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高札の優 【再掲】

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 8月 9日(木)20時07分6秒 i121-118-76-77.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  曾(かつ)て、匿名(無記名)による密告・讒言等を指して、其れを「落書(らくしょ)」と言っていたが
今にして其れを当て嵌めるならば、根無し草の連中が其の躯体を隠し、悪口中傷を書き散らかす姿こそ、
応に「落書」ならぬ「落書き」の姿そのものであると云えよう。

本より、其の恥態こそは、プロキシ(串)・捨てハン・多重ハン等に表れ、其の性根は「無題」や「名無し」
という言様にも表れて、応に其れこそは、木陰に隠れてほくそ笑む、小人の根性であるという事を、此に於て
識るべきなのである。

因みに、落書きの本人(書き手)が露顕した場合、其の者を死罪にするなどは、曾(かつ)て国持大名の支配下に
於いて実際に在った刑罰ではあるが、其の落書きが現今に於いて、日蓮大聖人の正統に向けられているとなれば、
応に其れこそ死罪に値するものとなろう。無論、ここで云う死罪とは、これら落書者の腐れ頸を刎ねるには非ず、
其れこそは仏法正法から斬り落とされる五逆の大罪をして云うものである。

して観るに、根無し草の宿坊連中が好んで貼り付けている「フェイク」こそは、当に落書きの最たるものと言って
いいだろう。

発行形態=「緩急自在不定期発行」
発行所=「日蓮教団・メディア・アカデミー」
監修人=「青葉茂」
購読料=無料
引用=転載自由・コピーも可

糞笑。

「日蓮教団・メディア・アカデミー」とは何にか。
「青葉茂」とは何ぞ。鼻笑。

日蓮教団? ふざけるものではない。
青葉が茂る? 阿呆抜かせ! 茂っておるのは、阿梨樹の枝であろうが!

よいか聞け。

先ず以ってオマエらがやる事は、今までオマエら自身が書き散らかして来た内容の総括である!

本尊然り! 教義然り! 会長指導然り!

よいか!! 今、オマエらが書き散らかしている内容は、其れらの事を頬(ほ)っ被りしているものであり、
其の様ないい加減な根性を以って、他宗教団の本尊教義に文句する資格などは、これっぼっちも無いのである!

然るに転じて我ら宗門はどうか!

青葉茂だ? 不破優だ?

そんな者など居りはしない。

本より、日蓮正宗自由通信同盟、日蓮教団メディアアカデミーなどと偽称する必要も無い。

我らは堂々、其の発行元を明記し、発行責任者も明示して、其れらの公行を以って本尊教義を宣揚し、以って
邪宗邪義を破折せんとしているのである。

よいか。応に是れこそ、オマエらに対しての「高札」なのであり、事実、其の高札は、オマエら落書人に対して
下されているのである。よいか。落書きに背いても罪には成らんが、高札に背けば罪と成るのである!

されば、フェイクのみならず、地涌や短信なども、其のすべてが落書きの其れであり、そんな落書きを信じて宗門に
文句する学会員こそが哀れなのである。

言うまでもない。

フェイクも地涌も、其の根は同じであり、曾(かつ)ての宗門対策室と本部広報室が、其の担当分野を振り分けて
宗門に対抗した諜報謀略の産物なのであり、又、そうであるからこそ、今もって其の身を隠匿し、偽名を弄して、
駄文を吐き散らかしているのである。

本より、こういう類(たぐい)のモノは、そこに記さる内容の信憑よりも、衆人の目に晒す事が第一なのであり、
又、それこそが落書きの骨頂ともなるのである。

して観れば、根無し草の宿坊連中が、又しても、燥(はしゃ)ぎながら落書きを書いておる。哀笑。



◆フェイク 第1606号   投稿者:宿坊   投稿日:2018年 3月16日(金)13時01分0秒

   (発行=18.03.15)

「極楽寺良観の再来が日蓮正宗の中に」
無知な法華講員の愚かな批判を粉砕 ㊤
戸田先生が「佐渡御書」講義で厳しく指弾

鼻笑。

呆れてモノが言えんよ。なぁ、宿坊よ。哀哀笑。

>大聖人様を迫害した良観たちが、いま生まれてきて仏立宗等の坊主になって
>いるのです。本当です。この原理からいうとそうなります。そうでないとしたら、
>大聖人様がウソをついたことになります。大聖人様をさんざんいじめた悪い者が、
>仏立宗日扇などという徒輩になったのです。

これは恩師の指導よな。

うむ。仏立宗の長松日扇などは、当に良観の類と云えよう。
いな。長松日扇の本尊教義に対する変転は、良観以下であり、実にオマエら現創価に酷似するものである。
して。オマエら宿坊連中こそは、当該日扇の宗教組織に対する右往左往の痴態に習うものである。

小笑。果たして其の事、オマエらに解りょうか。鼻笑。解るまいて。(ったく、情けない連中である)

>霊友会でも立正佼成会でも、天理教の教祖でも、みんなあれは仏法を悪くいってきた者が、あのようになって
>出てきたのです。

果たして、そういう恩師の新興宗教に対する呵責を反故にし、立正佼成会の庭野日敬の葬儀に二人の副会長を参列
させたは、一体何処(どこ)の何奴(どいつ)であるのか! 実(げ)に是れこそ恩師の指導に違背する師敵対の其れでは
ないのか! ったく、日敬の訃報を聖教新聞に掲載するような馬鹿どもが、今更にして何を云うか!!
少しは恥を識(し)りなさい!

されば、恩師戸田先生は「大聖人様の御時代に、あるいは良観とか、あるいは法然の弟子とか、そういう者の
弟子などになる連中は、いったい過去にどういう者だったかというと、昔、仏法をくさした外道の者が
生まれてきて、仏法をやってですね、そうして今度は正法を邪魔するんです。そうすると今度どうなるか、
あいつらが死ぬと、今度は日蓮正宗のなかに生まれてくるんだよ。誠にこれはおもしろいもんだぞ」
                               【昭和31年2月7日 於:大阪中之島公会堂】

と申されておる。

果たして、オマエらは、此の恩師の指導を対宗門として好んで用いるが、是れこそは、前年に起きた彼の蓮華寺の
事を指して述べられているものである。つまり、獅子身中の蝗蟲というものは、必ず其の胚芽を命に宿して入門し、
又は、将来、必ず正法を誹謗する命を持って今の世に生まれ、其れこそは、親を殺し、子を殺す命業が如く必然に
起こり得る現象を以って、恩師は「誠に面白い」と達観されたものである。つまり、この恩師の指導をして云うならば、
身延の日向然り、保田の日郷然り、要法寺の日尊然り、旧妙信講然り、して又、創価学会然りの、離反像の理(ことわり)
を云うものであり、当に恩師は、そういう因果律の必然さを以って「面白い」と申されたのである。

されば蓮華寺の坊主(崎尾正道)も例に漏れず、一旦は宗門の大懐に居座ったが、結句は宗門から離反し、
遂には己(おのれ)をして「十八代法主」などと増長して、其の正体を現したのである。
とまれ、御宗門は、連々教化・再三教導の御姿勢にして、実(げ)に其れこそは、古来からの化儀でもあるから、
彼の小笠原慈聞(御宗門は小笠原の悔悟を許されて「師」とお付けになられるが、当方は未熟な在家であるから、
師とは云わん)を寛恕し、又、牧口・戸田両会長による反抗をも教訓し、更には、池田太作の我儘をも許容した
のである。爾して彼の崎尾正道も許されたが、結句は恩師の云う通り、日蓮正宗を離反し、自らを法主として
「日蓮実宗」なる宗教を立ち上げたのである。

仍って恩師が云く、

『それで今、日蓮正宗が本尊流布するにあたって、邪魔をするのです。
今度、 それではどうなるのかというと、あのような連中(佼成会の会長や天理教の教祖)が死ぬと、
今度は日蓮正宗の中に生まれてくるのです。そして蓮華寺の僧侶みたいになってくるのです』と。

哀笑。よいか莫迦よ。

此に於いては、まさしく崎尾正道の行状を指して言っているものであり、落書きフェイクが言う、

「日顕こそ六師外道―極楽寺良観―邪宗日蓮系教祖―崎尾正道と伝わってきた第六天魔王の血脈を
引き継ぐ者で、まさに世界広布を妨害する日顕こそが崎尾の再来、極楽寺良観の生まれ変わりなのである」

などという文句こそ、当に落書きの真骨頂であると、此にして弾呵されるものである。いや、弾呵などとは
オマエらには勿体ない、オマエらには呵責・糾弾・叱責こそが似合いであろう。否、其れとて理解できない、
莫迦者連中こそが、オマエら落書者の脳髄なのである。呆哀哀。

>戸田先生の亡き後、崎尾と同様に御本尊を道具に使って、学会員を脅してきた坊主が日顕である。

鼻笑。御本尊を道具にしてとは如何なる事か。小鼻笑。
哀笑。学会員を脅す? おいおい、脅して来たのはどっちであるのか。小鼻笑。
ったく、見て来た様なウソを言うものではない。何? だからこそフェイクなのだ! だと?

哀笑。さもありなん、さもありなん。

>日顕が嫉妬深いのも有名だ。日顕に相承しなかった日達法主に対する恨みと嫉妬から大化城、
>大客殿、六壷を潰し、広宣流布の暁に本門寺の戒壇たるべき大殿堂と、日達法主が教示していた
>正本堂も約五十億円の巨費を投じて解体した。

糞笑。それ全然外れてるよ。ウソも百回載せれば本当になるってか。小鼻笑。
糞笑。解体だ? なんだ、破壊ではないのか。小鼻笑。

>良観と酷似している日顕が学会の宗教法人化に反対するなど悪辣な性根は生来のもので、
>戸田先生は鋭く見抜いて弾呵していた。

弾呵? 増長慢もいい加減に致せよ。何? 啖呵の言い間違いだと? 鼻笑。
ならばよろしい。恩師の口調からして啖呵の方が合っておる。

尚、創価学会の宗教法人化に関しては、過日、当方が「フェイク 第1603号」の虚文に対して呵責して
おるから、根無し草(無所属・無信仰・及び分派身中の蝗蟲)連中は、能く能く目を通すべぎである。
尚、昭和27年の宗教法人化については、宗内の殆どが反対であり、在家信徒が勝手に宗教法人を立ち上げ、
在家の身を以って法を説くは、これ全く不審なり、との意見も在っての事か、宗内に於いてはそう易々とは
了解されなかったのである。いや、当時の創価学会をして、其の吊し上げ攻撃によく耐えて跳ね除けたは、
まこと正宗僧侶の根性とも云うべきか。

とまれ、狸祭り事件を起こして後の法人化の許可は、応に宗門の大英断であり、又、其の御英断の影に在る
御僧侶方(特に細井庶務部長・後の日達上人)の尽力を識(し)るに仍って、恩師戸田先生は、其の法人設立に
全く異心無きを、彼の三箇条に託して、其の赤誠を示されたのである。

よいか。そういう経緯があるにも拘らず、当時の創価法人化を反対する御僧侶を指して、良観と酷似などと
今更にして軽口するは、これ全く落書きの其れである、という事を、オマエら馬鹿宿坊連中は、能く能く
識(し)るべきである。尚、当時の猊下は日昇上人であり、創価法人の目的が、全く宗門外護によるもである
との御信用を以って了されたのであり、其の設立の大義を脱線せしめたのが、他ならぬ池田太作なのである。

よいか、つまりは良観に酷似する人間こそ池田太作なのであり、其の良観酷似の弟子たるが、オマエら
創価外道員なのである。

其れにしても、よくぞ御宗門は許された。

記事に云く、

【戸田会長を留置 日蓮宗吊るし上げ事件】

岐阜県美濃町本玄寺住職小笠原慈聞師(78)を日蓮宗創価学会=東京都千代田区神田西神田=の一部信徒が
吊るし上げた事件を調べている静岡県富士地区署は一日同会和泉覚氏を、さらに二日同会会長の戸田城聖氏を
留置したほか、吊るし上げに参加したとみられる同会青年部の十名を任意出頭で調べ、同夜釈放した。
取り調べを受けた青年部の中には大学教授二名、小学校教員四名など知識人が多く証拠固めは三日で一応終る見込み。
なお小笠原師は四月二十七日の被害当日裸にされて殴られ、全治四週間の負傷をした上謝罪状を書かされたと同署では
言っている。【昭和27年9月3日 朝日新聞/夕刊3面】

爾して、其れより5日後に、創価学会は東京都知事から宗教法人の認証を受けたのである。

さてこそ、連々教化にして再三教導とは此の事か。
否、当に指導寛恕とは此の事を指して云うものであろう。
されば、彼の山崎氏や原島氏の帰伏も、そして中西氏の帰伏なども、須らく指導寛恕の其れである、という事を、
今更にして痛感するものである。

よいか創価よ。今にして法人たるは、我が宗門の寛恕が無ければ、到底為し得なかった事なのである。
よいか。其の事を先ずは覚えて置きなさい。

尚、オマエら創価の総本部に安置されている板本尊は、創価法人化について御允可された日蓮正宗第64世・
日昇上人の所謂(いわゆる)『大法弘通慈折広宣流布大願成就』の書写本尊である。

何? 書写本尊とは何の書写だと? 呆呆哀。

阿呆!

其の様な事は当然であろう。言うまでもない。其れこそは戒壇の大御本尊を御書写された御本尊であるから
書写本尊と申しているのである。

されば、創価総本部に安置さる慈折広布御本尊を認(したた)められた日昇上人が申さく、

『戒壇の大御本尊の御内証を、帯し奉って不肖日昇六四世の法主として、御本尊様に信仰を染めてお認(したた)め
申しあげている御本尊でございまする』と。 【聖教新聞 昭和30年12月18日付け)

しかし、今のオマエらは、この猊下の御言葉を反故にして、創価の本尊は大御本尊の書写ではない、などとバカな
事を言っておる。ならば一体、オマエらの総本部に安置してある本尊は、一体何の写しであるのか!
而して、写しではない、と言うならば、一体誰の御真筆であるのか! して、その誰とは一体誰の事であるのか!
オマエら莫迦フェイクは、其れらの事を須らく総括せよ! 何!? 所詮は落書きであるから、そんな難しい事は
書けないとな! ったく、其れこそ、さもありなん! であるよな! そうであろうが! 莫迦フェイクよ!

>日顕の「坊主根性」
>そのことを日顕も認めていて「戸田会長先生の御逝去に対して」と題し、次のように記していた。

「私の罪障と云うか、先生の云ういはゆる坊主根性の為か、昭和二十四年頃の私は、
自らの心にある垣根を作り、それが円融濶達にして師厳道尊なる先生の精神に半ば通じない
事があったのは、今更遺憾懺愧此の上もないのである」 (「大日蓮」昭和三十三年五月号)

昭和二十四年と言えば、御隠尊は当時、墨田区本行寺の御住職であり、二十七歳の青年僧侶であった。
爾して、当時の創価学会は、戸田先生の事業がうまく行かず、創価学会をして財団法人とするに於いて、
其の信心を疑われたのではないか。いや、其の事業に於ける色物雑誌の存在や、手がける金融の生業(なりわい)に
於いて、其の余りある俗臭に、眉を顰められたのやも知れん。本よりこれは当方の愚推ではあるが。
とまれ、過去の御心境なりを、正直に吐露されるは、これ全く謙虚な御姿勢と、当方は此に領解するものである。

>もし、日顕が「坊主根性」を猛省し、改めていれば、今日のような宗門の衰退を招く事態には
>至らなかったであろう。(つづく)

糞笑。御隠尊が言う「坊主根性」と、オマエら創価外道を破門にした根性とは、全く事を異にするものである。
オマエらは、そういう分別も出来ない程、脳味噌が腐っているのである。又、そうであるからこそ、落書きを
好んで書き散らかすのである。哀笑。

されば云おう。

オマエらの首魁たる池田太作こそ「在家根性」を再確認し、其の根性こそが全く信徒としての規律である、という事を
認識しておれば、我ら正統・富士門流から破門されずに、其れこそは本尊雑乱・教義変転の醜態を晒さずに済んだので
ある。よいか。真(まこと)の衰退とは其の数に非ず、其れこそは本尊教義の攪乱に在る、という事をオマエらは知りなさい。

>昭和六十年春、当時の仲居に「ワシも明日から六壺で勤行をするからな。信心根本でなきゃいかん」と言ったものの、
>勤行したのは、その翌日の一度だけ。同六十三年にも「勤行に出てやる」と言ったが、この時は口先だけに終わった。
>日如も昔から勤行をサボっていたことを改革同盟の渡辺雄範氏が「決別の書」で次のように指弾した。

哀笑。だから、我らも其れに習って、勤行を一座にしたってか。哀笑。
糞笑。ったく、人様の勤行に文句する前に、オマエらの其の省略根性を恥じなさい。
鼻笑。離脱僧、見て来た様な、嘘を言い…。小鼻笑。

して、そんな改革同盟が云く、

『「法体の血脈」という時、その「法体」とは本門戒壇の大御本尊以外には有り得ません。ゆえに、日寛上人が
「法の本尊を証得して、我が身全く本門戒壇の本尊と顕るるなり(中略)題目の力用に由るなり」と示されている
通り、一切衆生の成仏を説かれた大聖人の仏法では、法主に限らず、全ての門下僧俗が「題目の力用」によって、
「法体の血脈」を受けられるのであります』と。 【日蓮正宗改革同盟 決議文より】

哀笑。

果たして、法体の血脈の「法体」こそは、本門戒壇の大御本尊以外には有り得ない、とは如何なる事か。
して、其の唯一の法体に帰命し、応に其の力用によって「法体の血脈」を得るとは、如何なる事か。
爾して、戒壇の大御本尊をして法体の唯一とし、其の法脈を以って題目を唱うれば、日寛上人の御本尊に
於いて功力を得るとは、応に絶待にして相待たる、本尊授与の大義を云うものではないか。

莫迦フェイクよ。

今にして改革同盟の戯れ言を引用するならば、先ず以って上記改革同盟による本尊授与の大義を此に総括せよ!
よいか! 是れこそは、勤行をした、しないの次元ではない。是れこそは宗教の根本たる本尊義の御事である!

ったく、事の順序も弁えず、小事一端の事柄を仰々に喚き散らかす、其の稚拙狂乱の不様(ぶざま)なる姿よ。呆呆。

よいか! 今こそ、オマエらの眼前に高札を立てよう!


一、折伏した人は日蓮正宗の信徒として本寺に所属させること。

二、当山(富士大石寺)の教義を守ること。

三、仏・法・僧の三宝を守ること。


哀笑。見覚えあるか。有るであろう!

然るにオマエらは、この高札の義に背いたが故に破門されたのである。

よいか。興門による高札の義は、オマエら莫迦フェイクの万倍なのである!

一大秘法とは御本尊の事ではない。

糞笑。こんな邪言を吐いている共ずれが、落書きフェイクの戯(ざ)れ言を読んでほくそ笑む。哀笑。

よいか。そーゆーオマエらこそが、彼の一行、空海、良観、法然、中山みき、庭野日敬、小谷キミ等の
生まれ変わりなのであり、そーゆーオマエらの姿こそが、破仏法の元凶と成るのである!

少しは『恥』というものを識(し)りなさい!

よいか!

正義の高札は唯一つ! 其れに乖(そむ)くを破法と言う!
 

創価邪人の戯れ言を破す

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 5月 5日(土)22時34分57秒 i223-218-107-85.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  >大石寺派(すでに広宣流布からリタイアしたので最近は退席痔派とも呼びます)では、
>自分たちの唯一のアイデンティティとして戒壇の大御本尊を主張しますし、大聖人の御書の
>とおりに実践していない老衰した自己中心の脱会者が、自分は大御本尊のある方がいいから
>日犬は悪でも仕方ない、と半泣きで侘びていたりもします。

阿呆!! 正法流布から退席したイボ痔教団とは、実にオマエら創価の事を指して言うものである!
果たして創立以来、教義の大根本として来た一大秘法義を、何の躊躇いも無く放り投げた、応に無節操
極まりない、其れこそアイデンティティーの無い滅裂狂団と化したオマエら創価学会こそ、正法広布から
退席した馬鹿者集団である! ったく、オマエは何を言っておるのか!?

鼻笑。其れにしてもオマエ「自分は大御本尊のある方がいいから日犬は悪でも仕方がない」とは如何なる事か。
ならば、其の日犬とかいう貴様の妄想犬が、冨士の裾野に居るとして、オマエらの大将である池田太作が、其の
妄想犬の下に在る大御本尊を指して『信心の根本であることは、これからも少しも変わらない」と断言しておる
のは如何なる事か。果たして、貴様のセリフを借りて言うならば、実に此の池田太作の断言こそ、仕方なしの
半泣き状態ではないのか! そうであろうが! 反論あるなら申してみよ!!

>しかし、貫主であった日顕自身が、戒壇の大御本尊についての真実を示唆する講釈を垂れたことで、
>いよいよ真実の大聖人の教えが明らかにされる「時」が来たと確信しています。

哀笑。真実の大聖人の教えとは何か。小鼻笑。
まさか、一大秘法とは本尊の事ではなく、題目の五字の事である、という事か。
ならば、其の事、貴様らの大将である池田太作の指導から其れを立証してみせよ!

>日顕が河辺メモでばらした戒壇の大御本尊偽物説の間違い。
>宗門でも有名な河辺メモは、かつての学会と宗門との連絡会議の学会側の記録と比較するとほとんど表現が
>一致していること等の実績から、その正確さについては知る人ぞ知る、という記録文書です。

哀哀笑。

おいおい又其れか…。

ったく、そんな使い古しのイチャモンを持ち出して、今更何を言っておるか!

よいか! 河辺メモについては、我らが完膚までに破折し尽くしておる!

つまり、オマエらのイチャモンは単なるイチャモンに終わった、という事である!

いや、そんな事はない、と言うならば、当方が相手になってやろう!

その代り、逃げるでないぞ! よいな!

>最も確実な確認の方法は、毎年の虫払い法要の際に公開される日禅授与本尊について、
>実際にどのように籠抜きをした形跡が残っているかを確認すれば良いのでしょうが、
>宗旨が根本からひっくり返るので、絶対に宗門はそれを認めるはずはないし、聞いても頭から無視し
>否定するしか道がない。

小鼻笑。フェイクの読み過ぎだよ、オマエ。糞笑。

籠抜きだ? 貴様、凡人の分際で、御本尊の御認(したた)めについて、生意気な事を言うものではない。
して、其の形跡を確認すれば、宗旨が根本からひっくり返ってしまうから、宗門は無視するしかない、とな。

阿呆! 元からして形跡のないモノを、どーやって確認するんだよ、オマエ。小鼻笑。
いや、其れよりも何よりも、貴様らの様な蛆虫に、ハイ、確認致しました、などと、言う訳がなかろうて!

云く、

『証拠は大石寺にある! 若しそれを知りたいのならば信心を奮い起こして拝みに行け! 見せる、見せない。
見世物じゃあるまいし、信心の無い者が拝めるわけが無いではないか!』

此の大呵責、覚えておろうか。言うまでも無い。貴様らの大先輩、小平教学部長の大呵責である。

哀笑。此の大呵責、そっくり其の儘、貴様にくれてやろう。

>戒壇の大御本尊をわずか数mg削って、AMS法で炭素14を分析せよ
>それによって事実を示せないならば、以下の根拠に基づき、戒壇の大御本尊とは大聖人滅後に日禅授与本尊を
>模刻したものだと断定するぞ!と責め続けましょう!

模刻だ? おいおい、オマエらの言う河辺メモには模写と書いてあるぞ。一体どっちなのだ。
ったく、適当な事をいうものではない。呆。

其れにしても貴様、我らに対して、大御本尊の一部を削れとは何事か!
いや、其れを返して云うならば、貴様は分析という名の下に、己(おのれ)の本尊にハサミを入れる事も厭わない、
応に不信背逆の暴徒という事になるが如何!

だからこそ云う。若し其れを知りたいのであれば、信心を奮い起こして拝みに行け! と。
さすれば『真の証拠』が見えて来よう!

