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莫迦に付ける薬

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 8月21日(月)15時06分47秒 i114-185-13-13.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  さて、過日のテレビニュースでは、と或る新興宗教の聖地などを紹介していたが、本日は違う。

真面(まとも)なニュースを改めて紹介しよう。

云く、

「重力波」の直接観測が此に成功したという。

おお! 其れは凄い!

其れこそは画期的な事である。

本より、超極少な時空(時間と空間)の歪みを直接に観測出来たという事は、天文学の発展にとっても大なる
成果となるだろう。

其れを思えば、如何にアインシュタインの理論が精密であったか、という事が、此に於いて(改めて)了知できる
のである。

しかし、其れらの理論と証明は、天文学も含めて、須らく仏法義の一端を示すものに他ならない。

例えば『過去・現在・未来を区別するのは幻想に過ぎない』とは、アインシュタインの言葉ではあるが、
仏法義に於いては『過去と未来と現在とは三つなりと雖(いえど)も、一念の心中の理なれば無分別なり』として、
応に時空と人間、時空と一念という、より深い定義を以って、其れを示しているのである。

本より、時間というものは、人其々に於いて同速ではない。つまりは、独自の時間、独自の時間軸というものが
あって、其々に於いて動いているのである。果たして、これもアインシュタインの理論ではなかったか。

無論、仏法義に於いて、其々の境涯により、時間の長短が現れるなどは、アインシュタインが生まれる以前から
示されている。其れに依れば、天界に於いては1時間が0.19秒となる。

又、時間とは瞬間の連続、とも云うが、これとて仏法義からすれば、初学の範疇となる。
本より、瞬間(時間)の連続に於いては、必ずそこには因果が生じ、しかも其れは須らく倶時である。

尚、我が宗門に於いては、此の因果倶時の当體を仏として開く、所謂『本因仏法』を旨としておるから、
此の大義を領解出来ない内は、久遠元初の深意などは、到底理解出来ない、という事になる。

果たして、検証出来得ないものは科学ではない、とはよく言われるが、其れこそが科学の限界であり、
其れこそ、ビックバンより100兆年も前の宇宙など、到底知り得ないものとなる。

尚、仏法義に於いては、仏が百千万億那由陀阿僧祇の国に於いても衆生を教化する、という深義があるが、
是れこそは、天文学の先を行く、応に此の宇宙法界の実体を如実に表したものと領解出来よう。
して、是れこそは仏に於ける分身散体の極理である、という事を見逃してはならない。

爾して、我々の身体を構成する元素は、須らく宇宙そのものの元素であるから、此の広大な宇宙に於いて、
其れこそ、人間と同じ生体が存在するなどは、至極当然とも言えるのである。しかも、其れらの星々には、
其々の国が在り、しかも、そこには知的生命体としての哲学や宗教が存在するともいう。
無論、これとて、天文学等の分野に於いて、仮説として示されているものである。

又、宇宙法界に於いては、1mも100億光年も、仏法義からすれば同時・同距離の範疇となる。
仍って、我らの一念は、此の宇宙法界に遍満し、其の波動は瞬時に亘るのである。

曰く『四方四惟上下合して十方なり、即ち十界なり。十界の衆生共に三毒の光之有り。(中略)
今日蓮等の類(たぐい)南無妙法蓮華経と唱へ奉るは十界同時に光指すなり』と。【新編 1753】

本より、これら一念の波動は、あらゆる障害物をも突き通し、天地をも突き抜けるのである。
つまり、其の一念に於いては、距離や時間などは影響しない、という事になるのである。
つまり、ブラジルに居る娘が、日本に住む母親の健康を祈るに、何分経ったら其の祈りが届くとか、
そういう次元のものではない、という事である。無論、此の定理は、宇宙間に於いても同じである。

しかし、時間というものは、まこと不思議なものである。
果たして、時間とは一体何であるのか。
実に、その答えこそが、仏法義には在るのである。

まぁ、ややこしい話はこれくらいにして、昨今の新興宗教の話に戻そうか。

何と観れば、

>ここだけの話、昨年先生が海外のメンバーを直接激励してたの知ってる。
>先生だいぶ痩せられたけどご健在だ。

などと胸を張っている御仁が居った。

いやはや、それは凄い情報であるよな。

では、此に質問しよう。

その健在なるセンセーが、なんで何も喋(しゃべ)らんのだ。

おかしいではないか。まさか、舌ガンと成って、舌を抜かれてしまったのか。だから喋れないのか。

よいか。首魁の沈黙は有らぬ疑いを招く。又、其の事態に甘んじるは、指導者としての責任放棄とも成る。

ったく、密附相伝ではあるまいに、健康ならば健康、舌ガンならば舌ガン、植物なら植物と、はっきり本人が
其の状態を宣告すればよいのである! そーであろうが! (おっと、植物となれば其れも出来んか…哀)

今一度問おう。

健在なる池田センセーが、なんで何も喋らんのだ。
何故、公けの場に出て来んのだ。
其の事を是非、教えて貰いたい。

何?

>2017 8.14
>池田先生ご夫妻が創価文化センターへ 創価学園創立50周年記念展示を見学
>創価学園創立者の池田大作先生と香峯子夫人は13日午前、東京・新宿区の
>創価文化センターを訪れ、学園創立50周年の記念展示「君よ使命の大空へ」を丹念に見学した。
>ご夫妻は、四季折々の学園生との交流を振り返りつつ、勉学、クラブ活動に鍛えの夏を送る生徒・
>児童の奮闘をたたえ、学園の一層の発展を念願した。

だと?

何だ。池田センセーは元気であったのか。

さても、文武両道に励む生徒児童の健闘を称え、学園の発展を念願したとは、いやはや何とも勇ましい。

よろしい。

ならば太作よ。何故に創価教義の変更に於いて、自らが其の陣頭に立ち、教義混乱による幹部違背の騒動を
未然に抑止しなかったのか。果たして身体健全にして其れらの事態を見過ごすは、これ全く無放任無責任の
恥態ではないか! 太作よ! お主の罪は重大であるぞ!

夫人? 何が夫人かっ! 夫人が何なのだ!!

ったく、宗教団体の行事に於いて、教団教祖の夫人がのこのこ出で来る事自体、そこら辺に転がっている
新興宗教の腐臭と全く同じである! 少しは恥を識(し)りなさい!

>日亨上人の文章をねじ曲げて、ありもしない似非信者だと批判した文章だと主張する人はいったい
>何なのだろう。

何なのだろう??

阿呆! 其りゃ、オマエら事だよ!

曲解、切文、誇張、虚偽。

まさにフェイクの真骨頂。

ほら、そこのオマエ。懲りずにフェイクをベタ貼りしているオマエの事だよ。

鼻笑。しかしなんだ。自分の事を謗法呼ばわりしている文書を、好んで貼り付ける神経とは、
一体いかなる神経であるのか。まさか、其の貼り付けている行為自体がフェイクだと言うのか。哀笑。

よいか。そーゆーのを頭破作七分と云うのである。呆哀哀。

>あんなボンクラ宗門に、『権威の衣』など存在しない!
>それはだらしない、能無しの弟子たちが、臆病風に吹かれた末に見た幻だ!

哀笑。そーじゃねーだろ。『あの衣は権威だー! 権力だぁー!』とは池田センセーの口癖だよ!
はてさて、オマエの言い分からすれば、能無しの池田センセーこそが臆病風に吹かれていた、という事
かいな。呆哀笑。

因みにボンクラはオマエたちの方であるから、今後、言い間違いのない様に。よろしいか。

>私たちの胸に深く刻まれゆく岐阜の天地は、第三代であられ、一閻浮提の座主であられる日目上人の
>〝殉教″の栄光の大地である。(新・人間革命 249)

哀笑。第三代の一閻浮提の座主・日目上人、ってオイ!
第三代とは何だ。一体何処(どこ)ぞの第三代なのだ。
加えて「一閻浮提の座主」とは、一体何処(どこ)から引っ張り出して来たものか。
なんだ。まさか、この新人間革命も、2、3年後に書き換えられる運命であるのか。小鼻笑。

ったく、節操の無い奴らめ!
だからこそ言う。オマエらこそが頭破作七分の持ち主であると!(何度も言わせるな!)

そー言えば、元住職の花道や、創価大のスゲ博や、元創価のイタチらが集合して、日蓮大聖人の仏法を
屁理屈よろしく分析している様であるが、元より「信」無き者らが「学」に偏執するは、是れ全く無知行の
其れである、という事を此に識(し)るべきである。

爾して曰く『教の浅深をしらざれば理の浅深弁(わきま)ふものなし』と。
仍って曰く『仏教を学すと雖(いえど)も還って外見に同ず』と。

哀笑。

さても、盲眼が如くなるお主ら当世の学者等、如何にして正理を感得して浅深を弁ふべしや。
されば、はかなし者とは、オマエらの様な不信心にして仏法を学問する者をして云ふものか。

そんな墓莫い宿坊が云く、

「鰯(イワシ)の頭も信心なので、日蓮聖人が末法の御本仏というのは、所詮、信仰上の話です」
つまりは「(そんなウソでも)その宗派内、会内で納得されていることならばOKなのです』と。

哀哀。

池田センセーは、日蓮大聖人の事を末法の御本仏と言ってるよ。

ったく、オマエは鵺か!

先ずはよい。

オマエらこそは、身延の九識霊断法を説明致せ。

よいか。

宗門教義の屁理屈などは、其れからの事である!
 

紫光殿へ

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 8月15日(火)14時53分17秒 i114-185-13-13.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  もし今、当室をご覧になっておるのなら、しっかりと目を覚ましなさい。

御前で切腹とは何ですか!
冥土の土産とは何ですか!

其の様な事でどうしましょう!

其の様な心持では、初手からして意見も修正も無いではありませんか。

御気をしっかりと持ちなさい!

要らぬ小事に執着して自ら命を絶つなどは大謗法であります!

紫光殿。よろしいですか?

同志の異義謗法を咎める事は、宗義からして当然の事であり、是れを以って同志誹謗と捉えるは、
これ全く筋違いの信心姿勢と云えましょう。

紫光殿。当方は貴方を責めているのではありません。

当方は当方なりの意見をして述べているのであります。

>私は管理人さまとは争うつもりはございませんし、はたまた、当該サイトの筆者に対して、意義を述べる
>立場にはありません。それは越権行為となる可能性があります。

これは論争でもありませんし、越権行為でもありません。

同志の己義私想を咎めて其れを正す。是れの何処(どこ)が論争ですか。
他支部の同志であろうとも、目の前で過ちがあれば、其れを正すが同志としての責務でしょう。
初手から何でも指導教師、何が何でも御住職。其の様な主体性の無い信心では、凡(およ)そ確信ある折伏など
出来よう筈もありません。

同志に謗法あれば、先ずは同志として教訓し、それでも言う事を聞かないのであれば、指導教師に御指南を仰ぐ。
実(げ)に是れこそが、日有上人の御教訓であります。

紫光殿。よろしいでしょうか。

管理人に対する意見を僭越だとか、講員に対する意見を同志誹謗の重罪だとか、其の様な事は無いのであります。

したがって『自らの命をもって己の愚かさを償いたいと覚悟』する事も『冥土の土産として大事』にする事も、
『どうか我が命に免じて、お納めくださいまし』という事も、全く必要無いのであります。

紫光殿。観て居られますか?

まさか、冥界からではありますまい!

どうか、御気をしっかり持って、信心修行に励んで下さい。

全ては現当二世であり、此の根義こそは、本門戒壇の大御本尊のお認(したた)めにして、其の御写したる我らが
御本尊にお示しの聖義であります。

さても『かくなる上は、ご本尊様に懺悔申し上げ』と言うのであれば、今こそ向かって御本尊の御右肩を拝しなさい。
そして、一信徒が一信徒との意見相違を以って自害する、などという、其の様な料簡こそを悔悟し、今こそ御本尊に
示さる現当二世の信心を以って、勇躍、前進して往こうではありませんか!

返信あらば、一言でも構いません。

紫光殿の御一言。

当方はいつでも待っております。
 

Re: 紫光殿へ

 投稿者:紫光  投稿日:2017年 8月14日(月)20時51分38秒 mo49-111-204-135.air.mopera.net
返信・引用
  > No.47551[元記事へ]

管理人さんへのお返事です。

 管理人さま、では、お世話になりました。
 これより、正装にて旅に参ります。どうか我が命に免じて、お納めくださいまし。
 

Re: 紫光殿へ

 投稿者:紫光  投稿日:2017年 8月14日(月)19時13分12秒 mo49-111-204-135.air.mopera.net
返信・引用
  > No.47551[元記事へ]

管理人さんへのお返事です。

こんばんは、管理人さま。
 ご多忙のところ、丁重なるご返信痛み入ります。
さて、私が「某講員さんのページ」と述べましたのは、過日の管理人さまの書き込みかと存じますが、そこの記述における内容から、おそらく当該サイトであろうと私なりに推測したものであります。
 私へのご返信から拝察しますに、直接名指しはしておられないものの、そのホームページの内容についてふれられたものであることは、間違いないものと存じております。
 私は管理人さまとは争うつもりはございませんし、はたまた、当該サイトの筆者に対して、意義を述べる立場にはありません。それは越権行為となる可能性があります。
 所属支部が同一ではないと思われるからであります。手続きの師匠が異なりますゆえ、私が所属寺院のご僧侶を超えて、勝手に他支部の講員さんの信仰に口を挟むことは、控えるのが無難と拝しております。
 ですので、管理人さまからいただきました書き込みに対しましても、具体的にふれていたずらに時間を費やすことは、双方のためにはならないと感じますので、差し控えたいと存じます。
 私の信仰の姿勢に誤りがあった。ということであります。管理人さまの信仰の正しさ、それは不動の者であり、絶対のものである。私ごとき者がそれに意見するはまさに僭越かつ、同士誹謗に値する重罪である。
 それにつきましては心よりお詫び申し上げます。
 本来ならば管理人さまに直接お会いし、御前で切腹いたして、己の誤りを償わなければならぬところ、まことにご容赦ください。
 しかしながら、当該サイトの筆者と論争することも控えたいと存じますので、かくなる上は、ご本尊様に懺悔申し上げ、自らの命をもって己の愚かさを償いたいと覚悟する所存であります。
 今生の引き際に、管理人さまのような、正しき信仰をどこまでも貫かれる、ご立派な先輩と巡り会えましたこと、光栄の極みであり、過分な叱咤のお言葉まで賜りましたこと、冥土の土産として、大事にさせていただきます。
 ここの掲示板、ならびに管理人さま、そしてここにつどうすべての方々、国内外の日蓮正宗僧俗に栄光と幸あれ。
敬礼
 

紫光殿へ

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 8月14日(月)14時28分9秒 i114-185-13-13.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  御投稿ありがとうございます。

又「東北在住の法華講員」との御親告、此(ここ)に承りました。

尚、当室は、管理人による「確認後掲載」となっておりますので、投稿文が即時に掲載されません。
投稿文は、あくまでも、管理人が掲載を確認した後となりますので、予(あらかじ)め御了承下さい。

さて、投稿内容、全て拝読させて頂きました。

紫光殿の御意見。

法界に於ける不思議な実体験について、其れは個々によって受け方が違うのであり、其れが仮令(たとえ)、
理解しがたい事であろうとも、其れらの実体験について批判し否定する事は、我らの様な凡夫からして、
其れは不知の判断ではないか。又、其れら実体験を経験した法華講員同志を、多数面前にて批判するは、
これ全く異體同心の精神に反するものではないか。してもし、法華講員同志に謗法あらば、一人静かに
御本尊に向かい、其れら同志の信心倍増を祈るべきではないか。

云く、

>我々はみな凡夫であり、完璧ではないわけでありますから、いろいろな見解があるのは決しておかしな
>ことでも、異常なことでもないと拝します。
>それがたとえほかの人には理解しがたいこと、信じられないことでも、その講員さんにとっては実際に
>体験したことに違いはないものと考えます。
>80万の講員がいれば、そこには80万の体験があり、生涯があり、みな異体同心すべき同士であると思います。

云く、

>もしその講員さんが、本当に謗法を冒していて、その現証としてそうした体験が現れたり、信心のどこかに
>間違いがあり、その結果としてそうした体験をされたとしても、私たち周りの者が、多くの人の前でその方の
>ことを批判したり、謗法者と指摘したならば、異体同心はどこに向かうのでありましょうか。

と。


紫光殿。

先ずは申しましょう。

当方は過日の投稿に於いて「某講員さんのホームページについて」などと限定した事はなく
ましてや「その法華講員さんが」などと言った事もありません。

それは何故でしょうか。

実に其の答えこそ、紫光殿が述べられている処(ところ)であります。

しかし、紫光殿は、当方の配慮を観ておきながら、御自ら「某講員のホームページについて話題が出ている」
などと申すは、これ全く「みなの前でだめだしされては、その方の立場、メンツも丸つぶれ」という御自身の
物言いに反する事になるのではないでしょうか。

尚、当方に於いて、臨死体験や幽体離脱などの現象について、其れを否定した事などは一切なく、其れこそは
依正色心に於ける宇宙法界の一現像として領解するものであります。

但、当方が申しておるのは、宗団教団に身を置く信仰者として、其の持する所の本尊、持する所の教理について
尊仰し修得すべきが、真っ当な信仰者としての姿ではないか、という事であります。

されば、法華講員が、法界に冥伏する生命をして「霊界の命」といい、其の冥伏せし生命の十界十如是をして
「霊格」といい、延いては十界互具を十界勧請、日蓮大聖人をして御祖師様、などと表現するは、これ全く
異字異義の類となるのであり、それを承知で使用するは、これ全く摧尊入卑の謗りを受けるものではないか、
という事であります。

改めて申しますが、異質なる表現は、在らぬ誤謬を招き、遂には異義と成って、仏法の義理に乖(そむ)いて
往くのであります。

したがって、個人的体験であろうとも、その体験なりを説明するに於いては、しっかりと教義に基づいた
表記表現を行い、決して間違った解釈を与えない、という事が、法華講員に限らず、宗団組織に所属する
信仰者としての責務ではないでしょうか。

本より、教義に於て表現はそうであろうとも、私は其の様に言いません。では、応に違背の義となりましょう。

果たして『それぞれの人』が『それぞれの考え』を基に『それぞれの解釈』を行って教義を論ずれば、
最早それは教義には非ず。実(げ)に其れこそは『己義』と成って、講員のみならず、今から入信しよう
とする者までも惑わす事と相成るのであります。

改めて申しますが【霊界】はダメです。
其れこそは【冥界】【幽界】【冥府】と表記すべきでしょう。
尚、冥界も冥府も、御隠尊猊下が御使用された表現であります。

紫光殿。

どうでありましょうか。

当方の申し様に間違いがありますか。

もしあれば御指摘願いたい。

してもし、問題なしというのであれば、紫光殿が指定された『某法華講員のホームページ』に向けて、
其の表現解釈の誤謬なりを、其れこそ法華講員として論じるべきではないでしょうか。

当方はその様に思うものであります。
 

つづき

 投稿者:紫光  投稿日:2017年 8月13日(日)23時50分23秒 mo49-111-204-135.air.mopera.net
返信・引用
   はたから見て「これは信じがたい」「信心に照らしておかしい」と思ったとしても、私たち凡夫は仏様ではないのですから、知り得ることなど砂丘の砂粒一つか二つあるかないかというレベルのものかと存じます。
 私たちがわからないこと、未知のことのほうが、はるかに多いのではと感じております。
 では、とある講員さんの体験なされたことがもしにわかに信じがたいとして、私たちに「それは絶対あるわけがない。その人がおかしいのだ」と否定したり、批判する確実な証明は、誰にも完璧にはできないのではないかと個人的には感じます。
 もしその講員さんが、本当に謗法を冒していて、その現証としてそうした体験が現れたり、信心のどこかに間違いがあり、その結果としてそうした体験をされたとしても、私たち周りの者が、多くの人の前でその方のことを批判したり、謗法者と指摘したならば、異体同心はどこに向かうのでありましょうか。
 また、私たちは仲間や先達を信じることができなくて、どうして世の中を幸せにし、広布へと歩めるのでしょうか。
 だめだしを出すことは簡単ですが、そこで歓喜やモチベションは上がるでしょうか。そこから生まれるものはあるでしょうか。
 もしそうしたことでその講員さんの信心、妙法を護持されている同士としての尊厳を傷つけたとすれば、互いにとってなにも生まれませんし、それはまことに不幸なことであると拝します。
 もし「あの人は謗法を冒しているのではないか」「この講員さんは信心がおかしいのではないか」と感じることがあれば、静かに御宝前に向かい奉り「あの方の信心が正しい方向に向きますように」と祈る、それでよいのではないかと、私ごときは思うのであります。
 みなの前でだめだしされては、その方の立場、メンツも丸つぶれになり、その師匠たる御尊師様のお立場もなくなるでありましょう。
 あえて何も申さず、ただひたすらその人のために唱題申し上げることが、一番の方法ではないかと、信心まだ至らない私なりに感じている次第であります。
 それぞれ人でありますから、様々な考え、意見もおありかとは存じますが、お互い妙法を護持させていただく身、これからも手を取り合い、信じ合い、尊敬しあって、まさに不軽菩薩の精神で日々を修行できれば、これほどありがたく、幸甚なことはございません。
 修行途中の身の上、ともに励まし合い、認め合い、尊重しあうことこそ、異体同心と私は思うのですが、先輩のみなさま、いかがですか?
 今打つべきは邪宗、身内ではないはずにござります。外折伏、内摂受という言葉もあるようにうかがったこともございますゆえ。
 

