投稿者
 メール ※掲示板には表示されません(詳細)
  題名
  内容 入力補助
    

全5396件の内、新着の記事から50件ずつ表示します。 1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  |  《前のページ |  次のページ》 

訂正

 投稿者:黒川和雄  投稿日:2012年 5月18日(金)19時49分27秒 p7141-ipbfp4501osakakita.osaka.ocn.ne.jp
返信・引用
  >それを以て矢野純也氏は脱会を表明されたのであります!!!

それを以て矢野純也氏は【宗門への復帰】を表明されたのであります!!!
 

矢野純也氏の脱会

 投稿者:黒川和雄  投稿日:2012年 5月18日(金)19時17分57秒 p7141-ipbfp4501osakakita.osaka.ocn.ne.jp
返信・引用
  私は矢野純也氏のご自宅へ訪問しておられた法華講員の方を知っておりますが、矢野氏は「今、裁判で争っています。今すぐ復帰すれば一連の裁判の背後に日蓮正宗が絡んでいると言われ猊下様に迷惑をお掛けいたします、つまり日蓮正宗が迷惑を蒙ることになります。従って裁判の係争が終わるまでは復帰いたしません・・」とのことをはっきりとお聞きしております。

して、矢野vs創価は全ての訴訟に和解いたしました。

それを以て矢野純也氏は脱会を表明されたのであります!!!
 

Re: 秋谷城永氏の入信を望む

 投稿者:黒川和雄  投稿日:2012年 5月18日(金)14時46分49秒 p7141-ipbfp4501osakakita.osaka.ocn.ne.jp
返信・引用
  管理人さんへのお返事です。

> そして、昨今では、元創価学会総務・中西治雄氏も富士大石寺に帰伏し、応に其の悔悟の念たるは、
> 本門戒壇の大御本尊に対する尊信が、未だ尽きていなかった、という証しでもある。


矢野純也氏も復帰されましたね。
日達上人猊下の常住御本尊様ということです。
 

秋谷城永氏の入信を望む

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 5月18日(金)14時41分17秒 softbank219205006025.bbtec.net
返信・引用
  さて、昨今巷では、元創価学会五代会長、秋谷城永(栄之助)氏が脱会した、と云う噂が頻(しき)りに
聞こえて来るが、果たして、其の真相は定かではない。したがって、此れから記述する事は、すべて
「もし、そうであるならば」と云う前提に立って記するものである。

本より、秋谷城永氏の「城永」とは、恩師戸田先生の御名「城聖」から、其の一文字を戴いたもので
あるが、其の「城」の字をして、秋谷氏は男子部第5部隊長を拝命していた25歳の時から名乗って
いたのであるから、恩師からの期待も大きかったのである。

しかし、平成3年、創価学会が破門されし後、秋谷氏は、池田太作の足下に於て、日蓮正宗に対する
誹謗中傷の先鋒として、其の指揮を担ったのである。

云うまでも無く、妙法の根源たるものは、一組織の破門云々で変節するものではなく、又、其の根源
こそは、日寛上人が仰せの如く、富士大石寺に厳然と在るのであるから、其の法体護持を専務とする、
御歴代上人への誹謗、そして又、其れに連なる御弟子への中傷などは、敵対組織への批判などと云う
範疇を超えて、其れこそは、富士大石寺が奉持せる本門戒壇の大御本尊への違背罵倒となるのであり、
実に其れこそは、日蓮大聖人に対する師敵対となるのである。

本より、其れを思えば、秋谷氏の今日までの謗法行為は、彼の大進房の其れに匹敵するであろうが、
其の本人にして悔悟し、本門戒壇の大御本尊への尊信が、今にして少しでも残っているのであれば、
御宗門は其の時を鑑みて、秋谷氏の入信を受け入れるべきと、小生は恐れながら思うものである。

振り返れば、福島源次郎元副会長、そして、原島元教学部長も、其の紆余曲折の中に於いて、最終、
戒壇の大御本尊への帰命を果たし、下種三宝尊に其の信心を委ねたのであった。そして又、宗門批判
の急先鋒でもあった山崎正友元副理事長も、其の悔悟の念を以って、富士大石寺に帰依したのである。

そして、昨今では、元創価学会総務・中西治雄氏も富士大石寺に帰伏し、応に其の悔悟の念たるは、
本門戒壇の大御本尊に対する尊信が、未だ尽きていなかった、という証しでもある。

真(まこと)に結構な事ではないか。

曰く『小罪なれども懺悔せざれば悪道をまぬがれず、大逆なれども懺悔すれば罪消へぬ』と。

応に現当二世。

仮令(たとえ)、罪の余残があろうとも、其の時を以って秋谷氏の入信を受け入れるが、御宗門として
の最たる御処置ではないか、と、小生重ねて言上するものである。

尚、今にして、首魁・池田太作の病状(脳梗塞)が回復し、其の動作・発音に若干の支障はあるものの、
短時での公務などは可能となったようであるが、本より、先月の御霊宝虫払大法会に御臨席された、
御隠尊日顕上人猊下の御姿を拝する時、現今、病院のベッドに横たわり、動作・言語のリハビリに
専念する、自称・庶民の王者、池田太作の姿をして、其の歴然たる謗法の報いは、今にしてようやく、
我ら衆生の眼前に晒されるのである。
 

己義邪義を吐き散らす創価学会員

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 5月18日(金)12時41分5秒 softbank219205006025.bbtec.net
返信・引用
  >『彼々の二経は深山の経々なれども、彼の経々はいまだ心あさくして法華経に及ばざれば、世間の
>法を仏法に依せてしらせて候。法華経はしからず。やがて世間の法が仏法の全体と釈せられて候』

                                     (白米一俵御書)
【訳文】

彼の二経(金光明経・涅槃経)は、深い経ではあるけれども、それらの経々は、未だに教えが浅い為、
法華経に及ぶものではありません。したがって、世間の法を仏法に依せて、仏の説かんとする所を
衆生に知らせているのであります。しかし、法華経はそうではありません。やがて世間の法が、仏法
の全体と成りゆくを解釈されているのであります。

【通解】

本より、爾前経からして法華経に及ぶものではないが、抑も、仏の説かんとする真意を、世間法から
仏法に依せる事自体が、爾前の爾前たる所以なのである。しかし、法華経はそうではない。実にして
法華経の説く処(ところ)は、其の深義に依って、世間法を含む諸法の実相を照らしめ、色心・依正の
すべてが法華経であると捉えるのである。仍って、其の包含される世間法は、法華経を識(し)る事に
よって完得出来るのである。つまり、仏法に疎(うと)い者は、世法を識る事が出来ない、つまり真の
意味に於いて、世法の実相を識る事が出来ない、という事である。


して、此れは何なのだ。哀。

>世間の法が最も優れていて、法華経こそは世間の法そのもので、世間の法と仏法を区別してはいけ
>ない。概ねこう言うご指南です。

なんと、世間の法が最も優れていて、法華経とは世間の法そのものである、とな。哀。

おいおい、大丈夫か? もしや、後頭部に生えている馬の尻尾が、脳髄に悪さを仕掛けておるのか。

一体、此の者は何なのだ。哀。

学会員諸君! 此の創価学会員を何とかしなさい!!
 

Re: 黒川殿

 投稿者:黒川和雄  投稿日:2012年 5月14日(月)21時45分59秒 p7141-ipbfp4501osakakita.osaka.ocn.ne.jp
返信・引用
  管理人さんへのお返事です。

>
> して、三色アヒルの連中からすれば、其の真っ黒焦げで死んだ赤沢の人は、来世に生まれ出るまで、
> 真っ黒のまま、という事になります。小笑。はてさて、何とも情けない回向力であります。哀笑。
>
> 何れにしても、創価学会の分裂は、将来必ず起きるのであり、応に其れこそは、歴史の浅い新興宗教
> の定めなのであります。


アハハ、ロム男君の「凍結成仏義」ですね!
あの人はトッカンロム男といい、話になりませんね。あの人はいつも突き進むだけで壁にぶつかり自爆していますね。

まぁ、昨年の夏ですが、約三ヶ月間、「牧口常三郎は本当に国家諌暁をしたのか?」との論題でしたが、ついに出てきたのが、『大善生活実証録』のなかに収録されている、青年部3名が石黒邸を訪問した時の記録だったのです。「これが国家諌暁じゃなくてなんなんだ~~~!!」と脳天から湯気を出して絶叫していました。
最近では、池田太作がフィリピンの国立大学から称号をもらったというのを私が、それは国立大ではなく公立大であると指摘するや否や、莫迦な創価員が「ピ~ピ~、ヒ~ヒ~」と大合唱していましたね。アヒルというのはこのようになくものでしょうか?

しかし12日と13日のお話、大変為になりました。

ありがとうございます。

一連のお話、また勝手で御座いますがブログに永久保存させて頂きました。



 

黒川殿

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 5月14日(月)21時19分42秒 softbank219205006025.bbtec.net
返信・引用 編集済
  >私はもしかしたら創価学会は、既に「池田太作出生の本懐であるニセ板本尊」を彫刻しており、
>二箇相承めいた文書と一緒に、死後、それを出すのではないかと思っております。

大いに有り得ます。

二箇相承めいた文書、つまり『御遺訓』なるものを出して来るは、先ず間違いないでありましょう。

して、其れを出して来るのは、創価学会会長か、其れとも、SGI会長か、其れとも、、、奥様か。

いや、下手をすると、案外『奥様』かも知れません。何せ、マッハロー詩人の妻であり、次期SGI
(日蓮世界宗)会長の御母堂様でもありますから。哀。

>しかしこの仮定を実行するには非常にリスクが伴いますね。なぜなら彼らが僧宝と称する日興上人
>との絡みが全く無いからです。

本より、池田太作の遺訓と、二箇相承の大義を絡ませる者は、抑もが池田教の狂信者であり、つまり、
其れらの者達と、偽本尊維持派との間で、軋轢が生じるという事であります。

尚、創価の分裂は、相互一対一の分裂、と云うものではなく、池田太作書写の曼荼羅本尊を拝めない、
つまり、池田先生に帰命できない会員(偽本尊維持派)が、本体の創価学会から破門される形での分裂
であります。

>また大聖人の場合は本門戒壇の大御本尊の御出現を既に御書でほのめかされておりますね。

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

>1253(建長5年3月28日)    安房清澄寺にて宗旨建立の内証を宣示)
>1253(建長5年4月28日)    立宗宣言(安房清澄寺にて)
>1271(文永8年9月12日)     竜の口の法難
>1272(文永9年2月)        開目抄
>1272(文永9年10月10日)   木画二像開眼事
>1273(文永10年4月)       観心本尊抄
>1274(文永11年2月14日)   幕府、赦免状を発布
>1274(文永5月17日)       大聖人、波木井郷に着く
>1274(文永11年12月)      万年救護の本尊図顕
>1278(建治4年2月23日)    三沢抄(内々に申す法門あり)
>1278(弘安2年9月21日)    熱原の法難
>1279(弘安2年10月1日)    聖人御難事(余は27年なり・・出生の本懐)
>1279(弘安2年10月12日)   本門戒壇の大御本尊図顕

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

なるほど。


其れでは、此れはどうでしょう。すべてが12日であります。


◎弘長元年   5月12日 伊豆御配流

◎文永八年   9月12日 竜ノ口法難(佐渡御配流)

◎弘安二年  10月12日 本門戒壇の大御本尊を造立


仍って申さく『而るに日蓮二十七年が間、弘長元年五月十二日には伊豆国へ流罪、文永元年十一月
十一日頭に傷を蒙(かほ)り左手を打ち折らる。同じき文永八年九月十二日佐渡国へ配流、又頸(くび)
の座に望む』と。(新編 1396)

仍って、前文に曰く『此の法門申しはじめて今に二十七年、弘安二年なり。仏は四十余年、天台大師は
三十余年、伝教大師は二十余年に、出世の本懐を遂げ給ふ。其の中の大難申す計りなし。先々に申すが
ごとし。余は二十七年(弘安二年)なり』と。(同頁)

そして、こうなります。

◎弘安二年 10月12日  本門戒壇の大御本尊を造立

◎弘安五年 10月13日  御入滅

☆正応三年 10月12日  日興上人、富士大石寺開創

☆正応三年 10月13日  日興上人、日目上人に譲座御本尊を授与


本より、時の符合は、仏法からして偶然ではなく、存知の如く、日蓮大聖人の御生誕は2月16日で
あり、釈尊が入滅した、2月15日の翌日に当たります。

応に其れを思う時、上記に示された時の符合が、須らく御本懐の証しとなって、我ら興門正統の心髄
に迫って来るのであります。真(まこと)に有り難い事であります。

>「黒川さん、赤沢の仏師はみんなまっ黒焦げで悲壮な死に方をしているそうな…」とのことを聞い
>たのです。
>今でもこの「赤沢の仏師がまっ黒焦げで死んだ」という言葉は忘れることは出来ません。

そうですか。其れは恐ろしいですね。

して、三色アヒルの連中からすれば、其の真っ黒焦げで死んだ赤沢の人は、来世に生まれ出るまで、
真っ黒のまま、という事になります。小笑。はてさて、何とも情けない回向力であります。哀笑。

何れにしても、創価学会の分裂は、将来必ず起きるのであり、応に其れこそは、歴史の浅い新興宗教
の定めなのであります。
 

Re: 黒川殿

 投稿者:黒川和雄  投稿日:2012年 5月14日(月)12時42分57秒 p7141-ipbfp4501osakakita.osaka.ocn.ne.jp
返信・引用 編集済
  管理人さんへのお返事です。

> したがって、将来に於ける創価学会の分裂は、現今の日寛上人花押の偽本尊の維持か、其れとも池田
> 太作書写本尊の奉持か、其の何れかによる決定が、分裂の起因になるのではないか、と小生は思って
> おります。



非常に鋭いご指摘ですね。

私はもしかしたら創価学会は、既に「池田太作出生の本懐であるニセ板本尊」を彫刻しており、二箇相承めいた文書と一緒に、死後、それを出すのではないかと思っております。しかしこの仮定を実行するには非常にリスクが伴いますね。なぜなら彼らが僧宝と称する日興上人との絡みが全く無いからです。

また大聖人の場合は本門戒壇の大御本尊の御出現を既に御書でほのめかされておりますね。これが全く今の創価にはない。もしこのニセ板本尊を出せば、今学会員が我々を批判している逆現状が出てきます。


「池田太作の書籍、本幹、いずれの場所に於いて池田太作出生の本懐が示されているのか? 池田太作の書物のどこにもそのような記述は無い」という疑難が持ち上がります。

おっしゃる通り、日寛上人の御本尊を取るか、池田図顕のニセ板本尊を取るか?間違いなく分裂するでしょう。

1253(建長5年3月28日)    安房清澄寺にて宗旨建立の内証を宣示)
1253(建長5年4月28日)    立宗宣言(安房清澄寺にて)
1271(文永8年9月12日)     竜の口の法難
1272(文永9年2月)        開目抄
1272(文永9年10月10日)   木画二像開眼事
1273(文永10年4月)       観心本尊抄
1274(文永11年2月14日)   幕府、赦免状を発布
1274(文永5月17日)       大聖人、波木井郷に着く
1274(文永11年12月)      万年救護の本尊図顕
1278(建治4年2月23日)    三沢抄(内々に申す法門あり)
1278(弘安2年9月21日)    熱原の法難
1279(弘安2年10月1日)    聖人御難事(余は27年なり・・出生の本懐)
1279(弘安2年10月12日)   本門戒壇の大御本尊図顕

■■■■■■■■■■

話は全く余談になりますが、52年路線当時、アメリカ創価も少しですが動揺があったのです。当時私は現SGI-USAの副理事長と留学生として同じ大学で勉学しておりました。また土日ともなりますと全行動を共に歩んでおりました。この方は学生当時からSGIサンタモニカの本部で翻訳の手伝い【バイト】をしていたのですが、ある日、「黒川さん、赤沢の仏師はみんなまっ黒焦げで悲壮な死に方をしているそうな…」とのことを聞いたのです。氏曰く、「やっぱり戒壇の大御本尊の力は強すぎるんだろうね・・・」と言っておりましたが、当時は私も学会員であり、単純に「そんなもんか・・・」と思っていましたが、今考えるととんでもないニセ板本尊を彫刻していたのですね!!! 今でもこの「赤沢の仏師がまっ黒焦げで死んだ」という言葉は忘れることは出来ません。

で、私に教学をじっくり教えてくれた彼氏は今も学会です。氏は仏法よりも「今の生活」を取ったのでしょう。人生とは面白いものです。

以上、余談になりましたことをお許し下さい。










 

鑑定せよとな

 投稿者:正直屋太郎  投稿日:2012年 5月14日(月)00時35分21秒 proxybg008.docomo.ne.jp
返信・引用
  戒壇の大御本尊を鑑定せよと邪教創価員の言、   人本尊たる日蓮大聖人の御生命は法本尊たる大曼陀羅御本尊そのものである。仏様を鑑定せよとな、美術品や骨董品じゃあるまいし、どこまで落ちるか邪教創価学会。  

黒川殿

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 5月13日(日)17時10分55秒 softbank219205006025.bbtec.net
返信・引用
  >私は池田の死後10年以内に創価は数派に分裂すると考えております。してその兆候はネット上
>でもすでに見受けられ、創価員同士が互いに悪口を言いあっているのが現状であります。

年数の期限は別にして、創価学会は必ず分裂するでありましょう。

本より、其の分裂の起爆は、首魁・池田太作の死亡によってカウントされるのであります。

尚、現今、創価学会員同士の教学の解釈を含む言い争いについては、本より、創価学会には教義その
ものが存在していなかったのでありますから、我が興門正統から破門されし以降の後付教義によって、
会員一人一人の教義解釈が滅裂するは、もはや必然なのであります。

或る者は、二箇相承を偽書と云い、或る者は、本因妙抄・百六箇抄をして偽作と云い、又、或る者は
無名の作者が御義口伝を創作したと云い、又、或る者は、日蓮大聖人の出世の御本懐は、本門戒壇の
大御本尊に非ずして、其れは人の振舞であると云う。小笑。

此の支離滅裂、矛盾撞着(どうちゃく)の未熟なる教義判釈は、すべて本からして創価学会に教義教学
が存在していなかった決路であり、其の手前味噌、都合主義の教義解釈によって、前に言っていた事
と、今言っている事が、すべてチグハグとなるのであります。仍って、其れこそが邪宗の証しとなる
のであります。

>実際には、
>教義上の分裂
>財産の分捕り合戦
>上記から派生する公明党の分裂・・・、

>即ち池田の死後、池田の権力集中の力が分散され、骨肉の争いが生じ、徐々に影を潜めてゆくと
>みております。

少なからず、其れらの予想は的中すると思います。

尚、権力の集中については、当の池田太作は次の様にスピーチしておりました。

『いつしか、リーダーを自認する「豚」たちの手によって、何もかも決定されるようになっていた。
絶対的権力を握った彼は「ナポレオン」と名乗っていた。彼は「批判」を許さない。命令に従わない
者は、徹底的に迫害され、追放された。彼のやり方を疑うこと自体が不遜な悪とされるに至った。
「皆の幸せ」が目的であり、そのためのリーダーであった筈なのに、いつの間にか「リーダーの権威
と権力」が目的になってしまった。しかし、それでも、お人好しの、また無知の動物たちは、「豚」
たちを信じていた』

本より、この様な文体構成などは、池田太作本人の手によるものではない事は、彼のマッハロー発言
からして、容易に察する事が出来ますが、いずれにしても、上記スピーチの内容は、当時の日顕上人
に対して述べられた侮蔑文であります。

しかし、御歴代上人に対する尊信は、正統・富士門流に於ける七百年来の法義であり、権力もなにも、
其の絶対信の中に、富士門信徒としての正義が存在するのであります。要は、日顕上人が池田太作を
破門したから、其れが権力の行使だ、権威だと騒いだだけの事であり、其れこそは、御書講義の最中、
よそ見をしていた太夫阿闍梨日尊が、日興上人から大叱責されて破門されるを、当の日尊が日興上人
に対し「其の処断は権力の行使だ! 権威、権力の横暴だ!」と騒ぎ立てる事と同じなのであります。

其れよりも何よりも、上記スピーチでの「ナポレオン」とは、池田自身の事であり、彼のやり方を
疑うこと自体が不遜であり、悪であり、その命令に従わない者は、徹底的に糾弾され、追放され、
罵詈中傷されるのであります。そして、それでも気が付かない、お人良しの無知な動物とは、則ち、
現今の教義滅裂の創価学会員であり、其の無知な動物たちは、庶民の王者を自認する「大豚」を尊敬
しているのであります。ったく、天に唾して、その唾が己(おのれ)の顔面に落ちるとは、応に上記の
スピーチではないでしょうか。

尚、SGIの実質傘下である日本創価学会の会長職は、もはや「組合長」の位置付けであり、SGI
の会長職こそが、今後の『日蓮世界宗』に於ける最高職となるのであります。そして、前(さき)にも
申しましたが、其の最高職には、池田太作の長男坊、池田博正が就任するのであります。

『だいたい、宗教であるとか、思想・精神文化が世襲であるという事に根本的誤りがあります。
世襲制とは、一族、一家に権益をゆずる自己保身のためのものであり、物的財産を相続されるため
のものです。(中略) 宗教が世襲制であるならば、そのこと自体がすでに堕落であると言わねばなり
ません』

応に、秋谷城永氏の言う通りでありましょう。

尚、当方も、黒川殿が云われるとおり、次期SGI会長・池田博正などは、其の人的風貌からして
民衆(創価学会員)を牽引し、幾百万の無知な動物、いや失敬、無智な会員でさえ、博正への尊信は
保ち得ないでありましょう。

しかし、其れさえも払拭する最善の方策があります。

其れは、誰が創価学会の会長になろうとも、そして、日蓮世界宗の最高指導者が、池田博正になろう
とも、会員が日夜拝む御本尊の相貌に【池田大作】の名を入れ、又は、最終、池田太作書写の本尊を
無知な会員に拝ませる事によって、池田太作は、其れこそ永遠の指導者として、創価学会員から崇め
られるのであります。さすれば、北朝鮮の様に、父親の威厳そのままに、息子の権力が維持されるの
であります。

したがって、将来に於ける創価学会の分裂は、現今の日寛上人花押の偽本尊の維持か、其れとも池田
太作書写本尊の奉持か、其の何れかによる決定が、分裂の起因になるのではないか、と小生は思って
おります。

日蓮大聖人が曰く『心あらん人金をとらんとおぼさば、ふくろをすつる事なかれ。蓮(はちす)をあい
せば池をにくむ事なかれ』(新編 1584)

御文中「ふくろ」とは御本尊の事であり、「池」とは、法華を説く正師の事であります。

応に此の『人法一箇』『依法不依人』の深義こそ、我ら正宗信徒が持(たも)つ、信心の根幹でありま
しょう。

其れに引き替え、創価の世襲。最早そこに正義はなく「法」も「人」も存在しません。

まこと哀しい組織であります。
 

Re: 新興宗教の恥姿

 投稿者:黒川和雄  投稿日:2012年 5月13日(日)06時00分20秒 p7141-ipbfp4501osakakita.osaka.ocn.ne.jp
返信・引用
  > No.44200[元記事へ]

管理人さんへのお返事です。

興味あるところですね。何か北朝鮮のキムジョンウと重なりますね。


ただ北朝鮮の場合は絶対的な独裁体制であるため、そう簡単には崩れることは無いでしょうが、日本は言論の主張が認められた法治国家ですから北とはちょっと異なります。

池田博正、この人物、上から見ても下から見ても、左右両面から見ても大衆を強引するカリスマ性は皆無です。

私は池田の死後10年以内に創価は数派に分裂すると考えております。してその兆候はネット上でもすでに見受けられ、創価員同士が互いに悪口を言いあっているのが現状であります。

実際には、

教義上の分裂
財産の分捕り合戦

上記から派生する公明党の分裂・・・、

即ち池田の死後、池田の権力集中の力が分散され、骨肉の争いが生じ、徐々に影を潜めてゆくとみております。




 

新興宗教の恥姿

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 5月12日(土)18時44分51秒 softbank219205006025.bbtec.net
返信・引用
  さて昨今、創価学会を脱会したと噂(うさわ)される、元創価学会第五代会長、秋谷城永氏であるが、
其の秋谷氏は曾(かつ)て、明文書房からの再三なる創価学会に対する質問の中で、次の様に解答して
いた。

云く『だいたい、宗教であるとか、思想・精神文化が世襲であるという事に根本的誤りがあります。
世襲制とは、一族、一家に権益をゆずる自己保身のためのものであり、物的財産を相続されるため
のものです。(中略) 宗教が世襲制であるならば、そのこと自体がすでに堕落であると言わねばなり
ません。(中略) 新興宗教である立正佼成会は最近世襲制を定めましたが、これも財産相続が目当て
であり、騙されている人々はまことに不幸のかぎりと言うほかはありません』

