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邪宗の阿呆へ

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 9月29日(木)22時36分32秒 i125-202-241-233.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  そんな事はどーでもよい。

貴様の所属宗派を宣べよ。

そして、貴様が手を合せている本尊を此に示せ。

さすれば、当方、喜んで貴様の相手になってやろう。

よいか。これは規則である。

呆哀。貴様は其の様な事も領解出来んのか。

ならば論ずる資格なし。早々に遁逃するがよい。

ったく、木蔭から顔を出して悪口する其のさもしさよ。哀笑。

堂々と致せ、堂々と!

尚、次回に於いて親告せねば、貴様の投稿は全て削除の対象とする。

其れでは詰まらんだろう。哀笑。

よいか。

嫌がらせは、小心者のやる事である。

しっかりしなさい。
 

濁中の小善

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 9月29日(木)18時11分3秒 i125-202-241-233.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  今や、創価学会員が、我が富士門徒に法論を挑む事などは、其の余りの落差(本尊義の正邪)に於いて有りよう筈もないが、
いや、もし、挑む者があるとすれば、其の者こそ自教団の教義に疎い阿呆ともなろう。とまれ、富士門教義の根本に於いて、
創価学会は自滅し、最早、其の持する教義などは、我が興門正統からして、其れこそ鼠の屁にも成らない程に幼稚な教義に
成り果てて、其れを懸命に繕(つくろ)うとする執行部の姿こそが、真(まこと)に哀れでならないのである。

爾して今後、創価学会員が我らに対するは、教義教学の類(たぐい)などではなく、あの者がどーした、こーした、という、
所謂、人身攻撃の其れしか無いのであろうが、まぁ、連日、これら創価学会員の文句などを垣間見るに、何やら真っ当な
文句を述べている連中が居て、其れこそは、汚濁の中に落ちている小枯の花とも思えるは、果たして当方一人であろうか。

して、そんな小枯の花が云く、

>宮田は釈迦教団の・・の流れを汲む大聖人の仏法という解釈で問題なしと・・。
>つまり、大聖人の法華経は釈迦教えの一つだから、釈迦を信望する教団同士だから仲良くしなさいと・・言った?

>実際のところはわからんが、関連性があるように思える。
>奴には、自受用身如来の御本仏。三身即一の御仏身がわからん。

続けて云く、

>欧州では既に、大聖人の出世の本懐は民衆仏法の確立。
>そして、欧州では大聖人なんて誰もしらんとか・・言ってたな・・
>仏教は釈迦(ゴーダマ・ブッダ)と理解されているとも抜かしてた・・あれを聞いて私も心から、
>こいつはバカ学者だと思った。

小笑。

うむ。創価学会教学部顧問の創大宮田の我義について其の無知を追及し、其の余りの無知を指して『バカ学者』と
評するなどは、応に創価汚濁の中に於いて秀逸の一言といえよう。

言うまでも無い。

久遠元初の自受用報身如来にして本因妙の教主、つまりは、一身即三身、三身即一身にして三世常恒の御本仏こそが
日蓮大聖人であり、其の持する所の法こそが、釈迦牟尼仏が菩薩道を行じていた時の本因の一法であり、実(げ)に
其の本因の一法は人法に於いて即一であるから、今時末法に於いても日蓮大聖人こそが久遠の仏と相成るのである。
爾して「久遠即末法」とは応に此の事をして云うものである。

又、ヨーロッパに於いて、日蓮大聖人の出世の本懐は、熱原農民の信心にこそ在った、などと宣伝している様だが、
熱原農民の殉教の姿と、将来戒壇の大御本尊の御建立とは実に表裏体一のものであり、日蓮大聖人は其の事をして
出世の御本懐とされたのである。仍って日蓮大聖人は、其の大御本尊御顕発の契機と成った熱原法華講衆に対して
『敬白』の一念を以って認(したた)められたのである。

ったく、其の様な道理をも領解せず、私義我義の屁理屈を捏ね回す宮田をして『バカ学者』とは、よくぞ申した。
興門正統の信者として、そこは褒めてしんぜよう。応に濁中の濁ならぬ濁中の小善を褒めるとは、実に此の事をして
言うものである。


【付録】

>婦人部の方が、お盆の法要でどうしても僧侶が必要なため、改革同盟の僧侶を誰か紹介してもらえないかと組織や会館に
>聞いたところ、「改革同盟はもう関係ありませんから。」と言われ、紹介してもらえなかったそうだ。
>「改革同盟って、何かあったんですか?日顕宗に戻ってしまったのでしょうか?」と尋ねられたが、そんな話はこれまで
>聞いたことがない。今までは、改革同盟の僧侶の派遣を依頼したい場合、組織や会館から紹介してもらっていたため、
>この返答に驚いている。

呆笑。

日蓮正宗改革同盟。青年僧侶改革同盟…。

はてさて、どっちの改革同盟かいな。因みに憂宗護法同盟という「へばり糞」も存在しておるが…。

果たして、何で三つもあるのか。哀笑。

元は住職だ、俺たちゃ非教師だ…。そんなら別々に作ろうかい。

呆笑。

在家に媚を売る佞僧達…。日蓮大聖人が最も忌み嫌う禿人の姿そのものである。呆怒。

して、そんな何々同盟らが云く、

『「法体の血脈」というとき、その「法体」とは本門戒壇の大御本尊以外には有り得ません。ゆえに、日寛上人が
「法の本尊を証得して、我が身全く本門戒壇の本尊と顕るるなり(中略)題目の力用に由るなり』と示されている通り、
一切衆生の成仏を説かれた大聖人の仏法では、法主に限らず、全ての門下僧俗が「題目の力用」によって「法体の血脈」を
受けられるのであります』と。【平成5年8月23日 決議文】


加えて云く、

『大聖人直結の信心を貫かれた日寛上人の御本尊は、創価学会が授与するにふさわしい御本尊であるということであります。
今回のお形木御本尊は、日寛上人が大聖人出世の本懐たる「一閻浮提総与」の大御本尊を御書写されたものであり、
「大御本尊根本」の信心は、従来と些かも変わりありません』と。【同上】

受けて池田名誉会長が云く、

『大聖人の出世の本懐である一閻浮提総与の大御本尊が信心の根本であることは、これからも少しも変わらない』と。

                                  【平成5年9月16日、アメリカSGI最高会議】


果たして、これらも濁中の小善と言えようか。

而して、汚濁謗法の組織に身を置きながら、富士門の正義を唱えようとも、其(そ)は仏法からして詮無き事であるという
事を、お主らは能く能く識るべきであろう。

実に『盲眼がごとくなる当世の学者』とは、御本仏日蓮大聖人の御言葉であるが、其れこそ、教法の浅深を識らぬ者が、
事象理の浅深を弁えるなど出来よう筈も無いのである。

仍って申さく『世間の学者仏法を学問して智慧を明らめて我も我もとおもひぬ。一生のうちにむなしくなりて、
ゆめのごとくに申しつれども、唯一大事を知らず。よくよく心得させ給ふべし』と。【新編 1053】

【意訳】

世間の学者などが仏法を勉強して、どいつもこいつも智慧を得たと思い、其れこそ、一生を無駄にして
夢のような事を言っているが、結句は、一大事の秘法を識らない夢中言の其れであり、其れら学者をして
盲眼学者というのである。我々(富士門徒)は其の事を能く能く知るべきである、と。


はてさて、一大事の秘法とは何ぞや。

創価によれば、其れは人法体別のものであるという。

哀笑。

さても、日寛上人の御教示を蹴飛ばし、戸田先生の本尊指導に唾を吐き、池田センセーによる永遠の指導を
踏み躙(にじ)って、一体何処(いずこ)に往こうとするか。哀哀。

当に糸の切れた凧集団…。

今日も今日とて、釈迦本仏主義の宿坊板に小言を寄せて、我こそ法類の一員なりと自負する其の哀れなる姿よ。哀哀哀。

果たして、濁中の小善が汚濁から脱し、清流の下に大善と成るは一体何時の日であるのか。

日蓮大聖人に曰く『或は心を移して身を移さず、或は身を移して心を移さず、或は心身共に移し、或は心身共に移さず』と。
以って曰く『伏して願わくは心有らん君子、愛憎の情を捨て諸宗の憑(よりどころ)を熟察せよ』と。

創価濁悪外道集団。

最早、鳳凰が棲む所に非ず。

速やかに脱会すべし!  
 