まぁ、何れにしても、与義にして戒壇の大御本尊は日禅授与本尊の模写というならば、其れこそは、
日禅授与本尊こそ戒壇の大御本尊を模写したものだ、という事を、其の時系列からして推考すべき
であろう。よろしいか。模写とは其の元(以前から在るモノ)が在って初めて成るものである。

果たして、此の推論を完膚なまでに破れるか。鼻笑。

いや、破れまいて。小笑。

つまりは、其れがオマエらの限界という事である。

どうせ持って来るならば、我が富士大石寺がひっくり返る程の証拠を持って来なさい。

ったく、束に成った参考書を脇に抱え、あーでもない、こーでもない、とイチャモン話を繰り返し、
挙句に『鑑定に出してくれ!』などと限界の悲鳴を上げる、文献亡者の拙さよ。小鼻笑。

猶(なお)此に云うが『戒壇の大御本尊』という呼称は、どの御書にも無い。
爾して「大御本尊」という語彙は、日興跡条々事と本門心底抄(日順師)のみである。

さても御書の何処(どこ)にも記(しる)されていない「大御本尊」を「弘安二年」という年に限定し、
しかも其の「大御本尊」を以って日目上人に授与相伝すると謂う。はてさて、其れは如何なる事か。

本より「弘安二年」と云えば『聖人御難事』の一文であろう。

訳して云く『釈迦は四十余年、天台は三十余年、伝教は二十余年に出世の本懐を遂げた。無論、其の間の大難は
言うまでも無い。そして私の本懐は二十七年である。無論、其の間の大難などは各々が知るところである』と。

はて、此の一文に謂う「本懐」とは何か。

「曼荼羅図現」「弘安二年」「大御本尊」「死後の円戒」

果たして、これら項目を連結して、見事、正答を成し得るは、応に「時を待つべきのみ」の御聖意を識(し)る、
我ら興門正統以外には有り得まい。

大御本尊在るが故の宗門。
大御本尊在るが故の猊下。

とまれ、

池田在ってのオマエらに、其の様な事など解かるまい。

しかし池田は言う。

「大聖人の出世の本懐である一閻浮提総与の大御本尊が信心の根本である事は、これからも少しも変わらない』と。

                             【平成5年9月16日、アメリカSGI最高会議】

果たして、創価を破門に処した、其れこそ、オマエらからして大謗法の山である富士大石寺に格護さる
大御本尊を、これからも少しも変わらずに信心の根本にする、と断言した池田太作の指導こそは、応に
永遠の指導者としての永遠なる本尊指導ではなかったのか。

よいか。オマエら創価は、そういう事を先ずは総括して、一体どの本尊義が正しいのか、毎年コロコロ変わる
俄(にわか)教学の其れではなく、恩師戸田先生已来のしっかりとした本尊義を以って、大乗真実の極意を述べる
べきである。

ったく、そんな根無し草の附仏法ずれが、見て来たかのような悪口を並べて、其の負い目を繕(つくろ)うなど、
観ていて余りにも浅ましい。

少しは恥を知りなさい。

>大石寺派(すでに広宣流布からリタイアしたので最近は退席痔派とも呼びます)では、
>自分たちの唯一のアイデンティティとして戒壇の大御本尊を主張しますし、大聖人の御書の
>とおりに実践していない老衰した自己中心の脱会者が、自分は大御本尊のある方がいいから
>日犬は悪でも仕方ない、と半泣きで侘びていたりもします。

呆笑。

先ずは此のセリフ、池田センセーに言いなさい。

そして、オマエが正しいのか、池田センセーが正しいのか、

其の事を知らせなさい。

よろしいか。

加えて云う。

学会本部に云く『この度、(創価に)授与される御本尊は、広宣流布を深く願い、「大聖人直結」
「御本尊根本」の正道を貫かれた日寛上人が、享保五年に書写され、淨圓寺に授与された御本尊である』と。

さても、「大聖人直結」「御本尊根本」の正道を貫かれた日寛上人とは如何なる事か。
さても、日寛上人をして「大聖人直結・御本尊根本」とは如何なる事か。

此等の事も併せて総括し、当室に返答を寄こしなさい。

よろしいか。

ったく、何もかにも有耶無耶にして、惚けるものではないぞ。

尚、此の阿呆が羅列している愚疑については、追々、呵責して参ろうと思う。
 

ああ、邪教人 其の七十五

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 5月 4日(金)16時59分7秒 i223-218-107-85.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  >原田稔天魔執行部=教学から 本音が出ました。
>[日蓮本仏論は誤りです。それは認めます。

哀笑。そーか。やっと出たか。哀笑。
鼻笑。されば、いよいよ宿坊一味の狂学に近づいた、という事になるよな。
呆哀。池田センセーは、其れでいいんかい。哀哀哀。

>しかし我々は多くの会員を抱え、なおかつ大石寺教学の伝統が現在も
>色濃く残っている中において…

呆哀。だから、池田センセーは其れでもいいんかい、と訊いておる。

>いかに会員を動揺させず、矛盾しない教学を構築していくかが重要です。
>現在慎重に進めています。

呆笑。つまりは「過去との整合性など、どうでもいい。自語相違と批判されてもかまわない。
結論は決まっているんだ。教義なんて、それを後付けすればいいんだ!」という谷川センセーの
狂学志向に沿って往くという事であろう。哀笑。

ったく、会員を動揺させずに矛盾しない教学を構築していくなどと。
つまりは会員を謀(たばか)るという事ではないか!
ったく、ふざけるものではない。

>もう、学会に。学会員に、失望しました。自分達の良いようにしか活動しない、人の陰口をたたく、
>地区拠点のばばあ達、失望しました。広布基金?御供養?メールで、する気あるなら、言うて下さい?
>紙持って行きます?あほか?そんなやり方、間違ってると、

小鼻笑。御供養する気あるなら言うて下さい。紙持って行きますから、ってか……。哀笑。
ったく、何と云う失礼な物言いであるか。御供養する気あるなら紙持って行く? 阿呆!
御供養する気にさせるのが、オマエら小幹部の仕事ではないか! よいか。其れをして「人材育成」と云ふ。

鼻笑。其れにしても「地区拠点のばばあ達」とは。余程、鬱陶(うっとう)しく見えたのであろう。
さても加齢臭が充満した地区拠点。いや、其れこそは御線香で消し去って、勇躍信心に励もうではないか。小汗。

>そんなやり方、間違ってると、言えば、変な人扱いで、陰口で、あの人と付き合わないほうがいいとか?
>お前ら、学会を邪宗にする気か?(笑)

小笑。もう疾っくに邪宗に成ってるよ。哀笑。
小笑。間違ってると言えば、変な人扱い?…。其れはしょーがないであろう。宗教組織なのだから。
小笑。陰口であの人と付き合わないほうがいい?…。其れはダメだ。それでは人材育成など出来ん。

>もう、来ないでほしい。
>50年信じてやって来たけど。もう嫌ですわ。気持ち悪い集団に成り下がったよ。学会辞めよか、考えてますわ

50年か。それはすごい。よくぞ今まで、創価の小教義に付いて来たもんだ。しかし、やっと目が覚めた。
本尊教義が堕落すると、其れを信じる者たちも気持ち悪い人種に成り変わる。実(げ)に其れこそは、
アッラー・アクバルと同じ原理である。呆哀。

兎も角、早くやめた方がよろしい。

>販売店主ふざけた野郎ですね。
>うちの地元の元販売店主、威張っててどっちが客かわからない。
>もともと若いころから仕事が続かず、可哀そうだからと拾い上げしてもらった
>にもかかわらず、支部の会合で右手に啓蒙用紙を振りかざし
>「こんな部数じゃダメなんだよしっかりやってくれよ!」と恫喝もどき
>人格がヤクザのような人間でした。昔はなんでもありですな。

哀笑。日蓮大聖人が曰く

「をもいあわぬ人をいのるは、水の上に火をたき、空にいえをつくるなり」と。【新編 998】

気の合わぬ者に対して、無理に合わす必要も無し。日蓮大聖人は其の様に仰せらる。
ましてや、人格がやくざの様な人種であるならば、そんな者は蹴飛ばした方がよろしい。
気の合わぬ者は合わぬし、嫌いな奴は嫌いである。其れでよろしい。
爾して、信心の奥底はそこに在るものではない。又、其の達観こそが重要となる。

>純粋な学会員をバカにしてるにもほどがある。

己(おのれ)の好き嫌いで善悪の判断はすべきではないが、事の善悪に於いて好き嫌いを決するは結構な事である。
とまれ、純粋な信徒をバカにする宗教などは、須らく悪であるから、其の悪教をして嫌いになるは、誠に結構な
事である。

>最高幹部の年収は億近い年収、しかし、3口、5口の財務・・許せますか?
>大御本尊を否定、一大秘法を否定、釈迦本仏を唱える教師を教学部顧問に置く執行部・・
>先生がされた記念植樹を次々と引っこ抜く執行部、許せますか?

一行目は同じ在家として許せない。
二行目は興門信徒として許せない。
三行目は池田門下として許せない。

爾して、我ら興門正統は、二行目こそ、絶対の邪義として許せるものではない。

>生活保護の会員の葬式に出ないように、おふれが回った地域もありましたよ。

呆。其れは酷いな。というか、もう滅茶苦茶だね。哀哀哀。
ホントに大丈夫か? タンコブ原田。呆呆哀。

>最近、地区内で生活保護を受けらていた壮年の方が亡くなりました。
>ここ数年病気をされ生活保護を受けていましたが座談会にも参加され
>支援活動にも前向きに取り組んでくださいました。
>●●長に名誉称号の確認をしたところ、、「○○さん、名誉称号の件ですが
>出せません、財務やってない方には出せないんですよ!」とのこと
>ははぁ~(・・?地獄の沙汰も金次第ってことね。と思いました。

なんだ、創価学会では、生活保護を受けている会員は、其の様に差別を受けるのか。
さても、生活保護とは、一種の所得補助にも当たるのであるから、是れこそは国民の
権利というものではないか。其れを其の様に無碍にするとは、とても権力側に付いて
いる支援団体の所業とは思えぬ。何、だからこその権力ってか。哀笑。

>宗門には戒名の件で戒名も金次第とか戒名がなければ成仏できないのはウソと
>散々批判していたのに、学会も金を出さなければ名誉称号も故人の最期なのに
>支給されないんだとがっかりしました。

おいおい、宗門に於ける戒名が金次第とは間違いであるぞ。金が有ろうが無かろうが、
戒名は授けられるのである。本より此れは、仏門に帰依した証拠として授けられるもの
である。此に不敬を恐れずに言えば、戒名とは則ち日蓮門下(興門信徒)の称号とも云えよう。
爾して、其の授けられた称号に寄せて追善供養するならば、是れ全く罪障消滅に資する
という事である。仍って日有上人は『戒名に意義ありと意得べしとなり』と申されたのである。
よいか。宗門はオマエら創価と違って、あれもこれもと俄(にわ)かに教法化儀を作り替え、
会員信徒を欺くなどはしないのである。其れこそは化儀抄の如く、粛々と執り行うのである。
よいか。オマエらはそーゆー所を見習いなさい。
ったく、十年も満たない内に本尊教義をコロコロ変える連中が、六百年来の化儀に悪口するなど、
其れこそ馬鹿の骨頂ではないか。呆哀。

其れよりも何よりも、仏弟子の称号(戒名)でも何でも無い、単なる組織役職の名誉付に対して、
上部組織に供養していないから其れを与えない、などと、一体、本職の連中は何様であるのか。
言って置くが、本職の鈍(なまくら)連中など、日有上人の御境涯からすれば、下の下の下である。
ったく、そんなオマエらが戒名の事について唾を吐くなど、其れこそが大謗法となる。

名誉班長、大いに結構! 名誉支部長、大いに結構!

そんなもん、創価の副会長のように、どんどん作ればよいのである!
ったく、そんなウドのタケノコの副会長よりも、三丁目の横の金物屋の班長の方が、余程、信心に頑張ってるわい。
そーであろうが。呆哀。ったく、200人も300人も副会長を拵(こしら)える組織など聞いた事もないわい!
ったく、そんなズボラな人事組織が、末端会員の名誉付にぐちゅぐちゅと文句を垂れるなど。呆呆哀。
ったく、同じ有髪の在家同士が何をやっておるのか! 会社の人事じゃねーんだよ! 呆怒。

おっとー! 気を取り戻して落ち着こう。小汗。
いやいや、余りの酷さに思わず怒ってしまったわい。鼻笑。

>無慈悲な組織になった原因は、原田会長と執行部の運営や方針にあるのです。
>ましてや、質問や意見さえも許されない。

哀。そーか。質問も意見もダメか。つまりは、質問も意見も批判として受け取られる、という事か。
哀。つまりは其れだけ上部組織は、己(おのれ)の足元がグラついている事を承知している、という
事にもなろう。とまれ、弱体化した組織ほど、小幹部への締め付けが強くなるというものである。

>創価学会バンザイ\(^o^)/
>母の日バンザイ\(^o^)/
>反逆の徒にそれは無縁かもしれん。
>残念ながらぞな。

呆呆呆。

こりゃ、もうダメだ。大哀笑。

今日も今日とて邪教人。

邪教人への呵責は、これからも続く。
 

憂国の武士殿

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 5月 3日(木)19時06分29秒 i223-218-107-85.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  当室への御投稿、痛み入ります。

御承知の如く、当室は管理人による確認後掲載の形を採っておりますので、
各位の投稿文が即時に掲載されません。本より、此等の対処は愉快犯による
多重ハン・捨てハン・串投稿を抑止するものであり、どうか其の点、重ねて
御理解頂ければと思っております。


>地方における創価学会の現状を眺めますと、若い人や活動者が極端に少なくなっています

そうですね。

当方が知る所では、都心に近いにも拘らず、男子部の役目であった夜回り(火の用心)の人数が足りず、
六十過ぎの壮年部員らが駆り出されている、との事。本より此れは本人の弁でありますから、
真(まこと)の事でありましょう。

>引っ越しして三年めに入りましてようやく古参学会員に睨まれる存在になり光栄に思っております。
>(睨み方が半端じゃない)

邪教人に睨まれるとは結構な事。況(ま)してや、其れが半端じゃない、とは何とも素晴らしい。
無論、其れを光栄とする武士殿の信心こそ、真の興門信徒と云えるのであります。

聖教新聞の寸鉄に云く、

『学会迫害の悪人は厳罰で野たれ死ぬまで責め抜け』

こんな事を平気で言う連中でありますから、睨み方も半端じゃないのでしよう。

>聖教新聞配達の方はどう見ても70歳は過ぎています。県の男子部長で壮年部に移り、見事に退転状態の方と
>日々会話をしていますが、過去の栄光(役職でなく)に拘っているのは哀れでしかありません。

元県男が壮年部に移って不活になる。

よくある話ではありますが、其れらの殆どが叩き上げの幹部たちです。つまり本職(本部職員)ではない幹部たち
です。又、そうであるからこそ、過去の戦いを懐かしむのでしょう。本より、本職に戦いの履歴などありません。

>教学も教授だとか。
>しかし、新聞受けの聖教新聞は夕方までそのまま。ネット環境は整っているようですが掲示板は見ていないようで、
>蘭室と小生のHpを彼に教えて反応を見ます。笑

笑。宜しくお願いします。

>「其の国の仏法は貴辺にまかせたてまつり候ぞ 仏法は縁によって起る その故に一乗を説くなるべし」
>(米穀御書)のご金言を胸中に、日本で唯一残る廃仏毀釈の村を担当させていただいている武士です。

御懐かしい一文。

此の一文こそ、当方が男子部時代、よく御書講義で耳にした一文であります。
『君が担当しているブロックは、日蓮大聖人から任されているのだ』と。

尚、創価の御書全集(日亨上人編纂)では、此の一文は『高橋殿御返事』(全集1467)に在り、
其の一文には『其の国の仏法は貴辺にまかせたてまつり候ぞ、仏種は縁に従(よ)って起る是の故に一乗を
説くなるべし』と在って、若干の相違があります。

とまれ、地域組織を預かる者としては、誠に身が引き締まる一文と云えましょう。

爾して、日本で唯一残る「廃仏毀釈の村」を担当されるとは、何とも頼もしい。
されば、増々以って此の一文こそが大事と成りましょう。

武士殿には、今後とも当室への御投稿を宜しくお願い致します。
 

ご無沙汰しております。

 投稿者:憂国の武士  投稿日:2018年 5月 2日(水)17時52分3秒 ag220-213-220-206.ccnw.ne.jp
返信・引用
  小生、行くも止まるも座るも伏すも妙法一筋との思いで微速前進しております。
管理人様 法華講員の皆様におかれましてもお変わりなくお過ごしの事と思います。

さて、地方における創価学会の現状を眺めますと、若い人や活動者が極端に少なくなっています。引っ越しして三年めに入りましてようやく古参学会員に睨まれる存在になり光栄に思っております。(睨み方が半端じゃない)

聖教新聞配達の方はどう見ても70歳は過ぎています。県の男子部長で壮年部に移り、見事に退転状態の方と日々会話をしていますが、過去の栄光(役職でなく)に拘っているのは哀れでしかありません。

教学も教授だとか。しかし、新聞受けの聖教新聞は夕方までそのまま。ネット環境は整っているようですが掲示板は見ていないようで、蘭室と小生のHpを彼に教えて反応を見ます。笑

「其の国の仏法は貴辺にまかせたてまつり候ぞ 仏法は縁によって起る その故に一乗を説くなるべし」(米穀御書)のご金言を胸中に、日本で唯一残る廃仏毀釈の村を担当させていただいている武士です。
 

ああ、邪教人 其の七十四

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 5月 1日(火)16時31分3秒 i118-19-13-247.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  >職員幹部(大幹部)がIcanがノーベル平和賞を受賞したことを通して指導してました。
>→実は裏でほとんどの展示や事務方で支えてきたのは創価学会ですとのお話。。。

哀笑。なんだ。SGIではなかったのか。哀笑。
何? SGIは創価学会の傘下組織とな。鼻笑。
しかし、当初は其の逆を目指していたよな。哀。
SGI>日本創価学会という風に……。

つまりはなんだ。SGIの進展が下降しておるから、日本創価が其の傘下に収めて、其の一切を
取り仕切る、という事であろう。哀笑。尚、池田太作が死んだ後は、息子の陥没君がSGIの会長職を
務める事になっているという。言って置くが、此の情報は、彼の馬鹿フェイクよりも数百倍、信憑性が
有るものである。鼻笑。

>学会員でない方に戸田先生の核兵器禁止宣言の核絶対悪を国連で叫ばれてしまい
>公明党創価学会は情けないと思わないのでしょうか?。
>職員幹部(大幹部)はよくも、しゃあしゃあ~と指導できるものだとあきれてしまいました

哀笑。学会員でない方、と言っても、其の被爆女性はICANの依頼を受けて演説したのであろう?
鼻笑。ならば、其れこそはSGIの功績とも成るのではないか。なんだ。違うのか。哀笑。

職員幹部? 哀笑。褒め過ぎだよ! 基奴(そやつ)らこそは「職業幹部」である!
否、在家の癖して、同じ在家から供養を受け、其れを財物給与として恩恵を受けている禿人以下の
紛(まが)い者達である! 本より、其の財物に対する執着は異常そのものである。

職業幹部に云く「あんたハッキリ言えないんだったら、私が言ってあげる!
今度の広布基金は100万出しなさいよ!! 皆の前で言っておくから。ねッ!
婦人部長は、ちゃんと、100万、取りに行って!」

呆哀。本より此の指導は、彼の女史の指導であるが、いやまぁ、呆笑。
思うに其れこそは、学会員の帰属に右往左往している僧侶に対して、一発咬ました御隠尊の厳呵とは
全くの大違いである。よいか! 取りに行くのは金ではない! 信者である!
よいか! 其れをして布教というのである。

而して、此の不満壮年部。職業幹部を指して大幹部と称するは、多少、年季の入った御仁ではないのか。
無論、タテ線時代とは云うまいが、当方の後輩であるとしても、未だ覚めぬ其の信心には、何とも残念で
ならない。まぁ、隊長のビンタを受けてドスンと倒れこむ班長や分隊長の姿を見てきた当方からして、
「大幹部」という呼称は、今にしては何とも懐かしいものである。

>きちんと本人を納得させる指導が幹部にできればその壮年はスッキリして
>何十倍もの力を発揮するでしょう。これが現場における実態です。
>学会が衰退するのも仕方ないですね。

鼻笑。

大白蓮華を片手に御書講義などする小幹部連中が居る以上、宗団組織の士気学力などは上がらんね。
本より、そーゆー連中が現場を支配しておるから、本尊教義の変節にも気が付かないで居るのである。
無論、職業幹部からして見れば、其の方が楽であるから、一層、其の様に仕向けられて、遂には今の様な
有り様に成った、という事である。

呆呆哀。されば「新・教宣ハンドブック」に云く、

『戒壇の御本尊とは、宗祖日蓮大聖人の出世の本懐であり、日寛上人が「三大秘法の随一なり」と仰せの
大御本尊である』【同6ページ】

哀笑。オマエらこれ、どーすんだよ。言って置くが、此のハンドブックの宗門に対する断言は、破門から
已(すで)に10数年経っているものである。果たして、昨今の原田創価の言い分からすれば、此の時、宗門は
謗法の宗ではなかった、という事になる。

果たして、オマエらは、こういう滅裂をどう思うのか。反駁あるなら申してみよ!!


>池田先生の名前を使えば、どんな理不尽でも
>誰も逆らえない、ということを巧みに利用する法匪八尋。
>表舞台には出ず、暗躍を重ねる。

鼻笑。ホント、えらい目に遭ったよな。此奴の為に。哀笑。

うむ。法匪とはよくぞ申した。

して、其れを仏法の視点から言うならば、此奴こそ、破和合の凶族となろう。

而して、其れら破和合の凶族が集まれば、其の凶族らは和合して、組織の内臓を食い荒らして往くのである。

本より其れをして「獅子身中の蟲」と云う。

尚、今更言うまでもないが、現在の創価は、其の腸(はらたわ)の殆どを此奴(こやつ)らに食われておる。

呆哀。もう、遅いわ。

而して、此等の現証こそ、大御本尊に背いた現罰であろう。

本より、本尊教義の捻転こそ、仏法からして一番重い罪となる。

されば、お主らの首魁に、口のきけぬ者が居らんか。意思の疎通が出来ぬ者が居らんか。
いーや、糞尿さえ自ら出来ぬ者が居るのではないか。

言うまでもない。宗教指導者が自らの意志によらず、其れこそ不本意にして其れらの状態を得るは、
是れ全く本尊誹謗の現罰である、という事を此に識るべきである!

>先生の平和主義、慈悲の思想に反した、原○学会の中で信心に喜びはありますか?
>功徳はありますか?
>全く、有りません。

呆哀。じゃあ、やめなさい。そんな組織に居ても与同の重罪を重ねるだけである。
何? やめるも何も組織から追放されたとな。……哀笑。
ならば一体、オマエらは何者であるのか。一体何処(どこ)の宗の者であるのか。
言って置くが『私教』は謗法であるぞ。そんな事くらい解っておろうが。
何? 俺たちには日護御尊能化が居るとな。鼻笑。
おいおい、今更、保田に身を寄せるのか。呆呆哀。

>原田怪鳥様、先月の「励まし週間」は初っ端の週デスたが、5月の「励まし週間」はいつからデスかぁ~(笑)
>愛人との蜜月旅行、もとい御訪問で英気を養われた原田怪鳥様、さぞかしGW中は「励まし」に邁進するコトを
>期待しておりまぁ~す(笑)

呆哀。おいおい、其れホントーかい。呆笑。

>さて、ナニやら? 某ツイッターで「創価珍報」の記事が紹介されていたのデスが、これって「家庭訪問」の
>材料にピッタリじゃないんデスかぁ~(笑)
>例によって、元職員3名の方なり、宮川氏などをディスる内容みたいデスが、一方的な物言いで、公平性がまるで
>ナイのは残念でぇ~す(笑)

鼻笑。創価珍報に叩かれている連中が、フェイクを貼り付けて宗門の悪口などを言う。
鼻笑。ったく、何が何だか判らんが、其の公平性を云うならば、創価珍報に倣ってフェイクこそ、其の媒体を明かし
なさい。ったく、青葉茂などと。ふざけるものではない。

して、そんなフェイクが断言して云く、

『身延山といえば、日蓮大聖人を末法の御本仏と仰がずに「日蓮大菩薩」と称しており、また
「板本尊偽作論」を唱えて大御本尊を否定し、更に、御本尊を店先にぶら下げ、御守本尊を
カードにして販売している謗法の山である』【フェイク 第1406号】

重ねて言おう。オマエらは先ず以って、此のフェイクの記事を総括致せ!

さても、此のフェイクの主張に依るならば、宿坊もイタチも宮田もキンパラも、皆、謗法人の仲間入りと成る!

其れで間違いないか、フェイクよ! 其れとも何か、このフェイクの記事こそがフェイクであると申すのか!!

ったく、そんなフェイクを貼り付けている連中を、創価新報が呵責する。
さても、新報の前身が大学新報であるが故に、そこに多少の知恵が回っておるとでも云うのか。呆笑。

哀笑。いやはや、何処(どこ)ぞの歌詞ではないが、馬鹿と阿呆の絡み合い、とは応に此の事をして云うものであろう。

本より、馬鹿に付ける薬は「バカ」と知らしめる事にあり、阿呆に対する薬も「アホ」と知らしめる事にある。
本より、其れが在ってこそ「悔悟」が成るのである。

さて、本日はここ迄としよう。

今日も今日とて邪教人。

邪教人への「馬鹿阿呆」呼ばわりは是れからも続く。
 

指標なき戦いは空転である!!

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 4月30日(月)14時52分46秒 i118-19-13-247.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  抑も、他門に於いて本門戒壇の建立を大願としている宗派は皆無であり、唯一、富士大石寺を総本山
とする日蓮正宗のみが、本門戒壇の建立を広宣流布の暁に於いて其れを完遂するを大願に掲げている
のである。

当に此の宗旨こそが日蓮大聖人の正系たる証拠であり、正しく日興上人からの法統を受け継いでいる
証左である。仍って、本門戒壇の建立と、其の戒壇堂に安置さる御本尊を顕示できぬ日蓮宗各派は、
みな邪宗である!

さて、

創価学会にして広布暁の戒壇建立は、何処の地に於いて建立するのか。

加えて其の戒壇に安置される本尊は、一体何処の本尊を以って懸けるのか。


学会員諸君、第一回の目回答!

●大石寺の敷地以外でしょうね。
●正本堂壊されちゃったし。宗門負担で建て替えてもらいましょうか。
●戒壇堂建立は、数年で出来ます。
●本門の戒壇の実現-広宣流布の姿を願う心。
●その時代の民衆に任せておきなさい。
●何処の本尊って、大聖人御図顕の御本尊に決まっているでしょう。
●大石寺以外の御本尊でしょうね。
●人のものを「よこせ!とは言えないでしょう。

小笑。

学会員諸君、第二回の目回答!

●ほう、大聖人が何時「富士宮の上条に建立しなさい。」と仰られたんだい?
●創価が広宣流布したときには、日顕宗は駆逐されているときでしょ?
●おすがり信仰とはよく言ったもんだ(ズバリ) (笑)
●あんたがたは、今年何万所帯の布教をやるのかね?
●指標なんて一番無関係なんだよ!! この恥かきでしゃばりが!!!!

鼻笑。

小学会員諸君、第三回目の回答!

●そんな事は将来の民衆が決めるんだよ。四の五の言ってもしょがねーじゃないか。
●創価学会の公式見解は創価学会の広報にでも聞きなよ。何度も言わすんじゃね~!!
●戒壇の建設自体は、現代建築技術をもってすれば数年で竣工できるということ。お解り?(笑い)
●戒壇建立より先にやることが一杯あるだろう!
●そんなことも分からんとは、愚かなオッサンよのう! ガーーーーーハハハハハハハハハ!

哀笑。

小学会員諸君、第四回目の回答!

●学会は今や戒壇建立を目指していない。(総意)

呆笑。

…お主ら、いい加減に致せよ!

一体どこに本門戒壇の建立地も、其れに安置する本尊も未定のままに戦う莫迦があるか!

まして、其れを放棄するとは何事であるか!

お主ら、大丈夫か? 其の頭…。

糞笑。

まこと指標なき戦いは空転である!

応に是れこそは池田の為せる業(わざ)ではないのか!

ったく、デタラメな連中である。大糞笑。
 

ああ、邪教人 其の七十三

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 4月29日(日)21時18分45秒 i60-35-89-93.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  久々の投稿と相成った。

管理人による確認後掲載の仕様を採っている当板からして、当事者による長期不投稿の態は決して
宜しいものではない。本より其れが仕事の多忙にあるとしても、務めて長期なる不投稿を避けるが
当板管理人の役目と心得る。

さて、其れら反省の弁を述べつつ、周囲の邪教板(原田創価員及び除名創価員、并に不信仰者の掲示板)を
見渡せば、相も変わらず邪見浅識の戯れ言を書き散らかしておる。

当方は何度も言っておろう。

莫迦に付ける薬は、其の者をして莫迦と言う他にない、と。

して、そんな莫迦者連中が、連日連夜、馬鹿な事を書き散らかしている宿坊掲示板こそ馬鹿の骨頂であり、
そんな釈迦本仏の骨頂掲示板に、創価の正義たらを書きちくる、無智無脳の小創価員達こそ、莫迦の真骨頂と
成るものである。呆呆哀。

そんな莫迦な創価員が云く、

>日顕宗の皆さま 大石寺のこ本尊は真筆できない

鼻笑。莫迦なオマエに何が判る。こ本尊? 糞笑。『こ』とは、オマエの小アタマの事ではないのか。鼻笑。
呆哀。真筆できない、とは何ぞや。日本語を話せや日本語を。呆怒。
尚、日顕宗という宗教は、この地球上には存在しておらん。いや、其れでも尚、存在していると言うならば、
オマエはこっちに来なさい。さすれば当方、徹底的に呵責してしんぜよう。

>「宿坊の掲示板」の存在は、草創期の頃の「座談会」の様に思えます。
>笑いあり涙あり…けれど その根幹は「学びの場」

呆哀。オマエの脳髄は腐っておるのか。
釈迦本仏の宿坊掲示板。日蓮大聖人が本仏というのはイワシの頭。
こんな事を言っている管理人宿坊の掲示板が、創価草創の学びの場などと。
糞笑。大丈夫か? そのアタマ。

>昭和五十四年の第一次宗門問題(会長辞任)は、学会の歴史における第三の「発迹顕本」として
>位置付けることはできないでしょうか。

糞笑。出来ねぇーよ! そんなモン! 呆呆哀。
言って置くが、オマエら新興宗教の在家らが、其の一々の行状を以って「発迹顕本」など高言するは、
是れ全く摧尊入卑の邪態であるという事を識(し)りなさい。本より「発迹顕本」とは、日蓮大聖人の御事
のみを指して云うものである。

>第三の「発迹顕本」を成就したのは、第二次宗門問題(池田大作総講頭罷免)の時です

呆笑。つまりは何だ。其の「第三の発迹顕本」以前の創価学会は、須らく迹の行態であった、という事か。
して、そんな「発迹顕本」を述べるオマエが、何で釈迦本仏論の宿坊掲示板に投稿しておるのか。
其の整合性を此に宣べてみよ!

