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ご通知

 投稿者:ぽんぽこ貍  投稿日:2016年 9月27日(火)14時26分7秒 FL1-119-242-223-56.hyg.mesh.ad.jp
返信・引用
  >>近年、当掲示板に於いて掲示板アラシやアラシモドギの投稿が多く見られます。
  本来の目的から外れた論議が多く誹謗中傷とも受け取れ兼ねない投稿も
  御座います。
  つきましてはフリートークの場として仏教哲学研究会なるスレッドを立ち上げました。
  宗派・無宗教を問わず仏教の教義や哲学の宣揚や論議等をして頂きたく
  フリートークとさせて頂きます。
  個人名の投稿や管理人が誹謗中傷の類、個人情報の漏洩と判断したもの以外は
  削除の対象とはしません。
  ご自由にご参加下さい。

  URLは下記です。

  ttp://6817.teacup.com/bukyotetugaku/bbs
  仏教哲学研究会
 

愚人くん

 投稿者:通りすがりの法華講員  投稿日:2016年 9月27日(火)11時56分20秒 softbank126021140221.bbtec.net
返信・引用
  *この話は推測するに、日蓮聖人が霊山同聴と大蘇開悟を結びつけて作った話であろう。
○要は君の我見ね。法論だから、法を述べなさいね。
 

観音・薬王の再誕南岳・天台

 投稿者:愚人  投稿日:2016年 9月27日(火)11時30分30秒 om126161053006.8.openmobile.ne.jp
返信・引用 編集済
   天台宗ホームページ

  【高祖天台智者大師】

  18才の時、出家に反対だった両親が亡くなり、兄の許しを得て果願寺で出家し、「智顗(ちぎ)」と名付けられました。そして一心不乱に修行し、23才の時、当時高名な光州大蘇山の慧思(えし)禅師を訪ね入門を許されました。禅師は「お前とわたしは昔インドの霊鷲山(りょうじゅせん)でお釈迦さまの『法華経』を一緒に聞いたことがある」と不思議な因縁を語り、再会を喜んだのです。(霊山同聴(りょうぜんどうちょう))。
 大師は『法華経』の重要な修行である四安楽行を教えられ、修行すること14日、薬王品の焼身供養の文に至って忽然(こつねん)と悟りを得ました。(大蘇開悟)。
 これを慧思禅師に報告すると、「これはお前とわたししか味わえない高い境地である」と絶賛したのです。
 この慧思禅師は、日本の聖徳太子に生まれ替わり『法華経』を弘めたといわれています。





 ■聖徳太子が南岳大師の再誕との記述はあるが、南岳・天台が観音・薬王の再誕との記述はない。ネットで閲覧できる研究者の論文にも聖徳太子が南岳の再誕との記述はあるが、南岳・天台が観音・薬王の再誕との記述はない。

 この話は推測するに、日蓮聖人が霊山同聴と大蘇開悟を結びつけて作った話であろう。
 

諦めの悪いのが創価脳

 投稿者:茄子の花  投稿日:2016年 9月27日(火)10時57分39秒 ag220-213-220-206.ccnw.ne.jp
返信・引用
  宿坊2でも寒い方が身内の擁護(したくてもできないレベル)なく、ここ半日くらい狸寝入りして
おりますが、そのうちに起きてくるでしょう。

執拗さ(自己主張)を、絵に描き、それを写真に撮り、額に入れて保存しているのが創価脳。
信仰=信じて仰ぐ事ができない十四誹謗の輩です。


 

法介様初め創価脳3氏

 投稿者:通りすがりの法華講員  投稿日:2016年 9月27日(火)09時24分1秒 pw126152064185.10.panda-world.ne.jp
返信・引用
  こちらの掲示板は、大月天様が示されている通り「法論」の場であり、計我・浅織で解釈した我見を述べる場でない事は理解しなさいね。

「お前の計我・浅織は聞いてない」

きちんと法論の意味を理解してコメントされた方がよろしいかと思います。法論の意味も理解できずに法を語ること自体が創価脳であり、その計我・浅織こそあなた方が脱会した創価脳なことに気づきなさい。
 

さようなら^^

 投稿者:法介  投稿日:2016年 9月27日(火)07時29分34秒 p1139105-ipngn200808fukuokachu.fukuoka.ocn.ne.jp
返信・引用 編集済
  中途半ぱが嫌いな性格なので一応「つづき」を投稿しておきます^^



ついでに前半部分で表現しきれなかった部分をいくつか補足しておきます。



生まれたての赤ちゃんには「分別」は無いと書きましたが、

ではなぜ「分別」がないのにお腹がすくと泣くのか、おしめが気持ち悪いと泣き出すのか。

それは、五陰世間という肉体が勝手に「分別」をおこなっているからです。



お腹がすいた・お腹いっぱい、気持ち良い・気持ち悪い


肉体の感覚がある限り、苦しみは完全に無くならないのです。

だってそうでしょ。自分で自分の皮膚をつねってみてください。「痛い」でしょ。

「痛い・痛くない」という「分別」です。


小乗仏教で行われた、瞑想は自身の煩悩(分別)を心の中から消し去ることによって

悟りの境地へとたどり着く修行で、火の上を走りぬけていく荒行などは感覚すらも無くしてしまおうという修行なのでしょう。

そういった大変な修行で自身の感覚すら完全に打ち消した時、

修行者はいったい何をもって意識として存在するのか。


自身の意識(分別)を完全に打ち消した時、(寂滅)

最終的に仏様の意識を共有したのではないでしょうか。


補足終わりー





では、お話の後半を続けます。


天台大師の「一心三観」は、「分別」と「無分別」のどちらにも偏らない「中観」という物事の見方、捉え方なので、

とおりすぎてしまった法華講員さんが言うように

目(五陰)があるからどうしても見えちゃうんです、実体が。


まして完全に「分別」を無くしてしまったら、


何をもって物事の「判断」をしたら良いのか、人々は戸惑いました。


だって、「分別」があるからどっちにするかの「判断」が出来る訳ですから。



そこで天台大師は「分別」にたよらない判断方法を法華経の中に見つけたのです。




それが「一念三千」という御法門です。




世の中は「分別」で成り立っています。だから様々な悩みや、苦しみが生まれてくるのです。

「分別」から「無分別」へものの見方を変えてご覧なさい。(一心三観)

そして仏様と感覚の共有(境智冥合)をしてご覧なさい。

仏様が、正しい判断をしてくれますよ。




それが「一念三千」なんです。




だから私たちは、勤行で方便品の「十如是」を三転読誦し、(分別から無分別へ)

自我偈を読んでお題目を唱えるのです(仏様の判断・仏の智恵)


 <自我偈>

 自我得仏来 所経諸劫数 無量百千万 億載阿僧祇
 常説法教化 無数億衆生 令入於仏道 爾来無量劫
 為衆生度故 方便現涅槃 而実不滅度 常住此説法
 我常住於此 以諸神通力 令顛倒衆生 雖近而不見
 衆見我滅度 広供養舎利 咸皆懐恋慕 而生渇仰心
 衆生既信伏 質直意柔軟 一心欲見仏 不自惜身命
 時我及衆僧 倶出霊鷲山 我時語衆生 常在此不滅
 以方便力故 現有滅不滅 余国有衆生 恭敬信楽者
 我復於彼中 為説無上法 汝等不聞此 但謂我滅度
 我見諸衆生 没在於苦海 故不為身現 令其生渇仰
 因其心恋慕 乃出為説法 神通力如是 於阿僧祇劫
 常在霊鷲山 及余諸住処 衆生見劫尽 大火所焼時
 我此土安穏 天人常充満 園林諸堂閣 種種宝荘厳
 宝樹多華果 衆生所遊楽 諸天撃天鼓 常作衆妓楽
 雨曼陀羅華 散仏及大衆 我浄土不毀 而衆見焼尽
 憂怖諸苦悩 如是悉充満 是諸罪衆生 以悪業因縁
 過阿僧祇劫 不聞三宝名 諸有修功徳 柔和質直者
 則皆見我身 在此而説法 或時為此衆 説仏寿無量
 久乃見仏者 為説仏難値 我智力如是 慧光照無量
 寿命無数劫 久修業所得 汝等有智者 勿於此生疑
 当断令永尽 仏語実不虚 如医善方便 為治狂子故
 実在而言死 無能説虚妄 我亦為世父 救諸苦患者
 為凡夫顛倒 実在而言滅 以常見我故 而生 恣心
 放逸著五欲 堕於悪道中 我常知衆生 行道不行道
 随応所可度 為説種種法 毎自作是念 以何令衆生
 得入無上道 速成就仏身


