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H27脱会@法華講員殿

 投稿者:管理人  投稿日:2017年12月 9日(土)15時15分42秒 i114-185-6-11.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  久々の御投稿でありますね。

あいや。実は当方も久しぶりの投稿でありまして、何ともはや、管理人としてお恥ずかしい限りであります。

入信されて早二年。

今では支部の一員として日々奮闘の由。

いやいや、仕事の多忙に感(かま)けながらも、其処(そこ)をして当詣道場と自念する当方の精神からして、
H27法華講員殿の御信心は、真実(まこと)自行化他の実践鏡と成るものであります。

>さて、創価学会と言えば、ますます、その狂い様は、加速度的に破滅に向かって突き進んでいるなぁ…との感を
>強く感じています。最近の聖教新聞も、一段と狂いが多く記載され、悪のプロパガンダ、なんの、教学的根拠も、
>無い、空辣な活字のみが、威勢が良いだけで、それさえ、衰退の責め苦に喘ぐ強がりとしか、思えません(笑)

まこと、其の通りであります。

『言葉と共に生きる聖教新聞』

存知の如く、此のフレーズは、聖教新聞のTVコマーシャルのものでありますが、
言葉と生きる聖教、つまりは言葉と生きる創価学会であるならば、其の倶(とも)に生きんとする言葉、
つまりは、其れが宗教であるならば、其の根幹教義こそ、真(まこと)の言葉と成るは必定でありましょう。

さても、其れら真の言葉をコロコロと変節する似而非(えせ)教団が、恥も外聞もなく公共の電波を使って
『言葉と共に生きる聖教新聞』などと、よくも言えたものであります。

>池田駄作が、嘘も百遍重ねれば、真実に成る…と、言ったとか…。

御意。

実(げ)にそうであるならば『虚言と共に生きる聖教創価』とフレーズするが正解となりましょう。

>バカな謗法者の戯け言…嘘はどこまで行っても嘘なので、有ります。

云く『大聖人の出世の本懐である一閻浮提総与の大御本尊が信心の根本であることは、これからも少しも
変わらない』

されば、此の破門後に於ける池田太作の信心指導こそは、真っ赤な嘘であった、と昨今の創価員が言う。

哀笑。

師匠! 師匠! と尊称し乍(なが)ら、其の師匠の指導をしてウソだった、などとよくも言えたものであります。

応に『心破作七分』と此の事を指して言うものでありましょう。

>皆様には、ご自愛頂きまして、平成33年のご命題達成に向けて、共々に頑張って参りましょう。

はい。

当方とて、頑張って参る所存で御座います。

H27法華講員殿には、今後とも、当室への御投稿を宜しくお願い申し上げます。
 

ご無沙汰しておりました。

 投稿者:H27脱会@法華講員  投稿日:2017年11月28日(火)16時24分3秒 E219108019207.ec-userreverse.dion.ne.jp
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  管理人、大月天さま、また、法華講の皆さまには、ご無沙汰しておりまして、申し訳ありませんでした。こちら、掲示板は、慌ただしい中にも時間を作り拝見させてさせていただいては、居たのですが、中々、書き込みさせて頂くには時間が作れずに間が空いてしまいました。

お陰様で、無事、創価学会を脱会してから、満2年も先月、経過し日々、正しい信心が出来ます事に感謝しております。改めて、私が創価学会を脱会するに当たりまして、管理人様には、大変お世話頂きまして感謝と御礼を申しあげます。また、さまざまに、教えて頂きました法華講の先輩方にも御礼申し上げます。ありがとうございました。

今年は、公私、共に様々有りまして、多忙の中にも、日蓮正宗の信徒として正しい信心が出来る歓喜の中、また、所属寺院さまで、壮年部の初役に就かせて頂きました。
今週、日曜日には、私、所属寺院の支部壮年部大会で体験発表をさせて頂き、恐らく新年1月号の寺報に、体験談を載せて頂ける事に成りました。

さて、創価学会と言えば、ますます、その狂い様は、加速度的に破滅に向かって突き進んでいるなぁ…との感を強く感じています。最近の聖教新聞も、一段と狂いが多く記載され、悪のプロパガンダ、なんの、教学的根拠も、無い、空辣な活字のみが、威勢が良いだけで、それさえ、衰退の責め苦に喘ぐ強がりとしか、思えません(笑)
池田駄作が、嘘も百遍重ねれば、真実に成る…と、言ったとか…。
バカな謗法者の戯け言…嘘はどこまで行っても嘘なので、有ります。
とうとう、自慢のSGI会長の座も、日本の創価学会の原田の下位の成ったとか…。
しかしながら、創価学会員は、尚、しがらみに囚われて、この様な有り様の、創価学会に洗脳され続けるとは、誠に哀れと言うしか有りません…。

また、改めまして書き込みもさせて頂きたいと思います。寒さも日増しに強まりますが、皆様には、ご自愛頂きまして、平成33年のご命題達成に向けて、共々に頑張って参りましょう。

 

ああ、邪教人 其の七十二

 投稿者:管理人  投稿日:2017年11月 8日(水)06時49分34秒 i223-218-162-93.s42.a014.ap.plala.or.jp
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  過日、書棚を整理していたら、厚手の本の隙間から「新教宣ハンドブック」なる小冊子がズレ落ちた。

「おお、今となっては懐かしい…」

そう思いながら手に取って、パラパラと頁(ページ)を捲ってみた。

哀笑。いやいや、思い返せば、創価教宣の者ども。

其のハンドブックを虎の巻にして、あーだこーだと唾を飛ばしていたものと…。

小鼻笑。

まぁ、そんな事を思いつつ、ページの捲りを進めると、次なる教宣の批判が目に飛び込んで来た。

云く、

【「戒壇の大御本尊」とは、宗祖日蓮大聖人の出世の本懐であり、日寛上人が「三大秘法の随一なり」と
仰せの大御本尊である。ところが日顕(上人)は、当時教学部長でありながら、この大御本尊に疑念を抱き、
鑑定にかけた上で「偽物」と断定していたのである】

と。

呆哀笑。

そーか。本門戒壇の大御本尊は日蓮大聖人の出世の御本懐にして、日寛上人が仰せの三大秘法の随一たる
大御本尊であるか。

而して、日顕(上人)は、其の大御本尊をして「偽物」と断定した、全く最大の謗法者であるとな。

糞笑。

して今はどーなのだ。

其れで間違いないのか。

間違いがなければ其れで佳し。

しかし、其れが間違いであったならば、其の間違いたる教義教学を以って相手を批判中傷した事について、
先ずは詫び、そして訂正する事こそが、宗教人としての真っ当な心得ではないか。

加えて、今のオマエらの教義教学からするならば、御隠尊日顕上人こそ、オマエら現創価の新造教義の先見を
成していた、という事になるではないか。鼻笑。

されば、其の人なりの事でなく、其の持する教義教学の先見性について賛嘆する事こそが、依法不依人たる
日蓮門下の大姿勢ではないのか。

ったく、言いっ放しのやりっ放しでは、其れこそ猿人と同類である。

果たして、オマエらは、新興宗教の猿人に成り下がったのか。

曰く『墨平三郎腹を立て申す様は、日蓮聖人は昼は念仏無間と折破し、夜は念仏を申され候と讒言を申す』

哀笑。

昔も今も、こーゆー賊(やから)は居るものである。

少しは恥というものを識(し)りなさい。
 

情勢私感

 投稿者:管理人  投稿日:2017年10月25日(水)17時01分35秒 i223-218-104-212.s42.a014.ap.plala.or.jp
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  一将功成りて万骨枯る。

否、其の一将也も、今や朽ち果てんとす。

果たして、小池女史。

其の薄情なる性質を以って、何(いか)に人心を掌握せんや。


とまれ、此の度の総選挙。

保守に於ける公明の翼賛も相俟って、大圧勝の結果と相成る。

先ずは佳し。

然るに、橋下元大阪市長が「政党を行ったり来たりするチョロネズミが駆除された。その意味で前原代表と小池知事の
功績は大きい」などと言っていたが、果てして其れを創価に当て嵌めるならば、今こそ創価のチョロ本尊・チョロ教義を
破折駆除せねばなるまいて…。いや、其れらのチョロチョロなどは、最早、吾が富士門の大義からして破折する対象で
はなく、其れこそは嘲笑に値する珍義であるから、今にして「破折」などとは仰々(ぎょうぎょう)しいモノとなる。
さて、そうとなれば、創価のチョロ教義などは呵責叱責で充分であろうから、当室の看板に在る「創価学会破折情報」
などは、其れこそ「創価学会呵責情報」とでも変えるべきであろうか。(あぁメンド!)  糞笑。

とまれ、現在に於いては、身延日蓮宗の方が、其の邪義の組立てからして細巧であるから、当に「破折」とは、
これら老獪なる不相伝の邪宗教をして為すべきである、と当方は思うものである。

本より「過去との整合性など、どうでもいい。自語相違と批判されてもかまわない。結論は決まっているんだ。
教義なんて、それを後付けすればいいんだ!』などと言っている教団などは、最早宗教ではなく、こんなものは
単なる「小利益集団」であり、当に是れこそが破折にも値しない「チョロネズミ」の姿そのものとなるのである。

さて、我が大日本国の近隣に目を転じれば、創価同類の北朝鮮のチョロネズミなどは、一発ぶち咬ます事を芳しとして、
愈々(いよいよ)、当方が予言したとおり、習近平が其の野望を実現化し、名実共に中共支那の大統領と相成った。
無論、此奴の全権掌握の手法とは、 取りも直さず汚職撲滅の名の下に実行された政敵の粛清劇に他ならない。
何度も云うが、此の者の周到なる魂胆は、彼の毛沢東に匹敵するものであり、其の性質は露助のスターリンに類する
ものである。

よろしいか。此奴を嘗めていると、いずれ必ず豪い目に遭う事になろう。
さればこそ、我が国の外交戦略が今こそ試される時なのである。
本より、其れを以って憲法を改正し、又、其れを根旨として九条の変更を急がねばならないのである。

習近平の支那が云く、

「自衛隊を軍隊に改名し、活動範囲を広げる事を国家の最優先事項とするなら、力を入れるべき所を間違えている」と。

呆哀。

おいおい支那よ。其れこそ大きなお世話であるぞ。

否、其の様なこと、オマエらから言われる筋合いもない。

第一、世界での強国を目指して縦横無尽に軍隊を増強しているのは、他ならぬオマエらではないか!

ったく、ふざけるものではない。

中共支那。

諸民族を抑圧し、言論を統制し、其の簒奪した戦勝国の名の下に、国連安保理を掻き回す、其の悪辣なる姿よ。

言うまでもないが、オマエら支那国は、日蓮大聖人の仏法からして、全くの悪国であり害国である。

本より其の無知ぶりは、月氏にも劣るものである。

とまれ、中共支那の繁栄は、其の世俗に於ける周到な権力と、十二億の民衆を犠牲にしての一部一億の繁栄であり、
其れら偏波な業績を以って傲慢するは、当に悪国の典型にして、実に其れこそが仏法からして害国の姿である事は
最早明白なのである。

さて、己(おのれ)の掲示板に目を向ければ、相も変わらず、串と捨てハンを使っての駄文投稿。

呆哀笑。

よいか。当室に於いては、串と捨てハンは馬鹿の象徴と定義しておるから、オマエらが其れを自認するのであれば、
其の証明として大いに投稿するがよろしい。無論、そんな馬鹿が馬鹿と自認する馬鹿文など、当室に於て掲載される
筈もなく、そんなモノは即時に於いてゴミ箱入りとなる代物である。小鼻笑。

論は論にして義とは成らず。

応に此の富士門義の大意を識(し)る者こそ、興門正統の一列に加わる事が出来るのである。

おっと、今日とて忙しい。

今から又、留守となる。
 

勧告

 投稿者:管理人  投稿日:2017年10月11日(水)19時59分8秒 i223-217-41-137.s42.a014.ap.plala.or.jp
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  観れば何やら、得体の知れない蝗蟲が迷い込んでいる様だが、当室に於いては、そーゆー蝗蟲などは相手にはせん。
してもし、どーしても当方と対したい、と言うのであれば、先ずは、そーゆー醜い蝗蟲から脱皮する事が先決である。

何? 脱皮の仕方が解らんだと?

小鼻笑。そんなこたぁー簡単だよ。

っーか。当室の巻頭文に明記されているだろう。

何? 小蟲であるから、そこまで目が届かんとな。

哀笑。ったく、仕方のない奴め。

よいか聞け。っーか、よ~く読みなさい。


先ずは一。串での投稿を止め、正規プロバイダによるIPアドレスを以って投稿する。

そして二。自身が所属する宗派及び教団名を親告し、其の持する本尊と教義を宣揚する。

加えて三。其の持する本尊と教義を根旨として、相手宗派及び其の本尊教義を批判する。


よろしいか。

以上三つが、脱皮の順序である。

尚、当室に於いては、無宗教者からの批判投稿は一切受け付けない。

其の理由は唯(ただ)一つ。同じ土俵に上がりたければ、先ずは褌(ふんどし)を付けて参れ、という事である。

さても、得体のしれない蝗蟲よ。

果たして見事脱皮して、其の姿が蝶であるのか蛾であるのか。

当方の前にて披瀝して見せよ。

さすれば当方、早速にオマエの投稿文を掲載してしんぜよう。
 

ああ、邪教人 其の七十一

 投稿者:管理人  投稿日:2017年10月10日(火)16時35分39秒 i223-217-41-137.s42.a014.ap.plala.or.jp
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  さて、本日も参ろうか。

>わずか2年前、国会でプラカードを掲げて安保法制反対!と叫んでいた民進党の議員たちがバッジ欲しさに
>安保法制賛成と言って希望の党に入った。人として恥を知らぬは猿以下と言える。
>希望の党の元民進は、悪しき前例とさせない為にも一人も当選させてはいけない。

哀笑。

本より政治は世間である。

仍って、其の掲げるプラカードは、其の対策対象の変化によって変貌するのである。

爾して仏法は出世間である。

仍って、其の掲げるプラカードは、其の根本尊崇の意味に於いて変貌は許されない。

云く、

『学会教学の不滅の伝統は、日寛上人の六巻抄を基盤として築かれたといっても過言ではない』

又云く、

『六巻抄はいわば仏法哲学の精髄である。これを無量に展開していくことこそ学会教学部の使命であり、
責任であることを訴えたい』

さても、これら池田名誉会長の指導こそが、応に根本尊崇に対する信仰信条よって為されたものであり、
其の出世間に於ける信仰信条こそが、絶対に堅守される可きものなのである。

つまり、オマエが言う処の「人として恥を知らぬは猿以下」とは、実にオマエら創価学会員の事を言うの
であり、其れこそ、猿以下ならぬネズミ以下の連中こそが、六巻抄の真髄を蹴飛ばした原田創価であり、
身延教義の片棒を担がんとする宿坊一味なのである。

而して、そんなネズミ以下の連中が運営する掲示板に嬉々として投稿するオマエら小学会員の所業こそも、
まったく猿以下の所業であり、そんなオマエらが、民進党議員の鞍替えに文句するなど、其れこそ詐欺師が
泥棒に説教するようなモノなのである。呆哀哀。

破門後の池田名誉会長が申さく、

「大聖人の出世の本懐である一閻浮提総与の大御本尊が信心の根本であることは、これからも少しも変わらない』

さても、この本尊指導が、僧俗和合時代から励んで来た、学会員同志の心情に対する気遣いの便説であったのか。

して其れが便説であるならば、彼の正本堂こそは、其の便説の下に建立されたものであるのか。

して、そうであるならば、あの正本堂に対する「御供養」は、オマエら創価からして一体何であったのか。

よいか。これらの事について、オマエらは須らく総括しなさい。

さもなくば、其れこそが「猿已下」と成る。


次。

>私は創価学会員であり、学生部の段階で、「弘安二年大御本尊」に疑義を抱き文献などを漁るように読み、
>男子部創価班広宣の方に相談しながら学んでいった結果は、「日蓮聖人とは無関係」だと理解した。
>創価大学の宮田幸一さん、菅野博史さんなども同じ様な教学見解を出されている。

哀笑。

こんな者が創価学会の幹部とやらをやっているのであるから、最早、何でもアリの組織なのであろう。
本より、其の質(すがた)こそが、宿坊の掲示板なのであり、反宿坊の掲示板なのである。

さても、日蓮大聖人は末法の御本仏ではない、とする宿坊一味と、日蓮大聖人が御顕発された御本尊は
一大秘法ではない、とする反宿坊連中と、はてさて、どっちが正統正義であるのか。小鼻笑。

観れば、そんな教義などお構いなし。何奴(どいつ)も此奴(こいつ)も、やれ公明だ、やれ選挙だと……。呆呆哀。
ったく、政教一致もいい加減に致せよ。鼻笑。

果たして、莫迦と阿呆の鬩(せめ)ぎ合いとは、此の事を指して云うものか…。小鼻笑。

>日蓮正宗の総本山大石寺の売却事件について「有師物語聴聞抄佳跡・上」には
>「二三人の留主居を定メて候えば如何様の思案候ひけるや、留主居此の寺を捨て除き候間六年まで
>謗法の処に成リ候」と記されている。
>本紙前号で触れた通り、大石寺売却事件は日亨上人も認めている。

哀笑。宿坊よ。

しかしオマエは、よくも飽きずにフェイク記事をベタ貼りするよのぉ。呆呆哀。

だから何度も言っているだろう。

其のオマエが貼り付けているフェイクが、オマエの事を指して謗法人と断じているのであると。

云く『身延山といえば、日蓮大聖人を末法の御本仏と仰がずに「日蓮大菩薩」と称しており、また
「板本尊偽作論」を唱えて大御本尊を否定し、更に、御本尊を店先にぶら下げ、御守本尊をカードにして
販売している謗法の山である』と。【フェイク 1406号(13.08.22 発行分)】

して、オマエが云く、

「鰯(イワシ)の頭も信心なので、日蓮聖人が末法の御本仏というのは、所詮、信仰上の話です」
つまりは「(そんなウソでも)その宗派内、会内で納得されていることならばOKなのです』と。

さても、己(おのれ)をして謗法人と断じるフェイクを嬉々としてベタ貼りする其の鵺なる姿よ。呆哀哀。

実に「破廉恥」とは、応に貴様の事を指して云うものである!!

尚、件(くだん)の「有師物語聴聞抄佳跡・上」の文記に於いては、「六年事不明なり、他の文献に見えず」と
日亨上人は注記されている。本より、此の一件について文句あるならば、いつでも相手になってやろう。
されば、其れらが単なる言い掛かりであるのか否か。其の答えこそがハッキリとしよう。

次。

>獅子身中の虫の筆頭・○○学会のCIAと言われる連絡局局長、泣く子も黙る竹入央迪副会長。
>芝田連絡局次長、一柳局員、○○学会儀典局長・和田局長、石井晴夫局次長、森田 ? 局員、
>恐らく、○○学会では、脅し賺し・落としの最高峰と言われる六奉行が、勢揃いしての査問に
>宮川夫妻を御招待下さった。

泣く子も黙る竹入央迪副会長……。

そーよな。思うにあの風貌こそは、空手の師匠のような風貌ではある。

確か以前、この空手の師匠は、埼玉県の県長などをやっていたのではないか。

しかし何だ。脅し賺(すか)しの最高峰とは、流石(さすが)は創価学会である。

本より「吊し上げ」などは、創価の得意中の得意であろう。

保田妙本寺、宮川御尊能化……。小鼻笑。それホントかいな。小鼻笑。

>今まで、僅かばかりの正義を口走った佐藤伴道や、吉○幸道師外、
>数名の坊さんが女房同伴で呼ばれて落とされたらしい。

鼻笑。

何で吉川幸道だけ○で抜かすのだ!

つまりは何だ。創価寺院の住職(錦州山宝光寺)をやっているから○で抜いた、とでも言うのか。

鼻笑。何が何だか判らんが、此奴(こやつ)らは「日蓮正宗改革同盟」などと嘯(うそぶ)き乍(なが)ら、
創価から毎月何百万円も支給され、其れこそ「坊主不要」と断じた創価学会の股の下を潜(くぐ)った
売僧であろうが!

有師物語聴聞抄佳跡に曰く、

『檀那は必ず三宝を敬う、還而僧衆檀那の心を取り機嫌に入る事、仏法を売物にする売僧と云ふべし』と。

オマエらこそは恥を知りなさい。

>「法主本仏論」で日顕宗に変質…。

小鼻笑。変質? してねぇーよ。呆哀笑。

>御本尊受持に関し日如の矛盾する発言……。

>早瀬日如は義寛と名乗っていた頃、御講で学会の会則の「三大秘法の大御本尊を信受し」について
>「学会が三大秘法の大御本尊を信受するなんて、破門された学会には許されない。狂っている」と叫んでいた。

>ところが、近年では「『弘安二年の御本尊は受持の対象にはいたしません』とは暴挙であり、大聖人への反逆行為
>です」等と相反する戯言を述べている。

>「信受する」のは許されない、狂っていると批判し、今は決別して他宗派になった大謗法の地の大石寺にあるから
>「受持しない」というと、今度は反逆行為だ、謗法と悪口を言う。どっちにしても非難中傷するのが邪宗門の日如ら
>坊主達である。

哀笑。オマエは阿呆か。

さても御講で其の様に言ったのかどーかの事など、オマエらフェイクの事であるから確証も無いが、果たして、
現猊下が其の様に言ったとして、其の意味こそは当然の事であろう。

つまり、悪行によって総本山から破門された信者が、その総本山に格護される大御本尊を信受しようとする、
其の矛盾なる信行をして許されない、と言ったものであり、併せて、其れら破門された信者らが、破門以降、
大御本尊への信仰を捨て去る、其の変節退転の愚行をして許されない、と言ったものである。

よいか。オマエが阿呆な所は、修行と法体の区別が出来ていない所に在る。呆哀。

も少し、勉強して来なさい。

何? どーせ、オイラが載せているフェイクの記事は、其の元からしてフェイクであるから、そんな整合性など
お構い無しとな。

糞笑。

そーよな。

ならば、そんな糞記事など、一々載せるものではない!

其れこそ、貴様の程度が知れる、というものである!!

おっと、時間が来てしまったわい。

さてこそ今日も邪教人!

邪教人への呵責はこれからも続く!!
 