黒川殿

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 9月29日(木)17時06分13秒 i125-202-241-233.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  わざわざの御返事、痛み入ります。

正規のリモホを使った新手の荒らし…。

哀笑。いやはや、手を変え品を変えの策謀術…。

実に其れこそが小心臆病の姿でありましょう。哀哀笑。

尚、これからも、忙中に於いて時間が余った時などは、是非とも、当室へ御投稿下さい。

強信にして磊落。

黒川殿の御活躍には一目置いております。
 

如水殿

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 9月29日(木)16時59分21秒 i125-202-241-233.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  慰労の言を給わり、有り難く存じます。

お久しぶりでありますね。

お元気であられましたか?

いつも恭謙な如水殿。

宜しければ、これからも当室への御投稿をお願い致します。

近状の報告でも構いません。

どうか、お気軽に御投稿下さい。
 

大月天殿

 投稿者:黒川 和雄@日蓮正宗  投稿日:2016年 9月29日(木)12時21分49秒 p1137-ipbfp2603osakakita.osaka.ocn.ne.jp
返信・引用
  〇黒川殿、お久しぶりで御座います。

お久しぶりです。

これからも宜しくお願い申し上げます。

最近は串を使用せず、正規のリモホを使った新手の荒らしが来ておりますね。

裏で繋がった創価員であろうと思われます。

小心臆病な野郎は貴殿が登場すると、さすがにピタッとおさまりましたね。

我が寺院、誓願目標まであと数名となりました。お会式までには100%達成を目指し

頑張っております。

では

 

おかえりなさい

 投稿者:如水  投稿日:2016年 9月29日(木)11時23分35秒 sp49-98-61-67.mse.spmode.ne.jp
返信・引用
  大月天樣、長期間のご出張お疲れ様でした。  

通りすがりの法華講員殿、ぽんぽこ貍殿

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 9月28日(水)21時47分56秒 i125-202-241-233.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  お声掛け、痛み入ります。

懸念されている問題は、何もありません。

大丈夫です。

邪宗の僧、又は其の信徒、及び低級なる新興宗教の信者をして、虻だ、蚰蜒だ、阿呆馬鹿だ、と叱言しようとも、
何の問題もありません。其の理由は、当室の巻頭文に示されているとおりであります。

当方も、其れら邪宗人を総じて「オマエら」と呼び下し、馬鹿だ、阿呆だ、と呵弾しております。
まぁ、其の中に於いて、其れこそアンチな者共に対して、其の阿呆ぶりを叱り飛ばすなどは、当然の事と言えましょう。

今後とも、どうか宜しくお願い致します。


追申、ぽんぽこ貍殿。

新規立ち上げのフリートーク板。

多種多様な交論が楽しみであります。

当室の様な掲示板は、其の投稿に於いて色々と条件がある為、投稿を寄せる人数も、そして、閲覧される方々も、
他板からして極少となりますが、リモホの不開示も含めて、諸条件を緩和すれば、大勢の投稿者・閲覧者が
見込まれる事でありましょう。

ぽんぽこ貍殿の御活躍を、心から期待するものであります。
 

管理人様

 投稿者:ぽんぽこ貍  投稿日:2016年 9月28日(水)21時09分7秒 FL1-119-242-223-56.hyg.mesh.ad.jp
返信・引用
  今晩は。
お久しぶりです。
通りすがりの法華講員さんと同様に私のコメントにこの掲示板の趣旨に反します内容のものがありましたら、御削除ください。
この板の本来の趣旨と違う議論等は別のフリートーク板を立ち上げてその版で議論対話して頂く事にしました。
日蓮正宗と他宗・他教団との法論を主としておる趣旨の版としてこれからも監督ご指導下さい。
 

管理人様

 投稿者:通りすがりの法華講員  投稿日:2016年 9月28日(水)17時53分48秒 pw126245013130.16.panda-world.ne.jp
返信・引用
  お帰りなさい。

もし、私のコメントに法を下げる内容のものがありましたら、削除ください。
創価脳の輩相手とはいえ、閲覧者に不快な思いをさせ、御掲示板の品位を下げてましたら、ご迷惑になりますので、よろしくお願いします。
 

投稿者・閲覧者各位

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 9月28日(水)07時22分21秒 i125-202-241-233.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  約一ヶ月強の不在。

本日よりは改めて管理人の務めを果たす所存。

尚、其の不在となる以前の7月29日、当室に於ける投稿形式が、管理人による「確認後掲載」から
「即時掲載」に戻された事を、各位にお知らせしたのであるが、其の時、当方は以下の様に述べた。

云く、

*********************************************************************************

当室からのお知らせとして、本日まで当室は、投稿者各位からの投稿文を、一旦、管理人が受け留め、
当室の投稿規則に違反していない投稿文のみを掲載するという『確認後掲載』という形にしておりましたが、
本日今より、其の形を解除し、各位による投稿文が速やかに掲載される『即時掲載』という従来の形に戻します。

本より、此の形こそが本来のものでありますが、存知の如く、宿坊を首(はじめ)とする、所謂、アンチ日蓮正宗なる
阿呆どもが、己(おのれ)が所属する宗派教団を隠匿し、加えて、自身が尊崇する本尊と教義さえも親告せず、矢鱈、
ハンネを変えては串投稿を繰り返して誹謗する、其の遁逃悪口の醜態を防止する対処として、当室は敢えて確認後に
よる掲載として来たものであります。

無論、今回の解除によって、これらの痴れ者が嬉々として荒らし来るとは思いますが、当室管理人としては、
改めて、当方と対するならば、正々堂々、当室の投稿規則を遵守した上で、法論対論に挑むべしと、さすれば当方、
歓んで受けようと、此に再度宣言するものであります。

************************************************************************************

して、本日。

帰宅して早速に当板を閲覧す。

果たして、当方が不在となる以前に述べた事。

案の定、己(おの)が所属する門派教団をひた隠し、其の下に尊信する本尊と教義さえ言おうとせず、悪戯に私義我論を
専(もっぱ)らにして、我が門流の法義を疑難中傷している孑孑(ぼうふら)が居る。小鼻笑。

よいか聞け。

日蓮大聖人の仏法に於いて、無所属我論を捏ね繰り回すは、此れ全く法論の体と成らず、其れこそは全く遁辞の態相で
あるという事を、オマエらは識るべきである。

重ねて言おう。他門の法義を批判するならば、其の基(もとい)となる教義を、所属宗派の下に於いて宣言しなさい。

ったく、どの宗派にも属さない、しかも、其の論拠となる発想が自義我論の類(たぐい)と相成れば、実に其れこそは、
批判の為の批判、中傷の為の中傷でしかない、という事であり、だからこそ日蓮大聖人は、オマエらの様な疑難者に対して、
「其れは自義なるか」と問い詰められたのである。

ましてや、其れらの者共が、不信心の学者擬きであるならば、其れこそは、識に依って智を量らんとする驕慢謗法の其れ
であり、抑も、そーゆー連中に対しては、心より相手にせぬが当門の流儀である。

日寛上人、止観と大論をして曰く『設い身子の智慧と雖(いえど)も、能く測量する所に非ざるが故に「唯信のみ能く入る」
というなり。爾して曰く『自ら智慧を以て求めば得ること能はず。何を以ての故に。仏法甚深なるが故に』と。

だからこそ云う。「これ相伝の法門なり。君に向かって説かず」と。

したがって当室は、所属不明者及び無信仰の者については、其の私曲に於いては相手にせず。
専ら、日蓮宗各派及び他宗門、并(ならび)に創価学会・立正佼成会・天理教等の新興宗教に所属する者と対峙し、
又、其れら所属組織の下に、尊信する本尊と教義を対論の軸として、互いの宗義を決判せんとするものである。

よろしいか。実に、法論掲示板とは、其の事を以って謂うのである。

さて観れば、得体の知れない馬の骨が、アンチよろしく悪口を書き連ね、在る事、無い事、ベラベラと駄記し、
ならば一体、何処(どこ)の門派教団が正しいのか。果たして、其れさえも言おうとしない、否、其れさえも言えない、
そんな文献莫迦の者共が、彼の小樽問答に登壇した顕本長谷川が如くに、何のアイデンティティーも無い小理屈者の
権化と成って、其の無節操な醜態を晒しているのである。小鼻笑。

尚、此に於いて言おう。

今までは、串投稿の全てに於いて、其れを排除の対象として来たが、今後は番号のみの串投稿「例=185.80.102」を
削除の対象とし、あくまでも優先するは、投稿者に於ける所属宗派及び教団の親告と、其の下に尊仰する本尊と教義の
宣揚であり、其の事を以って新規対論の第一条件とするものである。

尚、串投稿への対処については、本日今より開始し、其れら無礼無法の投稿群を本日より遡って速やかに排除する由。
尚、例え正式なリモホであろうとも、所属不明者及び無信仰者の投稿群については、本日以降の投稿分から順次削除の
対象と致す所存。

各位にはどうか、其の事を承知の上、投稿戴きます様、此にお願いするものであります。


さて、

>ここは、創価の信徒さんと言葉遊びをする掲示板ですか?

