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空仮中の三諦

 投稿者:法介  投稿日:2016年 9月22日(木)20時15分42秒 p1139105-ipngn200808fukuokachu.fukuoka.ocn.ne.jp
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  >世間の人で善も悪もない凶悪犯さえも咎めるべきではないと馬鹿なことを云う人はそう多くはいないでしょう。

世法的に言えば、ぽんぽこ狸さんの言われる通りでしょう。しかし、私は仏法者としてあるべき姿についてお話ししているのです。世法と仏法とでは、物事の捉え方が大きく異なります。

世法というのは客観性をもとに成り立っているケースが多いですよね。「あの人は誰が見ても悪人である」みたいな。しかし仏法は、客観とは正反対の主観的視点からの物事の捉え方を説いています。修行者の心の所作です。

先ほど妙介さんが「空」は判断ですと書き込みされていましたが、人の人生とは一瞬一瞬の「判断」の連続で形成されていきます。十如是です。一瞬の判断が因となって縁となって結果が生まれ報いを受ける。

だからその一瞬一瞬の判断を修行者が間違わないですむように説かれたのが「一念三千の法門」です。自身に起こりうる出来事をどう判断すれば宿業を刻まなくて済むか。その極意が説かれているのです。

では、先ほどのぽんぽこ狸さんの意見を取りあげて話してみましょう。
犯罪者の話です。交通事故で愛する我が子を亡くした女性がいたとします。彼女は加害者のことをひたすら憎んで生きていました。しかし仏法にめぐり合い「一念三千の法門」を学ぶことで、自身の苦しみの原因は加害者にあるのでは無い。そのような宿業を過去世でつくった自分自身にあるんだ。と思えた時、加害者に対する憎しみが消え、わが子が命をもってそれを教えてくれたんだとさえ思えた時、憎しみの人生が感謝の人生へと転換されていく。

そして、被害者に対する憎しみが消えた彼女は、被害者の事をどう思うのか。被害者も人の命を奪ってしまったという重い宿業を刻んでしまった訳で、そう思うと彼女はその加害者を救ってあげたいとさえ思うでしょう。

大聖人様も自身を迫害し続けた平左衛門尉頼綱を真っ先に救ってあげたいと言われた話は皆さんもご存知でしょう。

私も学会の間違いに気づいて脱会した当時は、通りすがりの法華講員さん同様、池田さんが憎くて仕方なかったですよ。しかし、正しい「一念三千の法門」の解釈が出来てからは、憎しみは無くなりました。

外道義で解釈した「一念三千の法門」では憎しみは消えないんです。正しい「一念三千の法門」の解釈は、「無我無自称(空の理論)」と「空仮中の三諦」を正しく理解しないと無理です。というか「空仮中の三諦」は「無我無自称(空の理論)」を理解出来ていないと理解に至りません。しかし、創価学会では「無我無自称」を教えていませんし、法華講員さんに聞いてみても知ってる人は今まで一人もいませんでした。

なぜか?

「無我無自称」が小乗教で説かれた真実だからでしょう。日蓮正宗の教学の中に一応解説はあります。しかし小乗教で説かれた真実ということで軽視されているのか、法華講員さんも学会員さんも教えられておりません。

しかし、御書の中で「一念三千の法門」が語られている箇所では、必ずと言って良いほど空仮中の三諦が出てきます。ご確認ください。
 
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