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管理人さん

 投稿者:愚人  投稿日:2018年 1月14日(日)20時00分52秒 softbank126074077093.bbtec.net
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  呆哀。しかし、お主という奴は、まこと口減らずの小理屈男であるよな。呆。

ったく、一々の小返事は要らんと言っているだろう。

 ・管理人さんが、小返事を誘発するからですよ。

阿呆! お主の様な者に「日蓮」などと呼び捨てられる日蓮大聖人ではない、と申しているのである!

 ・私も管理人さんも同じ阿呆。同じ阿呆なら踊らなきゃソンソン♪♪

日蓮聖人はそんな事を気にはしません? 阿呆!! 気にしてないのはオマエだよ!

 ・私は、気にしていませんよ。ルンルン♪。

ったく、無神経な奴め。呆怒。

 ・無神経でないと管理人さんと対話できません。

して観れば、下らん事を愚駄愚駄と言い並べおって!

 ・面白かったでしょ?。

哀。まぁよい。そろそろ最後と成ろう。

 ・やっと、管理人さんから解放されるのですね。ランランラン♪。

されば、お主の小理屈を此に責断し、腐れ講員による与太話を此に閉じよう。

 ・そうですね。もうそろそろ止めましょう。

鼻笑。はて、此の意味、解ろうか。

 ・要するに面倒くさくなった。

其れにしても、お主という奴は、慇懃にして惚けた奴であるよな。

 ・毎度、お褒めを頂きありがとうございます。

呆怒。だから死んでるんだよ。講員として。哀哀哀。

 ・それじゃあ私は、幽霊?。だから幽霊G。

ったく、ふざけた奴め。

 ・だから、真面目ですって。

>>日蓮大聖人は仏には非ず、而して、其の非仏が図顕した曼荼羅を本意とする、とな。

阿呆! 日蓮大聖人は仏に非ず、とは、お主の愚弁を申しているのである。

してお主は、其の非仏が図顕した曼荼羅を本意とする、と言っておる。だから、愚人だ、と言っているのである。

ったく、お主の目ん玉は何処(どこ)に付いておるのか!

 ・額の下に付いています。

呆哀。末法の仏は凡夫身の釈迦如来だとお主は言う。だから、其の凡夫身の釈迦如来とは何かと問う。
すると其れは、色相の仏ではなく凡身の仏だという。阿呆! そんな事ぁ初手から成っておろう。
よいか。此の問いは、して其の凡夫身は何処(どこ)に居るのか、という詰問に係っているのである。
して、其の詰問に対して答えが無いではないか。されば問う。凡夫身の釈迦如来は何処に居るのか。

 ・漫荼羅本尊の中に居ます。

爾して、末法の凡身僧は、何処(いずこ)に居るのか。お主は其れに答えなさい。

 ・この凡夫僧とは本仏ですから漫茶羅本尊の中に居ます。

小笑。つまりは何だ。非仏と本仏の間に仏がある、という事かいな。小笑。

 ・これは私の表現のミスですね。免御。一切衆生は妙法蓮華経にして仏です。

ならば、日蓮大聖人は仏であるか! して、其の仏は、別してお主と同等であるか! 答えよ!

 ・一切衆生は妙法蓮華経にして仏ですので日蓮聖人も私も仏です。しかし六即の上からの次第はありましょう。

御義口伝に曰く!『如来とは釈尊、総じては十方三世の諸仏なり。別しては本地無作の三身なり。
今日蓮等の類の意は、如来とは一切衆生なり。別しては日蓮が弟子檀那なり。されば無作の三身とは
末法の法華経の行者なり』と!