私が仏になってから経過した期間は、百千万億という長い時間です。

その間に教えを説いて数限りない人々を教化し、仏の道に導いてきました。


それから長い時間が経過しました。

人々を救うために、一度は(釈迦として)死んだ姿をとりましたが、 (生と死の分別------仮の姿

実際に死んだのではなく、常にこの世界にいて法を説いているのです。(生死を越えた無分別の世界


私は常にこの世に現れていますが、

神通力によって迷っている人々には、姿を見せないようにしているのです。


人々は私の死を見て、私の遺骨を供養し、私をなつかしく思い、慕い敬う心を起こしました。

人々が信仰心を起こし、心が素直になり、仏に会いたいと願い、そのために命も惜しまないように、

その時私は、弟子たちと霊鷲山に姿を現します。そして人々に語ります。


「私は常にこの世界にあり、不滅ですが、人々を導く手段として死んでみせたのです」と。

他の国土の人々も、私を信じ敬うならば、その人々のためにも、「私は最高の教えを説くでしょう」。


あなたたちはこれを信ぜず、私が死んだと思っています。

私がみるところ、人々は苦しみの中にあえいでいます。

だから姿を現わさず、すがる心を起こさせたのですが、

今私を仰ぐ心が起こったので、こうして姿を現し教えを説くのです。





というこれは私の勝手な解釈です。

私が思う事を意見として勝手に述べさせてもらっただけです。

HPはめんどくさいので立ち上げるの止めときます。

また、いつかどこかでお会いしましょう^^


さようなら







追記
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<法論の意味>

法論(ほうろん)とは、仏教の用語で、教義の解釈に関する議論のこと。

ただし、古より理路整然と行われることは殆どなく、一方もしくは両方が相手側の主張を全く聞かず、

自陣営の主張を押し付け、相手を誹謗中傷することに終始することが目的となりやすいため、

「法論はいずれが負けても釈迦の恥」という諺(ことわざ)が出来た。
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                                             (ウィキペディア)


う~ん、間違いない!^^



 

法介様

 投稿者:通りすがりの法華講員  投稿日:2016年 9月26日(月)22時34分40秒 p1892093-ipngn16501marunouchi.tokyo.ocn.ne.jp
返信・引用
  では、さようなら。
我見で能書き垂れるのは、十四誹謗ですので、ご注意を。
能書きの相手をするつもりはありませんので、どうぞ自慰行為をご堪能ください。
 

通りすがりの法華講員さん

 投稿者:法介  投稿日:2016年 9月26日(月)22時06分53秒 p1139105-ipngn200808fukuokachu.fukuoka.ocn.ne.jp
返信・引用 編集済
  では、つづきは自分でHPを立ち上げてそちらで勝手にやってます。

ttp://myouhou.up-jp.com/

板の皆さんお邪魔しちゃいました。失礼します!

妙介さん、私のHPの方で色々と意見を交わしてまいりましょうか。

愚人さんも気が向いたら遊びに来てくださいな。

ぽんぽこ狸様も^^

通りすがりの法華講員さんも・・・・こないだろーな^^

私としては、好きなキャラなんだけどなー

来て欲しいんだがなー

 

通りすがりの法華講員さん

 投稿者:法介  投稿日:2016年 9月26日(月)21時48分55秒 p1139105-ipngn200808fukuokachu.fukuoka.ocn.ne.jp
返信・引用
  確かに漢字間違えてますね^^

おっちょこちょいな性格なもんで失礼しました。m(_ _)m

で、本当に後は、不要なのね?
 

空仮中について

 投稿者:妙介  投稿日:2016年 9月26日(月)21時45分11秒 pool-200-232.aitai.ne.jp
返信・引用
  法介さんへのお返事です。

石田次男氏の「現代諸学と仏法」の中で、四句分別という論法を用いて
「空」「仮」「中」を「形式表現」出来るか、という考察があり、結論として、

「仮」=有(無)
「空」=非有非無
「中」=亦無亦有

という判断が示されています。
しかし、ここで示されている「空仮中」は数学のような形式表現にすぎず、
「仮諦」でも「空諦」でも「中諦」でもありません。

この事は、石田氏自身が著書の冒頭で、

「仏教一般の知識の内に<分別虚妄>という事が有る。「若し衆生・虚妄の説に因って法利を得と知れば(如来は)宜しきに随って方便として則ち為に之を説き給う」(『涅槃経』)・「故に知らんぬ迹の実は本に於いて猶(なお)虚なり」(『法華文句記』)と言う様に、「分別(直接判断・叙述判断・反省判断、一般に判断)というものは、得道に取って、時機相応の無分別法を説く分別以外は全て虚妄だ・と言う。」
と、言われている通りです。

「仮諦」「空諦」「中諦」と、言葉で「分別」している間は「諦」ではないのです。
「得道に取って、時機相応の無分別法を説く分別以外は全て虚妄だ」という事です。

仏様が覚られたのは「無分別」の法であり、言葉で伝えきれるものではありません。

仏様は意地悪で勿体をつけて教えないのではなく、
伝えても伝えても、どうしても伝えきれない部分が残ってしましまうのです。
この部分が「如来秘密」です。

それでも、言葉の限界を充分知りつつ、何とか頑張って伝えようとされる、
この仏様の慈悲が「神通之力」なのです。


結論としては、法介さんが引用されていた「十如是事」の御文の通りです。

「初めに如是相とは我が身の色形に顕れたる相を云うなり是を応身如来とも又は解脱とも又は仮諦とも云うなり、
 次に如是性とは我が心性を云うなり 是を報身如来とも又は般若とも又は空諦とも云うなり、
 三に如是体とは我が此の身体なり 是を法身如来とも又は中道とも法性とも寂滅とも云うなり」

「仮諦」とは大聖人様の「応身」であり、「空諦」とは大聖人様の「報身」であり、「中諦」とは大聖人様の法身なのです。つまり「御本尊様」の事なのです。


仏にあらざる我ら凡夫の己心を相手取って「空仮中」を論じることは、
いわゆる「天台」であり、時期不相応だと思います。
もちろん、その事を十分承知(義道の落居)していれば、構わないと思いますが。
 

法介様

 投稿者:通りすがりの法華講員  投稿日:2016年 9月26日(月)20時27分1秒 pw126152064185.10.panda-world.ne.jp
返信・引用 編集済
  いやいや。
身口意の三業の漢字を「心口意」と間違えてる時点で、仏様は「法介氏は、創価脳で髄液漏らしてる」と仰ってますから。
それが仏様の智慧なんですよ(笑)

後は不要です。時間の無駄ですから。

また、私は貴方を善悪で分別したことはないです。
邪推で妄想するのはやめなさい。
創価脳の快楽に浸りすぎですよ(笑)
言ってもいないことを言ったと思い込む。
それこそ創価脳だと言ったのです。
 

通りすがりの法華講員さん

 投稿者:法介  投稿日:2016年 9月26日(月)20時23分59秒 p1139105-ipngn200808fukuokachu.fukuoka.ocn.ne.jp
返信・引用
  最後に「つづく」って書いてあるでしょ^^

まだ、途中なんです。

落ち着いてください。

最後に色んなもの掲示しますから
 

法介様

 投稿者:通りすがりの法華講員  投稿日:2016年 9月26日(月)20時19分30秒 pw126152064185.10.panda-world.ne.jp
返信・引用 編集済
  貴方が書いた内容が仏様の仰ることと同じだという証明は?
お釈迦様が言ったんですよね?それを貴方が正確に理解できてるという証拠は?
身口意の三業の漢字すら間違えてる貴方が、お釈迦様の仰ることを理解できてるとは思えませんが。
ね。貴方の我見でコメントを書いたんですよね?

