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分別と無分別

 投稿者:法介  投稿日:2016年 9月26日(月)20時14分20秒 p1139105-ipngn200808fukuokachu.fukuoka.ocn.ne.jp
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  「空」が無我・無自称を意味するのか平等を意味するのかの議論は後回しにして、

分別・無分別の話をしたいと思います。(取りあえず「空」を無我・無自称とみなす)




お釈迦様は、人々の苦しみの原因は分別にあると気づかれました。

分別とは、物事の善・悪とか綺麗・汚い、おいしい・まずい、便利・不便、

心地よい・心地悪い等、書き出したらきりがないくらい世の中に存在します。


人々は昔から暮らしを便利にしよう、豊かにしよう、そう思って様々な分別を作り上げてきました。

文字だってそうです。算数も理科・社会、世の中のほとんどのものは分別法でなりたっています。



しかし、人間が作り出したその分別が、原因となって人々は悩んだり、苦しんだりもしているのです。


結婚したけど友達の奥さんの方が綺麗でうらやましいなーとか、

あいつの方がいい車にのってやがるとか、

もっとおいしい物が食べたいとか。


人間の欲は実は分別があるから起きるんだ!

とお釈迦様は、気づかれたのです。



考えてみてください。

生まれたての赤ちゃんには分別はありません。

ただお腹がすいた時とおむつが気持ち悪い時だけ泣き叫ぶだけで、

それ以外の時は穏やかーな顔をしていますよね。

赤ちゃんには比べる物差し(分別)がまだ無いから、幸せでいられるんです。


だけど、成長していくにつれ、他人と比較されたり、進学する学校を比較されたり、

入社する会社を比較したりで、分別が身について行く程、悩みや苦しみが増えて行きます。


なのでお釈迦様は、人々からそういった分別を無くしてあげようと考えに考えてあみ出したのが、

「縁起の法門」と「因果具時」だったんです。そして人々に

「この世の万物は形をもつが、その形は仮のもので、本質は空(くう)だと判断していきなさい」

と説いたのです。決して


「あいつは創価脳だー!」とか、

「学会名物ポンポン踊りに浸っていますので~」(学会名物ポンポン踊りってなに?)

とか相手を善悪で分別しては、いけませんよーって
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お釈迦様が言ったのです!



そんな事したら、自身が心口意の三業っていう宿業を刻んでしまうんです。

だから大聖人様も(人の人格や人間性をどうのこうの言うのではなく)、邪儀を破折していきなさいとご指南されているのです。

要するに、お釈迦様は人々を

物事の見方、捉え方を「分別法」から「無分別法」へと導かれたのです。



紙に裏と表があってどちらも1つの紙であることには変わりがないように

「分別」と「無分別」、どちらにも偏らない物の見方・捉え方「中観」を

後の世において、天台大師が「一心三観」という言葉で諭されました。


しかし、「無分別」で物事を見ていきなさいって言われても

「目があるから見えちゃうんです実態がー」といって

天台大師を困らせる通りすぎてしまった法華講員さんという聞き分けの無い人がいたのです。

                                       つづく
 
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