こんばんは

 投稿者:紫光  投稿日:2017年 8月13日(日)23時46分10秒 mo49-111-204-135.air.mopera.net
返信・引用
   こちらにははじめておうかがいいたします。
 法華講員です。東北在住です。
 さて、某講員さんのホームページについて、少々話題が出ているようなので、個人的所感だけ書かせていただければ幸甚です。ご無礼ご容赦くださりませ。
 まー、確かに種々ご意見をお持ちの方はおられることと存じます。信じる方、信じない方、まったくなんのことかと不思議に思う方。
 それは、我々はみな凡夫であり、完璧ではないわけでありますから、いろいろな見解があるのは決しておかしなことでも、異常なことでもないと拝します。
 しかしながら、私たちにはそれぞれ、みなその人が持っている体験というものがあるのも事実です。
 それがたとえほかの人には理解しがたいこと、信じられないことでも、その講員さんにとっては実際に体験したことに違いはないものと考えます。
 80万の講員がいれば、そこには80万の体験があり、生涯があり、みな異体同心すべき同士であると思います。
 すでに旅立たれた先達も同じで、先達の方々の数だけ、生涯があり、体験は存在すると私は思う者であります。むろん、ここに集う講員諸先輩、そして私ごとき者にも、それは実際にあるのであります。
 

愚人殿

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 8月12日(土)13時42分48秒 i114-185-13-13.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  早速の御投稿、此に承りましょう

尚、御貴殿に対して「気が向くのであれば御投稿願いたい」と申し述べたのは、別件に対するもの、
つまり、御貴殿が云う『日蓮について思ったこと』が何故に「日蓮正宗」に向かうのか。
そして、其の趣向は、如何なる「不信仰」から来ているのか、という事であります。

又、当室に於いては、巻頭文のとおり、投稿者自身の立ち位置、つまりは、所属する宗派教団を親告し、
其の上に立った教義本尊の正義を顕揚する、という事であります。本より、何処(どこ)の宗派教団にも
属さない、全くの無信仰者からの投稿は受け付けておりません。

御貴殿は自らをして「不信仰」と申された。されど其れは「無信仰」ではない。言うまでもないが、
「不信」と「無信」とでは、其の意からして大違いである。

さても、死後の生命に対する(法華講員としての)表現について、其れが日蓮大聖人の御教示に適っているのか、
いないのか、この私が調べましょう、などと、裁判官よろしく述べられている様ではあるが、其れとて、
自身の大義、自身の信条が在って初めて、其の目的なりが果たせるのではないか。

とまれ、御貴殿の「調査結果」を待つとするが、客観的な理屈のみでは、事の観心には迫れない、という事を
先ずは識るべきであろうと思う。
 

大月天氏

 投稿者:愚人  投稿日:2017年 8月12日(土)10時16分59秒 softbank126094249159.bbtec.net
返信・引用
   気になったことがあったので、お言葉に甘えて投稿させて頂きます。大月天氏は、かつて当板に、


別在の十界  投稿者:管理人
投稿日:2013年 4月28日(日)14時30分51秒 i60-34-120-234.s42.a014.ap.plala.or.jp   通報 返信・引用
御隠尊猊下に曰く『「悪鬼」というのは幽界の命とも言えます。目に見えるものしか信じない人も
多いけれども、世の中の存在には、目に見えない種々の界があるのです。すなわち別在の十界を信ず
べきであり、そこには地獄界も餓鬼界もあり、悪霊も存するのです。例えば、通力のある人は、山の
中の稲荷の後などを歩くと、そこに長い間住んでいた狐の魂などを感ずることがあるのです』

                         (平成15年度 第1回法華講夏期講習会)


と投稿されています。気になりまして今朝方に、編集:大白法編集室 発行:日蓮正宗法華講連合会 『御法主日顕上人猊下御講義集 立正安国論』を調べてみたしたら、59ページに該当する大石寺先代住職のである阿部日顕上人の教示がありました。そこには大月天氏が引用された文の後に、


 この種々の実例はあえて述べませんが、幽界というものはあるのです。幽界の中には、様々な悪鬼・悪魔もいるわけで、そういう悪鬼・外道が来たって災いを起こし、難を起こすのであると仰せであります。


と教示されています。日顕上人は「冥界」ではなく「幽界」との言葉を使用されているのですから、日蓮正宗法華講員の方々は、「冥界」との言葉に囚われずに、世界悉壇の上から「幽界」という言葉を使用しても良いと思います。なお、色々調べましたが日蓮正宗に於いて「霊界」との言葉の使用例は確認できませんでした。


 ちょっと興味を持ったので、日蓮正宗の「死後の生命は宇宙に冥伏するは」、日蓮聖人の教示に敵っているのかを調べ、投稿させて頂きます。

 
 

冥界の深義

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 8月10日(木)20時53分1秒 i114-185-13-13.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  今や夏も後半戦。

連日の猛暑にはうんざりであるが、ここは怪談話でゾクッと小寒くなって貰いましょう、とは
応に納涼の決まり文句ではあるが、これらの怪談話、つまりは幽霊話であるが、果たして
本当にあるのであろうか。

無論、我々は創価などの新興宗教と違って、真っ当正真な仏教徒であるから、本より幽霊ついては、
其の「存在なり」を法義の上からして領解するものである。

凡(およ)そ、此の世は此の世のみであって、あの世などは決して無く、其の様な世界、つまりは死後の
世界などは有り得ない。だから、葬式も塔婆供養も単なる気休めでありセレモニーであり、御冥福
(冥界での幸福)などと云う言葉も、実際には存在しない冥界(死後の世界)を祈らんとする虚語でしかない、
との言い様は、曾(かつ)て当室に出入りしていた創価外道の狂信者のものであったが、勿論、其れこそが
間違いであり、厳然と「冥界」は、此の宇宙法界の中に存在するのである。だからこそ、我々は其れら冥界に
於ける精霊、つまり此の宇宙法界に冥伏している生命に対して、日々追善し供養するのである。
重ねて云うが、創価信者が言う様な、精霊とは今生きている我々の事を指している、などという狂言は、
最早、仏教徒の其れではなく、其れこそは新興外道の創価らしい断見の世迷言であると、此(ここ)に改めて
呵責するものである。

御義口伝に曰く『法界とは広きに非ず狭きに非ず。総じて法とは諸法なり、界とは境界なり。地獄界乃至
仏界共に界(さかい)を法(のっと)る』と云云。
続けて曰く『仍って法界が法界を礼拝するなり。自他不二の礼拝なり』と。
爾して曰く『即身の二字は色法、成仏の二字は心法、死人の色心を変じて無始の妙境妙智と成す。是則ち
即身成仏なり』と。
仍って申さく『今日蓮等の類(たぐい)精霊を訪(とむら)ふ時、法華経を読誦し、南無妙法蓮華経と唱へ奉る時、
題目の光無間に至って即身成仏せしむ。廻向の文此れより事起こるなり』と。

つまり、我々現世の生命と、冥界に伏している死後の生命(精霊)は、此の宇宙法界に於いて不二であり、
其の相関は、あらゆる境涯(十界十如是)に於いて断絶されないのである。

何時ぞや、当室でも紹介したが、彼の東日本大震災で犠牲になられた方の亡霊(幽霊)が、驟(しばしば)
被災地に現われて、其れら幽霊を乗せたタクシーの乗務員の複数体験や、仮設住宅に住む婦人の体験など、
其れらの幽霊体験は、東北三県(岩手・宮城・福島)などで延べ300件以上にもなるという。
尚、此等の事は、或る女子大生の卒論に紹介され、NHKに於いても特集が組まれたのである。
                    ⇒【NHKスペシャル 「亡き人との再会~被災地 三度目の夏に~」】参照

本より、十界十如是は、有情非情に亘るのであるから、其れら非情の生命が、其々の相関に於いて感応し、
実際の現像として現われても、決して不思議な事ではない。つまり、其の事を突き詰めれば、此の法界には
幽霊も居れば悪霊も居る、という事である。尚言っておくが、目に見えないモノは信じない、という御仁は、
当方からして全くの莫迦であるから、そういう知恵足らずの者は、当室から速やかに退室した方がよかろう。

さても仏法の根義というものは、自分自身と森羅万象を分別せず、其れら全体を一として領解する、つまり、
無分別知を以って開悟するものであるから、学者等が喚(わめ)く断常の二見などは須らく其れら範疇内の小義と
心得るべきである。

日蓮大聖人が曰く『理の顕本は死にて有情をつかさどる。事の顕本は生にして非情をつかさどる』と云云。

つまり、理の顕本とは、常住としての仏性を説くものであり、事の顕本とは、仏身としての常住を説くもの
である。なれば、其の理事究極の御尊体こそ、非情の態相に刻印された日蓮大聖人の御仏性。つまりは
「南無妙法蓮華経 日蓮」たる曼荼羅御本尊の事であり、其の人法体一たる曼荼羅御本尊の御顕発こそが、
応に日蓮大聖人の御本懐だったのである。

従って今更言うまでもない。曼荼羅御本尊こそ日蓮大聖人の御尊体であり、日蓮大聖人の御魂魄なのである。
して観るに、曼荼羅御本尊は紙幅であり、又、御板でもある。したがって其の態相は非情である。
しかし、其の非情なる御本尊に帰命すれば、我ら有情の命に其の仏法力が感応するのである。
応に此の原理こそ、自他不二の礼拝の其れであり、実(げ)に曼荼羅御本尊こそが生死不二の御尊体であると開悟
すべきが、我らにして正しい仏法道と成るのである。さてもさても、大聖人御魂魄の曼荼羅御本尊。
果たして、是れ程の不可思議境が他にあろうか。果たして、これら最高なる御尊体を日々眼の当たりにし、其の
無量なる宝珠を有情の身にして獲得するを了するならば、其れこそ現世に於ける財物金銭の獲得や、名誉権力の
獲得など、是れ全く小利益の類(たぐい)と成るのであり、其れら小利益を以て一々歓喜している様では、まだまだ
其の命に於いて大法の妙義を体得していない証拠ともなるのである。

爾して昨今、幽体離脱等の神秘的な体験を以って、妙法の大義を論じようとする志向も見られるが、
是れこそは個人的な感応体験であり、与えて其れが法理の一端であろうとも、其れらの体験を仰々特殊として
取り上げ、信心会得の目標例と為すは、是れ全く浅識の小智と断ずべきであり、又、其の様に洞察する事こそが
我ら富士門信徒に於ける信心会得の基底ともなるのである。

御書に曰く『古(いにしえ)の人々も不可思議の徳ありしかども、仏法の邪正は其れにはよらず』と。

応に此の御文こそ、摧尊入卑を抑止する御誡文であり、小現証の歓喜を以って大法全体の歓喜と為す事を
誡める御文である。さても、一喜一憂は小信の印(しるし)とは…。いやはや、仏道修行とは厳しいものである。

尚、以前にも申し述べたが、此の宇宙法界に於いては、一念の波動に距離間は存在しない。
つまり、目の前1センチという距離も、遥か何千キロという距離に於いても、妙法の一念からすれば
無距離、つまりは基点にして同じ、という事である。したがって、日本で唱えた題目(御祈念)が、ブラジルの
サンパウロに届くのに、何分かかるとか、何時間かかるとか、そういう概念は存在し得ない、という事である。
本より其れは地球外に於いても同じであり、1センチも百億光年も、此の宇宙法界からみれば同基なのである。

仍って曰く『四方四惟上下合して十方なり、則ち十界なり』と
して曰く『今日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱へ奉るは十界同時に光指すなり』と。

尚、此に重ねて云うが『霊界』などと称し、恰(あたか)も宇宙法界に冥伏している生命が「霊界」という別の
世界に存在しているかの様な言動は、全く以って間違いであるから、以後に於ては幽霊も幽体も、須らく法界の
一現象である、という事を此(ここ)にして領解すべきである。

今更云う事でもないが、正統・富士門流に於いては、其の論説に於ける表現などは、特にうるさいのであるから、
霊界だの、霊格だの、十界勧請だの、御祖師様だのと、其の様な言い回しは止めた方がよろしい。

日有上人が曰く『法華宗の大綱の義理を背く人をば謗法と申すなり』と。
又曰く『門徒の僧俗の中に人を教へて仏法の義理を背せらるる事は謗法の義なり』と。

異質なる表現は、在らぬ誤謬を招き、遂には異義と成って、仏法の義理に乖(そむ)く。

さても、夜な夜なお化けが出るのは構わんが、教義がお化けになっては話にも成らん。

其れこそが一番怖い話となる。

さて、明日よりは又『嗚呼、邪教人』と参ろうか。

是れとて立派なお化け退治である。
 

報告

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 8月 3日(木)16時37分47秒 i114-185-13-13.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  久々の投稿である。

実は出張による不在もさる事ながら、当方のパソコンが壊れてしまい、先週末、ようやく修理が終わって、
当方の手元に戻ったという次第である。実(げ)に其の壊れようは、応に創価学会の破壊教学に匹敵するもので
あった。哀笑。本より、パソコンは機械であるから壊れて御仕舞いであるが、創価学会は宗教団体であるから
壊れただけでは済まないのである。鼻笑。其の先は言わずも判るであろう。小鼻笑。

さて観れば、昨今の創価学会員は、日蓮大聖人の御事を「日蓮くん」と呼ぶのか。
いや、さに匪ず、対する法華講員が、其の者を創価学会員と見間違えておるのか。
とまれ、基奴(そやつ)がもし創価学会員であるならば、最早、脳髄が壊れて狂っているのであろう。
いや、基奴こそは、創価学会の狂学では最早太刀打ち出来ないが故に、敢えて「日蓮くん」などと卑称し、
無信仰の小学者を装って論じているのやも知れん。無論、基奴が本当に無信仰者であるならば、最早基奴は、
無智無学の馬鹿者であると、此に断言しよう。

尚、重ねて云うが、当室は、他の掲示板と違い、其の論戦に於ける参加資格が極めて厳しくなっている。
つまりは、所属宗派及び門流の親告。更には、其の所属する宗派門流の本尊及び教義の正義宣揚である。
果たして、其の城壁を乗り越えて、当室に対した者などは、此の十年で数人しか居らん。
ったく、情けない限りよのぉ。呆哀。

とまれ、我が富士門徒以外の者が此(ここ)にやって来ようとも、蓋を開けて見れば、やれ串だ、やれ多重だ、
やれ成り済ましだ、と、そんな連中ばっかりである。呆哀哀。

ったく、何とかならんか其の根性。呆哀。

兎も角も、手元の機械が直ったのであるから、今日よりは亦(また)、馬鹿に付ける薬は馬鹿と云うしかない、
との呵責精神の下に、正統・富士門流の大教義を大いに宣揚して、邪宗馬鹿の撲滅に多少なりとも貢献出来る様、
此(ここ)に勇躍、前進して参りたいと思うものである。
 

創価学会は既に某身延系寺院から大聖人の真筆本尊の版権を買ったそうだ!

 投稿者:黒川 和雄@日蓮正宗  投稿日:2017年 7月18日(火)15時12分33秒 p2149-ipbfp1802osakakita.osaka.ocn.ne.jp
返信・引用
  その理由は学会の現在のニセ本尊には「奉書写之」(之を書写し奉る)の文字が入っているからである。この「奉書写之」がある限り本門戒壇の大御本尊から完全に離れることが出来ない。従って「奉書写之」の無い邪宗身延系から本尊の版権を購入したということである。いずれ、「日蓮大菩薩」となることは想像できる。
 

創価諸君、御書根本で回答してください

 投稿者:黒川 和雄@日蓮正宗  投稿日:2017年 7月18日(火)15時07分41秒 p2149-ipbfp1802osakakita.osaka.ocn.ne.jp
返信・引用
  一代聖教大意
「この経は相伝に有らざれば知り難し」

日興遺誡置文
「御抄を心肝に染め極理を師伝して云々」



質問
①「日蓮は末法の本仏なり」とする直接的な御書の文証を挙げてください。
②「在家教団でも本尊を認定できる」という御書の文証を挙げてください。
③「在家教団でも葬式の導師を務めてよい」とする文証を挙げてください。
④御本仏日蓮大聖人の他に仏法上の「永遠の師」を立てても良いとする御書の文証を挙げてください。
⑤報恩抄に曰く、「本門の教主釈尊を本尊とすべし」どおり、釈尊を拝んだらいかがですか? 御書根本で否定してください。
 

ああ、邪教人 番外

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 6月22日(木)15時59分0秒 i118-19-14-249.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  >質問です。
>戸田先生の言葉の「六種類」の内容をご存知の方がいらっしゃいましたら、
>お報せいただけると、助かります。
>宜しくお願いします。

>法華経本門文底の釈尊

鼻笑。

法華本門の文底の釈尊。

小笑。

果たして、文底の釈尊とは是れ如何。

哀笑。

其の答え。宿坊に訊いてみなさい。

小鼻笑。解らずんばヒントをやろう。

宿坊云く『そんなモノはイワシの頭…』

呆哀哀。

巨大猫よ。

お主は此の答えに対して呵責する勇気は有るか。

無ければ自らをして『巨大』などと言うものではない。

よいか。

上記の問いに対して創価教学を以って返答したという事は、お主は創価学会員であろう。
ならば、今こそ宿坊の謗法を責めなければならない。

よいか。

出来ずんば、台家の理屈など貼り付けるものではない!

其れこそは本末転倒である!

よいか。

法敵は眼の前に在る!

迅(はや)く呵責致せ!!
 

ああ、邪教人 其の六十五

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 6月20日(火)19時24分28秒 i118-19-14-249.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  >佐藤優との対談で世に知られるようになった松岡幹夫氏の最新本。
>北海道の組織が方面長を通じると1512円が1400円で購入できるので取りまとめを専門部
>(経営者、自営業者のグループ)に依頼してきた。
>一個人の本を道トップが組織利用。裏になにかあるな?
>どちらにしても組織利用の販売そのものがこの本の本質を物語っていますね、最悪ですね。

哀笑。

そーよな。最悪であるよな。

して、其の最悪の最悪たるは、聖戦自爆の回教であろうが、バラモン回帰のヒンズー教であろうが、
処女懐胎のキリスト教であろうが、其れら諸外道を褒めちぎり、又は、其れらの教義を容認して、
其れこそ味噌糞一緒の邪教組織に成り下がってしまった、という事である。
だからこそ、今に於いても離脱坊主の屁理屈などを採用し、無知なる一般会員に向けて其れらを販売し、
其の利益などを懐中に入れているのである。ったく、是れ程の醜い在家集団が何処(どこ)に居ろうか。呆哀。

>この出版社と方面長に特別な繋がり(利害関係)があるようです。

そーか。

小笑。されば「方面長のご意向」という事か。鼻笑。

まぁ、其れなどは「方面長のご意向」なのか、其れとも「方面長のご意向(と聞いている)」ものであるのか、
其の表現を比れば、全く別の意味に成るから、当方とて一概には言えまいが、とまれ、未だ松岡の小理屈などを
嬉々として販売している様では、創価の知能指数も知れたもの、という事である。小鼻笑。

其の松岡所属の坊主同盟が云く『およそ血脈相承の根本目的が広宣流布にあることは、宗祖大聖人から第二祖
日興上人への付嘱書に「時を待つべきのみ」(身延相承書・御書一六〇〇ページ)とあり、日興上人から第三祖
日目上人への付属書に「広宣流布を待つべきなり」(日興跡条条の事 ・富士宗学要集 五-一八八ページ)と
あることからも明白である』


又云く『広布の時のため、盤石なる基礎を確立せんと奮闘された真金の「大聖人直結」の弟子が、日寛上人で
あられた。極言するならば、日寛上人が生涯をかけて築かれた信心の遺産の全ては、まさに今、仏意仏勅を受けて
世に出現し、未曾有の世界広布を成し遂げんとする創価学会のためにあったといってよい』


更に云く『学会が会員の方々に授与するお形木御本尊は、日寛上人が大聖人出世の本懐たる「戒壇の大御本尊」を
お写しされた御本尊である。ゆえに「大御本尊根本」の信心はいささかも変わらず、当然、これまでの(破門以前の)
御本尊と功徳においてなんら違いはない』


呆哀笑。

松岡よ、そして創価学会よ。

オマエらは、上記三項の宣言をどうするのか。

まさか虚言であったのか。

よいか。無知とは申せ、末端の会員を馬鹿にするものではない。

よいか。オマエらは、上記三項について総括せよ!

