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愚人へ

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 1月18日(木)18時05分38秒 i223-218-151-119.s42.a014.ap.plala.or.jp
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  >早く、全部の埋め立てをお願いします。

呆哀。お主の目は節穴か。

堀の埋め立ては全部ではない。

一つづつ埋めて往くのである。

そして、其の一つ一つの埋め立て作業が、お主が今まで断言して来た言魂の検証であり、確認であり、
又、その為の問いなのである。決して、詰論の主意から外れるものではない。

よろしいか。堀は、外堀から埋めるのである。

ったく、御三家の名を挙げて、其の名代の権威を例としたお主ならば、城攻めの手法など心得ておろうが。

だから言っているだろう。お主は彼の「秀頼」であると。哀。

よいか。今一度言う。

堀は一つづつ埋めて往くのである。

尚、『私の返答は、管理人さんの埋め立ての後です』などと言っておるが、当方がいつ、全部いっぺんに
埋めると申したか。よいか。当方は埋め立作業の分類を挙げたのである。よいか。全部いっぺん、ではない。
ったく、そんな事をしたら、堀埋作業が広範囲となり、お主の急所に対する攻撃が緩慢に成るであろう。
よいか。一つづつ進め、其の一つづつに関して付随の質問を重ね、お主の矛盾点を炙り出し、其の己義私見の
罪言を責断して往くのである。(そんな事、当たり前だろう)

では再詰する。

よいか。これはお主が外堀に張っている『鳴子』を取り外す作業である。

されば、心して答えなさい。




>私は、初信の位なのですか?。だとしたら六即でいえば名字即ですね。

お主は「初信の位だとしたら、其れは名字即ですね」と言ったであろう。
して、お主は、私も日蓮聖人も仏であるが、そこには六即からの次第がある、と言った。
ならば、お主と大聖人との「六即の次第」を此に申せ。




而してお主は、日蓮聖人と弟子檀那は、名字即以上の仏になるという。
されば問う。理即に対する名字即以上の仏とは一体何か。答えよ。




加えて、名字凡夫の釈迦如来と、名字即以上の日蓮大聖人と、一体どちらが、六即からして上なのか。
爾して、お主の名字即と日蓮大聖人の名字即と、一体何が違うのだ。




尚、日蓮大聖人はこう仰せらる。
『釈尊久遠名字即の位を、末法今時の日蓮が名字即の身に移せり』と。
して、その「身に移せり」とは「順じて」の意であるという。
ならば、釈尊久遠名字即に「順じた」日蓮大聖人が、何故に名字即以上の
仏と成り得るか。お主は其れを申せ。

以上である。

尚、次回も同じ様に、早く全部埋めて下さい。などと駄駄を捏ねるならば、其れこそは論窮が故の遁逃弁と
見なすから、其のつもりでいなさい。

よろしいか。
 
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