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宿坊フェイクの莫迦さ加減

 投稿者:管理人  投稿日:2019年 7月14日(日)14時58分23秒 i223-217-95-95.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  信仰心の欠片も無い宿坊連中。

釈迦こそが末法の本仏だとする宿坊連中。

而して、日蓮大聖人を本仏と仰ぐ創価の文書をベタ貼りする宿坊連中。

而して、其の創価執行部を批判し中傷し揶揄する宿坊連中。

而して、其の中傷する相手の文書を採用して、富士門の法義を中傷する宿坊連中。

応に、支離滅裂、自己撞着、心破作七分の痴態ではないか。哀。

而して、そんなキマイラ連中が、今日も今日とて、創価フェイクをベタ貼りして、我ら富山に文句を垂れておる。哀笑。

>日蓮正宗法華講の機関紙「大白法」六月一日付の「異流義破折」欄で劣悪な学会批判を掲載していた。
>この中で日寛上人の御本尊を作製したと難癖をつけているが、的外れも甚だしい。

糞笑。難癖だ? 的外れも甚だしいだ?

阿呆!! 学会を中傷し揶揄しているオマエらが、宗門の学会に対する破折を指して難癖とは何事か。
的外れだ? 莫迦者!! 其れはオマエらの事だろう! ったく、己(おのれ)の手で破り捨てたモノを用いて
相手を非難するなどは、応に頭破作七分の所業行と云わずして何と言うか!!

>宗門は平成三年十一月二十八日に学会を破門にし、三十日には学会員への御本尊下付停止を発表した。
>そのため栃木県・淨圓寺の成田宣道住職(当時)より同寺所蔵の第二十六世日寛上人御筆の御本尊を
>御形木御本尊にして創価学会から会員に授与していただきたいとの申し出があった。
>これに日蓮正宗改革同盟、青年僧侶改革同盟の全員が賛同。学会は総務会、参議会、教学部最高会議、
>県長会議、責任役員会など正式機関の決議を得て授与するようになった。

大笑。オマエ、其の時の離脱僧から宣べられた本尊授与の大義。今になって忘れたとは言わせまいぞ。オマエ。
ったく、惚けるのもいい加減に致せよ。呆呆。

>宗門は「法主の許可」が必要と言うが、血脈詐称の法盗人である日顕・日如の許可など必要ない。

小鼻笑。オマエらには解らんよ。いや、解ろう筈もない。呆哀。

だから日亨上人が申しておる。曰く『曼荼羅書写の大権は唯授一人金口相承の法主に在り、敢えて沙弥輩の
呶呶(どど)する事を許さんや』と。本より沙弥輩の意には、オマエら有髪の在家も含むのであり、呶呶を許さず、
とは、そういうオマエらが、くどくどと本尊の大権に文句するを許さない、との意である。

ったく、本尊の大権に於いて許されぬ者が、何で本尊の大権など知り得ようか。
よいか。此の事をして道理と云うのである。

>学会の出現以前は日蓮正宗に入信する人は殆どいなかった。

鼻笑。殆どいなかった、とは幾人を基準にして結論しておるのだ。もっと具体的に申せ!

>時折、入信する人が現れると、各末寺が勝手に御本尊を授与していたが、その都度、法主が開眼することはなかった。

小鼻笑。末寺が勝手に御本尊を授与するとは、如何なる事か。

なんだ。だから、オマエらも宗門に習って勝手に本尊を作ったってか。呆笑。
莫迦か、オマエらは。呆呆笑。

其れにしても、その都度に法主の開眼、とは面白い。

其の都度とは何か。まさか本尊との対面を以って言っておるのか。

哀笑。日有上人の御訓誡に背き、日亨上人の御教示にも乖(そむ)く者共が、本山法主の大権に文句をつけるなど、
応に本末転倒の愚行である。

曰く『此の如き事は沙弥輩が俄(にわか)に断ずるは僭上の罪過恐れ有る事どもなり』と。

されば、僭上の罪過恐れ有る事ども、とは、応にオマエら宿坊莫迦フェイクの事ども、との意に成るのである!

>例えば、東京の妙光寺が下山日布(五十五世)、法道院が大石日応(五十六世)、常在寺が阿部日正(五十七世)と、
>それぞれ有縁の法主の御形木を持っていて、勝手に印刷・表装して授与していたのである。

鼻笑。又、其れか。そんなもん、疾っくに破折済みだよ。他に無いのか、他に!

>また、香川の讃岐本門寺では過去に塔中坊に安置されていた日興上人の御本尊を御形木にして多くの檀家に下付していた。

以下同文!

>更に、学会員が草創期に授与を受けていた日寛上人の享保三年の御形木御本尊は池袋の法道院で印刷していた。
>それを各末寺は本山を経ずに直接、法道院から受け取っていたのである。

以下同文の以下同文! ったく、オマエらの脳みそは、思考停止に陥っておるのか。

>学会草創期に流布した享保三年の日寛上人の御形木御本尊は、相貌も授与書きがない点も、法主による開眼などが
>なかった点でも、現在の学会授与の享保五年の日寛上人御書写の御形木御本尊と全く同じで、功徳は絶大である。

はて、享保三年の日寛上人御書写御本尊に於いて、相貌も授与書きも無い、とは如何なる事か。
当方が生き証人である。其の証左を此に述べてみよ。一度なれば串でもよい。申してみよ!
加えて法主の開眼が無い、とは、如何なる状態をして結論しておるのか。再詰である。此に申せ!

>現在の学会授与の享保五年の日寛上人御書写の御形木御本尊と全く同じで、功徳は絶大である。

だから、現在の学会作成の日寛上人本尊も、享保三年の御本尊と同じく、相貌も授与書きも無い、という事を
此に述べてみよ! 爾して、相貌が無いとは如何なる事か、授与書きが無い、とは如何なる事か。

加えて、オマエらが持っている功徳絶大の本尊とは、一体如何なる書写本尊であるのか。
其れこそは、離脱僧・成田宣道(日蓮正宗改革同盟  故人)による本尊授与の宣義を以って、此に呈示してみせよ。

>◆明治三十七年の日露戦争に際し、時の法主・大石日応は一万体にものぼる「戦勝守護の御本尊」と
>称するものを作成して売りさばいていた。(明治三十七年四月発行の宗門機関誌「法乃道」より)

>◆日顕の父の第六十世・阿部日開は昭和六年の日蓮大聖人第六百五十遠忌に際して「永代尊号付きの賞与大曼茶羅」
>「大曼茶羅」というように、寄付金の多募により御本尊に差別を設けて、御本尊を金儲けに利用した

>◆東京・品川の妙光寺では、日蓮大聖人の御真筆の御本尊を「謹写」して御守りとして授与、御供養を取っていた
                              (「妙の光」昭和十二年九月一六日付)

哀笑。此等も皆破折済み、いや、呵責済みであろうが。

よいか。

大日本国(世界に於ける中国)が露助と対するに、其の戦勝を祈願し、其の護国を願わんとするは当然の事であり、
オマエらの様な売国奴には判ろう筈もない。尚、御本尊を作成して売りさばく、という、オマエらの様な俗性は、
富士門には無い。我が富士門に於いては、御本尊を御顕発し、又は御書写申し上げ、其の授与に際して御供養申し
上げるのである。よいか。本尊を作って販売しているのは、他ならぬオマエらなのである!

日蓮大聖人が曰く『日輪変じて釈迦如来となり、大光明を放って大地をつきとおし、三悪道無間大城を照らし、
乃至東西南北、上下に向かっては非想非非想へものぼり、いかなる処(ところ)にも過去聖霊のおはすらん処まで
尋ね行き給ひて、彼の聖霊に語り給ふらん』と。

哀笑。

まぁ、オマエら外道創価の沙弥輩には、到底理解出来得ぬ御文ではあるが、もし此の御義が領解出来れば、
オマエらの物言いが、何(いか)に幼稚であるのか、此に於いて理解出来よう。

とは言うも、其れは無理な事であろう。

本より、一闡提人に解ろう筈もない。呆哀笑。

宿坊フェイク、何とも莫迦な連中である。
 

宿坊フェイクの阿呆さ加減

 投稿者:管理人  投稿日:2019年 7月 8日(月)12時56分0秒 i223-218-134-143.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  次に、是れも呵責して置こうか。

>初座 天拝
>謹ミテ皇祖天照大神 皇宗神武天皇肇国以来御代々ノ鴻恩ヲ謝シ併セテ皇国守護ノ日月天等ノ諸神ニ
>法味ヲ捧ゲ奉ル 希クハ哀愍納受ヲ垂レ給ヘ

>注目すべきは、天照大神が御観念文の最初に挙げられ「謹ミテ」という最高に敬う言葉が冠されている点だ。
>宗門が軍部権力に迎合し、同調していたことを如実に物語る。

糞笑。オマエらは、ホントーに文面の意が解らん連中よな。呆呆哀。

よいか。上記御観念文の謹ミテとは、爾来御代々を以って皇祖皇宗の両方に掛かり、其の恩恵の意を以って護国を期し、
以って諸天に供養するの意である。だから、オマエら莫迦フェイクの様に、謹ミテが最初の天照大神にのみ冠されている
かの様に読まんとするは、是れ全く莫迦の仕業と成るのである。

本より、御観念文のみならず、御本尊に於ける御相貌の認(したた)めに於いても、御歴代上人の御意に任す処(ところ)で
あり、我ら有髪の共ずれ、つまりは、役人やサラリーマンや、八百屋の親父や肉屋の親父や大工の親父や専業主婦や…、
いやいや、其れよりも何よりも、オマエらの様な悪どい宗教屋、つまりは新興宗教の共ずれが、ぶつくさ文句を垂れる領域
ではない、という事を、此に於いて識るべきなのである。

よいか。今一度言おう。

御観念文に於いては、抑もが興門の採義に依るものであり、オマエらの様な、勝手祈念文の亡者が唾する分野ではない、
という事を識(し)りなさい。

昭和30年代の創価学会の初座御観念文に云く、

【生身妙覺自行の御利益・大梵天王・帝釋天王・大日天王・大月天王・大明星天王・天照太神・正八幡大菩薩等惣じて
法華守護の諸天善神・諸天昼夜常為法故而衛護之の御利益・法味倍増の御爲に】と。

加えて四座の御観念文に云く、

【奉祈念天皇陛下護持妙法・爾前迹門之謗法退治・一天四海・本因妙・廣宣流布大願成就・御祈禱の御爲に
某・過去遠々劫・現在漫々の謗法罪障消滅・現當二世大願成就の爲に】と。

はてさて、上記初座の天照大神と、帝国時の天照大神と、一体何が違うのか。いや、さに匪ず、敬う側が違っていたのか。
つまりは当時、天照大神は悪神であったのか、其れとも、国家が天照大神を悪しく敬っていたのか。そーゆー所をしっかと
述べて初めて御観念文の証論が立つというものである。

されば、四座の『天皇陛下護持妙法』とは如何なる事か。創価学会が陛下の護持妙法を願うとは一体如何なる事であるのか。
オマエらは、其の事をしっかと検証しなさい。加えて、創価学会の前身である創価教育学会の主義、及び、牧口会長の思想を
しっかと総括してから、我ら興門に対しなさい。ったく、釈迦円仏主義の馬鹿連中に掲載利用されても、一言も注意すること
なく傍観するフェイクの、其の無責任なる振る舞いよ。だから、オマエらこそがフェイクなのだ、と言っているのである。

そー言えば、先日のテレビ討論で、自民党が配布している出所(でどころ)不明の小冊子について、其のやり取りがあった。
其の小冊子の表紙には【フェイク情報が蝕むニッポン・とんでも野党とメディアの非常識】と題名されて、野党各党の
党首などの似顔絵を面白おかしく画き込んで、野党勢力などを批判中傷している代物である。

して、其れに対し共産党の志位委員長が言った。

「(安倍総理が総裁を務める自民党では)出所不明の文書などを本部で配るんですか?」と。

すると、維新の代表がこう言った「出所不明の文書を配るのは自民党として大人げない」と。
そしてこうも言った「選挙前の大事な党首討論の場で、出所不明のモノを(メディアが)取り上げる様な話ではない」と。

小笑。

相手の批判中傷を書き並べた出所不明の文書を本部で配る。
而して其れを突かれると、薄ら惚(とぼ)けて知らぬと言う。

おいおい、

此のやり方、何処(どこ)ぞの新興宗教がやっている事と同じよな。呆哀笑。

しかも表紙に「フェイク」などと題名するは、是れ全く、創価公明の入れ知恵ではないのか。糞笑。

尚、大阪公明の金玉を握っている維新の松井代表が、そういう出所不明の文書を取り上げて、一々論ずるものではない、
との趣旨を述べていたが、本より、我々が取り上げている出所不明の馬鹿フェイクの文書などは、其の元からして論ずるに
非ず、其れこそは、宿坊馬鹿フェイク、つまりは、釈迦円仏主義の宿坊連中が、現状日蓮本仏主義の創価のフェイク文書を
連日の様にベタ貼りしている、そーゆー滅裂にして馬鹿で阿呆な行為に対して、我々は悲しみ、憐み、時には見下げ、時には
其の通りに莫迦だ阿呆だと叱責し、又時には宗教人(信仰者)として、宗教の何たるか、という初歩の初歩の初歩を教え込まん
として、日夜こーして説教しているのである。

よいか。オマエらの様なふざけた怪文書を一々取り上げて論じているのではない。
其れこそは、オマエらのそーゆー汚い根性に対し叱責し、そんなオマエらが書き散らかしている怪文書の内容について、
呵責し説教しているのである。よいか。論じているなどと誤解するでないぞ。今、当方が下しているのは説教呵責である。
ったく、オマエらの様な不信心な連中が、我ら興門と対等に論ずるなど百年も早いわ!

墨平三郎、四条金吾に対して云く『日蓮聖人は昼は諸宗無間と折破し、夜は念仏を申され候』と。

哀笑。

よいか。讒言とは此の事にして、オマエら莫迦フェイクも同類である!

ったく、オマエらこそは、恥というものを知りなさい!
 

宿坊フェイクの阿呆さ加減

 投稿者:管理人  投稿日:2019年 7月 2日(火)18時01分20秒 i223-218-134-143.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  >日蓮正宗法華講の機関紙「大白法」六月一日付の「異流義破折」欄では
>「目を開いて本当の姿を見よう―創価学会」と題し、質の悪い批判記事を
>掲載している。
>主な悪口は勤行方式と観念文を変えた、塔婆や戒名は不要なものと会員に教え、
>御本尊を作製し、会則を変えた等々である。

哀笑。悪口じゃないよ。呵責だよ。小鼻笑。

>二十六世日寛上人が加賀の信徒・福原式治に与えられた書状の中で「五座三座」について述べられており、
>この当時は本山だけで行われていた。だが「但し仕官の身公用抔(など)の時は乃至題目一遍なりとも
>右の心向けに相勤むべし」と明記されている。
> 日寛上人は信徒に五座三座を強要されてはおらず、方便品と自我偈と題目でよい、勤めの関係で出来ない場合は
>題目一遍でもあげるよう教えられている。

哀笑。阿呆! 『題目一遍なりとも【右の心向けに相勤むべし】』

哀笑。オマエらは阿呆であるから、上文『右の心向けに』という意が解らんのであろう。哀笑。

鼻笑。ったく『心向け』を「強要文に非ず」と読む、其の大いなる阿呆さ加減よ。堪堪笑。

よいか。忙しい時は仕方がない。其の時は題目一遍でもよい。しかし、其れが題目一遍であろうとも、
日頃の勤めである五座三座を心に留めて唱えなさい、と。

哀笑。オマエら、大丈夫か? 其の頭。

>日顕は「私ども小僧の時には全部、長行を読んだのですよ」「五座全部読まれた時と五座だけ読まず
>初座から四座まで読んだという経験があり、とくに二座は方便品の長行も読まれてましたですね」等と
>勤行の変遷を述べていた。

糞笑。変遷じゃないよ。化儀応変の義だよ。哀笑。

>そして「今のような形で勤行をするようになったのは、第六十四世水谷日昇猊下の時だった」と
>明言していた。この日顕の話は活字になっているので「大白法」編集部は、よく調べて読み直せと勧告しておく。

糞笑。だから、化儀応変の義じゃよ。小鼻笑。

>注目すべきは二座の時だけ寿量品の長行を読んで、他の時には読まなくなった理由について
>「信徒の増加ということもありますので、全部の皆さんが毎日できるということが大事になるわけで、
>その点を考えるようになってきたということでございましょう」
>このように二座の時以外には寿量品の長行を読まないのは「信徒の増加」云々と明確に述べている。

糞笑。だから創価は信者がいっぱい居て匆(いそがし)いから、寿量品の長行も削った、ってか。哀笑。

ったく、オマエらはホントーに阿呆であるよな。

よいか。勤行の次第は、其の時の御法主上人が決める事であり、我ら信徒が云云するものではない。
つまりは日蓮大聖人。つまりは日興上人の在家信者が、俺達ゃ農作業が忙しいから、明日からの勤行は
自我偈のみでやりますわ。と言っている様なものであり、そういうオマエらの勝手な都合信心に対して、
我々は説教しているのである。

>日寛上人は勤行の形式を強要するのではなく、あくまでも信心の発露を大事にされていたことが分かる。

だから、その信心の発露こそは、オマエたちの勝手で成るのではなく、日寛上人が御教示の如く、あくまでも
富士門御師僧の下に於いて発露されるのである。

しかし、オマエらは阿呆であるから、そーゆー筋目が判らんのである。

>日蓮正宗は信徒が激減し、その後は一向に増えないから、昔に返って五座全部、方便・寿量品を長行に
>復活させてはどうだ。 (つづく)

哀笑。云うに事欠いて、同じ事を何度もベタ貼りしおって。糞笑。
其の文句、今から15年前のものであろう。哀笑。

日亨上人が曰く『僧分ならぬ檀徒の願いも亦(また)是の如く一々末寺の住僧の取次推挙を経る事を要す、
(中略)然るに若し此の筋目を立てずして、宗門一般の僧俗は悉(ことごと)く本山法主の弟子檀那の理なりと
速了し、直系師僧の推挙披露を待たずして、直に此等の沙汰を為すときは、是れ事行を離れて理門に走り、
信行を斥(しりぞ)けて智解に陥る物怪なり』と。

よいか。上記の文意こそは、勤行の次第についても、其の義を含むものである。
つまり、オマエら元信者が寄り集まり、勝手都合に勤行の次第を変えていく、そーゆー物怪ぶりに対して、
我ら富山が責めているのである。

ったく、何も解らぬ宿坊フェイクの阿呆さ加減よ。呆呆哀。

最早、オマエらに付ける薬など無い。有るは唯、オマエら無智なる阿呆に対して阿呆と知らしめるのみである。
 

同穴のキマイラ

 投稿者:管理人  投稿日:2019年 6月29日(土)13時51分59秒 i223-218-134-143.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  ●『日興上人の離山の精神に違背。日蓮正宗と身延派との友好交流』
●『邪宗門の坊主は最悪の害虫。お盆に際し金儲けを狙う宗教商売を斬る』
●『折伏できない坊主が法華講に圧力。日如の妄想で折伏に狂奔する宗門の醜態』

小笑。見ればどれもこれも品性のない中傷文ではある。

本より、現在の創価学会がばら撒いているこれら謀略情報は、曾(かつ)て散々な目に会った言論問題、
及び月刊ペン等の、所謂(いわゆる)内部告発やマスメディアによる情報攻撃の威力というものを反面教師
として学習したものであり、其れら学習した情報攻撃の威力というものを、今度は自らが其れを駆使して、
我ら日蓮正宗並びに法華講に対して行なっているものである。

して、其れらの謀略情報は、学会の各会館ロビー、又は幹部宅のFAX、又、今日ではインターネットを
通して、連日頒布されるのであるが、本よりこれら情報頒布の狙いは、日蓮正宗僧俗の堕落ぶりを喧伝
するものであり、其のネタとなる情報は、全国各寺院に潜り込ませた『蝗蟲』から収集し、又は、
学会員の口コミ等によって、御住職又は寺族・又は講頭などの生活ぶりを、其れら『蟲』の「監視力」に
よってデッチ上げるものである。

尚現在、其れらの謀略情報をネタとする「怪文書」は大概(おおむね)以下のとおりである。

①地涌
②フェイク
③越洋
④短信
⑤新改革通信

小笑。其れにしても、あれやこれやと、よくもまぁ、分担してやるものよ。鼻笑。

云うまでも無く、これら怪文書の存在は、池田創価学会の別働隊の役割を担っている。そこには任意
としての資格はない。其れは何故か。其れはお前たち怪文書の役割が、創価学会にして下品な部分を
請け負っているからである。つまりは、お前らこそが池田創価学会の本音に於ける代弁者なのである。
よいか。そういう存在をして『別働隊』と云うのである。

さて、上記①~⑤の怪文書について、若干の説明を此に加えてみよう。

先ず①の「地涌」であるが、此の発行者は「日蓮正宗自由通信同盟」である。小笑。とは言っても、
何が通信同盟であるのか訳が判らんが、兎も角、こういう連中は「同盟」という言葉を好んで使用する。
『俺たちは同盟を組んでいるのだぞ。だから脅威になるんだぞ』。鼻笑。まぁ、そういう猿知恵から
好んで使っているのであろう。して、この「地涌」の編集長は【不破優】だという。さても是れは
「フー アーユー」から捩(もじ)ったのか。つまりは【不破優】とは「貴方は誰?」という事か。……鼻笑。
何とも莫迦にした名前ではある。さても身元がバレない事を自慢してのネーミングであろうが、当方からして
そういう性根こそが卑しいと言っているのである。

さても、世界に冠たる創価学会の会館ロビーに置くのであれば、正々堂々、発行者の氏名と発行所の
住所を明記すべきではないか。ったく、表で表彰などを受けながら、裏では怪文書を操って罵詈中傷
を重ねていく。よいか。そういう姿を『キマイラ』と云うのである。キマイラとは、ギリシャ神話に
出てくる、頭がライオン、胴体が山羊(やぎ)、尻尾がヘビの化け物である。しかも口から火を吐くと
云う。鼻笑。当にお前らの事ではないか。哀。

して、此のキマイラ「地涌」が登場したのは平成三年の正月である。つまりは、この「地涌」は創価
破門より11か月も前に発行されたという事になる。思えば、此の平成三年正月の大白蓮華には、
日顕上人御寄稿による「新年の辞」が掲載されているが、創価学会は其の時より既に、怪文書による
中傷戦を用意していたのである。

さても、其の様な悪辣な中傷記事を、半年、一年と連日学会の会館ロビー、全国の末寺、又は其れら
幹部宅にまでバラ撒くとなれば、果たして、お前らが『突然、宗門は学会を切った!』などの言い分が、
実にいい加減で出鱈目(デタラメ)であるかが判るのである。果たして、半年も一年も批判中傷を繰り返す
信者団体を眼の前にしながら、手をこまねいて組織破門にしない方がおかしいのであって、実際、お前らは、
其の破門を待っていたのである。つまり「地涌」とは、宗門に対して破門を促す為の怪文書であったという
事であり、其の呼び水であったのである。

そして、お前らの念願であった、日蓮正宗による創価学会の破門が、其の年の十一月二十八日に決定した
のである。実にキマイラ地涌の創刊から十一ヶ月目の事であった。

さて、次に「フェイク」であるが、これらの怪文書は、すべてキマイラ「地涌」の二番・三番の煎じであり、
時間が経てば、どれもこれも苦味が増して、とても味わえるシロモノではない。

云うまでも無く「フェイク」(fake)とは、ニセモノ、まやかしの意であり、又、相手から見破られない
トリック、という意味にもなる。本より、前半のニセモノ、まやかし、との意は、我が日蓮正宗の事を
指して言っているものであり、後半の見破られないトリックとは「フェイク」自身が自らの怪文書ぶりを
自慢している事に他ならない。尚、此の一枚刷りの怪文書には【発行所・日蓮教団メディア・アカデミー
青葉茂監修】などと、ふざけた事が書いてある。勿論、これこそが怪文書の怪文書たる所以であるが、
そこに記された内容などは、単なる醜聞(スキャンダル)の駄記であり、それら品性のない内容は、どこぞの
参議院議員の下品なヤジと同類である。

次に「越洋」とは、此れも一枚ズリの怪文書であり、その題号に使われている「越洋」とは、御隠尊
日顕上人の阿闍梨号(越洋阿闍梨)から流用したものである。勿論、其れらを流用する性根には、作成者の
憎悪と揶揄が込められている。又、其れこそが「怪文書」の怪文書たる所以でもある。又、これらの揶揄的
流用は、現創価学会教学にも違背する所謂「蟲会員」などが、掲示板上で自らのハンドルネームとして使用
する場合が多い。果たして『似た者同士』という事か。小笑。何とも浅ましい性根ではある。

次に「短信」とは、日蓮正宗総本山をはじめ、各末寺に於る内部情報を、鵜飼よろしく頸縄に繋がれた
スパイ共が「日顕宗」と罵倒しながら、其の日顕宗の御本尊に手を合わせ、其れこそ謗法を犯す事よりも、
学会本部への情報提供が優先とばかりに、ある事ない事、醜聞(スキャンダル)のネタをデッチ上げて、此の
「大石寺短信」は出来上がるのである。つまりはスパイ情報によるデフォルメ怪文書の出来上がりという事である。
小笑。さても「短信」とは、お前らの頭こそが「短信」の其れではないのか。
哀。莫迦よ。少しは長く深く考えてみよ。

さて、最後に「新改革通信」であるが、これは創価学会の教宣部に属しない、元日蓮正宗の離脱僧侶たちが
画策した怪文書であるが、此の「新改革通信」は、主に寺院の住職になれなかった脱落坊主が烏合して創った
モノであり、他に「同盟通信」といって、元住職が烏合して作った怪文書もある。

因みに、住職になれなかった者は『青年僧侶改革同盟』という烏合を結成し、元住職の罪深き集団は
『日蓮正宗改革同盟』『憂宗護法同盟』などという代物(しろもの)に成って、池田センセー創価学会の
太鼓持ちをしている。

哀笑。しかし、当文の最初にも述べたが、此奴(こやつ)らは本当に『なになに同盟』が好きな連中である。
因みに、彼の松岡某は住職になれなかった烏合集団『青年僧侶改革同盟』に所属している。
何? 何故に烏合とな。鼻笑。そんなものは、住職になれなかった元坊主が集まって、在家に媚びを売る
姿からして当然であろう。つまり当方からして、お前らの「同盟」は単なる烏合という事である。
尚、此奴ら「元僧侶」などは、挙(こぞ)って創価学会の寺、所謂「会館寺院」の住職(?)となって、
学会員の葬式や法事を請け負っているのである。哀笑。ったく、僧侶など不要であると息巻き、破門の半年
以上も前から友人葬を行っていた者共が、今になって寺院だ、僧侶だ、などと…。呆呆哀。

まったくお前らは「キマイラ」であるよな!

して、これら創価学会の〝専用僧〟を派遣している「青年僧侶改革同盟」「憂宗護法同盟」などは、
平成五年の学会専用の本尊配布に関して、次の様に述べているのである。

云く『今回、学会が会員の方々に授与するお形木御本尊は、日寛上人が大聖人出世の本懐たる
「戒壇の大御本尊」をお写しされた御本尊である。ゆえに、「大御本尊根本」の信心はいささかも変わらず、
当然、これまでの御本尊と功徳においてなんら違いはない』と。

                    【日蓮正宗改革同盟・青年僧侶改革同盟 1993/09/20(聖教新聞)】

何だ。鼻笑。まさかお前ら、今になって、上記の宣言などは「怪文書」ならぬ「怪宣言」であったと
舌を出して云い逃れる気でいるのか。さても、上記の宣言が「怪宣言」であるならば、其の怪宣言を
受けて配布された本尊も「怪本尊」と成る。仍って、其れこそが「偽(ニセ)本尊」と相成る。

果たして、お前らは、栃木浄圓寺を含む、上記、改革同盟二派の宣言、つまり『今回、学会が会員の
方々に授与するお形木御本尊は、日寛上人が大聖人出世の本懐たる「戒壇の大御本尊」をお写しされた
御本尊である。ゆえに、「大御本尊根本」の信心はいささかも変わらず、当然、これまでの御本尊と
功徳においてなんら違いはない』という創価本尊の大義と、其れ以降に改変した会則中の「教義」
つまり【(創価学会は)一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊を信受し】の大御本尊と、一体それが同じで
あるのか、そうでないのか。お前らは其れを提示すべきである。

何、今のお前らには大御本尊など無いから、そう言われても困る、とな。堪堪笑。

鼻笑。さもありなん。

だからこそ言う。今、お前らが拝んでいる創価本尊などは、まこと偽本尊の其れであると!
ったく、日寛上人本尊に於ける授与の大義を根底から覆し、其の授与の正当を拠とした離反僧の宣言を無とし、
日寛上人が明示された大御本尊の定義をも蹴飛ばして、平然と富山・日昇上人の御本尊を総本部に安置する、
其の滅裂なる頭破の姿よ。哀哀哀。

よいか! そういうお前らをして「キマイラ」と云うのである!

何?! 元々が「キマイラ」であるから、それでも良いとな。鼻笑。

恩師が云く!『前に言っていたことと、今言っていることが違う宗教は、邪宗である』と!

最早、これで決まりではないか!!  
 

馬鹿に付ける薬は無い

 投稿者:管理人  投稿日:2019年 6月27日(木)17時39分40秒 i223-218-134-143.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  >何よりも、この「亡くなった時にいただく戒名」について、厳しく指弾された文が宗門にあるのをご存じか!
>そこには 「臨終ニ当リテ俄ニ法号ヲ乞フガ如キ愚挙ナキヲ期スベキナリ」と法号(戒名)を乞うのは愚挙と
>記されているが、書き残したのは○○上人、知っているのか?

呆呆哀。

又、其れか。

捨てハン串の宿坊連中。糞笑。

此奴らは皆、馬鹿である。

ったく、何度も同じ事をベタ貼りしおって!

