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愚人殿

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 1月 7日(日)19時22分57秒 i223-218-151-119.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  >私は、初信の位なのですか?。だとしたら六即でいえば名字即ですね。

愚人殿。何を言っておるのか。

当方が言ったのは、一般に云う初心に立ち戻ってという意味に於いて『初信』云々を述べたのであって、
貴殿が名字即だの、どーのなどと、そんな意味で申しているものではない。哀。

愚人殿。

其の様に理屈を捏ねていると、真に観えるものも観えなくなさってしまうぞえ。

>(弥四郎国重法華講衆等が造立した大漫茶羅に)「日蓮敬白」の文字は在りません。
>(日向が造立した板本尊に)「日向敬白」はなくとも日向上人の署名はあるのでは?。

哀。愚人殿。「敬白」がなくとも署名があるのでは、とは如何なる事か。

貴殿は「日蓮敬白」という四文字が願文に記(しる)されていないから、その本尊は弥四郎の本尊だ、と
言っているのであろう。其のお主が「敬白はなくとも本人の署名があるのではないか?」とは如何なる事か。

ならば言う。

署名とは花押の事であるのか。してそれは違うというのであれば、何をして違うのか。して其れに軽重はあるか。
加えて、首題直下の「日蓮」大書のお認(したた)めは、其(そ)も著名であるか、其れとも花押であるか。
而して、署名と花押が同義となれば、其れこそ「日蓮敬白」はなくとも、日蓮大聖人の署名(花押)があるのでは?
という貴殿の理屈に適うのではないか。されば問う。造立主の弥四郎国重の花押は何処(どこ)にあるか。

>日蓮本尊集を見ますと日蓮聖人の本尊には授与書きの無い本尊がありますが、その本尊の対告衆は誰なのでしょうか?。

ならば、本門戒壇の大御本尊に授与書きは無いか。
して、無いとなれば、造立主(ぬし)の弥四郎国重は、誰に此の大御本尊を授与したのか。
して、有るとなれば、此の大御本尊の対告衆は誰か。まさか、日蓮大聖人であるのか。

>能所一体の上から在家が大漫茶羅を造立しても良いのでは?。

哀哀。おいおい愚人殿。

能所一体とは、其の様な意味ではないぞ。

能とは衆生を救う仏をして云うのであり、
所とは仏に救われる衆生をして云うのある。
而して其の両者は、因果に於いて一体である、という意味である。

よいか愚人殿。一体とは同等の意ではない。其れこそは不二の意である。
本より、師弟不二の意も然りである。
さても、貴殿の解釈からすれば、仏と衆生は一体であるから、衆生が仏に成り代わって仏菩薩を教化するも良し、
という事になる。其れで間違いないか。

>日蓮聖人が造立したとしたら「本門戒壇之願主弥四郎国重法華講衆敬白」と書いた理由が解らない。
>能所一体だからと言って何故に「弥四郎国重法華講衆等敬白」と書く必要が有ったのか?。

能所一体であるからこそ、本懐造立の縁起となった弥四郎国重法華講衆に対し、お主等こそ所化の大鏡であり、
応に未来法華本門大戒壇の建立願主に相応しい者達である。仍って此に能化たる日蓮が、現当二世の大義を以って
敬白し、此の大御本尊を図顕造立したのである。爾して【南無妙法蓮華経 日蓮】也と。

よろしいか。愚人殿。此の文節の意が理解出来ないとなれば、今一度、而二不二論を再勉し、其れこそは、
総別二義、当文跨節・大綱網目・待絶二妙・体内体外等を学び直して、当に真の依義判文の遊撃手となる
事こそが、貴殿にとって最良の選択である、という事を、此に改めて諫言するものである。

尚、

>日蓮聖人が造立したとしたら「本門戒壇之願主弥四郎国重法華講衆敬白」と書いた理由が解らない。
>能所一体だからと言って何故に「弥四郎国重法華講衆等敬白」と書く必要が有ったのか?。

などと文句を言っておるが、

当方からして言えば、もし、弥四郎国重等が願主として敬白するならば、

「本門戒壇之願主 法華講衆弥四郎国重 敬白」文

と書くのが自然であり、

「本門戒壇之願主 弥四郎国重法華講衆等 敬白」文

などと、弥四郎国重法華講衆自らを指して「等」に纏めるなどは、まこと不自然な書き様と言わざるを得ない。

よろしか。愚人殿。

御本尊は須らく、日蓮大聖人から弟子檀那に授与されるものである。爾して願主は、其の御本尊授与を
願うのである。しかも其の阿吽は、強盛なる信心に於いて感応道交し、以って敬白の意は、能所不二の
尊形と成って、御本尊の態相を顕すのである。


尚、当方は本日は午後八時より、明日以降は午後五時より留守となり、何れも帰宅は翌早朝と相成る。
しかも、其れから就寝する故に、投稿文の確認掲載は、帰宅後すぐに行うも、投稿のやり取りなどは
一日ずれる事もある。誠に申し訳ないが、其の点については予め御了承願いたい。

さても「遊撃」の「遊」が、「遊戯雑談」の「天台遊」に成らざる事を、唯々願うのみである。


          以如件 願主 破邪の蘭室管理人 大月天 敬白

 

管理人さん

 投稿者:愚人  投稿日:2018年 1月 6日(土)21時37分43秒 softbank126074085016.bbtec.net
返信・引用
   私の再投稿、お手数をかけてしまい申し訳ありませんでした。

して観れば、深夜から早朝へと弛(たゆ)まぬ御投稿。

時間が乏しい当方からして、何とも羨ましい限りではある。

 ○九連休で時間がタップリありました。

されば、彼の人には遊戦、あの人には真戦なりと…。

はて、当方には、彼の人、あの人の区別など付かないが、とまれ「遊戦」の「遊」こそは「遊撃」の「遊」であって
欲しいと願うものである。本より法華講員同士、大御本尊の御事について遊ばれては堪らない。

 ○私が遊んでいるのは、彼の人です。

本より、大御本尊の脇書に記(しる)されし「法華講衆等」とは「法華講の衆」と読むのではなく「法華の講衆」と
読むが正解である。例としては「上野講衆等」という呼名があるが、是れこそも「上野講の衆等」と読むものでは
ない。然るに「法華講衆」「上野講衆」をして「御講衆」と呼ぶものである。依って大御本尊に「法華講」という
文字があるから、後世の偽作である、などという疑難は、其れこそ単なる難癖として片付けられるものである。
しかし、我ら法華講員が、其の『法華講衆』をして、現在の法華講に当て嵌めるは、決して我田引水ではない。

とまれ、愚人殿が「講衆」の意に於いて、大御本尊は後世の造立ではない、という、法華講員としての初信に立ち
戻れた事は、何よりも重要である。

 ○私は、初信の位なのですか?。だとしたら六即でいえば名字即ですね。

愚人殿。

其れこそは「遊言」ではないか。

 ○そうなんですか?。

一体、弥四郎国重を首(はじめ)とする法華講衆の在家らが、現当二世という謳い文句を奉じて、大御本尊の甚深なる
御相貌を、しかも弘安期の筆例を以って御板に図顕彫刻するなど、創価の阿呆ではあるまいし、其れこそは文面の配列に
眼目を奪われた、応に管見の痴読であると、此に諫言申し上げよう。

 ○痴読であると断言されても、私は弥四郎国重法華講衆等が大漫荼羅を造立したと思っています。

>此処に「日蓮敬白」の文字は在りません。

此処(ここ)とは何処(どこ)か。

さても、此処(ここ)とは、何処(どこ)の此処(ここ)であるか。

 ○弥四郎国重法華講衆等が造立した大漫茶羅です。

言うまでもない。此処も何処も、皆、戒壇御本尊の御尊体の中に御坐(おわ)します。

 ○私は、弥四郎国重法華講衆等が造立したと思っていますので。

されば、首題直下に認(したた)めらる御花押【日蓮】の御大書こそ、全ての御文字に往き亘る御允判である、という事を
此に領解しなければならない。

されば、日蓮花押と中央に御大書されるに、加えて又、日蓮敬白などと御名は書かれまい。
本より大書花押こそが全てである。

 ○日興上人が書いた本尊には、日興上人が「日興花押」と署名しています。弥四郎国重法華講衆等が造立した大漫茶羅には、弥四郎国重法華講衆等が「弥四郎国重法華講衆等敬白」と署名したのです。

尚、対比するには、余りに御無礼とは思うが、身延日向の幽霊板本尊には、

【日蓮幽霊・成仏得道・乃至法界衆生平等利益の為に敬ってこれを造立す】(大白蓮華・堀上人に富士宗門史を聞く)

と在るようだが、此にも「日向敬白」という文字其のものの配列はない。

 ○「日向敬白」はなくとも日向上人の署名はあるのでは?。

其れよりもよりも、弥四郎国重法華講衆等が大御本尊を敬白造立したとなれば、果たして、此の戒壇御本尊の対告衆は
一体誰であるのか。まさか日蓮大聖人では有りますまい。ならば願主弥四郎国重、己(おのれ)をして対告衆と為すか。

 ○日蓮本尊集を見ますと日蓮聖人の本尊には授与書きの無い本尊がありますが、その本尊の対告衆は誰なのでしょうか?。
 私は、四条金吾や富木常忍が自分が拝む為に仏像を造立したように、弥四郎国重法華講衆等も自分達で拝む為に大漫茶羅を造立したと推測します。

御義口伝に曰く『衆生に此の機有って仏を感ずる、故に名づけて因と為す。仏(ほとけ)機を承けて而(しか)も応ず、
故に名づけて縁と為す。是を出世の本意と為す』と。

 ○感応道交。仏様は衆生の仏様を求める機に応じて娑婆世界に出世するということを示した文ですね。

仍って、当体義抄に曰く『能居・所居・身土・色心・倶体倶用の無作三身、本門寿量の当体蓮華の仏とは、
日蓮が弟子檀那等の中の事なり。是即ち法華の当体、自在神力の顕はす所の功能なり。敢えて之を疑うべからず、
之を疑うべからず』と。


爾して大御本尊の脇書に曰く『右為現当二世造立如件 本門戒壇之願主 弥四郎国重法華講衆等 敬白』と。

うむ。応に是れこそ能所一体の敬白文。

 ○能所一体の上から在家が大漫茶羅を造立しても良いのでは?。


実(げ)に之を思え、之を思え。

 ○日蓮聖人が造立したとしたら「本門戒壇之願主弥四郎国重法華講衆敬白」と書いた理由が解らない。能所一体だからと言って何故に「弥四郎国重法華講衆等敬白」と書く必要が有ったのか?。


 

如水さん

 投稿者:愚人  投稿日:2018年 1月 6日(土)20時37分40秒 softbank126074085016.bbtec.net
返信・引用
  横からご意見申し上げます。

 ○これからもお願いします。

> 戒壇の大御本尊は在家信者達が造立した

仏様はモノじゃない!

ので、上記のもの言いは不信の言葉です。

 ○在家が板本尊を造立しても、その板本尊には妙楽大師が「乃ち是一草・一木・一礫・一塵、各一仏性・各一因果あり縁了を具足す」と教示しているように、仏性が具わっているのです。ですからモノではあっても、お互いに其所は弁えて扱いたいですね。私は、つい乱暴に扱ってしまいますが。

個人個人で多種多様な思いがあるのは当たり前ですが、私たち日蓮正宗の信徒の根幹は、戒壇の大御本尊様と血脈付法の御法主様を信じ奉ることですから、不信が生じれば、お師匠様にご指導を願い、公言は控えましょう。

 ○初めから信なくして入っているので。

必ず後悔なさいますから

 ○たぶん、苦しむということだとおもいますが、強盛な信心を貫き通した日蓮聖人は、晩年に手紙に署名を出来ないぐらい病に苦しむ衰弱してしまいました。日蓮聖人には、病に苦しんで衰弱するという何かしらの因縁があったのでしょう。私も苦しんで衰弱することがあれば、それは過去世からの因縁だと思って受け入れていくつもりです。
 

投稿者各位

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 1月 6日(土)18時14分29秒 i223-218-151-119.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  誠に恐れ入りますが、急用が入り、今より、明朝まで留守となります。(其の後・就寝)
従いまして、其の間の投稿文は、即時に掲載されません。

実に不便と承知はしておりますが、これも、宿坊を首(はじめ)とする私憤アンチからの荒らし投稿を防止する為の
ものであり、現に其の抑止が効いている状態であります。

重ねまして、投稿者各位には、御寛容の程、お願い致します。

其れでは、今より出掛けます。
 

如水殿

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 1月 6日(土)17時53分39秒 i223-218-151-119.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  御注意の程、御尤(もっと)もであります。

法華講員として、本門戒壇の大御本尊を疑するは、是れ全く身蟲の其れでありますから、そういう御仁に対しては、
応に慈折の意を以って論ずるのみであります。

しかし、日蓮大聖人の御内証を、我ら凡愚なる庶人が、何にをか量らんなどとは、当に増上慢の極みとなりましょう。

とまれ、疑難の箇所を、種々破折するに於いては、充分に気を付けて参りたいと思っております。

尚、如水殿に於かれましても、御自身の許容する範囲に於いて、是非とも、正義顕揚・邪義破折の論弁を投じられます
よう、当室管理人として此に願うものであります。


【お知らせ】

※当室の投稿モードは「確認後掲載」となっておりますので、投稿文が即時掲載される事はありません。
あくまでも管理人が新たな投稿文の有無を確認した後の掲載となりますので、管理人が不在となる場合は、
掲載が数日後になる事もありますので、予め御了解の程、お願い申し上げます。
 

愚人殿

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 1月 6日(土)17時52分0秒 i223-218-151-119.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  >苦戦?。遊戦ですね。彼の人が遊戦なので私も遊戦をしています。あの人は真戦のようなので私も真戦をしました。

して観れば、深夜から早朝へと弛(たゆ)まぬ御投稿。

時間が乏しい当方からして、何とも羨ましい限りではある。

されば、彼の人には遊戦、あの人には真戦なりと…。

はて、当方には、彼の人、あの人の区別など付かないが、とまれ「遊戦」の「遊」こそは「遊撃」の「遊」であって
欲しいと願うものである。本より法華講員同士、大御本尊の御事について遊ばれては堪らない。

>日蓮聖人の時代に「○○講衆」の文はなく、板本尊は日蓮滅後に造立されたものと考えていましたが、
>『講衆に関する研究』という論文を読み、日蓮聖人の時代に、「○○講衆」が仏像・鐘を造立したことを知り、
>日蓮聖人の檀那達が「法華講衆」として曼荼羅を造立することは有りうると考えた次第です。但し、日蓮聖人が
>知っていたかは解りません。

本より、大御本尊の脇書に記(しる)されし「法華講衆等」とは「法華講の衆」と読むのではなく「法華の講衆」と
読むが正解である。例としては「上野講衆等」という呼名があるが、是れこそも「上野講の衆等」と読むものでは
ない。然るに「法華講衆」「上野講衆」をして「御講衆」と呼ぶものである。依って大御本尊に「法華講」という
文字があるから、後世の偽作である、などという疑難は、其れこそ単なる難癖として片付けられるものである。
しかし、我ら法華講員が、其の『法華講衆』をして、現在の法華講に当て嵌めるは、決して我田引水ではない。

とまれ、愚人殿が「講衆」の意に於いて、大御本尊は後世の造立ではない、という、法華講員としての初信に立ち
戻れた事は、何よりも重要である。

>弥四郎国重法華講衆等が「敬白」した内容は、「現「佛滅後二千二百二十四年・・・大曼荼羅」を「現当二世為」に
>「造立」したことです。此処に「日蓮敬白」の文字は在りません。

愚人殿。

其れこそは「遊言」ではないか。

一体、弥四郎国重を首(はじめ)とする法華講衆の在家らが、現当二世という謳い文句を奉じて、大御本尊の甚深なる
御相貌を、しかも弘安期の筆例を以って御板に図顕彫刻するなど、創価の阿呆ではあるまいし、其れこそは文面の配列に
眼目を奪われた、応に管見の痴読であると、此に諫言申し上げよう。

>此処に「日蓮敬白」の文字は在りません。

此処(ここ)とは何処(どこ)か。

さても、此処(ここ)とは、何処(どこ)の此処(ここ)であるか。

言うまでもない。此処も何処も、皆、戒壇御本尊の御尊体の中に御坐(おわ)します。

されば、首題直下に認(したた)めらる御花押【日蓮】の御大書こそ、全ての御文字に往き亘る御允判である、という事を
此に領解しなければならない。

されば、日蓮花押と中央に御大書されるに、加えて又、日蓮敬白などと御名は書かれまい。
本より大書花押こそが全てである。

尚、対比するには、余りに御無礼とは思うが、身延日向の幽霊板本尊には、

【日蓮幽霊・成仏得道・乃至法界衆生平等利益の為に敬ってこれを造立す】(大白蓮華・堀上人に富士宗門史を聞く)

と在るようだが、此にも「日向敬白」という文字其のものの配列はない。

其れよりも何よりも、弥四郎国重法華講衆等が大御本尊を敬白造立したとなれば、果たして、此の戒壇御本尊の対告衆は
一体誰であるのか。まさか日蓮大聖人では有りますまい。ならば願主弥四郎国重、己(おのれ)をして対告衆と為すか。

御義口伝に曰く『衆生に此の機有って仏を感ずる、故に名づけて因と為す。仏(ほとけ)機を承けて而(しか)も応ず、
故に名づけて縁と為す。是を出世の本意と為す』と。

仍って、当体義抄に曰く『能居・所居・身土・色心・倶体倶用の無作三身、本門寿量の当体蓮華の仏とは、
日蓮が弟子檀那等の中の事なり。是即ち法華の当体、自在神力の顕はす所の功能なり。敢えて之を疑うべからず、
之を疑うべからず』と。

爾して大御本尊の脇書に曰く『右為現当二世造立如件 本門戒壇之願主 弥四郎国重法華講衆等 敬白』と。

うむ。応に是れこそ能所一体の敬白文。

実(げ)に之を思え、之を思え。
 

一水四見

 投稿者:如水  投稿日:2018年 1月 6日(土)13時02分39秒 sp49-96-24-34.mse.spmode.ne.jp
返信・引用
  横からご意見申し上げます。

> 戒壇の大御本尊は在家信者達が造立した

仏様はモノじゃない!

ので、上記のもの言いは不信の言葉です。

個人個人で多種多様な思いがあるのは当たり前ですが、私たち日蓮正宗の信徒の根幹は、戒壇の大御本尊様と血脈付法の御法主様を信じ奉ることですから、不信が生じれば、お師匠様にご指導を願い、公言は控えましょう。

必ず後悔なさいますから。
 

管理人さん

 投稿者:愚人  投稿日:2018年 1月 6日(土)10時43分47秒 softbank126074115165.bbtec.net
返信・引用 編集済
   私の他板での投稿を閲覧して頂きありがとうございます。

 苦戦?。遊戦ですね。彼の人が遊戦なので私も遊戦をしています。あの人は真戦のようなので私も真戦をしました。

 日蓮聖人の時代に「○○講衆」の文はなく、板本尊は日蓮滅後に造立されたものと考えていましたが、『講衆に関する研究』という論文を読み、日蓮聖人の時代に、「○○講衆」が仏像・鐘を造立したことを知り、日蓮聖人の檀那達が「法華講衆」として漫荼羅を造立することは有りうると考えた次第です。但し、日蓮聖人が知っていたかは解りません。


 「佛滅後二千二百二十余年之間一閻浮提之内未曾有大漫荼羅也 右為現当二世 造立如件 本門戒壇之 願主弥四郎国重 法華講衆等敬白」

 弥四郎国重法華講衆等が「敬白」した内容は、「現「佛滅後二千二百二十四年・・・大漫荼羅」を「現当二世為」に「造立」したことです。此処に「日蓮敬白」の文字は在りません。



 14:10頃に「曼」を「漫」に、「未有」を「未曾有」に、「本門戒壇之本尊」を「本門戒壇」に訂正しました。    
 

愚人殿

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 1月 6日(土)09時35分18秒 i223-218-151-119.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  何やら苦戦を強いられている様であるが、やはり貴殿の言う『戒壇の大御本尊は在家信者達が造立した」というのは
無理があるのではないか。当方、今まで色々と大御本尊に対する疑難を論駁して来たが、在家信者の集団が大御本尊を
図顕建立した、という話は、あまり聞いた事が無い。

本より大御本尊に認(したた)めたる「敬白」とは、能所一体、つまりは、所化以って同体なり、という日蓮大聖人の
御内心から拝さなければ、其の深義などは読み取れないであろう。

爾して、法華講に身を置く貴殿が、上記の様な発言をするとは、余りにも残念ではあるが、とまれ、御講衆の人々が
其れが弥四郎であれ神四郎であれ、そういう信者なりが敬白の意を以って寄り集まり、戒壇の御本尊を造立したという
論説は、到底、戴けるものではない。

兎も角、在家信者が御板御本尊を図顕建立した、という主張は、控えた方がよろしい。
いや、其れこそは訂正すべきであろうと思う。
 

管理人さん

 投稿者:愚人  投稿日:2018年 1月 3日(水)22時21分46秒 softbank126074098128.bbtec.net
返信・引用
  愚人殿はどうでしょうか。無差別主義者でありますか?


 愚人は、無差別主義者ではありません。


優しく振る舞う人間と、子供を何人も殺した殺人鬼と、果たして其の両者に対して同じ態度言動で
臨まれますか?