又云く『しかるに立正佼成会は庭野日敬の後継者に子息を擬し、メシヤ教は岡田茂吉からその妻へ、
PL教では御木徳一から子息の御木徳近へという様に、かわいそうな信者から取り上げた財産を、
私有財産として子息や妻にゆずっていくという姿は、まこと邪道と言わざるをえません』と。

                            【創価学会に関する48問答より】


本より此の解答は、それ以降の破門とはまったく関係の無い、創価学会自身に於ける正式な解答で
あるから、現創価の外道信者が自らの変節に対して口を揃えて言う処(ところ)の『世辞』でも『虚言』
でもない事は明らかである。其の意味に於いて、上記の秋谷氏の解答は、今日に於いても重要なもの
である。しかも、此の解答は、恩師戸田先生の七回忌の折に示されたものであるから、本人からして
当然に真実を述べたものである。

して、現在の創価学会であるが、今や創価学会は、実質SGI(創価学会インターナショナル)の日本
組織であり、本よりSGIの会長は池田太作であるから、其の傘下となる日本創価学会の会長がどう
であれ、池田会長率いるSGIの規範こそが、日本創価学会の全てと成るのである。

本より、首魁・池田太作の寿命は、其の身口意の姿からして、既に尽きてはおるが、其の池田亡き後、
日本創価学会を傘下に持つ、SGIの次期会長は、当然の事として、池田太作の長男・博正が就くの
である。『いや、其れは絶対に有り得ない』と断言できる学会員が居るならば、当室に来て戴こう。
本より、来られる訳がない。

さて、SGIの次期会長が、池田太作の息子となれば、云うまでも無く、其れは『世襲』であるから、
前(さき)に秋谷氏が述べた様に、其の姿こそは保身であり邪道であり、応に新興宗教と同じ姿という
事になる。哀。

尚、我が日蓮正宗では、管長職(大石寺住職)に於いて、其の管長の子息が、自動的に次期管長となる、
所謂『世襲制』というものは存在しない。又、一般の既成仏教が如き、何十年も務めた寺の住職が、
そろそろ引退と、自分の息子に寺を継がせるような事もない。つまり、世襲による寺院の私的相続も
法度である。仍って、短期間で寺院の住職が交代する場合もあるのである。

果たして、小生が創価学会から脱会せんとする時、引き留めに来た県幹部の一人が「学会が世襲制を
採ったらならば、自分も考える』と言っていたが、愈々(いよいよ)、そういう場面が近づきつつある。

また、逆に言えば、SGI会長の池田太作が、SGI副会長の長男博正に会長職を譲っても、其れを
平然と見過ごし、又は受け入れる会員などは、其れこそ小生の脱会を引き留めた県男子部の幹部より、
幾千倍も性根が腐っている、という事になるのである。

そう云えば、玄関の扉に挟まれていた『幸福の科学』のパンフレットを見てみたが、そこには創始者・
大川隆法の長男、大川宏洋(幸福の科学理事長・23歳)と、次男、大川真輝(幸福の科学総裁室助手・
19歳)が、大川隆法総指揮による「ファイナル・ジャッジメント」なる未来予言映画について対話して
いる様子が載っているが、いやはや何とも、長男と次男が、親父の指揮する映画を讃嘆するなどは、
紛れも無い新興宗教の姿である。

尚、大川隆法は、幸福の科学による政界進出について、其れに反対する妻の大川きょう子(副総裁)と
仲違いし、今以って離婚調停中であるが、何と大川隆法は、自分に楯突いた妻を教団から追放し、
今まで伝えて来た妻の過去世【愛と美の神(アフロディテー)⇒文殊菩薩⇒ナイチンゲール】などを、
自らの霊言によって【ルシファー(魔王)の妻⇒イエスを裏切ったユダ⇒鳥海山のカラス天狗】などと
改変したのである。

小笑。

そう云えば、池田太作に対して諌言した側近幹部を、次々と追放し、其の後に於いて【裏切り者・
ドブネズミ・畜生・毒蛇・泥棒野郎】などなど、あれやこれやと罵倒した、現創価学会とまったく
同じ業態ではないか。哀。ったく、親父、息子の世襲と云い、脱会者への侮蔑罵倒と云い、創価学会
も幸福の科学も、応に新興宗教の権化である!

思い返せば、長男・博正が、何やら父親の事を讃していたラジオ放送を聴いた様な気もするが。哀。

いずれにしても、聖教新聞の紙上に於いて、奥様だ、博正様だと、矢鱈記事にして褒めちぎるなどは、
エル・カンターレ(最高大霊)を尊崇する、新興宗教・幸福の科学と同類する、まことにふざけた恥姿
である!

創価の小会員よ! 誰でもよい!

自分は新興宗教の会員ではない、と断言できる者が居るなら名乗り出よ!

此の小生が、大叱責してしんぜよう!
 

Re: 黒川殿

 投稿者:黒川和雄  投稿日:2012年 5月10日(木)22時10分30秒 p7141-ipbfp4501osakakita.osaka.ocn.ne.jp
返信・引用 編集済
  管理人さんへのお返事です。


> 其々が別の道を往くは、黒川殿の折伏によって修正もされましょうが、大聖人の仏法を教えてくれた
> のは創価学会である、という彼の言葉には一理あります。

これに関しては私も友人に「確かに仏法を教えてくれたのは創価学会である。しかし創価を通して日蓮正宗の仏法を学んだのです。日蓮正宗創価学会とはそういうことだろう」と返事しておきました。


> 抑も、罵倒と叱責とは、其の質からして違うものでありますが、仮令(たとえ)相手の顔が見えずとも、
> 正義に則った叱責であれば、其れは実語として、必ず相手の心肝に届く事でありましょう。
> 『毒鼓の縁』とは、応に其の事をして云うのであります。おっと失礼。是れこそは釈迦に説法であり
> ました。

全く同感です。折伏とは対面、ネット等、所構わずであるとおもいます。


> 『本当の折伏』という定義が、何をもっての線引きであるのかは、其の状況によって色々とありま
> しょうが、旧知を知る仲での折伏であれば、其れこそが理想でありましょう。

そうですね、最初は私が法華講員であることを隠していましたが、あの人、この人、随分下種先をもらいましたよ。約2時間半でしたが、途中で「実は俺、法華講員だ・・」と言ったところ、別に驚きもせず、「あの人も法華講に行ったよ、この人も寺側に行ったよ…。組織の中であちこちに穴があいたよ・・。」これが正直な今の創価の現状だと思います。

今の創価員は破門により心に大きな穴が開いているな!と感じた次第です。聖教などでは大きなことを言っておりますが、末端の学会員は心に痛みがあるのは見逃せないでしょう。



> 但、当方としては、右翼の街宣車よろしく、法華講員が街頭で創価学会の云わば醜聞(スキャンダル)
> などを拡声器で訴える手法などは、賛成出来かねます。

これは同感です。いちどある掲示板で同じようなことが話題になった時がありました。当方は「やるのであれば日蓮正宗の名前を出すな。市民団体として公明党を批判するのはよいが、ニセ本尊・・・云々、宗教のことを路上で言うことはよくない、ましてや日蓮正宗の名前を以て創価を批判するのは賛成しかねる」と申しております。

以上ですが、これからも宜しく御指導のほどお願い申し上げます。

ところで「ほととぎす」さん、貴殿のこと知っておりました、アハハ。

 

黒川殿

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 5月10日(木)18時32分15秒 softbank219205006025.bbtec.net
返信・引用
  >お久しぶりですが、大月天様におかれましては、いかがお過ごしでしょうか?
>本年のゴールデン・ウイークは私に取りましては実に大型の連休でした。娘が現在東京に在住して
>いますので娘(れいな)のマンションに泊まり込み、旧知の友人宅を訪問したり食事をしたり、
>スカイツリーを見に行ったりと・・、楽しく多忙の日々でした。

其れは、とても良い日を過ごされました。

中には、九連休という方もあった様で、まこと羨ましい限りであります。

しかし、こういう連休も、過ぎてしまえば、あっと云う間です。

>しかし東京ってのは、大阪と異なりやはり首都を感じさせる場所ですね。大阪はまぁいえば、
>北【梅田】と南【難波】、それに天王寺といったところでしょうが、東京ってところは各山手線の
>駅が大阪の「南」といった感じです。・・・また人も多い!

やはり、何と言っても首都東京でありましょう。

まぁ、言ってみれば、大阪は豊臣であり、東京は徳川という事で、大政奉還後も、都は関西に成らず。
つまり、日本の中枢は須らく東京に移ったという事であります。

そして、其れに対する反骨が、大阪人の気概となったのであります。

したがって、大阪人のエネルギーは凄まじい。

>商人の街大阪、役人の街東京ってところでしょうかね。

応に其の通りでありましょう。

>学会員にも実に20年ぶりに会うことが出来ました。私は元杉並に住んでおり、その時の学会員
>諸氏にもお会いすることが出来ました。懐かしい!の一言です。
>私が法華講員になったことは誰も知りません。まぁ出てくるわ、出てくるは!!!!罰の現証!

そうでありますか。当方は年少の頃、練馬に住んでおりました。

其れにしても、当時の学会員に20年ぶりにお会いになるとは、其れも引き合わせでありましょう。

>「彼は(金城会=太作の身辺警護隊)のリーダーだったが、某大手企業から金をゆすり、学会除名
>処分になった」

「金城会」、、懐かしいですね。

当方が創価班一期生の頃、次は金城会の一員になるのだ、と密かに燃えておりました。小笑。

>「黒川さんは黒川さんの道を行ってくれ、俺は大聖人の仏法を教えてくれたのは、創価学会だと
>思う」

其々が別の道を往くは、黒川殿の折伏によって修正もされましょうが、大聖人の仏法を教えてくれた
のは創価学会である、という彼の言葉には一理あります。本より、当方の身も、恩師戸田先生率いる、
創価学会から折伏を受けて入信したのであり、それによって富士大石寺の正義に巡り合えたのであり
ます。しかし、破門となった以上、戸田門下生として、御山に忠誠を尽くすは当然の事であります。

>共に戦ったかつての同志であります。ネットでよく見る「罵倒合戦」の会話ではなく実に和やかに
>対話を進めることが出来ました。

抑も、罵倒と叱責とは、其の質からして違うものでありますが、仮令(たとえ)相手の顔が見えずとも、
正義に則った叱責であれば、其れは実語として、必ず相手の心肝に届く事でありましょう。
『毒鼓の縁』とは、応に其の事をして云うのであります。おっと失礼。是れこそは釈迦に説法であり
ました。

>やはり本当の折伏とは旧知を探し根気よく話を進めることに尽きるのではないか、と感じた次第
>です。

『本当の折伏』という定義が、何をもっての線引きであるのかは、其の状況によって色々とありま
しょうが、旧知を知る仲での折伏であれば、其れこそが理想でありましょう。

但、当方としては、右翼の街宣車よろしく、法華講員が街頭で創価学会の云わば醜聞(スキャンダル)
などを拡声器で訴える手法などは、賛成出来かねます。又、ものみの塔や、霊波の光の様に、軒並み
戸別訪問して、パンフレットを置いていく手法も、その訪問を受ける側からして、何とも新興宗教の
ようで、富士大石寺の威厳を下げる事にも成りかねません。やはり、己(おのれ)の知る人を折伏する
が第一であり、不特定多数への破折などは、駅前での街宣ではなく、この様な法論掲示板による折伏
こそが理想となるのであります。勿論、学会員の家と知って戸別に折伏するは、結構な事であります。

>旧知曰く、
>「最終的に創価学会が正しいか、宗門が正しいかの判断は現証だよ・・・」
>とのことでした。

>この言葉を鑑み思うことは「既に現証が出ているではないか!」ということです。
>しかし学会員は客観的には「現証」という言葉を理解しているのですが、「既に旧知の学会員に
>現証が出ているではないのか」ということに気が付いていない!!

人の現証は見えるとも、己(おのれ)への現実は見えぬものであります。

応に『三車火宅の譬え』の教えのとおりでありましょう。実に折伏とは、其れに示された「大白牛車」
に乗せる作業であります。

>この元金城会の知人、新聞沙汰になった事件であります。諸氏の話によりますと「今学会は事件
>など、訴訟事件を起こすと除名処分になる」とのことでした。

>これを聞いた私は、
>「創価という教団は何と無慈悲な教団であるのか、それでは人を救えないではないか! 宗門は
>例え刑事犯であろうとも信仰をする人を差別はしない!世法を重んじる創価、人を重んじる宗門」
>と感じた次第であります。この「元金城会のリーダー」、救ってあげたい!との思いで一杯です。

本より、訴訟事件を起こして除名処分と為すならば、今から遡って、当時の秋谷会長、青木代表役員、
原田副理事長(現会長)以下、六名の不法行為について、其の説明をすべきであります。『中枢幹部は
よいが、会員はダメ』というのでは話に成りません。まぁ、其れこそが創価学会のやり方でもありま
しょうが。哀。

>世法の制裁を重んじる創価、人を救うことを目的としている宗門!
>どちらに軍配が上がるかは、阿呆でも分かるでしょう。

同意であります。

尚、未だ未確定の話でありますが、秋谷元会長が脱会したという話、どうやら本当の様であります。

又、辻武寿(元副会長)氏が、先月亡くなったという話も聞きました。

して思えば、今残っている創価学会の大幹部は、皆、小者ばかりであり、石田次男元理事、竜年光元
参謀、竹入義勝元第九部隊幹部、星野義雄元第四部隊長(登山部長)、福島源次郎元青年部長、原島嵩
元教学部長、山崎正友元副理事長、そして最近では中西元総務、延いては秋谷城永元創価学会会長の
脱会までもが噂となっており、今や創価学会に残りし大幹部は、皆、イエスマンの佞人ばかりにて、
最早、其の行く末は、池田太作の長男率いる新興宗教の小者役人として、無智な会員を誑(たぶら)かし
て行くのであります。本より哀れなるは、平成以前からの残留会員であります。

尚、黒川殿には、今後とも、創価外道義への大破折を、対面のみならず、不特定多数の学会員に対し、
鋭意、呵責されます事を、此に期するものであります。

わざわざの御寄稿、有難う御座いました。
 

格の違い

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 5月10日(木)18時30分39秒 softbank219205006025.bbtec.net
返信・引用 編集済
  さて、幕末の土佐藩では、其の士族に於いて、厳格な差別が布(し)かれてた事は、よく知られている
所ではあるが、其の群像の中で、藩主の山内容堂、勤王党の武市半平太、そして脱藩した坂本竜馬な
どが、小生としては強烈な印象として残っている。

して、其れらの群星を輩出した土佐の高知の桂浜には、次の様な歌碑が自然石の側面に刻まれている。


    見よや見よ みな月のみの桂浜

      海のおもよりいづる月かげ


本より、此の歌こそは、明治の詩人、大町桂月(1869~1925)が詠みし歌である。

其の桂月は晩年、各地遠方にまで足を延ばし、其の足跡によって、北海道の大雪山系に於いては
『桂月山』という、彼の名にちなんだ山などがある。

又、桂月は与謝野晶子とも親交があり、其の与謝野晶子の才能には一目を置いていたと云う。

して、其の文豪が、或る寺院を評して、こう述べたと云う。


『大石寺を見ずして寺を語ることなかれ』と。


うむ。今にして応に桂月の云う通りであろう。

本より、現在の70ヘクタール(21万坪)にも及ばんとする曠大な寺領は、戦後の農地解放令により、
其の敷地の大半を失った後の面積であるから、其の当時からすれば、桂月の心肝を圧倒するは当然の
事であろう。因みに70ヘクタールとは、東京ドーム約15個分の面積である。

而して、桂月は、其の寺領の広さのみを感嘆して評したものではなかろう。

当時、大石寺内には16の塔中が建立されていた由。つまり、桂月は、其の大石寺境内の整然とした
偉容を感じ取ったが故に、上記の様な評論を残したのである。まして其の整然たる偉容が、霊峰富士
の美形を戴くともなれば、尚更(なおさら)の事である。

尚、創価外道の阿呆な小会員などが、明治7年から同18年まで、大石寺は荒寺であった、などと言
っておる様だが、16の塔中は、すでに明治3年から成っており、又、桂月が論評せしは、明治18
年(桂月が16歳)以降の事であるから、荒寺云々などは、的の外れた何時もの創価外道の醜弁に過ぎ
ないのである。哀笑。ったく、どうしようもない連中ではある。

して、富士大石寺に於いては、桂月が讃嘆した、其の偉容なる寺領もさる事ながら、もう一つ誇れる
ものがある。其れは『寺紋』である。

何故に誇れるか。例えば其れを、一致派身延の寺紋と比べてみよう。

云うまでも無く、我が日蓮正宗の寺紋は『三枚亀甲五三の桐』である。

本より「五三の桐」とは、天皇家の紋であり、「亀甲」は日興上人を表すものである。

して「鶴丸」は母君(梅菊女)の実家の家紋であるとも云われ、其れをして大聖人の御紋と為すならば、
応に『鶴と亀』をして万年の吉紋と相成るのである。

果たして『鶴』と『亀』、そして、日目上人の御紋が『松竹梅』ともなれば、応にこれ大吉の三紋と
成るのであり、『松竹梅』の『松』には『鶴』、そして『桐』には鳳凰が住む事からして、まこと、
縁起の良い寺紋となるのである。尚、平成新編日蓮大聖人御書の背表紙には『亀甲五三の桐』が刻印
されている。

さて、一致派身延の寺紋と云えば『井桁二橘』であるが、これは、大聖人の父君が貫名重忠であり、
其の貫名氏は、井伊氏の支流である所から、井伊家の家紋である『井桁に橘』を身延の寺紋にしたと
しているが、其の出目の経緯は明らかではない。其れよりも、徳川家康の四天王である井伊直政が、
日蓮宗に帰依した事が寺紋に繋がったという説が有力とも云われている。尚、一方で身延の定紋は
『牡丹』であるとも云うが、本より『井戸』と『橘(たちばな)』と『牡丹』では、其の組み合わせから
して、我が日蓮正宗の寺紋に敵(かな)うものではない。

さても、一致派にして、其れら地味な寺紋では敵わぬから、紫や赤や緑の袈裟を纏って呪文を唱える
とでも言うのであろうか。小笑。其れならば納得もしよう。小笑

兎も角、我が宗門が『五三の桐』であれば天皇家。身延が『井桁二橘』であれば井伊家である。

最早、其の差格は歴然ではないか。

江戸の歌集に云く『武家の身延に 公家の富士 石山禁裏の 御用達』と。

本より「石山」とは富士大石寺の事であり「禁裏」とは、天皇が住む宮中の事である。

而して、富士大石寺の黒門こそは、天皇勅許の証しである。

そう云えば、本門戒壇の大御本尊を御格護奉る、奉安堂の竣工式祝賀会に於いては、昭和天皇の
御皇孫である、東久邇信彦王が御臨席して祝賀を述べられ、徳川慶喜公の直孫、徳川康久氏が乾杯の
御発声を執り、四條家、近衛家からも御縁戚が出席され、又、加賀前田家十八代当主・前田利祐氏
からは祝電も届いたる由。

はてさて、外道バラモンから表彰を受けて満悦する、何処(どこ)ぞの新興教団のお偉いさんとは、
其の意義からして大違いの様相である。応に格式とは此の事を指して云うのであろう。

恩師が云く『だから、身延には広宣流布する資格がないということが、はじめからわかっている。
ましてや、この頃できたてのニセ日蓮宗などはあるわけがない』と。

本より『この頃できたての偽日蓮宗』とは、池田太作が作った『日蓮世界宗』も含まれるのであり、
恩師からして、其れらは『ニセモノ』であるから、拝む本尊も『ニセモノ』と成るのである。

重ねて云く『大石寺を見ずして寺を語ることなかれ』と。

最早、お前ら創価外道に於いて語れるものは、池田の勲章と表彰状しかないのであろう。
応に其れこそは、身延の高僧が身に纏う色袈裟の其れと同じ発想ではないのか。少しは『恥』という
ものを知りなさい。

何、語れるものがある、とな。何、其れは八百万世帯の陣容である、とな。

鼻笑。其の様なモノ、我らからして自慢にもなりはせんぞ。

日蓮大聖人が曰く『世間・出世善き者は乏しく悪き者は多き事眼前なり。然れば何ぞ強(あなが)ちに
少なきをおろかにして多きを詮とするや。土沙は多けれども米穀は希(まれ)なり。木皮は充満すれど
も布絹は些少(さしょう)なり。汝正理を以て前(さき)とすべし。別して人の多きを以て本とすること
なかれ』と。(新編 402)

哀。

邪義に対する諌言者を排除し、其れらを裏切り者として罵倒する洗脳組織に、何の数が在ろうや。
其の様なモノは、すべて烏合の衆である。仍って、大聖人は正理を以て前(さき)とすべし、と御教示
されたのである。

所詮、三色アヒルの子は三色アヒルであり、其れこそは、身延の『牡丹』と同じものであろう。

本より其の正理からして『鶴』と『五三の桐』には敵わないのである。
 

創価の公式見解から外れた沖浦某を笑う!

 投稿者:黒川和雄  投稿日:2012年 5月10日(木)18時27分6秒 p7141-ipbfp4501osakakita.osaka.ocn.ne.jp
返信・引用
  ttp://6730.teacup.com/tasakuikeda/bbs/1836

昨今の沖浦某を含むノ~タリンが戒壇様を否定しているが、ニセ本尊発布を発表した平成5年9月8日の聖教新聞にはこうある。

「本門戒壇の大御本尊以外にはありえない」
(日蓮正宗改革同盟・青年僧侶改革同盟 決議文)

この決議文は理事会で承認されたものであり、当然池田太作が承認したものである。

沖浦某を含む阿呆な創価員はそれを忘れ、チンタラホイタラ言っているだけだ。



 

【論窮・論敗・そして追放までの経緯】⑪

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 5月10日(木)18時20分42秒 softbank219205006025.bbtec.net
返信・引用
  お主はやはり駄目だ。呆。

話にならん。

凡(およ)そ、お主の面(ツラ)は、カエルなのであろう。哀笑。

さても、恥知らずとは此の事か。呆。

兎も角、本日今より当室からの永久追放を決しよう。

思えば、一度遮断したお主からの投稿を、再び解除した小生の判断が間違っておった。

其れにしても、此の者が記(しる)す文言には、周囲の状況を修羅喧噪に変えてしまう魔力がある。

此れこそは、悪鬼が成せる業(わざ)であろう。

さても此の様な者と、雑談しながら飯を食らうとは情けない。

一闡提人。当に此れ以上の悪知識はあるまいて。

法華経に云く『悪知識を捨てて、善友に親近するを見ん。是(かく)の如き人に、乃(すなわ)ち為に法を
説くべし』と。

応に「親近」とは、自ら好んで近づくを云う。ならば善知識こそを撰ぶべし。

最早、お主に用はない。

***************************************************************************

※以後、当室より追放となる。


沖浦殿

よいか、皆が忘れた頃を見計らって、同じような愚問を繰り返すなどは、詐欺師が各地を転々して、
初耳の連中を騙す魂胆と同じであるぞ。少しは身を慎みなさい。

尚、日亨上人は、本門戒壇の大御本尊について、明確に日蓮大聖人出世の御本懐である、と明言され
ている。

曰く『大聖人は、興上弘教の熱誠を賞し、その功績の重大なるに伴いて、法難の熾烈なるは、実に
末法怨敵の当鉾(とうむ)なりと謂えども、是れ全く日蓮出世の本懐満足の画期として、是れを記念する
ために弘安二年十月十二日に、本門戒壇の大御本尊を興上(日興上人)に親付し、万年広布流溢の時、
大戒壇に安置すべく堅牢の楠板に書写せられたり』と。 (富士日興上人詳伝・上159P)

>堀上人が、
>戒壇本尊ご図顕は直接の出世の本懐ではない。
>こう言う意味の発言をしていますね。
>然しながら彼は、では出世の本懐が具体的に何であるか?は述べていません。

哀笑。相変わらずであるよな。

兎も角、お主には大量の宿題が課せられているのであるから、当室に無断で入る時は、先ずは其の
宿題を済ませてからにしなさい。

よろしいか。
 

【論窮・論敗・そして追放までの経緯】⑩

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 5月10日(木)18時19分45秒 softbank219205006025.bbtec.net
返信・引用
  沖浦殿

しかし、お主という奴は、本当にどうしようもない奴であるよな。呆。

>悲鳴上がってますね・・・・・・
>私が御書引用してキチンと書いているのに比較して、大月天さんは御書の欠片も出せません。
>負けた姿です。

何なのだ、これは。

今までの対論の中で、お主は其の一切について回答出来ずに論敗したのである。つまり、お主の論は
破綻したのである。いや、本からして珍論であるから、破綻するのは当たり前であるが、其の後も、
あれやこれやと、言い訳がましく文句を連ねておる。呆。

よいか。お主の姑息な処(ところ)は、返答も出来ずに論敗した事を棚に上げて、次から次へと文句を
拡げ、恰(あたか)も相互の対論が未だ継続しているかの様に装うことにある。つまりは体裁の維持と
いう事である。沖浦殿。姑息ではないか。

小生はお主に対して、四項の詰問を提示した。本より其れは、お主が論じた事についての詰問である。
しかし、お主は其の提示された詰問について、何度も催促をされながら、一切答えていないのである。
仍って、小生はお主の論が破綻したと結論し、其の後の対論を止めたのである。

ったく、そういう状況の中で、次から次と足した様な文句をベタ貼りして、挙句には『悲鳴上がって
ますね・・・・・・私が御書引用してキチンと書いているのに比較して、大月天さんは御書の欠片も
出せません。負けた姿です』などと云い、平然と閲覧者の目を誤魔化そうとしておる。呆。

よいか。沖浦殿。お主は論敗したのである。そして、論敗者と成ったのである。
仍って小生は、当室管理人として、其れ以降のお主に対して、それなりの対応をしているのである。
つまり、小生がお主の後付文句に御書を引用しないと云うのは、沖浦克治という論敗者に、今更御書
を示そうとも詮無きこと、そして論敗以降の、お主の其の姑息な行為を見るにつけ、お主などは御書
を提示し論説するに値しない人間であるとの認識に於いて、小生は御書を引かないのである。加えて、
此の事は、御宗門の御歴々が、お主の他愛のない珍問に、一言も返さない事に同じくするものである。

小笑。果たして、其のような事も解からずに『腰抜けだ、私には絶対勝てない』などと大口を叩いて
いるお主の姿などは、小生からして、本当に情けなくなってくる。哀。

しかも、己(おのれ)の矛盾極まりない自己撞着(どうちゃく)を余所(よそ)にして『嘘つきは、駄目!!』
などと…。呆。

何でお主はそうなのだ。何でお主は、其の様に自己の文に偽ってまで、周囲の体裁を気にするのだ。

格好をつけるのもいい加減にしなさい!

