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ああ、邪教人 其の六十一

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 4月14日(金)07時29分49秒 i114-180-126-34.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  >日亨上人の文章をねじ曲げて、ありもしない似非信者だと批判した文章だと主張する人はいったい
>何なのだろう。

何なのだろう? 判らんか。其りゃ、オマエら事だよ。

曲解、切文、誇張、虚偽。

まさにフェイクの真骨頂。

ほら、そこのオマエ。懲りずにフェイクをベタ貼りしているオマエの事だよ。

鼻笑。しかしなんだ。自分の事を謗法呼ばわりしている文書を、未だに好んで貼り付ける神経とは、
一体いかなる神経であるのか。まさか、其の貼り付けている行為自体がフェイクだと言うのか。哀笑。

>あんなボンクラ宗門に、『権威の衣』など存在しない!
>それはだらしない、能無しの弟子たちが、臆病風に吹かれた末に見た幻だ!

哀笑。そーじゃねーだろ。『あの衣は権威だー! 権力だぁー!』とは池田センセーの口癖だよ!
はてさて、オマエの言い分からすれば、能無しの池田センセーこそが臆病風に吹かれていた、という事
になるのではないか。呆哀笑。

因みにボンクラはオマエたちの方であるから、今後、言い間違いのない様に。よろしいか。

>私たちの胸に深く刻まれゆく岐阜の天地は、第三代であられ、一閻浮提の座主であられる日目上人の
>〝殉教″の栄光の大地である。(新・人間革命 249)

哀笑。第三代の一閻浮提の座主、日目上人、ってオイ!
第三代とは何だ。一体何処(どこ)の第三代なのだ。
加えて「一閻浮提の座主」とは、一体何処(どこ)から引っ張り出して来たのか。
なんだ。まさか、この新人間革命も、2、3年後に書き換えられてしまうのか。小鼻笑。

ったく、節操の無い奴らめ!
だからこそ言う。オマエらこそが頭破作七分の持ち主であると!

そー言えば、元住職の花道や、創価大のスゲ博や、元創価のイタチらが集合して、日蓮大聖人の仏法を
屁理屈よろしく分析している様であるが、元より「信」無き者らが「学」に偏執するは、是れ全く無知行の
其れである、という事を此に識(し)るべきである。

爾して曰く『教の浅深をしらざれば理の浅深弁(わきま)ふものなし』と。
仍って曰く『仏教を学すと雖(いえど)も還って外見に同ず』と。

哀笑。

さても、盲眼が如くなるお主ら当世の学者等、如何にして正理を感得して浅深を弁ふべしや。
されば、はかなし者とは、オマエらの様な不信心にして仏法を学問する者をして云ふものか。

先ずはよい。

オマエらこそは、身延の半被を説明致せ。

教義の屁理屈など、其れからの事である。
 

不思議の一法

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 4月10日(月)21時06分18秒 i114-180-126-34.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  南無妙法蓮華経即日蓮大聖人、日蓮大聖人即南無妙法蓮華経。
爾して、其の究極の御尊体、即ち、御自身に於ける人法体一の御魂魄を曼荼羅御本尊として顕発されるに
仍って、此の曼荼羅御本尊こそが日蓮大聖人の御本懐にして三大秘法の根本と相成る。

其(そ)は則ち、元初本因の凡夫僧たる日蓮大聖人己心の仏果こそが、曼荼羅御本尊の正体であり、
南無妙法蓮華経の当體なのである。

仍って口伝に曰く『本尊とは法華経の行者の一身の当體なり』と。
仍って興尊が曰く『妙法蓮華経の五字を以て本尊と為すべし、即ち自筆の本尊是れなり』と。

南無妙法蓮華経は本因妙。御本尊は本果妙。爾して、其の因果こそは倶時である。実(げ)に其れをして
「因果倶時不思議の一法」と名づく。

久遠即末法。凡夫即極。

是れを思え。是れを思え。
 

儚(はかな)き邪宗の教学 【再掲】

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 4月10日(月)20時23分18秒 i114-180-126-34.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  「出世の本懐の本義は、大聖人の御生涯において、末法万年の一切衆生の救済のために三大秘法を確立
されたこと、(中略) 大聖人が「弘安2年の御本尊」を御図顕されたことも、この三大秘法の確立と民衆
仏法の確立という意義の中に含まれるものと考える」【平成27年 聖教新聞/創価学会教学部】

哀笑。いやはや、宗教の根本たる本尊義を改変する事自体、問題があると云うに、今回の改変は何と考察で
あるという。哀笑。しかしなんだ。根本教義が考察状態であるとは、何とも情けない宗教団体であるよな。

其れにしても何だ。弘安2年の御本尊(一昨年までは一閻浮提総与の大御本尊)も、三大秘法の確立という意義に
含まれる、って、一体どういう事かいな。哀笑。果たして、確立された三大秘法の意義(出世の本懐の本義)に
含まれる弘安2年の御本尊とは、一体どーゆー御本尊なのかいな。哀笑。して、その御本尊を包含する三大秘法
とは、一体、どーゆー三大秘法であるのか。

まさか其れこそが、一大秘法の妙法蓮華経の五字である、というのか。

原田創価に云く『一大秘法が本門の本尊であるという御書は無い。一大秘法とは妙法蓮華経の五字の事だ』と。

つまりは何だ。題目(南無妙法蓮華経)こそが一大秘法という事か。

ならば、此れは如何なる事か。

原田が云く『本門の本尊に唱える南無妙法蓮華経が本門の題目』と。

はて、一大秘法ではない本門の本尊に唱える題目が本門の題目になる、とは如何なる事か。

して、一大秘法ではない本門の本尊によって、本門の題目になるという題目は、一体如何なる題目であるのか。

而して原田が云う。一大秘法とは妙法蓮華経の五字、つまりは題目である。と。

果たして、一大秘法、つまり、三大秘法を包含する一大秘法とは、本尊であるのか題目であるのか。

さても原田は、妙法五字の題目であるという。

ならば原田よ、加えて、谷川、長谷川、佐藤、北林の面々よ。そして、其の後ろで黙認している池田太作よ。

オマエらは、以下の御教示を何とする。

日興上人に曰く『唯御書の意に任せて妙法蓮華経の五字を以て本尊と為すべし、即ち自筆の本尊是れなり』と。

「即ち」とは何か。「即ち」とは一体如何なる意か。

而して、原田創価が云く「一大秘法とは本門の本尊ではなく、題目(妙法蓮華経の五字)の事だ」と。呆哀。

果たしてオマエらは、いつから身延の下僕となったのか。

よいか。一大秘法とは、まさしく本門の本尊の事を指して云うのである。

日寛上人に曰く『一大秘法というは則ちこれ本門の本尊なり。この本尊所住の処を本門の戒壇と名づけ、
この本尊を信じて妙法を唱うるを本門の題目と名づく』と。

つまり、本門の本尊が在ってこその、本門の題目であり、本門の戒壇なのである。

仍って、本門の本尊こそが一大秘法であり、三大秘法は、須らく本門の本尊に包含されるのである。

だからこそ云う。一大秘法の本門の本尊に唱える題目こそが本門の題目になると。
だからこそ云う。其の唱える題目を本門の題目に為さしめる本尊こそが、応に一大秘法の其れであると。

爾して原田が言う。

『末法の衆生のために日蓮大聖人御自身が御図顕された十界の文字曼荼羅と、それを書写した本尊は、全て
根本の法である南無妙法蓮華経を具現されたものであって、等しく「本門の本尊」であり、「本門の本尊」に
唱える南無妙法蓮華経が「本門の題目」、その唱える場がそのまま「本門の戒壇」となる』と。

呆笑。

おいおい、だから言っているだろう。

其の唱える題目(南無妙法蓮華経)を本門の題目に為さしめる本尊こそが、応に一大秘法の其れではないかと。

又、そうであるからこそ、日寛上人は御本尊(本門の本尊)こそが一大秘法である、と申されたのであろうが。

しかし原田は云う。

『一大秘法が本門の本尊であるという御書は無い。一大秘法とは妙法蓮華経の五字の事だ』と。

哀笑。

よいか。オマエらが設定した考察教義の欠点は、本尊義に於ける人法一箇の大義を見落とした事であり、
日蓮大聖人が出世の本懐とされた御本尊の体現(仏の振る舞いとしての究極)の奥義を無視した事にある。
よいか。一大秘法とは人法に亘るのであり、其の一点、つまり一大秘法とは御本仏日蓮大聖人の御当體
をして云うのである。

然るにオマエたちは、今まで其れを領解していたにも拘わらず、謗法の冥罰によって脳髄が七分に割れて、
三大秘法の随一たる人法一箇の本尊義をかなぐり捨てたのである。応に、因果応報とは此の事であろう。

さても、題目こそが三大秘法の要と為すは、此れ全く邪流身延の教義であって、実にオマエらは創価学会は、
日興門流でもない、五老門流でもない、其れこそ、日什の顕本法華宗にも劣る、今世紀最悪の新興邪宗教の
其れである、という事を、此に自認すべきである。

本より、本尊義の破綻こそは、其の宗教にとって死に体と成る。

さもありなん。

ならば最後に、恩師の呵責を、此に手向けてやろう。

何? 執拗(しつこ)いとな。

哀笑。当たり前だろう。

属する宗教組織のトップが、そんなモノは気狂いの教学だ、と断言しておるのに、其の気狂い教学を組織教義
の根本に据えた、そんなオマエらの致命的な狂態を、今呵責せずして何とするのか。哀。

とまれ、此の地球上に於いて、オマエらの様な捻転宗教などは在るまいて。哀哀哀。

よいか。だからこそ、何度も呵責するのである。

有り難く思いなさい。

では再記する。

恩師が云く『南無妙法蓮華経と唱題する中に三秘が具わっているというが如きは、無学のジイサン、バアサン
ならいざ知らず、少しでも教学をやった者には気狂いになっているのではないか、という以外には思いようが
ない』 【はかなき邪宗の教学・小樽問答誌 131P】

哀哀。

果たして、恩師が仰せの如く、オマエら創価学会は気狂いになってしまったのか。哀笑。

よいか。是れこそは昔の誼(よし)みである。

反論あるならば、堂々と申してみよ!
 

ああ、邪教人 其の六十

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 3月14日(火)14時17分32秒 i121-118-81-220.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  >あたかも法主に代々に伝わる相伝があるかのように偽装し、後世の創作の戒壇本尊を真筆と偽り、
>日目が再誕するという神秘的な教義を作りました。
>日蓮正宗のやってきたことの罪深さは、神話の創作であったということです。

哀笑。オマエは阿呆か。

寺の住職が、次の住職に法を付するは当然の事ではないか。しかも、其の相い伝える処の法義が、
宗教の根幹たる本尊義となれば、尚更の事であろう。

よいか。身延迹門宗であろうとも、顕本法華宗であろうとも、八品法華宗であろうとも、いやいや、
其れこそは、千葉妙本寺寺であろうと、京都要法寺であろうと、西山であろと北山であろうと、
皆、二代、三代、四代、と継いで往くのである。しかも、単に寺跡を継ぐものではない。


顕本法華宗「法華本門戒血脈」に云く、

『久遠成道釈迦牟尼仏如来 日蓮大師 日什僧都 日仁』なりと。

加えて、八品法華宗の「宗綱」に云く、

『久遠実成本師釈迦牟尼世尊の自詮により建立、本化上行再誕日蓮聖人これを承けて立教開宗し、
日朗、日春、日法、日辨、日像、大覚、朗源、日霽……と伝承し、門祖日隆聖人、本門八品の
正義を再興唱導し、爾来、法統連綿として今日に至る』と。


更には、西山本門寺の文書に云く、

『内証相承の事  日蓮大聖人 日興 日代 日任 日盛 日林……今我日建師資相承の仏法を
日辰に付属する者なり』と。


よいか。各宗皆々、其々の貫首法主に於いて寺跡のみならず、其の法義さえも伝持されて往くのである。

其れをオマエは、

>あたかも法主に代々に伝わる相伝があるかのように偽装し…

などと戯(たわ)けた事を言っておる。

やはりオマエは阿呆なのか。

よいか。其の腐り切った鼻糞を先ずは掃除してから出直して来なさい。糞笑。

>後世の創作の戒壇本尊を真筆と偽り…

呆哀。真筆と偽り? ならば其の証拠を出しなさい。

言って置くが、御書に載っていない、樟は身延に無い、重すぎて運搬出来ない、身延の草庵には入らない、
願主が農民では当てに成らない、国柱会のカタログに載っていない、弟子の文書に載っていない、
文字の様式が通例に成っていない、干支が無い、継ぎ接ぎだ、模作だ、偽作だ、盗作だ……。

小腹笑。まだあるか。小鼻笑。

しかし何だ。どれもこれもが、使い古したイチャモンばかりであるよな。鼻笑。

因みに、オマエら異流の輩(ともがら)が本懐本尊として推奨する、房総千葉の万年救護御本尊に於いては、
其の図顕年月日については、日にちが記(しる)されていない。→ 【文永11年太才甲戌12月 ○ 日】

鼻笑。これ、どーすんだよ。勿論、問題ないと言うのであれば、其れこそ干支など問題にもならない。
そーであろうが。阿呆よ。

>日目が再誕するという神秘的な教義を作りました…
>日蓮正宗のやってきたことの罪深さは、神話の創作であったということです。

呆哀。大本門寺建立の御時に於いては、日目上人が座主と成る…。

此の事は、我が正統・富士門流の伝統である。

猊座の意義も解からず、御観念文の意味さえも知らず、神秘的な教義などと、浅薄な物言いをしておる。呆哀。

やはりオマエは阿呆であるのか、あいや其れとも莫迦なのか…。哀哀笑。

よいか。罪深きは、オマエのような痴話の妄作を指して云うものである。

控えよ。

>基本の教義は日寛による恵心流の中古天台口伝法門を日蓮と置き換えただけの浅薄なものに過ぎません。
>信徒からすれば、確かに完成された教義の方がわかりやすいし、信用しやすい。

小笑。おいおい、信徒からすれば、完成された教義の方が信用しやすい、ってオマエ…。
ならば、完成されていない教義とは、一体どんな教義なのかいな。して、其れこそは、
解かりにくく、信用できない教義、という事かいな。呆笑。

オマエは何を言っておるのか。やはりオマエは阿呆莫迦なのか。大哀笑。

尚云うが、中古天台の本覚法門などは、我が興門正統からすれば、其れこそは下敷きの其れであって、
其れを教義の根幹と為すものではない。いや、寧(むし)ろ超越していると言った方がよかろう。
無論、其の大根幹たるは、日蓮大聖人の御法義である。

曰く『爾前の経々の心は、心より万法を生ず。譬へば心は大地のごとし草木は万法のごとしと申す。
法華経はしからず。心すなわち大地、大地則ち草木なり。爾前の経々の心は、心のすむは月のごとし、
心のきよきは花のごとし、法華経はしからず。月こそ心よ、花こそ心よと申す法門なり。此をもって
しろしめせ。白米は白米にあらず。すなわち命なり』と。【新編 1544  真蹟 大石寺蔵】

諸法は即ち実相。

つまりは、一心を妙と知りぬれば、亦転じて余心をも妙法と知るを云う。

仍って申さく『我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与えたまふ』と。

して曰く『此の本理に称(かな)ひて一身一念法界に遍し』と。

よろしいか。

滝に打たれ、洞窟に入り、断食をし、其れこそ荒行よろしく百部千巻の経文を読み上げるなどは、
此れ全く日蓮大聖人の御法義に非ず。其れこそは、始覚教相の階段修行であり、そんな行法など、
今時末法に於いては通用しないのである。

無知無学にして成仏す。当に易行中の易行。無上宝聚不求自得。
応に是れこそが本覚一心の妙義であろう。

尚、口伝法門などは、抑もが日蓮大聖人の御教示する処(ところ)であり、オマエが云うような
日寛上人の創作などではない。ったく、オマエは阿呆莫迦のみならず、其れこそは基地外であるのか。嗤。

よろしい。ならば、当方が、其のアタマをトンカチでぶっ叩いて、脳みその捻転を矯正してしんぜよう。
勿論、此の荒治療などは、桂冠詩人にして世界の指導者でもある、池田センセーの考案である。
因みに、針金で首を結わく方法も、池田センセーの発案である。素晴らしいというか、いやはや、何とも
恐ろしい。呆笑。そーは思わぬか、オマエ。鼻笑。

>私たちは自身で信仰を選び取るべきですし、それこそが真の民衆の仏法の本義であると思います。
>何も総本山とか宗教団体とかに信仰の担保をしてもらう必要などないのですから。

哀哀笑。

さても、宗団・教団等の教義に服せず、己(おのれ)の信仰を選択する事が、真の民衆仏法であるとは、
一体どーゆー教義から引っ張り出しているのか。貴様は其れを申せ!

>グリグリが望む事は、日蓮大聖人の偉大な思想と、それを完璧に応用展開した池田先生の思想を
>一人でも多くの人に知ってもらうことです。
>そのためならば、ドンドン盗んで 自分の論としてさらに思索を重ね
>池田先生に代わって、不幸に泣く人たちに伝えていってください。
>それが、グリグリの一番の願いです。

呆哀。そーか。そんならアンタの顳顬(こめかみ)をグリグリしたろーか!?

日蓮大聖人の偉大な思想?

それを完璧に応用展開した池田センセーの思想?

???

呆哀。何じゃらホイとて、ホーホケキョ! だよ! 糞笑。

そんな日蓮大聖人の偉大な思想を完璧に応用展開した池田センセーが云く、

『大聖人の出世の本懐である一閻浮提総与の大御本尊が信心の根本であることは、これからも少しも変わらない』

                         【平成5年9月16日、アメリカSGI最高会議】

これ、どーすんだよ。

まさか、宗教にとって一番重要な本尊義について、池田センセーは完璧に展開していなかった、という事
かいな。其れで間違いないのか。オマエは其れに答えなさい。さもないと、顳顬グリグリであるぞ!

ったく、

今日も今日とて邪教人。

邪教人への呵責はこれからも続く!
 

ああ、邪教人 其の五十九

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 3月11日(土)14時50分29秒 i121-118-81-220.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  創価に云く、

▼「血脈相伝の教えから離れるならば、いかに各家庭の御本尊を拝んでも功徳は生じません」とは、御本尊を
冒涜する大不敬であり、それゆえ宗門を「邪教」と呼ぶのである。

続けて云く、

▼秋谷: そもそも大御本尊も、各家庭に御安置してある御本尊も同じだ。「一体不二」。
▼青木: その通りです。各家庭の御本尊は、大御本尊と一体の「分身散体」の御本尊です。
▼谷川: 「分身散体」。つまり「仏が衆生を救うために、身を分けて種々の国土にあらわした分身」という法理だ。

                                                                            【平成17年8月26日 聖教新聞】

呆哀。

なんだ。是れこそは宗門(大御本尊)への世辞かいな。小鼻笑。

いや、破門されてから14年も経っての発言であるから、阿呆宿坊の連中からして、これら3人の発言は、
すべて無知無学にして無慙極まりない馬鹿発言という事になってしまうが、其れでえーのんか。小腹笑。

呆笑。フェイクよ、オマエも同罪であるぞ!

何とか言いなさい。

さすれば、執行部が邪教人であるのか、其れともオマエらが邪教人であるのか、其の事がハッキリするであろう。

鼻笑。

>宗門から学会を取ったら何も残らない。

呆哀。して、其の学会を宗門から取ってしまったら、日亨上人はどうなってしまうのだ。
まさか「余は何も残っていない宗門の、単なるカラ貫主でしかない」とでも言うのか。

呆怒。ふざけるものではない。

よいか。其の後に於いて、学会を宗門から取って下さい、と言われたは戸田先生である。
果たして此の発言の意は如何なる事か。阿呆でなければ解かるであろう。哀。

ったく、バカをやらかして破門された者共が、今更、日亨上人の発言とやらを持ち出して、
宗門から学会を取ったら何も残らない、だから、今の宗門には何も残っていない、などと
未練たらたら小言を吐くなどは、まこと、無慙な連中である。哀哀哀。

▼一大秘法とは、御本尊の事ではなく、妙法の五字の事だ。

糞笑。

取って取らせて、結局何も残らなかったのは、一体どちらであるのか。

上記の恥義を眺めれば、一目瞭然であろう。

小鼻笑。

ああ、情けなや邪教人。

莫迦で阿呆な邪教人の呵責は、これからも延々と続く。
 

ああ、邪教人 其の五十八

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 3月 4日(土)17時01分13秒 i121-118-81-220.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  真実の教えは、一大秘法の題目であった!

