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漱石

 投稿者:太古  投稿日:2014年 5月25日(日)12時24分39秒
返信・引用
  漱石の金曜日の朝日新聞連載「こころ」にこんな文面がありました。

 「先生は何故(なぜ)元のように書物に興味を有(も)ち得ないんですか」

 「何故という訳もありませんが。……つまり幾何(いくら)本を読んでもそれほどえらくならないと思う所為(せい)でしょう。それから……」

 「それから、まだあるんですか」

 「まだあるというほどの理由でもないが、以前はね、人の前へ出たり、人に聞かれたりして知らないと恥のように極(きまり)が悪かったものだが、近頃は知らないという事が、それほどの恥でないように見え出したものだから、つい無理にも本を読んで見ようという元気が出なくなったのでしょう。まあ早くいえば老い込んだのです」

最近とんと本を読まなくなったし、映画館に行かなくなった。まあ、こんな先生の心境もわからないでも無い。まあ早く言えば老い込んだのです。
そうならないためには、好きです、という意欲と、若いときの感動と、毎日の好奇心、と人との出会いでしょう。

糸島の離島に猫がいると言うことで、一二の三で、素人(三四郎)ながら猫を撮影に出かけたが、ネットで見ると、猫は沢山いる、当日は暑いせいか猫は外には居らず、我が輩はがっかり、「草枕」で寝込んでしまった。「悶々」としたのであります。しかし、潮風に当たりながら唐津まで見渡せる風景は絶景でございました。「心の旅」でございました。台風の「二百十日」頃はこの島も大変だろうなと想像致しました。
海に向かって石を投げたら「坊ちゃん」と音を立てておりました。天気と季節は「明暗」を分ける。「それから」「道草」食わないように帰宅して整骨院に行ったのでございます。帰宅の電車で首から上の美人に遭遇致しました「虞美人草」。小さな島で個人(行人)的には猫を求めてまた行ってみたい。
 
 

クラシック名曲サウンドライブラリー

 投稿者:太古  投稿日:2014年 5月22日(木)22時13分9秒
返信・引用
  http://classical-sound.seesaa.net/category/9291955-1.html  

三重県の由来

 投稿者:太古  投稿日:2014年 5月22日(木)22時11分30秒
返信・引用
  「三重」・「三重県」の名の由来

『古事記』には、倭健命(やまとたけるのみこと)は東国平定の長い戦からの帰途、鈴鹿の熊褒野(のぼの)でなくなったと記されています。桑名郡尾津の浜から熊褒野へ向かう途中、しだいに弱ってきた命は「わが足三重のまかりなして、いと疲れたり」と語り、以後その地を三重と呼んだということです。

 明治5年3月に安濃津県の県庁所在地が津から三重郡四日市に移されたとき、郡の名前を取ってそれまでの「安濃津県」から「三重県」に改称され、以来『三重県』というようになったわけです。その後、県庁が津に戻り、度会県と合併し現在に至っています。
 

Re: クラシックが使われている映画

 投稿者:春声@  投稿日:2014年 5月22日(木)16時13分43秒
返信・引用
  > No.71[元記事へ]

ここで紹介されているサイトを訪問したら、すごい勢いで映画の作品リストが
アイウエオ順で並んでいた。「も」のところを見てみました。

<  ‐森の中の淑女たち(シンシア・スコット1990)
 シューベルト:弦楽五重奏曲第2楽章  >

たしかに、この曲が静かな調子で流れます。
クラシック曲が10曲ちかく流れます。
エンドクレジットに記載されてある楽曲を不完全ながらメモをとってみました。
クラシック作品で10曲以上はあります。なお上記記載のシューベルトの曲は
映画の比較的はじめの方に割合長めに、画面のバックに流れていました。

シューベルトの曲はこれ以外にもラストで聴こえる「ノットゥルノ変ホ長調作品
148」、中程で聴かれる「アルペジョーネ・ソナタ」など監督や音楽担当者等
の思い入れが強かったのか、効果的に使用されています。

 