御報告

 投稿者:管理人  投稿日:2017年10月 8日(日)16時03分18秒 i223-217-41-137.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  本日帰宅す。

して観れば、宿坊の掲示板、宿坊2の掲示板等、相も変わらず、邪義邪言を掲載し、
其の宿坊なる創価亜流の策謀グルーブが、アンチよろしく其の名を偽造し、又は騙(かた)って、
其の腐敗した根性を丸出しにしておる。

本より当方は、この宿坊が運営する掲示板に投稿し、其の腐りきった根性を、其れこそ一信仰者として
鋭意糾弾したのであるが、手前(てめー)は当室に対して、串を使い、捨てハンを用いて、散々荒らして
おきながら、当方の真っ当な投稿文に対しては、何の返答もなく即座に削除したのである。

宿坊の黒カラス。

最早、信仰心の無い、単なる謀略の腐根者どもが何をか言う。小鼻笑。

何に況んや、其の根性を見抜けずに、連日投稿している小学会員の哀れさよ。呆哀哀。

釈迦本仏の黒カラス。
心破作七分の黒カラス。

此等、謀略不信の権化たる黒カラスの宿坊への呵責は、今よりも況して実行せんと、此に改めて期するものである。
 

お知らせ

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 9月27日(水)01時28分31秒 i114-185-19-59.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  閲覧者各位

急遽、本日から10日間の出張となり、早朝から不在となります。

つきましては、其の間、投稿文の掲載は出来ません。

掲載は全て、帰宅後と成ります。

尚、不在の日程については変更もあり得ますので、予め御承知おきの程、お願い致します。
 

総本山の威厳

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 9月26日(火)14時44分19秒 i114-185-19-59.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  室町八代将軍・足利義政の乳母である御今の局が、将軍御台所日野富子の出産に際し、呪詛を行ったとの疑いを
かけられ、流罪地の沖ノ島(琵琶湖)に向かう途中、近江甲良庄に於いて自害した時、我が富士大石寺の御法主は、
第九世日有上人であった。時に、長禄三年、西暦1459年、今より550年以上も前の事である。

まぁ、こう申すと、単なる歴史の一片となってしまうが、我ら凡人は、其の遡(さかのぼ)る時の歴史というものを、
単なる記録年表から取り出して、暗記よろしく何年何月何日の事であった、と片付けてしまうものである。

爾して、時の歴史というものは、其の積み重なった日々の集積であり、其の流れゆく日々の経過というものは、
今我々が経験している時間の経過と決して変わるものではない。

されば、朝起き、人と会し、昼飯を食い、帰宅の後は夕餉を摂り、家族が在れば話し、夜更ければ寝る。
其の日々の積み重ねをして三百六十五日。其の間には、色々な会話があり、色々な思慮があり、そして、
色々な行動がある。

そんな三百六十五日が一回、二回、三回と繰り返されて、其れが更に、5年、10年、15年と積み重なって、
遂には50年。其れこそ5歳の女の子が55歳になり往く時間というものは、其の当人に於いても非常に長い
経過となろう。無論、過ぎてしまえば今は昔。其のなり往く時間が長こうとも、其れを今にして振り返れば、
あっという間の年月という事にもなる。

しかし其の「あっという間」という感覚は、凡(およ)そ個人が過去を振り返った時にこそ用いられる可きであろう。
爾して、歴史を探るに於いては、其の過ぎ去った日一日が重厚に織り重なった、応に時間の模様体として捉えるが、
正しい構えであると、当方は思うものである。

さても、上記に記(しる)した日有上人の代。今から遡る事、558年前。
其れこそは、応仁の乱よりも8年も前の事であった。

いや、其れをして振り返って観るならば、応仁の乱(山名宗全×細川勝元)が勃発した時、既に我が大石寺は厳然と
今の場所に在った、という事である。

いやいや、今にして思えば凄い事ではないか。

山名宗全、細川勝元、畠山義就、日野富子……。

見れば見る程、錚錚(そうそう)たる「顔ぶれ」ではあるが、歴史を知らぬ者からしてみれば、池田太作センセーの方が
有名だ、という事にもなる。鼻笑。本より、世俗の長である池田太作こそ、歴史年表に其の名を刻されるを熱望するで
あろうが、当方からしてみれば、俗人・池田太作などは、其れこそ骨皮道賢と同じくする、単なる小者の小騒人として
其の名を残すのみにて、到底、山名宗全や細川勝元の足元にも及ばない、小作小人の小足跡と成るものである。

さても富士大石寺。

此の御寺が駿州上野に建立された時、富士郷に於いては重須も無ければ、妙蓮寺も無い。
無論、西山本門寺や小泉久遠寺など、在ろう筈も無く、妙本寺や要法寺に至っては、
其の在地からして論外なものとなる。

されば、富士五山。

本より重須などは、大石寺の談所であり、妙蓮寺は、大石寺塔中寂日坊開基日華師が縁起であり、
西山本門寺の開基は、新六の日代師。小泉久遠寺に至っては、大石寺の蓮蔵坊を寺名に充てて
「富士山蓮蔵坊」などと称し、其の根名からなる「小泉道場」を粉飾したに過ぎない。

そうとなれば、富士五山。

実(げ)に其の総本家こそ、我が多宝富士大日蓮華山大石寺である事は、応に理在絶言なのであり、
応に富士大石寺こそが、富士門に於ける『総本山』なのである。

而して現状を見るがよい。

重須と小泉は、今や邪宗身延の傘下と成り、西山などは、単立孤寺にして、今にも朽ち果てようとしておる。

とまれ、本家本流から外れたものは、須らく本流とは成り得ず、事実、富士門流の諸寺院に於いては、
「大本門寺」の資格を疾うに失い、唯一、富士大石寺のみが『勅許門』を擁して、大本門寺たる威厳を
呈しているのである。

さてこそ、室町。日野富子已来の日有上人の御教示
今にしても我ら信徒の習いとなる。
実(げ)にこれこそ、法灯伝持の証であり、唯授一人血脈相承の大成果ではないか。

思うに今更(当たり前過ぎて)言うべき事でもないが、昨今平成になって独立した新興宗教創価学会などに、
仏法伝持の習いなど解ろう筈も無いし、抑も、其れを習う深義など持ち合わせていないのである。
又、そうであるからこそ、平然と本尊教義を改変し、又は盗用して、其の鉄面の態を晒しているのである。

尚、富士大石寺の種脱法門は、日隆の教義から盗用したものだ、などと莫迦な事を言っている奴が居るが、
日隆などは、抑も像門一致派からの分派であり、其の離反時に於ける右往左往は、離脱僧の醜態に勝るものである。

爾して、日隆が説く八品義なるものは、在末の衆生を解脱せしめる法体を同一と見做し、彼脱此種の再往義を無視せん
とする邪義であり、実に種脱の功益こそは、抑もが法体の相違によるものである、という事を知らない稚義なのである。

さても、日隆が生まれる以前、重須談所の日順師は、口決に於いてこう記(しる)された。

曰く「さて末法に入れば本已有善の機は尽きはてて本未有善の機計りなり、本末有善の機は未だ下種せざる者なり、
此の機の為には仏久成の人を召し出して久成の法を付し給ふなり、是れは寿量品の文底を用ふと云ふは是れなり」と。
仍って曰く「今日の釈迦如来は迹仏にて御座すなり」と。

本より、此の義こそが、我が富士大石寺の法義であって、日隆の己義など入る余地も無いのである。

『当宗(富士大石寺)の本尊の事、日蓮聖人に限り奉るべし』

よろしいか。

最早、此の日有上人の御教示を以って、日隆の邪義が大石寺に混入していない証拠と成るのである。

いや、其れよりも何よりも、日隆の八品派こそが、不相伝家の癖して鶴丸紋を盗入しているのであろうが。
よいか。真に鶴丸紋を掲げられるのは、我が興門正統のみである。
ったく、一致派の妙顕寺(現身延派大本山)から分派した己義ずれが、鶴丸紋を擁するなど以っての外である。

尚、重ねて言うが、八品派などは、其の信心の対象たる本尊に於いて、造仏を首(はじめ)、鬼子母神などを奉安し、
末寺に至っては、浄行菩薩を単体として祀り、挙句には七福神などを造立して、其の邪義ぶりを発揮しているのである。

呆哀。いや、其れよりは先ず、オマエら坊主が纏っている、其の紫袈裟を何とかしなさい! 呆怒。
観ていて、余りに穢らわしい。よいか。本因妙の色こそは白である!

おっと! 何時の間にやら、話が分派己義の日隆宗に行ってしまったわい、呆笑。

さてこそ、富士大石寺。

最早、伽藍の勝地こそは、富士山に限るとの日興上人の御意志からして、京都の要法寺、千葉の妙本寺などは、
其の篩(ふるい)から零れ落ち、日向身延に屈した北山本門寺、小泉久遠寺、伊豆実成寺などは論外として、残るは
西山本門寺のみ。さても正義の選択となれば、出戻りとて恥ずかしくはあるまい。

重ねて云おう。

実(げ)に興門正統の総本寺たるは、我が富士大石寺である。

遡れば、正応二年(1290)、当に元号が如くに、第二祖日興上人が、大聖の正義に応えて大石寺を建立し、
其の大石寺を総本山とする日蓮正宗は、大正元年、日正上人の御代にて其の宗名が成る。

以って曰く『宗名はこれ日蓮正宗、嗣法導師はこれ日正上人、年号はこれ大正元年なり、三正契合して
一貫の妙理それ顕然たり、仏意の感応誠に以って明らかなり』と。

大石の開創、正応に於いて、まさしく正義に応え、大石の宗名、大正に於いて、まさしく正宗と相成る。

実(げ)に是れこそは、名詮自性の必然なるか。

古(いにしえ)に曰く「名は必ず体を顕すの徳あり」と。

悲しいかな。智慧の無い者は、其れをこじ付けといい、或いは偶然と云う。哀哀。

さて曰く『手続の師匠の所は三世の諸仏高祖已来代々上人のもぬけられたる故に師匠の所を能く能く取り定めて信を
取るべし』と。

果たして、500年以上も前に示された御条目を、今にしてしっかと堅持するは、是れ全く伝持伝法の証となろう。
とまれ、猫の目が如くに教義規則をコロコロ変える創価学会からすれば、500年どころか、10年前の条目でさえ、
イライラして変えるのであろう。呆哀笑。

そんな創価の主任副会長が吠えて云く『過去との整合性など、どうでもいい。自語相違と批判されてもかまわない。
完全に独立した教団として出発するんだから。結論は決まっているんだ。教義なんて、それを後付けすればいいんだ!』

呆哀。応に『莫迦』とは此の事か。呆笑。

不相伝家の成れの果て。

実(げ)に其れこそは、向門・像門・隆門・陣門・真門・講門・什門にこそ当て嵌るものであり、
創価・霊友・立正・国柱・天理・PL・成長・幸福・メシア・真如などは、応に不相伝家以下の邪教団である事は、
今更言うまでもない事である!

さても、一閻浮提総与の大御本尊在(ま)します総本山富士大石寺。

其の偉容は、富士の余山を圧倒し、其の威厳たるは、持する大法の伝持に依って成る。

山号・多宝富士大日蓮華山大石寺。

最早、興門正統の総本山は、富士大石寺を置いて他にはない。
 

通りすがりの法華講員殿

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 9月23日(土)08時05分28秒 i114-185-19-59.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  事前のお声掛け、恐れ入ります。

確認は取れております。

改めまして、御存分なる御投稿を宜しくお願い致します。
 

管理人様

 投稿者:通りすがりの法華講員  投稿日:2017年 9月22日(金)19時11分43秒 pw126247082043.14.panda-world.ne.jp
返信・引用
  ご無沙汰しています。

これで確認はよろしいですか?
 

元祖通りすがりの法華講員殿

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 9月19日(火)23時05分8秒 i114-185-19-59.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  早速の御返事、痛み入ります。

此の度は、御無礼の段、此に改めてお詫び申し上げます。

御要望の件、畏まりました。

こちら側の投稿文も含め、今より削除致します。

尚、元祖通りすがりの法華講員殿に於かれましては、今後とも、当室への御投稿を宜しくお願い申し上げます。
 

Re: 元祖通りすがりの法華講員殿へ

 投稿者:元祖通りすがりの法華講員  投稿日:2017年 9月19日(火)21時19分33秒 om126211023201.13.openmobile.ne.jp
返信・引用
  こちらこそ、無礼な書き込みをしてしまい、失礼致しました。こちらには相応しくない書き込みにつき、可能ならば一連のやり取りの削除をお願い致します。  

ああ、邪教人 其の七十

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 9月19日(火)12時11分57秒 i114-185-19-59.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  さて、聞く処(ところ)によれば、此の度、創価学会は、新たな会則を設けたという。
其の名も【創価学会会憲】と銘打ち、従来の会則規程より、其の効力が優先するという。

呆笑。しかしなんだ。こーやって、次から次へと会則規則を弄(いじく)り回し、やれ新規則だ、
やれ会憲だと打ち出して、其れこそは会員小幹部、何がどーしてどーなっておるのか、まるで
鳩が豆鉄砲を食らった様に、キョトーンとしているのであろう。小腹笑。

尚、法則規則をコロコロ付け加える組織というものは、元来、其の組織に於ける統制力が低下して
いる証拠であるとは、衆全の常識である。

とまれ、首魁・池田太作の朽ち果てを目の当たりにして、今の内から、会員小幹部の人心を掌握せん
との目論見であろうが、さても、宗教の根本たる本尊教義に於いて、其の信仰結束を集約出来ぬとは、
いやはや何とも、情けない宗教団体ではある。嗤。

して、其の骨頂たるは【教師】【準教師】という役職の設置であろう。

しかも聞けば、其の任命範囲は、支部長クラスまで下るという。

最早、人心掌握の断末魔とは此の事か。

哀笑。ったく、オマエらは、どれだけの役職を作らんとしておるのか。

例えば、主任副会長…。

哀笑。なんなのだ、これは。呆笑。さても副会長に主任が要るとは是れ何(いか)に。呆哀笑。

尚「副会長」という役職が、最も安っぽく見えるは、日本広しと雖(いえど)も創価学会を置いて他には無いだろう。

…主任副会長。小鼻笑。いやはや何とも滑稽な役職ではある。哀笑。

して【教師】ともなれば、其れこそは「先生」という事か。
いや、会内に於いて「先生」と呼ばれるは「3人」しか居らんから、今回の【教師】は「先生ではない教師」と
いう事になる。呆笑。さても、先生ではない教師とは是れ何(いか)に。呆笑。

いや、待てよ。戸田先生が御存命の時、池田太作は其の当時、小平教学部長を「先生」と呼んでいたよな。
であるならば【教師】をして「先生」と呼ぶは、是れ全く抵抗なきと思ふが如何。

因みに、新興宗教に於いて【教師】という役職を設けている教団は数多(あまた)あり、新興創価は其れに追従せんと
するのであろうが、其れら新興宗教に於いて最も【教師】の数が多いのは、天理教の14万、真如苑の9万人、次いで
立正佼成会の8万人などであるが、詳細な数字ランクについては、宗教年鑑を参照されたい。

とまれ、創価学会が其れらの【教師】を拵(こしら)えるとなれば、当然に一番を狙うのではないか。
そーとなれば、やはり、支部長クラスまで落とさないと、其れら数値の達成は無理となろう。

まぁ、何れにしても、そんなもなぁー、新興創価にとっては、単なる数合わせの一環であるから、10万、20万の
教師などは、即席に於いて拵えればよい、という事になる。

さても、本部長と支部長教師。一体どちらが「御書講義」を担当するのであろうか。小鼻笑。

新興宗教の生業(なりわい)とは云え、多少気になる風景ではある。鼻笑。

次。

>日蓮大聖人に対しての、竜の口法難、佐渡流罪など人権侵害も、差別意識の表れでもあろうと想像できます。

呆笑。そーか。日蓮大聖人の御法難は、人権侵害と差別意識の其れであったか。呆哀笑。

何とも面白い奴…。鼻笑。

>(正木理事長は)集団的自衛権行使に反対したので、無理矢理、病気扱いにして閑職に追いやったとは、聞きましたね。
>やはり、集団的自衛権行使に反対した坂口元全国婦人部長も、隅においやられたそうです。

>>えーっ!そうなんですか?

小笑。えーっ! そーなんですか? とは素晴らしい。

昨今に於いては、えーっ! そーなんですネ! となる。

まぁ、其れは其れとして、集団的自衛権の行使に反対したから、学会の役職から外された、となれば、是れこそは
政教一致の所業ではないか。こんなもん、民進党あたりが、与党分断の作戦に於いて追及すれば、マスコミ世論も
反応するというに、民進党の莫迦さ加減には、もうウンザリである。

尚、我が国に於いて集団的自衛権を行使するなどは、初歩の初歩であって、そんなものは当たり前の事である。
兎も角、遅い、遅すぎる。いち早く憲法を改正し、国防軍を設置し、我が国の領空領海を侵さんとする支那や露助に
対して圧力をかけるべきである。ったく、国を守る組織が「隊」でとーするのか! こんなものは常識であろう。

よろしいか。「抜かば斬る!」この強き姿勢こそが、外交に於いて優位となるのである。
ったく、抗議だ、遺憾だと、そんなものは通用しないのである。

とまれ、現在の公明党は、保守に於ける翼賛であるから、当方としては、満更(まんざら)でもない。

おっとっと、信仰から外れてしまったわい。苦笑。

尚、日蓮正宗に於いては、講員信徒が民進党に投票しようが、共産党に投票しようが、ファースト何某に投票しようが、
其れらの行為は謗法でも何でもないから、其の元からして自由投票である。つまり、其の事からして当方の主義主張も
謗法ではない、という事になる。

日蓮大聖人が曰く『我が日本国は一閻浮提の内、月氏漢土にもすぐれ、八万の国にも超えたる国ぞかし』と。

仍って日順雑集に曰く『聖人仰二云ク日本は是レ中国なり』と。
又曰く『然ルに天竺の仏は迹仏なり、今日本国に顕れ玉うべき釈迦は本仏なり、彼の本仏の顕シ玉ふ所なれば
日本を中国と云フなり』と。

応に『大日本国主義』は、日蓮大聖人の御精神に適うものであり、其の持する大法からして、我が国こそが、
閻浮提第一の大国と成るなのである。

恩師に云く『日本の水はきれいな水であり、きれいな水は民族を優秀にし、水の速さの激しい気性を持っています。
日本人くらい立派な民族はありません』と。

実(げ)に其の国在りて、其の民族在り、とは当に此の事を指して云うものであろう。

無論、是れとて増長の念から申すものではないし、感情の生(な)せる業でもない。

当に是れこそは、教理の上から申すものである。

曰く『教に依って人の勝劣を定む。先ず経の勝劣を知らずして何ぞ人の高下を論ぜんや』と。

本より、国家なるものは、其の人民の集合に依って成るものであるから、人民の優劣そのものが、
其の国家の優劣と成るのである。

仍って、其の優秀なる民族を、ならず者の中共支那、朝鮮、露西亜から護るべきは、是れ全く国防力なのであり、
其の国防の上に立って、諸般の交渉に努めるが、国家を預かる者の責務となるのである。

攻めても戦争。攻められても戦争。

とまれ、其の種分を思わず単に戦争反対とは、応に自衛と戦争を色分けする短慮浅識の小思想である、
という事を今こそ識(し)るべきであろう。

>選挙の大勝利が広宣流布だと信ずるバカどもの世界

うむ。そりゃそーだ。

しかし、王仏冥合の「一端」から言えば、宗教組織が支持する政党が大勝利する事は、大いにプラスとなろう。
しかし、現創価は、政教分離の旗を掲げているのであるから、選挙の勝利が広宣流布だ、などという言動は、
応に自己撞着(どうちゃく)の痴言と相成る。

否、そーゆー現状を把握しようとしない民進党の怠惰こそ、大いに責められるべきものとなろう。

>日本共産党撲滅唱題会の打ち出しがありました。来月22日に投開票!負けるわけにはいかない決死の一戦!!!
>北朝鮮撲滅唱題会も併せて開催です~

鼻笑。おいおい、それホントかいな。小腹笑。

>秀逸なる 宮川日護先生の 新説!
>真の悟りを得るには、脳科学から仏教を見る事であるという

哀笑。これも笑えるな。小鼻笑。

応に邪教人とは此の事か。

おっと! 又しても長くなったわい。

昼も昼とて邪教人。

邪教人への呵責は、これからも延々と続く。
 

【面目は恥なり】首魁・池田太作に捧ぐ

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 9月19日(火)07時45分50秒 i114-185-19-59.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  今思うに、当時、鎌倉幕府が実権を握る日本国に於いて、否、其れより以前から日本国の身分制度という
ものは、公家・武家を問わず、其の出目と武力によって獲得し、又は維持されてきたのである。

したがって、中世日本に於ける身分の格差というものは、現代人の我々が想像も出来ぬほど、絶大なのである。
例えば、権大納言と一農民とでは、其の人間の存在価値に於いても差別されるのであり、一商人・一農民が、
守護地頭に暴言を吐けば、其れこそ頸刎ねられるのである。

否、権大納言や守護地頭どころではない。相手の地位が従五位下であろうと御家人であろうと、反攻に及べば、
其の頸刎ねられるのである。つまり、其の逆を申せば、其の当時に於いて、官位を持つ者、城を持つ者などは、
民衆一般からして、雲の上の存在なのである。してもし、それら地位の者が我らの前に現れたら、我らはその場
にて土下座し、頭を下げなければならないのである。

さても、西洋かぶれの平等主義を掲げる創価学会員などは、其の様な世界が我が国にあったとは、其れこそ反吐
(へど)が出るくらい、嫌悪するであろう。しかし、其の当時に於いて、其れが日本の常識だったのである。

して当時、其れら雲の上たる公家衆に招待されて法を説いたと喜悦し、其れら殿上人からの賞賛を以って
己(おのれ)の面目と成した三位房の性根を、日蓮大聖人は厳しく叱られたのであった。

長文ではあるが、委細、其の事を示そう。

曰く『御持仏堂にて法門申したりしが面目なんどかかれて候事、かへすがへす不思議にをぼへ候。
そのゆへは僧となりぬ。其の上、一閻浮提にありがたき法門なるべし。設ひ等覚の菩薩なりとも何とか
をもふべき。まして梵天・帝釈等は我等が親父釈迦如来の御所領をあづかりて、正法の僧をやしなうべき
者につけられて候。毘沙門等は四天王の主、此等が門(かど)守り、又四州の王等は毘沙門天が所従なるべし。
其の上、日本秋津島は四州の輪王の所従にも及ばず、但(ただ)島の長(おさ)なるべし。長なんどにつかへん者
どもに召されたり、上(かみ)なんどかく上(うえ)、面目なんど申すは、かたがた詮(せん)ずるところ日蓮をいやし
みてかけるか。総じて日蓮が弟子は京にのぼりぬれば、始めはわすれぬやうにて後には天魔つきて物くるう、
少輔房がごとし。わ御房も其れ体になりて天のにくまれ蒙(かほ)るな。のぼりて幾何(いくばく)もなき実名を
かうるでう物ぐるわし。定んでことばつき音なんども京(みやこ)なめりになりたるらん。ねずみが蝙蝠(こうもり)
になりたるやうに、鳥にもあらず、ねずみにもあらず、田舎法師にもあらず、京法師にもあらず、せう房がやうに
なりぬとをぼゆ。言をば但(ただ)田舎ことばにてあるべし。なかなかあしきやうにて有るなり』と。(新編 430 )


【訳文】

持仏堂で法門を説いた事が面目、などと(手紙に)書かれているが、どう考えても不審な事である。
其の故は、僧となった身であり、其の上、持する法門は世界第一の法門である。したがって、例え
相手が等覚位の菩薩であっても、何を気にする事があろうか。まして梵天帝釈などは我等の父親で
ある釈尊の領地を預かって、正法の僧を養う者とされているのである。毘沙門等は四天王の主にて
此等(これら)梵天帝釈の門番である。また、四州の王等は毘沙門天王の家来である。其の上、日本
秋津島は四州の転輪聖王の家来にも及ばない、但の島の長(おさ)である。其の長などに仕える者達に
「召された」「上」などと書き、剰(あまつさ)え「面目」などと言うのは、いろいろ突き詰めて考え
てみると、この日蓮を卑しんで書いているのであろうか。総じて日蓮が弟子は京に上ると、初めは
忘れない様ではあるが、後には天魔が憑りついて正気を失ってしまう。其れこそは少輔房の様なもの
である。御房も其の様な姿になって天罰を蒙らない様にしなさい。(御房は)京に上っていくらも日にちが
経っていないのに実名を「尊成」に変えたという事であるが、物狂いそのものである。さぞや、
言葉使いや発音なども京なまりになった事であろう。鼠(ねずみ)が蝙蝠(こうもり)になったように、
鳥でもなく鼠でもなく、田舎法師でもなく京法師でもなく、其れこそ少輔房の様になってしまったと
思われる。言葉は但(ただ)、田舎言葉でいるがよい。どちらも付かずは返って見苦しいものである。



さても、上記の御文は、京に上った三位房が、そこに住する僧侶や公家の雅やかな風情に心浸され、
其れこそは、京の都からして田舎地方(東国)に拠を置く、日蓮大聖人の門下である事を恥じるが如く、
自身の名を「尊成」と改名し、殿上人なる公家衆から招待されて賞賛を浴び、其れこそは名誉な事だと
得意げに「面目躍如」を書き記す三位房の性根を、鎌倉に居る日蓮大聖人が厳しく叱られた御文である。

して、上記の事を現代に転じてみよう。

果たして、日蓮門下と名乗る多数の中に、三位房と同じ性根を持つ者は居らぬか。

いや、居るであろう。其の代表と成る者が。怒。

其の者の名こそは池田太作。応に三位房の生まれ変わりである。

さても、海苔屋の息子が、師匠について仏法を学び、其の弁説巧みを以って、組織の長となり、
初めは、大臣・首相何するものぞ! 日蓮大聖人の弟子こそは、世界の雄である! と曰(のたま)って
はいたが、其の後、国際舞台に憧れて、それこそ己(おのれ)の面目を確かめるが如く、自身の京(みやこ)
とも云うべき支那へ渡り、其の強大な国力と延々なる歴史の造詣に心侵され、遂には無冠では通用せぬと、
束るね組織の長名に満足せずに、博士だ、教授だ、詩人だ、哲学者だ、と名誉号を次々と貪り、其の獲得を
以って「面目躍如」と会員に誇示する姿こそは、応に三位房日行が生まれ変わりたる姿なのである!