哀笑。秘妙方便ならぬ奇妙方便。呆笑。

つまりは、創価三代の会長は、みな詭弁の弄士であったという事か。
それとも、無知無学の小学士であった、という事か。

何れにしても、オマエらの言い分からすれば、彼の小樽問答は須らく茶番劇であった、という事になる。

其の事、オマエらは恩師の墓前で云えるのか。

『今、やっと、先生の諸行為が茶番劇であった、という事が判りました」と。哀笑。

さても、釈迦こそが末法の本仏だという宿坊。
さても、日蓮は本仏に非ずという創大の宮田。
さても、日蓮より凄い人が現れるというイタチ。
そして、一大秘法とは題目の事だと叫ぶ創価員。

此奴(こやつ)らは皆、戸田先生の大信心に唾する、莫迦者連中である。哀哀哀。


其れにしても、是れには笑える。

      ↓

>法華講は豚のケツ
>投稿者:藁科イ鑑道御尊師

>文段は日寛上人の学寮時代のもの、草稿というのがその位置付け。晩年に到って、再治その上で、
>未治本を残してはならないと遺言されている。

>冒頭をあげれば、

>「草案已に畢りて清書未だ成らず虚しく笈中に蔵めて之を披く遑あらず、…粗略稍多し、故に粗添削を加う、
>敢て未治の本を留むることなかれ」

>(観心本尊抄文段)とか(法華取要抄文段)とか(寿量演説抄) その他
>日蓮正宗の「正依」でない。  こんなの使えるのか!
>これじゃ アホの通りすがりの法華講員と同じレベルではないか!

堪堪笑。

文段は日寛上人が学寮時代のものであるという。鼻笑。

おいおい、全部が全部、そーではないだろう。

寿量品演説抄3巻及び、法華取要抄文段などは、壇林及び学頭時代に著されたものであるが、
観心本尊抄文段、其の他、当体義抄文段、報恩抄文段などは、すべて御隠尊猊下の御立場で
著されたものである。

ったく、文段は草稿であるから、未治本を残してはならないという日寛上人の遺言からして、
そういう文段などは採用すべきはではない。こんなの使えるか! などと馬鹿な事を言っておる。

されば、文段の著作時期を、六巻抄の巻頭文から批判するなどは、応に取って付けての誑言であり、
本より、オマエが引用している六巻抄の巻頭文は、須らく六巻抄の未治本を留むる事なく、すべて
再治本を後学の根本とすべし、との御遺訓である。

仍って後文に曰く『然るに此の抄の中には多く大事を示す、此れは是れ偏に法をして久住せしめんが
為なり』と。

よいか、オマエの様な、そーゆー小賢(こざか)しい切り文の小細工こそ、醜いパッチワークの態様で
ある、という事を知りなさい。もっと簡単に言うならば、恥を知れ! という事である。

>法華講は豚のケツ
>これじゃ アホの通りすがりの法華講員と同じレベルではないか!

鼻笑。其の痴言、其れこそはオマエの事だよ。なぁ、オマエ。哀笑。

創価にも非ず、身延にも非ず、而して、郷門の下人とも云わず…。哀笑。

よいか。オマエらこそ、豚よりも醜いヌエのケツであり、キマイラのケツである!

少しは控えた方がよろしい。
 

ああ、邪教人 其の五十七

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 3月 3日(金)18時35分1秒 i121-118-81-220.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  >結局は、科学的年代鑑定に委ねるしかないのですね。

哀笑。干支の有無をつべこべ言っておき乍(なが)ら、結句は科学鑑定に委ねるしかない、と言う。

つまりは「おサム」い話に終わったという事である。鼻笑。

科学的鑑定に委ねるしかない…。哀笑。

ならば、其れが出るまで黙っていなさい。

あれやこれや、疑ったら限(き)りがない。

無論、我ら富士門徒は、御仏の御当體を科学分析に計る事などはしない。
本より其れは、偽物であるから分析しないのではなく、御仏の御当體であるから分析しないのである。
当たり前の事であろう。我らは邪宗身延と違い、曼荼羅御本尊は日蓮大聖人の御当體であるとの信義で
あるから、其のような不敬はしないのである。

されば、身延などは学者坊主を中心にして、あれこれと鑑定だ科学だ分析だ、と言っているのであるから、
其れこそ、民部日向が造立した正安二年(1300)十二月の小板本尊の科学分析を先ずはやってみなさい。
仏像本意の身延であれば、曼荼羅の鑑定などお手の物であろう。
其れとも何か。其の鑑定結果が戒壇の大御本尊の有力な傍証と成り得るから、其の様なことは出来ない、
とでも云うのか。小鼻笑。

さても得体の知れぬ馬の骨の者共。

よいか。干支の有無に限らず、図顕月日の問題も、樟板の問題も、搬送の問題も、花押経字の問題も、
迦葉帝釈の問題も、日禅模作の問題も、講衆敬白の問題も、そして御書に記録なしの問題も、すべて
オマエたちの臆説であって、其の証拠に、重須の日浄以来、これらの問題について、戒壇の大御本尊の
偽作たるが完全に証明された事など一度も無いのである。其れは何故か。つまりは、其れらの問題が
須らく傍流異流から捻(ひね)り出された憶測の妄証だからである。又、そうであるからこそ、今にして
科学だ、鑑定だ、分析だ、と悲鳴を上げるのである。哀。

今一度言おう。

されば、身延などは学者坊主を中心にして、あれこれと鑑定だ科学だ分析だ、と騒いでいるのであるから、
其れこそ、身延山久遠寺が所蔵している民部日向が造立の正安二年(1300)十二月の小板本尊の科学分析を
先ずはやってみなさい。仏像本意の身延であれば、曼荼羅の鑑定などお手の物であろう。いや、そのついでに
仏像の鑑定もしてみたらどーか。鼻笑。(果たして、出てくるのはホコリばかりではあるまいて…) 糞笑。

果たして、曼荼羅軽視の身延が、手元にある日向板本尊の鑑定を渋るとは、其れこそが、鑑定の結果をして
戒壇の大御本尊の有力な傍証と成るから渋っておるのではないか。いや、そんな事はない、と言うならば、
即刻、日向の小板本尊を鑑定に出しなさい。

最早、科学鑑定を待つしかない、無力な文献莫迦のオマエたちにとって、其の方が余程、手っ取り早い、
作業ではないか。何? 其れをやってしまったら、難癖の一つが減ってしまうとな。

堪笑。

よいではないか、一つくらい。

どうせ、あれやこれや、と妄推を作り出しては補填するのであろう。哀。

ったく、さもしい者共である。哀哀哀。

創価学会・小平教学部長、小樽問答に於いて云く、

『証拠は大石寺にある! 証拠は大石寺にある! (大拍手)  若しそれを知りたいのならば、
信心を奮い起こして拝みに行け! (大拍手)  信心の無い者に、見せる、見せない。見世物じゃあるまいし、
信心の無い者が拝めるわけが無いではないか! (大拍手)』

よいか。これこそが、我ら恩師戸田先生の御遺訓を堅守する正宗門徒の本意である。

だから、曼荼羅を見世物としている身延山こそが、日向板本尊を削り取って、即刻に科学鑑定を行い、
其れこそ見世物よろしく、不信心の者共に披露すればよい、と言っているのである。

これこそが道理であろう。

よいか。同(おんな)じ事を何度も言わすものではない。
 

笑い話

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 3月 1日(水)14時13分5秒 i121-118-81-220.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  >『石山(せきざん)本尊の研究』京都要法寺僧侶 柳澤宏道編著

要法寺が石山本尊の研究?

笑笑。

ブレにブレ、ブレにブレまくった要法寺。

そんな要法寺が、石山本尊の研究などと…。笑笑

笑わすものではありません。

先ずは、己(おのれ)のケツの臭いを嗅いでみなさい、と言ってやりましょう。笑笑

尚、御本尊に於ける干支の有無が、真偽の其れに直結するなど有ろう筈も有りません。
笑。そんなもの、取って付けた難癖でしかありません。

サムか何だか知りませんが、其れこそは「おサム」い話と成りましょう。笑笑
 

蜜月が故の擁護であったいう詭弁

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 3月 1日(水)13時38分49秒 i121-118-81-220.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  恩師、青年訓に云く『第一は、無智の者に永遠の生命を教え、日蓮正宗の本尊の絶対無二なる尊貴を
知らしめて、功徳の大海に思うがままに遊戯する、自在の境涯を会得せしむる為に、忍辱の鎧を著(き)、
慈悲の利剣をひっさげて戦うのである』と。

仍って御隠尊猊下に曰く『したがって(創価学会の)八百万世帯にいたる大折伏は、戸田氏の清浄な、
正法を護る気持ちの中から行われたところであり、その中から皆様方が現われてきたのであるという事を
はっきりと見定めるところに、創価学会に縁のある方々が、創価学会の存在理由とその経過、すなわち
正しい仏法の流れを正しく知る所以があると思うのであります』と。

                       (平成4年3月29日 法華講連合会壮年部大会)


して現在、創価学会総本部に於いて、昭和26年5月19日御書写の日昇上人の常住御本尊(脇書・
大法弘通慈折広宣流布大願成就 模刻板本尊)が安置されているのは承知のとおりである。

つまり、此の御本尊は、オマエらが昨今言う処の『「宗門との蜜月時代」に下付された御本尊』という
事にもなる。爾して、此の常住御本尊が日蓮正宗から御下付された時、応に創価学会は第二代会長・
戸田先生大号令の下、会員一丸となって大折伏戦を展開していったのである。

しかし、今の小学会員は、其れら恩師の忠魂の戦いをして『宗門と仲が良かったから』などと軽口を
叩くのである。哀。

そうか。其れは真(まこと)の事か。果たして当時、恩師が御本山と仲が良かったから、宗教の根本尊崇
たる本尊に於いて、其の大信心を全うし、其の御本山への忠烈を会員に入魂したとでも言うのか。

其れは真の事であろうな。してもし、其の論拠が崩れたならば、オマエら小学会員は、其れこそ恩師
戸田先生の大信心に唾する、応に忘恩の似非会員である事を、此に於いて証明されるのである。

よろしいか。

本より、其の破折の論点は唯一つ。

つまりは、御本尊を下附する日蓮正宗と、其の御本尊を下附される創価学会、という破門以前の関係、
つまり、其れら正統・富士門流に於ける御本尊授与の大義が、総本山と信徒団体という関係に於いて、
其の真義が受動的に変化してしまうものであるのか、という一点である。

果たして、僧俗による蜜月の関係、つまりは対人、つまりは対組織の関係に於て、其の両者間の良悪が、
興門正統七百年来の根本たる本尊義を左右し、其の正邪さえも司(つかさど)ると言う事になるのか。

小学会員よ。其れは違うであろう。

応に法の正邪、つまり本尊の正邪こそは、其の関係の良悪を超越するものである。

其の様な事、大聖人と大進房、否、日興上人と波木井実長との関係を観れば、容易に判るというものである。

よいか。今一度言おう。

御本仏・日蓮大聖人から相伝された日興門流の御本尊義は、其れ以降の僧俗関係の善し悪しによって変化
させられるものではない、いや、其の元からして変化するものではないという事である。

仍って、曾(かつ)ての創価学会が富士大石寺の信仰に忠実であった事は、決して当時の信者による「良好な関係」
によって為された事ではなく、其れは応に、信者による「確たる信心」によって為されたものなのである。

関係が良好であるから信ずるのではなく、信ずるが故に関係が良好となるのである。

其れをオマエら小学会員は、今に於いて『仲が良かったから、宗門を守っていただけ』などと嘯(うそぶ)くので
ある。

呆哀。ったく、何という言い草であろうか。

云うまでも無い。

『日蓮大聖人の真実の教えは、独一本門といい、文底秘沈というも、みな一閻浮提総与の三大秘法の大御本尊を
根本とした教えでなくてはならない。今日末法に於いては、富士大石寺にこそあれ、他にはないのである』との
恩師の大指導は、決して宗門への世辞でもなく、其の関係を維持する為の美辞でもなく、況してや、恩師の正宗
教学に対する無知から発せられた謬言でもないのである。

したがって、当時の事をして『宗門との蜜月を堅持する為に、富士大石寺の法義を守って来た』などという
言い分は、応に好き嫌いの感情領域に於いて、其れこそ信者の都合によって宗門を擁護してきたという、まこと
恩師の御本山に対する忠烈に唾する詭弁であるという事を、当方は此に於いて断言するものである!

上記の如く、文底秘沈・独一本門たる法義は、本より七百年来、富士大石寺に連綿されて来た法義であって、
決して他門にはないのである。まして、昭和になって設立された在家団体に有ろう筈(はず)も無いのである。
又、だからこそ恩師は、創価学会の会長として御自らの口から『創価学会に君らに信心してもらうものなんか
何もない』、つまり、創価学会としての教義などは、其の創立時点からして無い、と申されたのである。

よいか聞け。創価学会の会長が会員に対し『学会に君らに信心してもらうものなんか何もない』などとは、
其れこそ学会の会長として、御本山に対する絶対的帰依が有ったればこそ言える指導であって、現在のオマエらが
言う様な、世辞でも、妄言でもないのである。まして、会員に嘘を付いていた、会長が無知であったなどとは、
とんでもない事であり、其の様な事は絶対に無いのである。

ったく、何で法華講員の当方が、オマエら創価学会員に、恩師の大信心を今にして教えなければならないのか。
つまり、其れだけ、今の学会員は、外道信者・アホ信者に成り下がってしまったと云う事なのである。

哀笑。何とも情けない限りよのぉ。哀哀哀。

よろしいか。何度でも言おう!

本門戒壇の大御本尊を厳護する意味に於いては、宗創に於ける関係の良し悪しによって、其の正義の価値が
変動するなど絶対に有り得ないのである!

仍って恩師が云く『誰がなんと言おうと、誰がどうあろうと、私は総本山に御奉公の誠を尽くし、
猊下に忠誠を尽くし、広宣流布のため、今こそ死身弘法の実践を、この佳き日に誓うものであります』と。

爾して此の恩師の大誓詞は、応に日蓮正宗第六十四世・日昇上人の御在時になされたものである!

当に今、オマエらの総本部師弟会館に安置されている常住御本尊。其の御本尊を認められた日昇上人に対し、
恩師戸田先生は、其の大信心に於いて忠誠を誓われたのである!

其れを今になって『宗門との関係を維持する為に、学会はその法義を守って来ただけだ』などと!

オマエらは其のセリフを恩師の墓前で言えるのか!!

ったく、宗教の根本尊崇に於いて、曾(かつ)て、とか、今とか、そういう次元で立て分けるなどは、
彼の立正佼成会が本尊を変更する度に用いた、会員を欺く為の詭弁とまったく同じではないか!!

今は険悪の仲であるから、今まで遵守してきた仏法義は蜜月時代の過去の法義なのであって、現今の
険悪な関係に於いては、其の法義は我々には通用しない、などという屁理屈は、抑も、日蓮大聖人の
仏法からして有り得ない話である!

よいか! 良好であろうが、険悪であろうが、元から在る正義は正義なのである!

又、其れだからこそ、法華講総講頭でもあられた恩師・戸田先生の信心指導が、今以って我ら日蓮正宗信徒の
正信に響き渡るのである!

応に是れこそ、僧俗に於ける組織体制の変貌が如何に為ろうとも、大聖人の仏法、就中、富士大石寺の法義は
今昔に於いて些かも変節しておらない証拠なのである!

よいか!

其れら事実をして『破門以前は蜜月だったから、富士大石寺の法義を仕方なく守っていた』などと、
今になって其れを本性にするなどは、応に恩師戸田先生の大信心に対する冒涜である!!

ったく、詭弁を弄するものではない!

果たしてオマエらは、其れら詭弁の罪悪を心の中では判っておるから、未だ創価作成本尊から日蓮正宗御歴代
上人の判形を抹消し切れないのであろう!

違うか!!

反論あるなら申してみよ!!

当に恩師の御遺訓を破ったのは池田である!!
而して、今以って残留する創価学会員も同罪である!!

言うまでもなく、恩師は本よりの日蓮正宗の信徒であった!
そして日蓮正宗法華講総講頭の御立場で其の生涯を全うされたのである!

仍って当方は、其の恩師の赤誠に裏切る事なく、昔も今も変わらずに日蓮正宗の信徒と成っているのである!

果たして現在、恩師の指導どおりに実践しているのは当方か!
其れともオマエら小会員か! 最早、其の様な事は火を見るより明らかであろう!

本より当方は、今もって富士大石寺に忠誠を尽くし、其の不変たる決意を、総本山に眠る恩師の御霊に御報告
申し上げるのみである!

恩師に云く!

『誰がなんと言おうと、誰がどうあろうと、私は総本山に御奉公の誠を尽くし、猊下に忠誠を尽くし、
広宣流布のため、今こそ死身弘法の実践を、この佳き日に誓うものであります』と!

果たして一体、どっちが、恩師の御遺訓に従っておるのか!
今こそオマエら小会員は、己(おのれ)の信心の姿を見つめるべきである!

思うに、柳沢元総講頭が『私が死んでから、50年後に戸田さんが出現するでしょう。
その後、私が生まれ出て御奉公させて頂きます』と、月例登山に参加された同志から聞くにつけ、
まこと、恩師の大信心は、今もって法華講員の鏡であると、改めて此に確認した次第である。


     妙法の広布の旅は遠けれど

      ともに励まし ともどもに征(ゆ)かなむ


今以って、大講堂の正面左手に建つ、恩師戸田先生の歌碑を詠む時、真の学会精神は、我ら旧創価学会
青年部にこそ伝持されているのであり、其の打ち捨てた現今の創価学会などは、其れこそ波木井実長こと、
池田太作と、民部日向こと、離脱僧侶の禿人らが蜷局(とぐろ)する組織であり、其れこそは富士大石寺
御開基、日興上人が打ち捨てた、彼の身延山に同ずるものなのである。

さても、オマエら現創価学会は、いずれ古参会員の消滅を待って、応に其の作成本尊から御歴代上人の
御判形を抹消し、其の場所に池田太作の花押を入れるのであろうが、応に其の時、池田創価学会は、
真の邪教たる新興宗教として、恩師が構築せし創価学会と決別し、見事、其の教義に於いて、魂の独立を
果たすのである! 而して、真の魂の独立こそは、彼の創価大の宮田が提唱する『日蓮本仏排斥論』に
創価学会が同調し、遂には『池田大作書写本尊』を有して『凡夫本仏論』に教変すると聞き及んでおる。

さても恩師をして詭弁の徒と侮言する学会員よ!
さても恩師をして両舌の徒と悪口する学会員よ!
さても恩師をして無知の徒と悪口する学会員よ!

オマエらは、須らく、日蓮大聖人の御教示に違背する、邪宗邪義の徒輩である!!

今こそ、総本山に帰参し、恩師の墓前に於いて土下座せよ!

そして、其の変節の痴態を心から詫びよ!

よいか。オマエらが救われる道は、其れしかないのである!
 