そして、本尊義変節の法義的根拠を、創価学会創立の原点に照らし合わせて、其の正義たるを証明致せ!

よいか!! 屁理屈は其れからの事である!


>法華経如来寿量品第十六には、この娑婆世界に肉身の釈尊が出世して、
>過去の阿羅漢たちでも成し遂げることができなかった降魔成道を、
>歴史上初めて、ネーランジャラー河畔の菩提樹下において完成したとあるが、
>実はこの肉身の私(釈尊)は、正しい悟りを開いて成仏して以来これまでに、
>「無量無辺那由他劫」と呼ばれる非常に長い、永遠の時間を経ているのである、
>と説かれている。

>このように、現実に目のあたりにしている釈尊、すなわち釈迦牟尼仏は、
>久遠実成の仏に他ならない。

小鼻笑。

なんなのだ。

釈尊すなわち釈迦牟尼仏だ?

鼻笑。言っておくが、オマエが投稿している掲示板の管理人、つまりは宿坊の黒カラスなどは、
釈尊と釈迦牟尼仏とは別モノである、と言っておるぞ。

其れを『即(すなわ)ち』と云うならばオマエ、先ずは宿坊管理人を呵責致せ!!

ったく、オマエら宿坊の掲示板に投稿している者どもは、一体、何処(どこ)に目を付けておるのか。

投稿先の管理人に誤りあるならば、先ずは其れを呵責してから、モノを申すべきであろう!

よいか。其れが事の順序というものである。

呆哀哀。

ああ、邪教人。嗚呼、邪狂人

邪教人の呵責は、これからも続く。
 

ああ、邪教人 其の六十四

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 6月18日(日)17時39分21秒 i114-185-21-119.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  今日も今日とて邪教人。

では参ろうか。

先ずは其の一。

>日蓮(上人)はの、日蓮(上人)の法門を理解できない富木常忍に…

日蓮はの、ではない。

日蓮大聖人は、である。

括弧など用いるものではない。

其れにしても、日蓮とは呼び捨てたいが、其の増長に小遠慮して(上人)などと付け加えておる。哀笑。

お主、其の様な浅識無知の分際で「日蓮の法門を理解出来ない富木常忍」などと、よくも言えたものである。

ったく、富士門の正師たる日蓮大聖人を日蓮と言い、邪宗日蓮宗の小坊主をして聖人と言う。

よいか。其れらの脳髄をして「心破作七分」と云うのである。

本より、日蓮大聖人の大法門を理解出来ないからこそ、富木五郎左衛門は釈迦仏の造立に固執したのである。

先ずは其の事、お主が投稿している掲示板の管理人に教えてやりなさい。

其の方が先決である。

次。

>弱者を守ってどうなるんだ!
>お涙ちょうだいではダメだ!
>丹治とは聖教の元編集局長
>前代未聞の金銭問題を引き起こした悪人

そうか。丹治副会長は悪人であるか。

荀子云く『人の性は悪なり』。

鼻笑。オマエたち附仏法外道の集団に於いては、此の荀子の教えこそが似合いではないのか。

人の性は悪なり。其の善なる者は偽なり。

さすれば、丹治の悪事なども得心出来るであろう。

つまりは、其れが創価教の限界という事である。

小鼻笑。此の意味、理解出来ようか。出来ずんば、富木胤継と同じである。


次!

>原田執行部が「多少の退転はやむを得ない。9割は付いてこれる」という趣旨の発言をしていたとも
>聞き及んでおります。
>1000万会員の1割と言えば100万人。100万人の同志を退転させ、地獄に堕とすというのでしょうか。

其の発言こそは八尋顧問弁護士(現副会長)のモノであろう。

本より、此の様な無機質な者を側近として迎えた池田太作の罪は重大である。

因みに、池田太作は、昭和53年9月23日の本幹に於いて、此の様な事を言っておる。

云く『学会員が五万や六万減ったってどうということはない』

果たして、これはどうなのか。

これも、同志を退転させ地獄に堕とさんとする悪魔の発言であるのか。

先ずは其の事を説明しなさい。

ったく、オマエたちの欠点は、過去の矛盾に目を向けず、其れこそ何の総括もせずに、ベラベラと口を動かす
処(ところ)にある。少しは反省しなさい。そして、破門時に駆け込んだ茶坊主たちを護ってやりなさい。
今更、教義を変更して用無しとは、いくら何でも可哀想であろう。哀。
よいか。あの時、これらの茶坊主が居なければ、オマエたち創価の本尊義は体面上、成り得なかったのである。
よいか。其の事を忘れてはならん。

次。

>「十界・十如・権実の法」とは、結論的に言うと、
>「十如是のあり方を取り、権と実にまたがった十種の生命体という存在」
>という意味に解釈できる。

哀笑。だから何なのだ。哀笑。

其の様な事、本末究竟の真なるを見極めれば、領解出来る事ではないか。

何? 本末究竟の真とは何かだと?

哀笑。お主の眼前に在ろうが。

さても、灯台下暗し、とは此の事か。

さもありなん。哀笑。

されば曰く『夫(それ)一心に十法界を具す』と。

はて「一心」とは是れ如何に。

よろしいか。其れを領解せずして台家を論ずるは、是れ全く浅識の罪に成る事を、お主は知るべきである。

曰く『義道の落居無くして天台の学文すべからざる事』と。

果たして「義道」とは何ぞや。

まさか、創価教ではあるまいに。哀哀。

ああ、邪教人。

嗚呼、邪教人。

小義邪教人の破折はこれからも続く…。
 

ああ、邪教人 其の六十三

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 6月14日(水)21時48分13秒 i114-185-21-119.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  言うまでもない。

「ああ、邪教人」の「ああ」とは、嘆きの「嗚呼」であり、其の嘆きの「嗚呼」は、
邪教害毒による莫迦の見本、つまりは浅読みの知恵足らずに対しての「嗚呼」である事は、
最早周知されている処である。

して、そんな「嗚呼」の邪教人が、こんな事を言っていた。

「宗門は、五道冥官等の悪鬼などが書かれたニセ本尊の化儀を、江戸時代になって邪宗日蓮宗から
取り入れた」と。

鼻笑。

嗚呼、邪教人。

応に、莫迦の見本とは此の事か。

哀笑。ならば、御本尊に『五道冥官』と認(したた)めた日寛上人こそは、実にオマエからして
邪宗日蓮宗のニセ本尊を真似て書いた「ニセ法主」という事になるではないか。
して、そんな邪宗日蓮宗から取り入れた本尊を、平気で真似る法主が書いた本尊を、今、オマエたちが
平気で拝んでいるとは、一体どーゆー事であるのか。つまりは一類という事か。

オマエは其れを説明致せ!


して、次の邪教人。

これも又「嗚呼」である。

云く、

>創価学会は、大聖人の御遺命の世界広宣流布を推進する仏意仏勅の教団であるとの自覚に立ち、
>その責任において広宣流布のための御本尊を認定します。
>したがって、会則の協議事項に言う「御本尊」とは創価学会が受持の対象として認定した御本尊であり、
>大謗法の地にある弘安2年の御本尊は受持の対象にはいたしません。(聖教新聞 ・2014年11月8日)
>「謗法の他教団の寺にあるので受持の対象としない」つまり「根本としない」としているだけです。

呆笑。

謗法の地にある弘安2年の御本尊は受持の対象にしない、つまり根本とはしない、という事だ?

呆哀。

嗚呼、邪教人、嗚呼、邪教創価人。

そんならオマエ、以下の指導は、一体どういう意味であるのか。

池田名誉会長が云く『大聖人の出世の本懐である一閻浮提総与の大御本尊が信心の根本である事は、
これからも少しも変わらない』と。【平成5年9月16日、アメリカSGI最高会議】

おい、オマエ、平成5年とは何だ。つまり、この時、オマエらからして宗門は、既に謗法の他教団に
成っていた、という事ではないのか。

而して池田センセーは「根本にする」という。しかも、其の信心姿勢は「これからも少しも変わらない」という。

して、オマエは「根本にしない」という。しかも、その理由が「謗法地の本尊だから」という。

ならば『(一閻浮提総与の大御本尊が信心の根本である事は)これからも少しも変わらない』と池田センセーが
断言した其の当時、富士大石寺は謗法の地ではなかった、という事か。

オマエは其れを説明致せ!

呆哀哀。

嗚呼、邪教人、嗚呼、邪教人。

まだ居るか、まだ居るか!

居た!! 信州の山奥に。

云く、

>一大秘法って何ですか?
>(タテ線時代の関西創価の草分け幹部の)4人一斉に即答。
>本門の題目です!!

>やはりな~~・・・・・
>私は兵庫県神戸市で入会して、4か月後の任用試験。
>三大秘法の勉強でそう教わりました。

おいおいおい! 呆呆呆。

あんさんら、いったい、なにいうてまんねん。小笑。(これでいいか、これであってるか、方言) 鼻笑。

ったく、

オマエたち関西人は、一体何を学んで来たのか。

タテ線当時、そんな阿呆な事を云ってたら、我ら関東に於いては、隊長から即ビンタであるぞ!

よろしいか。以下の指導をよ~く、読みなさい。

『南無妙法蓮華経と唱題する中に三秘が具わっているというが如きは、無学のジイサン、バアサンならいざ知らず、
少しでも教学をやった者には気狂いになっているのではないか、という以外には思いようがない』

これ、誰の指導か知っておるか。

タテ線の棟梁、戸田先生の指導だよ。

ったく、オマエら関西の創価員はまことの馬鹿であるのか。

『一大秘法って何でっか?』
「そりゃ本門の題目やろ!!」
『そやろな~~』

堪笑。

信州の丁髷老人。

漫才やるのもいい加減にしなさい。腹笑。

嗚呼、邪教人、嗚呼、関西邪教人!

まだ居るか、まだ居るか!

いや、其れこそは限(き)りがない。

されば、本日はこれ迄としよう。

ああ、邪教人。

邪教人への「嗚呼」は、これからも続く。
 

大月天殿

 投稿者:黒川 和雄@日蓮正宗  投稿日:2017年 6月 8日(木)18時54分43秒 p2149-ipbfp1802osakakita.osaka.ocn.ne.jp
返信・引用
  うれしいお言葉、ありがとうございます。

了解いたしました。
 

黒川殿へ

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 6月 7日(水)17時28分49秒 i118-19-15-232.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  あらら、名前が出てしまいました。小笑。

黒川殿。お久しぶりですね。

宮川雄法。その通りです。

此の者、訓導の分際で、あれやこれやと、見て来た様な嘘を並べ、創価破門当時の日顕上人(現御隠尊猊下)に
対する批判中傷を専(もっぱ)らにして、逸(いち)早く宗門から離脱した、云わば反逆僧の其れであります。

しかし、此の反逆僧も、池田の植物化によって、其の庇護を失い、遂には新興宗教・創価学会から疎まれて、
聞く処によれば、何と其の身を房州の妙本寺に転じて『日護』などと称している由。

哀笑。いやはや何とも、トドのつまりが戒壇建立の大義を初手から放棄している荒寺の能化に収まるとは…。哀笑。
さてや此の者、全くの無教学の小僧であったのか。鼻笑。

其れにしても、久々の来室者。

本より、面倒くさい掲示板ではありますが、たまには御投稿下さい。

所属不明の不審者、愉快犯の多重ハンネ、無信仰の文献莫迦、そして、臆病者の串投稿。

此等の類(たぐい)でない、となれば、投稿の確認次第、早速に掲載致します。

尚、当室は、正統・富士門流の法義を宣揚する為、法華講員諸氏の教学論文なども募っております。

本より、邪宗教の破折論文でも構いません。

何卒、宜しくお願い致します。

尚、投稿文が掲載されるまで、当室管理人の不在等により、多少時間が掛かる場合もありますが、
其の点につきましては、予(あらかじ)め御了承の程、お願い致します。
 

大月天殿

 投稿者:黒川 和雄@日蓮正宗  投稿日:2017年 6月 6日(火)17時18分34秒 p2149-ipbfp1802osakakita.osaka.ocn.ne.jp
返信・引用
  >元大栄寺住職の、ほら…。アイツだよ。

宮川雄法ですね。笑 笑
 

ああ、邪教人 其の六十二

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 6月 6日(火)13時58分38秒 i60-34-119-221.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  >宗門との関係を復活させたいと願っているのは秋谷さんご自身。
>その証拠に数年前に池袋の常在寺に御秘符をもらいに言っています。
>今も隙あらば宗門と手打ちしようと思っています。

其れは確か、5年前の事であるよな。

無論、創価本部などは、其れらの情報を黙殺隠蔽し、末端会員に至っては知る由もないが、
秋谷議長(創価学会最高指導会議議長)が常在寺に入って行く姿を、近隣に在住する法華講員が目撃した、
との情報が、当方の耳には入っている。

まぁ、嘘か真(まこと)か。とまれ、秋谷議長が御秘符を戴いたのであれば、当然にして勧戒を受け、
再び富士門の信徒に成った、という事であるが、果たしてどうであるのか。さもすれば、御山から
箝口令が敷かれているやも知れんし、実際、其れ以上の情報は入っていない。

何れにしても、創価学会の最高幹部が、日蓮正宗の御寺に行って御秘符を頂戴する、などという話が
あちらこちらで飛び出す事自体、池田名誉会長の影響力が、何も知らない末端会員は別にして、本部組織に
於いては最早皆無になっている、という事である。

其れにしても池田センセー。

今現在どーなっておるのか。

まさか、ホントーの植物に成ってしまったのか。

されば、陽の光を当ててやらねば枯れてしまうだろう。

勿論、水もやらねばならん。

果たして、其れらの世話は誰がやっておるのか。

教えて下さいよ。学会員様。

何。私たちも知りません?

呆哀。呆呆。呆笑笑。

それならば、以下の情報は知っておるか?

ほら、曾(かつ)て、御隠尊猊下をして「ステテコ穿いて御本尊を書いていた」と悪口罵詈し、
スパイよろしく創価学会の軒下に駆け込んだ、ほらあの、日蓮正宗改革同盟とか何とかいう、
ほら、元大栄寺住職の、ほら…。アイツだよ。

聞けば此の者、創価の待遇に不満を募らせ、とうとう爆発して離反し(又は追放されて)、今では
保田妙本寺の能化に成っているという。しかも、其の尻の穴には、イタチとか宿坊とか兵長とか
田んぼとか、そんな連中が入り込んでいるという。

哀笑。ったく、正宗の元住職でありながら、今にして妙本寺の能化に収まるとは、実(げ)にオマエこそは、
一体何を学んで来たのか。よいか、そーゆー脳足りんであるから、スパイに成り下がり、しかも不満を
募らせて、遂には、郷門に屈したのである。よいか、枝流異流に身を転ずるは、是れ全く屈服の意である、
という事を、オマエは識(し)るべきである。

して、オマエら離反坊主は、曾(かつ)て此の様に胸を張って宣言していたよな。

云く、

『「法体」こそは、本門戒壇の大御本尊以外には有り得ない』と。

是れは今でも変わっておらんのか。

何とか申せ!
 

八品法華宗の邪態を破す

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 6月 4日(日)20時09分58秒 i114-185-16-82.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  八品派に云く、

>法華宗の門祖・日隆聖人は、鶴丸紋を本勝迹劣の宗義のシンボルとして日蓮大聖人の正統なご信心を受け継ぐ
>法華宗の宗紋と示されました。

何? 鶴丸紋を日蓮大聖人の正統なご信心を受け継ぐ法華宗の宗紋と示されました…、だと?

鼻笑。おいおい、日蓮大聖人の正統な御信心を受け継ぐって、オマエ、日隆の棟梁は一体誰であったのか。
其れこそは、日蓮門下に於ける日文字の伝統に違背した、軟弱一致の痴れ者ではないか。

其れにオマエ、大聖人が御入滅されてから、100数年経って生まれ、しかも、其れから33年も経ってから、
ようやく本迹の勝劣に気づき『さぁ、頑張るぞ!』と決意するも、日文字違背の軟弱棟梁に凄(すご)まれて、
『やっぱ、御免なさい。本迹は一致するものでした』などと詫び状を入れて、其れこそ右往左往の恥態では
なかったのか。

ったく、そんな者が日蓮大聖人の正統な御信心を受け継ぐ聖人であるとは、オマエ、あまりふざけた事を
云うものではないぞ。

して、そんな日隆が宗紋とした鶴丸紋は、其れ以前、つまり、日隆が独立する以前の100数十年、
何処(どこ)の門流が用いていたのか。まさか、日隆が初めてか。よいか。オマエらは、そーゆー淵源も
示さねばならん。言っておくが、我ら富士門から失敬したなどとは言わせまいぞ。よいな。

>法華宗再興唱導師と尊称され、宗祖日蓮大聖人の正しいご信仰「本門八品上行所傳本因下種之南無妙法蓮華経」を
>お伝え下さった日隆大聖人の門流……

なんだ。オマエたちには大聖人が二人も居るのか。小笑。

ったく、日隆など、聖人の尊称でさえ身分不相応、否、信心不相応であると云うに、まさか「日隆大聖人」とは、
恐れ入った。 まこと大丈夫か? そのアタマ。呆呆。

>本門八品上行所傳本因下種之南無妙法蓮華経

哀笑。本尊所顕の寿量品を根幹とせずに、どうやって八品の正意を領解出来ようか。呆哀。
よいか。所顕(肝心)在っての付属であり、実に付属の正体こそが重要なのである。

尚、本因下種の南無妙法蓮華経は、人法に於いて体一であるから、今時末法に於ける御尊体は、
須らく日蓮大聖人に帰一する。又其れをして「久末一同」という。

>私達の宗教・信仰に於いて最も大切なものは信仰の対象たる「本尊」です。
>ここで法華宗の本尊の正体は本門八品所顕上行要付の南無妙法蓮華経であります。
>本門八品所顕上行要付の南無妙法蓮華経は三大秘法総在の大法であり、これを本尊とし、戒壇とし、題目とする
>ものです。それは既に南無妙法蓮華経の一大秘法に、萬法、萬行、萬戒の功徳を具しているからです。

鼻笑。八品所顕の南無妙法蓮華経が一大秘法とな。して、本尊こそが萬法とな。
ならば、其の一大秘法義は人法に於いて別体と成るか、加えて萬法の本尊とは、人法に及ばざるか。
オマエらは其れを示せ。

>さればこの十界の依正萬法を総在せる南無妙法蓮華経を我等末法衆生の信仰の対象とするとき本門の本尊となり、
>宗祖日蓮大聖人はこれを十界勧請の大曼荼羅としてご奠定(てんてい)されたのです。端的に申せば、本地の十界
>具足の南無妙法蓮華経といえます。この御本尊を、全身全霊を挙げて絶対帰依するときに、初めて人格の向上も
>功徳の受得も成仏得道も可能となるのです。

だから、其の本尊に『人』は存在しないのか、と訊いておる!
してもし、本尊に人無し、と云うならば、本地十界の具足とは、一体、何処の十界を示したものであるのか。
而して、人無しの本尊義、つまり『人義の無い本尊』に帰依するとき、初めて我ら人格の向上も成り得るとは、
一体如何なる十界から得られるのか。オマエらは、其の事を説明致せ。

>宗祖日蓮大聖人もまた「本尊とは勝れたるを用ゆべし」と仰せられています。宗祖日蓮大聖人の期するところは、
>真の成仏、即ち最終的には人格の完成にあります。真正にして而も最高なる本尊を唱題信心することにおいて、
>その本尊の有する功徳を我々の心田に下種することを得、而して日常生活における祈願成就は当然得られるのです。