俺は偉い人に会った。そして、偉い人に招待もされた。そして俺は、そこで演説をした。
そうしたら、みんなから賞賛された。そして俺は偉い人から勲章を貰い、賞状も貰った。
だから俺は偉い。果たして、こんな素晴らしい事が他にあろうか。

創価外道の諸君!

上記のセリフは当方のものではない。まさしく池田太作が机をバンバン叩きながら叫んだセリフである!

而して、三位房太作、自慢して云く、

『じつは私は「桂冠詩人」であり、「世界桂冠詩人」の賞もいただいております。詩人にとって詩を
贈ることは、最大の栄誉を贈ることなのです』

               【胡錦濤来日時に詩を贈った時の言葉/ 平成20年5月9日付 聖教新聞】

して、三位房太作、其の自慢が高じて云く、

『私の話が高尚で、そして分かりやすくて、そいで哲学的で、そいで文学調で、そいで詩的で、
そいで会話的である。頭が相当聡明でないとおっ付いていけないんです』

               【平成5年1月27日、アメリカSGI&関西合同総会 於ロス】

呆笑。果たして此の者、日蓮大聖人のお叱りからすれば、応に天罰食らう言動ではないか。

尚、言って置くが、其の天罰の証しこそは、池田太作の最後の姿に顕る!

さても病状の事について、一々云うは、其の道徳からして避けるのが一般ではあるが、世界創価学会の
長である者ならば、そうはいかぬ! 実に其れこそは、此の者が悪しざまに侮蔑して来た、日顕上人
現御隠尊猊下との勝負である! 足が立たぬとは言わせまい! モノが言えぬとは言わせまい!
そしてオムツをしているとは言わせまい! 応に此の事は、正邪決定の証しと成るのである!

法華経・安楽行品に云く『若し人悪(にく)み罵(ののし)らば、口則ち閉塞せん』

同じく、陀羅尼品に云く『若し我が呪(しゅ)に順ぜずして、説法者を悩乱せば、頭破(わ)れて七分に
作(な)ること、阿梨樹の枝の如くならん』と。

仍って大聖人に曰く『円智房は清澄の大堂にして三箇年が間一字三礼の法華経を我とかきたてまつりて
十巻をそらにをぼへ、五十年が間、一日一夜に二部づつ読まれしぞかし。かれをば皆人は仏になるべしと
云云。日蓮こそ念仏者よりも道義房と円智房とは無間地獄の底に堕つべしと申したりしが、此の人々の
御臨終はよく候ひけるか如何。日蓮なくば此の人々をば仏になりぬらんとこそをぼすべけれ。
これをもってしろしめせ。弘法・慈覚等はあさましき事どもはあれども、弟子ども隠せしかば、公家も
しらせ給はず』と。 (新編 1070)

【意訳】

安房清澄寺の円智が、其の大堂に於いて、五十年間、法華経を書写し、十巻を諳誦(あんじゅ)した。
したがって彼の事を、世間の人は皆、仏になるだろうと言っていた。しかし、此の日蓮だけが「無間
地獄に堕ちるだろう」と言ったが、果たして、これらの者の臨終は良かったか。そうではないだろう。
もし、この日蓮が居なかったら、これら者は皆、仏になったと世間は思うであろう。これを以って、
知りなさい。弘法・慈覚らは臨終があまりに悪く、それを弟子共が隠した為に、朝廷公家衆に於いて
其の事実を知らないのである。

創価よ。池田太作にもしもの事があろうとも、其の臨終の良し悪しなどは、しっかりと明言致せよ。
さもなくば、日恭上人の御殉教に対して罵詈する事などは、一切出来ないのである! よいか!

今こそ知るべし! 応に真の「面目」とは、其の臨終に在るという事を!
 

元祖通りすがりの法華講員殿へ

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 9月18日(月)23時20分23秒 i114-185-19-59.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  申し出の一件。

明らかに当方の判断ミスであります。

過去の投稿リモホを調べた結果、

貴殿のリモホがありました。

尚、愚人殿からも、自身のモノではない、とのメールを戴きました。

ミスの原因は、以前からの『通りすがりの法華講員』殿と、貴殿の『元祖通りすがりの法華講員』とのHNが
混同し、当方の記憶違いと先入観が重なって、今回の応答となった由。

元祖殿には無礼の段、此に深くお詫び申し上げます。

今後は、尚一層、リモホの管理を徹底し、初稿、再稿の分類をしっかりと行い、今回の様なミスが起きないよう、
細心注意して参りたいと思っております。

此の度は、誠に失礼致しました。

                              大月天 恐謹
 

最近のフェイクに一言二言

 投稿者:元祖通りすがりの法華講員  投稿日:2017年 9月18日(月)15時16分5秒 om126211023201.13.openmobile.ne.jp
返信・引用
  フェイク 第1590号
投稿日:2017年 9月13日(水)12時34分9秒
(発行=17.09.12)

》阿部信彰の常在寺も未達成
各地で意気消沈の大布教区別僧俗指導会日如が少年部員に「友達の両親を寺に誘え」
日蓮正宗の「大布教区別法華講員八十万人体勢構築推進僧俗指導会」という長い名称の会合が八月二十八日の北海道大布教区を皮切りに始まった。九月二十八日までの間、全国十カ所で開くこの指導会は、大聖人御聖誕八百年の平成三十三年に法華講員を八十万人にしたい、との早瀬日如の思い付きで折伏を開始したが、現在まで全然進んでいないため折伏の檄を飛ばすのが目的である。

さすがスパイ経由で仕入れただけのことはある。内容としては間違ってない。ただし、他組織の役職者を呼び捨てにするな。

》 そこで布教部長の阿部信彰や八十万人体勢構築推進委員の坊主らが、講中の全講員が折伏に立ち上がって、励ましあいながら全力で取り組むよう訴え、大
聖人の御聖誕八百年まで三年半後に迫った今年こそ全支部が必ずや目標を達成する必要があると強調している。

内容としては間違ってない。ただ、新興宗教創価学会に何か言われる筋合いは無い。他組織の役職者を呼び捨てにするな無礼者が。

》 宗門では「僧侶主導の広宣流布」と標榜しているが、責任を講頭や法華講の活動家に押し付ける。「信徒主導」と言い換えるべきだ。

『と、思う。』と付け加えよ。事実の確認が不十分である。

》 折伏をはじめ新入信者の育成、御講や登山会などの参加者を増やす活動は全て信徒に強要している。

『と、邪推する。』を加えよ。

》 僧俗指導会で登壇した坊主も「自分が率先して折伏する」と発言した者は一人もいない。だから指導会は意気消沈、参加者は決意を固めるどころか、辟易
した表情とのことである。

『と、邪推する。』を加えよ。脳内伝聞を記事にするな。どあほう。

》 とりわけ阿部信彰は今年三月、大石寺大書院での講頭会の席で今年の誓願目標を八月までに達成せよと命令口調で力説。それが出来なかったら遅くとも十月までには達成するように、と強調していた。

事実か嘘かは関係なく、この箇所は何を訴えたいのか不明。

》 その阿部信彰(写真)が住職をしている常在寺(豊島区)の法華講員の話によると、八月末までに三百三十四の目標は達成できず、九月に入って、やっと八割台になったとのことである。

何がどう問題なのか、わからん。

》 全国的にみても八月末までに達成した支部は三そこそこで全体の一割にも満たないとのことだが、布教部長の常在寺も未達成だから、折伏が出来ていない支部も安心してよい。決して焦る必要はない。

やさしいね。大きなお世話だが。

》少年・中等部員にも折伏を煽る日如

 僧俗指導会に講頭・副講頭、認証役員や活動家を集めて、いくら檄を飛ばしても〝糠に釘〟という有様で、八十万人体勢構築は平成三十三年どころか、何
百年経っても不可能だと断ずる。

お前は、神か!

》 折伏が停滞している現状に業を煮やした日如は今年の夏、中等部員、高等部員、更に少年部員に対しても折伏を煽っていた。
 中等部、高等部の大会で日如は「法華講員八十万人体勢構築の誓願達成へ向けて力強く前進するように」「一人でも多くの人に妙法を下種し、折伏を行じ
ていくことが、最も肝要である」と訴え「折伏は使命である」「自行化他の信心に励め」等と力説していた。
 また、少年部の大会でも「親しいお友達がいたら、お父さん、お母さんに話すなり、お寺に誘うなりして折伏することが今、最も大事である」と洗脳していた。

洗脳とはただごとではないな、創価学会員よ。

》 子ども達にも折伏を煽る邪教団は無謀な勧誘が社会問題になっている顕正会と日蓮正宗

けんしょうかいはともかく、日蓮正宗が新聞に載ったのは見たことは無いな。事実を確認せずに記事にするなヘボライター。いや、発行元がヘボいからしょうがないのか。残念。
 

ああ、邪教人 其の六十九

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 9月14日(木)07時19分23秒 i114-185-19-59.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  >“謗法広告”
>本日9月12日は「竜の口法難の日」であり「教学の日」であった。
>その意義を胸奥深くに刻むべき日に聖教新聞社が行ったのが“謗法広告”の掲載である。
>「厄祓い護符」の文字が刻まれた500万部(公称)の聖教が全国にばら撒かれてしまった。

小腹笑。雑誌広告の特集欄に「厄祓い護符」の文字があっても、そんなもなぁー、謗法でも何でもねーよ!
小腹笑。そんなモンより、聖教新聞を発行する行為自体が謗法なんだよ!
小腹笑。何? その証拠を出せ! だと?
小腹笑。そんなもなぁー、簡単だろぉー。

    竜ノ口法難(発迹顕本)ー曼荼羅御本尊御顕発ー熱原の法難ー大御本尊御建立(出世の本懐)
    傍証ー伊豆御配流12日・竜ノ口法難12日・大御本尊御建立12日・富士大石寺開創12日。
    爾して日蓮大聖人、翌の13日に御入滅さる。

加えて日寛上人に曰く『当に知るべし、智者大師は隋の開皇十四年、御年五十七歳、四月二十六日より止観を始め、
一夏にこれを説いて四年後、同十七年、御年六十歳の十一月に御入滅なり。吾が大聖人は文永十年四月二十五日に
当抄(観心本尊抄)を終り、弘安二年、御年五十八歳の十月十二日に戒壇の本尊を顕して四年後の弘安五年、
御年六十一歳十月の御入滅なり』と云云。

仍って申さく『此の御本尊は正しく文底下種の本仏、本地難思、境智冥合、久遠元初の自受用の一身の相貌なり』と。

しかし、聖教新聞はこう書いた。

『御本尊が一大秘法というのは、御書のどこにも書いていない』
『この本尊論は、日寛上人による要法寺対策の一説に過ぎない』

どーであるか。そーゆー風に書いたであろうが。

だから、聖教新聞を発行している事自体が、抑もが謗法なのだ、と言っているのである。

破門後の池田名誉会長が云く『大聖人の出世の本懐である一閻浮提総与の大御本尊が信心の根本であることは、
これからも少しも変わらない』と。【平成5年9月16日、アメリカSGI最高会議】

よいか。謗法は厄祓いの文字掲載なのではなく、聖教新聞の発行自体が謗法なのである。

よいか。オマエは、そーゆー所まで眼力を広めた上で「教学の日であった」と言わねばならないのである。

>今はどこまでが洒落やユーモアで、どこまでがそうじゃないかさっぱり分からんようになった。

大笑。そりゃーオマエらの事だよ。

いや、洒落も何も、どこがホントの創価教義で、どこまでがホントの本尊であるのか。
何奴(どいつ)も、此奴(こいつ)も、勝手な事をベラベラベラベラ巻き散らかしおって!
頭破七分、頭破八分、頭破百分…。もうさっぱり分からんようになった! 小鼻笑!!

しかし、これ嗤えるよな。↓

>【地涌】日蓮正宗自由通信同盟
>日蓮正宗が真に“正宗”であったのは学会との60年間だけだ
>邪宗となった“正宗”は“小宗”となり遂に“消宗”となる

腹笑。

日蓮正宗が真に“正宗”であったのは学会との60年間だけだ、ってオマエ…。腹笑。

その60年間の本尊義を蹴っ飛ばしたのは、一体誰なんだよ!

つまりだ。その逆を言うならば、学会との60年間に於いて、本尊教義を今もって変わらず
堅持している宗門こそが、創価已来の真(まこと)の正しき宗(正宗)という事になるではないか。

ったく、貴様らは一体、何を基準にして宗教の根本義を語らんとしておるのか。

何とか言いなさい、北林!


>毎月、改革同盟、憂宗護法、青年僧侶全員を集めて戸田国際会館で行なっていた会議を、三グループに分けて、
>三か月に一度ずつに変更した。

ふむふむ。そーゆー事かいな。なるほど、なるほど…。鼻笑。

しかし、其れとて仕方あるまい。これら禿人集団は、皆、在家に尾を振る連中である。
月に100万だ、200万だと、創価学会から支給されれば、最早、尾を振る他にあるまいて。
無論、当方からすれば、こんな連中こそが僧侶の風上にも置けない腐った坊主たちである。

日因上人・有師物語聴聞抄佳跡に曰く『檀那は必ず三宝を敬う、還而僧衆檀那の心を取り機嫌に入る事は
仏法を売物にする売僧と云うべし』と。

よいか。僧たる者、御供養と支給の分別が出来ない様では、話にならんぞ。
とまれ、在家にゴマすって物品を支給されるは、これ全く売僧の証態である!

少しは恥を知りなさい!

>後年、日亨上人が戸田会長に対して「戸田さん、あなたがいなかったら日蓮正宗はつぶれたよ」と言われた
>理由がうなづける。この「戸田さん」というのは「創価学会」と同義であろう

哀笑。オマエは、社会人として、何の読解力も無い、単なる阿呆であるのか。
哀笑。「これ、つまんない物ですけど」と土産を渡されて、つまんない物なら要らないよ、と断るか。
呆怒。ったく、何も判らぬ初心者め!

「戸田さん、あなたがいなかったら日蓮正宗はつぶれたよ」

でもホントはつぶれないんだよ。

本より、日亨上人がつぶさないし、日昇上人もつぶさない。
因みに、日亨上人御隠尊、日昇上人御当代の御時、宗門は以下の如く、戸田会長の処遇を断下されたのである。

云く『法華講大講頭の職に於ては大御本尊の宝前に於て自ら懺悔して、大講頭として耻ずるならば即座に辞職せよ。
若し耻じないと信ずるならば心を新たにして篤く護惜建立の思をいたし総本山を護持し益々身軽法重死身弘法の行に
精進すべきである』と。

よいか。こーゆー所をしっかりと見極めて、言動の意(こころ)を理解しなければならないのである。

さても、一大秘法とは御本尊の事ではなく、妙法蓮華経の題目の事である、などという創価学会。
当にこの創価学会こそ、オマエの理屈からして名誉会長を務める池田太作と同義になるのではないか。

戸田会長が云く『南無妙法蓮華経と唱題する中に三秘が具わっているというが如きは、無学のジイサン、バアサンなら
いざ知らず、少しでも教学をやった者には気狂いになっているのではないか、という以外には思いようがない』と。

                               【はかなき邪宗の教学・小樽問答誌 131P】


さても、現創価学会は戸田会長が仰せの如くに気狂いになっておるのか。
お主こそが、能く能く吟味すべきである。さすれば『同義』の意がそこに観えてこよう。


さて、今朝はここまでとしようか。

今朝も今朝とて邪教人。

邪教人への呵責はこれからも続く。
 

ああ、邪教人 其の六十八

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 9月12日(火)17時37分9秒 i114-185-19-59.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  >原田学会の会憲問題点。
>①会長を弾劾する制度がありません。
>②会長を絶対的な存在としています。

小笑。会長を弾劾する制度だ? そんなもん、誰が弾劾するんだよ。
鼻笑。安保理決議じゃあるまいし。
哀笑。言って置くが、そんなもんが出来れば、愈々以って学会の会長職などは、底の浅いモノとなる。

>会憲のように教団のトップを絶対とする思想は過去の歴史からも間違いであります。
>また僧宝である日興上人の指導にもありません。

何? 教団のトップを絶対とする思想は間違いだ?

つまり何だ、オマエら創価ネットの対策チームは、池田センセーを絶対的師匠として見ていない、という事か。

何? 僧宝である日興上人?

哀笑。おいおい、其れ、何処(どこ)の教えだよ。何処から持って来たんだよ!
呆哀。其の出処(でどころ)を宣べなさい。

>日興上人の教団トップへの考え方。
>御書
>時の貫首為りと雖も仏法に相違して己義を構えば之を用う可からざる事。
>通解
>たとえ、日興の後に教団を統括する貫主であっても、日蓮大聖人の仏法に背いて、勝手な自説を立てた場合には、
>これを用いてはならない。

何ぃ? 日興上人の教団だぁ?  小腹笑。どこが。

鼻笑。時の貫首って、創価の会長は貫首なのかいな。そんなモン、貫首どころか、能化でもない、小僧でもない、
単なる在家信者の端くれではないか。ったく、興尊の二十六箇条に原田など持って来るものではない! 無礼である!

>創価学会が仏法の正統を名乗るのであれば、教団のトップを「絶対的」にしてはダメなのです。
>このように考えると原田学会が「日興上人、創価三代会長の正統から外れた外道」であることが明確になったのが、
>「原田学会の会憲」なのです

教団のトップを絶対とする事が、日興上人並びに創価三代会長の正統からして外道であるとは、如何なる事か。
つまりは、日興上人も創価三代の会長も、お主らの教団からして絶対ではない、という事か。
さても、絶対とは如何なる意であるのか。まさか「順世外道」に於ける絶対をして言っておるのか。哀笑。

鼻笑。してもし、そうであるならば、オマエこそが、偏教の主(ぬし)である。呆哀。

尚、言って置くが、創価学会が仏法の正統を名乗るなどは、其れこそ豚がライオンの名を騙るに等しいものであって、
其れこそは、本因妙の教主釈尊に対する、謀りの骨頂である。

日興上人に曰く『この法門は師弟子をただして、仏になる法門にて候なり。師弟子をただして仏になり候。
師弟子だにも違い候へば、同じく法華を持ちまいらせ候へども無間地獄に落ち候なり』と云云。

よろしいか。お主こそは、此の日興上人の御教示こそを、能く能く心読しなさい。
さすれば、真(まこと)の絶対が領解出来よう。

>次期指導者、谷川先生期待に期待してます。
>カリスマたっぷり、池田先生より会員を引っ張る人物です。

そーだな。そろそろ会長先生になってもよいのではないか。
何しろ、面相が若き池田センセーに似ておるでな。本より、根性もそっくりの様である。

そんな次期会長・谷川先生が云く『出世の本懐の意味だって変えればいいんだ。独立した教団なんだから、
変えてもいいんだし、変えられるんだ!』

呆哀。果たして、聖滅七百年後の在家信者に易々と変えられてしまう、大聖人出世の御本懐とは是れ何(いか)に。

鼻笑。谷川センセー。まぁ、頑張って下さい。そして、一大秘法とは、御本尊様の事ではない、という教義を、
あなた様の僧宝たる日興上人の教えから御説明して下さい。

本より、それが出来ないとなれば、其れこそが教学的阿呆の証明となりますので、どうか頑張って下さい。

>池田先生が手作りで作られ私達が大切にしたのは「創価学会」です。
>しかし池田先生が公の場で御指導されなくなった後は「原田学会」です。
>原田会長が運営する「原田学会」は池田先生の思想を破壊する団体なのです。

鼻笑。ならば、池田センセーが公の場で御指導された、

『大聖人の出世の本懐である一閻浮提総与の大御本尊が信心の根本であることは、これからも少しも変わらない』

との断言は、応にオマエら宿坊一味からして、大切な創価学会の教え、という事になるが如何。

而して、宿坊が、一閻浮提総与の大御本尊をして『後世の贋作だ』と侮蔑するは、これ全く池田センセーの指導に
唾するものではないか。つまりは、是れこそが池田センセーに対する『破壊思想』ではないのか。

オマエ、こっちに来て其の事を説明しなさい。

ったく、何が「原田学会は池田先生の思想を破壊する団体」か!

よいか。池田センセーの指導思想を破壊しておるのは、オマエらが投稿している掲示板の管理人である!

先ずは、此奴(こやつ)の破壊思想を退治しなさい。

原田創価の云云などは、其れからの事である。
 

余記

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 9月11日(月)13時15分13秒 i114-185-19-59.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  最早、北朝鮮対策は失敗した。

残された道は、北朝鮮の核保有を此に認め、米・英・仏・露・支の批准国に対する非批准国、則ち、
印・巴(パキスタン)・以(イスラエル)と同じく、其の保有既成の事実を以って容認するという事である。

本より、北朝鮮が名実ともに核兵器を保有する国と成れば、其の北朝鮮の存在自体が、支那や露助からして
東アジアの要塞となるのであり、又、其の理があるからこそ、此奴(こやつ)らは、対話対話と叫びながら、
北朝鮮の核政策を黙認して来たのである。

さても、自国の上空にミサイルを放たれて、空を通り過ぎたから、まぁ良いなどと、こんな悠長な事を言って
いる国などは、最早我が国を置いて他にはあるまい。

とまれ、平和ボケもここまで来ると救いようも無いが、それが最も正しい精神であると云うならば、即刻に、
北朝鮮の核保有を認める事である。さすれば、同盟国の中共支那は、そんな我が国をして褒めて来るであろう。
ましてや、中共政府(共産ゲリラ・八路軍)の国家に対して「大中国」などと尾っぽを振る創価学会からすれば、
是れほど嬉しい事はない。

しかし、米国の無策には失望した。無論、其の部下である日本の対北朝鮮政策など、話にもならない。
ったく、遺憾だ、抗議だ、などと、一体何百回言えばよいのか。いい加減、目を覚ました方がよろしい。

トランプ大統領。もう少し、凄みを見せても良かったのではないか。
其れこそ、支那と露助に対し『石油及びガスの全面禁輸』を確約しなければ、米国は軍事力を行使する、との
二者選択を以って恫喝すれば良かったのである。

まぁ、何れにしても時は遅し。近々の安保理に於いて、支那と露助は拒否権を行使するであろう。
してもし、行使しないとなれば、其の採決内容こそが骨抜きだ、という事になる。
本より、其れらの流れは、北朝鮮からして織り込み済みであり、又、そうであるからこそ高を括るのである。

支那と露助による対話外交への引き延ばしと、日米による遺憾抗議のから騒ぎ。
ましてや、国連による非難決議などは屁にも成らず、とうとう北朝鮮は、名実共に核保有国と成ったのである。
後は、出来得る限り、核兵器を生産し、切の良い所で『生産中止』のカードをちらつかせて、より良い条件を
諸外国から引き出せばよい、という事になる。

『平和に目覚めた北朝鮮』

応に『してやったり』とは此の事をして云うのであろう。

兎にも角にも、支那と露助が在る限り、北朝鮮は安泰である。
 

注意

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 9月 9日(土)05時52分30秒 i114-185-19-59.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  リモホが正規であっても、HNが捨てハンでは、当室への投稿資格は得られんぞ。
プラス、己(おのれ)の立ち位置(所属宗派及び尊仰する本尊教義)も示さねばならん。
どうであるか。お主にとってもハードルが高いであろう。
本より、正邪を論ずるに於いては、其れらの親告は必須と成る。

しかし、お主は其の親告をせずに「相変わらずだな」などと文句を垂れる。
よいか。そーゆーのを「駄駄」と云うのである。

残念ではないか。惜しいではないか。折角、ソフトバンクの正規リモホを経していると言うに…。

お主は以前も投稿しているのであろう。爾(しか)らば何故にHNを一々変えるのか。

ったく、何を怯えておるのだ。

別に固定HNでよいではないか。

今一度、やり直しなさい。

Sバンクのリモホは承った。

残るは、以前のHNと、自身の信条である。

呆哀。ったく、うんうん、などと茶化している場合ではないぞ。

しっかりと襟を正して、自身の信条をぶつけて来なさい。
 

相変わらずだな。

 投稿者:アート  投稿日:2017年 9月 8日(金)21時02分25秒 softbank126094249149.bbtec.net
返信・引用
  うんうん  

ああ、邪教人 其の六十七

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 9月 5日(火)18時20分1秒 i114-185-19-59.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  >「日蓮久遠本仏論」という中近世の寺院仏教擁護論
>日蓮久遠本仏論は神話の世界ですし、因習深く、宗教臭いです。
>現代はもっとスマートに、人間主義の自己実現型成仏観がスッキリします。

哀笑。アンタはそーかがっかいいんですかぁ~。哀笑。
哀笑。もし、そーかがっかいいんだったら、ちゃんと池田センセーの「大聖人は末法の御本仏」という指導に
従った方がいいよ~。哀笑。

>従来の学会教学とは、冨士大石寺顕正会なども含めた伝統的正宗・日寛教義と同じです。
>ここで大事な点は、SGには別の思想潮流があったという事実です。

哀笑。その「別の思想潮流」とは、なんですかぁ~? 小鼻笑。
つまりは、腹の底では、ちがう教義思想を持っていた、という事ですかぁ~?

