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Re:黒川 和雄@日蓮正宗様

 投稿者:ぽんぽこ貍  投稿日:2016年 9月23日(金)21時14分16秒 FL1-119-242-223-56.hyg.mesh.ad.jp
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  >この「五百塵点劫の当初」こそ久遠元初のことで、このときの「釈迦如来」とは凡夫時に即座開悟された法即人の本仏たる自受用報身如来であり、そのときの法は人即法の本因下種「南無妙法蓮華経」です。

◇誠に単純明快な答えかと思います。人を離れた法は無く、法を離れた人もない。
 「人法一箇」その究極が「本門戒壇の大御本尊」を離れた議論を重ねても意味のない
 事だと思います。
 創価学会の戸田・池田会長の宇宙本仏論、生命論など人法一箇を忘れた故の外道義
 に成って学会員も70年間謀られてきたのだと思われます。
 御本尊様が只の幸福製造機とみなされ大聖人の御当体と拝せない。
 日達上人猊下の憂慮された事態が全国津々浦々に広まってしまいました。
 法華講員としての役目は大きいと言えましょう。
 以下に黒川 和雄@日蓮正宗さんの回答を敷衍する文章が有りましたので、
 掲載させて頂きました。
 これに反する日蓮門下各宗派、創価学会、顕正会、正信会等は偏見もしくは
 邪見であります。



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(日蓮大聖人の教義;抜粋)  65世 堀米日淳

扨て以上によって仏法に於ては法華経寿量品の文底の南無妙法蓮華経が肝心の要法であって、此.の要法は日蓮大聖人の所有遊ばされるところでありまして尚此の要注は末法に流布さるべきであることを述べましたが、ここに日蓮大聖人の三大秘法建立の縁由があらせられるのであります。初め述べましたように法華経の神力品に此のことを予証し玉ふてあるのであります。大聖人の三大秘法は本門の本尊、本門の戒壇、本門の題目とでありますが、此れをつづめますと本門の本尊の一大秘法になります。戒壇も題目も御本尊によつて起こってくるからであり

して乃ち御本尊に具ってをるところであります。しかしてまた三大秘法を開まきますと六大秘法になりまして本門の御本尊は法と人とになり、戒壇は事と義となり題目は信と行とになるのであります。.三大秘法を聞合致しますとかようになるのでありますが、三秘のところを至極とするのであります。この三秘の関係はまことに重要なことで、此れをを誤ると大聖人の御法門をく拝することはできないのであります。世間では大聖人の教えは題目にあらせられると思って題目を主として御本尊を忽かせにする者が多いのであります。多いどころではなく皆左様に考へてをりますが、此れがために大聖人の教をはき違へるのであります。元来かような考へは(南無妙法蓮華経は法であるとのみ考へるからでありまし宇宙に遍満する妙法の理が題目である)とするからであります。是は大変な誤りで妙法蓮華経は物心であります。即ち法報応三身具足の御当躰であらせられ報身中に具し玉ふのであります。(妙法の理が天地の間にありましてもそれは理性であります)。、実際には(仏の御智慧のうちにのみ厳然として具はり玉ふ)のであります。その仏は十方法界に唯御一人在ますだけであります。そうしてその仏が衆生を正しく御導き下さみのであります。世間で大聖人の宗旨であると自称してをる一般の宗門では御本尊の首題の下に自分の名を記して授与してをりますが、とんでもない大非法であります。恐らく此れは南無妙法蓮華経と唱えるものは法華経の行者であると考へて大聖人と同じ思ひをするからでありませう。凡そ法門に於ては総別の二義があるのでありまして此れを忘れると地獄へ墜ちることなります。(日蓮大聖人は「総別の二義を違へれば成仏思ひもよらず」と仰せられてあります)が、此れは行人の最も心をくべきところであります。法華経の行者は大聖人唯一人だけで末法の仏も大聖人であります。総じて申せば(妙法を信愛する程のものは行者といへますが別して逆縁の衆生でありまして順逆の分別は行功によるところであって畢竟唯一人の仏に対しては凡夫であります)。かへすがへすも此のところが肝要であります。かようでありますから仏の所有なされる妙法即仏身たるところが根本でありまして、その御本尊を儲受し奉る上の修行が題目になるのであります。既に仏身地であらせられる大聖人の建立し玉ふ大曼荼羅を信受し持ち奉ることが肝要でありまして、此れ以外は皆偏見であり邪道であります。
 
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