よいか。

オマエらは、以下の長文をしっかりと読み返し、己(おのれ)の痴脳を恥じなさい。

**********************************************************************

【再掲】

さて、相も変わらず創価外道が騒いでいる『葬儀に僧侶の出席は不要』などという文句について、
其れを茲にて叩いておこう。

先ず、創価の連中が満悦に取り上げた、読売新聞((4月21日付)の冠婚葬祭に関する世論調査であるが、
見れば其の『簡素化』の傾向をして『友人葬』の正当性が証明された、などと云う単純阿呆な連想を、
小会員などがベラベラ申している様ではある。鼻笑。

さても、世論の意見こそが、宗義破折の根本に成るとは、応に外道創価の得意とする所ではあるが、
果たして、其の支柱とする世論の意見の大半が、無宗教・無信心の衆生から出ている、という事を、
お前らは先ずもって知るべきである。して、もし其れらを了解して教義の支柱と為し、其れら世論を
以って、我ら富士門の法義に唾するならば、応に其れこそが外道の正体であり、新興宗教の性根その
ものと成るのである。

して、其の読売の世論調査をして『葬式に僧侶の出席は不要』などとは、何処にも書いてはおらん。
見れば、あくまで葬式への参列についての事であり、本より導師を務める僧侶をして『参列者』とは
申すまいが、つまりは、葬式への参列は、其の家族・親戚・友人・知人が望ましい、との事であって、
僧侶の不要などを希望するものではない。して見れば、自分の葬式で戒名などは必要ない、とする意見が
56%で、戒名を必要とするが43%である。尚、読売の記事に於いては『戒名カッコ法名』と記されておるが、
確かお前ら創価外道に於いては『戒名と法名は別モノだ!』という文句ではなかったのか。
何だ。この部分(世間の意見)については採用しないのか。鼻笑。ったく、都合の良い連中であるよな。

云うまでも無く、葬儀の盛大が故人の成仏に関係するものではないし、又、簡素にしたからと言って
成仏しない、というものでもない。先ずは第一、其の葬儀が正法正義に依って執り行われるか否かが
重要となるのである。本より、これ以降の記述は、世論を超えた仏法義の内容であるから、此の小生の
記述を世論の意見から批判するとなれば、其の時点でお前らは『馬鹿な連中』と相成るのである。
先ずは其の事を肝に銘じて置きなさい。よろしいか。

して、葬儀には僧侶の出席が絶対に不可欠とは、一体誰が言ったのか。

して、僧侶抜きの葬儀を執行すれば、故人は地獄に堕ちるとは、一体誰が言っているのか。

小笑。何てことはない。これらは皆、お前ら創価外道の造り文句なのである。

よいか。我らはこう申しておる。

『創価学会が富士門の三宝尊に違背し、正法正師、つまりは日蓮正宗の僧侶に対する怨念を以て執行する
友人葬などは、其の不純なる一念からして、故人の即身成仏などは為し得ない。つまり、我らが富士門の
根本たる戒壇の大御本尊と唯授一人の血脈に随順しない葬儀は、其のすべてに於いて故人の成仏は叶わないと
云う事である。つまり、邪宗の葬儀に於ては、僧侶の出席の有無に拘わらず、其のすべてが堕獄の因に成ると
云う事である』と。

外道諸氏よ。上記の意味合いが理解出来るか。

つまり、僧侶が出席しなければ絶対に成仏できない、などとは、実にお前ら創価学会の付会であり、
其れこそ、我ら日蓮正宗信徒に於いて、何某が亡くなったとして、いざ葬儀という時に、其の居住が
僻地離島であり、しかも途上に於いて悪天候が続き、諸々の交通が遮断されたともなれば、其の間、
延々と御僧侶の到着を待つべきものであるのか。つまりは、そういう止むを得ない状況も有り得ると
いう事である。又、其の様な状況は、海外に於いても発生し得る事案でもあろう。而して其の場合、
葬儀に於いて僧侶が不在であるから故人は地獄に堕ちてしまうのか。

よいか。つまりは、富士門から破門された在家などが寄り集まって、其の恨念の下に勝手に葬儀を執り行い、
しかも、仏法に於いて僧侶など邪魔である、などという邪念の在家どもが導師を務める其の醜態をして、
我らは『其の葬儀に於いて故人の成仏は叶わない』と申しているのである。

ったく、邪宗邪徒が執り行う葬儀によって、故人が成仏するとは、一体、何処の御文に記(しる)されているのか。
この様な事、日蓮門下の端くれであれば、文証を引くまでもなかろうて!

尚、フェイクなどが引用しておる、昭和43年11月度の本部幹部会における池田太作の発言は、
今回の読売と同様、その当時の一般新聞での「葬式の合理化運動」を取り上げて述べたものであるが、
昨今の小創価の馬鹿どもは、此の池田の発言こそが友人葬の原点であり、何と此の池田の発言をして
『先師・日達上人の指南を経てなされたものだ』などと嘯(うそぶ)いているのである。哀笑。

ちと長いが、其の池田の発言を此に示そう。

云く『先日から新聞などに葬式の合理化運動の記事が出ています。そういう点も、私は大賛成です。
あれは形式だけの葬式を改革しようという動きで、坊さんを呼ばないとか、死亡通知だけでよい、と
いうような考えです。御本尊に題目を朝晩あげて、事の一念三千の当体である我々です。死んで誰に
お経を読んでもらう必要がありますか。我々こそ、葬式の最高の近代化を訴える人であり、合理化の
先駆者なのです。だからもし葬式の改革の話が出たら、我々は賛成だ、先端をいくのだ、と言っていいの
です。葬式に必ずしも御僧侶を呼ぶ必要はないのです。正宗は葬式仏教ではなく生きるための仏教です。
呼びたい人は呼んでもいいが、呼びたくなければ呼ばなくてもいい。この様に日蓮正宗は、あらゆる宗教の
なかで最先端をいくものであり、最高の近代性をもっているのです。これについては、総本山も大聖人の
根本精神につながった考えです、と言っておりました。しかし、これも行き過ぎないようにしてください。
御僧侶を呼ぶかどうかは、本人や家族の意思で決めることです。ただ、幹部が葬式の合理化について聞かれた
ような場合、なにも受け身になる必要はない、保守的に封建的に考える必要はない、という意味で申し上げた
わけです』

果たして、此の内容の全てが、御先師・日達上人の御指南によって成されたものであるのか、少しでも脳ミソが
働けば、判るというものである。

抑も『総本山も大聖人の根本精神につながった考えです、と言っていた』との意は、日蓮正宗に於る常盆・
常回向の精神を述べたものであり、其れらを怠って、葬式のみを本義とする偏頗な思考に同じない、
つまり日蓮正宗の法義は、葬式の為の法義ではない、という意味での文言なのである。つまり、
そういう意味での『根本精神』なのである。而して此の事を以て、僧侶不在の葬式こそが日蓮大聖人の
根本精神だ、などという意味にはならないのである。

又、其の事は、日亨上人が仰せの『葬儀は宗門の厳儀にして其の方式を霊山虚空会に取る』との御意にも
繋がるものであり、其の御精神に於いて、世間普通の無信仰の人間が因習的に、形式的に、人が死んだから
僧侶に引導を渡して貰って焼いて埋めて、ハイお終い、などという惰性的な葬式などは、抑も我が宗の葬儀の
意義からして、まったく趣を異にするものである、との意なのである。

哀笑。其れを『(僧侶を)呼びたくなければ呼ばなくいい』という、池田の小言を『僧侶不要の宣言』と断定し、
しかも、其れを宗門が奨励したかの様な記事を書くなどは、まことお前ら怪文書フェイクの生(な)せる業(わざ)で
ある。ったく、どうしようもない連中であるよな。哀。

尚、太作は、上記の内容の前に、次ぎの様な事も言っておる。

云く『これは総本山とよく相談した結果をお伝えするわけですが、塔婆供養について一言申し上げたい。
というのは、従来、人によっては、五本も十本も塔婆をたてて追善供養してきたケースがありましたが、
原則は一本でいいのです。あとは回向料として、御供養すればよい。こういう細かなことをいうのは、
日蓮大聖人の仏法が、末法万年にわたって、永遠に合理性をもち、近代的であるからです。
事実、御書をみても、塔婆を何本立てなさいという指導はどこにもありません。でないと、世間の人達が、
日蓮正宗創価学会を、葬式仏教と成り下がった既成宗教と同一視してしまう可能性さえあります。
わざわざ世間の人の不信を買い、法を下げる結果を招いてしまうのです。塔婆は一本と決めておけば、
すっきりします。裕福な人も貧しい人も平等なのが真の仏法です』と。

本より、塔婆を五本も十本も建てなければならない、などと、御宗門は言っておらんし、其のような事は、
信徒それぞれの裁量である。つまり、出来る事が可能であれば、須らく其れを実行し、又、可能でないのであれば、
無理を押してする必要はない、という事である。又、其れを逆に云えば、実行可能であるのに、其れを敢えてしない、
というのは、信心の懈怠であり、ましてや其の不行が僧侶への怨嫉と怨念によっての不行となれば、其れこそが謗法の
邪念であり、そういう性根を以って葬儀を行えば、須らく堕地獄の因と成るのである。
仍って、お前ら邪徒が邪徒を弔う『友人葬』などは、其の全てに於いて地獄の儀式と相成るのである。

よいか。お前らの葬儀などは、立正佼成会の信者が葬式を執り行うと同じ事なのであり、抑もが、僧侶を呼ぶ、
呼ばないの以前の問題なのである。よいか。先ずは其の事を理解しなさい。

尚、引導・戒名・塔婆については、本より我ら正統・富士門流の化儀であり、破門された在家どもが、
己(おのれ)の都合によって一々騒ぎ立てようとも、其の動かざる正義は即化法として、お前らの眼前に
立ちはだかるのである。

日有上人が曰く『仏事追善引導の時の回向の事、私の心中有るべからず、経を読みて此の経の功用に依り、
当亡者の戒名を以って無始の罪障を滅して、成仏得道疑ひ無し乃至法界平等利益』と。

加えて日亨上人が曰く『塔婆などに題目などを書写する事は、受持体分(総体の受持)の書写となるなり』と。

よいか。引導も戒名も塔婆も、当流に於ては、世間邪宗の形式に非ず、其のすべてが霊山の儀式を執(とり)成す
重要な化儀となるのである。

仍って恩師が云く『(塔婆は)形式ではありません。仏法上の儀式であります。色心不二の成仏、草木成仏の
深い原理からきているのであります。(中略) 生命論がわからなければ、この深い原理はなかなかわかりません』と。

果たして一体、此の恩師の指導からして、塔婆など不要とは、どういう事であるのか。つまりは、
お前らの葬式に於いて、塔婆を建てる者が居ないから、単に要らないと言っているだけではないのか。
本より、そんな理由などは仏法でも何でもない。

して、間違いなく、塔婆は不要というのであれば、
上記の恩師の指導は間違っている、という事を、此に証明しなければならない。
加えてお前らは、仏教に於いて、僧侶は葬儀に携(たずさ)わるべきではない、などと言っている様で
あるが、其れでは何故、六老僧は日蓮大聖人の御葬儀を執行したのであるか。つまりは、お前らからして、
携わるべきではない日興上人を首(はじめ)とする御僧侶が、日蓮大聖人の御葬儀に参列したるは邪道に値する、
という事であるのか。先ずは其れを述べよ。尚、日興上人は信徒の曽禰殿に対し『市王殿の御うは(乳母)他界
御事申はかり候はす、明日こそ人をもまいらせて御とぶらい申候はめ』と申されておる。
されば『人をまいらせて』とは、曽禰殿と同じ在家信者を参らせるのか、それとも御一門の御僧侶を参らせるのか。
仏事の道理として申してみよ。して、其の参らせる人が僧侶となるならば、お前らが大白蓮華で主張した
『僧侶が葬儀を執り行う事は仏教本来の在り方ではない』と云う文句は、其れこそ日蓮大聖人御遷化に於ける
大葬を侮蔑する事となり、日興上人に対する無礼となるのである。

尚、怪文書フェイクなどは「葬儀の本来の意義を見直すことは、謗法と化した日顕宗への施しを止める戦いでもある」
などと馬鹿な事を言っておるが、つまりは、葬儀に於ける僧侶の不要などは、単に我ら興門正統に対する反抗の証しで
しかない、という事ではないか。鼻笑。

よいか。そういうのを『意固地』と云うのである。哀。

其れにしても、創価の馬鹿連中が言う『絶対でないのであれば破ってもよい』という極想は何とかならんのか。呆哀。
果たして『絶対でないのであれば、破っても良い、守らなくても良い』と云うのであれば、別段、数珠などは輪ゴムでも
よいのであり、蝋燭もクリスマスキャンドルでよいのであり、仏壇もミカン箱でよいのであり、樒(しきみ)も桜や薔薇で
よいのである。しかし、お前らは、それをやろうとしないであろう。つまりは、そういう事なのである。つまり絶対厳守で
なくとも、守るべき行動意識というものが、そこには在るという事である。よろしいか。其れをして『化儀』というので
あり、其の化儀は普段からして守るべきものであるから、つまりは其れこそが化儀即化法となるのである。

馬鹿が云く『葬儀も引導も戒名も塔婆も、それを絶対しなければ成仏しないという文証を出せ』と。

哀笑。もはや、馬鹿に付ける薬は無い、とは此の事か。鼻笑。

兎も角も、我ら興門正統は、今後とも創価外道が執行する友人葬を破し、其の邪念に基づいた地獄の儀式を、
より一層呵責すべく、化儀即化法の正義を此に愈々(いよいよ)宣揚しめんとするものである。

日亨上人が曰く『霊山の儀式とは、葬儀は宗門の厳儀にして、其の方式を霊山虚空会に取る』と。

仍って曰く『亡霊への廻向には、其の導師たるもの少しも私の意志を挟むべからず、御経の功用に任すべし、
此時は蓋(けだ)し戒名に意義ありと意得べしとなり』と。

爾して曰く『当法華宗は信謗を以って徳罪を峻別するが故に、如何なる荘厳儀礼を尽くせる仏事作善なりとも、
他宗他門にて此を行なふときは、能開の宗旨既に謗法罪科なれば、所開の作業従って又罪悪なるを以って、
決して随喜参列すべからず、寧(むし)ろ此を破斥するが大功徳なり』と。

されば創価外道の友人葬を今こそ破すべし! 此れ大功徳の源泉なり!

【付記】

尚、オマエらが得意げにギャーギャー騒いでいる、日亨上人の弁、乃(すなわ)ち、

『臨終ニ当リテ俄ニ法号ヲ乞フガ如キ愚挙ナキヲ期スベキナリ』との意は、

本より戒名自体を否定されているのではなく、臨終に際して俄(にわか)に戒名を乞おうとする、其の横着なる
根性を叱られているものである。よいか。オマエらは莫迦であるから、其れが解らんのである。

よいか。今一度言うぞ。

『俄かに戒名を乞う』との意は、其の姿勢根性をしてよろしくない、という事である。
本より、法華講員のみならず、戸田総講頭に於いても、臨終に及んで俄かに戒名を乞い願ったものではない。
日蓮正宗の化儀に遵(したが)って、須らく取次の御正師から戒名を頂いたのである。

つまり、其れを反(かえ)して言うならば、日亨上人が必要と言われた戒名の化儀を、オマエら創価こそが俄かに捨てた
という事である。つまりは、日亨上人が言われた『暴挙』こそは、応にオマエらの其の俄か根性に対して言われている、
という事を、此に識るべきなのである。

>この「亡くなった時につける戒名」について碩学の日亨上人は「臨終ニ当リテ俄ニ法号ヲ乞フガ如キ愚挙ナキヲ期ス
>ベキナリ」と記されている。これを「大白法」編集部は知らないのか?

堪笑。何度読んでも吹き出してしまうが『臨終に当たりて俄(にわか)に乞うが如き暴挙無きを期すべきなり』が、
なんで『戒名不要』の文に読めてしまうのか。哀笑。

鼻笑。答えは簡単であろう。

要は、オマエらの脳髄が邪教の害毒に犯されて、最早、真っ当な解釈が出来なくなっている、という事なのである。

実に、救いようのない馬鹿とは、応にオマエらの事を指して言うものであろう。

して、そんなオマエらが嬉々として貼り付ける怪文書フェイク。

実(げ)に其れこそ、痴人狂人に相応しい痴文書となるものである。糞笑。

少しは恥というものを知りなさい。
 

馬鹿に付ける薬

 投稿者:管理人  投稿日:2019年 6月27日(木)17時06分46秒 i223-218-134-143.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  いや。

此の者に、付ける薬などは、最早、説教しか無かろうて。

>観心本尊抄は、我ら末法の衆生が尊崇すべき御本尊の意義を示された重要な御書である。
>しかし、日顕宗は本抄の「正意」を読めず、〝御本尊は「木絵二像」(画像・木像)の類だから「開眼」が必要だ〟
>とうそぶいており、まことに愚かなことである。

呆哀。つまりは何だ。

木絵の二像とは、所謂、絵像と仏像を指しているのであるから、(日顕宗が)木絵二像開眼の御文を引用して、
紙幅の創価本尊(日寛上人書写本尊)の開眼の有無に、其の義を充てるは、誠に愚かな事である、という事か。

哀。

先ずは言おう。

お主。此れをどう読むか。

曰く『仏の御意あらはれて法華の文字となれり。文字変じて又仏の御意となる』と。【木絵二像開眼の事】

果たして『絵像』でもない、『木像』でもない、其れこそは仏の御意を以って法華の文字と為し、又は
法華の文字を以って仏の御意と為すは、是れ全く曼荼羅御本尊の御事を指すものではないか。

つまり、ここで云う処(ところ)の『木絵二像』とは、単に木像と絵像のみを指して云うものではなく、
其れらを像(かたち)どる草木の全体をして云われているものであり、別して其れを云うならば、応に一念三千の
肝心たる曼荼羅御本尊の御事を指すものであり、つまりは草木成仏の奥義を述べられたものなのである。

其れを「御本尊は木絵二像の類であるから、開眼が必要なのだ、と(日顕宗)が嘯(うそぶ)いている」などと。

呆呆哀。

よいか。木に彫られた仏像も、紙に画かれた絵像も、其の土台は全て草木である。

されば、日蓮大聖人。

オマエの様なヘンチクリンに対して、次の様に仰せらる。

曰く『然りと雖(いえど)も一念三千の肝心、草木成仏を知らざる事を妙薬のわらひ給へる事なり』

おーおー、お主は彼の妙楽からも笑わられてしまう程の末法迹人の御仁であったか。哀笑。

よいか。興門が開眼をして宣べるのは『木像』と『絵像』に対する開眼の理を根拠としているのではない。
其の根源たる草木成仏の理を根拠として宣べているのである。仍って、開眼なき私造曼荼羅は、応に非情の
草木、否、其れこそは魔文字に染まった魔木魔草と相成って、お主ら三世の生命に刻印されて行くのである。

さても『仏像』を、単に『ぶつぞう』としか読めぬ創価員では、草木成仏の一番地にも入れないであろう。

爾して曰く『然りと雖(いえど)も詮(せん)ずる所は一念三千の仏種に非ざれば、有情の成仏・木画二像の本尊は
有名無実なり』と。【観心本尊抄/新編652】

無論、此の御金言の義に於いて、御板御本尊のみならず紙幅の御本尊も全て含まれるは当然の事である。

よいか。依義判文とは、実(げ)にこういう読み方をして言うものである。

>観心本尊抄は、我ら末法の衆生が尊崇すべき御本尊の意義を示された重要な御書である。
>しかし、日顕宗は本抄の「正意」を読めず、〝御本尊は「木絵二像」(画像・木像)の類だから「開眼」が必要だ〟
>とうそぶいており、まことに愚かなことである。

哀哀哀。

情けないよのぉ~。

木絵二像の開眼とは、仏像と絵像の事を指しているから、其れを(仏像絵像ではない)創価本尊に当て嵌めて無開眼を
責めるは、まことに愚かである、とは、実に其の言い様こそが愚かなのであり、文の上っ面(うわっつら)しか読めない、
新興宗教創価学会の一員たる証しとなるものである。

よいか。屁理屈を垂れるなら、も少し勉強して来なさい。

否、其れよりも何よりも、一大秘法とは日蓮大聖人御図顕の曼荼羅御本尊の事に非ず、という創価教義を、先ず以って
お主こそが論証しなさい。

ったく、一大秘法の意味も判らぬ者が、本尊に於ける草木開眼成仏の大義に屁理屈を述べるなど以ての外である!

よいか。此れは悪口ではない。

お主に対する説教である。

心して読みなさい。
 

ああ、邪教人 其の七十七

 投稿者:管理人  投稿日:2019年 6月26日(水)00時18分33秒 i223-218-134-143.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  久々の邪教人シリーズ。

そんなシリーズも積もりに積もって七十七回目と相成った。

思い返せば、平成27年の夏ごろに始めたものである。

其れから4年。

創価の本尊義は「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊に南無し奉り、報恩感謝申し上げます」

から、

「一大秘法とは御本尊の事ではなく、妙法蓮華経の五字の事である」に変転したが、

そーとなれば、

「一閻浮提総与・一大秘法の妙法蓮華経に南無し奉り………」と相成るが如何。

されば御開山・日興上人が申さく、

『唯御書の意に任せて妙法蓮華経の五字を以て本尊と為すべし、則ち自筆の本尊なり』と。

果たして創価は、「一大秘法が(本門の)本尊であるとは御書の何処(どこ)にも説かれてはいない。
一大秘法とは妙法蓮華経のことだ」と言い、

日興上人は、「御書の意に任せて妙法蓮華経、則ち自筆の本尊を崇め奉るべし」と仰せらる。

果たして、どちらが正しいのか。

ったく。

其の様な事。富士門の教義の初歩を学んでおれば、容易に解る事ではないか。

つまりは、創価の脳髄が狂っているのである。

して、こんな文言が目に入って来た。

云く、

「そもそも御本尊は法華経であり、〝法華経を以て法華経を開眼する〟との、理屈が立たない話である」と。

はて、そもそも御本尊は法華経であり、とは何か。現創価の解釈からすれば、其の言い様こそが間違いとなる。

現創価は「御本尊は一大秘法ではない」と言い「妙法蓮華経こそが一大秘法だ」と言っておる。

而して、此の創価員は「御本尊は法華経」と断言する。

されば法華経とは何か。

日蓮大聖人が曰く「法華経の題目を以て本尊とすべし」と。
して曰く「日本国の一切衆生の為に付属し給ふ法雨は題目の五字なり。所謂(いわゆる)日蓮建立の御本尊
南無妙法蓮華経是(これ)なり」と。仍って申さく「本尊とは法華経の行者の一身の当体なり』と。

而して現創価は言う。「一大秘法が本尊であるとは御書の何処(どこ)にも説かれてはいない。
一大秘法とは妙法蓮華経の事である」と。

哀哀哀。

創価員なら誰でもよい。

此のヘンチクリンな現創価のヘボ教義を、胸張って顕示して見せよ!

果たして出来るかオマエらに。哀笑。

ああ、邪教人。嗚呼、邪教人……。

鼻笑。谷川創価の滅裂義が、当方の眼前を横切るわい。
 

えっと…殿

 投稿者:管理人  投稿日:2019年 6月19日(水)13時51分49秒 i223-218-134-20.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  えっとォ~、えっとォ~、、の「えっと…」でありますか?

まぁ、何れに致しましても、そー迷わずに御発言された方がよろしいのでは?

>私、法華講員です。

ああ、そーですか。

>大分昔にその時々によりHNを変えて使用して投稿してましたが、今となっては使用したHNを覚えていません。

ああ、そーですか。

>ネットは時々利用してましたが、こういった板からは遠のいておりました。

ああ、そーですか。

>以前は、常連の法華講員や創価員が対論してましたが、こう申してはなんですが、
>まあ、この板に限らず、掲示板で対論、法論を行う時代は過ぎたようですね。

いや、掲示板で対論・法論を行う時代が過ぎのではなく、対する創価の教義、つまり本尊義が
崩壊して、最早、論ずる足りない新興宗教と成り下がった為、其れに所属する創価員の教学が、
以前よりも増して幼稚となり、とうとう対論・法論という土俵に上がれなくなってしまった、
という事であります。しかし、宿坊グループの様な、所謂(いわゆる)、無所属にして謀略を好み、
文献莫迦よろしく、本人の言葉! 文証! 文証! と叫び散らかして疑似対論に持ち込もうと
する阿呆も居る由。そーゆー賊(やから)は、先ず以って釈迦直筆による法華経という根本的な文証を
此に提示して貰わねば、其れらの話は成り立たない、という事を此に識(し)るべきでありましょう。

尚、当室に於いては、自身の所属宗派・教団を隠蔽し、IPを串にして、ハンネを使い捨てながら
批判投稿する者共は、須らく木陰から唾を吐く小者の遁逃言と結論して、削除又は投稿不採用に
処している由。

爾して、正々堂々、自身の所属教団を明確にし、其の本尊教義を宣揚し、其の確認の下に当宗の
教義と対した者は、当室の開設以来、僅か数人であった、という事を此に知って頂きましょう。

まぁ、何れに致しましても、創価の教学などは、最早、顕正会よりも下となり、其の位置などは、
彼の立正佼成会に同ずるものであると、此に断言するものであります。

>樋田氏が運営してた降魔の剣も検索かけてもヒットしませんしね。
>彼は板を閉鎖でもしたんでしょうか?

閉鎖かどーかは知り得ませんが、聞けば、色々とお忙しい故、無頼な連中(無所属・無信心の文献莫迦)との
論じ合いが、最早不要との御判断がそこには在ったのではありませんか? 無論、中には池田教の屁理屈信者との
対論も行った様でありますが、其の池田教の信者が書きまくった内容も、今では創価による本尊教義の変更によって、
須らく自壊して、最早、其の対論の継続などは、其の本意からして消滅した、と結論されたのやも知れません。
とまれ、創価員との対論は、彼の立正佼成会員や霊友会員と対論するに同じとなり、其の歯応えなどは、一致派の身延や
勝劣派の顕本よりも下がったという事であります。

爾して、そんな創価の主任副会長が叫んで云く、

「過去との整合性など、どうでもいい。自語相違と批判されてもかまわない。完全に独立した教団として出発
するんだから。結論は決まっているんだ。教義なんて、それを後付けすればいいんだ!」

呆笑。

完全に独立した教団として出発するとな…。鼻笑。

ならば、今までは完全ではなかった、という事か。哀笑。

されば、あの時の『魂の独立』は、嘘っぱちであった、という事か。呆哀。

小笑。つまりは、そーゆー事であります。呆哀笑。

>まあ、対論法論しよう、というムードは法華講・創価員共に気持ちが下火になった感がありますね。

いや、何度も言いますが、下火になったのは、創価の教義が下火、つまり、消火活動にも値にしない、
ボヤ以下の単なるボヤキに成り下がったが故、そーゆームードに火が付かない、という事であります。
無論、そーとなれば、創価からして後は悪口しか残らないでしょう。あの坊主がどーのこーのと。哀。

>そういえば、信州・白馬村の御老体はどうしてるんだか?
>かの御老体の「(宗門・法華講の)内部規定云々」というセリフ、懐かしいです。

『独立とともに、この内部規定には束縛されなくなったのです』
『独立し新しい教団として新たに独自の内部規定を設けました』

小笑。よくも御存じで…。

無論、こーゆー思考こそが、新興宗教の根性であり、谷川が言う『自語相違と批判されてもかまわない。完全に
独立した教団として出発するんだから。結論は決まっているんだ。教義なんて、それを後付けすればいいんだ」
という痴弁に同類する、邪教構成員の本音と成るものであります。

云く、

『御本尊はただの物』
『御本尊が仏ではないんです』
『御本尊は誰が書いても同じですよ』

哀笑。いやいや、此等の邪弁も懐かしい。
果たして、信州の雪中筋肉老人…。今以って健在であるのか。
いや、もしかして、身延所蔵の日向板本尊などを真似ては書写し、其れらの本尊を自宅に安置しては念仏などを唱えて
居るやも知れません。

桑原…桑原…。

>それに串使いにして身延の回し者の感が強まった宿坊は相変わらずですかね。

今や『宿坊」なるハンドルネームは、一人の事を指すに匪(あら)ず、此の『宿坊』こそは、彼のトイやイタチやタンボや
ペイトウなどの、所謂(いわゆる)、現原田・谷川執行部に反旗する、異分子憎悪集団としての総称ハンネである事が此に
判っております。とまれ、其の主義主張は、最早、一致派身延の其れと違いのない、釈迦宗の片棒担ぎと成っている由。
果たして、そんな連中が、怪文書を連日ベタ貼りして、我ら興門への悪口を並べておりますが、本より、そんな者らは、
当方からして、単なる阿呆でしかない、という事を、此にして断言して置きましょう。

>最近、顕正会の婦人部が我が家を襲撃してきましたが、
>すぐ思考停止硬直化の症状を発症するので、見ててアワレで仕方ありません。

まぁ、其れなどは個人差もありましょうが、本門戒壇の大御本尊を尊仰し、御隠尊日顕上人に於ける血脈相承を是認して
いる事からすれば、現創価の珍教義よりは、顕正会の方が遥かに勝るものでありましょう。
腐っても鯛。流石(さすが)は、旧妙信講の其れであります。因みに、日蓮正宗布教会発行の『悪書板本尊偽作論を粉砕す』を
印刷したのは、浅井昭衛(顕正会会長)の父親であります。

>それにしても、この板は管理人様のブログの相を呈してますね。
>ネットに於ける掲示板の役割は終えた、ということかもしれませんね。
>昔、バッチバチの対論していた頃が懐かしいとさえ思えます。

いえいえ、役割は終えていませんよ。
但、当掲示板の規則に則って、対論しようとする御仁が愈々(いよいよ)皆無になった、という事であります。
無論、そーとなれば、当掲示板の管理人が但一人にして、破折文を寄せるのみと成るは必然ではありませんか。
しかし、そういう中に在って、当の管理人が長期に亘り不在となった事は、誠に以って遺憾であると、ここに重ねて
自誡するものであります。

>久々閲覧しましたので、カキコして当板を汚してしまいました。

いえいえ、そんな事はありません。

>●※管理者の承認後に掲載されます。
>あー、そういうことですか。。。。
>ではこのカキコも内容が破折が主眼でないので、管理人の大月天様の御判断で掲載されないかも、ですね。

管理人による承認後掲載は、以前から再三申している通り、宿坊を首(はじめ)とする、所謂、痴拙な荒らし投稿を
事前に切り落とす為であり、其れに対して当掲示板の規則に沿ったものであれば、必ず掲載されるのであり、決して
管理人の都合(反駁の難易)によって選別しているものではありません。其の点、どうか誤解の無き様に。

>掲載する、しないは管理人様に任せます。

したがって、御貴殿の投稿文を此に掲載致しました。

而して、此に慾を言うならば「えっと…」という自身のハンネを、もう少し様(さま)良くして貰えれば、当方としては
有り難い。呼び掛けるに「えっと…殿」では、其の度に「えっとォ…、えっとォ…」とモジモジした気が頭をよぎり、
何ともじれったい雰囲気になる由。されば「名は体」との格言を以って、御改名頂ければと謹み乍(なが)ら思っております。

>ではでは。

はい。又、お気が向きましたら、御投稿下さいませ。

お待ちしております。
 

らんららん殿

 投稿者:管理人  投稿日:2019年 6月16日(日)19時08分38秒 i223-218-134-20.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  小笑。

帰って観れば早速の御反応。

終末の掲示板に再び御登場ってか。堪笑。

>いや、別に大義果たすのが目的じゃないでしょ?

いやいや、大義の為である。

それが解らぬお主こそが「哀れ」という事である。哀笑。

>あっ大月天さんの大義(意味深)を果たす(果てる)為という意味でしたか、これは失礼(やべーな出禁だわこれ)

小鼻笑。面白い奴。

やべーな出禁だわこれ……。

鼻笑。そーよな。やべーよな。それ……。

>果たす(果てる)為

糞笑。お主こそが欲求不満ではないのか? 大丈夫か? 鼻血…。堪笑。

>ってか、大義だ何だって言い訳しってけっど、学会は学会で宗門を恨み、憎しみ、殺し、呪いだし、
>旧戸田派も創価を恨み、憎しみ、殺し、呪いでしょ?