小鼻笑。っちゅー事は、宗門は其れを察知して、事前に破門の処断を下した、という事になりますね。
小鼻笑。ったく、腹の底で離反しておきながら、宗門に切られた、などと、よくも言えますね。哀笑。

そーかがっかい。いいかげんにしなさいよ。哀笑。

>日蓮本仏論では説得に限界があることを、身で実践で知っておられるからでしょう。
>鬼に金棒とはこのことです。

小鼻笑。日蓮本仏論とは説得するもんなんですか~。呆呆哀。
しかも、その説得に限界があるとは、つまり、オマエの教学力が全くのゼロである、という証拠になりませんか~。
呆哀哀。そーかがっかいいんなら、ちゃんと、日蓮大聖人は末法の御本仏です、と言いなさい。
ともあれ、自分が所属する宗派教団の根本教義に違背している者が、他宗の教義に文句するなどは、応に破廉恥の
骨頂という事です。オマエこそは恥を知りなさい。

>SGのほとんどの中堅幹部は、五重の相対を正確に理解できていないことを残念に思っています。
>長年、任用試験の受験担当や教学支部責を務めてきて、教学の無さに危機感を持っています。

小鼻笑。日蓮本仏論には限界がある、と言っている御仁が、五重の相対を正確に理解できていないことを
残念に思う、とは、ホント、オマエは「面白い」奴ではある。哀笑。
小鼻笑。「教学の無さに危機感を持っています」って、オイ! そりゃ、オマエの事だよ!

>現在の教学部も創価教学を確立するための過渡期を歩んでいる。

そーか、そーか、そーか教学まだ過渡期なのか。そーか、そーか。小鼻笑。
ならば、過渡期の分際で、富士門の大成教学に唾するものではない!

して、其の過渡期の先には何が有るのか。言っておくが、オマエら創価はもう既に新興の宗教と成っておる。
哀笑。そんな新興宗教が、今にして過渡期などと…。哀笑。あまり笑わせるものではないよ。鼻笑。

>また、こちらの板(宿坊板)も弘安二年に随順するのか?新しい教学を指向するのか、人によって見解はことなる。
>堅樹院の教学的解釈を都合のよいところだけ拝借して展開しても仕方がないと思う。

堅樹院? 無礼者! オマエの様な阿呆が呼び捨てるものではない!

何? 弘安二年に随順するのか? だと?

そんなもん、先ずは手前(てめー)ん所の池田センセーに訊いてみろや!

その池田センセーに云く『大聖人の出世の本懐である一閻浮提総与の大御本尊が信心の根本であることは、
これからも少しも変わらない』と。【平成5年9月16日、アメリカSGI最高会議】

なんだ。これもオマエからすれば、堅樹院(日寛上人)の教学的解釈を都合よく拝借した指導という事になるのか。

ならば! 先ずは池田センセーを呼び捨てにして、其の拝借精神を呵責せよ!!

ったく、堅樹院などと、それこそ順序が逆であろうが!

邪教人、ホントにオマエらは邪教人であるよな!

ったく、オマエらそーかがっかいいんには、信仰者としてのアイデンティティーは有るのか。
何奴(どいつ)も此奴(こいつ)も、好き勝手な事を言いおって! もう支離滅裂ではないか!
そーであろう! 邪教人たちよ! 呆哀。

何!? そもそもが邪教を信仰しておるから、アイデンティティーなど初手から有りゃしない。だと?

鼻笑。おぉ! たまには、筋の通った事も言うのであるな。小鼻笑。

>池田先生は日顕宗に勝利宣言をされています。

呆哀哀。だからぁ~、その「日顕宗」に勝利した池田センセーがぁ~、
『日蓮大聖人の出世の本懐である弘安二年十月十二日の一閻浮提総与の大御本尊が信心の根本であることは、
これからも少しも変わらない』と断言してるんだよ! どーすんだよ、これ! まさかウソかいな!
つまりは、ウソの勝利宣言という事かいな! なんとか言えよオマエ!

>創価三代の信仰に於いては、
>人法、つまり本尊と師匠を、その支柱とする。
>言うまでもなく、本尊は、南無妙法蓮華経の御本尊であり、
>師匠は、池田先生である。

堪笑。そーか。法は御本尊で、人は池田センセーか。堪堪笑。
ならば、日蓮大聖人はどーするのだ。日蓮大聖人はどこに行ったのだ。
哀笑。オマエ、其の儘だと墓穴を掘るぞ。小鼻笑。

>保田妙本寺の傘下になって
>ダライラマの手先になって
>もう先生の弟子ていえるん
>なんやそれ
>あかん

哀笑。

日寛上人を蹴飛ばして、
谷川・原田の手先となっても、
センセーの弟子といえるんか。
なんだそれ。
オマエこそあかんよ。

嗤、なんだ、まだあるか、まだあるか。

いやいや、是れこそは限(き)りがない。呆哀哀。

今日も今日とて邪教人。

邪教人への拳骨(げんこつ)は、是れからも続く。
 

松岡の邪文を改めて摧破す

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 9月 4日(月)09時06分1秒 i114-185-19-59.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  言うまでも無く、我々に御下付された一機一縁の分身散影の御本尊は、本門戒壇の大御本尊に会入されて、
つまりは直結される事によって、はじめて御本尊としての力用が示されるのである。

果たして、創価学会員は、保田妙本寺に参詣し、そこに安置してある万年救護御本尊を拝めるか。
して、拝むとすれば其れは何故か。又、拝めない、とすれば、其れは何故か。
尚、此の事は、邪宗身延派が保持している御本尊についても同様に聞い質すものである。

云ク、下種仏法ノ相待妙トハ、釈尊脱益化導ノ一切、イワユル一代応仏ノ域ヲ控エタル方ノ文上ノ
教経ニ対シ、マタソノ熟脱ノ教主ニ対シ、結要付嘱ノ妙法、即チ久遠元初ノ仏法トソノ教主ニ於テ、
権実・本迹・種脱ノ筋目ヨリ、根本ノ麁妙ト本迹ヲ判ズルニアルナリ。

次ニ下種仏法ノ絶待妙トハ、コノ脱上ノ仏教、乃至諸宗教ノスベテガ、文底下種名字ノ妙法蓮華経ニ
帰入シテ、一句ノ余法モナク、待対ヲ絶スルコトナリ。右ハ、一期下種化導ノ大綱ニ約シテ弁ズ。
而シテ宗祖一期ノ弘通ニハ、時期ニ於テソレゾレノ段階アリ。鎌倉期ハ権実相対ニシテ題目ノ弘通、
佐渡期ハ更ニ本迹相対・種脱相対ヲ明カシ本尊ノ弘通、身延期ハ種脱相対ニヨル教主ト大法ノ明確ナル
顕現ト、三大秘法ノ整足、即チ本尊ニ伴ウ戒壇ノ明示等、時期ニ於ル弘法ノ展開アリ。ソノ始終ニ方便ノ
教法ハ一切存在セザルモ、ソノ一々ノ弘通ノ段階ニ於ル破邪顕正、及ビ未究竟ト究竟ノ前後ニ於ル妙法ニ、
自ズカラ相待・絶待ノ二妙ヲ具スナリ。

(中略)

次ニ、題ノ「実行」ノ実トハ、権ニ対スル真実ニシテ、方便ナキ法、即チ種脱相対ニヨル下種ノ妙法ヲ
云ウ。マタソノ行トハ、釈尊ノ一代五時、口輪説法ニ対シ、一ニハ一期ノ始終、事行ノ妙法ノ受持弘通、
二ニハ謗法ノ諸宗諸人ニ対シ、折伏ヲ行ジ給ウニアリ。コノ妙法ノ事行ハ絶待妙、謗法折伏ハ相待妙ニシテ、
絶待ノ処ニ相待アリ、相待ノ処ニ絶待アリテ、一往不二ナレドモ、再往、而二ノ上ニ相待ハ迹、絶待ハ本ノ
勝劣アルナリ。

(中略)

マタ前記待絶二妙ニツキ補足セバ、閻浮総与タル本門戒壇ノ本尊ノ当体ハ絶待妙ニシテ、各個別々ノ本尊及ビ
血脈付法ノ本尊ハ相待妙ナルモ、絶待ニ帰一セバ絶待妙ノ意アリ。他宗他門ノ爾前権迹ノ各本尊及ビ所顕所縁ノ
人ハ、末法ニ於テハ謗法ヲ成ズル故ニ、麁ニシテ妙ニアラズ。但シ棄執帰伏ノ上ハ、個々自立ノ形待ナキヲ以テ、
当宗ノ垂迹堂ニ安ンズルハ相待妙ノ義ニ当タルベシ云云。

                                     【拝述記384頁】


さても、区別・選別は相待妙。其れを絶して会入する(開会して収める)が絶待妙。而して待絶の二妙は、
而二にして不二のものである。さすれば『而二』の意が相待妙、『不二』の意が絶待妙である。例えば
一閻浮提総与の大御本尊と、御形木御本尊は、其の大義からして区別されるものであるが、一閻浮提総与の
大御本尊の法脈からすれば、すべての御形木御本尊は、一閻浮提総与の大御本尊に会入されて一体となり、
応に絶待妙の御本尊として其の力用が示されるのである。つまりは(畏れ多い譬えではあるが)電流が通った
電燈と相成るのである。

つまり、其の理(ことわり)を以って、絶待妙の御本尊、相待妙の御本尊と定義したものである。

而して、其の区別・選別による一機一縁の御本尊は相待妙に位置づけられるのであり、それらの区別・
選別を絶して、其れらすべてを会入する御本尊、つまりは、究竟中の究竟たる日蓮大聖人御本懐の
大御本尊こそが絶待妙の根本なりと識るべきなのである。

爾して、本門戒壇の大御本尊こそが、絶待中の絶待であり、恩師が云われる処(ところ)の『御本尊様は一つ
しかありません』とは、実に其の絶待の意を示されたものなのである。果たして『一つしかない』とは、
これこそが絶待妙の意ではないか。

三大秘法随一(本門の本尊の随一)たる大御本尊であれば、此の大御本尊こそが、他から絶する事の出来ない
究極の法体であり、其れこそ閻浮提の一切衆生が救護される絶待法門の極体なのである。
仍って、其の分身散影たる御形木御本尊は、其の極体からして会入されるべき相待妙の御本尊と成るのである。
爾して、会入されるべき相待妙の御本尊も、一たび会入されれば、須らく絶待妙の御本尊と相成るのである。

松岡は何か勘違いしてないか。

本より御隠尊日顕上人猊下は、日寛上人の御指南を根本にして、究竟中の究竟、本懐中の本懐である
「本門戒壇の大御本尊」こそが、応に絶待妙の極体となる上から、本尊に於る待絶の二妙を解釈されたのである。

つまり『拝述記』に、

竜ノ口ノ後ヨリ妙法本尊ノ顕示ヲ始メ給イ、以後、一期ニ於ル本尊顕示ハソノ時々ノ待絶二妙ニシテ、
爾前権迹ノ仏像経巻本尊ニ対スル相待妙ト、下種本尊ニ於ル絶対妙義アルナリ。【同 387頁】

とあるが如く、日蓮大聖人が顕示されし本尊と、其れ以外の爾前権迹の本尊(仏像)等を相対し、応に其の相対を
以って勝劣を判じる相待妙に対して、顕示されし本尊こそは、須らく絶待妙であると判じられているものである。
実に是れこそが、明解なる待絶二妙の極説であろう。

言うまでも無く、邪宗が保持する真筆本尊は、無得の本尊ではあるが、本門戒壇の大御本尊に会入されれば、
つまり、正法正義の感得が相成れば、其れこそは絶待妙の御本尊して、其の力用が示されるのである。

さても、お主が言う「区別を生かす仏教的合理性に背くことは自明であろう」とは何か。
加えて「合理的な日蓮仏法者」とは一体何か。 松岡よ。あまり軽論を弄するものではないぞ。

>〈比較を絶した妙〉は〈比較する妙〉を通じてのみ現れる。

いや、其の一方のみではない。相待妙(比較する妙)は、絶待妙(比較を絶した妙)に通じなければ、つまりは、
其の義が絶待妙にまで至らなければ真の相待とはならない、という事である。

>先にも触れたが、宗祖の御本尊を相待妙とも見るのは、阿部独自の説と考えられる

だから、御本尊を相待妙と観るのではなく、究竟中の究竟の大御本尊からして、其の他の御本尊は皆、
相待妙と成る、との意である。つまり、個々に於いては絶待妙であるが、三大秘法の総在たる一閻浮提総与の
大御本尊からすれば、其れらの御本尊は皆、相待妙の義となるのである。

本より、人法体一をして観れば、人法(而二)は相待、体一(不二)は絶待。
仍って、日応上人と日顕上人の弁は、其の立て分けからして同義となる。

日寛上人に曰く『弘安の御本尊、御本懐を究尽するや。答う、実に所問の如し、乃ち是れ終窮究竟の極説なり』と。

つまり、弘安に於ける本懐中の本懐たる戒壇の大御本尊こそが、絶待妙としての終窮究竟の極体という御意である。
お主は当分に於いて論じ、当方は跨節に於いて論じているのである。つまり、戒壇の大御本尊を絶待妙の唯一と
しないかぎり、お主の持論は須らく相待妙の片論となるのである。

よろしいか。体外の辺は勿論ダメであるが、体内の辺に於いても、実でなければ駄目なのである。

果たして、分身散影(分身散体と同義)の御本尊とは、一体、どこから分身したのであるか。抑も、分身するという事は
其の分身する以前に於いて本体がある、という事であろう。

つまり、御本尊に於ける待絶の二妙を否定するという事は、本門戒壇の大御本尊の大義を否定する事であり、
其れは日寛上人の御教示に違背する事であり、其(そ)はつまり、創価学会に於る日寛上人の御本尊下付の大義を、
自らが否定する事となるのである。つまり、矛盾をきたすは、お主の論という事になるのである。

云く、

『「法体の血脈」という時、その「法体」とは本門戒壇の大御本尊以外には有り得ません。ゆえに、日寛上人が
「法の本尊を証得して、我が身全く本門戒壇の本尊と顕るるなり(中略)題目の力用に由るなり」と示されている
通り、一切衆生の成仏を説かれた大聖人の仏法では、法主に限らず、全ての門下僧俗が「題目の力用」によって、
「法体の血脈」を受けられるのであります』と。 【日蓮正宗改革同盟 決議文より】

哀笑。

果たして、法体の血脈の「法体」こそは、本門戒壇の大御本尊以外には有り得ない、とは如何なる事か。
して、其の唯一の法体に帰命し、応に其の力用によって「法体の血脈」を得るとは、如何なる事か。
一部の表記には間違いがあるが、戒壇の大御本尊をして法体の唯一とし、その法脈を以って題目を唱うれば、
日寛上人の御本尊に於いて功力を得るとは、応に絶待にして相待たる、本尊授与の大義を云うものではないか。

して松岡よ。

お主は今、どーしておるのか。

果たして、今に於ても、上記の論説を死守するのであるか。

本より変節していない、というならば、早急に創価学会の邪義を破折せよ!

>「法体」こそは、本門戒壇の大御本尊以外には有り得ない。

其の事、よもや、ウソではあるまいな。

ならば早く致せ!

最早時間は無い。モタモタしておると、お主も其の内にポイ捨てされてしまうだろう。

諫言するなら今のうちである。

池田センセーが臥していたならば、今すぐ叩き起して言いなさい。

「唯一の法体を不受持にするとは、一体何事ですか!」とな。

よいか、禿人。

白を切っている場合ではないぞ!
 

ああ、邪教人 番外

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 9月 3日(日)13時31分19秒 i114-185-19-59.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用 編集済
  >嫌中嫌韓をはじめ排外主義的な傾向が窺われる……

嫌中嫌韓? 小鼻笑。

オマエの目ん玉は土竜の眼であるのか。

呆哀。好き嫌いの感情で物事の正邪を量るなど、其れこそが稚断の証しとなるではないか。

よいか。嫌支那ではない。其れこそは愚かなる中共政権をして言うのである。
加えて、嫌朝鮮でもない。其れこそは愚かなる南北朝鮮をして言うのである。

呆哀。ったく、其の様な事、現今の両政府を観れば、一目瞭然ではないか。

よいか。オマエの様な、土竜の目ん玉で論する「嫌中嫌韓」こそ、我が国を溶解させる売国の恥言である。

中共の王毅が云く、

「日本はまず自らの心の病を治す必要がある」【3/9  於全人代会見】

ふざけるものではない。

よいか。病んでいるのはオマエら中共政権である!

よいか。人のモノを自分のモノとするは、是れ全く利己貪欲の痴病である、という事を識(し)りなさい。

「日本はまず自らの心の病を治す必要がある」

呆呆哀。大丈夫か? そのアタマ…。


>客観性・公平性を謳う言説の危うさと、その背後に潜むどす黒い意図について、もうしばらく推移を見た上で
>叙述していこうと考えている。

小鼻笑。おいおい、其のセリフ、創価大の宮田とか、元坊主の松岡とかに言ってやりなよ。哀笑。
序(つい)でに、日蓮大聖人を御本仏と仰ぐは、これイワシの頭を信じるに同じ、と侮言した宿坊と、
日蓮大聖人よりもっと凄い人が現れる、と狂言した除名イタチに対して、其の主観に於ける正当性と、
其の主観から発せられた非公平性について、其の正義正論なりを、オマエから問い詰めてみなさい。
さすれば推移などは容易に省(はぶ)かれて、どす黒い客観性と、其のどす黒い公平性が、其れこそ
どす黒い意図と共に炙(あぶ)り出される事であろう。

>松戸氏の凡夫本佛論の考察や西山論文のいかに凡夫が本佛に会通するかの論理構築に苦闘、研究されているかが
>全くわかっていない。そもそも読んで、中身に反論するだけの論理も持ち合わせていない。

呆呆哀。

ヘボ学者による文上読みの理論構築など、我ら富士門の法義からすれば、単なる小手先の稚論に過ぎない。
否、そういう己義我論を以って、日蓮大聖人の御内証を量らんとする談合こそ、驕慢謗法の大愚態である。

>創価学会もとうとう宗門と同じく、上座部仏教制度を取り入れてしまった。御本尊様と会員の間に役職を
>持つものを設け、その者たちに権限を与える。このような制度は池田先生が私たちに教えてくれた、邪宗教の
>定義そのものです。池田先生は、「会長が上、会員が下。そうなったら創価学会も邪教です。」とおっしゃり、
>創価学会のドグマ化を心配していましたが…

哀笑。オマエは何も解っていない。だから何も判らない。

>ついに会憲制定されましたね。
>11月18日には谷川会長誕生ですか?

おお! いよいよか。

しかしな。オマエらは在家教団であるから、カリスマ的リーダーを失ったら、後は弱体化するのみである。
無論、ここでいう弱体とは、数の減少などを云うものではない。果たして其の答え。オマエらに解ろうか。鼻笑。

>池田先生は「お元気」というのが一番のウソですね。
>「一凶」というべきか。ご病状を全学会員に知らせることが最重要かと思います。

其の通り!

本より「お元気」というのが一番のウソであるならば、池田センセーこそが一番の「病人」という事になる。
無論、一番の病人とは「重病人」の事を指して云うものである。

『同志の皆さん! 私は今、病に臥しておりますが、どうか心配しないで下さい』

何て事はない。此の一言が本人からあれば其れで良いのである。しかし、其の生言が本人の口から出て来ない。
果たして其れは何故か。其れこそは口も利けない程の重病だからである。
いや、口は利けても、其の意味が聞き取れない、という状態とも云えよう。
尚、当方の耳に入る噂では、既に池田センセーは萎(しな)びた寝たきり老人のオシメ姿であるという。
まぁ、其れ以上は言うまいて。今更、法義敗軍の御大将のオシメ姿を詰(なじ)った所で、詮無きことである。
とまれ、池田太作の生きながらの謗法現証こそは、応に日蓮大聖人の大魂魄(こんぱく)たる戒壇の大御本尊よりの
法罰である、という事を、オマエらは能く能く識(し)るべきである。

>可能性は低いと思いますが
>聖教新聞・創価新報に騙されてた説もありえますね

可能性低くないよ。鼻笑。

せいきょー、しんぽー、じゆ、ふぇいく、

鼻笑。トランプ大統領ではないが、オマエらみんな出ていけ! の類(たぐい)である。

よいか。悪徳根性の人種であるからこそ、怪文書を発行し、味方を騙し、敵を貶(おとし)めるのである。

保田妙本寺、日護御尊能化に云く、

>2009年5月より給与停止。
>寺院明け渡し。
>各地各所における私への誹謗中傷。
>深夜の嫌がらせ電話。
>自宅玄関へのゴミ投棄、動物の死骸投棄。
>尾行等、

なんだ。今度はお主がやられたのか。哀笑。
どーであるか。凄(すさ)まじいものだろう。
しかし、宗門僧侶は、其れを長年耐えて来たのである。
而して、お主は、そーゆー嫌がらせ、ゴミ投棄、尾行する側に付いたのである。
しかし今度は、される側に回ってしまった。
はて、そーゆー巡り合せを何と言うのか。お主こそは四文字熟語で答えなさい。

しかしなんだ。

大石寺の寂日坊から万年救護御本尊を持ち去り、蓮蔵坊から御影を持ち去り、挙句の果てには質屋に入れて、
其の醜態ぶりを富士門流に轟かせたが、ようやく昭和の代になって改心し、我が興門正統に帰伏したのである。
しかし、郷門の性とも云えようか。其の反骨離反の性根は、否応(いやおう)なしに燃え出して、結句は38年間の
帰順を棒に振って、元の小鞘に納まった、という事である。

まぁ、兎も角、今にも崩れそうな山門をなんとかしなさい。

尚言っておくが、お主ら郷門は富士五山にも入らず、買戻しの万年救護の大本尊は、中興日我からして戒壇の
本尊と為し給はず、以って、富士大石寺を総本山と再仰したるは、これ全く未来戒壇堂の本拠と成らず。
依って、郷門・保田妙本寺は、興門正統の枝流にして本流に非ず。さても其れを見抜けぬとは、日護御尊能化、
未だ池田病に憑りつかれておるのか。

ところで御尊能化。

以下の御信心、今も変わらずに厳守されておられるか。

云く、

『今回、学会が会員の方々に授与するお形木御本尊は、日寛上人が大聖人出世の本懐たる「戒壇の大御本尊」を
お写しされた御本尊である。ゆえに、「大御本尊根本」の信心はいささかも変わらず、当然、これまでの御本尊と
功徳においてなんら違いはない』と。

重ねて云く『「法体の血脈」というとき、その「法体」とは本門戒壇の大御本尊以外には有り得ません』と。

日護御尊能化。

どうですか。

まさか『ウソつき創価』に染められて、其れらはみんなウソでした、とでも言われるか。

御返答によっては、免れ難き大罪となりますぞ。

因みに、保田妙本寺の鎌倉日桜(2009年死去)は、富士大石寺の大御本尊を「他者による後作」と
言っていたようであるが、果たして御尊能化。本門戒壇の大御本尊は偽物と断じた日桜貫首の子息に
仕えるが正しいか。それとも、創価幾百万の会員に宣言した本尊義こそが正しいのか。
今こそ、御尊能化の真っ当な信心こそが試されるのであり、其の振る舞いの正義こそが決定されるのである!

