暴れん坊老人の無駄話



カテゴリ:[ 小説 ] キーワード: チェンマイ・ロングステイ テニス 病気アラカルト


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[186] 【1月15日(金)・16日(土) チェンマイ出発~セントレア到着】晴れ・32度

投稿者: 暴れん坊老人 投稿日:2016年 4月27日(水)17時12分22秒 kc119-82-180-159.ccnw.ne.jp  通報   返信・引用

 とうとう最終日になった。じつに早いものである。いま僕はチェンマイ空港で搭乗を待っている。午後7時20分発のボーイングは、深夜を経て明朝7時にセントレアへ到着の予定だ。
 乗り継ぎのバンコク・スワンナプーム空港では午前零時の離陸なので、おそらくサンドイッチ程度の軽食しか口にできないだろう。昨日は天野社長に電話をして、お世話になったお礼を丁寧に伝えた。また来年も来る予定だからよろしくとお願いした。
 天野社長は午後4時半に迎えに行くからと云う。どうしても僕らをチェンマイ空港まで送りたいと云うのだ。ここ2、3日バンコクは雨だと天気予報が放送している。しかしチェンマイは晴天つづきで、まったく雨が降る気配はない。ただし、今年のチェンマイは涼しくて、とても過ごしやすかった。午後2時チェックアウトをして、天野さんから借りた料理器具やスーツケースをロビーまで運び、彼の到着を待った。
 チェンマイ空港まで約20分の道のりだ。その懐かしい街の景色を見ながら、愉しかった思い出がずんずん遠ざかってゆく。天野社長は、あれからなにをして暮らしていたのかとか、なにか美味しいものを食べたかとか、今年も年末に来る予定を立てているかと、いろいろ質問攻めにあった。

 天野邸の年越しパーティが終わって翌々日に息子が帰った後は、まるで気が抜けたように無気力で無駄な日々を過ごしたが、よく考えてみれば、僕らはその自堕落な毎日を求めて、はるばるチェンマイまでやって来たのではないかと妙な納得をして、それ以後は自炊をやめて、あちこちの露店で地元の食事を堪能した。
 とくに僕はひとりで北門まで歩いて、名物店でカオマンガイ(チキンライス)を食べたり、中国人が経営する豚足ライスを長い行列に並んだりして、貪欲さがよみがえってきた。
 チェンマイ空港はいかにも古都らしい国際空港だが、その寂れた風情がたまらなく郷愁を呼ぶ。天野社長と再会を約して別れ、僕らはチェックイン・カウンターへと向かう。名古屋からタイへ入国したときは、バンコクでイミグレーション(入国審査)を受けたが、出国の際はチェンマイでイミグレーションを行う。チェンマイは国内線のはずなのに、不思議な現象である。
 チェンマイにも免税店はあるが、じつにこじんまりとして、いかにも田舎空港の風情だが、これでもれっきとした国際空港なのだから、なんだかセントレアに似た都市空港だ。

 イミグレーション(出国審査)も簡単で、バンコクのスワンナプーム空港とは雲泥の差である。らくらくイミグレーションを通過し待合室で本を読んでいると、鼻をつく懐かしい臭いがした。中国人は相変わらずカップ麺が好きだ。団体ツアーで来ているのだろうか、大きな声を立てながらずるずるとラーメンをすすっている団体一行は異様な風景である。
 チェンマイ空港の喫茶店ではカップ麺も売っている。しかも熱湯のサービスつきだ。僕はTG117便に搭乗するが、予定時刻は18時50分だから、まだ1時間以上も暇をつぶさなければならない。のんびりと本を読むことにした。搭乗時間の18時50分を過ぎてもゲートが開かないので、電光掲示板で確認するといきなり20分遅れである。バンコクの到着時間は21時に変更された。
 安定飛行に移るとすぐさまサンドイッチとパイの軽食が提供されるが、食べ終わるころにはシートベルト着用のランプが点き下降がはじまるという、あわただしいフライトであった。21時ちょうど、30分遅れてスワンナプーム空港へ到着した。スワンナプームでも簡単な審査があったが、まったく問題はなかった。

 午前零時出発まで、3時間もある。お金がずいぶん余ったので、妻になにかを買ってやろうと考えていたが、彼女は田舎者なのか引っ込み思案なのか無智なのか、まったく物欲というものがない女なので、こういうときはほんとうに困る。プレゼントをしてやると云っても、さしてうれしがる風でもなく、なにが欲しいというでもなく、まさに無欲である。
 仕方がないのですこし下手に出て 「きみは美しいんだから、何か化粧品でも買おう」 と云うのだが、はて、どんな種類のものがいいかとなるとはたと困って黙ってしまう。
 「じゃ、ピアスは?」 と訊いても 「もうあきた」 と答えるし 「ブレスレットはどうだ?」 と尋ねると 「去年、あなたに買ってもらったばかりだから」 と取りつく島もない。結局、チェンマイで経験したからだろうが 「強い陽射しが苦手だから、ちゃんとしたサングラスが欲しい」 とようやく欲を出したが、その後の言葉がふるっている。 「家に帰って洗濯物を干すとき上を向くでしょ、ほんと眩しいんだから」
 えっ?そのためのサングラス?1万数千円もするブランドのサングラスを、洗濯物を干すときのために買うのかい、と僕はあきれるやら可愛いやら、ほんとうに憎らしい女である。

 さてタイ航空のTG644は、EASTコースのC1Aゲートから出発する。午後11時45分、いよいよ搭乗がはじまった。機体はあの話題のボーイング787で、初めての体験に得したような気分になる。
 テレビ画面が横に広くて、操作性もいいし、なんだか座席にも余裕があるように感じられるが気のせいだろうか。それにしても、何10回となく乗っても飛行機の離陸時と着陸時は興奮する。
 水平飛行になるとサンドイッチが出たが、僕は赤ワインを1杯だけ口にしてすこし眼を閉じた。名古屋からの便は6時間かかったが、帰りは4時間半で名古屋に到着する。
 沖縄上空を過ぎたころ朝食が出た。5時30分である。予定ではあと1時間15分くらいで、いよいよセントレアにランディングをする。息子はもう家を出たのだろうか。僕らをセントレアまで迎えに来てくれる約束になっている。