本より、創価学会は日蓮正宗を恨んでおる。しかしな。破門を恨んでいるのではない。
自分の思い通りに行かなかった針金宗そのものを恨んだのである。
言っておくが、創価に於いては実は破門を喜んでおる。特に上層部に於いてはな。
して言うが、恨み・憎しみ・殺し・呪いの類は、創価の方であり、我ら興門に其の様な濁心は無い。
在ると言えば、怒(いか)りであろうか。あのどーしょうもない、不信心なセンセーと其の取り巻きを…。
いや、日蓮大聖人で在られても、あーゆー不信心な連中に対しては、大いに叱責される事であろう。

>※旧戸田派とはタヌキ祭り事件にて小河原氏を血祭りにあげ、演説酒飲みを実践された戸田城聖信奉者であり、
>折伏大進撃にて編み出された「戸田式論破伏」を得意とする。

鼻笑。お主、知った被りをするものではないぞ。(つまりは、何も判っていない)

当方に其れを申すには10年早い。も少し勉強して来なさい。

>あっやっべこれ消されるわ、出禁になるわ。

小笑。お主、出禁に拘(こだわ)っておるよな。

果たして、出禁になる恐れがある文言を、何度も投稿して「やべこれ出禁になるわ」と小踊りしている其の姿は、
もしかして自虐趣向の其れであるのか。(そーゆー性癖はやめた方がよろしい=気持ち悪い)

>いやってか、てめぇの土俵に上がってこいっていう時点で折伏でもなんでもないんだけどな。

別に、当室にて論じようとも、他板にて論じようとも、其れが邪義破折を基(もとい)とするならば、其れこそは
立派な折伏である。よいか。折伏とは其の場所をして言うものではない。其の内容をして言うものである。

お主の様な、そういう薄っぺらい思考で判断するから、片っぺらな文言と成るのである。

よいか。物事をしっかと洞察する力を持ちなさい。さすれば、イチャモンなど不要となる。

>後、勘違いしてるようですが、当方は創価学会員ではないです。

なんだ、違うのか。ならば何だ。何者なのだ。

無信心の者か。

もし、そうであるならば、無信心の者が何を言う。

而るに無信心・無宗教となれば、本より「出禁」となる。

なんだ。嬉しいのか。

らんららん。

喜んでいる場合ではない。

まぁよい。

あと一度だけ、投稿を許そう。

無論、お主の真価を見定める為である。

非創価のららん。

頑張りなさい。
 

Re: ららん殿

 投稿者:ららん  投稿日:2019年 6月13日(木)12時34分37秒 om126133240105.21.openmobile.ne.jp
返信・引用
  大月天氏へのお返事でござる

> 哀笑。
>
> 遅れ馳せ乍(なが)ら御返事致そう。
>
> そーか。10年前に来たか。
>
> して、其れ以降はどーしたのだ。
>
> お主こそが出不精と相成ったのか。
>
> 果たして終末とは一体何ぞや。小笑。

どーせ、すぐ出禁になるだろうが、返答してやっか。

> >そもそも、この掲示板は大月天氏の性的欲求を満たすために、創価を恨み、憎しみ、殺し、呪いの為に設立された
> >ものである。
>
> 哀笑。恨みで大義は果たせんぞ。其の様な事、宗教人なら常識だろう。

いや、別に大義果たすのが目的じゃないでしょ?あっ大月天さんの大義(意味深)を果たす(果てる)為という意味でしたか、これは失礼(やべーな出禁だわこれ)
後、勘違いしてるようですが、当方は創価学会員ではないです。

ってか、大義だ何だって言い訳しってけっど、学会は学会で宗門を恨み、憎しみ、殺し、呪いだし、旧戸田派も創価を恨み、憎しみ、殺し、呪いでしょ?
※旧戸田派とはタヌキ祭り事件にて小河原氏を血祭りにあげ、演説酒飲みを実践された戸田城聖信奉者であり、折伏大進撃にて編み出された「戸田式論破伏」を得意とする。
あっやっべこれ消されるわ、出禁になるわ。
いやってか、てめぇの土俵に上がってこいっていう時点で折伏でもなんでもないんだけどな。
 

ららん殿

 投稿者:管理人  投稿日:2019年 6月12日(水)12時32分51秒 i223-218-134-20.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  >私は約10年ほど前に、この掲示板に来た。しかし、もう終末は近い。
>そもそも、この掲示板は大月天氏の性的欲求を満たすために、創価を恨み、憎しみ、殺し、呪いの為に設立された
>ものである。各人においては、それを胸に刻みこの掲示板を利用していただきたい。

哀笑。

遅れ馳せ乍(なが)ら御返事致そう。

そーか。10年前に来たか。

して、其れ以降はどーしたのだ。

お主こそが出不精と相成ったのか。

果たして終末とは一体何ぞや。小笑。

>そもそも、この掲示板は大月天氏の性的欲求を満たすために、創価を恨み、憎しみ、殺し、呪いの為に設立された
>ものである。

哀笑。恨みで大義は果たせんぞ。其の様な事、宗教人なら常識だろう。

呆笑。其れにしても、当方が性的欲求を満たす為に、此の掲示板を設立したとは、いやはや何とも、創価の馬鹿加減
には、ほとほと呆れるわい。鼻笑。そーは思わぬか。

猶(なお)言うが、当方は殺人者でも呪術師でもない。当方こそは正統・富士門流の純信徒である。
されば、お主こそ、池田教に毒された殺人希望者ではないのか。

云く『あのー、まぁー日顕(御隠尊・日顕上人)なんか、その(嫌な奴の)代表だっていうんだ。
ほんな、針金で結わいて、あの頭、トンカチでぶっ叩いてね!』【平成4年12月13日・全国青年部幹部会】

おいおい、そんな事したら死んじゃうよ。そーだろ、ららん君。
而して、そんなトンカチ野郎を師匠とするお主らこそが、殺人希望者の其れではないのか、と言っているのである。
ったく、そんなお主らに、殺しの為に当室が設立された、などとイチャモンされては堪らない。哀笑。

よいか。そーゆー事を平気で言う、お主ら創価員こそが狂っているのである。

果たして終末とは、お主らの頭の程を言っているのではないか。鼻笑。

らんららん。堪笑。まこと哀れな御仁ではある。
 

神を信じる御方へ

 投稿者:管理人  投稿日:2019年 6月12日(水)10時41分9秒 i223-218-134-20.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  いやいや、礼儀正しい御方で居らっしゃる。

投稿が串であったが故、又しても創価一類の投石であるのかと、内心勘ぐった次第。

其れが故の強示文、誠に失礼致した。

其れにしても、創価の一類とは、何故にこうも違うのか。

同じ串でも、創価員の串(くし)は「糞団子の串」であり、御貴殿の串こそは「黒髪を梳く櫛(くし)」と言えましょう。

とまれ、掲示板の規則に従って投稿し論ずる事こそ、投稿者としての一番地。

其の御意を示された御貴殿こそ、宗教論者の資格を得るのであります。

何れに致しましても、規則が故に、これ以上の論議は申しますまい。

但、最後に一言付すならば、御貴殿のキリスト教に対する疑問は、全く其の通りであります。

而して『日蓮上人をブッダよりも上の仏として崇拝していることは、検索して存しています』との一文については、
我々の信条で勝手に崇拝しているものではない、という事だけ此に申して置きましょう。

其れでは失礼致します。
 

管理人殿

 投稿者:神を信じる者  投稿日:2019年 6月12日(水)04時31分40秒 37.120.154.6
返信・引用
   ご返信ありがとうございます。

 私は宗教団体に所属していないので、投稿は遠慮させて頂きます。

 日蓮上人をブッダよりも上の仏として崇拝していることは、検索して存しています。

 何をどう信じるから個々人の自由ですから、私から云々することはありません。

 私は南無妙法蓮華経と神とは同じものでは?と思います。

 南無妙法蓮華経は無始無終だそうですが、私は神も無始無終であると思っています。

 検索するとキリスト教への疑問として、神は原因なくして存在しているとありましたが、南無妙法蓮華経が無始無終であるように、私は神も無始無終であると思っています。

 そして日蓮上人が南無妙法蓮華経を悟って成道したように、私も神と合一を果たしたとき悟りがあるのではと思っています。

 無礼な投稿をしてしまい、申し訳ありませんでした。

 
 

神を信じる御方へ

 投稿者:管理人  投稿日:2019年 6月12日(水)00時52分58秒 i223-218-134-20.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  態々(わざわざ)の御投稿痛み入るが、当室の規則に於いては、所謂(いわゆる)、串(37.341.120)等による投稿は
すべて削除(現在の仕様に於いては未掲載)の対象となる由。
御貴殿は、当室の巻頭文(赤文字で書かれた文言)を果たして読まれたか。
もし、読まれた上で投稿されたとなれば、削除不掲載を承知の上で投稿されたという事になる。
而して、上記巻頭文を見落として投稿されたとなれば、先ずは質問者としての其の緩慢なる姿勢を改めて貰わねばならない。
とまれ、故意による規則破りの投稿は、其の掲示板、就中、管理人に対しての非礼と心得られたい。

其の上で、今回は特別に、神を信じる御仁に対し、其の回答なりを此に示そう。
尚、其れに対する反論などは、御貴殿の心得が、当室の規則に則ったものと成れば、大いに歓迎するものである。

云く、

>この投稿(管理人の投稿文)の中に依法不依人とも文字があり、私なりに検索してみましたが、
>依法とは如来の教説であり如来のこと、つまり法と如来は一つであるが故に如来と如来の教説に依るべきであり、
>菩薩に依るべきではないということでしょうか  ※括弧内は当方記入

言うまでもなく「依法不依人」は涅槃経の法四依の一文である。
本より、此の「依法不依人」とは、人に依らずば言葉にも依らず、言葉に依らずば、其の知識にも依らず。
是(こ)は乃(すなわ)ち、真実甚深の境智を以って初めて、其の「依法不依人」たる句意が領解出来るのであります。

仍って単に「法」と「人」を分離して「依法不依人」と読まんとすれば、其れこそが御貴殿が申されている処の
『依法とは如来の教説であり如来のこと、つまり法と如来は一つであるが故に如来と如来の教説に依るべき』との
御主張に矛盾する事と相成るのであります。

されば『法と如来は一つであるが故に如来と如来の教説に依るべき』との御主張は、則ち『人法体一』を申されて
いるのであり、本より、仏法に於いては、人法体一にして「依法依人」こそが、絶待妙の極意と成るのであります。

仍って申さく『総じては如来とは一切衆生なり、別しては日蓮が弟子檀那なり、されば無作の三身とは末法の
法華経の行者なり。無作三身の宝号を南無妙法蓮華経と云ふなり』と。【就註法華経口伝下・新編1765】

つまりは、人法体一たる御本尊【日蓮大聖人即南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経即日蓮大聖人】を信受しなければ、
真(まこと)の「依法不依人」を観る事は出来ない、という事であります。

尚、御貴殿は、其の「依法不依人」の「依人」に託して『菩薩に依るべきではないということでしょうか」と質疑
されているが、果たして其の「菩薩」とは、御貴殿からして誰の事を指しているのでありましょうや
まさか、日向身延に身を寄せて「菩薩とは日蓮上人の事です」などと呟くのではあるまい。
無論、其れこそは「不了義」と相成るから、気を付けた方がよろしい。

されば、本地無作の三身、則ち如来とは仏の名号にして、其(そ)は人にして日蓮大聖人であり、
其の法にして「南無妙法蓮華経」と云うのであります。

人法体一の仏身。実(げ)にそこにこそ「依法不依人」の極意、つまりは「依法依人」の妙理が観えて来るのであります。

>如来と如来の教説に依るべきであり、
>菩薩に依るべきではない

されば「釈迦菩薩」はどうであろうか。果たして依るべきではないのか。爾して、此の「釈迦菩薩」は如何様にして、
「釈迦如来」と成ったのか。果たして、御貴殿が信じる「神」と比して、其の「人法体一」の極意を明示して欲しい
ものではある。

【注意】

尚もし、上記の回答に応論したい場合は、最初に申し上げた通り、当室の規則を厳守し、其の上に立って御投稿される様、
此に重ねて注意するものであります。
 

依法不依人

 投稿者:神を信じる者  投稿日:2019年 6月 9日(日)19時05分30秒 37.120.154.6
返信・引用
   私は神を信じる者です。

 この投稿の中に依法不依人とも文字があり、私なりに検索してみましたが、依法とは如来の教説であり如来のこと、つまり法と如来は一つであるが故に如来と如来の教説に依るべきであり、菩薩に依るべきではないということでしょうか?、
 

法主本仏論を摧破す

 投稿者:管理人  投稿日:2019年 6月 3日(月)21時58分25秒 i223-218-134-20.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  云うまでも無く「法主本仏論」なるものは、創価学会が作り上げた邪説であり邪論である。
本より「法主絶対論」なる代物も、其の端くれの一つであるから、此に於て両断と致そう。

大体、少しでも智慧が回れば、日蓮正宗の御歴代上人が「今時末法の本仏である」などと云う
阿呆な論説など、思う浮かぶものではない。哀。

そうすると、創価の小者共は、口を揃(そろ)えて言うのである。

「俺たちが言っているのではない。日顕宗が言っているのだ!」と。小鼻笑。

先ず言って置くが、此の世に「日顕上人の宗教(日顕宗)」なるモノは存在しない。
ったく、何度も同(おんな)じ事を言わせるものではないぞ。呆怒。

されば『日顕宗』などという宗教が存在しない最大の証拠は、当方が曾(かつ)て創価学会員として学びし
富士門教学と、現在の富山の教学が、全く以って同一だからである。つまり、破門以前の過去から現在の今日まで、
日蓮正宗は日蓮正宗の儘であり、其れこそは、お前達が「日蓮大聖人直結の御正師」と仰ぐ日寛上人の御教示を、
一寸の乱れなく堅持しているのが日蓮正宗なのである。

其れよりも何よりも、其の「大聖人直結の御正師」の御訓戒に背き、日蓮大聖人の御本仏たるを懐疑する学者を
庇(かば)い、絶待妙の範疇をも超えて、学術研究の小眼を以って仏法を推し量らんとする、其れら謗法容認の
体たらくこそがお前ら「池田創価宗」の態勢ではないのか。

ったく、そんな体たらくな蝙蝠(こうもり)教団が「法主が本仏などと言っている日顕宗は邪宗だ」などと口を
尖らしてブーブー言っておる。哀笑。

大体、日蓮正宗の御歴代上人が「本仏」とは如何なる事か。云うまでも無く、末法の御本仏たるは日蓮大聖人、
唯御一人ではないか。

しかし、お前らは「法主が御本仏だ、と日顕宗が言っている」と云う。

何処(どこ)だ。何処にそういう教義があるのだ。

まさか、此の事か。

『本宗の根本は、戒壇の大御本尊と唯授一人血脈付法の御法主上人であります。具体的には、御法主上人の
御指南に随従し、御本尊受持の信行に励むことが肝要です。何故ならば、唯授一人の血脈の当処は、
戒壇の大御本尊と不二の尊体に在(ま)しますからであります。したがって、この根本の二つに対する信心は、
絶対でなければなりません』【大日連/平成3年9月号 87頁】

小笑。

おいおい、一体此の何処に「法主こそは本仏である」と記(しる)されておるのだ。

お前ら、大丈夫か? 頭。

よろしいか。上記の内容とは、唯授一人血脈の当処、つまり、日蓮・日興血脈の次第に於ける一切の仏法は、
其の後の日目上人、そして又、中興の両祖たる日有上人、日寛上人以降の御歴代上人に相伝されている事を
云うのであり、又、其の伝持される御内証を以って、大御本尊を御書写奉る尊行を宣べているものである。
仍って、其の行(御本尊書写)を為す尊体は須らく、全く戒壇の大御本尊と不二であると説くは、応に当然の理
(ことわり)ではないか。

日寛上人、当家法則文抜書を以って申さく『末法の本尊は日蓮聖人にて御坐すなり。然るに日蓮聖人御入滅有て
補処を定む、其次々に仏法を相属して当代の法主の処に本尊の体有るべきなり、此の法主に値ふは聖人の生れ替りて
出世し給ふ故に、生身の聖人に値遇し結縁して師弟相対の題目を声を同く唱へ奉り』と。【研教9─740頁】

応に師弟は相対にして不二である、という理(ことわり)を領解出来なければ『不二の尊体』の意など解かろう筈も
ないのである。小笑。だからこそ、お前らは、大日連に掲載された、所謂「能化文書」の内容を以って大騒ぎするので
ある。ったく、而二の上の不二を理解せずにして、一体何の本門教学であるのか。本当に大丈夫か? お前らの頭。

御本尊七箇之相承に曰く『代々の聖人悉(ことごと)く日蓮なりと申す意なり』と。

うむ。応に御本尊書写に於ける御判形こそが、而二にして不二なる師弟の深義なのである。

而して「代々の聖人悉(ことごと)く日蓮なり」とは、応に日蓮大聖人をして宣示されたものであり、
又、だからこそ、御自ら(聖人)と同じくして、つまり、其の悉くに於いて『代々の聖人』と仰せになられたのである。
しかし、御開基日興上人已来、我が日蓮正宗に於いて、御自らを『聖人』と呼ばれる御方は居らず、其の代々の総ては
『上人』なのである。つまり、此れこそが而二にして不二なる、師弟の尊体と領解すべきものなのである。

仍って『不二の尊体』とは、其の唯授一人の大義が、戒壇の大御本尊に帰一する事からして、決して間違った表記では
ないのである。

本因妙抄、支吾なき一文にして曰く『又此の血脈並びに本尊の大事は日蓮嫡々座主伝法の書、塔中相承の稟承(ぼんじょう)
唯授一人の血脈なり』と。【新編 1684頁】

仍って類聚翰集私に曰く『然るに日蓮聖人御入滅有るとき補処を定む。其の次ぎ其の次ぎに仏法相属して当代の法主の所に
本尊の躰有るべきなり』と。【富要2・308頁】

仍って日寛上人は、其の正義たる文意を以って当家法則文抜書に御記文せしむ。

曰く『末法の本尊は日蓮聖人にて御坐すなり。然るに日蓮聖人御入滅有て補処を定む、其次々に仏法を相属して当代の
法主の処に本尊の体有るべきなり』と。

尚又、日寛上人の御誕生より遡(さかのぼ)ること二十三年前、細草壇林を開壇せしむ法詔寺日感師が申さく、

『大石寺は金口の相承と申す事候て、是の相承を受く人は学不学に寄らず生身の釈迦日蓮と信する信の一途を以て末代の
衆生に仏種を植えしむる』と。【聖典 765頁】

はてさて、此れらの御文証を以て、一体、どの御文が『法主こそが本仏である』と説かれておるのか。

お前らは、能く能く心読すべきである。

いやいや、お前らの様な、出家なのか在家なのか、何が何だか解らん蝙蝠(こうもり)の様な混濁心で、更には蜻蛉(トンボ)の
様な複眼で、上記の御文証を読まんとしても『法主は本仏なのだー! 法主は絶対なのだー!」としか読めないのであろう。
呆哀。可哀想な奴らめ。哀哀哀。

全く「馬」見て「鹿だ」と叫ぶ、正真正銘の『馬鹿』とは、 応にオマエらの事をして云うのである。哀笑。

恩師(創価学会第二代会長)が云く『血脈相承といって、我々の御法主様に法水の容器は違うが、その内容は一滴も漏らさずに
来ているのです。だから御法主様だけが、御本尊様をしたためることのできる仏様なのです』と。

仍って申さく『有り難くも、本日は、御本山の猊下(日昇上人)のお出ましを願い、畑毛の猊下(御隠尊日亨上人)のお出ましを
願って、我らとしては、これ以上の名誉はない。来年の今日までの間に、本当に功徳をつかむ覚悟で、自分の悩みの心に、
大御本尊を目の前に浮かべ、両猊下を拝もうではありませんか。それでは、私が導師となります。南無妙法蓮華経
南無妙法蓮華経  南無妙法蓮華経』と。【昭和29年5月3日、創価学会第十回総会】

はてさて、此等恩師の指導をして、一体、どこが『法主は本仏なのだー!』と宣べられておるのか。
爾して恩師は、日亨上人、日昇上人に対し奉り、そこに大御本尊を重ね合わせて合掌し題目を唱えられておる。

よろしいか。

実に恩師の上記に於ける指導は、全く以って、御本尊七箇之相承の御文に一致し、そして左京阿闍梨日教師の御文にも
一致し、其れこそは、お前らが文句する「能化文書」の内容にも一致するものである。

応に、御法主上人を日蓮大聖人としてお仕(つか)えしたるは、恩師の大信心たる証拠であり、而して、其の事を以って
「法主は末法の御本仏だー! 法主は絶対なのだー!」などと馬鹿騒ぎするは、今やお前ら池田創価教の信者のみなので
あって、そういうオマエらこそが、日蓮門下の滓(かす)なのである。基(もとい)。其れでは褒め過ぎか。なれば、
オマエらこそは、日蓮門下より下の下の下の、単なる新興宗教の灰汁である。本より、そんなオマエらに迎合する
T大やS大の教授なども、日蓮大聖人の仏法からして下の下の下人である、という事を識(し)らなければならない。

よろしいか。

実(げ)に『新猊下(日淳上人)を大聖人としてお仕(つか)え申し上げ、広布への大折伏にまっすぐ進んでいく』との恩師の
御信条こそは、応に唯授一人血脈相承と本門戒壇の大御本尊との不二なる尊体を以って、成り立っていたのである。

されば、以下の文言は、一体誰の文言であるのか!

『遣使遣告であられる御法主上人猊下は、日蓮大聖人様であります!』

『御本仏日蓮大聖人の遣使還告であられる、血脈付法の御法主日顕上人猊下云云』

果たして一体、是れはどういう事であるか。お前らからして「永遠の指導者」たる三代会長、つまりは自分の事をして
『庶民の王者』と自慢している池田太作が、上記のように宣言していた事は、実に今『法主本仏論』なる造語を以って
富士大石寺に投石する現創価の矛盾を此に示すものではないのか。呆。

ったく、日蓮正宗の御歴代上人に於いて『この私こそが御本仏であり、絶対者であり、釈迦日蓮である』などと宣言
された上人が居られるのか。云うまでも無く、富士大石寺に於いては、古今に於いて一度たりとも『法主の私こそが
大聖人様だ』などと、時の猊下が言われた事などないのである。

果たして小会員よ。そして、我らに質問せし若き学会員よ。もし、そういう御歴代上人が居るというならば此に即答して
みせよ!

『法主本仏論』『法主絶対論』

応に此れこそ、お主ら創価学会の造語であり、其の貧弱なる読解力によって『不二の尊体』就中(なかんずく)『依法不依人』
の深意を理解出来ないが故の珍釈なのである。

呆哀。いやはや何とも、情けない話ではないか。哀。そーは思わぬか。創価員よ。小鼻笑。

重ねて云く、

「本宗における厳粛なる法水瀉瓶唯授一人の血脈は、法灯連綿と、代々の御法主上人に受け継がれて、今日に至っております。
あくまでも御本仏は、日蓮大聖人様であらせられ、唯我与我の御法主上人のご内証を、大聖人と拝すべきなのであります」と。
                                                     【聖教新聞   昭和54年5月4日付】

お前らは、今一度、上記の正釈を学びなさい。

そして、『「法主は本仏なのだー!」と日顕宗が言っている』などと云う、出鱈目な文句などは、即刻にやめなさい。
観ていて、とても恥ずかしい。そして、お前らの其の蝙蝠(こうもり)との不二の痴体こそが実に実に恥かしい。呆。

東大学者・松岡某に云く、

『「法主信仰」を日興上人以来の大石寺の伝統に仕立て上げたのは、法詔寺日感である』云々。

小笑。

ったく、この様な戯れ言を信じて、博士は素晴らしいと感嘆する、小会員の信心こそが哀れである。

『法主本仏論』

さても馬鹿に付ける薬は最早ない、とは此の事か。呆。

【追記】

そーいえば、お主ら創価教の『一大秘法とは御本尊の事ではなく、妙法蓮華経の五字の事だ」という珍教義。
早く此に説明してはくれまいか。実(げ)に是れこそ人法一箇が絡んでいる話である。早くしなさい。
 

H27脱会@法華講員殿

 投稿者:管理人  投稿日:2019年 6月 3日(月)20時41分30秒 i223-218-134-20.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  >昨年6月よりは、時間を作り、唱題を7千偏、私、少し唱題、遅い傾向が有りますので、2時間20分
>掛かりますが、日々重ねて参りました。

いやー、凄いですね。

其の持続力。無論、其の持続のエネルギーこそが「信力」なのでありましょう。

>又、併せて、平成新編御書、全巻拝読、3回重ね、1年が経ちました。元より凡愚ですから、拝読させて
>頂いても、とてもとても、日蓮大聖人様の御心にとても、到達は出来ませんが、「法華講員の教学基礎辞典」と
>合わせ、学んでおります。

新編の全頁拝読。

本より、其れを何十回も何十回も繰り返して行けば、とうとう御書にも年季が入って、当方の御書は、全集から含めて、
五冊目です。無論、拝読とは、其の一句一句に対する信心力でありますから、其れこそ一行も逃さず紙背に徹して、
忠訳しなければなりません。とは言え、御本仏の御心に到達するなどは、思いもよらず、唯一信に、御本尊様との
境智冥合を希うものであります。

>如何に、創価学会の教学が、外道義で邪義で有ったか、且つ、それに染まっていた自身の無知蒙昧さに呆れる日々です。
>幸い、現在、広範に、御宗門からも、妙観講さま関連からも多数の出版物が発刊され、御教義を学び直しております。

されば、法華講員殿が在籍されていた頃の学会教学は、今や悉(ことごと)く変貌し、遂には「御本尊は一大秘法ではない」
という珍義にまで脱落し、其の全容こそは、彼の立正佼成会の変転に勝るとも劣らぬ恥態と成っております。
因みに、今の創価教学では、阿含経は本より、キリスト教にも太刀打ち出来ないでしょう。

彼の谷川主任副会長が云く『過去との整合性など、どうでもいい。自語相違と批判されてもかまわない。
結論は決まっているんだ。教義なんて、それを後付けすればいいんだ!』

哀笑。果たして『教義なんて後付すりゃいいんだ!』などと云う宗教が、どの面(ツラ)下げて他宗教義の破折など
出来ましょうや。

とまれ、本尊義が崩壊した現創価に其の身を置かず、いち早く興門正統に帰服された法華講員殿こそは、応に達観の
御仁であった、と此に痛感するものであります。

重ねて、法華講員殿には、今後とも御投稿の程、宜しくお願い申し上げます。
 

創価脱会して、改めて思う事。

 投稿者:H27脱会@法華講員  投稿日:2019年 5月30日(木)14時20分4秒 111-90-29-218.koalanet.ne.jp
返信・引用
  管理人、大月天さまへのお返事です。

>
> 法華講員殿の信心倍増の速さは、応に水を得た魚の如く、其の成長したる雄姿は、当方からして
> 実に眩(まばゆ)い限りであります。
>
> 平成から令和へ。
>
> 当方も法華講員殿の信心に遅れる事なく、興門正統の一員として勇躍前進して参りたいと思って
> おります。

過分なお言葉を頂戴して、恐縮しております。
しかしながら、≪興門正統≫とのお言葉、心肝に染め、且つ、末員に加えて頂いたとは言え、
汚さぬ様に、今後とも精一杯、身を正して参ります。

思えばこの3年半、創価学会脱会してより、日を増す毎に、痛感致しますのは、謗法だけは、
したくないと、創価学会員の両親の元に生まれて、自身、家庭を持ってからは強く思っていましたが、
創価学会に、平成3年以降、厳密に言えば、もっと以前には成りますが、破門された平成3年以降
、平成27年に創価学会脱会、現在の所属寺院さまで、御勧戒お受けするまでの期間、なぜに24年
もの長きに渡り、創価の謗法に、まんまと騙されたか?…と、自責の念と葛藤して、朝夕の五座、
三座の勤行で、ひたすら罪障消滅を御祈念しております。
昨年6月よりは、時間を作り、唱題を7千偏、私、少し唱題、遅い傾向が有りますので、2時間20
分掛かりますが、日々重ねて参りました。
又、併せて、平成新編御書、全巻拝読、3回重ね、1年が経ちました。元より凡愚ですから、拝読
させて頂いても、とてもとても、日蓮大聖人様の御心にとても、到達は出来ませんが、「法華講
員の教学基礎辞典」と合わせ、学んでおります。

創価学会脱会して、御宗門宗務院、また、妙観講さま、暁鐘編集室よりの書籍購入し、如何に、
創価学会の教学が、外道義で邪義で有ったか、且つ、それに染まっていた自身の無知蒙昧さに
呆れる日々です。
幸い、現在、広範に、御宗門からも、妙観講さま関連からも多数の出版物が発刊され、御教義を
学び直しております。

簡単ではございますが、近況でした。

 

H27脱会@法華講員殿

 投稿者:管理人  投稿日:2019年 5月27日(月)22時45分51秒 i223-218-134-20.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  早速の御投稿、痛み入ります。

ここにきてようやく仕事の忙殺から解放され、久々の管理投稿と相成りました。

事前の予告もなく、当室を空けた事については、心底より其の責を痛感しております。

創価脱会から3年半。

早いものですね。

いや、早いのは年月だけではありません。

法華講員殿の信心倍増の速さは、応に水を得た魚の如く、其の成長したる雄姿は、当方からして
実に眩(まばゆ)い限りであります。

平成から令和へ。

当方も法華講員殿の信心に遅れる事なく、興門正統の一員として勇躍前進して参りたいと思って
おります。

今後とも、宜しく御投稿の程、お願い申し上げます。
 

ご無沙汰しておりました。

 投稿者:H27年脱会@法華講員  投稿日:2019年 5月26日(日)19時48分28秒 111-90-29-218.koalanet.ne.jp
返信・引用
  管理人、大月天さま、お元気そうで何よりです。
ご無沙汰しており、申し訳ありません。こちら、破邪の蘭室は、週に何回も立ち寄らせて頂いておりましたが、昨年10月以来更新されず、何回も書き込みをしようと思ったのですが、お仕事が多忙と、お聞きしておりましたので、回答、ご返信を、急かしてしまうのでは無いかと、大月天さま、掲示板に、更新書き込みされるまでは…と、控えておりました。
大月天さまには、私、創価学会脱会の際には、大変お世話に成りまして、お陰様で、日蓮正宗の正しい信心が出来る喜びに、また、所属寺院、法華講支部で様々な方々に、正しい信仰を教わりつつ、日々、身を正すつもりで、励んでおります。
早いもので、創価学会脱会から、3年半が経過しました。先日は、総本山に、夏期講習会の第1期参加の為、勧戒、お受けさせて頂いてより、18回目の、ご登山を、させて頂きました。
管理人、大月天さまには、正信に、目覚めさせて頂き、感謝の念が募りますが、正しい信心とは何か、まだまだ、未熟ですが、長年、創価学会の様な外道に籍を置いてしまった、自らの罪障を反省し、まだまだでは有りますが、正しい信仰を貫くのが、最大のご恩返しと思い、日々、身を正しております。
詳しくは、また、書き込みさせて頂きますが、まずは、取り急ぎ、ご挨拶までと思い、書き込みさせて頂きました。
これからもお身体、ご自愛されて、お元気で、こちら掲示板で、様々、ご教示頂けますよう、宜しくお願いいたします。
 

若き男子部員へ

 投稿者:管理人  投稿日:2019年 5月26日(日)18時00分5秒 i223-218-134-20.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  破邪顕正に質問メールをされた男子部員。
其の詳細は本館の管理人様から聞きました。

宜しければ、当室に投稿してはくれまいか。
さすれば、疑問にお答え致しましょう。
無論、其の質問が批判の類(たぐい)となれば、
貴君が創価に所属する其の根拠なりを、当方からも問い糺す所存。
本より其の質(すがた)をして「対論」と云うのであります。

されば「依法不依人」の真義とは一体何ぞ。
先ずは貴君の存念を此に投稿されたい。
 

閲覧者各位

 投稿者:管理人  投稿日:2019年 5月25日(土)10時49分43秒 i223-218-134-20.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  本日より、当室への投稿を開始致します。

各位には、長期に亘る不在を此にお詫び申し上げます。

仕事の都合とはいえ、昨年来よりの不投稿。

管理人として、甚だ遺憾であると心から反省しております。

尚、其の間の為された各位の投稿文については、其の内容を確認し、

当室の規則に適うものについては、今より掲載致します。

言うまでもなく、当室への投稿は、管理人による確認後掲載となっている由。

これも皆、不甲斐ない荒らし投稿者の恥態が生(な)せる処置であり、

即時掲載を望むのであれば、先ず以って、そういう不埒者に対する批判こそが、

投稿者各位にとって重要であると、此に痛感するものであります。

成り済まし、串投稿、多重ハンドル。そして、所属宗派教団の詐称隠匿。

果たして、そういう遁逃根性の痴れ者が、いくら理屈を宣べようとも、

当室は一切受け付けないのであります。

本より、当室での対論を望むのであれば、正々堂々、己(おのれ)の所属宗派教団を親告し、
以って其の本尊教義を宣揚し、其の大義を堅守する信仰者である事を自ら宣言しなければ、
其の欲求は叶わないのである。

さても、自身が所属する宗派教団の教義に違背する不信者が、一体どの面(ツラ)下げて、
興門の奥義に文句が言えるのか。

先ずは、そういう常識を身に着けてから、当室の投稿規則に物言いすべきであります。

さて、前置きはここまでと致しましょう。

破邪の蘭室。

本日より起動します。
 

終末の掲示板

 投稿者:ららん  投稿日:2019年 4月25日(木)12時17分48秒 softbank126243120234.bbtec.net
返信・引用
  私は約10年ほど前に、この掲示板に来た。しかし、もう終末は近い。
そもそも、この掲示板は大月天氏の性的欲求を満たすために、創価を恨み、憎しみ、殺し、呪いの為に設立されたものである。
各人においては、それを胸に刻みこの掲示板を利用していただきたい。

吉日 破邪の蘭室 管理人 ららん
 

かなり久々に当板を閲覧しました

 投稿者:えっと・・・  投稿日:2019年 3月28日(木)21時26分54秒 fp276ff35c.stmb122.ap.nuro.jp
返信・引用
  私、法華講員です。

大分昔にその時々によりHNを変えて使用して投稿してましたが、今となっては使用したHNを覚えていません。

ネットは時々利用してましたが、こういった板からは遠のいておりました。

以前は、常連の法華講員や創価員が対論してましたが、こう申してはなんですが、
まあ、この板に限らず、掲示板で対論、法論を行う時代は過ぎたようですね。

yahooの掲示板のyahoo textreamは、一部のスレッドを残して廃止してしまいました。
また、樋田氏が運営してた降魔の剣も検索かけてもヒットしませんしね。
彼は板を閉鎖でもしたんでしょうか?