戒壇様干支記載に関する難癖の総括

 投稿者:通りすがりの法華講員  投稿日:2017年 3月 1日(水)00時06分0秒 p5231-ipngn6501marunouchi.tokyo.ocn.ne.jp
返信・引用
  今回は、長年、創価学会仏や身延の阿呆が主張していた「戒壇様には干支記載がないので後世の偽作」という難癖を、創価学会仏サム氏自身で否定したので、その顛末をここにシェアさせていただきたいと思います。

創価学会仏、身延の戒壇様偽作の主張は以下の2点です。
・大聖人様真筆曼荼羅には干支記載があるが、戒壇様には干支記載がない
・戒壇様は日有上人が偽作したもの

この2点の破折を、奇しくも創価学会仏サム氏が自滅の形で示しました。
サム氏が提示した資料は以下の2点です。
・『石山(せきざん)本尊の研究』京都要法寺僧侶 柳澤宏道編著
・堀日亨上人『第三、漫荼羅脇書等』(富要集8巻177頁)

サム氏は
「歴代法主の中には干支を記載された御本尊も現存しているのです。文末の分数は、年月日記載の本尊に対する干支記載本尊数です。」
ttp://9308.teacup.com/shukubou/bbs/12482
と主張した上で列記されています。
つまり、サム氏は「歴代法主の中には干支を記載されていない御本尊が現存している」と言っているわけです。
では、見てみましょう(以下、サム氏のコメントのコピペです)。

・『石山(せきざん)本尊の研究』京都要法寺僧侶 柳澤宏道編著
開山日興上人では、0/19
3世日目上人では、1/1
26世日寛上人では、2/3
33世日元上人では、1/1
48世日量上人では、1/1
51世日英上人では、1/1
52世日霑上人では、1/1
なお、近代の法主は、全て干支を付記していません。

・堀日亨上人『第三、漫荼羅脇書等』(富要集8巻177頁)
開山日興上人では、6/188
3世日目上人では、0/8
4世日道上人では、2/6
5世日行上人では、0/8
6世日時上人では、26/28
7世日影上人では、1/2 (日亨上人は日影上人を7世としている)
9世日有上人では、4/22
12世日鎮上人では、5/9
13世日院上人では、2/5
14世日主上人では、9/11
15世日昌上人では、7/11
16世日就上人では、1/11

「文末の分数は、年月日記載の本尊に対する干支記載本尊数です」
とのことですので
・分母=年月日記載の本尊
・分子=干支記載本尊
とのことです。

なんだ???
上代御法主猊下様が書写されたほとんどの御本尊で、干支記載などされていません。
つまり、奇しくも創価学会仏サム氏は、自身が提示した資料で『干支の記載などどうでもいいこと』だと証明してしまいました。

更に面白いことに、「戒壇様は日有上人が偽作した」との難癖も、サム氏の自滅で破折されてしまいましたね。
何故なら、日有上人書写御本尊様には「干支の記載のある御本尊様」があるからです。
日有上人が戒壇様(創価学会仏主張の「干支の記載がない」御本尊様)を偽作したなら、「干支の記載のある」御本尊様を記されている道理が成立しません。

これにて、創価学会仏・身延の阿呆が長年主張してきた「戒壇様後世偽作論」は木端微塵に消え失せました。

ほんと、創価学会仏とはどこまで愚かなんでしょうか。。。
自分が主張した内容の証拠提示で否定して自滅されては、誰も相手にしなくなりますね。

創価学会仏諸君
もう二度と「戒壇様は後世の偽作」と嘯かない様に。
自分達で否定したのだから、もう嘯く必要はないでしょ。
 

わざわざ、ご返事頂き、ありがとうございます

 投稿者:H27脱会@法華講員  投稿日:2017年 2月28日(火)16時41分47秒 E219108019207.ec-userreverse.dion.ne.jp
返信・引用
  管理人、大月天さま、わざわざ、御多忙にもかかわらず、ご返事頂き、感謝です。
ありがとうございました。



> 創価学会の教義は、最早破綻を来し、我らからして対論する相手ではありません。
> 唯有るは、呵責のみであります。
>
> 小笑。果たしてそんな邪教創価の構成員が、今更、教義だ、本尊だのと、よくも言えたものであります。
> まぁ、其の逆を言うならば、宿坊などの馬の骨などは、そんな創価の教学など、今にしては鼻にもかけず、
> 専ら、身延の坊主などが編纂した書物などをバイブルにして、アホな小学者を気取っているのであります。
> 応に無慙とは此の事をして云うのでありましょう。哀。


はい。正しく、仰る通りです。
縮坊2で、何やら、誘いを受けてますが(笑)あそこ、管理人、縮み坊自体が、多重HNの悩乱、脳みそ
イカレですから(大笑)行って、会話が成立しませんし。
そもそも、所属、何を信仰して、何に所属する信徒なのかも明らかに出来ない、ゴミ掲示板ですから。
創価学会員だと言うのなら、創価の教義に沿って主張しないんでは、話に成りません。
ま、沖爺と同レベル。語るに、落ちるし、腐る(笑)
管理人、縮坊が、次々、HN変えて、揶揄するだけ。あほらし。
何の、信仰に対する、真摯な姿は、カケラも有りませんから。
まあ、今の、未だ、創価学会に、へばりついてる、下駄の雪会員(信者と呼ぶ価値すら無く成りました)
は、似たような物ですが。意見が有るなら、所属、教団、宗派名を、堂々と名乗って、その、教義の
範疇で主張しない事には、狂祖沖爺、愚人と同じ。所属教団、宗派の教義、から、逸脱したんじゃ、
破折対象に成りません。ならば、単なる妄想の戯言。相手にしても意味がない。



> 当方も不規則な時間の中、時には出張等で長期不在と成り、当室の管理に支障を来す事もあり、
> 果たして如何なものであるか、と自問する事もありますが、そこはやはり仏法修行の一義として、
> 随力演説すべきであると、此に改めて奮起するものであります。
>
> 兎にも角にも、お互いに頑張って参りましょう。
>
> お風邪にはくれぐれも気を付けて。

はい。ありがとうございます。基より、私たちは、実践の法華講員。お忙しい、お仕事と、日々の、
仏法修行の、実活動に精励しています。
こちら、『破邪の蘭室』掲示板は、私は、学ばせて頂く、正統義の、貴重な掲示板で有ります。
御多忙とは思いますが、これからも宜しくお願い致します。
先ずは、御礼まで。
 

黒川殿

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 2月27日(月)15時34分35秒 i121-118-81-166.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  お久しぶりです。

又、当室への御投稿、痛み入ります。

>〇市〇区の方ですが、本日無事に御受戒が済み、「これからは創価学会を捨て日蓮正宗の信仰をする」という
>誓いをたてられましたので、皆様にご報告いたします。

其れはおめでとう御座います。

>学会の「ニセ本尊」は私との電話でのやり取りの後「気持ち悪いのでゴミ箱に捨てました」とのことでした。
>また学会の経本、数珠も自分で処分したとのことです。

日有上人の御条目からすれば、他宗の本尊や位牌などは、入信する時点に於いて全て本寺に納めるが正義で
ありますが、創価などは、小乗にも劣る附仏法外道の其れでありますから、ゴミ箱にポイも結構でありましょう。
しかし、破門以前の御本尊(偽造本尊以外の御本尊)は捨ててはなりません。

>私ごとですが1月4日にお一人、そして本日と2名の折伏が成就できました。
>これからも頑張ります!

素晴らしいですね。

いやいや、感心している場合ではありません。当方も頑張らねば。汗。

攻めの黒川とは応に御貴殿の事。

今後とも、当室への御寄稿を宜しくお願い致します。
 

通りすがりの法華講員殿

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 2月27日(月)15時10分5秒 i121-118-81-166.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用 編集済
  お久しぶりで御座います。

墓穴を掘った教宣部…。

哀笑。此の様な連中は、元から墓穴を掘って、今や、其の墓穴に入り込んでいる、当に不憫(ふびん)な
連中であります。嗤。

>日蓮宗が偽書・真偽未決として提示した『昭和定本日蓮聖人遺文』の御抄に真書の存在があることを
>ほのめかし、上記の言い訳(怠慢の自責)をして終了しているのです。

本より、真偽の断定は難儀であり、小智恵と猜疑心を交じり合せて小学者を気取ろうとも、そんなモノは
屁にも成らず、事の大事は、そこに示さる法義・教示を如何にして解釈するか、又、如何にして心読するか、
であり、其の大局の根眼こそは、実に相伝義に依って成る、という事を領解する、という事であります。

邪宗身延の日蓮宗。実(げ)に其の実態こそは、迹門宗にして釈迦宗の権化であり、そんな連中に偽書の選別
など出来よう筈もありません。果たして『真の偽書』とは如何なるものか。そういう初歩的な段義こそを、
先ずは教えてやらねばなりません。否、未だ一尊なのか二尊なのかも判らぬ連中などに、教えるなど勿体ない。
此の様な連中などは叱り飛ばすが上等であると思うものであります。

本覚寺の日奥が云く「宗義の所詮依法不依人の金言に依らば真筆の有無をもって必ずしも詮とせず。
たとえ真筆の御書たりといえどもその義経文に相違せば用い難し。(中略) もし真筆無くんば用い難しと
いわば録内の御書も真筆は多く紛失せり。しかれば録内も正本紛失せるをば用いずといわんや」と。

小笑。さても、一致派の僧にしては、真(まこと)の理屈を述べ給ふ。佳佳。

実(げ)に、識に依らす智に依って文義を測るが仏法義の第一であり、又、其の根幹を為すものが、相伝義の
力量である。つまりは、邪宗異流義に於いて、真(まこと)の真偽などは判ろう筈も無い、という事であります。

>宿坊および創価学会教宣部内で、『昭和定本日蓮聖人遺文』の真偽について証明していただこうと思います。
>彼らは、難癖の根拠に『昭和定本日蓮聖人遺文』も『日蓮聖人遺文の国語学的研究』『日蓮遺文の計量分析』
>も用いてきましたが、双方で述べていることは相反しており、どちらかが偽書もしくは両方が偽書の疑義は
>発生しました。いずれにせよ、これまでの宿坊および創価学会教宣部の難癖の根幹が消えてしまったという
>ことになりますね。

宿坊は単なる馬の骨。

当室に於いて自身の所属宗派を宣べず、又、其の所属宗派の下に尊信する本尊と教義をも宣べず、
但矢鱈に富士大石寺を毀謗する、単なる馬の骨、つまりは「馬鹿の骨頂」という事であります。

教宣部は北朝鮮と同類。

創価教宣部は、謀略と捏造を捏ね回す、応にドブ鼠が如き連中であり、其の痴態こそは、北朝鮮の其れと
同類であります。哀。さても、こんな連中が偽書だ真書だ、などと…。糞笑。

して、そんなドブ鼠が好んで引用する、フェイクニュースに云く、

『身延山といえば、日蓮大聖人を末法の御本仏と仰がずに「日蓮大菩薩」と称しており、
また「板本尊偽作論」を唱えて大御本尊を否定し、更に、御本尊を店先にぶら下げ、
御守本尊をカードにして販売している謗法の山である』と。【フェイク 1406号(13.08.22 発行分)】

哀笑。なんだ。是れこそが偽文という事かいな。鼻笑。

哀笑。さても馬の骨と教宣部。

邪宗身延の法義を尊(たっと)びて、如何なる御書をして偽と断ずるか!

先ずは、そーゆー初歩的な所から叱って参りたいと思う次第であります。

>彼らは、これからどうするんでしょう?
>もう『偽書』とも言えなくなりましたね。

哀笑。抑も「彼ら」自体が偽者なのであり、又、そうであるからこそ、馬の骨と成り、教宣部と成って
いるのであります。果たして、そんな偽物連中が『偽書』などと、ふざけるものではありません。鼻笑。

御義口伝の加文に曰く『或は文を陰(かく)して義を取り、或は義を隠して文を取り、或は文義共に顕はし、
或は文義共に隠して講談するなり』と。【新編 1815】

本より、文上読みの文献莫迦にとっては、是の一文こそ、大いなる叱責と成るのであり、又、其の事実たるを
認めたくないが故に「彼ら」は、加文だ、偽書だ、と騒ぎ立てるのであります。

まこと無慙とは此の事をして云うのでありましょう。

尚、通りすがりの法華講員殿には、これからも御投稿の程、宜しくお願い致します。
 

H27法華講員殿

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 2月27日(月)13時36分57秒 i121-118-81-166.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  お久しぶりです。

お風邪、気を付けて下さい。

当方も現在、鼻づまり状態です。小笑。

>邪教、悩乱の掲示板、鯨板、阿保坊の掲示板、その、2掲示板も、どうしょうも無い、
>邪教、池田創価の狂い様の、体現者たちの書き込み、見ました。
>余りの、狂い様に、入ってやろうかとも、思いましたが、所詮、邪教、池田創価に洗脳された者に、
>意味がないと辞めました。

御意。

創価学会の教義は、最早破綻を来し、我らからして対論する相手ではありません。
唯有るは、呵責のみであります。

小笑。果たしてそんな邪教創価の構成員が、今更、教義だ、本尊だのと、よくも言えたものであります。
まぁ、其の逆を言うならば、宿坊などの馬の骨などは、そんな創価の教学など、今にしては鼻にもかけず、
専ら、身延の坊主などが編纂した書物などをバイブルにして、アホな小学者を気取っているのであります。
応に無慙とは此の事をして云うのでありましょう。哀。

>副住職さまから、ご本尊さまを、『生身の日蓮大聖人』さまと、心得て、ご給仕なさい~とご指導頂いて
>より、この間、このお言葉の意味を、常に、考えて参りました。
>正しく、日蓮正宗で無ければ、この、お言葉の、深い意味する所、教えて頂けないし、また、
>正しい、御三宝尊を拝す事が出来ないと痛感する日々です。

御意。

まさしく、御本尊様こそ生身の日蓮大聖人であります。

南無妙法蓮華経即日蓮大聖人。日蓮大聖人即南無妙法蓮華経。

実(げ)に其の大義を顕現されたるが御本尊様であます。

仍って御本尊様こそ、日蓮大聖人の御魂魄にして、まさしく生身の日蓮大聖人なのであります。

曰く『仏の御意(みこころ)あらはれて法華の文字となれり。文字変じて又仏の御意となる。されば法華経を
よませ給はむ人は、文字と思(おぼ)し食(め)す事なかれ。すなわち仏の御意なり』と。【新編 637】

南無日蓮大聖人。南無日蓮大聖人。

曰く『但南無とのみと唱へて仏といわず、今日本国の高僧等も南無日蓮聖人と唱えんとすとも、
南無計りにてやあらんずらん。ふびんふびん』と。 【新編 867】

本より、ふびんな連中こそ、邪宗身延を首(はじめ)とする異流義と徒輩らであり、南無は仏にこそ為す
べし、という大義に迷う連中こそ、実に不憫な連中であると、此に改めて思う次第であります。

尚、H27法華講員殿に於かれては、日々お忙しい中、当室への御投稿、在り難く存じ上げます。
法華講員殿の純粋な信心。其の純粋な信心こそ、我ら信徒の見本であり、其の御姿を投稿を通して示さる
事こそも、仏法修行の一義である、と心得るものであります。

当方も不規則な時間の中、時には出張等で長期不在と成り、当室の管理に支障を来す事もあり、
果たして如何なものであるか、と自問する事もありますが、そこはやはり仏法修行の一義として、
随力演説すべきであると、此に改めて奮起するものであります。

兎にも角にも、お互いに頑張って参りましょう。

お風邪にはくれぐれも気を付けて。
 

ご無沙汰しておりました。

 投稿者:H27脱会@法華講員  投稿日:2017年 2月14日(火)10時33分3秒 E219108019207.ec-userreverse.dion.ne.jp
返信・引用
  管理人さま、法華講のみなさま、ご無沙汰しておりました。
昨年、年末に、風邪をひいて…、いえ、大した事は無く、気分が悪いとか発熱が酷いとかでは
無く、咳、鼻水がひどく、少し、人前に出るのも憚る状態で…。
今は、すっかり良くなりました。

先日、この日曜は、私、所属、菩提寺さま、都下の寺院で、御報恩御講に参加出来ました。
御講終了後、屈強な体躯のカナダ人のラグビー青年が2人、紹介され、晴れてご入信されたと。
ご帰国後はカナダ、バンクーバーの日蓮正宗妙正寺さまと連携して育成され信心深められると
晴れやかな笑顔広がる、御講日でした。

ちょうど、年末年始、幸いな事に、仕事も忙しく、加えての、咳風邪で、新年2日に菩提寺さま、
参詣後、御参詣を、法華講の皆様に、ご不快にしては申し訳無いと控えておりました。
ですが、この間、こちら、正統義の掲示板、拝見させていただき、学ばせて頂いておりました。

また、邪教、悩乱の掲示板、鯨板、阿保坊の掲示板、その、2掲示板も、どうしょうも無い、
邪教、池田創価の狂い様の、体現者たちの書き込み、見ました。

余りの、狂い様に、入ってやろうかとも、思いましたが、所詮、邪教、池田創価に洗脳された
者に、意味がないと辞めました。
あの程度の、掲示板、活気づける価値すらない。

また、H27、10月に創価学会脱会してより、この間、近頃、ますます、転落の道を、突き進む
現、創価学会は呆れてしまう、悩乱ぶりです。

ご勧戒式をお受けさせていただいてより、副住職さまから、ご本尊さまを、『生身の日蓮大聖人』
さまと、心得て、ご給仕なさい~とご指導頂いてより、この間、このお言葉の意味を、
常に、考えて参りました。
正しく、日蓮正宗で無ければ、この、お言葉の、深い意味する所、教えて頂けないし、また、
正しい、御三宝尊を拝す事が出来ないと痛感する日々です。

今日は、ご無沙汰のお詫びと、より、一層の信心を深めて参るご報告まで。
改めまして、本年も、どうぞよろしくお願い致します。
 

墓穴を掘った創価学会教宣部(?)達

 投稿者:通りすがりの法華講員  投稿日:2017年 2月 5日(日)22時33分6秒 p5231-ipngn6501marunouchi.tokyo.ocn.ne.jp
返信・引用
  先日、愚人くんという学会員が『日蓮遺文の真贋判定』や『日蓮聖人遺文の国語学的研究』を題材に、大聖人様御抄偽書の難癖をつけてきました。
そこで、面白いことは判明しましたので、ここに記させていただきます。

『日蓮遺文の真贋判定』とはそもそも論文でなく、「行動計量学シリーズ 真贋の科学―計量文献学入門(1994/09/25出版)」村上征勝著の一節です。
そして、この一節は、村上征勝氏と立正大学伊藤瑞叡氏による「日蓮遺文の計量分析」という論文からなっています。
この論文で村上氏は、立正大学伊藤瑞叡氏の提供により「日蓮遺文23編」を調べたと記しているわけですが、同じように春日正三氏が著している「日蓮聖人遺文の国語学的研究(1960年代~)」によると同様の検証方法で立正大学伊藤瑞叡氏は日蓮大聖人様遺文26編を提供したことがわかります。
では、立正大学伊藤瑞叡氏が提供した遺文は何に基づいているかというと
『昭和定本日蓮聖人遺文』の中から、真偽未決・真書・偽書と定められたものということです。
『日蓮聖人遺文の国語学的研究』の結語にユニークな文章が存在します。それは、
「筆者の怠慢から、真作御書7編、偽作御書8編、真偽未決御書5編、そして、日蓮聖人の弟子方によってもたらされた、弟子方御書4編の資料を持っていたにもかかわらず、これらを利用できなかった」
と論証に不備があることを認めている点です。
驚くべき論文ですね。
そして、その後にでてくる論文には何故か上記26編の存在は消えてしまいます。
さらに、『日蓮聖人遺文の国語学的研究』は、『昭和定本日蓮聖人遺文』26編を調べながら、一編のみの結果しか提示されず、日蓮宗が偽書・真偽未決として提示した『昭和定本日蓮聖人遺文』の御抄に真書の存在があることをほのめかし、上記の言い訳をして終了しているのです。

ここで立証されることは、これまで宿坊他創価学会教宣部が偽書の根拠としていた『昭和定本日蓮聖人遺文』の分析に誤りがあったということであり、『昭和定本日蓮聖人遺文』こそが偽書だと、上記の『日蓮聖人遺文の国語学的研究』と『日蓮遺文の計量分析』が証明してしまっていることである。

これより、宿坊および創価学会教宣部内で、『昭和定本日蓮聖人遺文』の真偽について証明していただこうと思います。
彼らは、難癖の根拠に『昭和定本日蓮聖人遺文』も『日蓮聖人遺文の国語学的研究』『日蓮遺文の計量分析』も用いてきましたが、双方で述べていることは相反しており、どちらかが偽書もしくは両方が偽書の疑義は発生しました。

いずれにせよ、これまでの宿坊および創価学会教宣部の難癖の根幹が消えてしまったということになりますね。

彼らは、これからどうするんでしょう?
もう『偽書』とも言えなくなりましたね。
 

本日 創価男子部員 脱会を決意 御受戒!

 投稿者:黒川 和雄@日蓮正宗  投稿日:2017年 2月 1日(水)23時21分33秒 p6239-ipbfp1402osakakita.osaka.ocn.ne.jp
返信・引用
  〇市〇区の方ですが、本日無事に御受戒が済み、「これからは創価学会を捨て日蓮正宗の信仰をする」という誓いをたてられましたので、皆様にご報告いたします。

今日は昨日ご住職様が九州の出張から帰られ、ご住職の下での御受戒となりました。

「学会がなぜ謗法団体になったか」ということをご住職様から約1時間30分説明され、私のほうからは「月の行事、及び講費」に至るまで、それから「勤行の仕方が分からない」ということなのでそこもちゃんと説明させて頂きました。

大石寺のビデオも御覧になりましたが「凄い!」と感動されていました。「大石寺の名前は学会でも聞いていましたが、こんなにも素晴らしいとは知らなかった!学会の言っていることは全てウソでした」と言っておられました。

学会の「ニセ本尊」は私との電話でのやり取りの後「気持ち悪いのでゴミ箱に捨てました」とのことでした。また学会の経本、数珠も自分で処分したとのことです。

「僕はまだ創価の人間を説得するだけの教学もないので、まずは日蓮正宗の教えをこれからは勉強したい」と言っておられました。

これで私ごとですが1月4日にお一人、そして本日と2名の折伏が成就できました。
これからも頑張ります!
 

