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莫迦に付ける薬

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 8月21日(月)15時06分47秒 i114-185-13-13.s42.a014.ap.plala.or.jp
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  さて、過日のテレビニュースでは、と或る新興宗教の聖地などを紹介していたが、本日は違う。

真面(まとも)なニュースを改めて紹介しよう。

云く、

「重力波」の直接観測が此に成功したという。

おお! 其れは凄い!

其れこそは画期的な事である。

本より、超極少な時空(時間と空間)の歪みを直接に観測出来たという事は、天文学の発展にとっても大なる
成果となるだろう。

其れを思えば、如何にアインシュタインの理論が精密であったか、という事が、此に於いて(改めて)了知できる
のである。

しかし、其れらの理論と証明は、天文学も含めて、須らく仏法義の一端を示すものに他ならない。

例えば『過去・現在・未来を区別するのは幻想に過ぎない』とは、アインシュタインの言葉ではあるが、
仏法義に於いては『過去と未来と現在とは三つなりと雖(いえど)も、一念の心中の理なれば無分別なり』として、
応に時空と人間、時空と一念という、より深い定義を以って、其れを示しているのである。

本より、時間というものは、人其々に於いて同速ではない。つまりは、独自の時間、独自の時間軸というものが
あって、其々に於いて動いているのである。果たして、これもアインシュタインの理論ではなかったか。

無論、仏法義に於いて、其々の境涯により、時間の長短が現れるなどは、アインシュタインが生まれる以前から
示されている。其れに依れば、天界に於いては1時間が0.19秒となる。

又、時間とは瞬間の連続、とも云うが、これとて仏法義からすれば、初学の範疇となる。
本より、瞬間(時間)の連続に於いては、必ずそこには因果が生じ、しかも其れは須らく倶時である。

尚、我が宗門に於いては、此の因果倶時の当體を仏として開く、所謂『本因仏法』を旨としておるから、
此の大義を領解出来ない内は、久遠元初の深意などは、到底理解出来ない、という事になる。

果たして、検証出来得ないものは科学ではない、とはよく言われるが、其れこそが科学の限界であり、
其れこそ、ビックバンより100兆年も前の宇宙など、到底知り得ないものとなる。

尚、仏法義に於いては、仏が百千万億那由陀阿僧祇の国に於いても衆生を教化する、という深義があるが、
是れこそは、天文学の先を行く、応に此の宇宙法界の実体を如実に表したものと領解出来よう。
して、是れこそは仏に於ける分身散体の極理である、という事を見逃してはならない。

爾して、我々の身体を構成する元素は、須らく宇宙そのものの元素であるから、此の広大な宇宙に於いて、
其れこそ、人間と同じ生体が存在するなどは、至極当然とも言えるのである。しかも、其れらの星々には、
其々の国が在り、しかも、そこには知的生命体としての哲学や宗教が存在するともいう。
無論、これとて、天文学等の分野に於いて、仮説として示されているものである。

又、宇宙法界に於いては、1mも100億光年も、仏法義からすれば同時・同距離の範疇となる。
仍って、我らの一念は、此の宇宙法界に遍満し、其の波動は瞬時に亘るのである。

曰く『四方四惟上下合して十方なり、即ち十界なり。十界の衆生共に三毒の光之有り。(中略)
今日蓮等の類(たぐい)南無妙法蓮華経と唱へ奉るは十界同時に光指すなり』と。【新編 1753】

本より、これら一念の波動は、あらゆる障害物をも突き通し、天地をも突き抜けるのである。
つまり、其の一念に於いては、距離や時間などは影響しない、という事になるのである。
つまり、ブラジルに居る娘が、日本に住む母親の健康を祈るに、何分経ったら其の祈りが届くとか、
そういう次元のものではない、という事である。無論、此の定理は、宇宙間に於いても同じである。

しかし、時間というものは、まこと不思議なものである。
果たして、時間とは一体何であるのか。
実に、その答えこそが、仏法義には在るのである。

まぁ、ややこしい話はこれくらいにして、昨今の新興宗教の話に戻そうか。

何と観れば、

>ここだけの話、昨年先生が海外のメンバーを直接激励してたの知ってる。
>先生だいぶ痩せられたけどご健在だ。

などと胸を張っている御仁が居った。

いやはや、それは凄い情報であるよな。

では、此に質問しよう。

その健在なるセンセーが、なんで何も喋(しゃべ)らんのだ。

おかしいではないか。まさか、舌ガンと成って、舌を抜かれてしまったのか。だから喋れないのか。

よいか。首魁の沈黙は有らぬ疑いを招く。又、其の事態に甘んじるは、指導者としての責任放棄とも成る。

ったく、密附相伝ではあるまいに、健康ならば健康、舌ガンならば舌ガン、植物なら植物と、はっきり本人が
其の状態を宣告すればよいのである! そーであろうが! (おっと、植物となれば其れも出来んか…哀)

今一度問おう。

健在なる池田センセーが、なんで何も喋らんのだ。
何故、公けの場に出て来んのだ。
其の事を是非、教えて貰いたい。

何?