まあ、対論法論しよう、というムードは法華講・創価員共に
気持ちが下火になった感がありますね。

そういえば、信州・白馬村の御老体はどうしてるんだか?
かの御老体の「(宗門・法華講の)内部規定云々」というセリフ、懐かしいです。

それに串使いにして身延の回し者の感が強まった宿坊は相変わらずですかね。


最近、顕正会の婦人部が我が家を襲撃してきましたが、
すぐ思考停止硬直化の症状を発症するので、見ててアワレで仕方ありません。

それにしても、この板は管理人様のブログの相を呈してますね。

ネットに於ける掲示板の役割は終えた、ということかもしれませんね。

昔、バッチバチの対論していた頃が懐かしいとさえ思えます。

久々閲覧しましたので、カキコして当板を汚してしまいました。


●※管理者の承認後に掲載されます。


あー、そういうことですか。。。。

ではこのカキコも内容が破折が主眼でないので、管理人の大月天様の御判断で掲載されないかも、ですね。

掲載する、しないは管理人様に任せます。


ではでは。
 

Re: 管理人様

 投稿者:サム  投稿日:2019年 2月23日(土)23時05分15秒 101-142-194-230f1.hyg1.eonet.ne.jp
返信・引用
  > No.46787[元記事へ]

通りすがりの法華講員さんへのお返事です。

貴方はいつもいい加減な発言をしますね。
「読書人=愚人」は本人も言っているので、全くその通りでしょう。
しかしながら、「愚人=副管理人=宿坊」では、有り得ないですよ。
愚人さんと宿坊さんの主張は全く違います。
愚人さんは「楠板板曼荼羅が後世作であっても、どうでも良い」と考えていますが、宿坊さんは、「楠板板曼荼羅」は弘安2年10月12年の作でもなく、日蓮大聖人作でないのだから、大聖人の出世の本懐では在り得ず、これに固守する日蓮正宗は、もはや大聖人の仏法ではない、と主張しているのです。私も宿坊さんの考えに同意しています。

 

スンゲー思うんだけど

 投稿者:砲台  投稿日:2018年11月11日(日)00時56分14秒 softbank126163160150.bbtec.net
返信・引用
  管理人の承認なしじゃないとダメなら掲示板閉鎖したらどう?
だってあなたしか書いてないでしょ?
 

ああ、邪教人 其の七十六

 投稿者:管理人  投稿日:2018年10月 7日(日)21時30分26秒 i58-95-167-152.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  時間を得たので、久々に参ろうと思う。

>信濃町による新人間革命が完結した。
>完結にあたり、会長、最高幹部、方面幹部の読書感想、もとい所感が掲載されている。
>新人間革命全30巻、31冊は先生の広布の戦いを綴っている。
>中でも30巻の「大山の章」は、51歳の先生が第3代会長を辞任された場面をえがいたもの。
>先生、ご自身の随筆の中でもこの辞任を「引退させられた」と断言されている。

鼻笑。

「私が辞めれば、事態は収まるんだな」
「たとえ皆が反対しても、自分が頭を下げて混乱が収まるのなら、それでいい」
「実際、私の会長辞任は、避けられないことかもしれない」

呆笑。なんだ。これ皆、ウソかいな。哀笑。

仮令(たとえ)、同志の皆が会長辞任を反対しても、私自身が頭を下げて混乱が収まるなら其れでいい!」

糞笑。はてさて、自分で自分を引きづり降ろして「勇退」としたは、これ全く随自意の所業ではないか。

うむ。流石(さすが)は、池田センセー。自身の身の振り方は自分自身でお決めになる。本よりそれでよい。

>当時の最高幹部らに裏切られて会長の座から引きずり降ろされたのだ。

鼻笑。だから、其れは違うのだろう。池田センセーは「皆が反対しても」と言っておる。
呆哀。ったく、幹部同志の皆が(辞任を)反対しても自分が頭を下げて収まるなら、とはどういう事か。
哀笑。ったく、矛盾だらけの辞任劇…。其の場を繕い、虚言を用い、御先師(日達上人)を欺いた池田創価学会。

言うまでもない。オマエらは全員、同じ穴の狢(むじな)である!!

>宮川氏は、リアルで関西の勇士に厳しく呵責されたようですな
>日顕の根を断つことだ

小鼻笑。おいおい、オマエは阿呆かいな…。 いやいや、間違いなく阿呆だろう。呆。

三位坊? それ、字、違うよ。哀笑。

>言論戦で悪と戦う誇りを持つ方ならば、管理人様の仰るように『自らの投稿行為に責任を持つ』べきだと思います。
>管理人様のお気持ちに誠実であるならば、やはりご本人様の直接投稿が望ましいと思います。
>論議を重ね、新たな道が開けるなら、更なる価値が生まれるからです。

呆哀。それ、管理人の「宿坊」に言ってやりなよ。哀笑。

>靖國提灯問題、その後どないなったんやろか。なんにも聞こえてけえへんけど。

小鼻笑。ホンマやな。どないなっとんねん。支那の提灯持ち創価学会。権力自民の提灯持ち創価学会。
小鼻笑。ホンマ、、滅茶苦茶やな。池田はん。これみんな、アンタはんの心の写しでっせ。しっかりしなはれや!

>会員をSTB動画映像で無脳化し、上意下達の空気を満杯にして幹部は『空気を読め、さもなくば組織に居られなくなるぞ!』
>と脅し、高額財務供養、聖教多部数購読、遠方選挙自費支援活動、等々によって幸福になるのは誰でしょうか?

哀笑。誰もなりまへんな。そんなモン。小堪笑。

>創価貴族(原田さんやダニ,ケダモノ弓等の職員・外郭職員・コウメイ議員と職員・ジミンのアホ共含む)です。
>そして隷属化・奴隷化で安穏な?悩み苦しまずに組織に居られるメクラ会員でしょう。
>これが、功利主義の完成による成果なのです。

鼻笑。創価本職のサラリー在家、つまりは宗教官僚の連中を批判するは、其れが仮令、己(おのれ)の除名・解任の腹いせで
あろうとも、我が興門正統の教理からすれば、其の行為は小善の一種と成るものである。爾して、其の小善が大善と成るには、
オマエらこそも、一大秘法たる本門戒壇の大御本尊に帰服しなければ、到底、其の昇格は成り得ないのである。

>ピロシから命令されて葬儀屋で働くことになり
>山崎正友の謀略部隊のメンバー、葬儀屋北林の運転手と
>なったユウキョウ。

小鼻笑。そんな葬儀屋発行の地涌。そして、そんな葬儀屋発行の駄文を嬉々としてコピペする宿坊連中。
そして…哀笑、、そんな宿坊運営の掲示板に「葬儀屋北林」などと揶揄文を平然と投稿する正体不明の珍創価員…。呆呆笑。
お主らのアタマ……。ホントーに大丈夫なのかいな。堪堪笑。

よいか。北林を呵責するならば、其の北林の駄文を嬉々として掲載している、宿坊管理人の愚行を先ずは呵責せよ!!

>なんと浅見副会長落としの謀略文書「天鼓」の犯人である葬儀屋さんの「◯藤雄◯氏」というのがもっぱらの噂

鼻笑。へぇー、、ホントォ…。

>会長勇退を迫る署名には、当時の最高幹部と青年部幹部が連名で先生に提出。
>当時の理事長、副会長、壮年部、婦人部、青年部、男子部、女子部、学生部の各部長が署名、捺印したという。
>ところが、池田太作は、それら最高幹部の悪を見抜いていた、という。

>『北条は、私を棚上げしようと企て、いろいろ陰で動いたことがある。秋谷も、裏切り者の恩知らずどもとつるんで、
>この私を棚上げしようとした。私の意志に反してだ』

小笑。 初手から其の悪を見抜いていた御仁が、其れら意に反する部下の行為を制止できず、其れどころか、意に反している
悪部下に迫られて会長を辞めてしまうとは、やはり池田太作は無能であったのか。
本より、悪を見抜いていながら、手を打たず、逆に悪人から追放されてしまうなどは、応に無能の典型であろう。

しかし、池田本人は、
「私が辞めれば、事態は収まるんだな!」
「たとえ皆が反対しても、自分が頭を下げて混乱が収まるのなら、それでいい!」
「実際、私の会長辞任は、避けられないことかもしれない」

と、自身の判断で事を決めておる。果たして、どちらが本当なのか。
されば、オマエらの言っている事が本当であると言うならば、池田太作こそは、応に無能の全裸王という事になる。呆哀。
ったく、腹いせで文句を垂れるから、そういう墓穴を掘るのである。呆笑

>近い将来、「創価学会は2010年5月で終わった」と言われるだろう。

鼻笑。そーか。ならば、終わった創価など辞めてしまいなさい。本より、新興宗教に身を置く必要もない。

>いま世界的な自然災害により、家族や仲間を亡くし、住む場所を奪われた方々がおられます。
>今一重に、極悪絶滅-極悪邪宗門日顕宗撲滅への唱題を強め、全人類の安穏を祈念して参ります。

小鼻笑。そーか。富士大石寺を撲滅すれば、全人類の安穏が保たれるか。哀笑。

果たしてオマエは莫迦なのか。呆哀哀。も少し勉強しなさい、この新興宗教の青二才。小鼻笑。

>大聖人-日興上人の正義を守り抜いた牧口先生-戸田先生を軍部政府に売り、登山停止の処分にした邪宗門。
>両先生を投獄させ、牧口先生を獄死させた邪宗門。池田先生を会長から引きずりおろし、私たち同志の分断を
>画策し続けている邪宗門。

呆哀。おい、おい、おい…。全部間違っているよ。やり直し! よろしいか、新興宗教の青二才。

>「根本はご本尊でしょうか」との青年部員の質問に、池田先生は「根本は殉教精神です」と断言されました。

鼻笑。根本は御本尊ではない。而して根本は殉教精神だという。哀笑。

ならば、其の根本とは何か! まさか、池田本人が「この俺様に殉教せよ」と申したか!

恩師・戸田先生が云く『奴等はねえ、馬鹿だから、学会の発展は組織だ組織だと言ってるんですよ。
本当は、御本尊様の御利益だと言うことを知らないのですよ』と。

哀笑。オマエらの言っている事は、須らく恩師の指導から離反しておる!

よいか! だからこそ言う。オマエらこそが邪教人である! と。

新興宗教の邪教人。

そんなオマエらが、富士門の法義に楯突くなど百年早い。

とまれ、オマエら新興宗教の宿題は、一大秘法とは御本尊の事ではない、という事を、日蓮大聖人の御教示から、
証明する、という事である。オマエらは其れを早くやりなさい。

よいか。コンセプトも無い。アイデンティティーも無い。そんな宗教団体などは、単なる滓である!

控えた方がよろしい!
 

本より放埒を誡む 

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 9月30日(日)22時36分26秒 i58-95-167-152.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  されば、末法の持戒とは、受持即持戒、つまり、正法正義を堅持する事であり、
破戒とは、其の正法に反逆し、正法正義を護持する者に対して謗ずる事をいう。

日寛上人に曰く『これ謗法闡提の人を指して破戒の比丘というなり、すでに
若し暫らくも持つ者は是名持戒と説くあに若し暫らくも謗ずる者は是名破戒
にあらずや』と。

つまり、其の究極を言えば、持戒とは大御本尊の信奉護持であり、破戒とは
大御本尊への不信謗法である。

大聖人に曰く『此の五字の内に豈万戒の功徳わ納めざらんや。但し此の具足の
妙戒は一度持って後、行者破らんとすれども破れず。是れを金剛宝器戒とや申し
けんなんと立つべし』と。

応にこの御意こそは、小乗戒の無力を表すものであり、真実の戒とは正しく法華
本門の肝心たる人法一箇の大御本尊を堅持する、其の金剛宝器戒の唯一戒のみで
ある事を示されたものである。

曰く『若し一戒を持てば人中に生ずることを得、若し一戒を破れば還って三途に堕す』と。

はて、この一戒とは何ぞ。

果たして、お前らが口を尖らせて言う処の不犯の事であるか!

鼻笑。そうではなかろう!

ったく、その様な事も解からずに『僧侶が結婚した! 妻帯だ! 戒律を破った!』
などと、小義に執着して馬鹿騒ぎするお前等の無知こそを、我ら富士門信徒は笑う
のである。

少しは勉強しなさい。

下山御消息に曰く『然れば時をわきまえへず機を知らずして小乗戒を持たば大乗の
障りとなる。破れば又必ず悪果を招く』と。

本より、僧侶による妻帯などは、日本に於ては平安時代から常態であったというが、
後々、徳川幕府によって全国の寺院は統制され、其れら寺院法度によって、僧侶の
妻帯も禁止されたのたである。

尚、此の徳川幕府の法度について、日亨上人は「一種異様な僧界の戒法」と断言
されている。

つまり『結婚は淫行だ! 破戒だぁ!』と絶叫するお前等は、其れら江戸時代の
寺院統制の復古を今に望んでいるに等しいのであり、又、僧に於いて小乗戒を厳守
せよとの、まこと日蓮大聖人の仏法を学ぶ者とは思えない邪徒狂徒に成り下がった、
という事である。

よいか。平安の当時から僧の妻帯は珍しい事でも何でもなく、又、其れらの妻帯
不帯の議論は凡そ小乗戒律の範疇なのであって、法華経から望めば論ずるに足ら
ない問題なのである。

本より、僧の妻帯などは法義上の問題であり、本来、国家政策によって禁止される
類のものではない。したがって、明治5年の太政官布告によって、江戸幕府下での
禁制が解かれ、再び僧侶の妻帯が許可されるという事などは、其の一連の変動から
して、当然の流れでもある。

果たして、国家政策によって禁止されたものが、再び、国家の政策によって其れが
解かれる。但それだけの事である。

よいか。つまりは本来の姿として、どうあるべきか、という事が大事なのであり、
其の本来の姿をして大白法の化儀に合致し得るか否か、という事が重要なのである。

とまれ、お前らが云う処の「妻帯誹謗」などは、単に日蓮正宗僧侶の僧としての
イメージを、そういう「肉欲妻帯」という俗世からの淫靡な感覚に於て貶めよう
としているだけなのである。

其の証拠に、お前らが叫ぶところの「妻帯禁止」なる御訓戒など、どんな逆立ちを
しても、御書の文中から見つからないのである。

加えて富士門からの傍証として、二十六箇条に於ける『先師の如く聖僧たるべし』
との御遺誡が直近ではあるが、其の御本意こそも、実に袈裟を着たる僧が心身共に
在俗の風に堕し、其の堕したる女犯肉食の放埒の態を大いに誡むべし、との御遺誡
なのであって、決して僧侶妻帯を厳禁されたものではない。

よろしいか。お前ら旧信徒は能く能く、其の意を覚えておきなさい。

尚、日霑上人が過去に申された『女犯肉食の如き禁制は出家の常行にして末法の
今の時といへども、其の位なことを犯さぬ出家はいくらもあることぢゃ、』との
本意は、江戸時代に於ける寺院法度の中で培われた上人の晩年としての御信念を
示されたものであり、決してそれら僧侶の妻帯肉食をして謗法とは断じられなかった
のである。

加えて、日亨上人が言う処の『出家妻帯は一時の変体』という表現についても、
其れが富士門として破戒謗法である、などという意味で言われたのではなくて、
日興上人の御遺誡から見て(現行としては)単に異なる一時の状体、という意味を
して言われたものである。(尚、変体ならぬ変態こそは、今のお前らの事である)

たがらこそ日亨上人は、幕府による僧侶妻帯の禁止も含めた寺院法度に対して、
其の禁止さえ褒めることなく『一種異様な僧界の戒法」と断言されたのである。

ったく、謗法でないものを謗法として悪口し、而して自らの謗法には無頓着たる
其の阿呆なる姿よ。哀笑。

お前ら本当に大丈夫か? …頭。

さて! 後学である! 其のお前らの其の腐った脳髄に詰問してしんぜよう!

さすれば少しは良い血が頭に昇ろうて!

よいか! 出家の妻帯が、平成3年の破門以降、お前らからして謗法となった
其の法義的根拠を述べよ!

加えて、お前らの広布基金や聖教新聞の購読料で飯を食っている、所謂、本部職員などの
特権階級などは、果たして、お前らが定義するところの(布施供養によって飯を食っている)
「僧の状態」であろう。であるならば、其れらの者はとりわけ「毛坊主」と言う事にもなるが、
果たして其れら「毛坊主」の妻帯は、お前らの「僧」の定義からして変体とはならんのか。其れを申せ!!

ったく、其れよりも何よりも、当方からして、其れら在家の者どもが同じ在家の信者を抱え、
其れらの在家が同じ在家に本尊を与える事の方が、よほどの大変体である!

果たして、どちらの変体が大白法に於いて真実の変体なのか、お前らは其れを申してみよ!

因みに、お前らからして妻帯された日亨上人も変体という事になるが如何。

呆哀。ったく、お前らは、本当にどうしようもない連中ではあるよな。哀哀哀。
 

僧侶の妻帯に関する創価学会員の疑難を破す。

 投稿者:黒川 和雄@日蓮正宗  投稿日:2018年 9月23日(日)09時28分23秒 p3431040-ipngn201117osakachuo.osaka.ocn.ne.jp
返信・引用
  いまだに創価員が「僧侶が妻帯するのは、仏法の戒律に違背している。日蓮正宗の僧侶も上代の法主は妻帯していなかった・・・云々」とイチャモンを付けているようなので、これを簡単に破折する。

最蓮房御返事(別名祈祷経送状 新編御書642)
一、御状に十七出家の後は妻子を帯せず肉を食せず等云云。権教を信ぜし大謗法の時の事は何なる持戒の行人と申し候とも、法華経に背く謗法罪の故に正法の破戒の大俗よりも百千万倍劣り候なり。彼の謗法の比丘は持戒なりと雖も無間に墜す。正法の大俗は破戒なりと雖も成仏疑い無き故なり。 但今の御身は念仏等の権教を捨てて正法に帰し給う故に誠に持戒の中の清浄の聖人なり。
(通釈)
貴殿の御状に「十七出家の後は妻子を帯せず肉を食せず等云云」と言われている。権教(法華経以外の教え)を信じる大謗法の時、いかなる持戒の修行者といえども、法華経に背く謗法罪の故に正法の破戒の大俗(俗人)よりも百千万倍劣るのである。彼の謗法の比丘(僧侶)は持戒なりと雖も無間地獄に堕ちる。正法を信ずる大俗は破戒なりと雖も成仏することは間違いがない。あなたの身は念仏等の権教を捨て、正法に帰依されたゆえに、まことの持戒のなかの清浄な聖人である。
宜しいか、創価諸君。貴殿らが如何様に日蓮正宗を妻帯を以て貶めんとしようが、無駄である。

末法の今時、小乗・権教の戒律を以て攻めようとも、既にお前らは大聖人の教えに違背・敗北しているのである。少なくとも現在の創価学会は、大聖人の仏法からは大きく乖離した小乗・権教混乱した邪教集団に堕したのである。

さてこういうと貴様らは『「正法の大俗」の「大俗」とは僧侶のことではなく、在家のことである』と反論するであろう。これは大聖人が俗人の立場から破折されているのである。現にこの御書は「最蓮房」と称する僧侶に対しての疑問に回答されていることからも分かるではないか。

では聞くが、「彼の謗法の比丘は持戒なりと雖も無間に墜す。」
比丘とは僧侶のことである。

大聖人曰く、
「法華経に背く謗法罪の故に正法の破戒の大俗よりも百千万倍劣り候なり。」
この文はお前らの信じるタサク大先生及び創価職業幹部は、平学会員よりも百千万倍罪が深く、堕地獄は間違いないということである。現にタサク名誉会長は7年間も平会員の前に姿を現しておらず地獄の日々をお過ごしではないか!

次に補足ではあるが、佐渡に於いて大聖人に帰依された「阿仏房」は妻帯していなかったのかね?
千日尼とは誰の妻かね?
以上
 

暫時小憩

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 9月 9日(日)13時09分25秒 i58-95-167-152.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  現在、業務繁多にして投稿儘ならず、但、当室の閲覧管理を以って、其の責を賄う。

爾して近々、時間を得るならば、再び、幼稚創価と雑乱身延の邪態を呵責せんとす。

諸兄各位には、今暫くの小憩を此に許されたい。
 

高札の優 【再掲】

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 8月 9日(木)20時07分6秒 i121-118-76-77.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  曾(かつ)て、匿名(無記名)による密告・讒言等を指して、其れを「落書(らくしょ)」と言っていたが
今にして其れを当て嵌めるならば、根無し草の連中が其の躯体を隠し、悪口中傷を書き散らかす姿こそ、
応に「落書」ならぬ「落書き」の姿そのものであると云えよう。

本より、其の恥態こそは、プロキシ(串)・捨てハン・多重ハン等に表れ、其の性根は「無題」や「名無し」
という言様にも表れて、応に其れこそは、木陰に隠れてほくそ笑む、小人の根性であるという事を、此に於て
識るべきなのである。

因みに、落書きの本人(書き手)が露顕した場合、其の者を死罪にするなどは、曾(かつ)て国持大名の支配下に
於いて実際に在った刑罰ではあるが、其の落書きが現今に於いて、日蓮大聖人の正統に向けられているとなれば、
応に其れこそ死罪に値するものとなろう。無論、ここで云う死罪とは、これら落書者の腐れ頸を刎ねるには非ず、
其れこそは仏法正法から斬り落とされる五逆の大罪をして云うものである。

して観るに、根無し草の宿坊連中が好んで貼り付けている「フェイク」こそは、当に落書きの最たるものと言って
いいだろう。

発行形態=「緩急自在不定期発行」
発行所=「日蓮教団・メディア・アカデミー」
監修人=「青葉茂」
購読料=無料
引用=転載自由・コピーも可

糞笑。

「日蓮教団・メディア・アカデミー」とは何にか。
「青葉茂」とは何ぞ。鼻笑。

日蓮教団? ふざけるものではない。
青葉が茂る? 阿呆抜かせ! 茂っておるのは、阿梨樹の枝であろうが!

よいか聞け。

先ず以ってオマエらがやる事は、今までオマエら自身が書き散らかして来た内容の総括である!

本尊然り! 教義然り! 会長指導然り!

よいか!! 今、オマエらが書き散らかしている内容は、其れらの事を頬(ほ)っ被りしているものであり、
其の様ないい加減な根性を以って、他宗教団の本尊教義に文句する資格などは、これっぼっちも無いのである!

然るに転じて我ら宗門はどうか!

青葉茂だ? 不破優だ?

そんな者など居りはしない。

本より、日蓮正宗自由通信同盟、日蓮教団メディアアカデミーなどと偽称する必要も無い。

我らは堂々、其の発行元を明記し、発行責任者も明示して、其れらの公行を以って本尊教義を宣揚し、以って
邪宗邪義を破折せんとしているのである。

よいか。応に是れこそ、オマエらに対しての「高札」なのであり、事実、其の高札は、オマエら落書人に対して
下されているのである。よいか。落書きに背いても罪には成らんが、高札に背けば罪と成るのである!

されば、フェイクのみならず、地涌や短信なども、其のすべてが落書きの其れであり、そんな落書きを信じて宗門に
文句する学会員こそが哀れなのである。

言うまでもない。

フェイクも地涌も、其の根は同じであり、曾(かつ)ての宗門対策室と本部広報室が、其の担当分野を振り分けて
宗門に対抗した諜報謀略の産物なのであり、又、そうであるからこそ、今もって其の身を隠匿し、偽名を弄して、
駄文を吐き散らかしているのである。

本より、こういう類(たぐい)のモノは、そこに記さる内容の信憑よりも、衆人の目に晒す事が第一なのであり、
又、それこそが落書きの骨頂ともなるのである。

して観れば、根無し草の宿坊連中が、又しても、燥(はしゃ)ぎながら落書きを書いておる。哀笑。



◆フェイク 第1606号   投稿者:宿坊   投稿日:2018年 3月16日(金)13時01分0秒

   (発行=18.03.15)

「極楽寺良観の再来が日蓮正宗の中に」
無知な法華講員の愚かな批判を粉砕 ㊤
戸田先生が「佐渡御書」講義で厳しく指弾

鼻笑。

呆れてモノが言えんよ。なぁ、宿坊よ。哀哀笑。

>大聖人様を迫害した良観たちが、いま生まれてきて仏立宗等の坊主になって
>いるのです。本当です。この原理からいうとそうなります。そうでないとしたら、
>大聖人様がウソをついたことになります。大聖人様をさんざんいじめた悪い者が、
>仏立宗日扇などという徒輩になったのです。

これは恩師の指導よな。

うむ。仏立宗の長松日扇などは、当に良観の類と云えよう。
いな。長松日扇の本尊教義に対する変転は、良観以下であり、実にオマエら現創価に酷似するものである。
して。オマエら宿坊連中こそは、当該日扇の宗教組織に対する右往左往の痴態に習うものである。

小笑。果たして其の事、オマエらに解りょうか。鼻笑。解るまいて。(ったく、情けない連中である)

>霊友会でも立正佼成会でも、天理教の教祖でも、みんなあれは仏法を悪くいってきた者が、あのようになって
>出てきたのです。

果たして、そういう恩師の新興宗教に対する呵責を反故にし、立正佼成会の庭野日敬の葬儀に二人の副会長を参列
させたは、一体何処(どこ)の何奴(どいつ)であるのか! 実(げ)に是れこそ恩師の指導に違背する師敵対の其れでは
ないのか! ったく、日敬の訃報を聖教新聞に掲載するような馬鹿どもが、今更にして何を云うか!!
少しは恥を識(し)りなさい!

されば、恩師戸田先生は「大聖人様の御時代に、あるいは良観とか、あるいは法然の弟子とか、そういう者の
弟子などになる連中は、いったい過去にどういう者だったかというと、昔、仏法をくさした外道の者が
生まれてきて、仏法をやってですね、そうして今度は正法を邪魔するんです。そうすると今度どうなるか、
あいつらが死ぬと、今度は日蓮正宗のなかに生まれてくるんだよ。誠にこれはおもしろいもんだぞ」
                               【昭和31年2月7日 於:大阪中之島公会堂】

と申されておる。

果たして、オマエらは、此の恩師の指導を対宗門として好んで用いるが、是れこそは、前年に起きた彼の蓮華寺の
事を指して述べられているものである。つまり、獅子身中の蝗蟲というものは、必ず其の胚芽を命に宿して入門し、
又は、将来、必ず正法を誹謗する命を持って今の世に生まれ、其れこそは、親を殺し、子を殺す命業が如く必然に
起こり得る現象を以って、恩師は「誠に面白い」と達観されたものである。つまり、この恩師の指導をして云うならば、
身延の日向然り、保田の日郷然り、要法寺の日尊然り、旧妙信講然り、して又、創価学会然りの、離反像の理(ことわり)
を云うものであり、当に恩師は、そういう因果律の必然さを以って「面白い」と申されたのである。

されば蓮華寺の坊主(崎尾正道)も例に漏れず、一旦は宗門の大懐に居座ったが、結句は宗門から離反し、
遂には己(おのれ)をして「十八代法主」などと増長して、其の正体を現したのである。
とまれ、御宗門は、連々教化・再三教導の御姿勢にして、実(げ)に其れこそは、古来からの化儀でもあるから、
彼の小笠原慈聞(御宗門は小笠原の悔悟を許されて「師」とお付けになられるが、当方は未熟な在家であるから、
師とは云わん)を寛恕し、又、牧口・戸田両会長による反抗をも教訓し、更には、池田太作の我儘をも許容した
のである。爾して彼の崎尾正道も許されたが、結句は恩師の云う通り、日蓮正宗を離反し、自らを法主として
「日蓮実宗」なる宗教を立ち上げたのである。

仍って恩師が云く、

『それで今、日蓮正宗が本尊流布するにあたって、邪魔をするのです。
今度、 それではどうなるのかというと、あのような連中(佼成会の会長や天理教の教祖)が死ぬと、
今度は日蓮正宗の中に生まれてくるのです。そして蓮華寺の僧侶みたいになってくるのです』と。

哀笑。よいか莫迦よ。

此に於いては、まさしく崎尾正道の行状を指して言っているものであり、落書きフェイクが言う、

「日顕こそ六師外道―極楽寺良観―邪宗日蓮系教祖―崎尾正道と伝わってきた第六天魔王の血脈を
引き継ぐ者で、まさに世界広布を妨害する日顕こそが崎尾の再来、極楽寺良観の生まれ変わりなのである」

などという文句こそ、当に落書きの真骨頂であると、此にして弾呵されるものである。いや、弾呵などとは
オマエらには勿体ない、オマエらには呵責・糾弾・叱責こそが似合いであろう。否、其れとて理解できない、
莫迦者連中こそが、オマエら落書者の脳髄なのである。呆哀哀。

>戸田先生の亡き後、崎尾と同様に御本尊を道具に使って、学会員を脅してきた坊主が日顕である。

鼻笑。御本尊を道具にしてとは如何なる事か。小鼻笑。
哀笑。学会員を脅す? おいおい、脅して来たのはどっちであるのか。小鼻笑。
ったく、見て来た様なウソを言うものではない。何? だからこそフェイクなのだ! だと?

哀笑。さもありなん、さもありなん。

>日顕が嫉妬深いのも有名だ。日顕に相承しなかった日達法主に対する恨みと嫉妬から大化城、
>大客殿、六壷を潰し、広宣流布の暁に本門寺の戒壇たるべき大殿堂と、日達法主が教示していた
>正本堂も約五十億円の巨費を投じて解体した。

糞笑。それ全然外れてるよ。ウソも百回載せれば本当になるってか。小鼻笑。
糞笑。解体だ? なんだ、破壊ではないのか。小鼻笑。

>良観と酷似している日顕が学会の宗教法人化に反対するなど悪辣な性根は生来のもので、
>戸田先生は鋭く見抜いて弾呵していた。

弾呵? 増長慢もいい加減に致せよ。何? 啖呵の言い間違いだと? 鼻笑。
ならばよろしい。恩師の口調からして啖呵の方が合っておる。

尚、創価学会の宗教法人化に関しては、過日、当方が「フェイク 第1603号」の虚文に対して呵責して
おるから、根無し草(無所属・無信仰・及び分派身中の蝗蟲)連中は、能く能く目を通すべぎである。
尚、昭和27年の宗教法人化については、宗内の殆どが反対であり、在家信徒が勝手に宗教法人を立ち上げ、
在家の身を以って法を説くは、これ全く不審なり、との意見も在っての事か、宗内に於いてはそう易々とは
了解されなかったのである。いや、当時の創価学会をして、其の吊し上げ攻撃によく耐えて跳ね除けたは、
まこと正宗僧侶の根性とも云うべきか。

とまれ、狸祭り事件を起こして後の法人化の許可は、応に宗門の大英断であり、又、其の御英断の影に在る
御僧侶方(特に細井庶務部長・後の日達上人)の尽力を識(し)るに仍って、恩師戸田先生は、其の法人設立に
全く異心無きを、彼の三箇条に託して、其の赤誠を示されたのである。

よいか。そういう経緯があるにも拘らず、当時の創価法人化を反対する御僧侶を指して、良観と酷似などと
今更にして軽口するは、これ全く落書きの其れである、という事を、オマエら馬鹿宿坊連中は、能く能く
識(し)るべきである。尚、当時の猊下は日昇上人であり、創価法人の目的が、全く宗門外護によるもである
との御信用を以って了されたのであり、其の設立の大義を脱線せしめたのが、他ならぬ池田太作なのである。

よいか、つまりは良観に酷似する人間こそ池田太作なのであり、其の良観酷似の弟子たるが、オマエら
創価外道員なのである。

其れにしても、よくぞ御宗門は許された。

記事に云く、

【戸田会長を留置 日蓮宗吊るし上げ事件】

岐阜県美濃町本玄寺住職小笠原慈聞師(78)を日蓮宗創価学会=東京都千代田区神田西神田=の一部信徒が
吊るし上げた事件を調べている静岡県富士地区署は一日同会和泉覚氏を、さらに二日同会会長の戸田城聖氏を
留置したほか、吊るし上げに参加したとみられる同会青年部の十名を任意出頭で調べ、同夜釈放した。
取り調べを受けた青年部の中には大学教授二名、小学校教員四名など知識人が多く証拠固めは三日で一応終る見込み。
なお小笠原師は四月二十七日の被害当日裸にされて殴られ、全治四週間の負傷をした上謝罪状を書かされたと同署では
言っている。【昭和27年9月3日 朝日新聞/夕刊3面】

爾して、其れより5日後に、創価学会は東京都知事から宗教法人の認証を受けたのである。

さてこそ、連々教化にして再三教導とは此の事か。
否、当に指導寛恕とは此の事を指して云うものであろう。
されば、彼の山崎氏や原島氏の帰伏も、そして中西氏の帰伏なども、須らく指導寛恕の其れである、という事を、
今更にして痛感するものである。

よいか創価よ。今にして法人たるは、我が宗門の寛恕が無ければ、到底為し得なかった事なのである。
よいか。其の事を先ずは覚えて置きなさい。

尚、オマエら創価の総本部に安置されている板本尊は、創価法人化について御允可された日蓮正宗第64世・
日昇上人の所謂(いわゆる)『大法弘通慈折広宣流布大願成就』の書写本尊である。

何? 書写本尊とは何の書写だと? 呆呆哀。

阿呆!