とのご指摘を戴いております。本より当室は、新興宗教の信者や、無信仰学者の屁理屈を弄論する場ではなく、
あくまでも、正法正義を顕揚して門理正統を顕示し、以って五老門流を首(はじめ)とする日蓮宗、及び、一向宗、
真言宗、禅宗等の邪宗教、その他、小乗外道の部派を鋭意呵責するを目的とするものであります。
どうか、其の事を踏まえられまして、今後とも当室への御投稿を宜しくお願い致します。

>法論だから、法を述べなさいね。

御意。応にH27法華講員の言われる通りであります。

法論に於いて、法を述べずに自義を構えるは、これ全く法論に非ず。
其れこそは、単なる自慢義であるという事を知るべきでありましょう。

尚、法華講員殿には、長期に亘る不在を言えず。
此に改めてお詫び申し上げます。
以後は、しっかりと不在日数等を明示する様に致します。
因みに本年は、2、3日の留守は有ろうとも、長期に亘る不在はありません。

では、ここで改めて諸氏に御挨拶。

黒川殿、お久しぶりで御座います。

これからも、当室への投稿をヨロシクお願いします。

又、ぽんぽこ貍殿もお久しぶりで御座います。

其の後、如何でありましょうか。

学会二世として50有余年。

よくぞ富士門に帰伏されました。

応に現当二世の信心。

実に是れこそは、大御本尊に魂魄されし大義であります。

加えて、通りすがりの法華講員殿。

これからも、数多くの御投稿をヨロシクお願い致します。
尚、新しい掲示板を立ち上げられたとの事。
心より御健闘をお祈り致しております。

更に、憂国の武士殿、そして無名殿。

どうか、お時間の有る時は、当室への御投稿をヨロシクお願い致します。

さて、其れでは早速、板上のゴミ清掃に取り掛かると致しましょう。
 

ぽんぽこ狸様

 投稿者:通りすがりの法華講員  投稿日:2016年 9月27日(火)22時12分50秒 p1892093-ipngn16501marunouchi.tokyo.ocn.ne.jp
返信・引用
  沖浦氏参戦おめでとうございます。

仏教哲学(つまり我見。爆笑)を謳歌してください。
 

引っ越します。

 投稿者:妙介  投稿日:2016年 9月27日(火)21時51分20秒 pool-200-232.aitai.ne.jp
返信・引用
  ぽんぽこ狸さんのところに引っ越します。

こちらでの最後のご挨拶に、あちらでのデビュー書き込みをおいていきます。

[6] 分別と無分別
 投稿者: 妙介 投稿日:2016年 9月27日(火)21時37分12秒 pool-200-232.aitai.ne.jp  通報   返信・引用
管理人さん、こんばんは。妙介です。
相方がこちらに引っ越してきたようなので、ついてきました。
よろしくお願いします。

という事で、法介さん、こんばんは。
表題の件、分別と無分別についてですが、

分別・・・言葉で表現されたもの

無分別・・・体験

短い言葉で単純に言うと上記のようになります。

具体的な事例として、何か美味しい料理を食べることをイメージしてみてください。
料理を食べて、眼・耳・鼻・舌・身・意の六根で美味しいと感じる事、これが「無分別」です。

美味しいと感じた体験を「言葉」で伝えること、これが「分別」です。

美味しい料理を食べて美味しいと感じた体験と、そのことを表現した「言葉」には、
ものすごく大きな乖離があることは、経験上分かると思います。
これが「分別とは虚妄である」「分別虚妄」ということなのです。

ですので、法介さんが前の掲示板でしていた、赤ちゃんの喩えは、
チョット行きすぎというか、誤解があると思います。

ちょっと、批判めいた書き込みになってしまいましたが、
お互いがお互いを高め合えるような、
ボクシングで例えると、試合をしながらお互いが強くなっていく
「ミックスアップ」のような掲示板になるといいですね。

※同じ世代だから知ってますよね、「はじめの一歩」(少年マガジン)

以上、管理人さん、よろしくお願いします


 

ぽんぽこ狸様

 投稿者:通りすがりの法華講員  投稿日:2016年 9月27日(火)17時59分42秒 pw126152064185.10.panda-world.ne.jp
返信・引用
  *bukyotetugaku
○仏教哲学?
その掲示板終わってますね(笑)
 

ご通知

 投稿者:ぽんぽこ貍  投稿日:2016年 9月27日(火)14時26分7秒 FL1-119-242-223-56.hyg.mesh.ad.jp
返信・引用
  >>近年、当掲示板に於いて掲示板アラシやアラシモドギの投稿が多く見られます。
  本来の目的から外れた論議が多く誹謗中傷とも受け取れ兼ねない投稿も
  御座います。
  つきましてはフリートークの場として仏教哲学研究会なるスレッドを立ち上げました。
  宗派・無宗教を問わず仏教の教義や哲学の宣揚や論議等をして頂きたく
  フリートークとさせて頂きます。
  個人名の投稿や管理人が誹謗中傷の類、個人情報の漏洩と判断したもの以外は
  削除の対象とはしません。
  ご自由にご参加下さい。

  URLは下記です。

  ttp://6817.teacup.com/bukyotetugaku/bbs
  仏教哲学研究会
 

愚人くん

 投稿者:通りすがりの法華講員  投稿日:2016年 9月27日(火)11時56分20秒 softbank126021140221.bbtec.net
返信・引用
  *この話は推測するに、日蓮聖人が霊山同聴と大蘇開悟を結びつけて作った話であろう。
○要は君の我見ね。法論だから、法を述べなさいね。
 

観音・薬王の再誕南岳・天台

 投稿者:愚人  投稿日:2016年 9月27日(火)11時30分30秒 om126161053006.8.openmobile.ne.jp
返信・引用 編集済
   天台宗ホームページ

  【高祖天台智者大師】

  18才の時、出家に反対だった両親が亡くなり、兄の許しを得て果願寺で出家し、「智顗(ちぎ)」と名付けられました。そして一心不乱に修行し、23才の時、当時高名な光州大蘇山の慧思(えし)禅師を訪ね入門を許されました。禅師は「お前とわたしは昔インドの霊鷲山(りょうじゅせん)でお釈迦さまの『法華経』を一緒に聞いたことがある」と不思議な因縁を語り、再会を喜んだのです。(霊山同聴(りょうぜんどうちょう))。
 大師は『法華経』の重要な修行である四安楽行を教えられ、修行すること14日、薬王品の焼身供養の文に至って忽然(こつねん)と悟りを得ました。(大蘇開悟)。
 これを慧思禅師に報告すると、「これはお前とわたししか味わえない高い境地である」と絶賛したのです。
 この慧思禅師は、日本の聖徳太子に生まれ替わり『法華経』を弘めたといわれています。





 ■聖徳太子が南岳大師の再誕との記述はあるが、南岳・天台が観音・薬王の再誕との記述はない。ネットで閲覧できる研究者の論文にも聖徳太子が南岳の再誕との記述はあるが、南岳・天台が観音・薬王の再誕との記述はない。