呆怒。

オマエ、

『十界勧請の大曼荼羅としてご奠定(てんてい)されたのです。端的に申せば、本地の十界具足の南無妙法蓮華経と
いえます。この御本尊を、全身全霊を挙げて絶対帰依するときに、初めて人格の向上も功徳の受得も成仏得道も可能
となるのです』

などと言いながら、其の本地十界の大曼荼羅の前に、釈迦多宝の二仏を並べ、又、其の前面に大聖人の坐像を置き、
其の坐像の後方に四菩薩を並べ、其の下段に日隆(大聖人)の坐像。そして、下段には不動明王か愛染明王か、何やら
其れらしきものが立ち並んでいるではないか。見れば、鬼子母神像も安置している様である。

さても、本地十界具足の大曼荼羅、つまり、オマエらからして『勝れたる本尊』に、あれやこれやとオマケを付ける
本尊義とは一体何処(どこ)から持って来たのか。

何? 其れこそは日像菩薩様の義であるとな。哀笑。
何? 其れこそは日蓮大聖人の御法義であるとな。ならば、其の陳列本尊義の文証を此に出しなさい。
加えて、大曼荼羅に示さる南無釈迦牟尼仏の本意と、本地十界の大曼荼羅の前に居座っている釈迦牟尼仏像との関係を、
此に須らく示せ。

尚、何処(いずこ)の脳足りんが、富士大石寺の法義は全て八品日隆からの受け売りだ、などとほざいていたが、
こーゆー莫迦こそは、重須日順師の緒文に其の腐った目を通すべきである。

日寛上人、八品の日忠等を破して曰く『諸宗の学者近くは自門に執し遠くは文底を知らず、所以に粗之れを聞くと
雖も敢えて之れを信ぜず、徒らに水影に耽りて天月を蔑ろにす、寧ろ不識天月但観池月の者に非ずや』と。

仍って申さく『不相伝の家には聞き得て應に驚くべし』と。

尚、日興上人の御遷化から約100年後、日隆は妙顕寺(現身延派大本山)から再度飛出して己義を構えたのであるが、
其の後、飛び出した仲間(仏性日慶)が開いた妙蓮寺に叔父2人を歴代住職に押し加え、自身もしっかりと妙蓮寺の
7代住職に収まったのである。因みに妙蓮寺の初代は、彼の蛇文字曼荼羅の日像であり、本門仏立宗の長松日扇は
妙蓮寺の53代住職である。尚、是の長松日扇は、在家の身で法を説き、曼荼羅本尊を書写して授与する不埒者と
して投獄されたが、其の後、門祖の日隆と同じく、其の法義主張を引っ込めて、還俗者から再び坊主と成った人間
である。

因みに本門法華宗(妙蓮寺)の信徒数は、3万人余と聞いておるが、法華宗(本能寺他3寺)の信徒数は50万人を
超えているという。又其れに、40万人近くの水飲み仏立宗が加われば、是れこそは創価学会の活動家数の3分の1
と成り、是れこそは歴(れっき)とした一大勢力となる。

とまれ、此ら雑乱教義・雑乱本尊の稚義にでさえ、100万人近い連中が身を置いているのであるから、如何に
不相伝の邪流門家が根強く世間に蔓延っているかが、爰(ここ)に於いて実感するものである。

歌詞に云く、

我ら住む日本の楽土見ん。
北山南河は邪宗の都…。

当方も曾(かつ)てはよく指揮を執って歌ったものであるが、残念な事に当の集団は今や新興宗教に成り下がり、
今と成っては威風堂々と正法をかざす力量もなく、ただ、正宗の悪口を言っては、其の劣等感を紛らしている
始末である。最早、是れこそは、八品日隆の変身謗法の類(たぐい)に堕ちたものと、此に断言するものである。

さて、次回こそは「ああ、邪教人」シリーズの続行と参ろうか。

是れこそも当方の務めである。
 

一記

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 6月 2日(金)15時08分32秒 i114-185-21-252.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  久々の投稿である。

見れば、前回の投稿から約一ヵ月半経っている。

爾して、仕事の忙用に感けて管理責務を怠るは、これ全く管理人の資格なしと言われても仕方あるまい。

だが、如何(いか)に言われようとも、当室の鍵を閉じるわけにはいかない。

観るに、相互に於いて所属教団を名乗り合い、其の持する処の本尊教義を基にして、互いの正邪浅深を
決せんとする、所謂(いわゆる)正当な法論掲示板などは最早皆無に等しく、況してや、リモホの正規を
公にして、串と多重を戒める掲示板など、是れ全く希少の其れであると、此に於いて自負するものである。

まぁ、投稿者からしてみれば、是れ程敷居の高い、否、是れ程、面倒くさい掲示板は無いかも知れないが、
実に是れこそが真っ当な法論掲示板の姿である、という事を、投稿者各位には了して貰いたい。

とまれ、其れらの箍(たが)を外したならば、其れこそ、多重ハンネの馬の骨(馬鹿の骨頂)などが狂喜して、
臆病な愉快犯よろしく、一方的に批判中傷を書き散らかしてほくそ笑む、応に荒廃したゲロ吐き掲示板に
成り下がってしまう事を、当方は何よりも警するものである。

尚、其の対処に付随して、当室への投稿文は、須らく管理人の確認後に掲載される事と成っている由。
無論、其れらの対処が、投稿者及び投稿数の減少に成ってはいるが、得体の知れない馬鹿の骨頂を相手に、
其れこそ飛び廻るコバエを両手で追い叩きながら、部屋中を走り回る行態よりは、全く以って健全な姿であると、
此(ここ)に於いて断言するものである。

さて、本年も六月と相成り、総本山に於いては、夏期講習会も酣(たけなわ)であるが、又しても不参加と成るは、
真(まこと)に遺憾な事である。さてこそは来年…。其の気概だけは忘れまい。


して、久しぶりに周囲を見渡せば、相も変わらず、馬鹿の骨頂(馬の骨)の宿坊などが、イタチの屁に乗って
フェイクニュースを貼り付けて、言いっ放しの戯れ言を巻き散らかしておる。呆哀。

聞けば、オマエらのグループは、保田妙本寺などに帰依し、其の情けない回帰を以って法脈の切れた本尊を
配っているという。哀哀。果たして嘘が真か、其れこそヤドカリよろしく、其の在所を借り漁(あさ)るなどは、
応に不信謗法の恥態であると、此に呵責するものである。

よいか、イタチ宿坊よ。

オマエらは、何の臆面もなく、怪文書フェイクを貼り付けておるが、其のフェイク自身が、オマエらをして
謗法者と断言しているのである。

再掲して云く、

『身延山といえば、日蓮大聖人を末法の御本仏と仰がずに「日蓮大菩薩」と称しており、また
「板本尊偽作論」を唱えて大御本尊を否定し、更に、御本尊を店先にぶら下げ、御守本尊を
カードにして販売している謗法の山である』と。【フェイク 1406号(13.08.22 発行分)】

呆哀哀。よいか宿坊、そしてイタチよ。

上の記事こそは、オマエらの事を指して言っているのである。哀笑。

其れとも何か。抑もが怪文書の偽記事であるから、そんな事など気にはしない、と言うか。

哀笑。さもありなん。

而して、オマエらが其のフェイクを真として当宗を中傷するなどは、是れ全く鉄面皮の其れであり、
応に自己撞着(どうちゃく)の恥態である、という事を、オマエ達は識るべきである。

哀笑。ったく、情けない限りよのぉ。小鼻笑。

謗法者、宿坊イタチ。先ずは、フェイクを破折しなさい。鼻笑。

さて、他板を観れば、何と、彼のクジラ地区部長の掲示板が閉じられたと云う。

しかも、ご丁寧に当方にまで別れの挨拶が為されておる。

いやいや、金パラやイタチと違って「純」な学会員。つまりは、原田会長を中心にして、一大秘法は御本尊に
非ずという、邪義新興の「純会員」ではあるが、閉板に於いて態々(わざわざ)正宗信徒の当方に挨拶を為すは、
是れ全く礼節を弁えたものであると、此に感服した次第である。

とまれ、其の閉板の要因が、あの信州の筋肉狂人の掻き回しに在ったとは、当方からして御同情申し上げるが、
抑も、あの様な、あちこちの池に行っては石を投げ、その波紋の出来具合を見て喜ぶ者などは、其れこそ、
一つや二つの説教を咬(か)ましてやればヨロシイ。無論、其れ以上の後追いは禁物である。

狂人走れば不狂人も走る。

況してや、本尊迹の筋肉老人と、非一大秘法本尊の地区部長が言い争ったならば、其れこそは、辰春問答以下の
邪論喧噪の恥態と成るであろう。無論、其れらの恥態を喜ぶ連中こそは、不信仰の宿坊であり、イタチであり、
金ビラや兵長などの離反者たちである。

まぁ、何れであろうとも不本意であろう。しかし、其れは賢明な判断でもあった。

クジラ地区部長。

貴殿こそは、非一大秘法本尊義の邪義こそを見抜きなさい。そして、其の根本義の誤りを、原田執行部に訴え
なさい。

池田名誉会長に云く『大聖人の出世の本懐である一閻浮提総与の大御本尊が信心の根本である事は、
これからも少しも変わらない』【平成5年9月16日、アメリカSGI最高会議】

又云く『もしも将来、原理原則を踏み外すような幹部が現れたならば、断じて許してはいけない』
                        【平成18年11月22日 全国合同協議会】


果たして原理原則とは何か。

つまりは、根本尊崇の事ではないか。

つまりは、其れこそが、日蓮大聖人出世の御本懐たる一閻浮提総与の大御本尊に帰命する事ではないか。

だからこそ、池田名誉会長は、其の原理原則、つまりは其の信心の根本義について、

『大聖人の出世の本懐である一閻浮提総与の大御本尊が信心の根本であることは、これからも少しも
変わらない』と予(か)ねてから宣べていたのであろうが。

而して、現在の創価学会は、其の根本尊崇に対し、『其の様なことは御書には載っていない』などと
手のひらを反しておる。

おかしいではないか。

つまり今の創価学会は、池田名誉会長の根本指導に唾を吐いている、という事になるのではないか。

さもなくば、貴殿こそは、其の身を置く現組織の教義的正統性を此に於いて宣揚すべきである。

そうであろう。地区部長。

果たして、其の宣句を等閑(なおざり)にするならば、其れこそ末法の御本仏はお釈迦様だ、という宿坊と、
一閻浮提総与の大御本尊はニセモノだ、という金パラと、日蓮大聖人よりもっとスゴイ人間が現れるという
イタチと、其れこそ貴殿らからして『仏敵』たる此奴ら3人の呵責などは、到底及ぶものではないと此に
断言するが如何。

とまれ、閉板後に於いて、正論を宣べんとするならば、当方が、真っ当な判釈をしてしんぜよう。


…呆哀。はてさて、

何と云うか、かんと云うか…。呆。相も変わらず、中共支那(シナ)の脳髄は腐っておるよな。呆呆。

排他的水域にミサイルを落とされている我が国に対して、

『(北朝鮮との和平に向けて)日本は足を引っ張るな!』

などと言っておる。呆。

ったく! 足を引っ張っておるのは、オマエら中共ゲリラではないか!

ふざけた事を言うものではない。

して、比国の大統領が、支那の南海(南支那海)で石油採掘をする旨、其れを習近平に伝えたら、
『そうなれば戦争するしかない』などと脅されて、比国の大統領が縮み上がった、という事らしい。
呆哀。いやはや、相も変わらず中共支那の野蛮な性質は、今もって八路軍(共産ゲリラ)そのものである。

とまれ、和平対話にかこつけて、北朝鮮を暗に擁護している中共支那(シナ)と露西亜。
前々から言っているが、此奴(こやつ)らは皆、同穴の狢(むじな)であり、北朝鮮の保護勢力である。
して、今や其の貉に南朝鮮も加わって、事態は全く日本国を舐め切った状況になっておる。

本より、我が国と米国が北朝鮮を攻めたならば、支那と露助は黙殺し、又は非難して北を擁護し、
南朝鮮に限っては、戦闘に紛れて自衛隊員を背後から撃ち殺すやも知れん。
最早、其の状況は、過日のサッカーどころの騒ぎではない。

おっとぉ!

話が横道に逸れたわい。

まぁ、久々であるから、仕方あるまいて。鼻笑。

次からは気を付けよう。

さて、本日はこれまでとしようか。

次回の投稿は、近日となろう。

無論『ああ、邪教人』シリーズも続行となる。

奮闘して「其の百」を目指して頑張りたいものである。
 

ああ、邪教人 其の六十一

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 4月14日(金)07時29分49秒 i114-180-126-34.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  >日亨上人の文章をねじ曲げて、ありもしない似非信者だと批判した文章だと主張する人はいったい
>何なのだろう。

何なのだろう? 判らんか。其りゃ、オマエら事だよ。

曲解、切文、誇張、虚偽。

まさにフェイクの真骨頂。

ほら、そこのオマエ。懲りずにフェイクをベタ貼りしているオマエの事だよ。

鼻笑。しかしなんだ。自分の事を謗法呼ばわりしている文書を、未だに好んで貼り付ける神経とは、
一体いかなる神経であるのか。まさか、其の貼り付けている行為自体がフェイクだと言うのか。哀笑。

>あんなボンクラ宗門に、『権威の衣』など存在しない!
>それはだらしない、能無しの弟子たちが、臆病風に吹かれた末に見た幻だ!

哀笑。そーじゃねーだろ。『あの衣は権威だー! 権力だぁー!』とは池田センセーの口癖だよ!
はてさて、オマエの言い分からすれば、能無しの池田センセーこそが臆病風に吹かれていた、という事
になるのではないか。呆哀笑。

因みにボンクラはオマエたちの方であるから、今後、言い間違いのない様に。よろしいか。

>私たちの胸に深く刻まれゆく岐阜の天地は、第三代であられ、一閻浮提の座主であられる日目上人の
>〝殉教″の栄光の大地である。(新・人間革命 249)

哀笑。第三代の一閻浮提の座主、日目上人、ってオイ!
第三代とは何だ。一体何処(どこ)の第三代なのだ。
加えて「一閻浮提の座主」とは、一体何処(どこ)から引っ張り出して来たのか。
なんだ。まさか、この新人間革命も、2、3年後に書き換えられてしまうのか。小鼻笑。

ったく、節操の無い奴らめ!
だからこそ言う。オマエらこそが頭破作七分の持ち主であると!

そー言えば、元住職の花道や、創価大のスゲ博や、元創価のイタチらが集合して、日蓮大聖人の仏法を
屁理屈よろしく分析している様であるが、元より「信」無き者らが「学」に偏執するは、是れ全く無知行の
其れである、という事を此に識(し)るべきである。

爾して曰く『教の浅深をしらざれば理の浅深弁(わきま)ふものなし』と。
仍って曰く『仏教を学すと雖(いえど)も還って外見に同ず』と。

哀笑。

さても、盲眼が如くなるお主ら当世の学者等、如何にして正理を感得して浅深を弁ふべしや。
されば、はかなし者とは、オマエらの様な不信心にして仏法を学問する者をして云ふものか。

先ずはよい。

オマエらこそは、身延の半被を説明致せ。

教義の屁理屈など、其れからの事である。
 

不思議の一法

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 4月10日(月)21時06分18秒 i114-180-126-34.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  南無妙法蓮華経即日蓮大聖人、日蓮大聖人即南無妙法蓮華経。
爾して、其の究極の御尊体、即ち、御自身に於ける人法体一の御魂魄を曼荼羅御本尊として顕発されるに
仍って、此の曼荼羅御本尊こそが日蓮大聖人の御本懐にして三大秘法の根本と相成る。

其(そ)は則ち、元初本因の凡夫僧たる日蓮大聖人己心の仏果こそが、曼荼羅御本尊の正体であり、
南無妙法蓮華経の当體なのである。

仍って口伝に曰く『本尊とは法華経の行者の一身の当體なり』と。
仍って興尊が曰く『妙法蓮華経の五字を以て本尊と為すべし、即ち自筆の本尊是れなり』と。

南無妙法蓮華経は本因妙。御本尊は本果妙。爾して、其の因果こそは倶時である。実(げ)に其れをして
「因果倶時不思議の一法」と名づく。

久遠即末法。凡夫即極。

是れを思え。是れを思え。
 

儚(はかな)き邪宗の教学 【再掲】

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 4月10日(月)20時23分18秒 i114-180-126-34.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  「出世の本懐の本義は、大聖人の御生涯において、末法万年の一切衆生の救済のために三大秘法を確立
されたこと、(中略) 大聖人が「弘安2年の御本尊」を御図顕されたことも、この三大秘法の確立と民衆
仏法の確立という意義の中に含まれるものと考える」【平成27年 聖教新聞/創価学会教学部】

哀笑。いやはや、宗教の根本たる本尊義を改変する事自体、問題があると云うに、今回の改変は何と考察で
あるという。哀笑。しかしなんだ。根本教義が考察状態であるとは、何とも情けない宗教団体であるよな。

其れにしても何だ。弘安2年の御本尊(一昨年までは一閻浮提総与の大御本尊)も、三大秘法の確立という意義に
含まれる、って、一体どういう事かいな。哀笑。果たして、確立された三大秘法の意義(出世の本懐の本義)に
含まれる弘安2年の御本尊とは、一体どーゆー御本尊なのかいな。哀笑。して、その御本尊を包含する三大秘法
とは、一体、どーゆー三大秘法であるのか。

まさか其れこそが、一大秘法の妙法蓮華経の五字である、というのか。

原田創価に云く『一大秘法が本門の本尊であるという御書は無い。一大秘法とは妙法蓮華経の五字の事だ』と。

つまりは何だ。題目(南無妙法蓮華経)こそが一大秘法という事か。

ならば、此れは如何なる事か。

原田が云く『本門の本尊に唱える南無妙法蓮華経が本門の題目』と。

はて、一大秘法ではない本門の本尊に唱える題目が本門の題目になる、とは如何なる事か。

して、一大秘法ではない本門の本尊によって、本門の題目になるという題目は、一体如何なる題目であるのか。

而して原田が云う。一大秘法とは妙法蓮華経の五字、つまりは題目である。と。

果たして、一大秘法、つまり、三大秘法を包含する一大秘法とは、本尊であるのか題目であるのか。

さても原田は、妙法五字の題目であるという。

ならば原田よ、加えて、谷川、長谷川、佐藤、北林の面々よ。そして、其の後ろで黙認している池田太作よ。

オマエらは、以下の御教示を何とする。

日興上人に曰く『唯御書の意に任せて妙法蓮華経の五字を以て本尊と為すべし、即ち自筆の本尊是れなり』と。

「即ち」とは何か。「即ち」とは一体如何なる意か。

而して、原田創価が云く「一大秘法とは本門の本尊ではなく、題目(妙法蓮華経の五字)の事だ」と。呆哀。

果たしてオマエらは、いつから身延の下僕となったのか。

よいか。一大秘法とは、まさしく本門の本尊の事を指して云うのである。

日寛上人に曰く『一大秘法というは則ちこれ本門の本尊なり。この本尊所住の処を本門の戒壇と名づけ、
この本尊を信じて妙法を唱うるを本門の題目と名づく』と。

つまり、本門の本尊が在ってこその、本門の題目であり、本門の戒壇なのである。

仍って、本門の本尊こそが一大秘法であり、三大秘法は、須らく本門の本尊に包含されるのである。

だからこそ云う。一大秘法の本門の本尊に唱える題目こそが本門の題目になると。
だからこそ云う。其の唱える題目を本門の題目に為さしめる本尊こそが、応に一大秘法の其れであると。

爾して原田が言う。

『末法の衆生のために日蓮大聖人御自身が御図顕された十界の文字曼荼羅と、それを書写した本尊は、全て
根本の法である南無妙法蓮華経を具現されたものであって、等しく「本門の本尊」であり、「本門の本尊」に
唱える南無妙法蓮華経が「本門の題目」、その唱える場がそのまま「本門の戒壇」となる』と。

呆笑。

おいおい、だから言っているだろう。

其の唱える題目(南無妙法蓮華経)を本門の題目に為さしめる本尊こそが、応に一大秘法の其れではないかと。

又、そうであるからこそ、日寛上人は御本尊(本門の本尊)こそが一大秘法である、と申されたのであろうが。

しかし原田は云う。

『一大秘法が本門の本尊であるという御書は無い。一大秘法とは妙法蓮華経の五字の事だ』と。

哀笑。

よいか。オマエらが設定した考察教義の欠点は、本尊義に於ける人法一箇の大義を見落とした事であり、
日蓮大聖人が出世の本懐とされた御本尊の体現(仏の振る舞いとしての究極)の奥義を無視した事にある。
よいか。一大秘法とは人法に亘るのであり、其の一点、つまり一大秘法とは御本仏日蓮大聖人の御当體
をして云うのである。

然るにオマエたちは、今まで其れを領解していたにも拘わらず、謗法の冥罰によって脳髄が七分に割れて、
三大秘法の随一たる人法一箇の本尊義をかなぐり捨てたのである。応に、因果応報とは此の事であろう。

さても、題目こそが三大秘法の要と為すは、此れ全く邪流身延の教義であって、実にオマエらは創価学会は、
日興門流でもない、五老門流でもない、其れこそ、日什の顕本法華宗にも劣る、今世紀最悪の新興邪宗教の
其れである、という事を、此に自認すべきである。

本より、本尊義の破綻こそは、其の宗教にとって死に体と成る。

さもありなん。

ならば最後に、恩師の呵責を、此に手向けてやろう。

何? 執拗(しつこ)いとな。

哀笑。当たり前だろう。

属する宗教組織のトップが、そんなモノは気狂いの教学だ、と断言しておるのに、其の気狂い教学を組織教義
の根本に据えた、そんなオマエらの致命的な狂態を、今呵責せずして何とするのか。哀。

とまれ、此の地球上に於いて、オマエらの様な捻転宗教などは在るまいて。哀哀哀。

よいか。だからこそ、何度も呵責するのである。

有り難く思いなさい。

では再記する。

恩師が云く『南無妙法蓮華経と唱題する中に三秘が具わっているというが如きは、無学のジイサン、バアサン
ならいざ知らず、少しでも教学をやった者には気狂いになっているのではないか、という以外には思いようが
ない』 【はかなき邪宗の教学・小樽問答誌 131P】

哀哀。

果たして、恩師が仰せの如く、オマエら創価学会は気狂いになってしまったのか。哀笑。

よいか。是れこそは昔の誼(よし)みである。

反論あるならば、堂々と申してみよ!
 