>現在の執行部は、自分たちが牛耳る「学会組織」を守るために、池田先生の指導を基準とせず、
>池田先生を排除しようとする実態が、この「遠藤文書」には克明に綴られています。

長谷川が云く『池田先生は大御本尊と決別するなどとは言っていない』
谷川が云く『大御本尊に執着しているのは、実は秋谷議長である』

うむ。長谷川の言っている事が本当であろう。

されば池田センセーが断言して云く『大聖人の出世の本懐である一閻浮提総与の大御本尊が信心の根本である事は、
これからも少しも変わらない』と。 【平成5年9月16日、アメリカSGI最高会議】

元より信心の根本が将来に於いても変わらない、とは、応に信仰者として当然の姿勢であり、其の根本尊崇が
将来に於いても変わらないとは、当に日蓮大聖人の仏法からして当然の理(ことわり)である。
仍って、長谷川の言い分こそが正しい。してもし長谷川の言い分が間違いであるならば、当の池田センセーこそが
嘘つきの張本人と成る。

而して、谷川の言い分こそ、本尊に対する信仰心を執着と観る邪見であり、又、そういう邪見人であるからこそ、
『教義なんかどーでもいいんだ! 後付けでいいんだ!』などと狂言を放つのである。

されば、釈迦本仏の宿坊と、大御本尊偽作論の金原と、大聖人よりもっとスゴイ人が現れると断言したイタチなどは、
是れ全く上記谷川の言い分と同じくする邪教人の輩(やから)である。

然るに、こーゆー連中こそ、根本教義など其方(そっち)退(の)けの連中なのであり、そこに在るのは、単に切った
切られた、という感情領域の腹いせでしかない、という事が此にして判るのである。

哀笑。いやはや何とも、さもしい連中ではないか。呆哀。

>「小樽問答」を掘り下げる事をすればするほど、「弘安二年 本門戒壇の大御本尊」を日蓮正宗大石寺風に
>解釈する事になる。

哀笑。オマエは、池田センセーの永遠の指導に弓を引くのか。哀笑。
尚言うが、大御本尊に対する尊崇は「風」ではなく『義』である。
其の事を能く能く勉強しなさい。

>宗門の「C作戦」でこの人は何を学んできたんでしょうか

哀笑。「C作戦」の実行こそは、オマエら創価が先手であろうが。
本より、宗門に於いて「作戦」などというものは無い。

事態に於ける最終決断と、事前に於いて作戦を練るなどは、其の受動と能動による基点からして
そこには大きな差異がある。其れよりも何よりもオマエらの謀(たばか)りこそが「C作戦」の骨頂ではないのか。

云く『本山とはいずれ関係を清算せざるを得ないから、学会に火の粉がふりかからない範囲で、
つまり、向う三年間の安全確保をはかり、その間、学会との関係ではいつでも清算できるように
しておくという方法であり、いま一つは、長期にわたる本山管理の仕掛けを今やっておいて、
背後を固めるという方法です』と。【昭和49年4月29日付/山崎・八尋文書】

果たして、此の後の北条文書も含め、是れらこそが『C(カット)作戦』の骨頂ではないか。
ったく、手前(てめー)のやって来た事には白を切り、宗門の覚悟をして作戦などと罵るは、
是れ全く鉄面皮の其れではないか! オマエらは恥というものを識(し)りなさい。

>副会長連中の平均年収三千万円を知られたくないだけでしょ。
>これだけで職員幹部なんて誰も尊敬しなくなるからね

哀笑。創価貴族の本職連中。同じ在家から金を集めて平均年収三千万てか。鼻笑。
果たして一体、オマエらは何様であるのか。いや、僧侶でもないオマエらが、何で在家から金を集めて、
己(おのれ)の退職金と為すか。まさか、其れをして『御供養』とでも申すのか。呆哀。

>「法華経」は、釈尊が説いたものですが、釈尊が書いたものではありません。
>"フェイク"についてのご投稿ございますが、誰がかいたか、かいているかは二の次三の次だと私は思います。

あほー! 法華経とフェイクを一緒にするでない!
よいか! 法華経は真実を説いているが、フェイクは嘘を書いておる!
よって! 嘘を書いているのは誰だ! という事になる!
ったく! そんな事も解らずに、誰が書いたかは三の次だ、などと馬鹿な事を言うものではない!
されば! フェイクを説いているのは誰なのだ! オマエは其れを述べよ!

>保田妙本寺・宮川日護御尊能化…
>創価新報のデマ記事に関して、
>創価学会原田会長及び、創価新報を業務妨害で告発を検討。

哀笑。そりゃ大変だね。

いや、その前に御尊能化よ。

お主こそは、已下の宣言の総括をせねばならんぞ!

云く『「法体の血脈」という時、その「法体」とは本門戒壇の大御本尊以外には有り得ません』と。

これ、どーすんの。何とか言いなさい。呆哀。

>学会組織ではかつてのオウムみたいに
>警察?自衛隊などの勢力を取り込もうと
>カネで人材(スパイ含め?)確保とか?

糞笑。その内、日蓮大聖人の真筆本尊をカネで確保するよ。鼻笑。
スパイは今でもいっぱい居るから、もういいだろう。
しかし何だ。法華講に居るスパイたちは、オマエらからして邪教と化した「日顕宗」の本尊に、其れこそスパイ
よろしく手を合わておるが、其の行為は謗法と成らんのか。鼻笑。してもし成らんと言うならば、何故、オマエらは
戒壇の大御本尊を捨てたのか。其の整合性を此に述べよ。

>期日前投票に行ってきました。立憲民主党に、そして信心して37年初めて共産候補にいれました。
>日本のため、創価のために。

哀笑。共産党に票を投じた事が学会の為になるとは如何なる事か。鼻笑。
さても、オマエは鵺であるのか。呆笑。

>「国民民主党」5月7日結成。民進・希望代表が正式合意。野党第一党に及ばず

呆笑。そんな事ぁーどーでもいいよ! 其れよりもオマエこそは信心に励みなさい!
おっと! ここで云う信心とは、創価の信心ではないぞ!
一大秘法たる妙法蓮華経の五字こそは、当に御本尊の御事である、という日興上人の御教示に対する信心である!
されば、其れをして要法寺対策の俄か教義だ、などと侮蔑する原田創価の狂義こそを、オマエは破折しなさい!
ったく、そういう大事を横に置き、小野党の烏合に目を奪われるなどは、これ全く小見の恥態である、という事を
識りなさい。

さて、本日は此処(ここ)までと致そうか。

呆呆哀。

観れば観るほど邪教人。

邪教人への呵責はこれからも続く。
 

高札の優

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 3月27日(火)18時29分28秒 i60-35-89-214.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  曾(かつ)て、匿名(無記名)による密告・讒言等を指して、其れを「落書(らくしょ)」と言っていたが
今にして其れを当て嵌めるならば、根無し草の連中が其の躯体を隠し、悪口中傷を書き散らかす姿こそ、
応に「落書」ならぬ「落書き」の姿そのものであると云えよう。

本より、其の恥態こそは、プロキシ(串)・捨てハン・多重ハン等に表れ、其の性根は「無題」や「名無し」
という言様にも表れて、応に其れこそは、木陰に隠れてほくそ笑む、小人の根性であるという事を、此に於て
識るべきなのである。

因みに、落書きの本人(書き手)が露顕した場合、其の者を死罪にするなどは、曾(かつ)て国持大名の支配下に
於いて実際に在った刑罰ではあるが、其の落書きが現今に於いて、日蓮大聖人の正統に向けられているとなれば、
応に其れこそ死罪に値するものとなろう。無論、ここで云う死罪とは、これら落書者の腐れ頸を刎ねるには非ず、
其れこそは仏法正法から斬り落とされる五逆の大罪をして云うものである。

して観るに、根無し草の宿坊連中が好んで貼り付けている「フェイク」こそは、当に落書きの最たるものと言って
いいだろう。

発行形態=「緩急自在不定期発行」
発行所=「日蓮教団・メディア・アカデミー」
監修人=「青葉茂」
購読料=無料
引用=転載自由・コピーも可

糞笑。

「日蓮教団・メディア・アカデミー」とは何にか。
「青葉茂」とは何ぞ。鼻笑。

日蓮教団? ふざけるものではない。
青葉が茂る? 阿呆抜かせ! 茂っておるのは、阿梨樹の枝であろうが!

よいか聞け。

先ず以ってオマエらがやる事は、今までオマエら自身が書き散らかして来た内容の総括である!

本尊然り! 教義然り! 会長指導然り!

よいか!! 今、オマエらが書き散らかしている内容は、其れらの事を頬(ほ)っ被りしているものであり、
其の様ないい加減な根性を以って、他宗教団の本尊教義に文句する資格などは、これっぼっちも無いのである!

然るに転じて我ら宗門はどうか!

青葉茂だ? 不破優だ?

そんな者など居りはしない。

本より、日蓮正宗自由通信同盟、日蓮教団メディアアカデミーなどと偽称する必要も無い。

我らは堂々、其の発行元を明記し、発行責任者も明示して、其れらの公行を以って本尊教義を宣揚し、以って
邪宗邪義を破折せんとしているのである。

よいか。応に是れこそ、オマエらに対しての「高札」なのであり、事実、其の高札は、オマエら落書人に対して
下されているのである。よいか。落書きに背いても罪には成らんが、高札に背けば罪と成るのである!

されば、フェイクのみならず、地涌や短信なども、其のすべてが落書きの其れであり、そんな落書きを信じて宗門に
文句する学会員こそが哀れなのである。

言うまでもない。

フェイクも地涌も、其の根は同じであり、曾(かつ)ての宗門対策室と本部広報室が、其の担当分野を振り分けて
宗門に対抗した諜報謀略の産物なのであり、又、そうであるからこそ、今もって其の身を隠匿し、偽名を弄して、
駄文を吐き散らかしているのである。

本より、こういう類(たぐい)のモノは、そこに記さる内容の信憑よりも、衆人の目に晒す事が第一なのであり、
又、それこそが落書きの骨頂ともなるのである。

して観れば、根無し草の宿坊連中が、又しても、燥(はしゃ)ぎながら落書きを書いておる。哀笑。



◆フェイク 第1606号   投稿者:宿坊   投稿日:2018年 3月16日(金)13時01分0秒

   (発行=18.03.15)

「極楽寺良観の再来が日蓮正宗の中に」
無知な法華講員の愚かな批判を粉砕 ㊤
戸田先生が「佐渡御書」講義で厳しく指弾

鼻笑。

呆れてモノが言えんよ。なぁ、宿坊よ。哀哀笑。

>大聖人様を迫害した良観たちが、いま生まれてきて仏立宗等の坊主になって
>いるのです。本当です。この原理からいうとそうなります。そうでないとしたら、
>大聖人様がウソをついたことになります。大聖人様をさんざんいじめた悪い者が、
>仏立宗日扇などという徒輩になったのです。

これは恩師の指導よな。

うむ。仏立宗の長松日扇などは、当に良観の類と云えよう。
いな。長松日扇の本尊教義に対する変転は、良観以下であり、実にオマエら現創価に酷似するものである。
して。オマエら宿坊連中こそは、当該日扇の宗教組織に対する右往左往の痴態に習うものである。

小笑。果たして其の事、オマエらに解りょうか。鼻笑。解るまいて。(ったく、情けない連中である)

>霊友会でも立正佼成会でも、天理教の教祖でも、みんなあれは仏法を悪くいってきた者が、あのようになって
>出てきたのです。

果たして、そういう恩師の新興宗教に対する呵責を反故にし、立正佼成会の庭野日敬の葬儀に二人の副会長を参列
させたは、一体何処(どこ)の何奴(どいつ)であるのか! 実(げ)に是れこそ恩師の指導に違背する師敵対の其れでは
ないのか! ったく、日敬の訃報を聖教新聞に掲載するような馬鹿どもが、今更にして何を云うか!!
少しは恥を識(し)りなさい!

されば、恩師戸田先生は「大聖人様の御時代に、あるいは良観とか、あるいは法然の弟子とか、そういう者の
弟子などになる連中は、いったい過去にどういう者だったかというと、昔、仏法をくさした外道の者が
生まれてきて、仏法をやってですね、そうして今度は正法を邪魔するんです。そうすると今度どうなるか、
あいつらが死ぬと、今度は日蓮正宗のなかに生まれてくるんだよ。誠にこれはおもしろいもんだぞ」
                               【昭和31年2月7日 於:大阪中之島公会堂】

と申されておる。

果たして、オマエらは、此の恩師の指導を対宗門として好んで用いるが、是れこそは、前年に起きた彼の蓮華寺の
事を指して述べられているものである。つまり、獅子身中の蝗蟲というものは、必ず其の胚芽を命に宿して入門し、
又は、将来、必ず正法を誹謗する命を持って今の世に生まれ、其れこそは、親を殺し、子を殺す命業が如く必然に
起こり得る現象を以って、恩師は「誠に面白い」と達観されたものである。つまり、この恩師の指導をして云うならば、
身延の日向然り、保田の日郷然り、要法寺の日尊然り、旧妙信講然り、して又、創価学会然りの、離反像の理(ことわり)
を云うものであり、当に恩師は、そういう因果律の必然さを以って「面白い」と申されたのである。

されば蓮華寺の坊主(崎尾正道)も例に漏れず、一旦は宗門の大懐に居座ったが、結句は宗門から離反し、
遂には己(おのれ)をして「十八代法主」などと増長して、其の正体を現したのである。
とまれ、御宗門は、連々教化・再三教導の御姿勢にして、実(げ)に其れこそは、古来からの化儀でもあるから、
彼の小笠原慈聞(御宗門は小笠原の悔悟を許されて「師」とお付けになられるが、当方は未熟な在家であるから、
師とは云わん)を寛恕し、又、牧口・戸田両会長による反抗をも教訓し、更には、池田太作の我儘をも許容した
のである。爾して彼の崎尾正道も許されたが、結句は恩師の云う通り、日蓮正宗を離反し、自らを法主として
「日蓮実宗」なる宗教を立ち上げたのである。

仍って恩師が云く、

『それで今、日蓮正宗が本尊流布するにあたって、邪魔をするのです。
今度、 それではどうなるのかというと、あのような連中(佼成会の会長や天理教の教祖)が死ぬと、
今度は日蓮正宗の中に生まれてくるのです。そして蓮華寺の僧侶みたいになってくるのです』と。

哀笑。よいか莫迦よ。

此に於いては、まさしく崎尾正道の行状を指して言っているものであり、落書きフェイクが言う、

「日顕こそ六師外道―極楽寺良観―邪宗日蓮系教祖―崎尾正道と伝わってきた第六天魔王の血脈を
引き継ぐ者で、まさに世界広布を妨害する日顕こそが崎尾の再来、極楽寺良観の生まれ変わりなのである」

などという文句こそ、当に落書きの真骨頂であると、此にして弾呵されるものである。いや、弾呵などとは
オマエらには勿体ない、オマエらには呵責・糾弾・叱責こそが似合いであろう。否、其れとて理解できない、
莫迦者連中こそが、オマエら落書者の脳髄なのである。呆哀哀。

>戸田先生の亡き後、崎尾と同様に御本尊を道具に使って、学会員を脅してきた坊主が日顕である。

鼻笑。御本尊を道具にしてとは如何なる事か。小鼻笑。
哀笑。学会員を脅す? おいおい、脅して来たのはどっちであるのか。小鼻笑。
ったく、見て来た様なウソを言うものではない。何? だからこそフェイクなのだ! だと?

哀笑。さもありなん、さもありなん。

>日顕が嫉妬深いのも有名だ。日顕に相承しなかった日達法主に対する恨みと嫉妬から大化城、
>大客殿、六壷を潰し、広宣流布の暁に本門寺の戒壇たるべき大殿堂と、日達法主が教示していた
>正本堂も約五十億円の巨費を投じて解体した。

糞笑。それ全然外れてるよ。ウソも百回載せれば本当になるってか。小鼻笑。
糞笑。解体だ? なんだ、破壊ではないのか。小鼻笑。

>良観と酷似している日顕が学会の宗教法人化に反対するなど悪辣な性根は生来のもので、
>戸田先生は鋭く見抜いて弾呵していた。

弾呵? 増長慢もいい加減に致せよ。何? 啖呵の言い間違いだと? 鼻笑。
ならばよろしい。恩師の口調からして啖呵の方が合っておる。

尚、創価学会の宗教法人化に関しては、過日、当方が「フェイク 第1603号」の虚文に対して呵責して
おるから、根無し草(無所属・無信仰・及び分派身中の蝗蟲)連中は、能く能く目を通すべぎである。
尚、昭和27年の宗教法人化については、宗内の殆どが反対であり、在家信徒が勝手に宗教法人を立ち上げ、
在家の身を以って法を説くは、これ全く不審なり、との意見も在っての事か、宗内に於いてはそう易々とは
了解されなかったのである。いや、当時の創価学会をして、其の吊し上げ攻撃によく耐えて跳ね除けたは、
まこと正宗僧侶の根性とも云うべきか。

とまれ、狸祭り事件を起こして後の法人化の許可は、応に宗門の大英断であり、又、其の御英断の影に在る
御僧侶方(特に細井庶務部長・後の日達上人)の尽力を識(し)るに仍って、恩師戸田先生は、其の法人設立に
全く異心無きを、彼の三箇条に託して、其の赤誠を示されたのである。

よいか。そういう経緯があるにも拘らず、当時の創価法人化を反対する御僧侶を指して、良観と酷似などと
今更にして軽口するは、これ全く落書きの其れである、という事を、オマエら馬鹿宿坊連中は、能く能く
識(し)るべきである。尚、当時の猊下は日昇上人であり、創価法人の目的が、全く宗門外護によるもである
との御信用を以って了されたのであり、其の設立の大義を脱線せしめたのが、他ならぬ池田太作なのである。

よいか、つまりは良観に酷似する人間こそ池田太作なのであり、其の良観酷似の弟子たるが、オマエら
創価外道員なのである。

其れにしても、よくぞ御宗門は許された。

記事に云く、

【戸田会長を留置 日蓮宗吊るし上げ事件】

岐阜県美濃町本玄寺住職小笠原慈聞師(78)を日蓮宗創価学会=東京都千代田区神田西神田=の一部信徒が
吊るし上げた事件を調べている静岡県富士地区署は一日同会和泉覚氏を、さらに二日同会会長の戸田城聖氏を
留置したほか、吊るし上げに参加したとみられる同会青年部の十名を任意出頭で調べ、同夜釈放した。
取り調べを受けた青年部の中には大学教授二名、小学校教員四名など知識人が多く証拠固めは三日で一応終る見込み。
なお小笠原師は四月二十七日の被害当日裸にされて殴られ、全治四週間の負傷をした上謝罪状を書かされたと同署では
言っている。【昭和27年9月3日 朝日新聞/夕刊3面】

爾して、其れより5日後に、創価学会は東京都知事から宗教法人の認証を受けたのである。

さてこそ、連々教化にして再三教導とは此の事か。
否、当に指導寛恕とは此の事を指して云うものであろう。
されば、彼の山崎氏や原島氏の帰伏も、そして中西氏の帰伏なども、須らく指導寛恕の其れである、という事を、
今更にして痛感するものである。

よいか創価よ。今にして法人たるは、我が宗門の寛恕が無ければ、到底為し得なかった事なのである。
よいか。其の事を先ずは覚えて置きなさい。

尚、オマエら創価の総本部に安置されている板本尊は、創価法人化について御允可された日蓮正宗第64世・
日昇上人の所謂(いわゆる)『大法弘通慈折広宣流布大願成就』の書写本尊である。

何? 書写本尊とは何の書写だと? 呆呆哀。

阿呆!

其の様な事は当然であろう。言うまでもない。其れこそは戒壇の大御本尊を御書写された御本尊であるから
書写本尊と申しているのである。

されば、創価総本部に安置さる慈折広布御本尊を認(したた)められた日昇上人が申さく、

『戒壇の大御本尊の御内証を、帯し奉って不肖日昇六四世の法主として、御本尊様に信仰を染めてお認(したた)め
申しあげている御本尊でございまする』と。 【聖教新聞 昭和30年12月18日付け)

しかし、今のオマエらは、この猊下の御言葉を反故にして、創価の本尊は大御本尊の書写ではない、などとバカな
事を言っておる。ならば一体、オマエらの総本部に安置してある本尊は、一体何の写しであるのか!
而して、写しではない、と言うならば、一体誰の御真筆であるのか! して、その誰とは一体誰の事であるのか!
オマエら莫迦フェイクは、其れらの事を須らく総括せよ! 何!? 所詮は落書きであるから、そんな難しい事は
書けないとな! ったく、其れこそ、さもありなん! であるよな! そうであろうが! 莫迦フェイクよ!

>日顕の「坊主根性」
>そのことを日顕も認めていて「戸田会長先生の御逝去に対して」と題し、次のように記していた。

「私の罪障と云うか、先生の云ういはゆる坊主根性の為か、昭和二十四年頃の私は、
自らの心にある垣根を作り、それが円融濶達にして師厳道尊なる先生の精神に半ば通じない
事があったのは、今更遺憾懺愧此の上もないのである」 (「大日蓮」昭和三十三年五月号)

昭和二十四年と言えば、御隠尊は当時、墨田区本行寺の御住職であり、二十七歳の青年僧侶であった。
爾して、当時の創価学会は、戸田先生の事業がうまく行かず、創価学会をして財団法人とするに於いて、
其の信心を疑われたのではないか。いや、其の事業に於ける色物雑誌の存在や、手がける金融の生業(なりわい)に
於いて、其の余りある俗臭に、眉を顰められたのやも知れん。本よりこれは当方の愚推ではあるが。
とまれ、過去の御心境なりを、正直に吐露されるは、これ全く謙虚な御姿勢と、当方は此に領解するものである。

>もし、日顕が「坊主根性」を猛省し、改めていれば、今日のような宗門の衰退を招く事態には
>至らなかったであろう。(つづく)

糞笑。御隠尊が言う「坊主根性」と、オマエら創価外道を破門にした根性とは、全く事を異にするものである。
オマエらは、そういう分別も出来ない程、脳味噌が腐っているのである。又、そうであるからこそ、落書きを
好んで書き散らかすのである。哀笑。

されば云おう。

オマエらの首魁たる池田太作こそ「在家根性」を再確認し、其の根性こそが全く信徒としての規律である、という事を
認識しておれば、我ら正統・富士門流から破門されずに、其れこそは本尊雑乱・教義変転の醜態を晒さずに済んだので
ある。よいか。真(まこと)の衰退とは其の数に非ず、其れこそは本尊教義の攪乱に在る、という事をオマエらは知りな
さい。

>昭和六十年春、当時の仲居に「ワシも明日から六壺で勤行をするからな。信心根本でなきゃいかん」と言ったものの、
>勤行したのは、その翌日の一度だけ。同六十三年にも「勤行に出てやる」と言ったが、この時は口先だけに終わった。
>日如も昔から勤行をサボっていたことを改革同盟の渡辺雄範氏が「決別の書」で次のように指弾した。

哀笑。だから、我らも其れに習って、勤行を一座にしたってか。哀笑。
糞笑。ったく、人様の勤行に文句する前に、オマエらの其の省略根性を恥じなさい。
鼻笑。離脱僧、見て来た様な、嘘を言い…。小鼻笑。

して、そんな改革同盟が云く、

『「法体の血脈」という時、その「法体」とは本門戒壇の大御本尊以外には有り得ません。ゆえに、日寛上人が
「法の本尊を証得して、我が身全く本門戒壇の本尊と顕るるなり(中略)題目の力用に由るなり」と示されている
通り、一切衆生の成仏を説かれた大聖人の仏法では、法主に限らず、全ての門下僧俗が「題目の力用」によって、
「法体の血脈」を受けられるのであります』と。 【日蓮正宗改革同盟 決議文より】

哀笑。

果たして、法体の血脈の「法体」こそは、本門戒壇の大御本尊以外には有り得ない、とは如何なる事か。
して、其の唯一の法体に帰命し、応に其の力用によって「法体の血脈」を得るとは、如何なる事か。
爾して、戒壇の大御本尊をして法体の唯一とし、其の法脈を以って題目を唱うれば、日寛上人の御本尊に
於いて功力を得るとは、応に絶待にして相待たる、本尊授与の大義を云うものではないか。

莫迦フェイクよ。

今にして改革同盟の戯れ言を引用するならば、先ず以って上記改革同盟による本尊授与の大義を此に総括せよ!
よいか! 是れこそは、勤行をした、しないの次元ではない。是れこそは宗教の根本たる本尊義の御事である!

ったく、事の順序も弁えず、小事一端の事柄を仰々に喚き散らかす、其の稚拙狂乱の不様(ぶざま)なる姿よ。呆呆。

よいか! 今こそ、オマエらの眼前に高札を立てよう!


一、折伏した人は日蓮正宗の信徒として本寺に所属させること。

二、当山(富士大石寺)の教義を守ること。

三、仏・法・僧の三宝を守ること。


哀笑。見覚えあるか。有るであろう!

然るにオマエらは、この高札の義に背いたが故に破門されたのである。

よいか。興門による高札の義は、オマエら莫迦フェイクの万倍なのである!

一大秘法とは御本尊の事ではない。

糞笑。こんな邪言を吐いている共ずれが、落書きフェイクの戯(ざ)れ言を読んでほくそ笑む。哀笑。

よいか。そーゆーオマエらこそが、彼の一行、空海、良観、法然、中山みき、庭野日敬、小谷キミ等の
生まれ変わりなのであり、そーゆーオマエらの姿こそが、破仏法の元凶と成るのである!

少しは『恥』というものを識(し)りなさい!

よいか!

正義の高札は唯一つ! 其れに乖(そむ)くを破法と言う!
 