 この話は推測するに、日蓮聖人が霊山同聴と大蘇開悟を結びつけて作った話であろう。
 

諦めの悪いのが創価脳

 投稿者:茄子の花  投稿日:2016年 9月27日(火)10時57分39秒 ag220-213-220-206.ccnw.ne.jp
返信・引用
  宿坊2でも寒い方が身内の擁護(したくてもできないレベル)なく、ここ半日くらい狸寝入りして
おりますが、そのうちに起きてくるでしょう。

執拗さ(自己主張)を、絵に描き、それを写真に撮り、額に入れて保存しているのが創価脳。
信仰=信じて仰ぐ事ができない十四誹謗の輩です。


 

法介様初め創価脳3氏

 投稿者:通りすがりの法華講員  投稿日:2016年 9月27日(火)09時24分1秒 pw126152064185.10.panda-world.ne.jp
返信・引用
  こちらの掲示板は、大月天様が示されている通り「法論」の場であり、計我・浅織で解釈した我見を述べる場でない事は理解しなさいね。

「お前の計我・浅織は聞いてない」

きちんと法論の意味を理解してコメントされた方がよろしいかと思います。法論の意味も理解できずに法を語ること自体が創価脳であり、その計我・浅織こそあなた方が脱会した創価脳なことに気づきなさい。
 

さようなら^^

 投稿者:法介  投稿日:2016年 9月27日(火)07時29分34秒 p1139105-ipngn200808fukuokachu.fukuoka.ocn.ne.jp
返信・引用 編集済
  中途半ぱが嫌いな性格なので一応「つづき」を投稿しておきます^^



ついでに前半部分で表現しきれなかった部分をいくつか補足しておきます。



生まれたての赤ちゃんには「分別」は無いと書きましたが、

ではなぜ「分別」がないのにお腹がすくと泣くのか、おしめが気持ち悪いと泣き出すのか。

それは、五陰世間という肉体が勝手に「分別」をおこなっているからです。



お腹がすいた・お腹いっぱい、気持ち良い・気持ち悪い


肉体の感覚がある限り、苦しみは完全に無くならないのです。

だってそうでしょ。自分で自分の皮膚をつねってみてください。「痛い」でしょ。

「痛い・痛くない」という「分別」です。


小乗仏教で行われた、瞑想は自身の煩悩(分別)を心の中から消し去ることによって

悟りの境地へとたどり着く修行で、火の上を走りぬけていく荒行などは感覚すらも無くしてしまおうという修行なのでしょう。

そういった大変な修行で自身の感覚すら完全に打ち消した時、

修行者はいったい何をもって意識として存在するのか。


自身の意識(分別)を完全に打ち消した時、(寂滅)

最終的に仏様の意識を共有したのではないでしょうか。


補足終わりー





では、お話の後半を続けます。


天台大師の「一心三観」は、「分別」と「無分別」のどちらにも偏らない「中観」という物事の見方、捉え方なので、

とおりすぎてしまった法華講員さんが言うように

目(五陰)があるからどうしても見えちゃうんです、実体が。


まして完全に「分別」を無くしてしまったら、


何をもって物事の「判断」をしたら良いのか、人々は戸惑いました。


だって、「分別」があるからどっちにするかの「判断」が出来る訳ですから。



そこで天台大師は「分別」にたよらない判断方法を法華経の中に見つけたのです。




それが「一念三千」という御法門です。




世の中は「分別」で成り立っています。だから様々な悩みや、苦しみが生まれてくるのです。

「分別」から「無分別」へものの見方を変えてご覧なさい。(一心三観)

そして仏様と感覚の共有(境智冥合)をしてご覧なさい。

仏様が、正しい判断をしてくれますよ。




それが「一念三千」なんです。




だから私たちは、勤行で方便品の「十如是」を三転読誦し、(分別から無分別へ)

自我偈を読んでお題目を唱えるのです(仏様の判断・仏の智恵)


 <自我偈>

 自我得仏来 所経諸劫数 無量百千万 億載阿僧祇
 常説法教化 無数億衆生 令入於仏道 爾来無量劫
 為衆生度故 方便現涅槃 而実不滅度 常住此説法
 我常住於此 以諸神通力 令顛倒衆生 雖近而不見
 衆見我滅度 広供養舎利 咸皆懐恋慕 而生渇仰心
 衆生既信伏 質直意柔軟 一心欲見仏 不自惜身命
 時我及衆僧 倶出霊鷲山 我時語衆生 常在此不滅
 以方便力故 現有滅不滅 余国有衆生 恭敬信楽者
 我復於彼中 為説無上法 汝等不聞此 但謂我滅度
 我見諸衆生 没在於苦海 故不為身現 令其生渇仰
 因其心恋慕 乃出為説法 神通力如是 於阿僧祇劫
 常在霊鷲山 及余諸住処 衆生見劫尽 大火所焼時
 我此土安穏 天人常充満 園林諸堂閣 種種宝荘厳
 宝樹多華果 衆生所遊楽 諸天撃天鼓 常作衆妓楽
 雨曼陀羅華 散仏及大衆 我浄土不毀 而衆見焼尽
 憂怖諸苦悩 如是悉充満 是諸罪衆生 以悪業因縁
 過阿僧祇劫 不聞三宝名 諸有修功徳 柔和質直者
 則皆見我身 在此而説法 或時為此衆 説仏寿無量
 久乃見仏者 為説仏難値 我智力如是 慧光照無量
 寿命無数劫 久修業所得 汝等有智者 勿於此生疑
 当断令永尽 仏語実不虚 如医善方便 為治狂子故
 実在而言死 無能説虚妄 我亦為世父 救諸苦患者
 為凡夫顛倒 実在而言滅 以常見我故 而生 恣心
 放逸著五欲 堕於悪道中 我常知衆生 行道不行道
 随応所可度 為説種種法 毎自作是念 以何令衆生
 得入無上道 速成就仏身


私が仏になってから経過した期間は、百千万億という長い時間です。

その間に教えを説いて数限りない人々を教化し、仏の道に導いてきました。


それから長い時間が経過しました。

人々を救うために、一度は(釈迦として)死んだ姿をとりましたが、 (生と死の分別------仮の姿

実際に死んだのではなく、常にこの世界にいて法を説いているのです。(生死を越えた無分別の世界


私は常にこの世に現れていますが、

神通力によって迷っている人々には、姿を見せないようにしているのです。


人々は私の死を見て、私の遺骨を供養し、私をなつかしく思い、慕い敬う心を起こしました。

人々が信仰心を起こし、心が素直になり、仏に会いたいと願い、そのために命も惜しまないように、

その時私は、弟子たちと霊鷲山に姿を現します。そして人々に語ります。


「私は常にこの世界にあり、不滅ですが、人々を導く手段として死んでみせたのです」と。

他の国土の人々も、私を信じ敬うならば、その人々のためにも、「私は最高の教えを説くでしょう」。


あなたたちはこれを信ぜず、私が死んだと思っています。

私がみるところ、人々は苦しみの中にあえいでいます。

だから姿を現わさず、すがる心を起こさせたのですが、

今私を仰ぐ心が起こったので、こうして姿を現し教えを説くのです。





というこれは私の勝手な解釈です。

私が思う事を意見として勝手に述べさせてもらっただけです。

HPはめんどくさいので立ち上げるの止めときます。

また、いつかどこかでお会いしましょう^^


さようなら







追記
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<法論の意味>

法論(ほうろん)とは、仏教の用語で、教義の解釈に関する議論のこと。

ただし、古より理路整然と行われることは殆どなく、一方もしくは両方が相手側の主張を全く聞かず、

自陣営の主張を押し付け、相手を誹謗中傷することに終始することが目的となりやすいため、

「法論はいずれが負けても釈迦の恥」という諺(ことわざ)が出来た。
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                                             (ウィキペディア)


う~ん、間違いない!^^



 

法介様

 投稿者:通りすがりの法華講員  投稿日:2016年 9月26日(月)22時34分40秒 p1892093-ipngn16501marunouchi.tokyo.ocn.ne.jp
返信・引用
  では、さようなら。
我見で能書き垂れるのは、十四誹謗ですので、ご注意を。
能書きの相手をするつもりはありませんので、どうぞ自慰行為をご堪能ください。
 

通りすがりの法華講員さん

 投稿者:法介  投稿日:2016年 9月26日(月)22時06分53秒 p1139105-ipngn200808fukuokachu.fukuoka.ocn.ne.jp
返信・引用 編集済
  では、つづきは自分でHPを立ち上げてそちらで勝手にやってます。

ttp://myouhou.up-jp.com/

板の皆さんお邪魔しちゃいました。失礼します!