 実際に殺人鬼と接したことはありませんが、接する機会があった時は同じ態度で臨みたいと思っています。


当方は、優しく振る舞う御仁に対しては『素晴らしい』と言い、何人も殺した者に対しては『馬鹿野郎!』です。


 被害者が身近な人ではないかもしれませんが、愚人は、被害者・加害者の間の過去世からの因縁を考えてしまいます。


>雑言・強言・自讚気なる体、人目に見すべからず、浅猿きなるべし。

愚人殿はどうですか?

そういう言動はなされておりませんか?


 しています。


>柔らかに又強く、両眼を細目に見、顔貌に色を調へて閑に言上すべし。

本より、其の言上に伴うセリフが前文に示されております。
因みに其の中には、邪師の死に様(ざま)も含まれております。


 はい。


>また「人の高下」については、智者大師が「六即」を教示していますように、
>「六」において「差別/階梯」がありますが、「即」においては「平等」であることに
>留意する必要があると思います

天台ですか。


 天台です。


おっと、呼び捨てにしてしまいましたが、興門義からすれば理門の師ですから、
我ら富士門徒からして、決して無礼(自讃)にはなりますまい。


 自讚にはならないと思います。


>また日蓮聖人も『御義口伝』、
>上慢の四衆の所具の仏性も、不軽所具の仏性も、一種の妙法なりと礼拝するなり。
>不軽は善人、上慢は悪人と、善悪を立つるは無明なり。此れに立って礼拝の行を為す時、
>善悪不二・邪正一如の南無妙法蓮華経と礼拝するなり云云。
>と教示しています。

不二のみならず而二不二であります。

仍って、一方に対するも正義。又、一方に対するも正義。

しかし、そこには一体義が在る。

無論、其れを承知の上で論折するのであります。

爾して、日蓮大聖人は、一方で蚊(カ)だ・虻(アブ)だ・蝦蟇(ガマ)だ、という言動を許し、
又、其の一方で自讃強言は浅ましき事であると戒めらる。

実(げ)に法華の大慢とは、而二不二の奥義を識(し)った上での事であると、此に知るべきでありましょう。

当室の巻頭文に云く、

『仮令強言なれども、人をたすくれば実語・軟語なるべし。設ひ軟語なれども、人を損するは妄語・強言なり。
是れを思って臨機応変』

本より、此の姿勢こそが全てであります


 天台の六即も一遍に偏らない中道を説いたものだと思います。
 

如水殿

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 1月 3日(水)21時32分21秒 i223-218-151-119.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  明けましておめでとうごさいます。

本年もよろしくお願い致します。

御投稿は、お時間がある時で構いません。

行動の年。

お互いに頑張って参りましょう。
 

あけましておめでとうございます

 投稿者:如水  投稿日:2018年 1月 3日(水)18時41分40秒 dw49-106-192-158.m-zone.jp
返信・引用
  管理人様お久しぶりです。

本年は元旦11時の勤行会に一家五人揃って参詣できました。

なかなか投稿できませんが、できるときには参加いたしますのでよろしくお願い申し上げます。

 

馬鹿の骨頂

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 1月 3日(水)18時34分16秒 i223-218-151-119.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  ハンドルネーム…朝日新聞による戦後最大級の報道犯罪

糞笑。何という捨てハンか。

お主は阿呆か。

>熱原の法難は『法華衆』であり、板本尊の『法華講衆』は存在しない。
>よって大石寺のパッチワークニセ本尊は、日蓮滅後数百年後に板に彫られた本尊。

哀笑。

其の事、完璧に破折してやるから、こっちに来なさい。

無論、無親告、捨てハン、串投稿は厳禁である。

何だ。其れは出来ぬとな。小鼻笑。

哀。何を怖がっておる。

ったく、得体の知れぬ蝙蝠野郎め!

毎回、当室を荒らすはオマエだろう!

パッチワーク?

そりゃ、オマエの頭だよ。

哀笑。
 

愚人殿

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 1月 3日(水)18時09分56秒 i223-218-151-119.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  明けましておめでとうございます。

横乍(なが)らも早速の御意見、此に承りました。

愚人殿はどうでしょうか。無差別主義者でありますか?

優しく振る舞う人間と、子供を何人も殺した殺人鬼と、果たして其の両者に対して同じ態度言動で
臨まれますか?

当方は、優しく振る舞う御仁に対しては『素晴らしい』と言い、何人も殺した者に対しては『馬鹿野郎!』です。


>雑言・強言・自讚気なる体、人目に見すべからず、浅猿きなるべし。

愚人殿はどうですか?

そういう言動はなされておりませんか?

>柔らかに又強く、両眼を細目に見、顔貌に色を調へて閑に言上すべし。

本より、其の言上に伴うセリフが前文に示されております。
因みに其の中には、邪師の死に様(ざま)も含まれております。

>また「人の高下」については、智者大師が「六即」を教示していますように、
>「六」において「差別/階梯」がありますが、「即」においては「平等」であることに
>留意する必要があると思います

天台ですか。

おっと、呼び捨てにしてしまいましたが、興門義からすれば理門の師ですから、
我ら富士門徒からして、決して無礼(自讃)にはなりますまい。

>また日蓮聖人も『御義口伝』、
>上慢の四衆の所具の仏性も、不軽所具の仏性も、一種の妙法なりと礼拝するなり。
>不軽は善人、上慢は悪人と、善悪を立つるは無明なり。此れに立って礼拝の行を為す時、
>善悪不二・邪正一如の南無妙法蓮華経と礼拝するなり云云。
>と教示しています。

不二のみならず而二不二であります。

仍って、一方に対するも正義。又、一方に対するも正義。

しかし、そこには一体義が在る。

無論、其れを承知の上で論折するのであります。

爾して、日蓮大聖人は、一方で蚊(カ)だ・虻(アブ)だ・蝦蟇(ガマ)だ、という言動を許し、
又、其の一方で自讃強言は浅ましき事であると戒めらる。

実(げ)に法華の大慢とは、而二不二の奥義を識(し)った上での事であると、此に知るべきでありましょう。

当室の巻頭文に云く、

『仮令強言なれども、人をたすくれば実語・軟語なるべし。設ひ軟語なれども、人を損するは妄語・強言なり。
是れを思って臨機応変』

本より、此の姿勢こそが全てであります。
 

(無題)

 投稿者:愚人  投稿日:2018年 1月 3日(水)10時31分52秒 softbank126074082012.bbtec.net
返信・引用
  管理人さん並びに閲覧者の皆さん、明けましておめでとうございます。

管理人さんの返答を読み、愚人が思ったことです。


日蓮聖人は『教行証御書』に、


 雑言・強言・自讚気なる体、人目に見すべからず、浅猿きなるべし。


と教示している事にも留意が必要です。また日蓮正宗宗務院においても、


 そして、その確信あふれる折伏は、けっして非常識や感情的な言動になってはならないことは言うまでもない。日蓮大聖人は『教行証御書』に、

 柔らかに又強く、両眼を細目に見、顔貌に色を調へて閑に言上すべし。

と教示遊ばれている。(平成十一年度第五回 法華講連合会夏期講習会 一般コース テキスト)


と法華講員に指導しています。また「人の高下」については、智者大師が「六即」を教示していますように、「六」において「差別/階梯」がありますが、「即」においては「平等」であることに留意する必要があると思います。また日蓮聖人も『御義口伝』、


 上慢の四衆の所具の仏性も、不軽所具の仏性も、一種の妙法なりと礼拝するなり。

 不軽は善人、上慢は悪人と、善悪を立つるは無明なり。此れに立って礼拝の行を為す時、善悪不二・邪正一如の南無妙法蓮華経と礼拝するなり云云。


と教示しています。


 其の故は不軽菩薩の四衆を礼拝すれば、上慢四衆所具の仏性も又不軽菩薩を礼拝するなり。鏡に向かって礼拝を成す時、浮かべる影又我を礼拝するなり云云。






 
 

御挨拶

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 1月 2日(火)07時36分50秒 i223-218-151-119.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  謹賀新年

明けましておめでとうございます。

投稿者、及び閲覧者の皆様に於かれましては、本年もどうか宜しくお願い致します。

存知の如く、今や創価学会は、其の頭破謗法の態をあからさまにし、日蓮大聖人の大本懐たる戒壇の大御本尊を棄捨し、
一閻浮提総与の大義を、信者の立場から変更せしめる、という愚挙に投じ、其の頭破悩乱の醜態は、痴呆池田の無力を
踏み台にして、増々以って拡散しているのであります。

今更に言うまでも無く、其の痴態たるは、彼の身延に於ける教義本尊の痴乱雑乱の態に同ずるものであり、此に於いて
創価学会の本尊義は須らく破綻したのであります。仍って、我ら富士門信徒に於いては、此の一点に於て呵責すべきで
あり、其の他の論議は、須らく枝葉末節の小論と成るのであります。

尚、本年こそは、創価学会の邪義変節の痴態を呵責するは当然の事として、邪流日蓮宗、否、邪流釈迦円仏宗の屁理屈を
鋭意此に反打し、以て其の痴言の限界を知らしめ、枝流亜流の小山教義をも痛打して、此に興門・富士五山の総本家たる
正威を徹底させるべく、法華の慢を大いに発揮して、邪宗撲滅の一翼たらん事を、此に改めて決意するものであります。

尚、本年も、痴情アンチからの荒らし投稿を防する為、当室の掲載モードは「確認後掲載」とさせて頂きますので、
投稿者の皆様には、何卒、御理解の程、お願い申し上げます。
 

フウヤ殿

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 1月 2日(火)07時33分45秒 i223-218-151-119.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  >管理人さん、初めまして私、法華講員の者です。いつも拝借させていただいております。

其れは有難う御座います。

>それでは本題に入らせて頂きます。

唐突に何でしょうか。

>と言っても簡単な質問です、掲示板の設立理由を教えてください。
>いや、それか仮に大まかな理由として、破折の為とおっしゃられるのであれば、互いにヘイトにて罵りあうだけが
>破折と言えるものなのか教えて頂きたいです、回答よろしくお願いします

簡単な質問となれば、簡単にお答え致しましょう。

掲示板の設立(開設)理由は、創価学会を首(はじめ)とする、全邪宗教に対する本尊の破折を主意とするものです。

又、互いにヘイトにて罵り合うだけが破折と言えるものなのか、とのご質問については、当室の巻頭文をお読み
下さい。

………………(読まれましたか?)

されば、日蓮大聖人に曰く『教に依って人の勝劣を定む。先ず経の勝劣を知らずして何ぞ人の高下を論ぜんや』と。
仍って申さく『されば現に勝れたるを勝れたりという事は漫に似て大功徳となりれるか』と。

以上の御文がヒントとなります。
 

掲示板設立の理由?

 投稿者:フウヤ  投稿日:2018年 1月 1日(月)10時33分41秒 om126200112161.15.openmobile.ne.jp
返信・引用
  管理人さん、初めまして私、法華講員の者です。いつも拝借させていただいております。 それでは本題に入らせて頂きます。
と言っても簡単な質問です、掲示板の設立理由を教えてください。
いや、それか仮に大まかな理由として、破折の為とおっしゃられるのであれば、互いにヘイトにて罵りあうだけが破折と言えるものなのか教えて頂きたいです、回答よろしくお願いします。
 

愚人殿

 投稿者:管理人  投稿日:2017年12月31日(日)20時21分21秒 i223-218-151-119.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  早速の御投稿、此に承りました。

尚、当室の投稿形式は「確認後掲載」となっておりますので、管理人が投稿を確認するまで、
投稿文は掲載されません。従いまして、管理人が留守となっている場合は、掲載が一両日遅れる
場合がありますので、予めご承知置き下さい。
 

管理人氏

 投稿者:愚人  投稿日:2017年12月31日(日)17時28分9秒 softbank126074114159.bbtec.net
返信・引用
  来年から掲示板に投稿させて頂きます。

来年も管理人氏を始め閲覧者の皆さんにとって佳い歳でありますように。
 

同穴の幽霊

 投稿者:管理人  投稿日:2017年12月30日(土)14時12分2秒 i223-218-151-119.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  一致派身延に肩入れした勝劣派顕本法華宗の長谷川義一が云く、

『仏滅後の本尊の所謂(いわゆる)、何と申しまするか。仏滅後二千二百二十余年或いは三十年と書かなくては
いけないそうでございまするが、見た人によりますると云うと、仏滅後二千二百二十余年という事になっている
わけだ。してみるというと、本尊七箇相承に従いますというと、三十年と書けという事になっておる。
そうすれば、その時分には品物(戒壇本尊)がないということがはっきりと証拠立てるように、私は考えておるので
御座います。(中略) しかも仏滅後は、三十余年と書かなくてはならないと(御本尊七箇相承には)書いてあるので
ございますけれども、見た人によりますると、はっきり二十年であると云う事であるのです。私一ぺん拝見に行きたい
のですけれども、他門の坊さんには見せないからして、眼が潰れるってんだよ』 【小樽問答誌 90頁】

鼻笑。

勝劣顕本の僧の癖して、身延日向の一致派に肩入れするとは、此奴も幽霊の一種であろうか。呆哀笑。

して、此の幽霊僧が云く、

『私が身延の用心棒になったと云われまするが、私は新たな日蓮宗を設立したと云う意味において、
(ここ小樽に)参っているわけだ! それだけ云っておきまして、そこで本尊の問題に移りまするが…』

鼻笑。

何をか言わん。

お主らの開祖たる日什は、次の様な置文を遺しておる。

云く『大聖の御門弟六門跡、並びに天目等の門流、皆方軌弘法共に大聖の化儀に背く処有るに依って
同心せざる処也』と。

重ねて弟子の日金が云く『当流は六門徒に替わりて一幡を挙げて名称之れ有り、その理之れ多し、
その中に本迹に勝劣を立て給ふ是れを以て肝要と為す、此れ既に蓮祖の本意上行付嘱の大旨也、
此の旨に迷ひ本迹に浅深を立てず傍正を明かさざる事は誠に自立廃忘の師敵対也』と。

鼻笑。

大聖人の本意に背く一致派の共ずれは、自立廃忘の師敵対なりと、開祖先師が責断しているにも拘らず、
身延派の片棒を担いで法論に臨むなどは、当に足の無い幽霊の姿そのものであり、又、こういう連中こそが、
己(おのれ)の頭破を差し置いて、富士門の本尊教義に文句を垂れるのである。

何度も言うが、相手のケツの臭いを嗅ぐ前に、手前(てめー)のケツの臭いを嗅いでみなさい、という事である。

とまれ、こーゆー信学滅裂の幽霊たちには、何を言おうとも、手前(てめー)のケツの臭いを差し置いて小理屈を
述べ立てるのであるから、其れこそは「非学者論に負けず』が如く、延々と喋り続けるのであろう。哀笑。
して、そーゆー幽霊たちに『何でオマエらには足が無いのだ!」と詰問すると、何とも幼稚な返事が返ってくる
のである。哀。だからこそ言う! 相手のケツがどーのと言う前に、手前のケツの臭いを嗅いでみろと。呆怒。

重ねて言うが、日蓮大聖人の仏法に於いては、不信こそが大罪であり、其の不信から発する誹謗こそが重罪である、
という事を先ずは識らねばならない。

因みに、身延山久遠寺に立てられている本多日生(顕本法華宗)の銅像は、未だに撤去されておらんのか!?
ったく、一致派の総本山に、勝劣派顕本の坊主像が立てられているとは、何をか言わんや。
実(げ)に是れこそも幽霊の姿そのものではないのか!

創価学会、小平教学部長が吼して云く、

『知りたいのならば信心を奮い起こして拝みに行け! 信心の無い者に、見せる、見せない、見世物じゃ
あるまいし、信心の無い者が拝めるわけが無いではないか!!』

ご尤も。

仍って日蓮大聖人が詰論して曰く『信じて問ふか、信ぜずして問うふか』と。

さても不信謗法の幽霊たち。

今日も今日とて、小理屈を述べる。

実(げ)に情けなき、無知の姿よ。

呆哀哀。
 

幽霊問答

 投稿者:管理人  投稿日:2017年12月29日(金)18時31分51秒 i223-218-151-119.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  言わずもがな。

幽霊には足が無い、とは、昭和人であるならば、誰もが知っている物言いではある。

して、其れを言うならば、足の無い幽霊こそは、地に足が着いていない姿ともなる。

はてさて、そんな幽霊が、昨今大いに土中から現れて、あーだ、こーだと、小理屈を並べ、
地に着いていない己(おのれ)の無足を惚(とぼ)けて、相手が立っている土台に文句を言い立てる。

哀笑。

解ろうか。

其の幽霊とは、己(おの)が身を置く宗派教団という土台から足を遊離し、其れこそは地に足が着いていない、
違背退転の姿をして云うものである。而して地に足が着くとは、応に所属する宗派教団にして確固たる信心を
構築するに在ると云えよう。本より、日蓮大聖人の仏法は、先ず以って其の信心こそが重要となる。

されば、無足不信の幽霊たちが、己(おのれ)の恥態を顧みず、相手が信奉する本尊教義をして、あーだ、こーだと
文句をいう。

哀哀。いやはや何とも、情けない姿ではないか。

さて観れば、そんな幽霊たちが、大御本尊の仏滅讃文について、あれやこれやと小理屈を交わしておる。

先ずは幽霊Sが云う。

『日寛上人が「本門戒壇の本尊は三大秘法の随一/真実究竟の本尊」と結論付ける前提として、
弘安元年以降が「仏滅後二千二百三十余年」となり、この表示が「究竟の極説」だと定義されているのです。
だから、これに符合しない「楠板曼荼羅」は「本門戒壇の本尊」と称する事はできないのです。

更に云く、

『「仏滅後二千二百三十余年」を「究竟の極説」としているのに、「本門戒壇の本尊」が「楠板曼荼羅」であるならば、
日寛上人は「楠板曼荼羅」をご覧になっていないか、その後造り直されたと何度も申し上げているのです』


対して幽霊Gが云く、

『弘安元年以降ならば本尊に「仏滅後二千二百二十余年」とあっても問題ないのです。
何故ならば、日寛は日蓮の遺文や本尊の弘安の年号と仏滅後二千三十余年(ママ)を対比して
弘安元年以降が「仏滅後二千三十余年」となり、即ち弘安以降が「究竟の極説」となるからです。
日寛は「仏滅後二千三十余年」とある本尊が「究竟の極説」と教示しているのではなく、
仏滅後二千三十余年となる弘安元年以降に図顕された本尊が「究竟の極説」と教示しているのです』

はてさて、一方の幽霊が「日寛上人」と尊称すれば、一方の幽霊が「日寛」と呼び捨てにする。

爾して此の幽霊問答。「日寛上人」と尊称している方が正論を述べているのか、と思いきや、
さに匪ず、実は「日寛」と呼び捨てにしている幽霊の方が正しい事を言っているのである。

つまり、大曼荼羅御図顕の御本意(大聖人御魂魄の観心本尊)を、二千二百三十余年に当たる弘安以降に御顕発された
事が重要なのであり、其の御本意を根因としての「二十余年」であり「三十余年」である、という事を領解しなければ
戒壇本尊に記(しる)された仏滅讃文(二十余年)の御意などは到底理解し得ないという事なるのである。

更には幽霊Sが、

『「仏滅後二千二百三十余年」を「究竟の極説」としているのに、「本門戒壇の本尊」が「楠板曼荼羅」であるならば、
日寛上人は「楠板曼荼羅」をご覧になっていないか、その後造り直されたと何度も申し上げているのです』

などと言っているが、其れこそは幽霊Gが云うが様に「究竟の極説」とは、弘安元年已後の御図顕を指すものであり、
更に言えば『二十余年』『三十余年』との御算定は、須らく日蓮大聖人の寿量文底の御内証から明記されたものであり、
其の真の御相貌こそが、中央首題と直下判形の大書を以って「究竟の極説」つまりは御本懐の御相貌として顕示遊ばさ
れたされたものと領解する事こそが重要となるのである。仍って、日寛上人は、弘安以降、種々ある御本尊の中から、
特に戒壇の大御本尊を指して「就中(なかんずく)弘安二年の本門戒壇の御本尊は、究竟中の究竟、本懐中の本懐なり」と
御断言されたのである。

爾して、此等の本尊義は、三大秘法の中核たる一大秘法が、人法に亘るという事を識らなければ、到底領解する事など
出来ないのである。

加えて幽霊Sは『日寛上人は「楠板曼荼羅」をご覧になっていないか』などと疑妄を呈しているが、其れこそは、
日寛上人御自ら『戒壇の本尊を書写してこれを掛け奉る山々、寺々、家々は皆これ道理の戒壇』と述べられている事から
して、全く当たるものではない。ましてや、日寛上人が戒壇の大御本尊を偽造したかの様な物言いは、無足の幽霊を通り
越して、三首妖怪の類(たぐい)ではないか、と此に責断するものである。

尚、其の後に於いて幽霊Sは、二十余年と書かれていても、三十余年と書かれていても別段問題ない、と改論し、
専(もっぱ)ら「三十余年究竟説」に拘(こだわ)っているのは、他ならぬ日寛上人だ、などと疑妄を転嫁して、
だから其れに符合しない「楠板曼荼羅」は「本門戒壇の本尊」と称する事はできない、などと誑弁を吐いておる。

ったく、二十も三十も問題ないのであれば、抑も弘安以降の極説を以って、日寛上人が弘安二年の大御本尊を究竟と
定義されるに、其れこそお主からして何の問題など無い、という事になるではないか。

尚、富士大石寺塔中久成坊(日尊開基)の本堂には「二千二百二十余年」の御板御本尊が御安置されているが、
其の常住御本尊の御裏書には日寛上人の御判形があり、其れこそは「二千二百二十余年」の御本尊を日寛上人が
御允可された証拠ともなるのである。