注意

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 3月17日(土)19時13分14秒 i60-35-89-214.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  題名…(無題)
投稿者…名無し
衝撃事実拡散 【創価学会の魔の正体は、米国が仕掛けてるAI(人工知能)】

◆対応……掲載不可

名無しへ(名無しなので敬称略)

正規アドレスによる長文投稿ですが、当室に於いては、所属不明者からの投稿は一切受け付けて
おりません。又、名無し、という名無し投稿は、須らく捨てハンの骨頂でありますから、其の時点で
当室への投稿資格を失うものとなります。加えて、無題、という題の下に羅列される文章はなどは、
其の初手からして主意を放棄している証拠ともなるので、其の時点で書き手のアウトと成ります。

されば、

先ずは其の「名無し主意なし」の投稿姿勢を改め、正々堂々、己(おの)が所属の下に主張されん事を、
此に期するものであります。

※当室は、他の2チャンネル類似の掲示板とは違い、投稿者による所属の親告、及び、其の所属の下に
信奉する本尊と教義を宣揚し、其の立場に立って他宗他教団の教義批判を許す事としております。
本より、其れこそが法論対論の鉄則であり、又、其の鉄則を無視した法論などは、単なる自論遊びと
成るものであります。

名無しには、其の事を能く能く肝に銘じられて、当破折掲示板への投稿資格を得られたし。

以上であります。
 

投稿者・閲覧者各位

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 3月17日(土)18時59分40秒 i60-35-89-214.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  昨夜帰宅。

あっという間の出張であった。

いや、時の経つのが早いと感じるは、是れ、己(おのれ)の年が寄っている証拠やも知れん。

いや、そうは言うも、今だ皺(しわ)無し、白髪無し…。而して其のフサフサとした黒い髪は、
吹き荒(すさ)む北風に靡いて、其の小若さを醸し出す…。

汗。おっとぉ、これ以上は申すまい。

次元の低い物言いとは云え、これ以上申せば、私義己義の自己満無信仰者の根性と同じに成ってしまうわい。

さて、本日より当室の管理を始めようか。

本より、其の管理とは、邪宗邪義への呵責も含まれる。

いや、其の呵責こそが、当室管理人の主意とも成ろう。

然るに昨今は、創価学会の教義破綻を起因として、そこから派生した小者連中が、好き勝手な教義を作成し、
又は論じて、其の頭破七分の度合を深めている由。

本より、此等の者共は、其の初めからして信仰心など無いのであり、実(げ)に其の根性こそは、内外勝劣の
値にも入らぬ、応に一闡提人の其れである、という事を此に識るべきであろう。

されば、呵責叱責こそが、此奴(こやつ)らの最も良き薬となる。

では、早速に始めよう。
 

投稿者・閲覧者各位

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 2月25日(日)23時30分25秒 i223-218-109-72.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  毎々の御投稿、御閲覧を頂戴し、誠に有難う御座います。

さて、今月初旬にもお知らせ致しましたが、明日より長期不在となります。
期間は、最低二十日以上となります。管理人として誠に申し訳ない事でありますが、
これも仕事なので仕方ありません。

尚、御承知のとおり、当室の掲載形式は、管理人による確認後掲載となっておりますので、
管理人が不在の間は、誰人が投稿されても、其の投稿文は掲載されません。
本来であれば、管理人が不在の間にこそ、当室を投稿者各位に解放して破邪顕正の対峙を
促進すべきでありますが、今日までの間、其の不在解放によって得られたものは、其の殆どが
悪質な投稿であり、其れら悪質なる投稿、則ち、所属不明者による串投稿、及び多重ハンネ、
(捨てハン)が横行し、結句は無法状態となり、其れら悪辣な教義劣等の愚人らによって当室が
荒らされてしまう、という事であります。

何れに致しましても、其れらを防止する意味に於いての不在処置である、という事を、皆様には
どうか御理解頂きます様、お願い致します。

尚、 不在期間に於ける投稿文に付きましては、当室管理人が帰宅次第、速やかに掲載致します。

以上であります。
 

莫迦宿坊の馬鹿フェイクを叱責す

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 2月24日(土)16時23分43秒 i223-218-109-72.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  ■フェイク 第1605号   投稿者:宿坊   投稿日:2018年 2月22日(木)22時37分29秒

(発行=18.02.21)

日顕「椅子の者は来るな、祈念が乱れる」
春季登山に苦悩し、車イスを貸出すと甘言
顰蹙買った顕正会の結集を真似る宗門


哀笑。

なぁ、宿坊よ。

いや、宿坊のハンネを使って、阿呆らしい怪文書を貼り付けている、謀略根性の馬鹿どもよ。鼻笑。

ったく、同(おんな)じ事をベタベタと貼り付けおって。呆呆哀。

確か、此の椅子に対するイチャモンは、今から24年前の平成6年(1994)【地涌】(報恩社・キタリン)に書かれていた
ものと同じではないか。

呆呆哀。ったく、オマエらは種無しの阿呆であるのか。鼻笑。

しかも、オマエら宿坊一味は、彼のキタリンを「葬儀屋」などと蔑み、其の他二名(ピロと仁丹)を含めて「悪の三位一体」と
中傷していたのではないか。ったく、そんなオマエらが、敵人たるキタリンの記事を採用して、今更に文句を垂れるとは、
応に、鉄面皮、無節操、破廉恥極まりない連中であると、此に改めて痛感するものである。

ったく、情けない賊(やから)であるよな。糞笑。

>法華講の春季総登山会を三月二十四・二十五日に大石寺で行なう日蓮正宗は
>参加者の確保に四苦八苦している。

哀笑。何? 四苦八苦だ? 其れこそは一所懸命の間違いではないのか? 哀笑。

ったく、オマエらの目ん玉が捻じれておるから、其の様に捻じれて見えるのである。

何度も同じ事を言わせるものではない。

>宗務院が昨年十一月、末寺毎に割り当て人数を決めて締め付ける一方…

哀笑。締め付ける? 悪いが其の様な実感は全く無いよ。鼻笑。

何? 締め付けられているという、法華講スパイからの情報だと?

鼻笑。なんだ、そんな情報を真面(まとも)に受け取っておるのか。小鼻笑。(大丈夫か? 其のアタマ)

>機関紙「大白法」は毎号、特集記事を掲載している。
>その特集の中で面白いのは「車イスの貸し出し」との見出しで「総本山では、登山会中の境内地の
>移動用として車イスを貸し出しています。貸し出し・返却の手続きは……」等と記した記事である。

面白い? 身体の不自由な登山者に車椅子を御貸しする事が、何故に面白いのか。

さてもオマエらは、車椅子を利用する身障者を馬鹿にしておるのか? 呆怒。

>一見すると、温かい対応のように感じる向きもあるが、実は、これは親切心からではない。
>以前、邪教・顕正会が総会に病人や歩行困難な高齢者、体の不自由な人を車イスに乗せて無理に
>連れ出し、世間の顰蹙を買ったことがある。こんな顕正会の強引で悪辣な結集の手口を日蓮正宗が
>真似しているのである。

呆。おいおい、顕正会(旧妙信講)が総会に向けて、身体の不自由な会員を無理やり車椅子に乗せて
連れ出した事と、身体の不自由な登山者の為に、総本山が予(あらかじ)め車椅子を用意する事と、
一体、其れの何処(どこ)が真似であるのか。

呆哀。オマエらのアタマは、本当に大丈夫であるのか。(いや、大丈夫ではない事は、最早判っておる)

尚「邪教・顕正会」とオマエらは言っておるが、此等の徒輩は、今もって戒壇の大御本尊を尊拝しておるから、
新興創価よりもマシである。否、オマエらの様な創価外れの己義集団からしてみれば、10倍は正義に近いものである。
呆哀。果たして此の言っている意味、オマエらに解りょうか。いや、解るまいて。哀哀笑。

>車イスを使用している人達は客殿での丑寅勤行、日如の講義には参加できない。主要行事の第五十五回
>法華講総会もメイン会場ではなく、別会場で中継の映像を見ることになるだろう。
>歩行困難の信徒に登山を強要しておきながら、中継を見せるだけとは無慈悲の極みと言わねばならない。

呆哀。参加できない、いや、オマエらの根性からすれば、参加させない、と観るのであろうが、本より本山として
車椅子の儘、畳の上に上り込む事を禁じられているだけの事である。其の様な事、当たり前であろう。
其れとも何か。車椅子の儘、畳の上を移動しても、其れを許す事こそが、身体の不自由な信徒に対する思いやりと
オマエらは思っておるのか。

呆哀。オマエらのアタマは、本当に腐っておるのか。(いや、其れこそは蛆が湧いておるのか) 哀哀。

尚、客殿に限らず、総本山の各坊各所に於いては、丈の短い小座椅子であれば畳の上でも使用可能である。
無論、其れに於いても、小座椅子の下に布やタオルなどを敷かねばならないであろう。是れとて常識ではないか。
加えて、キャスター付のカバンなどを、畳や廊下で引きずるなども法度である。是れこそも当然であろう。

して、オマエらは、歩行困難な信徒に登山を強要しておきながら、別会場で中継を見せるは無慈悲の極み、などと
唾を飛ばしておるが、歩行困難な信徒に対して登山を強要するとは如何なる事か。つまりは、首根っこに紐を付けて、
嫌がる信徒を無理やり引っ張り出す、という事か。

小鼻笑。なぁ、フェイクよ。まこと、オマエの根性はフェイク其のものであるよな。呆哀。
いや、誤魔化フェイクどころか、是れこそは痴人の狂言としか云えぬものとなろう。呆哀。

尚、客殿の法要に参加した、と或る講員は、次のように述べられている。

『客殿の法要では、車椅子の老人が、法要が始まる前のモニターを見ながら泣いていらっしゃいました。
なんとか2階の会場にご案内した後も、ずっと泣いていらっしゃいました。30年ぶりの御登山だったと後で伺い、
私たちも胸がいっぱいになりました』と。

無論、実名がそこには記(しる)されているが、此に於いては控える事にしよう。

よいかフェイクよ。

オマエらが作成する出鱈目(デタラメ)文などは、この一講員の体験談によって、すべて吹き飛んでしまうのである。

ったく、オマエらの根性は、彼の墨平三郎と同じである!

>車イスを貸し出すのが親切心ではないというのは平成六年五月二十三日、
>日顕が椅子に座っていた人に対して言った暴言に本心が表れていたからである。

鼻笑。さて愈々(いよいよ)か。哀笑。

>当時の宗内情報によると、日顕は「おはようございます」と挨拶した後、怖い顔で会場の後方を睨みつけて
>「後ろの方で椅子に座っている人、広宣流布を御祈念する丑寅勤行が乱れるから椅子に座っての参加はやめるように。
>どうしても椅子に掛けなければならない人は明日からの参加を遠慮するように」と冷たく言い放ったとのことだ。
>そこには高齢者と正座に慣れない海外の檀徒もいたようだ。

鼻笑。さても此の文面は、同フェイク、第1474号(発行=15.02.27)のものである。

して今回、

>丑寅勤行後の日顕は怖い形相で会場後方を睨みつけて「後ろの方で椅子に座っている人、広宣流布を御祈念する
>丑寅勤行が乱れるから椅子に座っての参加はやめるように。どうしても椅子に掛けなければならない人は明日からの
>参加を遠慮するように」と冷たく言い放った。

哀笑。殆ど丸写しではないか。嗤。

「当時の宗内情報によると」…。「冷たく言い放ったとのことだ」…。

鼻笑。所詮、宛てに成らん情報よな。

確か、地涌のキタリンは、其の時の参加者は30人であった、と言い、しかも、其の内の約10人が、
正座に耐えられない高齢者であり、其の中には外国の信徒も居たと言っておる。

小笑。はてさて、大客殿630畳の大広間に30人足らずの信徒が居て、しかも其の大広間の後方に約10名の信徒が
椅子に座っていたと言う。果たして、其の様な状況で勤行唱題が揃うのか。いや、揃うも何も、である。
当方が耳にしておるのは、それら椅子に座っていた一信徒が、伏拝に事寄せて、居眠りをしていたと言う。
今更言うまでも無いが、大客殿(現客殿)に於いては、猊下の礼盤(大導師席)は、御宝前の正面ではなく、東面に対する
御席であるから、2、30人の信徒の様子などは一目として判るのである。

つまり、心地よい椅子に座って居眠りされるなら、明日からの丑寅勤行は遠慮された方がよろしい、という意である。
猊下ならずも、そういう姿を目にしたならば、同志として一言注意申し上げるが、当然の姿勢ではないか。

「後ろの方、椅子に座っている方…(つまりは、あなたの事)、椅子に座って居眠りをする様なら、広宣流布を御祈念
する丑寅勤行が乱れるので、以後、椅子に座っての参加は止めるように。其れでも尚、椅子に掛けなければならない、
という御方は、明日からは御遠慮頂きたい」

つまりは、そういう事である。

尚、地涌のキタリンは、此の捻じ曲げた発言内容をして「趣意」などと誤魔化しておる。哀笑。

>無慈悲な対応に怒り
>かつて、信善寺(新潟県三条市)の講員だったMさんは次のように証言したことがある。
>「足の調子が悪くて車イスで登山したが、車イスでは客殿に入ることを許されず、
>宿坊で中継のテレビを見せられた。
>あれほど『登山しろ、供養しろ』と言いながら、供養を取るだけ取って、こんな酷い、
>冷たい扱いをするのが宗門です」

本より、車椅子の儘、客殿の大広間(畳上)に入る事など出来よう筈も無いし、車椅子で登山する信徒は、
予(あらかじ)め、其れらの制約は講中に於いて周知される筈である。
其れよりも何よりも『足の調子が悪いから車椅子で登山して、其の儘、客殿に入ろうとしたが許されず、
結句は宿坊で中継を見せられた。ったく、こんな酷い仕打ちがあるものか!』などと、自らの我儘を顧みず、
不平不満をぶちまける講員こそ、応に身体障害ならぬ信心障害の其れである、という事を、此に熟知すべきである。

>イスに座る人がいては、祈念が乱れるというのなら、御開扉はどうなるのか?
>奉安堂では参拝者全員がイスに座っているではないか。日顕の言い分からすると、御開扉での
>導師の坊主は〝ご祈念が乱れている〟ことになる。

哀笑。だから莫迦フェイクよ。其れは違うのである。

椅子に座っている人が居て祈念が乱れるのではなく、椅子に座って居眠りをする人が居るから、
祈念が乱れる、つまりは、そこに参加している意義が初手からして崩れる、という事である。

哀笑。其れを『イスに座る人がいては、祈念が乱れるというのなら、御開扉はどうなるのか?』などと、
馬鹿な事を言っておる。呆笑。ったく、ガキみたいな事を言うものではないぞ。なぁ、宿坊よ。哀哀笑。

>この日顕自身も最近は足腰が弱って車イスを使っていると噂されている。

御年九十五。

しかし、今もって御健勝で在らせられる。

無論、御高齢であるから、足腰も弱まろう。

だが、池田太作の様に雲隠れなどしておらんぞ。堂々、其の御姿を我ら信徒にお見せになる。
否、今にして御説法も為される事であろう。それに引き替え、池田はどうであるのか。
其れこそ、車椅子どころではないだろう。聞くところによれば、寝たきりのオシメ状態であるという。
何、違うとな。ならば、其の健勝なる姿を、御隠尊猊下の如く、信徒会員の前に其の姿を披瀝せよ!!

果たして其れが出来るのか! 出来まいて!!

ったく、そんなオマエらが、

>日顕自身も最近は足腰が弱って車イスを使っていると噂されている。

などと。呆笑。

鉄面皮もいい加減に致せよ。なぁ、莫迦宿坊の馬鹿フェイクよ。哀哀笑。

>春季総登山は毎年、三万人の結集を目標にしているが、一度も達成できていない。病人や歩行困難な
>高齢者、身障者を登山させるため車イスを貸し出すと言う宗門だが、この甘言に騙されて登山しても
>無慈悲で冷たい扱いを受けるだけだ。

呆笑。

今一度言おうか。

オマエらの目ん玉が捻じれておるから、其の様にしか見えないのである。

尚、総本山に於いては、車椅子用のスロープの出入口を用意し、又、車椅子の信徒、そして高齢者の信徒の為に
各宿坊を改修し、加えて、塔中参道に於いては石畳の凸凹を平面に慣らして、石段の端にもスロープを設け、更には
側溝の傾斜部には蓋をするなどして、車椅子での移動や高齢者の足元に対して、細心なる工夫をされているのである。

いや、それよりも何よりも、日夜、介助の任務者が汗を流し、延いては、御僧侶自らも車椅子を引いて、其れら信徒の
移動を助けるのである。ったく、其れをして言うならば、創価の副会長が、壮年部長が、参加者の車椅子を手に引いて、
其の入場を助ける事など、当方、今まで見た事も聞いた事も無いわい! そーであろう。外れ創価の莫迦宿坊の者共よ!

されば此に、オマエら莫迦宿坊・馬鹿フェイクの悪辣なる性根こそを、下記の一例を以って直に示そう。

時は平成二年、正月の午前二時三十分。大客殿に出仕太鼓が鳴り響き、日顕上人が大客殿にお出ましになり、
丑寅勤行が厳(おごそ)かに始まった。

して其の時、大客殿を見回っていた一夜番の御僧侶(夜間警備の御僧侶)が、別の堂宇に移動しようとしたのであるが、
何やら其の物陰に多数の人影を見たのである。数えてみれば、二十人は超えている。はてさて近づいて見たならば、
なんと、其れらは皆学会員であり、訊けば地方からの登山であるという。

時は冬。富士の裾野を吹き通す寒風が、深夜の暗がりと共に、それら学会員の人溜まりを襲う。
しかし、地方から登山した学会員たちは、其の寒風にも耐えながら、大客殿から漏れ聞こえる読経に耳を馳せ、
勤行をしていたのである。

いや、待てよ。

一夜番の御僧侶は、即座に思った。

丑寅勤行は自由に参加出来る筈ではなかったか。

其れなのに、何故、この学会員たちは、大客殿の外で拝んでいるのか。

さては、大客殿が満員となったのか。

一夜番の御僧侶は、そんな学会員たちを押しとどめ、反す足で、大客殿に戻った。

見れば三百人程が参詣している。

なんだ。まだ収容出来るではないか。

一夜番の御僧侶は、早速、創価班の担当者に連絡を取った。

丑寅勤行に参加出来る事を知らない学会員が居るようですが、と。

すると、こんな返事が返って来た。

彼らは、フリー登山の学会員だと思うので、丑寅勤行への参詣は申し込んでいないのでしょう、と。

其れを受けて御僧侶が言う。

いや、丑寅勤行は、日蓮正宗の御信徒であれば、どなたでも自由に御参詣出来るのですよ、と。

すると、こんな返事が返って来た。

詳しい事は判らないので、 その件については責任者に伝えてます、と。

それから、何の知らせもないままに、時間だけが過ぎていった。

とは言うも、自身の勝手な判断で、外にいる学会員たちを大広間に招き入れることも出来ない。
そうこうしている内に、丑寅勤行は終わってしまった。

そして夜が明けた。

一夜番の御僧侶は、早速に、其の事を上師に報告した、そして、その報告は更に上へと伝わって、
遂には、御当代日顕上人の御耳に入る事となった。

その後、数日経ってから、彼の一件は、学会独自のルールによって、丑寅勤行の参加人数を予め決めていた、
との返事が返って来た。

本より、一夜番の御僧侶は、学会が丑寅勤行の参詣人数を事前に調整していたとは、初手から知る由もなかった。

それから暫くして、日顕上人と池田名誉会長が面談した。その際、日顕上人から池田名誉会長に対して、
『丑寅勤行の参加について、宿泊している学会員の何パーセントという様な制限をするのではなく、参加を希望する
学会員さんには、自由に出させてあげたらどうですか? そのかわり、参加したい人がいなければ、学会員さんの参詣が
ゼロでも構いません』と話された。

うむ。

実(げ)に其れこそ 「深夜極寒の中で、立ったまま大客殿の外から丑寅勤行に参加するなど、気の毒で仕方がない」という、
其れら学会員の純粋なる信心を尊く思われた日顕上人の御言葉であったろうと思う。

ところがどうか。

果たして、この日顕上人の学会員に対する思いやりが、学会内部に於いて、どのように伝わったか。

以下はこうである。

池田先生が日顕上人に呼び出され、

『丑寅勤行に参加する学会員が少ない! もっと増やせ!』と猊下から怒鳴られた、と。

呆哀哀。なぁ、フェイクよ。そして莫迦なる宿坊たちよ。

実に上記のすり替えこそ、オマエらの真骨頂であろうが!

デマも百回書けば本当になる。

応に是れこそが、オマエら馬鹿フェイクの正体なのである!

そんな卑劣なオマエらが、今後、痴文書フェイクを何万号貼り付けようとも、

当室の一、二回の呵責によって、其の全てが木っ端微塵と成るのである!

痴文書フェイク。そして、其の痴文に群がる痴人謀人の浅ましき根性よ。

実(げ)にオマエらの痴態こそ、鵺・蝙蝠(こうもり)の其れであり、
其の破廉恥なる質(すがた)こそは、蛮人・破鏡獣の百倍である!!

云く、

『身延山といえば、日蓮大聖人を末法の御本仏と仰がずに「日蓮大菩薩」と称しており、また
「板本尊偽作論」を唱えて大御本尊を否定し、更に、御本尊を店先にぶら下げ、御守本尊を
カードにして販売している謗法の山である』と。【フェイク 第1406号】

オマエらは先ず以って、此のフェイクの記事を総括せよ!

さても、是れに依るならば、宿坊もイタチも宮田もキンパラも、皆々、謗法人の仲間入りと成る!

其れで間違いないか! それとも何か! このフェイクの記事こそがフェイクであると申すか!!

ならば、そんな痴文など、以後、貼り付けるものではない!

よいか! まことの道理とは、其の事をして言うのである!

莫迦宿坊の馬鹿フェイク…。

最早、付ける薬などは無い。

唯々、叱責あるのみである!
 

葬儀とは即ち霊山の儀式である 【再稿】

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 2月21日(水)06時20分19秒 i118-19-13-230.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  さて、相も変わらず創価外道が騒いでいる『葬儀に僧侶の出席は不要』などという文句について、
其れを茲にて叩いておこう。

先ず、創価の連中が満悦に取り上げた、読売新聞((4月21日付)の冠婚葬祭に関する世論調査であるが、
見れば其の『簡素化』の傾向をして『友人葬』の正当性が証明された、などと云う単純阿呆な連想を、
小会員などがベラベラ申している様ではある。鼻笑。

さても、世論の意見こそが、宗義破折の根本に成るとは、応に外道創価の得意とする所ではあるが、
果たして、其の支柱とする世論の意見の大半が、無宗教・無信心の衆生から出ている、という事を、
お前らは先ずもって知るべきである。して、もし其れらを了解して教義の支柱と為し、其れら世論を
以って、我ら富士門の法義に唾するならば、応に其れこそが外道の正体であり、新興宗教の性根その
ものと成るのである。

して、其の読売の世論調査をして『葬式に僧侶の出席は不要』などとは、何処にも書いてはおらん。
見れば、あくまで葬式への参列についての事であり、本より導師を務める僧侶をして『参列者』とは
申すまいが、つまりは、葬式への参列は、其の家族・親戚・友人・知人が望ましい、との事であって、
僧侶の不要などを希望するものではない。して見れば、自分の葬式で戒名などは必要ない、とする意見が
56%で、戒名を必要とするが43%である。尚、読売の記事に於いては『戒名カッコ法名』と記されておるが、
確かお前ら創価外道に於いては『戒名と法名は別モノだ!』という文句ではなかったのか。
何だ。この部分(世間の意見)については採用しないのか。鼻笑。ったく、都合の良い連中であるよな。

云うまでも無く、葬儀の盛大が故人の成仏に関係するものではないし、又、簡素にしたからと言って
成仏しない、というものでもない。先ずは第一、其の葬儀が正法正義に依って執り行われるか否かが
重要となるのである。本より、これ以降の記述は、世論を超えた仏法義の内容であるから、此の小生の
記述を世論の意見から批判するとなれば、其の時点でお前らは『馬鹿な連中』と相成るのである。
先ずは其の事を肝に銘じて置きなさい。よろしいか。

して、葬儀には僧侶の出席が絶対に不可欠とは、一体誰が言ったのか。

して、僧侶抜きの葬儀を執行すれば、故人は地獄に堕ちるとは、一体誰が言っているのか。

小笑。何てことはない。これらは皆、お前ら創価外道の造り文句なのである。

よいか。我らはこう申しておる。

『創価学会が富士門の三宝尊に違背し、正法正師、つまりは日蓮正宗の僧侶に対する怨念を以て執行
する友人葬などは、其の不純なる一念からして、故人の即身成仏などは為し得ない。つまり、我らが
富士門の根本たる戒壇の大御本尊と唯授一人の血脈に随順しない葬儀は、其のすべてに於いて故人の
成仏は叶わないと云う事である。つまり、邪宗の葬儀に於ては、僧侶の出席の有無に拘わらず、其の
すべてが堕獄の因に成ると云う事である』と。

外道諸氏よ。上記の意味合いが理解出来るか。

つまり、僧侶が出席しなければ絶対に成仏できない、などとは、実にお前ら創価学会の付会であり、
其れこそ、我ら日蓮正宗信徒に於いて、何某が亡くなったとして、いざ葬儀という時に、其の居住が
僻地離島であり、しかも途上に於いて悪天候が続き、諸々の交通が遮断されたともなれば、其の間、
延々と御僧侶の到着を待つべきものであるのか。つまりは、そういう止むを得ない状況も有り得ると
いう事である。又、其の様な状況は、海外に於いても発生し得る事案でもあろう。而して其の場合、
葬儀に於いて僧侶が不在であるから故人は地獄に堕ちてしまうのか。

よいか。つまりは、富士門から破門された在家などが寄り集まって、其の恨念の下に勝手に葬儀を執
り行い、しかも、仏法に於いて僧侶など邪魔である、などという邪念の在家どもが導師を務める其の
醜態をして、我らは『其の葬儀に於いて故人の成仏は叶わない』と申しているのである。

ったく、邪宗邪徒が執り行う葬儀によって、故人が成仏するとは、一体、何処の御文に記(しる)されて
いるのか。この様な事、日蓮門下の端くれであれば、文証を引くまでもなかろうて!

