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沖浦克治さん、レスありがとうございます。
>釈迦と大聖人様は悟りが違っていて、釈迦が劣って、大聖人様が勝る。
これね、方便です。
大聖人様以後の誰がこじつけたんです。
諸仏の悟りに上下なんかありません。
貴宗では法勝人劣では無いという立場であることを、
ご理解させて頂きました。
ただ、根本仏教の観点で方便とは釈尊の仮の教えではなく
解脱へ導くための教導法と解しております。
また、釈尊の悟りではなく覚者としてその説法の
内容を重視する立場でございます。
学者は悟りから出発して、ではいったい何を悟ったかに
ばかり目を奪われ、現在においてもその結論は決定付け
られておりません。
釈尊は真理に目覚めたゆえ、その成道果であるニルバーナへ
導くための法を示された。
我ら凡夫に必要なのは、悟りの内用よりもその法である事は
明白でございます。
それら法は、口誦確認されながら口承された内容が今にパーリ、
阿含経に伝承反映されており、確認できるものでございます。
ところが法華経では妙法以外の釈尊の方便を正直捨方便とし、
役に立たないとの見識を示しております。
ですが、その法華経こそ釈尊の法灯を受け継いだものではない
創作された経典との疑念が存在すると考える次第でございます。
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