まこと、云いにくい事であるが、正直言って、お主の其の人間性に問題がある。本よりこれは性分で
あるから、到底、変えられようも無いが、其の規制と秩序と同調を嫌うような、自己中心的、且つ、
自己暗示的な思惟発想などは、青年期(抑圧期)から培われたナルシズム(自己愛)が齎(もたら)すもので
あって、其の後、愈々(いよいよ)高揚し、遂には自分こそが御本尊である、との暗示的結論に達した
のである。

本より、其のような者が示す御書の解釈などは、抑もが自己解釈であり、其の目的こそは自己陶酔に
ある。しかも、其の自己陶酔は、相手の良好な反応を以って倍増するのである。だからこそお主は、
其の快感を求めて、其れらの陶酔論(珍論)を吐き散らかすのである。従って、其れが満たされない時、
つまり、相手からの反応が無い時、お主は、其の雑言を以って、再び、其の自己愛に浸るのである。

さても、上記の事柄、つまりは、お主の人間性について、あれこそれと言うべき必要もない事までも、
小生のみならず、其れが他所他板に於いて言われているとすれば、まこと、前(さき)にも申したが、
間違いなく、お主の其の人間性に問題があるという事になる。

気を付けられよ、沖浦殿。

己(おのれ)の身の臭いは、己には判らずという。

今更、頑陋なお主には、何を言っても焼け石に水であろうが、人様を『臆病者』呼ばわりする前に、
先ずは、己(おのれ)の其の醜態を省みなさい。そして、自己発想の珍論解釈ではなく、しっかと教義
教説に則った論説を以って、我ら富士門の宗義にモノを申しなさい。よろしいか。

尚、どうしても、論敗者というレッテルが許せないのであれば、小生が前(さき)に提示した詰問五項、
及び前回から放置されている詰問四項について、須らく回答して貰わねばならん。又、其れが論敗者
としての礼儀であり、其の論敗者にして、レッテルを剥がす機会ともなるのである。

よろしいか。今より以降、次から次のベタ貼りは、論敗者の遠吠えと理解すべし。そして其れこそは、
自己愛の欲求と理解すべし。

尚、重ねて忠告するが、当室に於いて自慢話は御法度である。何度も言わすでない。

其れとも何か。わざと当室の規則に逆らって、管理人からの追放を誘い、対論を遮ったのは管理人と
自板で披瀝するとでも云うか。呆。まぁ、其れでもよいが、お主にとって、これ以上の投稿口を狭め
るは、其れこそ自己顕示の発散場所が、又一つ無くなってしまう、という事にもなるのである。

其れでは、己(おのれ)の欲求も満たされないであろう。

前(さき)にも申したが『規制』と『秩序』そして『同調』。

これこそがお主のキーワードである。少しは慎みなさい。
 

【論窮・論敗・そして追放までの経緯】⑨

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 5月10日(木)18時18分48秒 softbank219205006025.bbtec.net
返信・引用
  おいおい、今更何をゴチャゴチャ言っているのだ。哀。

さてはお主、「論敗者」と言われて憤慨しておるな。哀笑。

しかしな沖浦殿。

小生は何も、対論の結果のみを以って、お主を論敗者と呼んでいるのではないぞ。

其の決着せし内容、つまり、小生からの詰問に対して不答(答えられなかった事実)、そして又、
不明(解からなかった事実)であったにも拘わらず、今になって『私は笑い飛ばして無視します』
『束になっても私一人に勝てません』どと、後付けの強がりを申すから、小生はお主の其の姿勢に
対して『論敗者』と呼名したのである。

よろしいか。本当の敗者とは、其の性根にこそ在る、という事を学びなさい。

>エミョウと、貴方方の宗門の邪儀破折班に、実名で公開法論を要請して数年間、まったく回答すら
>ありません。腰抜けですよ、連中は。

小笑。其れはお主こそが宗門から一笑のもとに無視された証拠である。哀笑。

先ずは相手にされるか、されないか。其の部分から検討しなければ、質問⇒不答、が即、論敗の証
とはならないのである。だが、小生とお主は違う。小生はお主を相手にして対論し、そしてお主は
論詰まりとなった。しかも今になって『私は笑い飛ばして無視します』などと強がりを見せたから、
正真正銘、お主は論敗者と成ったのである。

まぁ、よく考えてみれば、創価学会員の身でありながら、日蓮大聖人出世の御本懐も解からず、
しかも、根幹たる御本尊を指して『仏法ではない』などと珍論を吐く者に、富士大石寺の御歴々が
相手するわけもなく、其れをして『腰抜け』と侮言するは、まことお主こそが身の程知らずである。

『匹夫の勇、一人に敵するものなり』と。

先ずは、小生が張る論陣を突破しなさい。よろしいか。

>旗印も、剣も道具ですよ。
>大聖人はご本尊を、法華弘通の道具、法華経の道具、明快に定義づけておられます。
>誰がどう読んでも、広宣流布のための道具です。
>これが違う読み方があるなら、文法上の説明をきちんとせねばなりません。

哀笑。何とも情けない言い様ではある。

果たして『法華経の道具は仏法とは言えない』とは、応にお主のセリフではないのか。

して、其の仏法とは言えない法華経の道具を、日蓮大聖人が定義づけた、なとど、お主は一体何者で
あるのか。少しは恥を知りなさい。
 

【論窮・論敗・そして追放までの経緯】⑧

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 5月10日(木)18時17分57秒 softbank219205006025.bbtec.net
返信・引用
  >私は、戒壇本尊本懐など、笑い飛ばして無視します

おいおい、先ずは笑い飛ばす前に、小生からの詰問に答えるべきであろう。

第一、出世の御本懐が何なのか、さっぱり解からなかった御仁が、其の詳細について笑い飛ばす事
など出来よう筈もないではないか。呆笑。

大丈夫か? 其の頭。

>双方がその立場であることを認めないと、会話にはなりません。

何度でも云うが、お主との決着はもう付いておる。

>貴方方、日蓮正宗の方の弱点は、
>自分が信じるから他人も信じろ。
>これですね。

日蓮大聖人曰く『行学の二道をはげみ候べし。行学絶へなば仏法はあるべからず。我もいたし人をも
教化候へ。行学は信心よりをこるべく候。力あらば一文一句たりともかたらせ給ふべし』と。

はて、此の御金言どおりに実践する事が何故に弱点なのか。つまりは此の御金言は、其の弱点を奨め
る御金言であるのか。

小笑。相も変わらず滅茶苦茶な事を言いよる。呆笑。

>私は違います。
>現実生活の功徳で、実証勝負致しましょう。
>こう言う行き方です。

哀笑。自慢話で広宣流布か。つまり、お主がもしや癌になって、余命三ヶ月と言われたら、自慢話の
広宣流布は、もう其れでお終いと云ふ事か。哀笑。儚(はかな)いのぉ…。

>何故、貴方方、戒壇本尊本懐論を、他宗の方々に押し付けますか?

おいおい、いくら論敗したからと言って、今更「押し付けられた」はないであろう。哀笑。

>そう言うことは、自分たちで納得して信じてればいいじゃないですか。

何だ。又しても「カラスの勝手でしょ」であるか。哀笑。

お主はもう少し『弘教』というものを勉強しなさい。哀笑。


>経文やご本尊は、仏法そのものではありません。
>他人に仏法やらせる、便利な道具です。

哀。

上記の事、お主は譬喩で言っているのか、其れとも本心で言っているのか。

もし譬喩で申しているのであれば、お主の感性はゼロである。

してもし、本心で申しておるなら、お主は一闡提人である。

いや、もう一つ、わざと其の様に言っているとなれば、お主こそは単なる愉快犯である。怒。

>魂の件も同じです。
>魂ほんとに抜けたら死にますよ。
>大聖人はその後もお元気でした。
>ですので、あれはものの表現です。

小笑。つまり一球入魂で投げた投手は死んでしまう、という事か。そして、其の一球に魂を込めて
投げるとは、単なる表現なのか。哀笑。

お主の様な可見に執着した外道信者などは、創価学会広しと雖(いえど)も、そう居らんぞ。哀。

よい話をしてしんぜよう。

あるベテラン捕手が投手の球を受けた時、その投手の心の叫びが瞬時に解かると言う。もちろん、
球などに其れを伝える口などは無い。しかし捕手には其れが伝わると言う。又、その事をして投手は
己(おのれ)の燃え滾(たぎ)る命を、其の一球に込めるともいう。応に其れこそは一球入魂の事を指す
ものであろう。

果たして、お主の珍論からすれば、この後、投手は死んでしまう事になる。哀笑。

さても大丈夫か? 其の頭…。

仍って、

>そう言う道理弁えてかかないから(ママ)、身延に負け続けるのです。

とは、こっちのセリフである。

>鏡見て身繕いするでしょう。
>でも、貴方も私も鏡の外です。
>同じです。
>御本尊に、唱題しても、私共の歓喜は私どもの命から湧き出します。
>御本尊は全く変化しません。

お主、鏡には裏と表があるのを知っておるか。哀笑。

言って置くが、お主は鏡を裏返しに持っておる。呆笑。

>一切衆生のいない所に仏も菩薩も出現致しません。
>何故なら、仏も菩薩も、私共と全く同じ人間だからです。

おいおい、お主にとって仏とは、単なる道具なのであろう。
果たして、其の道具が、私共と全く同じ人間とは、つまり、お主からして仏菩薩は奴隷という事か。
して、仏が道具なのではなく、御板・紙幅の御本尊が道具である、というならば、一体、道具でない
仏は何処(どこ)に行ってしまったのだ。

ったく、滅茶苦茶な事を言う御仁ではある。呆。

ところで沖浦殿。

小生前(さき)にも申したが、お主は今尚、飽きもせず、上記のような珍論を貼りつけておるが、其れ
こそは撒き餌よろしく、我らがお主の珍論にコメントするを愉(たの)しんでいるのではあるまいな。

もし、そうであれば許さんぞ。

其れにしても、言いたい放題の迷論珍論。

もはや開いた口が塞がらん。呆笑。
 

【論窮・論敗・そして追放までの経緯】⑦

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 5月10日(木)18時16分52秒 softbank219205006025.bbtec.net
返信・引用
  やはりお主は駄目であるな。

見れば、過去からの我見が高じて、今や、創価学会の教義教学を足で踏みつけながら、自義珍論の
ばら撒きなどを、組織の無関心、又は其の放任を良い事にして、好き放題にやっておるが、沖浦殿、
そういうお主の我義珍論などは、本より、現創価学会の教学自体が俄(にわか)造りの外道教義だと云
うに、其の尻肉から生まれたお主の様な己義珍説などは、到底、我ら富士門の教学からして、まさに
出鱈目(デタラメ)、支離滅裂、撞着(どうちゃく)矛盾極まりない、其れこそ鼻屎(はなくそ)にこびり
付いた鼻毛にも劣る、応に珍義発想の自己陶酔でしかないのである。よいか。先ずはすぐにでも、
鼻屎に戻りなさい。小生から言わせれば、鼻屎の創価教義の方が、何倍もお主の鼻毛珍義より勝れて
おる。沖浦殿、ここまで云われたらもうお終いであるぞ。哀。

尚、見れば、真面(まとも)な回答も寄こさずに、体裁ぶった断末魔を空しく打ち込んでおるが、
抑も熱原の法難というものは、弘安元年末とも云われる、熱原市庭寺(いちばじ)の信徒百姓等への、
長崎次郎兵衛尉などによる馬上から襲撃が、其の暗雲の始まりとも云われ、弘安二年四月八日の浅間
神社、流鏑馬(やぶさめ)の神事雑踏の中での法華行人・四郎男への刃傷、そして八月の弥四郎斬首と、
其の熱原法華衆への弾圧は、其の熾烈を増して、弘安二年九月二十一日の大法難に至るのである。

そして遂に日蓮大聖人は、其の翌月の十月一日に於いて、其の重大なる時を鑑みて、末法の御本仏と
しての御本懐に至るを宣言されるのである。尚、本門戒壇の大御本尊の十月十二日と、熱原三人衆の
殉教日については、其の一致を求める事自体が信者・批判者ともの願望であり、熱原の法難より五年
をして御誕生された、日道上人御伝土代による『その時』とは、応に其の斬首の同日同時を以て意味
するものに非ず、それら熱原信者の熱烈な信仰と、其の弾圧にも耐え抜いた、応に日蓮門徒衆の円熟
なる信心を感得された、応に『その時』を感じたる意味での申し様なのである。

尚、熱原三人衆の斬首については、弘安二年十月十五日と、翌三年四月八日の両説がある。

又、本門戒壇の大御本尊の十二日とは、伊豆流罪の十二日、そして佐渡配流の十二日と、其の両日を
して重なるものであり、応に其の十二日を、熱原宗徒の法難を契機として、将来の本門戒壇に御安置
さる大御本尊に御刻印されたものと、小生として恐れながら御拝察するものである。

其れにしても、日蓮大聖人の御本懐が、未だ解からぬとは恐れ入った。それでよくも、日蓮門徒が
勤まるものである。哀笑。

さて、沖浦殿。

お主は、これにて論敗者となった。これで二度目である。

見れば、日寛上人への侮蔑に対する、小生からの詰問に対し、お得意の『内部規定』を口走り、其れ
こそ『お互いの勝手』と白を切る、其のお主の逃げ口上などは、もう何回も聞いて、いや何回も見て
其れこそ、目にタコが出来るほどである。

沖浦殿。少しは恥じ入る、という事を覚えなさい。

歳を重ねての頑迷は、周囲から覩(み)て、あまり良いものではない。まして、己(おのれ)が所属する
宗教の教義を、其れこそ唾するが如き言動を重ねるは、信仰者として、余り褒められたものではない。
そうは思わぬか。

さても、此の様に対論の主意以外の、其れこそお主の人間性にまで論を及ばせるは、実に小生として、
同情に耐えないからである。果たして其の意味、理解できるよな。

尚、これにてお主との対論は、其の珍論破折の成果を以って終える事とするが、今回に於いては、
お主を追放とはしないから、当室に於て其の珍論珍説などを披露していきなさい。小生ではなくとも、
他の法華講員同志が、そして又、お主と同じ創価学会員が、お主の其の珍論珍説に対して、厳しい
鉄槌を下してくれよう。そして、其の度重なる敗論の中で、お主が少しでも、其の頑陋な自己世界
から覚醒される事を、当室管理人として此に期待するものである。

尚言って置くが、今後、小生と論ずるに於いては、前回追放時の不回答四項、そして今回の五頁の、
計九項目の詰問に対して、須らく回答して貰わねばならん。又、其れが論敗者としての礼儀であろう。

次から次のベタ貼りは、単なる批判と心得るべし。

以上である。
 

【論窮・論敗・そして追放までの経緯】⑥

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 5月10日(木)18時15分36秒 softbank219205006025.bbtec.net
返信・引用
  お主、小生からの詰問に一切答えておらんではないか。

日蓮大聖人出世の御本懐とは何か。そして、其の宣示はいつ為されたか、お主は其れに答えなさい。

加えて、

「戒壇本尊本懐論は、寛師がねつ造した、邪義なんです」とお主申した。

したがって、小生は二十二世・日俊上人の御文を引いて、其の捏造こそを糺した。

其れに対する返答を、とぼけないで寄こしなさい。

よいか。お主がぐすぐすと返答を渋っておると、これ以上、話が進まんのである。

>①全てのご本尊がご本懐と言う理論もありうる。
>この場合は、ご本懐は図顕されたご本尊そのものでは無く、ご図顕と言う行為そのものである。

おいおい、日蓮大聖人出世の御本懐が、御図顕された御本尊にはなく、其のすべての御本尊御図顕と
いう行為が出世の御本懐であるとは、哀笑。お主、それ以上、己(おのれ)の墓穴を掘ってよいのか。

ならば訊こう。

果たして、お主の物言いからすれば、日蓮大聖人が御図顕されし後の、其の御本尊に於いて御本懐の
意義は存在しないという事になる。つまり、御図顕という出世の御本懐を遂げられし後の御本尊は、
其の時点で出世の御本懐でなくなる、という事になる。ならば、御図顕後に御安置された御本尊は、
日蓮大聖人からして、一体何なのだ。其れを申せ。

よいか。日蓮大聖人に於ける御本尊御図顕・御建立とは、其の御図顕されし事と、其の御図顕されし
御相貌と、そして、其の御図顕されし時と対告を以って、それぞれの真義を見ていかねばならないの
である。仍って一往は、阿仏房に授与されし一機一縁の御本尊も、日蓮大聖人からして御本懐である。
而して、其の再往に於いては、御顕発される其の大儀と、其れに御示しさる御相貌と、其の授与さる
対告によって、御本懐の真義が示されるのである。


>②全てのご本尊がご本懐でないと言う論も成り立つ。

小笑。ならば、日蓮大聖人の出世の御本懐とは、一体何なのか。其れを申せ。

尚、言って置くが、小生は推察と願望でモノを申しているのではない。

お主が言った事に対して、其の矛盾と、其の珍論に対して、しかも其の道理に基づいて摧破している
のである。つまり『すべてのご本尊がご図顕の度に御書に書かれていません』と小生の詰問を受けて
其れを認めながら、其の口も乾かぬうちから『御書に記載がない戒壇本尊が、大聖人と同じ時代に
存在したかどうかは不確定である』などと舌を裏返す。しかも前(さき)に『戒壇本尊は紛れもなく
大聖人ご図顕のご本尊』と小生に曰(のたま)った御仁がである。

果たして一体、これの何処が推察と願望の物言いであるのか。

少しは、己(おのれ)の記述に責任を持ちなさい。そして、其の滅茶な論理を恥じなさい。

思ふに普段の者であれば、これ以上の論窮に耐えられず、赤面して遁走するか、又は、素直な意志を
以って其の浅識と誤謬を認めるか。其のいずれかであろう。

而して、お主は、其の頑陋にして鉄面皮の其れであるから、小生からの詰問に対して其れを無視し、
又はとぼけて、次から次へと思いついた珍論をベタ貼りしていくのである。

よいか。ここで小生からの詰問をまとめておくから、一項づつ返答しなさい。

余計な屁理屈はもう要らんぞ。よろしいか。

一、日蓮大聖人出世の御本懐とは何か。そして、其の宣示はいつ為されたか。
  お主は其れに答えなさい。

二、御図顕という出世の御本懐を遂げられし後の御本尊は、其の時点で出世の御本懐でなくなる、
  というならば、御図顕後に御安置された御本尊は、日蓮大聖人からして一体何なのか。
  お主は其れに答えなさい。

三、全てのご本尊がご本懐でないというならば、日蓮大聖人の出世の御本懐とは、一体何なのか。
  お主は其れに答えなさい。

四、戒壇本尊本懐論は、寛師がねつ造した邪義というならば、二十二世・日俊上人の御文、
  『此の三大秘法は何者ぞや、本門の本尊とは当寺戒壇の板本尊にあらずや (中略) 此の如く蓮祖
      御出世の本体三大秘法の御座す寺なる故に』【延宝八年(1680年)】(歴全3-103)という義を、
  どう釈するか。尚、此の時に於いて日寛上人はまだ十五歳である。お主は其れに答えなさい。

五、『御書に記載がない戒壇本尊が、大聖人と同じ時代に存在したかどうかは不確定である』という
   結論と『戒壇本尊は紛れもなく大聖人ご図顕のご本尊』と小生に曰(のたま)った結論の、其の
   矛盾を説明しなさい。そして、今にして一方を選択するのであれば、もう一方の結論について、
   お主は其の誤謬を認めなさい。


以上、五項である。

よいか。これでなくとも、お主が当室から追放されし時の不回答が、上記以外に四項あり、其の他、
一々の質疑を含めれば、両の指の五倍はあるのである。

少しは真っ当に答えなさい。尚、次回投稿で誠意ある回答がない場合は、お主の論敗、つまりは、
論理の破綻を認めた事とし、当室は其れを以って決着と為す。


【余記】


『戒壇様本懐論などが出てくるんです。あれね、ギャグの世界です』

哀笑。覚えておるか。曾(かつ)て、お主が小生に言った文句である。

しかし、今にして見ても、とんでもない言い草であるよな。

つまりは、日蓮大聖人出世の御本懐たる、本門戒壇の大御本尊を御迎えするに、当時の創価学会員が
其の純真なる信心のもと、其の総出を以って正本堂の建立に勤しんだは、其のギャグを安置する為に
勤しんだという事か。

まったく以って、侮蔑なる表現である。お主、其れでよくも創価学会員で居られるよな。

よいか、人と云うものは、其の繰り返す思考と体験が、其れこそ年輪の様に重なり合って、其の人格
なりが形成されていくのである。そして、其れに依って、相手の言動、文字の表記、又は其の動向を
以って、対する相手を見据える事が出来るのである。

お主、大丈夫か。人に対して揶揄する性根が肝に巣食っておらぬか。そして、富財栄誉のみを以って、
その者の価値を計らんとしておらぬか。そして自分こそが根本尊崇たる本尊なりと自惚れておらぬか。

正々堂々、己(おのれ)の正義信条を確信するならば、須らく上記各項の詰問に答えるべし!!