尚、フェイクなどが引用しておる、昭和43年11月度の本部幹部会における池田太作の発言は、
今回の読売と同様、その当時の一般新聞での「葬式の合理化運動」を取り上げて述べたものであるが、
昨今の小創価の馬鹿どもは、此の池田の発言こそが友人葬の原点であり、何と此の池田の発言をして
『先師・日達上人の指南を経てなされたものだ』などと嘯(うそぶ)いているのである。哀笑。

ちと長いが、其の池田の発言を此に示そう。

云く『先日から新聞などに葬式の合理化運動の記事が出ています。そういう点も、私は大賛成です。
あれは形式だけの葬式を改革しようという動きで、坊さんを呼ばないとか、死亡通知だけでよい、と
いうような考えです。御本尊に題目を朝晩あげて、事の一念三千の当体である我々です。死んで誰に
お経を読んでもらう必要がありますか。我々こそ、葬式の最高の近代化を訴える人であり、合理化の
先駆者なのです。だからもし葬式の改革の話が出たら、我々は賛成だ、先端をいくのだ、と言っていいの
です。葬式に必ずしも御僧侶を呼ぶ必要はないのです。正宗は葬式仏教ではなく生きるための仏教です。
呼びたい人は呼んでもいいが、呼びたくなければ呼ばなくてもいい。この様に日蓮正宗は、あらゆる宗教の
なかで最先端をいくものであり、最高の近代性をもっているのです。これについては、総本山も大聖人の
根本精神につながった考えです、と言っておりました。しかし、これも行き過ぎないようにしてください。
御僧侶を呼ぶかどうかは、本人や家族の意思で決めることです。ただ、幹部が葬式の合理化について聞かれた
ような場合、なにも受け身になる必要はない、保守的に封建的に考える必要はない、という意味で申し上げた
わけです』

果たして、此の内容の全てが、御先師・日達上人の御指南によって成されたものであるのか、少しでも
脳ミソが働けば、判るというものである。

抑も『総本山も大聖人の根本精神につながった考えです、と言っていた』との意は、日蓮正宗に於る常盆・
常回向の精神を述べたものであり、其れらを怠って、葬式のみを本義とする偏頗な思考に同じない、
つまり日蓮正宗の法義は、葬式の為の法義ではない、という意味での文言なのである。つまり、
そういう意味での『根本精神』なのである。而して此の事を以て、僧侶不在の葬式こそが日蓮大聖人の
根本精神だ、などという意味にはならないのである。

又、其の事は、日亨上人が仰せの『葬儀は宗門の厳儀にして其の方式を霊山虚空会に取る』との御意にも
繋がるものであり、其の御精神に於いて、世間普通の無信仰の人間が因習的に、形式的に、人が死んだから
僧侶に引導を渡して貰って焼いて埋めて、はいお終い、などという惰性的な葬式などは、抑も我が宗の葬儀の
意義からして、まったく趣を異にするものである、との意なのである。

哀笑。其れを『(僧侶を)呼びたくなければ呼ばなくいい』という、池田の小言を『僧侶不要の宣言』と断定し、
しかも、其れを宗門が奨励したかの様な記事を書くなどは、まことお前ら怪文書フェイクの生(な)せる業(わざ)で
ある。ったく、どうしようもない連中であるよな。哀。

尚、太作は、上記の内容の前に、次ぎの様な事も言っておる。

云く『これは総本山とよく相談した結果をお伝えするわけですが、塔婆供養について一言申し上げたい。
というのは、従来、人によっては、五本も十本も塔婆をたてて追善供養してきたケースがありましたが、
原則は一本でいいのです。あとは回向料として、御供養すればよい。こういう細かなことをいうのは、
日蓮大聖人の仏法が、末法万年にわたって、永遠に合理性をもち、近代的であるからです。
事実、御書をみても、塔婆を何本立てなさいという指導はどこにもありません。でないと、世間の人達が、
日蓮正宗創価学会を、葬式仏教と成り下がった既成宗教と同一視してしまう可能性さえあります。
わざわざ世間の人の不信を買い、法を下げる結果を招いてしまうのです。塔婆は一本と決めておけば、
すっきりします。裕福な人も貧しい人も平等なのが真の仏法です』と。

本より、塔婆を五本も十本も建てなければならない、などと、御宗門は言っておらんし、其のような事は、
信徒それぞれの裁量である。つまり、出来る事が可能であれば、須らく其れを実行し、又、可能でないのであれば、
無理を押してする必要はない、という事である。又、其れを逆に云えば、実行可能であるのに、其れを敢えてしない、
というのは、信心の懈怠であり、ましてや其の不行が僧侶への怨嫉と怨念によっての不行となれば、其れこそが謗法の
邪念であり、そういう性根を以って葬儀を行えば、須らく堕地獄の因と成るのである。
仍って、お前ら邪徒が邪徒を弔う『友人葬』などは、其の全てに於いて地獄の儀式と相成るのである。

よいか。お前らの葬儀などは、立正佼成会の信者が葬式を執り行うと同じ事なのであり、抑もが、僧侶を呼ぶ、
呼ばないの以前の問題なのである。よいか。先ずは其の事を理解しなさい。

尚、引導・戒名・塔婆については、本より我ら正統・富士門流の化儀であり、破門された在家どもが、
己(おのれ)の都合によって一々騒ぎ立てようとも、其の動かざる正義は即化法として、お前らの眼前に
立ちはだかるのである。

日有上人が曰く『仏事追善引導の時の回向の事、私の心中有るべからず、経を読みて此の経の功用に依り、
当亡者の戒名を以って無始の罪障を滅して、成仏得道疑ひ無し乃至法界平等利益』と。

加えて日亨上人が曰く『塔婆などに題目などを書写する事は、受持体分(総体の受持)の書写となるなり』と。

よいか。引導も戒名も塔婆も、当流に於ては、世間邪宗の形式に非ず、其のすべてが霊山の儀式を執(とり)成す
重要な化儀となるのである。

仍って恩師が云く『(塔婆は)形式ではありません。仏法上の儀式であります。色心不二の成仏、草木成仏の
深い原理からきているのであります。(中略) 生命論がわからなければ、この深い原理はなかなかわかりません』と。

果たして一体、此の恩師の指導からして、塔婆など不要とは、どういう事であるのか。つまりは、
お前らの葬式に於いて、塔婆を建てる者が居ないから、単に要らないと言っているだけではないのか。
本より、そんな理由などは仏法でも何でもない。して、間違いなく、塔婆は不要というのであれば、
上記の恩師の指導は間違っている、という事を、此に証明しなければならない。
加えてお前らは、仏教に於いて、僧侶は葬儀に携(たずさ)わるべきではない、などと言っている様で
あるが、其れでは何故、六老僧は日蓮大聖人の御葬儀を執行したのであるか。つまりは、お前らからして、
携わるべきではない日興上人を首(はじめ)とする御僧侶が、日蓮大聖人の御葬儀に参列したるは邪道に値する、
という事であるのか。先ずは其れを述べよ。尚、日興上人は信徒の曽禰殿に対し『市王殿の御うは(乳母)他界
御事申はかり候はす、明日こそ人をもまいらせて御とぶらい申候はめ』と申されておる。
されば『人をまいらせて』とは、曽禰殿と同じ在家信者を参らせるのか、それとも御一門の御僧侶を参らせるのか。
仏事の道理として申してみよ。して、其の参らせる人が僧侶となるならば、お前らが大白蓮華で主張した
『僧侶が葬儀を執り行う事は仏教本来の在り方ではない』と云う文句は、其れこそ日蓮大聖人御遷化に於ける
大葬を侮蔑する事となり、日興上人に対する無礼となるのである。

尚、怪文書フェイクなどは「葬儀の本来の意義を見直すことは、謗法と化した日顕宗への施しを止める戦いでもある」
などと馬鹿な事を言っておるが、つまりは、葬儀に於ける僧侶の不要などは、単に我ら興門正統に対する反抗の証しで
しかない、という事ではないか。鼻笑。

よいか。そういうのを『意固地』と云うのである。哀。

其れにしても、創価の馬鹿連中が言う『絶対でないのであれば破ってもよい』という極想は何とかならんのか。呆哀。
果たして『絶対でないのであれば、破っても良い、守らなくても良い』と云うのであれば、別段、数珠などは輪ゴムでも
よいのであり、蝋燭もクリスマスキャンドルでよいのであり、仏壇もミカン箱でよいのであり、樒(しきみ)も桜や薔薇で
よいのである。しかし、お前らは、それをやろうとしないであろう。つまりは、そういう事なのである。つまり絶対厳守で
なくとも、守るべき行動意識というものが、そこには在るという事である。よろしいか。其れをして『化儀』というので
あり、其の化儀は普段からして守るべきものであるから、つまりは其れこそが化儀即化法となるのである。

馬鹿が云く『葬儀も引導も戒名も塔婆も、それを絶対しなければ成仏しないという文証を出せ』と。

哀笑。もはや、馬鹿に付ける薬は無い、とは此の事か。鼻笑。

兎も角も、我ら興門正統は、今後とも創価外道が執行する友人葬を破し、其の邪念に基づいた地獄の儀式を、
より一層呵責すべく、化儀即化法の正義を此に愈々(いよいよ)宣揚しめんとするものである。

日亨上人が曰く『霊山の儀式とは、葬儀は宗門の厳儀にして、其の方式を霊山虚空会に取る』と。

仍って曰く『亡霊への廻向には、其の導師たるもの少しも私の意志を挟むべからず、御経の功用に任すべし、
此時は蓋(けだ)し戒名に意義ありと意得べしとなり』と。

爾して曰く『当法華宗は信謗を以って徳罪を峻別するが故に、如何なる荘厳儀礼を尽くせる仏事作善なりとも、
他宗他門にて此を行なふときは、能開の宗旨既に謗法罪科なれば、所開の作業従って又罪悪なるを以って、
決して随喜参列すべからず、寧(むし)ろ此を破斥するが大功徳なり』と。

されば創価外道の友人葬を今こそ破すべし! 此れ大功徳の源泉なり!


【付記】

尚、オマエらが得意げにギャーギャー騒いでいる、日亨上人の弁、乃(すなわ)ち、

『臨終ニ当リテ俄ニ法号ヲ乞フガ如キ愚挙ナキヲ期スベキナリ』との意は、

本より戒名自体を否定されているのではなく、臨終に際して俄(にわか)に戒名を乞おうとする、其の横着なる
根性を叱られているものである。よいか。オマエらは莫迦であるから、其れが解らんのである。

よいか。今一度言うぞ。

『俄かに戒名を乞う』との意は、其の姿勢根性をしてよろしくない、という事である。
本より、法華講員のみならず、戸田総講頭に於いても、臨終に及んで俄かに戒名を乞い願ったものではない。
日蓮正宗の化儀に遵(したが)って、須らく取次の御正師から戒名を頂いたのである。

つまり、其れを反(かえ)して言うならば、日亨上人が必要と言われた戒名の化儀を、オマエら創価こそが俄かに捨てた
という事である。つまりは、日亨上人が言われた『暴挙』こそは、応にオマエらの其の俄か根性に対して言われている、
という事を、此に識るべきなのである。

>この「亡くなった時につける戒名」について碩学の
>日亨上人は「臨終ニ当リテ俄ニ法号ヲ乞フガ如キ愚挙ナキヲ期スベキナリ」と記されている。
>これを「大白法」編集部は知らないのか?

堪笑。何度読んでも吹き出してしまうが『臨終に当たりて俄(にわか)に乞うが如き暴挙無きを期すべきなり』が、
なんで『戒名不要』の文に読めてしまうのか。哀笑。

鼻笑。答えは簡単であろう。

要は、オマエらの脳髄が邪教の害毒に犯されて、最早、真っ当な解釈が出来なくなっている、という事なのである。

実に、救いようのない馬鹿とは、応にオマエらの事を指して言うものであろう。

して、そんなオマエらが嬉々として貼り付ける怪文書フェイク。

実(げ)に其れこそ、痴人狂人に相応しい痴文書となるものである。糞笑。

少しは恥というものを知りなさい。
 

莫迦宿坊の馬鹿フェイクを嗤う

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 2月21日(水)06時17分22秒 i118-19-13-230.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  ■フェイク 第1603号   投稿者:宿坊   投稿日:2018年 2月15日(木)12時27分36秒

(発行=18.02.13)

学会の働きかけで始まった授戒
無知な「大白法」の妄論を破折する ㊤
今の授戒文は昭和四十一年に制定


■フェイク 第1604号   投稿者:宿坊   投稿日:2018年 2月16日(金)12時29分2秒

(発行=18.02.14)

「臨終ニ当リ俄ニ法号ヲ乞フハ愚挙」
無知な「大白法」の妄論を破折する ㊦
「葬式に僧を呼ばないのは大聖人の考え」


哀笑。

なぁ、宿坊よ。

いや、宿坊のハンネを使って、阿呆らしい怪文書を貼り付けている、謀略根性の馬鹿どもよ。鼻笑。

ったく、同(おんな)じ事をベタベタと貼り付けおって。呆呆哀。

鼻笑。会合で雨が降った、参加者が少なかった、坊さんが病気になった。

呆哀。だから何なのだ。

鼻笑。解っておるよ。最早、そんな事しか書けない程に、オマエら創価の反駁義は貧弱になっている、という事である。

いや、オマエら『宿坊』を名乗る者どもは、そんな創価学会からも蹴飛ばされて、今や、根無し草の阿呆集団と成り果てて
おる。さても、そんなオマエらが、10年前と同じ内容のフェイクを今更に貼り付けて、戒名がどーの、受戒がどーの、と。
呆笑。オマエらは、真(まこと)の莫迦であるのか。嗤嗤。

>「大白法」は日蓮大聖人のご在世当時から信徒に御授戒をしていたかのように誤魔化しているが、これは嘘である。

呆笑。誰が、日蓮大聖人の当時に於いて、在家信者が現在の様な御受戒を受けていた、と言っているのだ。

そーではないだろう。

当家が申しておるのは、日蓮大聖人已来の(迹門戒に対しての)本門戒を授かる大義、則ち『受持即持戒』の義に於いて、
其の儀相を述べているものであり、何も、在家信者に対する御授戒の儀相が、日蓮大聖人の其の当時から行われていた、
と申しているものではない。爾して、出家者のみならず、在家信者の一々に於いても、其れら本門戒を受く大義は、
日蓮大聖人の御在世から在ったものである。

曰く『未断見思の衆生の我等も皆悉(ことごと)く受職す。故に五即・五十一位共に受職灌頂の義あり』と。
爾して曰く『信行の比丘の受職と俗衆の受職と是同じ』と。
仍って申さく『法華経を頭に頂くと云う文なり。如是諸人等の文は広く一切衆生に亘るなり』と。

されば現在、当家に於いて授戒の義を執り行うは、是れ全く日蓮大聖人の御在世に通じるものであり、
決して、オマエら阿呆が言うような、創価学会(在家信者)の為に考案されたものではないのである。

尚、日亨上人が御受戒に関して『受戒の定規はなかったと思う。それが、近今に至って、にわかにその式が新設された
のではなかろうか』と述べておるのは、決して御受戒の義を否定するものではなく、又、近代になって初めて授戒の義が
成立した、と言っているものでもない。其れこそは但、其の儀相の整足をして述べたに過ぎないのである。
つまり、オマエらが貼り付けている昭和四十一年の『受戒文』こそも、其の儀相に入る、という事である。

哀笑。果たして此の言っている意味、オマエらに解りょうか。哀笑。(いやいや、解るまい)

>学会の草創期から活躍して理事長、最高指導会議議長を務めた和泉覚氏(故人)は、かつて「昭和十二年ごろ、
>牧口先生が宗門に対して入会する際に御授戒をするよう依頼し、それで行うようになった」と語っていた。

小笑。何? 和泉覚が語っていた? 鼻笑。其れはホントーかい。

昭和十二年。さても其の以前より、創価教育学会は、在家団体としての結成が、指導教師の堀米御尊師(後の日淳上人)から
許可されず、牧口会長は、其の事に対して憤慨していたのではないか。されば其の様な状態に於いて、当の本人たる牧口
会長が、其れこそ日蓮正宗の在家団体でもない教育学会の会員の入信に際して御授戒を依頼し、堀米御尊師が其れを受けて
執り行うようになった、などとは、其れこそ彼の海坊主の世迷言であろうが。

尚、其の当時、創価教育学会の会員数は100名程であり、特に牧口会長・戸田理事長などは、既に池袋の常在寺に於いて、
御受戒を受けていた(仏哲では、戸田理事長は中野教会で御受戒を受けたとある)のであるから、堀米御尊師に依頼して執り
行うようになった、などと手前よろしく言うものではない。そうであろうが、宿坊フェイクよ。
ったく、依頼などと。其れこそは懇願であろうが。

>確かに、学会の出現以前、日蓮正宗に入信する者などいなかったので、御授戒を行なう末寺はなかった。

呆笑。おいおい、莫迦を言うものではない。いや、馬鹿であるから、そう言うのであろう。鼻笑。

果たして、創価教育学会の結成以前に、日蓮正宗に入信する者など居なかった、などとは、やはりオマエたちは馬鹿の骨頂で
あるのか。いや、其れこそは、現創価学会から蹴飛ばされて土面に転げ落ち、何処(どこ)ぞの角に頭を打ちつけて、まことの
阿呆に成ってしまったのか。鼻笑。

ったく、学会の出現以前に入信する者など居なかったとなれば、其れこそ牧口・戸田の両会長は、一体、何処(どこ)の
信者から折伏されたというのか。加えて、御授戒を執り行う末寺も無かったとは、如何なる証拠を以って其れを示すか。
されば、創価学会の結成以前、つまりは学会の出現以前に入信し御受戒を受けた牧口・戸田両会長は、オマエらからして
得体の知れない会長と成るのであるか!  何とか申せ! 馬鹿フェイクよ!

重ねて言おう。『「大白法」は日蓮大聖人のご在世当時から信徒に御授戒をしていたかのように誤魔化しているが、
これは嘘である』などと言っているオマエらフェイクこそが、其の名のとおり嘘を付いているという事である!!

よいか。オマエらの目ん玉が捻じれておるから、物事の現証が捻じれて見えるのである。

呆笑。ったく、情けない質(すがた)よのぉ。呆哀。

>牧口先生の提案によって始めた御授戒も当初は宗門の多くが反対だったとのことで、御授戒を行っていたのは歓喜寮
>(中野区)と砂町教会(江東区)のみで、その後、常在寺(豊島区)など他の寺も加わった。

呆笑。提案だ? 先程の文面では依頼と書いていたのではないか。いや、其の実は懇願であろうが。
呆哀。其れを今度は提案によって始めた、などと。オマエらの口は八つに裂けておるのか! ふざけるものではない。
そうであろう。莫迦フェイクよ。

>それでも授戒文は末寺によって違っていた。そのため昭和四十一年二月九日付の「院達」(下段に添付)により制定されたの
>だった。

哀笑。どれだけ違っていた、というのか。本より、細部の違いなどを仰々(ぎょうぎょう)しく言う方が馬鹿なのである。
因みに、昭和四十一年以前、当方が常在寺に於いて御授戒の義に幾度も立ち会うたが、今に残る記憶に於いては、須らく
昭和四十一年の院達に示されたとおりの授戒文であった。

本より、これらの授戒文は、日蓮大聖人がお示しの本門戒体抄の一文、つまりは、

『今身より仏身に至るまで、爾前の妄語罪を捨て、法華寿量品の久遠元初の不妄語戒を持つや否や、持つと』

という文義から明示されたものであり、加えて当体義抄の一文である、

『然るに日蓮が一門は、正直に権教の邪法邪師の邪義を捨て、正直に正法正師の正義を信ずる故に、当体蓮華を証得して』

との文意から示されたものである。

つまり此等の御文こそ、法華本門に於ける『受持即持戒』の大義を示すものであり、戒壇の大御本尊を受持する義に於いて、
其の誓願を立てる義文となるものである。仍って曰く『頭に南無妙法蓮華経を頂戴し奉る時名字即なり』と。

尚、其の誓願たる儀式に於いて、其の儀相の過不足が整足されていくは、至極当然の事であり、其の整足後に於いて
其れを厳守し往く事こそが、当に其の整足の意義を示す事となるものである。

爾して其の整足が、在家信徒の増加によって為されたとなれば、其れこそ、在家信徒からして感謝すべき事であり、
其れを「我々の働きだ」などと増長するは、是れ全く本門戒の奥義を知らぬ阿呆の痴弁である、という事を、
現創価及び、オマエら外れ創価のイタチ連中などは、能く能く識るべきなのである。

因みに、日寛上人は在家信徒に対して授戒の義を示されている。つまり、是れこそ、創価の結成より200年以上も前から、
富士大石寺に於いては、在家信徒に対する御授戒の儀が存在していた、という証拠である。

さればフェイクよ、記事は嘘、詐(いつわ)りなく正直に正確に書く様にしなさい。よいか、これが宗教者として情報を
発する側の責務であり責任であり、所属会員をして正確に知らしめる基本姿勢なのである。オマエらは其れが成っていない。

哀。

よいか。今一度言うぞ。

先ずは第一、其の成っていない基本姿勢を早急に矯正しなさい。さもなければ、オマエらの其のデフォルメ根性は、
決して治る事はないだろう。本より、其れらを本分にして悪口雑言を目的としている、と云うのであれば、其れこそが
オマエらの正体となるのである。

尚、戒名と葬儀に対するオマエらの戯れ言については、当方が相当以前に於いて破折しておるから、其の全文を別頁に
転記する故、オマエら莫迦フェイクの連中は、其れを能く能く拝読して、其の腐った根性に叩き込みなさい。

宜しいか。
 

ああ、邪教人 其の七十二

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 2月14日(水)20時59分2秒 i223-217-32-165.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  さて、久々の投稿なれば、早速に始めよう。

>もちろん(日蓮大聖人の)内証は末法の御本仏であり、下用(ママ)は上行菩薩の再誕でありますが、
>あえてご謙遜の表現をされているのですから、「使」は省略せずに訳すべきと思います。

哀笑。おいおい、其の解釈こそは我が富士門宗家の法義だよ。今更盗むものではない。小鼻笑。
いや、其れよりも何よりも、お主らが拝んでいる本尊は一大秘法ではないのであろう。哀哀笑。
つまり、そーゆー教義からすれば、日蓮大聖人の御当體も本尊とは成り得ない、という事になる。

して、お主ら創価は言う。

「一大秘法とは御本尊の事ではなく、妙法蓮華経の五字の事だ」と。呆笑。

ならば、此の日興上人の御教示を何とする!

曰く『唯御書の意に任せて妙法蓮華経の五字を以て本尊と為すべし、則ち自筆の本尊なり』と。

されば「即ち」とは如何なる意であるか。原田創価は其れに答えよ!

まさか、創価の本尊は自筆の本尊に非ずして形木の本尊であるから、一大秘法ではない、と言うのでは
あるまいな。小鼻笑。あまりふざけた事を言うものではないぞ。

爾して曰く『此の本尊の依文とは如来秘密神通之力の文なり。戒定慧の三学、寿量品の事の三大秘法是なり』と。

よいか。此の御文こそ、当に御本尊こそが三大秘法を束ねる文証となるものである。

仍って曰く『本尊とは法華経の行者の一身の当体なり』と。

さても、日蓮大聖人の御当體たる御本尊を一大秘法とせず、題目の五字を以って一大秘法と為すは、
是れ全く、人法体一の法義を知らぬ、無知蒙昧の稚義であり、又、其れを承知で改変したとなれば、
当に其れこそが、現創価の正体と成るのである!

そんな創価の主任副会長が云く「過去との整合性など、どうでもいい。自語相違と批判されてもかまわない。
完全に独立した教団として出発するんだから。結論は決まっているんだ。教義なんて、それを後付けすればいいんだ!」

鼻笑。応に『莫迦』とは此の事か。呆笑。

とまれ、オマエら創価の教義は破綻しておる。哀哀笑。

何々…。

>大阪大会のVOD、「大御本尊」の「大」が音声削除。

とな。

呆笑。おいおい、其れホントーかい。小笑。

出所した池田センセーが力弁して云く、

『すべての事は、全部、大御本尊様が見通しであると、私は信ずるものであります!!』と。

呆哀。ほんなら、是れはウソかいな。いやいや、其れこそは間違っていた、という事か。呆笑。

ならば、しっかと総括せぃ! 戸田先生及び池田センセーの過去の指導は、現在の教義からして間違っていたと!

ったく、お前らは、何故に其れをやらんのか!

>セルビアモンテネグロの支部長を解任されたマサル・カタノ、金と女性問題で学会寺院を追放になり、
>保田妙本寺の能化に収まった宮川雄法、職員解雇、学会除名になった波田地克利が一緒になって、
>セルビアで保田妙本寺の本尊授与を始めている。

哀哀笑。おいおい、其れもホントかい。小鼻笑。

しかしなんだナ。

彼の改革同盟の宮川が創価追放となり、今では保田妙本寺の能化となり果てて「日護」などと名乗っておる。哀笑。
されば、キンパラもイタチもペイトウもシンメイも除名となり、最早、これら事務方の異端児などは、現創価から
して不要物となったのであろうが、そんな溢(あぶ)れた不良連中が、掲示板などを開設して、

『法華講員の諸氏、日蓮正宗 宗規第二条を証明しよう!』などと莫迦な事を言っておる。哀哀笑。

だから言っているだろう。

相手のケツの臭いを嗅ぐ前に、オマエらの其の腐ったケツの臭いを先ずは嗅いでみなさいと! 呆哀。

よいか。能書きを垂れるのは、其れからの事である!

>3.11の会合、青年部の結集が厳しいので、(つまり、数が集まらない)ので、壮年部婦人部に参加するよう要請が
>出ています。みなさんの地域も同じですか?

鼻笑。同(おんな)じだよ。こちらでは火の用心のメンバーも、男子部が集まらず、今では壮年部が中心になってやってるよ。
ったく、こんな寒い夜に、壮年部(といっても六十過ぎの後期壮年部員たち)に火の用心をさせるとは、いやはや、男子部も
地に堕ちたものよのォ。呆哀哀。

因みに当方が男子部の時などは、一本部に五千名の男子部員が所属していたが、其の時の火の用心のメンバーなどは、
あまりに応募者が多くて、各支部から抽選で選んだものである。

呆哀哀。さてもあれから数十年。情けないよのぉ、現創価よ。鼻笑。

さもありなん。

道を外し、自前の本尊を拵(こしら)え、遂には一大秘法義に手をかける、其の邪心謗法の成れの果てよ。呆哀哀。

新興外道の創価学会。

果たして、後50年もすれば、お前らは一体何を拝んでいるのやら……。哀笑。

言ってやろうか。

間違いなく、金ピカの池田センセー像を拝んでいるだろう。しかも、其の時の会長が書いた曼荼羅をバックにして…。
哀笑。加えて本仏は、お釈迦様に成っておろうか。いや、もしかすれば、上行菩薩が本仏になっているやも知れん。

鼻笑。まぁ、其れなら少しは救われようて。小鼻笑。

>今月の地区協議会。わが地区は女子部は壊滅。男子部は地区リーダー不在。男子部部長のみがフル回転。

哀笑。はてさて、地区リーダーが居ない部とは、一体如何なる部であるのか。
哀笑。単に其れこそは部内の一地区リーダーが不在という事ではないのか。
されば、女子部は壊滅、男子部は地区リーダー不在などという表現は、当に彼の地涌・フェイクの物言いと同類では
ないのか。呆笑。物事は正確にデフォルメなく伝えなくては、まことの正義とは成らんぞ! そうであろうが宿坊よ!