妙介さん、私のHPの方で色々と意見を交わしてまいりましょうか。

愚人さんも気が向いたら遊びに来てくださいな。

ぽんぽこ狸様も^^

通りすがりの法華講員さんも・・・・こないだろーな^^

私としては、好きなキャラなんだけどなー

来て欲しいんだがなー

 

通りすがりの法華講員さん

 投稿者:法介  投稿日:2016年 9月26日(月)21時48分55秒 p1139105-ipngn200808fukuokachu.fukuoka.ocn.ne.jp
返信・引用
  確かに漢字間違えてますね^^

おっちょこちょいな性格なもんで失礼しました。m(_ _)m

で、本当に後は、不要なのね?
 

空仮中について

 投稿者:妙介  投稿日:2016年 9月26日(月)21時45分11秒 pool-200-232.aitai.ne.jp
返信・引用
  法介さんへのお返事です。

石田次男氏の「現代諸学と仏法」の中で、四句分別という論法を用いて
「空」「仮」「中」を「形式表現」出来るか、という考察があり、結論として、

「仮」=有(無)
「空」=非有非無
「中」=亦無亦有

という判断が示されています。
しかし、ここで示されている「空仮中」は数学のような形式表現にすぎず、
「仮諦」でも「空諦」でも「中諦」でもありません。

この事は、石田氏自身が著書の冒頭で、

「仏教一般の知識の内に<分別虚妄>という事が有る。「若し衆生・虚妄の説に因って法利を得と知れば(如来は)宜しきに随って方便として則ち為に之を説き給う」(『涅槃経』)・「故に知らんぬ迹の実は本に於いて猶(なお)虚なり」(『法華文句記』)と言う様に、「分別(直接判断・叙述判断・反省判断、一般に判断)というものは、得道に取って、時機相応の無分別法を説く分別以外は全て虚妄だ・と言う。」
と、言われている通りです。

「仮諦」「空諦」「中諦」と、言葉で「分別」している間は「諦」ではないのです。
「得道に取って、時機相応の無分別法を説く分別以外は全て虚妄だ」という事です。

仏様が覚られたのは「無分別」の法であり、言葉で伝えきれるものではありません。

仏様は意地悪で勿体をつけて教えないのではなく、
伝えても伝えても、どうしても伝えきれない部分が残ってしましまうのです。
この部分が「如来秘密」です。

それでも、言葉の限界を充分知りつつ、何とか頑張って伝えようとされる、
この仏様の慈悲が「神通之力」なのです。


結論としては、法介さんが引用されていた「十如是事」の御文の通りです。

「初めに如是相とは我が身の色形に顕れたる相を云うなり是を応身如来とも又は解脱とも又は仮諦とも云うなり、
 次に如是性とは我が心性を云うなり 是を報身如来とも又は般若とも又は空諦とも云うなり、
 三に如是体とは我が此の身体なり 是を法身如来とも又は中道とも法性とも寂滅とも云うなり」

「仮諦」とは大聖人様の「応身」であり、「空諦」とは大聖人様の「報身」であり、「中諦」とは大聖人様の法身なのです。つまり「御本尊様」の事なのです。


仏にあらざる我ら凡夫の己心を相手取って「空仮中」を論じることは、
いわゆる「天台」であり、時期不相応だと思います。
もちろん、その事を十分承知(義道の落居)していれば、構わないと思いますが。
 

法介様

 投稿者:通りすがりの法華講員  投稿日:2016年 9月26日(月)20時27分1秒 pw126152064185.10.panda-world.ne.jp
返信・引用 編集済
  いやいや。
身口意の三業の漢字を「心口意」と間違えてる時点で、仏様は「法介氏は、創価脳で髄液漏らしてる」と仰ってますから。
それが仏様の智慧なんですよ(笑)

後は不要です。時間の無駄ですから。

また、私は貴方を善悪で分別したことはないです。
邪推で妄想するのはやめなさい。
創価脳の快楽に浸りすぎですよ(笑)
言ってもいないことを言ったと思い込む。
それこそ創価脳だと言ったのです。
 

通りすがりの法華講員さん

 投稿者:法介  投稿日:2016年 9月26日(月)20時23分59秒 p1139105-ipngn200808fukuokachu.fukuoka.ocn.ne.jp
返信・引用
  最後に「つづく」って書いてあるでしょ^^

まだ、途中なんです。

落ち着いてください。

最後に色んなもの掲示しますから
 

法介様

 投稿者:通りすがりの法華講員  投稿日:2016年 9月26日(月)20時19分30秒 pw126152064185.10.panda-world.ne.jp
返信・引用 編集済
  貴方が書いた内容が仏様の仰ることと同じだという証明は?
お釈迦様が言ったんですよね?それを貴方が正確に理解できてるという証拠は?
身口意の三業の漢字すら間違えてる貴方が、お釈迦様の仰ることを理解できてるとは思えませんが。
ね。貴方の我見でコメントを書いたんですよね?

更に貴方、自分が書いたコメントの内容自体を正確に理解できてるの?できてるなら、どこがどう理解できているのか証明してくれますか?

言ったはずです。
我々は貴方の脳髄漏らした「学会名物ポンポン踊り」のコメントは無意味だと。

きちんと仏様が仰ることを書きなさい。

逃げずに説明しなさいね。
貴方が「待っとく」ように言ったのだから。

はい。
正確に仏様が仰ることを書きなさい。

漢字を間違えるような頭破れて快楽に浸る境涯の者が、お釈迦様の仰ることを正確に伝えられるとは思えないなー。
はい。証明してね(笑)
 

分別と無分別

 投稿者:法介  投稿日:2016年 9月26日(月)20時14分20秒 p1139105-ipngn200808fukuokachu.fukuoka.ocn.ne.jp
返信・引用 編集済
  「空」が無我・無自称を意味するのか平等を意味するのかの議論は後回しにして、

分別・無分別の話をしたいと思います。(取りあえず「空」を無我・無自称とみなす)




お釈迦様は、人々の苦しみの原因は分別にあると気づかれました。

分別とは、物事の善・悪とか綺麗・汚い、おいしい・まずい、便利・不便、

心地よい・心地悪い等、書き出したらきりがないくらい世の中に存在します。


人々は昔から暮らしを便利にしよう、豊かにしよう、そう思って様々な分別を作り上げてきました。

文字だってそうです。算数も理科・社会、世の中のほとんどのものは分別法でなりたっています。



しかし、人間が作り出したその分別が、原因となって人々は悩んだり、苦しんだりもしているのです。


結婚したけど友達の奥さんの方が綺麗でうらやましいなーとか、

あいつの方がいい車にのってやがるとか、

もっとおいしい物が食べたいとか。


人間の欲は実は分別があるから起きるんだ!

とお釈迦様は、気づかれたのです。



考えてみてください。

生まれたての赤ちゃんには分別はありません。

ただお腹がすいた時とおむつが気持ち悪い時だけ泣き叫ぶだけで、

それ以外の時は穏やかーな顔をしていますよね。

赤ちゃんには比べる物差し(分別)がまだ無いから、幸せでいられるんです。


だけど、成長していくにつれ、他人と比較されたり、進学する学校を比較されたり、

入社する会社を比較したりで、分別が身について行く程、悩みや苦しみが増えて行きます。


なのでお釈迦様は、人々からそういった分別を無くしてあげようと考えに考えてあみ出したのが、

「縁起の法門」と「因果具時」だったんです。そして人々に

「この世の万物は形をもつが、その形は仮のもので、本質は空(くう)だと判断していきなさい」

と説いたのです。決して


「あいつは創価脳だー!」とか、

「学会名物ポンポン踊りに浸っていますので~」(学会名物ポンポン踊りってなに?)

とか相手を善悪で分別しては、いけませんよーって
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お釈迦様が言ったのです!