もう後は無いぞ。
 

【論窮・論敗・そして追放までの経緯】⑤

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 5月10日(木)18時14分20秒 softbank219205006025.bbtec.net
返信・引用
  >戒壇本尊が本懐であるなら、大聖人が明示なさいますよ。

だから、御本尊の御顕発について、其の一切を日蓮大聖人は御書には記(しる)されていないのである。
其の事はお主自身が認めている事ではないか。だから、小生は、それら御顕発の詳細が諸御書に示さ
れていないのであるから、出世の御本懐を以って御顕発されたる御本尊とは、応に日蓮大聖人が其の
御本懐を宣示されし時を以って、其の御本尊としての大証が成ると申しているのである。

だから、小生は、お主に対して、日蓮大聖人出世の御本懐とは何か。そして、其の宣示はいつ為され
たか、と詰問しているのである。お主は其れに答えなさい。

日亨上人に曰く『大聖人は、興上弘教の熱誠を賞し、その功績の重大なるに伴いて、法難の熾烈なる
は、実に末法怨敵の当鉾(とうむ)なりと謂えども、是れ全く日蓮出世の本懐満足の画期として、是れ
を記念するために弘安二年十月十二日に、本門戒壇の大御本尊を興上に親付し、万年広布流溢の時、
大戒壇に安置すべく堅牢の楠板に書写せられたり』と。(富士日興上人詳伝・上159P)

よいか。日蓮大聖人は、出世の本懐御満足の画期として、応に其れを記念する大義に於て、本門戒壇
の大御本尊を御顕発されたのである。従って、求めるべき起点とは、其の記念さる御本懐がいつであ
ったか、という事なのである。

お主は其れに答えなさい。

尚、お主は、雪山童子の説話を以って、日蓮大聖人御内証の公表を尤(もっと)もらしく比しておるが、
滅不滅にして本有常住たる御本仏の御内証を、無常流転の説話を以って、其の甚深を計るなどは、
応にお主こそ、御本仏を愚弄する一闡提の輩である。先ずは、その無礼を御本仏に対し平謝しなさい。

よろしいか。

加えて、

>戒壇本尊本懐論は、寛師がねつ造した、邪義なんです。

というお主の『捏造』について、小生は其の誤謬を糺した。

其れに対する返答を、とぼけないで寄こしなさい。

其れにしても、

>戒壇本尊が、大聖人の直筆かどうか?
>私は断言をしておりません。
>直筆の可能性も、後世の書写の可能性も双方等しくあるでしょう。

などと曰(のたま)っておるが、つい前(さき)まで、お主は、此の小生に対して、

『弘安二年の大御本尊が本門戒壇の御本尊とは後世の説です。蓮祖の教えではありません』と言って
おったではないか。言って置くが「弘安二年の大御本尊」とは、我ら富士大石寺信徒からして、応に
本門戒壇の大御本尊を指すものである。

応に俄(にわか)論者にして、其の言動の揺れたる事よ。哀。

其れでは返答を待っておるぞ。
 

【論窮・論敗・そして追放までの経緯】④

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 5月10日(木)18時12分59秒 softbank219205006025.bbtec.net
返信・引用
  帰って見れば如何。

あれほど言ったにも拘わらず、又しても駄駄を捏ねておる。お主、窮地に陥ると必ずそうであるよな。

>御書に載っていないから存在しない証拠にはなりません。
>ですが、貴方の言うように、御書に載っていないことが存在の証明にはなりません。

そうではないだろう。

よいか。小生は『御書に載っていないことが存在の証明にはならない』などとは言っていない。
『御書には載っていなくとも、御建立された御本尊の存在は証明される』という事をお主が認めたと
言ったのである。

つまり、御書に載っていないから(建立された御本尊が)存在しない証拠とはなりません、という事は、
つまりは御本尊御建立の事が御書に記(しる)されていなくとも、其の御本尊の存在を以て証明される
という事ではないか。

つまりは其の良い例が、万年救護御本尊であろう。応に此の御本尊をして、其の御建立の経緯が一切
御書に記されていなくとも、厳然と其の御姿を以って証明されているのである。

お主は以前、小生に対して『戒壇本尊は紛れもなく大聖人ご図顕のご本尊です』と申したが、まさに
「紛れもない」との確信は、実に戒壇の大御本尊の存在を以って為されたものであろうが。

よいか。

何度も云うが、御本尊御図顕の御事について、日蓮大聖人は諸御書に於いて、その御図顕の場所、
ならびに御本尊の名称、日時等などは、その一々に於いて記されていないのである。

而して、戒壇の大御本尊在り、万年救護御本尊在り、そして又、師資伝授之御本尊在り、なのである。

してお主は、

>戒壇本尊が御書に無いから存在しない。
>これは明らかに間違いですね。
>すべてのご本尊がご図顕の度に御書に書かれていません。

と云いながら、其の舌も乾かぬうちから、

>御書に記載がない戒壇本尊が、大聖人と同じ時代に存在したかどうかは不確定である。

などと、御建立の記載が御書に記(しる)されていない事を以って、其の存在を疑っておる。

果たして『戒壇本尊が御書に無いから(戒壇本尊は)存在しない、という論理は明らかに間違いだ』と
是認したお主が、そして、御本尊御建立について日蓮大聖人は、その御建立の場所、御本尊の名称、
日時等について、その一々について御書に示されていない、つまり『すべてのご本尊がご図顕の度に
御書に書かれていません』と是認したお主が、一夜にして『御書に記載がない戒壇本尊が、大聖人と
同じ時代に存在したかどうかは不確定である』などと舌を裏返しておる。

だから小生が言ったであろう。お主が云う処(ところ)の「御書に戒壇本尊が本懐だとは書かれていま
せん、御書の何処にも(戒壇本尊が)本懐だと書かれていないから、本懐ではない!!」という文句は、
抑も、御書に戒壇の大御本尊を御図顕した事などは、お主が認めた様に記されていないのであるから、
御書を引用して戒壇の大御本尊が御本懐であるという事を証明せよと云うお主の文句は、抑もが自己
撞着(どうちゃく)の戯論なのである。と。

にも拘わらず、

>御書に記載がない戒壇本尊が、
>御書に記載がない限り、

などと、又しても鸚鵡(おうむ)が如き撞着(どうちゃく)の弁を弄しておる。

よいか。お主は前(さき)に『戒壇本尊が御書に無いから存在しない。これは明らかに間違いです』と
言い切ったのであるぞ。つまりは、御書に戒壇の大御本尊の記載がなくとも、其の存在は其の実在を
以って証明されるという事を容認した事になるではないか。又、だからこそお主は、其の大御本尊の
実在を以って『戒壇本尊は紛れもなく大聖人ご図顕のご本尊』と小生に言い切ったのであろう。

其れを一夜にして『御書に載っていないことが存在の証明にはなりません』などと、後付けよろしく
逃口上を打っておる。

よいか。其の様に俄(にわか)論者よろしく体裁を繕おうとするから、結局は辻褄が合わなくなるので
ある。

では再詰する。

さても御建立されし御本尊が御書に記されていないとなれば、応に正しい質疑とは、

「日蓮大聖人の御本懐は、いつ遂げられたのか」の一点と相成る。

そして、其の御本懐を遂げられし御時、日蓮大聖人は御本尊を御建立されたのか、して、もしされた
となれば、応に其の御本尊こそが、日蓮大聖人の御本懐たる、三大秘法の大御本尊ではないのか。

実に其の起点こそが、応に実在する本門戒壇の大御本尊への考証となるのである。

御書に載っていないから存在しない証拠にはなりません。と云いながら、後になって、御書に載って
いないことが存在の証明にはなりません、などと後ずさりの屁理屈を述べるなどは、まったくお主は
成長しておらん。

よいか、本門戒壇の大御本尊は、日蓮大聖人が其の御本懐を宣示されし時を以って、其の御本懐たる
大証を得るのである。果たして其れはいつなのか。応に其の御文証こそが重要となるのである。

さても、日蓮大聖人出世の御本懐とは何か。して、其の宣示はいつ為されたのか。
実に大本門寺の戒壇に御安置さる本門戒壇の大御本尊こそは、其れら究竟なる大義の証明を以って、
其の御身に刻印されし御証文と、其の堅牢壮大なる御姿の真(まこと)が、此に顕現されるのである。

仍って詰問す。

日蓮大聖人出世の御本懐とは何か。そして、其の宣示はいつ為されたか。

お主は其れに答えなさい。

尚、当宗に於ては、お主ら創価学会が平成17年10月12日の「大御本尊御図顕の日」を記念する
勤行法要に於いて、

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
仏は四十余年・天台大師は三十余年・伝教大師は二十余年に出世の本懐を遂げ給う、其中の大難申す
計りなし先先に申すがごとし、余は二十七年なり」(御書全集1189頁)を拝読。
大聖人の出世の本懐であられる大御本尊の御図顕は、熱原の法難が契機であり、それは日興上人を
中心とする弟子の弘教の闘争によって起きたものであったと述べ、「師弟」こそ大聖人の魂であると
強調。創価学会は、この「師弟の道」を貫いた3代会長の精神を継承し、あらゆる障魔を打ち破りな
がら、厳然と広宣流布の勝利の実証を示していきたい。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

との、会員に対する指導に於いて、其の主要部分について、当宗の真義を踏襲したものと認めるもの
である。果たして『腐っても鯛』とは此の事か。哀。

尚、お主が言い散らかすところの、

>戒壇本尊本懐論は、寛師がねつ造した、邪義なんです。

などは、其れこそがお主の捏造である。

曰く『此の三大秘法は何者ぞや、本門の本尊とは当寺戒壇の板本尊にあらずや (中略) 此の如く蓮祖
御出世の本体三大秘法の御座す寺なる故に』【二十二世日俊上人・ 延宝八年(1680年)】(歴全3-103)

はて、1680年と云えば、日寛上人はまだ十五歳である。それが何で、日寛上人の邪義となるのだ。

お主は其れを説明しなさい。よいか。これ以上の駄駄は許さんぞ。

尚、論点の拡散を防ぐ為、上記以外の戯れ言については、後々の破折と為す。
 

【論窮・論敗・そして追放までの経緯】③

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 5月10日(木)18時11分32秒 softbank219205006025.bbtec.net
返信・引用
  >戒壇本尊が御書に無いから存在しない。
>これは明らかに間違いですね。
>すべてのご本尊がご図顕の度に御書に書かれていません。

よろしい。

お主は、本門戒壇の大御本尊の事は御書の何処にも記されてはいない、という事を此に認めた。
つまりは、御書に載っていない事が、須らく「無い」という証拠にはならない、という事を認めたと
いう事である。つまりは、御書には載っていなくとも、御建立された御本尊の存在は証明される、と
いう事を認めたという事である。

先ずは其の事、大いなる前進であろう。

つまりは今もって、戒壇の大御本尊の記述が、御書のどこにも記(しる)されてはいないから、戒壇の
大御本尊は後世の創作である、などと云う稚論を述べる者共が、あちこちに蠢(うごめ)いているから
である。

さて、お主は、当方からの再々なる詰問に対し、御本尊御建立の御事については、日蓮大聖人御自身、
諸御書に於いて其れを記されていない、という事を此に認めた。つまりは、御本尊の名称も、御図顕
の場所も、そして日時も、その一々に於いて記されていないという事を此に領解したという事である。

さて!

そうであるならば、お主が云う処(ところ)の「御書に戒壇本尊が本懐だとは書かれていません、御書
の何処にも(戒壇本尊が)本懐だと書かれていないから、本懐ではない!!!!」という文句は、抑も、
御書に戒壇の大御本尊を御図顕した事などは、お主が認めた様に記されていないのであるから、御書
を引用して戒壇の大御本尊が御本懐であるという事を証明せよと云うお主の文句は、抑もが自己撞着
(どうちゃく)の戯論なのである。そうであろう。

果たしてお主は嫌がらせをしておるのか、それとも単なる愉快犯なのか。

果たして、御図顕されし御本尊が御書に記されていないとなれば、応に正しい質問とは、

「日蓮大聖人の御本懐は、いつ遂げられたのか」の一点となる。

そして、其の御本懐を遂げられし御時に、日蓮大聖人は御本尊を御顕発されたのか、もし、されたと
なれば、応に其の御本尊こそが、日蓮大聖人出世の御本懐たる、三大秘法の大御本尊ではないのか。

よいか。質問の精査とは、この様にするのである。

先ずは第一、己(おのれ)の自己撞着なる愚問を恥じ、改めて上記が如くに質問の訂正をしなさい。

よろしいか。

さすれば答えてしんぜよう。

尚、言って置くが、此に至って駄駄を捏(こ)ねるでないぞ。何事も素直が肝心である。

 

【論窮・論敗・そして追放までの経緯】②

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 5月10日(木)18時10分38秒 softbank219205006025.bbtec.net
返信・引用
  沖浦殿

>御書に戒壇本尊が本懐だと書かれていません。
>戒壇本尊は現実に存在しています。
>私も何度も拝みました。

だから、御書に載っていない事が、須らく「無い」という証拠となるのか、と小生は詰問しているの
である。本門戒壇の大御本尊の事は御書の何処にも記されてはいない。しかし、お主が申すとおり、
本門戒壇の大御本尊は厳然として在るのである。つまりは、御書に載っていなくとも、御建立された
御本尊の存在は証明される、という事である。そうであろう。だから小生は、その事について認める
かと訊いているのである。

認めるのか、認めないのか、先ずは其の事に答えなさい。
 

沖浦殿

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 5月10日(木)18時08分36秒 softbank219205006025.bbtec.net
返信・引用
  おいおい、お主は当室から追放されているのであるぞ。

其れを承知で投稿しているのであるか。

しかも、お主の不答によって論敗が確定している内容について、又しても口を開いておる。

まさかお主、周知された論敗の事実が薄れるのを待って、同じ様な文句を繰り返しておるのか。

しかし、そうはいかん。

お主が論窮して、不答となり、遂には当室から追放された事を、此に順を追って再掲せしめよう。

しっかりと読みなさい。

【論窮・論敗・そして追放までの経緯】①

************************************************************************

>>万年救護のご本尊が御書に無いが存在している。

>その通りですね。
>然しながら、

>戒壇本尊も御書に無いが、存在する。
>本尊として、万年救護も、戒壇本尊も確かに存在しています。

よろしい。ならば、本門戒壇の大御本尊が、日蓮大聖人の御書に記されていない事を以って、其の
存在に疑念するは誤りであったと認めるのであるな。言って置くが、名称の問題ではない。優劣の
問題でもない。要は、御書に載っていない事が、須らく「無い」という証拠となるのか、という問題
である。

再度云う。

お主は、本門戒壇の大御本尊が、日蓮大聖人の御書に記されていない事を以って、其の存在に疑念
して来た事について、其れは誤りであったと認めるのであるな。

先ずは其れに答えなさい。

>横やりは全て削除してください。
>でないと、落ち着いて話ができません。

少々の横槍などは一々気にするものではない。小生との集中が有れば何でもない事である。
 

未だに戒壇本懐論に執着している方へ

 投稿者:沖浦 克治  投稿日:2012年 5月10日(木)08時27分52秒 wb004proxy01.ezweb.ne.jp
返信・引用
  堀上人が、

戒壇本尊ご図顕は直接の出世の本懐ではない。
こう言う意味の発言をしていますね。
然しながら彼は、では出世の本懐が具体的に何であるか?は述べていません。
当時、そこまで言えなかったのでしょう。
戒壇本尊本懐論は、寛師の捏造です。
御書に照らして明快です。戒壇本尊は御書に欠片も出ていませんし、興師も目師も一言たりとも言及しておりません。道師に至っては、実に否定的な意見を書いております。もし、法水写瓶が本当であれば、道師が三師御伝土代で、否定的な文章を書く道理がありません。戒壇本尊を、何かの理由で隠さねばならないとしても、後世の人間が迷うような文章を好んで書くものですか。
それが、道理と言うものです。更に、有師が曼荼羅について書いたものにも、戒壇本尊は出てきません。大聖人が興師に与えられた、弘安2年10月12日の御書にも、戒壇本尊は一言もございません。

戒壇本尊本懐論は、寛師の邪義です。

 今後、共に大聖人の本懐を思索すればいいのですよ。
 

追伸

 投稿者:黒川和雄  投稿日:2012年 5月 9日(水)16時29分56秒 p7141-ipbfp4501osakakita.osaka.ocn.ne.jp
返信・引用
  2年前に妙観講の総会に参加いたしました。その時の体験発表にナントッ!前科数犯の法華講員さんが体験を発表していました。

「刑務所仲間の人間を出所後30余名折伏し、本日の総会に貸し切りバスで参加しました!!!」とのことでした。

世法の制裁を重んじる創価、人を救うことを目的としている宗門!

どちらに軍配が上がるかは、阿呆でも分かるでしょう。
 

私のゴールデン・ウイーク

 投稿者:黒川和雄  投稿日:2012年 5月 9日(水)14時43分39秒 p7141-ipbfp4501osakakita.osaka.ocn.ne.jp
返信・引用
  お久しぶりですが、大月天様におかれましては、いかがお過ごしでしょうか?

本年のゴールデン・ウイークは私に取りましては実に大型の連休でした。娘が現在東京に在住していますので娘(れいな)のマンションに泊まり込み、旧知の友人宅を訪問したり食事をしたり、スカイツリーを見に行ったりと・・、楽しく多忙の日々でした。

しかし東京ってのは、大阪と異なりやはり首都を感じさせる場所ですね。大阪はまぁいえば、北【梅田】と南【難波】、それに天王寺といったところでしょうが、東京ってところは各山手線の駅が大阪の「南」といった感じです。・・・また人も多い!

大阪と異なることは、黒のスーツを着用した人間の実の多いこと! 大阪の場合は、各人が色々な服装ですが、東京ってのは大阪人の目から見ると「正装」をまとった人間が実に多い!

商人の街大阪、役人の街東京ってところでしょうかね。

学会員にも実に20年ぶりに会うことが出来ました。私は元杉並に住んでおり、その時の学会員諸氏にもお会いすることが出来ました。懐かしい!の一言です。

私が法華講員になったことは誰も知りません。まぁ出てくるわ、出てくるは!!!!罰の現証!

「あの人は法華講に行き住職と大喧嘩して、学会に戻ったんです。・・・そして一年後に死にました」

「あの婦人部長は黒川さんがアメリカに行った後、十年間患い家族が大変だった、信心一生懸命だったが家族に迷惑をかけて死んだ・・・」

「彼は(金城会=太作の身辺警護隊)のリーダーだったが、某大手企業から金をゆすり、学会除名処分になった」

私の旧知曰く、

「黒川さんは黒川さんの道を行ってくれ、俺は大聖人の仏法を教えてくれたのは、創価学会だと思う」

共に戦ったかつての同志であります。ネットでよく見る「罵倒合戦」の会話ではなく実に和やかに対話を進めることが出来ました。

やはり本当の折伏とは旧知を探し根気よく話を進めることに尽きるのではないか、と感じた次第です。

本年ゴールデンウイークの最大の収穫は、「元金城会で創価から除名処分を受けた知人」です。

旧知曰く、

「最終的に創価学会が正しいか、宗門が正しいかの判断は現証だよ・・・」

とのことでした。

この言葉を鑑み思うことは「既に現証が出ているではないか!」ということです。しかし学会員は客観的には「現証」という言葉を理解しているのですが、「既に旧知の学会員に現証が出ているではないのか」ということに気が付いていない!!

して・・・・、元金城会の旧知の同志宅へ訪問したが、あいにく不在。メモを残して大阪へ…・

この元金城会の知人、新聞沙汰になった事件であります。諸氏の話によりますと「今学会は事件など、訴訟事件を起こすと除名処分になる」とのことでした。

これを聞いた私は、

「創価という教団は何と無慈悲な教団であるのか、それでは人を救えないではないか! 宗門は例え刑事犯であろうとも信仰をする人を差別はしない!世法を重んじる創価、人を重んじる宗門」

と感じた次第であります。この「元金城会のリーダー」、救ってあげたい!との思いで一杯です。

以上、



 

蜜月が故の擁護であったいう詭弁

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 5月 7日(月)18時14分48秒 softbank219205006025.bbtec.net
返信・引用
  恩師、青年訓に云く『第一は、無智の者に永遠の生命を教え、日蓮正宗の本尊の絶対無二なる尊貴を
知らしめて、功徳の大海に思うがままに遊戯する、自在の境涯を会得せしむる為に、忍辱の鎧を著
(き)、慈悲の利剣をひっさげて戦うのである』と

仍って御隠尊猊下に曰く『したがって(創価学会の)八百万世帯にいたる大折伏は、戸田氏の清浄な、
正法を護る気持ちの中から行われたところであり、その中から皆様方が現われてきたのであるという
事をはっきりと見定めるところに、創価学会に縁のある方々が、創価学会の存在理由とその経過、
すなわち正しい仏法の流れを正しく知る所以があると思うのであります』と。

                       (平成4年3月29日 法華講連合会壮年部大会)


さて、今もって学会本部には、昭和26年5月19日御書写の日昇上人の常住御本尊(脇書・大法
弘通慈折広宣流布大願成就 模刻)が安置されているのは承知のとおりである。

つまり、此の御本尊は、お前らが昨今言う処の『宗門との蜜月時代』に御下付された御本尊という
事にもなる。而して、此の常住御本尊が日蓮正宗から御下付された時、応に創価学会は第二代会長・
戸田先生大号令の下、会員一丸となって大折伏戦を展開していったのである。

しかし、今の小学会員は、それら恩師の忠魂の戦いをして『宗門と仲が良かったから』などと軽口を
叩くのである。哀。

そうか。其れは真(まこと)の事か。果たして当時、恩師が御本山と仲が良かったから、宗教の根本
尊崇たる本尊に於いて、其の大信心を全うし、その御本山への忠烈を会員に入魂したとでも言うのか。

其れは真(まこと)の事であろうな。而してもし、その論拠が崩れたならば、お前ら小学会員は、
其れこそ恩師戸田先生の大信心に唾する、まさに忘恩の似非会員である事を、此に証明されるので
ある。よろしいか。

本より、其の破折の論点は唯(ただ)一つ。

つまりは、御本尊を下附する日蓮正宗と、その御本尊を下附される創価学会、という破門以前の関係、
つまり、其れら正統・富士門流に於る御本尊の大義が、総本山と信徒団体との関係に於いて、其の真義
が受動的に変化してしまうものであるのか、という一点である。

果たして、僧俗による蜜月の関係、つまりは対人、対組織の関係に於て、其の両者間の良悪が、富士
門七百年来の根本たる本尊義を左右し、其の正邪さえも司ると言うのか。

小学会員よ。其れは違うであろう。哀。

応に法の正邪、つまり本尊の正邪こそは、其の関係の良悪を超越するものである。

その様な事、大聖人と大進房、否、日興上人と波木井実長との関係を観れば、容易に判るというもの
である。

よいか。今一度言おう。

御本仏・日蓮大聖人から相伝された日興門流の御本尊義は、それ以降の僧俗関係の善し悪しによって
変化させられるものではない、いや、本より変化するものではないという事である。

仍って、曾(かつ)ての創価学会が富士大石寺の信仰に忠実であった事は、決して当時の信者による
「良好な関係」によって為された事ではなく、其れは応に、信者による「確たる信心」によって為さ
れたものなのである。

関係が良好であるから信ずるのではなく、信ずるが故に関係が良好となるのである。

其れをお前ら小学会員は、今に於いて『蜜月だったから、宗門を守っていただけ』などと嘯(うそぶ)
くのである。

ったく、何という言い草であろうか。

云うまでも無く『日蓮大聖人の真実の教えは、独一本門といい、文底秘沈というも、みな一閻浮提総
与の三大秘法の大御本尊を根本とした教えでなくてはならない。今日末法に於いては、富士大石寺に
こそあれ、他にはないのである』との恩師の大指導は、決して宗門への世辞でもなく、其の関係を維
持する為の美辞でもないのである。

したがって、当時の事をして『宗門との蜜月を堅持する為に、富士大石寺の法義を守って来た』など
という言い分は、応に好嫌の領域に於いて、其れこそ信者の都合によって宗門を擁護してきたという、
まこと恩師の御本山に対する忠烈に唾する詭弁であると小生は此に断言するものである!

上記の如く、文底秘沈・独一本門たる法義は、本より七百年来、富士大石寺に連綿されて来た法義で
あって、決して他門にはないのである。まして、昭和になって設立された在家団体に有ろう筈(はず)
も無く、又、だからこそ恩師は、創価学会の会長として御自らの口から『創価学会に君らに信心して
もらうものなんか何もない』、つまり、創価学会としての教義などは、其の元からして無いと申され
たのである。

而して、創価学会の会長が会員に対し『学会に君らに信心してもらうものなんか何もない』などとは、
其れこそ学会の会長として、御本山に対する絶対的帰依が有ったればこそ言える指導であって、現在
のお前らが言う様な、世辞でも、妄言でもないのである。まして、会員に嘘を付いていた、などとは、
とんでもない事であり、其の様な事は絶対に無いのである。

ったく、何で法華講員の小生が、お前ら創価学会員に、恩師の大信心を今にして教えなければならな
いのか。つまり、其れだけ、今の学会員は、外道信者に成り下がってしまったと云う事か。

哀笑。さもありなん。

よいか。何度でも言おう!

本門戒壇の大御本尊を厳護する意味に於ては、宗創に於ける関係の良悪によって、その正義の価値が
変動するなど絶対に有り得ないのである!

仍って恩師に云く『誰がなんと言おうと、誰がどうあろうと、私は総本山に御奉公の誠を尽くし、
猊下に忠誠を尽くし、広宣流布のため、今こそ死身弘法の実践を、この佳き日に誓うものであります』

と。

而して此の恩師の大誓詞は、応に日蓮正宗第六十四世・日昇上人の御在時になされたものである!

まさに今、お前らの本部師弟会館に安置されている常住御本尊。其の御本尊を認められた日昇上人に
対し、恩師戸田先生は、その大信心に於いて忠誠を誓われたのである!

其れを今になって『宗門との関係を維持する為に、学会はその法義を守って来ただけだ』などと!

お前らは其のセリフを恩師の墓前で言えるのか!!

ったく、宗教の根本尊崇に於いて、曾(かつ)て、とか、今とか、そういう次元で立て分けるなどは、
彼の立正佼成会が本尊を変更する度に用いた、会員を欺く為の詭弁とまったく同じではないか!

今まで遵守してきた仏法義は蜜月時代の過去の法義なのであって、破門以後の険悪な関係に於いては、
其の法義は我々には通用しない、などという屁理屈は、抑も、日蓮大聖人の仏法からして有り得ない
話である!

よいか! 良好であろうが、険悪であろうが、元から在る正義は正義なのである!

又、其れだからこそ、法華講総講頭でもあられた恩師・戸田先生の信心指導が、今以って我ら日蓮正宗
信徒の正信に響き渡るのである!

応に是れこそ、僧俗に於ける組織体制の変貌が如何に為ろうとも、大聖人の仏法、就中、富士大石寺
の法義は今昔に於いて些かも変節しておらない証拠なのである!

よいか!

其れら事実をして『破門以前は蜜月だったから、富士大石寺の法義を(致し方なく)守っていた』などと、
今になって其れを本性にするなどは、応に恩師戸田先生の大信心に対する冒涜である!!

