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管理人さん

 投稿者:愚人  投稿日:2018年 1月13日(土)21時06分58秒 softbank126074092131.bbtec.net
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  愚人殿。増長もいい加減に致せよ。

大聖人の御金言が灯明とならば、お主こそは其の光明に照らされる小人の一類である。

 ・差別面から言えば、其の通りです。平等面から言えば、小人である私も日蓮聖人も共に妙法蓮華経です。

されば、日蓮、などと呼び捨てるものではない!

 ・日蓮聖人は、そんな事を気にはしません。

>>『日蓮本仏義』のやり取りについては、其の後と言っているでしょう。

>・常に根底で論じていますけどね。

屁理屈などはよろしい!

 ・真実を言ったまでです。管理人の説は日蓮本仏の立場から論じ、私は日蓮非本仏の立場から論じていますよ。

>・管理人さんの求めに応じて、感応道交して答えているのに詰問される覚えはありません。

呆怒。何を云う。当方と感応道交しておらんから、こうやって詰問しているのではないか。

 ・私は管理人さんの答えて欲しいという願いに応じて、答えているのですが。

さても法華講員の当方が、本山に弓引く法華講員を問い詰めずして何とするか!

 ・私は弓を持っていないので、弓を引くことはできません。

覚えがないのは、お主の脳髄が麻痺しているからである!

 ・脳髄が麻痺していたら、こうして投稿など出来ていません。

して其の麻痺とは何にか。其れこそは講員でありながら、持すべき教義に違背する、其の麻痺を云うものである!

 ・なあ~んだ。そういう意味でしたか。

>・何ですかとは、何ですか。

呆。恍けるのもいい加減に致せ。

 ・惚けていません。真面目にやってます。

言っておくが、惚(とぼ)けてなんかおりません、などと言う恍けた返事などは要らんぞ。

 ・すみません。惚けた返事をしてしまいました。

哀。己(おのれ)と同じ考えであれば、其れこそが正しい、という事か。哀哀。

 ・私と同じ考えだということです。

よいか。そーゆーのを『我見』と言うのである。

 ・私も管理人さんも我見で投稿しているのでは?。

日蓮正宗しかよく知りません?

小笑。何をか云う。お主などは何も知っておらん。よいか、正宗に於いて「知る」という事は、当宗に随順する、
という事である。お主こそは、先ず以って信仰の何たるかを勉強しなさい。

 ・「信仰」をググってみます。

>「非日蓮本仏」と「漫茶羅本意」「法勝人劣」なら私と同じ考えです。

呆哀。お主の頭は、七分に割れておるのか。

 ・七分に破れていたら、死んでいます。

日蓮大聖人は仏には非ず、而して、其の非仏が図顕した曼荼羅を本意とする、とな。

 ・えっ?!。日蓮聖人は漫茶羅本意ではないのですか?。管理人さんは日蓮聖人は、仏像本意だと考えているのですか?。

爾して、お主は言う。

末法の仏とは凡夫身の釈迦如来のことである。と。

されば、凡夫身の釈迦如来とは何か。して、凡夫身は何処(どこ)に居るか。答えよ。

 ・凡夫身の釈迦如来とは色相荘厳の仏様ではなく、凡身の仏様です。

して、お主は更に言う。

法華経の行者は、本未有善の衆生に対しては寿量品の教主となる。と。

 ・はい。言いました。

されば問う。其の寿量品の教主は非仏であるか。此に答えよ。

 ・末法の法華経の行者である日蓮は、残念ながら非仏です。年のために言っときますが、非仏とは本仏ではないということですよ。

日蓮大聖人が曰く『過去久遠五百塵点のそのかみ唯我一人の教主釈尊とは我等衆生の事なり』
仍って申さく『あにかの仏に異(かは)るべきや』と。【新編 262】

 ・私も管理人さんも本仏ではないが、仏です。文意は「当体義抄」と同じです。管理人さんは、「無始色心・・・金剛不壊の仏身とな」[新編御書262]ったから自分も本仏だと思うのですか?。

>「漫茶羅本意」「法勝人劣」なら私と同じ考えです。

鼻笑。そうか。ならば言う。日蓮大聖人と御本尊との関係を此に述べよ。

 ・日蓮聖人は釈迦如来からの付嘱に順じて漫茶羅本尊を書き顕してくれる関係。

御義口伝第廿五 建立御本尊の事に曰く『日蓮慥(たしか)に霊山に於て面授口決せしなり。
本尊とは法華経の行者の一身の当体なり』と。【新編 1773】

 ・はい。漫茶羅本尊は、釈迦如来からの付嘱に順じたものであり、其の曼荼羅本尊は法華経の行者である釈迦如来の一身の当体です。

ったく、何ですかとは、何ですか。などと惚(とぼ)けている場合ではないぞ!