>イスラムはなぜ世界宗教になりえたか
>神の前では、すべての人は平等であるという、イスラムの理念が重んじられたのです。
>それは『コーラン』の精神です。

呆怒。

おいおい! 又言っておるか! 鈴之助よ!

しかし、赤胴武士の名を掲げる者が中東外道を賛美するとは、まさかお主、鵺かキマイラであるのか。

兎も角、お主こそは、イスラム外道の根源を知りなさい。

以下の再掲は後学の為である。よ~く読みなさい。

尚、後半は、お主が投稿している掲示板の管理人(宿坊)の呵責も併せてしておるから、已後、宿坊の掲示板に
投稿する際は、先ず以って管理人に対する破折の材料と致しなさい。

では再掲する。


【外道による破壊行為について】


今回、又しても悍ましいテロ行為がフランスで勃発した。

全く以って痛ましい限りである。

イスラム教過激派…。

以下は、以前、とある法華講員からの投稿に対して、当方が述べたものである。

無論、この再掲は、彼らイスラム外道者等に対する呵責を込めてのものである。

かなり前の内容ではあるが、其の呵責する処(ところ)に於いては、現在も変わる事はない。


>世間では シリアで戦争始まる雰囲気のニュースを流していますが、

そうですね。

どうやらオバマ大統領は、シリアに対しての軍事行動を決断した様でありますね。
あとは、アメリカ議会の動向でありましょうが、もし、議会に於いて反対となれば、国際社会での
アメリカの権威は失墜するでしょう。そして、イスラム社会国家は益々暴走する事でしょう。
本より、アメリカこそが国際警察の役割を持って、北朝鮮や支那などの独裁国家の横暴を抑止し、
イスラム教徒によるテロ行為(無差別殺人)に対しては断固、其の権威(軍事力)を発揮すべきであり、
又、其れこそがアメリカとしての責任なのであります。いや、その責任を誰よりも択んできたのが
アメリカ自身であるとも云えましょう。自発による責任ほど重いものはないのです。

さて、シリアと云えば中東、中東と云えばイスラム教でありますが、御承知の如く、イスラム教には
大別して『スンニ派』と『シーア派』があって、此の二派は、互いに憎しみ合い、時には殺し合って、
其々の正義を主張しております。元々、イスラム教というものは、政治宗教であり、他国に攻め入って
教えを拡大し、そこに住する異教徒を討伐してイスラム国家を樹立するという、所謂『布教戦争』を
聖戦とするものであります。

本より、イスラム教というものは、愛憎を育(はぐく)む宗教であり、預言者ムハマンド(マホメット)が、
国家建設に向けての布教戦争の折、ユダヤ教徒を虐殺し、女子供を奴隷とし、ムハマンドの死後、
其の教え(政治体制)を継承したカリフ(指導者又は代理人)によって維持されましたが、9歳の娘を56歳の
ムハマンドに差し出して、ムハマンドの義父となっていた初代カリフのアブ―は、間もなくして病死し、
同じくムハマンドの義父である二代目のウマルは奴隷の手によって殺され、又、ムハマンドの娘2人と
結婚していた三代目カリフのウスマーンは、次の四代目カリフに就くアリー派によって暗殺され、事実、
次の四代目にはアリー(シーア派初代)が就いたのであります。そして、次の五代目には、血の復讐を叫んで
アリーと対立した、ムアーウィヤ(スンニ派)が就任し、其の息子のヤズィードが、アリーの息子である
フサインを惨殺した事から、スンニ派とシーア派との憎悪による対立が決定的となったのであります。

しかし、スンニ派にしてもシーア派にしても、其の尊崇する神は『アラー』であり、其れに対する信仰の
揺らぎは一切ありません。本より、信仰とはそういうものでありまして、自らが信仰する神を疑い、
又は否定する行為などは、もはや信仰者ではなく、その教団組織からして、応に異端者の其れとなるのであります。

尚、最近では「日蓮大聖人は末法の御本仏ではない」と主張する創価学会員がネット上に増殖しておりますが、
応に是れこそはイスラム教徒が「アラーは神ではない。ムハマンドはイスラームの預言者ではない」と言っている
様なものであり、其れこそ此の様な者らは信仰者でも何でもありません。
小生から言わせれば、単なる異端者であり身中の蝗蟲(いなむし)であります。して、そんな蝗蟲どもが、
我らが尊信する本尊と教義に対して『偽物だ!謗法だ!』と言うのであります。哀笑。応に「漫画」とは
此の事を指して云うのでありましょう。哀。

>キリストの磔十字架を首にぶら下げるキリスト教の教えでは、人は救えません。
>世界中の人があの像を見て、ぞっとする心がないのは、神経マヒしているのでは?
>磔の像見ながら生活して、平和な心がわきますか?

そうですね。我らからすれば教祖や門祖などが磔(はりつけ)された本尊などは拝みたくありませんね。
しかし、十字架はキリスト教徒にとって受難の象徴であり、復活の象徴でもあります。

尚、聖堂内に於いて十字を切る(画く)動作は、主にカトリック教徒であり、プロテスタントなどの分裂諸派などは
十字を切らない、とも言われております。

しかし、三位一体の神を尊信するに変わりはなく、その点、創価学会員による『日蓮大聖人は末法の御本仏ではない』
との主張からすれば、まだまだキリスト教などは「信仰」としての体は為している、という事でありましょう。
果たして、其の事を思えば、短期に於いて本尊や教義を変節する宗教などは、抑もが宗教としての確立が未熟なので
あり、其れこそ、其の『未熟』を以って『謗法』と断下するのが、日蓮大聖人の仏法なのであります。

さても、日蓮大聖人が三大秘法の南無妙法蓮華経を顕示されしより七百有余年、今にして末法の御本仏が、
日蓮大聖人である事を疑い、又は、其の相伝たる法義を恥じて、日向身延派の「釈迦本仏論」に秋波を送る
創価学会員などは、もはや信仰者の風上にも置けない、其れこそ古本を背中に担いだ身中の蝗蟲の姿でありましょう。
まこと反吐(へど)が出るような痴態であります。

>日蓮正宗の信心をすべきです。お寺に来て御受戒を受けるべきです。
>ご本尊様を拝むべきです。大石寺の大御本尊様を拝むべきです。

そうでありますね。

而して大事な事は、其の受けるべき信心、そして拝むべき信心の啓発を、突喊(とっかん)ではなく、
あくまでも「臨機」に応じて行う事であり、例えば火葬場に於いて、別の葬儀者が招いている浄土宗の
僧侶を捕まえて『あんた! 念仏など唱えたら、死んだ人は地獄に行くよ!』などとは言ってはいけないのであり、
又は右翼団体よろしく新宿の駅前に街宣車を繰り出して『創価本尊は偽モノだぁ~!』『池田大作は化け物だぁ~!!』
と叫びながらビラをまき散らかす行為も『臨機に反した突喊』の一部になるのであります。

其れよりも何よりも、昨今では、創価学会員自らが『日蓮大聖人は偽本仏だぁ!!』と叫んでいるのでありますから、
其の相手の『偽信心』に対して、こっちが態々(わざわざ)『偽物だぁ!』と言う必要もない、という事であります。哀。

尚、今回のようなテロ事件が勃発する度に言っているが、世界のイスラム聖職者と名乗る者共は、こういう破壊行為が
勃発した時、何故に黙殺するのであるか! 説教しろよ、説教! たとえ異端者であろうと、アッラー、アクバル!
と叫んでいる以上、オマエらと同じイスラム教徒ではないか! ったく、何を黙っておるのか!
聖戦を叫ぶならば、オマエら聖職者がイスラム国に乗り込んで説教しなさい! 其れこそがオマエらの聖戦である!!

イスラム外道! 全く以って邪教の骨頂である!

【以上、再掲終わり】


>神の前では、すべての人は平等であるという、イスラムの理念が重んじられたのです。
>それは『コーラン』の精神です。

智慧を廻せ、智慧を廻すんだ! なぁ、鈴之助よ。

アッラー、アクバル! それは自爆の宣誓である!

>松戸行雄「凡夫即身成仏論」

哀笑。そんな我見書を読んで何になる。

よいか。そんな愚書を読む閑があるのなら、日寛上人の当体義抄文段こそを心読しなさい。

保田妙本寺・日護御尊能化に云く、

『前人未踏の世界広布を目指す創価学会の信心は、日寛上人の「大聖人直結」「御本尊根本」「広布根本」の信心に
符合しており、私どもは日寛上人の御本尊がまさに時をえて出現されたのだ、とひとしおの感慨を覚えるものであり
ます』と。【御尊能化所属の日蓮正宗改革同盟 決議文】

よいか。オマエらこそは日寛上人の御教示こそを学びなさい。
さすれば、再び、眼の前が開かれる事であろう。

日蓮大聖人に曰く『仏後の外道は仏教をききみて自宗の非を知り、巧みの心出現して仏教を盗み取り、自宗に入れて
邪見もっともふかし。附仏教、学仏法成等これなり』と。爾して曰く『仏法の義を以て偸んで邪典に安(お)き、
高きを押して下(ひく)きに就け、尊きを摧(くだ)いて卑しきに入れ、概して平等ならしむ』と。
仍って曰く『即(すなわ)ち在家の身を以て仏法を破壊す。此の人正教を偸竊(ちゅうせつ)して邪典に助添す』と。

松戸・松岡・宮田・北林…。

加えて、宿坊・イタチ・金ピコの者共…。

此奴(こやつ)らは皆、上記御文に当て嵌まる、邪見巧心の謗法者どもである。

よいか。近づいてはならん。近づいてはならんぞ。

おっと! 気が付けば、番外が長文になってしまったわい。

いや、そうであるからこそ番外とも云うべきか。

まぁ、よいわ。

何れにしても邪教人。

邪教人への呵責はこれからも続く!!
 

ああ、邪教人 其の六十六

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 8月23日(水)18時39分57秒 i114-185-13-13.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  宿坊の掲示板。

相変わらずの混濁掲示板。

何故(なにゆえ)に混濁か。

言うまでもない。

釈迦本仏を唱え、日蓮大聖人が御本仏であると言うのは、イワシの頭と同(おんな)じだ、と侮蔑した
黒カラスの宿坊が運営する掲示板に、正義漢よろしく創価執行部の信心はおかしい、などと文句する
連中が屯(たむろ)する姿。さても此の集態を混濁と言わずして何と言うのか。

とまれ、投稿者からして見て見ぬふりであるならば、他者に文句する資格など初手から無いのであり、
其れが無知から来るのであれば、学会員として今一度、日蓮本仏義を勉強すべきである。

哀笑。しかしなんだ。日蓮大聖人が末法の御仏とは知らぬ学会員など居るのかいな。哀笑。

兎も角も、知っていて管理人の宿坊を呵責しない学会員などは、須らく謗法与同の其れであり、
もし無知にして無頓着なれば、其れこそ、執行部を批判する力量など、初手からして持ち合わせていない
という事になるのである。さても、そんな連中が、仏法の正義を唱えるなどと…。小鼻笑。

よいか。そーゆーのを「漫画」と云うのである。

して、そんな汚濁掲示板の中に在って、宿坊の狂言に無頓着乍(なが)らも、何やら真っ当な事を言っている
御仁が居る。

云く、

>末法の娑婆世界において大法を弘通しているのは創価学会しかない。
>ゆえに戸田先生は、未来の経典に「創価学会仏」と記されるであろうと断言
>されたのである。

>ところが戸田先生はみんな凡夫と指導されてますね。
>そう考えると戸田先生が「創価学会仏」なんて言うわけがないと思います。
>もし戸田先生がおっしゃったとしても、それはお得意の人を笑わせるための
>ユーモアだったと思われます。

>任用試験に”「創価学会仏」とは何か”こんな
>質問があったら、私は何と書いてよいのか
>わかりません。

>日蓮大聖人様の御書に書かれていない「創価学会仏」を信じてしまったら、
>お陀仏にならないようにと祈るばかりです。

うむ。そりゃ、その通りだ。

>誰か”「創価学会仏」とは何か”という質問にこたえてくれる方はいるのでしょうか?
>タイ人の人たちに質問されてもこたえられません???
>やっぱり「創価学会仏」のことは忘れて、今日を
>明るく元気に私は凡夫のままでやっていきます。

そーか、そーかがっかいぶつ、が解らんのか。そーか、そーか…。(うむ、是れこそは完璧な洒落であるぞ…)

猶(なお)言っておくが、釈迦本仏主義の宿坊などに訊いてはならんぞ。
加えて、宿坊と組んでいるイタチに訊いてもならん。
此奴(こやつ)らは、皆、日蓮大聖人を見下している連中である。

従って、当方が答えてしんぜよう。

果たして「創価学会仏」とは何ぞや。

御義口伝に云く『無作の三身当体蓮華仏とは日蓮が弟子檀那等なり。南無妙法蓮華経の宝号を持ち奉る故なり』と。

さても、日蓮大聖人、我ら弟子檀那をして無作三身当体蓮華の仏である、という。
されば、其れらの仏たちが集う創価学会をして「創価学会仏」と名乗るは、これ全く正義に適う。

と、タンコブ原田(今はタンコブ無し)が自慢げに言う。「だから創価学会仏なのだ」と。

呆呆哀。

違うだろー、違うだろー。

間抜けた事を言うものではない。

本より「間抜け」とは片手落ちの事を指していう。

よいか。片手しかないものを両手と申すは、これ虚言となる。
ましてや、其の片手が腐っているとなれば、其れこそは誑言となる。

タンコブ原田よ、しっかりと聞きなさい。

「創価学会仏」というのは、総じての総であり、其の義を仏性からして言うならば、大誓堂も「大誓堂仏」となり、
信濃町も「信濃町仏」となり、其処(そこ)に咲いている草花も「草花仏」となるのである。(これは洒落でないぞ)

して、其れを「南無妙法蓮華経の宝号の奉持」つまり、御本尊の受持を以って「創価学会仏」と名乗るならば、
其れこそは総別の二義に於いて「総体の義」であると此に宣言しなければならない。

よいかタンコブよ。

オマエら現創価学会は、今に於いては法華大乗の一大秘法にさえ迷う無智集団に成り下がっているのである。
そんな無智無学な集団が、声高らかに「創価学会仏だ!」などと申したら、其れこそ皆が皆、彼の雪中筋肉老人の
様になってしまうではないか。

「貴方は仏様ですか?」

「そーです。私が仏様です」

「その仏様が集まっているのが創価学会仏なんです」

呆哀哀。

莫迦言ってんじゃないよ、オマエ。

よいか。其の様に総義を以って主体と為すは、これ全く迷蒙小義の愚態である、という事を此に識るべきである。

日蓮大聖人が曰く『総別の二義少しも相そむけば成仏思ひもよらず。輪廻生死のもとゐたらん』と。

されば、創価宣言の「創価学会仏」とは、応に六道輪廻にして不成仏の合言葉になるは、これ必定と成るではないか!

反論あるなら申してみよ!


>戸田先生はみんな凡夫と指導されてますね。
>そう考えると戸田先生が「創価学会仏」なんて言うわけがないと思います。

先ずは宜しい。

果たして貴殿が創価学会員であるならば、其の正義に於いて首の皮一枚残っている状況である。

恩師に云く『自分自身が本尊であり、お題目を唱えるものは等しく地涌の菩薩であって、日蓮大聖人とも
変わりがないと考えることは、重大な増上慢の極みであり、大謗法である』と。【戸田城聖全集 第3巻65頁】

貴殿こそは、上記の指導を心肝に染めて、現創価の狂義狂学を内から責めて往きなさい。

よろしいか。恩師は、地涌の菩薩の名乗りさえ、総別の二義に於いて誡められているのである。
其れを「我らこそが仏の集団である」などと…。呆呆。

もしや貴殿が、其の事について領解しているのであれば、愈々(いよいよ)結構な事である。

されば其の正義を以って、先ずは貴殿が投稿している掲示板の管理人を叱りなさい!
本より其の管理人とは『宿坊』という痴れ者である。先ずは此の者を叱りなさい!!

さすれば、貴殿の言動こそが一致と相成る。



さて観るに、こんなものが目に入って来た。

>民衆を服従させ、精神的にも政治的にも自信を失わせ、無気力にさせようとする支配勢力にとって、
>日蓮とムハンマドの教えは、これからも"脅威"であり続ける、と私は確信しています。

果たして是れは誰のセリフか。

もし是れが、池田太作のセリフであるならば、全くの莫迦であり、もし会員であるならば究極の阿呆である。

呆哀哀。ムハンマドの教えが、支配勢力にとって脅威になるだと?

オマエら、大丈夫か? その頭。

この投稿者、オマエ! 宿坊(黒カラス)の掲示板に投稿しているオマエ! 赤胴鈴之助、とか云うオマエ。
オマエ、こっちに来なさい! さすれば、当室に於いて大説教してやろう。

ったく、今の創価学会員は、此の者の様に劣化しておるのか。もう滅茶苦茶であるよな。呆哀。
やはり、本尊教義が滅裂になると、信者会員も脳が分裂して莫迦になるのであろうか。

さもありなん。さもありなん。

兎も角、オマエ、こっちに来なさい!

今日も今日とて邪教人。

邪教人への呵責はこれからも続く! 
 

莫迦に付ける薬

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 8月21日(月)15時06分47秒 i114-185-13-13.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  さて、過日のテレビニュースでは、と或る新興宗教の聖地などを紹介していたが、本日は違う。

真面(まとも)なニュースを改めて紹介しよう。

云く、

「重力波」の直接観測が此に成功したという。

おお! 其れは凄い!

其れこそは画期的な事である。

本より、超極少な時空(時間と空間)の歪みを直接に観測出来たという事は、天文学の発展にとっても大なる
成果となるだろう。

其れを思えば、如何にアインシュタインの理論が精密であったか、という事が、此に於いて(改めて)了知できる
のである。

しかし、其れらの理論と証明は、天文学も含めて、須らく仏法義の一端を示すものに他ならない。

例えば『過去・現在・未来を区別するのは幻想に過ぎない』とは、アインシュタインの言葉ではあるが、
仏法義に於いては『過去と未来と現在とは三つなりと雖(いえど)も、一念の心中の理なれば無分別なり』として、
応に時空と人間、時空と一念という、より深い定義を以って、其れを示しているのである。

本より、時間というものは、人其々に於いて同速ではない。つまりは、独自の時間、独自の時間軸というものが
あって、其々に於いて動いているのである。果たして、これもアインシュタインの理論ではなかったか。

無論、仏法義に於いて、其々の境涯により、時間の長短が現れるなどは、アインシュタインが生まれる以前から
示されている。其れに依れば、天界に於いては1時間が0.19秒となる。

又、時間とは瞬間の連続、とも云うが、これとて仏法義からすれば、初学の範疇となる。
本より、瞬間(時間)の連続に於いては、必ずそこには因果が生じ、しかも其れは須らく倶時である。

尚、我が宗門に於いては、此の因果倶時の当體を仏として開く、所謂『本因仏法』を旨としておるから、
此の大義を領解出来ない内は、久遠元初の深意などは、到底理解出来ない、という事になる。

果たして、検証出来得ないものは科学ではない、とはよく言われるが、其れこそが科学の限界であり、
其れこそ、ビックバンより100兆年も前の宇宙など、到底知り得ないものとなる。

尚、仏法義に於いては、仏が百千万億那由陀阿僧祇の国に於いても衆生を教化する、という深義があるが、
是れこそは、天文学の先を行く、応に此の宇宙法界の実体を如実に表したものと領解出来よう。
して、是れこそは仏に於ける分身散体の極理である、という事を見逃してはならない。

爾して、我々の身体を構成する元素は、須らく宇宙そのものの元素であるから、此の広大な宇宙に於いて、
其れこそ、人間と同じ生体が存在するなどは、至極当然とも言えるのである。しかも、其れらの星々には、
其々の国が在り、しかも、そこには知的生命体としての哲学や宗教が存在するともいう。
無論、これとて、天文学等の分野に於いて、仮説として示されているものである。

又、宇宙法界に於いては、1mも100億光年も、仏法義からすれば同時・同距離の範疇となる。
仍って、我らの一念は、此の宇宙法界に遍満し、其の波動は瞬時に亘るのである。

曰く『四方四惟上下合して十方なり、即ち十界なり。十界の衆生共に三毒の光之有り。(中略)
今日蓮等の類(たぐい)南無妙法蓮華経と唱へ奉るは十界同時に光指すなり』と。【新編 1753】

本より、これら一念の波動は、あらゆる障害物をも突き通し、天地をも突き抜けるのである。
つまり、其の一念に於いては、距離や時間などは影響しない、という事になるのである。
つまり、ブラジルに居る娘が、日本に住む母親の健康を祈るに、何分経ったら其の祈りが届くとか、
そういう次元のものではない、という事である。無論、此の定理は、宇宙間に於いても同じである。

しかし、時間というものは、まこと不思議なものである。
果たして、時間とは一体何であるのか。
実に、その答えこそが、仏法義には在るのである。

まぁ、ややこしい話はこれくらいにして、昨今の新興宗教の話に戻そうか。

何と観れば、

>ここだけの話、昨年先生が海外のメンバーを直接激励してたの知ってる。
>先生だいぶ痩せられたけどご健在だ。

などと胸を張っている御仁が居った。

いやはや、それは凄い情報であるよな。

では、此に質問しよう。

その健在なるセンセーが、なんで何も喋(しゃべ)らんのだ。

おかしいではないか。まさか、舌ガンと成って、舌を抜かれてしまったのか。だから喋れないのか。

よいか。首魁の沈黙は有らぬ疑いを招く。又、其の事態に甘んじるは、指導者としての責任放棄とも成る。

ったく、密附相伝ではあるまいに、健康ならば健康、舌ガンならば舌ガン、植物なら植物と、はっきり本人が
其の状態を宣告すればよいのである! そーであろうが! (おっと、植物となれば其れも出来んか…哀)

今一度問おう。

健在なる池田センセーが、なんで何も喋らんのだ。
何故、公けの場に出て来んのだ。
其の事を是非、教えて貰いたい。

何?