ったく、詭弁を弄するものではない!

果たしてお前らは、それら詭弁の罪悪を心の中では判っておるから、未だ創価作成本尊から日蓮正宗
御歴代上人の判形を抹消し切れないのであろう!

違うのか!!

反論あるなら申してみよ!!

当に恩師の御遺訓を破ったのは池田である!!
而して、今以って残留する創価学会員も同罪である!!

言うまでもなく、恩師は本よりの日蓮正宗の信徒であった!
そして日蓮正宗法華講総講頭の御立場で其の生涯を全うされたのである!

仍って小生は、其の恩師の赤誠に裏切る事なく、昔も今も変わらずに日蓮正宗の信徒と成っているの
である!

果たして現在、恩師の指導どおりに実践しているのは小生か!
其れともお前ら小会員か! 最早、その様な事は火を見るより明らかなのである!

本より小生は、今もって富士大石寺に忠誠を尽くし、其の不変たる決意を、総本山に眠る恩師の御霊
に御報告申し上げるのみである!

恩師が云く!

『誰がなんと言おうと、誰がどうあろうと、私は総本山に御奉公の誠を尽くし、猊下に忠誠を尽くし、
広宣流布のため、今こそ死身弘法の実践を、この佳き日に誓うものであります』と!

果たして一体、どっちが、恩師の御遺訓に従っておるのか!
今こそお前ら小会員は、己(おのれ)の信心の姿を見つめるべきである!

尚、過日に御逝去された柳沢元総講頭が『私が死んでから、50年後に戸田さんが出現するでしょう。
その後、私が生まれ出て御奉公させて頂きます』と、月例登山に参加された同志から聞くに及び、
まこと、恩師の大信心は、今もって法華講員の鏡であると、改めて此に確認した次第である。


     妙法の広布の旅は遠けれど

      ともに励まし ともどもに征(ゆ)かなむ


今以て、大講堂の正面左手に建つ、恩師戸田先生の歌碑を詠む時、真の学会精神は、我ら旧創価学会
青年部にこそ伝持されているのであり、其の打ち捨てた現今の組織などは、其れこそ波木井実長こと、
首魁・池田太作と、民部日向こと、離脱僧侶の禿人が蜷局(とぐろ)する組織であり、其れこそは大石寺
御開基、日興上人が打ち捨てた、彼の身延山久遠寺に同ずるものなのである。

さても、お前ら現創価学会は、いずれ古参会員の消滅を待って、応に其の作成本尊から御歴代上人の
御判形を抹消し、其の場所に池田太作の花押を入れるのであろうが、応に其の時、池田創価学会は、
真の邪教たる新興宗教として、恩師が構築せし創価学会と決別し、見事、其の教義に於いて、悪魂の
独立を果たすのである!

恩師をして詭弁の徒と侮言する学会員よ!
恩師をして両舌の徒と悪口する学会員よ!

お前らは、須らく、日蓮大聖人の御教示に違背する、邪宗邪義の徒輩である!!

大聖人が曰く『昔と今はかわるとも、法華経のことわり違(たが)うべからず』と。(新編 1183)

まこと、お前らはとんでもない連中である。
 

代理殿

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 5月 6日(日)12時34分47秒 softbank219205006025.bbtec.net
返信・引用
  前(さき)に『アンチ創価は単なるアンチである』と題した、当方の記述内容について、いや、其れ
こそが、法華講員の正しい折伏の在り方である、と自負される御仁が居るならば、早速、当室に来て
戴こう、と申したが、して、来て頂いた御方が「代理」というのであれば、小生、呵責する気にはな
りません。第一、当の御本人からして『この件でこれ以上のやりとりは不要と考えるものである』と
申されております。本より、其の御意志を撤回し、当室に於て御本人が論じたい、というのであれば、
当室として其れを受けると致しますが、其の点はどうなのでしょうか、撤回されるのでしょうか。

加えてもし、代理殿が、今回、当室に転記された新潮ファン殿の投稿文について『これ以上のやり
取りは不要と考える』という御本人の意思に反して、独断で転記されたとなれば、先ずもって貴殿の
其の姿勢こそが責められる事となります。

よろしいでしょうか。

其れらの事をはっきりされた上で、小生は論じたいと思っております。

尚、当室は、巻頭にも示しているとおり、初稿の場合は、法華講員であるのか、創価学会員である
のか、将又(はたまた)、其の他の教団に属しているのか、其の親告をして頂く事となっております
ので、次回から宜しくお願い致します。

其れでは、上記に関する御返事をお待ちしております。
 

Re: アンチ創価は単なる「アンチ」である

 投稿者:新潮ファン代理  投稿日:2012年 5月 5日(土)21時00分29秒 s837064.xgsspn.imtp.tachikawa.spmode.ne.jp
返信・引用
  Re: バス、むちゃくちゃじゃんか 投稿者:新潮ファン  投稿日:2012年 5月 5日(土)09時25分49秒    通報 返信・引用

>  アンチ創価は単なる「アンチ」である 投稿者:管理人  投稿日:2012年 5月 4日(金)18時59分29秒 softbank219205006025.bbtec.netへのお返事です。


このような話しは、まま言われるところある。

>大破した写真を掲載し、其れこそは池田太作の頭みたいだ、と揶揄している文面からして、容易に判別できよう。

この言を持って、被害者に対する念がないなどと言うのは早計の極みである。

もとより、被害者の方々には哀悼の意を表するものであるが、

>事故を起こした会社が其の旅行を企画した会社が創価学会に関係しているかの様な文言が掲載されている。

このことを指摘することが、単なる怨念であると言うならば、このコメントを取り上げた各位が被害者に対して何らかの言及をしているのかをよく読まれてから話されるべきであろう。

> さても、己(おのれ)の好き嫌いで、宗教の正邪を計ってどうするのだ。

好き嫌いで宗教の正邪を話しているとは、勝手な思い込みである。
ここの掲示板は法華講員のみの投稿ではない。創価を嫌いな人も書き込みを認められているのである。

各掲示板にはそれぞれの方針があるのである。自身の掲示板の基準をこの掲示板に当てはめて、批評するのはいかがなものか。

そのことを考えられたし。

どこの管理人さんかは知らぬが、この件でこれ以上のやりとりは不要と考えるものである。コピペされぬよう閲覧制限でもされるがよい。


ttp://6730.teacup.com/tasakuikeda/bbs/1816
 

Re: アンチ創価は単なる「アンチ」である

 投稿者:新潮ファン代理  投稿日:2012年 5月 5日(土)20時54分41秒 s837064.xgsspn.imtp.tachikawa.spmode.ne.jp
返信・引用 編集済
  管理人さんへのお返事です。  

お知らせ

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 5月 4日(金)19時05分59秒 softbank219205006025.bbtec.net
返信・引用
  投稿者及び閲覧者各位

当室は、本日まで、串投稿にして其の所属する宗派教団を名乗らず、但一方的に批判を繰り返す、
所謂、荒らし投稿者の排除を目的として、管理人による確認後掲載を採用しておりましたが、ここで
一旦、従来の即時掲載の方式に戻す事と致します。本より、管理人による確認後の掲載については、
当室の本意ではありませんが、荒らし投稿への対応策として行なって参りました。

尚、今より即時掲載の方式に戻しますが、これより又、所属宗派(教団)不明者の串投稿による一方的な
批判中傷が繰り返される時は、即応にして再度、管理人による確認後掲載に戻す事と致します。

本より、当室に於いては、明らかに論窮しているにも拘わらず、其れを認めようとせず、但、悪戯に
言い訳を重ねる者、又、其れら法論対論に際して己義自論の展開を繰り返す者は、其の全てに於いて
論敗者となる由。又、其れらの軍配に対して揶揄中傷をした者は、須らく追放処分となりますので、
投稿者各位には、予(あらかじ)め御承知の程、お願い致します。

而して当室は、其れら法論対論を目的としない、投稿者自身に於ける闊達な論説等も、大いに募って
おりますので、特に、法華講員諸氏に於かれましては、鋭意、御投稿の程、お願い申し上げます。

此に思うに、仮令(たとえ)相手が見えぬとも、邪宗邪義・正法誹謗の醜文を眼前にして、其れを呵責
せずんば、其れは須らく「身」の懈怠となるのであり、其れは体面にて黙する「口」の懈怠にも同ず
るのであります。而して、其の「身」も「口」も、すべて「意」に相応して為されるものであります
から、当の本人が目の前に居る、居ないに拘わらず、正法に対する誹謗文を目にしたならば、其れを
破折するが破邪顕正に即する折伏行となるのであります。

本より、対告によっては、文は意を尽くさず、という状況も成りましょうが、日蓮大聖人が御書に示
された種々の御金言は、其れこそ、書は言を尽くさず、という一般の概念を当然に超えるものであり、
又、だからこその仏法義なのであります。

曰く『文字は是一切衆生の心法の顕れたる質(すがた)なり』と。(新編 36頁)

つまり、其れを思えば、記する文字によって邪法を糺す一念は、須らく法界に遍くのであり、我らは、
其の一辺の力用を以って、其の正義に浴するのであります。

其の事を思って、当破邪の蘭室は、日々勇躍、邪法邪義の誑惑を叩くべく、より一層の破折文を此に
掲載し、以って顕正の一翼にならん事を、心より誓うものであります。
 

アンチ創価は単なる「アンチ」である

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 5月 4日(金)18時59分29秒 softbank219205006025.bbtec.net
返信・引用
  さて、過日に小生は、怪文書フェイクの下劣な記事に対する呵責を行ったが、その中で『富士門信徒
の中に於いても、創価学会幹部の死去に対して、嘲笑し侮蔑する者も居ろうが、応に折伏の精神から
して、其れは間違った方向である』と記(しる)した。さて見れば、何処(どこ)ぞの掲示板に於いて、
今回のバスツアーでの大事故に関して、其の旅行を企画した会社が創価学会に関係しているかの様な
文言が掲載されている。

して、其の旅行会社が、つまり、其の会社の社長や役員が、もしや創価学会員であるとして、今回の
大事故が、其れらの事が原因で発生した、と、投稿者は訴えている様である。又、其の事は、バスの
大破した写真を掲載し、其れこそは池田太作の頭みたいだ、と揶揄している文面からして、容易に判
別できよう。

しかし、小生からして、そういう感覚、つまり、今回の事件の犠牲者の方々を思う時、そして、其の
御遺族の無念を思う時、其の犠牲となられた方々が乗車していたバスの大破した写真を掲載し、それ
は池田太作の頭と同じだ、などと批判するは、これ、我らが法華講員の姿に非ず。此れこそは単なる
「アンチ」の姿であろうと思うものである。して、そうではない、其れこそは法華講員の正しい折伏
の在り方である、という御仁が居られるならば、早速、当室に来て戴こう。さすれば小生が心底より
呵責するであろう。

云うまでも無く、折伏とは、但、相手をやみくもに破斥すればよい、というものではない。

勿論、目の前に展開されている邪義己説などは、其の都度に破折すべきではある。しかし、ある事実
の発生、例えば今回のバスツアーの大事故であるが、其れが乃(すなわ)ち、創価の現証だ、と短絡的
に断定できるのか。いや、其れよりも何よりも、其の事故で無くなられた方々と、其の御遺族の無念
を思い語る事なく、但、邪義であるから罰が出た、だから創価学会を脱会した方がいい、などと言い、
其れこそ大破したバスの写真まで掲載するなど、そんな折伏があろう筈もない。小生からして見れば、
其の様なモノは、彼の怪文書フェイクと同じ、相手を憎念で悪口する、単なる信仰外の哀れな行為で
ある。

本より『アンチ』とは「反対」の意を指すものであろうが、要は、其の反対の理由付が浅薄である、
というのが、則ち「アンチ」なのである。つまり、我ら法華講員に於いては『アンチ創価学会』など
ではない、と云う事であり、本より其れら単純なる「アンチ」と一緒にされては堪るものではない。
つまり、我らには「アンチ」などと云う感情的なものではなく、全邪宗教に対する慈折の精神が先ず
在って、其の一端に創価学会を据えて「現代の一凶」と為しておるのが、抑も、我らが折伏の本意な
のである。

さても、己(おのれ)の好き嫌いで、宗教の正邪を計ってどうするのだ。

而して、事の正邪を計ろうとすれば、そこに正義の基準こそあれ、私心感情を以って其れを計るは、
此れ須らく邪道と心得るべきである。仍って『アンチ』による創価への悪口は、此れ富士門の折伏に
は非ず、其れは単なる感情の産物でしかない、と云う事を先ずは言っておこう。

日蓮大聖人が曰く『伏して願はくば心有らん君子、愛憎の情を捨て諸宗の憑(よりどころ)を熟察せよ』

と。(新編 1384)

怨念と折伏、一緒にされては堪らない。
 

創価の醜念を哀れむ

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 5月 1日(火)11時49分52秒 softbank219205006025.bbtec.net
返信・引用
  >「日顕の提灯持ち、一足先に逝く」
>法華講連合会の前委員長・柳沢喜惣次が死去
>約六十年間、日顕の手先で供養収奪に狂奔

>日顕宗法華講連合会の前委員長・柳沢喜惣次が風邪をこじらせて肺炎になり、
>去る二十七日午前十時十七分、死去した。柳沢は大正十二年十一月十九日生まれの
>八十八歳。一昨年には本山で転倒して骨折し、治癒が遅れて歩行も困難になり、
>両脇を抱えられて、やっと動けるような有り様だった。

>晩年には法華講の会合などで登壇しても意味不明の発言が目立つようになり、
>最近は認知症の症状も顕著になっていたという。


何という言い草であろうか。

人様の死を、この様に嘲侮する宗教団体とは、一体、如何なる団体であるのか。

読んでいて、其の性根の醜さに反吐(へど)が出ると云うものである。

一体、お前らは、どこまで性根が腐っておるのか。

一個人が発狂のあまり、人様の死を嘲笑うなどは、其の者をして痴人として片づけもしよう。

しかし、上記フェイクは、お前ら創価学会が公(おおやけ)に於て頒布を許す怪文書の其れであろうが。

何という醜さであろうか。

さても、お前らが標榜する人間主義とは、そういうモノであるのか。哀

表では美辞麗句を以って表彰を貰い、裏では死する者を侮蔑罵倒する、其の蝙蝠が如き醜さよ。

お前らは先ずもって、人間としての心性を磨きなさい。

さても、上記の様な悪辣な表現は、外道イスラムの敵対主義に同じくするものである。

尚、我ら法華講同志、又は、富士門信徒の中に於いても、創価学会幹部の死去に対して、嘲笑し侮蔑
する者も居ろうが、応に折伏の精神からして、其れは間違った方向である。

本より、邪宗信者の死去に対して、其の厳然たる現証なりを見た場合に於ては、仏法の正義から照ら
して、其れを破し、又は、警鐘するべきは当然の事である。

しかし、死した相手の生前の病状を嘲笑し、死して後も侮蔑を加えるなどは、これ全く信仰者の資質
に非ず。先ずは佛教の根本から勉強すべきである。

日蓮大聖人が曰く『伏して願はくば心有らん君子、愛憎の情を捨て諸宗の憑(よりどころ)を熟察せよ』

と。(新編 1384)


本より、上記御文は、相互に於いて遵守せねばならない、折伏の原点である。

気を付けねばなるまい。

兎も角、怪文書フェイクが記する内容は、其の連日に於て憎念の満ちた醜文である!

本より破して然るべし! 黙認は須らく与同罪となろう!
 

池田太作を仰ぐ者は恥を知るべし

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 4月29日(日)23時31分57秒 softbank219205006025.bbtec.net
返信・引用
  恩師が云く

『私には、権力もありません。創価学会の会長として皆様にたてまつってもらってみても、生まれを
たずねれば漁師の子供です。どこに偉いところがありましょう。創価学会の会長なんて、何も偉くは
ありません。私が偉くないのだから支部長でも、地区部長でも同じく偉くないと思うのだ。地区部長
級などに「先生」というやつがいるのだ。婦人部の常任委員だとか。なにが「先生」だ。カマボコ屋
のおやじが先生、ゲタ屋のおやじが先生になったと言うのだ。恥ずかしくないかね、どうだ。たとえ、
言われても、御本尊様のおかげて言われたのでしょう。そう思うたら、御本尊様に、涙を流してお礼
を申し上げなければならぬと思うのだ』

首魁・池田太作が云く

「私の話が高尚で、そして解りやすく、そいで哲学的で、そいで文学調で、詩的で、そいで会話的で
ある。頭がそうとう聡明でないと、追いついていけないんです」

「アルゼンチンから五月の大十字勲章をもらったが、これで七つ目である。これが妙法である。信心
です。たった五か月の間に三つの勲章をもらった。この三つは三代に通じる。(会長就任)三十周年
に通じるんだ。五か月に世界の勲章を三つももらえる人は、これまで一人もいなかった」


恩師が云く

『文化活動というものは、広宣流布の大構想からみれば、それは子供のオモチャのようなものである。
それが、広宣流布のための本格的な闘争であると思ったら大間違いだ。そう思われたら困る』

首魁・池田太作が云く

「平和運動、正しいんです。文化運動、正しいんです。大いにやりましょう。それがなかったならば、
何やってきゃ、どうしたら折伏出来るか。そうでしょう。ただ朝起きて、真言亡国・禅天魔。(笑い)
法を下げるだけでしょう」


恩師が云く

『立正佼成会や霊友会、念仏、真言宗は、謗法をしてもなにもいましめない。お賽銭を多く出せば、
良い信者だといい、他宗をやってもよいという。そこに、他宗を認めて妥協を見出すと言う性格だ。
私は、非常におかしいと思う。なにゆえかといえば、たとえば阿弥陀経をやったとする。そこで、
阿弥陀経以外のものをやってもよいというならば、阿弥陀経より、外の教えの方がよいことになる。
そうなれば、なにも自分の阿弥陀経をすすめる必要がない。ところが、わが宗祖日蓮大聖人様は、
一切の教えはだめだ。念仏は無間地獄、人を地獄へやってよいものか。禅は天魔、真言は亡国、律は
国賊。いまは律宗はないが、こう云われ日蓮大聖人様のご意志を、われわれは受け継いで、徹底的に
邪宗を攻撃し、ただ七文字の南無妙法蓮華経でなければだめだというのが、学会精神である。(中略)
今、現に民衆を不幸にしているあらゆる邪宗邪義、すなわち立正佼成会や仏立宗、念仏、真言、禅等
の邪宗は、断じて許すことは出来ない。「あれも良いでしょう。これも良いでしょう」などとは、
学会は言ってはいない。断固として、世界の宗教界を相手にまわして、戦っていく孤立無援の教団が
学会であります。あらゆる方面から敵が現れてくることは、会長就任以来すでに覚悟の上だ』

首魁・池田太作が云く

「もしも日蓮大聖人とイエスが話し合ったならば、決して口論などにはならず、民衆に尽くす生き方
に対して、尊敬の念を抱いたのではないかと拝察する」

「創価学会インターナショナルは、仏法の寛容の精神を根本に、他の宗教を尊重して、人類の基本的
問題について対話し、その解決のために協力していく」

重ねて恩師が云く

『立正佼成会や霊友会、念仏、真言宗は、謗法をしてもなにもいましめない。お賽銭を多く出せば、
良い信者だといい、他宗をやってもよいという。そこに、他宗を認めて妥協を見出すと言う性格だ。
私は、非常におかしいと思う』

いや、今にして言い換えよう。

『創価学会や霊友会、念仏、真言宗などは、謗法をしても何も誡めない。お賽銭を多く出せば、
良い信者だといい、他宗をやっても良いという。そこに、(SGIの様に)他宗を認めて妥協を見出す
と言う性格だ。私は非常におかしいと思う』

応に此の通りではないか!

池田太作を正法の師と仰ぐ馬鹿者に告ぐ。

お前らは恩師に対して、心の底から恥なさい!  よろしいか!
 

馬鹿に付ける薬は無い

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 4月29日(日)21時28分37秒 softbank219205006025.bbtec.net
返信・引用
  御書に、鐘を叩かなければ絶対に成仏しない、とは書いていないから、俺は勤行の時にドラムを叩く
のだ。

御書に、線香を焚かなければ絶対に成仏しない、とは書かれていないから、俺は勤行の時に艾(もぐさ)
を焚くのだ。

御書に、仏壇を用意しなければ絶対に成仏しない、とは書かれていないから、俺はダンボールにする
のだ。

御書に、数珠を用いなければ絶対に成仏しない、とは書かれていないから、俺様は輪ゴムに指を通す
のだ。

御書に、樒(しきみ)を用いなければ絶対に成仏しない、とは何処にも書かれていないから、此の俺は
チューリップを用いるのだ。

御書に、死んだ後、葬式をしなければ絶対に成仏しない、とは書かれていないから、俺は其のまま、
故人を海に放り投げるのだ。(何、世間法で罰せられるから、其れはやらない、とな。鼻笑)

御書に、戒名を頂かなければ絶対に成仏はしない、とは何処にも書かれていないから、此の俺は嗜好
を変えて、本名はカタカナにするのだ。

御書に、葬儀の導師は僧侶でなければ絶対に成仏はしない、とは何処にも書かれていないから、俺の
葬式の導師は、三軒隣りの八百屋のてっちゃんに頼むのだ。もちろん、葬式で成仏など決まらないの
だから、八百屋のてっちゃんは、霊友会の信者だよ。(何、ダメなのか。何故にダメなのだ。鼻笑)

御書に、引導を渡して貰わなければ絶対に成仏しない、とは書かれていないから、俺は導師を務める
八百屋のてっちゃんに『望郷酒場』を棺桶の前で唸(うな)って貰うのだ。

御書に、塔婆を建てなければ絶対に成仏はしない、と、其の儘ズバリの文証などは何処にも無いから、
此の俺様は、塔婆の代わりに、電飾ネオンを墓石に巻いて貰うのだ。

御書に、墓を建てなければ絶対に成仏しない、とも書かれていないから、此の俺は死んだ後、遺骨を
骨壺に入れて貰い、姉さんの家の洋間に飾ってもらうのだ。

御書に、棺桶に入らなければ絶対に成仏しない、とは何処にも書かれていないから、俺様は其の儘、
サンマの様に焼いて貰いたい。(おっと、此れも世間法では御法度か…。何だ。仏法の化儀より世間法
の方が優先なのか…。哀)

御書に、僧侶の書いた御本尊でなければ絶対に成仏はしない、とは何処にも書かれていないから、
此の俺様は、一生成仏を五十代に成し遂げて、常住御本尊を自分の手で書くのだ。


●日亨上人が曰く

『「義理」「化儀」の簡別は義理は化法なり、大道理なり、化儀は設けられたる信条なり、諸法度な
り御開山の廿六箇条又は当化儀条目(日有上人化儀抄)の如し』(『富士宗学要集』第1巻151頁)

御書に、化儀抄の内容など、何処にも書かれていないし、当然、成仏にも関係ないのだから、俺たち
創価学会員は、そんなものは無視するさ。

哀笑。

馬鹿に付ける薬は最早無い。
 

教義の変節はどちらであるのか

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 4月29日(日)16時52分49秒 softbank219205006025.bbtec.net
返信・引用
  さてもお前らからして、良いものは把(と)ると云うが、お前らは、その良いものを説いていた宗団から
破門されているのである。しかも、今や、その宗団の教義をして邪義と断言しておる。しかし、我等
が良いものを採るとは、其の採用する内容が、富士門の教学に一致しておるから採用するのであって、
お前らが良いとして採用する根拠は、今にして何処にも無いのである。して、お前らは曾(かつ)ての
池田の指導を反故にするなら、その反故にした内容に附随する教学は、今にしては一切採用する資格
はないのであり、又、其れを採用するとなれば、現今の池田太作の指導内容に対して違背する事とな
るのである。

初代・牧口会長が云く『釈尊出世の本懐としての法華経を、今日において我々が理解するには、その
予証どおりに出現して、これを実生活に証明された日蓮大聖人を信じ奉り、説の如く実践躬行(きゅう
こう)して価値を体験し、証得する以外に途(みち)はない。それをするためには、唯一の正続たる
日興上人門流として、六十一世を重ねつゝある日蓮正宗の総本山大石寺の教義に従って、忠実純真に
三大秘法、すなわち法華本門の本尊に、法華本門の戒壇において、法華本門の題目を唱え奉る外には
絶対にない。(中略) 正法は正師につくにあらざれば、証得し能(あた)わぬとはこの意味である』と。

                                                             (牧日常三郎全集・第八巻69頁)

二代・戸田会長が云く『わずか小勢百数十人の僧侶が、愚僧・悪僧・邪僧充満の悪世に、よく耐えた
るもので、大聖人の御出世の御本懐たる弘安二年十月十二日御出現の一閻浮提総与の大御本尊を守護
し奉って、七百年、チリもつけず、敵にもわたさず、皆々一同、代々不惜身命の心がけで、一瞬も身
に心に心身一つに、御本尊を離れずに、今日に至ったのである。朝夕の給仕、大聖人御在世と一分も
変わりなく、時勢の隆替(りゅうたい)にも、法主上人の代々にも、何ら変わりがないことは、大聖人
御在世を拝すると同様である』と。