通りすがりの法華講員殿

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 1月30日(月)10時52分51秒 i223-217-34-247.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  貴重な論文、有難うございます。

雪山の寒苦鳥は寒苦に責められて、の新池御書。

法華経を知る僧を供養するは、釈迦仏の供養よりも百千万億勝れたり、の新池御書。

謗法の国土と相成れば、守護の善神、法味に飢えて社(やしろ)を捨て、天に上る、の新池御書。

不信謗法者から供養を受けるは、是れ全く謗法与同の罪となる、の新池御書。

禅宗の者共は、須らく畜生に劣り、其の蒙昧癖は、応に天魔破旬の所業である、の新池御書。

応に我ら富士門徒からして信心に資する御書であります。

して、其の新池御書が実はニセの御書だという。
つまり、誰が書いたのか判らない、其れこそ信仰者を誑(たぼら)かす、紛い物の書だという。

して、其の根拠は何だ、と訊けば、

「三社の託宣」「円覚寺の僧共」の二文だという。

本より、此等の疑難は、江戸時代の身延僧、禅智院日好が特にギャギャーと騒いでいた様でありますが、
これら一致派の坊主からすれば、同書に記されている不受不施義と神天上法門などが、特に其の教線に
於いて邪魔であるが故に、これら「二文」を奇貨として偽書と断じたのでありましょう。
そして、近代、身延の学者(宮崎英修等)などが、受派謗施の片棒を担いで、其の痴態を死して猶、
晒しているのであります。

はてさて、其の新池御書。
偽書と断定するには、まだ早い。

先ずは其の一、春日大明神の託宣などは、御貴殿が仰せの如く、弘安三年以前から在るものであり、
其れらを模範として、後世の神道家などが「三社の託宣」として採用したとも云える。
従って、春日大明神の神託や、八幡大菩薩の神託の一部が記(しる)されている事を以って偽書とは
断じられない。而して「春日大明神の御託宣に云はく」ではなく「三社の御託宣に云はく」となって
いたならば、ほんの少しは「?」が付くのではなかろうか。尚「大明神」との尊称は、十世紀以前から
使われていたものと理解しております。

次いで其の二、弘安三年御述作の当御書に、弘安五年十二月に建立された円覚寺の存在が記されているのは
おかしい、と云うが、抑も講員諸氏が言われるように、弘安五年の十二月に円覚寺が突然出来上がったもの
ではない。其れこそ比して言うならば、現代のサラリーマンが、逆立ちして注文住宅を「建立」するとして、
起工から竣工まで約半年弱。無論、其れ以前の設計段階(用地選択を含む)から加えたならば、約一年近くは
かかろう。爾して「円覚寺」が、サラリーマン住宅と同(おんな)じ工期であるとは、其れこそ歴(れっき)と
した工程表を提出して貰わねば「円覚寺」の一文を以って、新池御書を偽の誑書とは断じられないだろう。
因みに、江戸時代に建築された建長寺法堂は、上棟から完成まで十一年かかったと云い、と或る念仏宗の
寺院などは、着工から完成まで六年かかったという。

つまり、文中の「円覚寺」とは、馬の骨の文献馬鹿連中が云う「弘安五年の円覚寺」ではなく、其れより
以前の発願創建に於いて、其の寺名たるが周知されていた、つまりは「円覚寺という寺が建てられている」
という意での「円覚寺」であり、其れこそは「開山に至っていない(建築中の)円覚寺」という事である。
爾して「円覚寺」という寺名の由来を、日蓮大聖人が其の建築中に承知されて『円覚寺』と記された、という
可能性も完全には否定できないであろう。仍って「円覚寺の僧共」の一文こそは、応に落慶後の円覚寺に入ら
んとする禅宗坊主の一類をして名指したものとも云えるのである。

通りすがり殿へ。

御貴殿の論文を受けて、類々述べて参りましたが、果たして、上に記(しる)した可能性が残されている以上、
偽書の断定は出来ないでしょう。又、其の姿勢こそが学術学問を第一とする文献主義者の基本とも云えます。
無論、我らにとって、其れらの分野などは、二の次、三の次であり、真(まこと)の真偽こそは、実に依義判文
の智力に依るという事を、特に文献莫迦の連中には知らしめる可きでありましょう。

尚、御承知のとおり、円覚寺の説明に於いて、

●鎌倉幕府8代執権・北条時宗は、弘安元年(1278年)から文永の役の戦没者の菩提を弔うためと、
己の精神的支柱となった禅道を広めたいと願い、【円覚寺創建を始めた】

●【弘安5年(1282年)に落慶した】が【その間】、文永の役に続いて弘安の役も起き、弘安の役での
戦没者の慰霊も円覚寺の役目となった。

●当時鎌倉にいた中国出身の高僧蘭渓道隆(建長寺初代住職)は弘安元年7月に没してしまったため、
時宗は代わりとなる高僧を捜していた。そして弘安2年(1279年)に来日した中国僧・無学祖元を開山に
招いた

とありますので、日蓮大聖人が円覚寺の開山以前に、其の寺名を承知されていた、という可能性がそこには
在る、という事になりましょう。

小笑。其れにしても、其の時々の都合によって、録外御書の系年を採用し、後世の身延坊主の文献を用い、
又、其れら途中坊主の奥書を以って疑難するとは、何ともはや、いい加減な連中であります。哀笑。
応に「無節操」とは、此の事をして云うものでありましょう。


>この度、創価学会仏の新池御書偽書説に相手をしている中で、一つ疑問があるので、ここに記します。
>それは、新池御書に記された円覚寺とは、そもそも創価学会仏が言っている鎌倉の円覚寺だったのか
>というものです。

>弘安三年時に、日本に円覚寺は2か所ありました。
>一つは、弘安元年に北条氏私寺として創建していた鎌倉の円覚寺
>もう一つは、蘭渓道隆が日本で初めて開山した1246年から48年にかけ建立された博多の円覚寺です。

博多の円覚寺ですか。

そうですね。北条時頼が勧請開基になっておりますから、日蓮大聖人からして知らない、とは断定出来ない
でしょう。つまり、新池御書にある「円覚寺」が「鎌倉の円覚寺」である、との断定は出来ない、とも云え
ます。しかし、建長寺の次に円覚寺と連記されている事からして、文中の円覚寺はやはり鎌倉五山の内では
ないか、とも言えます。

>大聖人様の御書には、蘭渓道隆に関する記述はありますが、無学祖元に関する記述はないと理解しています。

●無学祖元 弘安二年六月 来朝
      同   八月 建長寺住持
      弘安五年   円覚寺開山

つまり、新池御書の系年が間違いなく弘安三年であるとすれば、其の当時、建長寺の住持は無学祖元だった、
という事になります。されば、仮令(たとえ)諸御書に祖元の名が無くとも、日蓮大聖人は祖元の存在を知って
いた、という事になります。(身延と鎌倉、そう遠くはありません)

>また、円覚寺=鎌倉説は創価学会の指導によるもののようです。

其れは知りませんでした。

>ここは推論に過ぎませんが、大聖人様が新池御書で述べられた円覚寺とは、蘭渓道隆破折の意で、建長寺・
>(博多)円覚寺を言っているのではないでしょうか?

因みに、無学祖元も、博多から鎌倉に来ておりますので、強(あなが)ち、無関係とも言い切れないでしょう。
又、道隆破折の意を以って円覚寺を言うのであれば、祖元も又、建長寺の住持でありましたから、其れらの
破折は同一として捉えるべきでありましょう。

とまれ、馬の骨連中が云う「新池御書偽書説」などは、抑も完全なものではなく、其れらは全て憶測の域を
出ない「組立物語」の其れである、という事であります。


呆哀。其れにしても、宿坊掲示板の2

法華講員の諸氏 日蓮正宗 宗規 第二条を証明しよう。などと、

ったく、テメーのケツの臭いも嗅げぬ者が、人様に向かってケツの臭いを嗅げとは如何なる事か。
ふざけた事を言うものではない。馬の骨のオマエらに証明する必要など全く無い。

宿坊掲示板2。まこと最低な掲示板である。荒らし常習者の屯(たむろ)板。
其の身を隠し、ケツを隠して文句する、遁辞連中の贔屓板。
そんな愚板に投稿するは、最早、時間の無駄ではないか。

新池御書に曰く『有解無信とて法門をば解(さと)りて信心なき者は更に成仏すべからず。有信無解とて
解はなくとも信心あるものは成仏すべし』と。

されば宿坊板2の莫迦どもは、有解無信にも非ず、其れこそは無解無信の一闡提人である、という事を
識るべきであろう。つまり、其れこそがオマエらのケツの臭いだ、という事である。

おっと! 口の度が過ぎたわい。ったく、狂人走れば不狂人も走る、とは此の事か。


【再確認】

通りすがりの法華講員殿へ。

今現在、当室は管理人による「確認後掲載」の形を採っておりますので、投稿されても即時に掲載とは
なりませんので、予め御容赦下さい。又、当室管理人は、明日の午前より、約一週間不在となり、
其の間に投稿されたものは、全て管理人が帰宅した後の掲載となりますので、予め御了承下さい。
今後の御健闘をお祈り致しております。
 

日達上人お言葉 昭和29年9月 大日蓮第103号より

 投稿者:黒川 和雄@日蓮正宗  投稿日:2017年 1月30日(月)01時05分39秒 p6239-ipbfp1402osakakita.osaka.ocn.ne.jp
返信・引用
  近頃は日蓮宗各派では我が正宗を目の敵として我が教義を誹謗して止まない。その結果は我が宗の御書はなんでも偽書という。

まことに二祖日興上人が「御抄何(いず)れも偽書に擬し当門流を毀謗(きぼう)せん者之有るべし」(日興遺誡置文)と既に教示さられてある通りである。

しかも彼ら謗法者の本宗を非難する要点は、一々その裏を返せば本宗の正しきことを証明しているのであるから面白い。
==================================

以上であるが、誠のそのとおりでありますね。

特に創価学会は破門以後、学会の御書に掲載されているにも係わらず、

百六ヶ抄は偽書だ~~い!
御義口伝は偽書だ~~い!
新池御書は偽書だ~~い!
産湯相承書は偽書だ~~い!
日興跡条々事は日付がないから偽書だ~~い!
本門戒壇の大御本尊は後世の偽作だ~~い!

とまぁ、こういう感じである。要するに創価学会に都合の悪い御書は全て「偽書だ~~い 笑」ということであり、まさに日興上人の御遺言の通りの哀れな姿を顕にしておりますね。

日達上人が仰せの「一々その裏を返せば本宗の正しきことを証明しているのであるから面白い。」ということである。

以上
 

円覚寺疑惑に関する素朴な質問

 投稿者:通りすがりの法華講員  投稿日:2017年 1月29日(日)21時13分35秒 p5231-ipngn6501marunouchi.tokyo.ocn.ne.jp
返信・引用
  この度、創価学会仏の新池御書偽書説に相手をしている中で、一つ疑問があるので、ここに記します。
それは、新池御書に記された円覚寺とは、そもそも創価学会仏が言っている鎌倉の円覚寺だったのかというものです。

弘安三年時に、日本に円覚寺は2か所ありました。
一つは、弘安元年に北条氏私寺として創建していた鎌倉の円覚寺
もう一つは、蘭渓道隆が日本で初めて開山した1246年から48年にかけ建立された博多の円覚寺です。

大聖人様の御書には、蘭渓道隆に関する記述はありますが、無学祖元に関する記述はないと理解しています。
また、円覚寺=鎌倉説は創価学会の指導によるもののようです。
ここは推論に過ぎませんが、大聖人様が新池御書で述べられた円覚寺とは、蘭渓道隆破折の意で、建長寺・(博多)円覚寺を言っているのではないでしょうか?
 

新池御書偽書の難癖を歴史的事実をもって破折します

 投稿者:通りすがりの法華講員  投稿日:2017年 1月28日(土)08時00分30秒 p5231-ipngn6501marunouchi.tokyo.ocn.ne.jp
返信・引用
  先日、宿坊2の掲示板に書いた内容ですが、創価学会仏は感奮なきまでに破折されるとコメントを消去して遁走してしまうので、皆さんの参考になればと思い、ここに投稿させていただきます。
創価学会の阿呆どもが、如何に歴史を学ばずにいるかがよくわかります。

■創価学会仏の難癖
新池御書には、大聖人様御在世時代に存在しない「三社の託宣」「春日大明神」「円覚寺」の文言が存在するので、偽書である。

■破折
「三社の託宣」「春日大明神」「円覚寺」は大聖人様御在世時代に存在していたので、創価学会仏の難癖の根拠は当てはまらない。

「三社の託宣」「春日大明神」
三社託宣はそもそも奈良時代から存在し、平安期は伊勢・八幡・賀茂の三社(旧三社)でしたが、平安後期に賀茂が春日に変更され(新三社)、鎌倉後期に定着化したと言われています。
伊勢・八幡・春日の三社(新三社)の発祥は東大寺東南院との伝承があり、新三社の記述は、平安末期から鎌倉初期にかけての『玉葉』『愚管抄』『嘉禎二年九条道家願文』で確認することができます。
三社の託宣は創価学会仏が誤った理解をしている室町期にできたものではなく、奈良時代に旧三社があり朝廷や貴族間で信仰されていたようです。その変遷をみると、平安末期に新三社に変更され、平安末期から鎌倉期にかけ武家間に、室町期に一般信仰へと広がったようです。

「円覚寺」
円覚寺の歴史をたどると、弘安元年より創建が始まり、弘安五年に開山の儀を執り行っていたことがわかります。円覚寺の『本朝高僧伝』『鹿山略記』や『仏光録』などによると、弘安元年に建長寺初代の蘭渓道隆をして文永の役の戦没者慰霊のために建立をしようとしたがお亡くなりになった為、同年に無学祖元を中国より招き創建を始め、弘安五年に開山の儀を執り行ったことが記されています。
また弘安年代には法堂の存在はなく、1323年に法堂が建立されるなど寺院が拡張しています。
沼津にある松陰寺が、弘安二年に円覚寺の末寺として無学祖元門弟天祥西堂が建立されていることを見ても、弘安二年の時点で円覚寺は末寺を持つ状況になったことは明らかですね。
創価学会仏は深く史実を確認せず、WikipediaなどのHPに記された「弘安五年建立」を鵜呑みにしていたことが難癖の原因と言えます。

上記の理由により、創価学会仏が嘯く「新池御書は後世の偽書」の根拠は創価学会仏の妄想にすぎないことは証明されました。
創価学会仏どもの教学の浅薄さには驚きますが、提示した資料がWikipediaだったことはさらに驚かされますね。
ここまで創価学会仏の教学が低レベルだったとは思いませんでした。
 

告知

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 1月20日(金)15時37分14秒 i223-217-34-247.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  今更言うまでも無いが、所属の判らぬ連中が、あーでもない、こーでもないと、其れこそ2チャンネル
よろしく、好き勝手な事を言い合う低質な論争板になっていない事は、応に「雑衆入る可らず」という
当室の姿勢と、其の意を了とされた講員諸氏の節度ある投稿姿勢が成せるものであると、当室管理人は
此に改めて自負するものである。

爾して昨今、講員諸氏による正義顕揚・邪義破折の投稿文も減少し、又、当室の規則に沿って自身の宗派
教団を親告し、其の持する本尊と教義を以って宗論に臨まんとする強者(つわもの)も皆無となり、今に於て
管理人による邪宗邪教への呵責文が其の大半を占めるは、此れ又、致し方のない事であろうとも思う。

ここで当室管理人は、其れらの現状を鑑み、本日より当室の投稿形式を「即時掲載」から「確認後掲載」に
切り替え、以後、各位からの投稿文は全て、管理人が確認した上で板上に掲載するという形を採って、其の
管理の徹底を行って参りたいと思う。

さすれば、質の高い投稿文の採用と、痴文駄文の排斥が増々明確となって、其の成果はより一層、当室の純度を
高めて往くものとなろう。又、そうすべき事が、法論掲示板を与かる者としての責務と心得るものである。

して、今までも一時的に「確認後掲載」に切り替えた事はあったが、今回は一時的に非ず当面の決定と成る由。

其の事、投稿者各位には了解願いたい。

尚、投稿文の掲載基準については、所属不明者・捨てハン・串投稿などは、全て不掲載とし、又、投稿者の所属が
明らかであろうとも、其の投稿内容が低質のモノである場合は、不掲載とします。又、其の「質」の基準については
すべて管理人の裁量によるものであり、其れについて不満苦情については、一切受け付けません。
又、板上掲載までの所要時間については、すべて管理人による「確認作業」が優先するものであり、其の作業の
遅早についても、一切の苦情は受け付けません。

以上であります。
 

戒壇の大御本尊に於ける「法華講衆等」の脇書について

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 1月16日(月)12時27分59秒 i223-217-34-247.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  誠に畏れ多い事であるが、過日、本尊の何たるかも解からぬ無宗教の痴れ者が、我ら正統・富士門流の
大根本たる戒壇の大御本尊の脇書について誹謗して来たのであるが、当室管理人は、此の痴れ者を追放
するに際し、其の脇書の正義を説教せしめたのであるが、此の痴れ者は案の如く、追放の後に於いても
執拗に、弘安二年当時に「法華講」は存在していない、という概念を以って戒壇の大御本尊を中傷する
事について、改めて其の正義を申し述べるものである。尚、本投稿の趣意は、あくまでも、法華講員諸氏、
就中、初信の方々が閲覧されている事を考慮して、此に敢えて再掲するものである。

さて、本門戒壇の大御本尊の脇書に記(しる)されている「法華講衆」の御意を感ずるに於いては、
日蓮大聖人が、御書文中に於いて『大講堂』もしくは『講堂』と表記されている事に、先ずは意を
向けなければならないという事である。

つまり、僧が経典の講義などを行う建物を指して講堂という認識が大聖人御在世当時からしてあった
という事からして、其れら僧の教えを受ける信者の集合を指して講衆と呼ぶは至極当然の事と成るの
である。して、其れらの講衆が応に法華経を信ずる者達であるならば、其の法華経を説かれる大聖人
からして、それらの者を『法華講衆』と呼称されるは、応に当然の理と相成るのである。

して、当室から追放された痴れ者などは、戒壇の大御本尊が御建立された当時、現今のような組織
としての「法華講」は存在していないとして「法華講衆」との脇書がある此の御本尊は後世の偽物である、
と曰(のたま)うのである。

小笑。

本より、当室管理人は、其の痴れ者の文句について、其の浅識の極みを一笑の下に破折せしめたのであるが、
ここに改めて破す事としよう。

本より大御本尊に記されている「法華講衆」の読み方は「法華講の衆」ではなく「法華の講衆」と読むが
正解なのである。又、其の事は語尾の「等」の文字を接続すれば、実に「法華講の衆等」という表現は
不自然と成り「法華の講衆等」が実に自然と成る。

例えば「小泉法華衆等」とは「小泉の法華衆等」と読むものであり、又「上野講衆等」に於いても、
「上野の講衆等」と読むが正解であり、決して「上野講の衆等」とは読まないのである。

つまり、無宗教の痴れ者は、そういう解読が出来ずに、単に熱原の法難当時に於て「法華講」という
現在の様な組織が存在していない事を以って、大御本尊の脇書を侮蔑しているのである。
応に痴れ者にして浅識の極みとは此の事であろう。

而して「法華講の衆」ではなく「法華の講衆」と読むが正解である事は、前(さき)にも引用した日興
上人の『御講衆の申さるゝ旨聞こしめし候ぬ』との表現からしても其の正解が裏付けられるのである。
して、此の『(法華の)御講衆』という御認識は、当然の事ながら日蓮大聖人が御在世当時から持たれ
ていたのであるから、大聖人御入滅後十年経とうが四十年経とうが、日興上人をして、其の御認識は
些かも変わらないという事であり、其の不変の御認識をして『御講衆の申さるゝ旨聞こしめし候ぬ』
と表記されたのである。つまり、今の「法華講」に対する見方を以って読むから、そういう屁理屈が
生まれて来るのである。無論、そこに記さる「法華の講衆」をして、我らが「法華講」の御事である、
と解読するは、興門正統の我らからして当然の事であり、決して牽強付会の偏読ではない。

尚、当室管理人として前(さき)にも申し述べたが、将来の大戒壇に御安置さる本門戒壇の大御本尊の
脇書に於いて、それら将来に亘る法華講衆の大結成をも達観されて、願主に「法華講衆等 敬白」と
記念された其の御本仏の御予見こそを、我々は唯々感嘆するのである。して、これこそが信仰という
ものであって、無宗教の痴れ者が、文献の面上を舐めて唾を吐こうとも、一切立ち入る事の出来ない、
生命感得の大分野なのである。

日蓮大聖人に曰く『いまだ顕はれざる後をしるを聖人と申すか。日蓮は聖人の一分にあたれり』と。

果たして、其の時に無かろうとも、そして其の時に顕れざる事であろうとも、聖人は、其の御予見を
以って其の名を示し、又は初出の記述を以って、其れらの証文と為されるのである。実に前代未聞の
表記こそは、未萠(未来)を知る聖人、就中、御本仏たる日蓮大聖人の証明であるという事を此に知る
べきであろう。
 

元祖通りすがりの法華講員殿

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 1月16日(月)11時10分54秒 i223-217-34-247.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  執拗な馬の骨のゴミ投稿を削除した際に、誤って削除してしまいました。

失礼致しました。早速に再掲致します。

尚、当室に於いては、所属不明者(当室に於ける不親告者)との応論・対論は禁止となって
おりますので、御注意の程、お願い致します。
 

書き込みしたんですが

 投稿者:元祖通りすがりの法華講員  投稿日:2017年 1月16日(月)00時23分42秒 om126186243089.7.openmobile.ne.jp
返信・引用
  管理人さんが削除しましたか?  

Re: 通りすがりへ

 投稿者:元祖通りすがりの法華講員  投稿日:2017年 1月15日(日)15時04分20秒 om126186243089.7.openmobile.ne.jp
返信・引用
  この冬一番さんへのお返事です。

> 堀さんは何に基づいて四尺七寸と言ったのか!
>
> これは何時代の文献か?
>
> 楠を誰が彫刻した!