加えて幽霊Sは、(三十余年に拘った)日寛上人だけではなく、歴代法主も「二千二百三十余年」を重要視されて、
書写本尊は全て「二千二百三十余年」と記載されています、などと見て来たような事を言っておるが、
「二千二百二十余年」の御本尊などは、日開上人のみならず、日精上人、日俊上人、日文上人なども書写されて
いるのである。さても、其れらの御本尊、一体、どの御本尊を以って書写されたのか。爾して戒壇の大御本尊は
「二十余年」であるのか「三十余年」であるのか。実(げ)に其れこそは、甚深なる拝仰を以って見地しなければ、
単なる引き算・足し算に終わって仕舞う、という事を能く能く識らなければならないのである。

尚、当方が御格護する日達上人御書写の御守御本尊には、『仏滅後正像未弘之大本尊也』と認(したた)められて、
二十余年、三十余年等の年記などは記(しる)されていない。

何だ。おかしいか。小鼻笑。
おいおい、其の様に頭を抱えても解るものではないぞ。哀笑。

とまれ、SとGの幽霊問答。

其の結論を言えば、軍配はGに上がったと云えよう。

爾して此の二人の幽霊。

もしや鎌倉時代にタイムスリップして、日蓮大聖人に会ったならば、さすがに『おい、日蓮』とは呼び捨て出来まいが、
其れこそは開口一番、曼荼羅がどーの、干支がどーの、仏滅がどーの、いやいや其れこそは『日蓮さんは仏かいな』と
身延紛いの己義私論を並べ立てて、三位房よろしく学者然を気取るのであろうが、そんなお主らは以下の日蓮大聖人の
御詰問によって、即時に悶絶してしまうのである。

曰く、法華の文を尋ねるは信じて問ふか、信ぜずして問うふか。と。

さても、信じて問うならば、何を信じ、何を以って法華の本尊と為すか。
加えて、其の正義を全うしておるのは、何処(どこ)の門派教団であるのか。
爾して、信ぜずして問うならば、其れこそは、以信得入を知らざる恥態とならざるか。

当宗の奥義に曰く、

『当家に談義あるべからず、其故(そのゆえ)は談義とは其の文段を横に沙汰する故に智者の所作なり、
当家は信の宗旨なる故に爾るべからず』と。

仍って曰く『当家説法の時智恵を面(おもて)に立て信を裏に成し候、信を裏へまわれば宗旨既に破れ行き候
去る間御祈祷も祈祷に成らず、作善も作善にならざるなり、一向天台宗の作法に成り候』と。

仍って曰く『智恵は理なり迹なり』と。

うむ。

まさしく此の義こそ、行学は信心よりをこるべく候、との日蓮大聖人の御金言に即するものである。

されば、自解仏乗成らざる凡人が、自義私論を展開し、以って法華本門の大義を推し量るは、是れ全く
増上慢の其れであり、実に其れこそは、自義なるか、経文なるか、との日蓮大聖人の詰問に粉砕される
全くの愚行である、という事を、幽霊を含む世の文献莫迦の者どもは識らなければならない。

さて、本年も愈々(いよいよ)残り纔(わずか)となった。

さてさて、明年こそは、富士門徒らしく信心第一に邁進して往こうと、此に重ねて誓うものである。
 

H27脱会@法華講員殿

 投稿者:管理人  投稿日:2017年12月 9日(土)15時15分42秒 i114-185-6-11.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  久々の御投稿でありますね。

あいや。実は当方も久しぶりの投稿でありまして、何ともはや、管理人としてお恥ずかしい限りであります。

入信されて早二年。

今では支部の一員として日々奮闘の由。

いやいや、仕事の多忙に感(かま)けながらも、其処(そこ)をして当詣道場と自念する当方の精神からして、
H27法華講員殿の御信心は、真実(まこと)自行化他の実践鏡と成るものであります。

>さて、創価学会と言えば、ますます、その狂い様は、加速度的に破滅に向かって突き進んでいるなぁ…との感を
>強く感じています。最近の聖教新聞も、一段と狂いが多く記載され、悪のプロパガンダ、なんの、教学的根拠も、
>無い、空辣な活字のみが、威勢が良いだけで、それさえ、衰退の責め苦に喘ぐ強がりとしか、思えません(笑)

まこと、其の通りであります。

『言葉と共に生きる聖教新聞』

存知の如く、此のフレーズは、聖教新聞のTVコマーシャルのものでありますが、
言葉と生きる聖教、つまりは言葉と生きる創価学会であるならば、其の倶(とも)に生きんとする言葉、
つまりは、其れが宗教であるならば、其の根幹教義こそ、真(まこと)の言葉と成るは必定でありましょう。

さても、其れら真の言葉をコロコロと変節する似而非(えせ)教団が、恥も外聞もなく公共の電波を使って
『言葉と共に生きる聖教新聞』などと、よくも言えたものであります。

>池田駄作が、嘘も百遍重ねれば、真実に成る…と、言ったとか…。

御意。

実(げ)にそうであるならば『虚言と共に生きる聖教創価』とフレーズするが正解となりましょう。

>バカな謗法者の戯け言…嘘はどこまで行っても嘘なので、有ります。

云く『大聖人の出世の本懐である一閻浮提総与の大御本尊が信心の根本であることは、これからも少しも
変わらない』

されば、此の破門後に於ける池田太作の信心指導こそは、真っ赤な嘘であった、と昨今の創価員が言う。

哀笑。

師匠! 師匠! と尊称し乍(なが)ら、其の師匠の指導をしてウソだった、などとよくも言えたものであります。

応に『心破作七分』と此の事を指して言うものでありましょう。

>皆様には、ご自愛頂きまして、平成33年のご命題達成に向けて、共々に頑張って参りましょう。

はい。

当方とて、頑張って参る所存で御座います。

H27法華講員殿には、今後とも、当室への御投稿を宜しくお願い申し上げます。
 

ご無沙汰しておりました。

 投稿者:H27脱会@法華講員  投稿日:2017年11月28日(火)16時24分3秒 E219108019207.ec-userreverse.dion.ne.jp
返信・引用
  管理人、大月天さま、また、法華講の皆さまには、ご無沙汰しておりまして、申し訳ありませんでした。こちら、掲示板は、慌ただしい中にも時間を作り拝見させてさせていただいては、居たのですが、中々、書き込みさせて頂くには時間が作れずに間が空いてしまいました。

お陰様で、無事、創価学会を脱会してから、満2年も先月、経過し日々、正しい信心が出来ます事に感謝しております。改めて、私が創価学会を脱会するに当たりまして、管理人様には、大変お世話頂きまして感謝と御礼を申しあげます。また、さまざまに、教えて頂きました法華講の先輩方にも御礼申し上げます。ありがとうございました。

今年は、公私、共に様々有りまして、多忙の中にも、日蓮正宗の信徒として正しい信心が出来る歓喜の中、また、所属寺院さまで、壮年部の初役に就かせて頂きました。
今週、日曜日には、私、所属寺院の支部壮年部大会で体験発表をさせて頂き、恐らく新年1月号の寺報に、体験談を載せて頂ける事に成りました。

さて、創価学会と言えば、ますます、その狂い様は、加速度的に破滅に向かって突き進んでいるなぁ…との感を強く感じています。最近の聖教新聞も、一段と狂いが多く記載され、悪のプロパガンダ、なんの、教学的根拠も、無い、空辣な活字のみが、威勢が良いだけで、それさえ、衰退の責め苦に喘ぐ強がりとしか、思えません(笑)
池田駄作が、嘘も百遍重ねれば、真実に成る…と、言ったとか…。
バカな謗法者の戯け言…嘘はどこまで行っても嘘なので、有ります。
とうとう、自慢のSGI会長の座も、日本の創価学会の原田の下位の成ったとか…。
しかしながら、創価学会員は、尚、しがらみに囚われて、この様な有り様の、創価学会に洗脳され続けるとは、誠に哀れと言うしか有りません…。

また、改めまして書き込みもさせて頂きたいと思います。寒さも日増しに強まりますが、皆様には、ご自愛頂きまして、平成33年のご命題達成に向けて、共々に頑張って参りましょう。

 

ああ、邪教人 其の七十二

 投稿者:管理人  投稿日:2017年11月 8日(水)06時49分34秒 i223-218-162-93.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  過日、書棚を整理していたら、厚手の本の隙間から「新教宣ハンドブック」なる小冊子がズレ落ちた。

「おお、今となっては懐かしい…」

そう思いながら手に取って、パラパラと頁(ページ)を捲ってみた。

哀笑。いやいや、思い返せば、創価教宣の者ども。

其のハンドブックを虎の巻にして、あーだこーだと唾を飛ばしていたものと…。

小鼻笑。

まぁ、そんな事を思いつつ、ページの捲りを進めると、次なる教宣の批判が目に飛び込んで来た。

云く、

【「戒壇の大御本尊」とは、宗祖日蓮大聖人の出世の本懐であり、日寛上人が「三大秘法の随一なり」と
仰せの大御本尊である。ところが日顕(上人)は、当時教学部長でありながら、この大御本尊に疑念を抱き、
鑑定にかけた上で「偽物」と断定していたのである】

と。

呆哀笑。

そーか。本門戒壇の大御本尊は日蓮大聖人の出世の御本懐にして、日寛上人が仰せの三大秘法の随一たる
大御本尊であるか。

而して、日顕(上人)は、其の大御本尊をして「偽物」と断定した、全く最大の謗法者であるとな。

糞笑。

して今はどーなのだ。

其れで間違いないのか。

間違いがなければ其れで佳し。

しかし、其れが間違いであったならば、其の間違いたる教義教学を以って相手を批判中傷した事について、
先ずは詫び、そして訂正する事こそが、宗教人としての真っ当な心得ではないか。

加えて、今のオマエらの教義教学からするならば、御隠尊日顕上人こそ、オマエら現創価の新造教義の先見を
成していた、という事になるではないか。鼻笑。

されば、其の人なりの事でなく、其の持する教義教学の先見性について賛嘆する事こそが、依法不依人たる
日蓮門下の大姿勢ではないのか。

ったく、言いっ放しのやりっ放しでは、其れこそ猿人と同類である。

果たして、オマエらは、新興宗教の猿人に成り下がったのか。

曰く『墨平三郎腹を立て申す様は、日蓮聖人は昼は念仏無間と折破し、夜は念仏を申され候と讒言を申す』

哀笑。

昔も今も、こーゆー賊(やから)は居るものである。

少しは恥というものを識(し)りなさい。
 

情勢私感

 投稿者:管理人  投稿日:2017年10月25日(水)17時01分35秒 i223-218-104-212.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  一将功成りて万骨枯る。

否、其の一将也も、今や朽ち果てんとす。

果たして、小池女史。

其の薄情なる性質を以って、何(いか)に人心を掌握せんや。


とまれ、此の度の総選挙。

保守に於ける公明の翼賛も相俟って、大圧勝の結果と相成る。

先ずは佳し。

然るに、橋下元大阪市長が「政党を行ったり来たりするチョロネズミが駆除された。その意味で前原代表と小池知事の
功績は大きい」などと言っていたが、果てして其れを創価に当て嵌めるならば、今こそ創価のチョロ本尊・チョロ教義を
破折駆除せねばなるまいて…。いや、其れらのチョロチョロなどは、最早、吾が富士門の大義からして破折する対象で
はなく、其れこそは嘲笑に値する珍義であるから、今にして「破折」などとは仰々(ぎょうぎょう)しいモノとなる。
さて、そうとなれば、創価のチョロ教義などは呵責叱責で充分であろうから、当室の看板に在る「創価学会破折情報」
などは、其れこそ「創価学会呵責情報」とでも変えるべきであろうか。(あぁメンド!)  糞笑。

とまれ、現在に於いては、身延日蓮宗の方が、其の邪義の組立てからして細巧であるから、当に「破折」とは、
これら老獪なる不相伝の邪宗教をして為すべきである、と当方は思うものである。

本より「過去との整合性など、どうでもいい。自語相違と批判されてもかまわない。結論は決まっているんだ。
教義なんて、それを後付けすればいいんだ!』などと言っている教団などは、最早宗教ではなく、こんなものは
単なる「小利益集団」であり、当に是れこそが破折にも値しない「チョロネズミ」の姿そのものとなるのである。

さて、我が大日本国の近隣に目を転じれば、創価同類の北朝鮮のチョロネズミなどは、一発ぶち咬ます事を芳しとして、
愈々(いよいよ)、当方が予言したとおり、習近平が其の野望を実現化し、名実共に中共支那の大統領と相成った。
無論、此奴の全権掌握の手法とは、 取りも直さず汚職撲滅の名の下に実行された政敵の粛清劇に他ならない。
何度も云うが、此の者の周到なる魂胆は、彼の毛沢東に匹敵するものであり、其の性質は露助のスターリンに類する
ものである。

よろしいか。此奴を嘗めていると、いずれ必ず豪い目に遭う事になろう。
さればこそ、我が国の外交戦略が今こそ試される時なのである。
本より、其れを以って憲法を改正し、又、其れを根旨として九条の変更を急がねばならないのである。

習近平の支那が云く、

「自衛隊を軍隊に改名し、活動範囲を広げる事を国家の最優先事項とするなら、力を入れるべき所を間違えている」と。

呆哀。

おいおい支那よ。其れこそ大きなお世話であるぞ。

否、其の様なこと、オマエらから言われる筋合いもない。

第一、世界での強国を目指して縦横無尽に軍隊を増強しているのは、他ならぬオマエらではないか!

ったく、ふざけるものではない。

中共支那。

諸民族を抑圧し、言論を統制し、其の簒奪した戦勝国の名の下に、国連安保理を掻き回す、其の悪辣なる姿よ。

言うまでもないが、オマエら支那国は、日蓮大聖人の仏法からして、全くの悪国であり害国である。

本より其の無知ぶりは、月氏にも劣るものである。

とまれ、中共支那の繁栄は、其の世俗に於ける周到な権力と、十二億の民衆を犠牲にしての一部一億の繁栄であり、
其れら偏波な業績を以って傲慢するは、当に悪国の典型にして、実に其れこそが仏法からして害国の姿である事は
最早明白なのである。

さて、己(おのれ)の掲示板に目を向ければ、相も変わらず、串と捨てハンを使っての駄文投稿。

呆哀笑。

よいか。当室に於いては、串と捨てハンは馬鹿の象徴と定義しておるから、オマエらが其れを自認するのであれば、
其の証明として大いに投稿するがよろしい。無論、そんな馬鹿が馬鹿と自認する馬鹿文など、当室に於て掲載される
筈もなく、そんなモノは即時に於いてゴミ箱入りとなる代物である。小鼻笑。

論は論にして義とは成らず。

応に此の富士門義の大意を識(し)る者こそ、興門正統の一列に加わる事が出来るのである。

おっと、今日とて忙しい。

今から又、留守となる。
 

勧告

 投稿者:管理人  投稿日:2017年10月11日(水)19時59分8秒 i223-217-41-137.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  観れば何やら、得体の知れない蝗蟲が迷い込んでいる様だが、当室に於いては、そーゆー蝗蟲などは相手にはせん。
してもし、どーしても当方と対したい、と言うのであれば、先ずは、そーゆー醜い蝗蟲から脱皮する事が先決である。

何? 脱皮の仕方が解らんだと?

小鼻笑。そんなこたぁー簡単だよ。

っーか。当室の巻頭文に明記されているだろう。

何? 小蟲であるから、そこまで目が届かんとな。

哀笑。ったく、仕方のない奴め。

よいか聞け。っーか、よ~く読みなさい。


先ずは一。串での投稿を止め、正規プロバイダによるIPアドレスを以って投稿する。

そして二。自身が所属する宗派及び教団名を親告し、其の持する本尊と教義を宣揚する。

加えて三。其の持する本尊と教義を根旨として、相手宗派及び其の本尊教義を批判する。


よろしいか。

以上三つが、脱皮の順序である。

尚、当室に於いては、無宗教者からの批判投稿は一切受け付けない。

其の理由は唯(ただ)一つ。同じ土俵に上がりたければ、先ずは褌(ふんどし)を付けて参れ、という事である。

さても、得体のしれない蝗蟲よ。

果たして見事脱皮して、其の姿が蝶であるのか蛾であるのか。

当方の前にて披瀝して見せよ。

さすれば当方、早速にオマエの投稿文を掲載してしんぜよう。
 

ああ、邪教人 其の七十一

 投稿者:管理人  投稿日:2017年10月10日(火)16時35分39秒 i223-217-41-137.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  さて、本日も参ろうか。

>わずか2年前、国会でプラカードを掲げて安保法制反対!と叫んでいた民進党の議員たちがバッジ欲しさに
>安保法制賛成と言って希望の党に入った。人として恥を知らぬは猿以下と言える。
>希望の党の元民進は、悪しき前例とさせない為にも一人も当選させてはいけない。

哀笑。

本より政治は世間である。

仍って、其の掲げるプラカードは、其の対策対象の変化によって変貌するのである。

爾して仏法は出世間である。

仍って、其の掲げるプラカードは、其の根本尊崇の意味に於いて変貌は許されない。

云く、

『学会教学の不滅の伝統は、日寛上人の六巻抄を基盤として築かれたといっても過言ではない』

又云く、

『六巻抄はいわば仏法哲学の精髄である。これを無量に展開していくことこそ学会教学部の使命であり、
責任であることを訴えたい』

さても、これら池田名誉会長の指導こそが、応に根本尊崇に対する信仰信条よって為されたものであり、
其の出世間に於ける信仰信条こそが、絶対に堅守される可きものなのである。

つまり、オマエが言う処の「人として恥を知らぬは猿以下」とは、実にオマエら創価学会員の事を言うの
であり、其れこそ、猿以下ならぬネズミ以下の連中こそが、六巻抄の真髄を蹴飛ばした原田創価であり、
身延教義の片棒を担がんとする宿坊一味なのである。

而して、そんなネズミ以下の連中が運営する掲示板に嬉々として投稿するオマエら小学会員の所業こそも、
まったく猿以下の所業であり、そんなオマエらが、民進党議員の鞍替えに文句するなど、其れこそ詐欺師が
泥棒に説教するようなモノなのである。呆哀哀。

破門後の池田名誉会長が申さく、

「大聖人の出世の本懐である一閻浮提総与の大御本尊が信心の根本であることは、これからも少しも変わらない』

さても、この本尊指導が、僧俗和合時代から励んで来た、学会員同志の心情に対する気遣いの便説であったのか。

して其れが便説であるならば、彼の正本堂こそは、其の便説の下に建立されたものであるのか。

して、そうであるならば、あの正本堂に対する「御供養」は、オマエら創価からして一体何であったのか。

よいか。これらの事について、オマエらは須らく総括しなさい。

さもなくば、其れこそが「猿已下」と成る。


次。

>私は創価学会員であり、学生部の段階で、「弘安二年大御本尊」に疑義を抱き文献などを漁るように読み、
>男子部創価班広宣の方に相談しながら学んでいった結果は、「日蓮聖人とは無関係」だと理解した。
>創価大学の宮田幸一さん、菅野博史さんなども同じ様な教学見解を出されている。

哀笑。

こんな者が創価学会の幹部とやらをやっているのであるから、最早、何でもアリの組織なのであろう。
本より、其の質(すがた)こそが、宿坊の掲示板なのであり、反宿坊の掲示板なのである。

さても、日蓮大聖人は末法の御本仏ではない、とする宿坊一味と、日蓮大聖人が御顕発された御本尊は
一大秘法ではない、とする反宿坊連中と、はてさて、どっちが正統正義であるのか。小鼻笑。

観れば、そんな教義などお構いなし。何奴(どいつ)も此奴(こいつ)も、やれ公明だ、やれ選挙だと……。呆呆哀。
ったく、政教一致もいい加減に致せよ。鼻笑。

果たして、莫迦と阿呆の鬩(せめ)ぎ合いとは、此の事を指して云うものか…。小鼻笑。

>日蓮正宗の総本山大石寺の売却事件について「有師物語聴聞抄佳跡・上」には
>「二三人の留主居を定メて候えば如何様の思案候ひけるや、留主居此の寺を捨て除き候間六年まで
>謗法の処に成リ候」と記されている。
>本紙前号で触れた通り、大石寺売却事件は日亨上人も認めている。

哀笑。宿坊よ。

しかしオマエは、よくも飽きずにフェイク記事をベタ貼りするよのぉ。呆呆哀。

だから何度も言っているだろう。

其のオマエが貼り付けているフェイクが、オマエの事を指して謗法人と断じているのであると。

云く『身延山といえば、日蓮大聖人を末法の御本仏と仰がずに「日蓮大菩薩」と称しており、また
「板本尊偽作論」を唱えて大御本尊を否定し、更に、御本尊を店先にぶら下げ、御守本尊をカードにして
販売している謗法の山である』と。【フェイク 1406号(13.08.22 発行分)】

して、オマエが云く、

「鰯(イワシ)の頭も信心なので、日蓮聖人が末法の御本仏というのは、所詮、信仰上の話です」
つまりは「(そんなウソでも)その宗派内、会内で納得されていることならばOKなのです』と。

さても、己(おのれ)をして謗法人と断じるフェイクを嬉々としてベタ貼りする其の鵺なる姿よ。呆哀哀。

実に「破廉恥」とは、応に貴様の事を指して云うものである!!