そんな事したら、自身が心口意の三業っていう宿業を刻んでしまうんです。

だから大聖人様も(人の人格や人間性をどうのこうの言うのではなく)、邪儀を破折していきなさいとご指南されているのです。

要するに、お釈迦様は人々を

物事の見方、捉え方を「分別法」から「無分別法」へと導かれたのです。



紙に裏と表があってどちらも1つの紙であることには変わりがないように

「分別」と「無分別」、どちらにも偏らない物の見方・捉え方「中観」を

後の世において、天台大師が「一心三観」という言葉で諭されました。


しかし、「無分別」で物事を見ていきなさいって言われても

「目があるから見えちゃうんです実態がー」といって

天台大師を困らせる通りすぎてしまった法華講員さんという聞き分けの無い人がいたのです。

                                       つづく
 

通りすがりの法華講員さん

 投稿者:法介  投稿日:2016年 9月26日(月)18時38分49秒 p1139105-ipngn200808fukuokachu.fukuoka.ocn.ne.jp
返信・引用 編集済
  >理解しているならば、正しく説明してみましょう(笑)

説明しなくていいの?

難しい漢語(経典)を貼り付けるだけでいいのね

って、↓文章さっきと変わってるしー
 

法介様

 投稿者:通りすがりの法華講員  投稿日:2016年 9月26日(月)18時21分21秒 pw126152064185.10.panda-world.ne.jp
返信・引用
  貴方の我見は要らないから、仏様の仰る内容で説明してくださいね。また、それが仏様の仰る内容であること、それを貴方が100%理解した上で述べられているという証明も添えてお願いします。

貴方の我見は、我々には邪魔ですので、くれぐれも貴方の我見は挟まないように。

では、お待ちしています。
必ず、必ず説明しなさいね。自分で待っとくように言ったんですから。
逃げないように。
 

通りすがりの法華講員さん

 投稿者:法介  投稿日:2016年 9月26日(月)17時55分39秒 p1139105-ipngn200808fukuokachu.fukuoka.ocn.ne.jp
返信・引用
  じゃあ、解りやすい説明文を書くから待ってて  

法介様

 投稿者:通りすがりの法華講員  投稿日:2016年 9月26日(月)16時37分11秒 pw126152064185.10.panda-world.ne.jp
返信・引用 編集済
  創価脳で脳髄溢れた貴方の我見による浅織・不解は、私には無意味です。

そもそも、貴方は、貴方が提示した内容を正確に理解できて書いているのですか?貴方とのやり取りからは、貴方は貴方自身が提示している事を自身できちんと理解できているとは思えません。
理解しているならば、正しく説明してみましょう(笑)

せっかくの機会です。十四誹謗を謳歌しなさい。
 

通りすがりの法華講員さん

 投稿者:法介  投稿日:2016年 9月26日(月)15時47分54秒 p1139105-ipngn200808fukuokachu.fukuoka.ocn.ne.jp
返信・引用
  通りすがりの法華講員さーん!

後ほど「分別」「無分別」について論議しますので

この2つのサイトの「分別」「無分別」の解説をしっかりと理解しておいてくださいねー!
 

無分別

 投稿者:法介  投稿日:2016年 9月26日(月)13時09分52秒 p1139105-ipngn200808fukuokachu.fukuoka.ocn.ne.jp
返信・引用 編集済
  石田次男氏を師と仰ぐ中杉弘氏のブログの中に「無分別」の解りやすい解説がありました。
ttp://blog.livedoor.jp/nakasugi_h/archives/55601960.html

↑の最後の方で中杉氏が「南無妙法蓮華経」の解説をされていますが、これは完全に邪儀ですね。師匠の石田氏から「君は恐ろしい考えをしている」と言われた程の邪儀です。しかし、「無分別」の説明は解りやすくて参考になります。

(アドレスを張り間違えておりましたので修正しました。すみません)
 

分別

 投稿者:法介  投稿日:2016年 9月26日(月)11時56分44秒 p1139105-ipngn200808fukuokachu.fukuoka.ocn.ne.jp
返信・引用
  分別について解りやすく書かれたサイトを発見

ttp://www.otani.ac.jp/yomu_page/b_yougo/nab3mq0000000q85.html
(わかっているとは思いますけど頭にhを追加して開いて下さい)
 

妙介さんへ

 投稿者:法介  投稿日:2016年 9月26日(月)08時21分33秒 p1139105-ipngn200808fukuokachu.fukuoka.ocn.ne.jp
返信・引用 編集済
  >「仮諦」とは諦の字が付いていることでもわかるように「悟り」ですから、


「仮諦」仮の悟り(真実)とは百界    百界の相(縁起の法門を悟る)                       (差別相)分別

「空諦」空の悟りとは千如      百界を形成する因果具時の法(色即是空を悟る)              (無差別)無分別

「中諦」中の悟りとは三千
                  現在の自身の姿は仮の姿ではあるが(世法的に捉える自身の姿)、
                  仏様の仏界と衆生の九界とが境智冥合した悟りの境地から
                  捉えることが出来た時、自身が生まれてきた真実の意味に気づく。(一念三千の悟り)


マラソンランナーの例え話は三諦が円融してゆくさまを解りやすく表現したつもりでしたが、誤解が生じていますね。
↑の説明をくわえるなりもう少し丁寧な説明を開度考え直してみます。ご指摘ありがとうございました。助かります。


<十如是事>

「百界と云うは仮諦なり千如と云うは空諦なり三千と云うは中諦なり」


「初めに如是相とは我が身の色形に顕れたる相を云うなり是を応身如来とも又は解脱とも又は仮諦とも云うなり、
 次に如是性とは我が心性を云うなり 是を報身如来とも又は般若とも又は空諦とも云うなり、
 三に如是体とは我が此の身体なり 是を法身如来とも又は中道とも法性とも寂滅とも云うなり」


<一念三千法門>

「第一に是相如と相性体力以下の十を如と云ふ如と云うは空の義なるが故に十法界皆空諦なり
 是を読み観ずる時は我が身即報身如来なり八万四千又は般若とも申す、
 第二に如是相是れ我が身の色形顕れたる相なり是れ皆仮なり
 相性体力以下の十なれば十法界皆仮諦と申して仮の義なり
 是を読み観ずる時は我が身即応身如来なり又は解脱とも申す、
 第三に相如是と云うは中道と申して仏の法身の形なり是を読み観ずる時は我が身即法身如来なり
 又は中道とも法性とも涅槃とも寂滅とも申す」


「百界と顕れたる色相は皆総て仮の義なれば仮諦の一なり
 千如は総て空の義なれば空諦の一なり
 三千世間は総じて法身の義なれば中道の一なり」

 

通りすがりの法華講員様

 投稿者:茄子の花  投稿日:2016年 9月26日(月)03時11分30秒 ag220-213-220-206.ccnw.ne.jp
返信・引用
  >十四誹謗の輩につられて一緒に十四誹謗をしても詮無いことです。

まったくその通りですね、しかし、彼らは其れが分からない創価脳
以後相手にしません。
 

返答

 投稿者:法介  投稿日:2016年 9月26日(月)01時21分48秒 p1139105-ipngn200808fukuokachu.fukuoka.ocn.ne.jp
返信・引用 編集済
  妙介さんへ

郵便届くの楽しみにしてます^^

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友人と喧嘩別れしたランナーは家に帰って勤行をはじめます。最初は腐った水を放置しておいた友人に対する怒りで一杯でしたが、唱題していくなかで御本尊様の仏界の境地に感応し、怒りも静まり空の真理を得る (空の義で読む十如是) ことで、「物事には実体はない、友人の方に問題があるのではない。」と己の心と向き合う姿勢が出来ます。

そして、腐った水に気づかなかった自身のふがいなさを反省し「明日、友人に謝りに行こう!」という一つの悟り (中の義で読む十如是) を得て、友人との仲は修復されました。
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(中の義で読む十如是)=  (ご本尊様と境智冥合)





愚人さんへ

ほう。ほう。「前世を語る子供たち」の話は知っていますが、「中間生」なる言葉は始めて耳にする言葉で大変興味あります。

3年程まえでしたか、アメリカのどこぞの研究者が死後の世界があるという研究の結果を学会で発表されたニュースがありましたが、

もしかしてその本がそれかな?