                              【おわり】





[185] 【2016年1月14日(木)】 晴れ、31℃

投稿者: 暴れん坊老人 投稿日:2016年 4月24日(日)08時21分57秒 kc119-82-180-159.ccnw.ne.jp  通報   返信・引用

 というわけで、翌年は天野社長に無理を云って、年末年始の宿を頼んだ。すると、やや古いコンドミニアムだが、街に近く生活には便利だと、チャンクラン・レジデントを調達してくれた。
 なるほど、そこにはベランダもなく、部屋もこじんまりとしていたが、地の利が良くて僕はふたつ返事でOKをした。年越の大晦日、僕は妻を伴ってターペー門へ向う。この時季のチェンマイは乾季で気温も比較的平均的で30℃をすこし超す程度だし、朝晩は涼しいというよりも寒いくらいで、地元の人はみんな長袖のジャンパーを羽織っている。
 とにかく過ごしやすさはこの上なく快適で、さすがの妻も 「まるで天国ね・・・夏の軽井沢にいるようだわ」 と大満足の様子である。天野社長は気の利いた人で、そんな僕ら夫婦を素敵な企画に招待してくれた。
 チェンマイの北方郊外にある湖畔でパーティーをやるというので、天野社長の顧客の中から、特に大切な人たちを択んで招待してくれたのである。そのメンバーに僕ら夫婦も含まれていた。
 ゲストは10人ばかりで、そのほかに従業員やゲスト・ハウスに宿泊している若者たちを合わせると20人くらいの大所帯である。そのときに知り合ったのがアニメ界の巨匠である宮崎駿氏の兄貴夫婦であった。

 僕らはみょうに気があって意気投合した。駿氏の昔話や学習院大学を卒業したなど自慢話ばかりだが、素直に聞く僕が気に入ったと見えて、ずいぶん仲良くしてもらった。宮崎さんの女房は派手で目立ちたりが屋の大酒呑みだが、これまた僕の妻を可愛がって、パリに住んでいる娘の許で2年間暮らしたとか、春には1ヶ月間スペインで暮らす話など、良人に負けないほどの自慢屋だった。
 とはいえ、そんな名士はいまヒルサイド4に住んでいる。いつでも尋ねてきてくれとお誘いを受けているが、僕ら夫婦はこれまで一度も尋ねてはいない。
 そしてさらに翌年、僕らはヒルサイド4へもどってくる。しかもこのときは、息子が2週間の長期休暇をとって、僕らの許にやってくるという、うれしいおまけがあった。彼はいたく感動したようで、地図を片手に連日のようにチェンマイの街を歩きまくっていた。
 広いテラスでの朝食が美味しいと、玉子やチーズやハムを載せたトーストを4枚も食べたことがあったし、スパイシーなタイ料理を汗を流しながら心ゆくまで愉しんでいた。年の瀬が間近に迫ると、ヒルサイド4の屋上庭園で、大々的に年忘れのパーティが開かれ、天野社長の好意で僕らも招待された。
 招待客は150人くらいで、たいそう華やかなパーティである。そこで僕らは宮崎駿の兄貴夫婦と再会することになる。宮崎氏は、こんどは僕じゃなくて息子を気に入って、彼を隣の席に呼んで、いつものように自慢話をする。

 とはいえ、息子もまんざらでもない様子で、話は大いに盛り上がっていた。おかげで僕ら夫婦は天野社長と談笑に耽り、この年忘れ大パーティを愉しむことができた。
 2日後、天野社長から電話があり、こんどは宮崎邸で年越パーティがあるから、ぜひ出席していただきたいと連絡があった。息子は大いに歓んだが、妻はこうした派手なふるまいを嫌っていたが、僕はなんとか宥めて同行をうながした。
 宮崎邸にはほかに2組の夫婦と天野社長をふくめて都合10名の宴である。話は大いに盛り上がり、僕は天野さんや2組の夫婦と歓談をつのらせ、息子は宮崎氏の自慢話につき合わされ、妻も宮崎夫人の相手をさせられていた。
 そして一昨年、天野社長の提案で2LDKの大きなスペースのサービス・アパートメントを紹介された。天野さんは1年に1回、名古屋へ帰国する。そのときは必ず僕に連絡があり、金山や鶴舞あたりでランチをしながら談笑した。
 そんなおりに、このアパートメントの話が出た。べつにどこに投宿しようがかまわないが、予算内であれば社長のお言葉に甘えようと云うと、天野社長は、 「なにをなにを、なにを仰る。わたしはイノマタさんを相手に商売をしようなんて、これっぽちも思っていませんよ。わたしの商売の相手は、あの宮崎氏のようなブルジョアです。これでもわたしは雁道生れの名古屋っ子ですから」 と、ニヤリと笑った。




[184] 【2016年1月13日(水)】 晴れ、31℃

投稿者: 暴れん坊老人 投稿日:2016年 4月20日(水)12時44分47秒 kc119-82-180-159.ccnw.ne.jp  通報   返信・引用

 深夜2時、眼覚めてベランダに出ると、いつもと同じ星空を眺めながら煙草を一服する。なぜかこんなときは故国を思い愛する息子は今頃なにをしているのかしらとか、さぞかし日本は寒いのだろうなどと想像しながら、僕はTシャツと短パンでゆったりと煙を燻らして非日常の幸せを満喫しているのである。
 さて、僕がチェンマイに魅入られたのは、特別の理由があったわけではない。もともと勝手知ったるローマあたりでのんびりできたらいいなあとは思っていたけれど、いざその気になって、僕なりにリサーチしてみたら、とても僕の財力では無理だとわかったのであきらめたのがひとつ、もうひとつの理由は我妻の発言であった。
 「もういや!ヨーロッパには絶対に行かない。どんなに素敵でも、12時間も狭い座席に閉じ込められての旅行なんて、絶対に行かないわ」 と云った。
 そりゃ、よく考えてみれば、たしかに僕だってつらい。でも、どんなにつらくても、それを我慢しなければ、素敵なヨーロッパなんて夢のまた夢じゃないかと諭してみたが、妻はそれを頑なに拒んだ。
 ローマのロング・ステイをあきらめた僕は、次なるターゲットを捜した。本やネットで調べつくしたが、ターゲットとなる国も決まらないまま時は過ぎてゆく。
 あるとき、いつものようにネット・サーフィンをしていると、あるサイトに出会った。東南アジア、ロング・ステイ、日本人をキーワードで検索をくり返した末のヒットだった。それは、ある日本人のロング・ステイ体験談である。