                                  (戸田城聖全集・第一巻)


三代・池田会長が云く『日蓮正宗に於る根本は、唯授一人の血脈である。その血脈相承の御法主上人
に随順しゆく事こそ、僧俗の正しいあり方である。この一点を誤れば、全てが狂ってくる。創価学会
は御歴代の御法主上人に随順してきたが故に、永遠に栄えていく事は間違いないと確信する』と。

                             (広布と人生を語る・第三巻32頁)

四代・北条会長が云く『今日において、歴代の御法主上人を日蓮大聖人と仰ぐのが、日蓮正宗の信心
であり、学会の伝統である。御法主上人を軽(かろ)しむ様なことがあれば御書に照らしても堕地獄は
疑いない。私共は、何があろうと、御法主上人の御指南のままに邁進し、僧俗和合を築いていく事を
確認しておきたい』と。

                                (於・学会創立五十周年記念幹部登山)

而して、我らの立場からすれば、恩師の指導、そして、破門以前の池田の指導を引用するは、富士門
教学の一端として正釈となるのであり、逆にお前らが破門已後の池田の指導等を正義とするならば、
破門以前の池田の指導を先ずもって邪義であったと反省し、その邪義によって入信させた幾百万会員
への謝罪を先ずは為すべきである。そして、恩師戸田先生の大信心が、まったく邪宗信心であったと、
此に謝罪明記すべきである。而してもし、恩師が生涯を通して邪宗を信仰していたと云うならば、
其の亡くなられた恩師をして、永遠の指導者とは如何なる事を以って定めたるか。そして其の指導者
たる資格に於ては、恩師が帰依したる法義の正邪は無視されるものなのか。

お前らは、それを申してみよ。
 

葬儀とは即ち霊山の儀式である

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 4月29日(日)15時53分3秒 softbank219205006025.bbtec.net
返信・引用
  さて、久しぶりに時間を得たので、相も変わらず創価外道が騒いでいる『葬儀に僧侶の出席は不要』
などという文句について、其れを茲にて叩いておこう。

先ず、創価の連中が満悦に取り上げた、読売新聞((4月21日付)の冠婚葬祭に関する世論調査であるが、
見れば其の『簡素化』の傾向をして『友人葬』の正当性が証明された、などと云う単純阿呆な連想を、
小会員などがベラベラ申している様ではある。鼻笑。

さても、世論の意見こそが、宗義破折の根本に成るとは、応に外道創価の得意とする所ではあるが、
果たして、其の支柱とする世論の意見の大半が、無宗教・無信心の衆生から出ている、という事を、
お前らは先ずもって知るべきである。して、もし其れらを了解して教義の支柱と為し、其れら世論を
以って、我ら富士門の法義に唾するならば、応に其れこそが外道の正体であり、新興宗教の性根その
ものと成るのである。

して、其の読売の世論調査をして『葬式に僧侶の出席は不要』などとは、何処にも書いてはおらん。
見れば、あくまで葬式への参列についての事であり、本より導師を務める僧侶をして『参列者』とは
申すまいが、つまりは、葬式への参列は、其の家族・親戚・友人・知人が望ましい、との事であって、
僧侶の不要などを希望するものではない。して見れば、自分の葬式で戒名などは必要ない、とする意
見が56%で、戒名を必要とするが43%である。尚、読売の記事に於いては『戒名(法名)』と記されて
おるが、確かお前ら創価外道に於ては『戒名と法名は別モノだ!』という文句ではなかったのか。
何だ。この部分ついては採用しないのか。鼻笑。ったく、都合の良い連中ではある。

云うまでも無く、葬儀の盛大が故人の成仏に関係するものではないし、又、簡素にしたからと言って
成仏しない、というものでもない。先ずは第一、其の葬儀が正法正義に依って執り行われるか否かが
重要となるのである。本より、これ以降の記述は、世論を超えた仏法義の内容であるから、此の小生
の記述を世論の意見から批判するとなれば、其の時点でお前らは『馬鹿な連中』と相成るのである。
先ずは其の事を肝に銘じて置きなさい。よろしいか。

して、葬儀には僧侶の出席が絶対に不可欠とは、一体誰が言ったのか。

して、僧侶抜きの葬儀を執行すれば、故人は地獄に堕ちるとは、一体誰が言っているのか。

小笑。何てことはない。これ皆、お前ら創価外道の造り文句なのである。

よいか。我らはこう申しておる。

『創価学会が富士門の三宝尊に違背し、正法正師、つまりは日蓮正宗の僧侶に対する怨念を以て執行
する友人葬などは、其の不純なる一念からして、故人の即身成仏などは為し得ない。つまり、我らが
富士門の根本たる戒壇の大御本尊と唯授一人の血脈に随順しない葬儀は、其のすべてに於いて故人の
成仏は叶わないと云う事である。つまり、邪宗の葬儀に於ては、僧侶の出席の有無に拘わらず、其の
すべてが堕獄の因に成ると云う事である』と。

外道諸氏よ。上記の意味合いが理解出来るか。

つまり、僧侶が出席しなければ絶対に成仏できない、などとは、実にお前ら創価学会の付会であり、
其れこそ、我ら日蓮正宗信徒に於いて、何某が亡くなったとして、いざ葬儀という時に、其の居住が
僻地離島であり、しかも途上に於いて悪天候が続き、諸々の交通が遮断されたともなれば、其の間、
延々と御僧侶の到着を待つべきものであるのか。つまりは、そういう止むを得ない状況も有り得ると
いう事である。又、其の様な状況は、海外に於いても発生し得る事案でもあろう。而して其の場合、
葬儀に於いて僧侶が不在であるから故人は地獄に堕ちてしまうのか。

よいか。つまりは、富士門から破門された在家などが寄り集まって、其の恨念の下に勝手に葬儀を執
り行い、しかも、仏法に於いて僧侶など邪魔である、などという邪念の在家どもが導師を務める其の
醜態をして、我らは『其の葬儀に於いて故人の成仏は叶わない』と申しているのである。

ったく、邪宗邪徒が執り行う葬儀によって、故人が成仏するとは、一体、何処の御文に記(しる)され
ているのか。この様な事、日蓮門下の端くれであれば、文証を引くまでもなかろうて!

尚、フェイクなどが引用しておる、昭和43年11月度の本部幹部会における池田太作の発言は、
今回の読売と同様、その当時の一般新聞での「葬式の合理化運動」を取り上げて述べたものであるが、
昨今の小創価の馬鹿どもは、此の池田の発言こそが友人葬の原点であり、何と此の池田の発言をして
『先師・日達上人の指南を経てなされたものだ』などと嘯(うそぶ)いているのである。哀笑。

ちと長いが、其の池田の発言を此に示そう。

云く『先日から新聞などに葬式の合理化運動の記事が出ています。そういう点も、私は大賛成です。
あれは形式だけの葬式を改革しようという動きで、坊さんを呼ばないとか、死亡通知だけでよい、と
いうような考えです。御本尊に題目を朝晩あげて、事の一念三千の当体である我々です。死んでだれ
にお経を読んでもらう必要がありますか。我々こそ、葬式の最高の近代化を訴える人であり、合理化
の先駆者なのです。だからもし葬式の改革の話が出たら、我々は賛成だ、先端をいくのだ、と言って
いいのです。葬式に必ずしも御僧侶を呼ぶ必要はないのです。正宗は葬式仏教ではなく生きるための
仏教です。呼びたい人は呼んでもいいが、呼びたくなければ呼ばなくてもいい。この様に日蓮正宗は、
あらゆる宗教のなかで最先端をいくものであり、最高の近代性をもっているのです。これについては、
総本山も大聖人の根本精神につながった考えです、と言っておりました。しかし、これも行き過ぎな
いようにしてください。御僧侶を呼ぶかどうかは、本人や家族の意思で決めることです。ただ、幹部
が葬式の合理化について聞かれたような場合、なにも受け身になる必要はない、保守的に封建的に考
える必要はない、という意味で申し上げたわけです』

果たして、此の内容の全てが、御先師・日達上人の御指南によって成されたものであるのか、少しで
も脳ミソが働けば、判るというものである。

抑も『総本山も大聖人の根本精神につながった考えです、と言っていた』との意は、日蓮正宗に於る
常盆・常回向の精神を述べたものであり、其れらを怠って、葬式のみを本義とする偏頗な思考に同じ
ない、つまり日蓮正宗の法義は、葬式の為の法義ではない、という意味での文言なのである。つまり、
そういう意味での『根本精神』なのである。而して、此の事を以って、僧侶不在の葬式こそが日蓮大
聖人の根本精神だ、などという意味にはならないのである。

又、其の事は、日亨上人が仰せの『葬儀は宗門の厳儀にして其の方式を霊山虚空会に取る』との御意
にも繋がるものであり、其の御精神に於いて、世間普通の無信仰の人間が因習的に、形式的に、人が
死んだから僧侶に引導を渡して貰って焼いて埋めて、はいお終い、などという惰性的な葬式などは、
抑も我が宗の葬儀の意義からして、まったく趣を異にするものである、との意なのである。

哀笑。其れを『(僧侶を)呼びたくなければ呼ばなくいい』という、池田の小言を『僧侶不要の宣言』
と断定し、しかも、其れを宗門が奨励したかの様な記事を書くなどは、まことお前ら怪文書フェイク
の生(な)せる業(わざ)である。ったく、どうしようもない連中であるよな。哀。

尚、太作は、上記の内容の前に、次ぎの様な事も言っておる。

云く『これは総本山とよく相談した結果をお伝えするわけですが、塔婆供養について一言申し上げた
い。というのは、従来、人によっては、五本も十本も塔婆をたてて追善供養してきたケースがありま
したが、原則は一本でいいのです。あとは回向料として、御供養すればよい。こういう細かなことを
いうのは、日蓮大聖人の仏法が、末法万年にわたって、永遠に合理性をもち、近代的であるからです。
事実、御書をみても、塔婆を何本立てなさいという指導はどこにもありません。でないと、世間の人
達が、日蓮正宗創価学会を、葬式仏教と成り下がった既成宗教と同一視してしまう可能性さえありま
す。わざわざ世間の人の不信を買い、法を下げる結果を招いてしまうのです。塔婆は一本と決めてお
けば、すっきりします。裕福な人も貧しい人も平等なのが真の仏法です』と。

本より、塔婆を五本も十本も建てなければならない、などと、御宗門は言っておらんし、其のような
事は、信徒それぞれの裁量である。つまり、出来る事が可能であれば、須らく其れを実行し、又、
可能でないのであれば、無理を押してする必要はない、という事である。又、其れを逆に云えば、
実行可能であるのに、其れを敢えてしない、というのは、信心の懈怠であり、まして其の不行が僧侶
への怨嫉と怨念によっての不行であれば、其れこそが謗法の邪念であり、そういう性根を以って葬儀
を行えば、須らく堕地獄の因と成るのである。仍って、お前ら邪徒が邪徒を弔う『友人葬』などは、
其の全てに於いて地獄の儀式と相成るのである。

よいか。お前らの葬儀などは、立正佼成会の信者が葬式を執り行うと同じ事なのであり、抑もが、
僧侶を呼ぶ、呼ばない、以前の問題なのである。よいか。先ずは其の事を理解しなさい。

尚、引導・戒名・塔婆については、本より我ら正統・富士門流の化儀であり、破門された在家どもが、
己(おのれ)の都合によって一々騒ぎ立てようとも、其の動かざる正義は即化法として、お前らの眼前に
立ちはだかるのである。

日有上人に曰く『仏事追善引導の時の回向の事、私の心中有るべからず、経を読みて此の経の功用に
依り、当亡者の戒名を以って無始の罪障を滅して、成仏得道疑ひ無し乃至法界平等利益』と。

日亨上人に曰く『塔婆などに題目などを書写する事は、受持体分(総体の受持)の書写となるなり』と。

よろしいか。引導も戒名も塔婆も、当流に於ては、世間邪宗の形式に非ず、其のすべてが霊山の儀式
を執(とり)成す重要な化儀となるのである。

恩師が云く『(塔婆は)形式ではありません。仏法上の儀式であります。色心不二の成仏、草木成仏の
深い原理からきているのであります。(中略) 生命論がわからなければ、この深い原理はなかなかわか
りません』と。

果たして一体、此の恩師の指導からして、塔婆など不要とは、どういう事であるのか。つまりは、
お前らの葬式に於いて、塔婆を建てる者が居ないから、単に要らないと言っているだけではないのか。
本より、そんな理由などは仏法でも何でもない。して、間違いなく、塔婆は不要というのであれば、
上記の恩師の指導は間違っている、という事を、此に証明しなさい。よろしいか。

加えてお前らは、仏教に於いて、僧侶は葬儀に携(たずさ)わるべきではない、などと言っている様で
あるが、其れでは何故、六老僧は日蓮大聖人の御葬儀を執行したのであるか。つまりは、お前らから
して、携わるべきではない日興上人を首(はじめ)とする御僧侶が、大聖人の御葬儀に参列したるは邪道
に値する、という事であるのか。先ずは其れを述べよ。尚、日興上人は信徒の曽禰殿に対し『市王殿
の御うは(乳母)他界御事申はかり候はす、明日こそ人をもまいらせて御とぶらい申候はめ』と申されて
おる。して『人をまいらせて』とは、曽禰殿と同じ信者を参らせるのか、それとも御一門の御僧侶を
参らせるのか。仏事の道理として申してみよ。して、其の参らせる人が僧侶となるならば、お前らが
大白蓮華で主張した『僧侶が葬儀を執り行う事は仏教本来の在り方ではない』と云う文句は、其れこ
そ日蓮大聖人御遷化に於ける大葬を侮蔑する事となり、日興上人に対する無礼となるのである。

尚、怪文書フェイクなどは「葬儀の本来の意義を見直すことは、謗法と化した日顕宗への施しを止め
る戦いでもある」などと馬鹿な事を言っておるが、つまりは、葬儀に於ける僧侶の不要などは、単に
我ら興門正統に対する反抗の証しでしかない、という事ではないか。鼻笑。

よいか。そういうのを『意固地』と云うのである。哀。

其れにしても、創価の馬鹿連中が言う様な『絶対でないのであれば破ってもよい』という極想は何と
かならんものか。果たして『絶対でないのであれば、破っても良い、守らなくても良い』と云うので
あれば、別段、数珠などは輪ゴムでもよいのであり、蝋燭もクリスマスキャンドルでよいのであり、
仏壇もミカン箱でよいのであり、樒(しきみ)も桜や薔薇でよいのである。しかし、お前らは、それを
やろうとしないであろう。つまりは、そういう事なのである。つまり絶対厳守でなくとも、守るべき
行動意識というものが、そこには在るという事である。よろしいか。其れをして『化儀』というので
あり、其の化儀は普段からして守るべきものであるから、つまりは其れこそが化儀即化法となるので
ある。

馬鹿が云く『葬儀も引導も戒名も塔婆も、それを絶対しなければ成仏しないという文証を出せ』と。

哀笑。もはや、馬鹿に付ける薬は無い、とは此の事か。鼻笑。

兎も角も、我ら興門正統は、今後とも創価外道が執行する友人葬を破し、其の邪念に基づいた地獄の
儀式を、より一層呵責すべく、化儀即化法の正義を此に愈々(いよいよ)宣揚しめんとするものである。

日亨上人に曰く『当法華宗は信謗を以って徳罪を峻別するが故に、如何なる荘厳儀礼を尽くせる仏事
作善なりとも、他宗他門にて此を行なふときは、能開の宗旨既に謗法罪科なれば、所開の作業従って
又罪悪なるを以って、決して随喜参列すべからず、寧(むし)ろ此を破斥するが大功徳なり』と。

創価外道の友人葬を今こそ破すべし! 此れ大功徳の源泉なり!
 

教義の変節は、須らく邪宗の証しである

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 4月11日(水)15時00分32秒 softbank219205006025.bbtec.net
返信・引用
  『前に言っていた事と、今言っている事が違う宗教は邪宗である』

とは、応に恩師戸田先生による殊言である。

本より、宗教者として、否、仏法者として、其れまで堅持していた仏法義を悉(ことごと)く破棄し、
新たなる教義を造説するなどは、其れが如何なる理由であろうとも、許されるものではない。

日蓮大聖人が曰く『昔と今はかわるとも、法華経のことわり違(たが)うべからず』と。(新編 1183)

まして教義の変節が、宗門からの破門によって生じたとなれば、其れこそ宗門からの破門が無ければ、
其れら教義の変節は無かったという事になるのである。つまりは、そういういい加減な都合に依って、
お前らの変節は成り立っているのである。ったく、恥かしいとは思わんか。哀。

果たして、そういう主体性の無い変節漢にして、鉄面皮(恥知らず)な教団と申せば、お前らが其の功
績を讃えた彼の立正佼成会が有名であろう。

さても此の教団、庭野日敬などが霊友会から離反して創られたものであるが、何と此の教団の本尊は、
設立した昭和13年から昭和23年までの10年間に5回も変更(変節)され、其の後の昭和32年、
庭野日敬は『今までは方便の時代であり、今こそ、久遠実成大恩教主釈迦牟尼世尊を本尊とすべき』
などと宣言して、実に6回目の本尊変更を行ったのである。

おいおい、『今までの本尊は方便であった』『今までの教義は方便であった』つまりは、だから今は
用いない。果たして、此の言い訳、まったく、お前らと類似しているではないか。否。お前らなどは
『今までの教義は邪義であった』などと打ち捨てるのであるから、其の変節ぶりは立正佼成会よりも
酷(ひど)いと云う事である。ったく、情けないよのぉ。呆。

して、お前らは、我ら富士門信徒からの呵責に論窮すると、必ずと言っていいほど『其れは破門以前
の教学だから、今の我らには通用しない』などと、白を切るのである。呆笑。

ならば一体、破門以前のお前らは、邪教を信じていた謗法の徒輩であったのか!

して、其の無智なる棟梁が、恩師戸田先生であり、そして、池田太作であった、と云うのか!

ったく、馬鹿な事を云うものではない!

果たして昨今、お前らが発行せし仏教哲学大辞典をして『一体、いつのモノですか?』などと惚(とぼ)
けておるが、云うまでも無く、初版(三版も含)までの仏哲に記(しる)されている仏法義の解説を今更に
否定する事は、須らく恩師戸田先生の教学指導を否定する事であり、其れこそは恩師の存在そのもの
を否定するものである!

本より、上版に記されている仏法義は、お前らが興門正統の断絶と大騒ぎした日顕上人御相承以前の
日達上人当時の教説であり、今は其れを邪義として使用しない、などと云うは、応に後付による自己
撞着の言い訳であり,日興門流として通用するものではない。大体、教団設立当時から堅持していた
仏法義を、破門されたという理由で、其の根本教義を根底から破棄するは、其れまでの折伏内容を自
らが完全に否定するものであり、其の折伏によって入信した幾百万会員の信心を謀(たばか)った事に
なる! そんな都合の良い変節教学を以て、我らが持する本来からの立義に反論する事自体が論外なの
であり、そういう変節を以って、己(おのれ)の主張を宣べるは、これ応に『言い繕い』の類(たぐい)で
あり、仏法者としてあるまじき、撞着(どうちゃく)の恥態である!

先ずは第一、初版から三版までの仏哲に記されていた仏法義が、今にして邪義となった法義的根拠を、
其れこそ恩師の教学指導から、其れを証明してみせよ。よろしいか。

ったく、戸田先生をして『恩師』とは、如何なる事を以って称するか。お前らは解かっておるのか!

よいか! 戸田先生をして『恩師』と呼ぶは、実に大檀那として正法正義を我々に説いて下さった、
其の大恩と尊敬の念をもって呼ぶのである! 爾(しか)らば、其の正法教学を説いて下さった恩師戸田
先生の御指導からして、上版仏哲の富士門教学に於ける内容が邪義でない事は、火を見るより明らか
ではないか!!

大体、其の当時の仏哲に記された教学が、今に成って邪義と云うのであれば、其の当時の創価学会は
一体全体、どの様な集団であったのか。つまりは、恩師戸田先生は、誤謬教義を信奉する棟梁であっ
たと云う事か。云うまでも無く、即身成仏義などは、組織破門の理由によって変節する内容ではない。
本からして、不変の教義である。仍って、此の即身成仏義に於ける対論に於て、仏哲に示された文証
を今にして白を切るは、此れ論敗の証しと成るのである。

●日蓮(大聖人)は末法の本仏ではない
●戒壇の大御本尊は後世の創作だ
●二箇相承の鑑定書を出せ
●本因妙抄は偽書だ
●百六箇抄は要法寺の相伝書だ
●産湯相承書は捏造書だ
●御義口伝は無名者の創作文だ
●日有(上人)が本仏論の張本人だ
●日寛(上人)は謗法甘受の邪師だ

よいか。これすべて、お前ら創価学会員の言い分である。

何とも情けないものよのぉ。呆(あき)れてモノも云えんぞ。呆。

鼻笑。

よくもまぁ、其の様な体たらく(主体性の無さ)で、我ら富士門の教学を突くものよ。呆笑。

ったく、お前らは『馬鹿』である。『馬』を見て『鹿だ』と言い張る『馬鹿』である。哀。

池田太作に云く、

『僕が言うのは、法律的届けの問題は一夫一婦制になっている、ということ。ただし、ただしですよ、
もし、それだけの理由と力があって、しかも誰にも迷惑をかけないという場合には、一夫一婦制の枠
外の行為でも、私は男性として認めます』(『月刊宝石』昭和45年)1月号)

果たして、此れは何なのだ。

して、此の桂冠詩人の不貞容認論は、今のお前らからして『変節』はせんのか。鼻笑。

ったく、御隠尊猊下の『かまし』どころではない。

お前らは、本当にどうしようもない連中である。

お前らは、本当に恥を知るべきではないのか。哀。
 

不妄語戒について・・・・

 投稿者:黒川和雄  投稿日:2012年 4月 9日(月)11時26分44秒 p7141-ipbfp4501osakakita.osaka.ocn.ne.jp
返信・引用
  4月8日の御講で御住職より素晴しい御受戒の時の話があった。

「今身より仏身に至るまで爾前迹門の不妄語戒を捨てて、法華本門の不妄語戒を持ち奉るや否や」



この不妄語戒という意味であるが、平たく言うと「ウソを言ってはならぬ」ということである。従って邪宗の教義というのは釈尊の本義に迷い、また法華経文底の意味が分からず日蓮宗などは「日蓮大菩薩」などと称してウソを説いているのだ。

従って、我々は御受戒の時、これらの爾前権経の邪義を捨て、末法の御本仏日蓮大聖人の教えを正しく伝えてゆくということを御本尊に誓っているのである。

邪宗の輩に「正しく伝える」という意味は「折伏」ということだ。

以前、犀角独歩という退転者を破折したことがあり、「公然で法論しようじゃないか」と問いかけてみたが、氏曰く、「法主から法論の許可を得ているのか?」との阿呆な反論があったことを思い出した。

また「マイタレイヤ」とかいうハンネの莫迦者が「在家の分際で法論・・・」とか抜かしておったのを思い出したが、上の受戒文からわかるよう、我々日蓮正宗の僧俗は御受戒の時点にて大聖人から邪教破折の許可を得ているということである。

「実行前進の年」だ、諸君、大いに折伏に邁進しようではないか!
 