>2017 8.14
>池田先生ご夫妻が創価文化センターへ 創価学園創立50周年記念展示を見学
>創価学園創立者の池田大作先生と香峯子夫人は13日午前、東京・新宿区の
>創価文化センターを訪れ、学園創立50周年の記念展示「君よ使命の大空へ」を丹念に見学した。
>ご夫妻は、四季折々の学園生との交流を振り返りつつ、勉学、クラブ活動に鍛えの夏を送る生徒・
>児童の奮闘をたたえ、学園の一層の発展を念願した。

だと?

何だ。池田センセーは元気であったのか。

さても、文武両道に励む生徒児童の健闘を称え、学園の発展を念願したとは、いやはや何とも勇ましい。

よろしい。

ならば太作よ。何故に創価教義の変更に於いて、自らが其の陣頭に立ち、教義混乱による幹部違背の騒動を
未然に抑止しなかったのか。果たして身体健全にして其れらの事態を見過ごすは、これ全く無放任無責任の
恥態ではないか! 太作よ! お主の罪は重大であるぞ!

夫人? 何が夫人かっ! 夫人が何なのだ!!

ったく、宗教団体の行事に於いて、教団教祖の夫人がのこのこ出で来る事自体、そこら辺に転がっている
新興宗教の腐臭と全く同じである! 少しは恥を識(し)りなさい!

>日亨上人の文章をねじ曲げて、ありもしない似非信者だと批判した文章だと主張する人はいったい
>何なのだろう。

何なのだろう??

阿呆! 其りゃ、オマエら事だよ!

曲解、切文、誇張、虚偽。

まさにフェイクの真骨頂。

ほら、そこのオマエ。懲りずにフェイクをベタ貼りしているオマエの事だよ。

鼻笑。しかしなんだ。自分の事を謗法呼ばわりしている文書を、好んで貼り付ける神経とは、
一体いかなる神経であるのか。まさか、其の貼り付けている行為自体がフェイクだと言うのか。哀笑。

よいか。そーゆーのを頭破作七分と云うのである。呆哀哀。

>あんなボンクラ宗門に、『権威の衣』など存在しない!
>それはだらしない、能無しの弟子たちが、臆病風に吹かれた末に見た幻だ!

哀笑。そーじゃねーだろ。『あの衣は権威だー! 権力だぁー!』とは池田センセーの口癖だよ!
はてさて、オマエの言い分からすれば、能無しの池田センセーこそが臆病風に吹かれていた、という事
かいな。呆哀笑。

因みにボンクラはオマエたちの方であるから、今後、言い間違いのない様に。よろしいか。

>私たちの胸に深く刻まれゆく岐阜の天地は、第三代であられ、一閻浮提の座主であられる日目上人の
>〝殉教″の栄光の大地である。(新・人間革命 249)

哀笑。第三代の一閻浮提の座主・日目上人、ってオイ!
第三代とは何だ。一体何処(どこ)ぞの第三代なのだ。
加えて「一閻浮提の座主」とは、一体何処(どこ)から引っ張り出して来たものか。
なんだ。まさか、この新人間革命も、2、3年後に書き換えられる運命であるのか。小鼻笑。

ったく、節操の無い奴らめ!
だからこそ言う。オマエらこそが頭破作七分の持ち主であると!(何度も言わせるな!)

そー言えば、元住職の花道や、創価大のスゲ博や、元創価のイタチらが集合して、日蓮大聖人の仏法を
屁理屈よろしく分析している様であるが、元より「信」無き者らが「学」に偏執するは、是れ全く無知行の
其れである、という事を此に識(し)るべきである。

爾して曰く『教の浅深をしらざれば理の浅深弁(わきま)ふものなし』と。
仍って曰く『仏教を学すと雖(いえど)も還って外見に同ず』と。

哀笑。

さても、盲眼が如くなるお主ら当世の学者等、如何にして正理を感得して浅深を弁ふべしや。
されば、はかなし者とは、オマエらの様な不信心にして仏法を学問する者をして云ふものか。

そんな墓莫い宿坊が云く、

「鰯(イワシ)の頭も信心なので、日蓮聖人が末法の御本仏というのは、所詮、信仰上の話です」
つまりは「(そんなウソでも)その宗派内、会内で納得されていることならばOKなのです』と。

哀哀。

池田センセーは、日蓮大聖人の事を末法の御本仏と言ってるよ。

ったく、オマエは鵺か!

先ずはよい。

オマエらこそは、身延の九識霊断法を説明致せ。

よいか。

宗門教義の屁理屈などは、其れからの事である!
 

紫光殿へ

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 8月15日(火)14時53分17秒 i114-185-13-13.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  もし今、当室をご覧になっておるのなら、しっかりと目を覚ましなさい。

御前で切腹とは何ですか!
冥土の土産とは何ですか!

其の様な事でどうしましょう!

其の様な心持では、初手からして意見も修正も無いではありませんか。

御気をしっかりと持ちなさい!

要らぬ小事に執着して自ら命を絶つなどは大謗法であります!

紫光殿。よろしいですか?

同志の異義謗法を咎める事は、宗義からして当然の事であり、是れを以って同志誹謗と捉えるは、
これ全く筋違いの信心姿勢と云えましょう。

紫光殿。当方は貴方を責めているのではありません。

当方は当方なりの意見をして述べているのであります。

>私は管理人さまとは争うつもりはございませんし、はたまた、当該サイトの筆者に対して、意義を述べる
>立場にはありません。それは越権行為となる可能性があります。

これは論争でもありませんし、越権行為でもありません。

同志の己義私想を咎めて其れを正す。是れの何処(どこ)が論争ですか。
他支部の同志であろうとも、目の前で過ちがあれば、其れを正すが同志としての責務でしょう。
初手から何でも指導教師、何が何でも御住職。其の様な主体性の無い信心では、凡(およ)そ確信ある折伏など
出来よう筈もありません。

同志に謗法あれば、先ずは同志として教訓し、それでも言う事を聞かないのであれば、指導教師に御指南を仰ぐ。
実(げ)に是れこそが、日有上人の御教訓であります。

紫光殿。よろしいでしょうか。

管理人に対する意見を僭越だとか、講員に対する意見を同志誹謗の重罪だとか、其の様な事は無いのであります。

したがって『自らの命をもって己の愚かさを償いたいと覚悟』する事も『冥土の土産として大事』にする事も、
『どうか我が命に免じて、お納めくださいまし』という事も、全く必要無いのであります。

紫光殿。観て居られますか?

まさか、冥界からではありますまい!

どうか、御気をしっかり持って、信心修行に励んで下さい。

全ては現当二世であり、此の根義こそは、本門戒壇の大御本尊のお認(したた)めにして、其の御写したる我らが
御本尊にお示しの聖義であります。

さても『かくなる上は、ご本尊様に懺悔申し上げ』と言うのであれば、今こそ向かって御本尊の御右肩を拝しなさい。
そして、一信徒が一信徒との意見相違を以って自害する、などという、其の様な料簡こそを悔悟し、今こそ御本尊に
示さる現当二世の信心を以って、勇躍、前進して往こうではありませんか!

返信あらば、一言でも構いません。

紫光殿の御一言。

当方はいつでも待っております。
 

Re: 紫光殿へ

 投稿者:紫光  投稿日:2017年 8月14日(月)20時51分38秒 mo49-111-204-135.air.mopera.net
返信・引用
  > No.47551[元記事へ]

管理人さんへのお返事です。

 管理人さま、では、お世話になりました。
 これより、正装にて旅に参ります。どうか我が命に免じて、お納めくださいまし。
 

Re: 紫光殿へ

 投稿者:紫光  投稿日:2017年 8月14日(月)19時13分12秒 mo49-111-204-135.air.mopera.net
返信・引用
  > No.47551[元記事へ]

管理人さんへのお返事です。

こんばんは、管理人さま。
 ご多忙のところ、丁重なるご返信痛み入ります。
さて、私が「某講員さんのページ」と述べましたのは、過日の管理人さまの書き込みかと存じますが、そこの記述における内容から、おそらく当該サイトであろうと私なりに推測したものであります。
 私へのご返信から拝察しますに、直接名指しはしておられないものの、そのホームページの内容についてふれられたものであることは、間違いないものと存じております。
 私は管理人さまとは争うつもりはございませんし、はたまた、当該サイトの筆者に対して、意義を述べる立場にはありません。それは越権行為となる可能性があります。
 所属支部が同一ではないと思われるからであります。手続きの師匠が異なりますゆえ、私が所属寺院のご僧侶を超えて、勝手に他支部の講員さんの信仰に口を挟むことは、控えるのが無難と拝しております。
 ですので、管理人さまからいただきました書き込みに対しましても、具体的にふれていたずらに時間を費やすことは、双方のためにはならないと感じますので、差し控えたいと存じます。
 私の信仰の姿勢に誤りがあった。ということであります。管理人さまの信仰の正しさ、それは不動の者であり、絶対のものである。私ごとき者がそれに意見するはまさに僭越かつ、同士誹謗に値する重罪である。
 それにつきましては心よりお詫び申し上げます。
 本来ならば管理人さまに直接お会いし、御前で切腹いたして、己の誤りを償わなければならぬところ、まことにご容赦ください。
 しかしながら、当該サイトの筆者と論争することも控えたいと存じますので、かくなる上は、ご本尊様に懺悔申し上げ、自らの命をもって己の愚かさを償いたいと覚悟する所存であります。
 今生の引き際に、管理人さまのような、正しき信仰をどこまでも貫かれる、ご立派な先輩と巡り会えましたこと、光栄の極みであり、過分な叱咤のお言葉まで賜りましたこと、冥土の土産として、大事にさせていただきます。
 ここの掲示板、ならびに管理人さま、そしてここにつどうすべての方々、国内外の日蓮正宗僧俗に栄光と幸あれ。
敬礼
 

紫光殿へ

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 8月14日(月)14時28分9秒 i114-185-13-13.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  御投稿ありがとうございます。

又「東北在住の法華講員」との御親告、此(ここ)に承りました。

尚、当室は、管理人による「確認後掲載」となっておりますので、投稿文が即時に掲載されません。
投稿文は、あくまでも、管理人が掲載を確認した後となりますので、予(あらかじ)め御了承下さい。

さて、投稿内容、全て拝読させて頂きました。

紫光殿の御意見。

法界に於ける不思議な実体験について、其れは個々によって受け方が違うのであり、其れが仮令(たとえ)、
理解しがたい事であろうとも、其れらの実体験について批判し否定する事は、我らの様な凡夫からして、
其れは不知の判断ではないか。又、其れら実体験を経験した法華講員同志を、多数面前にて批判するは、
これ全く異體同心の精神に反するものではないか。してもし、法華講員同志に謗法あらば、一人静かに
御本尊に向かい、其れら同志の信心倍増を祈るべきではないか。

云く、

>我々はみな凡夫であり、完璧ではないわけでありますから、いろいろな見解があるのは決しておかしな
>ことでも、異常なことでもないと拝します。
>それがたとえほかの人には理解しがたいこと、信じられないことでも、その講員さんにとっては実際に
>体験したことに違いはないものと考えます。
>80万の講員がいれば、そこには80万の体験があり、生涯があり、みな異体同心すべき同士であると思います。

云く、

>もしその講員さんが、本当に謗法を冒していて、その現証としてそうした体験が現れたり、信心のどこかに
>間違いがあり、その結果としてそうした体験をされたとしても、私たち周りの者が、多くの人の前でその方の
>ことを批判したり、謗法者と指摘したならば、異体同心はどこに向かうのでありましょうか。

と。


紫光殿。

先ずは申しましょう。

当方は過日の投稿に於いて「某講員さんのホームページについて」などと限定した事はなく
ましてや「その法華講員さんが」などと言った事もありません。

それは何故でしょうか。

実に其の答えこそ、紫光殿が述べられている処(ところ)であります。

しかし、紫光殿は、当方の配慮を観ておきながら、御自ら「某講員のホームページについて話題が出ている」
などと申すは、これ全く「みなの前でだめだしされては、その方の立場、メンツも丸つぶれ」という御自身の
物言いに反する事になるのではないでしょうか。

尚、当方に於いて、臨死体験や幽体離脱などの現象について、其れを否定した事などは一切なく、其れこそは
依正色心に於ける宇宙法界の一現像として領解するものであります。

但、当方が申しておるのは、宗団教団に身を置く信仰者として、其の持する所の本尊、持する所の教理について
尊仰し修得すべきが、真っ当な信仰者としての姿ではないか、という事であります。

されば、法華講員が、法界に冥伏する生命をして「霊界の命」といい、其の冥伏せし生命の十界十如是をして
「霊格」といい、延いては十界互具を十界勧請、日蓮大聖人をして御祖師様、などと表現するは、これ全く
異字異義の類となるのであり、それを承知で使用するは、これ全く摧尊入卑の謗りを受けるものではないか、
という事であります。

改めて申しますが、異質なる表現は、在らぬ誤謬を招き、遂には異義と成って、仏法の義理に乖(そむ)いて
往くのであります。

したがって、個人的体験であろうとも、その体験なりを説明するに於いては、しっかりと教義に基づいた
表記表現を行い、決して間違った解釈を与えない、という事が、法華講員に限らず、宗団組織に所属する
信仰者としての責務ではないでしょうか。

本より、教義に於て表現はそうであろうとも、私は其の様に言いません。では、応に違背の義となりましょう。

果たして『それぞれの人』が『それぞれの考え』を基に『それぞれの解釈』を行って教義を論ずれば、
最早それは教義には非ず。実(げ)に其れこそは『己義』と成って、講員のみならず、今から入信しよう
とする者までも惑わす事と相成るのであります。

改めて申しますが【霊界】はダメです。
其れこそは【冥界】【幽界】【冥府】と表記すべきでしょう。
尚、冥界も冥府も、御隠尊猊下が御使用された表現であります。

紫光殿。

どうでありましょうか。

当方の申し様に間違いがありますか。

もしあれば御指摘願いたい。

してもし、問題なしというのであれば、紫光殿が指定された『某法華講員のホームページ』に向けて、
其の表現解釈の誤謬なりを、其れこそ法華講員として論じるべきではないでしょうか。

当方はその様に思うものであります。
 

つづき

 投稿者:紫光  投稿日:2017年 8月13日(日)23時50分23秒 mo49-111-204-135.air.mopera.net
返信・引用
   はたから見て「これは信じがたい」「信心に照らしておかしい」と思ったとしても、私たち凡夫は仏様ではないのですから、知り得ることなど砂丘の砂粒一つか二つあるかないかというレベルのものかと存じます。
 私たちがわからないこと、未知のことのほうが、はるかに多いのではと感じております。
 では、とある講員さんの体験なされたことがもしにわかに信じがたいとして、私たちに「それは絶対あるわけがない。その人がおかしいのだ」と否定したり、批判する確実な証明は、誰にも完璧にはできないのではないかと個人的には感じます。
 もしその講員さんが、本当に謗法を冒していて、その現証としてそうした体験が現れたり、信心のどこかに間違いがあり、その結果としてそうした体験をされたとしても、私たち周りの者が、多くの人の前でその方のことを批判したり、謗法者と指摘したならば、異体同心はどこに向かうのでありましょうか。
 また、私たちは仲間や先達を信じることができなくて、どうして世の中を幸せにし、広布へと歩めるのでしょうか。
 だめだしを出すことは簡単ですが、そこで歓喜やモチベションは上がるでしょうか。そこから生まれるものはあるでしょうか。
 もしそうしたことでその講員さんの信心、妙法を護持されている同士としての尊厳を傷つけたとすれば、互いにとってなにも生まれませんし、それはまことに不幸なことであると拝します。
 もし「あの人は謗法を冒しているのではないか」「この講員さんは信心がおかしいのではないか」と感じることがあれば、静かに御宝前に向かい奉り「あの方の信心が正しい方向に向きますように」と祈る、それでよいのではないかと、私ごときは思うのであります。
 みなの前でだめだしされては、その方の立場、メンツも丸つぶれになり、その師匠たる御尊師様のお立場もなくなるでありましょう。
 あえて何も申さず、ただひたすらその人のために唱題申し上げることが、一番の方法ではないかと、信心まだ至らない私なりに感じている次第であります。
 それぞれ人でありますから、様々な考え、意見もおありかとは存じますが、お互い妙法を護持させていただく身、これからも手を取り合い、信じ合い、尊敬しあって、まさに不軽菩薩の精神で日々を修行できれば、これほどありがたく、幸甚なことはございません。
 修行途中の身の上、ともに励まし合い、認め合い、尊重しあうことこそ、異体同心と私は思うのですが、先輩のみなさま、いかがですか?
 今打つべきは邪宗、身内ではないはずにござります。外折伏、内摂受という言葉もあるようにうかがったこともございますゆえ。
 

こんばんは

 投稿者:紫光  投稿日:2017年 8月13日(日)23時46分10秒 mo49-111-204-135.air.mopera.net
返信・引用
   こちらにははじめておうかがいいたします。
 法華講員です。東北在住です。
 さて、某講員さんのホームページについて、少々話題が出ているようなので、個人的所感だけ書かせていただければ幸甚です。ご無礼ご容赦くださりませ。
 まー、確かに種々ご意見をお持ちの方はおられることと存じます。信じる方、信じない方、まったくなんのことかと不思議に思う方。
 それは、我々はみな凡夫であり、完璧ではないわけでありますから、いろいろな見解があるのは決しておかしなことでも、異常なことでもないと拝します。
 しかしながら、私たちにはそれぞれ、みなその人が持っている体験というものがあるのも事実です。
 それがたとえほかの人には理解しがたいこと、信じられないことでも、その講員さんにとっては実際に体験したことに違いはないものと考えます。
 80万の講員がいれば、そこには80万の体験があり、生涯があり、みな異体同心すべき同士であると思います。
 すでに旅立たれた先達も同じで、先達の方々の数だけ、生涯があり、体験は存在すると私は思う者であります。むろん、ここに集う講員諸先輩、そして私ごとき者にも、それは実際にあるのであります。
 

愚人殿

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 8月12日(土)13時42分48秒 i114-185-13-13.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  早速の御投稿、此に承りましょう

尚、御貴殿に対して「気が向くのであれば御投稿願いたい」と申し述べたのは、別件に対するもの、
つまり、御貴殿が云う『日蓮について思ったこと』が何故に「日蓮正宗」に向かうのか。
そして、其の趣向は、如何なる「不信仰」から来ているのか、という事であります。

又、当室に於いては、巻頭文のとおり、投稿者自身の立ち位置、つまりは、所属する宗派教団を親告し、
其の上に立った教義本尊の正義を顕揚する、という事であります。本より、何処(どこ)の宗派教団にも
属さない、全くの無信仰者からの投稿は受け付けておりません。

御貴殿は自らをして「不信仰」と申された。されど其れは「無信仰」ではない。言うまでもないが、
「不信」と「無信」とでは、其の意からして大違いである。

さても、死後の生命に対する(法華講員としての)表現について、其れが日蓮大聖人の御教示に適っているのか、
いないのか、この私が調べましょう、などと、裁判官よろしく述べられている様ではあるが、其れとて、
自身の大義、自身の信条が在って初めて、其の目的なりが果たせるのではないか。

とまれ、御貴殿の「調査結果」を待つとするが、客観的な理屈のみでは、事の観心には迫れない、という事を
先ずは識るべきであろうと思う。
 

大月天氏

 投稿者:愚人  投稿日:2017年 8月12日(土)10時16分59秒 softbank126094249159.bbtec.net
返信・引用
   気になったことがあったので、お言葉に甘えて投稿させて頂きます。大月天氏は、かつて当板に、


別在の十界  投稿者:管理人
投稿日:2013年 4月28日(日)14時30分51秒 i60-34-120-234.s42.a014.ap.plala.or.jp   通報 返信・引用
御隠尊猊下に曰く『「悪鬼」というのは幽界の命とも言えます。目に見えるものしか信じない人も
多いけれども、世の中の存在には、目に見えない種々の界があるのです。すなわち別在の十界を信ず
べきであり、そこには地獄界も餓鬼界もあり、悪霊も存するのです。例えば、通力のある人は、山の
中の稲荷の後などを歩くと、そこに長い間住んでいた狐の魂などを感ずることがあるのです』

                         (平成15年度 第1回法華講夏期講習会)


と投稿されています。気になりまして今朝方に、編集:大白法編集室 発行:日蓮正宗法華講連合会 『御法主日顕上人猊下御講義集 立正安国論』を調べてみたしたら、59ページに該当する大石寺先代住職のである阿部日顕上人の教示がありました。そこには大月天氏が引用された文の後に、


 この種々の実例はあえて述べませんが、幽界というものはあるのです。幽界の中には、様々な悪鬼・悪魔もいるわけで、そういう悪鬼・外道が来たって災いを起こし、難を起こすのであると仰せであります。


と教示されています。日顕上人は「冥界」ではなく「幽界」との言葉を使用されているのですから、日蓮正宗法華講員の方々は、「冥界」との言葉に囚われずに、世界悉壇の上から「幽界」という言葉を使用しても良いと思います。なお、色々調べましたが日蓮正宗に於いて「霊界」との言葉の使用例は確認できませんでした。


 ちょっと興味を持ったので、日蓮正宗の「死後の生命は宇宙に冥伏するは」、日蓮聖人の教示に敵っているのかを調べ、投稿させて頂きます。

 
 

冥界の深義

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 8月10日(木)20時53分1秒 i114-185-13-13.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  今や夏も後半戦。

連日の猛暑にはうんざりであるが、ここは怪談話でゾクッと小寒くなって貰いましょう、とは
応に納涼の決まり文句ではあるが、これらの怪談話、つまりは幽霊話であるが、果たして
本当にあるのであろうか。

無論、我々は創価などの新興宗教と違って、真っ当正真な仏教徒であるから、本より幽霊ついては、
其の「存在なり」を法義の上からして領解するものである。

凡(およ)そ、此の世は此の世のみであって、あの世などは決して無く、其の様な世界、つまりは死後の
世界などは有り得ない。だから、葬式も塔婆供養も単なる気休めでありセレモニーであり、御冥福
(冥界での幸福)などと云う言葉も、実際には存在しない冥界(死後の世界)を祈らんとする虚語でしかない、
との言い様は、曾(かつ)て当室に出入りしていた創価外道の狂信者のものであったが、勿論、其れこそが
間違いであり、厳然と「冥界」は、此の宇宙法界の中に存在するのである。だからこそ、我々は其れら冥界に
於ける精霊、つまり此の宇宙法界に冥伏している生命に対して、日々追善し供養するのである。
重ねて云うが、創価信者が言う様な、精霊とは今生きている我々の事を指している、などという狂言は、
最早、仏教徒の其れではなく、其れこそは新興外道の創価らしい断見の世迷言であると、此(ここ)に改めて
呵責するものである。

御義口伝に曰く『法界とは広きに非ず狭きに非ず。総じて法とは諸法なり、界とは境界なり。地獄界乃至
仏界共に界(さかい)を法(のっと)る』と云云。
続けて曰く『仍って法界が法界を礼拝するなり。自他不二の礼拝なり』と。
爾して曰く『即身の二字は色法、成仏の二字は心法、死人の色心を変じて無始の妙境妙智と成す。是則ち
即身成仏なり』と。
仍って申さく『今日蓮等の類(たぐい)精霊を訪(とむら)ふ時、法華経を読誦し、南無妙法蓮華経と唱へ奉る時、
題目の光無間に至って即身成仏せしむ。廻向の文此れより事起こるなり』と。

つまり、我々現世の生命と、冥界に伏している死後の生命(精霊)は、此の宇宙法界に於いて不二であり、
其の相関は、あらゆる境涯(十界十如是)に於いて断絶されないのである。