 ・だから、惚けていません!。


一、法華講員でありながら、宗門根義に唾し、違背する、其の本意は何か。

 ・籍だけ法華講員ですので、唾をかけるとか違背しているとかの感覚がありません。

>・信じていないので、違背云々の感覚自体がありません。

哀。だから、講員として脳髄が麻痺している、と言っているのである。間違いなかろうて!

 ・脳髄が麻痺していないから、こうして投稿をしています。

そーか。教判の基は、お主が感じた事をして云うか。鼻笑。

 ・笑って頂けて光栄です。

して、其れに感じて『日蓮は』とは大したものである。

 ・お褒めを頂きありがとうございます。

呆怒。小学者気取りもいい加減に致せよ。

 ・気取っていませんが・・・。

三、して、其の教判の基からして、向門・像門・隆門・陣門・真門・講門・什門等の門流の何れが正義正統であるのか。

呆笑。お主の考える正義正統などは、其の本からして破綻しておるよ。無論、其れこそが己義の特徴でもあるが。鼻笑。

 ・ここでも笑って頂けて嬉しいです。

怒。一々の小返事はよい!

 ・早く言ってよ~ぅ。

だから、弥四郎国重の願(戒壇建立)に応じて、日蓮大聖人が戒壇本尊を開顕した、という事であろうが。

 ・『三大秘法抄』に戒壇と本尊を別けているように弥四郎国重法華講衆等の願いは本尊ではなく、戒壇です。

爾して、其の「願」と「開」は、応に能所一体の阿吽にして、『敬白』の意こそは、能所に於て亘るのである。

 ・「開」・・・どの「開」ですか?。私が南無妙法蓮華経から開いたと書いた「開」ですか?。

②加えて、寿量品の『世尊、唯願わくは之を説き給へ』の「之」とは一体何か。

呆哀。だから、弥勒が願う処の『誠諦之語』とは何か、と訊いておる!

 ・国語の読解力のテストならば、「誠諦之語」で正解ですよ。

して、其の釈迦如来の自らの意思とは、一体何に依って表示と相成るか!

 ・経文に明らかです。前の投稿に書いた通りです。

さても『合掌して仏に白(もう)して』との続文は、応に『敬白』の意を示す唯願の文ではないか。

 ・その言葉が釈迦如来の「誠諦之語」を受けてのものであることが、解らないのですか?。釈迦如来は彌勒菩薩を首とする菩薩大衆に向かって、「誠諦之語」を「信解すべし」と言っているのです。菩薩大衆の願いに応じて「信解すべし」と言ったのではありません。
 天台大師が『法華文句』に、

 誠は是れ忠誠、諦は是れ真実なり。物を欺からざるの言は則ち真に詣る。昔の七方便は随他意にして誠実を告ぐるに非ず。今は随自意語にして之を示すに要を以てす、故に誠諦と云う、

と言われている通りです。

果たして、仏の本意は法華経を説く事にある、という。
しかし、衆生の願いは、仏の出世のみにて、法華経を説いて貰う事ではない、という。

ならば、衆生たる弥四郎国重法華講衆の願主たるは、何を願って願主と相成ったか。

 ・同じことを二回も書かせないで下さい。

と訊いているのである!

 ・同じことを二回も聞かないで下さい。

さても、弥勒が願う処の『誠諦之語』とは一体何か! 此に答えよ!