尚、件(くだん)の「有師物語聴聞抄佳跡・上」の文記に於いては、「六年事不明なり、他の文献に見えず」と
日亨上人は注記されている。本より、此の一件について文句あるならば、いつでも相手になってやろう。
されば、其れらが単なる言い掛かりであるのか否か。其の答えこそがハッキリとしよう。

次。

>獅子身中の虫の筆頭・○○学会のCIAと言われる連絡局局長、泣く子も黙る竹入央迪副会長。
>芝田連絡局次長、一柳局員、○○学会儀典局長・和田局長、石井晴夫局次長、森田 ? 局員、
>恐らく、○○学会では、脅し賺し・落としの最高峰と言われる六奉行が、勢揃いしての査問に
>宮川夫妻を御招待下さった。

泣く子も黙る竹入央迪副会長……。

そーよな。思うにあの風貌こそは、空手の師匠のような風貌ではある。

確か以前、この空手の師匠は、埼玉県の県長などをやっていたのではないか。

しかし何だ。脅し賺(すか)しの最高峰とは、流石(さすが)は創価学会である。

本より「吊し上げ」などは、創価の得意中の得意であろう。

保田妙本寺、宮川御尊能化……。小鼻笑。それホントかいな。小鼻笑。

>今まで、僅かばかりの正義を口走った佐藤伴道や、吉○幸道師外、
>数名の坊さんが女房同伴で呼ばれて落とされたらしい。

鼻笑。

何で吉川幸道だけ○で抜かすのだ!

つまりは何だ。創価寺院の住職(錦州山宝光寺)をやっているから○で抜いた、とでも言うのか。

鼻笑。何が何だか判らんが、此奴(こやつ)らは「日蓮正宗改革同盟」などと嘯(うそぶ)き乍(なが)ら、
創価から毎月何百万円も支給され、其れこそ「坊主不要」と断じた創価学会の股の下を潜(くぐ)った
売僧であろうが!

有師物語聴聞抄佳跡に曰く、

『檀那は必ず三宝を敬う、還而僧衆檀那の心を取り機嫌に入る事、仏法を売物にする売僧と云ふべし』と。

オマエらこそは恥を知りなさい。

>「法主本仏論」で日顕宗に変質…。

小鼻笑。変質? してねぇーよ。呆哀笑。

>御本尊受持に関し日如の矛盾する発言……。

>早瀬日如は義寛と名乗っていた頃、御講で学会の会則の「三大秘法の大御本尊を信受し」について
>「学会が三大秘法の大御本尊を信受するなんて、破門された学会には許されない。狂っている」と叫んでいた。

>ところが、近年では「『弘安二年の御本尊は受持の対象にはいたしません』とは暴挙であり、大聖人への反逆行為
>です」等と相反する戯言を述べている。

>「信受する」のは許されない、狂っていると批判し、今は決別して他宗派になった大謗法の地の大石寺にあるから
>「受持しない」というと、今度は反逆行為だ、謗法と悪口を言う。どっちにしても非難中傷するのが邪宗門の日如ら
>坊主達である。

哀笑。オマエは阿呆か。

さても御講で其の様に言ったのかどーかの事など、オマエらフェイクの事であるから確証も無いが、果たして、
現猊下が其の様に言ったとして、其の意味こそは当然の事であろう。

つまり、悪行によって総本山から破門された信者が、その総本山に格護される大御本尊を信受しようとする、
其の矛盾なる信行をして許されない、と言ったものであり、併せて、其れら破門された信者らが、破門以降、
大御本尊への信仰を捨て去る、其の変節退転の愚行をして許されない、と言ったものである。

よいか。オマエが阿呆な所は、修行と法体の区別が出来ていない所に在る。呆哀。

も少し、勉強して来なさい。

何? どーせ、オイラが載せているフェイクの記事は、其の元からしてフェイクであるから、そんな整合性など
お構い無しとな。

糞笑。

そーよな。

ならば、そんな糞記事など、一々載せるものではない!

其れこそ、貴様の程度が知れる、というものである!!

おっと、時間が来てしまったわい。

さてこそ今日も邪教人!

邪教人への呵責はこれからも続く!!
 

御報告

 投稿者:管理人  投稿日:2017年10月 8日(日)16時03分18秒 i223-217-41-137.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  本日帰宅す。

して観れば、宿坊の掲示板、宿坊2の掲示板等、相も変わらず、邪義邪言を掲載し、
其の宿坊なる創価亜流の策謀グルーブが、アンチよろしく其の名を偽造し、又は騙(かた)って、
其の腐敗した根性を丸出しにしておる。

本より当方は、この宿坊が運営する掲示板に投稿し、其の腐りきった根性を、其れこそ一信仰者として
鋭意糾弾したのであるが、手前(てめー)は当室に対して、串を使い、捨てハンを用いて、散々荒らして
おきながら、当方の真っ当な投稿文に対しては、何の返答もなく即座に削除したのである。

宿坊の黒カラス。

最早、信仰心の無い、単なる謀略の腐根者どもが何をか言う。小鼻笑。

何に況んや、其の根性を見抜けずに、連日投稿している小学会員の哀れさよ。呆哀哀。

釈迦本仏の黒カラス。
心破作七分の黒カラス。

此等、謀略不信の権化たる黒カラスの宿坊への呵責は、今よりも況して実行せんと、此に改めて期するものである。
 

お知らせ

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 9月27日(水)01時28分31秒 i114-185-19-59.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  閲覧者各位

急遽、本日から10日間の出張となり、早朝から不在となります。

つきましては、其の間、投稿文の掲載は出来ません。

掲載は全て、帰宅後と成ります。

尚、不在の日程については変更もあり得ますので、予め御承知おきの程、お願い致します。
 

総本山の威厳

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 9月26日(火)14時44分19秒 i114-185-19-59.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  室町八代将軍・足利義政の乳母である御今の局が、将軍御台所日野富子の出産に際し、呪詛を行ったとの疑いを
かけられ、流罪地の沖ノ島(琵琶湖)に向かう途中、近江甲良庄に於いて自害した時、我が富士大石寺の御法主は、
第九世日有上人であった。時に、長禄三年、西暦1459年、今より550年以上も前の事である。

まぁ、こう申すと、単なる歴史の一片となってしまうが、我ら凡人は、其の遡(さかのぼ)る時の歴史というものを、
単なる記録年表から取り出して、暗記よろしく何年何月何日の事であった、と片付けてしまうものである。

爾して、時の歴史というものは、其の積み重なった日々の集積であり、其の流れゆく日々の経過というものは、
今我々が経験している時間の経過と決して変わるものではない。

されば、朝起き、人と会し、昼飯を食い、帰宅の後は夕餉を摂り、家族が在れば話し、夜更ければ寝る。
其の日々の積み重ねをして三百六十五日。其の間には、色々な会話があり、色々な思慮があり、そして、
色々な行動がある。

そんな三百六十五日が一回、二回、三回と繰り返されて、其れが更に、5年、10年、15年と積み重なって、
遂には50年。其れこそ5歳の女の子が55歳になり往く時間というものは、其の当人に於いても非常に長い
経過となろう。無論、過ぎてしまえば今は昔。其のなり往く時間が長こうとも、其れを今にして振り返れば、
あっという間の年月という事にもなる。

しかし其の「あっという間」という感覚は、凡(およ)そ個人が過去を振り返った時にこそ用いられる可きであろう。
爾して、歴史を探るに於いては、其の過ぎ去った日一日が重厚に織り重なった、応に時間の模様体として捉えるが、
正しい構えであると、当方は思うものである。

さても、上記に記(しる)した日有上人の代。今から遡る事、558年前。
其れこそは、応仁の乱よりも8年も前の事であった。

いや、其れをして振り返って観るならば、応仁の乱(山名宗全×細川勝元)が勃発した時、既に我が大石寺は厳然と
今の場所に在った、という事である。

いやいや、今にして思えば凄い事ではないか。

山名宗全、細川勝元、畠山義就、日野富子……。

見れば見る程、錚錚(そうそう)たる「顔ぶれ」ではあるが、歴史を知らぬ者からしてみれば、池田太作センセーの方が
有名だ、という事にもなる。鼻笑。本より、世俗の長である池田太作こそ、歴史年表に其の名を刻されるを熱望するで
あろうが、当方からしてみれば、俗人・池田太作などは、其れこそ骨皮道賢と同じくする、単なる小者の小騒人として
其の名を残すのみにて、到底、山名宗全や細川勝元の足元にも及ばない、小作小人の小足跡と成るものである。

さても富士大石寺。

此の御寺が駿州上野に建立された時、富士郷に於いては重須も無ければ、妙蓮寺も無い。
無論、西山本門寺や小泉久遠寺など、在ろう筈も無く、妙本寺や要法寺に至っては、
其の在地からして論外なものとなる。

されば、富士五山。

本より重須などは、大石寺の談所であり、妙蓮寺は、大石寺塔中寂日坊開基日華師が縁起であり、
西山本門寺の開基は、新六の日代師。小泉久遠寺に至っては、大石寺の蓮蔵坊を寺名に充てて
「富士山蓮蔵坊」などと称し、其の根名からなる「小泉道場」を粉飾したに過ぎない。

そうとなれば、富士五山。

実(げ)に其の総本家こそ、我が多宝富士大日蓮華山大石寺である事は、応に理在絶言なのであり、
応に富士大石寺こそが、富士門に於ける『総本山』なのである。

而して現状を見るがよい。

重須と小泉は、今や邪宗身延の傘下と成り、西山などは、単立孤寺にして、今にも朽ち果てようとしておる。

とまれ、本家本流から外れたものは、須らく本流とは成り得ず、事実、富士門流の諸寺院に於いては、
「大本門寺」の資格を疾うに失い、唯一、富士大石寺のみが『勅許門』を擁して、大本門寺たる威厳を
呈しているのである。

さてこそ、室町。日野富子已来の日有上人の御教示
今にしても我ら信徒の習いとなる。
実(げ)にこれこそ、法灯伝持の証であり、唯授一人血脈相承の大成果ではないか。

思うに今更(当たり前過ぎて)言うべき事でもないが、昨今平成になって独立した新興宗教創価学会などに、
仏法伝持の習いなど解ろう筈も無いし、抑も、其れを習う深義など持ち合わせていないのである。
又、そうであるからこそ、平然と本尊教義を改変し、又は盗用して、其の鉄面の態を晒しているのである。

尚、富士大石寺の種脱法門は、日隆の教義から盗用したものだ、などと莫迦な事を言っている奴が居るが、
日隆などは、抑も像門一致派からの分派であり、其の離反時に於ける右往左往は、離脱僧の醜態に勝るものである。

爾して、日隆が説く八品義なるものは、在末の衆生を解脱せしめる法体を同一と見做し、彼脱此種の再往義を無視せん
とする邪義であり、実に種脱の功益こそは、抑もが法体の相違によるものである、という事を知らない稚義なのである。

さても、日隆が生まれる以前、重須談所の日順師は、口決に於いてこう記(しる)された。

曰く「さて末法に入れば本已有善の機は尽きはてて本未有善の機計りなり、本末有善の機は未だ下種せざる者なり、
此の機の為には仏久成の人を召し出して久成の法を付し給ふなり、是れは寿量品の文底を用ふと云ふは是れなり」と。
仍って曰く「今日の釈迦如来は迹仏にて御座すなり」と。

本より、此の義こそが、我が富士大石寺の法義であって、日隆の己義など入る余地も無いのである。

『当宗(富士大石寺)の本尊の事、日蓮聖人に限り奉るべし』

よろしいか。

最早、此の日有上人の御教示を以って、日隆の邪義が大石寺に混入していない証拠と成るのである。

いや、其れよりも何よりも、日隆の八品派こそが、不相伝家の癖して鶴丸紋を盗入しているのであろうが。
よいか。真に鶴丸紋を掲げられるのは、我が興門正統のみである。
ったく、一致派の妙顕寺(現身延派大本山)から分派した己義ずれが、鶴丸紋を擁するなど以っての外である。

尚、重ねて言うが、八品派などは、其の信心の対象たる本尊に於いて、造仏を首(はじめ)、鬼子母神などを奉安し、
末寺に至っては、浄行菩薩を単体として祀り、挙句には七福神などを造立して、其の邪義ぶりを発揮しているのである。

呆哀。いや、其れよりは先ず、オマエら坊主が纏っている、其の紫袈裟を何とかしなさい! 呆怒。
観ていて、余りに穢らわしい。よいか。本因妙の色こそは白である!

おっと! 何時の間にやら、話が分派己義の日隆宗に行ってしまったわい、呆笑。

さてこそ、富士大石寺。

最早、伽藍の勝地こそは、富士山に限るとの日興上人の御意志からして、京都の要法寺、千葉の妙本寺などは、
其の篩(ふるい)から零れ落ち、日向身延に屈した北山本門寺、小泉久遠寺、伊豆実成寺などは論外として、残るは
西山本門寺のみ。さても正義の選択となれば、出戻りとて恥ずかしくはあるまい。

重ねて云おう。

実(げ)に興門正統の総本寺たるは、我が富士大石寺である。

遡れば、正応二年(1290)、当に元号が如くに、第二祖日興上人が、大聖の正義に応えて大石寺を建立し、
其の大石寺を総本山とする日蓮正宗は、大正元年、日正上人の御代にて其の宗名が成る。

以って曰く『宗名はこれ日蓮正宗、嗣法導師はこれ日正上人、年号はこれ大正元年なり、三正契合して
一貫の妙理それ顕然たり、仏意の感応誠に以って明らかなり』と。

大石の開創、正応に於いて、まさしく正義に応え、大石の宗名、大正に於いて、まさしく正宗と相成る。

実(げ)に是れこそは、名詮自性の必然なるか。

古(いにしえ)に曰く「名は必ず体を顕すの徳あり」と。

悲しいかな。智慧の無い者は、其れをこじ付けといい、或いは偶然と云う。哀哀。

さて曰く『手続の師匠の所は三世の諸仏高祖已来代々上人のもぬけられたる故に師匠の所を能く能く取り定めて信を
取るべし』と。

果たして、500年以上も前に示された御条目を、今にしてしっかと堅持するは、是れ全く伝持伝法の証となろう。
とまれ、猫の目が如くに教義規則をコロコロ変える創価学会からすれば、500年どころか、10年前の条目でさえ、
イライラして変えるのであろう。呆哀笑。

そんな創価の主任副会長が吠えて云く『過去との整合性など、どうでもいい。自語相違と批判されてもかまわない。
完全に独立した教団として出発するんだから。結論は決まっているんだ。教義なんて、それを後付けすればいいんだ!』

呆哀。応に『莫迦』とは此の事か。呆笑。

不相伝家の成れの果て。

実(げ)に其れこそは、向門・像門・隆門・陣門・真門・講門・什門にこそ当て嵌るものであり、
創価・霊友・立正・国柱・天理・PL・成長・幸福・メシア・真如などは、応に不相伝家以下の邪教団である事は、
今更言うまでもない事である!

さても、一閻浮提総与の大御本尊在(ま)します総本山富士大石寺。

其の偉容は、富士の余山を圧倒し、其の威厳たるは、持する大法の伝持に依って成る。

山号・多宝富士大日蓮華山大石寺。

最早、興門正統の総本山は、富士大石寺を置いて他にはない。
 

通りすがりの法華講員殿

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 9月23日(土)08時05分28秒 i114-185-19-59.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  事前のお声掛け、恐れ入ります。

確認は取れております。

改めまして、御存分なる御投稿を宜しくお願い致します。
 

管理人様

 投稿者:通りすがりの法華講員  投稿日:2017年 9月22日(金)19時11分43秒 pw126247082043.14.panda-world.ne.jp
返信・引用
  ご無沙汰しています。

これで確認はよろしいですか?
 

元祖通りすがりの法華講員殿

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 9月19日(火)23時05分8秒 i114-185-19-59.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  早速の御返事、痛み入ります。

此の度は、御無礼の段、此に改めてお詫び申し上げます。

御要望の件、畏まりました。

こちら側の投稿文も含め、今より削除致します。

尚、元祖通りすがりの法華講員殿に於かれましては、今後とも、当室への御投稿を宜しくお願い申し上げます。
 

Re: 元祖通りすがりの法華講員殿へ

 投稿者:元祖通りすがりの法華講員  投稿日:2017年 9月19日(火)21時19分33秒 om126211023201.13.openmobile.ne.jp
返信・引用
  こちらこそ、無礼な書き込みをしてしまい、失礼致しました。こちらには相応しくない書き込みにつき、可能ならば一連のやり取りの削除をお願い致します。  

ああ、邪教人 其の七十

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 9月19日(火)12時11分57秒 i114-185-19-59.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  さて、聞く処(ところ)によれば、此の度、創価学会は、新たな会則を設けたという。
其の名も【創価学会会憲】と銘打ち、従来の会則規程より、其の効力が優先するという。

呆笑。しかしなんだ。こーやって、次から次へと会則規則を弄(いじく)り回し、やれ新規則だ、
やれ会憲だと打ち出して、其れこそは会員小幹部、何がどーしてどーなっておるのか、まるで
鳩が豆鉄砲を食らった様に、キョトーンとしているのであろう。小腹笑。

尚、法則規則をコロコロ付け加える組織というものは、元来、其の組織に於ける統制力が低下して
いる証拠であるとは、衆全の常識である。

とまれ、首魁・池田太作の朽ち果てを目の当たりにして、今の内から、会員小幹部の人心を掌握せん
との目論見であろうが、さても、宗教の根本たる本尊教義に於いて、其の信仰結束を集約出来ぬとは、
いやはや何とも、情けない宗教団体ではある。嗤。

して、其の骨頂たるは【教師】【準教師】という役職の設置であろう。

しかも聞けば、其の任命範囲は、支部長クラスまで下るという。

最早、人心掌握の断末魔とは此の事か。

哀笑。ったく、オマエらは、どれだけの役職を作らんとしておるのか。

例えば、主任副会長…。

哀笑。なんなのだ、これは。呆笑。さても副会長に主任が要るとは是れ何(いか)に。呆哀笑。

尚「副会長」という役職が、最も安っぽく見えるは、日本広しと雖(いえど)も創価学会を置いて他には無いだろう。

…主任副会長。小鼻笑。いやはや何とも滑稽な役職ではある。哀笑。

して【教師】ともなれば、其れこそは「先生」という事か。
いや、会内に於いて「先生」と呼ばれるは「3人」しか居らんから、今回の【教師】は「先生ではない教師」と
いう事になる。呆笑。さても、先生ではない教師とは是れ何(いか)に。呆笑。

いや、待てよ。戸田先生が御存命の時、池田太作は其の当時、小平教学部長を「先生」と呼んでいたよな。
であるならば【教師】をして「先生」と呼ぶは、是れ全く抵抗なきと思ふが如何。

因みに、新興宗教に於いて【教師】という役職を設けている教団は数多(あまた)あり、新興創価は其れに追従せんと
するのであろうが、其れら新興宗教に於いて最も【教師】の数が多いのは、天理教の14万、真如苑の9万人、次いで
立正佼成会の8万人などであるが、詳細な数字ランクについては、宗教年鑑を参照されたい。

とまれ、創価学会が其れらの【教師】を拵(こしら)えるとなれば、当然に一番を狙うのではないか。
そーとなれば、やはり、支部長クラスまで落とさないと、其れら数値の達成は無理となろう。

まぁ、何れにしても、そんなもなぁー、新興創価にとっては、単なる数合わせの一環であるから、10万、20万の
教師などは、即席に於いて拵えればよい、という事になる。

さても、本部長と支部長教師。一体どちらが「御書講義」を担当するのであろうか。小鼻笑。

新興宗教の生業(なりわい)とは云え、多少気になる風景ではある。鼻笑。

次。

>日蓮大聖人に対しての、竜の口法難、佐渡流罪など人権侵害も、差別意識の表れでもあろうと想像できます。

呆笑。そーか。日蓮大聖人の御法難は、人権侵害と差別意識の其れであったか。呆哀笑。

何とも面白い奴…。鼻笑。

>(正木理事長は)集団的自衛権行使に反対したので、無理矢理、病気扱いにして閑職に追いやったとは、聞きましたね。
>やはり、集団的自衛権行使に反対した坂口元全国婦人部長も、隅においやられたそうです。

>>えーっ!そうなんですか?