>2017 8.14
>池田先生ご夫妻が創価文化センターへ 創価学園創立50周年記念展示を見学
>創価学園創立者の池田大作先生と香峯子夫人は13日午前、東京・新宿区の
>創価文化センターを訪れ、学園創立50周年の記念展示「君よ使命の大空へ」を丹念に見学した。
>ご夫妻は、四季折々の学園生との交流を振り返りつつ、勉学、クラブ活動に鍛えの夏を送る生徒・
>児童の奮闘をたたえ、学園の一層の発展を念願した。

だと?

何だ。池田センセーは元気であったのか。

さても、文武両道に励む生徒児童の健闘を称え、学園の発展を念願したとは、いやはや何とも勇ましい。

よろしい。

ならば太作よ。何故に創価教義の変更に於いて、自らが其の陣頭に立ち、教義混乱による幹部違背の騒動を
未然に抑止しなかったのか。果たして身体健全にして其れらの事態を見過ごすは、これ全く無放任無責任の
恥態ではないか! 太作よ! お主の罪は重大であるぞ!

夫人? 何が夫人かっ! 夫人が何なのだ!!

ったく、宗教団体の行事に於いて、教団教祖の夫人がのこのこ出で来る事自体、そこら辺に転がっている
新興宗教の腐臭と全く同じである! 少しは恥を識(し)りなさい!

>日亨上人の文章をねじ曲げて、ありもしない似非信者だと批判した文章だと主張する人はいったい
>何なのだろう。

何なのだろう??

阿呆! 其りゃ、オマエら事だよ!

曲解、切文、誇張、虚偽。

まさにフェイクの真骨頂。

ほら、そこのオマエ。懲りずにフェイクをベタ貼りしているオマエの事だよ。

鼻笑。しかしなんだ。自分の事を謗法呼ばわりしている文書を、好んで貼り付ける神経とは、
一体いかなる神経であるのか。まさか、其の貼り付けている行為自体がフェイクだと言うのか。哀笑。

よいか。そーゆーのを頭破作七分と云うのである。呆哀哀。

>あんなボンクラ宗門に、『権威の衣』など存在しない!
>それはだらしない、能無しの弟子たちが、臆病風に吹かれた末に見た幻だ!

哀笑。そーじゃねーだろ。『あの衣は権威だー! 権力だぁー!』とは池田センセーの口癖だよ!
はてさて、オマエの言い分からすれば、能無しの池田センセーこそが臆病風に吹かれていた、という事
かいな。呆哀笑。

因みにボンクラはオマエたちの方であるから、今後、言い間違いのない様に。よろしいか。

>私たちの胸に深く刻まれゆく岐阜の天地は、第三代であられ、一閻浮提の座主であられる日目上人の
>〝殉教″の栄光の大地である。(新・人間革命 249)

哀笑。第三代の一閻浮提の座主・日目上人、ってオイ!
第三代とは何だ。一体何処(どこ)ぞの第三代なのだ。
加えて「一閻浮提の座主」とは、一体何処(どこ)から引っ張り出して来たものか。
なんだ。まさか、この新人間革命も、2、3年後に書き換えられる運命であるのか。小鼻笑。

ったく、節操の無い奴らめ!
だからこそ言う。オマエらこそが頭破作七分の持ち主であると!(何度も言わせるな!)

そー言えば、元住職の花道や、創価大のスゲ博や、元創価のイタチらが集合して、日蓮大聖人の仏法を
屁理屈よろしく分析している様であるが、元より「信」無き者らが「学」に偏執するは、是れ全く無知行の
其れである、という事を此に識(し)るべきである。

爾して曰く『教の浅深をしらざれば理の浅深弁(わきま)ふものなし』と。
仍って曰く『仏教を学すと雖(いえど)も還って外見に同ず』と。

哀笑。

さても、盲眼が如くなるお主ら当世の学者等、如何にして正理を感得して浅深を弁ふべしや。
されば、はかなし者とは、オマエらの様な不信心にして仏法を学問する者をして云ふものか。

そんな墓莫い宿坊が云く、

「鰯(イワシ)の頭も信心なので、日蓮聖人が末法の御本仏というのは、所詮、信仰上の話です」
つまりは「(そんなウソでも)その宗派内、会内で納得されていることならばOKなのです』と。

哀哀。

池田センセーは、日蓮大聖人の事を末法の御本仏と言ってるよ。

ったく、オマエは鵺か!

先ずはよい。

オマエらこそは、身延の九識霊断法を説明致せ。

よいか。

宗門教義の屁理屈などは、其れからの事である!
 
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