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儚(はかな)き邪宗の教学 【再掲】

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 4月10日(月)20時23分18秒 i114-180-126-34.s42.a014.ap.plala.or.jp
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  「出世の本懐の本義は、大聖人の御生涯において、末法万年の一切衆生の救済のために三大秘法を確立
されたこと、(中略) 大聖人が「弘安2年の御本尊」を御図顕されたことも、この三大秘法の確立と民衆
仏法の確立という意義の中に含まれるものと考える」【平成27年 聖教新聞/創価学会教学部】

哀笑。いやはや、宗教の根本たる本尊義を改変する事自体、問題があると云うに、今回の改変は何と考察で
あるという。哀笑。しかしなんだ。根本教義が考察状態であるとは、何とも情けない宗教団体であるよな。

其れにしても何だ。弘安2年の御本尊(一昨年までは一閻浮提総与の大御本尊)も、三大秘法の確立という意義に
含まれる、って、一体どういう事かいな。哀笑。果たして、確立された三大秘法の意義(出世の本懐の本義)に
含まれる弘安2年の御本尊とは、一体どーゆー御本尊なのかいな。哀笑。して、その御本尊を包含する三大秘法
とは、一体、どーゆー三大秘法であるのか。

まさか其れこそが、一大秘法の妙法蓮華経の五字である、というのか。

原田創価に云く『一大秘法が本門の本尊であるという御書は無い。一大秘法とは妙法蓮華経の五字の事だ』と。

つまりは何だ。題目(南無妙法蓮華経)こそが一大秘法という事か。

ならば、此れは如何なる事か。

原田が云く『本門の本尊に唱える南無妙法蓮華経が本門の題目』と。

はて、一大秘法ではない本門の本尊に唱える題目が本門の題目になる、とは如何なる事か。

して、一大秘法ではない本門の本尊によって、本門の題目になるという題目は、一体如何なる題目であるのか。

而して原田が云う。一大秘法とは妙法蓮華経の五字、つまりは題目である。と。

果たして、一大秘法、つまり、三大秘法を包含する一大秘法とは、本尊であるのか題目であるのか。

さても原田は、妙法五字の題目であるという。

ならば原田よ、加えて、谷川、長谷川、佐藤、北林の面々よ。そして、其の後ろで黙認している池田太作よ。

オマエらは、以下の御教示を何とする。

日興上人に曰く『唯御書の意に任せて妙法蓮華経の五字を以て本尊と為すべし、即ち自筆の本尊是れなり』と。

「即ち」とは何か。「即ち」とは一体如何なる意か。

而して、原田創価が云く「一大秘法とは本門の本尊ではなく、題目(妙法蓮華経の五字)の事だ」と。呆哀。

果たしてオマエらは、いつから身延の下僕となったのか。

よいか。一大秘法とは、まさしく本門の本尊の事を指して云うのである。

日寛上人に曰く『一大秘法というは則ちこれ本門の本尊なり。この本尊所住の処を本門の戒壇と名づけ、
この本尊を信じて妙法を唱うるを本門の題目と名づく』と。

つまり、本門の本尊が在ってこその、本門の題目であり、本門の戒壇なのである。

仍って、本門の本尊こそが一大秘法であり、三大秘法は、須らく本門の本尊に包含されるのである。

だからこそ云う。一大秘法の本門の本尊に唱える題目こそが本門の題目になると。
だからこそ云う。其の唱える題目を本門の題目に為さしめる本尊こそが、応に一大秘法の其れであると。

爾して原田が言う。

『末法の衆生のために日蓮大聖人御自身が御図顕された十界の文字曼荼羅と、それを書写した本尊は、全て
根本の法である南無妙法蓮華経を具現されたものであって、等しく「本門の本尊」であり、「本門の本尊」に
唱える南無妙法蓮華経が「本門の題目」、その唱える場がそのまま「本門の戒壇」となる』と。

呆笑。

おいおい、だから言っているだろう。

其の唱える題目(南無妙法蓮華経)を本門の題目に為さしめる本尊こそが、応に一大秘法の其れではないかと。

又、そうであるからこそ、日寛上人は御本尊(本門の本尊)こそが一大秘法である、と申されたのであろうが。

しかし原田は云う。

『一大秘法が本門の本尊であるという御書は無い。一大秘法とは妙法蓮華経の五字の事だ』と。

哀笑。

よいか。オマエらが設定した考察教義の欠点は、本尊義に於ける人法一箇の大義を見落とした事であり、
日蓮大聖人が出世の本懐とされた御本尊の体現(仏の振る舞いとしての究極)の奥義を無視した事にある。
よいか。一大秘法とは人法に亘るのであり、其の一点、つまり一大秘法とは御本仏日蓮大聖人の御当體
をして云うのである。

然るにオマエたちは、今まで其れを領解していたにも拘わらず、謗法の冥罰によって脳髄が七分に割れて、
三大秘法の随一たる人法一箇の本尊義をかなぐり捨てたのである。応に、因果応報とは此の事であろう。

さても、題目こそが三大秘法の要と為すは、此れ全く邪流身延の教義であって、実にオマエらは創価学会は、
日興門流でもない、五老門流でもない、其れこそ、日什の顕本法華宗にも劣る、今世紀最悪の新興邪宗教の
其れである、という事を、此に自認すべきである。

本より、本尊義の破綻こそは、其の宗教にとって死に体と成る。

さもありなん。

ならば最後に、恩師の呵責を、此に手向けてやろう。

何? 執拗(しつこ)いとな。

哀笑。当たり前だろう。

属する宗教組織のトップが、そんなモノは気狂いの教学だ、と断言しておるのに、其の気狂い教学を組織教義
の根本に据えた、そんなオマエらの致命的な狂態を、今呵責せずして何とするのか。哀。

とまれ、此の地球上に於いて、オマエらの様な捻転宗教などは在るまいて。哀哀哀。

よいか。だからこそ、何度も呵責するのである。

有り難く思いなさい。

では再記する。

恩師が云く『南無妙法蓮華経と唱題する中に三秘が具わっているというが如きは、無学のジイサン、バアサン
ならいざ知らず、少しでも教学をやった者には気狂いになっているのではないか、という以外には思いようが
ない』 【はかなき邪宗の教学・小樽問答誌 131P】

哀哀。

果たして、恩師が仰せの如く、オマエら創価学会は気狂いになってしまったのか。哀笑。

よいか。是れこそは昔の誼(よし)みである。

反論あるならば、堂々と申してみよ!
 
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