ああ、邪教人 其の六十

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 3月14日(火)14時17分32秒 i121-118-81-220.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  >あたかも法主に代々に伝わる相伝があるかのように偽装し、後世の創作の戒壇本尊を真筆と偽り、
>日目が再誕するという神秘的な教義を作りました。
>日蓮正宗のやってきたことの罪深さは、神話の創作であったということです。

哀笑。オマエは阿呆か。

寺の住職が、次の住職に法を付するは当然の事ではないか。しかも、其の相い伝える処の法義が、
宗教の根幹たる本尊義となれば、尚更の事であろう。

よいか。身延迹門宗であろうとも、顕本法華宗であろうとも、八品法華宗であろうとも、いやいや、
其れこそは、千葉妙本寺寺であろうと、京都要法寺であろうと、西山であろと北山であろうと、
皆、二代、三代、四代、と継いで往くのである。しかも、単に寺跡を継ぐものではない。


顕本法華宗「法華本門戒血脈」に云く、

『久遠成道釈迦牟尼仏如来 日蓮大師 日什僧都 日仁』なりと。

加えて、八品法華宗の「宗綱」に云く、

『久遠実成本師釈迦牟尼世尊の自詮により建立、本化上行再誕日蓮聖人これを承けて立教開宗し、
日朗、日春、日法、日辨、日像、大覚、朗源、日霽……と伝承し、門祖日隆聖人、本門八品の
正義を再興唱導し、爾来、法統連綿として今日に至る』と。


更には、西山本門寺の文書に云く、

『内証相承の事  日蓮大聖人 日興 日代 日任 日盛 日林……今我日建師資相承の仏法を
日辰に付属する者なり』と。


よいか。各宗皆々、其々の貫首法主に於いて寺跡のみならず、其の法義さえも伝持されて往くのである。

其れをオマエは、

>あたかも法主に代々に伝わる相伝があるかのように偽装し…

などと戯(たわ)けた事を言っておる。

やはりオマエは阿呆なのか。

よいか。其の腐り切った鼻糞を先ずは掃除してから出直して来なさい。糞笑。

>後世の創作の戒壇本尊を真筆と偽り…

呆哀。真筆と偽り? ならば其の証拠を出しなさい。

言って置くが、御書に載っていない、樟は身延に無い、重すぎて運搬出来ない、身延の草庵には入らない、
願主が農民では当てに成らない、国柱会のカタログに載っていない、弟子の文書に載っていない、
文字の様式が通例に成っていない、干支が無い、継ぎ接ぎだ、模作だ、偽作だ、盗作だ……。

小腹笑。まだあるか。小鼻笑。

しかし何だ。どれもこれもが、使い古したイチャモンばかりであるよな。鼻笑。

因みに、オマエら異流の輩(ともがら)が本懐本尊として推奨する、房総千葉の万年救護御本尊に於いては、
其の図顕年月日については、日にちが記(しる)されていない。→ 【文永11年太才甲戌12月 ○ 日】

鼻笑。これ、どーすんだよ。勿論、問題ないと言うのであれば、其れこそ干支など問題にもならない。
そーであろうが。阿呆よ。

>日目が再誕するという神秘的な教義を作りました…
>日蓮正宗のやってきたことの罪深さは、神話の創作であったということです。

呆哀。大本門寺建立の御時に於いては、日目上人が座主と成る…。

此の事は、我が正統・富士門流の伝統である。

猊座の意義も解からず、御観念文の意味さえも知らず、神秘的な教義などと、浅薄な物言いをしておる。呆哀。

やはりオマエは阿呆であるのか、あいや其れとも莫迦なのか…。哀哀笑。

よいか。罪深きは、オマエのような痴話の妄作を指して云うものである。

控えよ。

>基本の教義は日寛による恵心流の中古天台口伝法門を日蓮と置き換えただけの浅薄なものに過ぎません。
>信徒からすれば、確かに完成された教義の方がわかりやすいし、信用しやすい。

小笑。おいおい、信徒からすれば、完成された教義の方が信用しやすい、ってオマエ…。
ならば、完成されていない教義とは、一体どんな教義なのかいな。して、其れこそは、
解かりにくく、信用できない教義、という事かいな。呆笑。

オマエは何を言っておるのか。やはりオマエは阿呆莫迦なのか。大哀笑。

尚云うが、中古天台の本覚法門などは、我が興門正統からすれば、其れこそは下敷きの其れであって、
其れを教義の根幹と為すものではない。いや、寧(むし)ろ超越していると言った方がよかろう。
無論、其の大根幹たるは、日蓮大聖人の御法義である。

曰く『爾前の経々の心は、心より万法を生ず。譬へば心は大地のごとし草木は万法のごとしと申す。
法華経はしからず。心すなわち大地、大地則ち草木なり。爾前の経々の心は、心のすむは月のごとし、
心のきよきは花のごとし、法華経はしからず。月こそ心よ、花こそ心よと申す法門なり。此をもって
しろしめせ。白米は白米にあらず。すなわち命なり』と。【新編 1544  真蹟 大石寺蔵】

諸法は即ち実相。

つまりは、一心を妙と知りぬれば、亦転じて余心をも妙法と知るを云う。

仍って申さく『我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与えたまふ』と。

して曰く『此の本理に称(かな)ひて一身一念法界に遍し』と。

よろしいか。

滝に打たれ、洞窟に入り、断食をし、其れこそ荒行よろしく百部千巻の経文を読み上げるなどは、
此れ全く日蓮大聖人の御法義に非ず。其れこそは、始覚教相の階段修行であり、そんな行法など、
今時末法に於いては通用しないのである。

無知無学にして成仏す。当に易行中の易行。無上宝聚不求自得。
応に是れこそが本覚一心の妙義であろう。

尚、口伝法門などは、抑もが日蓮大聖人の御教示する処(ところ)であり、オマエが云うような
日寛上人の創作などではない。ったく、オマエは阿呆莫迦のみならず、其れこそは基地外であるのか。嗤。

よろしい。ならば、当方が、其のアタマをトンカチでぶっ叩いて、脳みその捻転を矯正してしんぜよう。
勿論、此の荒治療などは、桂冠詩人にして世界の指導者でもある、池田センセーの考案である。
因みに、針金で首を結わく方法も、池田センセーの発案である。素晴らしいというか、いやはや、何とも
恐ろしい。呆笑。そーは思わぬか、オマエ。鼻笑。

>私たちは自身で信仰を選び取るべきですし、それこそが真の民衆の仏法の本義であると思います。
>何も総本山とか宗教団体とかに信仰の担保をしてもらう必要などないのですから。

哀哀笑。

さても、宗団・教団等の教義に服せず、己(おのれ)の信仰を選択する事が、真の民衆仏法であるとは、
一体どーゆー教義から引っ張り出しているのか。貴様は其れを申せ!

>グリグリが望む事は、日蓮大聖人の偉大な思想と、それを完璧に応用展開した池田先生の思想を
>一人でも多くの人に知ってもらうことです。
>そのためならば、ドンドン盗んで 自分の論としてさらに思索を重ね
>池田先生に代わって、不幸に泣く人たちに伝えていってください。
>それが、グリグリの一番の願いです。

呆哀。そーか。そんならアンタの顳顬(こめかみ)をグリグリしたろーか!?

日蓮大聖人の偉大な思想?

それを完璧に応用展開した池田センセーの思想?

???

呆哀。何じゃらホイとて、ホーホケキョ! だよ! 糞笑。

そんな日蓮大聖人の偉大な思想を完璧に応用展開した池田センセーが云く、

『大聖人の出世の本懐である一閻浮提総与の大御本尊が信心の根本であることは、これからも少しも変わらない』

                         【平成5年9月16日、アメリカSGI最高会議】

これ、どーすんだよ。

まさか、宗教にとって一番重要な本尊義について、池田センセーは完璧に展開していなかった、という事
かいな。其れで間違いないのか。オマエは其れに答えなさい。さもないと、顳顬グリグリであるぞ!

ったく、

今日も今日とて邪教人。

邪教人への呵責はこれからも続く!
 

ああ、邪教人 其の五十九

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 3月11日(土)14時50分29秒 i121-118-81-220.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  創価に云く、

▼「血脈相伝の教えから離れるならば、いかに各家庭の御本尊を拝んでも功徳は生じません」とは、御本尊を
冒涜する大不敬であり、それゆえ宗門を「邪教」と呼ぶのである。

続けて云く、

▼秋谷: そもそも大御本尊も、各家庭に御安置してある御本尊も同じだ。「一体不二」。
▼青木: その通りです。各家庭の御本尊は、大御本尊と一体の「分身散体」の御本尊です。
▼谷川: 「分身散体」。つまり「仏が衆生を救うために、身を分けて種々の国土にあらわした分身」という法理だ。

                                                                            【平成17年8月26日 聖教新聞】

呆哀。

なんだ。是れこそは宗門(大御本尊)への世辞かいな。小鼻笑。

いや、破門されてから14年も経っての発言であるから、阿呆宿坊の連中からして、これら3人の発言は、
すべて無知無学にして無慙極まりない馬鹿発言という事になってしまうが、其れでえーのんか。小腹笑。

呆笑。フェイクよ、オマエも同罪であるぞ!

何とか言いなさい。

さすれば、執行部が邪教人であるのか、其れともオマエらが邪教人であるのか、其の事がハッキリするであろう。

鼻笑。

>宗門から学会を取ったら何も残らない。

呆哀。して、其の学会を宗門から取ってしまったら、日亨上人はどうなってしまうのだ。
まさか「余は何も残っていない宗門の、単なるカラ貫主でしかない」とでも言うのか。

呆怒。ふざけるものではない。

よいか。其の後に於いて、学会を宗門から取って下さい、と言われたは戸田先生である。
果たして此の発言の意は如何なる事か。阿呆でなければ解かるであろう。哀。

ったく、バカをやらかして破門された者共が、今更、日亨上人の発言とやらを持ち出して、
宗門から学会を取ったら何も残らない、だから、今の宗門には何も残っていない、などと
未練たらたら小言を吐くなどは、まこと、無慙な連中である。哀哀哀。

▼一大秘法とは、御本尊の事ではなく、妙法の五字の事だ。

糞笑。

取って取らせて、結局何も残らなかったのは、一体どちらであるのか。

上記の恥義を眺めれば、一目瞭然であろう。

小鼻笑。

ああ、情けなや邪教人。

莫迦で阿呆な邪教人の呵責は、これからも延々と続く。
 

ああ、邪教人 其の五十八

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 3月 4日(土)17時01分13秒 i121-118-81-220.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  真実の教えは、一大秘法の題目であった!

哀笑。秘妙方便ならぬ奇妙方便。呆笑。

つまりは、創価三代の会長は、みな詭弁の弄士であったという事か。
それとも、無知無学の小学士であった、という事か。

何れにしても、オマエらの言い分からすれば、彼の小樽問答は須らく茶番劇であった、という事になる。

其の事、オマエらは恩師の墓前で云えるのか。

『今、やっと、先生の諸行為が茶番劇であった、という事が判りました」と。哀笑。

さても、釈迦こそが末法の本仏だという宿坊。
さても、日蓮は本仏に非ずという創大の宮田。
さても、日蓮より凄い人が現れるというイタチ。
そして、一大秘法とは題目の事だと叫ぶ創価員。

此奴(こやつ)らは皆、戸田先生の大信心に唾する、莫迦者連中である。哀哀哀。


其れにしても、是れには笑える。

      ↓

>法華講は豚のケツ
>投稿者:藁科イ鑑道御尊師

>文段は日寛上人の学寮時代のもの、草稿というのがその位置付け。晩年に到って、再治その上で、
>未治本を残してはならないと遺言されている。

>冒頭をあげれば、

>「草案已に畢りて清書未だ成らず虚しく笈中に蔵めて之を披く遑あらず、…粗略稍多し、故に粗添削を加う、
>敢て未治の本を留むることなかれ」

>(観心本尊抄文段)とか(法華取要抄文段)とか(寿量演説抄) その他
>日蓮正宗の「正依」でない。  こんなの使えるのか!
>これじゃ アホの通りすがりの法華講員と同じレベルではないか!

堪堪笑。

文段は日寛上人が学寮時代のものであるという。鼻笑。

おいおい、全部が全部、そーではないだろう。

寿量品演説抄3巻及び、法華取要抄文段などは、壇林及び学頭時代に著されたものであるが、
観心本尊抄文段、其の他、当体義抄文段、報恩抄文段などは、すべて御隠尊猊下の御立場で
著されたものである。

ったく、文段は草稿であるから、未治本を残してはならないという日寛上人の遺言からして、
そういう文段などは採用すべきはではない。こんなの使えるか! などと馬鹿な事を言っておる。

されば、文段の著作時期を、六巻抄の巻頭文から批判するなどは、応に取って付けての誑言であり、
本より、オマエが引用している六巻抄の巻頭文は、須らく六巻抄の未治本を留むる事なく、すべて
再治本を後学の根本とすべし、との御遺訓である。

仍って後文に曰く『然るに此の抄の中には多く大事を示す、此れは是れ偏に法をして久住せしめんが
為なり』と。

よいか、オマエの様な、そーゆー小賢(こざか)しい切り文の小細工こそ、醜いパッチワークの態様で
ある、という事を知りなさい。もっと簡単に言うならば、恥を知れ! という事である。

>法華講は豚のケツ
>これじゃ アホの通りすがりの法華講員と同じレベルではないか!

鼻笑。其の痴言、其れこそはオマエの事だよ。なぁ、オマエ。哀笑。

創価にも非ず、身延にも非ず、而して、郷門の下人とも云わず…。哀笑。

よいか。オマエらこそ、豚よりも醜いヌエのケツであり、キマイラのケツである!

少しは控えた方がよろしい。
 

ああ、邪教人 其の五十七

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 3月 3日(金)18時35分1秒 i121-118-81-220.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  >結局は、科学的年代鑑定に委ねるしかないのですね。

哀笑。干支の有無をつべこべ言っておき乍(なが)ら、結句は科学鑑定に委ねるしかない、と言う。

つまりは「おサム」い話に終わったという事である。鼻笑。

科学的鑑定に委ねるしかない…。哀笑。

ならば、其れが出るまで黙っていなさい。

あれやこれや、疑ったら限(き)りがない。

無論、我ら富士門徒は、御仏の御当體を科学分析に計る事などはしない。
本より其れは、偽物であるから分析しないのではなく、御仏の御当體であるから分析しないのである。
当たり前の事であろう。我らは邪宗身延と違い、曼荼羅御本尊は日蓮大聖人の御当體であるとの信義で
あるから、其のような不敬はしないのである。

されば、身延などは学者坊主を中心にして、あれこれと鑑定だ科学だ分析だ、と言っているのであるから、
其れこそ、民部日向が造立した正安二年(1300)十二月の小板本尊の科学分析を先ずはやってみなさい。
仏像本意の身延であれば、曼荼羅の鑑定などお手の物であろう。
其れとも何か。其の鑑定結果が戒壇の大御本尊の有力な傍証と成り得るから、其の様なことは出来ない、
とでも云うのか。小鼻笑。

さても得体の知れぬ馬の骨の者共。

よいか。干支の有無に限らず、図顕月日の問題も、樟板の問題も、搬送の問題も、花押経字の問題も、
迦葉帝釈の問題も、日禅模作の問題も、講衆敬白の問題も、そして御書に記録なしの問題も、すべて
オマエたちの臆説であって、其の証拠に、重須の日浄以来、これらの問題について、戒壇の大御本尊の
偽作たるが完全に証明された事など一度も無いのである。其れは何故か。つまりは、其れらの問題が
須らく傍流異流から捻(ひね)り出された憶測の妄証だからである。又、そうであるからこそ、今にして
科学だ、鑑定だ、分析だ、と悲鳴を上げるのである。哀。

今一度言おう。

されば、身延などは学者坊主を中心にして、あれこれと鑑定だ科学だ分析だ、と騒いでいるのであるから、
其れこそ、身延山久遠寺が所蔵している民部日向が造立の正安二年(1300)十二月の小板本尊の科学分析を
先ずはやってみなさい。仏像本意の身延であれば、曼荼羅の鑑定などお手の物であろう。いや、そのついでに
仏像の鑑定もしてみたらどーか。鼻笑。(果たして、出てくるのはホコリばかりではあるまいて…) 糞笑。

果たして、曼荼羅軽視の身延が、手元にある日向板本尊の鑑定を渋るとは、其れこそが、鑑定の結果をして
戒壇の大御本尊の有力な傍証と成るから渋っておるのではないか。いや、そんな事はない、と言うならば、
即刻、日向の小板本尊を鑑定に出しなさい。

最早、科学鑑定を待つしかない、無力な文献莫迦のオマエたちにとって、其の方が余程、手っ取り早い、
作業ではないか。何? 其れをやってしまったら、難癖の一つが減ってしまうとな。

堪笑。

よいではないか、一つくらい。

どうせ、あれやこれや、と妄推を作り出しては補填するのであろう。哀。

ったく、さもしい者共である。哀哀哀。

創価学会・小平教学部長、小樽問答に於いて云く、

『証拠は大石寺にある! 証拠は大石寺にある! (大拍手)  若しそれを知りたいのならば、
信心を奮い起こして拝みに行け! (大拍手)  信心の無い者に、見せる、見せない。見世物じゃあるまいし、
信心の無い者が拝めるわけが無いではないか! (大拍手)』

よいか。これこそが、我ら恩師戸田先生の御遺訓を堅守する正宗門徒の本意である。

だから、曼荼羅を見世物としている身延山こそが、日向板本尊を削り取って、即刻に科学鑑定を行い、
其れこそ見世物よろしく、不信心の者共に披露すればよい、と言っているのである。

これこそが道理であろう。

よいか。同(おんな)じ事を何度も言わすものではない。
 

笑い話

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 3月 1日(水)14時13分5秒 i121-118-81-220.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  >『石山(せきざん)本尊の研究』京都要法寺僧侶 柳澤宏道編著

要法寺が石山本尊の研究?