其の様な事は当然であろう。言うまでもない。其れこそは戒壇の大御本尊を御書写された御本尊であるから
書写本尊と申しているのである。

されば、創価総本部に安置さる慈折広布御本尊を認(したた)められた日昇上人が申さく、

『戒壇の大御本尊の御内証を、帯し奉って不肖日昇六四世の法主として、御本尊様に信仰を染めてお認(したた)め
申しあげている御本尊でございまする』と。 【聖教新聞 昭和30年12月18日付け)

しかし、今のオマエらは、この猊下の御言葉を反故にして、創価の本尊は大御本尊の書写ではない、などとバカな
事を言っておる。ならば一体、オマエらの総本部に安置してある本尊は、一体何の写しであるのか!
而して、写しではない、と言うならば、一体誰の御真筆であるのか! して、その誰とは一体誰の事であるのか!
オマエら莫迦フェイクは、其れらの事を須らく総括せよ! 何!? 所詮は落書きであるから、そんな難しい事は
書けないとな! ったく、其れこそ、さもありなん! であるよな! そうであろうが! 莫迦フェイクよ!

>日顕の「坊主根性」
>そのことを日顕も認めていて「戸田会長先生の御逝去に対して」と題し、次のように記していた。

「私の罪障と云うか、先生の云ういはゆる坊主根性の為か、昭和二十四年頃の私は、
自らの心にある垣根を作り、それが円融濶達にして師厳道尊なる先生の精神に半ば通じない
事があったのは、今更遺憾懺愧此の上もないのである」 (「大日蓮」昭和三十三年五月号)

昭和二十四年と言えば、御隠尊は当時、墨田区本行寺の御住職であり、二十七歳の青年僧侶であった。
爾して、当時の創価学会は、戸田先生の事業がうまく行かず、創価学会をして財団法人とするに於いて、
其の信心を疑われたのではないか。いや、其の事業に於ける色物雑誌の存在や、手がける金融の生業(なりわい)に
於いて、其の余りある俗臭に、眉を顰められたのやも知れん。本よりこれは当方の愚推ではあるが。
とまれ、過去の御心境なりを、正直に吐露されるは、これ全く謙虚な御姿勢と、当方は此に領解するものである。

>もし、日顕が「坊主根性」を猛省し、改めていれば、今日のような宗門の衰退を招く事態には
>至らなかったであろう。(つづく)

糞笑。御隠尊が言う「坊主根性」と、オマエら創価外道を破門にした根性とは、全く事を異にするものである。
オマエらは、そういう分別も出来ない程、脳味噌が腐っているのである。又、そうであるからこそ、落書きを
好んで書き散らかすのである。哀笑。

されば云おう。

オマエらの首魁たる池田太作こそ「在家根性」を再確認し、其の根性こそが全く信徒としての規律である、という事を
認識しておれば、我ら正統・富士門流から破門されずに、其れこそは本尊雑乱・教義変転の醜態を晒さずに済んだので
ある。よいか。真(まこと)の衰退とは其の数に非ず、其れこそは本尊教義の攪乱に在る、という事をオマエらは知りなさい。

>昭和六十年春、当時の仲居に「ワシも明日から六壺で勤行をするからな。信心根本でなきゃいかん」と言ったものの、
>勤行したのは、その翌日の一度だけ。同六十三年にも「勤行に出てやる」と言ったが、この時は口先だけに終わった。
>日如も昔から勤行をサボっていたことを改革同盟の渡辺雄範氏が「決別の書」で次のように指弾した。

哀笑。だから、我らも其れに習って、勤行を一座にしたってか。哀笑。
糞笑。ったく、人様の勤行に文句する前に、オマエらの其の省略根性を恥じなさい。
鼻笑。離脱僧、見て来た様な、嘘を言い…。小鼻笑。

して、そんな改革同盟が云く、

『「法体の血脈」という時、その「法体」とは本門戒壇の大御本尊以外には有り得ません。ゆえに、日寛上人が
「法の本尊を証得して、我が身全く本門戒壇の本尊と顕るるなり(中略)題目の力用に由るなり」と示されている
通り、一切衆生の成仏を説かれた大聖人の仏法では、法主に限らず、全ての門下僧俗が「題目の力用」によって、
「法体の血脈」を受けられるのであります』と。 【日蓮正宗改革同盟 決議文より】

哀笑。

果たして、法体の血脈の「法体」こそは、本門戒壇の大御本尊以外には有り得ない、とは如何なる事か。
して、其の唯一の法体に帰命し、応に其の力用によって「法体の血脈」を得るとは、如何なる事か。
爾して、戒壇の大御本尊をして法体の唯一とし、其の法脈を以って題目を唱うれば、日寛上人の御本尊に
於いて功力を得るとは、応に絶待にして相待たる、本尊授与の大義を云うものではないか。

莫迦フェイクよ。

今にして改革同盟の戯れ言を引用するならば、先ず以って上記改革同盟による本尊授与の大義を此に総括せよ!
よいか! 是れこそは、勤行をした、しないの次元ではない。是れこそは宗教の根本たる本尊義の御事である!

ったく、事の順序も弁えず、小事一端の事柄を仰々に喚き散らかす、其の稚拙狂乱の不様(ぶざま)なる姿よ。呆呆。

よいか! 今こそ、オマエらの眼前に高札を立てよう!


一、折伏した人は日蓮正宗の信徒として本寺に所属させること。

二、当山(富士大石寺)の教義を守ること。

三、仏・法・僧の三宝を守ること。


哀笑。見覚えあるか。有るであろう!

然るにオマエらは、この高札の義に背いたが故に破門されたのである。

よいか。興門による高札の義は、オマエら莫迦フェイクの万倍なのである!

一大秘法とは御本尊の事ではない。

糞笑。こんな邪言を吐いている共ずれが、落書きフェイクの戯(ざ)れ言を読んでほくそ笑む。哀笑。

よいか。そーゆーオマエらこそが、彼の一行、空海、良観、法然、中山みき、庭野日敬、小谷キミ等の
生まれ変わりなのであり、そーゆーオマエらの姿こそが、破仏法の元凶と成るのである!

少しは『恥』というものを識(し)りなさい!

よいか!

正義の高札は唯一つ! 其れに乖(そむ)くを破法と言う!
 

学会の教学は、偽物です。

 投稿者:釋子 日幸  投稿日:2018年 7月29日(日)11時56分21秒 dw49-106-188-151.m-zone.jp
返信・引用
  正宗、学会の教学は偽物です。私は、大阪に住む法華経修行者の一人てす。久遠実成釋尊を末法の本仏、本尊と崇め、日蓮聖人を上行菩薩と敬う一信者です。  

創価邪人の戯れ言を破す

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 5月 5日(土)22時34分57秒 i223-218-107-85.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  >大石寺派(すでに広宣流布からリタイアしたので最近は退席痔派とも呼びます)では、
>自分たちの唯一のアイデンティティとして戒壇の大御本尊を主張しますし、大聖人の御書の
>とおりに実践していない老衰した自己中心の脱会者が、自分は大御本尊のある方がいいから
>日犬は悪でも仕方ない、と半泣きで侘びていたりもします。

阿呆!! 正法流布から退席したイボ痔教団とは、実にオマエら創価の事を指して言うものである!
果たして創立以来、教義の大根本として来た一大秘法義を、何の躊躇いも無く放り投げた、応に無節操
極まりない、其れこそアイデンティティーの無い滅裂狂団と化したオマエら創価学会こそ、正法広布から
退席した馬鹿者集団である! ったく、オマエは何を言っておるのか!?

鼻笑。其れにしてもオマエ「自分は大御本尊のある方がいいから日犬は悪でも仕方がない」とは如何なる事か。
ならば、其の日犬とかいう貴様の妄想犬が、冨士の裾野に居るとして、オマエらの大将である池田太作が、其の
妄想犬の下に在る大御本尊を指して『信心の根本であることは、これからも少しも変わらない」と断言しておる
のは如何なる事か。果たして、貴様のセリフを借りて言うならば、実に此の池田太作の断言こそ、仕方なしの
半泣き状態ではないのか! そうであろうが! 反論あるなら申してみよ!!

>しかし、貫主であった日顕自身が、戒壇の大御本尊についての真実を示唆する講釈を垂れたことで、
>いよいよ真実の大聖人の教えが明らかにされる「時」が来たと確信しています。

哀笑。真実の大聖人の教えとは何か。小鼻笑。
まさか、一大秘法とは本尊の事ではなく、題目の五字の事である、という事か。
ならば、其の事、貴様らの大将である池田太作の指導から其れを立証してみせよ!

>日顕が河辺メモでばらした戒壇の大御本尊偽物説の間違い。
>宗門でも有名な河辺メモは、かつての学会と宗門との連絡会議の学会側の記録と比較するとほとんど表現が
>一致していること等の実績から、その正確さについては知る人ぞ知る、という記録文書です。

哀哀笑。

おいおい又其れか…。

ったく、そんな使い古しのイチャモンを持ち出して、今更何を言っておるか!

よいか! 河辺メモについては、我らが完膚までに破折し尽くしておる!

つまり、オマエらのイチャモンは単なるイチャモンに終わった、という事である!

いや、そんな事はない、と言うならば、当方が相手になってやろう!

その代り、逃げるでないぞ! よいな!

>最も確実な確認の方法は、毎年の虫払い法要の際に公開される日禅授与本尊について、
>実際にどのように籠抜きをした形跡が残っているかを確認すれば良いのでしょうが、
>宗旨が根本からひっくり返るので、絶対に宗門はそれを認めるはずはないし、聞いても頭から無視し
>否定するしか道がない。

小鼻笑。フェイクの読み過ぎだよ、オマエ。糞笑。

籠抜きだ? 貴様、凡人の分際で、御本尊の御認(したた)めについて、生意気な事を言うものではない。
して、其の形跡を確認すれば、宗旨が根本からひっくり返ってしまうから、宗門は無視するしかない、とな。

阿呆! 元からして形跡のないモノを、どーやって確認するんだよ、オマエ。小鼻笑。
いや、其れよりも何よりも、貴様らの様な蛆虫に、ハイ、確認致しました、などと、言う訳がなかろうて!

云く、

『証拠は大石寺にある! 若しそれを知りたいのならば信心を奮い起こして拝みに行け! 見せる、見せない。
見世物じゃあるまいし、信心の無い者が拝めるわけが無いではないか!』

此の大呵責、覚えておろうか。言うまでも無い。貴様らの大先輩、小平教学部長の大呵責である。

哀笑。此の大呵責、そっくり其の儘、貴様にくれてやろう。

>戒壇の大御本尊をわずか数mg削って、AMS法で炭素14を分析せよ
>それによって事実を示せないならば、以下の根拠に基づき、戒壇の大御本尊とは大聖人滅後に日禅授与本尊を
>模刻したものだと断定するぞ!と責め続けましょう!

模刻だ? おいおい、オマエらの言う河辺メモには模写と書いてあるぞ。一体どっちなのだ。
ったく、適当な事をいうものではない。呆。

其れにしても貴様、我らに対して、大御本尊の一部を削れとは何事か!
いや、其れを返して云うならば、貴様は分析という名の下に、己(おのれ)の本尊にハサミを入れる事も厭わない、
応に不信背逆の暴徒という事になるが如何!

だからこそ云う。若し其れを知りたいのであれば、信心を奮い起こして拝みに行け! と。
さすれば『真の証拠』が見えて来よう!

まぁ、何れにしても、与義にして戒壇の大御本尊は日禅授与本尊の模写というならば、其れこそは、
日禅授与本尊こそ戒壇の大御本尊を模写したものだ、という事を、其の時系列からして推考すべき
であろう。よろしいか。模写とは其の元(以前から在るモノ)が在って初めて成るものである。

果たして、此の推論を完膚なまでに破れるか。鼻笑。

いや、破れまいて。小笑。

つまりは、其れがオマエらの限界という事である。

どうせ持って来るならば、我が富士大石寺がひっくり返る程の証拠を持って来なさい。

ったく、束に成った参考書を脇に抱え、あーでもない、こーでもない、とイチャモン話を繰り返し、
挙句に『鑑定に出してくれ!』などと限界の悲鳴を上げる、文献亡者の拙さよ。小鼻笑。

猶(なお)此に云うが『戒壇の大御本尊』という呼称は、どの御書にも無い。
爾して「大御本尊」という語彙は、日興跡条々事と本門心底抄(日順師)のみである。

さても御書の何処(どこ)にも記(しる)されていない「大御本尊」を「弘安二年」という年に限定し、
しかも其の「大御本尊」を以って日目上人に授与相伝すると謂う。はてさて、其れは如何なる事か。

本より「弘安二年」と云えば『聖人御難事』の一文であろう。

訳して云く『釈迦は四十余年、天台は三十余年、伝教は二十余年に出世の本懐を遂げた。無論、其の間の大難は
言うまでも無い。そして私の本懐は二十七年である。無論、其の間の大難などは各々が知るところである』と。

はて、此の一文に謂う「本懐」とは何か。

「曼荼羅図現」「弘安二年」「大御本尊」「死後の円戒」

果たして、これら項目を連結して、見事、正答を成し得るは、応に「時を待つべきのみ」の御聖意を識(し)る、
我ら興門正統以外には有り得まい。

大御本尊在るが故の宗門。
大御本尊在るが故の猊下。

とまれ、

池田在ってのオマエらに、其の様な事など解かるまい。

しかし池田は言う。

「大聖人の出世の本懐である一閻浮提総与の大御本尊が信心の根本である事は、これからも少しも変わらない』と。

                             【平成5年9月16日、アメリカSGI最高会議】

果たして、創価を破門に処した、其れこそ、オマエらからして大謗法の山である富士大石寺に格護さる
大御本尊を、これからも少しも変わらずに信心の根本にする、と断言した池田太作の指導こそは、応に
永遠の指導者としての永遠なる本尊指導ではなかったのか。

よいか。オマエら創価は、そういう事を先ずは総括して、一体どの本尊義が正しいのか、毎年コロコロ変わる
俄(にわか)教学の其れではなく、恩師戸田先生已来のしっかりとした本尊義を以って、大乗真実の極意を述べる
べきである。

ったく、そんな根無し草の附仏法ずれが、見て来たかのような悪口を並べて、其の負い目を繕(つくろ)うなど、
観ていて余りにも浅ましい。

少しは恥を知りなさい。

>大石寺派(すでに広宣流布からリタイアしたので最近は退席痔派とも呼びます)では、
>自分たちの唯一のアイデンティティとして戒壇の大御本尊を主張しますし、大聖人の御書の
>とおりに実践していない老衰した自己中心の脱会者が、自分は大御本尊のある方がいいから
>日犬は悪でも仕方ない、と半泣きで侘びていたりもします。

呆笑。

先ずは此のセリフ、池田センセーに言いなさい。

そして、オマエが正しいのか、池田センセーが正しいのか、

其の事を知らせなさい。

よろしいか。

加えて云う。

学会本部に云く『この度、(創価に)授与される御本尊は、広宣流布を深く願い、「大聖人直結」
「御本尊根本」の正道を貫かれた日寛上人が、享保五年に書写され、淨圓寺に授与された御本尊である』と。

さても、「大聖人直結」「御本尊根本」の正道を貫かれた日寛上人とは如何なる事か。
さても、日寛上人をして「大聖人直結・御本尊根本」とは如何なる事か。

此等の事も併せて総括し、当室に返答を寄こしなさい。

よろしいか。

ったく、何もかにも有耶無耶にして、惚けるものではないぞ。

尚、此の阿呆が羅列している愚疑については、追々、呵責して参ろうと思う。
 

ああ、邪教人 其の七十五

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 5月 4日(金)16時59分7秒 i223-218-107-85.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  >原田稔天魔執行部=教学から 本音が出ました。
>[日蓮本仏論は誤りです。それは認めます。

哀笑。そーか。やっと出たか。哀笑。
鼻笑。されば、いよいよ宿坊一味の狂学に近づいた、という事になるよな。
呆哀。池田センセーは、其れでいいんかい。哀哀哀。

>しかし我々は多くの会員を抱え、なおかつ大石寺教学の伝統が現在も
>色濃く残っている中において…

呆哀。だから、池田センセーは其れでもいいんかい、と訊いておる。

>いかに会員を動揺させず、矛盾しない教学を構築していくかが重要です。
>現在慎重に進めています。

呆笑。つまりは「過去との整合性など、どうでもいい。自語相違と批判されてもかまわない。
結論は決まっているんだ。教義なんて、それを後付けすればいいんだ!」という谷川センセーの
狂学志向に沿って往くという事であろう。哀笑。

ったく、会員を動揺させずに矛盾しない教学を構築していくなどと。
つまりは会員を謀(たばか)るという事ではないか!
ったく、ふざけるものではない。

>もう、学会に。学会員に、失望しました。自分達の良いようにしか活動しない、人の陰口をたたく、
>地区拠点のばばあ達、失望しました。広布基金?御供養?メールで、する気あるなら、言うて下さい?
>紙持って行きます?あほか?そんなやり方、間違ってると、

小鼻笑。御供養する気あるなら言うて下さい。紙持って行きますから、ってか……。哀笑。
ったく、何と云う失礼な物言いであるか。御供養する気あるなら紙持って行く? 阿呆!
御供養する気にさせるのが、オマエら小幹部の仕事ではないか! よいか。其れをして「人材育成」と云ふ。

鼻笑。其れにしても「地区拠点のばばあ達」とは。余程、鬱陶(うっとう)しく見えたのであろう。
さても加齢臭が充満した地区拠点。いや、其れこそは御線香で消し去って、勇躍信心に励もうではないか。小汗。

>そんなやり方、間違ってると、言えば、変な人扱いで、陰口で、あの人と付き合わないほうがいいとか?
>お前ら、学会を邪宗にする気か?(笑)

小笑。もう疾っくに邪宗に成ってるよ。哀笑。
小笑。間違ってると言えば、変な人扱い?…。其れはしょーがないであろう。宗教組織なのだから。
小笑。陰口であの人と付き合わないほうがいい?…。其れはダメだ。それでは人材育成など出来ん。

>もう、来ないでほしい。
>50年信じてやって来たけど。もう嫌ですわ。気持ち悪い集団に成り下がったよ。学会辞めよか、考えてますわ

50年か。それはすごい。よくぞ今まで、創価の小教義に付いて来たもんだ。しかし、やっと目が覚めた。
本尊教義が堕落すると、其れを信じる者たちも気持ち悪い人種に成り変わる。実(げ)に其れこそは、
アッラー・アクバルと同じ原理である。呆哀。

兎も角、早くやめた方がよろしい。

>販売店主ふざけた野郎ですね。
>うちの地元の元販売店主、威張っててどっちが客かわからない。
>もともと若いころから仕事が続かず、可哀そうだからと拾い上げしてもらった
>にもかかわらず、支部の会合で右手に啓蒙用紙を振りかざし
>「こんな部数じゃダメなんだよしっかりやってくれよ!」と恫喝もどき
>人格がヤクザのような人間でした。昔はなんでもありですな。

哀笑。日蓮大聖人が曰く

「をもいあわぬ人をいのるは、水の上に火をたき、空にいえをつくるなり」と。【新編 998】

気の合わぬ者に対して、無理に合わす必要も無し。日蓮大聖人は其の様に仰せらる。
ましてや、人格がやくざの様な人種であるならば、そんな者は蹴飛ばした方がよろしい。
気の合わぬ者は合わぬし、嫌いな奴は嫌いである。其れでよろしい。
爾して、信心の奥底はそこに在るものではない。又、其の達観こそが重要となる。

>純粋な学会員をバカにしてるにもほどがある。

己(おのれ)の好き嫌いで善悪の判断はすべきではないが、事の善悪に於いて好き嫌いを決するは結構な事である。
とまれ、純粋な信徒をバカにする宗教などは、須らく悪であるから、其の悪教をして嫌いになるは、誠に結構な
事である。

>最高幹部の年収は億近い年収、しかし、3口、5口の財務・・許せますか?
>大御本尊を否定、一大秘法を否定、釈迦本仏を唱える教師を教学部顧問に置く執行部・・
>先生がされた記念植樹を次々と引っこ抜く執行部、許せますか?

一行目は同じ在家として許せない。
二行目は興門信徒として許せない。
三行目は池田門下として許せない。

爾して、我ら興門正統は、二行目こそ、絶対の邪義として許せるものではない。

>生活保護の会員の葬式に出ないように、おふれが回った地域もありましたよ。

呆。其れは酷いな。というか、もう滅茶苦茶だね。哀哀哀。
ホントに大丈夫か? タンコブ原田。呆呆哀。

>最近、地区内で生活保護を受けらていた壮年の方が亡くなりました。
>ここ数年病気をされ生活保護を受けていましたが座談会にも参加され
>支援活動にも前向きに取り組んでくださいました。
>●●長に名誉称号の確認をしたところ、、「○○さん、名誉称号の件ですが
>出せません、財務やってない方には出せないんですよ!」とのこと
>ははぁ~(・・?地獄の沙汰も金次第ってことね。と思いました。

なんだ、創価学会では、生活保護を受けている会員は、其の様に差別を受けるのか。
さても、生活保護とは、一種の所得補助にも当たるのであるから、是れこそは国民の
権利というものではないか。其れを其の様に無碍にするとは、とても権力側に付いて
いる支援団体の所業とは思えぬ。何、だからこその権力ってか。哀笑。

>宗門には戒名の件で戒名も金次第とか戒名がなければ成仏できないのはウソと
>散々批判していたのに、学会も金を出さなければ名誉称号も故人の最期なのに
>支給されないんだとがっかりしました。

おいおい、宗門に於ける戒名が金次第とは間違いであるぞ。金が有ろうが無かろうが、
戒名は授けられるのである。本より此れは、仏門に帰依した証拠として授けられるもの
である。此に不敬を恐れずに言えば、戒名とは則ち日蓮門下(興門信徒)の称号とも云えよう。
爾して、其の授けられた称号に寄せて追善供養するならば、是れ全く罪障消滅に資する
という事である。仍って日有上人は『戒名に意義ありと意得べしとなり』と申されたのである。
よいか。宗門はオマエら創価と違って、あれもこれもと俄(にわ)かに教法化儀を作り替え、
会員信徒を欺くなどはしないのである。其れこそは化儀抄の如く、粛々と執り行うのである。
よいか。オマエらはそーゆー所を見習いなさい。
ったく、十年も満たない内に本尊教義をコロコロ変える連中が、六百年来の化儀に悪口するなど、
其れこそ馬鹿の骨頂ではないか。呆哀。

其れよりも何よりも、仏弟子の称号(戒名)でも何でも無い、単なる組織役職の名誉付に対して、
上部組織に供養していないから其れを与えない、などと、一体、本職の連中は何様であるのか。
言って置くが、本職の鈍(なまくら)連中など、日有上人の御境涯からすれば、下の下の下である。
ったく、そんなオマエらが戒名の事について唾を吐くなど、其れこそが大謗法となる。

名誉班長、大いに結構! 名誉支部長、大いに結構!

そんなもん、創価の副会長のように、どんどん作ればよいのである!
ったく、そんなウドのタケノコの副会長よりも、三丁目の横の金物屋の班長の方が、余程、信心に頑張ってるわい。
そーであろうが。呆哀。ったく、200人も300人も副会長を拵(こしら)える組織など聞いた事もないわい!
ったく、そんなズボラな人事組織が、末端会員の名誉付にぐちゅぐちゅと文句を垂れるなど。呆呆哀。
ったく、同じ有髪の在家同士が何をやっておるのか! 会社の人事じゃねーんだよ! 呆怒。

おっとー! 気を取り戻して落ち着こう。小汗。
いやいや、余りの酷さに思わず怒ってしまったわい。鼻笑。

>無慈悲な組織になった原因は、原田会長と執行部の運営や方針にあるのです。
>ましてや、質問や意見さえも許されない。

哀。そーか。質問も意見もダメか。つまりは、質問も意見も批判として受け取られる、という事か。
哀。つまりは其れだけ上部組織は、己(おのれ)の足元がグラついている事を承知している、という
事にもなろう。とまれ、弱体化した組織ほど、小幹部への締め付けが強くなるというものである。

>創価学会バンザイ\(^o^)/
>母の日バンザイ\(^o^)/
>反逆の徒にそれは無縁かもしれん。
>残念ながらぞな。

呆呆呆。

こりゃ、もうダメだ。大哀笑。

今日も今日とて邪教人。

邪教人への呵責は、これからも続く。
 

憂国の武士殿

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 5月 3日(木)19時06分29秒 i223-218-107-85.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  当室への御投稿、痛み入ります。

御承知の如く、当室は管理人による確認後掲載の形を採っておりますので、
各位の投稿文が即時に掲載されません。本より、此等の対処は愉快犯による
多重ハン・捨てハン・串投稿を抑止するものであり、どうか其の点、重ねて
御理解頂ければと思っております。


>地方における創価学会の現状を眺めますと、若い人や活動者が極端に少なくなっています

そうですね。

当方が知る所では、都心に近いにも拘らず、男子部の役目であった夜回り(火の用心)の人数が足りず、
六十過ぎの壮年部員らが駆り出されている、との事。本より此れは本人の弁でありますから、
真(まこと)の事でありましょう。

>引っ越しして三年めに入りましてようやく古参学会員に睨まれる存在になり光栄に思っております。
>(睨み方が半端じゃない)

邪教人に睨まれるとは結構な事。況(ま)してや、其れが半端じゃない、とは何とも素晴らしい。
無論、其れを光栄とする武士殿の信心こそ、真の興門信徒と云えるのであります。

聖教新聞の寸鉄に云く、

『学会迫害の悪人は厳罰で野たれ死ぬまで責め抜け』

こんな事を平気で言う連中でありますから、睨み方も半端じゃないのでしよう。

>聖教新聞配達の方はどう見ても70歳は過ぎています。県の男子部長で壮年部に移り、見事に退転状態の方と
>日々会話をしていますが、過去の栄光(役職でなく)に拘っているのは哀れでしかありません。

元県男が壮年部に移って不活になる。

よくある話ではありますが、其れらの殆どが叩き上げの幹部たちです。つまり本職(本部職員)ではない幹部たち
です。又、そうであるからこそ、過去の戦いを懐かしむのでしょう。本より、本職に戦いの履歴などありません。

>教学も教授だとか。
>しかし、新聞受けの聖教新聞は夕方までそのまま。ネット環境は整っているようですが掲示板は見ていないようで、
>蘭室と小生のHpを彼に教えて反応を見ます。笑

笑。宜しくお願いします。

>「其の国の仏法は貴辺にまかせたてまつり候ぞ 仏法は縁によって起る その故に一乗を説くなるべし」
>(米穀御書)のご金言を胸中に、日本で唯一残る廃仏毀釈の村を担当させていただいている武士です。

御懐かしい一文。

此の一文こそ、当方が男子部時代、よく御書講義で耳にした一文であります。
『君が担当しているブロックは、日蓮大聖人から任されているのだ』と。

尚、創価の御書全集(日亨上人編纂)では、此の一文は『高橋殿御返事』(全集1467)に在り、
其の一文には『其の国の仏法は貴辺にまかせたてまつり候ぞ、仏種は縁に従(よ)って起る是の故に一乗を
説くなるべし』と在って、若干の相違があります。

とまれ、地域組織を預かる者としては、誠に身が引き締まる一文と云えましょう。

爾して、日本で唯一残る「廃仏毀釈の村」を担当されるとは、何とも頼もしい。
されば、増々以って此の一文こそが大事と成りましょう。

武士殿には、今後とも当室への御投稿を宜しくお願い致します。
 

ご無沙汰しております。

 投稿者:憂国の武士  投稿日:2018年 5月 2日(水)17時52分3秒 ag220-213-220-206.ccnw.ne.jp
返信・引用
  小生、行くも止まるも座るも伏すも妙法一筋との思いで微速前進しております。
管理人様 法華講員の皆様におかれましてもお変わりなくお過ごしの事と思います。

さて、地方における創価学会の現状を眺めますと、若い人や活動者が極端に少なくなっています。引っ越しして三年めに入りましてようやく古参学会員に睨まれる存在になり光栄に思っております。(睨み方が半端じゃない)

聖教新聞配達の方はどう見ても70歳は過ぎています。県の男子部長で壮年部に移り、見事に退転状態の方と日々会話をしていますが、過去の栄光(役職でなく)に拘っているのは哀れでしかありません。

教学も教授だとか。しかし、新聞受けの聖教新聞は夕方までそのまま。ネット環境は整っているようですが掲示板は見ていないようで、蘭室と小生のHpを彼に教えて反応を見ます。笑

「其の国の仏法は貴辺にまかせたてまつり候ぞ 仏法は縁によって起る その故に一乗を説くなるべし」(米穀御書)のご金言を胸中に、日本で唯一残る廃仏毀釈の村を担当させていただいている武士です。
 

ああ、邪教人 其の七十四

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 5月 1日(火)16時31分3秒 i118-19-13-247.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  >職員幹部(大幹部)がIcanがノーベル平和賞を受賞したことを通して指導してました。
>→実は裏でほとんどの展示や事務方で支えてきたのは創価学会ですとのお話。。。

哀笑。なんだ。SGIではなかったのか。哀笑。
何? SGIは創価学会の傘下組織とな。鼻笑。
しかし、当初は其の逆を目指していたよな。哀。
SGI>日本創価学会という風に……。

つまりはなんだ。SGIの進展が下降しておるから、日本創価が其の傘下に収めて、其の一切を
取り仕切る、という事であろう。哀笑。尚、池田太作が死んだ後は、息子の陥没君がSGIの会長職を
務める事になっているという。言って置くが、此の情報は、彼の馬鹿フェイクよりも数百倍、信憑性が
有るものである。鼻笑。

>学会員でない方に戸田先生の核兵器禁止宣言の核絶対悪を国連で叫ばれてしまい
>公明党創価学会は情けないと思わないのでしょうか?。
>職員幹部(大幹部)はよくも、しゃあしゃあ~と指導できるものだとあきれてしまいました

哀笑。学会員でない方、と言っても、其の被爆女性はICANの依頼を受けて演説したのであろう?
鼻笑。ならば、其れこそはSGIの功績とも成るのではないか。なんだ。違うのか。哀笑。

職員幹部? 哀笑。褒め過ぎだよ! 基奴(そやつ)らこそは「職業幹部」である!
否、在家の癖して、同じ在家から供養を受け、其れを財物給与として恩恵を受けている禿人以下の
紛(まが)い者達である! 本より、其の財物に対する執着は異常そのものである。

職業幹部に云く「あんたハッキリ言えないんだったら、私が言ってあげる!
今度の広布基金は100万出しなさいよ!! 皆の前で言っておくから。ねッ!
婦人部長は、ちゃんと、100万、取りに行って!」

呆哀。本より此の指導は、彼の女史の指導であるが、いやまぁ、呆笑。
思うに其れこそは、学会員の帰属に右往左往している僧侶に対して、一発咬ました御隠尊の厳呵とは
全くの大違いである。よいか! 取りに行くのは金ではない! 信者である!
よいか! 其れをして布教というのである。

而して、此の不満壮年部。職業幹部を指して大幹部と称するは、多少、年季の入った御仁ではないのか。
無論、タテ線時代とは云うまいが、当方の後輩であるとしても、未だ覚めぬ其の信心には、何とも残念で
ならない。まぁ、隊長のビンタを受けてドスンと倒れこむ班長や分隊長の姿を見てきた当方からして、
「大幹部」という呼称は、今にしては何とも懐かしいものである。

>きちんと本人を納得させる指導が幹部にできればその壮年はスッキリして
>何十倍もの力を発揮するでしょう。これが現場における実態です。
>学会が衰退するのも仕方ないですね。

鼻笑。

大白蓮華を片手に御書講義などする小幹部連中が居る以上、宗団組織の士気学力などは上がらんね。
本より、そーゆー連中が現場を支配しておるから、本尊教義の変節にも気が付かないで居るのである。
無論、職業幹部からして見れば、其の方が楽であるから、一層、其の様に仕向けられて、遂には今の様な
有り様に成った、という事である。

呆呆哀。されば「新・教宣ハンドブック」に云く、

『戒壇の御本尊とは、宗祖日蓮大聖人の出世の本懐であり、日寛上人が「三大秘法の随一なり」と仰せの
大御本尊である』【同6ページ】

哀笑。オマエらこれ、どーすんだよ。言って置くが、此のハンドブックの宗門に対する断言は、破門から
已(すで)に10数年経っているものである。果たして、昨今の原田創価の言い分からすれば、此の時、宗門は
謗法の宗ではなかった、という事になる。

果たして、オマエらは、こういう滅裂をどう思うのか。反駁あるなら申してみよ!!