更に貴方、自分が書いたコメントの内容自体を正確に理解できてるの?できてるなら、どこがどう理解できているのか証明してくれますか?

言ったはずです。
我々は貴方の脳髄漏らした「学会名物ポンポン踊り」のコメントは無意味だと。

きちんと仏様が仰ることを書きなさい。

逃げずに説明しなさいね。
貴方が「待っとく」ように言ったのだから。

はい。
正確に仏様が仰ることを書きなさい。

漢字を間違えるような頭破れて快楽に浸る境涯の者が、お釈迦様の仰ることを正確に伝えられるとは思えないなー。
はい。証明してね(笑)
 

分別と無分別

 投稿者:法介  投稿日:2016年 9月26日(月)20時14分20秒 p1139105-ipngn200808fukuokachu.fukuoka.ocn.ne.jp
返信・引用 編集済
  「空」が無我・無自称を意味するのか平等を意味するのかの議論は後回しにして、

分別・無分別の話をしたいと思います。(取りあえず「空」を無我・無自称とみなす)




お釈迦様は、人々の苦しみの原因は分別にあると気づかれました。

分別とは、物事の善・悪とか綺麗・汚い、おいしい・まずい、便利・不便、

心地よい・心地悪い等、書き出したらきりがないくらい世の中に存在します。


人々は昔から暮らしを便利にしよう、豊かにしよう、そう思って様々な分別を作り上げてきました。

文字だってそうです。算数も理科・社会、世の中のほとんどのものは分別法でなりたっています。



しかし、人間が作り出したその分別が、原因となって人々は悩んだり、苦しんだりもしているのです。


結婚したけど友達の奥さんの方が綺麗でうらやましいなーとか、

あいつの方がいい車にのってやがるとか、

もっとおいしい物が食べたいとか。


人間の欲は実は分別があるから起きるんだ!

とお釈迦様は、気づかれたのです。



考えてみてください。

生まれたての赤ちゃんには分別はありません。

ただお腹がすいた時とおむつが気持ち悪い時だけ泣き叫ぶだけで、

それ以外の時は穏やかーな顔をしていますよね。

赤ちゃんには比べる物差し(分別)がまだ無いから、幸せでいられるんです。


だけど、成長していくにつれ、他人と比較されたり、進学する学校を比較されたり、

入社する会社を比較したりで、分別が身について行く程、悩みや苦しみが増えて行きます。


なのでお釈迦様は、人々からそういった分別を無くしてあげようと考えに考えてあみ出したのが、

「縁起の法門」と「因果具時」だったんです。そして人々に

「この世の万物は形をもつが、その形は仮のもので、本質は空(くう)だと判断していきなさい」

と説いたのです。決して


「あいつは創価脳だー!」とか、

「学会名物ポンポン踊りに浸っていますので~」(学会名物ポンポン踊りってなに?)

とか相手を善悪で分別しては、いけませんよーって
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お釈迦様が言ったのです!



そんな事したら、自身が心口意の三業っていう宿業を刻んでしまうんです。

だから大聖人様も(人の人格や人間性をどうのこうの言うのではなく)、邪儀を破折していきなさいとご指南されているのです。

要するに、お釈迦様は人々を

物事の見方、捉え方を「分別法」から「無分別法」へと導かれたのです。



紙に裏と表があってどちらも1つの紙であることには変わりがないように

「分別」と「無分別」、どちらにも偏らない物の見方・捉え方「中観」を

後の世において、天台大師が「一心三観」という言葉で諭されました。


しかし、「無分別」で物事を見ていきなさいって言われても

「目があるから見えちゃうんです実態がー」といって

天台大師を困らせる通りすぎてしまった法華講員さんという聞き分けの無い人がいたのです。

                                       つづく
 

通りすがりの法華講員さん

 投稿者:法介  投稿日:2016年 9月26日(月)18時38分49秒 p1139105-ipngn200808fukuokachu.fukuoka.ocn.ne.jp
返信・引用 編集済
  >理解しているならば、正しく説明してみましょう(笑)

説明しなくていいの?

難しい漢語(経典)を貼り付けるだけでいいのね

って、↓文章さっきと変わってるしー
 

法介様

 投稿者:通りすがりの法華講員  投稿日:2016年 9月26日(月)18時21分21秒 pw126152064185.10.panda-world.ne.jp
返信・引用
  貴方の我見は要らないから、仏様の仰る内容で説明してくださいね。また、それが仏様の仰る内容であること、それを貴方が100%理解した上で述べられているという証明も添えてお願いします。

貴方の我見は、我々には邪魔ですので、くれぐれも貴方の我見は挟まないように。

では、お待ちしています。
必ず、必ず説明しなさいね。自分で待っとくように言ったんですから。
逃げないように。
 

通りすがりの法華講員さん

 投稿者:法介  投稿日:2016年 9月26日(月)17時55分39秒 p1139105-ipngn200808fukuokachu.fukuoka.ocn.ne.jp
返信・引用
  じゃあ、解りやすい説明文を書くから待ってて  

法介様

 投稿者:通りすがりの法華講員  投稿日:2016年 9月26日(月)16時37分11秒 pw126152064185.10.panda-world.ne.jp
返信・引用 編集済
  創価脳で脳髄溢れた貴方の我見による浅織・不解は、私には無意味です。

そもそも、貴方は、貴方が提示した内容を正確に理解できて書いているのですか?貴方とのやり取りからは、貴方は貴方自身が提示している事を自身できちんと理解できているとは思えません。
理解しているならば、正しく説明してみましょう(笑)

せっかくの機会です。十四誹謗を謳歌しなさい。
 

通りすがりの法華講員さん

 投稿者:法介  投稿日:2016年 9月26日(月)15時47分54秒 p1139105-ipngn200808fukuokachu.fukuoka.ocn.ne.jp
返信・引用
  通りすがりの法華講員さーん!

後ほど「分別」「無分別」について論議しますので

この2つのサイトの「分別」「無分別」の解説をしっかりと理解しておいてくださいねー!
 