捏造・法主本仏論を摧破す

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 4月 5日(木)20時17分28秒 softbank219205006025.bbtec.net
返信・引用
  云うまでも無く「法主本仏論」なるものは、創価学会が作り上げた邪説であり邪論である。

大体、少しでも智慧が回れば、日蓮正宗の御歴代上人が「末法の本仏である」などと云う阿呆な論説
など、思う浮かぶものではない。哀。

そうすると、創価の小者共は、口を揃(そろ)えて言うのである。

「俺たちが言っているのではない。日顕宗が言っているのだ」と。

先ず言って置くが、此の世に「日顕上人の宗教(日顕宗)」なるモノは存在しない。

其れは何故か。其の宗教の根本に於いて、小生が曾(かつ)て創価学会員として学びし富士門教学と、
現在の日蓮正宗教学が、全く以って同一だからである。つまり、破門以前の過去から現在の今日まで、
日蓮正宗は日蓮正宗の儘であり、其れこそは、お前達が「日蓮大聖人直結の御正師」と仰ぐ日寛上人
の御教示を、一寸の乱れなく堅持しているのが日蓮正宗なのである。

其れよりも何よりも、其の「大聖人直結の御正師」の御訓戒に背き、日蓮大聖人の御本仏たるを懐疑
する学者を庇(かば)い、絶対妙の範疇をも超えて、学術研究の目を以って仏法を推し量らんとする、
其のお前らの性根こそを何とか致せ。

小生から言わせれば、其れら謗法容認の体たらくこそが「池田教」の態勢ではないのか。

ったく、其の様な蝙蝠(こうもり)教団が「法主が本仏などと言っている日顕宗は邪宗だ」などと口を
尖らして言っておる。哀笑。

大体、日蓮正宗の御歴代上人が「本仏」とは如何なる事か。云うまでも無く、末法の御本仏たるは
日蓮大聖人、唯御一人である。

しかし、お前らは「法主が御本仏だ、と日顕宗が言っている」と云う。

何処(どこ)だ。何処にそういう教義があるのだ。

まさか、此の事か。

『本宗の根本は、戒壇の大御本尊と唯授一人血脈付法の御法主上人であります。具体的には、御法主
上人の御指南に随従し、御本尊受持の信行に励むことが肝要です。何故ならば、唯授一人の血脈の当
処は、戒壇の大御本尊と不二の尊体に在(ま)しますからであります。したがって、この根本の二つに
対する信心は、絶対でなければなりません』(大日連/平成3年9月号87頁)

小笑。

おいおい、一体此の何処に「法主こそは本仏である」と記(しる)されておるのだ。

お主ら、大丈夫か? 頭。

よろしいか。上記の内容とは、唯授一人血脈の当処、つまり、日蓮・日興血脈の次第に於ける一切の
仏法は、其の後の日目上人、そして又、中興の両祖たる日有上人、日寛上人以降の御歴代上人に相伝
されている事を云うのであり、又、其の伝持される御内証を以って、大御本尊を御書写奉る尊行を宣
べているものである。仍って、其の行(御本尊書写)を為す尊体は須らく、戒壇の大御本尊とは不二で
あると説くは、応に当然の理(ことわり)ではないか。

日寛上人、当家法則文抜書を以って申さく『末法の本尊は日蓮聖人にて御坐すなり。然るに日蓮聖人
御入滅有て補処を定む、其次々に仏法を相属して当代の法主の処に本尊の体有るべきなり、此の法主
に値ふは聖人の生れ替りて出世し給ふ故に、生身の聖人に値遇し結縁して師弟相対の題目を声を同く
唱へ奉り』と。(研教9─740頁)

応に師弟は相対にして不二である、という理(ことわり)を領解出来なければ『不二の尊体』の意など
解かろう筈もないのである。小笑。だからこそ、お前らは、大日連に掲載された、所謂「能化文書」
の内容を以って大騒ぎするのである。ったく、而二の上の不二を理解せずにして、一体何の本門教学
であるのか。本当に大丈夫か? お前らの頭。

御本尊七箇之相承に曰く『代々の聖人悉(ことごと)く日蓮なりと申す意なり』と。

うむ。応に御本尊書写に於ける御判形こそが、而二にして不二なる師弟の深義なのである。

而して「代々の聖人悉(ことごと)く日蓮なり」とは、応に日蓮大聖人をして宣示されたものであり、
又、だからこそ、御自らと同じくして、つまり、其の悉(ことごと)くに於いて『代々の聖人』と仰せ
になられたのである。しかし、御開基日興上人已来、我が日蓮正宗に於いて『聖人』と呼ばれる御方
は居らず、其の代々の総ては『上人』なのである。

つまり、此れこそが而二にして不二なる、師弟の尊体と領解すべきものなのである。

而して『不二の尊体』とは、其の唯授一人の大義が、戒壇の大御本尊に帰一する事からして、決して
間違った表記ではない。

本因妙抄、支吾なき一文にして曰く『又此の血脈並びに本尊の大事は日蓮嫡々座主伝法の書、塔中相
承の稟承(ぼんじょう)唯授一人の血脈なり』と。(新編 1684)

仍って類聚翰集私に曰く『然るに日蓮聖人御入滅有るとき補処を定む。其の次ぎ其の次ぎに仏法相属
して当代の法主の所に本尊の躰有るべきなり』と。(富要第二巻・308)

仍って日寛上人は、其の正義たる文意を以って当家法則文抜書に御記文せしむ。

曰く『末法の本尊は日蓮聖人にて御坐すなり。然るに日蓮聖人御入滅有て補処を定む、其次々に仏法
を相属して当代の法主の処に本尊の体有るべきなり』と。

尚又、日寛上人の御誕生より遡(さかのぼ)ること二十三年前、細草壇林を開壇せしむ法詔寺日感師が
申さく、

『大石寺は金口の相承と申す事候て、是の相承を受く人は学不学に寄らず生身の釈迦日蓮と信する信
の一途を以て末代の衆生に仏種を植えしむる』と。(聖典765)

はてさて、此れらの御文証を以て、一体、どの御文が『法主こそが本仏である』と説かれておるのか。

お前らは、能く能く心読すべきである。

いや、お主らの其の、蝙蝠(こうもり)の様な二心で、更には蜻蛉(トンボ)の様な複眼で、何(いか)に
上記の御文証を拝読しようとも『法主は本仏なのだー!』としか読めないのであろう。鼻笑。

応に『馬鹿』とは、此の事をして云うのである。哀笑。

恩師が云く『血脈相承といって、我々の御法主様に法水の容器は違うが、その内容は一滴も漏らさず
に来ているのです。だから御法主様だけが、御本尊様をしたためることのできる仏様なのです』と。

仍って恩師が申さく『有り難くも、本日は、御本山の猊下(日昇上人)のお出ましを願い、畑毛の猊下
(御隠尊日亨上人)のお出ましを願って、我らとしては、これ以上の名誉はない。来年の今日までの間
に、本当に功徳をつかむ覚悟で、自分の悩みの心に、大御本尊を目の前に浮かべ、両猊下を拝もうで
はありませんか。それでは、私が導師となります。南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経』

                       (昭和29年5月3日、創価学会第十回総会)

はてさて、此ら恩師の指導をして、一体、どこが『法主は本仏なのだー!』と宣べられておるのか。

実に恩師の上記に於ける指導は、全く以って、御本尊七箇之相承の御文に一致し、そして左京阿闍梨
日教師の御文にも一致し、其れこそは、お前らが文句する「能化文書」の内容にも一致するのである。

応に、御法主上人を日蓮大聖人としてお仕(つか)えしたるは、恩師の大信心たる証拠であり、而して、
其の事を以って「法主は末法の御本仏だー!」などと云う馬鹿な解釈をするは、今やお前ら残留会員
のみなのである。

哀笑。ったく、お前らの脳髄は、本当に腐っておるのか。呆。

『新猊下(日淳上人)を大聖人としてお仕(つか)え申し上げ、広布への大折伏にまっすぐ進んでいく』
との恩師の御信条こそは、応に唯授一人血脈相承と本門戒壇の大御本尊との不二なる尊体を以って、
成り立っていたのである。

さても、以下の文言は、一体誰の文言であるのか。

『遣使遣告であられる御法主上人猊下は、日蓮大聖人様であります!』

『御本仏日蓮大聖人の遣使還告であられる、血脈付法の御法主日顕上人猊下云云』と。

果たして一体、是れはどういう事であるか。お前らからして「永遠の指導者」たる三代会長、つまり
自分の事をして『庶民の王者』と自慢している池田太作が、上記のように宣言していた事は、実に
『法主本仏論』なる造語を以って富士大石寺に投石する現創価の矛盾を示すものではないのか。

ったく、日蓮正宗の御歴代上人に於いて『この私こそが御本仏であり、釈迦日蓮である』などと宣言
された上人が居られるのか。云うまでも無く、富士大石寺に於いては、古今に於いて一度たりとも
『法主の私が大聖人様だ』などと、時の猊下が言われた事などないのである。

果たして小学会員よ。もし、そういう御歴代上人が居るというならば此に即答してみせよ!

『法主本仏論』

応に此れこそは、創価学会の造語であり、其の貧弱なる読解力によって『不二の尊体』の深意を理解
出来なかった珍釈なのである。

小笑。何とも、笑える話ではないか。

云く、

「本宗における厳粛なる法水瀉瓶唯授一人の血脈は、法灯連綿と、代々の御法主上人に受け継がれて、
今日に至っております。あくまでも、御本仏は、日蓮大聖人様であらせられ、唯我与我の御法主上人
のご内証を、大聖人と拝すべきなのであります」と。(聖教新聞 昭和五十四年五月四日付)

お前らは、今一度、上記の正釈を学びなさい。

そして、『「法主は本仏なのだー!」と日顕宗が言っている』などと云う、出鱈目(デタラメ)な文句
などは、即刻にやめなさい。観ていて、とても恥ずかしい。其の蝙蝠(こうもり)と不二の痴体が実に
実に恥かしい。

東大学者・松岡某に云く、

『「法主信仰」を日興上人以来の大石寺の伝統に仕立て上げたのは、法詔寺日感である』云々。

小笑。

ったく、この様な戯れ言を信じて、博士は素晴らしいと感嘆する、小会員の信心こそが哀れである。

『法主本仏論』

馬鹿に付ける薬は最早ない、と云う事か。呆。
 

同穴のキマイラ

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 4月 1日(日)23時19分20秒 softbank219205006025.bbtec.net
返信・引用
  ●『邪宗門の坊主は最悪の害虫。お盆に際し金儲けを狙う宗教商売を斬る』
●『折伏できない坊主が法華講に圧力。日如の妄想で折伏に狂奔する宗門の醜態』
●『大石寺六二世・日恭の焼死に関する考察「聖人は横死せず」、横死した大石寺法主』

小笑。見ればどれもこれも品性のない中傷文ではある。

本より、現在の創価学会がばら撒いているこれら謀略情報は、曾(かつ)て散々な目に会った言論問題、
及び月刊ペン等の、所謂(いわゆる)内部告発やマスメディアによる情報攻撃の威力というものを反面
教師として学習したものであり、其れら学習した情報攻撃の威力というものを、今度は自らが其れを
駆使して、我ら日蓮正宗並びに法華講に対して行なっているものである。

して、其れらの謀略情報は、学会の各会館ロビー、又は幹部宅のFAX、又、今日ではインターネット
を通して、連日頒布されるのであるが、本よりこれら情報頒布の狙いは、日蓮正宗僧俗の堕落ぶりを
喧伝するものであり、其のネタとなる情報は、全国各寺院に潜り込ませた『蟲』から収集し、又は、
学会員の口コミ等によって、御住職又は寺族・又は講頭などの生活ぶりを、其れら『蟲』の「監視力」
よってデッチ上げるものである。

尚現在、其れらの謀略情報をネタとする「怪文書」は大概(おおむね)以下のとおりである。

①地涌
②フェイク
③越洋
④大石寺短信
⑤新改革通信

小笑。其れにしても、あれやこれやと、よくもまぁ、分担してやるものよ。鼻笑。

云うまでも無く、これら怪文書の存在は、池田創価学会の別働隊の役割を担っている。そこには任意
としての資格はない。其れは何故か。其れはお前たち怪文書の役割が、創価学会にして下品な部分を
請け負っているからである。つまりは、お前らこそが池田創価学会の本音に於ける代弁者なのである。
よいか。そういう存在をして『別働隊』と云うのである。

さて、上記①~⑤の怪文書について、若干の説明を此に加えてみよう。

先ず①の「地涌」であるが、此の発行者は「日蓮正宗自由通信同盟」である。小笑。とは言っても、
何が通信同盟であるのか訳が判らんが、兎も角、こういう連中は「同盟」という言葉を好んで使用
する。『俺たちは同盟を組んでいるのだぞ。だから脅威になるぞ』。まぁ、そういう猿知恵から好ん
で使っているのであろう。して、この「地涌」の編集長は【不破優】だという。さても是れは「フー
アーユー」から捩(もじ)ったのか。つまりは【不破優】とは「貴方は誰?」という事か。……鼻笑。
何とも莫迦にした名前ではある。さても身元がバレない事を自慢してのネーミングであろうが、小生
からしてそういう性根こそが卑しいと言っているのである。

さても、世界に冠たる創価学会の会館ロビーに置くのであれば、正々堂々、発行者の氏名と発行所の
住所を明記すべきではないか。ったく、表で表彰などを受けながら、裏では怪文書を操って罵詈中傷
を重ねていく。よいか。そういう姿を『キマイラ』と云うのである。キマイラとは、ギリシャ神話に
出てくる、頭がライオン、胴体が山羊(やぎ)、尻尾がヘビの化け物である。しかも口から火を吐くと
云う。鼻笑。当にお前らの事ではないか。哀。

して、此のキマイラ「地涌」が登場したのは平成三年の正月である。つまりは、この「地涌」は創価
破門より11か月も前に発行されたという事になる。思えば、此の平成三年正月の大白蓮華には、
日顕上人御寄稿による「新年の辞」が掲載されているが、創価学会は其の時より既に、怪文書による
中傷戦を用意していたのである。

さても、其の様な悪辣な中傷記事を、半年、一年と連日学会の会館ロビー、全国の末寺、又は其れら
幹部宅にまでバラ撒くとなれば、果たして、お前らが『突然、宗門は学会を切った!』などの言い分
が、実にいい加減で出鱈目(デタラメ)であるかが判るのである。果たして、半年も一年も批判中傷を
繰り返す信者団体を眼の前にしながら、手をこまねいて組織破門にしない方がおかしいのであって、
実際、お前らは、其の破門を待っていたのである。つまり「地涌」とは、宗門に対して破門を促す為
の怪文書であったという事であり、其の呼び水であったのである。

そして、お前らの念願であった、日蓮正宗による創価学会の破門が、其の年の十一月二十八日に決定
したのである。実にキマイラ地涌の創刊から十一ヶ月目の事であった。

さて、次に「フェイク」であるが、これらの怪文書は、すべてキマイラ「地涌」の二番・三番煎じで
あり、時が経てば、どれもこれも苦味が増して、とても味わえるシロモノではない。

云うまでも無く「フェイク」(fake)とは、ニセモノ、まやかしの意であり、又、相手から見破られな
いトリック、という意味にもなる。本より、前半のニセモノ、まやかし、との意は、我が日蓮正宗の
事を指して言っているものであり、後半の見破られないトリックとは「フェイク」自身が自らの怪文
書ぶりを自慢している事に他ならない。尚、此の一枚刷りの怪文書には【発行所・日蓮教団メディア・
アカデミー 青葉茂監修】などと、ふざけた事が書いてある。勿論、これこそが怪文書の怪文書たる
所以であるが、そこに記された内容などは、単なる醜聞(スキャンダル)の駄記であり、それら品性の
ない内容は、どこぞの参議院議員の下品なヤジと同類である。


次に「越洋」とは、此れも一枚ズリの怪文書であり、その題号に使われている「越洋」とは、御隠尊
日顕上人の阿闍梨号(越洋阿闍梨)から流用したものである。勿論、其れらを流用する性根には、作成
者の憎悪と揶揄が込められている。又、其れこそが「怪文書」の怪文書たる所以でもある。又、これ
らの揶揄的流用は、現創価学会教学にも違背する所謂「蟲会員」などが、掲示板上で自らのハンドル
ネームとして使用する場合が多い。果たして『似た者同士』という事か。小笑。何とも浅ましい性根
ではある。

次に「大石寺短信」とは、日蓮正宗総本山をはじめ、各末寺に於る内部情報を、鵜飼よろしく頸縄に
繋がれたスパイ共が「日顕宗」と罵倒しながら、其の日顕宗の御本尊に手を合わせ、其れこそ謗法を
犯す事よりも、学会本部への情報提供が優先とばかりに、ある事ない事、醜聞(スキャンダル)のネタ
をデッチ上げて、此の「大石寺短信」は出来上がるのである。つまりはスパイ情報によるデフォルメ
怪文書の出来上がりという事である。小笑。さても「短信」とは、お前らの頭こそが「短信」の其れ
ではないのか。哀。莫迦よ。少しは長く深く考えてみよ。

さて、最後に「新改革通信」であるが、これは創価学会の教宣部に属しない、元日蓮正宗の離脱僧侶
たちが画策した怪文書であるが、此の「新改革通信」は、主に寺院の住職になれなかった脱落坊主が
烏合して創ったモノであり、他に「同盟通信」といって、元住職が烏合して作った怪文書もある。

因みに、住職になれなかった者は『青年僧侶改革同盟』という烏合を結成し、元住職の罪深き集団は
『日蓮正宗改革同盟』『憂宗護法同盟』などという代物(しろもの)に成って、池田センセー創価学会
の太鼓持ちをしている。

哀笑。しかし、当文の最初にも述べたが、此奴(こやつ)らは本当に『なになに同盟』が好きな連中で
ある。因みに、彼の松岡某は住職になれなかった烏合集団『青年僧侶改革同盟』に所属している。
何? 何故に烏合とな。鼻笑。そんなものは、住職になれなかった元坊主が集まって、在家に媚びを
売る姿からして当然であろう。つまり小生からして、お前らの「同盟」は単なる烏合という事である。
尚、此奴ら「元僧侶」などは、挙(こぞ)って創価学会の寺、所謂「会館寺院」の住職(?)となって、
学会員の葬式や法事を請け負っているのである。哀笑。ったく、僧侶など不要であると息巻き、破門
の半年以上も前から友人葬を行っていた者共が、今になって寺院だ、僧侶だ、などと…。

まったくお前らは「キマイラ」である!

して、これら創価学会の〝専用僧〟を派遣している「青年僧侶改革同盟」「憂宗護法同盟」などは、
平成五年の学会専用の本尊配布に関して、次の様に述べているのである。

云く『今回、学会が会員の方々に授与するお形木御本尊は、日寛上人が大聖人出世の本懐たる「戒壇
の大御本尊」をお写しされた御本尊である。ゆえに、「大御本尊根本」の信心はいささかも変わらず、
当然、これまでの御本尊と功徳においてなんら違いはない』と。

            【日蓮正宗改革同盟・青年僧侶改革同盟 1993/09/20(聖教新聞)】

何だ。鼻笑。まさかお前ら、今になって、上記の宣言などは「怪文書」ならぬ「怪宣言」であったと
舌を出して云い逃れる気でいるのか。さても、上記の宣言が「怪宣言」であるならば、其の怪宣言を
受けて配布された本尊も「怪本尊」と成る。仍って、其れこそは「偽(ニセ)」となる。

果たして、お前らは、栃木浄圓寺を含む、上記、改革同盟二派の宣言、つまり『今回、学会が会員の
方々に授与するお形木御本尊は、日寛上人が大聖人出世の本懐たる「戒壇の大御本尊」をお写しされ
た御本尊である。ゆえに、「大御本尊根本」の信心はいささかも変わらず、当然、これまでの御本尊
と功徳においてなんら違いはない』という創価本尊の大義と、其れ以降に改変した会則中の「教義」
つまり【(創価学会は)一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊を信受し】の大御本尊と、一体それが同じ
であるのか、そうでないのか。お前らは其れを提示しなさい。

さても、違うというならば、今、お前らが拝んでいる創価本尊などは、其れこそ「怪宣言」によって
配布された『怪本尊』と云う事になる!

何だ! 元々が「キマイラ」であるから、それでも良いとな。小笑。

恩師に云く『前に言っていたことと、今言っていることが違う宗教は、邪宗である』と!

最早、これで決まりではないか!!
 

旧学会歌に思う

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 3月30日(金)19時52分2秒 softbank219205006025.bbtec.net
返信・引用
  本より、ここで云う『旧』とは、曾(かつ)て創価学会が、興門正統たる日蓮正宗の信徒団体であった
が故の『旧』である。そして、此の小生も、其の旧創価学会男子青年部の一員であった。

思えば、よく本部の会合に於いて、学会歌の指揮を率先して執ったものであった。

当時は総合本部下に本部が直接敷かれていたので、本部内の男子部員は、総勢五千名を超えていた。

その中で、いち早く学会歌指揮の指名を得るには、先ずもって、前席に陣取り、元気良い返事と共に
勢いよく斜め上に拳を振り上げる事である。勿論、其の時の視線は、指名する幹部の目をしっかと見
据えていなければならない。


 我ら住む日本の楽土見ん 北山南河は邪宗の都

   威風堂々と正法かざし  駒を進めば草木もなびく


存知の如く、上記の歌詞は、「威風堂々の歌」の三番目の歌詞である。

尚、此の「威風堂々の歌」は、当時の旧創価学会男子部に於ては「日本男子の歌」に次いでよく歌わ
れていたが、最早、現今の創価学会、つまり、智天使ケルビムを讃嘆し、印度バラモンの教理を習わ
んとする外道創価に於ては、其の根底からして似合わぬ歌詞となっている。

して「正法かざし」の「正法」とは、云うまでも無く、其の当時からして日蓮正宗富士大石寺の正法
正義を指すものであり、まさしく当時の創価学会は、其の日蓮正宗の正法を翳(かざ)して、比類なき
折伏戦に大勝利したのである。

実に其の正法ありて、其の在家あり、とは、当に此の事をして云うのであろう。

本より、当時の創価学会が持する教学、つまり、其の興門正統教学は、恩師戸田先生の富士大石寺に
対する赤誠の大なるを以て開花し、其の高尚にして甚深なる教義は、他の邪宗日蓮宗が構える邪義を
圧倒し、其の裾野に蔓延(はびこ)る新興宗教の心肝を震わせたのである。

応に其れこそは、よき法とよき師とよき檀那の三つ寄りが為した結果であり、又、其れこそが恩師の
創価学会会長としての大命だったのである。

云く『良き法と、良き師と、良き檀那との三つが、そろわなければだめだ。南無妙法蓮華経、これは
良き法に決まっている。大御本尊は良き法なのです。また御法主上人は唯授一人、64代(日昇上人)
の間を、私どもに、もったいなくも師匠として大聖人様そのままの御内証を伝えておられるのです。
ですから、御法主上人猊下を通して大御本尊様を拝しますれば、必ず功徳が出てくる。ただ良き檀那
として、その代表として、その位置に座れたことを、私はひじょうに光栄とするものであります』と。

                       (昭和30年12月13日、関西本部入仏落慶式)

哀しいかな、今の創価学会員は、上記の恩師の指導内容をして、

『戸田先生は日蓮正宗の事を何も御存知ではなかった。だから、其の様に指導されたのだ』

『戸田先生は、日蓮正宗に騙されていたのだ。だから、そういう指導をされていたのだ』

『戸田先生は、日蓮正宗の邪義を知っていたが、組織拡大の為、会員に嘘をついていたのだ』

などと、其れこそ、創価学会員とも思えない程の、侮言を連ねるのである。

ったく、思えば思うほど、忘恩破廉恥な連中である。

して、こういう連中などは、其の時の日蓮正宗をして、

『田舎寺(大石寺)が大きくなったのは、当時の学会のおかげであり、学会の出現がなかったら、日蓮
正宗など、とっくに滅んでいた事だろう。まったく、そういう恩義を忘れて創価学会を破門にするな
どは正気の沙汰ではない』

などと自慢げに文句を言うのである。呆。

よろしいか。小生から云わせれば、そういう事を言い連ねるお前らの脳髄こそが腐っているのであり、
其れをして『馬鹿』と云うのである。云うまでも無く『馬鹿』とは、馬を見て鹿だ、と言い張る者を
指して云うのである。

恩師は申された。

『奴等はねえ、、馬鹿だから、学会の発展は組織だ組織だと言ってるんですよ。本当は、御本尊様の
御利益だと言うことを知らないのですよ』と。(大東院全集一-三三九頁)

さても御本尊様とは、総本山富士大石寺御允可の御本尊様の事であろう。つまり、創価学会の発展は、
日蓮正宗から御下付された御本尊様のおかげで成った、という事を、恩師は申されているのである。

何だ。今のお前等と言っている事が違うではないか。

果たして、恩師の御言葉を借りれば「学会のおかげで宗門は大きくなった」などと自慢する今のお前
らこそが「馬鹿」なのであり、今の学会が在るのは、日蓮正宗の御本尊が在ったればこそなのである。
よいか。腐っても鯛であり続ける事を、先ずは宗門に感謝しなさい。そして、創価本尊配布の根旨と
なっている本門戒壇の大御本尊への尊信を、お前らからして日蓮大聖人直結の御正師たる日寛上人の
御教示に照らして堅持しなさい。其れを成さねば、お前らは、まこと「蝙蝠(こうもり)信者」と成る。

果たして『蝙蝠』が如き信者が、威風堂々の歌を歌うなど、其の歌詞の内容からして噴飯ものである。

そうは思わぬか。創価諸氏よ。笑。

元創価学会東海道男子部長が、公明党衆議院議員に転身し、全日本仏教会(念仏・真言など六十派)、
及び、新日本宗教団体連合会(立正佼成会・霊友会・PL教団・霊波之光などが集合)、そして全国八万
余の神社が集合する神社本庁に対して媚(こび)を売り謝罪したるは有名な話であるが、まこと呆れた
話である。

して其の佞者が云く、

『世界平和の確立や文化の振興など有為な活動を推進しておられる貴団体をはじめ、宗教界の皆様方
とは、公党として、広く御意見などを承(うけたまわ)る機会をお願いすべきでありましたが、従来心
ならずも疎遠になっておりましたことについては、大変申し訳なく存じている次第であります』

して、此の佞文、何処(どこ)ぞで見たような気がするぞ。

おお! そうであった!

池田太作が率いる世界創価学会の憲章に記(しる)されておった!