 ・そうです。仏です。信心していない人は理即の仏。日蓮が弟子檀那等は、名字即以上の仏となりましょう。

されば、上義を別してば往けば「末法の法華経の行者」とは応に日蓮大聖人の御事と成るのであり、

 ・日蓮聖人と弟子檀那の間には、師弟の次第がありますから、その関係において、そのような表現も出きると思います。

さても、釈尊をして別すれば無作の三身と成り、実(げ)に其の無作三身の御当體こそ、日蓮大聖人と
成るのである。

 ・なりません。

尚、念の為に言って置くが、無作三身の法華経の行者とは、お主の事ではない。

 ・自分でも思っていないので、ご心配なく。

されば、末法の衆生に対して教主となるは、応に衆生からして仏となる意ではないか。

 ・一切衆生は妙法蓮華経にして仏ですからね。

されば、此の閻浮提に於いて、本未有善以外の衆生が居るとでもいうか。

 ・いるわけないでしょう。

爾して、其の『寿量品の教主』をして仏と為すに何の誤謬があろうか。
然るに、教主とは仏の異名であろうが。

 ・日蓮聖人は本仏からの付嘱を受けて本仏の名代として布教していますからね。御三家でも将軍の名代の者には平服しなければならないの、知ってました。

末法の衆生に対して法華の行者が教主と成り、其の教主をして衆生が成道するとは、
応に是れこそ機縁に於ける能所一体の態相であり「衆生が願うは仏の出生のみにて、法華経(妙法)を
説いて貰う事ではない」とするは、当に断片撞着(どうちゃく)の小論となるものである!

 ・法華経も三大秘法も衆生の願いに応じてではなく、自らの意思で説いたのですよ。何回説明したら理解できるのですか?。

されば曰く『法華経の意は能所一体なり』と。よいか、法華経の意(こころ)は、説く能と、受く所に
於いて一体なのである。されば曰く『古今能所不二にして法華の深意をあらわす』と。

 ・仏様が説いた法華経を信解した衆生は能所一体ですよ。『当体義抄』に書いてある通りです。

さても、日蓮大聖人が五百塵点劫の当初の衆生と末法の衆生に三大秘法を説かれた、とは
如何なる事か。而して、其の三大秘法は、釈迦如来が五百塵点劫に修行したものだ、と言っておるが、されば、
釈迦如来が五百塵点劫に修行した三大秘法を、日蓮大聖人が五百塵点劫の当初(そのかみ)に、其の当初の衆生と
末法の衆生に三大秘法を説いた、とは、如何なる文証を以って其(そ)を論じるか。其れを此に示せ。

 ・『三大秘法抄』『当体義抄』『総勘文抄』『曾谷殿許御返事』。文は今までの投稿にあります。

されば、釈迦如来から順じて付属された曼荼羅本尊が釈迦如来の一身の当体とは、何処(いずこ)の文に在るか。

 ・『観心本尊抄』

爾して「順じて」とは如何なる事か。

 ・「順」をググってみて下さい。

加えて、付属に順ずる曼荼羅が釈迦如来一身の当体とは如何なる事か。
其の文証を此に示せ。

 ・「観心本尊抄」のアノ文。

曰く『釈尊久遠名字即の位を、末法今時の日蓮が名字即の身に移せり』と。【新編 1684】

爾して「移す」とは「順ずる」意となるか。

されば、久遠釈尊の位を、日蓮大聖人が其の身に移し、曼荼羅御本尊を御図顕するに、其の曼荼羅の当体が
日蓮大聖人の御当體と成るは、当に理在絶言ではないか。


 ・日蓮聖人は釈迦如来の名代として漫茶羅本尊を顕した。その本尊は釈迦如来の当体。日蓮聖人は付嘱に順じて書き顕しただけ。

されば言う。

『釈尊ほどの仏を三業相応して一中劫が間ねんごろに供養し奉るよりも、末代悪世の世に法華経の行者を
供養せん功徳はすぐれたり』と。【新編 739】

さても、此の大聖人の法師品の一文に対する解釈からすれば、お主が言う処の釈迦如来の当体たる曼荼羅は、
一中劫の間、ねんごろに供養しようとも、法華経の行者への供養よりも劣る、という事になる。

 ・この文は法勝人劣の文。霊山の釈迦如来は末法の衆生には利益がない。末法の衆生に利益がある南無妙法蓮華経を釈迦如来から付嘱を受けた日蓮聖人。だからこその文。たからと言って、日蓮聖人は本仏ではない。日蓮聖人もそのことを弁えて本師釈迦如来としている。

果たして、末法法華経の行者よりも劣る釈迦如来曼荼羅とは、一体如何なる曼荼羅であるのか。

 ・管理人さんの誤解。

お主は其れを説明致せ。

 ・私の上の説明をよく読んで下さい。

尚、今よりは留守となる。

 ・留守番しましょうか?。

したがって、残りの痴文に対しては、後日の呵責となる。

 ・痴文なんて、照れるなあ。ポリポリ。

尚、此に重ねて言う。
こーゆー言い方はやめよ!

 ・彼の人の表現です。

腐っても法華講員ならば、少しは恥を識(し)りなさい!

 ・お互いに知りましょう。
 
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