 ”モーちゃんの人生を愉しむ”というタイトルのブログで、豊富な写真を網羅した膨大なサイトである。世界中をわたり歩いていた彼の記事の中に、タイ国バンコクとチェンマイの体験談が載っていた。
 モーちゃんの親切なところは、詳細な旅行費用などを紹介しているところにある。家賃はもちろん、光熱費、テレビ視聴料から保証金まですべて披露されており、とても参考になった。
 むろんコンドミニアムやサービス・アパートメントの外観や内装などについても、こと細かな解説と写真が紹介されており、僕は夢中になった。想定どおりバンコクはまるで東京のような生活を強要されるので、僕は北部の古都チェンマイに眼をつけた。
 気候的にも過ごしやすそうだし、バンコクと較べても格段に物価が安い。するとモーちゃんのブログである物件を見つけた。それがヒルサイド4という高級コンドミニアムである。
 旧市街からは北西にちょっと離れてはいるが、モーちゃんの写真や文章に魅せられた僕はすっかりとりこになった。問題は予算と契約する不動産屋を捜すことだけだ。僕はチェンマイ、ヒルサイド4、不動産屋とキーワードを打ち込み検索を試みた。
 僕の試みは美事にヒットしたのである。それがヒロ・アジアン・プロジェクトの天野社長である。しかも彼は名古屋市の雁道出身者だったので、僕はすっかり舞い上がってさっそくメールをしたためた。

 天野社長は筆まめな人で、半日を置かずに返信をしてくれる。僕はこちらの身分を明かし、なんとかヒルサイド4に1ヶ月ばかり住みたいとメールしたが、即答はもらえない。とにかく算段をするので、もうすこし時間がほしいとの返信だった。
 やがて2ヵ月後、その天野社長から待望の報せが来た。チェンマイでも有名な高級コンドミニアムなので、空き部屋の確保が難しかったこと、イノマタさんと当方の予算が折り合わなくて苦労したことなどを苦心しながらも、なんとか合意できるようになりましたと、もったいぶった返信が来たのは、旅行予定のわずか20日前であった。
 2012年4月5日、とうとう僕らはタイ国チェンマイへ旅立ったのである。タイは夏季で連日の猛暑がつづき、35℃を下回ることはなかった。この厳しい時季にロング・ステイしたのは、ソンクラーン祭りを見たいのが動機であるが、その猛暑は容赦なく躯を痛めつけてくる。
 けれど、さすがはソンクラーン祭り、その盛り上がりは尋常じゃなく、僕はすっかりとりつかれてしまった。“また来年も来よう”と満足感をたっぷりと味わっていたが、またしても妻が 「もういや!どうしてチェンマイまでやって来て、バケツの汚い水をぶっかけられるの?」 とご立腹である。
 「でも、それがソンクラーン祭りだから」 と僕は応酬するが 「いやなものは、いあなの!」 と一蹴されてしまった。つづきは明日~。




[183] 【2016年1月12日(火)】 晴れ、32℃

投稿者: 暴れん坊老人 投稿日:2016年 4月17日(日)08時31分57秒 kc119-82-180-159.ccnw.ne.jp  通報   返信・引用

 5年目のチェンマイもあと4日になった。寒い日本を逃れて暖かいチェンマイにやって来たが、こんどは猛烈な暑さに閉口しているのだ。夏は涼しい妻の郷里の北海道へ、冬は友人の天野社長をたよって暖かいタイへ逃避をはじめたのはいつのころからだろう。
 僕らの時代の新婚旅行といえば、海外など夢のまた夢で、熱海とか鬼怒川への2泊か3泊の旅行が精一杯だった。それでも僕と妻は、愛車を駆って、フェリーで南九州一周を計画した。それでも当時としては斬新な企てであった。
 やがて僕が34歳のときに、勤めていたテレビ事業企画で500名の小中学生を引率して、年末年始を豪華客船”にっぽん丸”で、グァム・サイパンを過ごそうというキャンペーンの話が持ち上がり、そのスタッフの一員として僕に白羽の矢が当ったのである。
 12日間の長旅だったが、それが僕の海外旅行の初体験であった。この企画は冬の船旅という、厳しい条件で催される。つまり片道4日間の船旅で、グァムとサイパンで4日間、つまり12日間の厳しい船旅である。
 僕はいたく感動して帰り、こんどは妻を伴ってグァムへ4日間の旅へ出る。しばらくして長男が有名高校を無事に卒業し、大学進学を決めたお祝いのために、卒業旅行をする。
 行き先はなぜか香港で、息子は息子なりに歓んではいたが、僕はひどく違和感を感じていた。つづいて年子の次男を連れてハワイに行き、そのときもハワイの愉しさを味わってもらいたくて、妻を連れて再び訪れている。僕が42歳のとき、勤続20年のお祝いに会社からバリ旅行をプレゼントされた。同期の会社仲間4人との5日間の旅であった。