>北朝鮮を殺人鬼国家と決め付けて、キム委員長の実妹の訪韓の意義を否定して、北朝鮮への不信感と敵愾心を
>煽りたてる内容!いまどき、こんな扇情的な文章、産経新聞でも載せないよぅ。

なんだ。北朝鮮は殺人鬼国家ではないのか。
なんだ。公開処刑で大砲を用い、囚人の肉腹にどデカい穴を開けるのは、殺人国家の習わしではないのか。
なんだ。オマエは、そういう国家を擁護するのか。
なんだ。オマエは、彼のミサイル小僧の妹が、南朝鮮に入国して笑顔を振りまいている心底が読み取れんのか。
なんだ。オマエは『調略』という初歩の初歩たる外交戦略さえ読めない馬鹿であるのか。

さても、そういうならず者国家の調略にまんまと乗って、ぴょんちゃん五輪を、びょんやん五輪にしてしまった
彼の南朝鮮の大統領こそは、まこと、凡庸にして鈍感な指導者と言って差し支えあるまい。
否、百歩譲って評するならば、我が国の社民党の其れと同じくする、当に親北追従の売国の主と成るのではないか。

本より、そういう性根に付け込んで、核保有を既成の戦力として是認させ、将来の経済に於ても協力を再び引き出して、
其れこそ、金一族の権力を維持せんとするが、此の度の五輪に託(かこつ)けた北朝鮮の目論みである事は最早明白なの
である。然るに其れを見抜かず、否、其の目論みから目を逸らして北を接待する南朝鮮こそ、我が国を首(はじめ)とする
諸外国の北鮮包囲網に水を差す、当に無頓着にして忘恩なる愚行であると此に呵責するものである。

鼻笑。まぁ、其れとて、ある程度予測していた事ではあるが、あまり我が国に対して無礼を働いておると、そのうち
痛い目に会うやも知れんぞ。ったく、そんな無頓着な事をやっていて、我が国の気象衛星を借りて天気予報などするでない!

おっと! 又しても脱線してしまったわい。汗笑。

まぁ、久しぶりの投稿であるから、少しは許して戴こう。

今日も今日とて邪教人!

邪教人への呵責はこれからも続く。
 

御報告

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 2月13日(火)23時03分49秒 i223-217-32-165.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  【投稿者・閲覧者各位】

本日今、帰宅致しました。(一週間ほど早めの帰宅となりました)

では、早速、当室の管理に当たります。

尚、当月末より再び不在となる予定。

詳細については、不在前日に提示します。
 

急告

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 1月28日(日)20時47分44秒 i223-217-144-156.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  【投稿者・閲覧者各位】

毎々の御投稿、御閲覧を頂戴し、誠に有難う御座います。

誠に申し訳ない事でありますが、今月三十一日より、来月中旬以降まで、仕事の都合で不在となります。
従いまして、其の間に於いては、投稿文は掲載されませんので、予め御了承下さい。
尚、其の間の投稿文に付きましては、帰宅次第、速やかに掲載致します。
 

管理人様

 投稿者:如水  投稿日:2018年 1月26日(金)09時39分12秒 sp49-104-7-154.msf.spmode.ne.jp
返信・引用
  おはようございます。

御寛恕賜りありがとうございます。

それにしても、「詰問に答えなかったのは、その詰問がねつ造されていたからだ」なんて言ってるんですか?

普通は「捏造」された「詰問」というなら、「詰問」に答える側が、されてもいない「詰問」をでっち上げて、そのでっち上げ「詰問」に勝手に答えるような場合のでっち上げ「詰問」を指すものだと思います。

すなわち、「詰問」された側がその「詰問」を「捏造」と主張するのは無理、というか、関西風に申し上げると

「アホちゃぅん?」。

まあ、与えて申し上げれば「誤解」というワードを使うと、まだしもですね。

それにしても「ねつ造」というワードは、「事実の提示」とセットで使わないと、単なる悪口であり、それこそが捏造そのものになると思うものです。

思えば、わからないことや知らないことを指して、嘘だ、デマだ、デタラメだなどと決めつけることは、まさしく捏造であると思います。

事実は「わからない」「知らない」ということでしかないからです。

しかし、「わからない」も「知らない」も「信じられない」も言えずに、嘘だ、デマだ、デタラメだと捏造の悪口雑言罵詈讒謗に血道をあげる不信謗法の徒のいかに多いことか。

経に「毒気深入失本心」とある、姿そのものですね。
 

如水殿

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 1月25日(木)19時04分14秒 i223-217-144-156.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  >愚人さんが追放されたことを認識せずに返信投稿してしまいました。
>ルール違反をお詫び申し上げます。

いえいえ、お気になさらずに。

追放者の残文を、其の儘、掲載していた当方の責であります。

尚、追放者の投稿文を其の儘にしているのは、須らく、当室から追放されるまでの経緯を
投稿者・閲覧者に再確認して頂く為のものであり、決して、消し忘れの類ではありません。

>ルール違反、打たれても打ち返さず逃げ回り、離れた場所で「俺は逃げてない!相手が逃げた!」。
>笑いをとらなくてもいいのに。

御意。

抑も、彼の者は、其の所属する宗派教団の教義本尊に従わず、返って其れを疑難し、しかも、
同じ組織に身を置く者に対して、其の疑難の矛先を向けるなどは、応に身中の蝗蟲にして、
其の脳髄の仕組みこそは、応に鵺(ぬえ)キマイラの其れである、と此に責断するものであります。

而して、そういう者を当室に招いた当室管理人の責も、当然此に在るのであり、今後は、
富士大石寺の本尊教義に疑難中傷する法華講員に対しては、例え、其れが正規URLで
あろうとも、無信仰者・無宗教者の類として、其れらの投稿を一切受け付けないよう、
此に改めて当室の規則どおりに実行して参りたいと思うものであります。

して眺めれば、相も変わらず、キマイラ蟲が、追放遮断の腹いせに、後付けの文句をベタベタと
貼り付けておりますが、今にして、詰問に答えなかったのは、その詰問がねつ造されていたからだ、などと、呆笑。

鼻笑。いやはや、地団駄もここまで来ると底が抜けてしまうのか。哀笑。

詰問がねつ造されていたから、答えなかった…。(そんなら、全部! 全部! と言わずに、最初からそう言いなさい)

呆哀哀。兎にも角にも、可哀想な法華講員であります。(もう、相手などはしません)

尚、如水殿に於かれては、当室の掲載事情について御理解を賜り、感謝致します。

当面、此の掲載モードで参りますので、宜しくお願い致します。
 

卑怯者の手口

 投稿者:如水  投稿日:2018年 1月24日(水)20時55分7秒 sp49-106-204-134.msf.spmode.ne.jp
返信・引用
  負けそうになると、ルール違反、打たれても打ち返さず逃げ回り、離れた場所で「俺は逃げてない!相手が逃げた!」。

笑いをとらなくてもいいのに。
 

管理人様

 投稿者:如水  投稿日:2018年 1月24日(水)20時40分47秒 sp49-106-204-134.msf.spmode.ne.jp
返信・引用
  申し訳ありません。

愚人さんが追放されたことを認識せずに返信投稿してしまいました。

ルール違反をお詫び申し上げます。


それにしても、かの信州のちょん髷高齢者と同じような思想、振る舞いの人でしたね。

大聖人様の御在世さえ、不信の穴に多くの弟子檀那が落ち込んだのですから、いわんや今をや、ですね。

彼は私が「後悔する」、と言ったことを「病に苦しむ」と思い込んだようですが、バカだなあ、と。

仏様の大慈悲をなめきってますね。

必ず正しい信心に戻してくださるんだから、そのときに、「うわ!俺アホやん!むっちゃ遠回りしたわ!」って、

毒気深入失本心やから、そら、わかりませんわなあ。
 

愚人さん

 投稿者:如水  投稿日:2018年 1月24日(水)20時02分31秒 sp49-106-204-134.msf.spmode.ne.jp
返信・引用
  愚人さんへのお返事です。

>  生まれて半年後に受戒を受けた赤ちゃんに、信がありますか?。

あなたは生まれて半年後に御授戒をお受けになったということですね。

うちの三人の子供たちも同じです。

みんな御授戒をお受けしたときのことは覚えていません。

あなたもそうでしょう。

ならば「信なくして」御授戒をお受けしたなどということは言えません。

「御授戒をお受けしたときに信があったかどうかは【覚えていません】」というべきです。

ちなみに、物心つかない赤子が御授戒をお受けすれば、その赤子自身が御本尊様に一生成仏を願い、法華本門の正法正師の正義をたもち奉り、法華本門の本尊と戒壇と題目をたもち奉り、法華本門の不妄語戒をたもち奉るとお誓い申し上げたと見えます。

そのときの我が子の尊き姿は忘れられません。


ですから、あなたは、覚えていないだけ。でもちゃんと誓ったんですよ。

ちゃんと信心したら、思い出す、記憶?じゃなく、確信、として。

まずは、お寺に参詣して唱題しましょう。

行動、あるのみ!

しょーもない言葉遊びなんて、時間のムダ!

スポ根の「身体でわかる!」じゃないけど、身口意の三業で、戒壇の御本尊様にお題目を唱えていきましょう。

御授戒を受けた尊き御身なのですから、そうすれば間に合います。



>  日蓮聖人の晩年は病に苦しんだ事は理解しているのですね。
>  日蓮聖人には病に苦しむという何かしらの業因が、過去世にあったということです。
>  私にもそのような業因を過去で作っていれば、私も日蓮聖人と同じように、苦しむことになります。それが、業因業果というものです。

はい、大間違い!
近代合理思想と共産主義者のでたらめな教育の成果、というか、早く洗脳から脱出してください。
あなたの「平等」思想は、仏様の「平等」とは同名ながら全く異物です。

言語道断。

信のみがあなたの迷妄を開いてくれます。

頑張ってください。
 

管理人様

 投稿者:如水  投稿日:2018年 1月24日(水)18時23分33秒 sp49-106-204-134.msf.spmode.ne.jp
返信・引用
  管理人さんへのお返事です。


よくわかります。

管理人様の文を拝見すると、まさに「罪を憎みて人を憎まず」、謗法呵責の慈悲に満ちていて、信行の果報はこれかと感服してしまいます。

「確認後掲載」は読むのも書くのもゆっくりの私ですから、かえって都合がよく、有り難く思います。

今後ともよろしくお願いいたします。
 

遁逃愚人へ

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 1月22日(月)16時33分59秒 i223-217-144-156.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  今更、他板にて能書き垂れても詮無き事であるぞ。

其れこそが、悪足掻きと云うものである。

抑も、此の様な仕儀(論敗追放者・愚人)に成ったのは、オマエ自身が当方の詰問から逃げた事による。

さても、自分が蒔いた汚種を、当方のせいにして文句するとは、ったく、オマエという奴は、性根が腐って
おるよな。呆哀。

よいか。オマエが覚悟を決めて、彼の四項の詰問に答えておれば、貴様との対論は続いたのである。
よいか。其れを止めたはお主である! 人のせいにするでない!

ったく、最初下種の意も識らず、名異體同の意も識らず、霊山の意さえも識らず。哀笑。

されば、そんなオマエを懲らしめようと、愈々(いよいよ)以って、汚堀の埋め立てに入らんとし、彼の詰問を
其の序としてお主に課したのである。

しかしオマエは、其の詰問に答えようともせず「全部~! 全部~!」と其の身を捩(よじ)って駄駄を捏ねておる
から、当方はそんなオマエを「論敗者・駄駄愚人」として追放したのである。

よいか、当方は須らく順告を以って対処して来たのである。

愚人よ。今更騒ぐものではない。


>投稿が直ぐに掲載される此の板に来て投稿したまえ。


阿呆! 詰問に窮したオマエを追放した当人が、何で追放されたオマエの要求に従って論じ合うと云うか!

呆呆哀。ったく、オマエという奴は、ほんと、道理の解らぬ奴であるよな。

お主、まこと此の娑婆世界で人生道の勉強をしておるのか!?

哀。しかしなんだ。『曾谷入道殿許御書』の解釈には、思わずプッと堪笑してしまうが、文上読みの文義識らず、
とは、応にオマエの事を指して言うものである。小笑。

何? 一体其れの何処(どこ)が違うのか、だと?

オマエには教えてやらんよ。

本より、其の過程を拒否したのは、他ならぬオマエ、である。

猶云うが「願」と「求」は【同類語】ではあるが、狭義に於いて【同義語】ではない。

林檎・蜜柑は果物ではあるが、林檎と蜜柑は別物である。

呆笑。

されば、釈迦如来曼荼羅を拝む法華講員。

其の頭破滅裂の醜態にして、興門正統の大義に唾する自虐自慢の破鏡獣。

そんなオマエに、他人を教する資格など、一寸たりとも有るものではない。

以後は、其の狂態を慎むべし!

(尚、本来は、追放者の言い訳に対して、一々論ずる事などしないが、お主が法華講員だという事を考慮して、
此に敢えて呵責文を投じたものである)

以上である。
 

愚人へ

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 1月21日(日)16時44分11秒 i223-217-144-156.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  対論最終の段階に向け、当室管理人が其の論詰する対象項目を列挙し、其の一つ一つを城郭の堀に見立て、
『堀は一つづ埋めるに限る』と言っているにも拘らず「全部の埋め立てをお願いします」などと言い張り、
其の第一段階となる当方からの詰問4項を此に拒絶するは、是れ全く遁逃の態である!

本より、お主が一番恐れておるのは、一つ一つの言論に対して論詰される事であり、其の己義破綻を追及
される事にある。だからこそオマエは、当室管理人による「堀埋め」発言を逆手に取って「全部を埋めろ」
「全部! 全部!」と言い張るのである。呆哀。

本より、対論に於ける邪義破折の要点は、相互に於ける論文のやり取りに非ず、其れこそは、一疑一答による
やり取りこそが、最も有効にして最適である事は、誰もが識(し)る処である。
仍って、当室管理人は、其の対する論点を此に列挙し、其の一々の項目に順じて、4項の詰問を提示したのである。


>まさかの敵前逃亡などしませんよね。

だから、其れはオマエなのである。

>管理人さんの願いに応じて此の閑古鳥板に投稿したのですから、私の要求に答えて全ての堀を埋め立てて下さいよ。

呆怒。何を云う。お主が当室掲示板に投稿せず、当方に対してメールばかり送っておるから、次回からは存念も含めて
掲示板に投稿願えないか、と言ったまでである。果たして其れの何処(どこ)が「要求」となるのか。さてもお主こそは、
「願」と「求」の字意さえ理解出来ない阿呆であるのか。

「管理人さんの願いに応じて投稿したのですから、私の要求に答えて全ての堀を埋め立てて下さいよ」

呆哀。いやはや、是れ以上の遁辞が他に在ろうか。哀笑。


さて。お主は当室管理人からの再三なる諫告にも応じず、遁辞駄弁を繰り返し、其の論窮の態を此に示した。
仍って当室は、日蓮正宗法華講の一員と称する「愚人」なる者を、邪義確定の論敗者と結し、当対論を此に
差し止め、以後、此の者を当室から追放し、以って、其の投稿を此に遮断するものである。

尚、論敗者の常として、其の言い訳などを他板に縷々投稿し、負け惜しみの態をそこに晒すのであるが、
最早、其れこそが野干の遠吠えであり、其の恥態こそを、自らして能く能く知るべきである。

御金言に曰く『法門は全く御弟子にあらず。而れども円頓の戒計りは、又御弟子ににたり。蝙蝠鳥のごとし。
鳥にもあらず、ねずみにもあらず、梟鳥禽(きょうちょうきん)・破鏡獣(はけいじゅう)のごとし』と。

されば『愚人』なる者、応に「鳥にも非ず、鼠にも非ず」の蝙蝠人であった。

釈迦如来を拝む法華講員。

最早、脳髄が吹っ飛んでおる。哀。
 

管理人さん

 投稿者:愚人  投稿日:2018年 1月21日(日)08時29分50秒 softbank126074092129.bbtec.net
返信・引用
   まさかの敵前逃亡などしませんよね。

 こちらは管理人さんの願いに応じて此の閑古鳥板に投稿したのですから、私の要求に答えて全ての堀を埋め立てて下さいよ。

 もしかして、埋め立て能力が無いのですか?。
 

管理人さん

 投稿者:愚人  投稿日:2018年 1月20日(土)18時37分28秒 softbank126074092129.bbtec.net
返信・引用
   江戸に退散ですか?。  

愚人へ

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 1月20日(土)17時59分50秒 i223-217-144-156.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  時間を割いて観てみれば、又しても「埋め立て作業が全部終了するのを待ってます」などと言っておる。呆呆哀。

当方はお主に言ったよな。

『次回も同じ様に、早く全部埋めて下さい。などと駄駄を捏ねるならば、其れこそは論窮が故の遁逃弁と
見なすから、其のつもりでいなさい。よろしいか』と。

…呆呆哀。

よいか。今一度言うぞ。

当方は、一つづつ、と言ったのである。張られた堀を外堀から一つづつ埋めて往く、と言ったのである。

さても、お主は「字読」が出来んのか。

よいか。あれもこれもは、見えにくくなるから、一つづつ進めて参ろうと、初手から申しているのである。

其れを『全部埋めてからにして下さい』などと駄駄を重ねおって!

なんだ。当方の鳴子外しの埋立法では論陣が張れぬと申すのか。哀笑。

て言うか、(焦らなくても良いので)とは御前(オメ―)の言葉だよ! 呆怒。

ったく、今更にして何を言う。呆。

>家康の大阪城の堀の埋め立てはソンな生易しいものではありませんよ
>夏の陣に関する書籍は沢山出版されているので、一冊くらい読んでみて下さい。

おいおい、誰にモノを申しておるのだ?
愚人の癖して生意気な事を言うものではない。
本より、愚人の癖とは、当室からして不信違背者に対する責称である!

尚言うが、大阪城攻めと、オマエに対する責めとでは、比較にならぬ程、オマエの方が容易(たやす)い。

しかしだ。其の容易さも、お主の其の繰り返す駄駄によって、作業が進まん。

呆哀。なんだ「埋め立てはソンな生易しいものではありませんよ」とは、そーゆー意味であったのか。鼻笑。

一つづつ埋めて往く、と申せば、いや、全部埋めてからにしてくれ。と。

呆怒。

よいか! これは破折論文のやり取りではない! 是れこそはお主の我見狂義に対する呵責応答である!
爾して、其の狂義に対して一つづつ付随の質問を重ね往き、お主の矛盾点を炙り出し、其の己義私見たる
罪言を責断する事こそが、今にして行う埋立て作業なのである!

よいか。一つづつ行って往けば、いずれ其れが全部と成って往くのである。

だからこそ言う。

本より、此の作業に於いて、当初の論点から些(いささ)かも逸れる事無く、一途、核心の論点に向かって
進むものである。爾して其れこそは、お主が外堀に張っている『鳴子』を取り外す作業から始めるものであると。

よいか。何度も同(おんな)じ事を書かせるものではない。

其れとも何か。一つづつ化けの皮が剥がされて往くのが、そんなに怖いか。

最早、聞く耳は持たんぞ。

よいか! これが最後である。

してもし次回、「全部の埋めてを待ってます」などと同じ駄言を繰り返したならば、其れこそは論窮が故の遁逃弁と
見なし、当対論を此に差し止め、お主の論敗を此に決する。(本より『論敗』とは、邪義確定の意をして云うものである)

無論、其の決後による不平不満、及び小細工弁(負け惜しみの答弁)なども一切受け付けない。

尚、当室に於いて論敗した者は、当室から追放(投稿遮断)されるが通例となっておるから、其のつもりで居りなさい。

以上である。
 

訂正

 投稿者:愚人  投稿日:2018年 1月18日(木)19時29分9秒 softbank126074070204.bbtec.net
返信・引用
   シロではなくサカです。  

如水さん

 投稿者:愚人  投稿日:2018年 1月18日(木)19時21分29秒 softbank126074070204.bbtec.net
返信・引用
   生まれて半年後に受戒を受けた赤ちゃんに、信がありますか?。

 日蓮聖人の晩年は病に苦しんだ事は理解しているのですね。

 日蓮聖人には病に苦しむという何かしらの業因が、過去世にあったということです。



 私にもそのような業因を過去で作っていれば、私も日蓮聖人と同じように、苦しむことになります。それが、業因業果というものです。

 しかし私は、そこに仏神の不思議な癒しの有ることを信じています。

 
 

管理人さん

 投稿者:愚人  投稿日:2018年 1月18日(木)19時09分51秒 softbank126074070204.bbtec.net
返信・引用
   管理人さんの埋め立て作業が全部終わるのを待ってます。

 家康の大阪城の堀の埋め立てはソンな生易しいものではありませんよ。

 大坂(当時はこのシロです)城夏の陣に関する書籍は沢山出版されているので、一冊くらい読んでみて下さい。

 

愚人へ

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 1月18日(木)18時05分38秒 i223-218-151-119.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  >早く、全部の埋め立てをお願いします。

呆哀。お主の目は節穴か。

堀の埋め立ては全部ではない。

一つづつ埋めて往くのである。

そして、其の一つ一つの埋め立て作業が、お主が今まで断言して来た言魂の検証であり、確認であり、
又、その為の問いなのである。決して、詰論の主意から外れるものではない。

よろしいか。堀は、外堀から埋めるのである。

ったく、御三家の名を挙げて、其の名代の権威を例としたお主ならば、城攻めの手法など心得ておろうが。

だから言っているだろう。お主は彼の「秀頼」であると。哀。

よいか。今一度言う。

堀は一つづつ埋めて往くのである。

尚、『私の返答は、管理人さんの埋め立ての後です』などと言っておるが、当方がいつ、全部いっぺんに
埋めると申したか。よいか。当方は埋め立作業の分類を挙げたのである。よいか。全部いっぺん、ではない。
ったく、そんな事をしたら、堀埋作業が広範囲となり、お主の急所に対する攻撃が緩慢に成るであろう。
よいか。一つづつ進め、其の一つづつに関して付随の質問を重ね、お主の矛盾点を炙り出し、其の己義私見の
罪言を責断して往くのである。(そんな事、当たり前だろう)

では再詰する。

よいか。これはお主が外堀に張っている『鳴子』を取り外す作業である。

されば、心して答えなさい。




>私は、初信の位なのですか?。だとしたら六即でいえば名字即ですね。

お主は「初信の位だとしたら、其れは名字即ですね」と言ったであろう。
して、お主は、私も日蓮聖人も仏であるが、そこには六即からの次第がある、と言った。
ならば、お主と大聖人との「六即の次第」を此に申せ。




而してお主は、日蓮聖人と弟子檀那は、名字即以上の仏になるという。
されば問う。理即に対する名字即以上の仏とは一体何か。答えよ。




加えて、名字凡夫の釈迦如来と、名字即以上の日蓮大聖人と、一体どちらが、六即からして上なのか。
爾して、お主の名字即と日蓮大聖人の名字即と、一体何が違うのだ。




尚、日蓮大聖人はこう仰せらる。
『釈尊久遠名字即の位を、末法今時の日蓮が名字即の身に移せり』と。
して、その「身に移せり」とは「順じて」の意であるという。
ならば、釈尊久遠名字即に「順じた」日蓮大聖人が、何故に名字即以上の
仏と成り得るか。お主は其れを申せ。

以上である。

尚、次回も同じ様に、早く全部埋めて下さい。などと駄駄を捏ねるならば、其れこそは論窮が故の遁逃弁と
見なすから、其のつもりでいなさい。

よろしいか。
 

如水殿

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 1月18日(木)17時22分28秒 i223-218-151-119.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  わざわざの御投稿、痛み入ります。

さても「愚人殿」から「愚人」へと呼び名が変わり、今では、お主、オマエ、と辛辣に呼称しておりますが、
其れも是れも、全て、彼の四条金吾が親鸞に対し「蚊だ! 虻だ! 蝦蟇法師だ!」と痛烈に呵弾した事に
ついて、其れは全て経文どおりであるから、別段、咎められるものではない」とする、日蓮大聖人の仰せに
従うものであり、決して私情私憤のものではありません。

如水殿の御洞察。流石(さすが)であります。

尚、当室は、御存じの如く、投稿仕様が「確認後掲載」となっておりますので、管理人が自宅に戻り、
パソコンを開いて当室を閲覧し、其の上の確認に於いて、ようやく掲載される仕組みになっておりますので、
御投稿に際しては、まことに御不便とは存じますが、これもアンチからの荒らし投稿防止の処置でありますので、
如水殿には何卒、御了解頂きますよう、お願い致します。
 

管理人様

 投稿者:如水  投稿日:2018年 1月17日(水)23時57分17秒 sp49-98-54-96.mse.spmode.ne.jp
返信・引用
  管理人さんへのお返事です。

これは投稿ではなく、管理人様への私信です。

管理人様のご投稿は難しいのですが、腹にストンと落ちてきます。

本当にありがとうございます。

愚人さんはかわいそうですね。

御戒壇様の御脇書きの真意など云々してどうなるのでしょう?

私は信心未熟ですので管理人様の様には慈悲深い言動はできませんので、不適切な投稿は管理人様のご判断で不掲載にしてください。
 

愚人さん

 投稿者:如水  投稿日:2018年 1月17日(水)23時29分3秒 sp49-98-54-96.mse.spmode.ne.jp
返信・引用
  >  ○これからもお願いします。

めったに来れませんがよろしくお願いします。

> > 戒壇の大御本尊は在家信者達が造立した
>
> 仏様はモノじゃない!
>
> ので、上記のもの言いは不信の言葉です。
>
>  ○在家が板本尊を造立しても、その板本尊には妙楽大師が「乃ち是一草・一木・一礫・一塵、各一仏性・各一因果あり縁了を具足す」と教示しているように、仏性が具わっているのです。

理屈はそうですね。
だから理即っていうんじゃないかな?
でも仏性とは仏になれる可能性であって、即仏様ではありません。
ごっちゃにしたらダメですよ。

> 私は、つい乱暴に扱ってしまいますが。

え?
まさか御本尊様を?


あなたね、邪宗門の徒でも自身の信仰の対象は大切にしますよ。

それではもはや信仰者ですらない。

ただのならず者じゃないですか?

>  ○初めから信なくして入っているので。

は?

どうして「信なくして」御授戒受けたんですか?

それってただの嘘つきじゃないですか?
だって御授戒のときに誓ったでしょう?
日蓮正宗の三宝を信じ、三大秘法を信じ、不妄語戒をたもつって!

人としていかがなもんでしょうか?


>  ○たぶん、苦しむということだとおもいますが、強盛な信心を貫き通した日蓮聖人は、晩年に手紙に署名を出来ないぐらい病に苦しむ衰弱してしまいました。日蓮聖人には、病に苦しんで衰弱するという何かしらの因縁があったのでしょう。私も苦しんで衰弱することがあれば、それは過去世からの因縁だと思って受け入れていくつもりです。

ああそうですか?