何時ぞや、当室でも紹介したが、彼の東日本大震災で犠牲になられた方の亡霊(幽霊)が、驟(しばしば)
被災地に現われて、其れら幽霊を乗せたタクシーの乗務員の複数体験や、仮設住宅に住む婦人の体験など、
其れらの幽霊体験は、東北三県(岩手・宮城・福島)などで延べ300件以上にもなるという。
尚、此等の事は、或る女子大生の卒論に紹介され、NHKに於いても特集が組まれたのである。
                    ⇒【NHKスペシャル 「亡き人との再会~被災地 三度目の夏に~」】参照

本より、十界十如是は、有情非情に亘るのであるから、其れら非情の生命が、其々の相関に於いて感応し、
実際の現像として現われても、決して不思議な事ではない。つまり、其の事を突き詰めれば、此の法界には
幽霊も居れば悪霊も居る、という事である。尚言っておくが、目に見えないモノは信じない、という御仁は、
当方からして全くの莫迦であるから、そういう知恵足らずの者は、当室から速やかに退室した方がよかろう。

さても仏法の根義というものは、自分自身と森羅万象を分別せず、其れら全体を一として領解する、つまり、
無分別知を以って開悟するものであるから、学者等が喚(わめ)く断常の二見などは須らく其れら範疇内の小義と
心得るべきである。

日蓮大聖人が曰く『理の顕本は死にて有情をつかさどる。事の顕本は生にして非情をつかさどる』と云云。

つまり、理の顕本とは、常住としての仏性を説くものであり、事の顕本とは、仏身としての常住を説くもの
である。なれば、其の理事究極の御尊体こそ、非情の態相に刻印された日蓮大聖人の御仏性。つまりは
「南無妙法蓮華経 日蓮」たる曼荼羅御本尊の事であり、其の人法体一たる曼荼羅御本尊の御顕発こそが、
応に日蓮大聖人の御本懐だったのである。

従って今更言うまでもない。曼荼羅御本尊こそ日蓮大聖人の御尊体であり、日蓮大聖人の御魂魄なのである。
して観るに、曼荼羅御本尊は紙幅であり、又、御板でもある。したがって其の態相は非情である。
しかし、其の非情なる御本尊に帰命すれば、我ら有情の命に其の仏法力が感応するのである。
応に此の原理こそ、自他不二の礼拝の其れであり、実(げ)に曼荼羅御本尊こそが生死不二の御尊体であると開悟
すべきが、我らにして正しい仏法道と成るのである。さてもさても、大聖人御魂魄の曼荼羅御本尊。
果たして、是れ程の不可思議境が他にあろうか。果たして、これら最高なる御尊体を日々眼の当たりにし、其の
無量なる宝珠を有情の身にして獲得するを了するならば、其れこそ現世に於ける財物金銭の獲得や、名誉権力の
獲得など、是れ全く小利益の類(たぐい)と成るのであり、其れら小利益を以て一々歓喜している様では、まだまだ
其の命に於いて大法の妙義を体得していない証拠ともなるのである。

爾して昨今、幽体離脱等の神秘的な体験を以って、妙法の大義を論じようとする志向も見られるが、
是れこそは個人的な感応体験であり、与えて其れが法理の一端であろうとも、其れらの体験を仰々特殊として
取り上げ、信心会得の目標例と為すは、是れ全く浅識の小智と断ずべきであり、又、其の様に洞察する事こそが
我ら富士門信徒に於ける信心会得の基底ともなるのである。

御書に曰く『古(いにしえ)の人々も不可思議の徳ありしかども、仏法の邪正は其れにはよらず』と。

応に此の御文こそ、摧尊入卑を抑止する御誡文であり、小現証の歓喜を以って大法全体の歓喜と為す事を
誡める御文である。さても、一喜一憂は小信の印(しるし)とは…。いやはや、仏道修行とは厳しいものである。

尚、以前にも申し述べたが、此の宇宙法界に於いては、一念の波動に距離間は存在しない。
つまり、目の前1センチという距離も、遥か何千キロという距離に於いても、妙法の一念からすれば
無距離、つまりは基点にして同じ、という事である。したがって、日本で唱えた題目(御祈念)が、ブラジルの
サンパウロに届くのに、何分かかるとか、何時間かかるとか、そういう概念は存在し得ない、という事である。
本より其れは地球外に於いても同じであり、1センチも百億光年も、此の宇宙法界からみれば同基なのである。

仍って曰く『四方四惟上下合して十方なり、則ち十界なり』と
して曰く『今日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱へ奉るは十界同時に光指すなり』と。

尚、此に重ねて云うが『霊界』などと称し、恰(あたか)も宇宙法界に冥伏している生命が「霊界」という別の
世界に存在しているかの様な言動は、全く以って間違いであるから、以後に於ては幽霊も幽体も、須らく法界の
一現象である、という事を此(ここ)にして領解すべきである。

今更云う事でもないが、正統・富士門流に於いては、其の論説に於ける表現などは、特にうるさいのであるから、
霊界だの、霊格だの、十界勧請だの、御祖師様だのと、其の様な言い回しは止めた方がよろしい。

日有上人が曰く『法華宗の大綱の義理を背く人をば謗法と申すなり』と。
又曰く『門徒の僧俗の中に人を教へて仏法の義理を背せらるる事は謗法の義なり』と。

異質なる表現は、在らぬ誤謬を招き、遂には異義と成って、仏法の義理に乖(そむ)く。

さても、夜な夜なお化けが出るのは構わんが、教義がお化けになっては話にも成らん。

其れこそが一番怖い話となる。

さて、明日よりは又『嗚呼、邪教人』と参ろうか。

是れとて立派なお化け退治である。
 

報告

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 8月 3日(木)16時37分47秒 i114-185-13-13.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  久々の投稿である。

実は出張による不在もさる事ながら、当方のパソコンが壊れてしまい、先週末、ようやく修理が終わって、
当方の手元に戻ったという次第である。実(げ)に其の壊れようは、応に創価学会の破壊教学に匹敵するもので
あった。哀笑。本より、パソコンは機械であるから壊れて御仕舞いであるが、創価学会は宗教団体であるから
壊れただけでは済まないのである。鼻笑。其の先は言わずも判るであろう。小鼻笑。

さて観れば、昨今の創価学会員は、日蓮大聖人の御事を「日蓮くん」と呼ぶのか。
いや、さに匪ず、対する法華講員が、其の者を創価学会員と見間違えておるのか。
とまれ、基奴(そやつ)がもし創価学会員であるならば、最早、脳髄が壊れて狂っているのであろう。
いや、基奴こそは、創価学会の狂学では最早太刀打ち出来ないが故に、敢えて「日蓮くん」などと卑称し、
無信仰の小学者を装って論じているのやも知れん。無論、基奴が本当に無信仰者であるならば、最早基奴は、
無智無学の馬鹿者であると、此に断言しよう。

尚、重ねて云うが、当室は、他の掲示板と違い、其の論戦に於ける参加資格が極めて厳しくなっている。
つまりは、所属宗派及び門流の親告。更には、其の所属する宗派門流の本尊及び教義の正義宣揚である。
果たして、其の城壁を乗り越えて、当室に対した者などは、此の十年で数人しか居らん。
ったく、情けない限りよのぉ。呆哀。

とまれ、我が富士門徒以外の者が此(ここ)にやって来ようとも、蓋を開けて見れば、やれ串だ、やれ多重だ、
やれ成り済ましだ、と、そんな連中ばっかりである。呆哀哀。

ったく、何とかならんか其の根性。呆哀。

兎も角も、手元の機械が直ったのであるから、今日よりは亦(また)、馬鹿に付ける薬は馬鹿と云うしかない、
との呵責精神の下に、正統・富士門流の大教義を大いに宣揚して、邪宗馬鹿の撲滅に多少なりとも貢献出来る様、
此(ここ)に勇躍、前進して参りたいと思うものである。
 

創価学会は既に某身延系寺院から大聖人の真筆本尊の版権を買ったそうだ!

 投稿者:黒川 和雄@日蓮正宗  投稿日:2017年 7月18日(火)15時12分33秒 p2149-ipbfp1802osakakita.osaka.ocn.ne.jp
返信・引用
  その理由は学会の現在のニセ本尊には「奉書写之」(之を書写し奉る)の文字が入っているからである。この「奉書写之」がある限り本門戒壇の大御本尊から完全に離れることが出来ない。従って「奉書写之」の無い邪宗身延系から本尊の版権を購入したということである。いずれ、「日蓮大菩薩」となることは想像できる。
 

創価諸君、御書根本で回答してください

 投稿者:黒川 和雄@日蓮正宗  投稿日:2017年 7月18日(火)15時07分41秒 p2149-ipbfp1802osakakita.osaka.ocn.ne.jp
返信・引用
  一代聖教大意
「この経は相伝に有らざれば知り難し」

日興遺誡置文
「御抄を心肝に染め極理を師伝して云々」



質問
①「日蓮は末法の本仏なり」とする直接的な御書の文証を挙げてください。
②「在家教団でも本尊を認定できる」という御書の文証を挙げてください。
③「在家教団でも葬式の導師を務めてよい」とする文証を挙げてください。
④御本仏日蓮大聖人の他に仏法上の「永遠の師」を立てても良いとする御書の文証を挙げてください。
⑤報恩抄に曰く、「本門の教主釈尊を本尊とすべし」どおり、釈尊を拝んだらいかがですか? 御書根本で否定してください。
 

ああ、邪教人 番外

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 6月22日(木)15時59分0秒 i118-19-14-249.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  >質問です。
>戸田先生の言葉の「六種類」の内容をご存知の方がいらっしゃいましたら、
>お報せいただけると、助かります。
>宜しくお願いします。

>法華経本門文底の釈尊

鼻笑。

法華本門の文底の釈尊。

小笑。

果たして、文底の釈尊とは是れ如何。

哀笑。

其の答え。宿坊に訊いてみなさい。

小鼻笑。解らずんばヒントをやろう。

宿坊云く『そんなモノはイワシの頭…』

呆哀哀。

巨大猫よ。

お主は此の答えに対して呵責する勇気は有るか。

無ければ自らをして『巨大』などと言うものではない。

よいか。

上記の問いに対して創価教学を以って返答したという事は、お主は創価学会員であろう。
ならば、今こそ宿坊の謗法を責めなければならない。

よいか。

出来ずんば、台家の理屈など貼り付けるものではない!

其れこそは本末転倒である!

よいか。

法敵は眼の前に在る!

迅(はや)く呵責致せ!!
 

ああ、邪教人 其の六十五

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 6月20日(火)19時24分28秒 i118-19-14-249.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  >佐藤優との対談で世に知られるようになった松岡幹夫氏の最新本。
>北海道の組織が方面長を通じると1512円が1400円で購入できるので取りまとめを専門部
>(経営者、自営業者のグループ)に依頼してきた。
>一個人の本を道トップが組織利用。裏になにかあるな?
>どちらにしても組織利用の販売そのものがこの本の本質を物語っていますね、最悪ですね。

哀笑。

そーよな。最悪であるよな。

して、其の最悪の最悪たるは、聖戦自爆の回教であろうが、バラモン回帰のヒンズー教であろうが、
処女懐胎のキリスト教であろうが、其れら諸外道を褒めちぎり、又は、其れらの教義を容認して、
其れこそ味噌糞一緒の邪教組織に成り下がってしまった、という事である。
だからこそ、今に於いても離脱坊主の屁理屈などを採用し、無知なる一般会員に向けて其れらを販売し、
其の利益などを懐中に入れているのである。ったく、是れ程の醜い在家集団が何処(どこ)に居ろうか。呆哀。

>この出版社と方面長に特別な繋がり(利害関係)があるようです。

そーか。

小笑。されば「方面長のご意向」という事か。鼻笑。

まぁ、其れなどは「方面長のご意向」なのか、其れとも「方面長のご意向(と聞いている)」ものであるのか、
其の表現を比れば、全く別の意味に成るから、当方とて一概には言えまいが、とまれ、未だ松岡の小理屈などを
嬉々として販売している様では、創価の知能指数も知れたもの、という事である。小鼻笑。

其の松岡所属の坊主同盟が云く『およそ血脈相承の根本目的が広宣流布にあることは、宗祖大聖人から第二祖
日興上人への付嘱書に「時を待つべきのみ」(身延相承書・御書一六〇〇ページ)とあり、日興上人から第三祖
日目上人への付属書に「広宣流布を待つべきなり」(日興跡条条の事 ・富士宗学要集 五-一八八ページ)と
あることからも明白である』


又云く『広布の時のため、盤石なる基礎を確立せんと奮闘された真金の「大聖人直結」の弟子が、日寛上人で
あられた。極言するならば、日寛上人が生涯をかけて築かれた信心の遺産の全ては、まさに今、仏意仏勅を受けて
世に出現し、未曾有の世界広布を成し遂げんとする創価学会のためにあったといってよい』


更に云く『学会が会員の方々に授与するお形木御本尊は、日寛上人が大聖人出世の本懐たる「戒壇の大御本尊」を
お写しされた御本尊である。ゆえに「大御本尊根本」の信心はいささかも変わらず、当然、これまでの(破門以前の)
御本尊と功徳においてなんら違いはない』


呆哀笑。

松岡よ、そして創価学会よ。

オマエらは、上記三項の宣言をどうするのか。

まさか虚言であったのか。

よいか。無知とは申せ、末端の会員を馬鹿にするものではない。

よいか。オマエらは、上記三項について総括せよ!

そして、本尊義変節の法義的根拠を、創価学会創立の原点に照らし合わせて、其の正義たるを証明致せ!

よいか!! 屁理屈は其れからの事である!


>法華経如来寿量品第十六には、この娑婆世界に肉身の釈尊が出世して、
>過去の阿羅漢たちでも成し遂げることができなかった降魔成道を、
>歴史上初めて、ネーランジャラー河畔の菩提樹下において完成したとあるが、
>実はこの肉身の私(釈尊)は、正しい悟りを開いて成仏して以来これまでに、
>「無量無辺那由他劫」と呼ばれる非常に長い、永遠の時間を経ているのである、
>と説かれている。

>このように、現実に目のあたりにしている釈尊、すなわち釈迦牟尼仏は、
>久遠実成の仏に他ならない。

小鼻笑。

なんなのだ。

釈尊すなわち釈迦牟尼仏だ?

鼻笑。言っておくが、オマエが投稿している掲示板の管理人、つまりは宿坊の黒カラスなどは、
釈尊と釈迦牟尼仏とは別モノである、と言っておるぞ。

其れを『即(すなわ)ち』と云うならばオマエ、先ずは宿坊管理人を呵責致せ!!

ったく、オマエら宿坊の掲示板に投稿している者どもは、一体、何処(どこ)に目を付けておるのか。

投稿先の管理人に誤りあるならば、先ずは其れを呵責してから、モノを申すべきであろう!

よいか。其れが事の順序というものである。

呆哀哀。

ああ、邪教人。嗚呼、邪狂人

邪教人の呵責は、これからも続く。
 

ああ、邪教人 其の六十四

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 6月18日(日)17時39分21秒 i114-185-21-119.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  今日も今日とて邪教人。

では参ろうか。

先ずは其の一。

>日蓮(上人)はの、日蓮(上人)の法門を理解できない富木常忍に…

日蓮はの、ではない。

日蓮大聖人は、である。

括弧など用いるものではない。

其れにしても、日蓮とは呼び捨てたいが、其の増長に小遠慮して(上人)などと付け加えておる。哀笑。

お主、其の様な浅識無知の分際で「日蓮の法門を理解出来ない富木常忍」などと、よくも言えたものである。

ったく、富士門の正師たる日蓮大聖人を日蓮と言い、邪宗日蓮宗の小坊主をして聖人と言う。

よいか。其れらの脳髄をして「心破作七分」と云うのである。

本より、日蓮大聖人の大法門を理解出来ないからこそ、富木五郎左衛門は釈迦仏の造立に固執したのである。

先ずは其の事、お主が投稿している掲示板の管理人に教えてやりなさい。

其の方が先決である。

次。

>弱者を守ってどうなるんだ!
>お涙ちょうだいではダメだ!
>丹治とは聖教の元編集局長
>前代未聞の金銭問題を引き起こした悪人

そうか。丹治副会長は悪人であるか。

荀子云く『人の性は悪なり』。

鼻笑。オマエたち附仏法外道の集団に於いては、此の荀子の教えこそが似合いではないのか。

人の性は悪なり。其の善なる者は偽なり。

さすれば、丹治の悪事なども得心出来るであろう。

つまりは、其れが創価教の限界という事である。

小鼻笑。此の意味、理解出来ようか。出来ずんば、富木胤継と同じである。


次!

>原田執行部が「多少の退転はやむを得ない。9割は付いてこれる」という趣旨の発言をしていたとも
>聞き及んでおります。
>1000万会員の1割と言えば100万人。100万人の同志を退転させ、地獄に堕とすというのでしょうか。

其の発言こそは八尋顧問弁護士(現副会長)のモノであろう。

本より、此の様な無機質な者を側近として迎えた池田太作の罪は重大である。

因みに、池田太作は、昭和53年9月23日の本幹に於いて、此の様な事を言っておる。

云く『学会員が五万や六万減ったってどうということはない』

果たして、これはどうなのか。

これも、同志を退転させ地獄に堕とさんとする悪魔の発言であるのか。

先ずは其の事を説明しなさい。

ったく、オマエたちの欠点は、過去の矛盾に目を向けず、其れこそ何の総括もせずに、ベラベラと口を動かす
処(ところ)にある。少しは反省しなさい。そして、破門時に駆け込んだ茶坊主たちを護ってやりなさい。
今更、教義を変更して用無しとは、いくら何でも可哀想であろう。哀。
よいか。あの時、これらの茶坊主が居なければ、オマエたち創価の本尊義は体面上、成り得なかったのである。
よいか。其の事を忘れてはならん。

次。

>「十界・十如・権実の法」とは、結論的に言うと、
>「十如是のあり方を取り、権と実にまたがった十種の生命体という存在」
>という意味に解釈できる。

哀笑。だから何なのだ。哀笑。

其の様な事、本末究竟の真なるを見極めれば、領解出来る事ではないか。

何? 本末究竟の真とは何かだと?

哀笑。お主の眼前に在ろうが。

さても、灯台下暗し、とは此の事か。

さもありなん。哀笑。

されば曰く『夫(それ)一心に十法界を具す』と。

はて「一心」とは是れ如何に。

よろしいか。其れを領解せずして台家を論ずるは、是れ全く浅識の罪に成る事を、お主は知るべきである。

曰く『義道の落居無くして天台の学文すべからざる事』と。

果たして「義道」とは何ぞや。

まさか、創価教ではあるまいに。哀哀。

ああ、邪教人。

嗚呼、邪教人。

小義邪教人の破折はこれからも続く…。
 

ああ、邪教人 其の六十三

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 6月14日(水)21時48分13秒 i114-185-21-119.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  言うまでもない。

「ああ、邪教人」の「ああ」とは、嘆きの「嗚呼」であり、其の嘆きの「嗚呼」は、
邪教害毒による莫迦の見本、つまりは浅読みの知恵足らずに対しての「嗚呼」である事は、
最早周知されている処である。

して、そんな「嗚呼」の邪教人が、こんな事を言っていた。

「宗門は、五道冥官等の悪鬼などが書かれたニセ本尊の化儀を、江戸時代になって邪宗日蓮宗から
取り入れた」と。

鼻笑。

嗚呼、邪教人。

応に、莫迦の見本とは此の事か。

哀笑。ならば、御本尊に『五道冥官』と認(したた)めた日寛上人こそは、実にオマエからして
邪宗日蓮宗のニセ本尊を真似て書いた「ニセ法主」という事になるではないか。
して、そんな邪宗日蓮宗から取り入れた本尊を、平気で真似る法主が書いた本尊を、今、オマエたちが
平気で拝んでいるとは、一体どーゆー事であるのか。つまりは一類という事か。

オマエは其れを説明致せ!


して、次の邪教人。

これも又「嗚呼」である。

云く、

>創価学会は、大聖人の御遺命の世界広宣流布を推進する仏意仏勅の教団であるとの自覚に立ち、
>その責任において広宣流布のための御本尊を認定します。
>したがって、会則の協議事項に言う「御本尊」とは創価学会が受持の対象として認定した御本尊であり、
>大謗法の地にある弘安2年の御本尊は受持の対象にはいたしません。(聖教新聞 ・2014年11月8日)
>「謗法の他教団の寺にあるので受持の対象としない」つまり「根本としない」としているだけです。

呆笑。

謗法の地にある弘安2年の御本尊は受持の対象にしない、つまり根本とはしない、という事だ?

呆哀。

嗚呼、邪教人、嗚呼、邪教創価人。

そんならオマエ、以下の指導は、一体どういう意味であるのか。

池田名誉会長が云く『大聖人の出世の本懐である一閻浮提総与の大御本尊が信心の根本である事は、
これからも少しも変わらない』と。【平成5年9月16日、アメリカSGI最高会議】

おい、オマエ、平成5年とは何だ。つまり、この時、オマエらからして宗門は、既に謗法の他教団に
成っていた、という事ではないのか。

而して池田センセーは「根本にする」という。しかも、其の信心姿勢は「これからも少しも変わらない」という。

して、オマエは「根本にしない」という。しかも、その理由が「謗法地の本尊だから」という。

ならば『(一閻浮提総与の大御本尊が信心の根本である事は)これからも少しも変わらない』と池田センセーが
断言した其の当時、富士大石寺は謗法の地ではなかった、という事か。

オマエは其れを説明致せ!

呆哀哀。

嗚呼、邪教人、嗚呼、邪教人。

まだ居るか、まだ居るか!

居た!! 信州の山奥に。

云く、

>一大秘法って何ですか?
>(タテ線時代の関西創価の草分け幹部の)4人一斉に即答。
>本門の題目です!!

>やはりな~~・・・・・
>私は兵庫県神戸市で入会して、4か月後の任用試験。
>三大秘法の勉強でそう教わりました。

おいおいおい! 呆呆呆。

あんさんら、いったい、なにいうてまんねん。小笑。(これでいいか、これであってるか、方言) 鼻笑。

ったく、

オマエたち関西人は、一体何を学んで来たのか。

タテ線当時、そんな阿呆な事を云ってたら、我ら関東に於いては、隊長から即ビンタであるぞ!

よろしいか。以下の指導をよ~く、読みなさい。

『南無妙法蓮華経と唱題する中に三秘が具わっているというが如きは、無学のジイサン、バアサンならいざ知らず、
少しでも教学をやった者には気狂いになっているのではないか、という以外には思いようがない』

これ、誰の指導か知っておるか。

タテ線の棟梁、戸田先生の指導だよ。

ったく、オマエら関西の創価員はまことの馬鹿であるのか。

『一大秘法って何でっか?』
「そりゃ本門の題目やろ!!」
『そやろな~~』

堪笑。

信州の丁髷老人。

漫才やるのもいい加減にしなさい。腹笑。

嗚呼、邪教人、嗚呼、関西邪教人!

まだ居るか、まだ居るか!