Re: ジャズの映画

 投稿者:春声@  投稿日:2014年 5月22日(木)16時00分25秒
返信・引用
  > No.72[元記事へ]

<1927年、当時の人気歌手アル・ジョルスンがスクリーンの中で突然歌い
出しました。それを観ていた観客達は腰を抜かさんばかりに驚いたそうです。
作品名は『ジャズ・シンガー』、アメリカ映画史上初のトーキー映画です。
アメリカではじめての歌う映画は、ジャズ映画だったのです。>

交流サイト掲示板が復活して、一番新しい書き込みを読んだら「Jazzと映画」。
まさしく4~5日前に、この映画をレンタルDVDで観たばっかりのタイミング
なのでびっくりしたり喜んだり。今後ともどうぞよろしく。

『ジャズ・シンガー』は有名なので以前に既に観た映画だというふうに思ってい
たが、いざ観始めたら、未見の映画でした。
アル・ジョルスンって歌手はこの映画で描かれるような男性だったとは!!
黒人だとばかり思いこんでいたのは完全なる間違い。ユダヤ系の白人ですね。
ステージ上の扮装として、顔を黒く塗り、口の周りを白く縁取りして強調してい
る。それほどジャジーな音楽というわけでもない。

父親がユダヤ教の司祭だった関係で職業としての司祭職を継ぐべきものだと家庭
内では教えられていた。
宗教よりも、ジャズというか軽音楽の業界に強い憧れと力量を持っていたせいで、
父に反抗して、ジャズ歌手への道を進んだ。結果的に大成功した。
映画はハッピーな終幕。    春声@
 

ジャズの映画

 投稿者:太古  投稿日:2014年 5月21日(水)19時09分59秒
返信・引用
  http://www.sadanari.com/jazz981223_00.html

http://www.kyoto-wel.com/item/IS81212N04625.html
 

クラシックが使われている映画

 投稿者:太古  投稿日:2014年 5月21日(水)12時10分25秒
返信・引用
  http://www.geocities.jp/gokuraku_ya/musik/kino-musik.htm#mo  

友だちとあるこう 引用

 投稿者:太古  投稿日:2014年 3月29日(土)12時05分46秒
返信・引用
  「いつか読書する日」などの緒方明監督が自主製作した「友だちと歩こう」が東京と名古屋で上映中だ。群馬や大阪など各地で順次公開される。作品は4章に分かれ、3年かけて1章ずつゆっくり撮っていった。

 「散歩好き」と話す緒方監督が2010年、「道を歩くこと自体を描く群像劇を作れないか」と思ったのがきっかけだ。盟友の脚本家、青木研次に相談すると「お年寄りが歩く話なら書ける」と即答したという。

 映画は4部構成。第1章の主人公は郊外の古い団地に暮らす2人の老人(上田耕一、高橋長英)。近所の店へたばこを買いに行くが、2人とも足が悪く、ゆっくりゆっくり歩く。その速度によって、何でもない風景や日常のちょっとしたドラマが見えてくる。「日本一遅いロードムービーです」

 第2章では、大人になれない30代の男(松尾諭)が友人(斉藤陽一郎)と一緒に元妻の住まいを訪ねていく。第3章以降で、世代の違うこの2組4人の男が絡んでいく。社会の中心から外れた男たち。緒方監督は彼らを優しく見つめる。

 第1章を完成させた後、東日本大震災が起きた。製作中断を経て、トーンが少し変化する。「青木さんの脚本は『生と死』がモチーフですが、第1章は視線が冷徹だった。それが震災以降はまろやかになった。誰も傷をつけないおかしみが現れてきたと思います」

 自主製作だから予算はかけられない。「商業映画の場合、分かりにくい箇所は分かりやすくします。しかし、今回は観客の想像力を信用しようと思いました。今の映画を見慣れていると不親切に映るかもしれないが、スクリーン上で何が起こっているかを、観客自身が発見する楽しみを提供したかった」
 