>池田先生の名前を使えば、どんな理不尽でも
>誰も逆らえない、ということを巧みに利用する法匪八尋。
>表舞台には出ず、暗躍を重ねる。

鼻笑。ホント、えらい目に遭ったよな。此奴の為に。哀笑。

うむ。法匪とはよくぞ申した。

して、其れを仏法の視点から言うならば、此奴こそ、破和合の凶族となろう。

而して、其れら破和合の凶族が集まれば、其の凶族らは和合して、組織の内臓を食い荒らして往くのである。

本より其れをして「獅子身中の蟲」と云う。

尚、今更言うまでもないが、現在の創価は、其の腸(はらたわ)の殆どを此奴(こやつ)らに食われておる。

呆哀。もう、遅いわ。

而して、此等の現証こそ、大御本尊に背いた現罰であろう。

本より、本尊教義の捻転こそ、仏法からして一番重い罪となる。

されば、お主らの首魁に、口のきけぬ者が居らんか。意思の疎通が出来ぬ者が居らんか。
いーや、糞尿さえ自ら出来ぬ者が居るのではないか。

言うまでもない。宗教指導者が自らの意志によらず、其れこそ不本意にして其れらの状態を得るは、
是れ全く本尊誹謗の現罰である、という事を此に識るべきである!

>先生の平和主義、慈悲の思想に反した、原○学会の中で信心に喜びはありますか?
>功徳はありますか?
>全く、有りません。

呆哀。じゃあ、やめなさい。そんな組織に居ても与同の重罪を重ねるだけである。
何? やめるも何も組織から追放されたとな。……哀笑。
ならば一体、オマエらは何者であるのか。一体何処(どこ)の宗の者であるのか。
言って置くが『私教』は謗法であるぞ。そんな事くらい解っておろうが。
何? 俺たちには日護御尊能化が居るとな。鼻笑。
おいおい、今更、保田に身を寄せるのか。呆呆哀。

>原田怪鳥様、先月の「励まし週間」は初っ端の週デスたが、5月の「励まし週間」はいつからデスかぁ~(笑)
>愛人との蜜月旅行、もとい御訪問で英気を養われた原田怪鳥様、さぞかしGW中は「励まし」に邁進するコトを
>期待しておりまぁ~す(笑)

呆哀。おいおい、其れホントーかい。呆笑。

>さて、ナニやら? 某ツイッターで「創価珍報」の記事が紹介されていたのデスが、これって「家庭訪問」の
>材料にピッタリじゃないんデスかぁ~(笑)
>例によって、元職員3名の方なり、宮川氏などをディスる内容みたいデスが、一方的な物言いで、公平性がまるで
>ナイのは残念でぇ~す(笑)

鼻笑。創価珍報に叩かれている連中が、フェイクを貼り付けて宗門の悪口などを言う。
鼻笑。ったく、何が何だか判らんが、其の公平性を云うならば、創価珍報に倣ってフェイクこそ、其の媒体を明かし
なさい。ったく、青葉茂などと。ふざけるものではない。

して、そんなフェイクが断言して云く、

『身延山といえば、日蓮大聖人を末法の御本仏と仰がずに「日蓮大菩薩」と称しており、また
「板本尊偽作論」を唱えて大御本尊を否定し、更に、御本尊を店先にぶら下げ、御守本尊を
カードにして販売している謗法の山である』【フェイク 第1406号】

重ねて言おう。オマエらは先ず以って、此のフェイクの記事を総括致せ!

さても、此のフェイクの主張に依るならば、宿坊もイタチも宮田もキンパラも、皆、謗法人の仲間入りと成る!

其れで間違いないか、フェイクよ! 其れとも何か、このフェイクの記事こそがフェイクであると申すのか!!

ったく、そんなフェイクを貼り付けている連中を、創価新報が呵責する。
さても、新報の前身が大学新報であるが故に、そこに多少の知恵が回っておるとでも云うのか。呆笑。

哀笑。いやはや、何処(どこ)ぞの歌詞ではないが、馬鹿と阿呆の絡み合い、とは応に此の事をして云うものであろう。

本より、馬鹿に付ける薬は「バカ」と知らしめる事にあり、阿呆に対する薬も「アホ」と知らしめる事にある。
本より、其れが在ってこそ「悔悟」が成るのである。

さて、本日はここ迄としよう。

今日も今日とて邪教人。

邪教人への「馬鹿阿呆」呼ばわりは是れからも続く。
 

指標なき戦いは空転である!!

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 4月30日(月)14時52分46秒 i118-19-13-247.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  抑も、他門に於いて本門戒壇の建立を大願としている宗派は皆無であり、唯一、富士大石寺を総本山
とする日蓮正宗のみが、本門戒壇の建立を広宣流布の暁に於いて其れを完遂するを大願に掲げている
のである。

当に此の宗旨こそが日蓮大聖人の正系たる証拠であり、正しく日興上人からの法統を受け継いでいる
証左である。仍って、本門戒壇の建立と、其の戒壇堂に安置さる御本尊を顕示できぬ日蓮宗各派は、
みな邪宗である!

さて、

創価学会にして広布暁の戒壇建立は、何処の地に於いて建立するのか。

加えて其の戒壇に安置される本尊は、一体何処の本尊を以って懸けるのか。


学会員諸君、第一回の目回答!

●大石寺の敷地以外でしょうね。
●正本堂壊されちゃったし。宗門負担で建て替えてもらいましょうか。
●戒壇堂建立は、数年で出来ます。
●本門の戒壇の実現-広宣流布の姿を願う心。
●その時代の民衆に任せておきなさい。
●何処の本尊って、大聖人御図顕の御本尊に決まっているでしょう。
●大石寺以外の御本尊でしょうね。
●人のものを「よこせ!とは言えないでしょう。

小笑。

学会員諸君、第二回の目回答!

●ほう、大聖人が何時「富士宮の上条に建立しなさい。」と仰られたんだい?
●創価が広宣流布したときには、日顕宗は駆逐されているときでしょ?
●おすがり信仰とはよく言ったもんだ(ズバリ) (笑)
●あんたがたは、今年何万所帯の布教をやるのかね?
●指標なんて一番無関係なんだよ!! この恥かきでしゃばりが!!!!

鼻笑。

小学会員諸君、第三回目の回答!

●そんな事は将来の民衆が決めるんだよ。四の五の言ってもしょがねーじゃないか。
●創価学会の公式見解は創価学会の広報にでも聞きなよ。何度も言わすんじゃね~!!
●戒壇の建設自体は、現代建築技術をもってすれば数年で竣工できるということ。お解り?(笑い)
●戒壇建立より先にやることが一杯あるだろう!
●そんなことも分からんとは、愚かなオッサンよのう! ガーーーーーハハハハハハハハハ!

哀笑。

小学会員諸君、第四回目の回答!

●学会は今や戒壇建立を目指していない。(総意)

呆笑。

…お主ら、いい加減に致せよ!

一体どこに本門戒壇の建立地も、其れに安置する本尊も未定のままに戦う莫迦があるか!

まして、其れを放棄するとは何事であるか!

お主ら、大丈夫か? 其の頭…。

糞笑。

まこと指標なき戦いは空転である!

応に是れこそは池田の為せる業(わざ)ではないのか!

ったく、デタラメな連中である。大糞笑。
 

ああ、邪教人 其の七十三

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 4月29日(日)21時18分45秒 i60-35-89-93.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  久々の投稿と相成った。

管理人による確認後掲載の仕様を採っている当板からして、当事者による長期不投稿の態は決して
宜しいものではない。本より其れが仕事の多忙にあるとしても、務めて長期なる不投稿を避けるが
当板管理人の役目と心得る。

さて、其れら反省の弁を述べつつ、周囲の邪教板(原田創価員及び除名創価員、并に不信仰者の掲示板)を
見渡せば、相も変わらず邪見浅識の戯れ言を書き散らかしておる。

当方は何度も言っておろう。

莫迦に付ける薬は、其の者をして莫迦と言う他にない、と。

して、そんな莫迦者連中が、連日連夜、馬鹿な事を書き散らかしている宿坊掲示板こそ馬鹿の骨頂であり、
そんな釈迦本仏の骨頂掲示板に、創価の正義たらを書きちくる、無智無脳の小創価員達こそ、莫迦の真骨頂と
成るものである。呆呆哀。

そんな莫迦な創価員が云く、

>日顕宗の皆さま 大石寺のこ本尊は真筆できない

鼻笑。莫迦なオマエに何が判る。こ本尊? 糞笑。『こ』とは、オマエの小アタマの事ではないのか。鼻笑。
呆哀。真筆できない、とは何ぞや。日本語を話せや日本語を。呆怒。
尚、日顕宗という宗教は、この地球上には存在しておらん。いや、其れでも尚、存在していると言うならば、
オマエはこっちに来なさい。さすれば当方、徹底的に呵責してしんぜよう。

>「宿坊の掲示板」の存在は、草創期の頃の「座談会」の様に思えます。
>笑いあり涙あり…けれど その根幹は「学びの場」

呆哀。オマエの脳髄は腐っておるのか。
釈迦本仏の宿坊掲示板。日蓮大聖人が本仏というのはイワシの頭。
こんな事を言っている管理人宿坊の掲示板が、創価草創の学びの場などと。
糞笑。大丈夫か? そのアタマ。

>昭和五十四年の第一次宗門問題(会長辞任)は、学会の歴史における第三の「発迹顕本」として
>位置付けることはできないでしょうか。

糞笑。出来ねぇーよ! そんなモン! 呆呆哀。
言って置くが、オマエら新興宗教の在家らが、其の一々の行状を以って「発迹顕本」など高言するは、
是れ全く摧尊入卑の邪態であるという事を識(し)りなさい。本より「発迹顕本」とは、日蓮大聖人の御事
のみを指して云うものである。

>第三の「発迹顕本」を成就したのは、第二次宗門問題(池田大作総講頭罷免)の時です

呆笑。つまりは何だ。其の「第三の発迹顕本」以前の創価学会は、須らく迹の行態であった、という事か。
して、そんな「発迹顕本」を述べるオマエが、何で釈迦本仏論の宿坊掲示板に投稿しておるのか。
其の整合性を此に宣べてみよ!

>現在の執行部は、自分たちが牛耳る「学会組織」を守るために、池田先生の指導を基準とせず、
>池田先生を排除しようとする実態が、この「遠藤文書」には克明に綴られています。

長谷川が云く『池田先生は大御本尊と決別するなどとは言っていない』
谷川が云く『大御本尊に執着しているのは、実は秋谷議長である』

うむ。長谷川の言っている事が本当であろう。

されば池田センセーが断言して云く『大聖人の出世の本懐である一閻浮提総与の大御本尊が信心の根本である事は、
これからも少しも変わらない』と。 【平成5年9月16日、アメリカSGI最高会議】

元より信心の根本が将来に於いても変わらない、とは、応に信仰者として当然の姿勢であり、其の根本尊崇が
将来に於いても変わらないとは、当に日蓮大聖人の仏法からして当然の理(ことわり)である。
仍って、長谷川の言い分こそが正しい。してもし長谷川の言い分が間違いであるならば、当の池田センセーこそが
嘘つきの張本人と成る。

而して、谷川の言い分こそ、本尊に対する信仰心を執着と観る邪見であり、又、そういう邪見人であるからこそ、
『教義なんかどーでもいいんだ! 後付けでいいんだ!』などと狂言を放つのである。

されば、釈迦本仏の宿坊と、大御本尊偽作論の金原と、大聖人よりもっとスゴイ人が現れると断言したイタチなどは、
是れ全く上記谷川の言い分と同じくする邪教人の輩(やから)である。

然るに、こーゆー連中こそ、根本教義など其方(そっち)退(の)けの連中なのであり、そこに在るのは、単に切った
切られた、という感情領域の腹いせでしかない、という事が此にして判るのである。

哀笑。いやはや何とも、さもしい連中ではないか。呆哀。

>「小樽問答」を掘り下げる事をすればするほど、「弘安二年 本門戒壇の大御本尊」を日蓮正宗大石寺風に
>解釈する事になる。

哀笑。オマエは、池田センセーの永遠の指導に弓を引くのか。哀笑。
尚言うが、大御本尊に対する尊崇は「風」ではなく『義』である。
其の事を能く能く勉強しなさい。

>宗門の「C作戦」でこの人は何を学んできたんでしょうか

哀笑。「C作戦」の実行こそは、オマエら創価が先手であろうが。
本より、宗門に於いて「作戦」などというものは無い。

事態に於ける最終決断と、事前に於いて作戦を練るなどは、其の受動と能動による基点からして
そこには大きな差異がある。其れよりも何よりもオマエらの謀(たばか)りこそが「C作戦」の骨頂ではないのか。

云く『本山とはいずれ関係を清算せざるを得ないから、学会に火の粉がふりかからない範囲で、
つまり、向う三年間の安全確保をはかり、その間、学会との関係ではいつでも清算できるように
しておくという方法であり、いま一つは、長期にわたる本山管理の仕掛けを今やっておいて、
背後を固めるという方法です』と。【昭和49年4月29日付/山崎・八尋文書】

果たして、此の後の北条文書も含め、是れらこそが『C(カット)作戦』の骨頂ではないか。
ったく、手前(てめー)のやって来た事には白を切り、宗門の覚悟をして作戦などと罵るは、
是れ全く鉄面皮の其れではないか! オマエらは恥というものを識(し)りなさい。

>副会長連中の平均年収三千万円を知られたくないだけでしょ。
>これだけで職員幹部なんて誰も尊敬しなくなるからね

哀笑。創価貴族の本職連中。同じ在家から金を集めて平均年収三千万てか。鼻笑。
果たして一体、オマエらは何様であるのか。いや、僧侶でもないオマエらが、何で在家から金を集めて、
己(おのれ)の退職金と為すか。まさか、其れをして『御供養』とでも申すのか。呆哀。

>「法華経」は、釈尊が説いたものですが、釈尊が書いたものではありません。
>"フェイク"についてのご投稿ございますが、誰がかいたか、かいているかは二の次三の次だと私は思います。

あほー! 法華経とフェイクを一緒にするでない!
よいか! 法華経は真実を説いているが、フェイクは嘘を書いておる!
よって! 嘘を書いているのは誰だ! という事になる!
ったく! そんな事も解らずに、誰が書いたかは三の次だ、などと馬鹿な事を言うものではない!
されば! フェイクを説いているのは誰なのだ! オマエは其れを述べよ!

>保田妙本寺・宮川日護御尊能化…
>創価新報のデマ記事に関して、
>創価学会原田会長及び、創価新報を業務妨害で告発を検討。

哀笑。そりゃ大変だね。

いや、その前に御尊能化よ。

お主こそは、已下の宣言の総括をせねばならんぞ!

云く『「法体の血脈」という時、その「法体」とは本門戒壇の大御本尊以外には有り得ません』と。

これ、どーすんの。何とか言いなさい。呆哀。

>学会組織ではかつてのオウムみたいに
>警察?自衛隊などの勢力を取り込もうと
>カネで人材(スパイ含め?)確保とか?

糞笑。その内、日蓮大聖人の真筆本尊をカネで確保するよ。鼻笑。
スパイは今でもいっぱい居るから、もういいだろう。
しかし何だ。法華講に居るスパイたちは、オマエらからして邪教と化した「日顕宗」の本尊に、其れこそスパイ
よろしく手を合わておるが、其の行為は謗法と成らんのか。鼻笑。してもし成らんと言うならば、何故、オマエらは
戒壇の大御本尊を捨てたのか。其の整合性を此に述べよ。

>期日前投票に行ってきました。立憲民主党に、そして信心して37年初めて共産候補にいれました。
>日本のため、創価のために。

哀笑。共産党に票を投じた事が学会の為になるとは如何なる事か。鼻笑。
さても、オマエは鵺であるのか。呆笑。

>「国民民主党」5月7日結成。民進・希望代表が正式合意。野党第一党に及ばず

呆笑。そんな事ぁーどーでもいいよ! 其れよりもオマエこそは信心に励みなさい!
おっと! ここで云う信心とは、創価の信心ではないぞ!
一大秘法たる妙法蓮華経の五字こそは、当に御本尊の御事である、という日興上人の御教示に対する信心である!
されば、其れをして要法寺対策の俄か教義だ、などと侮蔑する原田創価の狂義こそを、オマエは破折しなさい!
ったく、そういう大事を横に置き、小野党の烏合に目を奪われるなどは、これ全く小見の恥態である、という事を
識りなさい。

さて、本日は此処(ここ)までと致そうか。

呆呆哀。

観れば観るほど邪教人。

邪教人への呵責はこれからも続く。
 

高札の優

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 3月27日(火)18時29分28秒 i60-35-89-214.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  曾(かつ)て、匿名(無記名)による密告・讒言等を指して、其れを「落書(らくしょ)」と言っていたが
今にして其れを当て嵌めるならば、根無し草の連中が其の躯体を隠し、悪口中傷を書き散らかす姿こそ、
応に「落書」ならぬ「落書き」の姿そのものであると云えよう。

本より、其の恥態こそは、プロキシ(串)・捨てハン・多重ハン等に表れ、其の性根は「無題」や「名無し」
という言様にも表れて、応に其れこそは、木陰に隠れてほくそ笑む、小人の根性であるという事を、此に於て
識るべきなのである。

因みに、落書きの本人(書き手)が露顕した場合、其の者を死罪にするなどは、曾(かつ)て国持大名の支配下に
於いて実際に在った刑罰ではあるが、其の落書きが現今に於いて、日蓮大聖人の正統に向けられているとなれば、
応に其れこそ死罪に値するものとなろう。無論、ここで云う死罪とは、これら落書者の腐れ頸を刎ねるには非ず、
其れこそは仏法正法から斬り落とされる五逆の大罪をして云うものである。

して観るに、根無し草の宿坊連中が好んで貼り付けている「フェイク」こそは、当に落書きの最たるものと言って
いいだろう。

発行形態=「緩急自在不定期発行」
発行所=「日蓮教団・メディア・アカデミー」
監修人=「青葉茂」
購読料=無料
引用=転載自由・コピーも可

糞笑。

「日蓮教団・メディア・アカデミー」とは何にか。
「青葉茂」とは何ぞ。鼻笑。

日蓮教団? ふざけるものではない。
青葉が茂る? 阿呆抜かせ! 茂っておるのは、阿梨樹の枝であろうが!

よいか聞け。

先ず以ってオマエらがやる事は、今までオマエら自身が書き散らかして来た内容の総括である!

本尊然り! 教義然り! 会長指導然り!

よいか!! 今、オマエらが書き散らかしている内容は、其れらの事を頬(ほ)っ被りしているものであり、
其の様ないい加減な根性を以って、他宗教団の本尊教義に文句する資格などは、これっぼっちも無いのである!

然るに転じて我ら宗門はどうか!

青葉茂だ? 不破優だ?

そんな者など居りはしない。

本より、日蓮正宗自由通信同盟、日蓮教団メディアアカデミーなどと偽称する必要も無い。

我らは堂々、其の発行元を明記し、発行責任者も明示して、其れらの公行を以って本尊教義を宣揚し、以って
邪宗邪義を破折せんとしているのである。

よいか。応に是れこそ、オマエらに対しての「高札」なのであり、事実、其の高札は、オマエら落書人に対して
下されているのである。よいか。落書きに背いても罪には成らんが、高札に背けば罪と成るのである!

されば、フェイクのみならず、地涌や短信なども、其のすべてが落書きの其れであり、そんな落書きを信じて宗門に
文句する学会員こそが哀れなのである。

言うまでもない。

フェイクも地涌も、其の根は同じであり、曾(かつ)ての宗門対策室と本部広報室が、其の担当分野を振り分けて
宗門に対抗した諜報謀略の産物なのであり、又、そうであるからこそ、今もって其の身を隠匿し、偽名を弄して、
駄文を吐き散らかしているのである。

本より、こういう類(たぐい)のモノは、そこに記さる内容の信憑よりも、衆人の目に晒す事が第一なのであり、
又、それこそが落書きの骨頂ともなるのである。

して観れば、根無し草の宿坊連中が、又しても、燥(はしゃ)ぎながら落書きを書いておる。哀笑。



◆フェイク 第1606号   投稿者:宿坊   投稿日:2018年 3月16日(金)13時01分0秒

   (発行=18.03.15)

「極楽寺良観の再来が日蓮正宗の中に」
無知な法華講員の愚かな批判を粉砕 ㊤
戸田先生が「佐渡御書」講義で厳しく指弾

鼻笑。

呆れてモノが言えんよ。なぁ、宿坊よ。哀哀笑。

>大聖人様を迫害した良観たちが、いま生まれてきて仏立宗等の坊主になって
>いるのです。本当です。この原理からいうとそうなります。そうでないとしたら、
>大聖人様がウソをついたことになります。大聖人様をさんざんいじめた悪い者が、
>仏立宗日扇などという徒輩になったのです。

これは恩師の指導よな。

うむ。仏立宗の長松日扇などは、当に良観の類と云えよう。
いな。長松日扇の本尊教義に対する変転は、良観以下であり、実にオマエら現創価に酷似するものである。
して。オマエら宿坊連中こそは、当該日扇の宗教組織に対する右往左往の痴態に習うものである。

小笑。果たして其の事、オマエらに解りょうか。鼻笑。解るまいて。(ったく、情けない連中である)

>霊友会でも立正佼成会でも、天理教の教祖でも、みんなあれは仏法を悪くいってきた者が、あのようになって
>出てきたのです。

果たして、そういう恩師の新興宗教に対する呵責を反故にし、立正佼成会の庭野日敬の葬儀に二人の副会長を参列
させたは、一体何処(どこ)の何奴(どいつ)であるのか! 実(げ)に是れこそ恩師の指導に違背する師敵対の其れでは
ないのか! ったく、日敬の訃報を聖教新聞に掲載するような馬鹿どもが、今更にして何を云うか!!
少しは恥を識(し)りなさい!

されば、恩師戸田先生は「大聖人様の御時代に、あるいは良観とか、あるいは法然の弟子とか、そういう者の
弟子などになる連中は、いったい過去にどういう者だったかというと、昔、仏法をくさした外道の者が
生まれてきて、仏法をやってですね、そうして今度は正法を邪魔するんです。そうすると今度どうなるか、
あいつらが死ぬと、今度は日蓮正宗のなかに生まれてくるんだよ。誠にこれはおもしろいもんだぞ」
                               【昭和31年2月7日 於:大阪中之島公会堂】

と申されておる。

果たして、オマエらは、此の恩師の指導を対宗門として好んで用いるが、是れこそは、前年に起きた彼の蓮華寺の
事を指して述べられているものである。つまり、獅子身中の蝗蟲というものは、必ず其の胚芽を命に宿して入門し、
又は、将来、必ず正法を誹謗する命を持って今の世に生まれ、其れこそは、親を殺し、子を殺す命業が如く必然に
起こり得る現象を以って、恩師は「誠に面白い」と達観されたものである。つまり、この恩師の指導をして云うならば、
身延の日向然り、保田の日郷然り、要法寺の日尊然り、旧妙信講然り、して又、創価学会然りの、離反像の理(ことわり)
を云うものであり、当に恩師は、そういう因果律の必然さを以って「面白い」と申されたのである。

されば蓮華寺の坊主(崎尾正道)も例に漏れず、一旦は宗門の大懐に居座ったが、結句は宗門から離反し、
遂には己(おのれ)をして「十八代法主」などと増長して、其の正体を現したのである。
とまれ、御宗門は、連々教化・再三教導の御姿勢にして、実(げ)に其れこそは、古来からの化儀でもあるから、
彼の小笠原慈聞(御宗門は小笠原の悔悟を許されて「師」とお付けになられるが、当方は未熟な在家であるから、
師とは云わん)を寛恕し、又、牧口・戸田両会長による反抗をも教訓し、更には、池田太作の我儘をも許容した
のである。爾して彼の崎尾正道も許されたが、結句は恩師の云う通り、日蓮正宗を離反し、自らを法主として
「日蓮実宗」なる宗教を立ち上げたのである。

仍って恩師が云く、

『それで今、日蓮正宗が本尊流布するにあたって、邪魔をするのです。
今度、 それではどうなるのかというと、あのような連中(佼成会の会長や天理教の教祖)が死ぬと、
今度は日蓮正宗の中に生まれてくるのです。そして蓮華寺の僧侶みたいになってくるのです』と。

哀笑。よいか莫迦よ。

此に於いては、まさしく崎尾正道の行状を指して言っているものであり、落書きフェイクが言う、

「日顕こそ六師外道―極楽寺良観―邪宗日蓮系教祖―崎尾正道と伝わってきた第六天魔王の血脈を
引き継ぐ者で、まさに世界広布を妨害する日顕こそが崎尾の再来、極楽寺良観の生まれ変わりなのである」

などという文句こそ、当に落書きの真骨頂であると、此にして弾呵されるものである。いや、弾呵などとは
オマエらには勿体ない、オマエらには呵責・糾弾・叱責こそが似合いであろう。否、其れとて理解できない、
莫迦者連中こそが、オマエら落書者の脳髄なのである。呆哀哀。

>戸田先生の亡き後、崎尾と同様に御本尊を道具に使って、学会員を脅してきた坊主が日顕である。

鼻笑。御本尊を道具にしてとは如何なる事か。小鼻笑。
哀笑。学会員を脅す? おいおい、脅して来たのはどっちであるのか。小鼻笑。
ったく、見て来た様なウソを言うものではない。何? だからこそフェイクなのだ! だと?

哀笑。さもありなん、さもありなん。

>日顕が嫉妬深いのも有名だ。日顕に相承しなかった日達法主に対する恨みと嫉妬から大化城、
>大客殿、六壷を潰し、広宣流布の暁に本門寺の戒壇たるべき大殿堂と、日達法主が教示していた
>正本堂も約五十億円の巨費を投じて解体した。

糞笑。それ全然外れてるよ。ウソも百回載せれば本当になるってか。小鼻笑。
糞笑。解体だ? なんだ、破壊ではないのか。小鼻笑。

>良観と酷似している日顕が学会の宗教法人化に反対するなど悪辣な性根は生来のもので、
>戸田先生は鋭く見抜いて弾呵していた。

弾呵? 増長慢もいい加減に致せよ。何? 啖呵の言い間違いだと? 鼻笑。
ならばよろしい。恩師の口調からして啖呵の方が合っておる。

尚、創価学会の宗教法人化に関しては、過日、当方が「フェイク 第1603号」の虚文に対して呵責して
おるから、根無し草(無所属・無信仰・及び分派身中の蝗蟲)連中は、能く能く目を通すべぎである。
尚、昭和27年の宗教法人化については、宗内の殆どが反対であり、在家信徒が勝手に宗教法人を立ち上げ、
在家の身を以って法を説くは、これ全く不審なり、との意見も在っての事か、宗内に於いてはそう易々とは
了解されなかったのである。いや、当時の創価学会をして、其の吊し上げ攻撃によく耐えて跳ね除けたは、
まこと正宗僧侶の根性とも云うべきか。

とまれ、狸祭り事件を起こして後の法人化の許可は、応に宗門の大英断であり、又、其の御英断の影に在る
御僧侶方(特に細井庶務部長・後の日達上人)の尽力を識(し)るに仍って、恩師戸田先生は、其の法人設立に
全く異心無きを、彼の三箇条に託して、其の赤誠を示されたのである。

よいか。そういう経緯があるにも拘らず、当時の創価法人化を反対する御僧侶を指して、良観と酷似などと
今更にして軽口するは、これ全く落書きの其れである、という事を、オマエら馬鹿宿坊連中は、能く能く
識(し)るべきである。尚、当時の猊下は日昇上人であり、創価法人の目的が、全く宗門外護によるもである
との御信用を以って了されたのであり、其の設立の大義を脱線せしめたのが、他ならぬ池田太作なのである。

よいか、つまりは良観に酷似する人間こそ池田太作なのであり、其の良観酷似の弟子たるが、オマエら
創価外道員なのである。

其れにしても、よくぞ御宗門は許された。

記事に云く、

【戸田会長を留置 日蓮宗吊るし上げ事件】

岐阜県美濃町本玄寺住職小笠原慈聞師(78)を日蓮宗創価学会=東京都千代田区神田西神田=の一部信徒が
吊るし上げた事件を調べている静岡県富士地区署は一日同会和泉覚氏を、さらに二日同会会長の戸田城聖氏を
留置したほか、吊るし上げに参加したとみられる同会青年部の十名を任意出頭で調べ、同夜釈放した。
取り調べを受けた青年部の中には大学教授二名、小学校教員四名など知識人が多く証拠固めは三日で一応終る見込み。
なお小笠原師は四月二十七日の被害当日裸にされて殴られ、全治四週間の負傷をした上謝罪状を書かされたと同署では
言っている。【昭和27年9月3日 朝日新聞/夕刊3面】

爾して、其れより5日後に、創価学会は東京都知事から宗教法人の認証を受けたのである。

さてこそ、連々教化にして再三教導とは此の事か。
否、当に指導寛恕とは此の事を指して云うものであろう。
されば、彼の山崎氏や原島氏の帰伏も、そして中西氏の帰伏なども、須らく指導寛恕の其れである、という事を、
今更にして痛感するものである。

よいか創価よ。今にして法人たるは、我が宗門の寛恕が無ければ、到底為し得なかった事なのである。
よいか。其の事を先ずは覚えて置きなさい。

尚、オマエら創価の総本部に安置されている板本尊は、創価法人化について御允可された日蓮正宗第64世・
日昇上人の所謂(いわゆる)『大法弘通慈折広宣流布大願成就』の書写本尊である。

何? 書写本尊とは何の書写だと? 呆呆哀。

阿呆!