これは、私の勝手な考えですが、

人間生きている間は自身の五陰世間が存在しますので自身の肉体がベースとなって様々な外界の情報を感じ取って生きています。

しかし、死後も意識が存在するのであるのならば、その意識はいったい何をもって意識として存在しているのかと、考えた時


例えば

病院で死にかけて助かった人の話なんかでよく聞く話が

「肉体から自身が抜け出して手術台で手当てを受けている自分の姿を客観的に見た」といった話です。

これ私が思うに、

その場にいた自分以外の意識(五陰)を感じ取ったのでは、ということです。

解りますかね、言ってる意味。

   自身の五陰が機能停止→そばにいた他人(看護師とか)の五陰を共有した

だって死後も意識が存在するということは、なにかしらの情報をキャッチするベースがないと意識の変化はおきません。

自殺した人が自縛霊となって苦しみ続けるとか言いますが、自分の五陰が消滅するわけですので、

苦しみの状態のまま、意識が変化出来ないままに苦しみ続けると言う事になる。

では、死んだ人は何を持って意識として存在しているのかと考えるに、

生きていた頃、もっとも執着が深い(愛着かな)人物の五陰を共有(ずっとなのか、時としてなのか)して存在しているのではないかと思ったりします。


家族が先祖の事を追善供養する行為ってそうゆうことなのかなって


         御宝前に母の骨を安置し、五体を地に投げ、合掌して両眼を開き、尊容を拝し、歓喜身に余り、
              心の苦しみ忽ち息む。 我が頭は父母の頭、我が足は父母の足、
              我が十指は父母の十指、我が口は父母の口なり、

                                                         忘持経事


ほんほこ狸様

>青年部のスパイ活動に従事して居りました私でありましたが

気になるお言葉^^


大爆笑さんへ

>池田が、法華経の敵でなかったら
>法華経の敵なんてどこにもいないよ

池田さんが説く「邪義」(外道義)でしょう


 

大白法;老僧の御教導

 投稿者:ぽんぽこ貍  投稿日:2016年 9月26日(月)00時47分29秒 FL1-119-242-223-56.hyg.mesh.ad.jp
返信・引用
  日蓮大聖人の仏法を釈迦牟尼仏や天台大師の仏教の焼き直しと捉えては何ら智解を得る事は出来ないと日蓮正宗O住職より昭和の50年台にご教導頂きました。
義道の落居なくして天台の学問致すべからず。との日興上人の御遺戒置文にも有ります。
義道とは大聖人様の御内証の南無妙法蓮華経の法体。
即ち一大秘法の御本尊様を信授する事であるとのご教授でありました。
教学がなくとも赤子が乳を含めば成長するように素直に持ち受けて題目を唱えれば即身成仏の境涯が湧現する。
只末法の荒凡夫は邪智に満ちているのでそういう単純明解なことも出来ない。
そのために日目聖人に変わって御法主上人や愚僧ごときが手綱引きとして大聖人様にお仕えしておる。
斯様に申されて居りましたが、教学をやる上での注意点を聞いてメモして居りましたので
投稿させて頂きます。

①釈迦仏教の要点は如是三事。從本空無。非我眞我。云何於是而生愛染。觀是三事。爲繋所縛飄流苦海。以如是事。常自呵責。三大諦者。 一謂菩提之道。是平等諦。非不平等諦。二謂大覺正智得諦。非邪 智得諦。三謂慧定無異行入諦。非雜行入諦。
と法華経の十如是、寿量品の大事に尽きる。宗門の相伝にも十如是の諸法実相の秘法があると伝え聞いておる。十二箇条のご相伝の中身は儂は知らんが猊下様にのみ相承されておるので猊下様の御内証は生身の大聖人様と拝しておくことも大事であるぞ。無論欠点も有り有徳の方々ばかりでは無き場合も有ろうが相伝の器であるが故に尊いのは間違いない。

②儂らは小僧の時分よりいろんな猊下様にお仕えし爾来数十年仏飯を喰んでいる身ではあるが、天台や御遺文も仲々手に入らない仲で師僧や猊下様の教えを頂き仏法を学んできた。昭和の戦後に御書全集や相伝書が発刊されたが儂らの学んできた仏法は何一つ御遺文や三大部に反する様な教えでは無かった。
反ってそれらが仏法の教えの正しさを証明するとさえ言えるものだった。

③創価学会は罰功徳論で教勢を拡大し我が宗も目を疑う様な豪華絢爛なものになった。素晴らしい組織力で多くの青年が我が宗を盛り立ててくれた。反面猊下が憂慮されているように○?本仏論というもんが根強く蔓延って来ておる。
儂も訪ね来る青年部と話し込んだりして時を過ごすことも有るのだが、一つ心配しておるのが師匠が地獄へ行くなら私も行っても構わんという莫迦者がママおるんだ。
法を信じきれておらん証拠じゃよ。
あんたももうすぐ35じゃろ。人間35過ぎると見塵惑というのが正面から出てくるもんじゃ。とにかく世間を生きる上でも行道でも年寄りのいうこともたまには聞くもんじゃ。
○?も最初は好青年で有ったがのぅ見塵惑に負けたと云うか過去世で正法誹謗した燻習種子というもんが出てきておるんじゃろうのう。
天界の鍵というかそういう邪見の悟りを得ておるから栄耀栄華を極めておるんじゃ。
お前さんに一つだけ言っておく。
仏法は引き算じゃ。けっして足し算の人生や修行をせぬ事ことじゃ。
悟りを得ようというのも一つの惑障じゃからの。結果だけ求めんことだ。
一つ一つ削ぎ落として純粋な真人間になれたら良いのだからのう。


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その他にも色々と御教導頂きましたが、故人となられた現在ご冥福を御祈念します。
当時正信覚醒運動盛んな居り、青年部のスパイ活動に従事して居りました私でありましたが、斯様な有り難い親身な御教導を頂き、ついぞ上長に会話の内容とを報告する事は有りませんでした。
拙い昔話では有りますが参考になりましたら幸いで有ります。


 

法介氏

 投稿者:愚人  投稿日:2016年 9月25日(日)23時43分45秒 softbank126094226119.bbtec.net
返信・引用
   扶桑社刊 エリコ・ロウ著 『死んだ後には続きがあるのか』を読んでいますが、初めにアメリカ在住の医師による臨死体験が綴られていますが、今は、そこを読書中です。

 アメリカのバージニア大学の故イアン・スティーブンソン博士がインドとヨーロッパの子供たちの語る生まれ変わり体験を現地調査をして纏めた『前世を語る子供たち』『前世を語る子供たち2』を読んで、生まれ変わりは有ると思っています。

 そこで死んで生まれ変わるまでの中間生を知る為に、これまで三冊の臨死体験解説本を読みましたが中間生も存在すると思います。そこは絶対の愛と至福に包まれた世界だそうです。この世で極悪の人間でも其処に行くそうです。但し、死後に振り返る人生のパノラマ映像を見た時に、深い深い後悔の念に墜ちますが、その後は至福を味わえるそうです。当然、本門戒壇の大御本尊を誹謗しても地獄には堕ちません。地獄は無いのですから。

 この世は、魂の学びの場です。大事なのは慈悲と愛をもって人に優しくすることです。
 
 

法介さんへ

 投稿者:妙介  投稿日:2016年 9月25日(日)22時23分19秒 pool-200-232.aitai.ne.jp
返信・引用
  法介さん、こんばんは。頑張ってますね^^

ちょっと気になった事があるので、一点だけ。

以前マラソンランナーの例を出して、「仮諦」について考察されていましたが、

我々が像法時代の衆生で、天台を学んでいるのであれば

あのような表現も、あるいは成り立つかもしれませんが、

末法の我々の心をいくら観じても、「虚妄仮」しか出てこないのでは・・・。

「仮諦」とは諦の字が付いていることでもわかるように「悟り」ですから、

「仮諦」「空諦」「中諦」の「円融の三諦」=「御本尊様」というふうに

限定的に理解しておいた方が安全ではないかと思います。


お手紙の返事、今日投函しました。

ステキな「おまけ」を入れておいたので、楽しみに待っていてください。
 

お馬鹿さんへ

 投稿者:大爆笑  投稿日:2016年 9月25日(日)22時06分15秒 sp49-98-155-122.msd.spmode.ne.jp
返信・引用
  池田が、法華経の敵でなかったら
法華経の敵なんてどこにもいないよ
 