小笑。えーっ! そーなんですか? とは素晴らしい。

昨今に於いては、えーっ! そーなんですネ! となる。

まぁ、其れは其れとして、集団的自衛権の行使に反対したから、学会の役職から外された、となれば、是れこそは
政教一致の所業ではないか。こんなもん、民進党あたりが、与党分断の作戦に於いて追及すれば、マスコミ世論も
反応するというに、民進党の莫迦さ加減には、もうウンザリである。

尚、我が国に於いて集団的自衛権を行使するなどは、初歩の初歩であって、そんなものは当たり前の事である。
兎も角、遅い、遅すぎる。いち早く憲法を改正し、国防軍を設置し、我が国の領空領海を侵さんとする支那や露助に
対して圧力をかけるべきである。ったく、国を守る組織が「隊」でとーするのか! こんなものは常識であろう。

よろしいか。「抜かば斬る!」この強き姿勢こそが、外交に於いて優位となるのである。
ったく、抗議だ、遺憾だと、そんなものは通用しないのである。

とまれ、現在の公明党は、保守に於ける翼賛であるから、当方としては、満更(まんざら)でもない。

おっとっと、信仰から外れてしまったわい。苦笑。

尚、日蓮正宗に於いては、講員信徒が民進党に投票しようが、共産党に投票しようが、ファースト何某に投票しようが、
其れらの行為は謗法でも何でもないから、其の元からして自由投票である。つまり、其の事からして当方の主義主張も
謗法ではない、という事になる。

日蓮大聖人が曰く『我が日本国は一閻浮提の内、月氏漢土にもすぐれ、八万の国にも超えたる国ぞかし』と。

仍って日順雑集に曰く『聖人仰二云ク日本は是レ中国なり』と。
又曰く『然ルに天竺の仏は迹仏なり、今日本国に顕れ玉うべき釈迦は本仏なり、彼の本仏の顕シ玉ふ所なれば
日本を中国と云フなり』と。

応に『大日本国主義』は、日蓮大聖人の御精神に適うものであり、其の持する大法からして、我が国こそが、
閻浮提第一の大国と成るなのである。

恩師に云く『日本の水はきれいな水であり、きれいな水は民族を優秀にし、水の速さの激しい気性を持っています。
日本人くらい立派な民族はありません』と。

実(げ)に其の国在りて、其の民族在り、とは当に此の事を指して云うものであろう。

無論、是れとて増長の念から申すものではないし、感情の生(な)せる業でもない。

当に是れこそは、教理の上から申すものである。

曰く『教に依って人の勝劣を定む。先ず経の勝劣を知らずして何ぞ人の高下を論ぜんや』と。

本より、国家なるものは、其の人民の集合に依って成るものであるから、人民の優劣そのものが、
其の国家の優劣と成るのである。

仍って、其の優秀なる民族を、ならず者の中共支那、朝鮮、露西亜から護るべきは、是れ全く国防力なのであり、
其の国防の上に立って、諸般の交渉に努めるが、国家を預かる者の責務となるのである。

攻めても戦争。攻められても戦争。

とまれ、其の種分を思わず単に戦争反対とは、応に自衛と戦争を色分けする短慮浅識の小思想である、
という事を今こそ識(し)るべきであろう。

>選挙の大勝利が広宣流布だと信ずるバカどもの世界

うむ。そりゃそーだ。

しかし、王仏冥合の「一端」から言えば、宗教組織が支持する政党が大勝利する事は、大いにプラスとなろう。
しかし、現創価は、政教分離の旗を掲げているのであるから、選挙の勝利が広宣流布だ、などという言動は、
応に自己撞着(どうちゃく)の痴言と相成る。

否、そーゆー現状を把握しようとしない民進党の怠惰こそ、大いに責められるべきものとなろう。

>日本共産党撲滅唱題会の打ち出しがありました。来月22日に投開票!負けるわけにはいかない決死の一戦!!!
>北朝鮮撲滅唱題会も併せて開催です~

鼻笑。おいおい、それホントかいな。小腹笑。

>秀逸なる 宮川日護先生の 新説!
>真の悟りを得るには、脳科学から仏教を見る事であるという

哀笑。これも笑えるな。小鼻笑。

応に邪教人とは此の事か。

おっと! 又しても長くなったわい。

昼も昼とて邪教人。

邪教人への呵責は、これからも延々と続く。
 

【面目は恥なり】首魁・池田太作に捧ぐ

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 9月19日(火)07時45分50秒 i114-185-19-59.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  今思うに、当時、鎌倉幕府が実権を握る日本国に於いて、否、其れより以前から日本国の身分制度という
ものは、公家・武家を問わず、其の出目と武力によって獲得し、又は維持されてきたのである。

したがって、中世日本に於ける身分の格差というものは、現代人の我々が想像も出来ぬほど、絶大なのである。
例えば、権大納言と一農民とでは、其の人間の存在価値に於いても差別されるのであり、一商人・一農民が、
守護地頭に暴言を吐けば、其れこそ頸刎ねられるのである。

否、権大納言や守護地頭どころではない。相手の地位が従五位下であろうと御家人であろうと、反攻に及べば、
其の頸刎ねられるのである。つまり、其の逆を申せば、其の当時に於いて、官位を持つ者、城を持つ者などは、
民衆一般からして、雲の上の存在なのである。してもし、それら地位の者が我らの前に現れたら、我らはその場
にて土下座し、頭を下げなければならないのである。

さても、西洋かぶれの平等主義を掲げる創価学会員などは、其の様な世界が我が国にあったとは、其れこそ反吐
(へど)が出るくらい、嫌悪するであろう。しかし、其の当時に於いて、其れが日本の常識だったのである。

して当時、其れら雲の上たる公家衆に招待されて法を説いたと喜悦し、其れら殿上人からの賞賛を以って
己(おのれ)の面目と成した三位房の性根を、日蓮大聖人は厳しく叱られたのであった。

長文ではあるが、委細、其の事を示そう。

曰く『御持仏堂にて法門申したりしが面目なんどかかれて候事、かへすがへす不思議にをぼへ候。
そのゆへは僧となりぬ。其の上、一閻浮提にありがたき法門なるべし。設ひ等覚の菩薩なりとも何とか
をもふべき。まして梵天・帝釈等は我等が親父釈迦如来の御所領をあづかりて、正法の僧をやしなうべき
者につけられて候。毘沙門等は四天王の主、此等が門(かど)守り、又四州の王等は毘沙門天が所従なるべし。
其の上、日本秋津島は四州の輪王の所従にも及ばず、但(ただ)島の長(おさ)なるべし。長なんどにつかへん者
どもに召されたり、上(かみ)なんどかく上(うえ)、面目なんど申すは、かたがた詮(せん)ずるところ日蓮をいやし
みてかけるか。総じて日蓮が弟子は京にのぼりぬれば、始めはわすれぬやうにて後には天魔つきて物くるう、
少輔房がごとし。わ御房も其れ体になりて天のにくまれ蒙(かほ)るな。のぼりて幾何(いくばく)もなき実名を
かうるでう物ぐるわし。定んでことばつき音なんども京(みやこ)なめりになりたるらん。ねずみが蝙蝠(こうもり)
になりたるやうに、鳥にもあらず、ねずみにもあらず、田舎法師にもあらず、京法師にもあらず、せう房がやうに
なりぬとをぼゆ。言をば但(ただ)田舎ことばにてあるべし。なかなかあしきやうにて有るなり』と。(新編 430 )


【訳文】

持仏堂で法門を説いた事が面目、などと(手紙に)書かれているが、どう考えても不審な事である。
其の故は、僧となった身であり、其の上、持する法門は世界第一の法門である。したがって、例え
相手が等覚位の菩薩であっても、何を気にする事があろうか。まして梵天帝釈などは我等の父親で
ある釈尊の領地を預かって、正法の僧を養う者とされているのである。毘沙門等は四天王の主にて
此等(これら)梵天帝釈の門番である。また、四州の王等は毘沙門天王の家来である。其の上、日本
秋津島は四州の転輪聖王の家来にも及ばない、但の島の長(おさ)である。其の長などに仕える者達に
「召された」「上」などと書き、剰(あまつさ)え「面目」などと言うのは、いろいろ突き詰めて考え
てみると、この日蓮を卑しんで書いているのであろうか。総じて日蓮が弟子は京に上ると、初めは
忘れない様ではあるが、後には天魔が憑りついて正気を失ってしまう。其れこそは少輔房の様なもの
である。御房も其の様な姿になって天罰を蒙らない様にしなさい。(御房は)京に上っていくらも日にちが
経っていないのに実名を「尊成」に変えたという事であるが、物狂いそのものである。さぞや、
言葉使いや発音なども京なまりになった事であろう。鼠(ねずみ)が蝙蝠(こうもり)になったように、
鳥でもなく鼠でもなく、田舎法師でもなく京法師でもなく、其れこそ少輔房の様になってしまったと
思われる。言葉は但(ただ)、田舎言葉でいるがよい。どちらも付かずは返って見苦しいものである。



さても、上記の御文は、京に上った三位房が、そこに住する僧侶や公家の雅やかな風情に心浸され、
其れこそは、京の都からして田舎地方(東国)に拠を置く、日蓮大聖人の門下である事を恥じるが如く、
自身の名を「尊成」と改名し、殿上人なる公家衆から招待されて賞賛を浴び、其れこそは名誉な事だと
得意げに「面目躍如」を書き記す三位房の性根を、鎌倉に居る日蓮大聖人が厳しく叱られた御文である。

して、上記の事を現代に転じてみよう。

果たして、日蓮門下と名乗る多数の中に、三位房と同じ性根を持つ者は居らぬか。

いや、居るであろう。其の代表と成る者が。怒。

其の者の名こそは池田太作。応に三位房の生まれ変わりである。

さても、海苔屋の息子が、師匠について仏法を学び、其の弁説巧みを以って、組織の長となり、
初めは、大臣・首相何するものぞ! 日蓮大聖人の弟子こそは、世界の雄である! と曰(のたま)って
はいたが、其の後、国際舞台に憧れて、それこそ己(おのれ)の面目を確かめるが如く、自身の京(みやこ)
とも云うべき支那へ渡り、其の強大な国力と延々なる歴史の造詣に心侵され、遂には無冠では通用せぬと、
束るね組織の長名に満足せずに、博士だ、教授だ、詩人だ、哲学者だ、と名誉号を次々と貪り、其の獲得を
以って「面目躍如」と会員に誇示する姿こそは、応に三位房日行が生まれ変わりたる姿なのである!

俺は偉い人に会った。そして、偉い人に招待もされた。そして俺は、そこで演説をした。
そうしたら、みんなから賞賛された。そして俺は偉い人から勲章を貰い、賞状も貰った。
だから俺は偉い。果たして、こんな素晴らしい事が他にあろうか。

創価外道の諸君!

上記のセリフは当方のものではない。まさしく池田太作が机をバンバン叩きながら叫んだセリフである!

而して、三位房太作、自慢して云く、

『じつは私は「桂冠詩人」であり、「世界桂冠詩人」の賞もいただいております。詩人にとって詩を
贈ることは、最大の栄誉を贈ることなのです』

               【胡錦濤来日時に詩を贈った時の言葉/ 平成20年5月9日付 聖教新聞】

して、三位房太作、其の自慢が高じて云く、

『私の話が高尚で、そして分かりやすくて、そいで哲学的で、そいで文学調で、そいで詩的で、
そいで会話的である。頭が相当聡明でないとおっ付いていけないんです』

               【平成5年1月27日、アメリカSGI&関西合同総会 於ロス】

呆笑。果たして此の者、日蓮大聖人のお叱りからすれば、応に天罰食らう言動ではないか。

尚、言って置くが、其の天罰の証しこそは、池田太作の最後の姿に顕る!

さても病状の事について、一々云うは、其の道徳からして避けるのが一般ではあるが、世界創価学会の
長である者ならば、そうはいかぬ! 実に其れこそは、此の者が悪しざまに侮蔑して来た、日顕上人
現御隠尊猊下との勝負である! 足が立たぬとは言わせまい! モノが言えぬとは言わせまい!
そしてオムツをしているとは言わせまい! 応に此の事は、正邪決定の証しと成るのである!

法華経・安楽行品に云く『若し人悪(にく)み罵(ののし)らば、口則ち閉塞せん』

同じく、陀羅尼品に云く『若し我が呪(しゅ)に順ぜずして、説法者を悩乱せば、頭破(わ)れて七分に
作(な)ること、阿梨樹の枝の如くならん』と。

仍って大聖人に曰く『円智房は清澄の大堂にして三箇年が間一字三礼の法華経を我とかきたてまつりて
十巻をそらにをぼへ、五十年が間、一日一夜に二部づつ読まれしぞかし。かれをば皆人は仏になるべしと
云云。日蓮こそ念仏者よりも道義房と円智房とは無間地獄の底に堕つべしと申したりしが、此の人々の
御臨終はよく候ひけるか如何。日蓮なくば此の人々をば仏になりぬらんとこそをぼすべけれ。
これをもってしろしめせ。弘法・慈覚等はあさましき事どもはあれども、弟子ども隠せしかば、公家も
しらせ給はず』と。 (新編 1070)

【意訳】

安房清澄寺の円智が、其の大堂に於いて、五十年間、法華経を書写し、十巻を諳誦(あんじゅ)した。
したがって彼の事を、世間の人は皆、仏になるだろうと言っていた。しかし、此の日蓮だけが「無間
地獄に堕ちるだろう」と言ったが、果たして、これらの者の臨終は良かったか。そうではないだろう。
もし、この日蓮が居なかったら、これら者は皆、仏になったと世間は思うであろう。これを以って、
知りなさい。弘法・慈覚らは臨終があまりに悪く、それを弟子共が隠した為に、朝廷公家衆に於いて
其の事実を知らないのである。

創価よ。池田太作にもしもの事があろうとも、其の臨終の良し悪しなどは、しっかりと明言致せよ。
さもなくば、日恭上人の御殉教に対して罵詈する事などは、一切出来ないのである! よいか!

今こそ知るべし! 応に真の「面目」とは、其の臨終に在るという事を!
 

元祖通りすがりの法華講員殿へ

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 9月18日(月)23時20分23秒 i114-185-19-59.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  申し出の一件。

明らかに当方の判断ミスであります。

過去の投稿リモホを調べた結果、

貴殿のリモホがありました。

尚、愚人殿からも、自身のモノではない、とのメールを戴きました。

ミスの原因は、以前からの『通りすがりの法華講員』殿と、貴殿の『元祖通りすがりの法華講員』とのHNが
混同し、当方の記憶違いと先入観が重なって、今回の応答となった由。

元祖殿には無礼の段、此に深くお詫び申し上げます。

今後は、尚一層、リモホの管理を徹底し、初稿、再稿の分類をしっかりと行い、今回の様なミスが起きないよう、
細心注意して参りたいと思っております。

此の度は、誠に失礼致しました。

                              大月天 恐謹
 

最近のフェイクに一言二言

 投稿者:元祖通りすがりの法華講員  投稿日:2017年 9月18日(月)15時16分5秒 om126211023201.13.openmobile.ne.jp
返信・引用
  フェイク 第1590号
投稿日:2017年 9月13日(水)12時34分9秒
(発行=17.09.12)

》阿部信彰の常在寺も未達成
各地で意気消沈の大布教区別僧俗指導会日如が少年部員に「友達の両親を寺に誘え」
日蓮正宗の「大布教区別法華講員八十万人体勢構築推進僧俗指導会」という長い名称の会合が八月二十八日の北海道大布教区を皮切りに始まった。九月二十八日までの間、全国十カ所で開くこの指導会は、大聖人御聖誕八百年の平成三十三年に法華講員を八十万人にしたい、との早瀬日如の思い付きで折伏を開始したが、現在まで全然進んでいないため折伏の檄を飛ばすのが目的である。

さすがスパイ経由で仕入れただけのことはある。内容としては間違ってない。ただし、他組織の役職者を呼び捨てにするな。

》 そこで布教部長の阿部信彰や八十万人体勢構築推進委員の坊主らが、講中の全講員が折伏に立ち上がって、励ましあいながら全力で取り組むよう訴え、大
聖人の御聖誕八百年まで三年半後に迫った今年こそ全支部が必ずや目標を達成する必要があると強調している。

内容としては間違ってない。ただ、新興宗教創価学会に何か言われる筋合いは無い。他組織の役職者を呼び捨てにするな無礼者が。

》 宗門では「僧侶主導の広宣流布」と標榜しているが、責任を講頭や法華講の活動家に押し付ける。「信徒主導」と言い換えるべきだ。

『と、思う。』と付け加えよ。事実の確認が不十分である。

》 折伏をはじめ新入信者の育成、御講や登山会などの参加者を増やす活動は全て信徒に強要している。

『と、邪推する。』を加えよ。

》 僧俗指導会で登壇した坊主も「自分が率先して折伏する」と発言した者は一人もいない。だから指導会は意気消沈、参加者は決意を固めるどころか、辟易
した表情とのことである。

『と、邪推する。』を加えよ。脳内伝聞を記事にするな。どあほう。

》 とりわけ阿部信彰は今年三月、大石寺大書院での講頭会の席で今年の誓願目標を八月までに達成せよと命令口調で力説。それが出来なかったら遅くとも十月までには達成するように、と強調していた。

事実か嘘かは関係なく、この箇所は何を訴えたいのか不明。

》 その阿部信彰(写真)が住職をしている常在寺(豊島区)の法華講員の話によると、八月末までに三百三十四の目標は達成できず、九月に入って、やっと八割台になったとのことである。

何がどう問題なのか、わからん。

》 全国的にみても八月末までに達成した支部は三そこそこで全体の一割にも満たないとのことだが、布教部長の常在寺も未達成だから、折伏が出来ていない支部も安心してよい。決して焦る必要はない。

やさしいね。大きなお世話だが。

》少年・中等部員にも折伏を煽る日如

 僧俗指導会に講頭・副講頭、認証役員や活動家を集めて、いくら檄を飛ばしても〝糠に釘〟という有様で、八十万人体勢構築は平成三十三年どころか、何
百年経っても不可能だと断ずる。

お前は、神か!

》 折伏が停滞している現状に業を煮やした日如は今年の夏、中等部員、高等部員、更に少年部員に対しても折伏を煽っていた。
 中等部、高等部の大会で日如は「法華講員八十万人体勢構築の誓願達成へ向けて力強く前進するように」「一人でも多くの人に妙法を下種し、折伏を行じ
ていくことが、最も肝要である」と訴え「折伏は使命である」「自行化他の信心に励め」等と力説していた。
 また、少年部の大会でも「親しいお友達がいたら、お父さん、お母さんに話すなり、お寺に誘うなりして折伏することが今、最も大事である」と洗脳していた。

洗脳とはただごとではないな、創価学会員よ。

》 子ども達にも折伏を煽る邪教団は無謀な勧誘が社会問題になっている顕正会と日蓮正宗

けんしょうかいはともかく、日蓮正宗が新聞に載ったのは見たことは無いな。事実を確認せずに記事にするなヘボライター。いや、発行元がヘボいからしょうがないのか。残念。
 

ああ、邪教人 其の六十九

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 9月14日(木)07時19分23秒 i114-185-19-59.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  >“謗法広告”
>本日9月12日は「竜の口法難の日」であり「教学の日」であった。
>その意義を胸奥深くに刻むべき日に聖教新聞社が行ったのが“謗法広告”の掲載である。
>「厄祓い護符」の文字が刻まれた500万部(公称)の聖教が全国にばら撒かれてしまった。

小腹笑。雑誌広告の特集欄に「厄祓い護符」の文字があっても、そんなもなぁー、謗法でも何でもねーよ!
小腹笑。そんなモンより、聖教新聞を発行する行為自体が謗法なんだよ!
小腹笑。何? その証拠を出せ! だと?
小腹笑。そんなもなぁー、簡単だろぉー。

    竜ノ口法難(発迹顕本)ー曼荼羅御本尊御顕発ー熱原の法難ー大御本尊御建立(出世の本懐)
    傍証ー伊豆御配流12日・竜ノ口法難12日・大御本尊御建立12日・富士大石寺開創12日。
    爾して日蓮大聖人、翌の13日に御入滅さる。

加えて日寛上人に曰く『当に知るべし、智者大師は隋の開皇十四年、御年五十七歳、四月二十六日より止観を始め、
一夏にこれを説いて四年後、同十七年、御年六十歳の十一月に御入滅なり。吾が大聖人は文永十年四月二十五日に
当抄(観心本尊抄)を終り、弘安二年、御年五十八歳の十月十二日に戒壇の本尊を顕して四年後の弘安五年、
御年六十一歳十月の御入滅なり』と云云。

仍って申さく『此の御本尊は正しく文底下種の本仏、本地難思、境智冥合、久遠元初の自受用の一身の相貌なり』と。

しかし、聖教新聞はこう書いた。

『御本尊が一大秘法というのは、御書のどこにも書いていない』
『この本尊論は、日寛上人による要法寺対策の一説に過ぎない』

どーであるか。そーゆー風に書いたであろうが。

だから、聖教新聞を発行している事自体が、抑もが謗法なのだ、と言っているのである。

破門後の池田名誉会長が云く『大聖人の出世の本懐である一閻浮提総与の大御本尊が信心の根本であることは、
これからも少しも変わらない』と。【平成5年9月16日、アメリカSGI最高会議】

よいか。謗法は厄祓いの文字掲載なのではなく、聖教新聞の発行自体が謗法なのである。

よいか。オマエは、そーゆー所まで眼力を広めた上で「教学の日であった」と言わねばならないのである。

>今はどこまでが洒落やユーモアで、どこまでがそうじゃないかさっぱり分からんようになった。

大笑。そりゃーオマエらの事だよ。

いや、洒落も何も、どこがホントの創価教義で、どこまでがホントの本尊であるのか。
何奴(どいつ)も、此奴(こいつ)も、勝手な事をベラベラベラベラ巻き散らかしおって!
頭破七分、頭破八分、頭破百分…。もうさっぱり分からんようになった! 小鼻笑!!

しかし、これ嗤えるよな。↓

>【地涌】日蓮正宗自由通信同盟
>日蓮正宗が真に“正宗”であったのは学会との60年間だけだ
>邪宗となった“正宗”は“小宗”となり遂に“消宗”となる

腹笑。

日蓮正宗が真に“正宗”であったのは学会との60年間だけだ、ってオマエ…。腹笑。

その60年間の本尊義を蹴っ飛ばしたのは、一体誰なんだよ!

つまりだ。その逆を言うならば、学会との60年間に於いて、本尊教義を今もって変わらず
堅持している宗門こそが、創価已来の真(まこと)の正しき宗(正宗)という事になるではないか。

ったく、貴様らは一体、何を基準にして宗教の根本義を語らんとしておるのか。

何とか言いなさい、北林!