 ・釈迦如来の寿命に関する説法です。

③されば、『仏を見たてまつらざれども法華にて得道するなり』との文は、如何なる事か。

呆哀。されば、凡夫僧の釈迦如来とは何か。

 ・本仏に即した凡夫僧です。これは日蓮正宗でも凡夫僧を本仏としているのですから理解できるのでは?。

爾して、地涌の菩薩は凡夫に非ざるか。

 ・「法華経」は直達正観ですから仏であると開いていたと思います。しかしそれは九界即仏界です。本仏ではありません。

爾して、日蓮大聖人は凡夫僧に非ざるか。

 ・凡夫僧です。

重ねて問う。

とお主は言うが、されば、其の久末一同に亘る付属の法とは一体何か。

 ・三大秘法です。

して、日蓮大聖人が、五百塵点劫の当初の衆生に説かれた、とは如何なる事か。

 ・前に説明した通りです。

されば、其の意こそ元初本因凡夫僧の御本仏に即するものではないか。

 ・それは五百塵点劫の当初の釈迦如来のことです。

須らく答えよ。

 ・答えました。

して、お主が申さく、

ならば、久末の衆生は、何の下種を受けて得道したか。

 ・南無妙法蓮華経です。

加えて『如来是一切衆生』の大義からすれば、当に地涌の菩薩こそも、衆生の一類と成るではないか。

 ・はい。

爾して、お主が言う。

されば、法華経に至らぬ菩薩の誓願とは、一体、如何なる法教を以って為し得るか。

 ・釈迦如来が、五百塵点劫の当初に修行した三大秘法です。

爾して、菩薩の願とは、即ち衆生の願に有らずや。

 菩薩の願いとは「四句誓願」です。また仏に教化された衆生と仏に教化されていない修行の間には能化の差別があります。

して曰く『今末法に入りて法華経の行者は、四弘能所感応の即身成仏の四弘なり』と。【新編 1862】

今こそ、此に答えるべし。

 ・日蓮聖人は地涌菩薩として「四句誓願」を行じたのです。

哀怒。詭弁を弄するものではない!

 ・奇弁?。不愉快だなあ。

お主の脳眼が腐っておるから、そーゆー風にしか見えないのである。

 ・腐ってたら生きていません。

さても、熱原の信者らが自らに対して『右現当二世の為に造立件の如し』などと記(しる)す筈も無く、
其れこそ、自身らの為に未来戒壇の建立を願って本尊を図顕するなど、彼の安永弁哲も引っ繰り返る程の
痴論である!

 ・そう思うのは自由です。

されば『当世の人人何の宗々にか本門の本尊戒壇等を弘通せる、仏滅後二千二百二十余年に一人も候はず』との
御意こそは、応に来る御本懐の熟意にして、熱原農民の立ち入る法域ではないのである。

 ・そもそも私は弥四郎国重法華講衆等が熱原の農民だとは書いていませんよ。

されば言う。お主の様な腐眼の主(ぬし)こそ、我が富士門家の法義からして、全くの愚人である!
さても、名は体を顕すとは、此の事か。

 ・覚者ではないので愚人です。管理人さんは、覚者なのですか?。

個人の自由? ならば、宗教など必要ないわ! 此の言っている意味、解ろうか。哀哀。

いや、解るまいて。鼻笑。

 ・はい。解りません。

おお。ならば、他宗信徒の根本尊崇に唾するでない!

 ・管理人さんは他宗信徒の本尊に唾していないのですか?。

お主が自由ならば、こちらとて自由になろうが!

 ・はい。自由です。

果たして、互いが自由を尊ぶならば、批判など在り様もない! そうであろうが!

 ・管理人さんの願いに応じて答えているだけです。

ったく、お主は何も解っておらん! 応に愚人其のものである!

 ・先程も書いたように、私は覚者ではないので愚人です。

おお。お主の希望どおり「本性」にて書いたぞ。
本より、其の『本性』こそは、獅子身中の蝗蟲に対する呵責叱責である!
最早、お主などに「軟語」など必要ない。

 ・はい。必要ないです。

尚言うが、当方が一番に嫌うは、慇懃無礼な言動である。


以後、気を付けられよ。

 ・管理人さんも気をつけて下さい。

哀笑。さもありなん。

法華講員にして釈迦本仏を唱え、剰(あまつさ)え、バラモンに傾斜するとは。呆哀哀。

だからこそ、呵責するのである!

 ・管理人さんも読んでみて下さい。
 
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