笑笑。

ブレにブレ、ブレにブレまくった要法寺。

そんな要法寺が、石山本尊の研究などと…。笑笑

笑わすものではありません。

先ずは、己(おのれ)のケツの臭いを嗅いでみなさい、と言ってやりましょう。笑笑

尚、御本尊に於ける干支の有無が、真偽の其れに直結するなど有ろう筈も有りません。
笑。そんなもの、取って付けた難癖でしかありません。

サムか何だか知りませんが、其れこそは「おサム」い話と成りましょう。笑笑
 

蜜月が故の擁護であったいう詭弁

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 3月 1日(水)13時38分49秒 i121-118-81-220.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  恩師、青年訓に云く『第一は、無智の者に永遠の生命を教え、日蓮正宗の本尊の絶対無二なる尊貴を
知らしめて、功徳の大海に思うがままに遊戯する、自在の境涯を会得せしむる為に、忍辱の鎧を著(き)、
慈悲の利剣をひっさげて戦うのである』と。

仍って御隠尊猊下に曰く『したがって(創価学会の)八百万世帯にいたる大折伏は、戸田氏の清浄な、
正法を護る気持ちの中から行われたところであり、その中から皆様方が現われてきたのであるという事を
はっきりと見定めるところに、創価学会に縁のある方々が、創価学会の存在理由とその経過、すなわち
正しい仏法の流れを正しく知る所以があると思うのであります』と。

                       (平成4年3月29日 法華講連合会壮年部大会)


して現在、創価学会総本部に於いて、昭和26年5月19日御書写の日昇上人の常住御本尊(脇書・
大法弘通慈折広宣流布大願成就 模刻板本尊)が安置されているのは承知のとおりである。

つまり、此の御本尊は、オマエらが昨今言う処の『「宗門との蜜月時代」に下付された御本尊』という
事にもなる。爾して、此の常住御本尊が日蓮正宗から御下付された時、応に創価学会は第二代会長・
戸田先生大号令の下、会員一丸となって大折伏戦を展開していったのである。

しかし、今の小学会員は、其れら恩師の忠魂の戦いをして『宗門と仲が良かったから』などと軽口を
叩くのである。哀。

そうか。其れは真(まこと)の事か。果たして当時、恩師が御本山と仲が良かったから、宗教の根本尊崇
たる本尊に於いて、其の大信心を全うし、其の御本山への忠烈を会員に入魂したとでも言うのか。

其れは真の事であろうな。してもし、其の論拠が崩れたならば、オマエら小学会員は、其れこそ恩師
戸田先生の大信心に唾する、応に忘恩の似非会員である事を、此に於いて証明されるのである。

よろしいか。

本より、其の破折の論点は唯一つ。

つまりは、御本尊を下附する日蓮正宗と、其の御本尊を下附される創価学会、という破門以前の関係、
つまり、其れら正統・富士門流に於ける御本尊授与の大義が、総本山と信徒団体という関係に於いて、
其の真義が受動的に変化してしまうものであるのか、という一点である。

果たして、僧俗による蜜月の関係、つまりは対人、つまりは対組織の関係に於て、其の両者間の良悪が、
興門正統七百年来の根本たる本尊義を左右し、其の正邪さえも司(つかさど)ると言う事になるのか。

小学会員よ。其れは違うであろう。

応に法の正邪、つまり本尊の正邪こそは、其の関係の良悪を超越するものである。

其の様な事、大聖人と大進房、否、日興上人と波木井実長との関係を観れば、容易に判るというものである。

よいか。今一度言おう。

御本仏・日蓮大聖人から相伝された日興門流の御本尊義は、其れ以降の僧俗関係の善し悪しによって変化
させられるものではない、いや、其の元からして変化するものではないという事である。

仍って、曾(かつ)ての創価学会が富士大石寺の信仰に忠実であった事は、決して当時の信者による「良好な関係」
によって為された事ではなく、其れは応に、信者による「確たる信心」によって為されたものなのである。

関係が良好であるから信ずるのではなく、信ずるが故に関係が良好となるのである。

其れをオマエら小学会員は、今に於いて『仲が良かったから、宗門を守っていただけ』などと嘯(うそぶ)くので
ある。

呆哀。ったく、何という言い草であろうか。

云うまでも無い。

『日蓮大聖人の真実の教えは、独一本門といい、文底秘沈というも、みな一閻浮提総与の三大秘法の大御本尊を
根本とした教えでなくてはならない。今日末法に於いては、富士大石寺にこそあれ、他にはないのである』との
恩師の大指導は、決して宗門への世辞でもなく、其の関係を維持する為の美辞でもなく、況してや、恩師の正宗
教学に対する無知から発せられた謬言でもないのである。

したがって、当時の事をして『宗門との蜜月を堅持する為に、富士大石寺の法義を守って来た』などという
言い分は、応に好き嫌いの感情領域に於いて、其れこそ信者の都合によって宗門を擁護してきたという、まこと
恩師の御本山に対する忠烈に唾する詭弁であるという事を、当方は此に於いて断言するものである!

上記の如く、文底秘沈・独一本門たる法義は、本より七百年来、富士大石寺に連綿されて来た法義であって、
決して他門にはないのである。まして、昭和になって設立された在家団体に有ろう筈(はず)も無いのである。
又、だからこそ恩師は、創価学会の会長として御自らの口から『創価学会に君らに信心してもらうものなんか
何もない』、つまり、創価学会としての教義などは、其の創立時点からして無い、と申されたのである。

よいか聞け。創価学会の会長が会員に対し『学会に君らに信心してもらうものなんか何もない』などとは、
其れこそ学会の会長として、御本山に対する絶対的帰依が有ったればこそ言える指導であって、現在のオマエらが
言う様な、世辞でも、妄言でもないのである。まして、会員に嘘を付いていた、会長が無知であったなどとは、
とんでもない事であり、其の様な事は絶対に無いのである。

ったく、何で法華講員の当方が、オマエら創価学会員に、恩師の大信心を今にして教えなければならないのか。
つまり、其れだけ、今の学会員は、外道信者・アホ信者に成り下がってしまったと云う事なのである。

哀笑。何とも情けない限りよのぉ。哀哀哀。

よろしいか。何度でも言おう!

本門戒壇の大御本尊を厳護する意味に於いては、宗創に於ける関係の良し悪しによって、其の正義の価値が
変動するなど絶対に有り得ないのである!

仍って恩師が云く『誰がなんと言おうと、誰がどうあろうと、私は総本山に御奉公の誠を尽くし、
猊下に忠誠を尽くし、広宣流布のため、今こそ死身弘法の実践を、この佳き日に誓うものであります』と。

爾して此の恩師の大誓詞は、応に日蓮正宗第六十四世・日昇上人の御在時になされたものである!

当に今、オマエらの総本部師弟会館に安置されている常住御本尊。其の御本尊を認められた日昇上人に対し、
恩師戸田先生は、其の大信心に於いて忠誠を誓われたのである!

其れを今になって『宗門との関係を維持する為に、学会はその法義を守って来ただけだ』などと!

オマエらは其のセリフを恩師の墓前で言えるのか!!

ったく、宗教の根本尊崇に於いて、曾(かつ)て、とか、今とか、そういう次元で立て分けるなどは、
彼の立正佼成会が本尊を変更する度に用いた、会員を欺く為の詭弁とまったく同じではないか!!

今は険悪の仲であるから、今まで遵守してきた仏法義は蜜月時代の過去の法義なのであって、現今の
険悪な関係に於いては、其の法義は我々には通用しない、などという屁理屈は、抑も、日蓮大聖人の
仏法からして有り得ない話である!

よいか! 良好であろうが、険悪であろうが、元から在る正義は正義なのである!

又、其れだからこそ、法華講総講頭でもあられた恩師・戸田先生の信心指導が、今以って我ら日蓮正宗信徒の
正信に響き渡るのである!

応に是れこそ、僧俗に於ける組織体制の変貌が如何に為ろうとも、大聖人の仏法、就中、富士大石寺の法義は
今昔に於いて些かも変節しておらない証拠なのである!

よいか!

其れら事実をして『破門以前は蜜月だったから、富士大石寺の法義を仕方なく守っていた』などと、
今になって其れを本性にするなどは、応に恩師戸田先生の大信心に対する冒涜である!!

ったく、詭弁を弄するものではない!

果たしてオマエらは、其れら詭弁の罪悪を心の中では判っておるから、未だ創価作成本尊から日蓮正宗御歴代
上人の判形を抹消し切れないのであろう!

違うか!!

反論あるなら申してみよ!!

当に恩師の御遺訓を破ったのは池田である!!
而して、今以って残留する創価学会員も同罪である!!

言うまでもなく、恩師は本よりの日蓮正宗の信徒であった!
そして日蓮正宗法華講総講頭の御立場で其の生涯を全うされたのである!

仍って当方は、其の恩師の赤誠に裏切る事なく、昔も今も変わらずに日蓮正宗の信徒と成っているのである!

果たして現在、恩師の指導どおりに実践しているのは当方か!
其れともオマエら小会員か! 最早、其の様な事は火を見るより明らかであろう!

本より当方は、今もって富士大石寺に忠誠を尽くし、其の不変たる決意を、総本山に眠る恩師の御霊に御報告
申し上げるのみである!

恩師に云く!

『誰がなんと言おうと、誰がどうあろうと、私は総本山に御奉公の誠を尽くし、猊下に忠誠を尽くし、
広宣流布のため、今こそ死身弘法の実践を、この佳き日に誓うものであります』と!

果たして一体、どっちが、恩師の御遺訓に従っておるのか!
今こそオマエら小会員は、己(おのれ)の信心の姿を見つめるべきである!

思うに、柳沢元総講頭が『私が死んでから、50年後に戸田さんが出現するでしょう。
その後、私が生まれ出て御奉公させて頂きます』と、月例登山に参加された同志から聞くにつけ、
まこと、恩師の大信心は、今もって法華講員の鏡であると、改めて此に確認した次第である。


     妙法の広布の旅は遠けれど

      ともに励まし ともどもに征(ゆ)かなむ


今以って、大講堂の正面左手に建つ、恩師戸田先生の歌碑を詠む時、真の学会精神は、我ら旧創価学会
青年部にこそ伝持されているのであり、其の打ち捨てた現今の創価学会などは、其れこそ波木井実長こと、
池田太作と、民部日向こと、離脱僧侶の禿人らが蜷局(とぐろ)する組織であり、其れこそは富士大石寺
御開基、日興上人が打ち捨てた、彼の身延山に同ずるものなのである。

さても、オマエら現創価学会は、いずれ古参会員の消滅を待って、応に其の作成本尊から御歴代上人の
御判形を抹消し、其の場所に池田太作の花押を入れるのであろうが、応に其の時、池田創価学会は、
真の邪教たる新興宗教として、恩師が構築せし創価学会と決別し、見事、其の教義に於いて、魂の独立を
果たすのである! 而して、真の魂の独立こそは、彼の創価大の宮田が提唱する『日蓮本仏排斥論』に
創価学会が同調し、遂には『池田大作書写本尊』を有して『凡夫本仏論』に教変すると聞き及んでおる。

さても恩師をして詭弁の徒と侮言する学会員よ!
さても恩師をして両舌の徒と悪口する学会員よ!
さても恩師をして無知の徒と悪口する学会員よ!

オマエらは、須らく、日蓮大聖人の御教示に違背する、邪宗邪義の徒輩である!!

今こそ、総本山に帰参し、恩師の墓前に於いて土下座せよ!

そして、其の変節の痴態を心から詫びよ!

よいか。オマエらが救われる道は、其れしかないのである!
 

戒壇様干支記載に関する難癖の総括

 投稿者:通りすがりの法華講員  投稿日:2017年 3月 1日(水)00時06分0秒 p5231-ipngn6501marunouchi.tokyo.ocn.ne.jp
返信・引用
  今回は、長年、創価学会仏や身延の阿呆が主張していた「戒壇様には干支記載がないので後世の偽作」という難癖を、創価学会仏サム氏自身で否定したので、その顛末をここにシェアさせていただきたいと思います。

創価学会仏、身延の戒壇様偽作の主張は以下の2点です。
・大聖人様真筆曼荼羅には干支記載があるが、戒壇様には干支記載がない
・戒壇様は日有上人が偽作したもの

この2点の破折を、奇しくも創価学会仏サム氏が自滅の形で示しました。
サム氏が提示した資料は以下の2点です。
・『石山(せきざん)本尊の研究』京都要法寺僧侶 柳澤宏道編著
・堀日亨上人『第三、漫荼羅脇書等』(富要集8巻177頁)

サム氏は
「歴代法主の中には干支を記載された御本尊も現存しているのです。文末の分数は、年月日記載の本尊に対する干支記載本尊数です。」
ttp://9308.teacup.com/shukubou/bbs/12482
と主張した上で列記されています。
つまり、サム氏は「歴代法主の中には干支を記載されていない御本尊が現存している」と言っているわけです。
では、見てみましょう(以下、サム氏のコメントのコピペです)。

・『石山(せきざん)本尊の研究』京都要法寺僧侶 柳澤宏道編著
開山日興上人では、0/19
3世日目上人では、1/1
26世日寛上人では、2/3
33世日元上人では、1/1
48世日量上人では、1/1
51世日英上人では、1/1
52世日霑上人では、1/1
なお、近代の法主は、全て干支を付記していません。

・堀日亨上人『第三、漫荼羅脇書等』(富要集8巻177頁)
開山日興上人では、6/188
3世日目上人では、0/8
4世日道上人では、2/6
5世日行上人では、0/8
6世日時上人では、26/28
7世日影上人では、1/2 (日亨上人は日影上人を7世としている)
9世日有上人では、4/22
12世日鎮上人では、5/9
13世日院上人では、2/5
14世日主上人では、9/11
15世日昌上人では、7/11
16世日就上人では、1/11

「文末の分数は、年月日記載の本尊に対する干支記載本尊数です」
とのことですので
・分母=年月日記載の本尊
・分子=干支記載本尊
とのことです。

なんだ???
上代御法主猊下様が書写されたほとんどの御本尊で、干支記載などされていません。
つまり、奇しくも創価学会仏サム氏は、自身が提示した資料で『干支の記載などどうでもいいこと』だと証明してしまいました。

更に面白いことに、「戒壇様は日有上人が偽作した」との難癖も、サム氏の自滅で破折されてしまいましたね。
何故なら、日有上人書写御本尊様には「干支の記載のある御本尊様」があるからです。
日有上人が戒壇様(創価学会仏主張の「干支の記載がない」御本尊様)を偽作したなら、「干支の記載のある」御本尊様を記されている道理が成立しません。

これにて、創価学会仏・身延の阿呆が長年主張してきた「戒壇様後世偽作論」は木端微塵に消え失せました。

ほんと、創価学会仏とはどこまで愚かなんでしょうか。。。
自分が主張した内容の証拠提示で否定して自滅されては、誰も相手にしなくなりますね。

創価学会仏諸君
もう二度と「戒壇様は後世の偽作」と嘯かない様に。
自分達で否定したのだから、もう嘯く必要はないでしょ。
 

わざわざ、ご返事頂き、ありがとうございます

 投稿者:H27脱会@法華講員  投稿日:2017年 2月28日(火)16時41分47秒 E219108019207.ec-userreverse.dion.ne.jp
返信・引用
  管理人、大月天さま、わざわざ、御多忙にもかかわらず、ご返事頂き、感謝です。
ありがとうございました。



> 創価学会の教義は、最早破綻を来し、我らからして対論する相手ではありません。
> 唯有るは、呵責のみであります。
>
> 小笑。果たしてそんな邪教創価の構成員が、今更、教義だ、本尊だのと、よくも言えたものであります。
> まぁ、其の逆を言うならば、宿坊などの馬の骨などは、そんな創価の教学など、今にしては鼻にもかけず、
> 専ら、身延の坊主などが編纂した書物などをバイブルにして、アホな小学者を気取っているのであります。
> 応に無慙とは此の事をして云うのでありましょう。哀。


はい。正しく、仰る通りです。
縮坊2で、何やら、誘いを受けてますが(笑)あそこ、管理人、縮み坊自体が、多重HNの悩乱、脳みそ
イカレですから(大笑)行って、会話が成立しませんし。
そもそも、所属、何を信仰して、何に所属する信徒なのかも明らかに出来ない、ゴミ掲示板ですから。
創価学会員だと言うのなら、創価の教義に沿って主張しないんでは、話に成りません。
ま、沖爺と同レベル。語るに、落ちるし、腐る(笑)
管理人、縮坊が、次々、HN変えて、揶揄するだけ。あほらし。
何の、信仰に対する、真摯な姿は、カケラも有りませんから。
まあ、今の、未だ、創価学会に、へばりついてる、下駄の雪会員(信者と呼ぶ価値すら無く成りました)
は、似たような物ですが。意見が有るなら、所属、教団、宗派名を、堂々と名乗って、その、教義の
範疇で主張しない事には、狂祖沖爺、愚人と同じ。所属教団、宗派の教義、から、逸脱したんじゃ、
破折対象に成りません。ならば、単なる妄想の戯言。相手にしても意味がない。



> 当方も不規則な時間の中、時には出張等で長期不在と成り、当室の管理に支障を来す事もあり、
> 果たして如何なものであるか、と自問する事もありますが、そこはやはり仏法修行の一義として、
> 随力演説すべきであると、此に改めて奮起するものであります。
>
> 兎にも角にも、お互いに頑張って参りましょう。
>
> お風邪にはくれぐれも気を付けて。

はい。ありがとうございます。基より、私たちは、実践の法華講員。お忙しい、お仕事と、日々の、
仏法修行の、実活動に精励しています。
こちら、『破邪の蘭室』掲示板は、私は、学ばせて頂く、正統義の、貴重な掲示板で有ります。
御多忙とは思いますが、これからも宜しくお願い致します。
先ずは、御礼まで。
 

黒川殿

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 2月27日(月)15時34分35秒 i121-118-81-166.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  お久しぶりです。

又、当室への御投稿、痛み入ります。

>〇市〇区の方ですが、本日無事に御受戒が済み、「これからは創価学会を捨て日蓮正宗の信仰をする」という
>誓いをたてられましたので、皆様にご報告いたします。

其れはおめでとう御座います。

>学会の「ニセ本尊」は私との電話でのやり取りの後「気持ち悪いのでゴミ箱に捨てました」とのことでした。
>また学会の経本、数珠も自分で処分したとのことです。

日有上人の御条目からすれば、他宗の本尊や位牌などは、入信する時点に於いて全て本寺に納めるが正義で
ありますが、創価などは、小乗にも劣る附仏法外道の其れでありますから、ゴミ箱にポイも結構でありましょう。
しかし、破門以前の御本尊(偽造本尊以外の御本尊)は捨ててはなりません。

>私ごとですが1月4日にお一人、そして本日と2名の折伏が成就できました。
>これからも頑張ります!