ご立派な覚悟ですね。

その言葉お忘れなきように。

私は申し上げるべきは申し上げました、

…と思います。

では(-_-)/~~~
 

管理人さん

 投稿者:愚人  投稿日:2018年 1月17日(水)18時44分18秒 softbank126074111116.bbtec.net
返信・引用
   早く、全部の埋め立てをお願いします。

 

愚人へ

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 1月17日(水)17時55分2秒 i223-218-151-119.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  >焦らなくても良いので、私を反論不能に陥らせる内容のものを期待しています
>前に同じ内容のものを投稿していましたね。
>同じ内容のものを二度送ってしまい、申し訳ないです。

鼻笑。焦っておるのは、お主の方ではないのか? 鼻笑。

重複投稿。今回のみではあるまいに。小鼻笑。

>早く、埋め立てて下さい。

鼻笑。だから、焦るではない。哀笑。

>私の返答は、管理人さんの埋め立ての後です。

よろしい。

では早速、埋め立てて往くが、抑も、お主は其の初手からして、講員として論示が破綻しておるから、
先ずは其の事を理解するように。とまれ、講中に於いて信無き者は、信有る者からして劣悪であるという事を
此に識(し)りなさい。

尚、お主は「それは当然、私に反論をする余地を与えない内容ですよね」などと逃げ釘を打っておるが、
お主のような屁理屈者が、素直に閉口屈服するとは思えんし、どのみち、あーでもない、こーでもない、と
小理屈を構えるのであろう。そしてお主は言う。「すみません。反論しっかりと出来てますが~(笑)」と。哀笑。

ったく、お主という奴は、其の性根から腐っておるよな。

反論する余地を与えない? 阿呆! 余地が無くとも、小理屈を並べ立てるが、お主の骨頂であろうが!

まぁよい。

兎にも角にも、一つづつ進めて参ろう。

あれもこれもは、見えにくくなる。

>私は、初信の位なのですか?。だとしたら六即でいえば名字即ですね。

お主は「初信の位だとしたら、其れは名字即ですね」と言ったであろう。

して、お主は、私も日蓮聖人も仏であるが、そこには六即からの次第がある、と言った。

ならば、お主と大聖人との「六即の次第」を此に申せ。

而してお主は、日蓮聖人と弟子檀那は、名字即以上の仏になるという。

されば問う。理即に対する名字即以上の仏とは一体何か。答えよ。

加えて、名字凡夫の釈迦如来と、名字即以上の日蓮大聖人と、一体どちらが、六即からして上なのか。

爾して、お主の名字即と日蓮大聖人の名字即と、一体何が違うのだ。

尚、日蓮大聖人はこう仰せらる。

『釈尊久遠名字即の位を、末法今時の日蓮が名字即の身に移せり』と。

して、その「身に移せり」とは「順じて」の意であるという。

ならば、釈尊久遠名字即に「順じた」日蓮大聖人が、何故に名字即以上の
仏と成り得るか。お主は其れを申せ。

尚、管理人の責務に於いて繰り返しの事となるが、本日は今より明日未明まで、
又、今週の金曜、土曜は特に繁多となり、投稿文の掲載が一両日出来ない場合もある由。
其の点、投稿者・閲覧者各位には予め御了承願いたい。
 

お詫び

 投稿者:愚人  投稿日:2018年 1月17日(水)05時05分47秒 softbank126074098235.bbtec.net
返信・引用
   ・前に同じ内容のものを投稿していましたね。

 ・同じ内容のものを二度送ってしまい、申し訳ないです。
 

管理人さん

 投稿者:愚人  投稿日:2018年 1月17日(水)05時03分47秒 softbank126074098235.bbtec.net
返信・引用
   ・全てを埋め尽くすものであることを期待していますよ。

 ・それは当然、私に反論をする余地を与えない内容ですよね。楽しみに待ってます。

 ・焦らなくても良いので、私を反論不能に陥らせる内容のものを期待しています。
 

管理人さん

 投稿者:愚人  投稿日:2018年 1月16日(火)18時57分4秒 softbank126074098235.bbtec.net
返信・引用
   管理人さんの埋め立てを待ってます。

 早く、埋め立てて下さい。

 私の返答は、管理人さんの埋め立ての後です。

 内容のある埋め立てをお願いします。

 
 

愚人へ

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 1月16日(火)18時38分57秒 i223-218-151-119.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用 編集済
  はて観れば、返答が無いようであるが、別に焦る事はない。

此の度の対論に於いて、別に毎日投稿せよ、と決めているものではない。

そーこーしている内に、当方の仕事も週末に近づいて忙しくなりそうである。

因みに本日は早朝に帰宅し、四時間程の睡眠を取って、又しても先方にて営業。

こういう日が週にランダムに現れて、其れこそ、飯も食わねばなら無しい、睡眠も取らにゃならないし、
其れこそは、勤行唱題もしっかりとせにゃならないし、最早、目ん玉がクルクル回って眩暈を起こす。

して、そんな忙(せわ)しない奴が、目の前にあるパソコンに電源を入れ、机の上に片肘を付きながら、
自身の掲示板に目を通す。

まぁ、そんな日々はである。鼻笑。

さて又、後二時間もすれば、本日も仕事となる。

今から風呂となれば、詳細なコメントも書けまい。

尚、今後の堀の埋め立て作業は、以下の文言が対象となる。


・曼荼羅本尊は釈迦如来の一身の当体。
・末法の凡夫僧は釈迦初来。
・末法凡身の釈迦如来は曼荼羅本尊の中に居る。
・凡夫僧の釈迦如来とは、本仏に即した凡夫僧。
・日蓮聖人は付嘱に順じて(曼荼羅本尊)書き顕しただけ。
・一切衆生は妙法蓮華経にして仏であるから日蓮聖人も私も仏。(違いは六即の位)
・釈迦如来から順じて付属された曼荼羅本尊が釈迦如来の一身の当体。
・弥四郎国重法華講衆等は日蓮聖人に戒壇建立を願いでた。

追記。

>五百塵点劫の当初に即座開悟した釈迦如来が、根本の法華経の行者であることが理解でなければ駄目です。
>日蓮聖人の法門を理解することなど無理です。一度、大石寺の法門を棄ててみなさい。

鼻笑。五百塵点劫の当初に即座開悟した釈迦如来が、お主の云う、末法凡身の釈迦如来にして、其の当体こそが
曼荼羅御本尊であると。

哀笑。まぁよい。

さても、向門でもない、隆門でもない、陣門でもない、什門でもない、爾して、創価でもなければ、正信会でもない。
果たして、そんな自称法華講員が、法華講員の当方に対して「 一度、大石寺の法門を棄ててみなさい」などと言う。

呆哀哀。さてもお主はキマイラか。哀笑。

いやはや、大石寺の法門を棄てよ、という法華講員が、此の世に居ようとは。哀哀哀。

呆怒。

ならばお主こそ、法華講から脱講せよ!!

さても、お主のような腐り切った身中の蝗蟲が講中に寄生しているなど、虫唾を越して反吐(へど)が出るわい!

よいか! 講員に対して大石寺を棄てよ、とう豪語するならば、先ずはお主こそが講員をやめるべきである!

そうであろうが! ったく、道理の解らぬ奴め!

呆哀。世迷言もいい加減に致せよ。

尚、先にも申したが、当方は週末から忙しくなる。

仍って、投稿の掲載も遅れようが、其れについては、しっかと順次掲載し、論点の整足も含めて、
論比の成り往きを掲示して往きたい。又、是れこそが管理人の責務であると思う。
 

愚人へ

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 1月15日(月)19時32分8秒 i223-218-151-119.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  ・やっと、管理人さんから解放されるのですね。ランランラン♪。

>されば、お主の小理屈を此に責断し、腐れ講員による与太話を此に閉じよう。

 ・そうですね。もうそろそろ止めましょう。

>鼻笑。はて、此の意味、解ろうか。

 ・要するに面倒くさくなった。


阿呆。そーではない。鼻笑。

お主の小理屈を此に責断し、オマエの様な腐れ講員の与太話を閉じ込めよう、としているのである。

よいか。聞け。当方は、場当たりに論詰しているのではない。ましてや、矢鱈に同じ事を問うているものでもない。
其れこそは、オマエが張り巡らす其の邪見の堀を少しつづ埋め立て、遂には裸の小城と成って、赤恥を掻くよう論立て
しているのである。よいか。そういう論立てを同じ事にしか聞こえない、オマエの脳髄こそが腐っているのである。

・法華経も三大秘法も衆生の願いに応じてではなく、自らの意思で説いたのですよ。
・何回説明したら理解できるのですか?。

呆呆。だから、当方が何時「法華経は衆生の願いによって説かれたものだ」と申したのか。
お主こそ、同じ事を言わせるでない。

よいか。

当方が論詰しておるのは、

お主の、

・衆生が願ったのは仏様の出世であり、法華経を説いてもらうことではない。

に対してである。

仍って当方は、其のお主の言い分に対し、大御本尊建立の意義に宛てて、

『されば、衆生に此の機有って仏を感ずる、とは応に願主の意に通じ、仏(ほとけ)機を承けて而(しか)も応ず、
とは応に図顕造立に通ず』と述べ、爾して『造立如件 本門戒壇之願主弥四郎国重法華講衆等 敬白』とは、
応に是れこそ能所一体の敬白文なりと結論したのである。

よいか。衆生に此の機有って仏を感じ、仏(ほとけ)機を承けて而(しか)も応ず、とは、当に一大事因縁を示す
ものであり、当に因縁とは仏と衆生の相関をして云うのである。仍って、大御本尊の敬白文に於いては、
其の能(仏)と所(衆生)の一体義に於いて拝するが正見であり、「敬白」は一方的に弥四郎国重在家衆からの
ものと妄言してはならん、と言っているのである。

してお主は、其の都度に於いて

・『法華経』は衆生の願いに応じて説かれたお経ではなく、仏様が自らの意思で説かれたお経です。
・寿量品に彼の文があっても日蓮聖人が言われているように『法華経』は随自意のお経です。

などと述べて、法華経は随自意の経であるから、衆生の願いに応じて説かれたものではなく、
衆生の願いも又、法華経を説いて貰う事ではない、と言っておる。

して、加えてこうも言う。

・釈迦如来の出世の本懐である法華経は、衆生の機が熟したのを知るも、衆生の求めに応じて説かれた
・のではないのです。

と。

されば、『衆生の機が熟した』とは如何なる事か。さても『法華経を説いて貰う事ではない衆生』の、
何の機が熟したと言うのか。オマエは其れに答えなさい。

して、当方は、

・衆生が願ったのは仏の出世であり、法華経を説いて貰うことではない。

というお主の弁に対し、

『世尊、唯願わくは之を説き給へ』の「之」とは何か。と問うた。

つまり、其の主意こそは、願って法華経を説いて貰う事ではない、という衆生が、
如何なる「之」を説き給へ、と仏に願ったのか、という事である。

さても、願ったのは仏の出生であり、法華を説いて貰う事ではない、という衆生が
何故に願うのか。

さればお主は言う。

・(之とは)国語の読解力のテストならば、「誠諦之語」で正解ですよ。

加えてこうも言う。

・(誠諦之語とは)釈迦如来の寿命に関する説法です。と。

されば「誠諦之語」とは、其の奥義からして当に南無妙法蓮華経をして言うものであろうが。

さても、仏よ、南無妙法蓮華経を説き給へ、と。

実(げ)に是れこそ、衆生をして法華の教説を願う姿ではないか。

よいか。何度も言うように、衆生に此の機有って仏を感ずる、とは、当に衆生からして法華を受く機因が
そこには在る、という事であり、其の機因を受けて応ずる仏の姿こそが、当に能所一体に於ける出世の本意と
成るのである。されば、衆生を救う仏と、仏に救われる衆生とは、応に其の因果に於いて一体という事である。
爾して、説く所の「能」と、説かれる所の「所」とは、応に自他随を包含した、能所一体の質(すがた)と成る
のである。

然るに、お主は「随自意」の外相面に固執し、其の上っ面(うわっつら)の解釈を以って「法華経は随自意のお経」と
片言し、其の言い訳として御書の一文を以って理屈を捏ねておるが、お主が引用した日蓮大聖人の一文こそは、
信心修行に於ける法華の主導を述べたものであり、一方の文は、爾前迹門の随他意に対しての、本門の随自意たるを
述べたものである。つまりは教体に於ける対比を示したものである。

よいか。当方が論詰しておるのは、法華経は随自意の経であるから、衆生の願いに応じて説かれたものではなく、
衆生の願いも又、法華経を説いて貰う事ではない、と言う、お主の其の盲言に対して呵責しているのである。

曰く『今の法華経は自力も定めて自力にあらず、十界の一切衆生を具する自なる故に。我が身に本より自の仏界、
一切衆生の他の仏界我が身に具せり。されば今仏に成るに新仏にあらず。又他力も定めて他力に非ず、他仏も
我等凡夫の自ら具せる故に、又他仏が我等が如き自に現同するなり』と。【新編 97】

お主こそは今一度、随自意の何たるかを勉強しなさい。哀哀。

さて、今日はここ迄としよう。

されば、お主の云う「釈迦如来曼荼羅」については、其の後にする。

堀は一つづつ埋めるに限る。

ざればお主こそは、彼の秀頼と同である。哀哀哀。
 

管理人さん

 投稿者:愚人  投稿日:2018年 1月14日(日)20時16分52秒 softbank126074077093.bbtec.net
返信・引用
  五百塵点劫の当初に即座開悟した釈迦如来が、根本の法華経の行者であることが理解でなければ駄目です。日蓮聖人の法門を理解することなど無理です。一度、大石寺の法門を棄ててみなさい。  

管理人さん

 投稿者:愚人  投稿日:2018年 1月14日(日)20時00分52秒 softbank126074077093.bbtec.net
返信・引用
  呆哀。しかし、お主という奴は、まこと口減らずの小理屈男であるよな。呆。

ったく、一々の小返事は要らんと言っているだろう。

 ・管理人さんが、小返事を誘発するからですよ。

阿呆! お主の様な者に「日蓮」などと呼び捨てられる日蓮大聖人ではない、と申しているのである!

 ・私も管理人さんも同じ阿呆。同じ阿呆なら踊らなきゃソンソン♪♪

日蓮聖人はそんな事を気にはしません? 阿呆!! 気にしてないのはオマエだよ!

 ・私は、気にしていませんよ。ルンルン♪。

ったく、無神経な奴め。呆怒。

 ・無神経でないと管理人さんと対話できません。

して観れば、下らん事を愚駄愚駄と言い並べおって!

 ・面白かったでしょ?。

哀。まぁよい。そろそろ最後と成ろう。

 ・やっと、管理人さんから解放されるのですね。ランランラン♪。

されば、お主の小理屈を此に責断し、腐れ講員による与太話を此に閉じよう。

 ・そうですね。もうそろそろ止めましょう。

鼻笑。はて、此の意味、解ろうか。

 ・要するに面倒くさくなった。

其れにしても、お主という奴は、慇懃にして惚けた奴であるよな。

 ・毎度、お褒めを頂きありがとうございます。

呆怒。だから死んでるんだよ。講員として。哀哀哀。

 ・それじゃあ私は、幽霊?。だから幽霊G。

ったく、ふざけた奴め。

 ・だから、真面目ですって。

>>日蓮大聖人は仏には非ず、而して、其の非仏が図顕した曼荼羅を本意とする、とな。

阿呆! 日蓮大聖人は仏に非ず、とは、お主の愚弁を申しているのである。

してお主は、其の非仏が図顕した曼荼羅を本意とする、と言っておる。だから、愚人だ、と言っているのである。

ったく、お主の目ん玉は何処(どこ)に付いておるのか!

 ・額の下に付いています。

呆哀。末法の仏は凡夫身の釈迦如来だとお主は言う。だから、其の凡夫身の釈迦如来とは何かと問う。
すると其れは、色相の仏ではなく凡身の仏だという。阿呆! そんな事ぁ初手から成っておろう。
よいか。此の問いは、して其の凡夫身は何処(どこ)に居るのか、という詰問に係っているのである。
して、其の詰問に対して答えが無いではないか。されば問う。凡夫身の釈迦如来は何処に居るのか。

 ・漫荼羅本尊の中に居ます。

爾して、末法の凡身僧は、何処(いずこ)に居るのか。お主は其れに答えなさい。

 ・この凡夫僧とは本仏ですから漫茶羅本尊の中に居ます。

小笑。つまりは何だ。非仏と本仏の間に仏がある、という事かいな。小笑。

 ・これは私の表現のミスですね。免御。一切衆生は妙法蓮華経にして仏です。

ならば、日蓮大聖人は仏であるか! して、其の仏は、別してお主と同等であるか! 答えよ!

 ・一切衆生は妙法蓮華経にして仏ですので日蓮聖人も私も仏です。しかし六即の上からの次第はありましょう。

御義口伝に曰く!『如来とは釈尊、総じては十方三世の諸仏なり。別しては本地無作の三身なり。
今日蓮等の類の意は、如来とは一切衆生なり。別しては日蓮が弟子檀那なり。されば無作の三身とは
末法の法華経の行者なり』と!

 ・そうです。仏です。信心していない人は理即の仏。日蓮が弟子檀那等は、名字即以上の仏となりましょう。

されば、上義を別してば往けば「末法の法華経の行者」とは応に日蓮大聖人の御事と成るのであり、

 ・日蓮聖人と弟子檀那の間には、師弟の次第がありますから、その関係において、そのような表現も出きると思います。

さても、釈尊をして別すれば無作の三身と成り、実(げ)に其の無作三身の御当體こそ、日蓮大聖人と
成るのである。

 ・なりません。

尚、念の為に言って置くが、無作三身の法華経の行者とは、お主の事ではない。

 ・自分でも思っていないので、ご心配なく。

されば、末法の衆生に対して教主となるは、応に衆生からして仏となる意ではないか。

 ・一切衆生は妙法蓮華経にして仏ですからね。

されば、此の閻浮提に於いて、本未有善以外の衆生が居るとでもいうか。

 ・いるわけないでしょう。

爾して、其の『寿量品の教主』をして仏と為すに何の誤謬があろうか。
然るに、教主とは仏の異名であろうが。

 ・日蓮聖人は本仏からの付嘱を受けて本仏の名代として布教していますからね。御三家でも将軍の名代の者には平服しなければならないの、知ってました。

末法の衆生に対して法華の行者が教主と成り、其の教主をして衆生が成道するとは、
応に是れこそ機縁に於ける能所一体の態相であり「衆生が願うは仏の出生のみにて、法華経(妙法)を
説いて貰う事ではない」とするは、当に断片撞着(どうちゃく)の小論となるものである!

 ・法華経も三大秘法も衆生の願いに応じてではなく、自らの意思で説いたのですよ。何回説明したら理解できるのですか?。

されば曰く『法華経の意は能所一体なり』と。よいか、法華経の意(こころ)は、説く能と、受く所に
於いて一体なのである。されば曰く『古今能所不二にして法華の深意をあらわす』と。

 ・仏様が説いた法華経を信解した衆生は能所一体ですよ。『当体義抄』に書いてある通りです。

さても、日蓮大聖人が五百塵点劫の当初の衆生と末法の衆生に三大秘法を説かれた、とは
如何なる事か。而して、其の三大秘法は、釈迦如来が五百塵点劫に修行したものだ、と言っておるが、されば、
釈迦如来が五百塵点劫に修行した三大秘法を、日蓮大聖人が五百塵点劫の当初(そのかみ)に、其の当初の衆生と
末法の衆生に三大秘法を説いた、とは、如何なる文証を以って其(そ)を論じるか。其れを此に示せ。

 ・『三大秘法抄』『当体義抄』『総勘文抄』『曾谷殿許御返事』。文は今までの投稿にあります。

されば、釈迦如来から順じて付属された曼荼羅本尊が釈迦如来の一身の当体とは、何処(いずこ)の文に在るか。

 ・『観心本尊抄』

爾して「順じて」とは如何なる事か。

 ・「順」をググってみて下さい。

加えて、付属に順ずる曼荼羅が釈迦如来一身の当体とは如何なる事か。
其の文証を此に示せ。

 ・「観心本尊抄」のアノ文。

曰く『釈尊久遠名字即の位を、末法今時の日蓮が名字即の身に移せり』と。【新編 1684】

爾して「移す」とは「順ずる」意となるか。

されば、久遠釈尊の位を、日蓮大聖人が其の身に移し、曼荼羅御本尊を御図顕するに、其の曼荼羅の当体が
日蓮大聖人の御当體と成るは、当に理在絶言ではないか。


 ・日蓮聖人は釈迦如来の名代として漫茶羅本尊を顕した。その本尊は釈迦如来の当体。日蓮聖人は付嘱に順じて書き顕しただけ。

されば言う。

『釈尊ほどの仏を三業相応して一中劫が間ねんごろに供養し奉るよりも、末代悪世の世に法華経の行者を
供養せん功徳はすぐれたり』と。【新編 739】

さても、此の大聖人の法師品の一文に対する解釈からすれば、お主が言う処の釈迦如来の当体たる曼荼羅は、
一中劫の間、ねんごろに供養しようとも、法華経の行者への供養よりも劣る、という事になる。

 ・この文は法勝人劣の文。霊山の釈迦如来は末法の衆生には利益がない。末法の衆生に利益がある南無妙法蓮華経を釈迦如来から付嘱を受けた日蓮聖人。だからこその文。たからと言って、日蓮聖人は本仏ではない。日蓮聖人もそのことを弁えて本師釈迦如来としている。

果たして、末法法華経の行者よりも劣る釈迦如来曼荼羅とは、一体如何なる曼荼羅であるのか。

 ・管理人さんの誤解。

お主は其れを説明致せ。

 ・私の上の説明をよく読んで下さい。

尚、今よりは留守となる。

 ・留守番しましょうか?。

したがって、残りの痴文に対しては、後日の呵責となる。

 ・痴文なんて、照れるなあ。ポリポリ。

尚、此に重ねて言う。
こーゆー言い方はやめよ!

 ・彼の人の表現です。

腐っても法華講員ならば、少しは恥を識(し)りなさい!

 ・お互いに知りましょう。
 

愚人へ

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 1月14日(日)18時15分59秒 i223-218-151-119.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  呆哀。しかし、お主という奴は、まこと口減らずの小理屈男であるよな。呆。

ったく、一々の小返事は要らんと言っているだろう。

>・差別面から言えば、其の通りです。

ならば「日蓮」などと呼び捨てにするものでない!

>・日蓮聖人は、そんな事を気にはしません。

阿呆! お主の様な者に「日蓮」などと呼び捨てられる日蓮大聖人ではない、と申しているのである!

日蓮聖人はそんな事を気にはしません? 阿呆!! 気にしてないのはオマエだよ!

ったく、無神経な奴め。呆怒。

して観れば、下らん事を愚駄愚駄と言い並べおって!

哀。まぁよい。そろそろ最後と成ろう。

されば、お主の小理屈を此に責断し、腐れ講員による与太話を此に閉じよう。

鼻笑。はて、此の意味、解ろうか。

其れにしても、お主という奴は、慇懃にして惚けた奴であるよな。

>>呆哀。お主の頭は、七分に割れておるのか。

・七分に破れていたら、死んでいます。

呆怒。だから死んでるんだよ。講員として。哀哀哀。

ったく、ふざけた奴め。

>>日蓮大聖人は仏には非ず、而して、其の非仏が図顕した曼荼羅を本意とする、とな。

・えっ?!。日蓮聖人は漫茶羅本意ではないのですか?。管理人さんは日蓮聖人は、仏像本意だと考えているのですか?。

阿呆! 日蓮大聖人は仏に非ず、とは、お主の愚弁を申しているのである。

してお主は、其の非仏が図顕した曼荼羅を本意とする、と言っておる。だから、愚人だ、と言っているのである。

ったく、お主の目ん玉は何処(どこ)に付いておるのか!

>>爾して、お主は言う。
>>末法の仏とは凡夫身の釈迦如来のことである。と。
>>されば、凡夫身の釈迦如来とは何か。して、凡夫身は何処(どこ)に居るか。答えよ。

・凡夫身の釈迦如来とは色相荘厳の仏様ではなく、凡身の仏様です。

呆哀。末法の仏は凡夫身の釈迦如来だとお主は言う。だから、其の凡夫身の釈迦如来とは何かと問う。
すると其れは、色相の仏ではなく凡身の仏だという。阿呆! そんな事ぁ初手から成っておろう。
よいか。此の問いは、して其の凡夫身は何処(どこ)に居るのか、という詰問に係っているのである。
して、其の詰問に対して答えが無いではないか。されば問う。凡夫身の釈迦如来は何処に居るのか。
爾して、末法の凡身僧は、何処(いずこ)に居るのか。お主は其れに答えなさい。

>>されば問う。其の寿量品の教主は非仏であるか。此に答えよ。

・末法の法華経の行者である日蓮は、残念ながら非仏です。年のために言っときますが、
・非仏とは本仏ではないということですよ。
・私も管理人さんも本仏ではないが、仏です。文意は「当体義抄」と同じです。

小笑。つまりは何だ。非仏と本仏の間に仏がある、という事かいな。小笑。

ならば、日蓮大聖人は仏であるか! して、其の仏は、別してお主と同等であるか! 答えよ!

御義口伝に曰く!『如来とは釈尊、総じては十方三世の諸仏なり。別しては本地無作の三身なり。
今日蓮等の類の意は、如来とは一切衆生なり。別しては日蓮が弟子檀那なり。されば無作の三身とは
末法の法華経の行者なり』と!

されば、上義を別してば往けば「末法の法華経の行者」とは応に日蓮大聖人の御事と成るのであり、
さても、釈尊をして別すれば無作の三身と成り、実(げ)に其の無作三身の御当體こそ、日蓮大聖人と
成るのである。尚、念の為に言って置くが、無作三身の法華経の行者とは、お主の事ではない。

して、其のお主が言う。

・法華経の行者は、本未有善の衆生に対しては寿量品の教主となる。と。

されば、末法の衆生に対して教主となるは、応に衆生からして仏となる意ではないか。
されば、此の閻浮提に於いて、本未有善以外の衆生が居るとでもいうか。
爾して、其の『寿量品の教主』をして仏と為すに何の誤謬があろうか。
然るに、教主とは仏の異名であろうが。

してお主は、

・釈迦如来から付嘱を受け南無妙法蓮華経を唱え衆生に下種を為す地涌菩薩すなわち法華経の行者は、
・本未有善の衆生に対しては寿量品の教主となるのである。

などと言うが、末法の衆生に対して法華の行者が教主と成り、其の教主をして衆生が成道するとは、
応に是れこそ機縁に於ける能所一体の態相であり「衆生が願うは仏の出生のみにて、法華経(妙法)を
説いて貰う事ではない」とするは、当に断片撞着(どうちゃく)の小論となるものである!

