破邪の蘭室
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管理人さんへのお返事です。 > いや。 > > 此の者に、付ける薬などは、最早、説教しか無かろうて。 > > >観心本尊抄は、我ら末法の衆生が尊崇すべき御本尊の意義を示された重要な御書である。 > >しかし、日顕宗は本抄の「正意」を読めず、〝御本尊は「木絵二像」(画像・木像)の類だから「開眼」が必要だ〟 > >とうそぶいており、まことに愚かなことである。 > > 呆哀。つまりは何だ。 > > 木絵の二像とは、所謂、絵像と仏像を指しているのであるから、(日顕宗が)木絵二像開眼の御文を引用して、 > 紙幅の創価本尊(日寛上人書写本尊)の開眼の有無に、其の義を充てるは、誠に愚かな事である、という事か。 > > 哀。 > > 先ずは言おう。 > > お主。此れをどう読むか。 > > 曰く『仏の御意あらはれて法華の文字となれり。文字変じて又仏の御意となる』と。【木絵二像開眼の事】 > > 果たして『絵像』でもない、『木像』でもない、其れこそは仏の御意を以って法華の文字と為し、又は > 法華の文字を以って仏の御意と為すは、是れ全く曼荼羅御本尊の御事を指すものではないか。 > > つまり、ここで云う処(ところ)の『木絵二像』とは、単に木像と絵像のみを指して云うものではなく、 > 其れらを像(かたち)どる草木の全体をして云われているものであり、別して其れを云うならば、応に一念三千の > 肝心たる曼荼羅御本尊の御事を指すものであり、つまりは草木成仏の奥義を述べられたものなのである。 > > 其れを「御本尊は木絵二像の類であるから、開眼が必要なのだ、と(日顕宗)が嘯(うそぶ)いている」などと。 > > 呆呆哀。 > > よいか。木に彫られた仏像も、紙に画かれた絵像も、其の土台は全て草木である。 > > されば、日蓮大聖人。 > > オマエの様なヘンチクリンに対して、次の様に仰せらる。 > > 曰く『然りと雖(いえど)も一念三千の肝心、草木成仏を知らざる事を妙薬のわらひ給へる事なり』 > > おーおー、お主は彼の妙楽からも笑わられてしまう程の末法迹人の御仁であったか。哀笑。 > > よいか。興門が開眼をして宣べるのは『木像』と『絵像』に対する開眼の理を根拠としているのではない。 > 其の根源たる草木成仏の理を根拠として宣べているのである。仍って、開眼なき私造曼荼羅は、応に非情の > 草木、否、其れこそは魔文字に染まった魔木魔草と相成って、お主ら三世の生命に刻印されて行くのである。 > > さても『仏像』を、単に『ぶつぞう』としか読めぬ創価員では、草木成仏の一番地にも入れないであろう。 > > 爾して曰く『然りと雖(いえど)も詮(せん)ずる所は一念三千の仏種に非ざれば、有情の成仏・木画二像の本尊は > 有名無実なり』と。【観心本尊抄/新編652】 > > 無論、此の御金言の義に於いて、御板御本尊のみならず紙幅の御本尊も全て含まれるは当然の事である。 > > よいか。依義判文とは、実(げ)にこういう読み方をして言うものである。 > > >観心本尊抄は、我ら末法の衆生が尊崇すべき御本尊の意義を示された重要な御書である。 > >しかし、日顕宗は本抄の「正意」を読めず、〝御本尊は「木絵二像」(画像・木像)の類だから「開眼」が必要だ〟 > >とうそぶいており、まことに愚かなことである。 > > 哀哀哀。 > > 情けないよのぉ~。 > > 木絵二像の開眼とは、仏像と絵像の事を指しているから、其れを(仏像絵像ではない)創価本尊に当て嵌めて無開眼を > 責めるは、まことに愚かである、とは、実に其の言い様こそが愚かなのであり、文の上っ面(うわっつら)しか読めない、 > 新興宗教創価学会の一員たる証しとなるものである。 > > よいか。屁理屈を垂れるなら、も少し勉強して来なさい。 > > 否、其れよりも何よりも、一大秘法とは日蓮大聖人御図顕の曼荼羅御本尊の事に非ず、という創価教義を、先ず以って > お主こそが論証しなさい。 > > ったく、一大秘法の意味も判らぬ者が、本尊に於ける草木開眼成仏の大義に屁理屈を述べるなど以ての外である! > > よいか。此れは悪口ではない。 > > お主に対する説教である。 > > 心して読みなさい。 >