無分別

 投稿者:法介  投稿日:2016年 9月26日(月)13時09分52秒 p1139105-ipngn200808fukuokachu.fukuoka.ocn.ne.jp
返信・引用 編集済
  石田次男氏を師と仰ぐ中杉弘氏のブログの中に「無分別」の解りやすい解説がありました。
ttp://blog.livedoor.jp/nakasugi_h/archives/55601960.html

↑の最後の方で中杉氏が「南無妙法蓮華経」の解説をされていますが、これは完全に邪儀ですね。師匠の石田氏から「君は恐ろしい考えをしている」と言われた程の邪儀です。しかし、「無分別」の説明は解りやすくて参考になります。

(アドレスを張り間違えておりましたので修正しました。すみません)
 

分別

 投稿者:法介  投稿日:2016年 9月26日(月)11時56分44秒 p1139105-ipngn200808fukuokachu.fukuoka.ocn.ne.jp
返信・引用
  分別について解りやすく書かれたサイトを発見

ttp://www.otani.ac.jp/yomu_page/b_yougo/nab3mq0000000q85.html
(わかっているとは思いますけど頭にhを追加して開いて下さい)
 

妙介さんへ

 投稿者:法介  投稿日:2016年 9月26日(月)08時21分33秒 p1139105-ipngn200808fukuokachu.fukuoka.ocn.ne.jp
返信・引用 編集済
  >「仮諦」とは諦の字が付いていることでもわかるように「悟り」ですから、


「仮諦」仮の悟り(真実)とは百界    百界の相(縁起の法門を悟る)                       (差別相)分別

「空諦」空の悟りとは千如      百界を形成する因果具時の法(色即是空を悟る)              (無差別)無分別

「中諦」中の悟りとは三千
                  現在の自身の姿は仮の姿ではあるが(世法的に捉える自身の姿)、
                  仏様の仏界と衆生の九界とが境智冥合した悟りの境地から
                  捉えることが出来た時、自身が生まれてきた真実の意味に気づく。(一念三千の悟り)


マラソンランナーの例え話は三諦が円融してゆくさまを解りやすく表現したつもりでしたが、誤解が生じていますね。
↑の説明をくわえるなりもう少し丁寧な説明を開度考え直してみます。ご指摘ありがとうございました。助かります。


<十如是事>

「百界と云うは仮諦なり千如と云うは空諦なり三千と云うは中諦なり」


「初めに如是相とは我が身の色形に顕れたる相を云うなり是を応身如来とも又は解脱とも又は仮諦とも云うなり、
 次に如是性とは我が心性を云うなり 是を報身如来とも又は般若とも又は空諦とも云うなり、
 三に如是体とは我が此の身体なり 是を法身如来とも又は中道とも法性とも寂滅とも云うなり」


<一念三千法門>

「第一に是相如と相性体力以下の十を如と云ふ如と云うは空の義なるが故に十法界皆空諦なり
 是を読み観ずる時は我が身即報身如来なり八万四千又は般若とも申す、
 第二に如是相是れ我が身の色形顕れたる相なり是れ皆仮なり
 相性体力以下の十なれば十法界皆仮諦と申して仮の義なり
 是を読み観ずる時は我が身即応身如来なり又は解脱とも申す、
 第三に相如是と云うは中道と申して仏の法身の形なり是を読み観ずる時は我が身即法身如来なり
 又は中道とも法性とも涅槃とも寂滅とも申す」


「百界と顕れたる色相は皆総て仮の義なれば仮諦の一なり
 千如は総て空の義なれば空諦の一なり
 三千世間は総じて法身の義なれば中道の一なり」

 

通りすがりの法華講員様

 投稿者:茄子の花  投稿日:2016年 9月26日(月)03時11分30秒 ag220-213-220-206.ccnw.ne.jp
返信・引用
  >十四誹謗の輩につられて一緒に十四誹謗をしても詮無いことです。

まったくその通りですね、しかし、彼らは其れが分からない創価脳
以後相手にしません。
 

返答

 投稿者:法介  投稿日:2016年 9月26日(月)01時21分48秒 p1139105-ipngn200808fukuokachu.fukuoka.ocn.ne.jp
返信・引用 編集済
  妙介さんへ

郵便届くの楽しみにしてます^^

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友人と喧嘩別れしたランナーは家に帰って勤行をはじめます。最初は腐った水を放置しておいた友人に対する怒りで一杯でしたが、唱題していくなかで御本尊様の仏界の境地に感応し、怒りも静まり空の真理を得る (空の義で読む十如是) ことで、「物事には実体はない、友人の方に問題があるのではない。」と己の心と向き合う姿勢が出来ます。

そして、腐った水に気づかなかった自身のふがいなさを反省し「明日、友人に謝りに行こう!」という一つの悟り (中の義で読む十如是) を得て、友人との仲は修復されました。
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(中の義で読む十如是)=  (ご本尊様と境智冥合)





愚人さんへ

ほう。ほう。「前世を語る子供たち」の話は知っていますが、「中間生」なる言葉は始めて耳にする言葉で大変興味あります。

3年程まえでしたか、アメリカのどこぞの研究者が死後の世界があるという研究の結果を学会で発表されたニュースがありましたが、

もしかしてその本がそれかな?

これは、私の勝手な考えですが、

人間生きている間は自身の五陰世間が存在しますので自身の肉体がベースとなって様々な外界の情報を感じ取って生きています。

しかし、死後も意識が存在するのであるのならば、その意識はいったい何をもって意識として存在しているのかと、考えた時


例えば

病院で死にかけて助かった人の話なんかでよく聞く話が

「肉体から自身が抜け出して手術台で手当てを受けている自分の姿を客観的に見た」といった話です。

これ私が思うに、

その場にいた自分以外の意識(五陰)を感じ取ったのでは、ということです。

解りますかね、言ってる意味。

   自身の五陰が機能停止→そばにいた他人(看護師とか)の五陰を共有した

だって死後も意識が存在するということは、なにかしらの情報をキャッチするベースがないと意識の変化はおきません。

自殺した人が自縛霊となって苦しみ続けるとか言いますが、自分の五陰が消滅するわけですので、

苦しみの状態のまま、意識が変化出来ないままに苦しみ続けると言う事になる。

では、死んだ人は何を持って意識として存在しているのかと考えるに、

生きていた頃、もっとも執着が深い(愛着かな)人物の五陰を共有(ずっとなのか、時としてなのか)して存在しているのではないかと思ったりします。


家族が先祖の事を追善供養する行為ってそうゆうことなのかなって


         御宝前に母の骨を安置し、五体を地に投げ、合掌して両眼を開き、尊容を拝し、歓喜身に余り、
              心の苦しみ忽ち息む。 我が頭は父母の頭、我が足は父母の足、
              我が十指は父母の十指、我が口は父母の口なり、

                                                         忘持経事


ほんほこ狸様

>青年部のスパイ活動に従事して居りました私でありましたが

気になるお言葉^^


大爆笑さんへ

>池田が、法華経の敵でなかったら
>法華経の敵なんてどこにもいないよ

池田さんが説く「邪義」(外道義)でしょう


 

大白法;老僧の御教導

 投稿者:ぽんぽこ貍  投稿日:2016年 9月26日(月)00時47分29秒 FL1-119-242-223-56.hyg.mesh.ad.jp
返信・引用
  日蓮大聖人の仏法を釈迦牟尼仏や天台大師の仏教の焼き直しと捉えては何ら智解を得る事は出来ないと日蓮正宗O住職より昭和の50年台にご教導頂きました。
義道の落居なくして天台の学問致すべからず。との日興上人の御遺戒置文にも有ります。
義道とは大聖人様の御内証の南無妙法蓮華経の法体。
即ち一大秘法の御本尊様を信授する事であるとのご教授でありました。
教学がなくとも赤子が乳を含めば成長するように素直に持ち受けて題目を唱えれば即身成仏の境涯が湧現する。
只末法の荒凡夫は邪智に満ちているのでそういう単純明解なことも出来ない。
そのために日目聖人に変わって御法主上人や愚僧ごときが手綱引きとして大聖人様にお仕えしておる。
斯様に申されて居りましたが、教学をやる上での注意点を聞いてメモして居りましたので
投稿させて頂きます。

①釈迦仏教の要点は如是三事。從本空無。非我眞我。云何於是而生愛染。觀是三事。爲繋所縛飄流苦海。以如是事。常自呵責。三大諦者。 一謂菩提之道。是平等諦。非不平等諦。二謂大覺正智得諦。非邪 智得諦。三謂慧定無異行入諦。非雜行入諦。
と法華経の十如是、寿量品の大事に尽きる。宗門の相伝にも十如是の諸法実相の秘法があると伝え聞いておる。十二箇条のご相伝の中身は儂は知らんが猊下様にのみ相承されておるので猊下様の御内証は生身の大聖人様と拝しておくことも大事であるぞ。無論欠点も有り有徳の方々ばかりでは無き場合も有ろうが相伝の器であるが故に尊いのは間違いない。