素晴らしいですね。

いやいや、感心している場合ではありません。当方も頑張らねば。汗。

攻めの黒川とは応に御貴殿の事。

今後とも、当室への御寄稿を宜しくお願い致します。
 

通りすがりの法華講員殿

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 2月27日(月)15時10分5秒 i121-118-81-166.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用 編集済
  お久しぶりで御座います。

墓穴を掘った教宣部…。

哀笑。此の様な連中は、元から墓穴を掘って、今や、其の墓穴に入り込んでいる、当に不憫(ふびん)な
連中であります。嗤。

>日蓮宗が偽書・真偽未決として提示した『昭和定本日蓮聖人遺文』の御抄に真書の存在があることを
>ほのめかし、上記の言い訳(怠慢の自責)をして終了しているのです。

本より、真偽の断定は難儀であり、小智恵と猜疑心を交じり合せて小学者を気取ろうとも、そんなモノは
屁にも成らず、事の大事は、そこに示さる法義・教示を如何にして解釈するか、又、如何にして心読するか、
であり、其の大局の根眼こそは、実に相伝義に依って成る、という事を領解する、という事であります。

邪宗身延の日蓮宗。実(げ)に其の実態こそは、迹門宗にして釈迦宗の権化であり、そんな連中に偽書の選別
など出来よう筈もありません。果たして『真の偽書』とは如何なるものか。そういう初歩的な段義こそを、
先ずは教えてやらねばなりません。否、未だ一尊なのか二尊なのかも判らぬ連中などに、教えるなど勿体ない。
此の様な連中などは叱り飛ばすが上等であると思うものであります。

本覚寺の日奥が云く「宗義の所詮依法不依人の金言に依らば真筆の有無をもって必ずしも詮とせず。
たとえ真筆の御書たりといえどもその義経文に相違せば用い難し。(中略) もし真筆無くんば用い難しと
いわば録内の御書も真筆は多く紛失せり。しかれば録内も正本紛失せるをば用いずといわんや」と。

小笑。さても、一致派の僧にしては、真(まこと)の理屈を述べ給ふ。佳佳。

実(げ)に、識に依らす智に依って文義を測るが仏法義の第一であり、又、其の根幹を為すものが、相伝義の
力量である。つまりは、邪宗異流義に於いて、真(まこと)の真偽などは判ろう筈も無い、という事であります。

>宿坊および創価学会教宣部内で、『昭和定本日蓮聖人遺文』の真偽について証明していただこうと思います。
>彼らは、難癖の根拠に『昭和定本日蓮聖人遺文』も『日蓮聖人遺文の国語学的研究』『日蓮遺文の計量分析』
>も用いてきましたが、双方で述べていることは相反しており、どちらかが偽書もしくは両方が偽書の疑義は
>発生しました。いずれにせよ、これまでの宿坊および創価学会教宣部の難癖の根幹が消えてしまったという
>ことになりますね。

宿坊は単なる馬の骨。

当室に於いて自身の所属宗派を宣べず、又、其の所属宗派の下に尊信する本尊と教義をも宣べず、
但矢鱈に富士大石寺を毀謗する、単なる馬の骨、つまりは「馬鹿の骨頂」という事であります。

教宣部は北朝鮮と同類。

創価教宣部は、謀略と捏造を捏ね回す、応にドブ鼠が如き連中であり、其の痴態こそは、北朝鮮の其れと
同類であります。哀。さても、こんな連中が偽書だ真書だ、などと…。糞笑。

して、そんなドブ鼠が好んで引用する、フェイクニュースに云く、

『身延山といえば、日蓮大聖人を末法の御本仏と仰がずに「日蓮大菩薩」と称しており、
また「板本尊偽作論」を唱えて大御本尊を否定し、更に、御本尊を店先にぶら下げ、
御守本尊をカードにして販売している謗法の山である』と。【フェイク 1406号(13.08.22 発行分)】

哀笑。なんだ。是れこそが偽文という事かいな。鼻笑。

哀笑。さても馬の骨と教宣部。

邪宗身延の法義を尊(たっと)びて、如何なる御書をして偽と断ずるか!

先ずは、そーゆー初歩的な所から叱って参りたいと思う次第であります。

>彼らは、これからどうするんでしょう?
>もう『偽書』とも言えなくなりましたね。

哀笑。抑も「彼ら」自体が偽者なのであり、又、そうであるからこそ、馬の骨と成り、教宣部と成って
いるのであります。果たして、そんな偽物連中が『偽書』などと、ふざけるものではありません。鼻笑。

御義口伝の加文に曰く『或は文を陰(かく)して義を取り、或は義を隠して文を取り、或は文義共に顕はし、
或は文義共に隠して講談するなり』と。【新編 1815】

本より、文上読みの文献莫迦にとっては、是の一文こそ、大いなる叱責と成るのであり、又、其の事実たるを
認めたくないが故に「彼ら」は、加文だ、偽書だ、と騒ぎ立てるのであります。

まこと無慙とは此の事をして云うのでありましょう。

尚、通りすがりの法華講員殿には、これからも御投稿の程、宜しくお願い致します。
 

H27法華講員殿

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 2月27日(月)13時36分57秒 i121-118-81-166.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  お久しぶりです。

お風邪、気を付けて下さい。

当方も現在、鼻づまり状態です。小笑。

>邪教、悩乱の掲示板、鯨板、阿保坊の掲示板、その、2掲示板も、どうしょうも無い、
>邪教、池田創価の狂い様の、体現者たちの書き込み、見ました。
>余りの、狂い様に、入ってやろうかとも、思いましたが、所詮、邪教、池田創価に洗脳された者に、
>意味がないと辞めました。

御意。

創価学会の教義は、最早破綻を来し、我らからして対論する相手ではありません。
唯有るは、呵責のみであります。

小笑。果たしてそんな邪教創価の構成員が、今更、教義だ、本尊だのと、よくも言えたものであります。
まぁ、其の逆を言うならば、宿坊などの馬の骨などは、そんな創価の教学など、今にしては鼻にもかけず、
専ら、身延の坊主などが編纂した書物などをバイブルにして、アホな小学者を気取っているのであります。
応に無慙とは此の事をして云うのでありましょう。哀。

>副住職さまから、ご本尊さまを、『生身の日蓮大聖人』さまと、心得て、ご給仕なさい~とご指導頂いて
>より、この間、このお言葉の意味を、常に、考えて参りました。
>正しく、日蓮正宗で無ければ、この、お言葉の、深い意味する所、教えて頂けないし、また、
>正しい、御三宝尊を拝す事が出来ないと痛感する日々です。

御意。

まさしく、御本尊様こそ生身の日蓮大聖人であります。

南無妙法蓮華経即日蓮大聖人。日蓮大聖人即南無妙法蓮華経。

実(げ)に其の大義を顕現されたるが御本尊様であます。

仍って御本尊様こそ、日蓮大聖人の御魂魄にして、まさしく生身の日蓮大聖人なのであります。

曰く『仏の御意(みこころ)あらはれて法華の文字となれり。文字変じて又仏の御意となる。されば法華経を
よませ給はむ人は、文字と思(おぼ)し食(め)す事なかれ。すなわち仏の御意なり』と。【新編 637】

南無日蓮大聖人。南無日蓮大聖人。

曰く『但南無とのみと唱へて仏といわず、今日本国の高僧等も南無日蓮聖人と唱えんとすとも、
南無計りにてやあらんずらん。ふびんふびん』と。 【新編 867】

本より、ふびんな連中こそ、邪宗身延を首(はじめ)とする異流義と徒輩らであり、南無は仏にこそ為す
べし、という大義に迷う連中こそ、実に不憫な連中であると、此に改めて思う次第であります。

尚、H27法華講員殿に於かれては、日々お忙しい中、当室への御投稿、在り難く存じ上げます。
法華講員殿の純粋な信心。其の純粋な信心こそ、我ら信徒の見本であり、其の御姿を投稿を通して示さる
事こそも、仏法修行の一義である、と心得るものであります。

当方も不規則な時間の中、時には出張等で長期不在と成り、当室の管理に支障を来す事もあり、
果たして如何なものであるか、と自問する事もありますが、そこはやはり仏法修行の一義として、
随力演説すべきであると、此に改めて奮起するものであります。

兎にも角にも、お互いに頑張って参りましょう。

お風邪にはくれぐれも気を付けて。
 

ご無沙汰しておりました。

 投稿者:H27脱会@法華講員  投稿日:2017年 2月14日(火)10時33分3秒 E219108019207.ec-userreverse.dion.ne.jp
返信・引用
  管理人さま、法華講のみなさま、ご無沙汰しておりました。
昨年、年末に、風邪をひいて…、いえ、大した事は無く、気分が悪いとか発熱が酷いとかでは
無く、咳、鼻水がひどく、少し、人前に出るのも憚る状態で…。
今は、すっかり良くなりました。

先日、この日曜は、私、所属、菩提寺さま、都下の寺院で、御報恩御講に参加出来ました。
御講終了後、屈強な体躯のカナダ人のラグビー青年が2人、紹介され、晴れてご入信されたと。
ご帰国後はカナダ、バンクーバーの日蓮正宗妙正寺さまと連携して育成され信心深められると
晴れやかな笑顔広がる、御講日でした。

ちょうど、年末年始、幸いな事に、仕事も忙しく、加えての、咳風邪で、新年2日に菩提寺さま、
参詣後、御参詣を、法華講の皆様に、ご不快にしては申し訳無いと控えておりました。
ですが、この間、こちら、正統義の掲示板、拝見させていただき、学ばせて頂いておりました。

また、邪教、悩乱の掲示板、鯨板、阿保坊の掲示板、その、2掲示板も、どうしょうも無い、
邪教、池田創価の狂い様の、体現者たちの書き込み、見ました。

余りの、狂い様に、入ってやろうかとも、思いましたが、所詮、邪教、池田創価に洗脳された
者に、意味がないと辞めました。
あの程度の、掲示板、活気づける価値すらない。

また、H27、10月に創価学会脱会してより、この間、近頃、ますます、転落の道を、突き進む
現、創価学会は呆れてしまう、悩乱ぶりです。

ご勧戒式をお受けさせていただいてより、副住職さまから、ご本尊さまを、『生身の日蓮大聖人』
さまと、心得て、ご給仕なさい~とご指導頂いてより、この間、このお言葉の意味を、
常に、考えて参りました。
正しく、日蓮正宗で無ければ、この、お言葉の、深い意味する所、教えて頂けないし、また、
正しい、御三宝尊を拝す事が出来ないと痛感する日々です。

今日は、ご無沙汰のお詫びと、より、一層の信心を深めて参るご報告まで。
改めまして、本年も、どうぞよろしくお願い致します。
 

墓穴を掘った創価学会教宣部(?)達

 投稿者:通りすがりの法華講員  投稿日:2017年 2月 5日(日)22時33分6秒 p5231-ipngn6501marunouchi.tokyo.ocn.ne.jp
返信・引用
  先日、愚人くんという学会員が『日蓮遺文の真贋判定』や『日蓮聖人遺文の国語学的研究』を題材に、大聖人様御抄偽書の難癖をつけてきました。
そこで、面白いことは判明しましたので、ここに記させていただきます。

『日蓮遺文の真贋判定』とはそもそも論文でなく、「行動計量学シリーズ 真贋の科学―計量文献学入門(1994/09/25出版)」村上征勝著の一節です。
そして、この一節は、村上征勝氏と立正大学伊藤瑞叡氏による「日蓮遺文の計量分析」という論文からなっています。
この論文で村上氏は、立正大学伊藤瑞叡氏の提供により「日蓮遺文23編」を調べたと記しているわけですが、同じように春日正三氏が著している「日蓮聖人遺文の国語学的研究(1960年代~)」によると同様の検証方法で立正大学伊藤瑞叡氏は日蓮大聖人様遺文26編を提供したことがわかります。
では、立正大学伊藤瑞叡氏が提供した遺文は何に基づいているかというと
『昭和定本日蓮聖人遺文』の中から、真偽未決・真書・偽書と定められたものということです。
『日蓮聖人遺文の国語学的研究』の結語にユニークな文章が存在します。それは、
「筆者の怠慢から、真作御書7編、偽作御書8編、真偽未決御書5編、そして、日蓮聖人の弟子方によってもたらされた、弟子方御書4編の資料を持っていたにもかかわらず、これらを利用できなかった」
と論証に不備があることを認めている点です。
驚くべき論文ですね。
そして、その後にでてくる論文には何故か上記26編の存在は消えてしまいます。
さらに、『日蓮聖人遺文の国語学的研究』は、『昭和定本日蓮聖人遺文』26編を調べながら、一編のみの結果しか提示されず、日蓮宗が偽書・真偽未決として提示した『昭和定本日蓮聖人遺文』の御抄に真書の存在があることをほのめかし、上記の言い訳をして終了しているのです。

ここで立証されることは、これまで宿坊他創価学会教宣部が偽書の根拠としていた『昭和定本日蓮聖人遺文』の分析に誤りがあったということであり、『昭和定本日蓮聖人遺文』こそが偽書だと、上記の『日蓮聖人遺文の国語学的研究』と『日蓮遺文の計量分析』が証明してしまっていることである。

これより、宿坊および創価学会教宣部内で、『昭和定本日蓮聖人遺文』の真偽について証明していただこうと思います。
彼らは、難癖の根拠に『昭和定本日蓮聖人遺文』も『日蓮聖人遺文の国語学的研究』『日蓮遺文の計量分析』も用いてきましたが、双方で述べていることは相反しており、どちらかが偽書もしくは両方が偽書の疑義は発生しました。

いずれにせよ、これまでの宿坊および創価学会教宣部の難癖の根幹が消えてしまったということになりますね。

彼らは、これからどうするんでしょう?
もう『偽書』とも言えなくなりましたね。
 

本日 創価男子部員 脱会を決意 御受戒!

 投稿者:黒川 和雄@日蓮正宗  投稿日:2017年 2月 1日(水)23時21分33秒 p6239-ipbfp1402osakakita.osaka.ocn.ne.jp
返信・引用
  〇市〇区の方ですが、本日無事に御受戒が済み、「これからは創価学会を捨て日蓮正宗の信仰をする」という誓いをたてられましたので、皆様にご報告いたします。

今日は昨日ご住職様が九州の出張から帰られ、ご住職の下での御受戒となりました。

「学会がなぜ謗法団体になったか」ということをご住職様から約1時間30分説明され、私のほうからは「月の行事、及び講費」に至るまで、それから「勤行の仕方が分からない」ということなのでそこもちゃんと説明させて頂きました。

大石寺のビデオも御覧になりましたが「凄い!」と感動されていました。「大石寺の名前は学会でも聞いていましたが、こんなにも素晴らしいとは知らなかった!学会の言っていることは全てウソでした」と言っておられました。

学会の「ニセ本尊」は私との電話でのやり取りの後「気持ち悪いのでゴミ箱に捨てました」とのことでした。また学会の経本、数珠も自分で処分したとのことです。

「僕はまだ創価の人間を説得するだけの教学もないので、まずは日蓮正宗の教えをこれからは勉強したい」と言っておられました。

これで私ごとですが1月4日にお一人、そして本日と2名の折伏が成就できました。
これからも頑張ります!
 

通りすがりの法華講員殿

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 1月30日(月)10時52分51秒 i223-217-34-247.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  貴重な論文、有難うございます。

雪山の寒苦鳥は寒苦に責められて、の新池御書。

法華経を知る僧を供養するは、釈迦仏の供養よりも百千万億勝れたり、の新池御書。

謗法の国土と相成れば、守護の善神、法味に飢えて社(やしろ)を捨て、天に上る、の新池御書。

不信謗法者から供養を受けるは、是れ全く謗法与同の罪となる、の新池御書。

禅宗の者共は、須らく畜生に劣り、其の蒙昧癖は、応に天魔破旬の所業である、の新池御書。

応に我ら富士門徒からして信心に資する御書であります。

して、其の新池御書が実はニセの御書だという。
つまり、誰が書いたのか判らない、其れこそ信仰者を誑(たぼら)かす、紛い物の書だという。

して、其の根拠は何だ、と訊けば、

「三社の託宣」「円覚寺の僧共」の二文だという。

本より、此等の疑難は、江戸時代の身延僧、禅智院日好が特にギャギャーと騒いでいた様でありますが、
これら一致派の坊主からすれば、同書に記されている不受不施義と神天上法門などが、特に其の教線に
於いて邪魔であるが故に、これら「二文」を奇貨として偽書と断じたのでありましょう。
そして、近代、身延の学者(宮崎英修等)などが、受派謗施の片棒を担いで、其の痴態を死して猶、
晒しているのであります。

はてさて、其の新池御書。
偽書と断定するには、まだ早い。

先ずは其の一、春日大明神の託宣などは、御貴殿が仰せの如く、弘安三年以前から在るものであり、
其れらを模範として、後世の神道家などが「三社の託宣」として採用したとも云える。
従って、春日大明神の神託や、八幡大菩薩の神託の一部が記(しる)されている事を以って偽書とは
断じられない。而して「春日大明神の御託宣に云はく」ではなく「三社の御託宣に云はく」となって
いたならば、ほんの少しは「?」が付くのではなかろうか。尚「大明神」との尊称は、十世紀以前から
使われていたものと理解しております。

次いで其の二、弘安三年御述作の当御書に、弘安五年十二月に建立された円覚寺の存在が記されているのは
おかしい、と云うが、抑も講員諸氏が言われるように、弘安五年の十二月に円覚寺が突然出来上がったもの
ではない。其れこそ比して言うならば、現代のサラリーマンが、逆立ちして注文住宅を「建立」するとして、
起工から竣工まで約半年弱。無論、其れ以前の設計段階(用地選択を含む)から加えたならば、約一年近くは
かかろう。爾して「円覚寺」が、サラリーマン住宅と同(おんな)じ工期であるとは、其れこそ歴(れっき)と
した工程表を提出して貰わねば「円覚寺」の一文を以って、新池御書を偽の誑書とは断じられないだろう。
因みに、江戸時代に建築された建長寺法堂は、上棟から完成まで十一年かかったと云い、と或る念仏宗の
寺院などは、着工から完成まで六年かかったという。

つまり、文中の「円覚寺」とは、馬の骨の文献馬鹿連中が云う「弘安五年の円覚寺」ではなく、其れより
以前の発願創建に於いて、其の寺名たるが周知されていた、つまりは「円覚寺という寺が建てられている」
という意での「円覚寺」であり、其れこそは「開山に至っていない(建築中の)円覚寺」という事である。
爾して「円覚寺」という寺名の由来を、日蓮大聖人が其の建築中に承知されて『円覚寺』と記された、という
可能性も完全には否定できないであろう。仍って「円覚寺の僧共」の一文こそは、応に落慶後の円覚寺に入ら
んとする禅宗坊主の一類をして名指したものとも云えるのである。

通りすがり殿へ。

御貴殿の論文を受けて、類々述べて参りましたが、果たして、上に記(しる)した可能性が残されている以上、
偽書の断定は出来ないでしょう。又、其の姿勢こそが学術学問を第一とする文献主義者の基本とも云えます。
無論、我らにとって、其れらの分野などは、二の次、三の次であり、真(まこと)の真偽こそは、実に依義判文
の智力に依るという事を、特に文献莫迦の連中には知らしめる可きでありましょう。

尚、御承知のとおり、円覚寺の説明に於いて、

●鎌倉幕府8代執権・北条時宗は、弘安元年(1278年)から文永の役の戦没者の菩提を弔うためと、
己の精神的支柱となった禅道を広めたいと願い、【円覚寺創建を始めた】

●【弘安5年(1282年)に落慶した】が【その間】、文永の役に続いて弘安の役も起き、弘安の役での
戦没者の慰霊も円覚寺の役目となった。

●当時鎌倉にいた中国出身の高僧蘭渓道隆(建長寺初代住職)は弘安元年7月に没してしまったため、
時宗は代わりとなる高僧を捜していた。そして弘安2年(1279年)に来日した中国僧・無学祖元を開山に
招いた

とありますので、日蓮大聖人が円覚寺の開山以前に、其の寺名を承知されていた、という可能性がそこには
在る、という事になりましょう。

小笑。其れにしても、其の時々の都合によって、録外御書の系年を採用し、後世の身延坊主の文献を用い、
又、其れら途中坊主の奥書を以って疑難するとは、何ともはや、いい加減な連中であります。哀笑。
応に「無節操」とは、此の事をして云うものでありましょう。


>この度、創価学会仏の新池御書偽書説に相手をしている中で、一つ疑問があるので、ここに記します。
>それは、新池御書に記された円覚寺とは、そもそも創価学会仏が言っている鎌倉の円覚寺だったのか
>というものです。

>弘安三年時に、日本に円覚寺は2か所ありました。
>一つは、弘安元年に北条氏私寺として創建していた鎌倉の円覚寺
>もう一つは、蘭渓道隆が日本で初めて開山した1246年から48年にかけ建立された博多の円覚寺です。

博多の円覚寺ですか。

そうですね。北条時頼が勧請開基になっておりますから、日蓮大聖人からして知らない、とは断定出来ない
でしょう。つまり、新池御書にある「円覚寺」が「鎌倉の円覚寺」である、との断定は出来ない、とも云え
ます。しかし、建長寺の次に円覚寺と連記されている事からして、文中の円覚寺はやはり鎌倉五山の内では
ないか、とも言えます。

>大聖人様の御書には、蘭渓道隆に関する記述はありますが、無学祖元に関する記述はないと理解しています。

●無学祖元 弘安二年六月 来朝
      同   八月 建長寺住持
      弘安五年   円覚寺開山

つまり、新池御書の系年が間違いなく弘安三年であるとすれば、其の当時、建長寺の住持は無学祖元だった、
という事になります。されば、仮令(たとえ)諸御書に祖元の名が無くとも、日蓮大聖人は祖元の存在を知って
いた、という事になります。(身延と鎌倉、そう遠くはありません)

>また、円覚寺=鎌倉説は創価学会の指導によるもののようです。

其れは知りませんでした。

>ここは推論に過ぎませんが、大聖人様が新池御書で述べられた円覚寺とは、蘭渓道隆破折の意で、建長寺・
>(博多)円覚寺を言っているのではないでしょうか?