西尾劇場 解体決まる

 投稿者:太古  投稿日:2014年 3月24日(月)22時44分4秒
返信・引用
  http://blog.goo.ne.jp/shortwood/e/b82f33f633b3f34cdbf7325369a7ca0b  

映写機

 投稿者:太古  投稿日:2014年 3月14日(金)16時35分47秒
返信・引用
  映画館のデジタル化や閉館などによって、数多くの35ミリフィルム映写機が行き場を失っている。

 そうした映写機を引き取り、再活用をめざして保管、メンテナンスする活動が行われている。

 千葉県成田市にあるギンレイ成田映画センター。広さ1200平方メートルの元倉庫に、さまざまな35ミリフィルム映写機が保管されている。最近までシネマコンプレックスで使われていたものから、レトロな年代ものまで。フィルムを巻くプラッターなどの付属機器、スペアの部品なども一緒だ。現在は約100台にのぼる。

 この場所を設けたのは、東京・飯田橋の名画座、ギンレイホールの加藤忠社長。「フィルム映像の文化を伝えていきたい。フィルムとフィルム映写機の両方を保存していければ」と話す。活動のきっかけは、1996年末までギンレイホールで使っていたローヤルニューL型という昭和の映写機のレトロな魅力にほれこんだこと。大事に保管していたところ、「これも預かってもらえないか」と、休館、閉館した全国各地の映画館などから映写機が集まり始めた。

http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/cinema/cnews/20140228-OYT8T00814.htm
 

空白の5マイル

 投稿者:太古  投稿日:2014年 3月 9日(日)23時31分31秒
返信・引用
  http://www.shueisha.co.jp/shuppan4syo/22nen/outline01.html  

葛飾応為(おうい)

 投稿者:太古  投稿日:2014年 2月19日(水)11時31分32秒
返信・引用
  http://japan.digitaldj-network.com/articles/26513.html  

是枝監督 語る 朝日新聞より

 投稿者:太古  投稿日:2014年 2月15日(土)12時11分22秒
返信・引用 編集済
  あるイベントで詩人の谷川俊太郎さんとご一緒したのですが、『詩は自己表現ではない』と明確におっしゃっていました。詩とは、自分の内側にあるものを表現するのではなく、世界の側にある、世界の豊かさや人間の複雑さに出会った驚きを詩として記述するのだと。ああ、映像も一緒だなと。撮ること自体が発見であり、出会いです。詩やメッセージというものがもしあるのだとしたら、それは作り手の内部にではなく世界の側にある。それと出会う手段がドキュメンタリーです。ドキュメンタリーは、社会変革の前に自己変革があるべきで、どんなに崇高な志に支えられていたとしても、撮る前から結論が存在するものはドキュメンタリーではありません」

 ――じゃあ何ですか。

 「プロパガンダです。水俣病を撮り続け、海外でも高く評価された土本典昭さんは『不知火海』という作品で、補償金をもらって陸に上がった漁師が、品のない家を建てて金ぴかの調度品で部屋を飾っている様子も撮っています。そのような、水俣病を告発するというプロパガンダからはみ出した部分こそがドキュメンタリーの神髄です。人間の豊かさや複雑さに届いている表現だからこそ、人の思考を深め、結果的に社会を変えられるのだと思います」

 「安倍政権を直接的に批判するドキュメンタリーもあっていい。だけどもっと根本的に、安倍政権を支持している私たちの根っこにある、この浅はかさとはいったい何なのか、長い目で見て、この日本社会や日本人を成熟させていくには何が必要なのかを考えなくてはいけません」

http://digital.asahi.com/articles/DA3S10979945.html?iref=comkiji_redirect&iref=comtop_pickup_04
 

助ける 朝日新聞より

 投稿者:太古  投稿日:2014年 2月15日(土)00時19分13秒
返信・引用
  ソチ五輪のスキー距離で、1人のコーチの行動がたたえられた。地元ロシアの選手が転倒し、スキー板が破損。その場を見ていたカナダのコーチが自分の持つスキー板を提供したのだ。ライバルを助ける姿勢には「五輪精神を体現するヒーロー」と称賛する声もあがった。