②儂らは小僧の時分よりいろんな猊下様にお仕えし爾来数十年仏飯を喰んでいる身ではあるが、天台や御遺文も仲々手に入らない仲で師僧や猊下様の教えを頂き仏法を学んできた。昭和の戦後に御書全集や相伝書が発刊されたが儂らの学んできた仏法は何一つ御遺文や三大部に反する様な教えでは無かった。
反ってそれらが仏法の教えの正しさを証明するとさえ言えるものだった。

③創価学会は罰功徳論で教勢を拡大し我が宗も目を疑う様な豪華絢爛なものになった。素晴らしい組織力で多くの青年が我が宗を盛り立ててくれた。反面猊下が憂慮されているように○?本仏論というもんが根強く蔓延って来ておる。
儂も訪ね来る青年部と話し込んだりして時を過ごすことも有るのだが、一つ心配しておるのが師匠が地獄へ行くなら私も行っても構わんという莫迦者がママおるんだ。
法を信じきれておらん証拠じゃよ。
あんたももうすぐ35じゃろ。人間35過ぎると見塵惑というのが正面から出てくるもんじゃ。とにかく世間を生きる上でも行道でも年寄りのいうこともたまには聞くもんじゃ。
○?も最初は好青年で有ったがのぅ見塵惑に負けたと云うか過去世で正法誹謗した燻習種子というもんが出てきておるんじゃろうのう。
天界の鍵というかそういう邪見の悟りを得ておるから栄耀栄華を極めておるんじゃ。
お前さんに一つだけ言っておく。
仏法は引き算じゃ。けっして足し算の人生や修行をせぬ事ことじゃ。
悟りを得ようというのも一つの惑障じゃからの。結果だけ求めんことだ。
一つ一つ削ぎ落として純粋な真人間になれたら良いのだからのう。


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その他にも色々と御教導頂きましたが、故人となられた現在ご冥福を御祈念します。
当時正信覚醒運動盛んな居り、青年部のスパイ活動に従事して居りました私でありましたが、斯様な有り難い親身な御教導を頂き、ついぞ上長に会話の内容とを報告する事は有りませんでした。
拙い昔話では有りますが参考になりましたら幸いで有ります。


 

法介氏

 投稿者:愚人  投稿日:2016年 9月25日(日)23時43分45秒 softbank126094226119.bbtec.net
返信・引用
   扶桑社刊 エリコ・ロウ著 『死んだ後には続きがあるのか』を読んでいますが、初めにアメリカ在住の医師による臨死体験が綴られていますが、今は、そこを読書中です。

 アメリカのバージニア大学の故イアン・スティーブンソン博士がインドとヨーロッパの子供たちの語る生まれ変わり体験を現地調査をして纏めた『前世を語る子供たち』『前世を語る子供たち2』を読んで、生まれ変わりは有ると思っています。

 そこで死んで生まれ変わるまでの中間生を知る為に、これまで三冊の臨死体験解説本を読みましたが中間生も存在すると思います。そこは絶対の愛と至福に包まれた世界だそうです。この世で極悪の人間でも其処に行くそうです。但し、死後に振り返る人生のパノラマ映像を見た時に、深い深い後悔の念に墜ちますが、その後は至福を味わえるそうです。当然、本門戒壇の大御本尊を誹謗しても地獄には堕ちません。地獄は無いのですから。

 この世は、魂の学びの場です。大事なのは慈悲と愛をもって人に優しくすることです。
 
 

法介さんへ

 投稿者:妙介  投稿日:2016年 9月25日(日)22時23分19秒 pool-200-232.aitai.ne.jp
返信・引用
  法介さん、こんばんは。頑張ってますね^^

ちょっと気になった事があるので、一点だけ。

以前マラソンランナーの例を出して、「仮諦」について考察されていましたが、

我々が像法時代の衆生で、天台を学んでいるのであれば

あのような表現も、あるいは成り立つかもしれませんが、

末法の我々の心をいくら観じても、「虚妄仮」しか出てこないのでは・・・。

「仮諦」とは諦の字が付いていることでもわかるように「悟り」ですから、

「仮諦」「空諦」「中諦」の「円融の三諦」=「御本尊様」というふうに

限定的に理解しておいた方が安全ではないかと思います。


お手紙の返事、今日投函しました。

ステキな「おまけ」を入れておいたので、楽しみに待っていてください。
 

お馬鹿さんへ

 投稿者:大爆笑  投稿日:2016年 9月25日(日)22時06分15秒 sp49-98-155-122.msd.spmode.ne.jp
返信・引用
  池田が、法華経の敵でなかったら
法華経の敵なんてどこにもいないよ
 

茄子の花様

 投稿者:通りすがりの法華講員  投稿日:2016年 9月25日(日)20時03分41秒 p1892093-ipngn16501marunouchi.tokyo.ocn.ne.jp
返信・引用 編集済
  初めまして。
頭破3氏(妙介様、法介様、愚人くん)の相手はしない方がいいですよ。
法を下げるだけですし、十四誹謗の輩につられて一緒に十四誹謗をしても詮無いことです。
創価脳の彼らは今、髄液が溢れ、憎しみと苦しみの快楽に浸りながら、学会名物ポンポン踊りに浸っていますので、ひたらしておくのがよろしいかと(笑)

またこう書くと、彼らは脳髄プシャーっなって快楽にひたり始めますから楽しく観ていましょう(^ ^)
 

茄子の花さんへ

 投稿者:法介  投稿日:2016年 9月25日(日)18時42分38秒 p1139105-ipngn200808fukuokachu.fukuoka.ocn.ne.jp
返信・引用 編集済
  もう少し丁寧に返答しておきます。

>問ふ、其の義を知らざる人、唯南無妙法蓮華経と唱えて解義の功徳を具する
>や否や。

>答ふ、小児乳を含むに其の味を知らずとも自然に身を益す。
>耆婆が妙薬誰か弁へて之を服せん。
>水、心無けれども火を消し火物を焼く、豈覚えあらんや


南無妙法蓮華経の意味や難しい教学を正しく理解しないと功徳は得られないのかという質問に対し、大聖人様がそんな事はありませんよ。
意味や教義は理解出来なくとも唯南無妙法蓮華経と励むことで仏の悟を得ることができます。とお答えになっています。


その通りだと思います。


しかし、教学を研鑽する事は、また意味合いが違うと思います。

毎月の御講は何の為に皆さん参加されているのですか?

教学研鑽に対してこの御請訓をあてはめてしまうと、

御講に行く必要なんかないじゃないかとなってしまいます。



御書は何の為に学ぶのかというと、自身の信心を深める為であり、なによりも

大聖人様が『聖愚問答抄』で


   「今の世は濁世せなり、人の情もひがみゆがんで権教謗法のみ多ければ正法弘まりがたし。

         此の時は読誦・書写の修行も観念・工夫・修練も無用なり。

         只ただ折伏を行じて力あらば威勢を以もって謗法をくだき、又法門を以ても邪義を責めよとなり」


と仰られておりますとおり、法門を以って邪義を砕く為に学ぶものだと私は思います。

我々が折伏を実践していく際の最大の武器が、教学ではないでしょうか。


法華講員さんの中には、「自分たち在家が法を語るなんてとんでもない」と言われる方もおられますが、

では、あなたはどうやって折伏をしているのですか? と私は聞きたいです。

 

愚人さん

 投稿者:法介  投稿日:2016年 9月25日(日)16時36分13秒 p1139105-ipngn200808fukuokachu.fukuoka.ocn.ne.jp
返信・引用
  「臨死体験の解説本」読み終わったら感想などお伺いしたいです。死後の世界に関しては、私も色々意見を持っていますので、そのうちそういったテーマで語り合うのも面白いかもですね。

