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次に、是れも呵責して置こうか。
>初座 天拝
>謹ミテ皇祖天照大神 皇宗神武天皇肇国以来御代々ノ鴻恩ヲ謝シ併セテ皇国守護ノ日月天等ノ諸神ニ
>法味ヲ捧ゲ奉ル 希クハ哀愍納受ヲ垂レ給ヘ
>注目すべきは、天照大神が御観念文の最初に挙げられ「謹ミテ」という最高に敬う言葉が冠されている点だ。
>宗門が軍部権力に迎合し、同調していたことを如実に物語る。
糞笑。オマエらは、ホントーに文面の意が解らん連中よな。呆呆哀。
よいか。上記御観念文の謹ミテとは、爾来御代々を以って皇祖皇宗の両方に掛かり、其の恩恵の意を以って護国を期し、
以って諸天に供養するの意である。だから、オマエら莫迦フェイクの様に、謹ミテが最初の天照大神にのみ冠されている
かの様に読まんとするは、是れ全く莫迦の仕業と成るのである。
本より、御観念文のみならず、御本尊に於ける御相貌の認(したた)めに於いても、御歴代上人の御意に任す処(ところ)で
あり、我ら有髪の共ずれ、つまりは、役人やサラリーマンや、八百屋の親父や肉屋の親父や大工の親父や専業主婦や…、
いやいや、其れよりも何よりも、オマエらの様な悪どい宗教屋、つまりは新興宗教の共ずれが、ぶつくさ文句を垂れる領域
ではない、という事を、此に於いて識るべきなのである。
よいか。今一度言おう。
御観念文に於いては、抑もが興門の採義に依るものであり、オマエらの様な、勝手祈念文の亡者が唾する分野ではない、
という事を識(し)りなさい。
昭和30年代の創価学会の初座御観念文に云く、
【生身妙覺自行の御利益・大梵天王・帝釋天王・大日天王・大月天王・大明星天王・天照太神・正八幡大菩薩等惣じて
法華守護の諸天善神・諸天昼夜常為法故而衛護之の御利益・法味倍増の御爲に】と。
加えて四座の御観念文に云く、
【奉祈念天皇陛下護持妙法・爾前迹門之謗法退治・一天四海・本因妙・廣宣流布大願成就・御祈禱の御爲に
某・過去遠々劫・現在漫々の謗法罪障消滅・現當二世大願成就の爲に】と。
はてさて、上記初座の天照大神と、帝国時の天照大神と、一体何が違うのか。いや、さに匪ず、敬う側が違っていたのか。
つまりは当時、天照大神は悪神であったのか、其れとも、国家が天照大神を悪しく敬っていたのか。そーゆー所をしっかと
述べて初めて御観念文の証論が立つというものである。
されば、四座の『天皇陛下護持妙法』とは如何なる事か。創価学会が陛下の護持妙法を願うとは一体如何なる事であるのか。
オマエらは、其の事をしっかと検証しなさい。加えて、創価学会の前身である創価教育学会の主義、及び、牧口会長の思想を
しっかと総括してから、我ら興門に対しなさい。ったく、釈迦円仏主義の馬鹿連中に掲載利用されても、一言も注意すること
なく傍観するフェイクの、其の無責任なる振る舞いよ。だから、オマエらこそがフェイクなのだ、と言っているのである。
そー言えば、先日のテレビ討論で、自民党が配布している出所(でどころ)不明の小冊子について、其のやり取りがあった。
其の小冊子の表紙には【フェイク情報が蝕むニッポン・とんでも野党とメディアの非常識】と題名されて、野党各党の
党首などの似顔絵を面白おかしく画き込んで、野党勢力などを批判中傷している代物である。
して、其れに対し共産党の志位委員長が言った。
「(安倍総理が総裁を務める自民党では)出所不明の文書などを本部で配るんですか?」と。
すると、維新の代表がこう言った「出所不明の文書を配るのは自民党として大人げない」と。
そしてこうも言った「選挙前の大事な党首討論の場で、出所不明のモノを(メディアが)取り上げる様な話ではない」と。
小笑。
相手の批判中傷を書き並べた出所不明の文書を本部で配る。
而して其れを突かれると、薄ら惚(とぼ)けて知らぬと言う。
おいおい、
此のやり方、何処(どこ)ぞの新興宗教がやっている事と同じよな。呆哀笑。
しかも表紙に「フェイク」などと題名するは、是れ全く、創価公明の入れ知恵ではないのか。糞笑。
尚、大阪公明の金玉を握っている維新の松井代表が、そういう出所不明の文書を取り上げて、一々論ずるものではない、
との趣旨を述べていたが、本より、我々が取り上げている出所不明の馬鹿フェイクの文書などは、其の元からして論ずるに
非ず、其れこそは、宿坊馬鹿フェイク、つまりは、釈迦円仏主義の宿坊連中が、現状日蓮本仏主義の創価のフェイク文書を
連日の様にベタ貼りしている、そーゆー滅裂にして馬鹿で阿呆な行為に対して、我々は悲しみ、憐み、時には見下げ、時には
其の通りに莫迦だ阿呆だと叱責し、又時には宗教人(信仰者)として、宗教の何たるか、という初歩の初歩の初歩を教え込まん
として、日夜こーして説教しているのである。
よいか。オマエらの様なふざけた怪文書を一々取り上げて論じているのではない。
其れこそは、オマエらのそーゆー汚い根性に対し叱責し、そんなオマエらが書き散らかしている怪文書の内容について、
呵責し説教しているのである。よいか。論じているなどと誤解するでないぞ。今、当方が下しているのは説教呵責である。
ったく、オマエらの様な不信心な連中が、我ら興門と対等に論ずるなど百年も早いわ!
墨平三郎、四条金吾に対して云く『日蓮聖人は昼は諸宗無間と折破し、夜は念仏を申され候』と。
哀笑。
よいか。讒言とは此の事にして、オマエら莫迦フェイクも同類である!
ったく、オマエらこそは、恥というものを知りなさい!
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