他門においてさえ認められた大学匠(言葉の意味わかるかな?)でおられた日亨上人が研究成果として述べられたことに対して、自らの無知を省みず随分下品な物の尋ね方をなさるのですね

『上人が遺された文献について、自身ではどうしても解釈が及ばない記述が多数ございました。
○○○
これらについて日蓮正宗における詳細な公式説明等が過去になされているのならば、どうかご明示いただけないでしょうか。必要なら寺院に足を運ぶことも厭いません。何卒お願い申し上げます。』

こう言え。世間では当たり前のマナーだ。
 

通りすがりの法華講員殿

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 1月14日(土)15時27分27秒 i125-205-106-86.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  貴重な論文、有難うございます。

言うまでも無く、日蓮大聖人の大遺志こそは、未来広宣流布に於ける本門戒壇の必設であり、
応に「円戒は死後に之を顕す」とは、其の事を以って仰せられたものであります。
爾して未来戒壇に安置すべき御本尊を「時を待つべきのみ」に耐うるべく、不朽の御本尊、
則ち、樟板に御彫刻・金箔文字にして漆塗りに致すは当然の御処置であり、末法万年尽未来際の
長時(ちょうじ)に於いて、紙墨では到底耐えられぬ事などは、日蓮大聖人のみならず、誰とても
思考しうる事であり、又、そうであるからこそ、不朽の態様と為されたのであります。

仍って日亨上人は『これをもってかんがうれば、本門戒壇にはむろん本門の大曼荼羅を安置すべき
ことが、とうぜんであるので、未来建立の本門戒壇のために、とくに硬質の楠樹をえらんで、
大きく四尺七寸に大聖が書き残されたのがいまの本門戒壇大御本尊である』と断言されているので
あります。

尚「大御本尊」という呼称は、日興上人の大石寺譲状(日興跡条々事)と、重須日順師の心底抄にのみ
記(しる)されておりますが、もし、文献莫迦が如き、(大聖人の)真蹟文のみが真実の文証などという
阿呆な理屈からするならば「大御本尊」という呼称自体も、後人の捏造という事になりましょう。
とまれ、日興上人が大石寺譲状に於て「身に宛て給はる所の弘安二年の大御本尊」と明記されている事が
重要なのであり、本より、日興上人の御一身に給わった大御本尊でありますから、当然、身延の常在物では
ない、という事になります。

爾して「時を待つべきのみ」の大戒壇こそは、我が富士門流の大目標であり、通りすがり殿が御紹介の
日興上人筆『本門弘通事』こそは、応に戒壇建立に於ける迹門比叡山と本門富士山との対比であり、
実(げ)に此の理(ことわり)こそが、未来本門戒壇の建立必設の文証と成るものであります。
爾して、此等の共通理は、二箇相承・大石寺譲状のみならず、富士一跡門徒御存知、及び五人所破抄、
延いては、日代師・日順師をも含む富士門流の大義として一貫されているものであり、元より其の根義
こそは、三大秘法稟承事を首(はじめ)とする日蓮大聖人の御遺訓を以って証明されるのであります。

猶(なお)、其の富士門に於いて、未来広宣流布の暁に、勅許勅宣を迎えるべく勅使門を設けているのは
我が富士大石寺のみであり、実(げ)に其れこそが富士門宗家の証と成るものであります。

さても、樟は身延に無かったから板本尊など作れないだの、勧請の其れが他の本尊と違うだの、
「戒壇之御本尊」などという文記は何処(どこ)にも無いだの、身延の「草庵」には巨大過ぎて
安置出来ないだの、金箔漆塗の代金など大聖人が払えるわけが無いだの、挙句には、日有上人が
偽作しただの、弘安三年の日禅授与本尊を模作しただの、と、あれやこれやと唾を飛ばす邪流人の
者共…。

して、こういう奴らこそ、自身の本尊義を宣べず、其の所属する宗派門派教団を隠し、其れこそ、
無学邪人に論敗なし、の杵柄(きねづか)を以って屁理屈を捏ね回し、言いたい放題の悪口中傷を
弄するのであります。実(げ)に『馬の骨』こそは、其の典型でありましょう。

我らと論じたいのであれば、正々堂々、己(おの)が宗派を宣べ、又は、其の所属する門派教団を親告し、
以って其の本尊義を顕揚して、我ら富士門に対しなさい。

当方は其の事を、何度も繰り返し述べているのであります。

本より、金原某やイタチなどは、今や無所属の其れであり、仏法からして私義私流の徒輩であります。
そんな者らに、相伝の何たるかなど、解かろう筈も有りませんし、又、其れを語る資格もありません。
況してや、学問によって法義を計らんとする、学者教授などは、応に無智無学の権化である、という事を
我らは識るべきでありましょう。

此に詰問す。

さても、オマエたち邪流権化の者共こそ、身延山に隠匿せる民部日向の板本尊の材質を明示せよ。
加えて、北朝観応二年(1351)修造の金箔板本尊の材質、及び、其の作業工程を此に明示致せ。

よいか。一方的な批判など莫迦でも出来る。
況してや、己(おのれ)の身分を隠して一方的に批判するなどは、其れこそ莫迦に臆病が重なった
痴虫小蟲の所業である、という事を、オマエたち捨てハン串の連中は能く能く知るべきである。

おっと、莫迦どもへの説教は、ここまでと致しましょう。限が有りません。哀笑。

さて、通りすがりの法華講員殿には、これからも新興宗教創価学会をはじめ、邪流日蓮宗を含む
あらゆる邪宗教に対し、鋭意呵責されん事を此に期待しております。

今後ともどうか宜しくお願い致します。
 

日有上人偽作の破折に関する文証

 投稿者:通りすがりの法華講員  投稿日:2017年 1月14日(土)05時09分2秒 p5231-ipngn6501marunouchi.tokyo.ocn.ne.jp
返信・引用
  創価学会仏どもが脳髄疼かせた原因になったのは、私があるコメントを某創価学会板でしたことによりますが、そこでコメントした、これまであまり語られることのなかった(と私は認識しています)、戒壇様に関する上代上人様の文証を共有させていただきます。

それは『御会式奉読立正安国論並御申状』です。
日蓮大聖人の弟子・檀那にとって、古来より「お会式に参詣しない人は、大聖人様の弟子でも信者でもない」、「1年365日、寺院に参詣しても、お会式に参詣しなければ、なんにもならない」とまで言われてきた最重要法要です。
そこで奉読されるのが『御会式奉読立正安国論並御申状』です。

『御会式奉読立正安国論並御申状』をみてみましょう。
1.日行上人の暦応五年三月の申状
「法華本門の肝要妙法蓮華経の五字並びに『本門の大曼荼羅』と戒壇とを今の時弘むべき時尅なり、所謂日蓮聖人是れなり。」
ここに、はっきりと『本門の大曼荼羅』としたためられています。
ここに「本門戒壇の大御本尊様は日有上人の偽作」の論拠は崩れ去りました。

2.『三時弘経の次第』
歴代上人が国家諌暁の申状の中に『三時弘経の次第』を副え奉られていますが、これは日興上人様の申状にある『所造の書籍等』になります。
『三時弘経の次第』は「猶開山上人御正筆中に此と同義の本迹法門あり、今其の要文を録す。日興上人正筆『本門弘通事』の中に在り。(歴代法主全書第一巻)」
と『本門弘通事』の記録があります。
御存じの通り、『本門弘通』とは、『日蓮一期弘法付嘱書(身延相承書)』に「日蓮一期の弘法、白蓮阿闍梨日興に之を付属す、本門弘通の大導師為るべき」と大聖人様がお示しになられている通りです。
つまり、
①『三時弘経の次第』『本門弘通事(日興上人真筆あり)』により、日興上人様が『本門弘通の大導師』であること
②日興上人様が『日興跡条々事』で「日興が身に宛て給はる所の弘安二年の大御本尊は、日目に之を相伝す。本門寺に懸け奉るべし。」と相伝されていること
から、歴史学的にみて、「弘安二年の大御本尊=本門戒壇の大御本尊様」が大聖人様から日興上人様へ相伝されたことが証明されます。

つまり、1.2.により、本門戒壇の大御本尊様は日有上人の偽作ではないこと、大聖人様から日興上人・日目上人以降相伝されている事実が、歴史学的に証明されるということです。

ご参考にしてください。
 

通りすがりの法華講員殿

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 1月13日(金)14時52分16秒 i125-205-106-86.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  仰せの旨、了解致しました。

又の投稿を楽しみにしております。
 

管理人様

 投稿者:通りすがりの法華講員  投稿日:2017年 1月13日(金)13時46分21秒 p5231-ipngn6501marunouchi.tokyo.ocn.ne.jp
返信・引用
  御指導有難うございます。
馬の骨は既に精神破綻をきたしていることは明々白々ですので、相手にして法を下げる意思はありません。

今後は、破折に有益なる郷土史などを調べていこうと考えていますので、また共有できる情報がありましたら、掲載させていただきます。

 

通りすがりの法華講員殿へ

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 1月13日(金)12時40分43秒 i125-205-106-86.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  【再確認】

馬の骨と対論する場合は、他板にてお願い致します。

尚、御自身単独による破折については、其の投稿を許可します。
 

通りすがりの法華講員殿

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 1月13日(金)11時27分32秒 i125-205-106-86.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  御貴殿が謝る必要などは全くありません。

全ては、馬の骨が悪いのであります。

其の理由は、前(さき)に述べたとおりであります。

尚、当室管理人は、其の投稿者自身が、当室に於いて其の所属宗派及び教団を親告しない限り、
仮令(たとえ)、其の者の所属が他板に於いて明確であろうとも、応答の対象には致しません。
従いまして、此の馬の骨が「創価学会仏」である、という事については、当室として承知する
ものではありません。

下山大工に関する伝承。

須らく読ませて戴きました。

仰せの通り、樟の自生と其の入手はイコールではなく、仮令、樟の自生が完全に否定されようとも、
其の入手などは容易であったという事であります。本より、あれやこれやの寺が建つという事は、
須らく丸太から製材されたのであり、其れらの加工は、すべて大工によって為されたのであります。
尚、其の事については、当方としても昨年十月十五日の投稿文『阿呆な身延の戯れ言を叩く (二)』に
於いて論記しておりますで、もし宜しければ御覧下さい。

何れに致しましても、当室に於いては『馬の骨』は対象外であり、そーゆー『馬の骨』が当室に
於いて批判の矛先を向けようとも、当方の関知する処ではありません。

又、そういう状況の中で、当事者同士が対論する事になろうとも、其の一方に於いて不親告者が
居る限り、当室での投稿は受け付けません。仍って他板に於いて対論して下さい、という仕儀に
成るのであります。無論、通りすがり殿が、其れら馬の骨を呵責する意味に於いて投稿される分
については、何の問題もありません。

重ねて申しましょう。

通りすがり殿が謝る必要などは全くありません。

全ては、馬の骨が悪いのであります。
 

管理人様 お詫びに

 投稿者:通りすがりの法華講員  投稿日:2017年 1月12日(木)21時59分47秒 p5231-ipngn6501marunouchi.tokyo.ocn.ne.jp
返信・引用 編集済
  御存じかもしれませんが、以下のことを情報共有させていただきます。

<下山大工に関する伝承>

ttp://www3.town.minobu.lg.jp/lib/shiryou/daiku/history00.html

1282(弘安5)年に日蓮聖人が亡くなって間もないころのことです。日蓮聖人にはたくさんのお弟子さんがいましたが、なかでも六老僧と呼ばれる6人の偉いお弟子さんがいました。そのひとりが日興上人で、日蓮聖人のあとを継ぐお坊さんには日興上人を、とみんなが考えました。
 ところが、それに反対する人がいました。そのころ身延の村を支配していた波木井実長です。実長は、前に日興上人から信仰のことで厳しく叱られたことがあり、そのことを根に持っていたのです。そのため、日興上人は1289(正応2)年、身延を去って富士郡へ行ってしまいました。富士郡は、今の静岡県の富士宮市のことです。
 日興上人が身延を去るときに、下山の石川という家の大工さんを、一緒に連れて行きました。この大工さんが、富士郡で「六壺の間」という名前のお堂を建てました。これが、今の日蓮正宗の総本山である大石寺のはじまりです。今でも同じ名前のお堂がありますが、これは大石寺ができて700年たった記念に、最近になって新しく建てられたものです。
 「六壺の間」は、四つの辺のそれぞれが12間(21.816m)ある、大きな建物だったそうです。どのくらいの大きさかというと、身延山久遠寺の本堂の1.5倍くらいです。その建物の内部が横の方向に3区画、奥の方向に2区画の6区画に区切られていたことから、「六壺の間」と呼ばれるようになりました。
 これが、下山大工についてのもっとも古い言い伝えとされています。この話が伝えられているのは、下山の石川武重さん、石川孝重さん、石川与市さんの家です。この3軒の石川さんの家は同じ一族で、大石寺にあるさまざまな建物を建ててきた一族なのです。

下山大工とは、石川・竹下両家を中心として発展した身延地域の在方大工集団であり、江戸時代には芝白金御殿・駿府城・甲斐善光寺の建設にも携わるほどの大工集団とのことです。その石山家に伝わる伝承が上記のものになります。
承久元年(1219年)に石橋八幡神社が再建された時の棟札(「下山大工七郎二」)が存在することから、下山大工は鎌倉時代初期から身延に存在する大工集団であったことがわかります。また、下山大工によると大石寺六壺には正応3年と書かれた棟札があるとのことです。
これは、大石寺が建立された正応3年10月12日と一致しています。

つまり、身延や創価学会仏どもが主張する「当時身延には楠が自生していなかったので戒壇様の楠を入手できない、日興上人が戒壇様を大石寺に移動することはできない」との邪推は、大聖人様御在世時代に身延に大工集団が存在していたこと、身延から大石寺への移動に大工集団が同行していた事実と六壺の棟札の存在から簡単に破折されるのです。

この度は、本当にご迷惑をおかけしています事申し訳ありません。
 

管理人様

 投稿者:通りすがりの法華講員  投稿日:2017年 1月12日(木)17時35分22秒 p5231-ipngn6501marunouchi.tokyo.ocn.ne.jp
返信・引用
  ご無沙汰しております。
この度は、頭破れた創価学会仏が、御掲示板でご迷惑をお掛けしており申し訳ございません。
創価学会仏どもは、私の破折に反論できず、頭破いてのたうち回るしか無いようです。宗教詐欺団体創価学会の現証と思われますが、ご迷惑をお掛けしておりますこと、お詫びいたします。
 

ああ、邪教人 其の五十六

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 1月10日(火)16時59分51秒 i125-205-106-86.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  >増上慢である学会本部執行部の対抗勢力の一つとして
>宿板の使命は大きいと思います。賛同します。

小鼻笑。一大秘法は題目の事だ、という学会と、末法の本仏はお釈迦様だ、という宿坊の板と、
そんな馬鹿な連中が、あーでもない、こーでもないと。…鼻笑。

さても、恩師戸田先生の本尊義にも乖(そむ)く獅子身中の蝗蟲らが、己(おのれ)の言動をして
其の使命は大きいなどと、訳の解からん事をほざいておる。哀笑。

其れにしても何だ。

末法釈迦本仏主義が創価執行部の対抗勢力になるとは、一体如何なる教義から捻出されるのか。
先ずは其の事、宿坊板に投稿している連中は明言すべきであろう。
ったく、そういう根義を蔑(ないがし)ろにして、一体何の正義であるのか。
よいか。腐った材料でいくら像(かたち)を整えようとも、其の成像は腐った像なのである。

>波田地一派が証明不能!波田地一派 ( 宿坊板 )は
>原田会長の「池田先生からの承認」がないとしているが証明できず!
>執行部の不正・悪行を主張するも検証不十分!
>池田先生の近年の著作が偽作だと主張するも証明できず!

哀笑。だから、証明も何も、お釈迦様が末法の御本仏だ、と言っている連中をして、
何故、其れを創価の一員として呵責しないのか。
先ずは其れこそが第一義であろう。
つまり、そういう根義を放置して、凡人の行状に一々文句を垂れる姿こそ、
現創価学会員の瓦解した教学力の実態とも云えるのである。

ったく、そんなオマエらが「折伏」などと、ふざけるものではない。哀哀笑。

>喧嘩上等バチバチ大好きな方どうぞ!!ψ(`∇´)ψ

哀笑。そーよな。そーゆー瓦解教学の言い合いなどは、其れこそは「喧嘩」であるよな。
さても、題目こそが一大秘法だ、と言う池田創価学会と、お釈迦様こそが末法の本仏だ、
という宿坊イタチ派と、一体どちらに軍配が上がるのか。先ずは其の決着を付けなさい。
よいか。我らの宗義に文句するは、其れからの事である。

其れにしても、喧嘩はこっちでやってくれ、と管理人に云われ、はい、わかりました、と
平然と喧嘩する、智恵足らずの者共…。いや、其れよりも何よりも、そういう「喧嘩」を
呵責善導せず、別板に丸投げして放置する管理人の無責さよ。呆哀。

とまれ、仏法者の破折論戦として「喧嘩」の類(たぐい)に墜ちぬ様にするには、先ず以って
互いの信義信条を、其々が所属する宗派門派教団の根義の下に宣揚し、且つ、其の確信を以って
宗義を論ずる事にある。つまり其れを返して云うならば、己(おのれ)の信条を其の所属する宗派
教団の下に宣揚出来ぬ者は、其の弁論の一々が「喧嘩」の類に成り下がるという事である。
又、そういう所属・信条を隠蔽する、所謂「馬の骨」をして応論するは、此れ全く「喧嘩」の
上塗りに成ってしまうという事を、我ら富士門信徒は能く能く識るべきであろう。

されば、馬の骨の挑発に乗り、又は其の板上に乗せられて、其れこそ、相手の宗義も解からずに
一々の疑難に返答するなどは、応に是れこそ狂人走れば不狂人も走る、の様相と成るのであり、
応に其れこそが「喧嘩」の応酬と成るのである。

ったく、そんな隠匿連中に、仏法正義を求める信心など有ろう筈も無い!

仍って御本仏が申さく『法門というものは、親しい人であっても、そうでない人であっても、
信心の無い人には、軽々に話すべきものではない。其の事を能く能く心得なさい』と。

信仰は所詮、イワシの頭だ、と侮弁する宿坊一味。最早、こんな連中に信心など無い。
つまり、我ら富士門信徒からして、下の下の下の稚人である、という事である。

而して、我こそは何々宗、何々教の信者である。そして、我らの本尊教義こそが正義である。
又、其れを以ってするならば、貴殿の宗義、貴殿の本尊義こそが誤りであると。

よろしいか。これが法論対論の一丁目であり一番地なのである。

ったく、無信心の癖にして他宗の法義に唾するなどはもっての外である。

果たして宗教とは如何なるものであるのか。先ずは其の事を学びなさい。

さすれば、下の下の下、から下の下に昇格するであろう。鼻笑。

オマエらにとって、超八独一、就中、文底独一本門など、到底理解出来ようも無いから、
我らに対しては、顎を突き出して唾を吐くしかないのであろうが、抑も無信仰無信心にして
理解不能であるから、そーゆー姿に成るのである。よいか。無智汚濁の唾をぺっぺ、ぺっぺと
吐くものではない。当方の白袈裟が汚れてしまうではないか。そうであろう。無信心の汚人たちよ。

「身延に樟は無かった」
「1m43㎝は巨大だ」
「給所とは常在の事だ」
「草案こそが正文書だ」
「在御判と御判は別だ」

哀笑。其れにしても、浅薄な言い様ではある。小鼻笑。
実(げ)に底の浅い思考力とは、応に此の事か。哂々。
さもありなん。これらの文句は全て無信仰無信心の産物である由。
とまれ、其の解決こそは、学者の小袋から抜け出すしかあるまいて。

御本仏が申さく『世間の学者は仏法を学問して、我も我も智慧を得たと思っている。
そんな一生を無駄にして夢のような事を言っておるが、抑も、此奴(こやつ)らに於いて
仏法の一大事などは知らないのである』と。

よいか。そんな智慧足らずのオマエらが、無信心を自慢して、学問が仏法を超えるなどと、
馬鹿な事を言っている限り、我が興門正統の大義など教えてやらぬ方が、最大の善行であると、
当方は此に思うものである。応に法を下げぬとは此の事をして云うものであろう。

果たして、一大秘法は題目だ、という創価執行部と、お釈迦様こそ末法の御本仏だという
宿坊イタチ派と、一体どちらに軍配が上がるのか。

何? 俺たちゃ双方、教義などは二の次であって、一番大事な事は、組織と人事と給料とな。小鼻笑。

哀哀笑。そーよな。オマエら創価外道に教義論争など出来よう筈もないよな。哀哀笑。

あいつがどーの、こいつがどーの。

そんなこんなの邪教人。

邪教人への大呵責はこれからも続く。
 

ああ、邪教人 其の五十五

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 1月 5日(木)13時28分45秒 i125-205-106-86.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  >この日本に師範・教授がどれほど居られるのでしょうか?
>今回の宗規改正や御観念文に疑いを疑問を持たないのでしょうか?

おいおい、其の師範・教授とは、まさか創価の教学連中の事かいな。

糞笑。そんなモン、師範でも教授でもないよ。そんなモン、ただの下教者だよ。小鼻笑。

>私が広宣部1年生の時、ある地方の会館に『ハタチ様』が来られ、(仏敵を殺しても、仏法では罰するどころか、
>仏から褒め讃えられるんです)との話は忘れません。

おいおい、まさか殺人の仕方とは此の事か。

「ほんな、針金でゆわえて、あの頭、トンカチでぶっ叩いてね」【H4.12.13 全国青年部幹部会】

ホンマ、針金で首を結わいて、頭をトンカチでぶっ叩いたら、そりゃ死ぬわな。

哀。池田センセーも怖い事を言う。鼻笑。

>難しい事はよくわからないですが、
>前に広宣やってた友人達と勉強しています。

呆笑。

広宣の勉強って、そんなモン、心が穢れるだけだよ。

やめとけ、やめとけ、そんなモン。

盗聴・尾行・恫喝・懐柔・潜入・攪乱、等等等…。

オマエらのやっている事はオウム顔負けだよ。

ったく、そんなモン、勉強しなくてよろしい。

>青年部時代に立ち返り!