日寛上人の「六巻鈔」あたりに記述があるかなと思い、調べてみましたがないですね。

色々調べてみます。しばらく趣味の方を堪能されてください。ありがとうございました。
 

法介氏

 投稿者:愚人  投稿日:2016年 9月25日(日)15時44分35秒 om126186240167.7.openmobile.ne.jp
返信・引用 編集済
   セブンネットで臨死体験の解説本と微生物の解説本と選択本願念仏集の解説本を購入し受け取りにいってきたので、これから読み始めます。 自分は日蓮聖人の遺文に引用されている選択集しか、また、日蓮聖人の遺文によって作られた選択集のイメージしかありませんので、原文と現代訳文と解説文を読むのが楽しみです。なので、もし私宛に投稿なされても直ぐには返信が出来ないと思いますので了承して下さい。日蓮聖人の天台大師が薬王菩薩の再誕との話は「霊山同聴」「大蘇開悟」のキーワードで記事検索しダウンロードした論文の中にはありませんでした。薬王菩薩の再誕との話は、日蓮聖人の作り話だと思いますが、三冊の本を読み終えたら書籍なども購入して調べたいと思います。

 それと私は、日寛上人の十如是の三転読誦に関する教示を読んだ記憶はありません。
 

愚人さん

 投稿者:法介  投稿日:2016年 9月25日(日)14時26分14秒 p1139105-ipngn200808fukuokachu.fukuoka.ocn.ne.jp
返信・引用 編集済
  愚人さん、なるほど、そのような落ちがあったんですね。

愚人さんなら知っていて当然そうな質問をわざわざされてきたので、

不思議に思いながら返答した次第でした。

日寛上人あたりがこの件(3度読み)についてご指導されている文献は、ありませんか?
 

法介氏

 投稿者:愚人  投稿日:2016年 9月25日(日)14時25分10秒 softbank126094242064.bbtec.net
返信・引用
   御法主日顕上人猊下御説法

  十如是事(2)

 「其の故は百界と云ふは仮諦なり」。この百界の「界」ということは区切りを意味し、それぞれの果報によって世界が異なるということです。例えば魚は水の世界の生物であり、陸へ揚げれば死んでしまいます。そこに一つの境があり、区切りがあります。また、人間が水のなかへ入れば死んでしまいます。このようにそれぞれの果報によっての界が存するのですが、この十界、百界は差別の世界であり、因縁和合の姿でありますから仮諦ということになるのです。(中略)このように大小、善悪、すべてに徹底した差別が存するのです。この姿が仮諦であるとおっしゃっているのです。
 「千如と云ふは空諦なり」というのは、「如」に不異、つまり異ならざるという意味があるからです。すなわち、事々物々の一切に共通しておる実相実体の意義がある故に空諦であります。
 「三千と云ふは中諦なり」というのは、仮諦である百界と空諦である千如を兼ね具え、さらに五陰世間・衆生世間・国土世間の三世間を具えておりますから、円満な一念のなかに具わる実相を示しておるが故に中道であるということであります。このところは実に難しいところですが、この三千が一切を含み、通じているが故に中諦であると御理解いただきたいと思います。(大日蓮平成五年五月号55・56頁)
 

茄子の花氏

 投稿者:愚人  投稿日:2016年 9月25日(日)13時53分6秒 softbank126094231074.bbtec.net
返信・引用 編集済
   私は成人していて母乳ではなく牛乳を飲んでいます。牛乳の大まかな成分はパックに表示されています。  

法介氏

 投稿者:愚人  投稿日:2016年 9月25日(日)13時48分19秒 softbank126094242064.bbtec.net
返信・引用 編集済
   日蓮正宗が十如是を「仮諦読み」する理由です。

 御法主日顕上人猊下御説法

  十如是事 (2)

         平成元年六月三十日
         経王寺新築落慶法要の砌

 しかしながら、これは天台の法門であって、本宗では我々の命の実相の上から妙法を具現していくわけですから、我々の持って生まれた当体をもって、女は女、男は男、賢きは賢き、愚かは愚かなままで、そのまま妙法の命を顕すのであります。したがって、仮諦読みでいいのです。すなわち、我々の姿は仮の姿ではあるけれども、この仮の姿のまま凡夫身に妙法の仏性、仏の当体を顕していくという意義なのです。故に本宗においては、三諦読みに執われず、「如是相、如是性、如是体・・・・・・」と三回とも仮諦読みで読むのが通例であります。(大日蓮平成五年五月号57・58ページ)
 

はじめまして

 投稿者:法介  投稿日:2016年 9月25日(日)12時57分11秒 p1139105-ipngn200808fukuokachu.fukuoka.ocn.ne.jp
返信・引用
  茄子の花さん、はじめまして。

愚・妙・法 三氏とありますのでご返答させて頂きます。

新池御書に、

「有解無信とて法門をば解りて信心なき者は更に成仏すべからず、有信無解とて解はなくとも信心あるものは成仏すべし」

とありますとおりだと思います。
 

愚・妙・法 三氏

 投稿者:茄子の花  投稿日:2016年 9月25日(日)12時29分19秒 ag220-213-220-206.ccnw.ne.jp
返信・引用
  問ふ、其の義を知らざる人、唯南無妙法蓮華経と唱えて解義の功徳を具する
や否や。

答ふ、小児乳を含むに其の味を知らずとも自然に身を益す。
耆婆が妙薬誰か弁へて之を服せん。
水、心無けれども火を消し火物を焼く、豈覚えあらんや


 

愚人さん

 投稿者:法介  投稿日:2016年 9月25日(日)11時52分43秒 p1139105-ipngn200808fukuokachu.fukuoka.ocn.ne.jp
返信・引用 編集済
  三遍読に功徳まさる、第一に是相如と相性体力以下の十を如と云ふ如と云うは空の義なるが故に十法界皆空諦なり是を読み観ずる時は我が身即報身如来なり八万四千又は般若とも申す、第二に如是相是れ我が身の色形顕れたる相なり是れ皆仮なり相性体力以下の十なれば十法界皆仮諦と申して仮の義なり是を読み観ずる時は我が身即応身如来なり又は解脱とも申す、第三に相如是と云うは中道と申して仏の法身の形なり是を読み観ずる時は我が身即法身如来なり又は中道とも法性とも涅槃とも寂滅とも申す、此の三を法報応の三身とも空仮中の三諦とも法身般若解脱の三徳とも申す此の三身如来全く外になし我が身即三徳究竟の体にて三身即一身の本覚の仏なり、是をしるを如来とも聖人とも悟とも云う知らざるを凡夫とも衆生とも迷とも申す。


と一念三千法門御書にありますとおり、本来は3度読み繰り返す度に、

区切り方を変えて唱えるのが正しいやり方です。御説法でもよく語られる話ですし、古い学会員さんなんかも知っている人多いでしょうから、ぽんぽこ狸さんなんかはご存知でしょう。

是相如(空の義)
如是相(仮の義)
相如是(中道)


 

法介氏

 投稿者:愚人  投稿日:2016年 9月25日(日)11時26分24秒 om126161001126.8.openmobile.ne.jp
返信・引用
   因みに、勤行の時の十如是は、仮諦読みですか?。空諦読みですか?。中諦読みですか?。  

ぽんぽこ狸様

 投稿者:通りすがりの法華講員  投稿日:2016年 9月25日(日)10時29分44秒 p1892093-ipngn16501marunouchi.tokyo.ocn.ne.jp
返信・引用
  ね。ほら、反応するでしょ。
脳髄がうずくんでしょうね、頭破3氏(妙介様、法介様、愚人くん)は(笑)
普通恥ずかしくて反応しないんですが、快楽が先にくるようです(笑)
 

ほんぽこ狸様

 投稿者:法介  投稿日:2016年 9月25日(日)10時21分41秒 p1139105-ipngn200808fukuokachu.fukuoka.ocn.ne.jp
返信・引用 編集済
  愚人さん、ありがとうございます。参考にさせて頂きます。


ほんぽこ狸様、ご返答ありがとうございます。


なるほどです。そういうことなんですね、納得いたしました。


では、一念三千の法門の解釈が客観認識の(分別)説明になっている事は、どう受け止めたら良いのでしょうか?