>毎月、改革同盟、憂宗護法、青年僧侶全員を集めて戸田国際会館で行なっていた会議を、三グループに分けて、
>三か月に一度ずつに変更した。

ふむふむ。そーゆー事かいな。なるほど、なるほど…。鼻笑。

しかし、其れとて仕方あるまい。これら禿人集団は、皆、在家に尾を振る連中である。
月に100万だ、200万だと、創価学会から支給されれば、最早、尾を振る他にあるまいて。
無論、当方からすれば、こんな連中こそが僧侶の風上にも置けない腐った坊主たちである。

日因上人・有師物語聴聞抄佳跡に曰く『檀那は必ず三宝を敬う、還而僧衆檀那の心を取り機嫌に入る事は
仏法を売物にする売僧と云うべし』と。

よいか。僧たる者、御供養と支給の分別が出来ない様では、話にならんぞ。
とまれ、在家にゴマすって物品を支給されるは、これ全く売僧の証態である!

少しは恥を知りなさい!

>後年、日亨上人が戸田会長に対して「戸田さん、あなたがいなかったら日蓮正宗はつぶれたよ」と言われた
>理由がうなづける。この「戸田さん」というのは「創価学会」と同義であろう

哀笑。オマエは、社会人として、何の読解力も無い、単なる阿呆であるのか。
哀笑。「これ、つまんない物ですけど」と土産を渡されて、つまんない物なら要らないよ、と断るか。
呆怒。ったく、何も判らぬ初心者め!

「戸田さん、あなたがいなかったら日蓮正宗はつぶれたよ」

でもホントはつぶれないんだよ。

本より、日亨上人がつぶさないし、日昇上人もつぶさない。
因みに、日亨上人御隠尊、日昇上人御当代の御時、宗門は以下の如く、戸田会長の処遇を断下されたのである。

云く『法華講大講頭の職に於ては大御本尊の宝前に於て自ら懺悔して、大講頭として耻ずるならば即座に辞職せよ。
若し耻じないと信ずるならば心を新たにして篤く護惜建立の思をいたし総本山を護持し益々身軽法重死身弘法の行に
精進すべきである』と。

よいか。こーゆー所をしっかりと見極めて、言動の意(こころ)を理解しなければならないのである。

さても、一大秘法とは御本尊の事ではなく、妙法蓮華経の題目の事である、などという創価学会。
当にこの創価学会こそ、オマエの理屈からして名誉会長を務める池田太作と同義になるのではないか。

戸田会長が云く『南無妙法蓮華経と唱題する中に三秘が具わっているというが如きは、無学のジイサン、バアサンなら
いざ知らず、少しでも教学をやった者には気狂いになっているのではないか、という以外には思いようがない』と。

                               【はかなき邪宗の教学・小樽問答誌 131P】


さても、現創価学会は戸田会長が仰せの如くに気狂いになっておるのか。
お主こそが、能く能く吟味すべきである。さすれば『同義』の意がそこに観えてこよう。


さて、今朝はここまでとしようか。

今朝も今朝とて邪教人。

邪教人への呵責はこれからも続く。
 

ああ、邪教人 其の六十八

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 9月12日(火)17時37分9秒 i114-185-19-59.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  >原田学会の会憲問題点。
>①会長を弾劾する制度がありません。
>②会長を絶対的な存在としています。

小笑。会長を弾劾する制度だ? そんなもん、誰が弾劾するんだよ。
鼻笑。安保理決議じゃあるまいし。
哀笑。言って置くが、そんなもんが出来れば、愈々以って学会の会長職などは、底の浅いモノとなる。

>会憲のように教団のトップを絶対とする思想は過去の歴史からも間違いであります。
>また僧宝である日興上人の指導にもありません。

何? 教団のトップを絶対とする思想は間違いだ?

つまり何だ、オマエら創価ネットの対策チームは、池田センセーを絶対的師匠として見ていない、という事か。

何? 僧宝である日興上人?

哀笑。おいおい、其れ、何処(どこ)の教えだよ。何処から持って来たんだよ!
呆哀。其の出処(でどころ)を宣べなさい。

>日興上人の教団トップへの考え方。
>御書
>時の貫首為りと雖も仏法に相違して己義を構えば之を用う可からざる事。
>通解
>たとえ、日興の後に教団を統括する貫主であっても、日蓮大聖人の仏法に背いて、勝手な自説を立てた場合には、
>これを用いてはならない。

何ぃ? 日興上人の教団だぁ?  小腹笑。どこが。

鼻笑。時の貫首って、創価の会長は貫首なのかいな。そんなモン、貫首どころか、能化でもない、小僧でもない、
単なる在家信者の端くれではないか。ったく、興尊の二十六箇条に原田など持って来るものではない! 無礼である!

>創価学会が仏法の正統を名乗るのであれば、教団のトップを「絶対的」にしてはダメなのです。
>このように考えると原田学会が「日興上人、創価三代会長の正統から外れた外道」であることが明確になったのが、
>「原田学会の会憲」なのです

教団のトップを絶対とする事が、日興上人並びに創価三代会長の正統からして外道であるとは、如何なる事か。
つまりは、日興上人も創価三代の会長も、お主らの教団からして絶対ではない、という事か。
さても、絶対とは如何なる意であるのか。まさか「順世外道」に於ける絶対をして言っておるのか。哀笑。

鼻笑。してもし、そうであるならば、オマエこそが、偏教の主(ぬし)である。呆哀。

尚、言って置くが、創価学会が仏法の正統を名乗るなどは、其れこそ豚がライオンの名を騙るに等しいものであって、
其れこそは、本因妙の教主釈尊に対する、謀りの骨頂である。

日興上人に曰く『この法門は師弟子をただして、仏になる法門にて候なり。師弟子をただして仏になり候。
師弟子だにも違い候へば、同じく法華を持ちまいらせ候へども無間地獄に落ち候なり』と云云。

よろしいか。お主こそは、此の日興上人の御教示こそを、能く能く心読しなさい。
さすれば、真(まこと)の絶対が領解出来よう。

>次期指導者、谷川先生期待に期待してます。
>カリスマたっぷり、池田先生より会員を引っ張る人物です。

そーだな。そろそろ会長先生になってもよいのではないか。
何しろ、面相が若き池田センセーに似ておるでな。本より、根性もそっくりの様である。

そんな次期会長・谷川先生が云く『出世の本懐の意味だって変えればいいんだ。独立した教団なんだから、
変えてもいいんだし、変えられるんだ!』

呆哀。果たして、聖滅七百年後の在家信者に易々と変えられてしまう、大聖人出世の御本懐とは是れ何(いか)に。

鼻笑。谷川センセー。まぁ、頑張って下さい。そして、一大秘法とは、御本尊様の事ではない、という教義を、
あなた様の僧宝たる日興上人の教えから御説明して下さい。

本より、それが出来ないとなれば、其れこそが教学的阿呆の証明となりますので、どうか頑張って下さい。

>池田先生が手作りで作られ私達が大切にしたのは「創価学会」です。
>しかし池田先生が公の場で御指導されなくなった後は「原田学会」です。
>原田会長が運営する「原田学会」は池田先生の思想を破壊する団体なのです。

鼻笑。ならば、池田センセーが公の場で御指導された、

『大聖人の出世の本懐である一閻浮提総与の大御本尊が信心の根本であることは、これからも少しも変わらない』

との断言は、応にオマエら宿坊一味からして、大切な創価学会の教え、という事になるが如何。

而して、宿坊が、一閻浮提総与の大御本尊をして『後世の贋作だ』と侮蔑するは、これ全く池田センセーの指導に
唾するものではないか。つまりは、是れこそが池田センセーに対する『破壊思想』ではないのか。

オマエ、こっちに来て其の事を説明しなさい。

ったく、何が「原田学会は池田先生の思想を破壊する団体」か!

よいか。池田センセーの指導思想を破壊しておるのは、オマエらが投稿している掲示板の管理人である!

先ずは、此奴(こやつ)の破壊思想を退治しなさい。

原田創価の云云などは、其れからの事である。
 

余記

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 9月11日(月)13時15分13秒 i114-185-19-59.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  最早、北朝鮮対策は失敗した。

残された道は、北朝鮮の核保有を此に認め、米・英・仏・露・支の批准国に対する非批准国、則ち、
印・巴(パキスタン)・以(イスラエル)と同じく、其の保有既成の事実を以って容認するという事である。

本より、北朝鮮が名実ともに核兵器を保有する国と成れば、其の北朝鮮の存在自体が、支那や露助からして
東アジアの要塞となるのであり、又、其の理があるからこそ、此奴(こやつ)らは、対話対話と叫びながら、
北朝鮮の核政策を黙認して来たのである。

さても、自国の上空にミサイルを放たれて、空を通り過ぎたから、まぁ良いなどと、こんな悠長な事を言って
いる国などは、最早我が国を置いて他にはあるまい。

とまれ、平和ボケもここまで来ると救いようも無いが、それが最も正しい精神であると云うならば、即刻に、
北朝鮮の核保有を認める事である。さすれば、同盟国の中共支那は、そんな我が国をして褒めて来るであろう。
ましてや、中共政府(共産ゲリラ・八路軍)の国家に対して「大中国」などと尾っぽを振る創価学会からすれば、
是れほど嬉しい事はない。

しかし、米国の無策には失望した。無論、其の部下である日本の対北朝鮮政策など、話にもならない。
ったく、遺憾だ、抗議だ、などと、一体何百回言えばよいのか。いい加減、目を覚ました方がよろしい。

トランプ大統領。もう少し、凄みを見せても良かったのではないか。
其れこそ、支那と露助に対し『石油及びガスの全面禁輸』を確約しなければ、米国は軍事力を行使する、との
二者選択を以って恫喝すれば良かったのである。

まぁ、何れにしても時は遅し。近々の安保理に於いて、支那と露助は拒否権を行使するであろう。
してもし、行使しないとなれば、其の採決内容こそが骨抜きだ、という事になる。
本より、其れらの流れは、北朝鮮からして織り込み済みであり、又、そうであるからこそ高を括るのである。

支那と露助による対話外交への引き延ばしと、日米による遺憾抗議のから騒ぎ。
ましてや、国連による非難決議などは屁にも成らず、とうとう北朝鮮は、名実共に核保有国と成ったのである。
後は、出来得る限り、核兵器を生産し、切の良い所で『生産中止』のカードをちらつかせて、より良い条件を
諸外国から引き出せばよい、という事になる。

『平和に目覚めた北朝鮮』

応に『してやったり』とは此の事をして云うのであろう。

兎にも角にも、支那と露助が在る限り、北朝鮮は安泰である。
 

注意

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 9月 9日(土)05時52分30秒 i114-185-19-59.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  リモホが正規であっても、HNが捨てハンでは、当室への投稿資格は得られんぞ。
プラス、己(おのれ)の立ち位置(所属宗派及び尊仰する本尊教義)も示さねばならん。
どうであるか。お主にとってもハードルが高いであろう。
本より、正邪を論ずるに於いては、其れらの親告は必須と成る。

しかし、お主は其の親告をせずに「相変わらずだな」などと文句を垂れる。
よいか。そーゆーのを「駄駄」と云うのである。

残念ではないか。惜しいではないか。折角、ソフトバンクの正規リモホを経していると言うに…。

お主は以前も投稿しているのであろう。爾(しか)らば何故にHNを一々変えるのか。

ったく、何を怯えておるのだ。

別に固定HNでよいではないか。

今一度、やり直しなさい。

Sバンクのリモホは承った。

残るは、以前のHNと、自身の信条である。

呆哀。ったく、うんうん、などと茶化している場合ではないぞ。

しっかりと襟を正して、自身の信条をぶつけて来なさい。
 

相変わらずだな。

 投稿者:アート  投稿日:2017年 9月 8日(金)21時02分25秒 softbank126094249149.bbtec.net
返信・引用
  うんうん  

ああ、邪教人 其の六十七

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 9月 5日(火)18時20分1秒 i114-185-19-59.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  >「日蓮久遠本仏論」という中近世の寺院仏教擁護論
>日蓮久遠本仏論は神話の世界ですし、因習深く、宗教臭いです。
>現代はもっとスマートに、人間主義の自己実現型成仏観がスッキリします。

哀笑。アンタはそーかがっかいいんですかぁ~。哀笑。
哀笑。もし、そーかがっかいいんだったら、ちゃんと池田センセーの「大聖人は末法の御本仏」という指導に
従った方がいいよ~。哀笑。

>従来の学会教学とは、冨士大石寺顕正会なども含めた伝統的正宗・日寛教義と同じです。
>ここで大事な点は、SGには別の思想潮流があったという事実です。

哀笑。その「別の思想潮流」とは、なんですかぁ~? 小鼻笑。
つまりは、腹の底では、ちがう教義思想を持っていた、という事ですかぁ~?

小鼻笑。っちゅー事は、宗門は其れを察知して、事前に破門の処断を下した、という事になりますね。
小鼻笑。ったく、腹の底で離反しておきながら、宗門に切られた、などと、よくも言えますね。哀笑。

そーかがっかい。いいかげんにしなさいよ。哀笑。

>日蓮本仏論では説得に限界があることを、身で実践で知っておられるからでしょう。
>鬼に金棒とはこのことです。

小鼻笑。日蓮本仏論とは説得するもんなんですか~。呆呆哀。
しかも、その説得に限界があるとは、つまり、オマエの教学力が全くのゼロである、という証拠になりませんか~。
呆哀哀。そーかがっかいいんなら、ちゃんと、日蓮大聖人は末法の御本仏です、と言いなさい。
ともあれ、自分が所属する宗派教団の根本教義に違背している者が、他宗の教義に文句するなどは、応に破廉恥の
骨頂という事です。オマエこそは恥を知りなさい。

>SGのほとんどの中堅幹部は、五重の相対を正確に理解できていないことを残念に思っています。
>長年、任用試験の受験担当や教学支部責を務めてきて、教学の無さに危機感を持っています。

小鼻笑。日蓮本仏論には限界がある、と言っている御仁が、五重の相対を正確に理解できていないことを
残念に思う、とは、ホント、オマエは「面白い」奴ではある。哀笑。
小鼻笑。「教学の無さに危機感を持っています」って、オイ! そりゃ、オマエの事だよ!

>現在の教学部も創価教学を確立するための過渡期を歩んでいる。

そーか、そーか、そーか教学まだ過渡期なのか。そーか、そーか。小鼻笑。
ならば、過渡期の分際で、富士門の大成教学に唾するものではない!

して、其の過渡期の先には何が有るのか。言っておくが、オマエら創価はもう既に新興の宗教と成っておる。
哀笑。そんな新興宗教が、今にして過渡期などと…。哀笑。あまり笑わせるものではないよ。鼻笑。

>また、こちらの板(宿坊板)も弘安二年に随順するのか?新しい教学を指向するのか、人によって見解はことなる。
>堅樹院の教学的解釈を都合のよいところだけ拝借して展開しても仕方がないと思う。

堅樹院? 無礼者! オマエの様な阿呆が呼び捨てるものではない!

何? 弘安二年に随順するのか? だと?

そんなもん、先ずは手前(てめー)ん所の池田センセーに訊いてみろや!

その池田センセーに云く『大聖人の出世の本懐である一閻浮提総与の大御本尊が信心の根本であることは、
これからも少しも変わらない』と。【平成5年9月16日、アメリカSGI最高会議】

なんだ。これもオマエからすれば、堅樹院(日寛上人)の教学的解釈を都合よく拝借した指導という事になるのか。

ならば! 先ずは池田センセーを呼び捨てにして、其の拝借精神を呵責せよ!!

ったく、堅樹院などと、それこそ順序が逆であろうが!

邪教人、ホントにオマエらは邪教人であるよな!

ったく、オマエらそーかがっかいいんには、信仰者としてのアイデンティティーは有るのか。
何奴(どいつ)も此奴(こいつ)も、好き勝手な事を言いおって! もう支離滅裂ではないか!
そーであろう! 邪教人たちよ! 呆哀。

何!? そもそもが邪教を信仰しておるから、アイデンティティーなど初手から有りゃしない。だと?

鼻笑。おぉ! たまには、筋の通った事も言うのであるな。小鼻笑。

>池田先生は日顕宗に勝利宣言をされています。

呆哀哀。だからぁ~、その「日顕宗」に勝利した池田センセーがぁ~、
『日蓮大聖人の出世の本懐である弘安二年十月十二日の一閻浮提総与の大御本尊が信心の根本であることは、
これからも少しも変わらない』と断言してるんだよ! どーすんだよ、これ! まさかウソかいな!
つまりは、ウソの勝利宣言という事かいな! なんとか言えよオマエ!

>創価三代の信仰に於いては、
>人法、つまり本尊と師匠を、その支柱とする。
>言うまでもなく、本尊は、南無妙法蓮華経の御本尊であり、
>師匠は、池田先生である。

堪笑。そーか。法は御本尊で、人は池田センセーか。堪堪笑。
ならば、日蓮大聖人はどーするのだ。日蓮大聖人はどこに行ったのだ。
哀笑。オマエ、其の儘だと墓穴を掘るぞ。小鼻笑。

>保田妙本寺の傘下になって
>ダライラマの手先になって
>もう先生の弟子ていえるん
>なんやそれ
>あかん

哀笑。

日寛上人を蹴飛ばして、
谷川・原田の手先となっても、
センセーの弟子といえるんか。
なんだそれ。
オマエこそあかんよ。

嗤、なんだ、まだあるか、まだあるか。

いやいや、是れこそは限(き)りがない。呆哀哀。

今日も今日とて邪教人。

邪教人への拳骨(げんこつ)は、是れからも続く。
 

松岡の邪文を改めて摧破す

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 9月 4日(月)09時06分1秒 i114-185-19-59.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  言うまでも無く、我々に御下付された一機一縁の分身散影の御本尊は、本門戒壇の大御本尊に会入されて、
つまりは直結される事によって、はじめて御本尊としての力用が示されるのである。

果たして、創価学会員は、保田妙本寺に参詣し、そこに安置してある万年救護御本尊を拝めるか。
して、拝むとすれば其れは何故か。又、拝めない、とすれば、其れは何故か。
尚、此の事は、邪宗身延派が保持している御本尊についても同様に聞い質すものである。

云ク、下種仏法ノ相待妙トハ、釈尊脱益化導ノ一切、イワユル一代応仏ノ域ヲ控エタル方ノ文上ノ
教経ニ対シ、マタソノ熟脱ノ教主ニ対シ、結要付嘱ノ妙法、即チ久遠元初ノ仏法トソノ教主ニ於テ、
権実・本迹・種脱ノ筋目ヨリ、根本ノ麁妙ト本迹ヲ判ズルニアルナリ。

次ニ下種仏法ノ絶待妙トハ、コノ脱上ノ仏教、乃至諸宗教ノスベテガ、文底下種名字ノ妙法蓮華経ニ
帰入シテ、一句ノ余法モナク、待対ヲ絶スルコトナリ。右ハ、一期下種化導ノ大綱ニ約シテ弁ズ。
而シテ宗祖一期ノ弘通ニハ、時期ニ於テソレゾレノ段階アリ。鎌倉期ハ権実相対ニシテ題目ノ弘通、
佐渡期ハ更ニ本迹相対・種脱相対ヲ明カシ本尊ノ弘通、身延期ハ種脱相対ニヨル教主ト大法ノ明確ナル
顕現ト、三大秘法ノ整足、即チ本尊ニ伴ウ戒壇ノ明示等、時期ニ於ル弘法ノ展開アリ。ソノ始終ニ方便ノ
教法ハ一切存在セザルモ、ソノ一々ノ弘通ノ段階ニ於ル破邪顕正、及ビ未究竟ト究竟ノ前後ニ於ル妙法ニ、
自ズカラ相待・絶待ノ二妙ヲ具スナリ。

(中略)

次ニ、題ノ「実行」ノ実トハ、権ニ対スル真実ニシテ、方便ナキ法、即チ種脱相対ニヨル下種ノ妙法ヲ
云ウ。マタソノ行トハ、釈尊ノ一代五時、口輪説法ニ対シ、一ニハ一期ノ始終、事行ノ妙法ノ受持弘通、
二ニハ謗法ノ諸宗諸人ニ対シ、折伏ヲ行ジ給ウニアリ。コノ妙法ノ事行ハ絶待妙、謗法折伏ハ相待妙ニシテ、
絶待ノ処ニ相待アリ、相待ノ処ニ絶待アリテ、一往不二ナレドモ、再往、而二ノ上ニ相待ハ迹、絶待ハ本ノ
勝劣アルナリ。

(中略)

マタ前記待絶二妙ニツキ補足セバ、閻浮総与タル本門戒壇ノ本尊ノ当体ハ絶待妙ニシテ、各個別々ノ本尊及ビ
血脈付法ノ本尊ハ相待妙ナルモ、絶待ニ帰一セバ絶待妙ノ意アリ。他宗他門ノ爾前権迹ノ各本尊及ビ所顕所縁ノ
人ハ、末法ニ於テハ謗法ヲ成ズル故ニ、麁ニシテ妙ニアラズ。但シ棄執帰伏ノ上ハ、個々自立ノ形待ナキヲ以テ、
当宗ノ垂迹堂ニ安ンズルハ相待妙ノ義ニ当タルベシ云云。

                                     【拝述記384頁】


さても、区別・選別は相待妙。其れを絶して会入する(開会して収める)が絶待妙。而して待絶の二妙は、
而二にして不二のものである。さすれば『而二』の意が相待妙、『不二』の意が絶待妙である。例えば
一閻浮提総与の大御本尊と、御形木御本尊は、其の大義からして区別されるものであるが、一閻浮提総与の
大御本尊の法脈からすれば、すべての御形木御本尊は、一閻浮提総与の大御本尊に会入されて一体となり、
応に絶待妙の御本尊として其の力用が示されるのである。つまりは(畏れ多い譬えではあるが)電流が通った
電燈と相成るのである。

