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釈尊在世時の説法は、その当時において文字化されて
いないことは、トムさんとの議論においても
明らかにされ、ご承知のことと存じます。
また、釈尊在世時に文字はあれど、紙の発明は
後世、中国の偉業に委ねられるものであります。
文字化することのほうが手間隙がかかり、
修養を疎かにするとの考えや、口伝法が当時の
インドにおいてより文化的手法であった旨の説明は
果たしております。
しかし、
その肝心なる法華経に出現した釈迦は、経典が存在しない
時代にも関わらず、釈迦自身の説法において経典や法華経
との指摘表現が存在します。
寿量品では、
作如是説。諸善男子。如来所演”経典”。皆為度脱衆生。
自我得仏来 所経諸劫数 無量百千万 億載阿僧祇
分別功徳品でも
聞我説寿命 是則能信受 如是諸人等 頂受此”経典”
願我於未来 長寿度衆生
受持読誦。是”経典”者。為已起塔。造立僧坊。供養衆僧。
種種因縁。随義解説。此”法華経”。復能清浄持戒。
このように”経典”との経句表現や”法華経”との冠題が
散見しますことは、あきらかに成文化された経典の存在
なくして語れないもので、大きな矛盾を呈しております。
釈迦が自らの説法を”経典 法華経”と言うのですから、
すでに文字化された経典が存在していたか、
作者がいて経典を執筆していたかのどちらかであり、
経典が文字化して成立していない時期の釈尊の言葉としては、
あきらかに矛盾した表現と解釈できるものです。
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