としてあるべき姿についてお話ししているのです。世法と仏法とでは、物事の捉え方が大きく異なります。

世法というのは客観性をもとに成り立っているケースが多いですよね。「あの人は誰が見ても悪人である」みたいな。しかし仏法は、客観とは正反対の主観的視点からの物事の捉え方を説いています。修行者の心の所作です。

先ほど妙介さんが「空」は判断ですと書き込みされていましたが、人の人生とは一瞬一瞬の「判断」の連続で形成されていきます。十如是です。一瞬の判断が因となって縁となって結果が生まれ報いを受ける。

だからその一瞬一瞬の判断を修行者が間違わないですむように説かれたのが「一念三千の法門」です。自身に起こりうる出来事をどう判断すれば宿業を刻まなくて済むか。その極意が説かれているのです。

では、先ほどのぽんぽこ狸さんの意見を取りあげて話してみましょう。
犯罪者の話です。交通事故で愛する我が子を亡くした女性がいたとします。彼女は加害者のことをひたすら憎んで生きていました。しかし仏法にめぐり合い「一念三千の法門」を学ぶことで、自身の苦しみの原因は加害者にあるのでは無い。そのような宿業を過去世でつくった自分自身にあるんだ。と思えた時、加害者に対する憎しみが消え、わが子が命をもってそれを教えてくれたんだとさえ思えた時、憎しみの人生が感謝の人生へと転換されていく。

そして、被害者に対する憎しみが消えた彼女は、被害者の事をどう思うのか。被害者も人の命を奪ってしまったという重い宿業を刻んでしまった訳で、そう思うと彼女はその加害者を救ってあげたいとさえ思うでしょう。

大聖人様も自身を迫害し続けた平左衛門尉頼綱を真っ先に救ってあげたいと言われた話は皆さんもご存知でしょう。

私も学会の間違いに気づいて脱会した当時は、通りすがりの法華講員さん同様、池田さんが憎くて仕方なかったですよ。しかし、正しい「一念三千の法門」の解釈が出来てからは、憎しみは無くなりました。

外道義で解釈した「一念三千の法門」では憎しみは消えないんです。正しい「一念三千の法門」の解釈は、「無我無自称(空の理論)」と「空仮中の三諦」を正しく理解しないと無理です。というか「空仮中の三諦」は「無我無自称(空の理論)」を理解出来ていないと理解に至りません。しかし、創価学会では「無我無自称」を教えていませんし、法華講員さんに聞いてみても知ってる人は今まで一人もいませんでした。

なぜか?

「無我無自称」が小乗教で説かれた真実だからでしょう。日蓮正宗の教学の中に一応解説はあります。しかし小乗教で説かれた真実ということで軽視されているのか、法華講員さんも学会員さんも教えられておりません。

しかし、御書の中で「一念三千の法門」が語られている箇所では、必ずと言って良いほど空仮中の三諦が出てきます。ご確認ください。
 

一念三千の法門

 投稿者:法介  投稿日:2016年 9月22日(木)17時55分24秒 p1139105-ipngn200808fukuokachu.fukuoka.ocn.ne.jp
返信・引用
  ぽんぽこ狸さんも私の発言に対して、
>世間の人で善も悪もない凶悪犯さえも咎めるべきではないと馬鹿なことを云う人はそう多くはいないでしょう。

といったご意見を書かれているところをみると、大事な「一念三千の法門」を外道義で解釈されているみたいですよー!
 

訂正

 投稿者:法介  投稿日:2016年 9月22日(木)16時44分19秒 p1139105-ipngn200808fukuokachu.fukuoka.ocn.ne.jp
返信・引用
  先ほどの登校の3行目、通りすがりの法華講員さんへの敬称が抜けておりました。申し訳ありません、大変失礼いたしました。  

(無題)

 投稿者:法介  投稿日:2016年 9月22日(木)15時15分19秒 p1139105-ipngn200808fukuokachu.fukuoka.ocn.ne.jp
返信・引用 編集済
  今日は秋季彼岸会でしたね。皆様お疲れ様でした。

妙介さん、過去ログ9月2日あたりまでさかのぼり、概ね拝見しました。
妙介さんと通りすがりの法華講員さんの並々ならぬ論争に、お二人ともさぞお疲れになっただろうな~とお二人の肩でももんであげたい気持ちで一杯です。

拝見していく中で、通りすがりの法華講員さんが40代の大阪在住の方であるとか、ぽんぽこ貍さんがギリギリ団塊の世代の方で、教学研鑽もかなりされておられるような方であるとか、色々と理解が進みました。

ちなみに私は、ぽんぽこ貍さんよりも少し下になるかと思いますが50代で九州在住です。

妙介さんと通りすがりの法華講員さんの論争は、「日蓮正宗側にも誤りがあった」という点が最大の争点となっておられるようですが、いいかげん似詰まってきているようですし、角度を変えた視点から同じテーマ(日蓮正宗も外道義に染まっている)を追求してみてはいかがでしょうか。


例えば、以下に紹介する二つのサイト。

ttp://www.geocities.jp/kokoronoshikumi/hokekyo.3000.wakariyasui.html#aa
こちら↑は、法華講員さんのHPです。

ttp://plaza.rakuten.co.jp/nobu3papa/diary/200807010000/
こちら↑は、創価学会員さんのHPです。

どちらも「一念三千の法門」について解説されています。
私に言わせれば、どちらの解説も外道義で法門を解説しちゃっています。

だから宗門も学会もどちらも外道義に染まっているという証拠です^^



通りすがりの法華講員さん

>悪を実体化し日顕が池田がと互いに罵り合っている双方が外道義混入に陥っているといっている

「日顕が池田が」と書いているのは、双方がそのように相手を呼び捨てて罵っているではないですか、という文章で、私は御陰尊猊下を呼び捨てになどしませんのでご安心ください。信じてもらえてないようですが間違いなく法華講員です・・・

あと妙介さん、原稿昨日郵送しておきました。表現がおかしい箇所などありましたら赤ペン修正を加えて頂けると助かります。
 

Re: 妙介さんこんばんはです

 投稿者:妙介  投稿日:2016年 9月22日(木)12時32分31秒 pw126152169035.10.panda-world.ne.jp
返信・引用
  法介さんへのお返事です。


> >既に私は、猊下の仏法上の誤りを、具体的な事例を挙げて提示していますが、
>
> どの部分ですか? なんとかって言う本の何ページあたりってやつでしょうか?_
>
> その本持っておりません・・・残念

法介さん、ごめんなさい。
勘違いしていました。当該部分を投稿したのは今年のはじめで、すでに削除されています。
今、出先からなもので、帰宅してから再アップします。
 

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