つまり、其の理(ことわり)を以って、絶待妙の御本尊、相待妙の御本尊と定義したものである。

而して、其の区別・選別による一機一縁の御本尊は相待妙に位置づけられるのであり、それらの区別・
選別を絶して、其れらすべてを会入する御本尊、つまりは、究竟中の究竟たる日蓮大聖人御本懐の
大御本尊こそが絶待妙の根本なりと識るべきなのである。

爾して、本門戒壇の大御本尊こそが、絶待中の絶待であり、恩師が云われる処(ところ)の『御本尊様は一つ
しかありません』とは、実に其の絶待の意を示されたものなのである。果たして『一つしかない』とは、
これこそが絶待妙の意ではないか。

三大秘法随一(本門の本尊の随一)たる大御本尊であれば、此の大御本尊こそが、他から絶する事の出来ない
究極の法体であり、其れこそ閻浮提の一切衆生が救護される絶待法門の極体なのである。
仍って、其の分身散影たる御形木御本尊は、其の極体からして会入されるべき相待妙の御本尊と成るのである。
爾して、会入されるべき相待妙の御本尊も、一たび会入されれば、須らく絶待妙の御本尊と相成るのである。

松岡は何か勘違いしてないか。

本より御隠尊日顕上人猊下は、日寛上人の御指南を根本にして、究竟中の究竟、本懐中の本懐である
「本門戒壇の大御本尊」こそが、応に絶待妙の極体となる上から、本尊に於る待絶の二妙を解釈されたのである。

つまり『拝述記』に、

竜ノ口ノ後ヨリ妙法本尊ノ顕示ヲ始メ給イ、以後、一期ニ於ル本尊顕示ハソノ時々ノ待絶二妙ニシテ、
爾前権迹ノ仏像経巻本尊ニ対スル相待妙ト、下種本尊ニ於ル絶対妙義アルナリ。【同 387頁】

とあるが如く、日蓮大聖人が顕示されし本尊と、其れ以外の爾前権迹の本尊(仏像)等を相対し、応に其の相対を
以って勝劣を判じる相待妙に対して、顕示されし本尊こそは、須らく絶待妙であると判じられているものである。
実に是れこそが、明解なる待絶二妙の極説であろう。

言うまでも無く、邪宗が保持する真筆本尊は、無得の本尊ではあるが、本門戒壇の大御本尊に会入されれば、
つまり、正法正義の感得が相成れば、其れこそは絶待妙の御本尊して、其の力用が示されるのである。

さても、お主が言う「区別を生かす仏教的合理性に背くことは自明であろう」とは何か。
加えて「合理的な日蓮仏法者」とは一体何か。 松岡よ。あまり軽論を弄するものではないぞ。

>〈比較を絶した妙〉は〈比較する妙〉を通じてのみ現れる。

いや、其の一方のみではない。相待妙(比較する妙)は、絶待妙(比較を絶した妙)に通じなければ、つまりは、
其の義が絶待妙にまで至らなければ真の相待とはならない、という事である。

>先にも触れたが、宗祖の御本尊を相待妙とも見るのは、阿部独自の説と考えられる

だから、御本尊を相待妙と観るのではなく、究竟中の究竟の大御本尊からして、其の他の御本尊は皆、
相待妙と成る、との意である。つまり、個々に於いては絶待妙であるが、三大秘法の総在たる一閻浮提総与の
大御本尊からすれば、其れらの御本尊は皆、相待妙の義となるのである。

本より、人法体一をして観れば、人法(而二)は相待、体一(不二)は絶待。
仍って、日応上人と日顕上人の弁は、其の立て分けからして同義となる。

日寛上人に曰く『弘安の御本尊、御本懐を究尽するや。答う、実に所問の如し、乃ち是れ終窮究竟の極説なり』と。

つまり、弘安に於ける本懐中の本懐たる戒壇の大御本尊こそが、絶待妙としての終窮究竟の極体という御意である。
お主は当分に於いて論じ、当方は跨節に於いて論じているのである。つまり、戒壇の大御本尊を絶待妙の唯一と
しないかぎり、お主の持論は須らく相待妙の片論となるのである。

よろしいか。体外の辺は勿論ダメであるが、体内の辺に於いても、実でなければ駄目なのである。

果たして、分身散影(分身散体と同義)の御本尊とは、一体、どこから分身したのであるか。抑も、分身するという事は
其の分身する以前に於いて本体がある、という事であろう。

つまり、御本尊に於ける待絶の二妙を否定するという事は、本門戒壇の大御本尊の大義を否定する事であり、
其れは日寛上人の御教示に違背する事であり、其(そ)はつまり、創価学会に於る日寛上人の御本尊下付の大義を、
自らが否定する事となるのである。つまり、矛盾をきたすは、お主の論という事になるのである。

云く、

『「法体の血脈」という時、その「法体」とは本門戒壇の大御本尊以外には有り得ません。ゆえに、日寛上人が
「法の本尊を証得して、我が身全く本門戒壇の本尊と顕るるなり(中略)題目の力用に由るなり」と示されている
通り、一切衆生の成仏を説かれた大聖人の仏法では、法主に限らず、全ての門下僧俗が「題目の力用」によって、
「法体の血脈」を受けられるのであります』と。 【日蓮正宗改革同盟 決議文より】

哀笑。

果たして、法体の血脈の「法体」こそは、本門戒壇の大御本尊以外には有り得ない、とは如何なる事か。
して、其の唯一の法体に帰命し、応に其の力用によって「法体の血脈」を得るとは、如何なる事か。
一部の表記には間違いがあるが、戒壇の大御本尊をして法体の唯一とし、その法脈を以って題目を唱うれば、
日寛上人の御本尊に於いて功力を得るとは、応に絶待にして相待たる、本尊授与の大義を云うものではないか。

して松岡よ。

お主は今、どーしておるのか。

果たして、今に於ても、上記の論説を死守するのであるか。

本より変節していない、というならば、早急に創価学会の邪義を破折せよ!

>「法体」こそは、本門戒壇の大御本尊以外には有り得ない。

其の事、よもや、ウソではあるまいな。

ならば早く致せ!

最早時間は無い。モタモタしておると、お主も其の内にポイ捨てされてしまうだろう。

諫言するなら今のうちである。

池田センセーが臥していたならば、今すぐ叩き起して言いなさい。

「唯一の法体を不受持にするとは、一体何事ですか!」とな。

よいか、禿人。

白を切っている場合ではないぞ!
 

ああ、邪教人 番外

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 9月 3日(日)13時31分19秒 i114-185-19-59.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用 編集済
  >嫌中嫌韓をはじめ排外主義的な傾向が窺われる……

嫌中嫌韓? 小鼻笑。

オマエの目ん玉は土竜の眼であるのか。

呆哀。好き嫌いの感情で物事の正邪を量るなど、其れこそが稚断の証しとなるではないか。

よいか。嫌支那ではない。其れこそは愚かなる中共政権をして言うのである。
加えて、嫌朝鮮でもない。其れこそは愚かなる南北朝鮮をして言うのである。

呆哀。ったく、其の様な事、現今の両政府を観れば、一目瞭然ではないか。

よいか。オマエの様な、土竜の目ん玉で論する「嫌中嫌韓」こそ、我が国を溶解させる売国の恥言である。

中共の王毅が云く、

「日本はまず自らの心の病を治す必要がある」【3/9  於全人代会見】

ふざけるものではない。

よいか。病んでいるのはオマエら中共政権である!

よいか。人のモノを自分のモノとするは、是れ全く利己貪欲の痴病である、という事を識(し)りなさい。

「日本はまず自らの心の病を治す必要がある」

呆呆哀。大丈夫か? そのアタマ…。


>客観性・公平性を謳う言説の危うさと、その背後に潜むどす黒い意図について、もうしばらく推移を見た上で
>叙述していこうと考えている。

小鼻笑。おいおい、其のセリフ、創価大の宮田とか、元坊主の松岡とかに言ってやりなよ。哀笑。
序(つい)でに、日蓮大聖人を御本仏と仰ぐは、これイワシの頭を信じるに同じ、と侮言した宿坊と、
日蓮大聖人よりもっと凄い人が現れる、と狂言した除名イタチに対して、其の主観に於ける正当性と、
其の主観から発せられた非公平性について、其の正義正論なりを、オマエから問い詰めてみなさい。
さすれば推移などは容易に省(はぶ)かれて、どす黒い客観性と、其のどす黒い公平性が、其れこそ
どす黒い意図と共に炙(あぶ)り出される事であろう。

>松戸氏の凡夫本佛論の考察や西山論文のいかに凡夫が本佛に会通するかの論理構築に苦闘、研究されているかが
>全くわかっていない。そもそも読んで、中身に反論するだけの論理も持ち合わせていない。

呆呆哀。

ヘボ学者による文上読みの理論構築など、我ら富士門の法義からすれば、単なる小手先の稚論に過ぎない。
否、そういう己義我論を以って、日蓮大聖人の御内証を量らんとする談合こそ、驕慢謗法の大愚態である。

>創価学会もとうとう宗門と同じく、上座部仏教制度を取り入れてしまった。御本尊様と会員の間に役職を
>持つものを設け、その者たちに権限を与える。このような制度は池田先生が私たちに教えてくれた、邪宗教の
>定義そのものです。池田先生は、「会長が上、会員が下。そうなったら創価学会も邪教です。」とおっしゃり、
>創価学会のドグマ化を心配していましたが…

哀笑。オマエは何も解っていない。だから何も判らない。

>ついに会憲制定されましたね。
>11月18日には谷川会長誕生ですか?

おお! いよいよか。

しかしな。オマエらは在家教団であるから、カリスマ的リーダーを失ったら、後は弱体化するのみである。
無論、ここでいう弱体とは、数の減少などを云うものではない。果たして其の答え。オマエらに解ろうか。鼻笑。

>池田先生は「お元気」というのが一番のウソですね。
>「一凶」というべきか。ご病状を全学会員に知らせることが最重要かと思います。

其の通り!

本より「お元気」というのが一番のウソであるならば、池田センセーこそが一番の「病人」という事になる。
無論、一番の病人とは「重病人」の事を指して云うものである。

『同志の皆さん! 私は今、病に臥しておりますが、どうか心配しないで下さい』

何て事はない。此の一言が本人からあれば其れで良いのである。しかし、其の生言が本人の口から出て来ない。
果たして其れは何故か。其れこそは口も利けない程の重病だからである。
いや、口は利けても、其の意味が聞き取れない、という状態とも云えよう。
尚、当方の耳に入る噂では、既に池田センセーは萎(しな)びた寝たきり老人のオシメ姿であるという。
まぁ、其れ以上は言うまいて。今更、法義敗軍の御大将のオシメ姿を詰(なじ)った所で、詮無きことである。
とまれ、池田太作の生きながらの謗法現証こそは、応に日蓮大聖人の大魂魄(こんぱく)たる戒壇の大御本尊よりの
法罰である、という事を、オマエらは能く能く識(し)るべきである。

>可能性は低いと思いますが
>聖教新聞・創価新報に騙されてた説もありえますね

可能性低くないよ。鼻笑。

せいきょー、しんぽー、じゆ、ふぇいく、

鼻笑。トランプ大統領ではないが、オマエらみんな出ていけ! の類(たぐい)である。

よいか。悪徳根性の人種であるからこそ、怪文書を発行し、味方を騙し、敵を貶(おとし)めるのである。

保田妙本寺、日護御尊能化に云く、

>2009年5月より給与停止。
>寺院明け渡し。
>各地各所における私への誹謗中傷。
>深夜の嫌がらせ電話。
>自宅玄関へのゴミ投棄、動物の死骸投棄。
>尾行等、

なんだ。今度はお主がやられたのか。哀笑。
どーであるか。凄(すさ)まじいものだろう。
しかし、宗門僧侶は、其れを長年耐えて来たのである。
而して、お主は、そーゆー嫌がらせ、ゴミ投棄、尾行する側に付いたのである。
しかし今度は、される側に回ってしまった。
はて、そーゆー巡り合せを何と言うのか。お主こそは四文字熟語で答えなさい。

しかしなんだ。

大石寺の寂日坊から万年救護御本尊を持ち去り、蓮蔵坊から御影を持ち去り、挙句の果てには質屋に入れて、
其の醜態ぶりを富士門流に轟かせたが、ようやく昭和の代になって改心し、我が興門正統に帰伏したのである。
しかし、郷門の性とも云えようか。其の反骨離反の性根は、否応(いやおう)なしに燃え出して、結句は38年間の
帰順を棒に振って、元の小鞘に納まった、という事である。

まぁ、兎も角、今にも崩れそうな山門をなんとかしなさい。

尚言っておくが、お主ら郷門は富士五山にも入らず、買戻しの万年救護の大本尊は、中興日我からして戒壇の
本尊と為し給はず、以って、富士大石寺を総本山と再仰したるは、これ全く未来戒壇堂の本拠と成らず。
依って、郷門・保田妙本寺は、興門正統の枝流にして本流に非ず。さても其れを見抜けぬとは、日護御尊能化、
未だ池田病に憑りつかれておるのか。

ところで御尊能化。

以下の御信心、今も変わらずに厳守されておられるか。

云く、

『今回、学会が会員の方々に授与するお形木御本尊は、日寛上人が大聖人出世の本懐たる「戒壇の大御本尊」を
お写しされた御本尊である。ゆえに、「大御本尊根本」の信心はいささかも変わらず、当然、これまでの御本尊と
功徳においてなんら違いはない』と。

重ねて云く『「法体の血脈」というとき、その「法体」とは本門戒壇の大御本尊以外には有り得ません』と。

日護御尊能化。

どうですか。

まさか『ウソつき創価』に染められて、其れらはみんなウソでした、とでも言われるか。

御返答によっては、免れ難き大罪となりますぞ。

因みに、保田妙本寺の鎌倉日桜(2009年死去)は、富士大石寺の大御本尊を「他者による後作」と
言っていたようであるが、果たして御尊能化。本門戒壇の大御本尊は偽物と断じた日桜貫首の子息に
仕えるが正しいか。それとも、創価幾百万の会員に宣言した本尊義こそが正しいのか。
今こそ、御尊能化の真っ当な信心こそが試されるのであり、其の振る舞いの正義こそが決定されるのである!

>イスラムはなぜ世界宗教になりえたか
>神の前では、すべての人は平等であるという、イスラムの理念が重んじられたのです。
>それは『コーラン』の精神です。

呆怒。

おいおい! 又言っておるか! 鈴之助よ!

しかし、赤胴武士の名を掲げる者が中東外道を賛美するとは、まさかお主、鵺かキマイラであるのか。

兎も角、お主こそは、イスラム外道の根源を知りなさい。

以下の再掲は後学の為である。よ~く読みなさい。

尚、後半は、お主が投稿している掲示板の管理人(宿坊)の呵責も併せてしておるから、已後、宿坊の掲示板に
投稿する際は、先ず以って管理人に対する破折の材料と致しなさい。

では再掲する。


【外道による破壊行為について】


今回、又しても悍ましいテロ行為がフランスで勃発した。

全く以って痛ましい限りである。

イスラム教過激派…。

以下は、以前、とある法華講員からの投稿に対して、当方が述べたものである。

無論、この再掲は、彼らイスラム外道者等に対する呵責を込めてのものである。

かなり前の内容ではあるが、其の呵責する処(ところ)に於いては、現在も変わる事はない。


>世間では シリアで戦争始まる雰囲気のニュースを流していますが、

そうですね。

どうやらオバマ大統領は、シリアに対しての軍事行動を決断した様でありますね。
あとは、アメリカ議会の動向でありましょうが、もし、議会に於いて反対となれば、国際社会での
アメリカの権威は失墜するでしょう。そして、イスラム社会国家は益々暴走する事でしょう。
本より、アメリカこそが国際警察の役割を持って、北朝鮮や支那などの独裁国家の横暴を抑止し、
イスラム教徒によるテロ行為(無差別殺人)に対しては断固、其の権威(軍事力)を発揮すべきであり、
又、其れこそがアメリカとしての責任なのであります。いや、その責任を誰よりも択んできたのが
アメリカ自身であるとも云えましょう。自発による責任ほど重いものはないのです。

さて、シリアと云えば中東、中東と云えばイスラム教でありますが、御承知の如く、イスラム教には
大別して『スンニ派』と『シーア派』があって、此の二派は、互いに憎しみ合い、時には殺し合って、
其々の正義を主張しております。元々、イスラム教というものは、政治宗教であり、他国に攻め入って
教えを拡大し、そこに住する異教徒を討伐してイスラム国家を樹立するという、所謂『布教戦争』を
聖戦とするものであります。

本より、イスラム教というものは、愛憎を育(はぐく)む宗教であり、預言者ムハマンド(マホメット)が、
国家建設に向けての布教戦争の折、ユダヤ教徒を虐殺し、女子供を奴隷とし、ムハマンドの死後、
其の教え(政治体制)を継承したカリフ(指導者又は代理人)によって維持されましたが、9歳の娘を56歳の
ムハマンドに差し出して、ムハマンドの義父となっていた初代カリフのアブ―は、間もなくして病死し、
同じくムハマンドの義父である二代目のウマルは奴隷の手によって殺され、又、ムハマンドの娘2人と
結婚していた三代目カリフのウスマーンは、次の四代目カリフに就くアリー派によって暗殺され、事実、
次の四代目にはアリー(シーア派初代)が就いたのであります。そして、次の五代目には、血の復讐を叫んで
アリーと対立した、ムアーウィヤ(スンニ派)が就任し、其の息子のヤズィードが、アリーの息子である
フサインを惨殺した事から、スンニ派とシーア派との憎悪による対立が決定的となったのであります。

しかし、スンニ派にしてもシーア派にしても、其の尊崇する神は『アラー』であり、其れに対する信仰の
揺らぎは一切ありません。本より、信仰とはそういうものでありまして、自らが信仰する神を疑い、
又は否定する行為などは、もはや信仰者ではなく、その教団組織からして、応に異端者の其れとなるのであります。

尚、最近では「日蓮大聖人は末法の御本仏ではない」と主張する創価学会員がネット上に増殖しておりますが、
応に是れこそはイスラム教徒が「アラーは神ではない。ムハマンドはイスラームの預言者ではない」と言っている
様なものであり、其れこそ此の様な者らは信仰者でも何でもありません。
小生から言わせれば、単なる異端者であり身中の蝗蟲(いなむし)であります。して、そんな蝗蟲どもが、
我らが尊信する本尊と教義に対して『偽物だ!謗法だ!』と言うのであります。哀笑。応に「漫画」とは
此の事を指して云うのでありましょう。哀。

>キリストの磔十字架を首にぶら下げるキリスト教の教えでは、人は救えません。
>世界中の人があの像を見て、ぞっとする心がないのは、神経マヒしているのでは?
>磔の像見ながら生活して、平和な心がわきますか?

そうですね。我らからすれば教祖や門祖などが磔(はりつけ)された本尊などは拝みたくありませんね。
しかし、十字架はキリスト教徒にとって受難の象徴であり、復活の象徴でもあります。

尚、聖堂内に於いて十字を切る(画く)動作は、主にカトリック教徒であり、プロテスタントなどの分裂諸派などは
十字を切らない、とも言われております。

しかし、三位一体の神を尊信するに変わりはなく、その点、創価学会員による『日蓮大聖人は末法の御本仏ではない』
との主張からすれば、まだまだキリスト教などは「信仰」としての体は為している、という事でありましょう。
果たして、其の事を思えば、短期に於いて本尊や教義を変節する宗教などは、抑もが宗教としての確立が未熟なので
あり、其れこそ、其の『未熟』を以って『謗法』と断下するのが、日蓮大聖人の仏法なのであります。

さても、日蓮大聖人が三大秘法の南無妙法蓮華経を顕示されしより七百有余年、今にして末法の御本仏が、
日蓮大聖人である事を疑い、又は、其の相伝たる法義を恥じて、日向身延派の「釈迦本仏論」に秋波を送る
創価学会員などは、もはや信仰者の風上にも置けない、其れこそ古本を背中に担いだ身中の蝗蟲の姿でありましょう。
まこと反吐(へど)が出るような痴態であります。

>日蓮正宗の信心をすべきです。お寺に来て御受戒を受けるべきです。
>ご本尊様を拝むべきです。大石寺の大御本尊様を拝むべきです。

そうでありますね。

而して大事な事は、其の受けるべき信心、そして拝むべき信心の啓発を、突喊(とっかん)ではなく、
あくまでも「臨機」に応じて行う事であり、例えば火葬場に於いて、別の葬儀者が招いている浄土宗の
僧侶を捕まえて『あんた! 念仏など唱えたら、死んだ人は地獄に行くよ!』などとは言ってはいけないのであり、
又は右翼団体よろしく新宿の駅前に街宣車を繰り出して『創価本尊は偽モノだぁ~!』『池田大作は化け物だぁ~!!』
と叫びながらビラをまき散らかす行為も『臨機に反した突喊』の一部になるのであります。

其れよりも何よりも、昨今では、創価学会員自らが『日蓮大聖人は偽本仏だぁ!!』と叫んでいるのでありますから、
其の相手の『偽信心』に対して、こっちが態々(わざわざ)『偽物だぁ!』と言う必要もない、という事であります。哀。

尚、今回のようなテロ事件が勃発する度に言っているが、世界のイスラム聖職者と名乗る者共は、こういう破壊行為が
勃発した時、何故に黙殺するのであるか! 説教しろよ、説教! たとえ異端者であろうと、アッラー、アクバル!
と叫んでいる以上、オマエらと同じイスラム教徒ではないか! ったく、何を黙っておるのか!
聖戦を叫ぶならば、オマエら聖職者がイスラム国に乗り込んで説教しなさい! 其れこそがオマエらの聖戦である!!