其の様な事は当然であろう。言うまでもない。其れこそは戒壇の大御本尊を御書写された御本尊であるから
書写本尊と申しているのである。

されば、創価総本部に安置さる慈折広布御本尊を認(したた)められた日昇上人が申さく、

『戒壇の大御本尊の御内証を、帯し奉って不肖日昇六四世の法主として、御本尊様に信仰を染めてお認(したた)め
申しあげている御本尊でございまする』と。 【聖教新聞 昭和30年12月18日付け)

しかし、今のオマエらは、この猊下の御言葉を反故にして、創価の本尊は大御本尊の書写ではない、などとバカな
事を言っておる。ならば一体、オマエらの総本部に安置してある本尊は、一体何の写しであるのか!
而して、写しではない、と言うならば、一体誰の御真筆であるのか! して、その誰とは一体誰の事であるのか!
オマエら莫迦フェイクは、其れらの事を須らく総括せよ! 何!? 所詮は落書きであるから、そんな難しい事は
書けないとな! ったく、其れこそ、さもありなん! であるよな! そうであろうが! 莫迦フェイクよ!

>日顕の「坊主根性」
>そのことを日顕も認めていて「戸田会長先生の御逝去に対して」と題し、次のように記していた。

「私の罪障と云うか、先生の云ういはゆる坊主根性の為か、昭和二十四年頃の私は、
自らの心にある垣根を作り、それが円融濶達にして師厳道尊なる先生の精神に半ば通じない
事があったのは、今更遺憾懺愧此の上もないのである」 (「大日蓮」昭和三十三年五月号)

昭和二十四年と言えば、御隠尊は当時、墨田区本行寺の御住職であり、二十七歳の青年僧侶であった。
爾して、当時の創価学会は、戸田先生の事業がうまく行かず、創価学会をして財団法人とするに於いて、
其の信心を疑われたのではないか。いや、其の事業に於ける色物雑誌の存在や、手がける金融の生業(なりわい)に
於いて、其の余りある俗臭に、眉を顰められたのやも知れん。本よりこれは当方の愚推ではあるが。
とまれ、過去の御心境なりを、正直に吐露されるは、これ全く謙虚な御姿勢と、当方は此に領解するものである。

>もし、日顕が「坊主根性」を猛省し、改めていれば、今日のような宗門の衰退を招く事態には
>至らなかったであろう。(つづく)

糞笑。御隠尊が言う「坊主根性」と、オマエら創価外道を破門にした根性とは、全く事を異にするものである。
オマエらは、そういう分別も出来ない程、脳味噌が腐っているのである。又、そうであるからこそ、落書きを
好んで書き散らかすのである。哀笑。

されば云おう。

オマエらの首魁たる池田太作こそ「在家根性」を再確認し、其の根性こそが全く信徒としての規律である、という事を
認識しておれば、我ら正統・富士門流から破門されずに、其れこそは本尊雑乱・教義変転の醜態を晒さずに済んだので
ある。よいか。真(まこと)の衰退とは其の数に非ず、其れこそは本尊教義の攪乱に在る、という事をオマエらは知りな
さい。

>昭和六十年春、当時の仲居に「ワシも明日から六壺で勤行をするからな。信心根本でなきゃいかん」と言ったものの、
>勤行したのは、その翌日の一度だけ。同六十三年にも「勤行に出てやる」と言ったが、この時は口先だけに終わった。
>日如も昔から勤行をサボっていたことを改革同盟の渡辺雄範氏が「決別の書」で次のように指弾した。

哀笑。だから、我らも其れに習って、勤行を一座にしたってか。哀笑。
糞笑。ったく、人様の勤行に文句する前に、オマエらの其の省略根性を恥じなさい。
鼻笑。離脱僧、見て来た様な、嘘を言い…。小鼻笑。

して、そんな改革同盟が云く、

『「法体の血脈」という時、その「法体」とは本門戒壇の大御本尊以外には有り得ません。ゆえに、日寛上人が
「法の本尊を証得して、我が身全く本門戒壇の本尊と顕るるなり(中略)題目の力用に由るなり」と示されている
通り、一切衆生の成仏を説かれた大聖人の仏法では、法主に限らず、全ての門下僧俗が「題目の力用」によって、
「法体の血脈」を受けられるのであります』と。 【日蓮正宗改革同盟 決議文より】

哀笑。

果たして、法体の血脈の「法体」こそは、本門戒壇の大御本尊以外には有り得ない、とは如何なる事か。
して、其の唯一の法体に帰命し、応に其の力用によって「法体の血脈」を得るとは、如何なる事か。
爾して、戒壇の大御本尊をして法体の唯一とし、其の法脈を以って題目を唱うれば、日寛上人の御本尊に
於いて功力を得るとは、応に絶待にして相待たる、本尊授与の大義を云うものではないか。

莫迦フェイクよ。

今にして改革同盟の戯れ言を引用するならば、先ず以って上記改革同盟による本尊授与の大義を此に総括せよ!
よいか! 是れこそは、勤行をした、しないの次元ではない。是れこそは宗教の根本たる本尊義の御事である!

ったく、事の順序も弁えず、小事一端の事柄を仰々に喚き散らかす、其の稚拙狂乱の不様(ぶざま)なる姿よ。呆呆。

よいか! 今こそ、オマエらの眼前に高札を立てよう!


一、折伏した人は日蓮正宗の信徒として本寺に所属させること。

二、当山(富士大石寺)の教義を守ること。

三、仏・法・僧の三宝を守ること。


哀笑。見覚えあるか。有るであろう!

然るにオマエらは、この高札の義に背いたが故に破門されたのである。

よいか。興門による高札の義は、オマエら莫迦フェイクの万倍なのである!

一大秘法とは御本尊の事ではない。

糞笑。こんな邪言を吐いている共ずれが、落書きフェイクの戯(ざ)れ言を読んでほくそ笑む。哀笑。

よいか。そーゆーオマエらこそが、彼の一行、空海、良観、法然、中山みき、庭野日敬、小谷キミ等の
生まれ変わりなのであり、そーゆーオマエらの姿こそが、破仏法の元凶と成るのである!

少しは『恥』というものを識(し)りなさい!

よいか!

正義の高札は唯一つ! 其れに乖(そむ)くを破法と言う!
 

注意

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 3月17日(土)19時13分14秒 i60-35-89-214.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  題名…(無題)
投稿者…名無し
衝撃事実拡散 【創価学会の魔の正体は、米国が仕掛けてるAI(人工知能)】

◆対応……掲載不可

名無しへ(名無しなので敬称略)

正規アドレスによる長文投稿ですが、当室に於いては、所属不明者からの投稿は一切受け付けて
おりません。又、名無し、という名無し投稿は、須らく捨てハンの骨頂でありますから、其の時点で
当室への投稿資格を失うものとなります。加えて、無題、という題の下に羅列される文章はなどは、
其の初手からして主意を放棄している証拠ともなるので、其の時点で書き手のアウトと成ります。

されば、

先ずは其の「名無し主意なし」の投稿姿勢を改め、正々堂々、己(おの)が所属の下に主張されん事を、
此に期するものであります。

※当室は、他の2チャンネル類似の掲示板とは違い、投稿者による所属の親告、及び、其の所属の下に
信奉する本尊と教義を宣揚し、其の立場に立って他宗他教団の教義批判を許す事としております。
本より、其れこそが法論対論の鉄則であり、又、其の鉄則を無視した法論などは、単なる自論遊びと
成るものであります。

名無しには、其の事を能く能く肝に銘じられて、当破折掲示板への投稿資格を得られたし。

以上であります。
 

投稿者・閲覧者各位

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 3月17日(土)18時59分40秒 i60-35-89-214.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  昨夜帰宅。

あっという間の出張であった。

いや、時の経つのが早いと感じるは、是れ、己(おのれ)の年が寄っている証拠やも知れん。

いや、そうは言うも、今だ皺(しわ)無し、白髪無し…。而して其のフサフサとした黒い髪は、
吹き荒(すさ)む北風に靡いて、其の小若さを醸し出す…。

汗。おっとぉ、これ以上は申すまい。

次元の低い物言いとは云え、これ以上申せば、私義己義の自己満無信仰者の根性と同じに成ってしまうわい。

さて、本日より当室の管理を始めようか。

本より、其の管理とは、邪宗邪義への呵責も含まれる。

いや、其の呵責こそが、当室管理人の主意とも成ろう。

然るに昨今は、創価学会の教義破綻を起因として、そこから派生した小者連中が、好き勝手な教義を作成し、
又は論じて、其の頭破七分の度合を深めている由。

本より、此等の者共は、其の初めからして信仰心など無いのであり、実(げ)に其の根性こそは、内外勝劣の
値にも入らぬ、応に一闡提人の其れである、という事を此に識るべきであろう。

されば、呵責叱責こそが、此奴(こやつ)らの最も良き薬となる。

では、早速に始めよう。
 

投稿者・閲覧者各位

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 2月25日(日)23時30分25秒 i223-218-109-72.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  毎々の御投稿、御閲覧を頂戴し、誠に有難う御座います。

さて、今月初旬にもお知らせ致しましたが、明日より長期不在となります。
期間は、最低二十日以上となります。管理人として誠に申し訳ない事でありますが、
これも仕事なので仕方ありません。

尚、御承知のとおり、当室の掲載形式は、管理人による確認後掲載となっておりますので、
管理人が不在の間は、誰人が投稿されても、其の投稿文は掲載されません。
本来であれば、管理人が不在の間にこそ、当室を投稿者各位に解放して破邪顕正の対峙を
促進すべきでありますが、今日までの間、其の不在解放によって得られたものは、其の殆どが
悪質な投稿であり、其れら悪質なる投稿、則ち、所属不明者による串投稿、及び多重ハンネ、
(捨てハン)が横行し、結句は無法状態となり、其れら悪辣な教義劣等の愚人らによって当室が
荒らされてしまう、という事であります。

何れに致しましても、其れらを防止する意味に於いての不在処置である、という事を、皆様には
どうか御理解頂きます様、お願い致します。

尚、 不在期間に於ける投稿文に付きましては、当室管理人が帰宅次第、速やかに掲載致します。

以上であります。
 

莫迦宿坊の馬鹿フェイクを叱責す

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 2月24日(土)16時23分43秒 i223-218-109-72.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  ■フェイク 第1605号   投稿者:宿坊   投稿日:2018年 2月22日(木)22時37分29秒

(発行=18.02.21)

日顕「椅子の者は来るな、祈念が乱れる」
春季登山に苦悩し、車イスを貸出すと甘言
顰蹙買った顕正会の結集を真似る宗門


哀笑。

なぁ、宿坊よ。

いや、宿坊のハンネを使って、阿呆らしい怪文書を貼り付けている、謀略根性の馬鹿どもよ。鼻笑。

ったく、同(おんな)じ事をベタベタと貼り付けおって。呆呆哀。

確か、此の椅子に対するイチャモンは、今から24年前の平成6年(1994)【地涌】(報恩社・キタリン)に書かれていた
ものと同じではないか。

呆呆哀。ったく、オマエらは種無しの阿呆であるのか。鼻笑。

しかも、オマエら宿坊一味は、彼のキタリンを「葬儀屋」などと蔑み、其の他二名(ピロと仁丹)を含めて「悪の三位一体」と
中傷していたのではないか。ったく、そんなオマエらが、敵人たるキタリンの記事を採用して、今更に文句を垂れるとは、
応に、鉄面皮、無節操、破廉恥極まりない連中であると、此に改めて痛感するものである。

ったく、情けない賊(やから)であるよな。糞笑。

>法華講の春季総登山会を三月二十四・二十五日に大石寺で行なう日蓮正宗は
>参加者の確保に四苦八苦している。

哀笑。何? 四苦八苦だ? 其れこそは一所懸命の間違いではないのか? 哀笑。

ったく、オマエらの目ん玉が捻じれておるから、其の様に捻じれて見えるのである。

何度も同じ事を言わせるものではない。

>宗務院が昨年十一月、末寺毎に割り当て人数を決めて締め付ける一方…

哀笑。締め付ける? 悪いが其の様な実感は全く無いよ。鼻笑。

何? 締め付けられているという、法華講スパイからの情報だと?

鼻笑。なんだ、そんな情報を真面(まとも)に受け取っておるのか。小鼻笑。(大丈夫か? 其のアタマ)

>機関紙「大白法」は毎号、特集記事を掲載している。
>その特集の中で面白いのは「車イスの貸し出し」との見出しで「総本山では、登山会中の境内地の
>移動用として車イスを貸し出しています。貸し出し・返却の手続きは……」等と記した記事である。

面白い? 身体の不自由な登山者に車椅子を御貸しする事が、何故に面白いのか。

さてもオマエらは、車椅子を利用する身障者を馬鹿にしておるのか? 呆怒。

>一見すると、温かい対応のように感じる向きもあるが、実は、これは親切心からではない。
>以前、邪教・顕正会が総会に病人や歩行困難な高齢者、体の不自由な人を車イスに乗せて無理に
>連れ出し、世間の顰蹙を買ったことがある。こんな顕正会の強引で悪辣な結集の手口を日蓮正宗が
>真似しているのである。

呆。おいおい、顕正会(旧妙信講)が総会に向けて、身体の不自由な会員を無理やり車椅子に乗せて
連れ出した事と、身体の不自由な登山者の為に、総本山が予(あらかじ)め車椅子を用意する事と、
一体、其れの何処(どこ)が真似であるのか。

呆哀。オマエらのアタマは、本当に大丈夫であるのか。(いや、大丈夫ではない事は、最早判っておる)

尚「邪教・顕正会」とオマエらは言っておるが、此等の徒輩は、今もって戒壇の大御本尊を尊拝しておるから、
新興創価よりもマシである。否、オマエらの様な創価外れの己義集団からしてみれば、10倍は正義に近いものである。
呆哀。果たして此の言っている意味、オマエらに解りょうか。いや、解るまいて。哀哀笑。

>車イスを使用している人達は客殿での丑寅勤行、日如の講義には参加できない。主要行事の第五十五回
>法華講総会もメイン会場ではなく、別会場で中継の映像を見ることになるだろう。
>歩行困難の信徒に登山を強要しておきながら、中継を見せるだけとは無慈悲の極みと言わねばならない。

呆哀。参加できない、いや、オマエらの根性からすれば、参加させない、と観るのであろうが、本より本山として
車椅子の儘、畳の上に上り込む事を禁じられているだけの事である。其の様な事、当たり前であろう。
其れとも何か。車椅子の儘、畳の上を移動しても、其れを許す事こそが、身体の不自由な信徒に対する思いやりと
オマエらは思っておるのか。

呆哀。オマエらのアタマは、本当に腐っておるのか。(いや、其れこそは蛆が湧いておるのか) 哀哀。

尚、客殿に限らず、総本山の各坊各所に於いては、丈の短い小座椅子であれば畳の上でも使用可能である。
無論、其れに於いても、小座椅子の下に布やタオルなどを敷かねばならないであろう。是れとて常識ではないか。
加えて、キャスター付のカバンなどを、畳や廊下で引きずるなども法度である。是れこそも当然であろう。

して、オマエらは、歩行困難な信徒に登山を強要しておきながら、別会場で中継を見せるは無慈悲の極み、などと
唾を飛ばしておるが、歩行困難な信徒に対して登山を強要するとは如何なる事か。つまりは、首根っこに紐を付けて、
嫌がる信徒を無理やり引っ張り出す、という事か。

小鼻笑。なぁ、フェイクよ。まこと、オマエの根性はフェイク其のものであるよな。呆哀。
いや、誤魔化フェイクどころか、是れこそは痴人の狂言としか云えぬものとなろう。呆哀。

尚、客殿の法要に参加した、と或る講員は、次のように述べられている。

『客殿の法要では、車椅子の老人が、法要が始まる前のモニターを見ながら泣いていらっしゃいました。
なんとか2階の会場にご案内した後も、ずっと泣いていらっしゃいました。30年ぶりの御登山だったと後で伺い、
私たちも胸がいっぱいになりました』と。

無論、実名がそこには記(しる)されているが、此に於いては控える事にしよう。

よいかフェイクよ。

オマエらが作成する出鱈目(デタラメ)文などは、この一講員の体験談によって、すべて吹き飛んでしまうのである。

ったく、オマエらの根性は、彼の墨平三郎と同じである!

>車イスを貸し出すのが親切心ではないというのは平成六年五月二十三日、
>日顕が椅子に座っていた人に対して言った暴言に本心が表れていたからである。

鼻笑。さて愈々(いよいよ)か。哀笑。

>当時の宗内情報によると、日顕は「おはようございます」と挨拶した後、怖い顔で会場の後方を睨みつけて
>「後ろの方で椅子に座っている人、広宣流布を御祈念する丑寅勤行が乱れるから椅子に座っての参加はやめるように。
>どうしても椅子に掛けなければならない人は明日からの参加を遠慮するように」と冷たく言い放ったとのことだ。
>そこには高齢者と正座に慣れない海外の檀徒もいたようだ。

鼻笑。さても此の文面は、同フェイク、第1474号(発行=15.02.27)のものである。

して今回、

>丑寅勤行後の日顕は怖い形相で会場後方を睨みつけて「後ろの方で椅子に座っている人、広宣流布を御祈念する
>丑寅勤行が乱れるから椅子に座っての参加はやめるように。どうしても椅子に掛けなければならない人は明日からの
>参加を遠慮するように」と冷たく言い放った。

哀笑。殆ど丸写しではないか。嗤。

「当時の宗内情報によると」…。「冷たく言い放ったとのことだ」…。

鼻笑。所詮、宛てに成らん情報よな。

確か、地涌のキタリンは、其の時の参加者は30人であった、と言い、しかも、其の内の約10人が、
正座に耐えられない高齢者であり、其の中には外国の信徒も居たと言っておる。

小笑。はてさて、大客殿630畳の大広間に30人足らずの信徒が居て、しかも其の大広間の後方に約10名の信徒が
椅子に座っていたと言う。果たして、其の様な状況で勤行唱題が揃うのか。いや、揃うも何も、である。
当方が耳にしておるのは、それら椅子に座っていた一信徒が、伏拝に事寄せて、居眠りをしていたと言う。
今更言うまでも無いが、大客殿(現客殿)に於いては、猊下の礼盤(大導師席)は、御宝前の正面ではなく、東面に対する
御席であるから、2、30人の信徒の様子などは一目として判るのである。

つまり、心地よい椅子に座って居眠りされるなら、明日からの丑寅勤行は遠慮された方がよろしい、という意である。
猊下ならずも、そういう姿を目にしたならば、同志として一言注意申し上げるが、当然の姿勢ではないか。

「後ろの方、椅子に座っている方…(つまりは、あなたの事)、椅子に座って居眠りをする様なら、広宣流布を御祈念
する丑寅勤行が乱れるので、以後、椅子に座っての参加は止めるように。其れでも尚、椅子に掛けなければならない、
という御方は、明日からは御遠慮頂きたい」

つまりは、そういう事である。

尚、地涌のキタリンは、此の捻じ曲げた発言内容をして「趣意」などと誤魔化しておる。哀笑。

>無慈悲な対応に怒り
>かつて、信善寺(新潟県三条市)の講員だったMさんは次のように証言したことがある。
>「足の調子が悪くて車イスで登山したが、車イスでは客殿に入ることを許されず、
>宿坊で中継のテレビを見せられた。
>あれほど『登山しろ、供養しろ』と言いながら、供養を取るだけ取って、こんな酷い、
>冷たい扱いをするのが宗門です」

本より、車椅子の儘、客殿の大広間(畳上)に入る事など出来よう筈も無いし、車椅子で登山する信徒は、
予(あらかじ)め、其れらの制約は講中に於いて周知される筈である。
其れよりも何よりも『足の調子が悪いから車椅子で登山して、其の儘、客殿に入ろうとしたが許されず、
結句は宿坊で中継を見せられた。ったく、こんな酷い仕打ちがあるものか!』などと、自らの我儘を顧みず、
不平不満をぶちまける講員こそ、応に身体障害ならぬ信心障害の其れである、という事を、此に熟知すべきである。

>イスに座る人がいては、祈念が乱れるというのなら、御開扉はどうなるのか?
>奉安堂では参拝者全員がイスに座っているではないか。日顕の言い分からすると、御開扉での
>導師の坊主は〝ご祈念が乱れている〟ことになる。

哀笑。だから莫迦フェイクよ。其れは違うのである。

椅子に座っている人が居て祈念が乱れるのではなく、椅子に座って居眠りをする人が居るから、
祈念が乱れる、つまりは、そこに参加している意義が初手からして崩れる、という事である。

哀笑。其れを『イスに座る人がいては、祈念が乱れるというのなら、御開扉はどうなるのか?』などと、
馬鹿な事を言っておる。呆笑。ったく、ガキみたいな事を言うものではないぞ。なぁ、宿坊よ。哀哀笑。

>この日顕自身も最近は足腰が弱って車イスを使っていると噂されている。

御年九十五。

しかし、今もって御健勝で在らせられる。

無論、御高齢であるから、足腰も弱まろう。

だが、池田太作の様に雲隠れなどしておらんぞ。堂々、其の御姿を我ら信徒にお見せになる。
否、今にして御説法も為される事であろう。それに引き替え、池田はどうであるのか。
其れこそ、車椅子どころではないだろう。聞くところによれば、寝たきりのオシメ状態であるという。
何、違うとな。ならば、其の健勝なる姿を、御隠尊猊下の如く、信徒会員の前に其の姿を披瀝せよ!!

果たして其れが出来るのか! 出来まいて!!

ったく、そんなオマエらが、

>日顕自身も最近は足腰が弱って車イスを使っていると噂されている。

などと。呆笑。

鉄面皮もいい加減に致せよ。なぁ、莫迦宿坊の馬鹿フェイクよ。哀哀笑。

>春季総登山は毎年、三万人の結集を目標にしているが、一度も達成できていない。病人や歩行困難な
>高齢者、身障者を登山させるため車イスを貸し出すと言う宗門だが、この甘言に騙されて登山しても
>無慈悲で冷たい扱いを受けるだけだ。

呆笑。

今一度言おうか。

オマエらの目ん玉が捻じれておるから、其の様にしか見えないのである。

尚、総本山に於いては、車椅子用のスロープの出入口を用意し、又、車椅子の信徒、そして高齢者の信徒の為に
各宿坊を改修し、加えて、塔中参道に於いては石畳の凸凹を平面に慣らして、石段の端にもスロープを設け、更には
側溝の傾斜部には蓋をするなどして、車椅子での移動や高齢者の足元に対して、細心なる工夫をされているのである。

いや、それよりも何よりも、日夜、介助の任務者が汗を流し、延いては、御僧侶自らも車椅子を引いて、其れら信徒の
移動を助けるのである。ったく、其れをして言うならば、創価の副会長が、壮年部長が、参加者の車椅子を手に引いて、
其の入場を助ける事など、当方、今まで見た事も聞いた事も無いわい! そーであろう。外れ創価の莫迦宿坊の者共よ!

されば此に、オマエら莫迦宿坊・馬鹿フェイクの悪辣なる性根こそを、下記の一例を以って直に示そう。

時は平成二年、正月の午前二時三十分。大客殿に出仕太鼓が鳴り響き、日顕上人が大客殿にお出ましになり、
丑寅勤行が厳(おごそ)かに始まった。

して其の時、大客殿を見回っていた一夜番の御僧侶(夜間警備の御僧侶)が、別の堂宇に移動しようとしたのであるが、
何やら其の物陰に多数の人影を見たのである。数えてみれば、二十人は超えている。はてさて近づいて見たならば、
なんと、其れらは皆学会員であり、訊けば地方からの登山であるという。

時は冬。富士の裾野を吹き通す寒風が、深夜の暗がりと共に、それら学会員の人溜まりを襲う。
しかし、地方から登山した学会員たちは、其の寒風にも耐えながら、大客殿から漏れ聞こえる読経に耳を馳せ、
勤行をしていたのである。

いや、待てよ。

一夜番の御僧侶は、即座に思った。

丑寅勤行は自由に参加出来る筈ではなかったか。

其れなのに、何故、この学会員たちは、大客殿の外で拝んでいるのか。

さては、大客殿が満員となったのか。

一夜番の御僧侶は、そんな学会員たちを押しとどめ、反す足で、大客殿に戻った。

見れば三百人程が参詣している。

なんだ。まだ収容出来るではないか。

一夜番の御僧侶は、早速、創価班の担当者に連絡を取った。

丑寅勤行に参加出来る事を知らない学会員が居るようですが、と。

すると、こんな返事が返って来た。

彼らは、フリー登山の学会員だと思うので、丑寅勤行への参詣は申し込んでいないのでしょう、と。

其れを受けて御僧侶が言う。

いや、丑寅勤行は、日蓮正宗の御信徒であれば、どなたでも自由に御参詣出来るのですよ、と。

すると、こんな返事が返って来た。

詳しい事は判らないので、 その件については責任者に伝えてます、と。

それから、何の知らせもないままに、時間だけが過ぎていった。

とは言うも、自身の勝手な判断で、外にいる学会員たちを大広間に招き入れることも出来ない。
そうこうしている内に、丑寅勤行は終わってしまった。

そして夜が明けた。

一夜番の御僧侶は、早速に、其の事を上師に報告した、そして、その報告は更に上へと伝わって、
遂には、御当代日顕上人の御耳に入る事となった。

その後、数日経ってから、彼の一件は、学会独自のルールによって、丑寅勤行の参加人数を予め決めていた、
との返事が返って来た。

本より、一夜番の御僧侶は、学会が丑寅勤行の参詣人数を事前に調整していたとは、初手から知る由もなかった。

それから暫くして、日顕上人と池田名誉会長が面談した。その際、日顕上人から池田名誉会長に対して、
『丑寅勤行の参加について、宿泊している学会員の何パーセントという様な制限をするのではなく、参加を希望する
学会員さんには、自由に出させてあげたらどうですか? そのかわり、参加したい人がいなければ、学会員さんの参詣が
ゼロでも構いません』と話された。

うむ。

実(げ)に其れこそ 「深夜極寒の中で、立ったまま大客殿の外から丑寅勤行に参加するなど、気の毒で仕方がない」という、
其れら学会員の純粋なる信心を尊く思われた日顕上人の御言葉であったろうと思う。

ところがどうか。

果たして、この日顕上人の学会員に対する思いやりが、学会内部に於いて、どのように伝わったか。

以下はこうである。

池田先生が日顕上人に呼び出され、

『丑寅勤行に参加する学会員が少ない! もっと増やせ!』と猊下から怒鳴られた、と。

呆哀哀。なぁ、フェイクよ。そして莫迦なる宿坊たちよ。

実に上記のすり替えこそ、オマエらの真骨頂であろうが!

デマも百回書けば本当になる。

応に是れこそが、オマエら馬鹿フェイクの正体なのである!

そんな卑劣なオマエらが、今後、痴文書フェイクを何万号貼り付けようとも、

当室の一、二回の呵責によって、其の全てが木っ端微塵と成るのである!

痴文書フェイク。そして、其の痴文に群がる痴人謀人の浅ましき根性よ。

実(げ)にオマエらの痴態こそ、鵺・蝙蝠(こうもり)の其れであり、
其の破廉恥なる質(すがた)こそは、蛮人・破鏡獣の百倍である!!

云く、

『身延山といえば、日蓮大聖人を末法の御本仏と仰がずに「日蓮大菩薩」と称しており、また
「板本尊偽作論」を唱えて大御本尊を否定し、更に、御本尊を店先にぶら下げ、御守本尊を
カードにして販売している謗法の山である』と。【フェイク 第1406号】

オマエらは先ず以って、此のフェイクの記事を総括せよ!

さても、是れに依るならば、宿坊もイタチも宮田もキンパラも、皆々、謗法人の仲間入りと成る!

其れで間違いないか! それとも何か! このフェイクの記事こそがフェイクであると申すか!!

ならば、そんな痴文など、以後、貼り付けるものではない!

よいか! まことの道理とは、其の事をして言うのである!

莫迦宿坊の馬鹿フェイク…。

最早、付ける薬などは無い。

唯々、叱責あるのみである!
 

葬儀とは即ち霊山の儀式である 【再稿】

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 2月21日(水)06時20分19秒 i118-19-13-230.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  さて、相も変わらず創価外道が騒いでいる『葬儀に僧侶の出席は不要』などという文句について、
其れを茲にて叩いておこう。

先ず、創価の連中が満悦に取り上げた、読売新聞((4月21日付)の冠婚葬祭に関する世論調査であるが、
見れば其の『簡素化』の傾向をして『友人葬』の正当性が証明された、などと云う単純阿呆な連想を、
小会員などがベラベラ申している様ではある。鼻笑。

さても、世論の意見こそが、宗義破折の根本に成るとは、応に外道創価の得意とする所ではあるが、
果たして、其の支柱とする世論の意見の大半が、無宗教・無信心の衆生から出ている、という事を、
お前らは先ずもって知るべきである。して、もし其れらを了解して教義の支柱と為し、其れら世論を
以って、我ら富士門の法義に唾するならば、応に其れこそが外道の正体であり、新興宗教の性根その
ものと成るのである。

して、其の読売の世論調査をして『葬式に僧侶の出席は不要』などとは、何処にも書いてはおらん。
見れば、あくまで葬式への参列についての事であり、本より導師を務める僧侶をして『参列者』とは
申すまいが、つまりは、葬式への参列は、其の家族・親戚・友人・知人が望ましい、との事であって、
僧侶の不要などを希望するものではない。して見れば、自分の葬式で戒名などは必要ない、とする意見が
56%で、戒名を必要とするが43%である。尚、読売の記事に於いては『戒名カッコ法名』と記されておるが、
確かお前ら創価外道に於いては『戒名と法名は別モノだ!』という文句ではなかったのか。
何だ。この部分(世間の意見)については採用しないのか。鼻笑。ったく、都合の良い連中であるよな。

云うまでも無く、葬儀の盛大が故人の成仏に関係するものではないし、又、簡素にしたからと言って
成仏しない、というものでもない。先ずは第一、其の葬儀が正法正義に依って執り行われるか否かが
重要となるのである。本より、これ以降の記述は、世論を超えた仏法義の内容であるから、此の小生の
記述を世論の意見から批判するとなれば、其の時点でお前らは『馬鹿な連中』と相成るのである。
先ずは其の事を肝に銘じて置きなさい。よろしいか。

して、葬儀には僧侶の出席が絶対に不可欠とは、一体誰が言ったのか。

して、僧侶抜きの葬儀を執行すれば、故人は地獄に堕ちるとは、一体誰が言っているのか。

小笑。何てことはない。これらは皆、お前ら創価外道の造り文句なのである。

よいか。我らはこう申しておる。

『創価学会が富士門の三宝尊に違背し、正法正師、つまりは日蓮正宗の僧侶に対する怨念を以て執行
する友人葬などは、其の不純なる一念からして、故人の即身成仏などは為し得ない。つまり、我らが
富士門の根本たる戒壇の大御本尊と唯授一人の血脈に随順しない葬儀は、其のすべてに於いて故人の
成仏は叶わないと云う事である。つまり、邪宗の葬儀に於ては、僧侶の出席の有無に拘わらず、其の
すべてが堕獄の因に成ると云う事である』と。

外道諸氏よ。上記の意味合いが理解出来るか。

つまり、僧侶が出席しなければ絶対に成仏できない、などとは、実にお前ら創価学会の付会であり、
其れこそ、我ら日蓮正宗信徒に於いて、何某が亡くなったとして、いざ葬儀という時に、其の居住が
僻地離島であり、しかも途上に於いて悪天候が続き、諸々の交通が遮断されたともなれば、其の間、
延々と御僧侶の到着を待つべきものであるのか。つまりは、そういう止むを得ない状況も有り得ると
いう事である。又、其の様な状況は、海外に於いても発生し得る事案でもあろう。而して其の場合、
葬儀に於いて僧侶が不在であるから故人は地獄に堕ちてしまうのか。

よいか。つまりは、富士門から破門された在家などが寄り集まって、其の恨念の下に勝手に葬儀を執
り行い、しかも、仏法に於いて僧侶など邪魔である、などという邪念の在家どもが導師を務める其の
醜態をして、我らは『其の葬儀に於いて故人の成仏は叶わない』と申しているのである。

ったく、邪宗邪徒が執り行う葬儀によって、故人が成仏するとは、一体、何処の御文に記(しる)されて
いるのか。この様な事、日蓮門下の端くれであれば、文証を引くまでもなかろうて!