ちなみに、私の所属寺院のご住職様に
私が書いた分別でもあり無分別でもあるという一念三千の法門の解釈の原稿をご指導頂こうと手渡しておいたのですが、
その後、副ご住職様から頭ごなしに「これはあなたの我見でしょ!」と物凄い勢いで怒鳴られまして、
私は何度も「間違っているのであれば、どこがどう間違いなのか、解るようにご説明頂けないでしょうか」とお願いしましたが、
ただ頭ごなしに怒鳴り返してくるだけでした。

納得のいかない私は、近くにある別の正宗のお寺を訪ねてみることにしました。

そちらのご住職様に事情をお話しましたところ、年配の穏やかなご住職は「読んでみましょう」と笑顔で受け取って下さいました。
その際にご住職様に「石田教学をご存知でしょうか?」と尋ねてみましたところ「ああ、石田教学ね」とご存知でしたので更に

「石田教学は間違いなのでしょうか?」と尋ねてみました。

なぜその質問をしたのかと言いますと。同じ質問を所属寺院の副ご住職様にも以前にした事がありまして、その時のご返答は
「石田次男なんて男はクズですよ。あんな奴が書いた論文なんて読む価値もありませんよ」といったものでした。

しかし、こちらの年配のご住職様は笑顔で「間違いという程のものはではないのでは」と、良く石田教学をご存知のようでした。

数日後、読んで頂いた結果をご指導頂こうと、そのお寺を再び訪ねました。

ご住職様が「原稿読ませて頂きました」と私に話しかけて真っ先に言われたことは

「これを読んで所属寺院の副ご住職は、なんといわれたんですか?」という内容でしたので、

「あなたの我見でしょ」と言われたままをお伝えしました。

それを聞いて、ご住職様は「間違ってはおりません」とご返答され、

確認する意味で私が「一念三千の解釈も間違っていませんか?」と尋ねると、

「間違っておりません」と言ってくださいました。





現在は、そちらのお寺に通わせて頂いているのですが、その際に所属寺院のご住職様に宛てた私のお手紙の内容をここに貼り付けておきます。





■■■住職様(私の所属寺院)

先日は、長時間に渡り、私事にお付き合い頂き心よりお礼申し上げます。

あの時お渡ししました2回目の原稿こそが私が声を大にして訴えたい内容でございます。大聖人様の御法門は、あくまでも「己心の法」であるにも関わらず、なぜに宗門も「池田大作が悪の根源だ!」などと言って心外に悪を実体化(池田大作氏及び学会員)して攻撃するのでしょうか。

大聖人様は、執権・北条時頼や時宗また平左衛門頼綱や極楽寺良観を悪人呼ばわりして個人攻撃をされたのでしょうか。御書の中では、「法華経の敵を見ながら置いてせめずんば、師檀ともに無間地獄は疑ひなかるべし。」「謗法を責めずして成仏を願はゞ、火の中に水を求め、水の中に火を尋ぬるが如くなるべし。」(曽谷殿御返事)、「日蓮つよく法華経の敵を責むるによて一時に聚まり起こせるなり。」(佐渡御書)とありますように、「法華経の敵」や「謗法」を攻めなさいと言われています。

更に、「我が心身より外には善悪に付けてかみすぢ計りの法もなき」(十如是事)と対象の方には善も悪もない(無我・無自性)とも言われています。従って池田氏を悪だとして実体化(有我・有自性)する行為は、「外道は一切衆生に我有りと云い仏は無我と説き給う」(一代聖教大意)との御指南に反するものと思われます。
そのような行為こそ、「故にかくの如きの人をば仏法を学して外道となると恥しめられたり、爰を以て止観には雖学仏教還同外見と釈せり」(一生成仏抄)ではないのでしょうか。

私からみて創価学会も日蓮正宗も互いに相手を罵り合ってる時点で、明らかに教義から逸脱している(心外の法になっている)としか思えません。学会の教学逸脱(客観的に法門を展開している)の原因は現代教育(客観教育)の弊害であると原稿に結論づけましたが、それは学会に限った事ではなく同じように現代の客観教育を受けて育たれた宗門の御僧侶方に於いても同じ事が起きていると思います。その根拠は、互いに罵り合ってる現状以外にも、私が提示し破折した「池田氏の三諦論」、これは昭和40年代に学会から出版された御義口伝講義に掲載されているものですが、監修されたのは御先師日達上人です。戸田先生の「生命論」の中でも、客観的に解釈されたおかしな三諦論が存在します。と言うよりも「生命論」自体が「仏法哲学」という名で大々的に客観展開されていたという事実を教義指導する立場にあった宗門はどのように受け止めておられるのでしょうか。

我々が戦うべき対象は、現代教育(客観主義)に潜む「我有り・実態有り」の「心外の法」であるところの「外道の法門」ではないかと私は思います。
法華講員さんが池田大作さんや学会員さんの事をまるで悪人のように語っておられるのを度々耳にしてきました。実際、慧妙にもそのような記事が沢山記載されています。繰り返し言わせて頂きますが、大聖人様の仏法では、外に善も悪も無いのです。
学会にいた頃は、池田さんのことを人生の師匠として尊敬しておりましたが、その頃の自分が愚かだったなと反省すると同時に、未だにその池田さんを崇拝して信心している兄や姉を救ってあげれない自分が不甲斐無いとも思います。
何とか救ってあげたいと日々信心に励んでおりますが「己心の法」の信心を実践している私にとって、池田さんがどうのこうのと言った話は全く関係ありません。

○○寺法華講に私がなかなか馴染めなかったのは、講中に学会員さん達の事を悪く言う雰囲気が充満しているからです。私の知る学会員さん達は亡くなった父母をはじめ兄弟、親戚そして関わってきた多くの学会員さん、みんな良い人ばかりです。そういった学会員さんの事を「ヤツラ」呼ばわりされる事に私はこれ以上耐え切れません。

「脱寺」という言葉があるのかどうかは解りませんが、先日お話しました通り、私と妻と次男の三人で○○寺を出て行くことを決意いたしました。これから三人で△△寺の門を叩いてみます。

長男と長女はひきつづきお世話になりますが、○○寺の方々は皆さん良い人ばかりなので、私は安心して大切な子供達をおまかせできます。特に今から法華講青年部で信心をはじめる長女には、講中においては「■■さんを法華講の母と慕って、■■副御住職、■■青年部長にしっかりとついて行きなさい。そして困った事があったら、ご住職を父と思って相談にのってもらいなさい。」と伝えております。まだまだ至らぬ所ばかりの二人ではありますが、ご指導の程宜しくお願い申し上げます。またこのような勝手極まりない私の我がままをどうかお許し下さい。

最後にご住職に私の信念をお伝えしておきます。

「折伏とは教義の誤りを折り伏せることであり、決して個人を罵る行為などではない。」

                                        以上
平成28年2月11日

                                            ■■ ■■

 

講談社学術文庫刊 中村元著 『龍樹』 より

 投稿者:愚人  投稿日:2016年 9月25日(日)10時04分14秒 softbank126094220113.bbtec.net
返信・引用 編集済
   法介氏。参考にして下さい。