 以上の海外旅行はただ行っただけというだけで、僕にはなんの魅力もなかったし、感動もなかったが、それから10年後、僕を海外に魅了させる出来事が持ち上がった。
 それは勤続30年を表彰されて、30万円の祝い金と1週間の休暇をプレゼントされたのである。先輩たちのほとんどはハワイやバリ島へ出かけていったが、僕は考えた。サラリーマンにとって、お金はともあれ1週間の休暇は滅多にないチャンスである。
 思い切ってヨーロッパにでも行ってやろうと決断し、イタリア周遊8日間の旅を予約したのだ。むろん妻を連れての旅行が条件なので、予算はかなりオーバーしたが、それが僕がとりつかれた海外旅行の船出であった。
 翌年はロンドン・パリと、ふたたびイタリアを旅した。こうして夏冬のボーナスのたびにヨーロッパ旅行を愉しむことになる。イタリアへ6回、ロンドン・パリ・ドイツへそれぞれ3回、そのほかアメリカ・カナダ・メキシコ・オーストラリアや、ベルギーやオランダ・スペイン・フィンランドとほぼヨーロッパを制覇したが、その合間を縫ってインド、タイ(当時はそれほど興味をもたなかったが)、ベトナム・シンガポール・マレーシア・上海・台湾・韓国など東南アジアへも足を伸ばしていた。

 やがて定年になり家でブラブラしていたが、どうにも退屈だし、妻との口論が絶えないので、僕は勤めに出る覚悟を決めた。ただし、生活に困っての労働ではないので、僕はありったけのわがままを云って、それでも訊いてもらえる会社なら働くことを決めていた。
 しかし、そんな都合のいい会社などあるはずはない・・・と思っていたが、いともあっさりとOKという会社に遭遇した。しかも、はじめて面接に出かけた会社だった。それがいま僕が世話になっているところである。
 ところで僕のわがままの内容だが、それは相当乱暴でむちゃくちゃな要求である。まず土日、祝日は仕事をしない。夏と冬は長期の休暇をとる。仕事時間は朝7時半から午後1時まで。
 すると面接官の社長は代替の要求をしてきた。パートタイムの扱いで時間給は最低位に設定し、仕事は他の従業員と較べて、いちばん厄介なことをしてもらいます、それでもよければあなたを採用しましょうと云った。
 むろん僕に異論はない、渡りに船である。ふたつ返事をして、僕は働くようになる。肉体的な重労働というよりも、神経や頭をつかうややこしい仕事だったが、僕はすぐに馴れて難なくそれをこなした。社長は歓んだ。
 そんな仕事をこなしているうちに、僕はこのきつい労働の果てに得るわずかな収入の使い道を考えた。そして、そうだ!海外旅行へ行ってリフレッシュして、また一生懸命に働こうと決意したのである。このつづきは明日、お話しすることにする。




[182] 【2016年1月11日(月)】 晴れ、32℃

投稿者: 暴れん坊老人 投稿日:2016年 4月13日(水)14時48分15秒 kc119-82-180-159.ccnw.ne.jp  通報   返信・引用

 毎日、浮世ばなれした生活を送っている僕だって、現実に引き戻されるときがある。それはNHKのニュースを観たり、フロント事務所で1日遅れの読売新聞を読んだりするときだが、そんなときに限って、当地チェンマイで永住しているアパートメントの日本人たちが話しかけてくる。
 「いつチェンマイに来た?」 とか、 「いつ日本へ帰る?」 とか、 「ドイステープ寺院には行ったか?」 とか、どうでもいいことを根掘り葉掘り訊いてくる。そもそも僕は、チェンマイで日本人と仲良くするために来たわけじゃないし、へんな里心が募るのも困る。
 どうせこちらで永住している日本人は、故国の家を売っぱらって、後戻りの赦されない覚悟をもって、チェンマイに移住しているにちがいない。毎日ゴルフを日課として、無意味な人生を送っている彼らにとり込まれまいと僕は頑なになる。
 いま僕は、日本に家もあるし息子もいるし、生活だってある。つまり僕には帰るところがあるのだ。それに較べて、彼らには帰るべき所在がないのである。以上のことは天野社長から何度も訊いた話である。
 蓄えのある人は、余裕をもってチェンマイに遊びに来るが、こちらで永住を決意する人々は、そのほとんどが全財産をなげうって、背水の陣の覚悟でチェンマイにやって来るそうだ。
 さてここで、タイの生活事情についてちょっとお話したいと思う。昨晩、夜遅くまで階下の部屋からにぎやかな声が聴こえてきた。おそらく酒盛りでもしているのだろうが、それはにぎやかさを通りこして、うるさく騒いだり大きな音を立てたりと、大騒音である。

 チェンマイでは暑いので、窓や扉を開け放しにしているから、なおさらやかましさが気になる。そこで僕は、チェンマイ生活での苦労の一端を紹介するわけである。
 そもそも日本人は他人の迷惑行為に敏感で、他人が赦せない質です。 「ちょっと、うるさいんですけど、もっと静かにしてくれないか。迷惑だよ」 と云ったとする。しかし階下のタイ人は 「これくらい、いいじゃないか。気にするな、我慢しろ」 と云うはずだ。
 タイ人はことの善悪とは無関係に、怒鳴り込んできた時点で、彼らの生活を脅かす敵とみなしてくる。タイ人からすれば、悪いのは怒鳴り込んできた日本人なのである。そこで日本人は 「警察に訴えてやる」 でも怪我人や死人が出ていない限り、警察がすぐに来てくれることはない。
 よしんば来てくれたとしても、そんなにいがみ合わないで仲良くやりなさい、といなされてお仕舞いである。日本社会は、お互いになるべく迷惑をかけずに生きていこうというのが大原則だが、タイは迷惑はお互い様、赦し合って生きて行こうというのが大原則だ。
 微笑みの国、寛容の国と呼ばれるゆえんだ。日本の正義は法にあるが、タイの正義は個人にある。法の下に人がいるのではなく、人の下に法があるという考え方なのだ。