尚、フェイクなどが引用しておる、昭和43年11月度の本部幹部会における池田太作の発言は、
今回の読売と同様、その当時の一般新聞での「葬式の合理化運動」を取り上げて述べたものであるが、
昨今の小創価の馬鹿どもは、此の池田の発言こそが友人葬の原点であり、何と此の池田の発言をして
『先師・日達上人の指南を経てなされたものだ』などと嘯(うそぶ)いているのである。哀笑。

ちと長いが、其の池田の発言を此に示そう。

云く『先日から新聞などに葬式の合理化運動の記事が出ています。そういう点も、私は大賛成です。
あれは形式だけの葬式を改革しようという動きで、坊さんを呼ばないとか、死亡通知だけでよい、と
いうような考えです。御本尊に題目を朝晩あげて、事の一念三千の当体である我々です。死んで誰に
お経を読んでもらう必要がありますか。我々こそ、葬式の最高の近代化を訴える人であり、合理化の
先駆者なのです。だからもし葬式の改革の話が出たら、我々は賛成だ、先端をいくのだ、と言っていいの
です。葬式に必ずしも御僧侶を呼ぶ必要はないのです。正宗は葬式仏教ではなく生きるための仏教です。
呼びたい人は呼んでもいいが、呼びたくなければ呼ばなくてもいい。この様に日蓮正宗は、あらゆる宗教の
なかで最先端をいくものであり、最高の近代性をもっているのです。これについては、総本山も大聖人の
根本精神につながった考えです、と言っておりました。しかし、これも行き過ぎないようにしてください。
御僧侶を呼ぶかどうかは、本人や家族の意思で決めることです。ただ、幹部が葬式の合理化について聞かれた
ような場合、なにも受け身になる必要はない、保守的に封建的に考える必要はない、という意味で申し上げた
わけです』

果たして、此の内容の全てが、御先師・日達上人の御指南によって成されたものであるのか、少しでも
脳ミソが働けば、判るというものである。

抑も『総本山も大聖人の根本精神につながった考えです、と言っていた』との意は、日蓮正宗に於る常盆・
常回向の精神を述べたものであり、其れらを怠って、葬式のみを本義とする偏頗な思考に同じない、
つまり日蓮正宗の法義は、葬式の為の法義ではない、という意味での文言なのである。つまり、
そういう意味での『根本精神』なのである。而して此の事を以て、僧侶不在の葬式こそが日蓮大聖人の
根本精神だ、などという意味にはならないのである。

又、其の事は、日亨上人が仰せの『葬儀は宗門の厳儀にして其の方式を霊山虚空会に取る』との御意にも
繋がるものであり、其の御精神に於いて、世間普通の無信仰の人間が因習的に、形式的に、人が死んだから
僧侶に引導を渡して貰って焼いて埋めて、はいお終い、などという惰性的な葬式などは、抑も我が宗の葬儀の
意義からして、まったく趣を異にするものである、との意なのである。

哀笑。其れを『(僧侶を)呼びたくなければ呼ばなくいい』という、池田の小言を『僧侶不要の宣言』と断定し、
しかも、其れを宗門が奨励したかの様な記事を書くなどは、まことお前ら怪文書フェイクの生(な)せる業(わざ)で
ある。ったく、どうしようもない連中であるよな。哀。

尚、太作は、上記の内容の前に、次ぎの様な事も言っておる。

云く『これは総本山とよく相談した結果をお伝えするわけですが、塔婆供養について一言申し上げたい。
というのは、従来、人によっては、五本も十本も塔婆をたてて追善供養してきたケースがありましたが、
原則は一本でいいのです。あとは回向料として、御供養すればよい。こういう細かなことをいうのは、
日蓮大聖人の仏法が、末法万年にわたって、永遠に合理性をもち、近代的であるからです。
事実、御書をみても、塔婆を何本立てなさいという指導はどこにもありません。でないと、世間の人達が、
日蓮正宗創価学会を、葬式仏教と成り下がった既成宗教と同一視してしまう可能性さえあります。
わざわざ世間の人の不信を買い、法を下げる結果を招いてしまうのです。塔婆は一本と決めておけば、
すっきりします。裕福な人も貧しい人も平等なのが真の仏法です』と。

本より、塔婆を五本も十本も建てなければならない、などと、御宗門は言っておらんし、其のような事は、
信徒それぞれの裁量である。つまり、出来る事が可能であれば、須らく其れを実行し、又、可能でないのであれば、
無理を押してする必要はない、という事である。又、其れを逆に云えば、実行可能であるのに、其れを敢えてしない、
というのは、信心の懈怠であり、ましてや其の不行が僧侶への怨嫉と怨念によっての不行となれば、其れこそが謗法の
邪念であり、そういう性根を以って葬儀を行えば、須らく堕地獄の因と成るのである。
仍って、お前ら邪徒が邪徒を弔う『友人葬』などは、其の全てに於いて地獄の儀式と相成るのである。

よいか。お前らの葬儀などは、立正佼成会の信者が葬式を執り行うと同じ事なのであり、抑もが、僧侶を呼ぶ、
呼ばないの以前の問題なのである。よいか。先ずは其の事を理解しなさい。

尚、引導・戒名・塔婆については、本より我ら正統・富士門流の化儀であり、破門された在家どもが、
己(おのれ)の都合によって一々騒ぎ立てようとも、其の動かざる正義は即化法として、お前らの眼前に
立ちはだかるのである。

日有上人が曰く『仏事追善引導の時の回向の事、私の心中有るべからず、経を読みて此の経の功用に依り、
当亡者の戒名を以って無始の罪障を滅して、成仏得道疑ひ無し乃至法界平等利益』と。

加えて日亨上人が曰く『塔婆などに題目などを書写する事は、受持体分(総体の受持)の書写となるなり』と。

よいか。引導も戒名も塔婆も、当流に於ては、世間邪宗の形式に非ず、其のすべてが霊山の儀式を執(とり)成す
重要な化儀となるのである。

仍って恩師が云く『(塔婆は)形式ではありません。仏法上の儀式であります。色心不二の成仏、草木成仏の
深い原理からきているのであります。(中略) 生命論がわからなければ、この深い原理はなかなかわかりません』と。

果たして一体、此の恩師の指導からして、塔婆など不要とは、どういう事であるのか。つまりは、
お前らの葬式に於いて、塔婆を建てる者が居ないから、単に要らないと言っているだけではないのか。
本より、そんな理由などは仏法でも何でもない。して、間違いなく、塔婆は不要というのであれば、
上記の恩師の指導は間違っている、という事を、此に証明しなければならない。
加えてお前らは、仏教に於いて、僧侶は葬儀に携(たずさ)わるべきではない、などと言っている様で
あるが、其れでは何故、六老僧は日蓮大聖人の御葬儀を執行したのであるか。つまりは、お前らからして、
携わるべきではない日興上人を首(はじめ)とする御僧侶が、日蓮大聖人の御葬儀に参列したるは邪道に値する、
という事であるのか。先ずは其れを述べよ。尚、日興上人は信徒の曽禰殿に対し『市王殿の御うは(乳母)他界
御事申はかり候はす、明日こそ人をもまいらせて御とぶらい申候はめ』と申されておる。
されば『人をまいらせて』とは、曽禰殿と同じ在家信者を参らせるのか、それとも御一門の御僧侶を参らせるのか。
仏事の道理として申してみよ。して、其の参らせる人が僧侶となるならば、お前らが大白蓮華で主張した
『僧侶が葬儀を執り行う事は仏教本来の在り方ではない』と云う文句は、其れこそ日蓮大聖人御遷化に於ける
大葬を侮蔑する事となり、日興上人に対する無礼となるのである。

尚、怪文書フェイクなどは「葬儀の本来の意義を見直すことは、謗法と化した日顕宗への施しを止める戦いでもある」
などと馬鹿な事を言っておるが、つまりは、葬儀に於ける僧侶の不要などは、単に我ら興門正統に対する反抗の証しで
しかない、という事ではないか。鼻笑。

よいか。そういうのを『意固地』と云うのである。哀。

其れにしても、創価の馬鹿連中が言う『絶対でないのであれば破ってもよい』という極想は何とかならんのか。呆哀。
果たして『絶対でないのであれば、破っても良い、守らなくても良い』と云うのであれば、別段、数珠などは輪ゴムでも
よいのであり、蝋燭もクリスマスキャンドルでよいのであり、仏壇もミカン箱でよいのであり、樒(しきみ)も桜や薔薇で
よいのである。しかし、お前らは、それをやろうとしないであろう。つまりは、そういう事なのである。つまり絶対厳守で
なくとも、守るべき行動意識というものが、そこには在るという事である。よろしいか。其れをして『化儀』というので
あり、其の化儀は普段からして守るべきものであるから、つまりは其れこそが化儀即化法となるのである。

馬鹿が云く『葬儀も引導も戒名も塔婆も、それを絶対しなければ成仏しないという文証を出せ』と。

哀笑。もはや、馬鹿に付ける薬は無い、とは此の事か。鼻笑。

兎も角も、我ら興門正統は、今後とも創価外道が執行する友人葬を破し、其の邪念に基づいた地獄の儀式を、
より一層呵責すべく、化儀即化法の正義を此に愈々(いよいよ)宣揚しめんとするものである。

日亨上人が曰く『霊山の儀式とは、葬儀は宗門の厳儀にして、其の方式を霊山虚空会に取る』と。

仍って曰く『亡霊への廻向には、其の導師たるもの少しも私の意志を挟むべからず、御経の功用に任すべし、
此時は蓋(けだ)し戒名に意義ありと意得べしとなり』と。

爾して曰く『当法華宗は信謗を以って徳罪を峻別するが故に、如何なる荘厳儀礼を尽くせる仏事作善なりとも、
他宗他門にて此を行なふときは、能開の宗旨既に謗法罪科なれば、所開の作業従って又罪悪なるを以って、
決して随喜参列すべからず、寧(むし)ろ此を破斥するが大功徳なり』と。

されば創価外道の友人葬を今こそ破すべし! 此れ大功徳の源泉なり!


【付記】

尚、オマエらが得意げにギャーギャー騒いでいる、日亨上人の弁、乃(すなわ)ち、

『臨終ニ当リテ俄ニ法号ヲ乞フガ如キ愚挙ナキヲ期スベキナリ』との意は、

本より戒名自体を否定されているのではなく、臨終に際して俄(にわか)に戒名を乞おうとする、其の横着なる
根性を叱られているものである。よいか。オマエらは莫迦であるから、其れが解らんのである。

よいか。今一度言うぞ。

『俄かに戒名を乞う』との意は、其の姿勢根性をしてよろしくない、という事である。
本より、法華講員のみならず、戸田総講頭に於いても、臨終に及んで俄かに戒名を乞い願ったものではない。
日蓮正宗の化儀に遵(したが)って、須らく取次の御正師から戒名を頂いたのである。

つまり、其れを反(かえ)して言うならば、日亨上人が必要と言われた戒名の化儀を、オマエら創価こそが俄かに捨てた
という事である。つまりは、日亨上人が言われた『暴挙』こそは、応にオマエらの其の俄か根性に対して言われている、
という事を、此に識るべきなのである。

>この「亡くなった時につける戒名」について碩学の
>日亨上人は「臨終ニ当リテ俄ニ法号ヲ乞フガ如キ愚挙ナキヲ期スベキナリ」と記されている。
>これを「大白法」編集部は知らないのか?

堪笑。何度読んでも吹き出してしまうが『臨終に当たりて俄(にわか)に乞うが如き暴挙無きを期すべきなり』が、
なんで『戒名不要』の文に読めてしまうのか。哀笑。

鼻笑。答えは簡単であろう。

要は、オマエらの脳髄が邪教の害毒に犯されて、最早、真っ当な解釈が出来なくなっている、という事なのである。

実に、救いようのない馬鹿とは、応にオマエらの事を指して言うものであろう。

して、そんなオマエらが嬉々として貼り付ける怪文書フェイク。

実(げ)に其れこそ、痴人狂人に相応しい痴文書となるものである。糞笑。

少しは恥というものを知りなさい。
 

莫迦宿坊の馬鹿フェイクを嗤う

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 2月21日(水)06時17分22秒 i118-19-13-230.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  ■フェイク 第1603号   投稿者:宿坊   投稿日:2018年 2月15日(木)12時27分36秒

(発行=18.02.13)

学会の働きかけで始まった授戒
無知な「大白法」の妄論を破折する ㊤
今の授戒文は昭和四十一年に制定


■フェイク 第1604号   投稿者:宿坊   投稿日:2018年 2月16日(金)12時29分2秒

(発行=18.02.14)

「臨終ニ当リ俄ニ法号ヲ乞フハ愚挙」
無知な「大白法」の妄論を破折する ㊦
「葬式に僧を呼ばないのは大聖人の考え」


哀笑。

なぁ、宿坊よ。

いや、宿坊のハンネを使って、阿呆らしい怪文書を貼り付けている、謀略根性の馬鹿どもよ。鼻笑。

ったく、同(おんな)じ事をベタベタと貼り付けおって。呆呆哀。

鼻笑。会合で雨が降った、参加者が少なかった、坊さんが病気になった。

呆哀。だから何なのだ。

鼻笑。解っておるよ。最早、そんな事しか書けない程に、オマエら創価の反駁義は貧弱になっている、という事である。

いや、オマエら『宿坊』を名乗る者どもは、そんな創価学会からも蹴飛ばされて、今や、根無し草の阿呆集団と成り果てて
おる。さても、そんなオマエらが、10年前と同じ内容のフェイクを今更に貼り付けて、戒名がどーの、受戒がどーの、と。
呆笑。オマエらは、真(まこと)の莫迦であるのか。嗤嗤。

>「大白法」は日蓮大聖人のご在世当時から信徒に御授戒をしていたかのように誤魔化しているが、これは嘘である。

呆笑。誰が、日蓮大聖人の当時に於いて、在家信者が現在の様な御受戒を受けていた、と言っているのだ。

そーではないだろう。

当家が申しておるのは、日蓮大聖人已来の(迹門戒に対しての)本門戒を授かる大義、則ち『受持即持戒』の義に於いて、
其の儀相を述べているものであり、何も、在家信者に対する御授戒の儀相が、日蓮大聖人の其の当時から行われていた、
と申しているものではない。爾して、出家者のみならず、在家信者の一々に於いても、其れら本門戒を受く大義は、
日蓮大聖人の御在世から在ったものである。

曰く『未断見思の衆生の我等も皆悉(ことごと)く受職す。故に五即・五十一位共に受職灌頂の義あり』と。
爾して曰く『信行の比丘の受職と俗衆の受職と是同じ』と。
仍って申さく『法華経を頭に頂くと云う文なり。如是諸人等の文は広く一切衆生に亘るなり』と。

されば現在、当家に於いて授戒の義を執り行うは、是れ全く日蓮大聖人の御在世に通じるものであり、
決して、オマエら阿呆が言うような、創価学会(在家信者)の為に考案されたものではないのである。

尚、日亨上人が御受戒に関して『受戒の定規はなかったと思う。それが、近今に至って、にわかにその式が新設された
のではなかろうか』と述べておるのは、決して御受戒の義を否定するものではなく、又、近代になって初めて授戒の義が
成立した、と言っているものでもない。其れこそは但、其の儀相の整足をして述べたに過ぎないのである。
つまり、オマエらが貼り付けている昭和四十一年の『受戒文』こそも、其の儀相に入る、という事である。

哀笑。果たして此の言っている意味、オマエらに解りょうか。哀笑。(いやいや、解るまい)

>学会の草創期から活躍して理事長、最高指導会議議長を務めた和泉覚氏(故人)は、かつて「昭和十二年ごろ、
>牧口先生が宗門に対して入会する際に御授戒をするよう依頼し、それで行うようになった」と語っていた。

小笑。何? 和泉覚が語っていた? 鼻笑。其れはホントーかい。

昭和十二年。さても其の以前より、創価教育学会は、在家団体としての結成が、指導教師の堀米御尊師(後の日淳上人)から
許可されず、牧口会長は、其の事に対して憤慨していたのではないか。されば其の様な状態に於いて、当の本人たる牧口
会長が、其れこそ日蓮正宗の在家団体でもない教育学会の会員の入信に際して御授戒を依頼し、堀米御尊師が其れを受けて
執り行うようになった、などとは、其れこそ彼の海坊主の世迷言であろうが。

尚、其の当時、創価教育学会の会員数は100名程であり、特に牧口会長・戸田理事長などは、既に池袋の常在寺に於いて、
御受戒を受けていた(仏哲では、戸田理事長は中野教会で御受戒を受けたとある)のであるから、堀米御尊師に依頼して執り
行うようになった、などと手前よろしく言うものではない。そうであろうが、宿坊フェイクよ。
ったく、依頼などと。其れこそは懇願であろうが。

>確かに、学会の出現以前、日蓮正宗に入信する者などいなかったので、御授戒を行なう末寺はなかった。

呆笑。おいおい、莫迦を言うものではない。いや、馬鹿であるから、そう言うのであろう。鼻笑。

果たして、創価教育学会の結成以前に、日蓮正宗に入信する者など居なかった、などとは、やはりオマエたちは馬鹿の骨頂で
あるのか。いや、其れこそは、現創価学会から蹴飛ばされて土面に転げ落ち、何処(どこ)ぞの角に頭を打ちつけて、まことの
阿呆に成ってしまったのか。鼻笑。

ったく、学会の出現以前に入信する者など居なかったとなれば、其れこそ牧口・戸田の両会長は、一体、何処(どこ)の
信者から折伏されたというのか。加えて、御授戒を執り行う末寺も無かったとは、如何なる証拠を以って其れを示すか。
されば、創価学会の結成以前、つまりは学会の出現以前に入信し御受戒を受けた牧口・戸田両会長は、オマエらからして
得体の知れない会長と成るのであるか!  何とか申せ! 馬鹿フェイクよ!

重ねて言おう。『「大白法」は日蓮大聖人のご在世当時から信徒に御授戒をしていたかのように誤魔化しているが、
これは嘘である』などと言っているオマエらフェイクこそが、其の名のとおり嘘を付いているという事である!!

よいか。オマエらの目ん玉が捻じれておるから、物事の現証が捻じれて見えるのである。

呆笑。ったく、情けない質(すがた)よのぉ。呆哀。

>牧口先生の提案によって始めた御授戒も当初は宗門の多くが反対だったとのことで、御授戒を行っていたのは歓喜寮
>(中野区)と砂町教会(江東区)のみで、その後、常在寺(豊島区)など他の寺も加わった。

呆笑。提案だ? 先程の文面では依頼と書いていたのではないか。いや、其の実は懇願であろうが。
呆哀。其れを今度は提案によって始めた、などと。オマエらの口は八つに裂けておるのか! ふざけるものではない。
そうであろう。莫迦フェイクよ。

>それでも授戒文は末寺によって違っていた。そのため昭和四十一年二月九日付の「院達」(下段に添付)により制定されたの
>だった。

哀笑。どれだけ違っていた、というのか。本より、細部の違いなどを仰々(ぎょうぎょう)しく言う方が馬鹿なのである。
因みに、昭和四十一年以前、当方が常在寺に於いて御授戒の義に幾度も立ち会うたが、今に残る記憶に於いては、須らく
昭和四十一年の院達に示されたとおりの授戒文であった。

本より、これらの授戒文は、日蓮大聖人がお示しの本門戒体抄の一文、つまりは、

『今身より仏身に至るまで、爾前の妄語罪を捨て、法華寿量品の久遠元初の不妄語戒を持つや否や、持つと』

という文義から明示されたものであり、加えて当体義抄の一文である、

『然るに日蓮が一門は、正直に権教の邪法邪師の邪義を捨て、正直に正法正師の正義を信ずる故に、当体蓮華を証得して』

との文意から示されたものである。

つまり此等の御文こそ、法華本門に於ける『受持即持戒』の大義を示すものであり、戒壇の大御本尊を受持する義に於いて、
其の誓願を立てる義文となるものである。仍って曰く『頭に南無妙法蓮華経を頂戴し奉る時名字即なり』と。

尚、其の誓願たる儀式に於いて、其の儀相の過不足が整足されていくは、至極当然の事であり、其の整足後に於いて
其れを厳守し往く事こそが、当に其の整足の意義を示す事となるものである。

爾して其の整足が、在家信徒の増加によって為されたとなれば、其れこそ、在家信徒からして感謝すべき事であり、
其れを「我々の働きだ」などと増長するは、是れ全く本門戒の奥義を知らぬ阿呆の痴弁である、という事を、
現創価及び、オマエら外れ創価のイタチ連中などは、能く能く識るべきなのである。

因みに、日寛上人は在家信徒に対して授戒の義を示されている。つまり、是れこそ、創価の結成より200年以上も前から、
富士大石寺に於いては、在家信徒に対する御授戒の儀が存在していた、という証拠である。

さればフェイクよ、記事は嘘、詐(いつわ)りなく正直に正確に書く様にしなさい。よいか、これが宗教者として情報を
発する側の責務であり責任であり、所属会員をして正確に知らしめる基本姿勢なのである。オマエらは其れが成っていない。

哀。

よいか。今一度言うぞ。

先ずは第一、其の成っていない基本姿勢を早急に矯正しなさい。さもなければ、オマエらの其のデフォルメ根性は、
決して治る事はないだろう。本より、其れらを本分にして悪口雑言を目的としている、と云うのであれば、其れこそが
オマエらの正体となるのである。

尚、戒名と葬儀に対するオマエらの戯れ言については、当方が相当以前に於いて破折しておるから、其の全文を別頁に
転記する故、オマエら莫迦フェイクの連中は、其れを能く能く拝読して、其の腐った根性に叩き込みなさい。

宜しいか。
 

ああ、邪教人 其の七十二

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 2月14日(水)20時59分2秒 i223-217-32-165.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  さて、久々の投稿なれば、早速に始めよう。

>もちろん(日蓮大聖人の)内証は末法の御本仏であり、下用(ママ)は上行菩薩の再誕でありますが、
>あえてご謙遜の表現をされているのですから、「使」は省略せずに訳すべきと思います。

哀笑。おいおい、其の解釈こそは我が富士門宗家の法義だよ。今更盗むものではない。小鼻笑。
いや、其れよりも何よりも、お主らが拝んでいる本尊は一大秘法ではないのであろう。哀哀笑。
つまり、そーゆー教義からすれば、日蓮大聖人の御当體も本尊とは成り得ない、という事になる。

して、お主ら創価は言う。

「一大秘法とは御本尊の事ではなく、妙法蓮華経の五字の事だ」と。呆笑。

ならば、此の日興上人の御教示を何とする!

曰く『唯御書の意に任せて妙法蓮華経の五字を以て本尊と為すべし、則ち自筆の本尊なり』と。

されば「即ち」とは如何なる意であるか。原田創価は其れに答えよ!

まさか、創価の本尊は自筆の本尊に非ずして形木の本尊であるから、一大秘法ではない、と言うのでは
あるまいな。小鼻笑。あまりふざけた事を言うものではないぞ。

爾して曰く『此の本尊の依文とは如来秘密神通之力の文なり。戒定慧の三学、寿量品の事の三大秘法是なり』と。

よいか。此の御文こそ、当に御本尊こそが三大秘法を束ねる文証となるものである。

仍って曰く『本尊とは法華経の行者の一身の当体なり』と。

さても、日蓮大聖人の御当體たる御本尊を一大秘法とせず、題目の五字を以って一大秘法と為すは、
是れ全く、人法体一の法義を知らぬ、無知蒙昧の稚義であり、又、其れを承知で改変したとなれば、
当に其れこそが、現創価の正体と成るのである!

そんな創価の主任副会長が云く「過去との整合性など、どうでもいい。自語相違と批判されてもかまわない。
完全に独立した教団として出発するんだから。結論は決まっているんだ。教義なんて、それを後付けすればいいんだ!」

鼻笑。応に『莫迦』とは此の事か。呆笑。

とまれ、オマエら創価の教義は破綻しておる。哀哀笑。

何々…。

>大阪大会のVOD、「大御本尊」の「大」が音声削除。

とな。

呆笑。おいおい、其れホントーかい。小笑。

出所した池田センセーが力弁して云く、

『すべての事は、全部、大御本尊様が見通しであると、私は信ずるものであります!!』と。

呆哀。ほんなら、是れはウソかいな。いやいや、其れこそは間違っていた、という事か。呆笑。

ならば、しっかと総括せぃ! 戸田先生及び池田センセーの過去の指導は、現在の教義からして間違っていたと!

ったく、お前らは、何故に其れをやらんのか!

>セルビアモンテネグロの支部長を解任されたマサル・カタノ、金と女性問題で学会寺院を追放になり、
>保田妙本寺の能化に収まった宮川雄法、職員解雇、学会除名になった波田地克利が一緒になって、
>セルビアで保田妙本寺の本尊授与を始めている。

哀哀笑。おいおい、其れもホントかい。小鼻笑。

しかしなんだナ。

彼の改革同盟の宮川が創価追放となり、今では保田妙本寺の能化となり果てて「日護」などと名乗っておる。哀笑。
されば、キンパラもイタチもペイトウもシンメイも除名となり、最早、これら事務方の異端児などは、現創価から
して不要物となったのであろうが、そんな溢(あぶ)れた不良連中が、掲示板などを開設して、

『法華講員の諸氏、日蓮正宗 宗規第二条を証明しよう!』などと莫迦な事を言っておる。哀哀笑。

だから言っているだろう。

相手のケツの臭いを嗅ぐ前に、オマエらの其の腐ったケツの臭いを先ずは嗅いでみなさいと! 呆哀。

よいか。能書きを垂れるのは、其れからの事である!

>3.11の会合、青年部の結集が厳しいので、(つまり、数が集まらない)ので、壮年部婦人部に参加するよう要請が
>出ています。みなさんの地域も同じですか?

鼻笑。同(おんな)じだよ。こちらでは火の用心のメンバーも、男子部が集まらず、今では壮年部が中心になってやってるよ。
ったく、こんな寒い夜に、壮年部(といっても六十過ぎの後期壮年部員たち)に火の用心をさせるとは、いやはや、男子部も
地に堕ちたものよのォ。呆哀哀。

因みに当方が男子部の時などは、一本部に五千名の男子部員が所属していたが、其の時の火の用心のメンバーなどは、
あまりに応募者が多くて、各支部から抽選で選んだものである。

呆哀哀。さてもあれから数十年。情けないよのぉ、現創価よ。鼻笑。

さもありなん。

道を外し、自前の本尊を拵(こしら)え、遂には一大秘法義に手をかける、其の邪心謗法の成れの果てよ。呆哀哀。

新興外道の創価学会。

果たして、後50年もすれば、お前らは一体何を拝んでいるのやら……。哀笑。

言ってやろうか。

間違いなく、金ピカの池田センセー像を拝んでいるだろう。しかも、其の時の会長が書いた曼荼羅をバックにして…。
哀笑。加えて本仏は、お釈迦様に成っておろうか。いや、もしかすれば、上行菩薩が本仏になっているやも知れん。

鼻笑。まぁ、其れなら少しは救われようて。小鼻笑。

>今月の地区協議会。わが地区は女子部は壊滅。男子部は地区リーダー不在。男子部部長のみがフル回転。

哀笑。はてさて、地区リーダーが居ない部とは、一体如何なる部であるのか。
哀笑。単に其れこそは部内の一地区リーダーが不在という事ではないのか。
されば、女子部は壊滅、男子部は地区リーダー不在などという表現は、当に彼の地涌・フェイクの物言いと同類では
ないのか。呆笑。物事は正確にデフォルメなく伝えなくては、まことの正義とは成らんぞ! そうであろうが宿坊よ!

>北朝鮮を殺人鬼国家と決め付けて、キム委員長の実妹の訪韓の意義を否定して、北朝鮮への不信感と敵愾心を
>煽りたてる内容!いまどき、こんな扇情的な文章、産経新聞でも載せないよぅ。

なんだ。北朝鮮は殺人鬼国家ではないのか。
なんだ。公開処刑で大砲を用い、囚人の肉腹にどデカい穴を開けるのは、殺人国家の習わしではないのか。
なんだ。オマエは、そういう国家を擁護するのか。
なんだ。オマエは、彼のミサイル小僧の妹が、南朝鮮に入国して笑顔を振りまいている心底が読み取れんのか。
なんだ。オマエは『調略』という初歩の初歩たる外交戦略さえ読めない馬鹿であるのか。

さても、そういうならず者国家の調略にまんまと乗って、ぴょんちゃん五輪を、びょんやん五輪にしてしまった
彼の南朝鮮の大統領こそは、まこと、凡庸にして鈍感な指導者と言って差し支えあるまい。
否、百歩譲って評するならば、我が国の社民党の其れと同じくする、当に親北追従の売国の主と成るのではないか。

本より、そういう性根に付け込んで、核保有を既成の戦力として是認させ、将来の経済に於ても協力を再び引き出して、
其れこそ、金一族の権力を維持せんとするが、此の度の五輪に託(かこつ)けた北朝鮮の目論みである事は最早明白なの
である。然るに其れを見抜かず、否、其の目論みから目を逸らして北を接待する南朝鮮こそ、我が国を首(はじめ)とする
諸外国の北鮮包囲網に水を差す、当に無頓着にして忘恩なる愚行であると此に呵責するものである。

鼻笑。まぁ、其れとて、ある程度予測していた事ではあるが、あまり我が国に対して無礼を働いておると、そのうち
痛い目に会うやも知れんぞ。ったく、そんな無頓着な事をやっていて、我が国の気象衛星を借りて天気予報などするでない!

おっと! 又しても脱線してしまったわい。汗笑。

まぁ、久しぶりの投稿であるから、少しは許して戴こう。

今日も今日とて邪教人!

邪教人への呵責はこれからも続く。
 

御報告

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 2月13日(火)23時03分49秒 i223-217-32-165.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  【投稿者・閲覧者各位】

本日今、帰宅致しました。(一週間ほど早めの帰宅となりました)

では、早速、当室の管理に当たります。

尚、当月末より再び不在となる予定。

詳細については、不在前日に提示します。
 

急告

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 1月28日(日)20時47分44秒 i223-217-144-156.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  【投稿者・閲覧者各位】

毎々の御投稿、御閲覧を頂戴し、誠に有難う御座います。

誠に申し訳ない事でありますが、今月三十一日より、来月中旬以降まで、仕事の都合で不在となります。
従いまして、其の間に於いては、投稿文は掲載されませんので、予め御了承下さい。
尚、其の間の投稿文に付きましては、帰宅次第、速やかに掲載致します。
 

管理人様

 投稿者:如水  投稿日:2018年 1月26日(金)09時39分12秒 sp49-104-7-154.msf.spmode.ne.jp
返信・引用
  おはようございます。

御寛恕賜りありがとうございます。

それにしても、「詰問に答えなかったのは、その詰問がねつ造されていたからだ」なんて言ってるんですか?

普通は「捏造」された「詰問」というなら、「詰問」に答える側が、されてもいない「詰問」をでっち上げて、そのでっち上げ「詰問」に勝手に答えるような場合のでっち上げ「詰問」を指すものだと思います。

すなわち、「詰問」された側がその「詰問」を「捏造」と主張するのは無理、というか、関西風に申し上げると

「アホちゃぅん?」。

まあ、与えて申し上げれば「誤解」というワードを使うと、まだしもですね。

それにしても「ねつ造」というワードは、「事実の提示」とセットで使わないと、単なる悪口であり、それこそが捏造そのものになると思うものです。

思えば、わからないことや知らないことを指して、嘘だ、デマだ、デタラメだなどと決めつけることは、まさしく捏造であると思います。

事実は「わからない」「知らない」ということでしかないからです。

しかし、「わからない」も「知らない」も「信じられない」も言えずに、嘘だ、デマだ、デタラメだと捏造の悪口雑言罵詈讒謗に血道をあげる不信謗法の徒のいかに多いことか。

経に「毒気深入失本心」とある、姿そのものですね。
 

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