云く『SGIは仏法の寛容の精神を根本に、他の宗教を尊重して、人類の基本的問題について対話し、
その解決のために協力していく』と。

呆。

いやはや、ここまで来ると、まるで別の教団のようである。俄(にわか)に信じ難いが、上記の佞文は、
まさしく世界創価学会の条目に記(しる)されているのである。


今日もまた明日もまた折伏の 行軍進めば血は湧き上がる

威風堂々と邪法を砕き   民を救わん 我らはここに


あれから、たかが二十有余年、邪法を砕かんとする折伏集団は、浄土宗・真言宗に媚びへつらい、
立正佼成会の功績を讃える、馬鹿者集団に成り下がったのである。鼻笑。

もはや、お前らに、威風堂々の歌など、口にする資格など無いのである。

少しは恥を知りなさい。よろしいか。
 

松岡某の遁舌を嗤う

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 3月24日(土)18時27分57秒 softbank219205006025.bbtec.net
返信・引用
  さて、ここで、面従腹背の創価学会員に人気のある、僧侶から学者に転落した還俗者、松岡某の事に
ついて、少し述べておこうと思う。

此の者、正統・富士門流から退転するも、後に東大で博士号を取得して、何やら悦に入っている様で
あるが、先ずは仏法義に於いて、それら学術の資格などは、単なる苔の一端である、という事をお主
には言っておこう。又、その様な事は、日蓮大聖人の学者に対する手厳しい記述からして裏付けられ
るものである。

して、此の退転学者の物言いであるが、観れば、ベラベラと恣意的な妄想を書き並べておるが、応に
此れこそは、文献莫迦と同じ思考性(連想遊戯)であり、其の本性こそは、己(おのれ)の懐疑によって、
整然と組み立てられた積み木が破壊されるを愉快とするものであり、又、其の快楽を満たさんとする
が故に、繰り出す妄想が全て恣意的になるのである。

して、此の学者殿。

先般の物言いに於いて『日蓮一期弘法付嘱書と身延相承書はその根本であり、これより血脈相承の
すべてが伝承されている』などと惚けをかまして恥を掻いたのであるが、此れこそは、今時の学会員
の言い様からして「アホタン」の典型なのであろう。

して、小生が一番目を引いた珍舌は、

『阿部(日顕上人)は、しばしば創価学会に於ける過去の発言を取り上げ、それと私の発言との相違を
非難する。私の論の矛盾を指摘したいのならば、私の発言内容を根拠にすべきである。そうではなく、
私という「人」を根拠とし、〝松岡は創価学会側の人間だから、過去の学会指導と違うことを述べる
のは自家撞着である〟などと言うのは論理的におかしい』

と云うものである。哀笑。

いやいや、小生から言わせれば、此れほどの『遁舌』はないであろう。小笑。

先ずは第一、正統・富士門流の法義と対するに、己(おのれ)の私義私感で対するとは何事か。

果たして此の学者。一体、何処の宗教の者であるのか。一体、何を信仰しておるのか。

先ずは、そういう事を明らかにすべきである。

加えて『私という「人」を根拠とし、「私」の発言内容を根拠とすべき』などと云うは、抑も仏法義
からして邪論であり、少しの智慧が有るならば、正義は法に依って人に依らざるものである、という
事を先ずは理解すべきである。

はて、そう云えば、同じ様な事を言っていた御仁が居(お)ったような。

『組織は組織、私は私。しかし不利益はありません』
『私に対立する勢力、アレら、日蓮正宗教学です』

おお! 此れはまさしく彼の雪中老人の弁であった。哀笑。

今では『会長は会長、私は私』と言いながら、信州の山奥に於いて、磨き粉を商っているそうな。

何だ。東大博士の松岡某と、雪中老人との言い分が全く同じではないか。哀笑。

つまり此の両者をして『此の俺たちが、創価学会側の人間であるのに、学会教学と其の指導に対して
違う事を述べるのは自家撞着である、と言う日蓮正宗側の言い分はおかしい』と言っているのである。

哀笑。おいおい、小生から言わせれば、もはや、そういう遁舌を吐いた時点で論敗であるぞ。

松岡某よ。お主は仏法を論ずる者として、少しは恥というものを知りなさい。哀。

一体、彼の雪中老人と同じレベルで、何を論じようと云うのだ。哀笑。

日蓮大聖人曰く『自義に違ふ文有れば理を曲げて会通を構(かま)へ、以て自身の義に叶はしむ』と。

さてや、お主なども、此の御訓戒に触れる「自義優先」の不信心者なのであろう。

よいか。だから日蓮大聖人は『学者』を嫌うのである。

果たして、此のような者が、もし日蓮大聖人の御在世に居(お)って、ベラベラと屁理屈を書き並べて
いようものなら、いの一番、大聖人から言われるであろう。

『何、宗義は宗義、私は私とな。つまり、お主自体が法であり教義という事であるか。何だ。お主は
附仏法外道の主(ぬし)であるのか』と。

して、此の退転学者。

先の文句に於いて『日寛上人の六巻抄は、長らく貫主直伝の秘書とされた』と云いながら、其の舌も
乾かぬうちから『六巻抄は外部向けの言説である』などと、其の言説を翻(ひるがえ)しておる。
ったく、六巻抄をして『その内容が特に他門の目に触れぬよう、厳重に秘匿されるべきは当然である』
と断言していた御仁がである。

さても、此れこそは似非学者の醜態であるのか。其れとも、小生が過日に対した蝙蝠信者の一類であ
るのか。兎も角、その都度の論状に於いて、都合よく主張を変えるは、此れまさに虚偽に塗れた自義
優先の業(わざ)であり、本より論ずるに足らない我義我執の輩(ともがら)なのである。

日蓮大聖人が曰く『私説を以て公事に混ずること勿(なか)れ』と。

富士門の僧をやめ、東大の博士に成って此の体たらく。

赤面して然るべきではないのか。
 

所詮は真似事

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 3月21日(水)18時58分57秒 softbank219205006025.bbtec.net
返信・引用
  云うまでも無く、創価学会員に於ては、南無妙法蓮華経を『なんみょうほうれんげきょう』と読む。
して、我が正統・富士門流に於いても、南無妙法蓮華経『なんみょうほうれんげきょう』と読する。

因みに、一致派身延に於ては「ナムミョウホウレンゲキョー」である。

して、創価学会は、昭和二十七年、正統・富士門流たる日蓮正宗の信徒団体として、其の例外的措置
を以って東京都より法人格を得たのであるが、其の会長たる恩師の御誓詞『将来、もし学会が大きく
なって、宗門に圧力をかけたり、あるいは内政干渉をする様な事があったら、いつでも解散をお命じ
ください』のとおり、御先師・日達上人の御憂慮をお受けした日顕上人(現御隠尊猊下)が、其の反省
の微塵もない、其の繰り返される池田太作創価学会の傲慢なる言動に対して、ようやく其の堪忍袋の
緒を切られて、平成三年の十一月、御宗門は創価学会に対して解散の勧告を呈したのであるが、池田
創価学会は其の事を以って愈々(いよいよ)反発し、遂に御宗門は、創価学会を破門に付したのである。

果たして其れから二十余年、現創価学会は、今もって日蓮正宗御歴代上人御書写の御本尊を拝し、
又其の中から、日蓮正宗第二十六世・日寛上人御書写の御本尊を特に択(えら)んで印刷し、未だ残留
せし子羊会員に拝ませているのである。しかも、其の日寛上人の御本尊を選定したるは、本門戒壇の
大御本尊を究竟中の究竟と賞賛された日寛上人が、実に日蓮大聖人直結の御正師であるからと云うの
である。

さても、〝なん〟みょうほうれんげきょう、も一致し、富士大石寺中興の祖たる日寛上人への賞賛も
一致し、其の日寛上人の御本尊をして、其の究竟たる本門戒壇の大御本尊を書写したる御本尊と定義
するも一致し、弥増して、日蓮大聖人を末法の御本仏と仰ぎ奉り、其の唯授一人たる日興上人を唯一
の正統と捉えるは、当に日蓮正宗富士大石寺の法義から示されたものであり、其れを今以って教義の
支柱と為すは、此れ皆、元信徒団体の名残であり、今にして其れを正義と為すは、全く以って正宗の
真似事である、と小生は此に断言するのである。

而して、所詮は真似事であるから、創価学会としては、何としても己(おのれ)自身の教義体系という
ものを確立して、其の体裁の悪さに終止符を打たねばならないのであるが、まぁ、其の精一杯の主張
と言えば、僧侶は要らない、塔婆は要らない、開眼は要らない、の三点セットであろうが、抑も、
其れら三点に於て、お前らが讃嘆する所の『大聖人直結の御正師』たる日寛上人が、其の正僧をして、
『末法万年の総貫首、開山付法南無日興上人師、南無一閻浮提座主、伝法日目上人師、嫡々付法歴代
の諸師』と断定し、塔婆・開眼に於ては、抑も日蓮大聖人からにして『我等衆生死する時塔婆を立て
て開眼供養するは、死の成仏にして草木成仏なり。(中略) されば草木成仏は死人の成仏なり』との
仰せであれば、其れら創価による不要三点セットなどは、論ずるまでもなく粉砕されるのである。

して思えば、破門以前の教義解釈に於て、現創価の者共は『そんなのあったっけ?』などと惚(とぼ)
けておるが、恩師戸田先生が監修せし折伏経典をはじめ、其の正釈の大成たる佛教哲学大辞典に示さ
れた内容を、今更に否定するなどは、其れこそ、恩師による富士門正統教学の大成を否定するもので
あり、其れこそは、盗っ人が過去に盗んだ物品を後ろ手に隠して、己(おのれ)の現身を繕う姿に同じ
くするものである。実に仏法に於ける軽輩とは、これら節操の無い連中を指して云うものであろう。

さて、そうとなれば、日寛上人御本尊を拝受せし大義、つまり、法体の血脈こそは、本門戒壇の大御
本尊以外には無い、とするならば、お前達は、先ず以って、日蓮大聖人の御本懐中の御本懐たる本門
戒壇の大御本尊を尊信し、其の御魂魄を伝持せられた富士大石寺御歴代上人に対する尊仰を常としな
くてはならない。又、日寛上人は其の事を以って『伝法日目上人師、嫡々付法歴代の諸師』と仰せに
なられたのである。

つまりは、法体の伝持が在って初めて、我ら信徒に於ける信心が成り立つのであるから、其の偉業に
対する報恩は、常にあって然るべきなのである。

よろしいか。

お主ら創価学会は、所詮、日蓮正宗の真似事を以って、成り立っているのであるから、せめて戒壇の
大御本尊への尊信は、其の真似事を超えて、日寛上人が仰せの如く、純真に信仰すべきである。

日寛上人が曰く『此の妙法蓮華経の本尊にこの三箇の大法を具足す。この義を顕さんと欲して曼荼羅
と題したまうなり。一に三を具する証(あかし)は板御本尊これなり云云』と。(文段 733)

本より、ここで云われる板御本尊とは、本門戒壇の大御本尊の御事である。つまり、三大秘法を具す
一大秘法の究極こそは、富士大石寺奉安堂に御格護さる本門戒壇の大御本尊以外にない、という事な
のである。よろしいか。これは御隠尊日顕上人が言われているのではない。又、小生の私見で申して
いるのでもない。お前らが大聖人直結の御正師と仰ぐ、日寛上人が仰せになられているのである。

あーでもない、こーでもない、などは、其れこそが不要なのである。

要は、お前らが尊仰する大聖人直結の御正師・日寛上人の御教示に随うのか、離背するのか、但其の
一点に於いて、お主らの真似事が、単なる真似事であるのか否かが、ここに炙り出されるのである。

よろしいか。

お前らは、そういう覚悟を以って、富士門の教学を宣べなさい。そして、其の撞着(どうちゃく)なき
姿を以って、我ら興門正統に対しなさい。

節操のない真似事集団では、先ずもって話に成らない、という事を、お主らは今こそ知るべきである。
 

姑息な自己弁護を叱る

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 3月18日(日)13時06分24秒 softbank219205006025.bbtec.net
返信・引用
  さて、我ら日蓮正宗信徒は、本門戒壇の大御本尊、二箇相承、加えて日興跡条々事の正義について、
応に当宗の碩学たる日亨上人の御判断、御判定を以て、其の正拠たるをより一層得るものであるが、
実に邪教創価学会に潜伏せる小会員、つまりは創価教学にも違背する面従腹背の似非(えせ)会員に
於ても、日亨上人の種々の論説を根拠として、特に己(おのれ)等が行った在家作成本尊、並びに唯授
一人血脈相承の否定などについて、其の正当性を繰り返し喧伝するのであるが、その癖「本門戒壇の
大御本尊」「二箇相承」「日興跡条々事」等に対する日亨上人の御正論については「本より日亨上人
は日蓮正宗の僧侶なのであるから、自宗の重宝に対して偽書偽作とは言えない」などと逃弁を吐くの
である。

つまり、この者等の考えは、抑も日亨上人の真偽裁定は、本からして都合の良いものであって、特に
戒壇の大御本尊、二箇相承、日興跡条々事等に関しては、全く研鑽の域に達していない、と結論し、
其の真偽の裁定などは、単に感情的な自宗擁護の弁論に過ぎない、と言い下すのである。

ったく、お前らの其の面従腹背の醜態を省みることなく、恐れ多くも日亨上人の御研鑽、及び真偽
裁定の御判断をして「都合のよい自宗擁護の弁論」などと其の腹が腐っても言うものではない!

日亨上人は、戒壇の大御本尊をして、

『大聖人は、興上弘教の熱誠を賞し、その功績の重大なるに伴いて、法難の熾烈なるは、実に末法
怨敵の当鉾(とうむ)なりと謂えども、是れまったく日蓮出世の本懐満足の画期として、是れを記念
する為に、弘安二年十月十二日に、本門戒壇の大御本尊を興上に親付し、万年広布流溢の時、大戒壇
に安置すべく堅牢の楠板に書写せられたり』と結論し、

身延、池上の二箇相承をして、

『弘安五年九月、興上をもって滅後の大導師として、法華本門戒壇建立の準備を命ず』と前記して
身延相承書(日蓮一期弘法付属書)の正意を宣べられ、又、

『本弟子六人を定め各地に散在せる門下の部将として弘通に励み、広布の大願を達成せしむべく命ぜ
らる。興上これを筆して五人に交付す。さらに師を抜擢して、久遠寺の後董と定め、止住して法宝を
護持し祖廟を安じて総貫首たらしむ』

と、其の池上相承書の正文書たるを明示し、

日興跡条々事に於いては、其の本文をして、

『日興上人御正筆の目師への御譲り状、正本大石寺に蔵す』

と断言されたのである。

ならば此に言おう!

果たして上記の記述のすべてが、所謂、日亨上人による『都合の良い自宗擁護の弁論』、つまりは
真偽を無視した虚言である、との証明を、お前等は直ちに立証しなさい!!

さても『五人所破抄の引文は、漢文態にて難読に見ゆるも、意義はそれほどではない。三位日順学頭
の代作だげに作文が仰々しいようである』と日順師の御文を論評し、

『純文学や史学良心を忘れて幼稚なる観客本位で著作するからであるために、ややもすれば、史実を
歪曲して故人を褒貶し過ぐる事になり、一般市民を迷惑せしむる。仏教家の史談も、強(あなが)ちに
この傾向のものばかりではなかろうが、教化的効果のあがるように、俗受けのする様にとばかり考え
てこしらえたものが多いようである』

との御見識を示し、

『家中抄の御筆も、いささかこれに類するやに思うが、宗門人の史談の種本が精師以降、今日に至る
まで家中抄そのまま、またはここに輪を掛けた俗悪低流の物の多きを顧みて、今の引文をここに批評
するの止むを得ぬに至り、ついにあるいは冗漫あるいは失礼(先師に対する)にわたりしことを許され
たし』と厳記し、遂には『正史料を顧みずに、みだりに臆説を加えて為にする筆を弄するもの、今に
絶えぬは、憂うべきことである』と明言された日亨上人が、抑もお前らが言う処の『都合の良い自宗
擁護の弁論』などする訳がないのである!

果たして、腸(はらわた)の腐った面従腹背のお前等からして、日亨上人に於ける戒壇の大御本尊への
御確信も、二箇相承に対する曾存明記も、日興跡条々事の御正筆たる明言も、そのすべてが『正史料
を顧みずに、みだりに臆説を加えて為にする筆を弄する』ものであるのか、つまり、日亨上人御自ら
憂慮されし事を、上人御自らの手で穢したという事であるのか! お前らは其れを申してみよ!!

さても結句は『鑑定しかない』などと限界の悲鳴を上げる者共が、碩学たる日亨上人の御判断・御論評
をして『都合の良い自宗擁護の弁論』などと侮蔑するは、まったく以て許されるものではない!

翻(ひるがえ)って『都合の良い自宗擁護の弁論』に値するは、まさに、日寛上人の本尊配布の大義に
於いて、本門戒壇の大御本尊こそが法体の血脈たるを宣言しておきながら、其の後、手を付けた会則
の改変に於いて、其の教義項目から『本門戒壇の大御本尊』を消去したるは、これぞ都合の良い自宗
擁護の極みではないか。

さても、日蓮正宗から離反した浄圓寺からの貢物を『末寺からの申し出』などと、恰(あたか)も、
創価配布本尊が、戒壇の大御本尊と直結したるを匂わせ、古参中堅会員の本山恋慕を欺いたは、一体
何であったのか。

其れよりも何よりも、創価学会に其の身を置きながら、日蓮大聖人が御本仏たるを疑い、其の御本懐
たる戒壇の大御本尊を疑い、「蓮・興・目」たる唯授一人の血脈相承を疑い、加えて中興日寛上人の
行躰を罵詈するような連中こそは、応に『都合の良い自宗擁護』どころか、単に卑劣な『都合の良い
自己弁護』の類(たぐい)であるという事を、お前等にして能く能く知るべきである!

実に此奴(こやつ)らは、其の学会組織の中にあって、日々指導される学会教学に異を唱えることなく、
毎々平然と組織活動に勤しみ、又、小幹部であるならば、その部員に対しても反旗の論を述べる事も
なく、己(おのれ)の学会教学への違背をひた隠しにして、其の恭順たる姿勢を組織の面々に見せてい
るのである。

何と言う悪道であろうか。何と言う破廉恥であろうか。

何度でも言うが、この者等の応に面従腹背の醜さには、一仏法信仰者の端くれとして、まこと胃袋の
底から吐き気を催すものである。

ったく、其の様な卑劣な者共が、何をして疑々するか!!

よいか!! 少しもお前等に勇気があるならば、そして、少しも信仰者としての自負あるならば、
先ずは我らと同じくする学会教学について、其の批判文句の矛先を学会本部に向けてみよ!!

加えて、日蓮大聖人は末法の御本仏ではない、とする創価大のМを破折せよ!

更に、創価学会員、金原某の戯れ言(本門戒壇の大御本尊否定)を、創価に於ける日寛上人御本尊獲得
の大義を以って、即刻当人を呵責せよ!!

果たして出来るか! お前らに!

出来まいて!!

ったく、そういう組織内での閉口こそを『都合の良い自己弁護』と言うのである!

そんな軟弱なお前等に、そんな信仰者の欠片もない蝙蝠信者に、一体何の批判が出来ようか!

出来る訳がない!!

よいか! 所属する教団組織の根本教学に誤りがあると知ったならば、先ずは一信仰者として其の
大誤を堂々呵責するが、まことの信仰者たる姿勢ではないのか!!

何が、戒壇の大御本尊が後世の創作であるか!!
何が、二箇相承が偽書であるか!!
何が、日興跡条々事が偽作であるか!!
何が、日寛教学は考察の対象であるか!!

よいか! 先ずは其の事、学会幹部の目の前で披瀝せよ!

本よりそこに会員が集っておるならば、尚更結構な事である!!

ったく、己の腐臭を消せぬ者が、人様の匂いを嗅いで批判するなど、世法を知る者として出来よう筈
もない! 況(ま)してや仏法をや、である! そうであろうが!!

『いや!! 俺は学会幹部として、否、大事な部員を預かる立場だからこそ、正々堂々、創大教授や
金原某の邪義を呵責し、其の誤りを本部に対して随時指摘しておる!』

という御仁がおるならば、先ずは御寄稿願いたいものではある!

いの一番、『腹をくくっておるのか!』と尋ねよう。
 

過ぎてしまえば今は昔

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 3月16日(金)15時09分12秒 softbank219205006025.bbtec.net
返信・引用
  『猊下というものは信徒の幸福を考えなきゃあいけない。権力じゃありません』

つまりは『今の猊下は信徒の幸福を考えていない権力者だ』と批判した、所謂、平成2年11月16日の
「池田スピーチ」が発端となって(実際は其の目論見を以って)、創価学会はその1年後に総本山富士
大石寺から破門されたのである。いや、実際は彼らからして、総本山からの破門は「勝ち取った」と
いう事である。

しかし、信徒団体が総本山から破門を勝ち取った、と公言する事は、則ち「信徒団体が独立して宗教
を立ち上げる」事にもなるから、其れはあくまで「魂の独立」という形で形容し、恩師戸田先生已来
の「創価学会に信心するものは何もない」という、本来あるべき信徒組織の定義に信順する末端会員
の目を誤魔化して、あくまでも破門は、総本山から一方的に為された暴挙であり、我々はその被害者
なのである、という「すり替え」を以って、会員一人一人による敵視を煽り、遂には其の反動を以て
元信徒(池田太作)による本尊の作成配布、という狂態に至ったのである。

其れにしても、それら信徒自前の本尊を作成する大義が、

「前人未踏の世界広布を目指す創価学会の信心は、日寛上人の大聖人直結・御本尊根本・広布根本の
信心に符合しており、私共は日寛上人の御本尊がまさに時をえて出現されたのだ、とひとしおの感慨
を覚えるものであります」

との売僧の発表に在るにも拘わらず、己(おのれ)の会則から、臆面もなく【日蓮大聖人御建立の本門
戒壇の大御本尊を本尊とし】という条文を削除して【一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊を信受し】
などという文言に差し替えるなどは、哀笑、いやはや何とも、呆れたものではある。鼻笑。

さても、当の日寛上人が「本門戒壇の御本尊は、究竟中の究竟、本懐中の本懐なり」と御教示された、
其の戒壇の大御本尊を本尊としないで、一体何の「日寛上人の御本尊」であるのか!

ったく、お前らは本当に蝙蝠(こうもり)の様な信心をしているよな。哀。果たして一体何なのだ?

『前に言っていた事と、今言っている事が違う宗教は邪宗である』と。

果たして、お前らは此の恩師の名言をどう思うのか。

さても「前に言っていた事と、今言っている事が違う宗教は邪宗である」との仰せであれば、其れこ
そ「前に拝んでいた本尊と、今拝んでいる本尊が違う宗教」などは、邪宗も邪宗、狂乱邪宗の最たる
ものになるではないか。

よいか。だから我々は煩(うるさ)く云うのである。

聞くに知恵の無い小会員などが「戒壇の大御本尊を拝めないのは日顕宗のせいだ」などと言っている
ようであるが、そんなものは単なる言い訳であって、本当に拝みたいのであれば、万難を排して拝み
に来ればよいのである。

あの人がどーの、この人がどーの、の類ではないだろう!

ったく、見え透いた言い訳などするものではない!

兎も角、池田太作亡き後、其の息子博正が世界創価学会の頂点に立つであろうが、あの風貌からして
幾百万会員の心肝を掴む事などは到底無理であろうから、今後、それら百万会員の信心を繋ぎ止める
には最早【池田太作花押】の本尊を作成するしか他にないのである。さすれば、当の池田がこの世に
居なくとも『死せる孔明、生ける仲達を走らす』の原理によって、無智な残留会員の信心などが依然、
池田曼荼羅によって保たれる、という事になるのである。哀。

果たして、近い将来、本尊の文字に「池田太作花押」、否「日池」「日大」「日作」などと書かれた
本尊が登場し、其れこそ「南無池田先生ー! 南無池田先生ー!」と拝まれる立場になるやも知れん。

いや、其れこそは池田本人からして願っても無い事であろう。勿論、長男からしても同様である。

【池田御本尊の息子】

最早、是れこそが、創価学会世襲の根旨となっていくであろう。

本より、新興宗教に於いては、教団トップを神格化しない限り、末端会員からの尊信は得られないの
である。まして、先代が池田太作ともなれば尚更の事である。して、其の方策が後代にて失敗した時、
其れらの新興宗教はすべて崩壊するのである。

したがって、将来の本尊に名を残す、池田桂冠詩人の「オシメ」は創価首脳からしても、絶対許され
ないものであり、其のオシメ姿などは、絶対に他言無用なのである。

さても、破門から20余年。

思うに、本尊の形を変える事なく、其の内容に手を加え、いつの間にやら「池田太作」に手を合わす
信仰の構図が、我々の知らない所で着々と進んでいる事であろう。

過ぎてしまえば今は昔…。恩師が築かれた創価学会は最早ない。
 

以上は、新着順1番目から50番目までの記事です。 1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  |  《前のページ |  次のページ》 
/108