茄子の花様

 投稿者:通りすがりの法華講員  投稿日:2016年 9月25日(日)20時03分41秒 p1892093-ipngn16501marunouchi.tokyo.ocn.ne.jp
返信・引用 編集済
  初めまして。
頭破3氏(妙介様、法介様、愚人くん)の相手はしない方がいいですよ。
法を下げるだけですし、十四誹謗の輩につられて一緒に十四誹謗をしても詮無いことです。
創価脳の彼らは今、髄液が溢れ、憎しみと苦しみの快楽に浸りながら、学会名物ポンポン踊りに浸っていますので、ひたらしておくのがよろしいかと(笑)

またこう書くと、彼らは脳髄プシャーっなって快楽にひたり始めますから楽しく観ていましょう(^ ^)
 

茄子の花さんへ

 投稿者:法介  投稿日:2016年 9月25日(日)18時42分38秒 p1139105-ipngn200808fukuokachu.fukuoka.ocn.ne.jp
返信・引用 編集済
  もう少し丁寧に返答しておきます。

>問ふ、其の義を知らざる人、唯南無妙法蓮華経と唱えて解義の功徳を具する
>や否や。

>答ふ、小児乳を含むに其の味を知らずとも自然に身を益す。
>耆婆が妙薬誰か弁へて之を服せん。
>水、心無けれども火を消し火物を焼く、豈覚えあらんや


南無妙法蓮華経の意味や難しい教学を正しく理解しないと功徳は得られないのかという質問に対し、大聖人様がそんな事はありませんよ。
意味や教義は理解出来なくとも唯南無妙法蓮華経と励むことで仏の悟を得ることができます。とお答えになっています。


その通りだと思います。


しかし、教学を研鑽する事は、また意味合いが違うと思います。

毎月の御講は何の為に皆さん参加されているのですか?

教学研鑽に対してこの御請訓をあてはめてしまうと、

御講に行く必要なんかないじゃないかとなってしまいます。



御書は何の為に学ぶのかというと、自身の信心を深める為であり、なによりも

大聖人様が『聖愚問答抄』で


   「今の世は濁世せなり、人の情もひがみゆがんで権教謗法のみ多ければ正法弘まりがたし。

         此の時は読誦・書写の修行も観念・工夫・修練も無用なり。

         只ただ折伏を行じて力あらば威勢を以もって謗法をくだき、又法門を以ても邪義を責めよとなり」


と仰られておりますとおり、法門を以って邪義を砕く為に学ぶものだと私は思います。

我々が折伏を実践していく際の最大の武器が、教学ではないでしょうか。


法華講員さんの中には、「自分たち在家が法を語るなんてとんでもない」と言われる方もおられますが、

では、あなたはどうやって折伏をしているのですか? と私は聞きたいです。

 

愚人さん

 投稿者:法介  投稿日:2016年 9月25日(日)16時36分13秒 p1139105-ipngn200808fukuokachu.fukuoka.ocn.ne.jp
返信・引用
  「臨死体験の解説本」読み終わったら感想などお伺いしたいです。死後の世界に関しては、私も色々意見を持っていますので、そのうちそういったテーマで語り合うのも面白いかもですね。

日寛上人の「六巻鈔」あたりに記述があるかなと思い、調べてみましたがないですね。

色々調べてみます。しばらく趣味の方を堪能されてください。ありがとうございました。
 

法介氏

 投稿者:愚人  投稿日:2016年 9月25日(日)15時44分35秒 om126186240167.7.openmobile.ne.jp
返信・引用 編集済
   セブンネットで臨死体験の解説本と微生物の解説本と選択本願念仏集の解説本を購入し受け取りにいってきたので、これから読み始めます。 自分は日蓮聖人の遺文に引用されている選択集しか、また、日蓮聖人の遺文によって作られた選択集のイメージしかありませんので、原文と現代訳文と解説文を読むのが楽しみです。なので、もし私宛に投稿なされても直ぐには返信が出来ないと思いますので了承して下さい。日蓮聖人の天台大師が薬王菩薩の再誕との話は「霊山同聴」「大蘇開悟」のキーワードで記事検索しダウンロードした論文の中にはありませんでした。薬王菩薩の再誕との話は、日蓮聖人の作り話だと思いますが、三冊の本を読み終えたら書籍なども購入して調べたいと思います。

 それと私は、日寛上人の十如是の三転読誦に関する教示を読んだ記憶はありません。
 

愚人さん

 投稿者:法介  投稿日:2016年 9月25日(日)14時26分14秒 p1139105-ipngn200808fukuokachu.fukuoka.ocn.ne.jp
返信・引用 編集済
  愚人さん、なるほど、そのような落ちがあったんですね。

愚人さんなら知っていて当然そうな質問をわざわざされてきたので、

不思議に思いながら返答した次第でした。

日寛上人あたりがこの件(3度読み)についてご指導されている文献は、ありませんか?
 

法介氏

 投稿者:愚人  投稿日:2016年 9月25日(日)14時25分10秒 softbank126094242064.bbtec.net
返信・引用
   御法主日顕上人猊下御説法

  十如是事(2)

 「其の故は百界と云ふは仮諦なり」。この百界の「界」ということは区切りを意味し、それぞれの果報によって世界が異なるということです。例えば魚は水の世界の生物であり、陸へ揚げれば死んでしまいます。そこに一つの境があり、区切りがあります。また、人間が水のなかへ入れば死んでしまいます。このようにそれぞれの果報によっての界が存するのですが、この十界、百界は差別の世界であり、因縁和合の姿でありますから仮諦ということになるのです。(中略)このように大小、善悪、すべてに徹底した差別が存するのです。この姿が仮諦であるとおっしゃっているのです。
 「千如と云ふは空諦なり」というのは、「如」に不異、つまり異ならざるという意味があるからです。すなわち、事々物々の一切に共通しておる実相実体の意義がある故に空諦であります。
 「三千と云ふは中諦なり」というのは、仮諦である百界と空諦である千如を兼ね具え、さらに五陰世間・衆生世間・国土世間の三世間を具えておりますから、円満な一念のなかに具わる実相を示しておるが故に中道であるということであります。このところは実に難しいところですが、この三千が一切を含み、通じているが故に中諦であると御理解いただきたいと思います。(大日蓮平成五年五月号55・56頁)
 

茄子の花氏

 投稿者:愚人  投稿日:2016年 9月25日(日)13時53分6秒 softbank126094231074.bbtec.net
返信・引用 編集済
   私は成人していて母乳ではなく牛乳を飲んでいます。牛乳の大まかな成分はパックに表示されています。  

法介氏

 投稿者:愚人  投稿日:2016年 9月25日(日)13時48分19秒 softbank126094242064.bbtec.net
返信・引用 編集済
   日蓮正宗が十如是を「仮諦読み」する理由です。

 御法主日顕上人猊下御説法

  十如是事 (2)

         平成元年六月三十日
         経王寺新築落慶法要の砌

 しかしながら、これは天台の法門であって、本宗では我々の命の実相の上から妙法を具現していくわけですから、我々の持って生まれた当体をもって、女は女、男は男、賢きは賢き、愚かは愚かなままで、そのまま妙法の命を顕すのであります。したがって、仮諦読みでいいのです。すなわち、我々の姿は仮の姿ではあるけれども、この仮の姿のまま凡夫身に妙法の仏性、仏の当体を顕していくという意義なのです。故に本宗においては、三諦読みに執われず、「如是相、如是性、如是体・・・・・・」と三回とも仮諦読みで読むのが通例であります。(大日蓮平成五年五月号57・58ページ)
 

はじめまして

 投稿者:法介  投稿日:2016年 9月25日(日)12時57分11秒 p1139105-ipngn200808fukuokachu.fukuoka.ocn.ne.jp
返信・引用
  茄子の花さん、はじめまして。

愚・妙・法 三氏とありますのでご返答させて頂きます。

新池御書に、

「有解無信とて法門をば解りて信心なき者は更に成仏すべからず、有信無解とて解はなくとも信心あるものは成仏すべし」

とありますとおりだと思います。
 

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