ならば、恩師の青年訓を読みなさい。

本より、我ら富士門信徒にとって、全く違和感のない正義の訓示である。

逆に言えば、今のオマエらからして間違いだらけの訓示と成ろう。

果たしてそうなのか。

よ~く、其の眼球を穿(ほじく)って読みなさい。

さすれば、一大秘法の本義が観えてこよう。
 

創価邪人の戯れ言を破す

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 1月 5日(木)12時50分55秒 i125-205-106-86.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  >大石寺派(すでに広宣流布からリタイアしたので最近は退席痔派とも呼びます)では、
>自分たちの唯一のアイデンティティとして戒壇の大御本尊を主張しますし、大聖人の御書の
>とおりに実践していない老衰した自己中心の脱会者が、自分は大御本尊のある方がいいから
>日犬は悪でも仕方ない、と半泣きで侘びていたりもします。

阿呆!! 正法流布から退席したイボ痔教団とは、実にオマエら創価の事を指して言うものである!
果たして創立以来、教義の大根本として来た一大秘法義を、何の躊躇いも無く放り投げた、応に無節操
極まりない、其れこそアイデンティティーの無い滅裂狂団と化したオマエら創価学会こそ、正法広布から
退席した馬鹿者集団である! ったく、オマエは何を言っておるのか!?

鼻笑。其れにしてもオマエ「自分は大御本尊のある方がいいから日犬は悪でも仕方がない」とは如何なる事か。
ならば、其の日犬とかいう貴様の妄想犬が、冨士の裾野に居るとして、オマエらの大将である池田太作が、其の
妄想犬の下に在る大御本尊を指して『信心の根本であることは、これからも少しも変わらない」と断言しておる
のは如何なる事か。果たして、貴様のセリフを借りて言うならば、実に此の池田太作の断言こそ、仕方なしの
半泣き状態ではないのか! そうであろうが! 反論あるなら申してみよ!!

>しかし、貫主であった日顕自身が、戒壇の大御本尊についての真実を示唆する講釈を垂れたことで、
>いよいよ真実の大聖人の教えが明らかにされる「時」が来たと確信しています。

哀笑。真実の大聖人の教えとは何か。小鼻笑。
まさか、一大秘法とは本尊の事ではなく、題目の五字の事である、という事か。
ならば、其の事、貴様らの大将である池田太作の指導から其れを立証してみせよ!

>日顕が河辺メモでばらした戒壇の大御本尊偽物説の間違い。
>宗門でも有名な河辺メモは、かつての学会と宗門との連絡会議の学会側の記録と比較するとほとんど表現が
>一致していること等の実績から、その正確さについては知る人ぞ知る、という記録文書です。

哀哀笑。

おいおい又其れか…。

ったく、そんな使い古しのイチャモンを持ち出して、今更何を言っておるか!

よいか! 河辺メモについては、我らが完膚までに破折し尽くしておる!

つまり、オマエらのイチャモンは単なるイチャモンに終わった、という事である!

いや、そんな事はない、と言うならば、当方が相手になってやろう!

その代り、逃げるでないぞ! よいな!

>最も確実な確認の方法は、毎年の虫払い法要の際に公開される日禅授与本尊について、
>実際にどのように籠抜きをした形跡が残っているかを確認すれば良いのでしょうが、
>宗旨が根本からひっくり返るので、絶対に宗門はそれを認めるはずはないし、聞いても頭から無視し
>否定するしか道がない。

小鼻笑。フェイクの読み過ぎだよ、オマエ。糞笑。

籠抜きだ? 貴様、凡人の分際で、御本尊の御認(したた)めについて、生意気な事を言うものではない。
して、其の形跡を確認すれば、宗旨が根本からひっくり返ってしまうから、宗門は無視するしかない、とな。

阿呆! 元からして形跡のないモノを、どーやって確認するんだよ、オマエ。小鼻笑。
いや、其れよりも何よりも、貴様らの様な蛆虫に、ハイ、確認致しました、などと、言う訳がなかろうて!

云く、

『証拠は大石寺にある! 若しそれを知りたいのならば信心を奮い起こして拝みに行け! 見せる、見せない。
見世物じゃあるまいし、信心の無い者が拝めるわけが無いではないか!』

此の大呵責、覚えておろうか。言うまでも無い。貴様らの大先輩、小平教学部長の大呵責である。

哀笑。此の大呵責、そっくり其の儘、貴様にくれてやろう。

>戒壇の大御本尊をわずか数mg削って、AMS法で炭素14を分析せよ
>それによって事実を示せないならば、以下の根拠に基づき、戒壇の大御本尊とは大聖人滅後に日禅授与本尊を
>模刻したものだと断定するぞ!と責め続けましょう!

模刻だ? おいおい、オマエらの言う河辺メモには模写と書いてあるぞ。一体どっちなのだ。
ったく、適当な事をいうものではない。呆。

其れにしても貴様、我らに対して、大御本尊の一部を削れとは何事か!
いや、其れを返して云うならば、貴様は分析という名の下に、己(おのれ)の本尊にハサミを入れる事も厭わない、
応に不信背逆の暴徒という事になるが如何!

だからこそ云う。若し其れを知りたいのであれば、信心を奮い起こして拝みに行け! と。
さすれば『真の証拠』が見えて来よう!

まぁ、何れにしても、与義にして戒壇の大御本尊は日禅授与本尊の模写というならば、其れこそは、
日禅授与本尊こそ戒壇の大御本尊を模写したものだ、という事を、其の時系列からして推考すべき
であろう。よろしいか。模写とは其の元(以前から在るモノ)が在って初めて成るものである。

果たして、此の推論を完膚なまでに破れるか。鼻笑。

いや、破れまいて。小笑。

つまりは、其れがオマエらの限界という事である。

どうせ持って来るならば、我が富士大石寺がひっくり返る程の証拠を持って来なさい。

ったく、束に成った参考書を脇に抱え、あーでもない、こーでもない、とイチャモン話を繰り返し、
挙句に『鑑定に出してくれ!』などと限界の悲鳴を上げる、文献亡者の拙さよ。小鼻笑。

猶(なお)此に云うが『戒壇の大御本尊』という呼称は、どの御書にも無い。
爾して「大御本尊」という語彙は、日興跡条々事と本門心底抄(日順師)のみである。

さても御書の何処(どこ)にも記(しる)されていない「大御本尊」を「弘安二年」という年に限定し、
しかも其の「大御本尊」を以って日目上人に授与相伝すると謂う。はてさて、其れは如何なる事か。

本より「弘安二年」と云えば『聖人御難事』の一文であろう。

訳して云く『釈迦は四十余年、天台は三十余年、伝教は二十余年に出世の本懐を遂げた。無論、其の間の大難は
言うまでも無い。そして私の本懐は二十七年である。無論、其の間の大難などは各々が知るところである』と。

はて、此の一文に謂う「本懐」とは何か。

「曼荼羅図現」「弘安二年」「大御本尊」「死後の円戒」

果たして、これら項目を連結して、見事、正答を成し得るは、応に「時を待つべきのみ」の御聖意を識(し)る、
我ら興門正統以外には有り得まい。

大御本尊在るが故の宗門。
大御本尊在るが故の猊下。

とまれ、

池田在ってのオマエらに、其の様な事など解かるまい。

しかし池田は言う。

「大聖人の出世の本懐である一閻浮提総与の大御本尊が信心の根本である事は、これからも少しも変わらない』と。

                             【平成5年9月16日、アメリカSGI最高会議】

果たして、創価を破門に処した、其れこそ、オマエらからして大謗法の山である富士大石寺に格護さる
大御本尊を、これからも少しも変わらずに信心の根本にする、と断言した池田太作の指導こそは、応に
永遠の指導者としての永遠なる本尊指導ではなかったのか。

よいか。オマエら創価は、そういう事を先ずは総括して、一体どの本尊義が正しいのか、毎年コロコロ変わる
俄(にわか)教学の其れではなく、恩師戸田先生已来のしっかりとした本尊義を以って、大乗真実の極意を述べる
べきである。

ったく、そんな根無し草の附仏法ずれが、見て来たかのような悪口を並べて、其の負い目を繕(つくろ)うなど、
観ていて余りにも浅ましい。

少しは恥を知りなさい。

>大石寺派(すでに広宣流布からリタイアしたので最近は退席痔派とも呼びます)では、
>自分たちの唯一のアイデンティティとして戒壇の大御本尊を主張しますし、大聖人の御書の
>とおりに実践していない老衰した自己中心の脱会者が、自分は大御本尊のある方がいいから
>日犬は悪でも仕方ない、と半泣きで侘びていたりもします。

呆笑。

先ずは此のセリフ、池田センセーに言いなさい。

そして、オマエが正しいのか、池田センセーが正しいのか、

其の事を知らせなさい。

よろしいか。

加えて云う。

学会本部に云く『この度、(創価に)授与される御本尊は、広宣流布を深く願い、「大聖人直結」
「御本尊根本」の正道を貫かれた日寛上人が、享保五年に書写され、淨圓寺に授与された御本尊である』と。

さても、「大聖人直結」「御本尊根本」の正道を貫かれた日寛上人とは如何なる事か。
さても、日寛上人をして「大聖人直結・御本尊根本」とは如何なる事か。

此等の事も併せて総括し、当室に返答を寄こしなさい。

よろしいか。

ったく、何もかにも有耶無耶にして、惚けるものではないぞ。
 

馬の骨へ

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 1月 4日(水)16時03分44秒 i125-205-106-86.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  相も変わらず、悪口雑言を撒き散らかしておるよな。哀笑。

何度も云うが、当方はオマエの様な馬の骨など相手にはせん。

狂人を相手にするほど、当方は閑ではない。(又、そーゆー境涯でもない)

哀笑。オマエが勇気を出して親告したら、いつでも相手になってやるよ。哀笑。

しかし出来るか、臆病者のオマエに。

果たして、オマエに対して言う「馬の骨」とは、馬鹿の骨頂の略語である。

ったく、木蔭に身を隠しながら、モノを投げつける其の醜さよ。哀哀哀。

オマエなどに佛教を語る資格などは無い。

よいか。私憤で物事を語ろうなど、其れこそ馬鹿の骨頂である。

いい加減、やめた方がよろしい。観ていて、余りに哀れである。

オマエなどは、池田太作の批判でもしていなさい。

なんだ、其れは出来んのか。哀笑。

ったく、此の半端者めが!

兎も角、オマエなどに用は無い。

頼むから他でやってくれ。哀。
 

儚(はかな)き邪宗の教学

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 1月 2日(月)12時27分46秒 i125-205-106-86.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  「出世の本懐の本義は、大聖人の御生涯において、末法万年の一切衆生の救済のために三大秘法を確立
されたこと、(中略) 大聖人が「弘安2年の御本尊」を御図顕されたことも、この三大秘法の確立と民衆
仏法の確立という意義の中に含まれるものと考える」【平成27年 聖教新聞/創価学会教学部】

哀笑。いやはや、宗教の根本たる本尊義を改変する事自体、問題があると云うに、今回の改変は何と考察
であるという。哀笑。しかしなんだ。根本教義が考察状態であるとは、何とも情けない宗教団体であるよな。

其れにしても何だ。弘安2年の御本尊(一昨年までは一閻浮提総与の大御本尊)も、三大秘法の確立という意義に
含まれる、って、一体どういう事かいな。哀笑。果たして、確立された三大秘法の意義(出世の本懐の本義)に
含まれる弘安2年の御本尊とは、一体どーゆー御本尊なのかいな。哀笑。して、その御本尊を包含する三大秘法
とは、一体、どーゆー三大秘法であるのか。

まさか其れこそが、一大秘法の妙法蓮華経の五字である、というのか。

原田創価に云く『一大秘法が本門の本尊であるという御書は無い。一大秘法とは妙法蓮華経の五字の事だ』と。

つまりは何だ。題目(南無妙法蓮華経)こそが一大秘法という事か。

ならば、此れは如何なる事か。

原田が云く『本門の本尊に唱える南無妙法蓮華経が本門の題目』と。

はて、一大秘法ではない本門の本尊に唱える題目が本門の題目になる、とは如何なる事か。

して、一大秘法ではない本門の本尊によって、本門の題目になるという題目は、一体如何なる題目であるのか。

而して原田が云う。一大秘法とは妙法蓮華経の五字、つまりは題目である。と。

果たして、一大秘法、つまり、三大秘法を包含する一大秘法とは、本尊であるのか題目であるのか。

さても原田は、妙法五字の題目であるという。

ならば原田よ、加えて、谷川、長谷川、佐藤、北林の面々よ。そして、其の後ろで黙認している池田太作よ。

オマエらは、以下の御教示を何とする。

日興上人に曰く『唯御書の意に任せて妙法蓮華経の五字を以て本尊と為すべし、即ち自筆の本尊是れなり』と。

「即ち」とは何か。「即ち」とは一体如何なる意か。

而して、原田創価が云く「一大秘法とは本門の本尊ではなく、題目(妙法蓮華経の五字)の事だ」と。呆哀。

果たしてオマエらは、いつから身延の下僕となったのか。

よいか。一大秘法とは、まさしく本門の本尊の事を指して云うのである。

日寛上人に曰く『一大秘法というは則ちこれ本門の本尊なり。この本尊所住の処を本門の戒壇と名づけ、
この本尊を信じて妙法を唱うるを本門の題目と名づく』と。

つまり、本門の本尊が在ってこその、本門の題目であり、本門の戒壇なのである。

仍って、本門の本尊こそが一大秘法であり、三大秘法は、須らく本門の本尊に包含されるのである。

だからこそ云う。一大秘法の本門の本尊に唱える題目こそが本門の題目になると。
だからこそ云う。其の唱える題目を本門の題目に為さしめる本尊こそが、応に一大秘法の其れであると。

爾して原田が言う。

『末法の衆生のために日蓮大聖人御自身が御図顕された十界の文字曼荼羅と、それを書写した本尊は、全て
根本の法である南無妙法蓮華経を具現されたものであって、等しく「本門の本尊」であり、「本門の本尊」に
唱える南無妙法蓮華経が「本門の題目」、その唱える場がそのまま「本門の戒壇」となる』と。

呆笑。

おいおい、だから言っているだろう。

其の唱える題目(南無妙法蓮華経)を本門の題目に為さしめる本尊こそが、応に一大秘法の其れではないかと。

又、そうであるからこそ、日寛上人は御本尊(本門の本尊)こそが一大秘法である、と申されたのであろうが。

しかし原田は云う。

『一大秘法が本門の本尊であるという御書は無い。一大秘法とは妙法蓮華経の五字の事だ』と。

哀笑。

よいか。オマエらが設定した考察教義の欠点は、本尊義に於ける人法一箇の大義を見落とした事であり、
日蓮大聖人が出世の本懐とされた御本尊の体現(仏の振る舞いとしての究極)の奥義を無視した事にある。
よいか。一大秘法とは人法に亘るのであり、其の一点、つまり一大秘法とは御本仏日蓮大聖人の御当體を
して云うのである。

然るにオマエたちは、今まで其れを領解していたにも拘わらず、謗法の冥罰によって脳髄が七分に割れて、
三大秘法の随一たる人法一箇の本尊義をかなぐり捨てたのである。応に、因果応報とは此の事であろう。

さても、題目こそが三大秘法の要と為すは、此れ全く邪流身延の教義であって、実にオマエらは創価学会は、
日興門流でもない、五老門流でもない、其れこそ、日什の顕本法華宗にも劣る、今世紀最悪の新興邪宗教の
其れである、という事を、此に自認すべきである。

本より、本尊義の破綻こそは、其の宗教にとって死に体と成る。

さもありなん。

ならば最後に、恩師の呵責を、此に手向けてやろう。

何? 執拗(しつこ)いとな。

哀笑。当たり前だろう。

属する宗教組織のトップが、そんなモノは気狂いの教学だ、と断言しておるのに、その気狂い教学を組織教義の
根本に据えた、そんなオマエらの致命的な狂態を、今呵責せずして何とするのか。哀。

とまれ、此の地球上に於いて、オマエらの様な捻転宗教などは在るまいて。哀哀哀。

よいか。だからこそ、何度も呵責するのである。

有り難く思いなさい。

では再記する。

恩師が云く『南無妙法蓮華経と唱題する中に三秘が具わっているというが如きは、無学のジイサン、バアサンなら
いざ知らず、少しでも教学をやった者には気狂いになっているのではないか、という以外には思いようがない』

                               【はかなき邪宗の教学・小樽問答誌 131P】


哀哀。

果たして、恩師が仰せの如く、オマエら創価学会は気狂いになってしまったのか。哀笑。

よいか。是れこそは昔の誼(よし)みである。

反論あるならば、堂々と申してみよ!
 

新年御挨拶

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 1月 2日(月)08時19分12秒 i125-205-106-86.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  投稿者の皆様、そして閲覧者の皆様。

新年明けましておめでとう御座います。

当、破邪の蘭室は、本年も邪宗邪義を大いに破折し、又、新興宗教の首たる創価学会の幼稚な行動にも
叱責を加え、更には本仏在(ま)します我が妙国を侵略せんとする邪国悪国の愚行をも呵責して、此に唯一
絶対たる正法正義を、尚一層顕示して参りたいと思う次第であります。

巻頭文に云く『仮令強言なれども、人をたすくれば実語・軟語なるべし。設ひ軟語なれども、人を損するは
妄語・強言なり』と。

されば、邪人に莫迦とは適時助言と相成るか。

皆々様には、本年も何卒宜しくお願い申し上げます。
 

朱印寺で生き延びた大石寺

 投稿者:憂国の武士  投稿日:2017年 1月 1日(日)21時26分28秒 ag220-213-220-206.ccnw.ne.jp
返信・引用
  お前みたいな奴を、講釈師見てきたような嘘を言い。という

調べなおして出直せ青二才

 

佛の後軍 魔の前軍

 投稿者:憂国の武士  投稿日:2017年 1月 1日(日)11時28分50秒 ag220-213-220-206.ccnw.ne.jp
返信・引用 編集済
  創価学会は創価学会そのものを仏の軍団と思っている様だ。しかし、さにあらず。
あれだけの大所帯になれば長い道程の行軍において必ず隊列にバラつきが出てくる。
バラツイテいるのを、佛の後軍、といい指揮者の声は届かない。
その後を追っているのが魔の軍団(創価学会に言わせれば)日蓮正宗法華講軍団である。
隊列後尾ではセンセーにお答えするぞーという学会幹部の声は、ご尊師の陣頭指揮する
破邪顕正の声にかき消され自然な流れとして法華講に収容されていく。

逆も当然あり得るわけであるから我々は、※一結講中異体同心で臨まなければならない。

※このお言葉は、第三十一世日因上人が金沢法華講に宛てられたお手紙の一節であります。
「無疑曰信に南無妙法蓮華経と唱え奉る事尤も大切なり。かつ又臨終の事は平生忘るべからず、別して一結講
中異体同心に未来までも相離れ申すまじく候、中に於て一人地獄に落入り候はば講中寄合いて救取るべし、一
人成仏せば講中を手引きして霊山へ引導すべし、其の後北国中の同行乃至日本国中一閻浮提の一切衆生をも救
い取るべく申し候、衆生無辺請願度と申すはこれなり」

大石寺信仰が身延派の誹謗に遭い加賀の国禁となっている中、人目を憚りながら命にかえて信仰を守り通して
いる信者に対して与えられた激励のお言葉であり、講の本質を端的に表現した「名言」でしょう。
当時金沢には大石寺の末寺は一寺も無いのに、少なくとも二十近くの講が結成され、「累代信者、数千人」の
規模になっていたようです。

管理人様、法華講員の皆様、本年も宜しくご教授の程宜しくお願い申し上げます。

 

ああ、邪教人 其の五十四

 投稿者:管理人  投稿日:2016年12月31日(土)17時11分18秒 i125-205-106-86.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  さて、本年も後7時間程で終わりと成るが、いつもの事乍(なが)ら早いものである。

とまれ、人間の寿命というものは、歳を重ねれば重ねる度に、其の短さを痛感するのであろう。

本より、末法万年尽未来際、就中、宇宙法界の寿命からするならば、人間の寿命など一瞬の中の
一瞬ともなるから、宇宙法界の大法を語る時、我ら仏法者たる者、目の前の一々に一喜一憂する
短見の徒輩に成ってはならぬと、常々に思うものである。

さて、其の様な中に在って、創価邪教の人間たちを破折叱責するは、是れ全く眼前の一喜一憂に非ず、
是れこそは、末法万年に通ずる正義顕揚の其れである、という事を、我々は領解しなければならない。
無論、其の大資格を得る者は、我ら興門正統のみであり、邪宗日蓮宗及び邪教創価を首(はじめ)とする
新興宗教の徒輩の言い分などは、須らく眼前の一喜一憂の稚言に成るという事である。

果たして我ら興門正統が、劣に対して劣と言い、邪に対して邪と言うは、是れ全く正直の其れであり、
又、其れこそが御本仏日蓮大聖人の御教えである。応に自讃毀他を超越するとは、此の事をして云う
のである。

さて、創価学会員の稚言・稚行を呵責する「ああ、邪教人」シリーズも、今回を以って五十四回となる。
本より、学会員の頭破七分の行状を細々に呵責せんとするならば、五十四回どころか、千回万回を重ね
様とも間に合わぬが、そんな阿梨樹が如き滅裂も、一大秘法たる本尊義を以ってすれば、即座に撃沈と
相成るのである。糞笑。まぁ、其れだけ、創価学会の教学が地に墜ちたという事である。

「一大秘法とは御本尊の事ではなく、妙法蓮華経の五字の事だ」

哀笑。いつ観ても呆れ返るセリフではあるが、ここまで来ると「漫画」としか言い様が無いであろう。

ったく、大丈夫か。オマエらのアタマ…。糞笑。

して、五十四といえば、昭和五十四年。

御先師・日達上人が其の慈折を以って、池田太作に御灸をすえた年であったな。

当方はよ~く覚えておるぞ。

そー言えば、特別学習会。そんなモン、適当にやっていたよ。上からの指示で…。鼻笑。

まぁ、簡単に言えば、反省なんか、全然していなかった、という事である。

>なにしろ、昭和54年に池田先生を追い出したご当人ですよ。

追い出した? 哀笑。池田センセーを追い出したのは、日達上人だよ。

曰く『(池田会長が)会長をやめて一切の責務を退くと、今後そういう事には口を出さない。
また、常に噂される「院政」というような事を絶対にしないという事を表明しておりました。
宗門としては、それで一応解決したものと思っております』【54・4・28 教師代表者会議】

哀怒。ったく、日達上人を欺きおって!