いや、其れこそは限(き)りがない。

されば、本日はこれ迄としよう。

ああ、邪教人。

邪教人への「嗚呼」は、これからも続く。
 

大月天殿

 投稿者:黒川 和雄@日蓮正宗  投稿日:2017年 6月 8日(木)18時54分43秒 p2149-ipbfp1802osakakita.osaka.ocn.ne.jp
返信・引用
  うれしいお言葉、ありがとうございます。

了解いたしました。
 

黒川殿へ

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 6月 7日(水)17時28分49秒 i118-19-15-232.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  あらら、名前が出てしまいました。小笑。

黒川殿。お久しぶりですね。

宮川雄法。その通りです。

此の者、訓導の分際で、あれやこれやと、見て来た様な嘘を並べ、創価破門当時の日顕上人(現御隠尊猊下)に
対する批判中傷を専(もっぱ)らにして、逸(いち)早く宗門から離脱した、云わば反逆僧の其れであります。

しかし、此の反逆僧も、池田の植物化によって、其の庇護を失い、遂には新興宗教・創価学会から疎まれて、
聞く処によれば、何と其の身を房州の妙本寺に転じて『日護』などと称している由。

哀笑。いやはや何とも、トドのつまりが戒壇建立の大義を初手から放棄している荒寺の能化に収まるとは…。哀笑。
さてや此の者、全くの無教学の小僧であったのか。鼻笑。

其れにしても、久々の来室者。

本より、面倒くさい掲示板ではありますが、たまには御投稿下さい。

所属不明の不審者、愉快犯の多重ハンネ、無信仰の文献莫迦、そして、臆病者の串投稿。

此等の類(たぐい)でない、となれば、投稿の確認次第、早速に掲載致します。

尚、当室は、正統・富士門流の法義を宣揚する為、法華講員諸氏の教学論文なども募っております。

本より、邪宗教の破折論文でも構いません。

何卒、宜しくお願い致します。

尚、投稿文が掲載されるまで、当室管理人の不在等により、多少時間が掛かる場合もありますが、
其の点につきましては、予(あらかじ)め御了承の程、お願い致します。
 

大月天殿

 投稿者:黒川 和雄@日蓮正宗  投稿日:2017年 6月 6日(火)17時18分34秒 p2149-ipbfp1802osakakita.osaka.ocn.ne.jp
返信・引用
  >元大栄寺住職の、ほら…。アイツだよ。

宮川雄法ですね。笑 笑
 

ああ、邪教人 其の六十二

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 6月 6日(火)13時58分38秒 i60-34-119-221.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  >宗門との関係を復活させたいと願っているのは秋谷さんご自身。
>その証拠に数年前に池袋の常在寺に御秘符をもらいに言っています。
>今も隙あらば宗門と手打ちしようと思っています。

其れは確か、5年前の事であるよな。

無論、創価本部などは、其れらの情報を黙殺隠蔽し、末端会員に至っては知る由もないが、
秋谷議長(創価学会最高指導会議議長)が常在寺に入って行く姿を、近隣に在住する法華講員が目撃した、
との情報が、当方の耳には入っている。

まぁ、嘘か真(まこと)か。とまれ、秋谷議長が御秘符を戴いたのであれば、当然にして勧戒を受け、
再び富士門の信徒に成った、という事であるが、果たしてどうであるのか。さもすれば、御山から
箝口令が敷かれているやも知れんし、実際、其れ以上の情報は入っていない。

何れにしても、創価学会の最高幹部が、日蓮正宗の御寺に行って御秘符を頂戴する、などという話が
あちらこちらで飛び出す事自体、池田名誉会長の影響力が、何も知らない末端会員は別にして、本部組織に
於いては最早皆無になっている、という事である。

其れにしても池田センセー。

今現在どーなっておるのか。

まさか、ホントーの植物に成ってしまったのか。

されば、陽の光を当ててやらねば枯れてしまうだろう。

勿論、水もやらねばならん。

果たして、其れらの世話は誰がやっておるのか。

教えて下さいよ。学会員様。

何。私たちも知りません?

呆哀。呆呆。呆笑笑。

それならば、以下の情報は知っておるか?

ほら、曾(かつ)て、御隠尊猊下をして「ステテコ穿いて御本尊を書いていた」と悪口罵詈し、
スパイよろしく創価学会の軒下に駆け込んだ、ほらあの、日蓮正宗改革同盟とか何とかいう、
ほら、元大栄寺住職の、ほら…。アイツだよ。

聞けば此の者、創価の待遇に不満を募らせ、とうとう爆発して離反し(又は追放されて)、今では
保田妙本寺の能化に成っているという。しかも、其の尻の穴には、イタチとか宿坊とか兵長とか
田んぼとか、そんな連中が入り込んでいるという。

哀笑。ったく、正宗の元住職でありながら、今にして妙本寺の能化に収まるとは、実(げ)にオマエこそは、
一体何を学んで来たのか。よいか、そーゆー脳足りんであるから、スパイに成り下がり、しかも不満を
募らせて、遂には、郷門に屈したのである。よいか、枝流異流に身を転ずるは、是れ全く屈服の意である、
という事を、オマエは識(し)るべきである。

して、オマエら離反坊主は、曾(かつ)て此の様に胸を張って宣言していたよな。

云く、

『「法体」こそは、本門戒壇の大御本尊以外には有り得ない』と。

是れは今でも変わっておらんのか。

何とか申せ!
 

八品法華宗の邪態を破す

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 6月 4日(日)20時09分58秒 i114-185-16-82.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  八品派に云く、

>法華宗の門祖・日隆聖人は、鶴丸紋を本勝迹劣の宗義のシンボルとして日蓮大聖人の正統なご信心を受け継ぐ
>法華宗の宗紋と示されました。

何? 鶴丸紋を日蓮大聖人の正統なご信心を受け継ぐ法華宗の宗紋と示されました…、だと?

鼻笑。おいおい、日蓮大聖人の正統な御信心を受け継ぐって、オマエ、日隆の棟梁は一体誰であったのか。
其れこそは、日蓮門下に於ける日文字の伝統に違背した、軟弱一致の痴れ者ではないか。

其れにオマエ、大聖人が御入滅されてから、100数年経って生まれ、しかも、其れから33年も経ってから、
ようやく本迹の勝劣に気づき『さぁ、頑張るぞ!』と決意するも、日文字違背の軟弱棟梁に凄(すご)まれて、
『やっぱ、御免なさい。本迹は一致するものでした』などと詫び状を入れて、其れこそ右往左往の恥態では
なかったのか。

ったく、そんな者が日蓮大聖人の正統な御信心を受け継ぐ聖人であるとは、オマエ、あまりふざけた事を
云うものではないぞ。

して、そんな日隆が宗紋とした鶴丸紋は、其れ以前、つまり、日隆が独立する以前の100数十年、
何処(どこ)の門流が用いていたのか。まさか、日隆が初めてか。よいか。オマエらは、そーゆー淵源も
示さねばならん。言っておくが、我ら富士門から失敬したなどとは言わせまいぞ。よいな。

>法華宗再興唱導師と尊称され、宗祖日蓮大聖人の正しいご信仰「本門八品上行所傳本因下種之南無妙法蓮華経」を
>お伝え下さった日隆大聖人の門流……

なんだ。オマエたちには大聖人が二人も居るのか。小笑。

ったく、日隆など、聖人の尊称でさえ身分不相応、否、信心不相応であると云うに、まさか「日隆大聖人」とは、
恐れ入った。 まこと大丈夫か? そのアタマ。呆呆。

>本門八品上行所傳本因下種之南無妙法蓮華経

哀笑。本尊所顕の寿量品を根幹とせずに、どうやって八品の正意を領解出来ようか。呆哀。
よいか。所顕(肝心)在っての付属であり、実に付属の正体こそが重要なのである。

尚、本因下種の南無妙法蓮華経は、人法に於いて体一であるから、今時末法に於ける御尊体は、
須らく日蓮大聖人に帰一する。又其れをして「久末一同」という。

>私達の宗教・信仰に於いて最も大切なものは信仰の対象たる「本尊」です。
>ここで法華宗の本尊の正体は本門八品所顕上行要付の南無妙法蓮華経であります。
>本門八品所顕上行要付の南無妙法蓮華経は三大秘法総在の大法であり、これを本尊とし、戒壇とし、題目とする
>ものです。それは既に南無妙法蓮華経の一大秘法に、萬法、萬行、萬戒の功徳を具しているからです。

鼻笑。八品所顕の南無妙法蓮華経が一大秘法とな。して、本尊こそが萬法とな。
ならば、其の一大秘法義は人法に於いて別体と成るか、加えて萬法の本尊とは、人法に及ばざるか。
オマエらは其れを示せ。

>さればこの十界の依正萬法を総在せる南無妙法蓮華経を我等末法衆生の信仰の対象とするとき本門の本尊となり、
>宗祖日蓮大聖人はこれを十界勧請の大曼荼羅としてご奠定(てんてい)されたのです。端的に申せば、本地の十界
>具足の南無妙法蓮華経といえます。この御本尊を、全身全霊を挙げて絶対帰依するときに、初めて人格の向上も
>功徳の受得も成仏得道も可能となるのです。

だから、其の本尊に『人』は存在しないのか、と訊いておる!
してもし、本尊に人無し、と云うならば、本地十界の具足とは、一体、何処の十界を示したものであるのか。
而して、人無しの本尊義、つまり『人義の無い本尊』に帰依するとき、初めて我ら人格の向上も成り得るとは、
一体如何なる十界から得られるのか。オマエらは、其の事を説明致せ。

>宗祖日蓮大聖人もまた「本尊とは勝れたるを用ゆべし」と仰せられています。宗祖日蓮大聖人の期するところは、
>真の成仏、即ち最終的には人格の完成にあります。真正にして而も最高なる本尊を唱題信心することにおいて、
>その本尊の有する功徳を我々の心田に下種することを得、而して日常生活における祈願成就は当然得られるのです。

呆怒。

オマエ、

『十界勧請の大曼荼羅としてご奠定(てんてい)されたのです。端的に申せば、本地の十界具足の南無妙法蓮華経と
いえます。この御本尊を、全身全霊を挙げて絶対帰依するときに、初めて人格の向上も功徳の受得も成仏得道も可能
となるのです』

などと言いながら、其の本地十界の大曼荼羅の前に、釈迦多宝の二仏を並べ、又、其の前面に大聖人の坐像を置き、
其の坐像の後方に四菩薩を並べ、其の下段に日隆(大聖人)の坐像。そして、下段には不動明王か愛染明王か、何やら
其れらしきものが立ち並んでいるではないか。見れば、鬼子母神像も安置している様である。

さても、本地十界具足の大曼荼羅、つまり、オマエらからして『勝れたる本尊』に、あれやこれやとオマケを付ける
本尊義とは一体何処(どこ)から持って来たのか。

何? 其れこそは日像菩薩様の義であるとな。哀笑。
何? 其れこそは日蓮大聖人の御法義であるとな。ならば、其の陳列本尊義の文証を此に出しなさい。
加えて、大曼荼羅に示さる南無釈迦牟尼仏の本意と、本地十界の大曼荼羅の前に居座っている釈迦牟尼仏像との関係を、
此に須らく示せ。

尚、何処(いずこ)の脳足りんが、富士大石寺の法義は全て八品日隆からの受け売りだ、などとほざいていたが、
こーゆー莫迦こそは、重須日順師の緒文に其の腐った目を通すべきである。

日寛上人、八品の日忠等を破して曰く『諸宗の学者近くは自門に執し遠くは文底を知らず、所以に粗之れを聞くと
雖も敢えて之れを信ぜず、徒らに水影に耽りて天月を蔑ろにす、寧ろ不識天月但観池月の者に非ずや』と。

仍って申さく『不相伝の家には聞き得て應に驚くべし』と。

尚、日興上人の御遷化から約100年後、日隆は妙顕寺(現身延派大本山)から再度飛出して己義を構えたのであるが、
其の後、飛び出した仲間(仏性日慶)が開いた妙蓮寺に叔父2人を歴代住職に押し加え、自身もしっかりと妙蓮寺の
7代住職に収まったのである。因みに妙蓮寺の初代は、彼の蛇文字曼荼羅の日像であり、本門仏立宗の長松日扇は
妙蓮寺の53代住職である。尚、是の長松日扇は、在家の身で法を説き、曼荼羅本尊を書写して授与する不埒者と
して投獄されたが、其の後、門祖の日隆と同じく、其の法義主張を引っ込めて、還俗者から再び坊主と成った人間
である。

因みに本門法華宗(妙蓮寺)の信徒数は、3万人余と聞いておるが、法華宗(本能寺他3寺)の信徒数は50万人を
超えているという。又其れに、40万人近くの水飲み仏立宗が加われば、是れこそは創価学会の活動家数の3分の1
と成り、是れこそは歴(れっき)とした一大勢力となる。

とまれ、此ら雑乱教義・雑乱本尊の稚義にでさえ、100万人近い連中が身を置いているのであるから、如何に
不相伝の邪流門家が根強く世間に蔓延っているかが、爰(ここ)に於いて実感するものである。

歌詞に云く、

我ら住む日本の楽土見ん。
北山南河は邪宗の都…。

当方も曾(かつ)てはよく指揮を執って歌ったものであるが、残念な事に当の集団は今や新興宗教に成り下がり、
今と成っては威風堂々と正法をかざす力量もなく、ただ、正宗の悪口を言っては、其の劣等感を紛らしている
始末である。最早、是れこそは、八品日隆の変身謗法の類(たぐい)に堕ちたものと、此に断言するものである。

さて、次回こそは「ああ、邪教人」シリーズの続行と参ろうか。

是れこそも当方の務めである。
 

一記

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 6月 2日(金)15時08分32秒 i114-185-21-252.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  久々の投稿である。

見れば、前回の投稿から約一ヵ月半経っている。

爾して、仕事の忙用に感けて管理責務を怠るは、これ全く管理人の資格なしと言われても仕方あるまい。

だが、如何(いか)に言われようとも、当室の鍵を閉じるわけにはいかない。

観るに、相互に於いて所属教団を名乗り合い、其の持する処の本尊教義を基にして、互いの正邪浅深を
決せんとする、所謂(いわゆる)正当な法論掲示板などは最早皆無に等しく、況してや、リモホの正規を
公にして、串と多重を戒める掲示板など、是れ全く希少の其れであると、此に於いて自負するものである。

まぁ、投稿者からしてみれば、是れ程敷居の高い、否、是れ程、面倒くさい掲示板は無いかも知れないが、
実に是れこそが真っ当な法論掲示板の姿である、という事を、投稿者各位には了して貰いたい。

とまれ、其れらの箍(たが)を外したならば、其れこそ、多重ハンネの馬の骨(馬鹿の骨頂)などが狂喜して、
臆病な愉快犯よろしく、一方的に批判中傷を書き散らかしてほくそ笑む、応に荒廃したゲロ吐き掲示板に
成り下がってしまう事を、当方は何よりも警するものである。

尚、其の対処に付随して、当室への投稿文は、須らく管理人の確認後に掲載される事と成っている由。
無論、其れらの対処が、投稿者及び投稿数の減少に成ってはいるが、得体の知れない馬鹿の骨頂を相手に、
其れこそ飛び廻るコバエを両手で追い叩きながら、部屋中を走り回る行態よりは、全く以って健全な姿であると、
此(ここ)に於いて断言するものである。

さて、本年も六月と相成り、総本山に於いては、夏期講習会も酣(たけなわ)であるが、又しても不参加と成るは、
真(まこと)に遺憾な事である。さてこそは来年…。其の気概だけは忘れまい。


して、久しぶりに周囲を見渡せば、相も変わらず、馬鹿の骨頂(馬の骨)の宿坊などが、イタチの屁に乗って
フェイクニュースを貼り付けて、言いっ放しの戯れ言を巻き散らかしておる。呆哀。

聞けば、オマエらのグループは、保田妙本寺などに帰依し、其の情けない回帰を以って法脈の切れた本尊を
配っているという。哀哀。果たして嘘が真か、其れこそヤドカリよろしく、其の在所を借り漁(あさ)るなどは、
応に不信謗法の恥態であると、此に呵責するものである。

よいか、イタチ宿坊よ。

オマエらは、何の臆面もなく、怪文書フェイクを貼り付けておるが、其のフェイク自身が、オマエらをして
謗法者と断言しているのである。

再掲して云く、

『身延山といえば、日蓮大聖人を末法の御本仏と仰がずに「日蓮大菩薩」と称しており、また
「板本尊偽作論」を唱えて大御本尊を否定し、更に、御本尊を店先にぶら下げ、御守本尊を
カードにして販売している謗法の山である』と。【フェイク 1406号(13.08.22 発行分)】

呆哀哀。よいか宿坊、そしてイタチよ。

上の記事こそは、オマエらの事を指して言っているのである。哀笑。

其れとも何か。抑もが怪文書の偽記事であるから、そんな事など気にはしない、と言うか。

哀笑。さもありなん。

而して、オマエらが其のフェイクを真として当宗を中傷するなどは、是れ全く鉄面皮の其れであり、
応に自己撞着(どうちゃく)の恥態である、という事を、オマエ達は識るべきである。

哀笑。ったく、情けない限りよのぉ。小鼻笑。

謗法者、宿坊イタチ。先ずは、フェイクを破折しなさい。鼻笑。

さて、他板を観れば、何と、彼のクジラ地区部長の掲示板が閉じられたと云う。

しかも、ご丁寧に当方にまで別れの挨拶が為されておる。

いやいや、金パラやイタチと違って「純」な学会員。つまりは、原田会長を中心にして、一大秘法は御本尊に
非ずという、邪義新興の「純会員」ではあるが、閉板に於いて態々(わざわざ)正宗信徒の当方に挨拶を為すは、
是れ全く礼節を弁えたものであると、此に感服した次第である。

とまれ、其の閉板の要因が、あの信州の筋肉狂人の掻き回しに在ったとは、当方からして御同情申し上げるが、
抑も、あの様な、あちこちの池に行っては石を投げ、その波紋の出来具合を見て喜ぶ者などは、其れこそ、
一つや二つの説教を咬(か)ましてやればヨロシイ。無論、其れ以上の後追いは禁物である。

狂人走れば不狂人も走る。

況してや、本尊迹の筋肉老人と、非一大秘法本尊の地区部長が言い争ったならば、其れこそは、辰春問答以下の
邪論喧噪の恥態と成るであろう。無論、其れらの恥態を喜ぶ連中こそは、不信仰の宿坊であり、イタチであり、
金ビラや兵長などの離反者たちである。

まぁ、何れであろうとも不本意であろう。しかし、其れは賢明な判断でもあった。

クジラ地区部長。

貴殿こそは、非一大秘法本尊義の邪義こそを見抜きなさい。そして、其の根本義の誤りを、原田執行部に訴え
なさい。

池田名誉会長に云く『大聖人の出世の本懐である一閻浮提総与の大御本尊が信心の根本である事は、
これからも少しも変わらない』【平成5年9月16日、アメリカSGI最高会議】

又云く『もしも将来、原理原則を踏み外すような幹部が現れたならば、断じて許してはいけない』
                        【平成18年11月22日 全国合同協議会】


果たして原理原則とは何か。

つまりは、根本尊崇の事ではないか。

つまりは、其れこそが、日蓮大聖人出世の御本懐たる一閻浮提総与の大御本尊に帰命する事ではないか。

だからこそ、池田名誉会長は、其の原理原則、つまりは其の信心の根本義について、

『大聖人の出世の本懐である一閻浮提総与の大御本尊が信心の根本であることは、これからも少しも
変わらない』と予(か)ねてから宣べていたのであろうが。

而して、現在の創価学会は、其の根本尊崇に対し、『其の様なことは御書には載っていない』などと
手のひらを反しておる。

おかしいではないか。

つまり今の創価学会は、池田名誉会長の根本指導に唾を吐いている、という事になるのではないか。

さもなくば、貴殿こそは、其の身を置く現組織の教義的正統性を此に於いて宣揚すべきである。

そうであろう。地区部長。

果たして、其の宣句を等閑(なおざり)にするならば、其れこそ末法の御本仏はお釈迦様だ、という宿坊と、
一閻浮提総与の大御本尊はニセモノだ、という金パラと、日蓮大聖人よりもっとスゴイ人間が現れるという
イタチと、其れこそ貴殿らからして『仏敵』たる此奴ら3人の呵責などは、到底及ぶものではないと此に
断言するが如何。

とまれ、閉板後に於いて、正論を宣べんとするならば、当方が、真っ当な判釈をしてしんぜよう。


…呆哀。はてさて、

何と云うか、かんと云うか…。呆。相も変わらず、中共支那(シナ)の脳髄は腐っておるよな。呆呆。

排他的水域にミサイルを落とされている我が国に対して、

『(北朝鮮との和平に向けて)日本は足を引っ張るな!』

などと言っておる。呆。

ったく! 足を引っ張っておるのは、オマエら中共ゲリラではないか!

ふざけた事を言うものではない。

して、比国の大統領が、支那の南海(南支那海)で石油採掘をする旨、其れを習近平に伝えたら、
『そうなれば戦争するしかない』などと脅されて、比国の大統領が縮み上がった、という事らしい。
呆哀。いやはや、相も変わらず中共支那の野蛮な性質は、今もって八路軍(共産ゲリラ)そのものである。

とまれ、和平対話にかこつけて、北朝鮮を暗に擁護している中共支那(シナ)と露西亜。
前々から言っているが、此奴(こやつ)らは皆、同穴の狢(むじな)であり、北朝鮮の保護勢力である。
して、今や其の貉に南朝鮮も加わって、事態は全く日本国を舐め切った状況になっておる。

本より、我が国と米国が北朝鮮を攻めたならば、支那と露助は黙殺し、又は非難して北を擁護し、
南朝鮮に限っては、戦闘に紛れて自衛隊員を背後から撃ち殺すやも知れん。
最早、其の状況は、過日のサッカーどころの騒ぎではない。

おっとぉ!

話が横道に逸れたわい。

まぁ、久々であるから、仕方あるまいて。鼻笑。

次からは気を付けよう。

さて、本日はこれまでとしようか。

次回の投稿は、近日となろう。

無論『ああ、邪教人』シリーズも続行となる。

奮闘して「其の百」を目指して頑張りたいものである。
 

ああ、邪教人 其の六十一

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 4月14日(金)07時29分49秒 i114-180-126-34.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  >日亨上人の文章をねじ曲げて、ありもしない似非信者だと批判した文章だと主張する人はいったい
>何なのだろう。

何なのだろう? 判らんか。其りゃ、オマエら事だよ。

曲解、切文、誇張、虚偽。

まさにフェイクの真骨頂。

ほら、そこのオマエ。懲りずにフェイクをベタ貼りしているオマエの事だよ。

鼻笑。しかしなんだ。自分の事を謗法呼ばわりしている文書を、未だに好んで貼り付ける神経とは、
一体いかなる神経であるのか。まさか、其の貼り付けている行為自体がフェイクだと言うのか。哀笑。

>あんなボンクラ宗門に、『権威の衣』など存在しない!
>それはだらしない、能無しの弟子たちが、臆病風に吹かれた末に見た幻だ!

哀笑。そーじゃねーだろ。『あの衣は権威だー! 権力だぁー!』とは池田センセーの口癖だよ!
はてさて、オマエの言い分からすれば、能無しの池田センセーこそが臆病風に吹かれていた、という事
になるのではないか。呆哀笑。

因みにボンクラはオマエたちの方であるから、今後、言い間違いのない様に。よろしいか。

>私たちの胸に深く刻まれゆく岐阜の天地は、第三代であられ、一閻浮提の座主であられる日目上人の
>〝殉教″の栄光の大地である。(新・人間革命 249)

哀笑。第三代の一閻浮提の座主、日目上人、ってオイ!
第三代とは何だ。一体何処(どこ)の第三代なのだ。
加えて「一閻浮提の座主」とは、一体何処(どこ)から引っ張り出して来たのか。
なんだ。まさか、この新人間革命も、2、3年後に書き換えられてしまうのか。小鼻笑。

ったく、節操の無い奴らめ!
だからこそ言う。オマエらこそが頭破作七分の持ち主であると!

そー言えば、元住職の花道や、創価大のスゲ博や、元創価のイタチらが集合して、日蓮大聖人の仏法を
屁理屈よろしく分析している様であるが、元より「信」無き者らが「学」に偏執するは、是れ全く無知行の
其れである、という事を此に識(し)るべきである。

爾して曰く『教の浅深をしらざれば理の浅深弁(わきま)ふものなし』と。
仍って曰く『仏教を学すと雖(いえど)も還って外見に同ず』と。

哀笑。

さても、盲眼が如くなるお主ら当世の学者等、如何にして正理を感得して浅深を弁ふべしや。
されば、はかなし者とは、オマエらの様な不信心にして仏法を学問する者をして云ふものか。

先ずはよい。

オマエらこそは、身延の半被を説明致せ。

教義の屁理屈など、其れからの事である。
 

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