 このように空といい無自性といっても、ともに「縁起」を意味しているのであるから、空観はしばしば誤解されるようにあらゆる事象を否定したり、空虚なものであるとみなして無視するものではなくて、実はあらゆる事象を建設し成立させるものである。『中論』によれば、
 「空が適合するものに対しては、あらゆるものが適合する。空が適合しないものに対しては、あらゆるものが適合しない」」 (第二十四章・第一四詩)
という。ナーガールジュナの著『異論の排斥』においても、
 「この空性の成立する人にとっては、一切のものが成立する。空性の成立しない人にとっては、何ものも成立しない」
といって同趣意の思想をいだいている。(中略)すなわち一切皆空であるが故に一切が成立しているのであり、もしも一切が不空であり実有であるならば一切は成立しえないではないか、というのである。(同書238頁から239頁)
 

新手の創価員による【掲示板荒らし】である。

 投稿者:黒川 和雄@日蓮正宗  投稿日:2016年 9月25日(日)09時51分40秒 p1137-ipbfp2603osakakita.osaka.ocn.ne.jp
返信・引用
  ◎初投稿の方は、所属宗派・教団を名乗って下さい。
尚、所属不明者の投稿については警告の上、順次削除致します。

◎当室は日蓮正宗と他宗・他教団との法論を主としておりますので、
無宗教 の方は御遠慮下さい。
 

ぽんぽこ狸様

 投稿者:通りすがりの法華講員  投稿日:2016年 9月25日(日)09時36分41秒 p1892093-ipngn16501marunouchi.tokyo.ocn.ne.jp
返信・引用 編集済
  頭破3氏(妙介様、法介様、愚人くん)は創価脳ですので、人の話や文章などを正しく理解することができません。
我見・思い込みが先にきますので、何を言っても無駄ですね。
せっかく、創価脳で学会名物ポンポン踊りをして自身の境涯を晒してますから、ここは見物しておけばいいと思いますよ。彼らは今脳髄が疼いて怒りと苦しみの快楽の最中ですから、快楽を謳歌してあげる方が幸せだと思います。

また、脳髄が疼いて「ポンポン!ポンポン!」と快感コメントを書いてくるでしょうけど(笑)
反論の内容も、彼らは思い込みで理解できませんから、書くだけ法を下げると思います。

こう書くと「法を下げる」に反応するかも(笑)

管理人様
いつもご迷惑をおかけします。
哀れな頭破3氏の脳髄快楽コメントはまとめてご削除ください。
 

他山の石

 投稿者:ぽんぽこ貍  投稿日:2016年 9月25日(日)09時30分45秒 FL1-119-242-223-56.hyg.mesh.ad.jp
返信・引用
  以下は日蓮正宗や創価学会を批判しておる他門の僧侶のブログの一部で有りますが、以下に他門の葬式坊主が堕落しておるかが述懐されています。
それに引き換え一部の例外はあるものの当宗の御尊師方は権勢有力者に媚び諂うこと無く行軆堅固で頑固一徹な方が多く信心に精進するうえで誠に持ってよい環境を与えて頂いて居ると思います。

(参考)
ttp://www.kempon.net/shumonGenjo.html
 

平等界;仏教用語

 投稿者:ぽんぽこ貍  投稿日:2016年 9月25日(日)06時56分48秒 FL1-119-242-223-56.hyg.mesh.ad.jp
返信・引用
  仏教語辞典を調べました所平等界(ぺいとう)とは一切の差別(しゃべつ)のない真如の世界と有ります。
真如を調べますと真空妙有と出てまいりましたのでなんぞやということで又調べました。


(真空妙有)

仏教用語。真如があらゆる妄想を離れて空であるところから真空といい,常住不変であって仮有ではなく真実の有であるところから妙有といわれる。また真の空が現実世界の種々の妙なる姿を展開することをいう。

****************************

なんら日顕御隠尊猊下の御説法の内容と矛盾しておるようには見受けられません。
あらゆる妄想を離れて空であるところから真空という反省判断と一切の事物には実体がないという事と内容的にはなんら変わらないと思いますが。

真実の有を宇宙霊の一実体等と解釈してしまう池田大作のようなことになりますと仏法が仏法に非ざるものに変質しますのでご注意下さい。

 

 投稿者:法介  投稿日:2016年 9月25日(日)02時00分39秒 p1139105-ipngn200808fukuokachu.fukuoka.ocn.ne.jp
返信・引用 編集済
  >因みに日蓮正宗の阿倍日顕氏も空を平等、仮を差別、中を差別即平等とし、それそれ平等、自由、尊厳ともしています。

どうやら、そのようなことが最新の書籍の中でも見受けられますね。

となると、

日蓮正宗の教学

  〈空諦〉

   精神のあるものも、ないものも、一切世間のものはすべて因縁によって生じており、
   因縁によって生じる事物は、それ自体に実体はないとし、これを空と説いています。
   つまり、一切の事物には実体がないという真理を空諦と言うのです。


日顕御隠尊猊下

     「三諦」とは空・仮・中であり、そのうちの仮を取れば、あらゆる存在は因縁が異なるので、
      すべてが差別し相違している。すなわち十界は、ことごとく各別の相を表している。
      次に空を取れば、あらゆる物事は互いに具し合っているので、その通同の辺において互具円融し、
      すべてが平等である。
                                  ( 平成27年4月28日 初版発行 三大秘法義 )


と、正宗内で解釈に相違がおきていますが・・・


私的には、「空」を「平等」と解釈してしまうと「無我・無自称」つまり、「一切の事物には実体がない」にならないと思うんですけど。
 

Re: 妙介さん:懲戒処分規定

 投稿者:ぽんぽこ貍  投稿日:2016年 9月25日(日)01時15分58秒 FL1-119-242-223-56.hyg.mesh.ad.jp
返信・引用
  ◇信者への懲戒

日蓮正宗の宗規・第二百四十六条では「住職又は主管は、所属の檀信徒が次の各号の一に該当するときは、総監の承認を得て、除名に処することができる」と規定している。

① 教義上の異説を唱え、又は信仰の改変を企てたとき。
② 管長その他の本宗の僧侶又は寺族を誹毀又は讒謗したとき。
③ 本宗の法規又は寺院若しくは教会の規則に違反したとき。
④ 管長その他の本宗の僧侶又は寺族に対し、その職務を妨げ、その他不正行為をなしたとき。
⑤ 寺院又は教会の財産に関して不正行為をなしたとき。
⑥ その他本宗、寺院又は教会の秩序又は平穏を乱したとき。

***********************************************

上記規定を勧戒式が終わり次の週に頂きましたが、妙介さんは頂かれなかったでしょうか。
まともなご住職様でしたらきちんと説明される筈です。
総監の承認を得てと有りますが懲戒の判断は警察組織と同じく現場裁量に任せるというのが了解事項で有ります。
寺院出入り禁止は未だご住職の寛大さが伺える措置かとも言えます。
学会時代でしたら、金銭的に金づるを失いたくないので除名処分には絶対致しませんが、本部長裁量で座談会、本部幹部会出席禁止は確実です。
それより恐ろしいのは罵詈讒言の風評被害。
ご経験がお有りだと存じ上げます。
比較対照するのも何ですが、創価学会よりも遥かに寛大な目で信徒を見ているというのが私をも含めた感想であります。
どういう経緯であるのかは、所属も状況もわからないの推測でしか判断出来ませんが、上記規則が有ります事をお伝えします。
 

愚人さん

 投稿者:法介  投稿日:2016年 9月25日(日)01時10分52秒 p1139105-ipngn200808fukuokachu.fukuoka.ocn.ne.jp
返信・引用 編集済
  なるほど、愚人さんの情報処理能力は関心します。

人間って実は愚かじゃないですか。

愚かなくせに、解った風なことを言いたがる。←こいつも^^

でも愚かさを熟知している人は、簡単に物事を断定しない。

だって間違っていたら因果応報で自分が責任をとらされる訳ですからね。


噂や憶測で物事を判断しない!



う~ん、間違いない!

 

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