 日本人は他人のちょっとした過ちが赦せないし、なにかあればすぐに叱ったり文句を云ったりする。これほど日常的に他人を罵り、非難する社会というのは世界的にもめずらしいのではないだろうか。
 日本には日本の常識があり、タイにはタイの常識がある。それは良い悪いで判断できるものではないのだ。そこで僕は階下の住人の騒音に我慢をして、すべての窓を閉め切って、エアコンをつけて床に入りなおした。
 おかげで朝までぐっすりと眠れたというわけである。今朝は8時まで寝ていた。起きてリビングへ移動すると、妻が朝食の用意をしていた。いつもは7時ころには起きていたが、今日は1時間も余分に寝てしまったのだ。朝食はいつものように雑穀食パンを焼き、マーガリンを塗り、キュウリとトマトを敷きつめて岩塩と胡椒をかけた上からドイツ産のハムを載せるといった具合で、とってもボリュームのあるやつだ。
 昼はパスタとタマネギを炒めて、塩と胡椒と醤油をかけ、その上からとろけるチーズを細かく切ってまぶしたものを食べた。朝食のときもそうだが、僕はこの昼食時も氷をたっぷり入れた大き目のグラスに、缶麦酒をそそいで飲む。
 タイの麦酒は苦味もコクもなく、まるで水のように咽喉に流し込めるので、どうしても酒量は増す。食後かるく昼寝をしたのちシャワーを浴びて、夕食用のお惣菜を調達に、妻とともに出かける。ターニン市場は相変わらず盛況で、とっても活気に満ちている。
 妻は団子状になったハンペンを、僕は鶏肉を揚げたものを選択した。夕食はまたもや酒盛りでにぎやかになることだろう。どうか、他室の苦情が来ないことを祈って、穏やかに酒盛りをやろうと思っている。




[181] 【2016年1月10日(日)】 晴れ、33℃

投稿者: 暴れん坊老人 投稿日:2016年 4月10日(日)09時31分38秒 kc119-82-180-159.ccnw.ne.jp  通報   返信・引用

 2年連続でシャワーの具合がわるい。それはシャワーと蛇口のガランの切り替えがうまくいかないのである。そんな程度の不都合は、僕ならクリップとか割り箸を挟みこんで輪ゴムかセロテープで固定して解決してしまうのだが、老いた日本人はすぐその不具合に激怒して天野社長を呼びつけるらしい。
 天野さんだって生活があるのだし、常識的な苦情ならいくらでも対処してあげられるのだが、人の都合をお構いなしに怒鳴りまくる輩には心のそこから腹が立って、びっくりするほどの料金を請求してやるんだと、僕に語ったことがある。
 元来僕は、自分でできる範囲内のことなら何でも工夫して解決してやろうという質なので苦労はないが、なけなしの財産を整理してやってきた日本人は、 「金は払った。払った以上、何不自由なく暮らせるのが移住のはずだ」 と頑なになっている。
 クリップや割り箸や輪ゴムで解決できるなら、それくらいの努力をしてもよいのだがと、僕は思う。さて午後2時に最後の掃除にやって来たのは、タイ人の中年のオバサンたちである。 「サワデー・カー」 と挨拶をしながら部屋に入ったオバサンたちは、それぞれリビングルームや浴室や寝室や、ベランダなどに散らばって手際よく掃除をはじめる。
 箒で掃く者、雑巾を何枚も重ねて床を拭く者、テーブルや洗面台や便器などを拭いている者など、あらかじめ分担を決めてあるのか、わずか20分ほどで作業は終わる。部屋はぴかぴかに磨かれてチリひとつ見当たらない。僕はいつものようにリーダーらしい人に100B(約400円)を渡すと、 「コップン・カー」 と挨拶を返される。

 今日はサンデー・マーケットへ行くつもりなので、妻に留守を頼み、僕の夕食はチャンクアップ門の手前にある屋台群で営業している、豚足ご飯を食べる予定である。サンデー・マーケットまで片道30分も歩かねばならないので、今日は外出をすべて取りやめ、ひたすらアパートメントの部屋で休息することにした。
 昼食は妻特製で、タマネギとジャガイモを炒め、パスタにとろけるチーズを裂いたものを載せて食べた。味付けは塩と胡椒と醤油のみだが、なかなかの美味であった。
 夕刻、妻に留守番をたのんで北門奥で開催されているサンデー・マーケット(日曜限定の遊歩道)へ出かけた。僕の足で約30分の距離は近いのか遠いのか判別しがたい微妙な道のりである。
 北門のすぐ手前には約20軒ばかりの屋台が営業している。そのなかには、かつて息子に連れてきてもらった豚足ライスを売り物の人気店があり、僕はそこで夕食をとることにした。
 赤地に金文字で“猪脚飯”と派手に書かれた屋台では、タイ人か中国人かわからないような人物がさかんに中華鍋を振って調理に夢中だった。屋台は大人気で、多くの観光客がシャッターを切りまくって写真を撮っていた。

 女店主が屋台の中央で調理をし、その両脇では若い女が大きな中華包丁で、蒸して味付けをした豚肉を細長く切り刻んでいる。店員は10数人の若者たちで、客が椅子に坐るとすばやく近寄ってきて注文をとる。
 わずか30B(約120円)の豚足ライスは、ゼラチン質が柔らかくて赤身は心地よい歯ごたえがあってとても美味である。比較的量はすくないが、十分に満腹感を味わえる。夕食を終えてチャンクアップ門の大きな交差店を渡ると、三人の王様像が現れる。
 すでに日曜遊歩道のエリアに到達した証左に、車道では物売りたちが大きな声を張り上げながら商売に励んでいる。そこからターペー門にいたる数キロが、サンデー・マーケットである。
 車道の右側と左側に、それぞれ相向かいに店舗がずらりと並び、左右あわせると4列の居並ぶ店舗が数キロもつづくのだから壮観である。
 洋服屋、食べもの屋、民芸品売り場にマッサージ店・・・それがひしめくように居並んでいるのだから、歩くのでさえ不自由だし、ゆっくりと店を回るのさえ困難である。僕は妻の夕食を買って帰ることにした。
 蟹の甲羅に身を蒸して詰めた副菜と、ヌードルとモヤシを炒め、そこに卵やハンペンや海老をトッピングして、ニラを散りばめたものを買った。妻はそれを完食した。