イスラム外道! 全く以って邪教の骨頂である!

【以上、再掲終わり】


>神の前では、すべての人は平等であるという、イスラムの理念が重んじられたのです。
>それは『コーラン』の精神です。

智慧を廻せ、智慧を廻すんだ! なぁ、鈴之助よ。

アッラー、アクバル! それは自爆の宣誓である!

>松戸行雄「凡夫即身成仏論」

哀笑。そんな我見書を読んで何になる。

よいか。そんな愚書を読む閑があるのなら、日寛上人の当体義抄文段こそを心読しなさい。

保田妙本寺・日護御尊能化に云く、

『前人未踏の世界広布を目指す創価学会の信心は、日寛上人の「大聖人直結」「御本尊根本」「広布根本」の信心に
符合しており、私どもは日寛上人の御本尊がまさに時をえて出現されたのだ、とひとしおの感慨を覚えるものであり
ます』と。【御尊能化所属の日蓮正宗改革同盟 決議文】

よいか。オマエらこそは日寛上人の御教示こそを学びなさい。
さすれば、再び、眼の前が開かれる事であろう。

日蓮大聖人に曰く『仏後の外道は仏教をききみて自宗の非を知り、巧みの心出現して仏教を盗み取り、自宗に入れて
邪見もっともふかし。附仏教、学仏法成等これなり』と。爾して曰く『仏法の義を以て偸んで邪典に安(お)き、
高きを押して下(ひく)きに就け、尊きを摧(くだ)いて卑しきに入れ、概して平等ならしむ』と。
仍って曰く『即(すなわ)ち在家の身を以て仏法を破壊す。此の人正教を偸竊(ちゅうせつ)して邪典に助添す』と。

松戸・松岡・宮田・北林…。

加えて、宿坊・イタチ・金ピコの者共…。

此奴(こやつ)らは皆、上記御文に当て嵌まる、邪見巧心の謗法者どもである。

よいか。近づいてはならん。近づいてはならんぞ。

おっと! 気が付けば、番外が長文になってしまったわい。

いや、そうであるからこそ番外とも云うべきか。

まぁ、よいわ。

何れにしても邪教人。

邪教人への呵責はこれからも続く!!
 

ああ、邪教人 其の六十六

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 8月23日(水)18時39分57秒 i114-185-13-13.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  宿坊の掲示板。

相変わらずの混濁掲示板。

何故(なにゆえ)に混濁か。

言うまでもない。

釈迦本仏を唱え、日蓮大聖人が御本仏であると言うのは、イワシの頭と同(おんな)じだ、と侮蔑した
黒カラスの宿坊が運営する掲示板に、正義漢よろしく創価執行部の信心はおかしい、などと文句する
連中が屯(たむろ)する姿。さても此の集態を混濁と言わずして何と言うのか。

とまれ、投稿者からして見て見ぬふりであるならば、他者に文句する資格など初手から無いのであり、
其れが無知から来るのであれば、学会員として今一度、日蓮本仏義を勉強すべきである。

哀笑。しかしなんだ。日蓮大聖人が末法の御仏とは知らぬ学会員など居るのかいな。哀笑。

兎も角も、知っていて管理人の宿坊を呵責しない学会員などは、須らく謗法与同の其れであり、
もし無知にして無頓着なれば、其れこそ、執行部を批判する力量など、初手からして持ち合わせていない
という事になるのである。さても、そんな連中が、仏法の正義を唱えるなどと…。小鼻笑。

よいか。そーゆーのを「漫画」と云うのである。

して、そんな汚濁掲示板の中に在って、宿坊の狂言に無頓着乍(なが)らも、何やら真っ当な事を言っている
御仁が居る。

云く、

>末法の娑婆世界において大法を弘通しているのは創価学会しかない。
>ゆえに戸田先生は、未来の経典に「創価学会仏」と記されるであろうと断言
>されたのである。

>ところが戸田先生はみんな凡夫と指導されてますね。
>そう考えると戸田先生が「創価学会仏」なんて言うわけがないと思います。
>もし戸田先生がおっしゃったとしても、それはお得意の人を笑わせるための
>ユーモアだったと思われます。

>任用試験に”「創価学会仏」とは何か”こんな
>質問があったら、私は何と書いてよいのか
>わかりません。

>日蓮大聖人様の御書に書かれていない「創価学会仏」を信じてしまったら、
>お陀仏にならないようにと祈るばかりです。

うむ。そりゃ、その通りだ。

>誰か”「創価学会仏」とは何か”という質問にこたえてくれる方はいるのでしょうか?
>タイ人の人たちに質問されてもこたえられません???
>やっぱり「創価学会仏」のことは忘れて、今日を
>明るく元気に私は凡夫のままでやっていきます。

そーか、そーかがっかいぶつ、が解らんのか。そーか、そーか…。(うむ、是れこそは完璧な洒落であるぞ…)

猶(なお)言っておくが、釈迦本仏主義の宿坊などに訊いてはならんぞ。
加えて、宿坊と組んでいるイタチに訊いてもならん。
此奴(こやつ)らは、皆、日蓮大聖人を見下している連中である。

従って、当方が答えてしんぜよう。

果たして「創価学会仏」とは何ぞや。

御義口伝に云く『無作の三身当体蓮華仏とは日蓮が弟子檀那等なり。南無妙法蓮華経の宝号を持ち奉る故なり』と。

さても、日蓮大聖人、我ら弟子檀那をして無作三身当体蓮華の仏である、という。
されば、其れらの仏たちが集う創価学会をして「創価学会仏」と名乗るは、これ全く正義に適う。

と、タンコブ原田(今はタンコブ無し)が自慢げに言う。「だから創価学会仏なのだ」と。

呆呆哀。

違うだろー、違うだろー。

間抜けた事を言うものではない。

本より「間抜け」とは片手落ちの事を指していう。

よいか。片手しかないものを両手と申すは、これ虚言となる。
ましてや、其の片手が腐っているとなれば、其れこそは誑言となる。

タンコブ原田よ、しっかりと聞きなさい。

「創価学会仏」というのは、総じての総であり、其の義を仏性からして言うならば、大誓堂も「大誓堂仏」となり、
信濃町も「信濃町仏」となり、其処(そこ)に咲いている草花も「草花仏」となるのである。(これは洒落でないぞ)

して、其れを「南無妙法蓮華経の宝号の奉持」つまり、御本尊の受持を以って「創価学会仏」と名乗るならば、
其れこそは総別の二義に於いて「総体の義」であると此に宣言しなければならない。

よいかタンコブよ。

オマエら現創価学会は、今に於いては法華大乗の一大秘法にさえ迷う無智集団に成り下がっているのである。
そんな無智無学な集団が、声高らかに「創価学会仏だ!」などと申したら、其れこそ皆が皆、彼の雪中筋肉老人の
様になってしまうではないか。

「貴方は仏様ですか?」

「そーです。私が仏様です」

「その仏様が集まっているのが創価学会仏なんです」

呆哀哀。

莫迦言ってんじゃないよ、オマエ。

よいか。其の様に総義を以って主体と為すは、これ全く迷蒙小義の愚態である、という事を此に識るべきである。

日蓮大聖人が曰く『総別の二義少しも相そむけば成仏思ひもよらず。輪廻生死のもとゐたらん』と。

されば、創価宣言の「創価学会仏」とは、応に六道輪廻にして不成仏の合言葉になるは、これ必定と成るではないか!

反論あるなら申してみよ!


>戸田先生はみんな凡夫と指導されてますね。
>そう考えると戸田先生が「創価学会仏」なんて言うわけがないと思います。

先ずは宜しい。

果たして貴殿が創価学会員であるならば、其の正義に於いて首の皮一枚残っている状況である。

恩師に云く『自分自身が本尊であり、お題目を唱えるものは等しく地涌の菩薩であって、日蓮大聖人とも
変わりがないと考えることは、重大な増上慢の極みであり、大謗法である』と。【戸田城聖全集 第3巻65頁】

貴殿こそは、上記の指導を心肝に染めて、現創価の狂義狂学を内から責めて往きなさい。

よろしいか。恩師は、地涌の菩薩の名乗りさえ、総別の二義に於いて誡められているのである。
其れを「我らこそが仏の集団である」などと…。呆呆。

もしや貴殿が、其の事について領解しているのであれば、愈々(いよいよ)結構な事である。

されば其の正義を以って、先ずは貴殿が投稿している掲示板の管理人を叱りなさい!
本より其の管理人とは『宿坊』という痴れ者である。先ずは此の者を叱りなさい!!

さすれば、貴殿の言動こそが一致と相成る。



さて観るに、こんなものが目に入って来た。

>民衆を服従させ、精神的にも政治的にも自信を失わせ、無気力にさせようとする支配勢力にとって、
>日蓮とムハンマドの教えは、これからも"脅威"であり続ける、と私は確信しています。

果たして是れは誰のセリフか。

もし是れが、池田太作のセリフであるならば、全くの莫迦であり、もし会員であるならば究極の阿呆である。

呆哀哀。ムハンマドの教えが、支配勢力にとって脅威になるだと?

オマエら、大丈夫か? その頭。

この投稿者、オマエ! 宿坊(黒カラス)の掲示板に投稿しているオマエ! 赤胴鈴之助、とか云うオマエ。
オマエ、こっちに来なさい! さすれば、当室に於いて大説教してやろう。

ったく、今の創価学会員は、此の者の様に劣化しておるのか。もう滅茶苦茶であるよな。呆哀。
やはり、本尊教義が滅裂になると、信者会員も脳が分裂して莫迦になるのであろうか。

さもありなん。さもありなん。

兎も角、オマエ、こっちに来なさい!

今日も今日とて邪教人。

邪教人への呵責はこれからも続く! 
 

莫迦に付ける薬

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 8月21日(月)15時06分47秒 i114-185-13-13.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  さて、過日のテレビニュースでは、と或る新興宗教の聖地などを紹介していたが、本日は違う。

真面(まとも)なニュースを改めて紹介しよう。

云く、

「重力波」の直接観測が此に成功したという。

おお! 其れは凄い!

其れこそは画期的な事である。

本より、超極少な時空(時間と空間)の歪みを直接に観測出来たという事は、天文学の発展にとっても大なる
成果となるだろう。

其れを思えば、如何にアインシュタインの理論が精密であったか、という事が、此に於いて(改めて)了知できる
のである。

しかし、其れらの理論と証明は、天文学も含めて、須らく仏法義の一端を示すものに他ならない。

例えば『過去・現在・未来を区別するのは幻想に過ぎない』とは、アインシュタインの言葉ではあるが、
仏法義に於いては『過去と未来と現在とは三つなりと雖(いえど)も、一念の心中の理なれば無分別なり』として、
応に時空と人間、時空と一念という、より深い定義を以って、其れを示しているのである。

本より、時間というものは、人其々に於いて同速ではない。つまりは、独自の時間、独自の時間軸というものが
あって、其々に於いて動いているのである。果たして、これもアインシュタインの理論ではなかったか。

無論、仏法義に於いて、其々の境涯により、時間の長短が現れるなどは、アインシュタインが生まれる以前から
示されている。其れに依れば、天界に於いては1時間が0.19秒となる。

又、時間とは瞬間の連続、とも云うが、これとて仏法義からすれば、初学の範疇となる。
本より、瞬間(時間)の連続に於いては、必ずそこには因果が生じ、しかも其れは須らく倶時である。

尚、我が宗門に於いては、此の因果倶時の当體を仏として開く、所謂『本因仏法』を旨としておるから、
此の大義を領解出来ない内は、久遠元初の深意などは、到底理解出来ない、という事になる。

果たして、検証出来得ないものは科学ではない、とはよく言われるが、其れこそが科学の限界であり、
其れこそ、ビックバンより100兆年も前の宇宙など、到底知り得ないものとなる。

尚、仏法義に於いては、仏が百千万億那由陀阿僧祇の国に於いても衆生を教化する、という深義があるが、
是れこそは、天文学の先を行く、応に此の宇宙法界の実体を如実に表したものと領解出来よう。
して、是れこそは仏に於ける分身散体の極理である、という事を見逃してはならない。

爾して、我々の身体を構成する元素は、須らく宇宙そのものの元素であるから、此の広大な宇宙に於いて、
其れこそ、人間と同じ生体が存在するなどは、至極当然とも言えるのである。しかも、其れらの星々には、
其々の国が在り、しかも、そこには知的生命体としての哲学や宗教が存在するともいう。
無論、これとて、天文学等の分野に於いて、仮説として示されているものである。

又、宇宙法界に於いては、1mも100億光年も、仏法義からすれば同時・同距離の範疇となる。
仍って、我らの一念は、此の宇宙法界に遍満し、其の波動は瞬時に亘るのである。

曰く『四方四惟上下合して十方なり、即ち十界なり。十界の衆生共に三毒の光之有り。(中略)
今日蓮等の類(たぐい)南無妙法蓮華経と唱へ奉るは十界同時に光指すなり』と。【新編 1753】

本より、これら一念の波動は、あらゆる障害物をも突き通し、天地をも突き抜けるのである。
つまり、其の一念に於いては、距離や時間などは影響しない、という事になるのである。
つまり、ブラジルに居る娘が、日本に住む母親の健康を祈るに、何分経ったら其の祈りが届くとか、
そういう次元のものではない、という事である。無論、此の定理は、宇宙間に於いても同じである。

しかし、時間というものは、まこと不思議なものである。
果たして、時間とは一体何であるのか。
実に、その答えこそが、仏法義には在るのである。

まぁ、ややこしい話はこれくらいにして、昨今の新興宗教の話に戻そうか。

何と観れば、

>ここだけの話、昨年先生が海外のメンバーを直接激励してたの知ってる。
>先生だいぶ痩せられたけどご健在だ。

などと胸を張っている御仁が居った。

いやはや、それは凄い情報であるよな。

では、此に質問しよう。

その健在なるセンセーが、なんで何も喋(しゃべ)らんのだ。

おかしいではないか。まさか、舌ガンと成って、舌を抜かれてしまったのか。だから喋れないのか。

よいか。首魁の沈黙は有らぬ疑いを招く。又、其の事態に甘んじるは、指導者としての責任放棄とも成る。

ったく、密附相伝ではあるまいに、健康ならば健康、舌ガンならば舌ガン、植物なら植物と、はっきり本人が
其の状態を宣告すればよいのである! そーであろうが! (おっと、植物となれば其れも出来んか…哀)

今一度問おう。

健在なる池田センセーが、なんで何も喋らんのだ。
何故、公けの場に出て来んのだ。
其の事を是非、教えて貰いたい。

何?

>2017 8.14
>池田先生ご夫妻が創価文化センターへ 創価学園創立50周年記念展示を見学
>創価学園創立者の池田大作先生と香峯子夫人は13日午前、東京・新宿区の
>創価文化センターを訪れ、学園創立50周年の記念展示「君よ使命の大空へ」を丹念に見学した。
>ご夫妻は、四季折々の学園生との交流を振り返りつつ、勉学、クラブ活動に鍛えの夏を送る生徒・
>児童の奮闘をたたえ、学園の一層の発展を念願した。

だと?

何だ。池田センセーは元気であったのか。

さても、文武両道に励む生徒児童の健闘を称え、学園の発展を念願したとは、いやはや何とも勇ましい。

よろしい。

ならば太作よ。何故に創価教義の変更に於いて、自らが其の陣頭に立ち、教義混乱による幹部違背の騒動を
未然に抑止しなかったのか。果たして身体健全にして其れらの事態を見過ごすは、これ全く無放任無責任の
恥態ではないか! 太作よ! お主の罪は重大であるぞ!

夫人? 何が夫人かっ! 夫人が何なのだ!!

ったく、宗教団体の行事に於いて、教団教祖の夫人がのこのこ出で来る事自体、そこら辺に転がっている
新興宗教の腐臭と全く同じである! 少しは恥を識(し)りなさい!

>日亨上人の文章をねじ曲げて、ありもしない似非信者だと批判した文章だと主張する人はいったい
>何なのだろう。

何なのだろう??

阿呆! 其りゃ、オマエら事だよ!

曲解、切文、誇張、虚偽。

まさにフェイクの真骨頂。

ほら、そこのオマエ。懲りずにフェイクをベタ貼りしているオマエの事だよ。

鼻笑。しかしなんだ。自分の事を謗法呼ばわりしている文書を、好んで貼り付ける神経とは、
一体いかなる神経であるのか。まさか、其の貼り付けている行為自体がフェイクだと言うのか。哀笑。

よいか。そーゆーのを頭破作七分と云うのである。呆哀哀。

>あんなボンクラ宗門に、『権威の衣』など存在しない!
>それはだらしない、能無しの弟子たちが、臆病風に吹かれた末に見た幻だ!

哀笑。そーじゃねーだろ。『あの衣は権威だー! 権力だぁー!』とは池田センセーの口癖だよ!
はてさて、オマエの言い分からすれば、能無しの池田センセーこそが臆病風に吹かれていた、という事
かいな。呆哀笑。

因みにボンクラはオマエたちの方であるから、今後、言い間違いのない様に。よろしいか。

>私たちの胸に深く刻まれゆく岐阜の天地は、第三代であられ、一閻浮提の座主であられる日目上人の
>〝殉教″の栄光の大地である。(新・人間革命 249)

哀笑。第三代の一閻浮提の座主・日目上人、ってオイ!
第三代とは何だ。一体何処(どこ)ぞの第三代なのだ。
加えて「一閻浮提の座主」とは、一体何処(どこ)から引っ張り出して来たものか。
なんだ。まさか、この新人間革命も、2、3年後に書き換えられる運命であるのか。小鼻笑。

ったく、節操の無い奴らめ!
だからこそ言う。オマエらこそが頭破作七分の持ち主であると!(何度も言わせるな!)

そー言えば、元住職の花道や、創価大のスゲ博や、元創価のイタチらが集合して、日蓮大聖人の仏法を
屁理屈よろしく分析している様であるが、元より「信」無き者らが「学」に偏執するは、是れ全く無知行の
其れである、という事を此に識(し)るべきである。

爾して曰く『教の浅深をしらざれば理の浅深弁(わきま)ふものなし』と。
仍って曰く『仏教を学すと雖(いえど)も還って外見に同ず』と。

哀笑。

さても、盲眼が如くなるお主ら当世の学者等、如何にして正理を感得して浅深を弁ふべしや。
されば、はかなし者とは、オマエらの様な不信心にして仏法を学問する者をして云ふものか。

そんな墓莫い宿坊が云く、

「鰯(イワシ)の頭も信心なので、日蓮聖人が末法の御本仏というのは、所詮、信仰上の話です」
つまりは「(そんなウソでも)その宗派内、会内で納得されていることならばOKなのです』と。

哀哀。

池田センセーは、日蓮大聖人の事を末法の御本仏と言ってるよ。

ったく、オマエは鵺か!

先ずはよい。

オマエらこそは、身延の九識霊断法を説明致せ。

よいか。

宗門教義の屁理屈などは、其れからの事である!
 

紫光殿へ

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 8月15日(火)14時53分17秒 i114-185-13-13.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  もし今、当室をご覧になっておるのなら、しっかりと目を覚ましなさい。

御前で切腹とは何ですか!
冥土の土産とは何ですか!

其の様な事でどうしましょう!

其の様な心持では、初手からして意見も修正も無いではありませんか。

御気をしっかりと持ちなさい!

要らぬ小事に執着して自ら命を絶つなどは大謗法であります!

紫光殿。よろしいですか?

同志の異義謗法を咎める事は、宗義からして当然の事であり、是れを以って同志誹謗と捉えるは、
これ全く筋違いの信心姿勢と云えましょう。

紫光殿。当方は貴方を責めているのではありません。

当方は当方なりの意見をして述べているのであります。

>私は管理人さまとは争うつもりはございませんし、はたまた、当該サイトの筆者に対して、意義を述べる
>立場にはありません。それは越権行為となる可能性があります。

これは論争でもありませんし、越権行為でもありません。

同志の己義私想を咎めて其れを正す。是れの何処(どこ)が論争ですか。
他支部の同志であろうとも、目の前で過ちがあれば、其れを正すが同志としての責務でしょう。
初手から何でも指導教師、何が何でも御住職。其の様な主体性の無い信心では、凡(およ)そ確信ある折伏など
出来よう筈もありません。

同志に謗法あれば、先ずは同志として教訓し、それでも言う事を聞かないのであれば、指導教師に御指南を仰ぐ。
実(げ)に是れこそが、日有上人の御教訓であります。

紫光殿。よろしいでしょうか。

管理人に対する意見を僭越だとか、講員に対する意見を同志誹謗の重罪だとか、其の様な事は無いのであります。

したがって『自らの命をもって己の愚かさを償いたいと覚悟』する事も『冥土の土産として大事』にする事も、
『どうか我が命に免じて、お納めくださいまし』という事も、全く必要無いのであります。

紫光殿。観て居られますか?

まさか、冥界からではありますまい!

どうか、御気をしっかり持って、信心修行に励んで下さい。

全ては現当二世であり、此の根義こそは、本門戒壇の大御本尊のお認(したた)めにして、其の御写したる我らが
御本尊にお示しの聖義であります。

さても『かくなる上は、ご本尊様に懺悔申し上げ』と言うのであれば、今こそ向かって御本尊の御右肩を拝しなさい。
そして、一信徒が一信徒との意見相違を以って自害する、などという、其の様な料簡こそを悔悟し、今こそ御本尊に
示さる現当二世の信心を以って、勇躍、前進して往こうではありませんか!

返信あらば、一言でも構いません。

紫光殿の御一言。

当方はいつでも待っております。
 

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