>大嘘つきハラダ

あいや! オマエら創価全員が大嘘つきである!

>追い出せ! こいつのご一行様もろともに!
>八尋・谷川・秋谷・佐藤ヒロシ・まだまだいるぞ
>北林・竹岡、まだまだいるぞ。 引きずり下ろせ!
>悪党を一掃、年末大掃除信濃町版だ!

哀笑。なんだ。葬儀屋も入っておるのか。糞笑。

ならば、此奴(こやつ)が作成した『地涌』など引っ張り出して、
我らを中傷するものではない。

ったく、要法寺対策の為に日寛上人は偽教を作成した、などと言いながら、其の日寛上人の
書写本尊を拝み、葬儀屋を引きずり下ろせ! と言いながら、地涌を片手に文句を言う。呆哀。

ったく、オマエらは、ホント―に莫迦なのか。哀哀哀。

>この一年、広宣流布に走り抜いた、誉れの全同志の健闘を心から賛嘆したい。
>日蓮大聖人は、ある年の瀬、門下の真心に感謝され「心ざし大海よりふかく善根は大地よりも厚し」
>(御書1105ページ)と仰せられた。御本仏が、どんな陰の労苦も御照覧であられる。

哀笑。はて、其の御本仏とは、一体誰の事を言っているのか。

して、其の御本仏とは、何故に御本仏であるのか。

オマエたちは其れに答えなさい。

そして、其の答えこそが正しいと言うのであれば、先ずは、創大の宮田や、元創価の須田や、
黒カラスの宿坊に、其の事を教えてやりなさい。

ったく、其れさえも出来ずに、何が折伏か。小鼻笑。ふざけるものではない。

さて、本年も終わりと相成るが、来年こそは、仕事に追われる事なく、当室管理人として、しっかと
運営して参りたいと思う次第である。

さすれば雑魚も入るまい。
 

二兎を追う者は一兎をも得ず

 投稿者:管理人  投稿日:2016年12月17日(土)19時34分26秒 i60-41-187-27.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  言うまでも無い。

是れこそは、対ロシアに於ける外交戦略の失敗を意味するものである。

つまりは「四島を追う者は二島をも得ず」という事である。

ったく、今更「二島だけでも返して」などと、最早、其の機会は逸しておる。哀。

仍って、此の度の、ご機嫌伺いによる「通商提供合意」など、焼け石に水どころか、
太陽に一滴の水が如き、其れこそ領土交渉に於いて全く利する処の無い、無駄な交渉で
あったという事である。

外交に於ては、焦った方が負けである。其の様なこと、外交術の初歩ではないか。哀。

「急いては事を仕損じる」

外交とは、如何に有利な立場に於いて交渉するかに係っているのである。

仍って、此の度の交渉は、其の出発点からして「負け」なのである。

日本国政府は、もう少し理詰めで交渉しなければならない。

其の姿勢が余りにも弱い。

言って置くが、日本政府が其の歴史に於いて、又其の領土の交渉に於いて、徹底した理詰めを
展開するならば、支那も朝鮮も、そしてロシアも、間違いなく閉口するのである。

しかし日本政府は、それら諸国に気を使い、其の顔色などを窺っておるから、徹底した公論を
避けるのである。だから、こーゆー連中に足元を見られるのである。

よいか。徹底した理詰め、とは、当に強気に理論を展開する、という意であって、種々の記者会見で
底の浅い質問しか出来ない無智無能の若者(バカモノ)記者のような小理屈の其れではなく、厳とした
国家主義に基づく、理路騒然にして強気な対言こそ、野蛮国家に於ては特に有効と成るのである。

兎も角、今回のロシアとの交渉は失敗であった。逆にロシアにとっては、大きな成果となったであろう。

流石(さすが)はロシア。其の強(したた)かさは、現日本外交の百倍である。

尚、米国の次期大統領、トランプ氏については、対支那に於ける強行姿勢については大いに評価する。

世界を舐めきっている中共支那の鼻っ柱を、見事へし折るは、最早、トランプ氏などの強硬派しか
居ないであろう。無論、トランプ氏が大統領に成った途端、中共に媚び諂うとなれば、最早、中共は
此の国際社会に於いて無敵となる。

ったく、こんな野蛮な独裁国家を放置して、一体何のアジア平和か。ふざけるものではない。

其れにしても、南朝鮮(大韓民国)の様(ざま)は、やはり、というか、案の定というか。
ったく、そーゆー事を何度も繰り返して居るから、其の民族性を小笑されるのである。

よいか。そーゆー為体(ていたらく)を、行っていたから、我が国が併合したのである。
又、其の併合があったからこそ、お主らは支那の占領から免れたのである。

だから、我が国による併合を「植民地支配」などと叫ぶは、これ全く歴史の根底を知らない、
被害妄想主義の戯言(ざれごと)である、という事を識(し)らなければならない。

よいか。彼の日清戦争は、お主ら朝鮮の為に戦ったのである。

よいか。お主らは其の恩義を忘れてはならん。

因みに、当宗第十三世・日院上人の御時、つまりは、1530年代、室町将軍・足利義晴の時代、
お主ら朝鮮には、其の朝鮮語を表す文字が無かった、というのであるから、凡(およ)そ、
現在の小発展は、須らく、日韓併合の恩恵である、という事を、改めて識る必要があろう。

尚、今後は、嫌日派が政権を取るのであろうが、そうとなれば、我が国は、より一層、
強行な態度を以って接しなければならない。さもなくば、今回のロシア交渉の二の舞となる。

よいか。

支那と朝鮮は、我が国を敵国と思っているのである。何故、それが判らんか!
本より、ロシアとて論外ではない。

日本を怒らせたら、何をするか解からない。

さても、外交に於いて勝者と成るは、これ全く、相手国に気を使わせる国家に成る、という事である。

二兎を追う者は一兎をも得ず。

基。

一兎を得れば二兎をも得る。

而して、其の「一兎」とは、応に先鋭の意気であり、其れこそは、大国主義の宣揚である。

日本を怒らせたら、大変な事になる。

実(げ)に此の思いを知らしめる事こそが、日本外交の切り札と成るのである。
 

創価学会員の謬論を破す 【其の二】

 投稿者:管理人  投稿日:2016年12月17日(土)16時48分12秒 i60-41-187-27.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  ********************************************************************

御本尊は有限、久遠元初の法は無限、貴方は、可視できる御本尊の中の本門の本尊名と
本門の題目と久遠元初の御本尊を混同して言っているので、話がより混同しております。

御本尊→可視できる御本尊
久遠元初の御本尊→久遠元初の法

このように考え直して下さい。

********************************************************************

さて其の前に、

>本尊問答抄
>■「問うて云く末代悪世の凡夫は何物を以て本尊と定むべきや、答えて云く法華経の
>題目を以て本尊とすべし」(P365)

>との言葉もあります。法華経の題目と、ありますが、本門の題目と言うより、本門の
>本尊と言えるでしょう。

との貴殿の解釈は正解である。

日寛上人に曰く『末法の本尊とは、本門の南無妙法蓮華経日蓮大聖人是れなり。是れ我等が
為の能引なり。十界の聖衆は、是れ日蓮体具の十界の聖衆なり』と。

つまり『法華経の題目を以て本尊とすべし』とは、本門の南無妙法蓮華経日蓮大聖人、
つまりは其の人法一箇をして本尊とすべし、という意である。

仍って、久遠元初の法(題目)こそが人法一箇の御本尊よりも根本である、という貴殿の
思想は久遠即末法からして誤りであり、其の様な仏法は大聖人の教えには無いものである。

さて、

>私は、一大秘法は、本門の本尊としている。
>しかし、究極に求められるものは、曼荼羅とお思いでしょうか、
>どういうことかと申しますと、
>一大秘法・本門の本尊も恐れ多いことですが、有限であります。
>久遠元初の法は無限であります。


小笑。そーか。一大秘法は有限で、久遠元初の法が無限であると云うか。

よろしい。先ずは其の文証を富士の立義から出しなさい。

其れにしても貴殿こそは、

>貴方は、究極に求められるのは、南無妙法蓮華経=久遠元初の法ではなく、曼荼羅
>(御本尊)とお思いでしょうか。

などと当方に話を向けておきながら、今にして、

>御本尊→可視できる御本尊
>久遠元初の御本尊→久遠元初の法
>このように考え直して下さい。

などと区分けして言い直しておる。小笑。

はて、久遠元初の御本尊とは何か。
加えて『御本尊の中の本門の本尊名』とは一体何ぞ。小笑。

貴殿は其れに答えなさい。

よいか。

当方は最初から最後まで『御本尊こそが南無妙法蓮華経であり、日蓮大聖人である。
其れこそは人法一箇である』と言っている。

而して貴殿は、南無妙法蓮華(久遠元初の法)=御本尊ではない、と言いながら、今回は
『久遠元初の御本尊』などと新たな表現を用いて、南無妙法蓮華経(久遠元初の法)=久遠
元初の御本尊などと訳の判らん事を言っておる。

何だ! 御本尊には現在の御本尊と、久遠元初の御本尊があるのか!
ならば『久遠即末法』の大原理はどう説明するか!!

本因妙抄に曰く『釈尊・久遠名字即の位の御身の修行を末法今時・日蓮が名字即の身に移せり』と。

果たして、久遠名字即の御身を今時末法に移された日蓮大聖人は、久遠元初の御本尊からして、
如何なる御本尊となるのか。

日寛上人に曰く『末法の本尊とは、本門の南無妙法蓮華経日蓮大聖人是れなり』と。

先にも申したが、御本仏・日蓮大聖人も、貴殿の肉眼からして可視できる御方である。
だから、どーだと言うのだ!?

よいか!

御本尊を有限とするは、大聖人をして有限と為す邪見である!!

貴殿は上記の一件を法義的に立証しなさい!
言って置くが貴殿の私感など要らんぞ!
仏法に於いて私義の展開は則邪義となる!
本より、是れこそは大聖人の御訓誡である!

>久遠元初の法=南無妙法蓮華経は、無限であり、可視出来る御本尊は有限であると、
>私は言っている。

呆哀。だから当方が過日にも詰問したであろう。

『貴殿は日蓮大聖人の御入滅をもって、日蓮大聖人は消滅されたと思っておるのか。
加えて其の消滅は、人間と草木とでは滅の仕様が違う、とでも言うのか』と

見れば其の一番大事な返答が為されていないではないか。

よいか。貴殿の〝私感〟からすれば、日蓮大聖人も有限という事になる。何故か。貴殿の
思想からすれば、日蓮大聖人も可視できる『人間』としての『像(かたち)』だからである。

どうであるか。だから日蓮大聖人は有限であるのか。

其れを仏法義に於いて答えなさい。さすればこの問題は解決出来よう。

大白法を信ずる者として、可見に囚われることが如何に浅識であるか。人法一箇の奥義を
熟思すれば、自ずと其の事が理解できようて。

ったく、このような事、旧創価学会(富士大石寺信徒の団体)教学部であったならば、助師・
講師のレベルであるぞ。

とまれ『可視出来る御本尊は有限で、可視できない久遠元初の法=南無妙法蓮華経が無限』
と言う意味が、単なる『可視できるモノと出来ないモノ』という、肉眼視の分類の意味で
主張しているとすれば、仏法義に於いて、これ程の稚見識は無かろうて。哀笑。

よいか。

宇宙空間は見えない。だから無限。草木は見える。だから有限。果たしてもし、貴殿が
そういうレベルで御本尊義を語っているとすれば、最早この論戦は、当方の勝ちである。
無論、ここで云う『勝ち』との意味は正誤に於ける正の意味である。

兎も角、可視できる日蓮大聖人が其の御入滅を以って滅した(有限)となれば、先ず、其の
正解を仏法義の上から述べて貰うしかなかろう。

本より、其の正解こそが、日蓮大聖人に於ける本尊義の正解となる。心して回答されよ。

日達上人曰く『我が戒壇の大御本尊様のことを誹謗して、板だからいつか無くなってしまうが
如き暴言を吐いている記事を見ました(中略) 彼等の説は、すでに仏教ではありません。
また、宗教でもありません』と。(大白蓮華・昭和38年1月1日号)

はて、貴殿の思考は、最早仏教ではないという。
ならば、其れこそは、断見に囚われた、外道思想の一類となる。

貴殿には今一度、可見の非を示してしんぜよう。

我ら日蓮門下に於ける本尊とは、法に即して言えば事の一念三千の三大秘法であり、人に
即して言えば、久遠元初の自受用報身如来である。而してこの本尊は人に即して法、法に
即して人であり、其の体こそは人法一箇である。故に一念三千は即自受用身であり、三大
秘法は即無作三身なのである。

又、日蓮大聖人の御内証とは久遠元初自受用報身如来の御当體であり、御本尊は其の久遠
元初自受用身即一念三千たる生命を事実の上に具現化されたものである。

したがって、宇宙の真理を日蓮大聖人が鎌倉時代に発見開悟し、その真理の姿を曼荼羅として
表現した、という考え方は外道である。

此に重ねて言うが、三大秘法の大御本尊は、法界即日蓮・日蓮即法界の真理からして、応に
日蓮大聖人の御当體であり、其の実体は滅不滅の御当體なのである。

御義口伝に曰く『戒定慧の三学は寿量品の事の三大秘法是れなり、日蓮慥に霊山に於いて
面授口決せしなり、本尊とは法華経の行者の一身の当体なり云云』と。

よろしいか。上記御文からして法華経の行者が有限である筈がないのである。

本門寿量品に曰く『我成仏已来。甚大久遠。阿僧祗劫。常住不滅』

【我成仏してより已来、甚だ大いに久遠なり。寿命無量阿僧祗劫なり。常住にして滅せず』と。

仍って総勘文教相廃立に曰く『十界を身と為すは法身なり。十界を心と為すは報身なり。
十界を形と為すは応身なり。十界の外に仏無し。仏の外に十界無く依正不二なり。身土
不二なり。一仏の身体なるを以て寂光土と云ふ。是の故に無相の極理と云ふなり。生滅
無常の相を離るゝが故に無相と云ふなり』と。

さても、無作三身に即したる人法一箇の御本尊を、己(おのれ)の肉眼に於いて有限と断じた、
浅識の徒よ。

貴殿こそは、上記の深義こそを能く能く想うべきである。
 

創価学会員の謬論を破す 【其の一】

 投稿者:管理人  投稿日:2016年12月17日(土)16時24分17秒 i60-41-187-27.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  ********************************************************************

私は、大聖人の仏法は、神格化してはいけないと思っております。故に、日蓮即法界との
表現は…、この言葉から見れば、日蓮大聖人は法界そのもので有り、初めから一体のその
ものであるのでつ(ママ)、あらためて御本尊御図顕をもって一体とするのはおかしい。凡夫
即極・示同凡夫からして、日蓮即法界との表現は、大聖人の真意を顕している、とは言え
ない。(中略) 日蓮即法界のズバリの言葉はない。

********************************************************************

哀笑。

貴殿は一体、何を学しておるのだ?

神格化とは何か。誰を神格化してはならない、と言うのか。
『法界即日蓮・日蓮即法界』が神格化の表現だと言うのか。

神格化が駄目なら『仏格化』は良いのか。何だ、其れも駄目なのか。ならば何故、貴殿は、
日蓮大聖人を拝んでいるのだ?

何? 御本尊は日蓮大聖人ではない、だと?
何? 御本尊の奥にある見に見えないモノを拝んでいるだと?

小笑。

我等末法の荒凡夫が、日蓮大聖人をして末法の御本仏として崇拝する、つまり、仏を仏と
して拝するに、何の戸惑いがあろうか。神格化してはならないだと? よいか! 『化』
ではない! 御本仏を御本仏として拝するのである!

何だ! 貴殿は、日蓮大聖人をして『御本仏化』している、とでも言うのか! よいか!
我等は日蓮大聖人を『御本仏化』しているのではなく、本よりの御本仏として崇拝している
のである!

其れにしても『法界即日蓮』が神格化の表現とはのぉ…。哀笑。

御本尊七箇之相承に曰く『師の曰はく法界の五大は一身の五大なり、一箇の五大は法界の
五大なり、法界即日蓮、日蓮即法界なり、当位即妙不改・無作本仏の即身成仏の当躰蓮花
・因果同時の妙法蓮華経の色心直達の観、心法妙の振舞なり』と。

よいか。上記御文こそは、日蓮大聖人こそが真の仏たるを示された御文である。そして、
其の真仏の証こそが当位即妙、つまりは当体蓮華の仏たる日蓮大聖人が、久遠の当初から
して能所の本理を顕された、との文意である。

久遠名字即にして凡夫即極、つまりは本有常住にして、宇宙とともに滅不滅にして永遠に
実在する無作三身の御本仏、日蓮大聖人の御内証をして『法界即日蓮・日蓮即法界』と示
されたのである。

曰く『釈迦如来五百塵点劫の当初、凡夫にて御坐せし時、我が身は地水火風空なりと知し
めして即座に悟りを開きたまひき』とは、応に『師の曰はく法界の五大は一身の五大なり、
一箇の五大は法界の五大なり、法界即日蓮、日蓮即法界なり』の文意に即するものである。

はて、

>凡夫即極・示同凡夫からして、日蓮即法界との表現は、大聖人の真意を顕している、
>とは言えない。

との貴殿の言い分は、一体、どこの教えであるか。其れを答えなさい。

>日蓮即法界のズバリの言葉はない。

…小笑。そうであるか。では再掲しよう。

御本尊七箇之相承に曰く『師の曰はく法界の五大は一身の五大なり、一箇の五大は法界の
五大なり、法界即日蓮、日蓮即法界なり』と。

尚、日亨上人は富士日興上人詳伝に於いて、御本尊七箇之相承は、まさしく日蓮大聖人の
御意によって筆せられたものであると断言されている。

少しは正意を学びなさい。
 

法華講員体験談 財務地獄

 投稿者:黒川和雄@日蓮正宗  投稿日:2016年12月16日(金)21時26分31秒 p1137-ipbfp2603osakakita.osaka.ocn.ne.jp
返信・引用
  創価学会って?