 11日に行われた男子スプリント・フリー。アントン・ガファロフ(ロシア)は準決勝を戦っていた。ヘアピンカーブに猛スピードで突入して転び、左足のスキー板が折れた。それでも、壊れたスキーのまま足を引きずりながらゴールへ向かおうとしたガファロフに、カナダのジャスティン・ワズワースコーチが駆け寄った。自国選手のために用意していたスキー板を履かせた。

 カナダやロシアの地元紙などによると、ガファロフは「転んで何も考えられなかった」とぼうぜんとした状態だったという。「とにかくゴールまで行きたかった。だれかが助けてくれた」と無我夢中に走った。トップから3分近く遅れて最下位でゴールしたが、ガファロフを観客は大歓声で迎えた。

 自身も五輪選手だったワズワースコーチ。「ゴールまで走りきって欲しかった。わなにかかって動けない動物を見たときにみなさんは放っておけないでしょう。それと似たようなこと」。気遣いがメダルの色とは違う、五輪の輝きを放った。
 

奇跡の人

 投稿者:太古  投稿日:2014年 2月10日(月)09時13分17秒
返信・引用
  アン・サリヴァン-3歳の時、目の病気トラコーマとなる。9歳のとき母親が亡くなり、結核によって身体が不自由になった弟のジミーとチュークスバリー救貧院へ移り住んだ。弟はすぐに亡くなり、アン自身も目の病気の悪化によって盲目となる。その時に病室にて弟の死と自分が盲目ということで鬱状態となり、一切の食事を拒んだが、その病院の看護婦に毎日キリスト教の教えを説かれ、徐々に心を開いていったとされる。チャリティー州委員会議長(フランク・サンボーン)に学校に行きたいと訴えた。
1880年10月 - 14歳のときに、マサチューセッツ州ウォータータウンにあるパーキンス盲学校に入り訓練と数度の手術の結果、ある程度視力を回復し(だが、光に弱く、常にサングラスをかけていたという。)

14歳のときに、マサチューセッツ州ウォータータウンにあるパーキンス盲学校に入り訓練と数度の手術の結果、ある程度視力を回復し(だが、光に弱く、常にサングラスをかけていたという。聴覚障害児の教育を研究していたアレクサンダー・グレアム・ベル(電話の発明者として知られる)が、パーキンス盲学校を紹介し、アンがケラー家の家庭教師をすることになった。
 

ヴィヴァルディ

 投稿者:太古  投稿日:2014年 2月10日(月)08時51分11秒
返信・引用
  ヴィヴァルディはヴェネチアでピエタ慈善院付属の
女子音楽学校で教師をしていました。
彼の作品の多くはこの学校で演奏するために
作られたといわれています。
慈善院には身寄りのない孤児がたくさんいました。
そんな子供たちが楽しく合奏に参加できる、
比較的演奏が安易な合奏協奏曲を多数作曲しました。

合奏協奏曲はテクニックのあるソリストグループと
合奏グループにわかれますが、合奏グループであれば
大勢で演奏する分、少しぐらい下手でも仲間に入れたのです。
 

雷 稲妻

 投稿者:太古  投稿日:2014年 2月 9日(日)20時58分21秒
返信・引用
  「いなずま」(歴史的仮名遣いは「いなづま」。ただし「いなづま」は現代仮名遣いでも許容されている。)の日本語の語源は稲が開花し結実する旧暦(太陰暦)の夏から秋のはじめにかけて雨に伴い雷がよく発生し、その落雷によって大気中の窒素が田畑に固着されるため、落雷した稲穂は雷に感光することで実るという理解が生まれ、雷を稲と関連付けて稲の「つま(=配偶者)[3]」と解し、「稲妻」(いなづま)、あるいは「稲光」(いなびかり)などと呼ぶようになったといわれている[4]。
「かみなり」の日本語の語源は、昔、雷は神が鳴らすものと信じられていたため「神鳴り」と呼ばれた為。さらに古語や方言などでは、いかづち、ごろつき、かんなり、らいさまなどの呼び名もある。
 