されば曰く『法華経の意は能所一体なり』と。よいか、法華経の意(こころ)は、説く能と、受く所に
於いて一体なのである。されば曰く『古今能所不二にして法華の深意をあらわす』と。

尚、お主は、

・三大秘法は、釈迦如来が五百塵点劫に修行したもので、日蓮聖人は、それを付嘱されて五百塵点劫の当初の衆生と
・末法の衆生、則ち本未有善の衆生に説かれたのです。本仏は釈迦如来です。

などと言っておるが、さても、日蓮大聖人が五百塵点劫の当初の衆生と末法の衆生に三大秘法を説かれた、とは
如何なる事か。而して、其の三大秘法は、釈迦如来が五百塵点劫に修行したものだ、と言っておるが、されば、
釈迦如来が五百塵点劫に修行した三大秘法を、日蓮大聖人が五百塵点劫の当初(そのかみ)に、其の当初の衆生と
末法の衆生に三大秘法を説いた、とは、如何なる文証を以って其(そ)を論じるか。其れを此に示せ。

>>日蓮大聖人と御本尊との関係を此に述べよ。

・日蓮聖人は釈迦如来からの付嘱に順じて漫茶羅本尊を書き顕してくれる関係。漫茶羅本尊は、釈迦如来からの
・付嘱に順じたものであり、其の曼荼羅本尊は法華経の行者である釈迦如来の一身の当体です。

されば、釈迦如来から順じて付属された曼荼羅本尊が釈迦如来の一身の当体とは、何処(いずこ)の文に在るか。
爾して「順じて」とは如何なる事か。加えて、付属に順ずる曼荼羅が釈迦如来一身の当体とは如何なる事か。
其の文証を此に示せ。

曰く『釈尊久遠名字即の位を、末法今時の日蓮が名字即の身に移せり』と。【新編 1684】

爾して「移す」とは「順ずる」意となるか。

されば、久遠釈尊の位を、日蓮大聖人が其の身に移し、曼荼羅御本尊を御図顕するに、其の曼荼羅の当体が
日蓮大聖人の御当體と成るは、当に理在絶言ではないか。

されば言う。

『釈尊ほどの仏を三業相応して一中劫が間ねんごろに供養し奉るよりも、末代悪世の世に法華経の行者を
供養せん功徳はすぐれたり』と。【新編 739】

さても、此の大聖人の法師品の一文に対する解釈からすれば、お主が言う処の釈迦如来の当体たる曼荼羅は、
一中劫の間、ねんごろに供養しようとも、法華経の行者への供養よりも劣る、という事になる。

果たして、末法法華経の行者よりも劣る釈迦如来曼荼羅とは、一体如何なる曼荼羅であるのか。

お主は其れを説明致せ。

尚、今よりは留守となる。

したがって、残りの痴文に対しては、後日の呵責となる。

尚、此に重ねて言う。

>日蓮さんって、パッカパカーンな人だったんですね。

こーゆー言い方はやめよ!

腐っても法華講員ならば、少しは恥を識(し)りなさい!
 

管理人さん

 投稿者:愚人  投稿日:2018年 1月13日(土)21時06分58秒 softbank126074092131.bbtec.net
返信・引用
  愚人殿。増長もいい加減に致せよ。

大聖人の御金言が灯明とならば、お主こそは其の光明に照らされる小人の一類である。

 ・差別面から言えば、其の通りです。平等面から言えば、小人である私も日蓮聖人も共に妙法蓮華経です。

されば、日蓮、などと呼び捨てるものではない!

 ・日蓮聖人は、そんな事を気にはしません。

>>『日蓮本仏義』のやり取りについては、其の後と言っているでしょう。

>・常に根底で論じていますけどね。

屁理屈などはよろしい!

 ・真実を言ったまでです。管理人の説は日蓮本仏の立場から論じ、私は日蓮非本仏の立場から論じていますよ。

>・管理人さんの求めに応じて、感応道交して答えているのに詰問される覚えはありません。

呆怒。何を云う。当方と感応道交しておらんから、こうやって詰問しているのではないか。

 ・私は管理人さんの答えて欲しいという願いに応じて、答えているのですが。

さても法華講員の当方が、本山に弓引く法華講員を問い詰めずして何とするか!

 ・私は弓を持っていないので、弓を引くことはできません。

覚えがないのは、お主の脳髄が麻痺しているからである!

 ・脳髄が麻痺していたら、こうして投稿など出来ていません。

して其の麻痺とは何にか。其れこそは講員でありながら、持すべき教義に違背する、其の麻痺を云うものである!

 ・なあ~んだ。そういう意味でしたか。

>・何ですかとは、何ですか。

呆。恍けるのもいい加減に致せ。

 ・惚けていません。真面目にやってます。

言っておくが、惚(とぼ)けてなんかおりません、などと言う恍けた返事などは要らんぞ。

 ・すみません。惚けた返事をしてしまいました。

哀。己(おのれ)と同じ考えであれば、其れこそが正しい、という事か。哀哀。

 ・私と同じ考えだということです。

よいか。そーゆーのを『我見』と言うのである。

 ・私も管理人さんも我見で投稿しているのでは?。

日蓮正宗しかよく知りません?

小笑。何をか云う。お主などは何も知っておらん。よいか、正宗に於いて「知る」という事は、当宗に随順する、
という事である。お主こそは、先ず以って信仰の何たるかを勉強しなさい。

 ・「信仰」をググってみます。

>「非日蓮本仏」と「漫茶羅本意」「法勝人劣」なら私と同じ考えです。

呆哀。お主の頭は、七分に割れておるのか。

 ・七分に破れていたら、死んでいます。

日蓮大聖人は仏には非ず、而して、其の非仏が図顕した曼荼羅を本意とする、とな。

 ・えっ?!。日蓮聖人は漫茶羅本意ではないのですか?。管理人さんは日蓮聖人は、仏像本意だと考えているのですか?。

爾して、お主は言う。

末法の仏とは凡夫身の釈迦如来のことである。と。

されば、凡夫身の釈迦如来とは何か。して、凡夫身は何処(どこ)に居るか。答えよ。

 ・凡夫身の釈迦如来とは色相荘厳の仏様ではなく、凡身の仏様です。

して、お主は更に言う。

法華経の行者は、本未有善の衆生に対しては寿量品の教主となる。と。

 ・はい。言いました。

されば問う。其の寿量品の教主は非仏であるか。此に答えよ。

 ・末法の法華経の行者である日蓮は、残念ながら非仏です。年のために言っときますが、非仏とは本仏ではないということですよ。

日蓮大聖人が曰く『過去久遠五百塵点のそのかみ唯我一人の教主釈尊とは我等衆生の事なり』
仍って申さく『あにかの仏に異(かは)るべきや』と。【新編 262】

 ・私も管理人さんも本仏ではないが、仏です。文意は「当体義抄」と同じです。管理人さんは、「無始色心・・・金剛不壊の仏身とな」[新編御書262]ったから自分も本仏だと思うのですか?。

>「漫茶羅本意」「法勝人劣」なら私と同じ考えです。

鼻笑。そうか。ならば言う。日蓮大聖人と御本尊との関係を此に述べよ。

 ・日蓮聖人は釈迦如来からの付嘱に順じて漫茶羅本尊を書き顕してくれる関係。

御義口伝第廿五 建立御本尊の事に曰く『日蓮慥(たしか)に霊山に於て面授口決せしなり。
本尊とは法華経の行者の一身の当体なり』と。【新編 1773】

 ・はい。漫茶羅本尊は、釈迦如来からの付嘱に順じたものであり、其の曼荼羅本尊は法華経の行者である釈迦如来の一身の当体です。

ったく、何ですかとは、何ですか。などと惚(とぼ)けている場合ではないぞ!

 ・だから、惚けていません!。


一、法華講員でありながら、宗門根義に唾し、違背する、其の本意は何か。

 ・籍だけ法華講員ですので、唾をかけるとか違背しているとかの感覚がありません。

>・信じていないので、違背云々の感覚自体がありません。

哀。だから、講員として脳髄が麻痺している、と言っているのである。間違いなかろうて!

 ・脳髄が麻痺していないから、こうして投稿をしています。

そーか。教判の基は、お主が感じた事をして云うか。鼻笑。

 ・笑って頂けて光栄です。

して、其れに感じて『日蓮は』とは大したものである。

 ・お褒めを頂きありがとうございます。

呆怒。小学者気取りもいい加減に致せよ。

 ・気取っていませんが・・・。

三、して、其の教判の基からして、向門・像門・隆門・陣門・真門・講門・什門等の門流の何れが正義正統であるのか。

呆笑。お主の考える正義正統などは、其の本からして破綻しておるよ。無論、其れこそが己義の特徴でもあるが。鼻笑。

 ・ここでも笑って頂けて嬉しいです。

怒。一々の小返事はよい!

 ・早く言ってよ~ぅ。

だから、弥四郎国重の願(戒壇建立)に応じて、日蓮大聖人が戒壇本尊を開顕した、という事であろうが。

 ・『三大秘法抄』に戒壇と本尊を別けているように弥四郎国重法華講衆等の願いは本尊ではなく、戒壇です。

爾して、其の「願」と「開」は、応に能所一体の阿吽にして、『敬白』の意こそは、能所に於て亘るのである。

 ・「開」・・・どの「開」ですか?。私が南無妙法蓮華経から開いたと書いた「開」ですか?。

②加えて、寿量品の『世尊、唯願わくは之を説き給へ』の「之」とは一体何か。

呆哀。だから、弥勒が願う処の『誠諦之語』とは何か、と訊いておる!

 ・国語の読解力のテストならば、「誠諦之語」で正解ですよ。

して、其の釈迦如来の自らの意思とは、一体何に依って表示と相成るか!

 ・経文に明らかです。前の投稿に書いた通りです。

さても『合掌して仏に白(もう)して』との続文は、応に『敬白』の意を示す唯願の文ではないか。

 ・その言葉が釈迦如来の「誠諦之語」を受けてのものであることが、解らないのですか?。釈迦如来は彌勒菩薩を首とする菩薩大衆に向かって、「誠諦之語」を「信解すべし」と言っているのです。菩薩大衆の願いに応じて「信解すべし」と言ったのではありません。
 天台大師が『法華文句』に、

 誠は是れ忠誠、諦は是れ真実なり。物を欺からざるの言は則ち真に詣る。昔の七方便は随他意にして誠実を告ぐるに非ず。今は随自意語にして之を示すに要を以てす、故に誠諦と云う、

と言われている通りです。

果たして、仏の本意は法華経を説く事にある、という。
しかし、衆生の願いは、仏の出世のみにて、法華経を説いて貰う事ではない、という。

ならば、衆生たる弥四郎国重法華講衆の願主たるは、何を願って願主と相成ったか。

 ・同じことを二回も書かせないで下さい。

と訊いているのである!

 ・同じことを二回も聞かないで下さい。

さても、弥勒が願う処の『誠諦之語』とは一体何か! 此に答えよ!

 ・釈迦如来の寿命に関する説法です。

③されば、『仏を見たてまつらざれども法華にて得道するなり』との文は、如何なる事か。

呆哀。されば、凡夫僧の釈迦如来とは何か。

 ・本仏に即した凡夫僧です。これは日蓮正宗でも凡夫僧を本仏としているのですから理解できるのでは?。

爾して、地涌の菩薩は凡夫に非ざるか。

 ・「法華経」は直達正観ですから仏であると開いていたと思います。しかしそれは九界即仏界です。本仏ではありません。

爾して、日蓮大聖人は凡夫僧に非ざるか。

 ・凡夫僧です。

重ねて問う。

とお主は言うが、されば、其の久末一同に亘る付属の法とは一体何か。

 ・三大秘法です。

して、日蓮大聖人が、五百塵点劫の当初の衆生に説かれた、とは如何なる事か。

 ・前に説明した通りです。

されば、其の意こそ元初本因凡夫僧の御本仏に即するものではないか。

 ・それは五百塵点劫の当初の釈迦如来のことです。

須らく答えよ。

 ・答えました。

して、お主が申さく、

ならば、久末の衆生は、何の下種を受けて得道したか。

 ・南無妙法蓮華経です。

加えて『如来是一切衆生』の大義からすれば、当に地涌の菩薩こそも、衆生の一類と成るではないか。

 ・はい。

爾して、お主が言う。

されば、法華経に至らぬ菩薩の誓願とは、一体、如何なる法教を以って為し得るか。

 ・釈迦如来が、五百塵点劫の当初に修行した三大秘法です。

爾して、菩薩の願とは、即ち衆生の願に有らずや。

 菩薩の願いとは「四句誓願」です。また仏に教化された衆生と仏に教化されていない修行の間には能化の差別があります。

して曰く『今末法に入りて法華経の行者は、四弘能所感応の即身成仏の四弘なり』と。【新編 1862】

今こそ、此に答えるべし。

 ・日蓮聖人は地涌菩薩として「四句誓願」を行じたのです。

哀怒。詭弁を弄するものではない!

 ・奇弁?。不愉快だなあ。

お主の脳眼が腐っておるから、そーゆー風にしか見えないのである。

 ・腐ってたら生きていません。

さても、熱原の信者らが自らに対して『右現当二世の為に造立件の如し』などと記(しる)す筈も無く、
其れこそ、自身らの為に未来戒壇の建立を願って本尊を図顕するなど、彼の安永弁哲も引っ繰り返る程の
痴論である!

 ・そう思うのは自由です。

されば『当世の人人何の宗々にか本門の本尊戒壇等を弘通せる、仏滅後二千二百二十余年に一人も候はず』との
御意こそは、応に来る御本懐の熟意にして、熱原農民の立ち入る法域ではないのである。

 ・そもそも私は弥四郎国重法華講衆等が熱原の農民だとは書いていませんよ。

されば言う。お主の様な腐眼の主(ぬし)こそ、我が富士門家の法義からして、全くの愚人である!
さても、名は体を顕すとは、此の事か。

 ・覚者ではないので愚人です。管理人さんは、覚者なのですか?。

個人の自由? ならば、宗教など必要ないわ! 此の言っている意味、解ろうか。哀哀。

いや、解るまいて。鼻笑。

 ・はい。解りません。

おお。ならば、他宗信徒の根本尊崇に唾するでない!

 ・管理人さんは他宗信徒の本尊に唾していないのですか?。

お主が自由ならば、こちらとて自由になろうが!

 ・はい。自由です。

果たして、互いが自由を尊ぶならば、批判など在り様もない! そうであろうが!

 ・管理人さんの願いに応じて答えているだけです。

ったく、お主は何も解っておらん! 応に愚人其のものである!

 ・先程も書いたように、私は覚者ではないので愚人です。

おお。お主の希望どおり「本性」にて書いたぞ。
本より、其の『本性』こそは、獅子身中の蝗蟲に対する呵責叱責である!
最早、お主などに「軟語」など必要ない。

 ・はい。必要ないです。

尚言うが、当方が一番に嫌うは、慇懃無礼な言動である。


以後、気を付けられよ。

 ・管理人さんも気をつけて下さい。

哀笑。さもありなん。

法華講員にして釈迦本仏を唱え、剰(あまつさ)え、バラモンに傾斜するとは。呆哀哀。

だからこそ、呵責するのである!

 ・管理人さんも読んでみて下さい。
 

石山厳虎殿

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 1月13日(土)16時58分38秒 i223-218-151-119.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  >初投稿です。

ようこそ破邪の蘭室へ。

>現在、日蓮正宗系無所属信徒という立場でありますが、少しだけ意見を言わせていただきたいと思います。

はて、日蓮正宗系無所属信徒とは是れ如何に。

果たして『系』とは「傍系」の意でありますか?

差支え無くば、お答え下さい。

>ようするに爾前権経は衆生のレベルに応じてさまざまの方便を設けて説いている。
>法華経は衆生のレベルに関係なく、いきなり真実を説いている。ゆえに難信難解なのですね。
>いずれにしても衆生の求めに応じて法を説くのは同じことで、でなければ仏様とはいったいナニサマなのか、
>ということになってしまいます。

其のとおりです。

其れが故の「能所一体」であります。

爾して『機根』と『機縁』は、同義に非ず。

実(げ)に其の大義こそ、大御本尊に示される『仏滅讃文』なのであります。

尚、当室に於いては、投稿文が即時に掲載されませんので、予めご了承下さい。

又、本日午後六時以降から明朝まで、当方管理人は不在となりますので、
今よりの御投稿は、明日の掲載となります。

あしからず。
 

愚人殿

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 1月13日(土)16時56分4秒 i223-218-151-119.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  >私は日蓮聖人の「遺文を島(灯明)」とし「自己を島(灯明)」としています。

愚人殿。増長もいい加減に致せよ。

大聖人の御金言が灯明とならば、お主こそは其の光明に照らされる小人の一類である。

されば、日蓮、などと呼び捨てるものではない!

>>『日蓮本仏義』のやり取りについては、其の後と言っているでしょう。

>・常に根底で論じていますけどね。

屁理屈などはよろしい!

>・管理人さんの求めに応じて、感応道交して答えているのに詰問される覚えはありません。

呆怒。何を云う。当方と感応道交しておらんから、こうやって詰問しているのではないか。

さても法華講員の当方が、本山に弓引く法華講員を問い詰めずして何とするか!

覚えがないのは、お主の脳髄が麻痺しているからである!

して其の麻痺とは何にか。其れこそは講員でありながら、持すべき教義に違背する、其の麻痺を云うものである!

>・何ですかとは、何ですか。

呆。恍けるのもいい加減に致せ。

言っておくが、惚(とぼ)けてなんかおりません、などと言う恍けた返事などは要らんぞ。

>>だから当方は、そーゆー貴殿の日蓮正宗に対する執拗な違背心に対し、ならば一体、日蓮宗のどの門流教義が
>>貴殿にとって正義正統であるのか、と問うているのです。

>・日蓮正宗しかよく知りませんが、「非日蓮本仏」と「漫茶羅本意」「法勝人劣」なら私と同じ考えです。

哀。己(おのれ)と同じ考えであれば、其れこそが正しい、という事か。哀哀。

よいか。そーゆーのを『我見』と言うのである。

日蓮正宗しかよく知りません?

小笑。何をか云う。お主などは何も知っておらん。よいか、正宗に於いて「知る」という事は、当宗に随順する、
という事である。お主こそは、先ず以って信仰の何たるかを勉強しなさい。

>「非日蓮本仏」と「漫茶羅本意」「法勝人劣」なら私と同じ考えです。

呆哀。お主の頭は、七分に割れておるのか。

日蓮大聖人は仏には非ず、而して、其の非仏が図顕した曼荼羅を本意とする、とな。

爾して、お主は言う。

末法の仏とは凡夫身の釈迦如来のことである。と。

されば、凡夫身の釈迦如来とは何か。して、凡夫身は何処(どこ)に居るか。答えよ。

して、お主は更に言う。

法華経の行者は、本未有善の衆生に対しては寿量品の教主となる。と。

されば問う。其の寿量品の教主は非仏であるか。此に答えよ。

日蓮大聖人が曰く『過去久遠五百塵点のそのかみ唯我一人の教主釈尊とは我等衆生の事なり』
仍って申さく『あにかの仏に異(かは)るべきや』と。【新編 262】

>「漫茶羅本意」「法勝人劣」なら私と同じ考えです。

鼻笑。そうか。ならば言う。日蓮大聖人と御本尊との関係を此に述べよ。

御義口伝第廿五 建立御本尊の事に曰く『日蓮慥(たしか)に霊山に於て面授口決せしなり。
本尊とは法華経の行者の一身の当体なり』と。【新編 1773】

ったく、何ですかとは、何ですか。などと惚(とぼ)けている場合ではないぞ!


一、法華講員でありながら、宗門根義に唾し、違背する、其の本意は何か。

>・信じていないので、違背云々の感覚自体がありません。

哀。だから、講員として脳髄が麻痺している、と言っているのである。間違いなかろうて!

二、して、其れらの思動を発(お)こしめる、教判の基とは何か。

>・日蓮聖人の遺文を読んで、感じた事を投稿しているだけです。

そーか。教判の基は、お主が感じた事をして云うか。鼻笑。

して、其れに感じて『日蓮は』とは大したものである。

呆怒。小学者気取りもいい加減に致せよ。

三、して、其の教判の基からして、向門・像門・隆門・陣門・真門・講門・什門等の門流の何れが正義正統であるのか。

>・日蓮非本仏・漫茶羅本意・法勝人劣なら私の考える正義正統です。

呆笑。お主の考える正義正統などは、其の本からして破綻しておるよ。無論、其れこそが己義の特徴でもあるが。鼻笑。

>>此の三問についてお答え頂きたい。

>・答えました。

怒。一々の小返事はよい!

①ならば、其の衆生たる弥四郎国重は、何を願って『願主』と成ったのか。(然るに本尊は法華経の要ではないのか)

>・戒壇建立で、日蓮聖人の本尊は南無妙法蓮華経を開いたものだと考えています。

だから、弥四郎国重の願(戒壇建立)に応じて、日蓮大聖人が戒壇本尊を開顕した、という事であろうが。
爾して、其の「願」と「開」は、応に能所一体の阿吽にして、『敬白』の意こそは、能所に於て亘るのである。

②加えて、寿量品の『世尊、唯願わくは之を説き給へ』の「之」とは一体何か。

>・この文の前に釈迦如来の言葉で釈迦如来が自らの意思で、
>諸の善男子、汝等當に、如来のジョウ諦の語を信受すべし[新編法華経428]
>と言っています。「之」とは釈迦如来が「随自意」で説く所の「ジョウ諦の語」です。(ジョウは言に成)

呆哀。だから、弥勒が願う処の『誠諦之語』とは何か、と訊いておる!

して、其の釈迦如来の自らの意思とは、一体何に依って表示と相成るか!

さても『合掌して仏に白(もう)して』との続文は、応に『敬白』の意を示す唯願の文ではないか。

よいか。此の詰問は、

>仏様の出世の本意は法華経を説くことである。
>衆生が願ったのは仏様の出世であり、法華経を説いてもらうことではない。

という、お主の言い分に対して向けているのである。

果たして、仏の本意は法華経を説く事にある、という。
しかし、衆生の願いは、仏の出世のみにて、法華経を説いて貰う事ではない、という。

ならば、衆生たる弥四郎国重法華講衆の願主たるは、何を願って願主と相成ったか。

と訊いているのである!

さても、弥勒が願う処の『誠諦之語』とは一体何か! 此に答えよ!

③されば、『仏を見たてまつらざれども法華にて得道するなり』との文は、如何なる事か。

>・文のままです。五百塵点劫の当初において衆生は釈迦如来からではなく、釈迦如来から付嘱を受けた地涌菩薩から
>下種を受けて得道したように、末法に於ても釈迦如来から付嘱を受けた地涌菩薩から下種を受けて得道するということ
>です。

呆哀。されば、凡夫僧の釈迦如来とは何か。
爾して、地涌の菩薩は凡夫に非ざるか。
爾して、日蓮大聖人は凡夫僧に非ざるか。

重ねて問う。

>三大秘法は、釈迦如来が五百塵点劫に修行したもので、日蓮聖人は、それを付嘱されて五百塵点劫の当初の衆生と
>末法の衆生、則ち本未有善の衆生に説かれたのです

とお主は言うが、されば、其の久末一同に亘る付属の法とは一体何か。
して、日蓮大聖人が、五百塵点劫の当初の衆生に説かれた、とは如何なる事か。
されば、其の意こそ元初本因凡夫僧の御本仏に即するものではないか。

須らく答えよ。

して、お主が申さく、

>衆生が願ったのは仏様の出世であり、法華経を説いてもらうことではない。と。

ならば、久末の衆生は、何の下種を受けて得道したか。

加えて『如来是一切衆生』の大義からすれば、当に地涌の菩薩こそも、衆生の一類と成るではないか。

爾して、お主が言う。

>衆生が願ったのは仏様の出世であり、法華経を説いてもらうことではない。と。

されば、法華経に至らぬ菩薩の誓願とは、一体、如何なる法教を以って為し得るか。

爾して、菩薩の願とは、即ち衆生の願に有らずや。

して曰く『今末法に入りて法華経の行者は、四弘能所感応の即身成仏の四弘なり』と。【新編 1862】

今こそ、此に答えるべし。

>>とまれ、貴殿が言っている事は、信者が作成した板本尊を、日蓮大聖人の大本懐と詐(いつわ)り、

>・私は、日蓮聖人が図顕したものであると偽っていません。

哀怒。詭弁を弄するものではない!

>・だから私は、初めから此処まで信者が造立したものであると書いています。

お主の脳眼が腐っておるから、そーゆー風にしか見えないのである。

さても、熱原の信者らが自らに対して『右現当二世の為に造立件の如し』などと記(しる)す筈も無く、
其れこそ、自身らの為に未来戒壇の建立を願って本尊を図顕するなど、彼の安永弁哲も引っ繰り返る程の
痴論である!

されば『当世の人人何の宗々にか本門の本尊戒壇等を弘通せる、仏滅後二千二百二十余年に一人も候はず』との
御意こそは、応に来る御本懐の熟意にして、熱原農民の立ち入る法域ではないのである。

されば言う。お主の様な腐眼の主(ぬし)こそ、我が富士門家の法義からして、全くの愚人である!
さても、名は体を顕すとは、此の事か。

>・そう思うのは個人の自由です。

個人の自由? ならば、宗教など必要ないわ! 此の言っている意味、解ろうか。哀哀。

いや、解るまいて。鼻笑。

>・そう思うのは個人の自由です。

おお。ならば、他宗信徒の根本尊崇に唾するでない!

お主が自由ならば、こちらとて自由になろうが!

果たして、互いが自由を尊ぶならば、批判など在り様もない! そうであろうが!

ったく、お主は何も解っておらん! 応に愚人其のものである!


>・管理人さんの「本性」の言葉で書いてください。
>・よろしくお願いします。

おお。お主の希望どおり「本性」にて書いたぞ。
本より、其の『本性』こそは、獅子身中の蝗蟲に対する呵責叱責である!
最早、お主などに「軟語」など必要ない。

尚言うが、当方が一番に嫌うは、慇懃無礼な言動である。

以後、気を付けられよ。


追記。

>書き忘れましたが、私は最近になってヒンデゥイズムに興味を持ち、その関係の本をよんでいます。
>ラーマ・クリシュナの言葉を記録した『不滅の言葉』を読むと、ブッダと弟子との会話の様子が思いうかびます。
>また、ヒンドゥー教の聖典である『バガヴァッド・ギーター』も素晴らしいです。
>ここに書かれていることを出来ることから実践していきたいです

哀笑。さもありなん。

法華講員にして釈迦本仏を唱え、剰(あまつさ)え、バラモンに傾斜するとは。呆哀哀。

だからこそ、呵責するのである!
 

初投稿

 投稿者:石山巌虎  投稿日:2018年 1月13日(土)15時57分47秒 softbank126075083064.bbtec.net
返信・引用
  初投稿です。現在、日蓮正宗系無所属信徒という立場でありますが、少しだけ意見を言わせていただきたいと思います。

随自意・随他意の意味は、仏様が衆生の求めに応じて法を説いたのかどうかではなく、方便を帯びているかどうかの問題です。そこを勘違いしちゃいけませんね。難しい文証ですが、御書1651ページに伝教大師の言葉が出ています。

「但随他の五種性等・門外の方便・差別の権教・帯権の一乗を説いて未だ随自一仏乗等・露地の真実・平等の直道・捨権の一乗を顕はさず。」

これはかなり難しい文証ですが、話は簡単でしょう。ようするに爾前権経は衆生のレベルに応じてさまざまの方便を設けて説いている。法華経は衆生のレベルに関係なく、いきなり真実を説いている。ゆえに難信難解なのですね。いずれにしても衆生の求めに応じて法を説くのは同じことで、でなければ仏様とはいったいナニサマなのか、ということになってしまいます。

いわゆる大日如来がそうでして、615ページで大聖人は次のごとく仰せです。

「対機説法の仏は八相作仏す。」

これは大日批判ですが、もし法華経で説くところの久遠本仏が対機説法の仏でないとすると、まったくもってブーメラン状態になってしまいます。

言葉の意味を間違えて理解していると、その後の論理の組み立てもぜんぶ間違えちゃうことになりかねません。気をつけたいものですね。
 

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