弱いものをいじめて一部の人だけ
楽をする?
創価学会という収奪システム

創価学会は、一般会員が活動や財務にがんばれば、がんばるほど、池田名誉会長や本部職員の懐が潤うシステムです。学会員には、この創価学会という収奪システムに早く気づいて欲しいです。

 私は元創価二世で、中学生の頃に疑問を持ってやめた者です。今回の知恵ノートでは、自分の父親と創価学会との間の長年にわたる関係を見て、息子の私が到達した結論を皆さまにお伝えしたいと思います。

 私の父は、熱心な創価学会員で、大B長、副支部長を務めましたが、74歳で自殺をしてしまいました。

 父は私が子供の頃から、平日の夜、休日とも学会活動に励んでいました。母は統合失調症で病弱でしたが、父親不在の家庭で、二人の姉と兄は不登校となり、高校にも行きませんでした。

 子供が四人いて家計はいつも火の車だったのに、父は聖教新聞を六部も取り、また、創価学会の書籍は全て購入しておりました。さらに、副支部長として、財務には老後の蓄えから毎年、何十万円、何百万円も寄付していたようです(父が亡くなった時、ほとんど貯金がありませんでした)。ちなみに、私は苦学生で、アルバイトをして学費を稼ぎながら大学に通いましたが、創価学会に多額の財務をしていた父からは、ほとんど援助をしてもらっておりません。

 父は家庭を顧みなかったこと、子供に信心を強制したこと、独善的で人の話を聞かない性格であることから、子供たちに嫌われ、老後はさびしい思いをしたようです。また、創価学会に入った後に統合失調症にかかった母は、信心をしていても一向に病気が治らず、いつも妄想に取りつかれていましたが、このことも父を悩ませていたようです。

 私の父を見てみると、明らかに創価学会によって騙され、搾取された人生でした。創価学会は、「この信心をやれば絶対に幸福になれる」と言って父のような不幸な人を会員にし(父はその父(私の祖父)が早世した後、親戚にあずけられたりして、不幸な少年時代を送ったそうです)、学会活動や選挙活動をさせてこき使い、聖教新聞や学会の書籍を買わせ、財務に何十万円、何百万円と寄付をさせます。そして、「信心をやめたら、罰が当たる」、「創価学会の批判をすると、罰が当たる」と言って会員を肉体的にも、精神的にも創価学会の奴隷にします。

創価学会幹部たちのの所得
(平成四年度四谷税務署公示)
 氏  名       納税額
池田 大作     8,715万円
秋谷 栄之助    1,842万円
森田 一哉     1,387万円
上田 雅一     1,301万円
青木 亨      1,024万円

(注)上記金額は、納税額。年間所得にするとこの約3倍。例えば、池田大作は2億6,145万円、月給にすると2,179万円。また、秋谷会長の年間の所得は5,526円。これは月給460万円となる。青木副会長さえも、月給258万円となる。 (以上、山崎正友著 『懺悔の告発(日新報道)』P142)

上記の創価学会幹部達の年収をご覧ください。創価学会の幹部達は、会員から金を絞り取り、自分たちは裕福な生活を送っているのです。これは平成四年度のデータですが、現在はもっともっと高収入なはずです。

 創価学会は自分たちに都合の良い教義を作って会員を騙し、奴隷にして搾取しています。すなわち、創価学会は一部のエリートが一般会員を搾取するために作られた収奪システムに他ならないのです。このことを一般の創価学会員に早く気づいて欲しくて、このノートを書きました。父のような悲劇が二度と起きないようにするためです。
 

ああ、邪教人 其の五十三

 投稿者:管理人  投稿日:2016年12月14日(水)17時44分6秒 i60-41-187-27.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  では、久々に参ろうか。

>「権力」だの「時流」だのといった、根本を普遍性のあるものから流動性のあるものへ変えて
>しまったことに、不幸の根本原因があると思います。

小笑。

>原田は天魔の権化だが、本部の裏も天魔入りまくって犬のように動くわw

鼻笑。

>執行部の四人組秋谷、八尋、谷川、原田、そして浩、
>お前達を信じきっている会員さんに『あれっ?』て思わせて池田先生のご指導からどれ程かけ離れて
>いるか? あらわにしてくるからねヽ(^○^)ノ

哀笑。

末法の御本仏は釈迦牟尼仏だ、日蓮聖人が本仏だと言うのは、イワシの頭を信じるのと同じだ、と言って
憚らない、黒カラスの宿坊が管理人を務める『宿坊の掲示板』。そんなアホな釈迦宗掲示板に嬉々として
投稿する反執行部の面々。果たして、そんな股ズレ連中が、現創価の邪教ぶりを如何に批判しようとも、
創価執行部などは屁とも思わんだろう。

哀笑。ったく、そんなもの。殺人犯が詐欺師に対して、其の罪業を問う様なものであって、其れこそは
本末転倒どころか、本末狂乱の痴態である。

とまれ、宗教の根本は本尊義であるから、其の本尊、つまりは其の仏をしてお釈迦様だ、という連中こそ、
創価執行部からして根本違背の輩(ともがら)となる。つまり、本尊教義に於いて、宿坊・宮田グループは
既に敗北している、という事だ。

して昨今、幸福の科学などが、アイドルユニットをデビューさせて、信者獲得の撒き餌などにしている様で
あるが、こんな新興宗教の徒輩らが、教線維持もしくは其の拡大を以って、市民大衆の好奇に迎合する姿は、
当に京都日蓮宗を首(はじめ)とする現日蓮宗の痴態に一致するものであると、当方は痛感するものである。

さても、女子の信者アイドルが歌い、若手坊主らが踊りまくって、あら楽しや現世利益、と燥ぎまくるは、
これ全く、火宅に遊ぶ小児同然の稚態であると、当方は此に責断するものである。

して観れば、相も変わらず、創価員などが、色々とくっちゃべっておる。

>先月14日、青年部を代表して、私と志賀男子部長、清水女子部長と3人で、池田先生とお会いできる
>機会を頂戴した(中略)そのお姿は当に獅子吼でありました
>(12月本部幹部会、竹岡青年部長挨拶から引用)
>でもね~、どうして政教珍聞ではこのことが報じられていないんですか~?
>カットされてますね~、池田先生の最近の状況がなぜカットされるんですか~?

哀笑。それはねぇー、池田センセーが重病人だからだよー。鼻笑。

呆笑。オマエ、まだ知らねぇーのかよー。

>先生は、代表者にお会いして、報告を聞くぐらいに回復されているんですか~?

哀笑。だからぁ~、回復なんかしてねぇーんだよォー!

哀笑。其れよりも何よりも、抑も重病人が何であちこちに行けるんだよォ~!

哀笑。だから秘密なんです。だからカットなんです! 糞笑。

>回復されているのなら、原田怪鳥様、南アジア訪問団のことは報告されたんですか~?
>原田怪鳥様は何故か、全然そのこと(先生の状況)には触れられていませんが、なぜでしょうか~?

哀笑。だからぁぁー! 池田センセーが大重病人である事を、怪鳥先生が隠しているんですよォー!

>池田先生の「い」の字もおっしゃいませんけど~、なにかマズイことがあるんですか~?

哀笑。そんな事、当たり前でしょ! 池田センセーが実は「言語不明瞭・寝たきり・オシメ」の状態である、
などと、そんなマズイこと、言えるわけないでしょぉー!

>そりゃあ、大名旅行で、カニ食って、舌鼓鳴らして、贅沢三昧な北陸指導?(旅行)じゃ
>沈黙もやむをえないデスね~(笑)

腹笑。それとこれとは別だよ!

とまれ、学会の大幹部などには、政務活動費など有る訳ねーから、支給放題、使い放題、改竄のし放題で、
ズボズボ状態である事は間違いなかろうて。つまり、大幹部による地方指導などは、須らく大名旅行と同じだ
という事である。

>竹岡青年部長サマ、もっと先生のことを発表しましょう。カットされたことを怒りましょう!
>政教珍聞に怒鳴り込んだらいかがですか~(笑)

呆笑。其れは宿坊掲示板(釈迦宗掲示板)に投稿しているオマエら創価身中の蝗蟲どもがヤル事である!

他力本願もいい加減に致せよ!! なぁ、オマエ!

>天魔ハラダ追放決起集会的有志座談会をついに。
>今夜やります!
>びびれ、アホども。
>対話を甘く見るな。
>負けません。

小鼻笑。其の前に、宿坊釈迦宗掲示板を呵責せよ! そーであろう! 阿呆どもよ!
よいか。釈迦本仏の宿坊を破折せぬ内は、オマエらに創価首脳を批判する資格などはない!
よいか。馬鹿に阿呆の見分けなどは出来ないのである!

>この(宿坊)板には、信心の根幹を揺るがすような情報があります。
>かつての宗門問題等、矢面に立ち、闘って、それらのダークな情報の洗礼を受けていないと
>きつい内容が多々あります。
>信心が揺らぐといけませんから、何か心に引っかかることがあれば、ここの論客の方の考えなど
>参考に聞いてみると良いかと思います。
>凄い方々が、たくさんいらっしゃいますので。

大爆笑。

日蓮大聖人が末法の御本仏と信じるは、これイワシの頭を信じるに同じ、と侮言した宿坊管理の掲示板に、
凄い方々が沢山いる、とは如何なる事か。つまりは、凄い莫迦が大勢沢いる、という事か。
オマエ、大丈夫か? 其のアタマ…。

尚、言って置くが、宗門問題などは、すべて、創価の魂胆であって、好き勝手な事を先ずはやり、
其のボールを宗門に投げ、容認ならば支配し、破門となれば被害者然として反抗する。つまりは、
そーゆー、テメェ―から仕掛けておいて、相手から挑発した、とすり替える、其れこそ、現中共支那
(旧共産ゲリラ・八路軍)がやっている事と同(おんな)じだ、という事ある。

呆呆。ったく、少しは恥を知りなさい。よいか、思行に於いて中共支那と肩を並べるは、此れ全く野蛮に
成り下がる、という事を識(し)りなさい。

>執行部は、師敵対です。
>それも、池田先生に対しての大恩を裏切っただけではありません。
>日蓮大聖人、日興聖人、日目聖人、牧口初代会長、戸田第二代会長、全てに師敵対です。
>教義を勝手に改正、おかしくした事は、須田さんの著作などでも明らかです。
>また、その経緯も、すでに明らかになっています。
> 一般の会員は、そんな事知らないのですよ。自覚もない。

哀笑。

池田先生に師敵対…?
日蓮大聖人、日興聖人、日目聖人、牧口初代会長、戸田第二代会長、全てに師敵対…?

して、オマエにとって、どれが本当の師であるか。鼻笑。

因みに、日興・日目の両師は「聖人」ではない「上人」である。
加えて、池田第三代会長を「先生」と呼ぶならば、牧口・戸田両会長についても「先生」と
呼びなさい。

オマエ、それでも創価員か。否、現在の創価員は、オマエの様な莫迦者しか居らんという事か。

>一般の会員は、そんな事知らないのですよ。自覚もない。

莫迦者! オマエの様な者に「一般の会員」などと言われて堪るか!

莫迦にするものではない。そーであろう。増長の阿呆よ。哀怒。

尚、宗教組織に於いて教義を勝手に改正するは、其の元からして尊仰しておらんから、気軽に変更が
出来るのである。ったく、そんな事も解からんとは、オマエの智識は、あの南都六宗より劣るという事か。
否、其れこそは、郷門の日会が、日有上人に対して『日興上人は大石寺の大坊を日目上人に譲られたのでは
ない。其れこそは日代上人に譲られたのである』などと、自門の師匠である日目上人の御遺徳を貶すが如く、
真(まこと)に哀れな恥態である、という事を、オマエは今こそ知るべきである。

よいか。一般の会員は何も知らない、自覚もない、などと、生意気な事を言うものではない。
其れこそは「黙れ! 小童(こわっぱ)!」である。

>先生のビデオ
>日顕宗からの独立の話

糞笑。

日顕宗なんて宗教、何処(どこ)にもねーよ!

もし有る、というならば、こっちに来い!!

当方が相手に成ってやろう!

おっと! もう時間が来てしまったか。

では又、次回と致そう。

ああ、邪教創価人!

邪教人への呵責はこれからも続く。
 

"池田大作の言葉は創価学会本部の代筆"と元職員が実名証言! だが告発本の広告出稿を全国紙が拒否

 投稿者:黒川 和雄@日蓮正宗  投稿日:2016年12月14日(水)10時04分41秒 p1137-ipbfp2603osakakita.osaka.ocn.ne.jp
返信・引用
  自民党と政権与党を組む公明党の支持母体・創価学会が揺れている。「絶対平和主義」を掲げる創価学会では昨年の安保国会でも多くの学会員がデモなどで反対を表明したが、公明党は意に介さず自民党を追随し、強行採決に加担。今後、憲法改正についても自民党と共同歩調をとるとの見方が強く、信者には動揺と不安が広がっている。

 本サイトでもレポートしてきたように、池田大作名誉会長の平和主義と護憲の教えに反する近年の公明党の動向は、昨年11月に起きた学会幹部の"粛清人事"の影響が強い。

 原田稔会長体制が11年目を迎えた創価学会内の派閥闘争では、官邸と強力なパイプをもつ"親自民党"の谷川佳樹氏と、平和主義と護憲を全面に打ち出し"連立解消"の強硬路線をも視野に入れる正木正明氏との間で、次期会長レースが展開されるものと目されていた。が、昨年の幹部人事で、原田会長と谷川副会長の続投が決まった一方、正木氏は理事長のポストを追われ、会長の諮問機関にすぎない「参議会」副議長という閑職に飛ばされた。事実上の左遷であり、学会幹部の"安倍政権擦り寄り人事"だといわれている。

 そんななか、今月8日に日本外国特派員協会で、元創価学会職員である野口裕介氏、滝川清志氏、小平秀一氏3名が会見を開いた。彼らは本部の幹部との意見対立などが原因で12年に職員を懲戒解雇、14年には創価学会を除名されており、その後「創価学会を護りたい」との思いからブログを開設。会見では、その権威主義化した執行部の実態をこう暴露した。

「毎日届く聖教新聞を見れば、池田(大作)先生からの長文のメッセージが連日掲載されていました。(しかし)私たちは本部職員が、師匠(=池田大作)のメッセージを代筆している実態を知っていました。ゆえに、本部職員が師匠の代わりにメッセージを代筆して、聖教新聞に掲載して、創価会員員を欺くために、ご判断のできない師匠を利用していると思ったのです」(滝川氏)

 つまり、本部が池田名誉会長の"ゴースト"としてメッセージなどを代筆し、その権威を利用しているというのだ。

 周知のとおり、池田名誉会長は2006年を最後に公の場から姿を消しており、その健康状態の悪化がささやかれているが、滝川氏の言うように、機関紙「聖教新聞」ではその後も「先生が創価大を訪れて学生を激励した」などの記事が書かれ続け、長文のメッセージも出ていた。さらに、原田会長は今年9月22日付の朝日新聞のインタビューで、池田名誉会長の健康状態について「元気にしておりますよ。執筆活動などに専念しています」「この夏の研修で(会いました)」と明言し、健康悪化説を払拭しにかかっている。

 ところが、元創価職員3名によれば、実際には池田名誉会長は「重病で、物事のご判断ができない状態なのではないか」と言う。3名が11月に上梓した『実名告発 創価学会』(金曜日)には、その疑念がこのように書かれている。

 まず、公明党と創価学会は憲法9条をめぐる従来の政府見解を支持し、集団的自衛権の行使容認に反対してきたが、14年の閣議決定では翻って賛成に転じた。ところが、こうした「平和主義」の大転換を迎えてもなお、池田大作名誉会長からは一言のメッセージもない。健在ならば、これはどう考えても不自然だ。さらに、同書には池田名誉会長の重病説と執行部による"ゴースト支配"を裏付ける、こんな出来事も紹介されている。

〈2015年9月2日、師匠の友人であり、「平和学の父」であるヨハン・ガルトゥング博士が、「安全保障関連法案に反対する創価大学・創価女子短期大学関係者有志の会」に対して、声明文を寄せられた。それは、「(安保法案反対について、)古くからの友人である池田大作氏に呼びかけます」と、師匠に共闘を願う熱きメッセージであった。
 しかし、このガルトゥング博士の呼びかけに対して、師匠からは何の反応も出ていない。「一度結んだ友情は絶対に裏切らない」とは、師匠の信念だ。世界平和のために対談集も編まれた知己からのメッセージを無視することなど、絶対に考えられなかった。〉(『実名告発 創価学会』より)

 一方、聖教新聞では連日のように池田名誉会長の言葉がならび、健在がアピールされていた。同書は〈学会本部は、健筆を揮う師匠を演出している。そうやって師匠が安保法制に賛成しているように"作出"したとしか思えない〉としているが、事実、本部職員だった彼らは『新・人間革命』をはじめとする池田名誉会長の著書や各種メッセージなどが、15年以上前から"ゴースト"が作成したものであることを知っていた。

 たとえば、池田名誉会長が学会員を激励するために贈る「書籍」や「和歌」「押印和紙」には、「大作」印の印鑑が押されるが、著者である小平氏と滝川氏は10年以上にわたって「会員奉仕局」という職場に所属し、その業務を実際に行っていた。さらに同書にはこのような具体的な実態が明かされている。

〈また会員奉仕局への指示元であり、師匠の秘書業務を担う第一庶務には、各種会合などに向けて「池田名誉会長からのメッセージ」を作るチームがあった。〉
〈また『聖教新聞』に連載される「新・人間革命」や「わが友に贈る」も、師匠が弟子に一任している実態を見聞きしてきた。
「新・人間革命」は聖教新聞社の中に作成するチームがあり、資料集めから原稿作成に至るまでを担当し、最終的に第一庶務がチェックして完成させている。〉

 こうした"ゴースト"は、実に対談集にまで及び、なかには以前一度会っただけで、本のもととなる対談も実際に行っていないケースもあるという。

〈さらに、書籍『法華経の智慧』や、師匠と世界の識者との対談集の作成も、実際には師匠が『聖教』の局長、部長クラスの新聞記者に著書の大方針を伝え、その後は担当した弟子(『聖教』記者)が作成していると職場上司から聞いていた。前述したが、ローマクラブ共同代表のヴァイツゼッカー博士(注:ドイツ人環境学者。14年に対談本『地球革命への挑戦 人間と環境を語る』を出版)も、「池田名誉会長との対談集は、直接名誉会長と会って作っている訳ではなく、ドイツSGI(注:創価学会インターナショナル)が日本の学会本部との間に入ってくれて作っている。池田先生とは数年前に創価大学の卒業式で一度会っただけなのです」と証言している。〉

 こうした池田名誉会長の"ゴースト"は、滝川氏らが本部職員であった当時から横行していた。だが問題なのは、池田大作が公から姿を消した後も、本部は「健在」をアピールしつつゴーストを続けており、それが創価学会、ひいては公明党という与党にまで多大な影響を与えているという事実だ。同書はこう糾弾している。

〈しかし、今、師匠が物事を判断できず、意思を示せないと思われる状況の中での「代筆」は、師匠の意思も精神も失われているどころか、本部執行部の不正を正当化することになりかねない。それは師匠を利用する以外の何物でもない。
 本当の意味で創価を護ることとは、職員が会員を騙す「代筆」を続けることではなく、一刻もはやく師匠の真実の状況を全学会員に知らせ、弟子が一丸となって師の健康を祈ることではないのか。〉

 赤裸々に告発される池田大作の"ゴースト問題"と、その名を騙って肥大化する執行部の権威主義。学会本部の意向が連立与党の公明党の政策をも左右することを考えれば、こうした問題をたんに学会内のスキャンダルに終わらせてはならないことは言をまたない。

 ところが、この実名告発を後追いするマスメディアはほとんど皆無と言っていい状況だ。そこには創価学会がテレビやラジオ、そして新聞に巨額の広告を出稿するなど大口のスポンサーであることが関係する。さらにこうしたマスコミのなかに宗教問題に触れることで面倒を起こしたくないという萎縮の姿勢が出来上がっていることも大きいだろう。実際、この『実名告発 創価学会』に関しても、新聞への広告出稿を拒否されるという事態が相次いだという。

「例の告発本は毎日新聞や読売新聞、その他、複数地方紙に出稿を打診するも、ことごとく断られた。いまのところ出稿が通ったのは、ごく一部の新聞だけだと聞いている。とくに毎日の関連会社が聖教新聞を印刷していることは周知の事実だが、2000年にも学会批判本の広告を直前で出稿NGにしたことがあった。背景にはもちろん"創価タブー"というべき巨大広告主に対する自主規制があるが、ほかにも創価関連とも仕事をする代理店を通すことになるので、別のクライアントへの配慮もあるだろう」(創価学会を追うジャーナリスト)

 注視すべきは、安倍政権にすり寄る公明党と創価学会執行部の現状だけではない。創価内部からの是正の声をも無視する大マスコミは、権力監視の責務を果たしているのか。わたしたちはそこにも疑問を投げかける必要がある。
(編集部)

 

これはビックリですね。「実名告発創価学会」の創価員が英語で世界に発信

 投稿者:黒川 和雄@日蓮正宗  投稿日:2016年12月11日(日)23時09分10秒 p1137-ipbfp2603osakakita.osaka.ocn.ne.jp
返信・引用
  元公明党参議院議員 福本潤一氏(現日蓮正宗法華講)の投稿より転載
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創価大学卒の創価本部職員3名が、創価混乱の中、クビになった。本部職員の粛清の嵐の中の出来事である。総仕上げ的にトップの正木理事長の更迭もあった。2013年11月18日の信濃町大聖堂の完成のあとは、特に教義変化・本尊変更など異常な事態が続くが、創価ウォッチャーですら、あきれる不可解な事態であるようだ。2016年11月25日に福本講演会で分かりやすく解説し、12月1日に高野孟が日刊ゲンダイで大枠を報告したが、依然としてわかりにくいようだ。そこで、3名が外国特派員協会で主張したヴィデオが公開されているので、ここでも見れるようにした。パソコン作業の裏で流せる。いまだ池田を疑うことができない、信じないといけない創価大学OBたちが哀れでもあるが、彼らの動きもチエックしておく必要があろう。創価本部職員らは、最後は年金などで脅され、本部主流派に敗北するが、彼らは、クビになった分、戦わざるを得ないだろう。どこに行く創価学会と公明党ということである。
ttps://youtu.be/_YT8tNT8pTw
 

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