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日蓮宗大本山 小湊誕生寺

 投稿者:管理人  投稿日:2016年12月11日(日)14時25分28秒 i60-41-187-27.s42.a014.ap.plala.or.jp
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  言うまでも無い。

ここで云う誕生寺とは、千葉県の鴨川小湊に在る、日向門流一致派・身延日蓮宗の寺の事である。

尚、日向門流身延派の大本山は、同じく千葉鴨川の清澄寺の他に、
六老日頂を追い出した日常開基の中山法華経寺(同県市川市)、
日向を嫌った日朗が開基の池上本門寺(東京都大田区池上)、
其の日朗の弟子である日像が開基の妙顕寺(京都市上京区)、
越後の摩訶一を師とする日静が開基の本圀寺(同市山科区)、
加えて、身延から離山した日興上人開設の重須本門寺(静岡県富士宮市北山)、など、計七本山がある。

して、此の誕生寺の開基については、身延派に於ては「寂日房日家」、当流に於ては「寂日房日華」を
以って同一人物としているが、抑も、日興上人が「寂日房」との個称を以って、「日家」の甥とされる
美作房日保への手紙(美作房御返事)に「寂日房」と記されるは、是れ全く「寂日房日家」と「寂日房日華」が
同一人物、いや、其れよりも房州出身の「寂日房日家」なる者は存在せず、まさしく「寂日房日華」一人を
以て「寂日房」とするが正解であると、当方は思うものである。爾して、其の「寂日房」が弘安七年(1284)、
身延の日興上人の下に居た事が、上記、美作房御返事の内容からして明確となるのである。

爾して「寂日房日華」は、我が宗門の本山たる下条妙蓮寺を開創し、又、総本山大石寺塔中寂日坊の開基に
して、日興上人本六老の上人であるから、もし、身延派が云う「寂日房日家」が実在していたのであれば、
其の「日家」こそが間違いなく「寂日房」であった、という文証を、此に示さなければならないだろう。

おっと、歴史の小勉強などはこれ位にして、其の「寂日房日家?」なる者が開創したという誕生寺が、
こんな事を言っておる。

『2月16日が日蓮聖人誕生の聖日であることについて、聖人ご自身が記すところはありません。
「日蓮は東海道十五ヶ国の内、第十二に相当る安房国長狭郡東条郷片海の海人が子也」(本尊問答抄)などと
あるのみです。誕生の日が明記されるのは、正慶2年(1333)頃に成立した日蓮聖人の伝記本である
日道上人著「御伝土代」です。本書は、現在に伝わる伝記本の中で最も古い一本ですが、「後のほりかわいん
の御宇貞応元年2月16日たんしやう(誕生)なり」とあります。当然の事ながら2月16日は旧暦ですから、西暦
(ユリウス暦)に換算すると3月30日になります。日蓮聖人が誕生されたのは、暖かな風そよぐ春爛漫の房総
だったのです』【誕生寺HPより】

して観れば、其の日蓮大聖人の御誕生日を、其れこそ誕生寺が説明するに、我が日蓮正宗第四世、日道上人の
御伝土代の引用を以って行うとは、いやはや何とも殊勝な事ではないか。小鼻笑。

だが、其の様な事をしていると、彼の望月や執行や宮崎や勝呂や早坂や戸頃や…、つまりはそんな学者坊主に
叱られるのではないか。哀笑。

何せ、其の御伝土代には、日興上人唯一人が大聖の正義を立つ、と明記されているのであるから、オマエら
身延派からすれば、全く都合の悪い文書となるのであろう。

其れにしても、爺さん婆さんが、網代笠を被り、背中に十界曼荼羅が画かれている白い法被(はっぴ)を身に
纏い、団扇太鼓を「トンツクトントン」と叩きながら練り歩く行態は、八品派と同じであるという事か。

鼻笑。

何てことは無い。

身延も八品も、其の根っこは同じだという事である。

ここでオマエらに問おう。

水行祈祷会とは一体何か。

九識霊断法とは一体何か。

加えて、観世音菩薩普門品第二十二を読経する依義とは一体何か。

此等の事を、日蓮大聖人の御教から明示せよ。

よろしいか。

今更言うまでも無いが、文献主義のオマエらからして、文献に無い事を容認する筈もなかろうから、
上記の詰問については、須らく日蓮大聖人の御真蹟を以って示されるものとなろう。

又、そうでなければ、オマエらの理屈からして、日蓮正宗のみならず身延日蓮宗さえも邪宗という事になる。

よろしいか。上記の事は、すべて、オマエらの周辺で行われている事である。

改めて問う。

上記の文献を直ちに出しなさい。
 
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