[180] 【2016年1月9日(土)】 曇り、30℃

投稿者: 暴れん坊老人 投稿日:2016年 4月 6日(水)13時18分12秒 kc119-82-180-159.ccnw.ne.jp  通報   返信・引用

 タイのテレビでは数多の日本製品のコマーシャルが流れる。車ならTOYOTAをはじめNISSAN、MITSUBISI、HONDA、ISUZU、SUZUKI・・・など軒並みのCM合戦である。
 あと、タイでは化粧品に興味があるようで、カネボウ、資生堂、ロレアールなどがよく流れているし、マミーポコやパンパースなどの衛生用品。お菓子類のCMではKITTKATTやPOKKY、グリコや森永や明治など枚挙にいとまがない。
 いずれにしろ斜陽となった日本とはいえ、まだまだおさかんなようです。ところで、街中でよく見る光景だが、バイク乗りの約半数はノー・ヘルメットである。しかも運転者はヘルメットを着用しているが、同乗者のノー・ヘルが目立つ。
 天野社長に訊くと、タイの道路交通法は、日本並みの厳しい法規が制定されていて、バイクはヘルメットを着用のことと書かれているらしい。ただ運転手の横着さと、それを取り締まるはずの警察官がルーズなので、なかなか法令どおりには行かないらしい。2人乗りなら日本でもよく見る光景だが、3人乗り、4人乗り・・・僕は5人乗りも見たことがある。
 まず運転者が赤ちゃんを背負い、母親らしきものが幼児を抱え、その後ろの席には、まだ小学生らしい子供が乗っていた。しかも全員ノーヘルである。交差点で交通整理をしていたおまわりさんも、見て見ぬふりをしていたのかもしれないが、まったく彼らを野放しにしている。
 あ、2人乗りか・・・ちゃんとルールを守っているやつもいるのかと感心してよく見てみると、なんだか知らないが大きなバケツを2段重ねにしたものを抱えて、後ろの席に乗っている者を見たこともある。

 そもそもタイという国は微笑みの国とかいって、もめごとや争いごとを好まないお国柄である。いまタイは軍政という不安定な政府だが、それはバンコクの一部の出来事であり、ここ北部の古都チェンマイはまことに平和につつまれている。
 僕が深夜早朝の暗闇のなかを一人ぽっちで歩いていても、なんら不安を感じないほど治安の良さを感じるし、そもそも街中でおまわりさんを見かけることなどほとんどない。
 むろん年末年始やお祭りには大挙して出動してくるが、彼らは治安を維持するとか犯罪や違法行為を取締るというよりも、市民といっしょになって行事を愉しんでいるようにさえ見える。
 だからバイクにノーヘルで何人乗ろうが、裸のトラックの荷台に10数人乗っていようが、それを窘めたり注意したりすることにはないのである。
 天野社長の言では、車やバイクを運転している者のうち、半分は無免許だと思うよ。さらに車自体だって、どれだけの人が車検を受けいているやら、かなり怪しいものですと解説してくれる。
 つまりタイとはそういう程度の国だし、それで治安が保たれているなら、ことさら厳しく取締る必要もないじゃないかとと、少々の違法行為には眼をつぶり、見て見ぬふりをしているのである。

 アパートメントには各階ごとにゴミの集積場所があるが、分別はいっさいしていない。放り投げると壊れて怪我をすると危ないからという理由で、ガラス瓶だけは別の袋に入れて出すが、それすら無視して一般ゴミと一緒に出す輩もいる。
 そんな風景を目認してもアパートメントの管理人はなにも注意をしない。タイの若い娘たちはみんな可愛いが、おおよそ地味でおとなしい。ほぼ全員が躯に密着した細いジーンズを穿いているし、上にはTシャツや長袖の柄シャツを着ている。
 お化粧もスッピンかと思うほどで、化粧は薄く長い黒髪は後ろで束ねてポ二ーテールのようにしている人がほとんどである。いっけん没個性に見えるタイの娘たちは、チェンマイのような古都で生活しようと思えば、たとえ数人でルーム・シェアをしていても部屋代は高価なのだろう。
 高い部屋代と食費(ほぼ外食)や、光熱費を支払うと、残る金はほんのわずかで、衣服や化粧品などは贅沢というものである。娘たちは朝早く3人乗りのバイクでアパートメントを出て会社に向い、夕方にはもどってくる。
 いったん部屋に入るが、すぐ夕食に出かける。夕食費は20B(約80円)と、僕らと較べても非常に安く済ませているのである。そうしないとチェンマイでは生きていけないのであろう。




[179] 【2016年1月8日(金)】 晴れ、32℃

投稿者: 暴れん坊老人 投稿日:2016年 4月 3日(日)08時38分6秒 kc119-82-180-159.ccnw.ne.jp  通報   返信・引用

 連日連夜ニューハーフ・ショーの劇場には、10数台の大型観光バスが押し寄せて大盛況である。派手なネオンが煌々と輝いて客寄せに躍起となっている。夕方6時ころから2回の公演で、夜10時に終了となる。
 あんなにやかましかった大音響の音楽も静まり、輝いていたネオンもいっせいに消されて、劇場前の広場に駐車していた観光バスはあっという間に消えて暗闇につつまれている。
 そういえば・・・ニューハーフといえば、テレビ・ドラマに出演する美女に似て、みんな国籍不明の顔をしている。異常とも思える白い肌と、抜群のプロポーションは街などで見るタイ人とは明らかに異質である。地元のタイ人は角ばった顔に広がった鼻腔が特徴で、肌も浅黒い。
 それがニューハーフやテレビのニュース番組に出てくるアシスタントや、ドラマの女優はまるで欧米人のように、細くて高い鼻や薄い唇と彫りの深い顔をしている。ただどの顔も同じような顔に見える。
 天野社長に訊くと、 「近ごろのタイ人は混血ばやりで、テレビアナウンサーや女優などは、ほとんど欧米人との混血だよ。タイはいまハーフ(混血)と、ニューハーフが花盛りなんだ」 と冗談とも本当とも見当のつかぬ説明を受けた。
 しかしドラマに出てくる中年以上の芸達者な脇役たちは、これはどう見てもタイ人なのだから、昔の役者はタイ人が多く、現在の俳優たちは案外、欧米人との混血なのかもしれない。