千利休 朝日新聞より

 投稿者:太古  投稿日:2014年 2月 7日(金)20時54分57秒
返信・引用
  利休の茶が、実は当時の最先端文化だったキリスト教の影響を受けていたとする説がある。

 利休の孫・宗旦の次男だった一翁宗守を祖とする武者小路千家の14代家元である千宗守さんは約20年前から、「一つの茶碗の同じ飲み口から同じ茶を飲む『濃茶(こいちゃ)』の作法は、カトリックの聖体拝領の儀式からヒントを得たのではないか」と主張してきた。

 宗守さんによると、この飲み回しの作法が文献に初めて登場するのは1586(天正14)年。翌年には大阪城で開かれた茶会で、秀吉が「一服ヲ三人ツゝニテノメヤ」と言うほどまで普及した。「それ以前には行われた記録がない。どこかからヒントを得て、利休が創案したと考えるのが自然」

 当時、日本でも有数の貿易都市だった堺では、キリスト教が盛んで、のちに七哲と言われた利休の高弟の中にも、高山右近や蒲生氏郷など、多くの信者がいた。

 「ミサの際、イエスの血の象徴であるワインを杯に入れて回し飲みする様子を見た利休が、場の一体感を高める目的から、日本人にはなじみが薄かった飲み回しを茶の湯に取り込んだのではないか。茶入れを拭く際の袱紗(ふくさ)捌きや茶巾の扱い方なども、聖杯を拭くしぐさと酷似している。偶然とは考えにくい」

とはいえ、今のところ、国内には茶の湯とキリスト教の関係を証明する史料は存在しない。

 文教大学教授の中村修也(しゅうや)さん(日本茶道史)は「日本を訪れたイエズス会の宣教師ルイス・フロイスは、千利休はキリスト教徒ではない旨、はっきりと記している。回し飲みも、心を一つにする際に行われる一味同心の時の盃の回し飲みと共通しているし、その他の作法の類似も、一般的な動作における普遍的な一致と言えるのではないか」と話す。
 

痴呆症と賠償責任

 投稿者:太古  投稿日:2014年 2月 6日(木)14時08分38秒
返信・引用
  高齢の認知症の男性が平成19年12月、線路内に立ち入って列車事故で死亡し、男性の親族が鉄道会社へ代替輸送などにかかった費用約720万円を払うよう命じられた判決が今年8月、名古屋地裁であり、関係者に波紋を呼んでいる。地域での見守りで「家での暮らし」を支えようとする住民や自治体職員からも「ショックだ」との声が上がっている。

http://sankei.jp.msn.com/life/news/131107/bdy13110708420001-n1.htm

http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/700/172073.html
 

小さなおうち

 投稿者:太古  投稿日:2014年 2月 6日(木)13時05分27秒
返信・引用
  女性からみたらこの映画どうなんでしょうね。
幸せな夫婦なのに奥さんは旦那の部下に恋して不倫を始めるって映画ですからね。
どつちかといえば奥さんのほうが積極的。
別に不倫しなくてもよさそうなのに、奥さん。
森田芳光監督の漱石の「それから」という映画思い出しました。だいぶ違いますが--雰囲気はよく似てます。あちらは人の妻を奪うという話ですが

旦那が女中の若いタキちゃんを手込めにしてもいいような--

奥様と部下の危ない関係だけでなく、少し衝撃的なことが原作には書かれてます。
しかし、原作はなかなか危ない関係が始まらなかった。
どしてこなんな小説映画化したかったのだろうと、中頃まで思いました。
後半ちょっと急展開に突入。

しかし、女中というシステムは独特にシステムでしたね。
一つ屋根の下に、家族でない女性が二四時間住んでいる。下宿生でもない。
家族のように住んでいる。黒沢の「生きる」にあんな小さな3人暮らしなのに女中のおばさんがいましたね。このおばさんは通いだろうが。
漱石の「坊ちゃん」には清というばあさんの女中が居ましたね。
 

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