因みに、無学祖元も、博多から鎌倉に来ておりますので、強(あなが)ち、無関係とも言い切れないでしょう。
又、道隆破折の意を以って円覚寺を言うのであれば、祖元も又、建長寺の住持でありましたから、其れらの
破折は同一として捉えるべきでありましょう。

とまれ、馬の骨連中が云う「新池御書偽書説」などは、抑も完全なものではなく、其れらは全て憶測の域を
出ない「組立物語」の其れである、という事であります。


呆哀。其れにしても、宿坊掲示板の2

法華講員の諸氏 日蓮正宗 宗規 第二条を証明しよう。などと、

ったく、テメーのケツの臭いも嗅げぬ者が、人様に向かってケツの臭いを嗅げとは如何なる事か。
ふざけた事を言うものではない。馬の骨のオマエらに証明する必要など全く無い。

宿坊掲示板2。まこと最低な掲示板である。荒らし常習者の屯(たむろ)板。
其の身を隠し、ケツを隠して文句する、遁辞連中の贔屓板。
そんな愚板に投稿するは、最早、時間の無駄ではないか。

新池御書に曰く『有解無信とて法門をば解(さと)りて信心なき者は更に成仏すべからず。有信無解とて
解はなくとも信心あるものは成仏すべし』と。

されば宿坊板2の莫迦どもは、有解無信にも非ず、其れこそは無解無信の一闡提人である、という事を
識るべきであろう。つまり、其れこそがオマエらのケツの臭いだ、という事である。

おっと! 口の度が過ぎたわい。ったく、狂人走れば不狂人も走る、とは此の事か。


【再確認】

通りすがりの法華講員殿へ。

今現在、当室は管理人による「確認後掲載」の形を採っておりますので、投稿されても即時に掲載とは
なりませんので、予め御容赦下さい。又、当室管理人は、明日の午前より、約一週間不在となり、
其の間に投稿されたものは、全て管理人が帰宅した後の掲載となりますので、予め御了承下さい。
今後の御健闘をお祈り致しております。
 

日達上人お言葉 昭和29年9月 大日蓮第103号より

 投稿者:黒川 和雄@日蓮正宗  投稿日:2017年 1月30日(月)01時05分39秒 p6239-ipbfp1402osakakita.osaka.ocn.ne.jp
返信・引用
  近頃は日蓮宗各派では我が正宗を目の敵として我が教義を誹謗して止まない。その結果は我が宗の御書はなんでも偽書という。

まことに二祖日興上人が「御抄何(いず)れも偽書に擬し当門流を毀謗(きぼう)せん者之有るべし」(日興遺誡置文)と既に教示さられてある通りである。

しかも彼ら謗法者の本宗を非難する要点は、一々その裏を返せば本宗の正しきことを証明しているのであるから面白い。
==================================

以上であるが、誠のそのとおりでありますね。

特に創価学会は破門以後、学会の御書に掲載されているにも係わらず、

百六ヶ抄は偽書だ~~い!
御義口伝は偽書だ~~い!
新池御書は偽書だ~~い!
産湯相承書は偽書だ~~い!
日興跡条々事は日付がないから偽書だ~~い!
本門戒壇の大御本尊は後世の偽作だ~~い!

とまぁ、こういう感じである。要するに創価学会に都合の悪い御書は全て「偽書だ~~い 笑」ということであり、まさに日興上人の御遺言の通りの哀れな姿を顕にしておりますね。

日達上人が仰せの「一々その裏を返せば本宗の正しきことを証明しているのであるから面白い。」ということである。

以上
 

円覚寺疑惑に関する素朴な質問

 投稿者:通りすがりの法華講員  投稿日:2017年 1月29日(日)21時13分35秒 p5231-ipngn6501marunouchi.tokyo.ocn.ne.jp
返信・引用
  この度、創価学会仏の新池御書偽書説に相手をしている中で、一つ疑問があるので、ここに記します。
それは、新池御書に記された円覚寺とは、そもそも創価学会仏が言っている鎌倉の円覚寺だったのかというものです。

弘安三年時に、日本に円覚寺は2か所ありました。
一つは、弘安元年に北条氏私寺として創建していた鎌倉の円覚寺
もう一つは、蘭渓道隆が日本で初めて開山した1246年から48年にかけ建立された博多の円覚寺です。

大聖人様の御書には、蘭渓道隆に関する記述はありますが、無学祖元に関する記述はないと理解しています。
また、円覚寺=鎌倉説は創価学会の指導によるもののようです。
ここは推論に過ぎませんが、大聖人様が新池御書で述べられた円覚寺とは、蘭渓道隆破折の意で、建長寺・(博多)円覚寺を言っているのではないでしょうか?
 

新池御書偽書の難癖を歴史的事実をもって破折します

 投稿者:通りすがりの法華講員  投稿日:2017年 1月28日(土)08時00分30秒 p5231-ipngn6501marunouchi.tokyo.ocn.ne.jp
返信・引用
  先日、宿坊2の掲示板に書いた内容ですが、創価学会仏は感奮なきまでに破折されるとコメントを消去して遁走してしまうので、皆さんの参考になればと思い、ここに投稿させていただきます。
創価学会の阿呆どもが、如何に歴史を学ばずにいるかがよくわかります。

■創価学会仏の難癖
新池御書には、大聖人様御在世時代に存在しない「三社の託宣」「春日大明神」「円覚寺」の文言が存在するので、偽書である。

■破折
「三社の託宣」「春日大明神」「円覚寺」は大聖人様御在世時代に存在していたので、創価学会仏の難癖の根拠は当てはまらない。

「三社の託宣」「春日大明神」
三社託宣はそもそも奈良時代から存在し、平安期は伊勢・八幡・賀茂の三社(旧三社)でしたが、平安後期に賀茂が春日に変更され(新三社)、鎌倉後期に定着化したと言われています。
伊勢・八幡・春日の三社(新三社)の発祥は東大寺東南院との伝承があり、新三社の記述は、平安末期から鎌倉初期にかけての『玉葉』『愚管抄』『嘉禎二年九条道家願文』で確認することができます。
三社の託宣は創価学会仏が誤った理解をしている室町期にできたものではなく、奈良時代に旧三社があり朝廷や貴族間で信仰されていたようです。その変遷をみると、平安末期に新三社に変更され、平安末期から鎌倉期にかけ武家間に、室町期に一般信仰へと広がったようです。

「円覚寺」
円覚寺の歴史をたどると、弘安元年より創建が始まり、弘安五年に開山の儀を執り行っていたことがわかります。円覚寺の『本朝高僧伝』『鹿山略記』や『仏光録』などによると、弘安元年に建長寺初代の蘭渓道隆をして文永の役の戦没者慰霊のために建立をしようとしたがお亡くなりになった為、同年に無学祖元を中国より招き創建を始め、弘安五年に開山の儀を執り行ったことが記されています。
また弘安年代には法堂の存在はなく、1323年に法堂が建立されるなど寺院が拡張しています。
沼津にある松陰寺が、弘安二年に円覚寺の末寺として無学祖元門弟天祥西堂が建立されていることを見ても、弘安二年の時点で円覚寺は末寺を持つ状況になったことは明らかですね。
創価学会仏は深く史実を確認せず、WikipediaなどのHPに記された「弘安五年建立」を鵜呑みにしていたことが難癖の原因と言えます。

上記の理由により、創価学会仏が嘯く「新池御書は後世の偽書」の根拠は創価学会仏の妄想にすぎないことは証明されました。
創価学会仏どもの教学の浅薄さには驚きますが、提示した資料がWikipediaだったことはさらに驚かされますね。
ここまで創価学会仏の教学が低レベルだったとは思いませんでした。
 

告知

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 1月20日(金)15時37分14秒 i223-217-34-247.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  今更言うまでも無いが、所属の判らぬ連中が、あーでもない、こーでもないと、其れこそ2チャンネル
よろしく、好き勝手な事を言い合う低質な論争板になっていない事は、応に「雑衆入る可らず」という
当室の姿勢と、其の意を了とされた講員諸氏の節度ある投稿姿勢が成せるものであると、当室管理人は
此に改めて自負するものである。

爾して昨今、講員諸氏による正義顕揚・邪義破折の投稿文も減少し、又、当室の規則に沿って自身の宗派
教団を親告し、其の持する本尊と教義を以って宗論に臨まんとする強者(つわもの)も皆無となり、今に於て
管理人による邪宗邪教への呵責文が其の大半を占めるは、此れ又、致し方のない事であろうとも思う。

ここで当室管理人は、其れらの現状を鑑み、本日より当室の投稿形式を「即時掲載」から「確認後掲載」に
切り替え、以後、各位からの投稿文は全て、管理人が確認した上で板上に掲載するという形を採って、其の
管理の徹底を行って参りたいと思う。

さすれば、質の高い投稿文の採用と、痴文駄文の排斥が増々明確となって、其の成果はより一層、当室の純度を
高めて往くものとなろう。又、そうすべき事が、法論掲示板を与かる者としての責務と心得るものである。

して、今までも一時的に「確認後掲載」に切り替えた事はあったが、今回は一時的に非ず当面の決定と成る由。

其の事、投稿者各位には了解願いたい。

尚、投稿文の掲載基準については、所属不明者・捨てハン・串投稿などは、全て不掲載とし、又、投稿者の所属が
明らかであろうとも、其の投稿内容が低質のモノである場合は、不掲載とします。又、其の「質」の基準については
すべて管理人の裁量によるものであり、其れについて不満苦情については、一切受け付けません。
又、板上掲載までの所要時間については、すべて管理人による「確認作業」が優先するものであり、其の作業の
遅早についても、一切の苦情は受け付けません。

以上であります。
 

戒壇の大御本尊に於ける「法華講衆等」の脇書について

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 1月16日(月)12時27分59秒 i223-217-34-247.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  誠に畏れ多い事であるが、過日、本尊の何たるかも解からぬ無宗教の痴れ者が、我ら正統・富士門流の
大根本たる戒壇の大御本尊の脇書について誹謗して来たのであるが、当室管理人は、此の痴れ者を追放
するに際し、其の脇書の正義を説教せしめたのであるが、此の痴れ者は案の如く、追放の後に於いても
執拗に、弘安二年当時に「法華講」は存在していない、という概念を以って戒壇の大御本尊を中傷する
事について、改めて其の正義を申し述べるものである。尚、本投稿の趣意は、あくまでも、法華講員諸氏、
就中、初信の方々が閲覧されている事を考慮して、此に敢えて再掲するものである。

さて、本門戒壇の大御本尊の脇書に記(しる)されている「法華講衆」の御意を感ずるに於いては、
日蓮大聖人が、御書文中に於いて『大講堂』もしくは『講堂』と表記されている事に、先ずは意を
向けなければならないという事である。

つまり、僧が経典の講義などを行う建物を指して講堂という認識が大聖人御在世当時からしてあった
という事からして、其れら僧の教えを受ける信者の集合を指して講衆と呼ぶは至極当然の事と成るの
である。して、其れらの講衆が応に法華経を信ずる者達であるならば、其の法華経を説かれる大聖人
からして、それらの者を『法華講衆』と呼称されるは、応に当然の理と相成るのである。

して、当室から追放された痴れ者などは、戒壇の大御本尊が御建立された当時、現今のような組織
としての「法華講」は存在していないとして「法華講衆」との脇書がある此の御本尊は後世の偽物である、
と曰(のたま)うのである。

小笑。

本より、当室管理人は、其の痴れ者の文句について、其の浅識の極みを一笑の下に破折せしめたのであるが、
ここに改めて破す事としよう。

本より大御本尊に記されている「法華講衆」の読み方は「法華講の衆」ではなく「法華の講衆」と読むが
正解なのである。又、其の事は語尾の「等」の文字を接続すれば、実に「法華講の衆等」という表現は
不自然と成り「法華の講衆等」が実に自然と成る。

例えば「小泉法華衆等」とは「小泉の法華衆等」と読むものであり、又「上野講衆等」に於いても、
「上野の講衆等」と読むが正解であり、決して「上野講の衆等」とは読まないのである。

つまり、無宗教の痴れ者は、そういう解読が出来ずに、単に熱原の法難当時に於て「法華講」という
現在の様な組織が存在していない事を以って、大御本尊の脇書を侮蔑しているのである。
応に痴れ者にして浅識の極みとは此の事であろう。

而して「法華講の衆」ではなく「法華の講衆」と読むが正解である事は、前(さき)にも引用した日興
上人の『御講衆の申さるゝ旨聞こしめし候ぬ』との表現からしても其の正解が裏付けられるのである。
して、此の『(法華の)御講衆』という御認識は、当然の事ながら日蓮大聖人が御在世当時から持たれ
ていたのであるから、大聖人御入滅後十年経とうが四十年経とうが、日興上人をして、其の御認識は
些かも変わらないという事であり、其の不変の御認識をして『御講衆の申さるゝ旨聞こしめし候ぬ』
と表記されたのである。つまり、今の「法華講」に対する見方を以って読むから、そういう屁理屈が
生まれて来るのである。無論、そこに記さる「法華の講衆」をして、我らが「法華講」の御事である、
と解読するは、興門正統の我らからして当然の事であり、決して牽強付会の偏読ではない。

尚、当室管理人として前(さき)にも申し述べたが、将来の大戒壇に御安置さる本門戒壇の大御本尊の
脇書に於いて、それら将来に亘る法華講衆の大結成をも達観されて、願主に「法華講衆等 敬白」と
記念された其の御本仏の御予見こそを、我々は唯々感嘆するのである。して、これこそが信仰という
ものであって、無宗教の痴れ者が、文献の面上を舐めて唾を吐こうとも、一切立ち入る事の出来ない、
生命感得の大分野なのである。

日蓮大聖人に曰く『いまだ顕はれざる後をしるを聖人と申すか。日蓮は聖人の一分にあたれり』と。

果たして、其の時に無かろうとも、そして其の時に顕れざる事であろうとも、聖人は、其の御予見を
以って其の名を示し、又は初出の記述を以って、其れらの証文と為されるのである。実に前代未聞の
表記こそは、未萠(未来)を知る聖人、就中、御本仏たる日蓮大聖人の証明であるという事を此に知る
べきであろう。
 

元祖通りすがりの法華講員殿

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 1月16日(月)11時10分54秒 i223-217-34-247.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  執拗な馬の骨のゴミ投稿を削除した際に、誤って削除してしまいました。

失礼致しました。早速に再掲致します。

尚、当室に於いては、所属不明者(当室に於ける不親告者)との応論・対論は禁止となって
おりますので、御注意の程、お願い致します。
 

書き込みしたんですが

 投稿者:元祖通りすがりの法華講員  投稿日:2017年 1月16日(月)00時23分42秒 om126186243089.7.openmobile.ne.jp
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  管理人さんが削除しましたか?  

Re: 通りすがりへ

 投稿者:元祖通りすがりの法華講員  投稿日:2017年 1月15日(日)15時04分20秒 om126186243089.7.openmobile.ne.jp
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  この冬一番さんへのお返事です。

> 堀さんは何に基づいて四尺七寸と言ったのか!
>
> これは何時代の文献か?
>
> 楠を誰が彫刻した!

他門においてさえ認められた大学匠(言葉の意味わかるかな?)でおられた日亨上人が研究成果として述べられたことに対して、自らの無知を省みず随分下品な物の尋ね方をなさるのですね

『上人が遺された文献について、自身ではどうしても解釈が及ばない記述が多数ございました。
○○○
これらについて日蓮正宗における詳細な公式説明等が過去になされているのならば、どうかご明示いただけないでしょうか。必要なら寺院に足を運ぶことも厭いません。何卒お願い申し上げます。』

こう言え。世間では当たり前のマナーだ。
 

通りすがりの法華講員殿

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 1月14日(土)15時27分27秒 i125-205-106-86.s42.a014.ap.plala.or.jp
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  貴重な論文、有難うございます。

言うまでも無く、日蓮大聖人の大遺志こそは、未来広宣流布に於ける本門戒壇の必設であり、
応に「円戒は死後に之を顕す」とは、其の事を以って仰せられたものであります。
爾して未来戒壇に安置すべき御本尊を「時を待つべきのみ」に耐うるべく、不朽の御本尊、
則ち、樟板に御彫刻・金箔文字にして漆塗りに致すは当然の御処置であり、末法万年尽未来際の
長時(ちょうじ)に於いて、紙墨では到底耐えられぬ事などは、日蓮大聖人のみならず、誰とても
思考しうる事であり、又、そうであるからこそ、不朽の態様と為されたのであります。

仍って日亨上人は『これをもってかんがうれば、本門戒壇にはむろん本門の大曼荼羅を安置すべき
ことが、とうぜんであるので、未来建立の本門戒壇のために、とくに硬質の楠樹をえらんで、
大きく四尺七寸に大聖が書き残されたのがいまの本門戒壇大御本尊である』と断言されているので
あります。

尚「大御本尊」という呼称は、日興上人の大石寺譲状(日興跡条々事)と、重須日順師の心底抄にのみ
記(しる)されておりますが、もし、文献莫迦が如き、(大聖人の)真蹟文のみが真実の文証などという
阿呆な理屈からするならば「大御本尊」という呼称自体も、後人の捏造という事になりましょう。
とまれ、日興上人が大石寺譲状に於て「身に宛て給はる所の弘安二年の大御本尊」と明記されている事が
重要なのであり、本より、日興上人の御一身に給わった大御本尊でありますから、当然、身延の常在物では
ない、という事になります。

爾して「時を待つべきのみ」の大戒壇こそは、我が富士門流の大目標であり、通りすがり殿が御紹介の
日興上人筆『本門弘通事』こそは、応に戒壇建立に於ける迹門比叡山と本門富士山との対比であり、
実(げ)に此の理(ことわり)こそが、未来本門戒壇の建立必設の文証と成るものであります。
爾して、此等の共通理は、二箇相承・大石寺譲状のみならず、富士一跡門徒御存知、及び五人所破抄、
延いては、日代師・日順師をも含む富士門流の大義として一貫されているものであり、元より其の根義
こそは、三大秘法稟承事を首(はじめ)とする日蓮大聖人の御遺訓を以って証明されるのであります。

猶(なお)、其の富士門に於いて、未来広宣流布の暁に、勅許勅宣を迎えるべく勅使門を設けているのは
我が富士大石寺のみであり、実(げ)に其れこそが富士門宗家の証と成るものであります。

さても、樟は身延に無かったから板本尊など作れないだの、勧請の其れが他の本尊と違うだの、
「戒壇之御本尊」などという文記は何処(どこ)にも無いだの、身延の「草庵」には巨大過ぎて
安置出来ないだの、金箔漆塗の代金など大聖人が払えるわけが無いだの、挙句には、日有上人が
偽作しただの、弘安三年の日禅授与本尊を模作しただの、と、あれやこれやと唾を飛ばす邪流人の
者共…。

して、こういう奴らこそ、自身の本尊義を宣べず、其の所属する宗派門派教団を隠し、其れこそ、
無学邪人に論敗なし、の杵柄(きねづか)を以って屁理屈を捏ね回し、言いたい放題の悪口中傷を
弄するのであります。実(げ)に『馬の骨』こそは、其の典型でありましょう。

我らと論じたいのであれば、正々堂々、己(おの)が宗派を宣べ、又は、其の所属する門派教団を親告し、
以って其の本尊義を顕揚して、我ら富士門に対しなさい。

当方は其の事を、何度も繰り返し述べているのであります。

本より、金原某やイタチなどは、今や無所属の其れであり、仏法からして私義私流の徒輩であります。
そんな者らに、相伝の何たるかなど、解かろう筈も有りませんし、又、其れを語る資格もありません。
況してや、学問によって法義を計らんとする、学者教授などは、応に無智無学の権化である、という事を
我らは識るべきでありましょう。

此に詰問す。

さても、オマエたち邪流権化の者共こそ、身延山に隠匿せる民部日向の板本尊の材質を明示せよ。
加えて、北朝観応二年(1351)修造の金箔板本尊の材質、及び、其の作業工程を此に明示致せ。

よいか。一方的な批判など莫迦でも出来る。
況してや、己(おのれ)の身分を隠して一方的に批判するなどは、其れこそ莫迦に臆病が重なった
痴虫小蟲の所業である、という事を、オマエたち捨てハン串の連中は能く能く知るべきである。

おっと、莫迦どもへの説教は、ここまでと致しましょう。限が有りません。哀笑。

さて、通りすがりの法華講員殿には、これからも新興宗教創価学会をはじめ、邪流日蓮宗を含む
あらゆる邪宗教に対し、鋭意呵責されん事を此に期待しております。

今後ともどうか宜しくお願い致します。
 

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