 チェンマイ散策にも少々飽きてきたので、僕らは暇さえあればテレビを観ている。とくに僕は業界で生きてきた人間なので、テレビなしの生活など考えられないのである。それにしても、唯一のNHK日本語放送のなんとつまらないことか。
 ニュース以外の番組は大河ドラマ”真田丸”の宣伝ばかりだし、バラエティは民放となんら変わらぬおふざけだらけである。たまに放送するドキュメンタリーは見ごたえがあるが、そのほとんどは再、再、再放送なのだ。
 仕方なしにタイのテレビ局が放映しているドラマを観るわけだが、なんといっても言葉がわからないからどうしようもない。それでもいちおう観るわけだが、そのうちになんだかストーリーがわかってくるような気がするのだ。
 とにかく出演しているヒーローやヒロインの役名さえ理解不能なのだが、それでも僕らは気楽にタイのドラマを観つづけているのだ。タイのドラマは韓流ドラマに似て、ラブ・ストーリーばかりだし、ヒロインはめそめそ泣いてばかりいるし、ヒーローはお人好しの煮え切らない男ばかりである。
 だからいつも同じ展開の繰り返しで、なかなかハッピー・エンドとはならない。いま僕らが観ているドラマは第37話だが、いつ最終回がやってくるのか見当もつかない。

 夕べは妻が2回目の赤飯おこわをつくった。赤飯おこわといっても、もち米を蒸したり小豆を炊いたりするような大仰なものでなく、ただ炊飯器に入れて煮汁と小豆とともに所定の時間炊けばできあがる、いわゆるインスタント赤飯だが、これがまた美味で食がすすむのである。
 昨晩はいささか膨満感だったので、ふたりとも、ひと口ふた口食べただけだったが、今日の昼飯は赤飯の握りめしをジャガイモとタマネギの味噌汁で美味しくいただくことができた。昼食後かるく午睡を愉しんでからテント・マーケットへ出かけたが、昼下がりの陽射しは強烈ですぐ部屋へ逃げ込みたい気分になったが、僕は我慢して約5分の道のりを急いだ。
 テントに覆われているとはいえ、中は打ち水と大型扇風機のおかげで、いくぶんは涼しく感じる。錆びたボルト・ナットや大小さまざまな真鍮の南京錠が無造作に並べられており、さしずめガラクタ市のような風情だ。
 ほこりをかぶったHONDAやYAMAHAのジャンパーが天井からぶら下げてあり、店主は日本人の僕をつかまえて、さかんに売りつけようとタイ語で話しかけてくる。
 陳列台の上には、ジーンズやTシャツや靴下や下着などが山積みにしてあるが、その上にはまだら模様の薄汚れた猫が前足や後ろ足を器用に使ってカイカイをしている。
 店と店との狭い通路には大柄な犬が昼寝をして、客の通行の邪魔をしているが、飼主の店主は知らん顔をしてテレビを観ながらゲラゲラと笑っているし、まったく無頓着な連中である。




[178] 【2016年1月7日(木)】 曇り、31℃

投稿者: 暴れん坊老人 投稿日:2016年 3月30日(水)12時45分8秒 kc119-82-180-159.ccnw.ne.jp  通報   返信・引用

 4日前、朝起きたら右腕の肘下を虫に刺された痕のような、赤い斑点が見つかった。10cm大に赤く腫れた箇所が2点、2、3mm程度の小さなものが6箇所もある。
 小さなものはそれほど気にならないが、2箇所の大きな傷痕は指先で触れると痛いし、中央部分には膿が溜まってジクジクとしている。どうせ悪い虫にでも刺されたんだろうと考えて放っておいたが、夕方には大きく腫れて赤いしみが3cmばかりになってしまった。
 さすがにその日の入浴はパスして、妻の痒み止めの軟膏を塗り、バンド・エイドを貼って寝た。翌朝も状況は変わらず、患部を触るとドンとしたような痛みが走った。
 虫刺され以外に原因は見つからないので勝手に判断しているが、それにしたってここは7階だし、ちゃんと網戸を閉めて寝ているので、不思議なことである。
 3日目も状態は変わらないが、大きく腫れていた患部がいくぶん快方に向かっているように思える。そして4日の朝、僕は3日ぶりにシャワーを浴びた。入浴後、バンド・エイドを剥がして患部を指先で押さえてみたが、ずいぶん痛みも治まってきた。

 すこしは心配していたが、こんなこともあるさと暢気に考えるのが遠く離れた異国で暮らすコツである。それがいやな人は定められた観光ツアーで古い遺跡を巡り、高級ホテルに泊まって、没個性のタイ料理を堪能していればいいだろう。
 僕は好きなところで好きなだけ遊んで、疲れたら次の予定を中止してベッドで昼寝を愉しんだり、露店や大衆食堂で地元の人々に混じって食事を愉しみたいのだ。
 寝たいときに寝て、起きたいときに起きる、自由で気ままな生活を謳歌するためにはるばる日本からやって来たのだから、多少の不安やアクシデントは覚悟の上である。
 とはいえ、僕らが住むアパートメントは生活に何不自由のないさまざまな施設が用意されており、安穏と暮らしてゆける完璧な住環境なのだ。受付には片言だが日本語を話せる人も、英語を理解できる人もいて、言葉に不自由することはない。
 はじめはタイ語も覚えたいと挑戦を試みたが、とても無理だと知って、中学英語に毛の生えた程度の語学力で海外旅行を愉しんできたが、ここチェンマイでも十分に通用しているので心配することはない。
 さてチェンマイの天候だが、この時期(乾季)にロング・ステイをはじめて今年で5年目になるが、これまでただの一滴も雨が降らないのである。日本では考えられない天候なので、その現象をすこし説明することにする。

 毎日30度を超す炎天下を歩いていて気がつくことだが、日本では経験することのない強烈な陽射しは、“あ、いま陽灼けをしている”と実感できるほどだが、チェンマイの乾季は湿度を感じないほど低いので、木陰に入ればとたんに涼しくなる。
 しかし、なにしろ咽喉が渇いてしょうがないのである。なにはなくともデイバッグのポケットにはミネラル・ウォーターが必需品となる。道を歩くと、コンクリート製の車道には始終砂埃が舞って、口の中がザラついたような感触だ。
 肌はカサカサ感満点だし、唇は荒れている。すこし大げさかもしれないが、僕らのチェンマイ生活を象徴している出来事だ。だから食事はスパイシーなものをたっぷり摂って汗をかき、肌に潤いを取りもどすという自衛対策をする。
 前にもお話したが、タイはワン・プレート方式の食事をするので、食べ過ぎる心配はない。しかもミネラル・ウォーターをたっぷり飲んでいると、腹も膨れて満腹感を得ることができる仕組みである。僕も痩身だが、タイの人たちはもっと痩身だ。必要最小限の栄養を必要最小限だけ食べているので、太るということがないわけである。
 先日はワローロット市場で、カーオラームというお菓子を食べた。チェンマイやチェンライではこの逸品を売っている。カーオラームとは30cmばかりの青竹に、もち米と豆やゴマを混ぜたものを筒に入れ、その上からココナッツ・ミルクを入れて蓋をする。
 火で焼いて、表面にほどよく焼き目がついたら出来上がり。その竹を縦裂きにしてなかのもち米を食べるのだが、1本食べると満腹になってしまうが、それでもタイ人は太らないのだ。




[177] 【2016年1月6日(水)】 晴れ、33℃

投稿者: 暴れん坊老人 投稿日:2016年 3月27日(日)08時03分20秒 kc119-82-180-159.ccnw.ne.jp  通報   返信・引用

 暖冬だった日本も、週末には寒気が南下して寒さがきびしくなると、NHKの日本語放送が云っていた。僕らは一日中、短パンとタンクトップで快適に暮らしている。それこそが幸せを感じる瞬間だし、非日常の至福のときを過ごしていると実感するのである。
 寒い日本を遠く離れて、常夏のチェンマイで年を越す幸せとか、真夏の炎天下を逃れて涼しい北海道へ余暇を満喫する人生こそが、僕が求めていた至福の極致たるゆえんである。
 これは経済的な甲斐性というよりも、智慧と工夫と勇気の賜物だと僕は信じている。金はあるにこしたことはないが、無ければ無いでどうにでも克服できるものだ。
 毎日ちまちまと働いて、その僅かなお給金をせっせと蓄えて、半年に一度の幸せのために費やすのに、なんの苦労があろうか。汗と埃にまみれて爪の先ほどの蓄えを後生大事にする半年間の労働は、罰が当るほどありがたいと感謝するばかりである。
 昨年も約1ヶ月間雨は降らなかったが、今年もはや20日間が過ぎようとしているのに、一滴の雨も降ろうとはしない。たしかにこの時季は乾季というが、こうも雨滴がないと、なんだかおかしな気分になる。異様に咽喉が渇くし、肌はかさかさとして、始終シャワーを浴びたくなるし、なんだか心まですさんでくるようだ。

 毎日僕は夜8時に床に就き、午前零時には眼が醒めて小便に起きる。ほんの30分ほどテレビを観たり本を読んだりしながら再度床に入るが、午前6時には完全に眼が醒める。それから少々のウィスキーを飲み、テレビを観ながら夜明けを待つ。午前6時半ころになるとようやく街が白んで、7時には妻が起きて朝食の仕度となる。
 これが日々の暮らしのはじまりである。以前、息子に促されたが、長い距離を歩くというので行きそびれた食堂を訪ねることにした。そこは片道30分も歩かねばならない遠方だが、 「ゆっくり街の風景を見ながら歩けば、新しい発見ができるし、愉しさも倍加するというもんだよ」 という息子の言葉を思い出した。
 ソンテウやトゥクトゥクで一目散に目的地を目指していると、意外に見落としがちな名所や旧跡があったりする。たしかに息子が云うとおり、行きがけに見たのはチャンクアップのバスターミナルであったり、地元の高校や大学のキャンパス風景であったりと、新しい発見に思わずデジカメのシャッターを切ったりする。
 ようやくチャンクアップ門に到着し、さらにまっすぐ歩いていくと“三人の王様像”という名所の広場にたどり着く。その横手にはずらりと並んだ食堂が乱立している。息子から聞いた話では、ひときわ混雑した店だからすぐ判るらしいが、なるほど大繁盛の店が1軒あった。

 ”キャット・オーチャ”という屋号で経営者は中国人らしい。そこでは売り切れ御免であらかじめ用意した食材がなくなると、店のシャッターを下ろしてしまうらしい。幸い僕が店に入ったのは午前11時半ころだったので、席も確保できたし、食材もたっぷり残っていた。
 若い男性店員がメニューを持ってきたが、料理はたったの2種類のみ。チキンライスの“カオ・マンガイ”と、豚肉を茹でて味付けをしたものである。むろん僕は“カオ・マンガイ”を注文した。
 カオ・マンガイは鶏肉を煮て、その煮汁でご飯を炊いたチキン・ライスのことである。煮た鶏肉は細くスライスして、皿に盛りつけられたチキン・ライスの上に載せれば出来上がりだ。
 ニンニクや唐辛子を細かく刻んだ赤味噌ベースのタレを小皿に入れて持ってくるので、丸ごとご飯にぶっかければ美味しくいただける。甘くてちょっぴり辛いタレはお替り自由で、そのほかに沢庵漬けのようなものが入った白湯スープがついてくる。
 これで50B(約200円)だから安いことこの上ない。帰りの途中、道端の屋台で、肉の食べられない妻のために、魚介のハンペンがたっぷり入ったフォーをテイクアウトしたが、これが40B(約160円)だから、カオ・マンガイがいかに安いかがわかる。息子はこれを毎度2人分たのんで食べていたらしい。



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